皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1312件 |
No.892 | 5点 | 火の玉イモジェーヌ- シャルル・エクスブライヤ | 2021/11/08 20:40 |
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女探偵をやったから、女スパイ...でイモジェーヌを選ぶ評者は、はっきりヘンだ(苦笑)。ユーモアというよりも、ドタバタなスパイ小説。身長5フィート10インチ、というからには177cm、赤毛の猛女イモジェーヌが秘密書類を故郷の街に運ぶ任務を命じられたが、その行く手には死体の山が積み重なる...というマンガチックな話。
と紹介するとね、ホントに漫画に思えるんだけど、実は泥臭く、アクが強い話。一筋縄ではいかない。イモジェーヌは狂信的なくらいに愛郷心が強いスコットランド人で、イングランド人やウェールズ人を差別しまくるくらいのキャラ。50歳独身、思い込みも激しく直情径行、しかも女だてらの腕力もあって、ナミのオトコの手におえるような代物じゃない。 スコットランド名物料理でハギスってのがあって、作中にも登場するけど、羊の胃袋に内蔵やらオートミールやら詰めて茹でた料理で、スコットランド人以外には正気とは思えない料理として有名だったりする。この作品の味わいって、まさにハギス。読むなら覚悟した方がいい珍味。 |
No.891 | 7点 | サマータイム・ブルース- サラ・パレツキー | 2021/11/07 10:00 |
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いいじゃん。いや評者前から読みたいと思ってたシリーズなんだけど、未読作家なので後回しにしていた。シリーズ自体全くの初読である。
事件自体は、社会派的な内容で、パズラー好きな読者がそもそも面白いと思うようなものではない。でも労組+損保+信託銀行というこの背景のシブさは、ちょっとデビュー作とは思えないくらいのもの。1982年出版で、当時まだあった学生運動の残り火と、既成労組の腐敗(いわゆるダラカンってやつ)の対比とか、明白に70年代的なネオ・ハードボイルドの流れを受け継いでいるのがわかる。評者ご贔屓なモーゼズ・ワインに近いポップなテイストも感じるんだよ。フェミだってさあ、やはり70年代の空気感からやはり育ってきたものだしね。 ふつうはイニシャルを使っているわ。弁護士として働きはじめんたんだけど、同僚や相手方の男性弁護士というのは、わたしのファースト・ネームを知らないときのほうが、横柄な態度に出ないものってことに気づいたの これが実にV.I.ウォーショースキーのキャラを如実に示していると思う。 女はナメられる、それにムカツきながらも、それをカワす知恵を駆使して、オトコたちとワタりあうヒロイン像。しかも、ヴィクが女性差別にムカついているのを、直接描写ではなくて、チャンドラー風の警句にうまく昇華しているあたりが、「おお!」と膝を打たせるようなうまい「ハードボイルドの使い方」なんだ。フェミの声高さをハードボイルドに昇華したあたりで、リアルというよりも「ポップ」という方向に向かっているのが、この作品の良さなんだと思う。 だからかな....ヴィクのファンタジーの中だと、ピーター・ウィムジー卿が白馬の王子様なのが、微笑ましくも許せる(苦笑)。 |
No.890 | 6点 | ユダの窓- カーター・ディクスン | 2021/11/06 12:52 |
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さて懸案の大名作。低評価失礼...とまず、謝ります。
いや小説としてはわりと面白いんだよ。カーと言うとハッタリがウルサいことも多いけど、法廷場面中心でハッタリを仕掛けてないから、読みやすいしカーの素のストーリーテラーぶりを楽しむことができる、というのはイイ面。「この人誰あれ?」というような人物を証人に呼ぶと結構なクセ者で面白いとかね、そういう楽しさがある。 なので、問題、と思うのは主としてミステリ面。この作品の構成的な狙い、というのは、無実の罪を着せられた被告をHMが弁論で無実を証明して無罪を獲得したあとで、その裁判で顕われた証拠を軸にフーダニットして見せる、という二段構成なんだと感じたんだけど....いや、これが趣向として押しきれてないのが残念。まあだし、HM最初から真相・真犯人大体わかってて弁護しているんだもの。探偵が最初から真相分かっているのって、評者は好きじゃないな...小説が始まる前に決着しているようなものなんだもの。 であと、もちろんこれ指摘する人が多い、真犯人がどうやって矢を入手したのか納得いかないこと。被害者は罠にかける相手のピストルを手にいれているのだから、被害者のプランでわざわざ矢が登場する意味がよく分からない...「ピストルの消失」が謎になる密室トリックでもこれは成立したと思うんだけどねえ。それから、タイムスケジュールがタイトすぎて「できるの?」と心配するくらいだとか、これは都筑道夫氏も指摘しているけども、密室に不可欠なある現象を目撃した被害者の反応を読み切れない面とかね... というわけで、フィージビリティとか言挙げするのは趣味じゃないけども、本作はいまひとつ「おかしい」面が目立ちすぎるし、構成面でも意図が分かるぶん、もう少し工夫もあるかな、とも感じる。もちろんタイトル「ユダの窓」が実にステキなことは称賛したい。偽証を指摘される人物も「窓」で裏切られるから、こっちももう一つの「ユダの窓」かも。 (あと今の創元文庫は、ダグラス・G・グリーンの「序」とか、瀬戸川猛資、鏡明他の座談会がオマケについていて、これが実に読み応えあり。これをプラス1点したい。カーのオカルトはあまりマジメじゃなくて「キャンプ趣味」だというのは同感) |
No.889 | 7点 | ジキル博士とハイド氏- ロバート・ルイス・スティーヴンソン | 2021/11/04 21:22 |
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実家の本棚を漁ってたら、この本を発掘。岩波文庫だけど、ミステリ枠じゃん。で「医師ジーキルが薬の....」の帯からしてネタバレしてるよ~~
というかね、「ネタバレ絶対不可」というミステリマニアモードって、実はかなり狭い範囲でのジョーシキのようにも感じるし、1970年代あたりだとそこまで神経質ではなかった記憶もある。たとえば「アクロイド」だって「オリエント急行」だって、一応真相の噂を聞いていて、それを確認するために評者は読んだようなものだった記憶があるくらいだ。でなきゃ宰太郎本なんて出版できるわけないよ。まあ本作のネタバレなんて、バレないのが難しいレベル。普通に比喩で使うわけだし、ミュージカルだってあるしさあ。 あたらめて本作。中編レベルの短い話だけど、こってりとした満足感があるのが不思議なほど。純粋にミステリみたいに読んでもいいようにも感じるくらいに、叙述が技巧を凝らしていて面白い。狂言回しのアタースン弁護士が中心にはなるんだが、伝聞だったり、客観描写からアタースン側に視点が戻ったり、短いながらいろいろ多面的に叙述を工夫して、最後はラニヨン博士とジーキル博士のそれぞれの手記。ハイド氏の犯罪とジーキル博士の奇行が(もし真相を知らないと)ミスディレクションみたいに働く部分もあって、「手法的には完璧ミステリ、なんだよね」と思えるくらい。 実際、本書の時点だとまだ「ミステリ」ってちゃんと確立したジャンルでも何でもないわけだから、たとえば同テーマとも言っていい「ドリアン・グレイの肖像」とかも併せて、「ミステリを巡る一連の作品」といったくらいの、緩めのジャンル感で評価していくのがいいんじゃないのかな...なんて提案したい。 あ、あとスティーヴンスンっていうと「ロンドンの霧」。霧がもう一人の登場人物みたいな存在感。 (そういえば、で思うんだけど、昔ってミステリのメディア展開が盛んで、しかも映画などのメディア展開側で平気でバレてたから、バレに神経質じゃいられなかった気もする...本が本で完結するようになったのって、実は最近のことみたいにも感じるんだ。どうでしょう?) |
No.888 | 7点 | 密使- グレアム・グリーン | 2021/11/04 12:58 |
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エンタメなグリーン。1939年の作品。アンブラーだと5作目の「ディミトリオスの棺」と同じ年だから、アンブラーはソビエトに対する失望感から立ち直ってきたあたり。要するにそういう危機的なヨーロッパ情勢を背景にしないと、この作品の味わいってかなり薄まるようにも感じる。
つまり、内戦下の母国からまだ戦争に巻き込まれていないイギリスに、石炭買い付けの密命を帯びて派遣された主人公D。なので「まだ平和」なイギリスの「平和」があくまで「まだ」なだけの、「危機的な状況」なのは同じなのにそれから目を背けているイギリス社会への批判的なまなざしは、おそらくグリーンの想いそのものなんだろう。Dのライバルとしていく先々に現れては策謀する貴族階級出身のLは、インテリ間の連帯感を通じてDに裏切りを勧めるのだが、Dはすでに薄れつつある収容所で殺された妻の記憶に賭けても裏切るわけにはいかない。 Dのアイデンティティは「死者の記憶」というか細いものだけが頼りなのだ。隠し持つ「信任状」にさえ裏切られたDは、任務の失敗を取り返すために炭鉱地帯へ赴く.... 文芸系スパイ小説の一番のシブ味というのは、あらゆる犠牲を払ってまで、なぜ自分がその任務を果たさなくてはならないのか?という問いにあるのだろう。その犠牲の重さにスパイは押しつぶされそうになる。この自問自答の小説なのだから、陰鬱なのはまあ、仕方ないよ。裏切りが多重に交錯する迷路のような状況は、戦争まじかのイギリスの暗鬱さでもあるわけだし、空襲で埋まった自分が掘り出される「記憶」は、本書出版の後でイギリスが受けた空襲を予告さえもしている。これがDがこだわり続ける原風景なのだ。 スパイはゲームではなくて、スパイが戦うのはそのゲーム盤をひっくり返そうとする暴力なのだろう。 |
No.887 | 7点 | 私刑(リンチ) 大坪砂男全集3- 大坪砂男 | 2021/11/03 12:20 |
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予告通り大坪砂男やります。まずはクラブ賞受賞作の「私刑」を含むこの本から。
大坪砂男と言う作家は一概に作品傾向を言えない人なんだけど、「私刑」とか「花売娘」とかは典型的だし、あるいは「街かどの貞操」や「外套」「現場写真を売ります」あたりまで、この本に収録された作品にはハードボイルドの香りがある。しかし、そのハードボイルドさ、が翻訳小説から来た「ハードボイルド」さ、言い換えるとチャンドラー風の「卑しい街を行く騎士」といったハードボイルド・ヒーロー的なものではないのである。 戦後の混乱した風俗を通じて、価値観がすべてぶっ壊れたその廃墟に立ち、それこそ「堕落しなけばならない!」とアジった安吾風の「戦後精神」を体現して、悪党と娼婦ばかりの世相のヒリヒリするような現実感の中で「土着的なハードボイルド」さを実現しているあたり、かなり重要な作家なのだと思える。 いや「私刑」なんて、ハメットさえも飛び越えて、黙阿弥が描いたような、「江戸の悪党」のハードボイルドさを体現しているかのような、そういう颯爽としたところがある。この人のオリジナリティ、ってそういうあたりだ。日本のマニア評価、というのはどうも「海外のモデルをいかに忠実にホンヤクできたか?」というあたりに重点がありすぎるようで、こういう「土着ハードボイルド」というべき達成には、どうも焦点が当たりづらい気風を感じる。そういうの、拝外主義だと思う。 でも文章、凝ってるなあ....で戦後すぐのスラング多いから、若い人だと読むのが辛そうだ。 |
No.886 | 7点 | 心閉ざされて- リンダ・ハワード | 2021/10/31 18:54 |
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これは、出来がいい。ゴシック・ロマンスのツボを押さえて、意外な犯人のミステリ興味もあれば、ヒロインの成長物語、家族大河小説の味わいまで備えたロマンティック・サスペンスの名品。
南部の名家に生まれた少女ロアンナは交通事故で両親をなくし、同じ境遇の従姉ジェシーと共に本家を取り仕切る女主人の祖母ルシンダに引き取られた。ルシンダは事業の後継者としてロアンナとも幼馴染で兄のようにしたうウェッブを後継者とするが、ジェシーは美人で優雅に成長してウェッブの妻の座を射止める。それに引き換えドジで変わり者のロアンナは、ジェシーに意地悪されつつも、ウェッブを慕っていた。ロアンナにキスをするウェッブをジェシーが見とがめた夜、ジェシーは何者かに殺された。容疑は夫婦喧嘩をしたウェッブにかかるが、証拠もなく事件はうやむやになる。容疑の晴れきれないウェッブは怒って家を出る....十年後、事件の影響で心を閉ざしつつもルシンダの補佐役として事業を切り回すロアンナに、ルシンダはウェッブを連れ戻すように頼み、ウェッブの住む西部をロアンナは訪れる....ウェッブは南部に帰還して事業を継承するが、ウェッブとロアンナに危害を加えようとする怪事件が続けざまに起きる... こんな話。意地悪な従姉ジェシーは死んでもレベッカみたいな影響力を持つし、性格が歪んで帰還するヒーローって嵐が丘だ。遺産を狙う叔父伯母もいてゴシックロマンスのテンプレをうまく使い倒す剛腕がなかなかのもの。それにヒロインの屈折と、屈折の陰に隠れつつも成長していく姿に感情移入しやすい。不遇系ヒロインのロアンナ、キャラに面白味があってナイス。ジェシー殺しには意外な真相もあって、ミステリ興味も外さないし、ヒロインの屈折にもそれなりの「真相」っぽいものがあって、構図が切り替わる面白さもある。 うん、よくできたエンタメ。 |
No.885 | 5点 | メグレの途中下車- ジョルジュ・シムノン | 2021/10/30 11:14 |
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メグレは国際会議の帰途に、学生時代の親友の元を訪れようと、ヴァンデの地方都市フォントネ=ル=コントで途中下車した...その街は連続殺人に揺れており、友人は予審判事としてその渦中にあった。行きがかり上、メグレは事件に巻き込まれていく...
という話。ポイントはメグレの学生時代の親友だったシャボ。学生時代には苦学生のメグレは違い、素封家の息子らしくメグレにとってやや眩しい存在だったようだけが、今ではすっかり地方都市のしがらみに囚われて、責任ある立場を占める代わりに老化の兆候も見せている...というあたり。まさにこの地方都市の、没落した上流階級と、成り上がり者の入り婿、しかし一般市民は成り上がり者をいつまでも嫉妬と猜疑の目で見つづけ、何かきっかけがあったら暴動やリンチがおきかねない....という地方都市らしいややこしい階級対立が背景にある。 「おれはおそろしい(心配だ)」という発言は、このヴァンデ県の街が、フランス革命当時の「ヴァンデの反乱」の中心地、ということもあって、そういう連想がメグレにも働いたんじゃないか、という気もする....悲惨な内戦の舞台なんだよね(深読みかな?)。 で、友人のシャボは、成り上がり者として上流階級からも庶民からも排斥される男の数少ない友人でもあるのだが、この男の息子に殺人の容疑が....という展開。地方都市の人間関係のややこしさと、かつての学友が見るからに平凡な男になっていった失望感のようなものが、この作品の陰鬱さを強めている。 庶民から成りあがってもプルジョアになりきれない男の哀歌みたいなものがシムノンお得意のテーマなんだけども、地方都市を舞台に陰湿な階級対立の層として描いてみせたあたり、一種の「社会派ミステリ」みたいに読むのがいいんじゃないかと思う。 |
No.884 | 6点 | パンドラの眠り- アイリス・ジョハンセン | 2021/10/29 21:54 |
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一応ロマサスのジャンルに入るのだけど、ロマンス色は意外に薄くて、王道のサイコスリラー、という感じのもの。この著者も、結構「ロマサスの女王」と呼ばれることが多いようだ。人気シリーズの第8作にあたるけども、リーダビリティ絶大で途中参入でもあまり問題なし。
ヒロインのイヴ・ダンカンはシングルマザーとして娘ボニーを育てていたのだが、連続殺人鬼によって攫われて行方不明になっている。その捜査で知り合った刑事クインと恋人になり、ともにボニーの行方を捜すのだが、それを通じて、イヴは勉強しなおして、頭蓋骨から生前の顔を蘇らせる「復顔彫刻家」としての才能を開花させた。ある日、イヴのもとに「自分がボニーを殺した」という男からの電話がかかってきた...キスルというその男にはやはり連続殺人鬼の容疑がかかっていた。この電話は、捜査に強い影響を持つ復顔彫刻家であり有名誘拐事件の被害者の母である、イヴを挑発するためにサディストのキスルが仕掛けた罠だった。このキスル、ランボーのようなサバイバルのプロで「ボニーの墓を教える」という口実と、新たに誘拐した少女の安否を賭けて、イヴに挑戦したのだった。イヴはクイン刑事と前作で知り合った傭兵上がりの武器商人モンタルヴォとミゲル、それに霊能者のメガンとともに、キスルの罠にあえて飛び込む... キスルの罠の舞台はジョージア州のオケフェノキー湿原。それに特殊部隊上がりのクイン刑事と、コロンビアのゲリラ上がりのモンタルヴォが挑むことになるわけで、いやロマンスというより劇画調のハードロマンの部類でしょ。男性が読んでもさほど違和感がないんじゃないかな。でもこの二人がイヴを巡るライバルのわけで、恋のさや当て&男の友情もあり。要するに、この作品の「妙」は、誠実で真面目なクイン刑事、ワイルドでちょいワルなモンタルヴォの対比に加えて、どう見てもイヴに惚れてるようにしか見えないくらいにイヴに執着する犯罪者のキスル、とうまいグラデーションでオトコを配置したあたり。 でもね、意外に決着はあっけなし。霊能者のメガンの役回りもやや意外だけど、どうやら著者の別作品から参加したキャラのようだ。ちなみにモンタルヴォの副官みたいなミゲル君、なかなかナイスなキャラ。普通に面白い。 「ロマンス小説」の枠内でも、劇画調のハードなスリラーが書けるんだよね、というのが面白い。恋のさや当てはあっても、官能色はかなり薄いです。 |
No.883 | 8点 | 読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100- 事典・ガイド | 2021/10/25 19:56 |
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先日、仁賀克雄「新海外ミステリ・ガイド」が、名作・傑作を網羅してやる!という意気込みにも関わらず、「レベッカ」を落としている、というのに気が付いてショックを受けて、「女子ミステリ」という概念で、クリスティからコージーから女性探偵ハードボイルドから日常の謎からコージーからロマサスまで、「女子」をキーワードにして...と思ったらドンピシャの本がすでにありました。残念(苦笑)
本当にこれは「ミステリ史の盲点」にあたる観点でもあるわけで、従来的な本格・ハードボイルドetc,etcといったジャンル分けとは、目の付け所が違う、一種の横断的なカテゴリになる。しかし、この「女子ミステリ」のカテゴリの批評的な使い勝手の良さ、というものは、ちょっとスゴイものがあるようにも感じる....この本は紹介するミステリについてそう突っ込んだ批評というものではなくて、あくまで「ガイド」で冒頭程度のあらすじとコメント、著者紹介くらいしかしていないのだけど、「セレクション」によって「新しい意味」を作り出している。まさにその「選ぶこと」が「批評」の代わりなのだ。 一般に「ミステリ」とはジャンル違いとされがちなロマサスにも、かなりミステリ味のものがあるわけだし、そうなったらかろうじて「ミステリの一部」に認められているコージーと、あるいはロマンス色が強い「終わりなき夜に生れつく」と、クリスティでも伝統的には非ミステリとされてきた「春にして君を離れ」と、これらを一つにの概念の下に包摂することで、新しい「ミステリ観」が立ち現れるのでは....この果敢なチャレンジは成功している。 乱歩が作りあげた「本格史観」ではなくて、もっと多様な「ミステリの歴史」や「ミステリの読み方」があっていい。これはそういうひとつの思考実験なのだと、評者は思うのだ。 実際にはロマサスから選ばれているのは5冊くらい、それより氷室冴子とか新井素子とかジュブネイルのファンタジーも入っているのが面白い。必ずしも女性作家オンリーではなくて、女性視点での「面白さ」を大矢博子氏が書きやすい(まあ、ネタっぽくだが)男性作家の作品もいくつか。「犬神家」とか「天使の傷痕」とか「異邦の騎士」とかも入ってる... 読んで、選ぶ。こういう行為でも、実に批評的であることもできるのだ。 |
No.882 | 5点 | 裏切りの刃- リンダ・ハワード | 2021/10/22 07:15 |
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前回仁賀克雄氏の「新海外ミステリ・ガイド」(2008)をやったわけだが、ここで凄く気になったことがあって、今回はその関連でこれ。
仁賀氏のガイドでは、巻末にMWA/CWA 選のオールタイム・ベストテンが載っているのだけども、両者共通に選ばれている名作が6作あって、「英米も結構共通するんだね...」と思わせるんだけども、この6作のうち1作だけは、この「ガイド」でまったく言及がない作品なんです。皆さん、分かりますか、その作品? 実は「レベッカ」なんですね。ガイドの旧版(1976)の「ミステリの分類」だと「ゴシック・ロマンス」の項目があるにもかかわらず、「レベッカ」に触れていないんです...で2008では「ゴシック・ロマンス」の項目はなし。 いや、ミステリ史の最大の「盲点」って、じゃあ「女子ミステリ」というものではないのかと。 確かに、仁賀氏、コージーという単語を使ってないです。知らないのかなあ...改めて考えてみると、クリスティやセイヤーズの名作のいくつかは「女子ミステリ」だしね。だったら、「レベッカ」「終わりなき夜に生れつく」とコージー、女性探偵ハードボイルド、それにミステリ系出版からは出づらいロマンティック・サスペンスまでをうまく囲むジャンルとして「女子ミステリ」という批評概念があるのでは... なので、手元にあった本書。一応今「ロマサスの女王」でググると、本書のリンダ・ハワード、蟷螂の斧さんが3作やっておられるサンドラ・ブラウン、あとアイリス・ジョハンセンの3人がひっかかる。ハーレクインやら二見文庫やらで大量に出ているから、今一つ全貌がわからない翻訳小説の魔界なんだけど.... で、本作はロサンゼルスのオフィスに経理事務員として勤めるヒロイン、テッサは、本社から派遣されてきた強面のエリート社員ブレットとエレベーターの中で出会い、恋に落ちて一夜を共にする...しかし、テッサは突然「横領の容疑」で逮捕される。「私は無実!」と訴えるのだが、横領の容疑でテッサを告発したのは、実はブレットだった.... という話。ロマンティック、の面だとヒーローがヒロインを傷つけて、敵対する、という珍しいパターン。結構テッサが心理的に追い込まれるけども、芯の強さがなかなかアメリカン!なところ。ちゃんと自分で反撃するし、それを見てヒーローも「誤解していたのでは?」と思うようになって....でアタリマエだけど、ハッピーエンドになる。 横領犯人探しもあるわけだが、これは結構ミエミエな部類。読みどころはヒーローの強面ぶり・俺様っぷり。だから対抗上ヒロインも鼻っ柱が強いオープンなタイプで、「アメリカのエンタメ」感たっぷり。意外に日本人向きじゃない気もする... まあ、こんな感じ。短めのジェットコースター小説。 いやでも「読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100 」という本があるようだ。これ読まなきゃ。 |
No.881 | 5点 | 新海外ミステリ・ガイド- 事典・ガイド | 2021/10/19 20:16 |
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この論創社から出た本(2008)は、1987年のソノラマ文庫「海外ミステリ・ガイド」の増補改訂版、ということになっているのだけども、実はその前に 1976年にやはり朝日ソノラマから出た「海外ミステリ入門」が原型だったりする。「海外ミステリ入門」を評者持っていたりするので、それとの比較でいろいろと述べると面白いと思うのだ。
「この世に残された最後の男が、一人で部屋に座っていた。するとドアをノックする音がして...」 というのは怪談である。フレドリック・ブラウンもいうように、ノックをしたのが何ものなのか、ということが恐怖の焦点になっている。(1976) というのはホラーである。アメリカ作家フレドリック・ブラウンのショート・ストーリーの冒頭だが、ノックをしたのがいったい何ものなのか、ということが地球最後の男には恐怖の対象になっている。(2008) という具合。まったく新規に追加された章は第3章「名探偵とヒーローの系譜」くらいだが、この章は単なる繰り返しみたいなもので意味ない...2008はシンプルにまとまった 1976 の改悪みたいな面もある。ほぼ 1976 と変わらないのは第1章「海外ミステリの歴史」、第4章「ミステリのトリック」の2つ。それに第5章「ミステリの映画化の歴史」は増補が大量だが、単に作品列挙のレベル。なので、この1976と2008の32年間の間の変化、というものは、ほぼ第2章「ミステリの各派」に反映している、と見るべきだろう。 2008の「本格ミステリ」「警察小説と司法ミステリ」の区分がきわめて恣意的というかね、単に探偵役が警官・弁護士だったら「警察小説と司法ミステリ」に入れてしまっていて、コックリルもダルグリッシュもギデオン警視もモースも87分署もメグレもペリーメイスンも全部ごっちゃ! だから本格ミステリには黄金期延長線上の作家と歴史ミステリ・技巧派・短編パズラーくらいしか入らないことになって、「本格ミステリ」という概念が有名無実になったような強烈にヘンな分類になっている。1976にはそれなりのリアリティを持っていた乱歩的な「ミステリの歴史」というものが、2008には完全に崩壊しつくした??(深読み御免)。 こういう総論を書く場合には、どうしても「史観」は欠かせない。しかし、せいぜい「歴史」という概念で捉えることができたのは1970年くらいまでだ。それ以降は単なるジャンルの拡散以外は何も起きていなくて、「史観の軸」になるような支点は何も見いだせない、という状況があらわになっているかのようだ。「何がミステリなのか?」というミステリの範囲は、そういった「史観」なしには決定できないのだ。 たとえば、2008で廃止になったジャンルは「ゴシック・ロマンス」で、20代りに「サイコ・スリラー」と「モダン・ホラー」が追加されている。「レベッカ」風の女性向け「ゴシック・ロマン」は2008でもちゃんと書かれているにもかかわらず、いわゆる「ミステリ」の視野からは外れてしまい、代わりにスティーヴン・キングや「羊たちの沈黙」を「ミステリ」に包括しよう、というかたちで境界線が揺らいだ...これは時代の変化、というものなのだろうか?それともタダの流行なのだろうか? としてみると、この 2008 から見えてくるもの、というのは「ミステリ史というものの不可能性」というようなことのようにも感じる。つまり、流動化して拡散していく「ジャンル分け」に一番反映している「現代」と、旧態依然な「名探偵とヒーローの系譜」「ミステリとトリック」との乖離の激しさ、というあたりでも、こういうタイプの総論が不可能になりつつある、とも感じさせるのだ。 というわけでこの本は「複雑骨折したような本」である。しかしこの「複雑骨折」の中に、時代の証言を聴く、というのが求められているのかもしれない。 (けど今は映画のスチル載せると別途お金がかかるから...なのかしら。映画がタイトルだけでスチルがないのが、寂しいです。1976はしっかりスチルが載ってます) |
No.880 | 6点 | 港のマリー- ジョルジュ・シムノン | 2021/10/18 21:44 |
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集英社のシムノン選集というと、全12冊のうち半分ほどは文庫になって、メグレじゃないシムノンの本格小説を70~80年代あたりで楽しむにはお手軽なシリーズだったのだけども、実はこのシリーズ、翻訳者が妙に豪華で面白い。「日曜日」は生田耕作だし、「かわいい悪魔」は中村真一郎、「片道切符」は詩人の安東次男で、本作はと言うと....やはり詩人の飯島耕一である。詩とシュルレアリスム以外の翻訳はこの人、珍しい。評者とか学生時代には飯島耕一って愛読したんだよ。シュルレアリスム出身だけども、意外なくらいに平明で「こじらせて」ないあたりが、何か琴線に触れたんだ。
いや、そういうあたりが、実はシムノンに向いている、といえばそうかもしれない。 すべては言うならあっという間に運んだ。というのもマリーは潮の満ちてくる時というものを心得ていたからだし、彼女は海の荒れがしずまって、どのあたりで満ちるはずかも知っていたからだ。そして男たちというものはともづなをとくまえに、気のゆるむ瞬間が、つまり橋をあげる時がある、というのを知っていたからだ。 この小説の最後くらいの描写である。するすると書かれているけども、実にイメージ豊かで「散文詩」と言ってもいいくらいの美がある。 でこの小説、かなりヒネった恋愛小説で、ミステリ色は薄い。ノルマンジー半島の漁師町、ポル・タン・ベッサンで父を亡くした少女マリーは「スールノワーズ(食えない子、何を考えているかわからない子)」と呼ばれていた。気のいい姉オディールが女中奉公から主婦に納まった相手、シャトラールはシェルブールで映画館やカフェを経営するやり手の実業家だが、マリーの父の葬儀で、マリーに目を付けた....芯の強いマリーはシャトラールの誘惑をガンして撥ねつけるのだが、シャトラールはマリーの身辺に付きまとう。マリーを崇拝する青年がシャトラールを襲撃するなど、人間関係がコジれていくのだが...という、一見どう見ても「恋愛劇」に見えないのだが、実はこれ恋愛小説、というシムノンらしいロマンチックがゼロの恋愛小説だったりする。 この話の中で際立つのは、やはり「何を考えているかわからない子」マリーの、独特の芯の強さ、自立を求める個性といったものだ。結果的にはやり手で女遊びも盛んなシャトラールを手玉にとったことになるのだが、「男女の闘争」を真剣に捉えたマリーに、シャトラールはしてやられたようなものだ。でもそのマリーの姿に「爽やかさ」みたいなものを感じるのが、面白い。 シムノンという本当に「女をよく知っている」男性作家ならではの、超変化球の恋愛小説として楽しむといいと思う。 |
No.879 | 6点 | カンタン刑- 式貴士 | 2021/10/14 21:25 |
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星新一は「殺人とセックスだけは自分は直接描かない」なんて矜持をもっていたという話があるんだけど、ちょうどそれの対極みたいな作品集である。アイデアストーリーなんだけども、下世話で悪趣味な駄菓子風のあたりが魅力。ショートショートではなくて、普通に短編が9本収録。どれもSF雑誌「奇想天外」に掲載のもの。で...
食事しながらの読書はお控えください とでも言いたくなるような短編集だ(わかる?)とくに表題作「カンタン刑」ね。悪ふざけ風な作品も多いのだが、たまに情愛がヘンに深いとき「おてて、つないで」とか「Uターン病」があって、何か「犬っぽい」作家の気がする...まあとはいえ、理解不能なほどヘンでもなくて、アイデアはアイデアで分かるんだけど、主人公がとくに奇矯なことが多くて、短編としての昇華がもう一つな印象もある。全体的な出来は玉石混淆、といったところ。でもヘンな勢いはあるか。 |
No.878 | 6点 | セラフィタ- オノレ・ド・バルザック | 2021/10/13 08:23 |
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リアリズムの帝王バルザック。でもこの人、浮世離れした「哲学者」が主人公の作品があったりするわけで、「リアル」とは人間の活動分野全体を平等に観察すること、と言ってもいいのかもしれない。
でもね、本作は強烈に異質。「宗教」とは言っても幻想のうちに、神と人とが媒介なしに結び付く神秘主義の世界を借りて、神人が人間としての生を終えて熾天使として神の元に参じるプロセスを描いた....という奇書の部類である。 ベースになるのはスウェーデンボルグの神秘哲学だから、今みるとキリスト教色が強いけども、20世紀以降の「スピリチュアル」の間接的な先祖にあたる神秘思想と言ってもいいだろう。バルザックなんて自身の母親譲りでスウェーデンボルグにハマっていたらしい。まあだから、主人公が縷々述べる科学哲学と信仰の問題は、事実上カント哲学批判なんだけども、読み流しても大丈夫だ(と評者は断言)。 しかし、セラフィタ、といえば....両性具有テーマ。バルザックだと「サラジーヌ」もあるからねえ。主人公であるセラフィタ・セラフィトゥス男爵令嬢(でいいのかな?)は、遍歴の科学者ウィニフレッドと地元の牧師の娘ミンナの両方に恋されるのだが、男性のウィニフレッドには女性のセラフィタとして、女性のミンナにとっては男性のセラフィトゥスとして顕現して、この二人の愛を退けつつも、その愛を神への愛へと昇華させるべく、自らの死と変容の目撃者にする、というのがおおまかな話の流れ。 だから、「闇の左手」みたいなジェンダーSF的なカラーが今読むとあることになる。なので詳細な宗教科学哲学の議論は横目に眺めて、ノルウェーの荒涼とした冬景色と春の到来を描く自然描写を背景に、セラフィタ/セラフィトゥスの神秘の婚姻をジェンダーSF風に楽しむのが今はいいだろう。 花崗岩よ、さようなら。汝は花となるであろう。花よ、さようなら。汝は鳩になるであろう。 宗教科学哲学のややこしい議論を吹っ飛ばす美が、やはり一番の楽しみである。 |
No.877 | 10点 | 黄色い部屋はいかに改装されたか?- 評論・エッセイ | 2021/10/10 17:37 |
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中学生時代に読んだきり。図書館本だから手元にあったわけではなくて、先日改めてフリースタイルからの増補版を購入して読み直したのだけども....評者個人としては、きわめてショッキング。
もちろん、評者自身がこの評論に強い影響を受けているのは自覚してますよ。「本格ミステリ」って呼ばずに「パズラー」って呼ぶのなんて、モロにこの本の影響。でもね、このサイトでパズラーに絡んでいろいろそれこそ「挑発的」に書いた内容の多くが、実はすでにこの本で都筑が言っていることを繰り返しているだけだった....それこそ、「げ~ここまで影響受けてたか!」というのが、そのショック。もう50年以上前に発表された評論なんだけどね。評者なんていまだにタダの都筑亜流の「改装主義者」ですよ、ほんとに。 しかしね、何で今でも評者が「改装主義者」でありうるのか?というのはまた別な問題。要するに、この本は都筑道夫が推し進めた「ミステリのモダン」の頂点に位置する評論のわけで、そういうモダニズムというのは、「歴史主義」ということと同じ意味なわけだ。ミステリというものをポオから徐々に発展していって、歴史的により巧緻に、かつ自然で小説としての納得のいくものを、目指していった「プロセス」として捉えて、その「プロセス」を参照しながら実作と評論を両立させようというのが、ほかならぬこの本の立ち位置だ。 しかし、この本以降の日本のミステリの進路は、「モダニズム」ではなくて、「ポスト・モダニズム」に屈曲していったわけである。とくに日本の新本格というのは、ノスタルジーとしての「探偵小説の枠組み」を再度取り上げ直して「モダンのプロセス」を意図的に無視するところから始まったわけだ。歴史は好きなように再配置してかまわないし、引用的な身振りさえもまた「マニアらしさ」として、別途評価されてしまう.... つまり、この本の議論が無効になったわけではないのだが、ある意味ミステリ自体が「どう進化すべきか?」という進路が見失われ、それを無意味とする拡散の側にシフトしたために、「野暮」にもなっている、ということのなのである。「今さら、言うなよ」とでも言えばいいのかな。「パズラーだから、かくあるべし」の規範が失われたと捉えるのなら、そもそもこういう大上段のパズラー論自体が不可能になりつつもあるわけだ。 だからこそ、この本は本当に「時代の一つの頂点」を作り出したピーキーなミステリ論である。改めて、ここから「どう始め直すか?」を問い直すのも、必ずしも今無意味ではないと思いたい。 ちなみにこの評論での「トリック否定論」は、実は天城一も「密室犯罪学教程」で同等の議論をしているし、「トリック至上主義」の開祖として乱歩を指している面でも、この論を継承した立場だと考えてます。併読を勧めます。 (あと、フリースタイル刊の造本が、昔のポケミスの造本のコピーなのが、オールドファンにとってはやたらとうれしい) |
No.876 | 8点 | 真夜中に唄う島- 朝山蜻一 | 2021/10/09 19:43 |
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「昭和ミステリ秘宝」って扶桑社のこのシリーズ名がイイんだけども、朝山蜻一くらい「秘宝」度の高い「Theミステリ秘宝」な作家もいないですよ。評者ご贔屓だから、以前「白昼艶夢」取り上げて、「誰か他の方も、する?」なんて期待していたのですが、まだ誰も現れていないのが残念です。人並さん、しませんか?
で、この本は短めの長編「真夜中に唄う島」と、1976年に「幻影城」に連載された「蜻斎志異」シリーズ全12作を収録。朝山蜻一は旧「宝石」作家だから、名作はほぼ50年代に固まっていて、「真夜中に唄う島」は著者の集大成なスペシャル編的長編。これ書いた後は、沈黙して、幻影城での連載で復活。一応本名名義の短編集を間に出しているけども、ミステリ路線ではないらしい。 「真夜中に唄う島」は要するに「ソドム百二十日」。愚連隊5人がバーの女給を輪姦した後に、その女給が殺されいるのが発見された。追求から逃れるために5人+愛人の初枝は、富士一郎という男が南海の孤島に作り上げた「あらゆる倫理・道徳から解き放たれたユートピア」に逃亡することにした。その船中で初枝の愛人粕谷が毒を盛られて殺された...なんていうと、ミステリっぽいんだけど、ただの枠組み。著者の趣味(SM・ボンテージ・ラバー趣味、あと同性愛とファリック・ガールも?)を全面展開したユートピアとその崩壊を扱った観念小説みたいなもの。「ソドム百二十日」はちゃんとオチが付かないから妙なスケール感が出るのだけど、この小説は足早にオチが付いちゃうのがかなり残念。ユートピアがディストピアになるのって、珍しいわけじゃなしね。集大成でリキが入っちゃったせいか、この人独特の「SMの水木しげる」みたいなユーモア感が出ないのも難。 だけどね、「蜻斎志異」、これは、いい。ガチなミステリ専門誌として伝説的な「幻影城」に連載したクセに、「ミステリ、やる気なし」。実際、オチがあるのかないのかよくわからないような作品もあって、「オチがない」ことによって、不思議と「オチ」ているような、ヘンな感覚。「奇妙な味」と呼ばれるジャンルがあるんだけども、朝山蜻一はニッポンの「奇妙な味」の第一人者じゃないかしら?「風俗小説」の保守性を蹴飛ばした、ジャンル感無視のオリジナルなテイスト。星新一が近いといえば近いけど、さらにフリーダムで予定調和もガン無視。 たとえば、「怪談ホストビアズア」は淀橋浄水場を巡る因縁話があるのに、その三角関係の女性が惨劇を知って新宿西口をストリーキング(分かる?)して駆け付ける奇妙さ....あるいは「与之介一代」がトルコ風呂経営者と女占い師の腐れ縁な生世話物なのに、オチがアカンベエする「かぐや姫」な豪腕。「ブラックホール」がハモニカ横丁のママが抱える「ブラックホール」!ここらへん、読んでいて思わず吹き出すくらいの奇想天外。こんなヘンな話を書ける作者、いないと思う...いや、マジにだって。 しかし、話のヘンさの中にキラリと光る情愛の深さが見えて、ついついほろりとさせられるのも、この著者らしさ。新婚初夜に夫の元を飛び出た新妻の狙いが「最良の妻になるために、100人の男というものを知るため」な「一〇一夜物語」の、あるいは著者自身を投影した「初恋」の純情さに、妙に打たれる... まさに、「秘宝」の名に恥じないです。素晴らしい。評者は朝山蜻一が描く「女性の強さ」が本当に好き。男目線のエロ作家じゃ、絶対ありませんよ。 |
No.875 | 6点 | ド・ブランヴィリエ侯爵夫人- 中田耕治 | 2021/10/04 18:30 |
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本サイトだとハードボイルド小説の翻訳家として親しまれて(まあ、まあ)いる中田耕治氏。いやこの人結構活躍は多彩で、国産ハードボイルドの実作もあるし、演劇人としての活動も重要。しかも70年代くらいからは澁澤龍彦と一緒になって暗黒耽美の方面へ...
で、本作が暗黒耽美な中田耕治の転換を告げた評伝。扱われているのは本サイトだと泣く子も黙る「火刑法廷」の真犯人(苦笑)、ブランヴィリエ侯爵夫人。ルイ14世治下のフランスの毒殺魔として、陰惨な火刑法廷と拷問の末に斬首&火刑で果てた女性である。中田氏は澁澤龍彦の書いた小論に刺激されて本書を書いたのだけども、あたかも中田氏からの澁澤へのラブレターみたいに見えるのが、何と言っても面白い。 ド・ブランヴィリエ侯爵夫人の行為は、女としての行動の一つの極限であって、私には、悪というものに肉体がどこまで耐えられるのかという命題に用に思える。 と中田氏は総括する。ほぼ半世紀前の女性シリアルキラーで、同じく特権的な大貴族というバックで殺人を繰り返したエリザベート・バートリが、冷感症のサディスティックな表現として、領民の女性を徴発して殺したのとは対照的に、ブランヴィリエ侯爵夫人は極端なニンフォマニアとして、協力者であるゴオダン・サント・クロア(カーだとゴーダン・クロス)などを魅了し、ほぼ遺産目当てで自身の親族に毒を盛る。ドメスティックな範囲に完全にブランヴィリエ侯爵夫人の関心が制限されていて、それがまったくエリザベートとは対照的な「悪」のあり方である。一番面白いのは、関係の冷え切った夫に怒って毒を盛るのだけども、思い直して解毒剤を与えるとか、毛嫌いする自分の娘に加減して毒を盛って、病身の娘を熱心に看病する...あたかも、ブランヴィリエ侯爵夫人の毒殺はひねくれた愛情表現であるかのようなのだ。 まあだから、このブランヴィリエ侯爵夫人の内面性というのは、女性性の極みみたいな部分がある。中田氏がのめり込んだのはそういう面ではないのかな。 評者が読んだ本は伝説の薔薇十字社からの刊本。いやね....実に造本が美しい。装丁は宇野亜喜良。漆黒のボール紙で表紙をつくり、赤のインクでタイトルとポイントのイラスト。開くと見返しが赤と青の雲のような文様の鮮やかさがショッキングなほど。装丁で伝説になった薔薇十字社の「美」を堪能できる造本が一番の買い。 |
No.874 | 6点 | 紺碧海岸のメグレ- ジョルジュ・シムノン | 2021/10/03 16:12 |
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皆さまご無沙汰しております。復活いたします。
復活にメグレ、というのも評者らしいでしょう。初読。「自由酒場」なんて読んでるわけありませんよ(苦笑)。 ヴァカンスだ!緑やオレンジに塗られた船縁に寄りかかって、波紋のゆらめく水底を見つめたり....。傘松の木陰で、大きな蠅のうなりを聞きながら昼寝をしたり...。 知り合いでもない男、たまたま背中をナイフで一突きされた人間のことなど、知るもんか! 第一期メグレは結構アウェイの作品が多いように感じるのだけど、特に本作、メグレらしからぬ陽光のコートダジュール! 相棒の刑事も遊び人風、街は3月というのにヴァカンス気分...とメグレにしてはやりにくいったらありゃしない。気分はノらないまま、しかし被害者がどこかしら自分に似ている、と感じるあたりでメグレはこの事件の真相に自然と肉薄していく... 舞台は華やかなリゾートなんだけども、裏通りの常連さん向けシケた「リバティ・バー」がメインの舞台になるあたりが、いかにもシムノンらしい。「モンマルトルのメグレ」だって観光地の裏にあるストリップ小屋が舞台だし、「ストリップ・ティーズ」でもカンヌの裏通り。しかも被害者はシムノン定番の、社会的成功を収めても、急に成りあがったブルジョア社会が嫌になって、自らドロップアウトしたがる男....シムノンらしさは全開。 なので、シムノンっぽい雰囲気を味わうのはオッケーなんだが、事件や展開はもう一つのところがある。被害者に元スパイの経歴があるとか、プチブル的引退生活とか、この部分があまりちゃんと話として効いていない。当初の構想から、「リバティ・バー」の自堕落だけど居心地のいいあたりに、あとでシムノンの筆がウェイトを移したとか、そういう事情があるのでは。 でも次作が第一期メグレのほぼ最終作「第一号水門」。この作品だと引退が迫って自らの進路に迷うメグレの姿が描かれるわけで、本作の「ヤル気ないメグレ」にも、実はそういう「リタイアを目前にした惑い」みたいなものがあって、それを被害者に投影しているのでは...なんて思う。実は評者もちょっと身に染みる。なので少々甘めに6点。 ちなみに被害者が放蕩の末に流れ着く「飲んべえの最後の頼みの綱」、この「リバティ・バー」の象徴のようなゲンチアナ(リンドウ科の植物の根)って、作中だと苦く「アルコールが入ってない」そうだけども、これを使ったリキュールで「スーズ」という酒がある。苦みがあって爽やか、評者は大好き。メグレも飲んでほしいなあ。 |
No.873 | 8点 | ネロ・ウルフ対FBI- レックス・スタウト | 2021/06/12 15:10 |
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ビル王の女性富豪の依頼をウルフは受けかねていた....FBIを告発する本をタダで配ったことを恨まれて、FBIに自分が監視・嫌がらせされているのを何とかしてほしい、というムチャな依頼なのだ。しかし拘束料10万ドル+成功報酬思いのまま、という超破格の報酬をウルフは断れなかった....当然、ウルフの家もウルフのチームも、FBIの監視下に置かれることになるのは覚悟の上。FBIと取引するにも、何かFBIの弱みを握らないことには話にならない。FBIの不祥事を掘り返すことをアーチ―は命じられるが、匿名の伝言で呼び出されたアーチ―はとある人物(レギュラーの一人だが...)に、ルポライター殺しにFBIが絡んでいる情報を提供された。しかも、この殺人には依頼人の周辺の人間がかかわっているようだ....真相を洞察したウルフは一計を案じて奇抜な罠を張る
という話。どうも評者は「料理長」とか「シーザー」みたいなアウェイの作品を先にやってしまって残念だったが、今回は「平常営業のネロ・ウルフ」。フリッツもシオドアも、ソールもオリーもフレッドも、クレイマー警部も皆登場。いやもう、何というか楽しさ全開! 一応ルポライター殺しの真相をアーチ―が突き止めるが、これはたいして面白いものでも何でもないが、ウルフの交渉材料の役には立つ。そんな具合で、話の興味はFBIとの対決に全振り。ウルフの思惑や駆け引き、アーチ―とのコメディ、それに大掛かりな罠の妙味、そういった「犯人捜し」以外の部分での面白さが際立っている。 ネロ・ウルフというと意図的なホームズ探偵譚の後継者、という側面があるわけだけど、ホームズ探偵譚の「面白さ」というのは、本来こういう探偵が仕掛けるアクティブな罠や、度胸一番の駆け引き、土壇場での機知、といったあたりでも出来ていたわけだ。そういう「ホームズの面白さ」をこれほどしっかり再現できた作品というのも少ないんじゃないかな。 ちなみにホームズでも物語の最後に「さるお方」がお礼に訪れる結末があるけども、本作も「さる人物」が最後にウルフに面会を希望する...でも、ウルフはイケズだからね。 |