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紅蓮亭の狂女
陳舜臣 出版月: 1989年01月 平均: 6.00点 書評数: 1件

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徳間書店
1989年01月

毎日新聞社
1994年11月

No.1 6点 2020/11/14 20:48
 昭和43(1968)年9月に講談社より刊行された、著者の第三作品集。同年5月には、本書に先行して第十長篇『濁った航跡』が上梓されている。時期的には歴史大作『阿片戦争』を終え、推理作家協会賞受賞の『玉嶺よふたたび』『孔雀の道』が発表される前の年にあたる。
 収録作は表題作ほか スマトラに沈む/空中楼閣/七十六号の男/角笛を吹けど/ウルムチに消えた火/鉛色の顔 の七篇。清末西太后期の有力皇族・貝勒戴澂(ツアイチェン)や郭沫若と並ぶ近代中国文壇の逸材・郁達夫、日本軍の傀儡・王兆銘政権で特務機関『七十六号』を仕切った李士群や、辺境の地新疆に一種の桃源郷を創り出した独裁者・楊増新など、近代中国に一瞬の光芒を投げかけた後、暗殺・変死あるいは行方不明となった人物を題材にした短篇集である(スパイOBが経済絡みの化かし合いで一杯食わされる「空中楼閣」と、前述七十六号犠牲者遺族の復讐劇「角笛を吹けど」は除く)。
 「紅蓮亭~」は光緒十一(1885)年の早春、京城事件(日本に支援された金玉均のクーデター失敗)直後の北京が舞台。李朝末期の朝鮮半島を巡って清国と牽制し合う明治政府は、相手がわの意向をさぐるために宮廷関係者に接近しようとしていた。ときの駐清公使・榎本武揚の密偵を務める古川恒造は使命を果たすため、とかくの噂のある有力皇族・十刹梅(スチャハイ)の貝勒(ベイレ)に二度に渡って接触を試みる。だが雑技団を使っての工作は、彼の予想だにせぬ惨劇を生むのだった・・・
 密室で両眼をえぐりとられた戴澂の死に続き、血痕もなまなましい部屋で、うしろから短刀を胸につき立てられ殺される使用人。フリークス系のトリックが暴かれる時、四十三年まえ中国が受けた傷跡がぞろりと転げ出す。後味は悪いが少なくとも佳作クラスの作品。
 「スマトラに沈む」は前述の文人・郁達夫の終戦直後の失踪について〈こうもあろうか〉との推察を巡らしたもの。佐藤春夫や芥川龍之介など、日本文壇とも親交の深い作家であったらしい。紀伝体の普通小説に近いが、半ば隠遁者めいた郁の性格描写が印象的である。「七十六号の男」もこの系列に入るが、モデルの差か前者ほどの滋味はない。
 「ウルムチに消えた火」は、『桃源遥かなり』に収録された「天山に消える」の前日譚。スウェン・ヘディンに"地上最高の専制政治家"と評された楊増新は、特徴的な政治手法で安定した社会体制の創出に成功しており、かなり著者の興味を引いたようだ。しょせんは乱世の徒花で、長続きはしなかったろうが。本編は昭和三(1928)年に起きた楊暗殺前後の事件を回想しながら、竹馬の友に想いを馳せる老人の友情譚としてすがすがしく纏めている。
 トリの「鉛色の顔」は、京劇の名女形から五百人を率いる義勇軍隊長に転身した台湾の侠客・張李成(阿火)のその後を創作したもの。こう書くと颯爽とした快男児のようだが、清仏戦争後海賊に転身したとのエピソードから、本編では身を持ち崩した粘着質の俳優として描かれている。単純な身替りトリックだが、それより因果応報とも言うべき結末の感触がキモだろう。
 最近〈ミステリ短篇傑作選〉としてちくま文庫から久々に刊行された『方壺園』には、本書から表題作ほか三篇が付け加えられているが、その代わりに『獅子は死なず』に収録された初期短篇「狂生員」「厨房夢」「回想死」「七盤亭炎上」を入れてほしかった、との声も挙がる。全てが傑作という訳ではないが、既読の中でも「青玉獅子香炉」や「桃源遥かなり」等ごろりとした手触りの中篇は、他の誰にも真似出来ない無類の味がある。司馬遼太郎に匹敵する歴史作家のイメージが強いが、ミステリ作家・陳舜臣にももっと目を向けて欲しい。


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