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皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止 していません。ご注意を!

tider-tigerさん
平均点: 6.71点 書評数: 369件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.129 6点 ロートレック荘事件- 筒井康隆 2016/12/22 23:50
ネタバレあり

ミステリとしては6点。
真相判明後がダラダラ長い印象あるが、ミステリ的には不要でもこの作品のテーマを考えるに犯人の思考過程を知るために必要な部分だと考える。
断定的な(決めつけの多い)一人称文体。この断定的な文章はこのキャラの特性であるが、筒井氏の全般的な特徴の一つでもある。本作ではこの断定的な思考が救いのなさへと直結してしまう。幻想を抱かず、現実を直視する頭の良さが悲劇を生んでしまった。その自虐性、現実直視性がタブーに触れている。差別用語の問題で断筆していた時期もある筒井氏だが、本作もいかにも筒井氏らしい、解説にもあるとおり、普通の作家ならちょっと書くのを躊躇ってしまうようなテーマ。ただ、本作は少し腰が引けているようにも感じられるし、取り上げ方もあまり好きではない。ゆえに採点も6点とします。
実験的で通俗的というあまり両立しそうもない要素を併せ持ち、後続の作家に大きな影響を与え、いつも挑戦的、挑発的でもある筒井康隆氏。個人的にはこの人こそノーベル賞の候補に上げて貰いたい。

No.128 8点 ちびの聖者- ジョルジュ・シムノン 2016/12/18 16:48
私の小説観に照らせば、これぞ小説と言いたくなるような傑作です。
人物描写は名人芸でしょう。少ない言葉で鮮やかに描く。その人をその人たらしめる要素の抽出。シムノンの最高の美点の一つです。
ただ、残念なことに本作はミステリではありません。
本書の大半は貧しい母子家庭の様子が描かれます。この家の末っ子であるルイが主人公であり視点人物です。彼は後に画家になります。
画家になるといっても、天才というわけではなく、いわゆるサクセスストーリーではありません。読者が期待するような筋運びとは言えませんし、一貫したストーリーすらありません。
シムノンは読者ではなく登場人物の意向に気を配りながら書く作家です。

ルイの一家はみんなバラバラで非常に問題のある家庭に思える。けして良い母親とはいえない母親、善人でも悪人でもないが、奔放な女性です。
以下の会話が妙に感動的でした。

「おまえは笑わないね。幸せかい、ルイ?」
「とても幸せだよ、ママ」
「他の家に生まれたほうがよかったんじゃないのか? 足りないものは何もないのかい?」
「ぼくにはママがいる」
 彼女はびっくり仰天してルイを見つめたが、その目は輝いている。
「本当に母さんが好きなのかい?」

他の子供たち(他に四人います)の描き分けもいい。
いわゆるいい子はルイくらいで、そのルイにしてもいい子だが、かなり変わった子供です。
ルイは『見る』子供です。その視点は個性的です。野心も欲望もない、ただ周囲をぼんやりと眺めている、頭が悪いのではないかと誤解されてしまうような、そんなルイは才能の有無はともかくとして、性向や興味の方向を考えれば、画家は天職だと納得です。
おそらくシムノンも周囲で起きていることを『よく見ている人』だったのでしょう。彼は画家ではなく、作家になりましたが。

読者が望むような天才エピソードも劇的な展開もありません。
ラストも、え? これでおしまい? って感じ。やはり主人公が画家であるロバート・ネイサンの『ジェニィの肖像』もカタルシスのない話でしたが、まだストーリーはありました。本作は根幹となるストーリーすらない。
それでも、芸術家を描いた作品としてモームの『月と六ペンス』にも比肩しうる傑作だと思っています。ミステリではないので8点としておきます。
ミステリ以外の小説もよく読む方なら本作でシムノンを知るというのもいいかもしれません。

No.127 7点 失われた男- ジム・トンプスン 2016/12/18 16:37
町の新聞社に勤めるブラウンは、頭も切れ、自信満々コラムを書きながら、詩作にいそしむ男。だが、なにやら秘密をかかえているらしい。そんな彼の日常を大きく変える女たちが登場する。出奔して娼婦となった妻、美しい未亡人、そして都会からの意外な訪問者―突然暴力を爆発させ、非道な犯罪を重ねていくブラウン。しかし、世間を揺るがす巧緻な殺人劇は、予想もしない罠に飲みこまれていく… ~amazonより~

最初のうちは、まとまりはいいけど、(トンプスンにしては)こぢんまりとした作品になりそうだなと思っていました。ただ、読んでいてなにか妙な違和感がつきまとう。その違和感が……本作はかなりの変化球です。ノワールとはいえどもミステリ的な要素を備えており、細かい辻褄合わせなどにも気を配っているようなのですが、なんかそんなことはどうでも良くて、トンプスンはこんなこともやっていたのかと驚かされた。ぶっ飛んでいるけど、そのぶっ飛び具合があまりトンプスンらしくはないように思えました。いや、トンプスンらしいのか? なんか釈然としない気持ちの悪い読後感。かなりの問題作。
パロディ、コメディ、ノワール、メタミステリ、どの読み方が正しいのか、どれも正しいのか、何もかもが違うのか、傑作なのか駄作なのか、俺にはわからねえよお。
最初に読むトンプスン作品としては適当ではありませんが、他の作品を読んで気に入った方には是非とも手を出してみて欲しい作品です。てか、他の方の感想を聞いてみたい。
特に『内なる殺人者』(私が持っているのは1990年発行の河出文庫版 扶桑社の現行版は「俺の中の殺し屋」と改題)の後に読むことをお薦めします。

No.126 7点 ハード・キャンディ- アンドリュー・ヴァクス 2016/11/30 17:22
~アウトロー探偵バーク(※幼児虐待を心底憎む男 評者注)の許へ、幼なじみのキャンディから突然連絡が入った。怪しげな秘密教団に囚われた彼女の娘を助け出してくれという。超一流の売春婦になったキャンディの変貌ぶりに驚きつつも、バークは教団に赴き、娘の救出は成功したかに思えた。が、彼の前に恐怖の殺し屋ウェズリイが立ちはだかった。~ amazonより抜粋し注をつける

これは前作ブルーベルの続編だと考えていいと思われます。ブルーベル未読の方はいったん本を置いて、ブルーベルを先に手に取ることを強く薦めます。できればフラッド、ストレーガも。本作はシリーズの一つの節目となっております。

前作ではバークを悲しみのどん底に叩き落す事件が起こりましたが、その事件がまったく不要、まったくのくそ無駄だったことが判明。しかも、それが新たな災いをバークの元に招き寄せます。普通の小説なら悲しみに打ちひしがれたバークはなにもやる気がしなくて、となるのですが、本作ではバークは自分を見失い、恐怖を忘れ、死んでもいいやと無茶なことをするのです。これはバーク再生の物語ですが、シッド・ハレーの逆パターンというのがこの手の小説としてはユニークだと思いました。
前作ではとある理由から音なしマックスの出番がほとんどありませんでしたが、今作では活躍します。かっこいいねマックス。タイトルがいい。ラストもいい。
今までの作品よりもテンポ良く展開して無駄が少ない(これは一長一短あるが)。プロットそのものもこちらの方が面白いと思います。ブルーベルが名作というのに異論はありませんが、このハードキャンディも同じくらい好きな作品です。

ヴァクスの作品って哀しみはあっても陰惨なところはそんなにない印象。同じノワールとしてエルロイと比較されたりもするけど、読み味はまるで異なります。世界観が違うのです。ヴァクスの世界はハード&ヴァイオレンスではあるけれど、誤解を懼れずに言えばルパン三世的なほのぼのとしたものも感じてしまうのですよね。バークの仲間たちはそれぞれ特殊能力(得意分野)があり、なんか漫画的な人物設定(ヴァクスってエロを除けばライトノベルのファンに意外と受けるのではないかと思います)。ときにノワールというよりも冒険小説を読んでいるような気分にさせられます。私の読み方はおかしいのでしょうか。
ブルーベルのあと書きにある養老猛司氏のコメントには同感でした(この人がヴァクスのあと書きを担当するのはものすごく意外でした。ヴァクス大好きらしいです)。
『ヴァクスの作品は、きわめてアメリカ的だと言うべきであろう。まったく私的なグループがあって、いわば非合法な暮らしをしながら、正義の味方を演じる』

個人的な趣味の話になりますが、ジャニス・ジョプリンの以下の解釈には頷けるものがあります。
~おれはカーステレオにカセットを押し込んだ。ジャニス・ジョプリンだ。混じりけなしの発情ホルモンがサンドペーパーで漉されて流れてくるみたいだ。自分の苦しみを受けいれて、それを愛にねじ曲げてほしいと男に訴えている。魂を鉄条網に投げつけて、さいの目に切り刻んでいるようだ。~

最後に
ジャンルですが、個人的にはハードボイルドと呼ぶのに抵抗のある作品です。が、基本的にはハードボイルドとされているシリーズなので登録もそのようにしました。

No.125 6点 マーチ博士の四人の息子- ブリジット・オベール 2016/11/26 12:11
マーチ博士の家で住み込みのメイドをしている女性ジニーは偶然家人の日記を読んでしまう。とんでもないことが書かれている。博士の息子のうちの一人(どの息子なのかはわからない)がなんと快楽殺人者だったのだ。だが、ジニーには警察に頼ることができない事情があった。ジニーは殺人者の正体を暴こうと奮戦するのだが……。

ジニーと殺人者の日記を交互に読んでいく形式で、かなり個性的な作品。
だが、かなり当惑させられる作品でもある。本格ミステリファンに訴求力あるようで、実はそうでもない話かも。
トリックは賛否両論ありそうだが、私は好き。物語の締め方もいい。フランス小説らしさを感じた。ジニーの一人称の日記文体は良かったし、ジニー(愚かしいところあるが、根はお人好しでわりといい奴)を応援してやりたくもなった。
殺人者の日記はもう少し工夫があっても良かったのではないかと感じた。少し一本調子に過ぎていたような。ジニーの日記はどうしても「受け」となるので、攻め側に伸びがないと潜在能力を発揮できないというか。
地名の類がほとんど(一切?)出てこないことが気になったが、別に意味はなかった模様。

ネタバレは許されない作品なので書きにくいのだが、ミステリとしてはnukkamさんの以下の一言にまったく同感。
『ただ謎解きとしては大胆な真相を成立するためにトリックにかなり無理があるように思えました(トリック成立の説明が十分でない)』
書くべきことを書かず、書く必要のないことを書き過ぎている。例えば薄い心理学の話なんかはいらない。逆にトリック成立の説明にはもっと筆を費やして、読者を納得させなければいけなかった。アンフェアなのではなく、そんなことが本当に可能なのか? そういうリアリティが欠如していた。
最初からかなり無理のある話でそちこちに見られるリアリティの欠如は致し方ない。もうそこはいいから押せ押せ、行け行けと読んでいる最中も思っていた。ただ、最低限押さえてくれないと困るところを押さえ損なっているのは痛い。個人的に嫌いな話ではないだけに、アイデアを活かし切れず非常に勿体なかったと思う。

「悪童日記はハードボイルド?」というような書評を書こうと思っていましたが、なんか書き出せなくて、アゴタ・クリストフが気に入ってた?本作を先に書評してみました。

追記2016/11/30
なんかどっかで読んだことのあるような書き出しだと思っていたが、わかった!
オースン・スコット・カードの『消えた少年たち』だ!

No.124 8点 リオノーラの肖像- ロバート・ゴダード 2016/11/26 11:00
表紙絵に既視感があった。背景の家……どこかで見たことあるような気がしてならなかった。どうやらキングの『シャイニング』の表紙絵を描いた人らしい。なんてことない絵だと思っていたけど、結構特徴のある画風なのかも。シャイニング同様、この物語も家の話だし(家の意味合いは違うけど)、家にインパクトがあるのはいいことだ。

そんなわけで、あらすじをと思ったのだが、非常に書きづらい。簡潔に言うと、リオノーラ・ギャロウェイ(70歳)が自身の家族にまつわるさまざまな秘密を娘に語り聞かせる話。
いろいろと複雑なのだが、主要な謎はリオノーラ・ギャロウェイの父親の正体とリオノーラ・ハロウズがリオノーラ・ギャロウェイを身籠っている時に起きた殺人事件の真相。
お分かりかと思うが、主要人物(母娘)二人ともにリオノーラなので紛らわしい。構造が三重の入れ子なのも相俟ってときおり混乱した。
前回書評した『千尋の闇』では女性キャラの「問答無用」がイマイチ納得いかなかったが、今作でもリオノーラ(母)の強固な「だんまり」ぶりに当惑した。また同じような瑕疵か……と懸念あったが、これは正当な理由があった。しかも、読者が仮説を立て、論理的にだんまりの理由を導き出せる。良い「だんまり」だった。ミステリとして一番の読みどころはリオノーラの「だんまり」の理由を考えることかもしれない。
そんなわけで、私はけっこう早い段階で全体の構造は予想がついてしまった。殺人事件の犯人もこの人ではなかろうかと当たりはついた。それでも楽しく読める。
ただ、本作でも主要人物がかなりの大ポカをやらかす(手紙に関すること)。あれはあり得ないと思う。

デビュー作『千尋の闇』とは違った読み味、内容のようだが、小説の作り方(過去への拘り郷愁、焦らし方、人物設定、伏線の張り方などなど)は似通っている。この人は癖がわかりやすいですね。読めば読むほど手の内が読めてしまう作家かも(だからといって読めば読むほどつまらなくなってくるわけではありません)。

ミステリ要素を重視する読者にはイマイチかも(ミステリ以外の部分がかなり長大でしかも洞察というか感覚というかでしか犯人には辿り着けない)。
物語性を重視する方にはお薦め。

最後に
原題は In pale battalions 最後の四行の詩がこのタイトルと密接に関係があるのではないかと。少なくともこの話は「リオノーラの肖像」ではないと思った。

No.123 9点 半七捕物帳 巻の二- 岡本綺堂 2016/11/23 17:42
うおっ! 甲賀忍法帖が国内部門で一位になってる!
ちょっと笑ってしまいました(甲賀忍法帖及び、これを推した方々を腐すつもりはまったくありません)。
甲賀忍法帖と半七捕物帳で一位二位を占める日が来るかもしれません。
そうなると、なんのサイトだかよくわからなくなりそうですが。

そんなわけで、半七の巻の二の書評を。
二巻に入ってもまるで緩みなし。むしろ物語の作りはさらに良くなっているように感じました。
毎晩一篇ずつ大切に読むお約束が、なんかついつい二篇、三篇読んでしまう夜もあったりで三巻までは読破。ちなみに三巻もレベルはほぼ変わりません。一、二巻と比較するとほんの僅か落ちるような気がしないでもありませんが、大勢に影響なし。

半七はシャーロック・ホームズを日本でやってみようという試みらしいのですが、ホームズを取り入れつつも完全に日本でしか有り得ない推理小説になっております。上手いパクリは高等テクニックであり、また、パクリは芸術の必然でありますから問題はありません。
自分はミステリの読み方が浅いので(このサイトに来るまではけっこう読んでいる方だと思っていたのですがとんでもない自惚れでした)、なにも知らずに読んでいたらホームズの影響を受けていることなぞまるで気付かなかったでしょう。
言われてみれば、確かに設定やトリックを拝借しています(二巻には『ぶな屋敷』や『ボスコム谷の秘密』がありました)。
半七の推理にもホームズの影響が見られます。これは読者おいてけぼりの飛躍も含みます。半七は「それで大抵はわかった」みたいなことをしばしば口にしますが、読者にはそれでなにがわかるのか、さっぱりわかりません(自身も推理を愉しみたい読者には大きな減点ポイントかも)。
また、岡本綺堂はいわゆる掴みのうまさがドイルに比肩する、いや、ドイルを凌ぐかもしれません。
それでいて、半七にはホームズとの明らかな違いもあります。
『シャーロック・ホームズの冒険』というタイトルに違和感はありません。ですが、『半七の冒険』などと言われるとなにかおかしい。両者は根本的な何かが違うのです。半七捕物帳というタイトルがあまりにもフィットし過ぎなだけかもしれませんが。
あの魅力的なホームズというキャラをぱくらず、人間的には真逆とも言えそうな半七を生み出した点も大きいでしょう。人々に対する洞察や理解、江戸時代の常識や生活を知悉していることが半七の推理に大きく役立っています(人間に対する眼差し、事件の関係者との距離の置き方なども含めて、メグレ警視を思わせます)。
日本ならではの要素として怪談じみた話が結構多い点も個人的にはプラス評価。不可解な発端が(基本的には)合理的な解決をみる。素晴らしい。
文学的な価値、民俗学的な価値も充分にあるように思えます。

いくつか適当に作品を紹介しておきます。
『鷹のゆくえ』逃げてしまった将軍のお鷹(人名ではなく鳥です)を捜索する話。地道な捜査の末、お鷹は無事に発見されますが、話はここで終わらない。お鷹発見後にわざわざ一行空けてから「これを表向きにすれば、大変である」という一文が来ます。確かに大変なことが待っています。江戸時代だねえ。
『津の国屋』個人的にはこの作品が特別に好きなわけではありませんが、もし半七捕物帳名作選を編むことになれば、この作品は絶対に入れると思います。怪談からミステリへと移行していくさまがたまらない。クイーンのボヘミアンラプソディみたい。
『三河万歳』鎌倉河岸に倒れていた男は牙の二本ある赤子(鬼っ子)を抱いたまま息絶えていた。これも名編でせう。
『小女郎狐』大好きな作品です。現代日本なら大した罪にならないような(民事では大変なことになりそうだが)ことで死罪になる者いれば、現代なら死刑は免れないであろう者が無罪となる。江戸時代だなあ。江戸時代なら「にちゃんねる」の住人から遠島や処払いになる人続出でしょう。
一巻に続いて本作も駄作なし。誰がどの作品を気に入るのか、まるで予想できない珠玉の短編集でした。
「大勢に真似された筒井康隆と真似しようのない星新一」
岡本綺堂は同じような文体で淡々と質の良い半七ものを生み出し続けました。こういうことをされると真似しようがないと思うのです。捕物小説は書けても半七は真似ようがない。

唯一気になったのは森村誠一氏の解説が一部なにを言いたいのかよくわからないこと。
~人権を尊重しない権力者(体制側)の手先である岡っ引きが、人権を尊重して合理的に犯人を割り出していくプロセスがなんとも皮肉であり、面白いのである。~
半七にこういう愉しみ方があるとは気付きませんでした。
森村氏の想像する江戸時代と半七で描かれる江戸時代があまりにも違うため、このような妙な解説になったのではないかと推測しております。

最後に にわかファンがいろいろと偉そうなことを言ってしまってすみません。

No.122 7点 犯罪- フェルディナント・フォン・シーラッハ 2016/11/17 07:38
お詫び 最初の書評をいったん削除して、再アップさせて頂きました。
「なあ『幸運』ってそんな話だったか? ○○犯ってなんだよ意味がわかんねえ」こんなようなことを本サイトをROMしている友人に言われました。誤読しておりました。かなり大きな誤読ですので、お詫びと訂正をさせて頂きたく思います。申し訳ありませんでした。

本作既読の方は私の書評を読んで、「こいつはなにを言ってるんだ?」と訝しく思われたことでしょう。誤読していた作品は『幸運』です。不能犯を扱った作品だと思い込んでおりました。「刑罰から免れたのは幸運だったのに過ぎず、本人の主観では故意に他者を殺害していた、これは犯罪ではないのだろうか」こういう疑義を呈した作品だと思い込んでいたのです。記憶違いではなく、完全な誤読です。書評を書く際はできるだけ再読、少なくとも流し読みはするようにしているのですが、本作に関しては幾つかの作品にまったく目を通しておりませんでした。ごめんなさい。
※不能犯 就寝中の妻を殺害するため胸に包丁を突き刺したが、その前にこの妻は病死しており、事実上犯罪は不可能な状況であった場合などを不能犯といいます。無罪です。
 
刑法の入門知識ですが、犯罪が成立するには構成要件に該当し、違法性あり、なおかつ有責であることが必要とされています。これら三条件のうち一つでも満たすことできなければ犯罪ではありません。
構成要件該当性の問題(幸運)、違法性の問題(正当防衛)、有責の問題(棘、緑、愛情)などにバランス良く触れることによって、法的な面と人情の面と双方から犯罪の輪郭を浮かび上がらせようとした、いかにも法律家らしいアプローチだと私は考えておりました。
犯罪だとされている行為はいわゆる悪事なのか、疑義を呈す。
犯罪の成立する要件を満たしていないから悪事ではない、に疑義を呈す。
※定説では不能犯は構成要件に該当しないとされています。
※正当防衛は違法性阻却事由といって、違法とはされません。
※有責の問題に関して昨今では精神障碍者であろうと人を殺したら罪を償うべきだという論調が強いように感じられますが、これは刑法の重要概念に触れる問題であり、慎重な論議が必要だと思います。

以下に最初の書評はそのまま残します。
しつこいようですが、『幸運』については誤読しており、見当違いのことを述べております。ご注意下さい。

さまざまな犯罪が並べられた短編集。
一作目『フェーナー氏』を読み始める。
すぐに湧く疑問。これは小説なのか?
事実のみを簡潔に記載した報告文のように見える。無駄口は叩かない。なのに扇風機については二度も触れている。『くるくる回る天井の扇風機を見た』~えろえろあって~『停電になって、扇風機が止まっていた』もしこれが報告文であれば、扇風機など事件とはまったく関わりないのだから無意味だ。うむ、これはやはり小説だ。だから、扇風機には狙いがある。こういう不自然な文章に気をつけながら読んでいこう。
最初の三篇は調子よく心地よく読めたが、『ハリネズミ』で最初の戸惑いが……ミステリ度が高いのは『ハリネズミ』と『サマータイム』なんですが。

以下、簡単に評価(基準は自分の好み)
フェーナー氏○ タナタ氏の茶碗(ワンは「怨」の心を皿)○ チェロ○ ハリネズミ×
幸運×(ただし重要作) サマータイム△ 正当防衛△(ただし重要作) 緑◎ 棘○ 愛情△ エチオピアの男◎

次の疑問。これらはミステリなのか?
フーダニット、ハウダニットともに疑問の余地なしのものがほとんどで、途中で視点人物が入れ替わったりはしない。どこに謎があるのか。ホワイダニット? さまざまな興味深い犯罪を並べてみせただけ? 
思うに、本作品集には一つの問題提起が存在する。
すなわち「この事件は犯罪だと思いますか」
つまるところ作者は「犯罪とは一体なんでしょう?」と読者へ問いかけているのだと感じた。そういう意味では社会派ともいえるかも。いかにも法律家らしい作品だった。意味深い作品。小説としては上記評価のとおり、難あり作品がけっこうあるので7点とします。

本作の「この事件は犯罪だと思いますか」には三つのパターンがあります。
分類してみました。
ややネタバレあります。
1「犯罪ではあるが、罪に問うのは忍びないもの」
『フェーナー氏』『チェロ』『エチオピアの男』
2「犯罪ではないのかもしれないが、許してしまっていいのか疑問なもの」
『幸運』『正当防衛』両者とも最後の一文で作者が無罪に疑義を呈していると考えられる。
この二作は元ネタなしの完全オリジナルではないかと推測。特に幸運については、○○犯は滅多にないケース。重要作としたのは、この短編集全体のテーマにこの二篇は必須だと思われるため。
3「責任能力の問題が絡むもの(精神鑑定が必要)」
『緑』『棘』『愛情』この三篇は多少目先を変えてある。ほとんどの先進国で無罪となるであろうもの(私見――無罪とすべきだと思うが、日本にも保安処分の制度が必要ではないかと思う)、減刑はあっても無罪にはなりそうにないもの(最も問題ありなケース)、無罪にはなりそうもないが被害者側にも過失が存在するもの。
その他の三篇
『サマータイム』『ハリネズミ』はもしかすると刑事訴訟法を問題にしているのか?
『タナタ氏の茶碗(ワンは「怨」の心を皿)』は加害者被害者の逆転現象? 

No.121 6点 捕物小説名作選一- アンソロジー(ミステリー文学資料館編) 2016/11/17 07:35
半七捕物帳を読んで以来、心が江戸から帰ってきません。他にも良さそうな捕物小説はないかと本アンソロジーに手を伸ばしました。
ですが、捕物小説名作選と銘打っておりますが、これってどうやら捕物小説の名シリーズを選抜し、その第一作目を機械的に掲載しているようなのです。看板に偽りあり。捕物小説の名作選とはいえないでしょう。ただ、どのシリーズが面白そうか、当たりをつけるのにはいいかもしれません。
手抜き(のように思える)仕事にマイナスして六点とします。
以下、捕物小説は無知に近いので的外れなことを言ってしまうかもしれませんが、各作品の寸評をば。

お文の魂(岡本綺堂 半七捕物帳より) 
半七捕物帳の記念すべき第一作です。やっぱり別格だなあ。全六巻のうち四巻まで揃えましたので、しばらくは就寝前の半七となりそうです。
南蛮幽霊(佐々木味津三 右門捕物帖より)
最も印象が薄かった作品ですが、ミステリ要素あり、江戸風物もありきちんと捕物小説していると思われます。半七と地続きなれど、半七には及ばずという風なので損をしている印象。文章が少し硬いか。右門のキャラは面白い。
捨公方(久生十蘭 顎十郎捕物帳より)
顎の話をされると激怒する武市半平太、じゃなくて仙波阿古十郎が主人公の捕物というよりも冒険活劇。書き出しから一頁ちょいの節をつけて歌い出したくなる文章がとてもいい。講談でも聴かされているような気分を味わえます(実際に聴いたことはありませんが)。内容も構成も豪快で本作品集内でも特に個性的な一篇。リアリティなぞくそくらえ、偶然大いに結構、面倒な話は抜きにしてぶった切りまくりの構成。ぶっ飛んでいる。凄い。 
南蛮船(柴田錬三郎 貧乏同心御用帳より)
孤児を九人も養っている同心喜八郎さん独身。彼は別に子供好きでもなく、仕方なく養っています。その経緯が現代では考えられない鷹揚さであります。喜八郎と子供たちとの生活は微笑ましく、子供らの泣かせる活躍あり、話自体がいいのです。誰が読んでも面白いといえそうな作品。本作も捕物というよりは冒険活劇風。
伝法院裏門前(南条範夫 岡っ引源蔵捕物帳より)
心理描写が冴えてます(他の作品では見られなかった、ある意味捕物っぽくない要素)。完成度は非常に高い。話そのものが小粒なのが惜しい。人間の心の動きにリアリティがあります。解説で理知的と評されておりましたが、納得です。
風車は廻る(伊藤圭一 風車の浜吉捕物綴より)
久生作品同様にこちらも他作品とは際立った違いがあります。こちらは講談ではなく、劇画調なのです(褒めているつもりです)。いや、主人公と会話が、すげえかっこいいんですけど。作者は戦記ものを数多く書いている方らしいのですが、そういうかっこ良さとも違うような。
わけあって前科持ちになってしまった元岡っ引の浜吉が女性を巡って猩々のなんちゃらと決闘する話。相手の武器に意表を衝かれました。こんなんだったら俺でも勝てそう、と思いきや敵は啼くものつつくもの。決闘の後、あからさまに浜吉の人生が好転しそうな雰囲気。おそらく次の作品から捕物帳になるのでしょう。これは続きが読みたい。

No.120 6点 ハンサムな狙撃兵- シャルル・エクスブライヤ 2016/11/12 13:33
ヴェローナ警察の警部ロメオ・タルキニーニはトリノ警察に招かれて捜査法を指導している。本音は「家族が恋しい、トリノの人間はなんて冷たいんだ」早くヴェローナに帰りたくて仕方がない。そんなある日、三人の若い娘が警察署にやって来た。自分たちの名誉を傷つけたハンサムな狙撃兵を殺したいのだが、人を殺したらどうなるのかを知りたいと三人は言う。タルキニーニは三人を宥めて帰すのだが、その後、この女たらしの狙撃兵が本当に殺害されてしまった。ところが、タルキニーニは三人の娘の無実を信じている。そこに論理はない。メグレ警視のような洞察もない。

「すべての犯罪の底には愛の物語がある」

ロメオ・タルキニーニ警部を主人公とするユーモアミステリシリーズの二作目です。
フランスの作家がなぜイタリアを舞台にイタリア人を主人公に据えたのか。
イタリア人の家族愛の強さは有名ですから、家族愛の強い男を描くにはイタリア人の主人公の方がしっくりとくるからなのでしょうか。ちなみにフランスの男は母親への愛情が強いそうです。平たく言えばマザコンばかりだと……フランス留学を経験した友人からの情報ですが、真偽のほどは?
ミステリ度はかなり低いので6点としておきますか。
ミステリを枠としたユーモア小説にして愛の賛歌。
ラストの一行がいいねえ。nukkamさんがスウィートホーム殺人事件を「ミステリーなのに読んで心が温まるという稀有な作品」と評されていたが、こちらもとても幸せな気持ちになれるミステリ。
シムノンの小説には大袈裟な名言などないが、メグレ警視を通して人生の哀しい断片を語る。そこには真実の響きがある。
エクスブライヤはタルキニーニに夢のような法螺ばかり吹かせている。人生の真実など少しも語ってはいないように思える。でも、読者の受け取り方次第でその法螺は読者を幸福で健全な精神の持ち主に変えてくれるかもしれない。

※本作教養文庫では作者名がエクスブラヤと表記されております。イありとイなし、どちらが正しいのか?

No.119 7点 千尋の闇- ロバート・ゴダード 2016/11/12 13:16
当初はアカデミックで固い作風を想像していたのだが、バリバリ(死語?)のエンタメ小説だった。登場人物の胸中に幸福感と絶望感を行き来させる手管、適度に読者を焦らすいやらしさ、緩急のつけ方もうまく、恋愛を絡めた中盤の展開などエンタメの基本に実に忠実。大きな釣り針をこれ見よがしにぶら下げて読者を愚弄するような書きっぷりも痛快。重厚にして巧妙な一作。
個人的にはストラフォードの手記が最も読み応えがあった。いかにも(私の想像上の)英国紳士という風で素晴らしい。
気になったのは主に二点。
善人と悪人の区分が単純明快に過ぎる。もう少し複雑さが欲しい。
エリザベスの話し合い無用完全拒絶の姿勢には無理がある。この完全拒絶の理由づけが非常に難しく、この作品の急所になると予想していたが、やはり……拒絶しないと物語にならないので仕方がないのだが、せめてもう少しうまく処理できなかったのか。

構造的にはいわゆる輪唱小説(造語です)ですな。
ただ、二人の男が同じようなことをしているのに、なぜだかストラドフォードはかっこよく見えて、マーチンは本当にどうしようもない奴のように映ってしまう。この点は批判が予想されるが、当然わざとでしょう。マーチンがダメな奴だからこそ、彼が最後に見せる大きな勇気が驚愕を生み出す。そして、エリザベスはマーチンにあのセリフを言う。
まあ、そうは言ってもマーチンをもう少し感情移入し易い人物にはできたはず。ダメな奴=いけ好かない奴ではないのだから。

歴史は時に使命(理性)に殉ずるよりも愛(感情)に生きる者の手に委ねられる。
そして、歴史は繰り返す。

No.118 9点 半七捕物帳- 岡本綺堂 2016/11/11 07:08
読みつけないジャンルですが、守備範囲が広く読書量も相当なものであろう御三方が口を揃えて褒めそやす作品でしたので気になって手に取りました。こりゃ本当に面白いわ。
コナン・ドイル、ジョルジュ・シムノン、星新一、彼らの凄さを併せ持つ作品でした。
毎日寝る前に一篇ずつ読むのが習慣となり、男の子が生まれたら半七と名付けてしまいそうなくらいはまりました。
クリスティ再読さん御指摘のように、かつての日本、日本人を愉しみながら知ることのできる超優良書籍でした。文章も柔らかで非常に美しい。
では、ミステリとしてはどうなのか。いくつか楽しみ方を。

江戸時代シークレットを知る
半七はやたらと鰻を食べます。本書十四篇のうち五篇くらいで鰻を食ってました。事件の関係者にも奢ったりして、私なんか年に一、二回しか食えねえのにクソ……現代人は以下のような推測をするでしょう。「半七は食道楽。半七は実は金持ってる。半七は見栄っ張り」
ところが、江戸っ子視点では「なにバカなことを言ってやがる」となるのです。
実はこの時代、鰻は庶民の一般的な食べ物だったりするわけです(半七の時代には高価なものになっていたかもしれませんが、そのへんはご容赦を)。
江戸っ子視点では謎などなくとも、現代人には謎となってしまうことものが作中に溢れています。故に現代日本人が一緒に推理を楽しむのは難しい。が、以前に書評した『叫びと祈り』の異文化理解によって謎が解れていくさまを楽しめた方には半七も楽しめるのではないかと。

江戸時代ロジックに酔う
『弁天娘』いつまでも子のできぬ夫婦が弁天様に願掛けをします。そうしてできた娘について以下のような文章がありました。
~弁天様から授けられた子であるから、やはり弁天様と同じようにいつまでも独り身でいなければならない。それが男を求めようとするために、弁天様の嫉妬の怒りに触れて、相手の男はことごとく亡ぼされてしまう~
整理すると、弁天様は独り身である→弁天様は自分が授けた子に男ができると嫉妬してしまう→相手の男は亡ぼされてしまう。
論理的な考え方だと思います。江戸時代の人は非科学的ではあったかもしれませんが、非論理的だったとは思いません。前提が正しいかどうかは論理性の有無とは関係ありません。
※私の祖母も「弁天さまを祀っているところに女子と一緒に行ってはならねえ」と言ってました。弁天様は嫉妬深いというのは昔の人には自明のことであったようです。

江戸時代エンディングに煙に巻かれる
『猫騒動』このラストは現代ミステリでは許されないと思われます。ところが、半七の世界に置かれるとひどく不気味な後を引く結末になります。

~I live in Edo~は長嶋茂雄氏の有名な迷言ですが、もしかすると長嶋氏は半七捕物帳の愛読者なのかもしれません。
※I live in Tokyo.を過去形にしなさいと言われて同氏はTokyoをEdoとしたらしい。

No.117 7点 名門- ディック・フランシス 2016/10/29 12:17
『ゴードン・マイクルズがいつもの服装のままで噴水の池の中に立っていた』
書き出しから異様な状況で物語は幕を開けます。いきなりグイグイきそうな予感しますが、実はかなりスロースターターな作品。450頁超のわりと長めの作品なのに前半は伏線を張りつつ主人公の仕事(銀行家)や日常の話が続く。冒険/スリラー/スパイ小説などではなく、アーサー・ヘイリーでも読んでいるのではないかと錯覚するような場面も出てきます。個人的に背景や人物をじっくりと描き込んでくれる作品は好きなのですが、さっさとミステリを始めろと感じる方もいるかも。とても地味な作品で、フランシスの典型的な作品でもありません。が、裏名作だと考えております。
主人公は銀行家で常識的な人物ですが、やはり、紛うことなくフランシスの嫡子です。負けず嫌いで危険に自ら飛び込む。肝腎なところで『常識が負ける』のです。結局フランシスなんですよね。あれ? やっぱり典型的な作品なのか? 
とにかく、フランシスの主人公って内面的にはみんな同じような感じなんですよね。
主人公の造型だけではなく、プロットもある種の個性というかマンネリ感があってさほど凝っているわけではありませんし、職業のヴァリエーションがマンネリの回避にかなり寄与していると思われます。前述のアーサー・ヘイリーを読むような楽しみ方もできるのです。
※背景の描写とプロットの緻密さはアーサー・ヘイリーの方がはるかに上ですが、アーサー・ヘイリーも人物が金太郎飴といわれがちな作家で、意外と共通点があるような気がします。アーサー・ヘイリーの作品は謎の提示があって、原因究明、解決といったプロセスが繰り返されますが、こういう部分はミステリ読者にも訴求力あると自分は思うのですが、どうでしょう?
話を名門に戻します。すみません。
地味、スローペースの他、本作の特徴は。
犯人は予測が付くと思われます。ハウダニットが読みどころですね。簡単なことだけに怖ろしい。
フランシスはプロットに予定調和的なところがありますが、本作はそれをちょこちょこと裏切るような展開が見られます。
ラストがちょっとなあ、私はあまり好きではありませんでした。
それから邦題の名門、うーん、そういう話ではないような。確かに主人公も本作に登場する最重要馬物も名家の出ではありますが。

No.116 4点 再起- ディック・フランシス 2016/10/26 21:41
つまらなかった作品は書評しない方針ですが、思い入れのある作家なので書きます。
久しぶりに未読のフランシスに手をつけましたが、残念ながら本作は今まで読んだ中で最低の出来でした。
理由は三つ。文章の劣化、シッド・ハレーの変容、薄味のプロット。

まず文章。最初に嫌な予感がした一文。
『彼の胴回りは、彼の銀行預金残高よりも速いペースで増えつつある』
冴えないなあ。はずしてるなあ。数頁後、さらに酷い文章が来ます。
『こと競馬情報に関するかぎり、パディはグーグルをしのぐグーグルだと言っていい。この業界で最上のサーチ・エンジンだ』
もうちょっとましな表現があったのでは。
例えば→競馬情報に関しては彼に聞いてわからないことはグーグルでいくら検索したところでわからないのだ。
うーん『グーグル』という単語自体がフランシス作品と親和性がないような。
菊池さんがお亡くなりになって訳者が変わっております。確かに違和感はありました。しかし、真の問題は翻訳ではなくて、フランシス自身の筆力の低下だと感じました。
文章勝負の作家でなければスルーしますが、フランシスですから言わずにはおれません。
ちなみに『大穴』の書き出し→『射たれる日まではあまり気に入った仕事ではなかった』
え、どういうこと? と思わせておいて実はシッド・ハレーの本質を一発で炙り出している非常に含蓄ある一文。これがフランシス。

続いてシッド・ハレーの変容
シッド・ハレーは自分本位な人間です。それだけに周囲で起きる出来事はすべて自分に責任があると考える男でありました。ですが、本作では他罰傾向が目につきます。また、フランシス作品にはどの分野であれプロへの敬意が溢れていました。ところが。
シッドは恋人のためにボディガードを雇います。この男が「身内にやられるケースは非常に多い」などと主張し、ジェニィ(シッドの元妻)が訪問してきた時でさえ持ち物検査を要求する徹底ぶりを見せます。シッドは彼を少々煩わしいと思ったようで、筋肉男などと揶揄します。彼を少々煩わしく思いながらもプロとしては認めるのがシッド・ハレーではなかったでしょうか。

最後にプロット。過去の作品を踏襲しており、フランシスらしいと言われればその通り。ですが、特筆すべき点がないのです。驚きなし、高揚感なし、利腕のような重層的なプロットの妙なし、つまらなくはないが薄味のフランシス。利腕と同じテーマを匂わせつつも踏み込み足らず、やたらとシッドの過去の話に言及するのも悪印象。

結論。私にとって本作はシッド・ハレー版『あの人はいま』。シッド・ハレーは敵手で終わったと考えたい。今思えば敵手は7点をつけてもよかったかもしれません。本作はフランシスだけに厳しく4点。
未読作品はまだあるので、再起を期待したいところ。

No.115 6点 キングの身代金- エド・マクベイン 2016/10/19 22:21
最近はほとんど聞かなくなりましたが(報道されないだけ?)、私が子供の頃はときおり営利誘拐というやつが発生しておりました。ですが、子供心にも私(我が家)が狙われることはなかろうとさほど気にしておりませんでした。なのに余計なことを思いついてしまい急に怖ろしくなったのです。一緒に遊んでいた友人の中にえらい金持ちの子がおりました。誘拐犯が彼と間違えて自分をさらったりしたら、どうなるのだろう? 怖かったのでそれ以上深く考えませんでしたが、この作品はその一つの回答であります。
誰をさらっても誘拐は成立する。このアイデアは画期的なものだったと思うのです。私の本作の評価はこの素晴らしいアイデアを活かし切れなかったやや不満の残る作品、名作になり損ねた作品です。
誘拐する子供を間違える、それでも構わずに身代金を要求。せっかくの前代未聞な導入から予想通りの凡庸な展開となり、人間ドラマに終始、ちょっといい話にしてみました的なラスト(個人的には嫌いじゃない)。キング氏と妻の論戦など読みどころはあって小説としてはなかなか面白いのですが、警察小説としての興趣は乏しいと言わざるを得ません。
子供を誘拐された男が子供助けたさにキングの家から金を持ち逃げするとか、なにかもう一つ波乱が欲しかった。

警官嫌いの書評の中で、87分署シリーズの異色作をいくつか挙げましたが、本作もその中に含めるべきだったかもしれません。本作の主眼はあくまで犯人側と被害者側の人間模様であり、有名作ではあっても通常の87分署シリーズとは愉しみが異なります。最初に読むべき作品ではないように思います。

最後に。作品内でキング氏はかなり非難されますが、個人的にはちょっと気の毒な気がしました。

No.114 6点 私が殺した少女- 原尞 2016/10/15 13:00
初読時はあまり好きになれなかった作品です。
『拾った宝くじが当たったように不運な一日』まずこれに引っ掛かりました。
続いて「妹の清香に、もしものことがあったら……」でズッコケました。なんじゃこの説明的なセリフは。実生活で「妹の~……」なんてセリフを友人等の口から聞いたことはほとんどありません。ましてや感極まっているときにこんな言い回しは出ないでしょう。この後も引っ掛かる文章がちらほら。
また、沢崎が少女の殺害された時間に拘るのもなんか嫌でした。その気持はわかるのですが、そこはなにも言わないで欲しかった。
まあ、後に頭を冷やして再読したときには気の利いた言い回しにおかしみを感じましたし、文章に力を入れている作家にはそれだけで好感をもてます。作家はお話を作るのが好きである以上に文章を書くのが好きであって欲しいのです。
そんなわけで、再読時にはだいぶ印象が好転しました。沢崎と毛利のなんか通じ合っているような感じとか好きです。
私はチャンドラーが好きなので初読時はチェックが厳し過ぎたのかもしれません。
ただ、ときおり非常にリズムの悪い文章が混じるのは未だに気になります(翻訳小説の場合はリズムはあまり気にしないようにしております)。余計な副詞や比喩表現が文章の勢いや滑らかさを削いでいるなと感じます。
できるだけ思い入れや思い込みを排してチャンドラーと比較してみると、
雰囲気づくりや人物造型はチャンドラーには及びません。特に人物造型は大きな差を感じます。
逆にプロットの吸引力、奇抜さはチャンドラーを上回っていると思います。純粋にエンタメとしてなら楽しめるのはこちらでしょう。
依頼人の家を訪れたらいきなり逮捕。掴みはOK。その後、身代金受け渡し役として駆けずり回る展開も非常に面白い。
沢崎が否応なしに巻き込まれていく流れなので関係者を尋ね歩くことを繰り返すハードボイルドの定型というか退屈になりがちな点を免れているのもいいところです。
清香が誰からも大切にされていなかったような感じがして可哀想でした。設定ばかりで人格のない清香さん、もう少し人物像を掘り下げてみるとか、彼女の死を心から悼む人物がいてもよかったのでは。
ラストが急展開に過ぎるとの指摘ありましたが、個人的にはそれはそれで良いのではないかと思っています。
ただ、その真相に説得力があまりないのは大減点。直木賞の選考会でも問題になったという致命的な瑕疵、あれがなければ7~8点でしたが、私としては許容しがたいのでマイナスして6点とします。リーダビリティ高いのは本作だと思いますが、『そして夜は甦る』『さらば長き眠り』の方が好きです。

No.113 7点 蜂工場- イアン・バンクス 2016/10/08 10:21
スコットランドの小さな島で父親と二人で暮らす十六歳のフランク。幼い頃、犬にペニスを噛み千切られた彼は学校にも行かず、小動物を殺して回る日々だった。旺盛な想像力を異常な方向に伸ばしながら生活、成長している。
そんなある日、精神病院にいるはずの兄から電話があった。
「いまから家に帰る」

~あにきの脱走を知った日、おれは<生贄の柱>を次々と見まわっていた。
なにかが起こりかけているのはすでにわかっていた。
<工場>が、そう告げていたから。~
本作はこんな風に始まる。工場(蜂工場)とは大きな時計を迷路に改造したもので、そこに蜂を入れると12の文字盤のいずれかに向かうことになる。火責め、水責め、さまざまな趣向が凝らされ、蜂の運命には死しかないが、その死にざまによってフランクは未来を占っている。
本作の表紙には「結末は誰にも話さないでください」と書かれているが、そのような売り方をするタイプの小説ではない。オチは確かに驚いたが(このサイトの方なら見破る人がけっこういそうです)、個人的には「だからなに?」感が強かった。むしろ兄の過去の話の方が衝撃強く、怖ろしかった。ただ、誰にも話してはいけないこのオチによって主人公の狂気にいちおうの理由付けがなされている点は良しとしたい。
一般にはホラーとされているらしいが、サイコサスペンスが粗製乱造される前に世に出た文学的サイコサスペンスと考えたい。
フランクは精神病院から脱走した兄を怖れているが、本当に怖ろしいのはフランクであり、兄はむしろまともな人間だからこそ狂ってしまったように思える。
フランクは友人と相対しているときはわりあいまともなのだが、彼の内面には狂気が渦巻いている。その狡猾さに身震いする。
兄が脱走した後も、フランクの異常な日常と過去が淡々と描かれていくばかりで、兄に絡んでの物語はなかなか進展しない。
完成度ではなく感覚的な好き嫌いによって採点され、その評価が大きく分かれそうなタイプの作品。けっこうグロい。本来は好きなタイプの小説ではないが、歪んだユーモア、歪んだ美的感覚に回る回る目が回る、そんな読書体験だった。
かなり独創的な作品だと思うが、このサイトから近いものを探すとすれば「向日葵の咲かない夏」あたりか。気持ちの悪さとオチでポカーンとさせられるあたりは似ている。ただ読み味はずいぶん違っていて、向日葵は丁寧に伏線を張ってあり、読者がオチをある程度は推理できるようにしている。蜂工場は伏線は撒いているものの、読者に推理を期待しているような書き方ではないように思えた。ミステリとして考えれば向日葵の方が面白いと思う。
本作は考えながら読むよりも、感覚的に圧倒されることを愉しむ本だと思う。
理屈抜きに好きか嫌いか。
オチの衝撃は付録であって、本作の読みどころはオチに驚くことではない。

No.112 7点 公園には誰もいない- 結城昌治 2016/10/08 09:19
シャンソン歌手である若い女性が失踪した。上流家庭に育ち、特殊な世界で身を立てようとしている彼女の周辺にはどこか癖のある人物が多く、彼女自身かなり身勝手な人物のようだった。母親から捜索を依頼された真木だったが、なんということはなしに、この仕事が気に入らなかった。

犯人と被害者、自分にはないものを補い合ってうまくやっていけたんじゃないのかなあ。残念でならない。構想の死角(刑事コロンボ)みたいなことになってしまった(動機はまったく異なるが、事件の表面的な構図は似ている)。
被害者の歌う『公園には誰もいない』が非常に効果的に使われている。ラストシーンの哀感も素晴らしいし、真木の犯人への感情移入も理解できる。
ただ問題もある。ミステリとしては暗い落日よりも確実に劣る。被害者や犯人の行動が必然性に欠ける点、それからダールの『南から来た男』を引き合いに出しての賭けの話が強引。
本作においての賭けはダールを引き合いに出せるようなものではなく、子供のお遊びとしか思えない。本作の重要な鎹(かすがい)なのに弱点になってしまっている。
そして、動機が弱い、というか、根が深くなる性質の動機ではあるのだが、書き込みが足りないように感じた。犯人の人物像含めてもう少し書き込んで欲しかった。だが、この作者の美点はあえて書かないことだともいえる。
読者に想像や洞察を要求する。例えばこんな感じ。

「ベル――」
 わたしはもう一度(犬の名を)呼んだ。
 しかし彼は知らんふりをして、おまえの相手なんかしていられるかというように、ながながと寝そべり、淡い日ざしを浴びて、気持よさそうに眼を閉じた。
 わたしは彼が好きになった。
「とても怠け者なんです」
 理江もベルが好きらしかった。

本作のラストで真木は犯人に「どうぞお帰りなさい」と言った。
暗い落日の書評でkanamoriさんが言及されていた「それは自分で考えることでしょう」に近いようで、両者の真木の心情はずいぶん異なるように思われる。
逃がしてやりたい、だが、逃げたところで結果は見えている。かと言って自首を薦めることもできなかった。真木は犯人の自殺も予感していただろう。どれを取っても愉快な結末にはなり得ない。そもそも被害者には殺されるほどの非はなかった。犯人が悪いのだ。だが、憐れな犯人だ。自分にだって才能があり、輝かしい未来の可能性があることに気付くべきだった。
結局真木は「じゃあそんなわけで」的な曖昧さに逃げるしかなかった。
真木がなんとなくこの仕事が気に入らなかったのは、こういう結末を予感していたからではないかと、いや、作者は読者にこうした結末を予感させようとしたのではないかと、そんな風に思います。
ミステリとしては暗い落日に劣る。が、小説としては見劣りしない(むしろ小説としてはこちらの方が好き)ので同点としておきます。
勢いに乗って『炎の終わり』も書評したいところですが、手元に本がない。記憶も定かでない。そのうち入手して書評したいと思っております。

最後に本作のミスリードを誘う仕掛けについて ややネタばれ


『暗い落日』に続いて本作でもやられました。手口はまったく違います。
なにか描写しておかないと小説として格好がつかないから描写してしまうのは当然アマチュアで、すべてのとまではいかなくともたいていの描写に意味、必然性があるのがプロでしょう。
ただの風景描写に思えても、実は風景を描写しているのではなくて、物語のその後を予感させたり、登場人物の心情を映していたりするわけです。
結城昌治は名ばかりのプロではなくて、名実ともにプロです。その彼が以下のようなことを書きました。
母と娘は顔が似ている。
母親は相当なお洒落で派手好き。
娘はお洒落だが、派手なお洒落は好まない。
娘は念入りに化粧をする。
派手嫌いと化粧念入りは矛盾してはいないか、あ、母親と似ているのがイヤなわけね。私は作者の思惑通り、親子関係になにか問題があって、それが物語の鍵なんだなと推測しました。
もちろん現実世界ではこれだけのことで母娘関係に問題ありと見做すのは早計に過ぎるわけですが、小説的にはこれらは母娘関係の象徴として描写されたと考えられるわけです。仄かに香る第一の罠。
そして、母親に動機らしきものが見えてきました。肥溜めのような二番目の罠。明らかな悪臭ですが、「キターッ!」とばかりに食いついたバカ(私)は母親が犯人と断定しました。

No.111 7点 悪党パーカー/死者の遺産- リチャード・スターク 2016/10/05 20:24
引退した金庫破りジョー・シアーからパーカーの元へ助けを求める手紙が来た。厄介なことに巻き込まれたらしい。ジョーは知りすぎている。しかも昔の奴ではなく、ただの弱気な年寄りに成り下がっている。やばいことになりそうだ。ジョーが、ではなくパーカー自身がだ。パーカーはジョーを始末する必要があるか見極めるために彼の元へ向かうが、ジョーはすでに死んでいた。葬式は明日の朝だという。いったいなにが起こっている? そんな時、パーカーの前に顔見知りのケチな悪党が現れ、俺と組まないかと誘いをかけてくる。なんのために組むのかよくわからないが、とりあえずパンチをお見舞いするパーカーだった。

昔の仕事仲間から助けを求められて、そいつを始末すべきかどうかを真っ先に考える。いやあ、パーカーですな。
本作では犯罪者の裏の顔(本業)ではなく表の顔(私生活)にスポットを当ててみました。攻めではなく守りの話です。悪党の危機管理(常套手段は殺し)から始まり、タイトル通り「遺産」を巡って思わぬ方向にプロットは展開していきます。今回は仕事はないので派手さに欠けますが、本作でのパーカーの非情さは際立っています。また、ジョーの身に起きていたこと、追い込まれていく過程がかなりえぐい。他にも種々の隠蔽工作や悪徳警官、模範警官それぞれとパーカーのつばぜり合いなど地味ながらも読みどころはけっこうあります。ラストの潔さもある意味かっこいい。パーカーってけっこうポカもするんですよね。
パーカーシリーズの裏名作だと思います。かなり好きな作品です。
こういう異色作は歓迎。
ただ、kanamoriさんの書評を拝読してふと思ったのですが、マンネリとよく言われる本シリーズ、実は異色作がけっこうある?
未読作品がまだまだあるもので。 

最後にタイトル(邦題)について 『死者の遺産』ってなんか違和感ありませんか。飛ぶ飛行機みたいなもんでしょ。ちなみに原題はThe Jugger 金庫破りのことらしいです。こっちもちょっと本質からずれているタイトルな気がします。

No.110 5点 悪党パーカー/死神が見ている- リチャード・スターク 2016/10/03 18:00
ロックコンサートの売り上げをかっさらったパーカーと仲間たち。だが、解散後、仲間の一人キーガンが切羽詰まった様子でパーカーを探しはじめた。気になることあってパーカーは彼を訪ねたが、彼は壁に磔にされて死んでいた。この後も今回のヤマに関わった仲間が次々と殺されていく。どこのどいつだ? どうしてなんだ? パーカーにも順番が回って来ることは確実だった。奴らがクレア(愛人)を一人残した家にやって来るかもしれない。避難を命じるパーカーだが、クレアは家から離れたくないと駄々をこねる。

シリーズ十三作目にして異色作の一つ。
緊迫感があり、アクションも冴えている。要はいつも通り。今回の敵は愚かで凶暴性ありな男と用心深く小狡い男。かなりステレオタイプな連中でこちらも新味はない。
コンサート会場を襲う、その仲間たちが何者かによって次々に消される、パーカーの反撃、と単純なプロットではあるが、ここに新たな要素が持ち込まれる。家と女である。
パーカーの優先事項は一に自分の安全であり、二に金である。仲間はあくまで道具であり、自分の身に脅威が及ぶことなければ、彼らがどうなろうと無関心である。女にしても人格など認めていないようなところがあった。
このような非情さを徹底したところがこのシリーズの特異な点であり秀逸な点である。
ところが、今回のパーカーは女と家によって非情に徹し切れなくなっている。
「わたしはこの家を離れたくない。犬とライフルを買うから大丈夫」というクレアの主張に負けてしまう体たらく。
これはパーカーが堕落したわけではなく、彼にも守る家が出来たのだとかなんだとか小鷹さんがあとがきで必死に弁護していたが、悪党パーカーにマイホーム……どうも調子が狂う。日曜日の朝は庭で洗車をしたりするのだろうか。
シリーズ六作目の『死者の遺産』と並ぶ異色作の一つであり、ファンの間でも賛否両論となりそうな作品。私はどちらかといえば否定派。採点は面白さでは6~7点といったところだが、マイナスして5点。
シリーズも後半に差し掛かり、マンネリ回避のために新機軸を打ち出したのかもしれないが、パーカーの軸がぶれてしまうのは感心できなかった。また、クレアがあの状況で逃げずに家に残ると主張するのは非常に不自然。どう考えても誰であろうとも逃げるはず。
ただ、納得度は低いが面白さはいつもとそんなに変わらない。

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tider-tigerさん
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