皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
クリスティ再読さん |
|
---|---|
平均点: 6.41点 | 書評数: 1327件 |
No.907 | 7点 | 楠田匡介名作選- 楠田匡介 | 2021/12/31 15:06 |
---|---|---|---|
評者とか楠田匡介というと「人肉の詩集」というイメージが強いんだけど、あれは最近のアンソロでは収録されてないようだ。「パルムの僧院」が脱獄ネタだったこともあって、やろうじゃないの、楠田匡介脱獄大全集。
でこの河出文庫のアンソロは、すべて脱獄ネタ。一応「本格ミステリコレクション」のシリーズなんだけども、そのつもりで読んだ人は怒るんじゃないかな(苦笑)。楠田匡介というと司法保護司をしていたこともあって、塀の中の事情に精通している作家である。それで知った「リアル」を存分に生かした「宝石」の名物シリーズである。 しかし、文章は見るからに荒っぽい。実話読み物風なんだけども、塀の中の受刑者の「リアル」という面では、逆に効果的になっていることを否定できない。だからこその「ハードボイルド」な味さえ感じてしまうのは、読みすぎかな。でも、脱獄手段は手を変え品を変え、そして脱獄した後の復讐やらなんやらドラマ盛りだくさん。意外な逆転が仕込んであったり、女囚やら少年刑務所やら、少女受刑者やら...と、たとえば「女囚701号さそり」を彷彿とさせる「愛と憎しみと」、スベ公グループの確執が絡んで「野良猫ロック」みたいな「不良娘たち」、「練鑑ブルース」を作中で歌う「不良番長」ならぬ「不良少女」...いやまさにヤサグレた60~70年代映画の情念が立ち上る。「網走番外地」だって第1作は脱獄モノだしね...ちゃんと酒を「キス」って隠語で呼んでます。 で、14作収録があっという間。短編集「脱獄囚」を完全収録する目的もあって収録された「朱色」だけが「脱獄」カラーが薄い(それでもちょっとだけかかわりが?)パズラー風味の悪漢小説だけど、最後の「完全脱獄」は、「獄中にある」のをアリバイトリックに使うという奇想。でもリアル。 なかなか盛りだくさんの内容で、結構楽しめます。 (ちなみに保護司って、無給で事実上ボランティア。大変...) |
No.906 | 6点 | パルムの僧院- スタンダール | 2021/12/30 16:52 |
---|---|---|---|
今年のシメの書評になると思う。ちょっと変化球を狙って大古典。いや本作、「脱獄」がメインの小説だからね。イタリア北部に小さな宮廷が乱立していた時代に、そういう宮廷に仕える大貴族たちが主人公。だから現代人の眼から見たら、鷹揚なんだけども、市民的な道徳心皆無というか、独白大好きでも内面性を欠いていて、自分の政治的立場の計算と衝動的な情熱との間で突発的に動いちゃうキャラばっかり。
一言で言えば「悪漢小説」なんだよ。主人公のファブリスって血の気が多い若様で、侯爵家の次男なんだけどナポレオンに憧れてワーテルローの戦いに押しかけ参戦しちゃうのが、幕開き。命からがらイタリアに戻るんだが、父と兄に嫌われて事実上亡命を強いられ....でも叔母のサンセヴェリーナ公爵夫人とその愛人のモスカ伯爵の手引きで、モスカが首相を務めるパルム公国に、大貴族の身分から司教候補としてデビューしちゃう。別に信仰心があるわけじゃないけど、うまく現司教に取り入ってパルムでの地位を固まってくる。けど血の気が多いから旅芸人一座との女出入りで恨まれて襲われて、自衛とはいえ人殺し。本来身分違いでまともな罪にならないはずが、モスカの政敵に事件が利用されて、ファブリスは逮捕、城塞の塔に監禁される。モスカと公爵夫人が策謀し、城塞司令官の娘とのロマンスもあって脱獄...という話。 長いわりに登場人物の少ない話だから、ファブリスにしてもモスカ伯爵にしても公爵夫人にしても、キャラは一筋縄ではいかない。一応「自由思想」というのが話題になるし、モスカも一方の党首なんだけども、誰もマトモに思想なんて信じちゃいない。敵も味方も王侯と大貴族ばっかり。権門らしい鷹揚さで買収を試みるとか、多重に陰謀を企む懐の深さで勝負。小さな宮廷の狭い人間関係の中での、腹芸みたいな世界で、その中でシビアな人間観察が光るあたりが古典らしさ。 牢獄に囚われたファブリスが、毒殺を警戒しつつ、外部との連絡を取って次第に脱獄計画が練り上げられていくのに全体の1/4くらいの分量があるから、ここらへんのダイナミックな興味が一番の読みどころ。実際にあった脱獄事件に取材しているようで、プロセスがリアル。 まあだから、ロマネスクな味があるとはいえ、自分以外何も信用しないようなシニカルな話だから、若い人が読むような小説でもないと思う。自由思想って実のところ「思想からの自由」みたいなもんだ、という悟りが必要なんじゃないかな? |
No.905 | 6点 | 風化水脈 新宿鮫VIII- 大沢在昌 | 2021/12/25 20:46 |
---|---|---|---|
新聞連載で読んでいたから、本で読むのは初。こんなことも、ある。
自動車窃盗グループの摘発話だから、一番地味な話、といえばそう。だけどこの本の主人公は「新宿」という街自体なんだよね。だから、本書はあまり鮫島ストーリーらしさはなくて、晶もちょっとしか登場しない。鮫の旦那も狂言回しっぽい。 まあ真壁、出来すぎのキャラ。刑務所から出てきて、元の所属組も迎えてくれるのではあるけども、今の組に違和感を抱えつつ、そうそう簡単にはケツをまくれない...そういう屈折があるから、どうだろう、鶴田浩二? そんな風に言いたくなるくらいに、古き良き様式美ヤクザ映画っぽいカラーがある。 60年代末くらいの映画で、一面の荒れ果てた草原が出てきて...が淀橋浄水場の跡地ロケだったりしたものだ。その時代の前は池。東京という街の表層のすぐ下に、人工的な水道や川といった「水の風景」が埋もれている。そういう地誌というか「街の本性」を、戦後混乱期の殺人を絡めて描いているあたり、うまいものだとは思う。 オーソドックスといえば、真正面の話。評者は変化球好きが本性。 (でも仙田くん、いい奴じゃん。仙田にやや惚れる...) |
No.904 | 6点 | 妖花燦爛 赤江瀑アラベスク 3- 赤江瀑 | 2021/12/20 17:03 |
---|---|---|---|
さて、創元の三巻のアンソロもこれで完結。編者の東雅夫氏の好みが前面に出ていて、知名作中心の光文社での三巻のアンソロとは収録作がカブらないという、クセのつよいアンソロになった。まあでも学研M文庫の「幻妖の匣」の拡大強化版みたいなアンソロであるのは間違いない。
で、アンソロタイトルからして「妖花」。「平家の桜」「櫻瀧」「春の寵児」と桜を主題にした作品3連発で始まり、若者主体で若い頃に書いた「平家の桜」と老いてから書いた「櫻瀧」と、対比できるように仕掛けて、そのオチとして思春期の入り口に立った少年の性の目覚めを描いた名編「春の寵児」になる。そして「春の寵児」の元ネタのような若書きの詩を収録したエッセイ「花の虐刃」で〆るという用意周到な編集。 赤江瀑名作選、というと70年代あたりの凝りに凝った名文の名作の印象が強いのだけど、老いてからは京言葉の独特の語り口が楽しい作品が増える。まあだから読みやすくなるんだけどもね。若さで何もかも放擲するような「いさぎよさ」から、老いて命に恋々としがみつくさまを見つめるように、変わって行くのもまた作家の人生。若くてギラギラした作者の「体臭」に評者は強く惹かれていたのだけども、能面にすべてをなげうつ面師の「阿修羅花伝」が、そんな露悪的なまでに作りすぎな「若さ」を感じさせる反面、若き恋、しかも許されぬ恋を秘めながら平凡な人生に埋没した大部屋役者の人生が浮かび上がる「恋川恋草恋衣」。同じ芸道一途、とはいえ多面的なきらめきに広がりが出るのが、また別な読みどころでもあるのだろう。 というわけで、アンソロなので、好き嫌いはあるが、それなりにレベルの高い作品集にはなっている。「春の寵児」「恋川恋草恋衣」「伽羅の燻り」「しびれ姫」あたりが評者は面白く感じた。 大南北在世中の江戸芝居を舞台にして、血染めの小袖の謎を追う「しびれ姫」にミステリ色が強く出ている。長編大時代ミステリ書いたらよかったのにね、とも実は、思う。晩年は殺人とか自殺とか比重が減って、「生きながらえる」方に結末が傾くけども、殺人の真相ではない「人生の謎の解明」にやはり主眼がある、とは読めるだろう。そういう意味でミステリ手法はちゃんとあるし、「広義のミステリ」であることは、間違いない。 |
No.903 | 5点 | ウサギは野を駆ける- セバスチアン・ジャプリゾ | 2021/12/13 08:32 |
---|---|---|---|
ハヤカワの「世界ミステリ全集」って過激なまでにモダンな編集方針で、古参マニアに嫌われた全集なんだけども、この「ウサギは野を駆ける」、モンテイエ「かまきり」、エクスブライヤ「死体をどうぞ」の巻(フランス篇2)が、一番「外してる」感が強い巻に、なるんだろうなぁ。
巻末の座談会によると、本来はジャプリゾの新作「野蛮人年代記」が目玉になるはずだったのだけど、これが出なくて、代わりに自作シナリオをノベライゼーションした本作を収録(のちポケミス)。 というか、ジャプリゾ、「シンデレラの罠」が有名すぎて本サイトだと「ミステリ作家」のイメージが強いんだろうけども、実のところ、映画人としてのキャリアも同等くらいに、ある人だ。Wikipedia みたら、デビュー作の非ミステリが「続・個人教授」の原作、かつ本人が監督・脚本だそう。フレンチ・ノワールを語る上で外せないライターだしね。 というわけで、本作はグーディスの「狼は天使の匂い」を原作にして、ジャプリゾがシナリオを書いて、ルネ・クレマンが監督した映画がある。そのシナリオの本人によるノベライズ。もちろんノワールで、アウトローの「男の友情」が見どころ。映画だとトランティニャンとロバート・ライアン。ごめん未見。そのうち見て追記します。グーディスの原作の方もポケミスで訳があるから、こっちもそのうちして比較するのがいいだろう。 主人公のフランス人トニーは逃亡先のモントリオールで、行きがかりでギャングの一味とかかわりを持つ。結果的にその一人を事故死させることになるのだが、リーダーのチャーリーに見込まれて、一味の計画に加わることになる...はぐれ鳥のトニーと、チャーリーの間で育まれる微妙な友情。ついに計画が決行されるが、想定外の出来事が重なり、一味は.... フレンチノワールらしい小洒落たデテールが満載で、脚本家としての才気は感じるし、いろいろな綾が積み重なって、同行二人になるあたり、義理と人情で泣かせたりする。雰囲気がいいが、まあ映画を見た方が面白いよね、というのが一番の感想。子供時代カットバック、映画もやってるのかなあ...あざとくないといいんだが。 っていうかさあ、このフランス篇2で、マンシェットが収録できてたら、本当に凄いと思うんだ。そういうあたりでも、ちょっと惜しいよね、という気がする。 |
No.902 | 6点 | 刑事くずれ/蝋のりんご- タッカー・コウ | 2021/12/10 19:15 |
---|---|---|---|
なぜか本作だけやりそびれていたから、評者にとってミッチ・トビンはこれでコンプ。ウェストレイク全部はさすがにツライのでやらないつもり。
「刑事くずれ」シリーズは、ハードボイルドのリアリティの中に、パズラー要素を再構成するコンセプトで一貫しているのだけど、本作は この室内に真犯人がいます と見得を切って名探偵が犯人を指摘する、というのを「お約束」ではないかたちで実現。しかもそれが、精神病院から退院して社会に馴らせるためのグループホームでの、集団療法の場面、というなかなか皮肉なもの。でもアリバイ再検討と心理的な動機と盲点があって、「ガチのパズラー」を期待するとあれ?かもしれないけども、「パズラー的要素をこれまでにないやり方でアレンジ」というオリジナリティがある。 早い話このシリーズ自体、「こういう作り方も、あるのか...」を味わうためのシリーズだから、ミステリの裏も表も分かっている!と自負するマニア向け。 でもね、地味だからね...意外に「眠りと死は兄弟」のアメリカ版みたいな気もする。(あ、あと秘密の部屋とかもあるよ) |
No.901 | 6点 | 天狗 大坪砂男全集2- 大坪砂男 | 2021/12/06 21:33 |
---|---|---|---|
とにもかくにも「天狗」。何はなくても「天狗」。戦後の大名作短編の一つ。ミステリと幻想小説のマニアなら、これを知らないと恥ずかしい級の名作。文庫でわずか15ページ。でも一生心に突き刺さるナイフのような作品。
今でいえば理不尽なストーカー殺人なんだけども、そういう狂気というのが実は極めて明晰な論理性だ、というの描き切って、ギリギリと締め付けるような論理の果てに、鮮やかな花が咲くように「詩としての殺人」が顕現する。実に見事。 リスペクトを示すために、冒頭を引用しておく。 黄昏の町はずれで生き逢う女は喬子に違いない。喬子でなくてどうしてあんな素知らぬ顔をして通り過ぎることができるものか。 「声に出して読みたいミステリ」の筆頭格の名調子である。 あとの作品は、蛇足。そこそこ、といった程度。だけど、本当に「天狗」風のテイストの作品って、まったく書いていない、というのが面白いところ。「生涯の1作」に処女作で当たってしまう作家って、幸福なんだろうか、不幸なんだろうか? 「天狗」だけなら10点。 |
No.900 | 7点 | ソドムの百二十日- マルキ・ド・サド | 2021/12/01 20:08 |
---|---|---|---|
評者900点記念は「ソドムの百二十日」。奇書もそろそろ種切れ感はあるから、満を持してこれ。1000点記念は....「ヤプー」やるのかなあ。苦手で読み通せない....でも、こっちは大丈夫。なぜか、ってあたりが面白いかな。
要するにSMってプロレスなんだよね。脳内補完しないと、どうにもダメなものなのだ。だからこの本でも4か月目になるとガチに残虐な拷問や殺人の話になってくるけども、それでも考えたら奇矯すぎて笑えちゃうようなものも多いわけだ。奇妙なくらいに「暴力」を欠いた残虐絵巻、という印象なんだよね。そして極めて観念的。乱歩の残虐絵巻と同様に、妙に幼児的な残虐さを感じさせる。 或る男は、近親相姦と姦通と鶏姦と涜聖の四つの罪を同時に犯すために、結婚している自分の娘の口に聖パンをくわえさせて、その裏門を犯したのです アクロバティック、というものだろうね(苦笑) 或る悪党は、小さな女の子を大鍋の中に入れて煮てしまったのです となると、何か民話の残酷さみたいなものを感じるわけだ。いや、梗概だけの第2部~第4部って、こんな「語り女」の語る次第にエスカレートしていく残虐譚に、四人の仲間が刺激を受けて残虐を実践する...というものなんだが、やはりやり過ぎて嘘っぽいのは、要するに「想像の世界」の話で、完璧な機械仕掛けで動いているようなところを、許さないといけない、ということなのだ。 いやね、評者「ヤプー」苦手なのは、SF設定が妙に安くて、読んでいて恥ずかしくなるところがあるんだよ。観念だからこそ都合が良すぎちゃう...それにシラけちゃうんだなあ... 「ソドム」は「あらゆる異常性欲をカタログ化する」ような目的で書かれたわけだけども、実のところ似たような話も多くて、スカトロと鞭打ち・肛門フェチな話が続く。感覚がマヒして意外に飽きる。それでも、人物紹介の「序文」には、妙に幾何学的な面白さがあるし、完成している第1部は、語り女のデュクロの一代記、娼家の女将として悪行三昧で世の中を渡ってきて、その中で出会ったヘンな奴らの性癖と、自身の犯罪と危機一髪なあたりもあって、なかなか面白く読める。それを聴く四人の仲間が妙に達観した哲学を述べて見せるあたり、サドの面目躍如なところと言えるだろう。 どんな悪徳でも構わないのだよ。私が快楽を得られる限りではね。悪徳は自然界の一つの行動様式であって、自然界が人間を動かす一つの仕方なのだ。自然界は美徳も悪徳も必要としているのだから、私が悪徳を犯しているときには美徳も行っていることになるのさ。 無情な自然主義、といったものが、サドの根底に、あるわけである。 評者が読んだのは、青土社の完訳版。澁澤龍彦訳で手に入りやすい「ソドム百二十日」は、序文だけの訳。序文だけだと、序文の幾何学的完成感の印象が強く出て誤解してしまうから、やはり完訳を読むべきだろう(おお、なぜか 2021/12/01 に読了! 面白い巡り合わせ)。 |
No.899 | 6点 | かまきり- ユベール・モンテイエ | 2021/11/27 19:14 |
---|---|---|---|
書簡体ミステリって、短編だと珍しくもないけど、長編は珍しい。
本作は書簡やら日記やら報告書やらだけでできたミステリだから、技巧的と言えばフランスらしい技巧派の上に、書簡体小説の本場だよね、フランス。 で、大学教授の後妻に収まった悪女が、信託財産目当てに前妻の子を殺し、さらには夫も、夫の助手を巻き込んで完全犯罪を企む....そこに割って入ったのが、助手の妻。助手の妻も一枚噛んで、見事完全犯罪達成! ...でも? という話。なので教授の妻の悪女と、それに刺激されてなのか、善良な妻の仮面をかなぐり捨てて、悪女度を高めていく助手の妻の「悪女対決」が読みどころ。で、書簡体や日記だから、いわゆる「信頼できない語り手」になる。実際、オチがオチで信用していいのかよくわからないところもある。しかも「悪女対決」だから、表面上は丁寧だけども底意地悪くエゲツない当てこすりが読みどころ。 女子のケンカって、こう、やるんだよ。 |
No.898 | 6点 | 死体をどうぞ- シャルル・エクスブライヤ | 2021/11/27 08:58 |
---|---|---|---|
ドタバタだけど、なかなか手際の良さが目立つ佳作。一つの村と闖入者を描くから、かなりの大人数の登場人物なんだけども、キャラの色付けや出し入れが達者なので、メリハリが効いていて読みやすい。で、そのキャラたちが作中でちょっと「意外な面」を見せるのが、「意外にミステリ」という感覚になる。
司祭は意外なくらいに短気だし、昼行燈な憲兵も、実は...があるし、ファシストの警部も任務はどーでもよくなって似合いの女教師と一緒に村に腰をすえよう....で、その昔のガリバルディの赤シャツ隊に参加した老人は歳のせいでボケて....なんだけども、 わしはナポリ軍の話をしておれば、ドイツ軍やファシストどもについての考えを自由に口にできるってわけさ、わかったかい? こんなリアルな庶民の知恵がギラッと光る面白さ。でも「イタリア人たちの怒りをやわらげるには、彼らに愛の話をすればいい」。だからこれは寓話、なんである。エクスブライヤというと「フランス人なのに外国の話が得意」という妙な評判があるけども、おなじみなエスノジョーク調のプロトタイプを利用して組み立てた、普遍な寓話なのだと思うんだ。 イヤな奴らにはキッチリ因果応報。でも善人たちはアオくなりアカくなりしながらも、落ち着くところに落ち着く。イタリア舞台、というのもあって、シェイクスピアの喜劇をミステリに書き換えたようなテイスト。「癒されたい人にお薦め」は同感! |
No.897 | 6点 | 可愛い悪魔- ジョルジュ・シムノン | 2021/11/25 07:14 |
---|---|---|---|
シムノンで一人称独白体、って結構珍しいと思う。限定三人称は多いんだけどね。
主人公は「有罪ならゴビヨーに相談しろ!」という評判の辣腕弁護士。でもブ男、父もハンサムな有名弁護士だが、主人公は庶子。自分の師匠に当たる大物弁護士から妻を奪って自分のものにする....なんてハナレ技を演じた過去があるが、実はその妻の自己実現が、オトコをプロデュースして出世させること! 主人公の一見「成り上がり」の順風満帆人生も、本人にすればなかなか外見どおりではない屈折の人生だったりする.... いや、たぶんシムノン、自分を重ねたと思うよ。そういうリアリティ。 友達と組んで宝石店強盗を働いた小娘イヴェットが、警察に追われてゴビヨーの元に飛び込んできた。事務所で股を開くイヴェットに、なぜかゴビヨーは執着し始める。強引な弁護でイヴェットを無罪にすると、イヴェットをアパルトマンに囲って、二重生活を始めることになる....妻はゴビヨーのキャリアを支配さえできればいい、と超母性的とでもいうような夫婦関係でもあり、ゴビヨーの浮気には寛容なのだが、イヴェットへの溺れ具合には内心ヤキモキしているようでもある.... つまり、こういう三角関係がすべて。映画に合わせて「可愛い悪魔」なんてイヴェットを呼びたくなる(バルドーだ)のかもしれないのだけど、実のところこのイヴェット、そんなに大した女でもないんだと思う。 人間は時として動物として行動したいという欲求がある というゴビヨーの「自身の成功に反逆したい!堕落したい!」という欲求がイヴェットに投影されて、こんな愛欲にのめり込んでいるのだろう...自分には別な人生もあったのでは?という自分への懐疑が、こんなドラマを引き起こす。 そういう興味の作品だから、「こういう状況から何が起こるのか?」実際、何が起きても全然不思議じゃないのだけども、何かが起きざるを得ない。それを甘んじて待ち受けるのが、この作品の醍醐味。 |
No.896 | 8点 | 水は静かに打ち寄せる- メアリ・インゲイト | 2021/11/21 10:10 |
---|---|---|---|
例の「女子ミステリ―マストリード100」でも、「女子ミステリ―」の魅力は
ミステリーの出来不出来と同じくらい、あるいは時としてそれ以上に、その周辺描写を重視します。(略)ロールモデルなるようなヒロインや、女性心理の描写が卓越しているもの、日常描写が魅力的なものがたくさんあります とね。いやそういう視点だと、インゲイトのこの2作、「女子ミステリ―」として満点クラスの傑作だと思うよ。前作「堰の水音」のヒロイン、アンは年上の考古学者バーナードと結ばれて、「堰の水音」で因縁のミルハウスを売って、バーナードの仕事の発掘のためギリシャに定住する....実際、「堰の水音」のプロローグは本作の予告だから、内容は完全に繋がっている。「堰の水音」からなるべく順番に間をあまりおかずにニコイチで読むのがいいと思う。 ギリシャでの歳の差夫婦の生活デテール、とくにギリシャで買った家でアンが生活を楽しむ描写がなかなかいい。男勝りの友人ミリーと親しくするが、子供がないのをミリーは嘆く。その夫でバーナードの同僚の学者エドワードが、アンの使用人の青年ディミトリオスに秘密に大金を渡すのをアンは目撃する。ディミトリオスは、エドワードのメイドのユーレイリアと結婚するのだが、生まれた子供は、エドワードの「眼」を持っていた....ユーレイリアは断崖から墜落して死んでいるのが発見された。高齢のバーナードも亡くなるが、アンは妻を喪ったディミトリオスと突然、再婚する.... このディミトリオスがなかなか野心的な青年で、もともと家政婦としてアンの家に入り込んだ母のマリアと共に、結婚したアンを食い物にしていくさまなど、それこそクリスティだと「終わりなき夜に生れつく」とかアイルズの「犯行以前」みたいなテイストが強くある。評者こーゆーの大好き。クレッシングの「料理人」とかロージーの「召使」とか、ややマゾヒスティックな「被害者心理」も漂わせる。 でもちろん、ちゃんと逆転は仕込んである。しかも読みようによっては「信用できない語り手」かしら? やんわりと匂わせている穿った読みの方が、「堰の水音」にきっちり繋がっているから、作者の構想なんだと思う.... なかなか芸細な作品。ナイスでしかも好み。「堰の水音」からつながって、一人の女性のサスペンスフルな人生を描きとおすような大河ドラマ風の面白さも出る。「堰の水音」よりも、全体的にさらにグレードアップしている。おすすめ。 |
No.895 | 7点 | ガラ- 赤江瀑 | 2021/11/20 20:29 |
---|---|---|---|
創元の「赤江瀑アラベスク」も11月末に3が出て完結、その前祝いで本作。どうやら「赤江瀑アラベスク3」でも有名作ガン無視で東雅夫の好きな作品だけのセレクトのよう。目玉は「阿修羅花伝」なんだけども、その前編に当たる有名作「禽獣の門」は収録しない....ホントに光文社の3巻の傑作集と内容がカブらなすぎ。評者はウレシいんだけど、営業的に大丈夫か?
で本作は短めの長編。画家夫婦と探検家の夫を追う妻、それに主人公の画家(妻)のアルターエゴのような謎めいた女性「ガラ」、ほぼこの5人しか登場しない。赤江瀑らしい屈折しまくった人間関係だけで読ませる話だから、どこが「ミステリか?」と言われると困る部分もあるけども、ムリに寄せれば「ウィリアム・ウィルソン」。でもこの作家独特の「人工的な美意識」が微妙に「純文学」になる「シリアスな感じ」から逸脱してしまう... 章立ても「芙蓉の睡り」「迦陵頻伽の巣」とかね~赤江美学優先しすぎ、作り過ぎてキッチュな味わいが出てしまうからなのか? まあそれでも初期の凝りに凝った美文と、後期の語りの面白味と、バランスよく読める作品ではある。 美術教師をしつつ絵を描く夫と、絵に共通点があることで知り合って結婚した妻恭子。しかし、妻が公募展の大賞を受賞したことで、アーチスト同士の対抗心と屈折から夫婦関係がおかしくなり、その修復を兼ねて旅立ったイースター島で、探検家の夫を追いかけて島を訪れた女性藤子と出会う。夫は恭子を捨てて藤子と暮らすようになる...しかしそれは不倫という関係でもなく、探検家の夫の帰りを待ち続ける藤子を支えるための、夫の「優しみ」であることを恭子は理解していた... という人間関係がタダの欲望ではなくて、より抽象化された宿命めいたものとして扱われるのは赤江瀑の通例。リアルじゃなくて思考実験みたいな人間関係に、どこまでノれるか?というのが赤江瀑にハマれるか否かを分けるんじゃないかな。で今回の特色はやはり謎めいたイースター島という背景。 あそこはあなた、淋しみ属の首魁たちが棲んでいる島。でしょ?そうでしょう?モアイ。あの巨大な石像。世の眷属どもがさ、渇仰して、淋しさの魔をまのあたりにできる島。淋しさの魔の虜になって、身を顫わせて感動する島。 すれ違う二組の夫婦に、それぞれモアイのように孤立して天を仰ぐ姿にダブルイメージ。恭子のイメージの世界に棲む「ガラ」は恭子を批判しつつも、「人の優しみ」やら「人と暮らした賑やかな思い出」の化身のような存在として、恭子の「救い」でもあったりする.... まあだから、話の枠組みだけ紹介すると純文学。でも読んだ印象がそうでもなくて、その昔の「中間小説」というあたりのジャンル感で活躍した作家らしさ。今回はとくに女性心理探究なテイストが強いから、「女性小説」とでも呼ぶべきかも。 これが赤江瀑。 |
No.894 | 5点 | 新ナポレオン奇譚- G・K・チェスタトン | 2021/11/16 22:06 |
---|---|---|---|
寓話っていうものは、作者のA面B面をそれぞれ対立させて作る「作者」の仮面劇だろう。冷笑的な諷刺家もチェスタトンだし、理念に身を捧げる狂信者もチェスタトンに他ならない。狂信者が勝利ののちに殉教するのはお約束なのだが、諷刺家は国王になる....静止した世界ではすべてがお笑い草、アナーキストが王者となりすべての価値を転倒してみせるのだが、それもまたお笑いに即座に回収されてしまう。だから狂信もホントウは何の拠って立つ根拠すら、ない。
そんな話。結構イマの日本の姿を暗示しているような気がしないでもない。新しいものはもう何も生まれず、そんな閉塞感に押しつぶされずに正気を保つためには、まさに愚行を率先するしかないのかもね。 でも処女長編で、前半の余裕が後半はなくなって、話が動く後半の方がつまらない。意外なくらいに殺伐とした話で、そこらへんでチェスタトンらしさを感じないなあ....前半のトーンで後半が描けたら、よかったのに、と惜しまれる。ユーモリストの仮面のすぐ下にキマジメな顔を覗かせては、いけないよ。 |
No.893 | 7点 | メグレの初捜査- ジョルジュ・シムノン | 2021/11/11 22:57 |
---|---|---|---|
「メグレの回想録」はメグレの結婚で終わるので、本作が扱うのは新婚のメグレが所轄署の署長秘書として関わった事件から、特捜部の刑事に任命されるまでの話。けっしてメグレがただ若くて「刑事くん」な話じゃなくて、シリーズ中でも屈指の変化球だと思う。
要するに「貫禄のないメグレ」なのである。だから、上司の署長やら刑事たちやら、さては事件の関係者に至るまで、「坊や」扱いでナメられること....「コイツ、デカだ!」と気づかれたギャングに、あわや攫われて殺されかける危機一髪なシーンまであり。後年のメグレじゃ、絶対お目にかかれない展開の連続で、ヘンに面白い。 で、こういう苦い思いをして、屈辱も胸に秘めながら、 もしぼくが治安警察局に入るようなことがあったら、ぼくは誓って、所轄署の憐れな連中に対して軽蔑のそぶりなぞ絶対見せないぞ。 と心に誓ったりする。確かに後年のロニョン刑事に対する態度など、メグレという男の人格の一貫性をうまく描写している。「運命の修理人」という比喩が登場するのが、この作品というのもシリーズ構成としてウマくできてるな~と思わせる。 あと没落した伯爵家に生れながらヤクザになった男のイキな生きざまとか、その相棒が憎めないあたりとか、メグレが付き合うことになる暗黒街の住人達のキャラ描写もみょーにカッコいい。 決して「メグレの回想録」みたいな愛読者サービスみたいな内容ではなくて、変化球ながら独立した価値がある。 |
No.892 | 5点 | 火の玉イモジェーヌ- シャルル・エクスブライヤ | 2021/11/08 20:40 |
---|---|---|---|
女探偵をやったから、女スパイ...でイモジェーヌを選ぶ評者は、はっきりヘンだ(苦笑)。ユーモアというよりも、ドタバタなスパイ小説。身長5フィート10インチ、というからには177cm、赤毛の猛女イモジェーヌが秘密書類を故郷の街に運ぶ任務を命じられたが、その行く手には死体の山が積み重なる...というマンガチックな話。
と紹介するとね、ホントに漫画に思えるんだけど、実は泥臭く、アクが強い話。一筋縄ではいかない。イモジェーヌは狂信的なくらいに愛郷心が強いスコットランド人で、イングランド人やウェールズ人を差別しまくるくらいのキャラ。50歳独身、思い込みも激しく直情径行、しかも女だてらの腕力もあって、ナミのオトコの手におえるような代物じゃない。 スコットランド名物料理でハギスってのがあって、作中にも登場するけど、羊の胃袋に内蔵やらオートミールやら詰めて茹でた料理で、スコットランド人以外には正気とは思えない料理として有名だったりする。この作品の味わいって、まさにハギス。読むなら覚悟した方がいい珍味。 |
No.891 | 7点 | サマータイム・ブルース- サラ・パレツキー | 2021/11/07 10:00 |
---|---|---|---|
いいじゃん。いや評者前から読みたいと思ってたシリーズなんだけど、未読作家なので後回しにしていた。シリーズ自体全くの初読である。
事件自体は、社会派的な内容で、パズラー好きな読者がそもそも面白いと思うようなものではない。でも労組+損保+信託銀行というこの背景のシブさは、ちょっとデビュー作とは思えないくらいのもの。1982年出版で、当時まだあった学生運動の残り火と、既成労組の腐敗(いわゆるダラカンってやつ)の対比とか、明白に70年代的なネオ・ハードボイルドの流れを受け継いでいるのがわかる。評者ご贔屓なモーゼズ・ワインに近いポップなテイストも感じるんだよ。フェミだってさあ、やはり70年代の空気感からやはり育ってきたものだしね。 ふつうはイニシャルを使っているわ。弁護士として働きはじめんたんだけど、同僚や相手方の男性弁護士というのは、わたしのファースト・ネームを知らないときのほうが、横柄な態度に出ないものってことに気づいたの これが実にV.I.ウォーショースキーのキャラを如実に示していると思う。 女はナメられる、それにムカツきながらも、それをカワす知恵を駆使して、オトコたちとワタりあうヒロイン像。しかも、ヴィクが女性差別にムカついているのを、直接描写ではなくて、チャンドラー風の警句にうまく昇華しているあたりが、「おお!」と膝を打たせるようなうまい「ハードボイルドの使い方」なんだ。フェミの声高さをハードボイルドに昇華したあたりで、リアルというよりも「ポップ」という方向に向かっているのが、この作品の良さなんだと思う。 だからかな....ヴィクのファンタジーの中だと、ピーター・ウィムジー卿が白馬の王子様なのが、微笑ましくも許せる(苦笑)。 |
No.890 | 6点 | ユダの窓- カーター・ディクスン | 2021/11/06 12:52 |
---|---|---|---|
さて懸案の大名作。低評価失礼...とまず、謝ります。
いや小説としてはわりと面白いんだよ。カーと言うとハッタリがウルサいことも多いけど、法廷場面中心でハッタリを仕掛けてないから、読みやすいしカーの素のストーリーテラーぶりを楽しむことができる、というのはイイ面。「この人誰あれ?」というような人物を証人に呼ぶと結構なクセ者で面白いとかね、そういう楽しさがある。 なので、問題、と思うのは主としてミステリ面。この作品の構成的な狙い、というのは、無実の罪を着せられた被告をHMが弁論で無実を証明して無罪を獲得したあとで、その裁判で顕われた証拠を軸にフーダニットして見せる、という二段構成なんだと感じたんだけど....いや、これが趣向として押しきれてないのが残念。まあだし、HM最初から真相・真犯人大体わかってて弁護しているんだもの。探偵が最初から真相分かっているのって、評者は好きじゃないな...小説が始まる前に決着しているようなものなんだもの。 であと、もちろんこれ指摘する人が多い、真犯人がどうやって矢を入手したのか納得いかないこと。被害者は罠にかける相手のピストルを手にいれているのだから、被害者のプランでわざわざ矢が登場する意味がよく分からない...「ピストルの消失」が謎になる密室トリックでもこれは成立したと思うんだけどねえ。それから、タイムスケジュールがタイトすぎて「できるの?」と心配するくらいだとか、これは都筑道夫氏も指摘しているけども、密室に不可欠なある現象を目撃した被害者の反応を読み切れない面とかね... というわけで、フィージビリティとか言挙げするのは趣味じゃないけども、本作はいまひとつ「おかしい」面が目立ちすぎるし、構成面でも意図が分かるぶん、もう少し工夫もあるかな、とも感じる。もちろんタイトル「ユダの窓」が実にステキなことは称賛したい。偽証を指摘される人物も「窓」で裏切られるから、こっちももう一つの「ユダの窓」かも。 (あと今の創元文庫は、ダグラス・G・グリーンの「序」とか、瀬戸川猛資、鏡明他の座談会がオマケについていて、これが実に読み応えあり。これをプラス1点したい。カーのオカルトはあまりマジメじゃなくて「キャンプ趣味」だというのは同感) |
No.889 | 7点 | ジキル博士とハイド氏- ロバート・ルイス・スティーヴンソン | 2021/11/04 21:22 |
---|---|---|---|
実家の本棚を漁ってたら、この本を発掘。岩波文庫だけど、ミステリ枠じゃん。で「医師ジーキルが薬の....」の帯からしてネタバレしてるよ~~
というかね、「ネタバレ絶対不可」というミステリマニアモードって、実はかなり狭い範囲でのジョーシキのようにも感じるし、1970年代あたりだとそこまで神経質ではなかった記憶もある。たとえば「アクロイド」だって「オリエント急行」だって、一応真相の噂を聞いていて、それを確認するために評者は読んだようなものだった記憶があるくらいだ。でなきゃ宰太郎本なんて出版できるわけないよ。まあ本作のネタバレなんて、バレないのが難しいレベル。普通に比喩で使うわけだし、ミュージカルだってあるしさあ。 あたらめて本作。中編レベルの短い話だけど、こってりとした満足感があるのが不思議なほど。純粋にミステリみたいに読んでもいいようにも感じるくらいに、叙述が技巧を凝らしていて面白い。狂言回しのアタースン弁護士が中心にはなるんだが、伝聞だったり、客観描写からアタースン側に視点が戻ったり、短いながらいろいろ多面的に叙述を工夫して、最後はラニヨン博士とジーキル博士のそれぞれの手記。ハイド氏の犯罪とジーキル博士の奇行が(もし真相を知らないと)ミスディレクションみたいに働く部分もあって、「手法的には完璧ミステリ、なんだよね」と思えるくらい。 実際、本書の時点だとまだ「ミステリ」ってちゃんと確立したジャンルでも何でもないわけだから、たとえば同テーマとも言っていい「ドリアン・グレイの肖像」とかも併せて、「ミステリを巡る一連の作品」といったくらいの、緩めのジャンル感で評価していくのがいいんじゃないのかな...なんて提案したい。 あ、あとスティーヴンスンっていうと「ロンドンの霧」。霧がもう一人の登場人物みたいな存在感。 (そういえば、で思うんだけど、昔ってミステリのメディア展開が盛んで、しかも映画などのメディア展開側で平気でバレてたから、バレに神経質じゃいられなかった気もする...本が本で完結するようになったのって、実は最近のことみたいにも感じるんだ。どうでしょう?) |
No.888 | 7点 | 密使- グレアム・グリーン | 2021/11/04 12:58 |
---|---|---|---|
エンタメなグリーン。1939年の作品。アンブラーだと5作目の「ディミトリオスの棺」と同じ年だから、アンブラーはソビエトに対する失望感から立ち直ってきたあたり。要するにそういう危機的なヨーロッパ情勢を背景にしないと、この作品の味わいってかなり薄まるようにも感じる。
つまり、内戦下の母国からまだ戦争に巻き込まれていないイギリスに、石炭買い付けの密命を帯びて派遣された主人公D。なので「まだ平和」なイギリスの「平和」があくまで「まだ」なだけの、「危機的な状況」なのは同じなのにそれから目を背けているイギリス社会への批判的なまなざしは、おそらくグリーンの想いそのものなんだろう。Dのライバルとしていく先々に現れては策謀する貴族階級出身のLは、インテリ間の連帯感を通じてDに裏切りを勧めるのだが、Dはすでに薄れつつある収容所で殺された妻の記憶に賭けても裏切るわけにはいかない。 Dのアイデンティティは「死者の記憶」というか細いものだけが頼りなのだ。隠し持つ「信任状」にさえ裏切られたDは、任務の失敗を取り返すために炭鉱地帯へ赴く.... 文芸系スパイ小説の一番のシブ味というのは、あらゆる犠牲を払ってまで、なぜ自分がその任務を果たさなくてはならないのか?という問いにあるのだろう。その犠牲の重さにスパイは押しつぶされそうになる。この自問自答の小説なのだから、陰鬱なのはまあ、仕方ないよ。裏切りが多重に交錯する迷路のような状況は、戦争まじかのイギリスの暗鬱さでもあるわけだし、空襲で埋まった自分が掘り出される「記憶」は、本書出版の後でイギリスが受けた空襲を予告さえもしている。これがDがこだわり続ける原風景なのだ。 スパイはゲームではなくて、スパイが戦うのはそのゲーム盤をひっくり返そうとする暴力なのだろう。 |