皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1444件 |
No.1444 | 6点 | ピラミッドの秘密- 南洋一郎 | 2025/07/29 09:50 |
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夏休み、というわけで童心に帰ってハッチャケたいな(苦笑)
というわけで南洋一郎ルパンの問題作「ピラミッドの秘密」。そりゃ南ルパンには子供の頃にお世話になったよ。ポプラ社の乱歩・ホームズに並ぶ超人気シリーズ。けどねえ、乱歩・ホームズ以上におさな心に「無理多い...」とも思ってたwヤなガキだなあ。 この「ピラミッドの秘密」はルパンが中部アフリカで冒険する話。ルパンと言えば、北アフリカのモーリタニアの皇帝に即位して、フランスに割譲するという太っ腹な愛国者だったりするんだが...まあ本作は南洋一郎のパステーシュとして有名で、正史というわけではない。そりゃ南洋一郎だもの。南洋の冒険はお手のもの。黒人の王子、緑のピラミッド、地下迷路、忠実なペットのチーター、邪悪な神官と道具立ては完備。さらにはルパンらしい謎言葉の解読とお宝探し...少女とその母を義侠心で助け出し、と「美少女を守るオジサマ」として恋バナをカットする南洋一郎らしいあたり。あたかも絵物語を読むかのような波乱万丈の冒険物語である。いいじゃないか。今更差別だ何だ言っても仕方ない。 あと人並さん同様に、ラストシーンのパリの街をオープンカーで助手席にはチーターという絵面がホント素敵。憧れる。 で本作と言えば...おさな心をギュッとワシ掴みにするのは表紙絵。スフィンクスをバックにサファリルックで腕クロスするこのポーズ。ヤられる。腕クロスって意味ない(小林正樹「切腹」でも一瞬だったね)けど、カッコイイ。総じて南ルパンの表紙絵って、乱歩ホームズ以上にモノクルやら外人らしいヌメっとした肌の質感とか、ウッドの「アメリカン・ゴシック」を連想させるバタ臭さ満開で強烈だったなあ。 |
No.1443 | 6点 | メグレの失態- ジョルジュ・シムノン | 2025/07/28 16:20 |
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「失態」とはいえ、そういうほどの手ひどい失敗というわけでもないなんだがねえ。確かにメグレ自身の感じた「ダメージ感」は強めなんだけども、客観的にみれば大したことではない。だって被害者のキャラがホントにイヤな奴だから、たとえ政治勢力があったとしても、「殺されて、ほっとした」と周囲の人々が皆考えるような男。メグレが感じた「ダメージ感」とは、この男が幼馴染だったことでもある。
とはいえ、メグレ物で「幼馴染」「旧友」って扱いが良くないんだよね。「幼な友達」のリセの同級生、「途中下車」の大学の同級生、そして「サン・フィアクルの殺人」の伯爵などなど、メグレが旧知の人々の「今」に反発する姿が頻繁に描かれていたりする。さらに言えば、この男の父親が伯爵の管理人であるメグレの父に、賄賂を渡そうとしたのを目撃して、気持ちが引っ掛かり続けてもいる...「自分の進む道に立ちはだかる人たちや、彼に不安を生じさせる人たちを破滅させるだけではすまずに、ただ自分の力を見せつけ、それを自分で納得するために、誰かれの見さかいもなく人を破滅させていまうのだ」。そういう人間こそが、社会で成功したりするというやるせない矛盾。 しかしこの同級生フェマルの肖像は、あまり褒められた人間とは言えないシムノン自身を露悪的に投影したようにも思えるのだ。社会的に成功を得ながらも、その成功に対して居心地悪く感じる男の肖像を、シムノンは憑かれたように描き続けたのだけど、フェマルだってその一人である。だからもう一人の自己投影でもあるメグレから見た場合に、自己嫌悪の感情が漂っていると見るべきだ。そしてそれを補強するのが、やはり同郷の出身者である、密猟者上がりのヴィクトールということになる。ヴィクトールは過去の「野性」といったものを象徴していると読むべきだろうね。 まあミステリとしては捉えどころのない作品にはなってしまう。とはいえ、シムノンがノッていた時期の中期作。キャラ造形は冷徹な女秘書に「脱げ!」と命じる姿や、愛人の立場に甘んじる「食道楽の娘」やら、印象的なキャラの描写が目立つあたりにも、冴えをうかがわせる。まあ、冒頭からして準レギュラーの「司法警察局の衛司ジョセフはごく軽くドアをノックしたが、それは小刻みに駆け回るハツカネズミの軽い足音ほどにも感じられなかった」と印象的な描写で始めたりするくらい。 成功作とは言い難い出来だが、シムノンという異常な作家の特異性を今更ながらに感じてしまう。 |
No.1442 | 5点 | 大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 抹茶の香る密室草庵- 山本巧次 | 2025/07/27 23:57 |
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茶道ミステリかも?と思って読んでみたが...
現代娘が江戸時代にタイムスリップして、女岡っ引きとして活躍するシリーズ。相方がオタクな万能分析屋で、現代と文政期を行き来しながら、江戸時代に科学捜査を持ち込むという特色アリの、ライト感覚の時代劇である。さほど時代デテールに突っ込まないファンタジーだけど、考証はわりとマトモ。まあ科学捜査しちゃうから、そこらへんはあまりツッコむ必要もないのかもしれないが(苦笑) 茶問屋の株仲間に突然課せられた冥加金。これを巡って駿河の茶生産者が江戸へ訴えに上がったが、堀に浮かぶ水死体として発見された。茶問屋と南町奉行所与力が列席する茶事の準備中、主人である茶問屋清水屋が茶室内で殺害された...待合からの目撃証言からすると、茶室は監視型密室だった可能性がある?与力から内々に事件を解決するように命じられて、ミステリマニアのヒロインは大盛り上がり! こんな話。ゆるめの量産型ライト・ミステリくらいにはなっているか。密室の謎も何となく見当もつく(期待しない!)し、「旅行けば~駿河の国に茶の香り」の問題はピンとくる(年寄りだからね、苦笑) とはいえ茶道のデテールはまったくやる気なし。茶事になる前に殺人事件が起きているしね。あと挿入されている見取り図の茶室の間取りがどうもヘンテコ。茶室は設計上の約束事がやたらと多いから、難しいんだよ。 4点でもいいかもだけど、意外に時代考証のボロが出てないから5点でいいか。若者時代の某有名人が登場するのが笑える。 |
No.1441 | 7点 | 誰でもない男の裁判- A・H・Z・カー | 2025/07/27 09:31 |
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短編名手としてEQMMで名を馳せたA.H.Z.カーの短編集。大雑把にいえばこれも「奇妙な味」系になるのかもしれないけども、そもそも「奇妙な味」というカテゴリー自体乱歩が無理やりヒネリ出したものみたいにも感じたりするのだ。
というか、やはりEQMM・マンハント・ヒチコックマガジンなど50年代・60年代のアメリカの雑誌文化には、広義のミステリ観というのか、ジャンルをクロスオーバーした独自の世界があったようにも思うのだ。その結晶が早川の「異色作家短篇集」でもあるのだけど、これから漏れた異能な雑誌短編作家で惜しい人たちというもの結構いる。イーリイもそうだったし、カーもそうだ。やや後の世代だと、ローレンス・ブロックとかE.D.ホック、ジャック・リッチーといった人たちになるんだろう。評者は70年代にこういうあたりの海外ミステリ翻訳雑誌にヘンな忠誠心みたいなものがあるから、気になってとりあげているという自覚もあるよ。 でカーである。大統領の経済顧問としても著名人であり、小説執筆はホントに余技。だからこそ、専門作家が「アイデア」でさらっと書きとばしてしまうネタを、しっかりと自分の人生経験で発酵させて書いている印象。こういうあたりがEQMMなんかのコンペでは突出するんだろうな。いやホントに「黒い子猫」とか「ミステリ未満」な話なんだけども、頭でっかちな牧師の罪としてこれを「ネタ」でなくしっかりと書ける能力というのは、まさに他人の人生を想像する「小説家」の能力なんだ。同様に「虎よ、虎よ」だって形式的にはミステリとしての結構を備えているのだけども、それがこの小説の本質ではなくて、ブレイクの詩に触発されて核戦争の破滅的なイメージを発酵させている詩人が巻き込まれた事件の「話」として、それを説得力をもって語れているあたりに、カーの異能さがうかがわれると思うのだ。 表題作の「誰でもない男の裁判」も、信仰と政治的思惑に翻弄される「劇場的殺人」を扱うという、政治に深くコミットした作者ならではのバランス感覚が読みどころではないのだろうか。そういうアメリカらしい政治の皮肉は「市庁舎の殺人」にも現れている。人工降雨の専門家殺害の動機と市長選挙の関りは....たしかに今回の参院選挙でもわざと三連休中日に投票日を設定するなんて疑惑の運営があったわけだしね(苦笑) だからこの短編集というのは、カーという「人物を愉しむ」本だと思うのだ。なかなかレアな体験だと思う。 |
No.1440 | 7点 | 吠える犬- E・S・ガードナー | 2025/07/25 21:46 |
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ぺリイ・メイスン4作目。裁判シーンは100ページ弱。
主要登場人物は2組の夫婦とその家政婦というわけで、かなり事件の規模が小さい。略奪婚をして隣人の妻を奪った男が隠れ棲む住宅地に、元夫が追跡してきて...というシチュエーションでの話になる。依頼人は追ってきた元夫で、メイスンに矛盾する遺言を託したり、「犬が吠えるのを止めたい」という依頼をする。例によってメイスンは略奪婚した男の家を訪れるが、そこで死体を発見してしまう。容疑は元妻にかかり、依頼主の遺言にあったとおりに、メイスンはその元妻の弁護を引き受ける。家政婦は犬が吠えたことを否定するが、はたして犬は吠えたのか? 裁判シーンはかなりあざとい策略をメイスンは使い、ドラム検事が気の毒になってくるくらい。メイスンはほぼ検事を焚きつけて、準備が整っていないのに裁判を開始させたんじゃないかしら?というくらいのもので、予定外のことが裁判中に起きまくってメイスンが勝利する(苦笑)はっきり検事お気の毒。不確定要素がまだ決着していないのに、容疑が濃いから裁判するというのが拙速の極みというもの。 とはいえ「犬が吠えたか」というピースの使い方がナイスなのと、真犯人について「なるほど、そういうこともしたいんだよね」と思わせるところがある。雑と言えばそうなのだが、剛腕っぷりがそれでも面白い。ガードナー自身もお気に入り作だそうだが、パターンを確立した思い出作かもね。 |
No.1439 | 6点 | 破局- ダフネ・デュ・モーリア | 2025/07/25 14:08 |
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さて早川異色作家短篇集も残りが少なくなってきた。「レベッカ」で有名なデュ・モーリアといえば、短編のキラーコンテンツで「鳥」があるわけで、これはそのうちやることにしたい。なんだけども、本書は異色作家短篇集の中でも、とくにジャンルが不明確というか、ミステリ色の薄さが際立つ印象だ。
いや何というか、要約しづらい。ストーリーテリングは上手なのだが、主観的に歪んだ描写が目について、現実の事件が曖昧模糊とした印象を受ける。なので、読んだ後に突き放されたような気持になる。そんな中でも「アリバイ」が一番ミステリ風というか、一種の殺人欲求によって身元を素人画家と偽って、地下室を借りた男。予定被害者はその貸主の中年女とその子供...だが二重生活の果てに、事態は思わぬ方向に動いてく。まあだから倒叙と見ることができるかもしれないが、ミステリな方向には絶対に話は動いていくわけがない。けども何となく話が落ち着くところに落ち着いてしまう。こんなオフビートな面白さだろうか。 「青いレンズ」は筋立て自体はありふれているというか、眼の手術をした女が仮に目に入れたレンズの副作用?か、周囲の人間すべてが動物の頭を持っているように見えてしまう話。高橋葉介のマンガで突然周囲の人間が全部怪物に見えてしまう話があるが、こういうネタは人間の本質を巡る一種の寓意のあたりを周回しつつどう決着するかが見ものなのだが、オチているのかオチていないのか微妙なあたりで作者は終わらせている。とにかく居心地が悪い。 「美少年」は要するに「ヴェニスに死す」で、金持ちのイギリス人がヴェニスで出会った美少年に食いものにされる話。西欧精神の堕落とかそういうあたりを巡るのかと思うと、そうでもない。簡単に自虐的な悲劇にはしてくれないのだな。 「皇女」はといえば、モナコのようなヨーロッパのミニ公国の革命の話。不老長命の泉を秘蔵し、幸せに生きていた国民がデマゴーグに踊らされて、君主を打倒してしまう話。いやたとえば日本だって、ヨーロッパ人から見て「逝きし世の面影」で描かれたように一種のユートピアに見えていた側面もあるわけだし、昨今のグローバリズムの強要にウンザリしつつある状況も併せみると、さまざまな含意をもった寓話のように読めてしまう。とはいえ、それも作者の「手」なのかもしれないのだが。 だからまあ何というか、どれもこれも「収まりの悪い話」で手におえない。どうみてもこの「収まりの悪さ」が作者の悪意みたいなものだから、読んだ後に困惑してしまう。これが持ち味か。ちなみに「破局」という作品は収録されていないが、何となく腑に落ちるあたりが、らしいというべきか。 |
No.1438 | 8点 | 久生十蘭短篇選- 久生十蘭 | 2025/07/21 17:56 |
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久生十蘭のアンソロだけど、岩波文庫というのがフルってる。最近では乱歩だって岩波文庫で出てたりするわけだが、教養主義の牙城である岩波から乱歩やら十蘭やら出てしまう21世紀というのは、何なんだろうな。編者はモダニズムの研究者で、戦前の新青年やら宝塚やら調べているとよくお目にかかる川崎賢子。とりあえずこのアンソロは「黒い手帳」以外は戦後作品。秘境小説は外して、ミステリ度は低いけど、奇譚としての豊穣な世界をのぞかせるアンソロとなっている。総じてハズレなし。
編者の好みかもしれないが、比較的ロマンティックな「秘めた恋」の話が多いかな。そう見るとアンソロ最後の作品「春雪」などは、そういう編者の好みが強く出た名編ということになりそうだ。視線を交わすだけで成立する恋と、身代わりでも成立する結婚の話。まあだからか、ペーソスのある話に仕上がっていることが多い。死者の霊が帰ってくるお盆の時期に絡めて、ニューギニアの「雪」を描く「黄泉から」。「鶴鍋」なんてトリッキーな恋の取り持ち話だし、「復活祭」でもそれとない父子の名乗りの話で、「秘するが花」が生み出す興趣というのは、十蘭が男女の別れ話を「三年かけてい・や・だ」と伝えるものだといったという逸話とも結びついてくる。 「I love you」を「月がとても綺麗ですね」と訳すべきだ、という漱石にひっかけた俗説があるように、恋は秘すべきなのが日本人なのだな(苦笑)そういう「恋」が十蘭の「ミステリ」なのかもしれないよ。 個人的には「白雪姫」が好きかな。わがままな妻と軽装で氷河を横断しようとして、妻がクレバスに落ちてしまう話。氷河の描写にシュティフターの「水晶」を連想する。22年かけての「ハナが天然の氷室に包蔵されたまま、幻想的な旅行」というイメージの鮮烈さにヤラレる。年老いた夫が氷の棺に閉ざされた若いままの妻と再会する感慨はどのようなものなのだろうか? アイデアが秀逸と思うのは「蝶の絵」。どうみてもおカイコぐるみで、荒い風浪に耐えそうにもない良家のボンボンが、応召して与えられた秘密任務の話。適材適所、というべきかw あと一応議論の余地なくミステリな「雪間」もイメージが鮮烈。 「長唄は六三郎、踊りは水木。しみったれたことや薄手なことはなによりきらい、好物はかん茂のスジと初茸のつけ焼き。白魚なら生きたままを生海苔で食べるという三代前からの生粋の深川っ子」と描写される老刀自が登場する「ユモレスク」。この老女は十蘭を追いかけてパリに渡り、生花展を成功させた十蘭の母の面影が投影されているそうだ。いや実際、「ユモレスク」だと茶懐石のシーンがあるわけで、十蘭にも茶道の教養を窺わせたりもする。 また全体的に男性作家としては例外的に、女性の登場人物のファッション描写「栗梅の紋お召の衿もとに白茶の半襟を浅くのぞかせ、ぬいのある千草の綴織の帯をすこし高めなお太鼓にしめ...」とか詳細で的確というのも、なかなか凄い。「細雪」かいな... そうして見ると十蘭のキャラの立ち上がりを味わうためには、今時では結構な「教養」が必要になってきているのかもしれない。岩波ってそういうことか(苦笑) |
No.1437 | 6点 | 応家の人々- 日影丈吉 | 2025/07/18 08:32 |
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今年は梅雨が早々と終わって暑さが続いている。
そうすると、何かヤル気が出ないんだよね。本書の舞台は戦前の台湾。それも北回帰線の南側である台南から最南端の岬である鵝鑾鼻に至る地帯が舞台。季節は6月から9月にかけて....熱帯。暑い。 「現実とは関係のない過去の、不熱心な密偵の思い出ばなし」と最後の作者がトボけるのが本書。中華美人妻の周囲で起きる連続殺人の謎を追って、文学青年上がりっぽい日本人中尉が内偵を命じられるが....いやいややっぱり熱帯の濛気というべき蒸し暑さにアテられて、ヤル気があまり見られない。バタバタと空気を書き回すだけの扇風機、氷屋で頂くラムネ。こんな情景の中での毒殺事件。台湾の小学校に応募した文学青年が、ふとした伝聞話で聞いた内容を書き記した小説が示す謎。そして五言絶句のかたちで示された暗号通信文を追ってみれば、ドサ周りの京劇俳優一座を追跡することになり.... こんな道具立て。熱帯のカラフルな色彩の氾濫も、慣れてしまえばうるさいだけ。そんなダルな気分が伝わるミステリ(苦笑)だったらこんな舞台設定自体がアンチ・ミステリというべきものなのかもしれないや。日影丈吉ってそもそもそういう作家だよ。とっても日影らしい作品だけどもね。 |
No.1436 | 6点 | ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団- J・K・ローリング | 2025/07/17 06:58 |
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ハリポタの5巻目。この巻から作品のテイストが変わってくる。子供向けと言えないような、政治的シミュレーションとでもいうべきテーマが前に出てくる。
前巻でヴォルデモートが復活したのをハリーは目撃する。しかし、魔法省を中心とする保守勢力はヴォルデモート復活を受け入れることができずに、マスコミを通じたハリーへのネガキャンを執拗に行っていく。この状況下でハリーの言を信じるのは、かつてヴォルデモートに抵抗したレジスタンス団体で、ダンブルドア校長を中心とする「不死鳥の騎士団」くらいなものだった...ホグワーツにも魔法省の意を受けたアンブリッジが送られて、ホグワーツでさえも言論を弾圧する独裁体制を築こうとしてくる。 こんな状況設定。で今の私たちが当然連想するのは、ハリポタが大人気になったあと、作者のローリング女史がいわゆる「トランスジェンダー問題」について女性たちの立場に立ったことが、いわゆる「リベラル派」によって袋だたきにされて、殺害予告もあればハリポタの映画企画からのキャンセルなどを受けたことである。ほとんど自身が後に受ける迫害を予告するかのような小説の内容なのである。迫害にローリング女史が「折れなかった」理由というのは、きっとこの小説自体がすでに「シミュレーション」になっていたからだとも想像するんだ。 評者自身、ローリング女史と同じ立場で、この「トランスジェンダー問題」を戦っていた。日本では2019年あたりから「ノーディベート」を宣言して、反対意見を「キャンセル」する動きが、海外に追従して広まってきた。まさに2021年あたりの「キャンセル」全盛期の「暗さ」は、まさにこの問題を一切マスコミが取り上げないという、徹底した言論統制がもたらしたものだった。「かわいそうなトランスジェンダーに対する差別をするな!」と決めつける「人権意識の高い」人々...この偽善と新語の乱発によってわざと「わかりづらく」されて議論を遠ざける戦略によって、欧米でも日本でも異様な状況によって席巻されていた。まさにこの巻の状況が再現していたのだった。 ローリング女史は折れずに訴え続けた。私たちは本当にこのローリング女史の姿勢に鼓舞されてきた。日本では2023年頃から反撃が功を奏するようになり、まだアカデミアやマスコミの状況はあまり改善はしていないが、ネットの言論では異様な「トランス思想」は駆逐されており、アカデミア・マスコミはその権威を失いつつある。欧米でも法の場面での状況改善が進み、アメリカではトランプの再登板に伴って大きな方針転換を宣言している。 だからこそ、評者はローリング女史を「同志」として強い尊敬の念をもつ。 このローリング女史の「闘い」を予告しているのが、まさにこの巻の内容なのである。 (この巻では、ハリーと仲間たちの成長に伴って、性格的欠点もいろいろと前に出ても来るようになっている。人間らしいと言えばそうなのだが、イヤな面も見え隠れする。ハリーとて必ずしも「無欠のヒーロー」ではないのが、このシリーズの特徴的な面だろう。事実この巻は「ハリーの失敗談」みたいなものだ。アンブリッジの追放で素直にウサが晴らせないあたりに、この巻の「微妙さ」があるように感じるよ。個人的に一番響いたのは、気丈なウィーズリー夫人がまね妖怪を退治しようとして、家族の死を見せつけられて動揺するシーン。これは、痛い) |
No.1435 | 8点 | 冷たい方程式(2011年 早川SF文庫版)- アンソロジー(国内編集者) | 2025/07/14 10:38 |
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アメリカの50年代というと、ミステリは飽和状態で不振のイメージが強いが、対照的にSFは黄金期の定評がある。そんな50年代SFを伊藤典夫の選と翻訳で編んだ有名アンソロである。表題作が有名過ぎ(苦笑)評者も表題作を取りあげたくて読んだのだが、他作品も極めてレベルが高い。
なぜ表題作「冷たい方程式」を読もうと思ったのか?というと、本作の設定を基にした「方程式もの」と呼ばれる一群の作品があり、SFでの立ち位置がミステリでの「密室もの」と同じようなものではないか?ということだったりする。「密室」はジャンルではなくて、「本格」というジャンルの一部だとするべきだし、たとえば「連続殺人」という大雑把なプロットの類型とも違って、もっと明確な定義づけをもった領域だろう。「冷たい方程式」は、緊急用で運用に強い制限がある宇宙船で、密航者を見つけた時の倫理的ジレンマを扱った作品である。ルールは密航者を即時船外に放り出すことを求め、かつそうしなければ緊急事態の解決のために派遣されたこの宇宙船の任務が果たせずに、全体的に大きな損害が不可避になる。しかし密航者は若い少女であり、兄に逢いたいという心情から、それが大事になるとは知らずに密航を企てたという情状酌量の余地がないわけではない...まさに道徳的なジレンマに宇宙飛行士が遭遇する。 この小説の結末はすべてを受けいれた少女が自ら宇宙船を出る(死ぬ)ことを選択するという、悲劇的なものである。だからこそその非情な「方程式」に心を痛める読者が「そうではない解決法」を求めて、「方程式もの」というジャンルが立ち上がったことになるわけだ。ありえない「密室殺人」の解決に頭をひねる読者がさまざまな「密室の解き方」を提案してできた「密室殺人」とは方向性がズレながらも、ジャンルを支えるファン層の自発的な要求に応じて、こういう特殊な立ち位置の作品群が形成されてきた、とは言えるだろう。 「密室」も「方程式」を両方うまく指し示す言葉があればいいなあ、と思っていろいろと調べてみたら「トロープ」という言い方があるようだ。明白に定義された制約を前提に、その制約の中で解決に工夫を凝らすというジャンルでも技法でもない、メタな「デザインパターン」を示す言葉として有用かもしれない。 次に気に入ったのはアシモフの「信念」。急に空中浮揚の能力を得た物理学者が、科学法則に反するこの現象を一向に信じてくれない同僚たちを、どう説得するのか?という話。アシモフらしいロジカルな話で、ミステリとして見ても面白いかも。一種の「背理法」が使われていて興味深い。 C.L.コットレル「危険!幼児逃亡中」はキングの「ファイアスターター(炎の少女チャーリー)」の元ネタともいわれる。危険な超能力を制御不能なままに、幼女が暴れまわる話。「AKIRA」っぽいテイストも感じるなあ...総じて50年代SFというものが、冷戦状況という緊張感の中で、SFガジェットを発想の軸に発想を膨らませているのが見て取れる。未来のイメージとは、核戦争の危機感によって支えられてるという逆説が、興味深い。 だから逆に言えばそういう危機感に対する慣れと感覚の鈍麻が、60年代のスパイ小説の流行に繋がったのかもしれないな。SFとミステリと、たまにはガチに比較してみるのもなかなか興味深いものだ。 (評者はSFはファンとまでは言えないから、「方程式もの」は「機動戦艦ナデシコ」の「温めの「冷たい方程式」」で覚えたんだった..まああれ「ラブコメのフリをしたハードSF」と呼ばれたアニメだからね) |
No.1434 | 6点 | 猫は知っていた- 仁木悦子 | 2025/07/09 22:13 |
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乱歩賞作家のプロ作家成功率は、公募賞としては異常だとする定評が、かつてはあった。それは最初の「乱歩賞作家」である仁木悦子と本作が商業的な成功を収めたことから始まってもいる。
嫌味のないキャラ造形の兄妹探偵で、妹の平明な語り口には軽いユーモア感も出ている。タイトルもキャッチー。そりゃ、売れるだろうね。現実性はともかくとして、トリックもあるし、読者もそれなりに推理可能な範囲の真相で、とにかく親しみやすい。兄妹で防空壕での一幕を再現してみるシーンなんぞ、なかなかに萌える。女子語り手という面からもジュブナイルからラノベへ続く雰囲気といえばそうかもしれないな。 登場人物たちの造型も悪くはないが、尺をもう少しとってキャラを掘り下げてもよかったかな。終盤にバタバタと事件が続いて忙しい感じになっているのは、改善の余地があろう。特に次男はキャラが中途半端だなあ。あ、真犯人の動機はやや説得力が薄いかな。ロジック系というのは無理で、ロジックは煙幕につかっているだけと見るべき。 そういえばまだこの人のハードボイルド系作品読んでないなあ。そのうち取り上げたい。 |
No.1433 | 4点 | 人生の阿呆- 木々高太郎 | 2025/07/09 08:14 |
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木々高太郎という人のミステリ界への貢献は多大なものがあるとは思っているよ。
けど、この人の貢献はプロデューサー的な役割だと思う。探偵小説文学論争やら社会派的テーマの導入、さらには本作が示しているような「非名探偵小説」傾向など、この人の主張には評者は強く同意する面が多々ある。 けどね「ぷろふいる」で人脈的にも縁が深かった小栗虫太郎があからさまに「木々高太郎は二流作家」とディスっていたのも目にしている...「木々高太郎=ミステリ界の坪内逍遥」とか評者は思ってる。着眼点は時代水準を大きく抜いていて、業界全体の方向性を示す先見性もあるし、親分肌で人脈的な中心にも位置する人物なんだけども、「実作者」という面だけは力不足なんてもんじゃない... それでも自分を反映したと思しき特定のキャラだけはちゃんと書ける。主人公良吉の「祖母っ子」という描写などは実感が出てもいる。獄中転向して出獄し、女中に手をつけた疑惑から洋行でホトボリを醒ますとかね、戦前のボンボンにありがちな傾向で、戦前の小説や映画で類型的とはいえ、それなりに心情は描けているか。ブルジョア家庭小説としてのリアリティだけはちゃんとある。でも地下活動のリアリティがなさすぎるのは失笑。とはいえ主人公以外のキャラは、とくにミステリとしての重要人物については叙述不足が目立ち、特に男性は記号的な紙人形。ミステリとしては「やりたい要素」をごちゃごちゃと詰め込んだに等しくて、解決の満足感に大幅に欠けている。ほぼミステリとしては破綻しているというべきだ。 正直一番面白いのはシベリア鉄道の道中記と、モスクワでの元恋人との再会とかそういうあたり。創元文庫では豪華版として出版された版画荘版を底本にして、シベリア旅行に写真が付されている。岡田嘉子の「国境を越える恋」の時代、日本人にとって「亡命」という言葉にリアリティがあった唯一の時代だというのを興趣深く感じている。 |
No.1432 | 4点 | 古代天皇の秘密- 高木彬光 | 2025/07/04 11:02 |
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本作は作者の脳梗塞からの復帰後の作品になる。邪馬台国の位置についての議論に終始した「邪馬台国の秘密」の続編の格好を取って、邪馬台国の成立やらその後について、記紀などの記述・地名などから古代天皇の事績について考証していく内容である。
おそらく病床の作者は記紀や古代史の本を読みふけっていたんだろうなあ...そんなことをうかがわせる。交通事故で右大腿部と右手首骨折、身動きが不自由になった神津恭介に、脳梗塞の自分を重ねたくもなろう。本作では神津も定年退職(当時は国立大教授職の定年は60歳)していて、半白の髪の60代半ばの紳士。思えば神津も年をとったものだ。 印象は何というか、とりとめがない。しっかりしたテーマがないんだよね。「邪馬台国」での邪馬台国宇佐説を基盤に、その祭神である神功皇后と応神天皇による大和侵攻の背景がまあ、大まかな中心軸と言えるだろうか。いわゆる「神武東征」はその反映だとして史実性を拒絶する。文庫300ページほどの長さで、朝鮮半島からの渡来人やら熊襲・隼人の正体、物部氏・大伴氏の由来、果ては蝦夷にまで話が及ぶ...本当に駆け足で羅列されるだけ。難解な内容を大量に早口でまくしたてられているかのよう。病床で「勉強しすぎた」なあ。どんな読者でもこの情報量を処理しきれない。推理がまっとうかどうかももはや検証不能。 なので小説的な内容は希薄。本書で「成吉思汗」に登場した大麻鎮子は一時神津と恋仲になりそうだったが交通事故死したことが告げられている。 意外かもしれないが、評者一時面白がって関裕二を読んでいたことがある。内容は証明不可能だし、少しも真には受けなかったのだが、紹介される古代史の場面に印象的な「美しさ」があって、そんなロマンと情念を興趣深く思って読んでいたんだ。歴史をエンタメにしようとするのが「歴史推理」なのだが、本作ではこの「エンタメ化」に完全に失敗しているとしか言いようがない。 |
No.1431 | 7点 | 気ちがいピエロ- ジョゼ・ジョバンニ | 2025/07/02 16:48 |
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本書の裏表紙でも訳者の岡村孝一の解説でも、ゴダールの映画にうまくひっかけて「ゴダールの同題の映画の原型となった奔放なギャングの破滅までを元ギャングの作者が生き生きと描く!」と書いていたりする。ウソを書いているわけではないが、そりゃゴダールの映画の原作だと誤解するよ(苦笑)なかなか早川書房も商売が上手である。というか、本当は「ル・ジタン」の原作という方が近い。
「気ちがいピエロ(pierrot le fou)」というのは、そもそもこの本の主人公である、実在のギャング、ピエール・ルートレル(Pierre Loutrel)の異名である。とはいえサーカスのピエロとは無関係で、そもそもピエールという名前の愛称の一つがピエロだったりするわけだ。このルートレルはフランスでは、ディリンジャ―みたいにちょいとしたサブカルヒーローになっていてマンガまであったそうだ。 本書はこのキャラクターを使ってジョゼ・ジョバンニが書いたフレンチ・ノワールのわけで、いや読んでいて面白い。ほぼ一気読み。評者はフランス産ギャング映画は好物だけど、ジョバンニは初読。趣味にはストライク。シモナンやブルトンは訳書が少ないから、一番訳書が多いジョバンニはちょっとやってもいいなあ。 本書はこの「気ちがいピエロ」の家族的な一味、貫目のあるボスのピエール、美男のサブリーダーのリトン、過激な若者のジプシーのジャック、地元情報担当のマルセルの4人組による、現金輸送を狙った強盗事件と、逃亡潜伏とそれに付随するいくつかの抗争事件から一味の壊滅に至るまでを描く。それぞれのキャラはキッチリ立っていて、会話も生き生きしてリアル。さらに話の半分ほどは流行りのバーを経営する堅実派のギャング(金庫破りのエキスパート)であるヤンの身に降りかかった妻の事故死と逃亡生活の話が交差する。ピエロ一味とヤンとどう交差するのか?というのがプロットの大きな興味。 ピエロ一味、ヤンを巡る人々に加えて、ジョバンニのシリーズキャラクターでもある捜査側のブロット警部たちを交えて話が進行する。 訳者は岡村孝一だから、もうそれこそ岡村節は絶好調。下世話で伝法な語り口が心地よい。国定忠治とかそういうものか....というと、いや何かホントに最後なんて水滸伝。いづれが林沖か魯智深か。 |
No.1430 | 6点 | 気狂いピエロ- ライオネル・ホワイト | 2025/07/01 15:40 |
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ゴダールの「気狂いピエロ」の原作....ということにはなっているんだけどもね。
評者の若い頃は「ストーリーなんて映画を作るための口実に過ぎない」とウソぶくのが映画青年の定番だった。本作だって原作というよりも、おおまかに人間関係と流れを規定するためにとりあえず設定された「筋書き」というくらいのものだ。映画が求めるのはストーリーではなく、映画それ自身の「映画的肉体」と呼ぶべきものだ...評者たちはそんな風に信じてきたわけである。 まあだからゴダールの「ピエロ」で、真の原作と呼ぶべきものは、ゴダール自身の「勝手にしやがれ」なのだし「勝手にしやがれ」のカラー版リメイクと見るのが適切なのだ。マンガの中から飛び出てきたようなカラフルで行き当たりばったりの男女の逃避行であり、ホントかウソか分からないような気まぐれな韜晦と引用の数々。あたかも「原作」は俳優たちが嘘くさく引用する身振りそのものに還元されているようなものである。 そうは言っても本サイトじゃ原作について述べなきゃね。ストレートな悪女クライム物である。中産階級の生活にうんざりした男が、犯罪と冒険の世界に嬉々として巻き込まれ、望んだのかのように破滅する話。主観描写も多いから、ハードボイルドかというとそこまでドライな話でなくて、原題「Obsession(妄執)」そのままに、主人公の悪縁とでもいうべき女に訳も分からずに引きずり回される話。だから愛だの恋だのではなく、セックスだけで結びついていて、「なぜそこまで?」と疑うほどに不条理に主人公が翻弄される。ここらへんクールと言えばそうか。 だから原作にはホワイトらしい銀行強盗はあっても、海岸で顔を青く塗ってダイナマイトで自爆もしない。 すれ違いのまま「永遠」だけは見つからない。そんなもんさ。 (でもさ、山田宏一の解説で「気狂いピエロ」と呼ばれた実在のギャング、ピエール・ルートレルの話が紹介されていて、ジョゼ・ジョバンニの「気ちがいピエロ」はこの男がモデルだそうだ。評者もこれがゴダールの原作だと誤解していた。比較してみるしかないね) |
No.1429 | 6点 | 不思議な国の殺人- フレドリック・ブラウン | 2025/06/30 22:12 |
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ユーモア、という感覚でもないか。
要するにブラウンの短編作品の延長線上にあって、短編の豪華版みたいな長編だと思う。スモールタウンの週刊新聞発行人(兼編集者)が一晩に遭遇する怪事件の数々、という話。スモールタウンということでロクなネタがなくて、新聞を発行する甲斐もないと嘆くわけだが、前半ではこれでもか!と単発的に事件が起き続け、しかもそれがどれも翌日発行の新聞には載せることができないという悲運wに逢う。夜半からはとんでもない濡れ衣が主人公にかかってしまい、一転追われる立場になり....でも翌朝にはすべて解決。主人公もネタ満載の新聞が発行できてめでたしめでたし、な話。ブラウンらしい楽天主義である。 ホント目まぐるしく事件が起きていく。ジェットコースター的スリラーである。各章の先頭にルイス・キャロルからの引用文があり、夢幻的な雰囲気を作るが...雰囲気作り以上というものでもないか。主人公を幽霊屋敷に誘き出すためのネタではあるのだが。 最優秀助演賞はバーのマスターのスマイリー。なかなかハードボイルドなマスターで渋い。意外なくらいに荒事での活躍を見せるし、主人公をサポートしてくれる!あとウィスキーを遠くから投げ込むように飲むルイス・キャロルのマニアのエフィーディ・スミス。あれ本作女性キャラが端役二人だけでほぼ登場しない! タイトルからして "night of the jabberwock" だから、「ジャバウォックの殺人」とかそういうのを期待してしまったけどね。細かい辻褄とかそういうことはあまり気にせずに、ひと夜の夢幻劇みたいに読むのが吉かな。 |
No.1428 | 8点 | 通り魔- フレドリック・ブラウン | 2025/06/30 13:27 |
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Wikipedia の執筆者が妙に本作を推しているので、読んでみたよ。
...いやブラウン舐めてた。すまぬ。 もちろん短編の名手だとは重々承知しているのだけど、ミステリ長編は仕掛け先行で解決は竜頭蛇尾、小洒落てはいても小説としての本来の趣きには欠ける...というイメージを持っていた。が本作はそんな先入観を十分覆す力量のある名作。知名度が低いのが本当にもったいない。 アル中気味のシカゴの新聞記者スイーニーは、ブロンド女性だけを狙って刃物で腹部を斬る「通り魔」事件の直後に遭遇する。しかし通り魔を猛犬が阻んだため今回の被害者ヨランダは軽傷で助かった。スイーニーはヨランダに一目惚れをし、ヨランダを手に入れようとアル中から立ち直り「通り魔」の追求に乗り出す。最初の事件の際の小道具として登場した「悲鳴をあげるミミ」と題された彫像が暗示するものとは? で原題は「悲鳴をあげるミミ」でこの彫像がなかなかサイコホラーな役割を果たす。ブルブル、である。スイーニーが遭遇した「通り魔」直後の現場では、倒れている白衣の女とその背後で唸る猛犬、女は意識を取り戻して立ち上がるがその腹部にはべったりの血が...その時猛犬は伸び上がり、女の背ファスナーを一気に引き下ろして....という印象的な場面あり。ヨランダは事実上ストリップというべきショーのダンサーで、猛犬はまさにショーの相棒。お色気サービスと言わば言え、この場面のイマジネーションが素晴らしい。 比較的キャラ造形の印象が薄めのブラウンだが、本作はなかなか印象に残る人物も多い。ヨランダのマネージャーで、スイーニーは第一の容疑者として念頭におきつつも「共闘」みたいになるドク・グリーン、ミミの作者の変人彫刻家、なかなかのナイスガイであるブライン警部など、キャラもよく描けている。 そして...結末はある程度読者の予想を引っ張りながら、絶妙のひっくり返しがある。「こう、ちゃう?」と思い込みで読んでいくと、まさに引っかかるタイプのもの。純ミステリとして上出来。ガチ真っ向勝負のサイコスリラー。 ブラウンって力量のある作家だよ。マジで。 (けどシカゴの酔っ払いというとマローン弁護士なんだよなあ。そんなにシカゴはアル中が多いのかww。真夏のシカゴで公園で野宿するルンペン親父とスイーニーは昵懇で、このオヤジが見事にオチを締めてくれる。ここらへんは短編作家ブラウンの安定の切れ味) |
No.1427 | 8点 | 大尉のいのしし狩り- デイヴィッド・イーリイ | 2025/06/28 13:24 |
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イーリイというと、70年代くらいの翻訳ミステリ雑誌によく掲載されていた記憶がある。だから評者も、翻訳冊数は少ないけどもコンプしてやろうと思ったんだ。異色作家は好物だからねえ。
でこの本は、70年代あたりに紹介された作品を中心に、日本での独自編集で編んだ晶文社のアンソロ。「ヨットクラブ(タイムアウト)」の好評を受けた第二弾で15本収録。「昔に帰れ(コミューン始末記)」とか「別荘の灯」といったMWA賞候補作も含んでいる。とはいえ、狭義のミステリ色は強くなく、アイロニーの効いた奇談やホラーが主体。まあこういうカラーって、70年代の翻訳ミステリ雑誌らしいものなのだけどもね。だから評者とかとっても懐かしい...というのが狙いかな。 内容は極めて高水準。ストーリーテリングの妙を存分に味わうことができる。結末を暗示的に終わらせるのがイーリイの好みのようだ。軍隊での復讐譚である表題作は、復讐の主体となるテネシーの木こりたちの郷党的一体感をしっかり描くというかたちで特異性がある。「裁きの庭」はやや例外的にオーソドックスな絵画を巡るホラーだが、完成度は高い。失踪したグルメをグルメ仲間が追いかけが「十人のインディアン」みたいにどんどんと脱落していく「グルメ・ハント」も面白いが、外出するたびにどこかの灯がつきっぱなしになるという怪異を描いた「別荘の灯」はそれとないサイコホラーで、原因はその妻にあるようだし、やはり主婦を主人公とした「いつもお家に」なら、<いつもお家に>という防犯設備を巡って心理的に主婦が追い込まれていく心理ホラー。 といった具合に怪異の有無はともかく、心理的に追い詰められていく恐怖感がイーリイの持ち味で、長編の「蒸発」もそういう怖さが主体だからね。若干それを純化した心理小説にしたら「走る男」「歩を数える」といった妄想話になってくるし、ヒッピーコミューンが想定外に押し寄せた観光客によって崩壊していく「昔に帰れ」の閉塞感もそのようなベースからのものだろう。 だからこそ「登る男」の結末は好き。有史以来の巨木メタセコイアにTVのショーとしてそれに登る「リス男」の解放の話。大好き。 きわめて濃度の高い短編集。 |
No.1426 | 7点 | ピーター卿の事件簿- ドロシー・L・セイヤーズ | 2025/06/27 16:22 |
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評者はとっても面白かったが、皆さまの評価はイマイチなのが興味深い。
何がいい、といって、要するにホームズ探偵譚にあったような、推理と冒険のバランスがとってもいいんだね。「本格」という言葉で冒険の要素を無視しがちな傾向が散見されるのだけど、ウィムジー卿にそういうヒーロー的要素がしっかりとあって、一見怪異と見える事件にアクティヴに関わって、(疑似)合理的な解決をもたらす。これは物語としての王道だと思うんだ。 まあその解決が「科学めかしたもの」に今となってはなってしまうあたりに弱点があるのだが、伝奇的といっていいようなロマンの味わいがあるのが、なんとも捨てがたい。「無駄話」と言わばいえ、小説としてしっかりと膨らませてあるあたりに重厚な満足感がある。 まあ医学的に突っ込むとかすると、無粋にはなるかな。しかし内臓逆位・可逆な痴呆化の病気・胃袋の奇妙な機能・メッキ技術などなどの悪どくもキャッチーな猟奇のネタが、ヒーロー性をしっかりと備えた「冒険者」であるウィムジー卿によって解明されていく。上出来なヒーロー小説と読むべきだろう。 しかもユーモアもしっかり。最後の中編「不和の種」ならワトスン役はおとなしい牝馬ポリー・フリンダース!トータルで見れば、素敵なお話だと思うよ。 (キュビスト詩人って気になったから調べたら、アポリネールがやっているような図形詩のことなんだな。セイヤーズの興味範囲が窺われて面白い) |
No.1425 | 5点 | クイーン犯罪実験室- エラリイ・クイーン | 2025/06/25 15:28 |
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リー存命中に出たエラリー・クイーン最後の正規の短編集。1955年から1966年までアゴーシーやらキャバリエやら男性誌に掲載されたあと、EQMMに再掲載、短編集にまとまった作品集。リーが長編に関わっていない時期の作品もあるから、「推理の芸術」ではリーが短編にも関わっていない可能性を示唆している。
内容的には長めで独立した内容の「菊花殺人事件」と「エイブラハム・リンカンの鍵」の間に、「推論における現代的問題」として4作、「新クイーン検察局」としてショートショート8作、「パズル・クラブ」としてショートショート2作が挟まっている。ミステリとしてはダイイングメッセージなどの暗号謎解き系が多いが、ライツヴィル物が「菊花」と「結婚式の前夜」と2作あって、ライツヴィルの若手外科医コンク・ファーナムが共通して登場する。やはりライツヴィル物はキャラ造形もちゃんとしたものになりやすい。「現代的問題」シリーズは教育・交通問題・住宅難・高利貸などの社会問題がテーマになっていて、新冒険のスポーツシリーズみたいな印象。でも新冒険には遠く及ばないな。 好きなのは「駐車難」「国会図書館の秘密」かな。「菊花」の多段オチみたいな構成は少し面白いが。あと「パズル・クラブ」は今になって読めばアシモフの「黒後家蜘蛛の会」のオリジナルみたいなものかも。クイーンの初出は1966年で、アシモフは1971年だから、アシモフが参考にしたのではないのだろうか。「パズル・クラブ」の後続作は「間違いの悲劇」に収録されている。 一応これで真作の長編と短編集がコンプになるから、クイーンは打ち止めかな。ラジオドラマや外典までコンプするほどのこだわりはない。 |