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おっさんさん
平均点: 6.35点 書評数: 219件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.11 7点 ロマンの象牙細工- 評論・エッセイ 2023/07/27 15:39
最後に読んだ森村誠一は何だっけ?
朝刊各紙の訃報記事を眺めながら、考えました。ノンフィクションの『悪魔の飽食』(1981)だよな、うん。
でもま、あれは立派な仕事ではあるけど、小説に限るなら――同じカッパ・ノベルスの書下ろし『致死海流』(1978)か。密室とアリバイ崩しの二本立てで、原点回帰の悪くない作品だったけど、初期の荒削りなパワーが、逆に懐かしくなったような記憶が、うっすらとあります。
すっかりご無沙汰しているうちに、しかし著作は続々と増えていき……ちょっと確認しようとウィキペディアのリストをスクロールしていたら、眩暈に似た感覚を覚えました。
訃報記事で一様に代表作として挙げられているのは、映画との相乗効果で社会現象を巻き起こした『人間の証明』(1976)で、これは実際、作者にとって転機となった力作(ディーン・R・クーンツ流にいえば、ジャンル小説から一般大衆小説へのステップアップ)ですが、同じ角川映画つながりなら、筆者的には『野性の証明』(1977)のほうに思い入れがあるんだよなあ。
“本格推理”のジャンルでいえば、なんだかんだいっても、やはり『高層の死角』(1969)と、あと『密閉山脈』(1971)でしょうね。
カッパ・ノベルス時代(?)の、『超高層ホテル殺人事件』(1971)や『黒魔術の女(1974)』あたりの、アイデアのトンデモなさも忘れがたいw。“清張以後”とはいえ、ちゃんと、ミステリの読書体験のベースに乱歩やディクスン・カーがある人なんですよ。嫌いにはなれない。
けど、好きにもなれない。疲れるもんwww。

というわけで、情念のストーリーテラー森村誠一の作品群は、基本、一度読んだらそれきりで、読み返すことのない、おっさんですが……唯一の例外が、このエッセイ集『ロマンの象牙細工』(講談社 1981)です。
講談社から刊行された、自身の《長編推理選集》全15巻、及び《短編推理選集》全10巻の「月報」に載せた文章を中心に、推理小説に対する忌憚のない私論を展開、興味深い楽屋噺も披露してくれています。
白眉は、「森村推理悪口集」。デビュー以来、森村作品に対して寄せられた批判、悪口のたぐいを集め(例の〈SRの会〉の奴とか、若き日の、瀬戸川猛資なる人のナマイキな文章も引用されてます)、作者がコメントしていくという、凄い内容です。このメンタルの強さは、皮肉でなく、素晴らしい。プロとしてのプライドの高さ。たとえ傷つき、何度か死のうとも生き返る、フェニックスのごとき生命力。もちろんそこには、多くの読者によって支えられているという、自信の裏打ちがあるわけですがね。

一読をお薦めする次第ですが、もしできれば――
小泉喜美子が『小説推理』に長期連載したエッセイを加筆訂正してまとめた『メイン・ディッシュはミステリー』(新潮文庫 1984)を併読されると、興味は2倍にも3倍にもなりますよ。まさに水と油。蛇とマングース。
でも、どっちも面白いんだよなあ(無責任)。

No.10 8点 欧米推理小説翻訳史- 評論・エッセイ 2022/06/06 11:21
『ハヤカワミステリマガジン』2022年7月号の記事で、長谷部史親氏が今年の4月に亡くなっていたことを知りました。
筆者の世代だと、膨大な蔵書を持っているミステリ同人業界の凄い人・谷口俊彦さん、という印象が強く、プロとなり“文芸評論家”を名乗られるようになってからの、ハセベフミチカ氏には、正直、一流の書誌学者だからといって、一流の評論家たりえるとは限らないなあ、と、そんな(悪い)見本を見るような思いを抱き続けていました。
最近、あまり名前をお見かけしないな、とは思っていましたが……前掲の号の追悼文(ワセダ・ミステリ・クラブの後輩である、西上心太、三橋曉の両名が執筆。同誌に連載を持っている、ワセミスOBの某氏からは――書いていただけなかったんだろうなあ)を読むと、晩年は、やはりいろいろあって、業界からフェードアウトされていたようです。

日本推理作家協会賞を受賞した、『欧米推理小説翻訳史』(1992 本の雑誌社)は、帯のコピーに
「明治にルブラン、大正にクリスティー そして昭和のクロフツまで、推理小説はいかにして日本に移入されたか」とあるように、「――何らかの意味で日本へ影響を及ぼした作家たちを選び出し、個々の作家の翻訳史にスポットを当て」た労作で、筆者も多大の影響を受けました。ネット時代以前に、現物をきちんと確認しながら綴られた、孫引きでない書誌的データ(これは容易に真似できません。古書店主でもあった、著者の真骨頂)には感服させられます。
ただ、客観的な「翻訳史」に、プラスアルファとして、ご自身の感想や意見を付け加えようとすると、独断と偏見が露呈されてしまう。たとえば、こんなふうに――「クリスティー、ヴァン・ダイン、クイーンといったトリック中心の推理小説が、一度読んで解決を知ってしまったら二度と読む気になれないのに対して、カーの作品が繰り返し読むたびに新しい感興を呼び起こすのは、小説としての内的成熟があるからにちがいあるまい」。はあ、そうですかw

とはいえ。
そういう、書き手の悪い癖みたいなものをさっぴいても、本書が、翻訳ミステリに関心がある者にとって、読まで叶うまじき一冊であることは動かせません。
もともと雑誌『翻訳の世界』に連載されていた「欧米推理小説翻訳史」を、連載途中で本にした関係で、書籍刊行後の連載分(A・E・W・メイスンなど)は未収録ですし、その後、掲載誌を『EQ』に変えてからの、「続・欧米推理小説翻訳史」は、本になることなく終わりました。
著者には、生前に是非、それらを完全収録した『欧米推理小説翻訳史 増補改訂版』を出していただきたかった。
いただきたかったんですが……
とりわけ国書刊行会の、<世界探偵小説全集>以降の、クラシック・ミステリ・リバイバル(長谷部氏の予想を裏切る事態が、進行していきます)を踏まえた加筆訂正を考えると、執筆の手も止まってしまったのでしょう。
残念です。

No.9 8点 捕物帳の系譜- 評論・エッセイ 2020/12/10 09:59
推理小説にも詳しい、文芸評論家の縄田一男氏(大のご贔屓はジョン・ディクスン・カーでしたかね)が、半七→右門→平次と続く、いわゆる三大捕物帳の流れを、ジャンルの成立過程=成熟への道のりとして描きだしていく――いささか図式的で、「思想の器」といった類の大仰な表現が目に付く嫌いはあるも――時代小説愛のこもった労作です。

1995年に新潮社から刊行され、同年の「尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞」の研究・考証部門を受賞していますが(日本推理作家協会賞のほうは、候補にすらならず。予選委員諸氏、果たして本書を読んだうえで無視したのか?)、新潮社で文庫化はされず、2004年になって中公文庫に編入されました。今回、筆者が読んだのもそちらです。ただ、この手の本であれば巻末にあって然るべき、年譜や索引が無いのは物足りなく、あるいは親本には存在していたのに、文庫化にあたって割愛されたのか?

一読して真っ先に感じたのは、ああ、これは推理作家・都筑道夫の捕物帳観に対するアンチテーゼだ、ということでした。
第四章「ミステリーとしての『半七捕物帳』」のなかで、縄田氏は、「半七捕物帳」を推理小説として評価するうえで格好の手がかりになる論考として、都筑が三一書房版の〈久生十蘭全集〉第5巻『顎十郎捕物帳』の解説として執筆した一文(のちに評論集『死体を無事に消すまで』に収録されて広くミステリ・ファンに膾炙し、若き日の筆者もまた、目を開かれました)を紹介し、それを踏まえて自身の論――第一話「お文の魂」の読解を通して、綺堂の創作意図を推し量り、ミステリ的なマイナス要因をプラスに逆転させるくだりなどは、成程と思わせられる――を展開しています。そこだけ読めば、都筑説に対する異議申し立てなどはまったく感じられません。
しかし。
都筑にとって、半七から右門、そして平次に至る、捕物帳ジャンルの変遷は、「出発点では推理小説であったものが、骨の髄まで日本的な変種になっていった過程」(前掲『顎十郎捕物帳』解説より)であり、極端な言い方をすれば、本末転倒の流れなのです。そして、捕物帳を、情緒に力点を置いた犯罪メロドラマから、きちんと推理小説に戻したという意味で、「半七」の正当な後継者として「顎十郎」を位置づけることになります。
都筑の論旨はきわめて明解ですが……ちょっと息苦しくもある。「シアロック・ホームズ物語が、息が長いのとおなじ理由で、『半七捕物帳』もすたらない、と見るべきだろう」と書きながら、ホームズ譚が、ガチの謎解きを志向した元祖ポオのデュパンものをヴァラエティに富んだ探偵ヒーローの物語としてアレンジしたものであること、そしてその魅力の一因ともなっている、犯罪メロドラマの比重の大きさには、目をつぶってしまっています。
 
筆者にして然りですから、ましてや生粋の時代小説愛好家からすれば、都筑説は、きわめて狭量なものに映るのではないでしょうか。人気を博した三大捕物帳を正当に位置づけ、読書ガイドにもなるような、スタンダードな入門書があって、そのうえで、あくまで謎解きを本道とする都筑史観もある、ならいいのですがね。それだけがマニア的な読者のあいだで独り歩きしてしまうのはマズイ。
よし、誰も書かないなら、俺が正史を書いてやろう、と縄田氏が決心した、といったことは、「まえがき」にも「あとがき」にも一切触れられていない――別な理由による、作者の創作意図は述べられていますが、あまり面白くないw――ので、お前の妄想だと言われてしまえば、それまでです。
でも、あえて縄田氏の文章を我田引水するなら――「むしろ、こういう文学的空想をたくましくした推理の方が、よりいっそう、私たちの読みを楽しくさせてくれるといえるかもしれない」。
捕物帳の変化に必然性――どう理屈をこねているかは、それに賛成するにせよ反対するにせよ、実際に自分で読んで、確認してみて欲しいな――を見ていく本書が、ミステリ・ファンの“読み”の幅を広げる助けになってくれるのは、確かだと思います。

個人的な、本書の白眉は、都筑道夫がケチョンケチョンにした佐々木味津三の『右門捕物帖』に、都市小説という斬新な角度から光を当てた第九章「『右門捕物帖』の世界」。クリスティ再読さんも書かれているように、補助線としての江戸川乱歩の使いかたがうまく、乱歩ファンであるおっさんも、これには目からウロコでした。いやあ佐々木味津三、ろくに読まずに莫迦にしていてスマナンダ。「半七」を読んだら、「右門」もきちんと読むから許してね <(_ _)>

No.8 6点 アントニイ・バークリー書評集Vol.7- 評論・エッセイ 2018/02/24 15:31
 ・・・そういう時代でありましたよ・・・ 木原敏江『夢幻花伝』より

「スパイ・冒険小説その他編」と銘打たれた、2017年11月発行の、『アントニイ・バークリー書評集』最終巻です。
往時は、海の向こうでも“本格冬の時代”だったし、さかんに書かれ、我国へ大量に紹介されたのも、時局(東西冷戦)を反映したスリラー群だったなあ……と、なぜか物心つかないころを回顧しシンミリしてしまうのは、筆者が十代の頃、激動の60年代を背景にした小林信彦の大河ブックガイド『地獄の読書録』(1980)を愛読したからですね。同書の第二部には、「スパイ小説とSFの洪水」という見出しがついていました。
こちらの第7巻は、SFこそ含まれていないものの、これでオシマイ、ということで、1956年から70年までの『ガーディアン』紙の、フランシス・アイルズ名義の書評欄から、編訳者の三門さんが、既刊に取り込めなかった作家・作品(オランダ生まれのファン・ヒューリックのディー判事ものから、北欧の新進作家の翻訳、再評価の機運にあった、アメリカの闇の貴公子ラヴクラフトまで!)も追加投入しており、シリーズの拾遺集的な性格が強い一冊になっています。
豪華ゲストを迎えてきた巻頭エッセイ・コーナーの、トリをつとめるのは、「近年の英国における古典的探偵小説リヴァイヴァル」を寄せた、英米文学者の若島正氏。海外の情勢にきちんと目配りした内容で(翻訳ミステリに関する文章を書いている、プロの評論家諸氏で、いま、これができない人が多すぎるんだよなあ)啓発されます。

では、いつものように、バークリーが俎上に載せた42名の作家を、ラストネームの五十音順に見て行きましょう(カッコ内はレヴューの総数)。

マイケル・アンダーウッド(14)、ジェイムズ・イーストウッド(1)、ジョン・ウェルカム(1)
アンドリュウ・ガーヴ(14、うちポール・サマーズ名義2)、ジョン・ガードナー(1)、ヴィクター・カニング(5)、フランシス・クリフォード(6)、E・H・クレメンツ(5)、サラ・ゲイナム(2)、マニング・コールズ(3)、リチャード・コンドン(1)
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー(1)
ジェイムズ・ハドリー・チェイス(5)、レン・デイトン(1)、ライオネル・デヴィッドスン(2)
ウラジミール・ナボコフ(1)
サイモン・ハーヴェスター(11)、ジョナサン・バーク(8)、ジェフリー・ハウスホールド(4)、ウィリアム・ハガード(10)、デズモンド・バグリイ(1)、ジャック・ヒギンズ(5、うちハリー・パタースン名義4)、コーネリアス・ヒルシュバーグ(1)、ジョン・ビンガム(4)、ロバート・ファン・ヒューリック(7)、ジョン・ブラックバーン(6)、アントニイ・プライス(1)、ディック・フランシス(1)、イアン・フレミング(4)、ジョン・ボーランド(5)、アダム・ホール(2)
ヘレン・マッキネス(3)、ヘンリー・S・マックスフィールド(1)、アリステア・マクリーン(2)、ハロルド・Q・マスル(2)、ジェイムズ・マンロー(3)
ギャビン・ライアル(3)、H・P・ラヴクラフト(3)、マリア・ラング(2)、ジェイムズ・リーサー(2)、ジョン・ル・カレ(3)、ケネス・ロイス(5)

意外に毒舌が影を潜め、フツーに褒めている例が多い。とりわけバークリーの寵愛を受けているのは、アンドリュウ・ガーヴ(いわく「いつでもベストの作品を提供してくれる作家」)とウィリアム・ハガードで、若干の例外を除いて、新刊が出るたびに絶賛の嵐が吹き荒れます。ラッセル大佐シリーズのハガード(いわく「国際謀略スリラーの頂点に位置する作家」)は、結構、邦訳もあるのに読まず嫌いだったのですが……本サイトでも、クリスティ再読さんが興味深い書評を投じられていますし、ちょっと古本を探してみますか。
ただ、バークリーの書評の魅力の、かなりの部分を占める、ディスり芸が減っているということは、本巻の、読み物としての面白さに影響しています。あのバークリーが、マクリーンを、フランシスを、ライアルを、それにル・カレをどう受け止めたのか? という、こちらの(過大な)期待に対して、コメントがそれを上回らない。良く言って妥当。悪く言えば平凡。
やはりバークリーには――「『女王陛下の007号』(ケイプ、16シリング)では、無敵のボンドがスリリングなスキーレースに参加し、見事賞を射とめる。ミスター・フレミングの標準よりも、多少優れた作品といえるだろう」くらいの、皮肉な言い回しが良く似合うと再確認できましたw 

本巻の「後記」には、結びとして、『ガーディアン』紙に載ったバークリーの死亡記事が訳載されています。これが、なかなか心打つ追悼文なんですね。よく探してきたなあ。そして、これをここに置くという、センスに感服しました。最終100ページの、最後の1行は、編訳者のメッセージです。――「ありがとう、そしてさようなら、バークリー!」

(以下は、筆者の勝手な独り言です)
有難う、三門さん。そして、お疲れさま。
しかし、さようならは、いいませんよw
この『アントニイ・バークリー書評集』は、このまま終わらせていいものではありません。是非とも、編年体の「完訳」を出すべき。もちろん商業出版で(きちんとした編集者の手が加わったもので)、です。そのために、動いて欲しい。
いつの日か、その本のレヴューを本サイトに投稿できる日が来ることを、楽しみに待つことにします。

No.7 8点 アントニイ・バークリー書評集Vol.6- 評論・エッセイ 2018/02/01 17:26
「読者をまごつかせるあからさまな感傷性、絶えざる誇張表現、作品全体に見られる「ありえなさ」、こじつけめいた結論……まあ、アメリカの読者の皆々様におかれましては、これらの要素はさぞや美味しい糖蜜なのかもしれませんが、われわれアングロサクソン系の人間にとっては、エラリイ・クイーン・ディズニー・ランドの「白雪姫と七人の小人」だかなんだか、つまるところそんなものになってしまうのだ」(『アントニイ・バークリー書評集Vol.1』所収、エラリイ・クイーン作『盤面の敵』評より)

2017年春の、文学フリマ東京で頒布された本書は、全七巻で構成される『アントニイ・バークリー書評集』(フランシス・アイルズ名義で、『ガーディアン』紙に1956年から70年まで連載された新刊月評コーナーから、編訳者がテーマ別に条件抽出したもの)の、ラスト前のクライマックスともいうべき、「米国ミステリ作家編」です。
かの国に、いささか ――どころでない―― 偏見を持つバークリー(アメリカ人とイギリス人を、そもそも同じ「アングロサクソン」とは認識してないもんなあ ^_^;)が、批評家として、ミステリの勢力図を書き変えつつある海の向こうの従兄弟(従姉妹)たちと、どう向き合うのか? 
過去最長130ページのヴォリュームに、ぎっしり詰め込まれた74作家の顔ぶれを、まずはご覧あれ。例によってラストネームの五十音順、カッコ内はレヴューの総数です。

アイザク・アシモフ(1)、デイヴィッド・アリグザンダー(6)、デイヴィッド・イーリイ(2)、コーネル・ウールリッチ(1)、チャールズ・ウィリアムズ(7)、ドナルド・E・ウェストレイク(3)、ヒラリー・ウォー(14)、トマス・ウォルシュ(3)、デラノ・エイムズ(6)、ミニヨン・G・エバーハート(2)、スタンリイ・エリン(5)、ハリー・オルズカー(2)
アーシュラ・カーティス(5)、E・S・ガードナー(9、うちA・A・フェア名義3)、E・V・カニンガム(1)、パトリック・クェンティン(5)、アマンダ・クロス(2)、ヘンリイ・ケイン(7)、ハリー・ケメルマン(2)
リチャード・ジェサップ(1)、トマス・スターリング(1)、リチャード・マーティン・スターン(2)、レックス・スタウト(15)、ヘンリー・スレッサー(2)、フランシス・スワン(1)
ドナルド・マクナット・ダグラス(2)、ハーバート・ダルマス(1)、ダーウィン・L・ティ-レット(1)、ドロシー・サリスベリー・デイヴィス(2)、リチャード・デミング(2)、トマス・B・デューイ(2)、ロス・トーマス(1)、デイヴィッド・ドッジ(1)、ローレンス・トリート(2)
ヘレン・ニールセン(2)
イヴリン・バークマン(9)、パトリシア・ハイスミス(7)、ビル・S・バリンジャー(1)、ドロレス・ヒッチェンズ(2)、ジャック・フィニィ(2)、ロバート・L・フィッシュ(2)、エリザベス・フェンウィック(5)、フレドリック・ブラウン(5)、リリアン・ジャクスン・ブラウン(3)、リイ・ブラケット(1)、ロバート・ブロック(2)フレッチャー・フロラ(2)、ベン・ベンスン(1)、ヒュー・ペンティコースト(7、うちジャドスン・フィリップス名義3)、ジョン・ボール(1)、ハリー・ホイッティントン(1)、ジーン・ポッツ(6)、ライオネル・ホワイト(3)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(3)、パット・マガー(2)、ジョン・D・マクドナルド(2)、ロス・マクドナルド(4)、エド・マクベイン(6)、ヘレン・マクロイ(2)、ホイット・マスタースン(3、うちウェイド・ミラー名義1)、マーガレット・ミラー(5)
ドロシー・ユーナック(1)、リチャ-ド・ユネキス(1)
クレイグ・ライス(4)、メアリ・ロバーツ・ラインハート(1)、スティーヴン・ランサム(2)、エドウィン・ランハム(4)、ハーパー・リー(1)、エリザベス・リニントン(13、うちレスリー・イーガン名義5、デル・シャノン名義4、アンヌ・ブレイスデイル名義3)、エマ・レイサン(10)、エド・レイシイ(4)、イヴァン・T・ロス(3)、ホリー・ロス(3)、フランセス・&リチャード・ロックリッジ(2)

ふう。リストアップしているだけで、お腹いっぱいになりそうw
驚かされるのは、対象作品の邦訳率が四割におよぶことで、既刊の「英国ミステリ編」と比較すれば、我国における欧米ミステリの受容が、戦後はやはりアメリカ優先でなされてきたことが、判然とします。
とまれ、日本語で読める作家・作品が多く取り上げられているという点は、読者個々の評価を、バークリーのそれと比較検討する楽しみもそれだけ増える(また、未読の面白そうな本へ手を伸ばすきっかけにもなる)と、素直に歓迎すべきでしょう。

中身のほうは――
徹底した毒舌が冴え渡るかと思いきや、第1巻のエラリイ・クイーンへ対するようなメッタ斬りは、あまりなく(皆無ではありませんがw)、褒めるべきところはきちんと褒め、問題点は問題点として厳しく指摘するスタンスです。
E・S・ガードナーやレックス・スタウトのような、気軽に読める職人型のストーリーテラーは、基本的に高評価で、87分署シリーズのエド・マクベインも然り。また同じ警察小説の書き手でも、ヒラリー・ウォーの場合は、その「探偵小説」的方法論にきちんと目を向け、評価しています。
しかし、ウォー同様、捜査小説にミステリらしい仕掛けを盛り込んだロス・マクドナルドの場合は、一転、コメントが辛口に。以下は、そのサンプルです。

 アメリカの犯罪小説には、酷くあからさまに組まれた足場と、実際にあり得そうな人間像を書くことへの軽視が頻繁に見られるような気がしているが、これはミスター・ロス・マクドナルドの新作『さむけ』(クライム・クラブ、15シリング)においても同様である。本作は、長く徹底的に力を入れて書かれた(この力の入れぶりがまたアメリカらしいのだが)、しかしユーモアに欠けた作品である。本書は確かに非凡な作品であるが、あまりにも人工的に作りこまれたその作品を読んだ読者は皆、その結末において「こんちくしょう!」と言わざるを得ないだろう。(引用終わり)

冒頭に置いた、EQの『盤面の敵』評にも通じるものがありますね。要するに、不自然なつくりものである、と。
またバークリーは、女流サスペンスの書き手として、パトリシア・ハイスミスとマーガレット・ミラーを高く評価していますが、ハイスミスがほぼ絶賛されているのに対し、ミラーのほうは、常に何かしら不満が表明されている。とりわけ『殺す風』(「絶対の必読である!」)のサプライズ・エンディングについて「彼女が「読者を驚かせたい」という安易な必要性に迎合してしまったのは残念だが……」とマイナス評価をしているのが印象的です。若き日の筆者は、サスペンス小説に人工的なひねりを加え続けるところに、ミラーのミステリ・スピリットを感じ、ロス・マク同様に愛読していたので、バークリーの指摘をそのまま受け入れることは出来ませんが……刺激されて、あらためてミラーを読み返したくなってきたのは事実です。すべてはバークリーの手のひらの上、でしょうか?

書評というキーワードをもとに、実在人物、作中人物(!)のエピソードを効果的に配した巻頭エッセイ「書評家百態――バークリー周辺篇」も、楽しく読めて勉強になる、出色の出来。
あなたが海外ミステリ・ファンをもって任ずるなら、これは絶対、目を通しておくべき一冊です。
あ、エッセイの書き手の名前を落とすところでした。バークリーといえばこの人、そう、真田啓介氏です。

No.6 7点 アントニイ・バークリー書評集Vol.5- 評論・エッセイ 2017/12/30 14:20
第二十三回文学フリマ東京(2016/11/23)で頒布された第五巻は、「英国男性ミステリ作家編」の下巻。『ガーディアン』紙の新刊月評コーナーで、アントニイ・バークリー(フランシス・アイルズ名義)が1963年1月から1970 年10月まで執筆したぶんを対象とし、該当する作家の書評を編訳者の三門優祐氏が抽出したものです。
お楽しみの巻頭エッセイは、評論家・法月綸太郎の読み込みの深さを見せつける(こういうのを読んでしまうと、レヴューと称して薄っぺらな文章を投稿するのが恥ずかしくなる)「晩年のバークリー」。いずれ、同氏の著作に収録される日も来るでしょうから、法月ファンならずとも、バークリーに興味のある向きは、タイトルだけでも覚えておいて下さい。個人的には、「(……)都筑道夫の冷淡な態度が、日本でのバークリー評価の遅れを招く一因となったことは否定できないと思う」というくだりに、いろいろ考えさせられるものがありました。

さて。
取り上げられた59名の作家を、例のごとくラストネームの五十音順に並べてみましょう(カッコ内は今回のレヴューの総数)。

アーサー・アップフィールド(2)、マイクル・イネス(5)、クリフォード・ウィッティング(1)、ジョン・ウェイクフィールド(1)、ジョン・ウェインライト(3)
グリン・カー(2)、ヘロン・カーヴィック(2)、ハリー・カーマイケル(1)、マーティン・カンバーランド(3)、H・R・F・キーティング(5)、ヴァル・ギールグッド(4)、マイクル・ギルバート(4)、ダグラス・クラーク(1)、ジョン・クリーシー(7、うちJ・J・マリック名義6)、V・C・クリントンーバデリー(4)、モーリス・クルパン(4)、ブルース・グレアム(1)、S・H・コーティア(2)、ベルトン・コッブ(5)
ロジャー・サイモンズ(2)、ルイス・サウスワース(1)、サイモン・ジェイ(1)、ロデリック・ジェフリーズ(14、うちジェフリー・アシュフォード名義6、ピーター・アルディング名義3)、ハミルトン・ジョブソン(1)、ジュリアン・シモンズ(4)、ヘンリ・セシル(2)
D・M・ディヴァイン(6、うちドミニック・ディヴァイン名義2)、ウィリアム・クロフト・ディキンスン(1)、ピーター・ディキンスン(3)、ジョセリン・デイヴィー(1)、L・P・デイヴィス(2)、サイモン・トロイ(3)
サイモン・ナッシュ(1)
コンラッド・ヴォス・バーク(5)、スタンリイ・ハイランド(2)、S・B・ハウ(2)、デンジル・バチェラー(1)、ジェラルド・ハモンド(2)、バーナード・ピクトン(1)、ジョン・ファウルズ(1)、ナイジェル・フィッツジェラルド(2)、クリストファー・ブッシュ(3)、レオ・ブルース(8)、ジョージ・ブレアズ(7)、ニコラス・ブレイク(3)、モーリス・プロクター(5)、ヴァーノン・ベスト(1)、キース・ヘンショー(2)、ジェレミー・ポッター(2)
マーク・マクシェーン(1)、フィリップ・マクドナルド(1)、ジョージ・ミルナー(1)、ローレンス・メイネル(3)、ビル・モートロック(1)、
ピーター・ラヴゼイ(1)、ダグラス・ラザフォード(3)、アントニイ・レジューン(3)
ダグラス・ワーナー(2)、コリン・ワトスン(3)

“黄金時代”を担った書き手が、じょじょに退場していき(前巻に見られた、F・W・クロフツ、ヘンリー・ウエイド、ジョン・ロードらの名前は、もうありません)、昔ながらの探偵小説をレオ・ブルースやベルトン・コッブ、ジョージ・ブレアズ――求む邦訳、論創社さん!――といった書き手がほそぼそと書きついではいるものの、同時代の、スリラーや犯罪小説の質的変化を前にすると、物足りなさは否めない。そんななか、パズルのプロッティングとキャラクタライゼーションを高いレベルで両立させたD・M・ディヴァイン(「もはや現代推理小説の頂点を占めていると言っても過言ではない存在」)が、当然のように評価を高めています。
そして、本書の書評のなかでも、ジョン・ファウルズの傑作『コレクター』(誘拐・監禁事件を素材にしているとはいえ、発表当時、この長編は、おそらく文学枠だったはず。しかし、これを「フランシス・アイルズ」がミステリ・サイドに取り込んで評価する気持ちは、凄くよく分かる)に対する、それと並んで、白眉と言えるのが――前掲の法月エッセイで指摘されていることの、繰り返しでしかなく、恐縮至極なのですが――新星ピーター・ラヴゼイのデビュー作『死の競歩』(1970)への絶賛でしょう。この翌年に、バークリーは世を去っているんだよなあ。バトンが、灯火が受け継がれる瞬間を、さながら目撃したかのような感慨があります。

本巻をもって、「英国ミステリ編」は終了なのですが……
じつは英国のミステリ作家でも、冒険小説、スパイ小説のジャンルで活躍した面々は、別枠となっています。そちらはまた、来年2018年の投稿でご紹介することにしましょう。

それでは皆様、良いお年を!

No.5 7点 アントニイ・バークリー書評集Vol.4- 評論・エッセイ 2017/11/24 10:44
2016年の、春の文学フリマ(東京)で頒布された第四巻は、「英国男性ミステリ作家編」の上巻。抽出すべき作家・作品が多いため、第5巻との分冊になっており、本巻では、バークリーが『ガーディアン』紙に連載した新刊月評のうち、1956年11月から1962年11月までのぶんを対象としています。
英国ミステリ通の、小林晋氏の巻頭エッセイ「バークリー好み」は、示唆に富みつつユーモアが光る好内容。これだけでも一読の価値はあります。

では例によって、取り上げられた51名の作家を、ラストネームの五十音順に並べてみましょう(カッコ内は今回のレヴューの総数)。

アーサー・アップフィールド(6)、マイクル・イネス(5)、クリフォード・ウィッティング(1)、コリン・ウィロック(2)、ヘンリー・ウエイド(1)
グリン・カー(4)、ハリー・カーマイケル(3)、マーティン・カンバーランド(2)、H・R・F・キーティング(2)、マイクル・ギルバート(1)、ジョン・クリーシー(5、うちJ・J・マリック名義3)、ブルース・グレアム(2)、F・W・クロフツ(1)、S・H・コーティア(4)、ベルトン・コッブ(6)
ロジャー・サイモンズ(3)、ロデリック・ジェフリーズ(3、うちジェフリー・アシュフォード名義1)、ジュリアン・シモンズ(4)、フィリップ・スペンサー(1)、ヘンリ・セシル(1)
D・M・ディヴァイン(2)
ビヴァリーニコルズ(2)
コンラッド・ヴォス・バーク(1)、スタンリイ・ハイランド(1)、ジェイムズ・バイロン(1)、ブルース・ハミルトン(1)、E・R・パンション(1)、バーナード・J・ファーマー(2)、スチュアート・ファラー(2)、ナイジェル・フィッツジェラルド(5)、クリストファー・ブッシュ(6)、マイケル・ブライアン(1)、ダグラス・G・ブラウン(1)、レオ・ブルース(6)、ジョージ・ブレアズ(11)、ニコラス・ブレイク(4)、スチュアート・フレイザー(1)、モーリス・プロクター(5)、シリル・ヘアー(1)
シェーン・マーティン(5)、マーク・マクシェーン(2)、フィリップ・マクドナルド(1)、J・C・マスターマン(1)、ウィリアム・モール(1)
ダグラス・ラザフォード(3)、クリストファー・ランドン(1)、アントニイ・レジューン(3)、ジョン・ロード(1)
アーサー・ワイズ(1)、コリン・ワトスン(3)、サーマン・ワリナー(5、うちサイモン・トロイ名義4)

馴染みの薄い名前も、多いですね。収録作品の翻訳率は(本巻の刊行後に訳出された、イネス『ソニア・ウェイワードの帰還』、ワトスン『浴室には誰もいない』を合わせても)、第三巻の「英国女性ミステリ作家編」同様、20%程度です。
その点に、とっつきにくさを感じる向きもあるでしょう。バークリー書評集で人気投票をすれば、まずぶっちぎりで「英米三大巨匠編(クイーン / カー/ クリスティー)」の第1巻がトップになるでしょうし、もしもう1冊、試しに読んでみて、と一般のミステリ・ファンに薦めるなら、「米国嫌い」のバークリーがあのロス・マクを、マーガレット・ミラーをどう読むか、といったワクワク感が半端でない、第六巻「米国ミステリ作家編」かな、と思います。
しかし、未訳作品の情報に飢えた、筆者のような病膏肓の人間には、ポスト黄金時代の、英国ミステリの推移を浮かび上がらせるリアル・ドキュメントとして、第三巻以降、本巻、そして第五巻と続く流れが、最高に面白い。
犯罪小説が台頭し(その旗手ともいうべきジュリアン・シモンズを、高く評価しつつ、しかし一作一作、批評家としてガチで向き合うバークリーは、なるほど「フランシス・アイルズ」なんだなあ)、いまや「絶滅の危機に瀕している」探偵小説を、どんな作家たちが支えていたのか? その答えがここにあります。
そして、1961年には、ついにD・M・ディヴァインが登場。『兄の殺人者』にコメントする、バークリーの先見の名をご覧あれ。

 複数の意図が入り混じりそれぞれ隠された事実が、捜査の中で少しずつ暴かれていく過程を描いたこの作品は、まさに本物の探偵小説だ。残念ながら、警察捜査の在り方が本来あるべきものと違ってしまっている部分があるかもしれないけれど、そういった留保はあるにせよ本作は、もっとも約束された、ずば抜けた処女作である。(引用終わり)

「もっとも」何が「約束され」ているのか、この訳文だけだとチト心もとないのですがねw
こういう、文章や表記の揚げ足取りは、バークリー先生の十八番で、ほとんどビョーキ、もとい芸の域に達していますが……翻訳がところどころ明晰さを欠くため、悪文をあげつらう文章が悪文になっている嫌いもあります。
書評集の完結は偉業ですが、来るべき「総集編」のためにも、訳文のリファインに取り組んでくださいね、三門さん。

No.4 7点 アントニイ・バークリー書評集Vol.3- 評論・エッセイ 2017/10/26 09:41
2015年以降、おもに春秋の文学フリマ(東京)で頒布されてきた『アントニイ・バークリー書評集』が、今年2017年11月発行の第7巻で、ひとまず完結を迎えるようです。貴重な資料をコツコツと出し続けてこられた、編訳者の三門優祐さんの努力には、素直に頭が下がります。
既刊分をとりあえず全部押さえながら、本サイトには最初の2冊の感想を投下したきりだった、己が怠惰さを反省。遅まきながら、後続の巻を順次、取り上げていくことにしましょう。

『ガーデイアン』紙に1956年から70年までのあいだ、月イチのペースで連載された、フランシス・アイルズ名義の書評コーナーから、第1巻に収録されたアガサ・クリスティーを除く「英国女性ミステリ作家」の作品評を抽出し、年代順に並べたのが、この第3巻。バークリーを「日本で一番多く手掛けてきた」編集者・藤原義也氏による、編集裏話が満載の巻頭エッセイ付きです。
本文のレヴューで俎上に上った、総勢30名に及ぶレディーたちを五十音順に紹介すると、以下のようになります(カッコ内はレヴューの総数)。

マージェリー・アリンガム(4)、ドロシー・イーデン(2)、パトリシア・ウェントワース(1)、サラ・ウッズ(11)、キャサリン・エアード(4)
パトリシア・カーロン(2)、ガイ・カリンフォード(5)、アントニイ・ギルバート(8)、スーザン・ギルラス(3)
シャーロット・ジェイ(2)、P・D・ジェイムズ(3)、メアリ・スチュアート(4)、エリザベス・ソルター(3)
マーゴット・ネヴィル(1)
グウェンドリン・バトラー(11、うちジェニー・メルヴィル名義4)、エリス・ピーターズ(3、うちイーディス・パージェター名義1)、エリザベス・フェラーズ(13)、パメラ・ブランチ(1)、ジョーン・フレミング(11)、シーリア・フレムリン(7)、マーゴット・ベネット(1)、ジョセフィン・ベル(10)、ジョイス・ポーター(5)
ナイオ・マーシュ(5)、グラディス・ミッチェル(11)、パトリシア・モイーズ(7)
エリザベス・ルマーチャンド(1)、ルース・レンデル(6)、ヘレン・ロバートソン(2)、E・C・R・ロラック(2、うちキャロル・カーナック名義1)

英国女流のミステリが好物な筆者は、こうして収録作家名を書き写しているだけで、胸がドキドキしてきます。同時に、取り上げられた作品の邦訳率が20%でしかないという事実に、憤懣やるかたない思いを抱くわけですが(60年代のポケミスには、もう少し頑張って欲しかったぞぉ)、そのぶん未知の作家・未訳作品の読書ガイドとして有益な一冊に仕上がっているので、マニアのみならず翻訳レーベルの編集者諸氏には、是非、目を通し、刺激を受けていただきたい。
たとえば、以下のようなバークリーの書評に触れてしまったら、これを読まず(訳さず)にどうするんだ、という気になりますよ。

 クライム・クラブがサラ・ウッズの才能を発掘したことに対して称賛を贈りたい。彼女の処女作 Blood Instructions(クライム・クラブ、12シリング6ペンス)はまったく完成された傑作である。古典的な筋書きを現代に甦らせた正真正銘の探偵小説である本作は、非常に人間的な登場人物を擁しつつ、ある種驚かされる超然とした語り口の魅力も兼ね備えている。熱く推薦する次第である。(引用終わり)

バークリー先生、いつもこれくらい素直に褒めればいいのにw

過去の巻で苦言を呈してきた、訳文のふつつかさも大分解消されてきて、まだところどころ、原文を参照したくなるような表現はあるにせよ、継続は力なり――を感じさせる一冊になっています。
この第3巻に関しては、すでに kanamori さん(お元気であらせられましょうか)が行き届いた紹介をしてくださっており、筆者もその内容には全面的に同感なので、これ以上、屋上屋を架する必要はないのですが……最後にひとつだけ。
バークリーは、お気に入りの作家は、基本、コンスタントに取り上げているのですが、必ずしもすべての新刊を紹介しているわけではなく、ときどきポンと抜けている場合がある。編訳者の三門氏や kanamori さんが挙げていらっしゃる、ジョイス・ポーターの『切断』は代表的な例です。個人的に残念に思っているのは、パトリシア・モイーズの『殺人ファンタスティック』(1967)が無いことですね。バークリーが敬愛してやまなかった、かのナイオ・マーシュでいえば、代表作のひとつ『ランプリイ家の殺人』にも通じる佳品(筆者がとりわけ気に入っているモイーズ作品)で、あのファースっぷりが、バークリー先生の嗜好に合わなかったわけはないのに。なぜ取り上げなかったのかな。私、気になります!

No.3 6点 アントニイ・バークリー書評集Vol.2- 評論・エッセイ 2015/12/05 11:32
バークリーが実作の筆を折ったあとの、ミステリ書評家としての業績に光を当てる、インディーズの好企画の第2弾(2015年5月の文学フリマで頒布され、古書店を通して通販対応もおこなわれました)は、ジョルジュ・シムノンを中心とする「フランス・ミステリ作家特集」です。
1956年から70年まで、『ガーディアン』紙の日曜版に月一回のペースで連載された、フランシス・アイルズ名義の書評コーナーから、フランス作家の英訳作品に対する論評を抜粋し翻訳した内容(編訳:三門優祐)に、バークリー愛好家・森英俊氏のエッセイが付され、穴埋めの囲み記事の形で、前巻の修正点がいくつか記載されています。
書評の配列は、今回は掲載日時順となっていますが、それを作家別にまとめてみると――

ジョルジュ・シムノン
(ノン・シリーズ作品)仕立屋の恋/カルディノーの息子/Le passage clandestin/Le nègre/ストリップ・ティーズ/可愛い悪魔/日曜日/Crime impuni/新しい人生/青の寝室/Le déménagement

(メグレ警視シリーズ)メグレ式捜査法/メグレと田舎教師/メグレ推理を楽しむ/メグレと老婦人/メグレと火曜の朝の訪問者/メグレと口の固い証人たち/メグレ夫人と公園の女/メグレ夫人のいない夜/メグレの途中下車/メグレと老外交官の死/メグレの失態/メグレの回想録/メグレと妻を寝とられた男/メグレと殺された容疑者/メグレ罠を張る/メグレたてつく/メグレと首なし死体/メグレの財布を掏った男/メグレの打明け話/メグレとリラの女

カトリーヌ・アルレー
 わらの女/死者の入江/目には目を

ボアロー&ナルスジャック
 思い乱れて/技師は数字を愛しすぎた/呪い

ユベール・モンティエ
 帰らざる肉体/愛の囚人

セバスチアン・ジャプリゾ
 寝台車の殺人者/シンデレラの罠

マルグリット・デュラス
 ヴィオルヌの犯罪

恥ずかしながら、取り上げられている作品のほとんどが未読でした(既読は、『メグレと口の固い証人たち』『メグレ罠を張る』『わらの女』『技師は数字を愛しすぎた』『呪い』『寝台車の殺人者』『シンデレラの罠』の7作)。前向きに、今後の読書ガイドに役立てていくことにしましょう (ジャンル外作家として、筆者など完全にノーマークだったマルグリット・デュラスが、なんだか無性に面白そう)。
基本的に、好き嫌いをバークリー流の表現で綴った“作家の書評”であることは、前巻同様ですが、今回、その個性的な“主観”は、アングロサクソン(理論的なイギリス人?)とガリア(感覚的なフランス人?)の二元論になって、個々の書評に反映されています。
最多の31作にコメントしたシムノンを、バークリーが高く評価していたことは間違いありませんが(「(……)多才な作家だが、その中でも最高の美質は、それぞれの作品に一つひとつ独特の風味を添える力である」)、随所で、掴みどころのない書きぶりへの不満は表明しています。
『メグレと口の固い証人たち』を評して、「これこそ、半ばウナギのようにぬるぬると逃げてゆく、奇妙でしかし親しみやすい、本物のシムノンの世界なのである」と述べるなど、ときにバークリーの文章まで、掴みどころのないものになってしまっているのはご愛嬌。まあこのへんは、訳文のせいもあるかもしれません。癖のあるバークリーの表現を日本語に落とし込むにあたって、前巻ほどではないにしても、まだまだ、文章として違和感を生じ、ここは原文ではどうなっているんだろう? と首をひねらされる個所が散見します。
訳の良し悪しは、ひとまず置くとして――
個人的に、いちばん原文を参照したくなったのは、バークリーがアルレーの『わらの女』を次のように紹介している部分。

(……)「邪悪」なるものについての容赦のない研究であり、「悪魔たち」のガリア的な無慈悲さが、事後に回想される形で描かれる(引用終わり)

『わらの女』って、そういうお話でしたっけ? なんだか筆者の記憶と違うぞぉ 。どこに問題があるのか(バークリー? 訳者? ボケはじめている筆者?)これは、読み返さないといけないなあ。

ちなみに。
文学フリマで頒布された本書には、会場限定の「おまけフリーペーパー」が付いており(筆者は会場に参加した知人を通し、無事ゲットしました)、そこには、編集作業終了後に漏れていたのが判明したという、フランシス・ディドロの書評(『七人目の陪審員』ほか一編)が載っています。スケジュールを設定し、精力的にこなしていく編訳者の仕事ぶりには、脱帽するしかありませんが、もう少しペースを落として、遺漏なきを期してほしいという思いもあります。

No.2 6点 アントニイ・バークリー書評集Vol.1- 評論・エッセイ 2015/02/13 11:17
当初、2014年冬のコミック・マーケットで販売され好評を博し、その後、Twitter を通して通販の対応もおこなわれた(筆者は、某古書店の委託販売で購入しました)インディーズの小冊子ですが、海外ミステリ・ファンにはきわめて重要度の高い内容なので、ご紹介する次第です。
黄金時代英国探偵小説の巨匠アントニイ・バークリーは、実作の筆を折ってからも、フランシス・アイルズ名義で晩年まで、書評活動をおこなっていました。本書は、1956年以降、彼が『ガーディアン』紙の日曜版で担当していたコーナーから、日本の本格ミステリ・ファンに人気の高い御三家――エラリイ・クイーン、ジョン・ディクスン・カー、アガサ・クリスティーの作品を対象にした書評を抜粋して翻訳し、当該作品の邦訳一覧と、編訳者(三門優祐)の手になる関連コラムを付したものです。
対象作品は、以下の通り。

エラリイ・クイーン
 クイーン警視自身の事件 / 最後の一撃 / 盤面の敵 / 第八の日 / 三角形の第四辺 / 顔 / 真鍮の家 / 孤独の島 / When Fell the Night*(のちの著作リストからは削除された、マンフレッド・リー主導の代作プロジェクトの一冊。リチャード・デミング作)

ジョン・ディクスン・カー
 火よ燃えろ! / 死者のノック / ハイチムニー荘の醜聞 / 雷鳴の中でも / ロンドン橋が落ちる / 悪魔のひじの家 / 月明かりの闇 / ヴードゥーの悪魔

アガサ・クリスティー
 死者のあやまち / パディントン発4時50分 / 蒼ざめた馬 / 鏡は横にひび割れて / 複数の時計 / カリブ海の秘密 / バートラム・ホテルにて / 終りなき夜に生れつく / 親指のうずき / フランクフルトへの乗客

すでに各所で話題になっていますが、興味深いのはやはり、アメリカのクイーンへの、歯に衣着せぬコメントの数かずでしょう。いわく「作中のエラリイ君は、5語で済むところを必ず50語喋るような、もったいぶったおしゃべり野郎だ」「これまで多くの推理小説を読んできたが、これほど説得力に欠ける解決編は滅多なことでは見かけない」」「読者をまごつかせるあからさまな感傷性、絶えざる誇張表現、作品全体に見られる「ありえなさ」、こじつけめいた結論」、エトセトラ、エトセトラ。今回、無条件で賞賛されているのは、ノン・シリーズの『孤独の島』一作きりですw
この癖のある、クイーン作品の悪口レヴューを最初にまとめて提示したのが、本書の成功の要因ですね。クイーン・ファンである筆者も、バークリー先生にあっちゃかなわないなあ、と苦笑しながら、楽しませてもらいました(本国アメリカの、同時代のミステリ業界人だと、お世話になっている EQMM の編集長でもあるクイーンに、ここまで率直なコメントをあびせることは出来なかったでしょう)。
対照的に、カーの、あまり誉めようがない作品に対するバークリーのコメンタリー(一例「鋭い鷹の眼を備えた評者にさえも、「ローブ」のことを「ドレッシング・ガウン」と呼ぶいかにも現代アメリカ的な瑕瑾を除けば、いかなる時代錯誤も見つけることはできなかった」)には、なんというか、友情を感じますw
クリスティーへの評価の高さも、微笑ましい。「ミセス・クリスティーの二級品が、多くの他の作家の最高傑作に匹敵することは覚えておいてしかるべきだ」ですからねえ。しかし、なかでも最大級の評価を受けているのが、『蒼ざめた馬』と『終りなき夜に生れつく』であるあたり、評者の個性(なるほど、フランシス・アイルズ名義は伊達じゃない)は如何なく発揮されています。

バークリー・ファンへの贈り物にとどまらない、この刺激に富んだ企画を思いつき、実行に移し、そして完成させてみせた編訳者には、心からの賞賛を送ります。
と、誉めてるわりには点数が低い――ですか?
う~ん。
今後のためにも、あえて書いておくと、問題点は訳文にあります。
これだけ素人っぽい翻訳に接したのはひさしぶりで、ところどころ意味をとりかねました。
バークリーの原文は読んでいませんが、たとえば以下の、クリスティーの『鏡は横にひび割れて』評などは、訳者自身、内容をまったく理解しないで書いているとしか思えません。

 (・・・)私の主たる興味は作品の筋書きというよりむしろ、「一体なぜ、映画女優は自分が動いたような風に行動してしまったのか」という不可解な点を、抜け抜けと説明して見せた彼女の手腕にある。結婚したカップルによくある偶然をひとつ受け入れたとしても、二番目のひどくありえそうもない偶然は、本来、物語の中の真実を破壊する方向へと進むだろうから。それがどこにもつながっていないのだからなおさらである。(引用終わり)

好意的な声に甘んじることなく、訳者として研鑽を積んでください、三門さん。

(後記)* When Fell the Night は〈エラリー・クイーン外典コレクション〉の一冊として、『摩天楼のクローズドサークル』の訳題で、2015年11月に原書房から翻訳が出ました。(2015.11.22)

No.1 7点 NHKカルチャーラジオ 文学の世界 怪奇幻想ミステリーはお好き?―その誕生から日本における受容まで- 評論・エッセイ 2014/01/16 15:07
今回は、雑談ふうに。
去年の暮から、なんだかんだと雑事に追われて、まともに本が読めていないんですよ。多少、目を通しても、考えを整理して書く(PCのキイを叩く)時間がとれない。
なので、多忙が解消される、来月あけまで、このサイトへの投稿は休もうと思ってたんです。
そしたらねえ、たまたま mini さんの“本書”評を見ちゃって。
そうか、これを取りあげる手があったかw

「怪奇幻想ミステリーはお好き?」は、ネットラジオで受講するつもりで、去年のうちにテキストを買ってきて――
ちょっと読みはじめたらやめられなくなって、「第1回 ゴシックとは何か」から、「第12回 探偵小説から推理小説、そしてミステリーへ」まで、その日のうちに全部読んじゃいましたwww

ミステリ者として、いろいろ突っ込みたいところはあります。
「ひとくちにミステリーと言っても、<本格>と<変格>があります」というテキストの書き出し(「はじめに」)には、しょっぱなから、おいおい変格なんて、いまどき「ミステリー」には使わんだろ、とか。
ただそのへんに関しては、第一回の放送で丁寧なフォローがされていて、ああ、これは教科書を読み飛ばすだけでなく、マジメにラジオを聴取する価値があると思わされました。

テキストではまったく触れられていない、ロマンス小説のサブジャンルとしての“ゴシック・ロマンス”(たとえば『ジェイン・エア』→『レベッカ』→ヴィクトリア・ホルトやメアリー・スチュアートらの、1970年代にブームになったロマンティック・サスペンス)への言及も、あったらいいなあ・・・
って、これは寄り道になるので無理か? でも、オトラントの城を改装したのは、彼女たちじゃないかと思うんですがねえ・・・。

あだしごとは、さておき。
著者(講師)の風間氏は、もとより「怪奇幻想」の人ですが、軸足を、文学ではなくエンタテインメント小説に置いているので、その考察は、筆者には、とても親しみやすい。
今後の講義が楽しみです。

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おっさんさん
ひとこと
1960年代生まれの、いいかげんくたびれたロートル・ミステリ・ファンです。
再読本を中心に、あまり他の方が取り上げていない作品の感想を、のんびり書き込んでいきたいと思っています。
好きな作家
西のアガサ・クリスティー 、東の横溝正史が双璧。
採点傾向
平均点: 6.35点   採点数: 219件
採点の多い作家(TOP10)
栗本薫(18)
横溝正史(15)
甲賀三郎(12)
評論・エッセイ(11)
エドガー・アラン・ポー(9)
アーサー・コナン・ドイル(9)
ダシール・ハメット(8)
アンソロジー(国内編集者)(7)
野村美月(7)
狩久(7)