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ミステリの祭典

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Tetchyさんの登録情報
平均点:6.73点 書評数:1603件

プロフィール| 書評

No.1203 7点 殺し屋
ローレンス・ブロック
(2015/08/09 23:28登録)
黒い表紙に都会の片隅を想起させる湿った路地の写真と銃痕で穴の開いた窓の意匠に「殺し屋」の文字。装丁から想起されるのは非情で孤独な男の世界なのだが、しかしこの殺し屋に纏わる話は実に奇妙なのだ。どのシリーズにもないどこか不条理感を伴っている。

しかしそれもシリーズを読み進めるうちに読者にケラーの素性が解ってくるに至り、何を考えているのか解らなかったこの男が実に人間臭い人物になってくる。
つまり読み進むうちにケラーの変化を同時に読者は感じるようになり、次の展開が非常に気になる作りになっている。

「ケラーの責任」はMWA賞受賞作に相応しい傑作だ。本作のケラーは実に深みがあり、孤高の殺し屋としての流儀を重んじる人物になっている。この心理こそが殺し屋の殺し屋たる仁義とも云えよう。個人的ベストに迷わず挙げよう。

男臭さの宿る装丁で手に取ることを敢えて躊躇っているならばそれは実に勿体ない話だ。この物語世界の豊かさは寧ろ男性よりも女性に手に取ってほしい色合いを持っている。ケラーの、どことなく思弁性を感じさせる彼独特の人生哲学と、仕事斡旋人のドットとの掛け合いの妙を存分に堪能してほしい。殺しを扱いながらこんなにも明るい物語に出遭えるのだから。この二律背反を見事に調和させたブロックの職人芸、ぜひとも堪能していただきたい。


No.1202 6点 歪んだサーキット
アリステア・マクリーン
(2015/08/03 23:19登録)
戦争小説でデビューし、その後も冒険小説、スパイ小説と様々なテーマを題材にしてきたマクリーンが今回選んだ題材はF1レースの世界。ある日突然トラブルに見舞われるようになったトップ・レーサーを取り巻く不審な事故を巡る物語だ。

本書はマクリーン作品では実に読みやすい作品で、つっかえるところなく、クイクイ読めるところがいいのだが、その反面、マクリーン特有のメカに対する詳細な描写がほとんどないのが気になった。ヨーロッパでは有名なモータースポーツに詳細な専門用語を並べることはもはや意味がないとまで思ったのか。いやそれとも晩年の作品は取材する時間をほとんど取らずにテクニックで小説を著していたのか、今となっては解らないが、マクリーンらしい熱が足らない作品だった。題材がそれまでのマクリーン作品の中でも異色だっただけにこれは実に惜しい。

真相も今にして思えばどちらかと云えばありきたりの内容だ。マクリーンの衰えを如実に感じさせる作品だったことが非常に残念だ。


No.1201 7点 十一月の男
ブライアン・フリーマントル
(2015/07/29 23:52登録)
フリーマントル4作目の本書ではアメリカ次期大統領の有力候補と目されるアメリカ大使が大統領選を優位に運ぶためにソ連に対して行った駆引きに巻き込まれる老スパイとイギリス人大富豪の姿を描いた作品だ。

凄腕の、国に貢献をしたピークを超えた一介のスパイが、その仕事ゆえにそれぞれの国の暗部を抱えていることを危惧した政府によって抹殺されることを余儀なくされ、どうにか自分の運命に抗う姿を描くのはフリーマントル作品には多々ある構成だ。そしてそのどれもが悲劇的な結末を迎え、読者を暗鬱な気持ちにさせる。
それは本書でも例外ではなく、熟練の老練さでロシア外相の指令に従い、行動し、自らのアメリカへの亡命をも成功させようと企むアルトマンの末路は想像以上に悲惨だった。

こう考えると用無しとみなされたスパイの悲劇的な末路を描くフリーマントル流常套手段を打ち破ったのが今なお新作が書かれている窓際スパイ、チャーリー・マフィンシリーズだろう。そして同シリーズは第1作目が本書の後に書かれるのだ。

さて題名『十一月の男』は原題“The November Man”そのままである。登場人物それぞれがそれぞれの11月を待つ人間ドラマにも注目されたい。


No.1200 7点 背の眼
道尾秀介
(2015/07/26 00:24登録)
<若干ネタバレを含みます>


物語は怪奇現象としか思えない土俗的な伝奇色を濃厚にしていく。私はこの後の作品が続々と『このミス』でランクインされる道尾作品の本作は当時京極夏彦の百鬼夜行シリーズを髣髴させるという世評もあって、本作をホラーと見せかけて合理的な解決が成されるミステリだと思い込んで読んでいた。
しかし物語はすっきりと解決されない。合理的な解決でありながらもどこか割り切れなさの残る、中途半端な読後感が残ってしまった。

一見合理的でありながらも心霊現象と云う不確かな物に解決を求める真相に今の私は正直戸惑っている。齢四十を過ぎると人間の心の不思議さや状況が人の心に及ぼす思いがけない効果などに対しても頑なに否定せず、納得できるようになったと思っていたが、それでもなお腑に落ちなさが残る真相、物語の閉じ方である。そして今さらだが本書がホラーサスペンス大賞の特別賞受賞作であることに気付かされた。つまり本書はやはりホラー小説だったのだ、と。
物語にふんだんに盛り込まれる地方の因習や伝承に加え、実在する童話に少年殺しの意外な真相を絡め、更には東海道五十三次の一幅の絵を福島の山奥に残る天狗の忌まわしい殺戮の歴史に重ねて殺人者の狂気へと導くプロットはとてもデビュー作とは思えないほどの完成度だ。しかしやはりもやもやとした割り切れなさが残るのは正直否めない。霊が視える少年、写真に写る霊とそれらは半ば肯定的に受け入れられて物語は閉じられる。先入観と云う物は全く恐ろしいものだ。次こそはまっさらな心で物語に臨みたいものだ。


No.1199 8点 幻惑の死と使途
森博嗣
(2015/07/18 23:59登録)
本書ではまたもや密室殺人が扱われているが、それまでのシリーズ作品と違い、鍵の掛けられた状態での密室ではなく、衆人環視の中でマジシャンが殺される、いわば開かれた密室である。

みなさん書かれているように私も真犯人には驚きました。そしてその動機もいつものように抽象的且つ観念的ですが、今回は腑に落ちました。
ただそれだけにあるシーンが納得できません。それが今回マイナスでした(その内容は後述いたします)。

そしていつも思うのはこのシリーズの事件解決に至るまでの時間が実に長いことだ。今回のマジシャン有本匠幻が衆人環視の中で殺害される事件が起きるのが8月の第1日曜であり、事件解決は9月の第2土曜日以降である。つまり最低1か月半は経っているのだ。これは本書の探偵役である犀川創平は事件解決に積極的でないことに起因するだろう。彼の関心は自分の研究題材であり、そして西之園萌絵であり、決して事件の謎ではない。彼が事件に向き合うのは事件に積極的に関わる萌絵に危機が訪れた時だ。彼は望まざる形で事件に関わり、そして誰よりもその真実をいち早く見抜くのだ。しかし彼の関心が事件にないために事件解決まで、いや西之園萌絵が事件の真相に肉迫するまで解決されないのだ。

さて前作『封印再度』に続いてまたもやタイトルで唸らされてしまった。ストーリーとタイトルがマッチするとこれほどまでにカタルシスを感じるのかと再認識した。後は本書で感じた違和感を次作で払拭されることを期待しよう。

<ここからネタバレ>

名前を葬るという感覚は抽象的であり、また観念的であるのだが、私にとって理解できる動機だった。「自分」という存在は他人にはどうやって認識される?それは名前だ。そしてその名前を知られ、その名に価値を与える事が「自分」の認知度を、自分の価値を公的に高らしめることなのだ。そして名は存在が消え去っても残る。その名が高ければ高いほど。ワン&オンリーであればあるほど。後世にその名を遺すために彼は名に殉じたのだ。
そしてそのために彼は生涯を投じたマジックを、イリュージョンを手法として使った。まさに「幻惑の死」とその「使途」が最後に明かされる。単なる言葉遊びではないのだ、森氏のタイトルは。
だがどうしても納得のできないことがある。それは第5章187ページの原沼利裕の家庭でのシーンだ。そこでの原沼は有里匠幻の死体消失事件の渦中にいたことを誇らしく思い、妻にその模様が写されているTVのニュースを妻に見せて驚くシーンがあるのだが、後で出てくる彼の妻は目が見えないのだ。しかもそれは10年も前からのことだと原沼は述懐する。この矛盾はいかなるものか?これは単なる作者の書き間違いなのか?講談社の校正ミスなのか?その真実は次作で明かされるのか?今の時点ではこの矛盾が本書の評価に強く影響してしまった。


No.1198 8点 処刑宣告
ローレンス・ブロック
(2015/07/12 00:44登録)
マット・スカダーシリーズ13作目の本書は前作に引き続いて連続殺人事件を扱っている。しかも不可能趣味に溢れた本格ミステリのテイストも同じく引き継がれているのが最大の特徴だろう。

人の心とはなんと弱いものだろう。
今回の事件の動機はいわゆる「魔がさす」という類のものだろう。そして数秒間に1人が死ぬと云われているニューヨークでは1つ1つの事件が必ずしも解決されるとは限らず、恐らく彼らの殺人も次々と起こる事件の荒波に埋没する運命だったのかもしれないが、魔がさして成された殺人を抱えたまま生きるのはやはり苦しく、ある者は自らの命を絶ち、ある者は積極的に自白をし、ある者は観念して罪を告白する。

本書は現代に甦った仕置人の正体を探る本格ミステリ的な設定を持ちながら、最後に行き着くところは名探偵の神懸かった推理や驚愕のトリックが登場するわけでもない。マットが素直に人間を見つめてきたことによって出た答えによって導かれた犯人であり、そのどれもが人間臭く、決して他人事とは思えないほど、その心の在り様がリアルに思えるのだ。

そしてまたもや事件に遭遇することでマットの身辺に変化が訪れる。今回は事件自体が派手なこともあって、今回はマットがなんとマスコミたちの注目の的になる。マットがウィルの正体を突き止めたことがマスコミにリークされたからだ。これが今後彼の事件の関わり方にどんな変化が訪れるのか、ちょっと想像がつかない。

そして『処刑宣告』という物々しいタイトルとは裏腹に結末は実に暖かい。これは読者としても何とも嬉しいサプライズだった。
マットを取り巻く人々とマット本人の世界はますます彩りを豊かにしていく。アル中で子供を誤って銃で撃ち殺した元警官という忌まわしい過去を背負った中年男の姿はもはやないと云ってもいいだろう。しかし本書はどれだけ歳月を重ねても人の抱えた心の疵はなかなか消えないことを謳っている。あまりに順調なマットの人生に今後途轍もない暗雲が訪れそうである意味怖い気がする。この平穏はしばしの休息なのか。まあ、そんなことは考えずにまずはこのハッピーエンドがもたらす幸福感に浸ることにしよう。


No.1197 8点 聖女の救済
東野圭吾
(2015/07/05 00:32登録)
トリックは湯川をして「理論的に考えられるが、現実的にはありえない。まさに完全犯罪だ」と云わしめるほどの難問。

元来ミステリでは毒殺物は古今東西に亘って多数書かれている。やはりこの毒殺トリックというのは本格ミステリの書き手ならば一度は手掛けたいものなのだろう。毒をいかにして標的に飲ませるか?そしてどんな毒を使うのか?殺害方法は単純ながら、そのヴァリエーションは多岐に亘っている。そして本書はまた毒殺トリック物に新たな1ページを刻むことになった。

しかし本書で最もミステリアスなのはこのトリックよりも実は容疑者である被害者の妻真柴綾音だ。彼女は自らを容疑の外に置きながらも、第一容疑者で夫の不倫相手兼自分の会社の従業員である若山宏美を擁護し、あまつさえ自らも場合によっては犯行が可能であったとさえ、内海・草薙らに仄めかす。

慈愛に満ちた表情を湛えながらも、自分の教え子を護る時には毅然とした厳しい眼差しを向け、自分も容疑圏内に置こうとする。その姿は題名にもあるようにまさに聖女のようだ。この常人の理解を超えた綾音の心理は慈しみを超えて、時に読者に判じ得ない恐怖を覚えさす。

捜査に当る警察官が容疑者に惚れる。このハーレクイン・ロマンスのような設定をまさかこのガリレオシリーズで読むことになろうとは思わなかった。しかもその刑事が草薙。ガリレオシリーズでは科学に疎い読者の代弁者として名探偵湯川学に事件の解決を依頼するパートナー的存在だった彼も本作で恋する人間臭さを備える。

草薙を翻弄し、内海も歯噛みし、そして湯川をも唸らせる完全犯罪のトリックは実に驚くべきものであった。

それは子供がほしいがゆえに独善的な約束事を押し付ける夫に対して、その支配に対する綾音にとっての“銃”だったのだ。いつでも引鉄が引けるように常に装填された銃を彼女は心に持っていたのだ。
正直このトリックは現実的に考えるとどう考えても無理があるだろう。恐らく読んだ人全てが納得するトリックでは決してないだろう。しかし私はそんなありえない殺害方法を肯定的に受け止める側だ。このトリックはやはり真柴綾音という存在あってのものだと思うからだ。これが他のキャラクターならば到底納得できなかっただろう。そしてこれこそが東野マジックなのだ。


No.1196 7点 ナヴァロンの嵐
アリステア・マクリーン
(2015/06/29 23:56登録)
ナヴァロンの巨砲壊滅はただの前哨戦に過ぎなかった!満身創痍で瀕死の状態で任務を成し遂げたマロリー大尉とミラー伍長たちのまさに任務達成直後から物語は始まる。

今回もマロリーたち一行は困難な任務に赴くわけだが、1作目に比べると切迫感がないように感じる。疲労困憊なはずなのに1作目で感じた死線を彷徨うようなスリルに欠けるのだ。物語のスケールとしては前作が1,800人のイギリス兵の救出に対し、今回は7,000人のパルチザンの救済と3倍以上になっているにもかかわらず、常に余裕綽々で全知全能の存在の如く、事に当たっているように感じる。寧ろ部下のレナルズのように眼前に起きている事態が解らなくて戸惑っていながら、マロリーに反発している姿こそが読者そのものを写しているかのように感じた。

前作が作者2作目の意欲作であり、所謂「2作目のジンクス」を打ち破らんがために渾身の筆致で描いた苦難に挑む男達の物語だったが、それはデビュー間もない作家が持つ初々しさと粗削りさがいい方向に出た稀有の傑作だったと云えよう。翻って本書はキース・マロリーと彼の仲間ミラーとアンドレア達ヒーローの物語であり、冒険小説ではなく映画化を意識したエンタテインメント小説となってしまっているのだ。特に原作しか読んでいない読者にはピンと来ないアンドレアの婚約者マリアはなんと映画でのオリジナルキャラクターとのこと。映画会社のいいなりになって自身のオリジナルをも捻じ曲げるとは、何とも情けない限りだ。


No.1195 7点 泡坂妻夫 からくりを愛した男
事典・ガイド
(2015/06/28 00:04登録)
最近電子書籍では再現できない紙書籍だからこそ成し得る仕掛け本『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』が話題になり、さらには造本する製本会社が倒産したために長らく復刊を切望されながらも実現されなかった幻の仕掛け本『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』をも復刊されることになり、泡坂再評価の気運が高まっている背景がこのようなムックの発行を後押ししたことは確かだろうが、それでも作者没後6年目にしてこのようなムックが作られたことはこの作家がいかに特異でミステリファンにとって忘れられない作家であったことかを物語っている。

泡坂妻夫が他のミステリ作家と一線を画すのはやはりその特異な経歴であることは論を俟たないだろう。
紋章上絵師という職人でありながら、マジシャン厚川昌男としても活躍し、マジック関係の書物も刊行しており、さらに今なお高い評価を維持し続けている亜愛一郎シリーズを代表とする本格ミステリの書き手でありながら、幻想的な男女の機微を扱ったミステリに江戸情緒溢れる時代物も書き、そして直木賞作家でもあるというまさに天は二物だけでなく三物も四物も与えた才能に溢れた人物であった。

とにかく泡坂愛に溢れたムックである。冒頭の北村薫氏×法月綸太郎氏の対談から一気に泡坂妻夫作品についてどっぷりつかって回想に耽ることができ、そこから各作家のエッセイに、著名人たちの泡坂作品ベスト3の選出と、恐らく一ファンなら誰もが理想とする読み物が目白押しだ。ダメ押しなのは幻影城に掲載されていた権田氏をインタビュワーにした赤川次郎氏と故栗本薫氏との座談会が掲載されていることだ。当時新人作家だったお三方が斯界の権威としてしゃちほこばってなく、初々しい素の姿で思う存分それぞれのミステリに対する思考や嗜好について語っているのだ。これを読めるだけでこのムックの価値はあるほどの充実した、そして貴重な内容だった。

ミステリファン、特にミステリ通に好まれた作家であった。従って決して万人に受けた作家ではなかったが、その作品群には珠玉の物や実験的な物や挑戦的な物が多かった。個人的には氏の古き日本文化への愛着と日本人の持つ粋という気質が色濃く反映されて日本情緒溢れる『ゆきなだれ』や『蔭桔梗』といった短編集が多くの人に読まれて欲しいと思う。今なお絶版であるのが悔しまれる。


No.1194 7点 明日を望んだ男
ブライアン・フリーマントル
(2015/06/24 23:27登録)
フリーマントル3作目の本書ではエスピオナージュを扱う作家ならば一度は扱う題材、ナチスだ。ナチスの残党を追うモサドとそこから逃れようと身分を変え、潜伏している元ナチスの党員や人体実験を行った科学者たちの息詰まる情報戦を描いている。

本当に救いのない話だ。
これこそ皮肉屋フリーマントルの真骨頂と云えるだろう。第3作目にして世界におけるナチスの存在の忌まわしさとモサドのナチスに対する復讐心の奥深さと執念深さを何の救いもなく描くとは、とても新人作家のする事とは思えないのだが。

また本書が発表された1975年はイスラエル問題の最中でもあり、また解説によれば実際に翌年の1976年に国際指名手配されていた元ナチスの党員が世界各国で自殺を遂げており、まだ第2次大戦から地続きであった時代だったのだ。

このユダヤ人大量虐殺を行ったナチスに対して異常なまでに復讐心を燃やすイスラエル政府の執念深さはマイケル・バー=ゾウハーの諸作で既に知っており、最近読んだノンフィクション『モサド・ファイル』は本作をより理解する上で非常によい参考書となった。特に本書にも出てくるゴルダ・メイヤやモシェ・ダヤンといった実在の政治家は同書に写真まで掲載されているのでイメージも喚起しやすかった。書物が書物を奇妙な縁で結ぶことをまた体験したのだが、逆に云えばこのようなエスピオナージュの類を読むならば、『モサド・ファイル』ぐらいのノンフィクションは読むべきなのかもしれない。


No.1193 7点 本棚探偵の生還
評論・エッセイ
(2015/06/22 23:29登録)
喜国雅彦氏の古本に纏わる実にマニアックなエッセイもこれで3冊目。しかし古本に対する探究心と迸るマニア魂は衰えを見せない。

しかし喜国氏の古書収集ライフも晩年期を迎えているようだ。あとがきでは増殖し続ける蔵書たちを整理して処分をし始めたとのこと。流石に普通の生活と古書収集はやはり両立しないようだ。次の『本棚探偵 最後の挨拶』がどうやらこのエッセイの最終巻になるとのこと。ネタ切れというかマンネリ感が否めなかったこのシリーズにもとうとう終止符が付けられるようである。
既に刊行された最終巻でどんな終焉を迎えるのか。一漫画家が紡いだ一古書マニアの古書に纏わるの最後の挨拶に期待しようではないか。


No.1192 7点 泥棒は野球カードを集める
ローレンス・ブロック
(2015/06/20 00:49登録)
泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ第6作。なんと前作から11年ぶりの作品だ。ブロックによれば彼の中にはいつも登場人物が住んでいるらしく、彼らが時々現れて新たな物語を教えてくれるとのことだ。近年久々にマット・スカダーシリーズの新作と殺し屋ケラーシリーズの新作を出したが、それも彼に云わせればまだ彼らが生きていたからだろう。

さてそんな久々のシリーズ作品は日本人にはほとんど馴染みがないが、アメリカでは株や絵画の売買や不動産以上の投資効果があると云われる野球カードに纏わる物語だ。
といっても物語は単純明快のようで複雑に展開する。密室殺人あり、偽装殺人ならぬ偽装窃盗ありと、案外本格ミステリど真ん中の設定と新たなヴァリエーションを加えられて物語は進む。

登場人物の相関関係が複雑に絡み合い、これらが綺麗に繙かれるのかと心配するが、ブロックは実に美しいロジックでこの込み入った事件を鮮やかに解決してくれる。

さて古書店主になってからのバーニイのシリーズでは本に纏わる薀蓄、特にミステリに関する小咄が多くて海外ミステリファンの心をくすぐるのだが、本書ではスー・グラフトンの作品に集中しているのが興味深い。特に彼女の代表作であるキンジー・ミルホーンシリーズの『アリバイのA』に代表されるアルファベットをモチーフにした題名をパロディにしたやり取りが実に面白い。これは当時アメリカミステリ作家クラブか何かでスー・グラフトンとかなり親しくなったのだろうか?とにかく出てくる、出てくるパロディのオンパレード。最初から最後までこのキンジー・ミルホーンシリーズの題名をパロッたやり取りが繰り返される。

しかしこの作品も絶版なのである。最近電子書籍で何作かが復刊されているが、私は紙の本で読みたいのである。
何とかしてほしいものだ、版元には。


No.1191 8点 歪笑小説
東野圭吾
(2015/06/15 23:18登録)
おかしくもやがて哀しき文壇の面々を描いたユーモア連作短編集。東野圭吾のユーモア小説集『~笑小説』シリーズ第4弾。前作『黒笑小説』の冒頭で4作の連作短編となっていた出版業界を舞台にしたブラックユーモアの短編が1冊丸々全編に亘って「歪んだ笑い」を繰り広げる。いわゆる出版業界「あるある」のオンパレードだ。

その内容は前作よりも明らかにパワーアップしているから驚きだ。何度声を挙げて笑ったことか。特にモデルとなった実在の作家を知っていれば知っているほど、この笑いの度合いは比例して大きくなる。

この実に際どい内容を売れない作家が書けば、単なるグチと皮肉の、負け犬の遠吠えに過ぎないだろう。しかしこれを長年売れずに燻っていたベストセラー作家の東野氏が書くからこそ意義がある。彼は売れた今でも売れなかった頃の思いを決して忘れなかったのだ。だからこそここに書かれた黒い話がリアルに響いてくる。そして本書を刊行した集英社の英断にも感心する。特に本書は東野氏がベストセラー作家になってからの刊行で、しかもそれまで単行本で出していたのを文庫オリジナルで出したのである。つまり最も安価で手に取りやすい判型でこんな際どい業界内幕話を出すことが凄いのである。

そしてここに挙げられているのは単なる笑い話ではなく、現在出版業界を取り巻いている厳しい現実だ。本書は笑いをもたらしながらも、これから作家を目指す人々にやんわりと厳しく釘を差しているのだ。

東野氏のユーモア小説集『~笑小説』シリーズの一ジャンルに過ぎなかった出版業界笑い話は本書で見事1つの大きな柱と昇格した。そしてそれらは実に面白く、そして作家を目指そうとする者たちにとって非常に教訓となった。願わくば次の作品群を期待したい。これは長年辛酸を舐めてきた東野氏しか書けない話ばかりなのだから。


No.1190 7点 北極戦線
アリステア・マクリーン
(2015/06/14 01:17登録)
マクリーン第5作目の本書の舞台はもはや彼の独壇場とも云える極寒の地グリーンランド。国際地球観測年の観測隊の基地に突如不時着した旅客機の乗員たちを巡る物語だ。

特に本書では主人公メイスンが観測基地に派遣された医師であり、それ以上でもそれ以下でもない人物であることが非常に興味深い。今までのマクリーン作品は不屈の闘志を持つ軍人や仮の姿をしたプロのエージェントといった謎めいた主人公が多く、つまり常人を超えた能力を備えた人物が多かった。しかし本書のメイスンは正真正銘ただの医師である。従って彼は見当違いの推理をしては誤りを繰り返し、また犯人に出し抜かれるような隙の多い行動が多く、失態を繰り広げる。だからこそ主人公を含めた登場人物たちに降りかかる災難が必然性を伴って感じられるのだ。
極端に云えば主人公メイスンは物語では狂言回しであり、、ヒーローは彼の部下で陽気で寡黙なエスキモー人ジャックストローであり、無線通信士のジャスであり、乗客の1人である若きボクサーのホープ、ジョニー・ザゲロであるのだ。メイスンの見せ場は最後の最後にある宿敵との一対一の対決だけと云えるだろう。
しかしこの頼りないリーダーが実に人間臭くていいのだ。医者でありながら早とちりをし、判断を見誤っては仲間たちに苦難をもたらす。しかしなぜか皆が頼りにするリーダーシップを備えているのだ。憎めないキャラクターだと云えよう。

さて本書の原題は“Night Without End”、つまり「終わりなき夜」だ。13人の不時着した乗客の中に事故を起こし、また命を奪おうとする犯人が潜んでいる疑心暗鬼の中で生き残りをかけ、極寒の地を戦前のオンボロ雪上車で決死行に臨むメイスンたち一行の不眠不休の決死行を表すのに絶好の題名である。それに比べると邦題の『北極戦線』は何とも味気なさを覚えてしまう。もっと小洒落た邦題は浮かばなかったのだろうか?

私はやはり妙に謎めいた設定を持ち込んで読者をじらさせる作風よりも本書のような明瞭な設定をリアリティ溢れる筆致で描くマクリーン作品の方が好みである。本書を読んでそれを改めて強く思った。


No.1189 7点 収容所から出された男
ブライアン・フリーマントル
(2015/06/07 19:07登録)
本書が発表された1974年は冷戦状態にあった米ソ間がデタント、つまり緊張緩和の時代に入った頃だ。つまり国民が西側への接触を決して許さなかったソ連がその戒めを緩め、寧ろ世界へ国力を誇示する意向を示している。フリーマントルはその様子をロシア人がノーベル賞を受賞するシチュエーションでその国威宣伝に携わる男の苦悩と危うい立場を描いている。

ロシア人初のノーベル賞受賞者を出すという大役を任されるのが主人公のヨーゼフ・ブルトヴァ。かつて父の政敵だった現文化相ユーリ・デフゲニイによって父と共に失脚させられ、収容所生活を送っていたかつての対西側交渉のプロ。
ヨーゼフを収容所から出所させ、今回の任務を与えたのはかつての敵ユーリ・デフゲニイだが、彼はヨーゼフの交渉能力の高さを買って、ソ連初のノーベル文学賞作家を出させ、更にソ連の国力を西側の2大国アメリカとイギリスに知らしめるための宣伝旅行を伴わせる任務を与える。

ヨーゼフはニコライの凱旋旅行に同行するが、元々田舎の文学青年であったニコライは一躍世界中の注目の的となることで次第に精神を崩壊させていき、性倒錯と麻薬に溺れ、身持ちをどんどん崩して落ちぶれていく。彼がニコライの“恋人”ジミー・エンデルマンと行く先々で奇行と失態を繰り返し、どうにかそれをマスコミやソ連政府に知られまいと孤軍奮闘するヨーゼフの姿は哀れを誘う。かつてソ連にその人ありと云われた交渉のプロも形無しといった体で、その矜持を守るのに瀕死の状態である。さらに夫の長い不在で馴れないソ連の地で孤独に苛まれ、引き籠ってしまう妻のパメラとの生活も破局を迎え、ますます報われない。
そして皮肉屋フリーマントルはこの報われない主人公に対して決して甘いハッピーエンドを用意しない。2作目にしてこの痛烈さはいかがなものかと思わせられるほどだ。

しかしノーベル賞作家と共にイギリスとアメリカの要人と会見し、駐在大使や文化省次官、そしてヨーゼフがそれぞれの思惑を孕みつつ、作家を餌にして失地回復や新たな出世の階段に上ろうとする丁々発止のやり取りはあるものの、題材がいかにも地味であることは否めない。特に片田舎の在野の作家であったニコライ・バルシェフが突然得た名声の為に今までの質素な生活からは想像もできないセレブの世界に足を踏み入れ、自分を見失い、同性愛に目覚め、また麻薬に溺れるさまは典型的な成り上がり者の堕落物語である。この政治的駆引きの嫌らしさとニコライと同行するカメラマン、エンデルマンが次第に傲慢ぶりを発揮し、倒錯の世界にどんどんのめり込んでいっては我儘を云ってヨーゼフを蚊帳の外に追いやる苦々しさを2つの軸だけで400ページ強もの物語を牽引しているかとは決して云えず、同じ話を交互に繰り返しているだけにしか思えなかった。上に書いたようにノーベル賞作家とカメラマンの傲慢な振る舞いに振り回されるヨーゼフが対峙すべき政敵との駆け引きに隠されたバックストーリーによるどんでん返しが最後に炸裂するのはフリーマントルならではだが、いきなり2作目にして400ページ強のボリュームで語るには題材に派手さがなく、小説巧者の彼でも“2作目のジンクス”があったのだなぁと感じ入ってしまった。


No.1188 7点 無罪 INNOCENT
スコット・トゥロー
(2015/06/06 01:00登録)
トゥローの作品は一貫して架空の都市キンドル郡を舞台にリーガル・サスペンス作品を紡いできた。従ってシリーズの登場人物たちはそれぞれの作品に顔を出し、関連性があった。しかし本書のように再び同じ主人公が危難に陥る作品は初めてだ。本書はトゥローのデビュー作『推定無罪』の正真正銘の続編である。

首席判事まで上り詰め、最高裁の判事候補になろうとする男がなぜこうも女性問題で身を滅ぼそうとするのか。しかも21年前と違い、彼は60歳。21年前の39歳ならば、まああり得る話だが、もはや還暦の域に達した男が陥るスキャンダルではないだろう。サビッチはとことん女性にだらしないダメ男ぶりを今回も発揮する。

男の女の恋情の機微。親と子が同じ一人の女性を愛する。偶然が招いたとはいえ、それがまた男と女の色恋沙汰の滑稽なところだ。ロー・スクールを卒業して法律に携わる高潔な職業に就く者たちでも、こと恋愛に限ってはただの男と女に過ぎない。いや寧ろ人を裁くという重圧とそれに掛かる膨大な資料と証言を相手に裁判に向けて下調べをしなければならない過酷な職業による我々の想像以上のストレスによってそれを発散するために愚かだと思いながらも愛欲に溺れ、浮世の辛さを忘れたがっているのかもしれない。本書の面白さはミステリの妙味よりもそんなどうしようもない衝動に駆られる高等階級の人間たちのおかしさにあるのだろう。

人はそれぞれ秘密を持つ。それは家族であっても同じだ。そして事件が起き、裁判という場が開かれ、四方八方から捜査のメスが入っても決して知られてはならない秘密は暴かれることはない。なぜならもはや裁判が真相を証明して正義を見せる場ではなく、一番納得のいくストーリーを仕上げて正義と見せる場となっているからだ。だから物事は常に歪められて解釈される。ラスティ・サビッチ、バーバラ・サビッチ、ナット・サビッチ、アンナ・ヴォスティック、トミー・モルト、ジム・ブランド、サンディ・スターン。彼ら彼女らが知ったことは決して真実ではない。ただ彼らが演じた裁判ではラスティ・サビッチが無罪であったことだけだ。彼ら彼女らは何を知り、また何を知らずに生きていくのか。そしてそれらは今後知る機会があるのか。恐らくそれぞれが墓場で持っていかねばならないことだろう。だがそれでも我々はいくつになっても愚かなことをしてしまう。そしてそれこそが人生なのだ。


No.1187 10点 死者の長い列
ローレンス・ブロック
(2015/05/21 23:32登録)
マット・スカダーシリーズ12作目の本書では「三十一人の会」というランダムに選出された男性によって構成された、年に一度集まっては一緒に食事をして、その1年の事を語り合うという実に不思議な集まりのメンバーが最近次々と殺されていると疑いを持つ会員の依頼に従って真相を探るという、本格ミステリの味わいに似た魅力的な謎で幕を開ける。

とにかく死が溢れている。ニューヨークには八百万の死にざまがあると述懐したのはマット=ローレンス・ブロックだったが、本書にも様々な死が登場する。恐らく今までのシリーズで最も死者の多い作品ではなかろうか?
そんな基調で語られる物語だから古き昔から続く秘密の会のメンバーがいつの間にか半数以下になっており、誰かが会員を殺害しているのではないかと云う魅力的な謎で始まる本書でも正直私は意外な真相は期待していなかった。

しかし本書にはサプライズがあった。そして驚くべきことにその犯人はきちんとそれまでに描かれ、犯人に行き着く手掛かりはきちんと示されていたのだ。しかもそれらが実にさりげなく、大人の会話の中に溶け込んでいるのだ。これぞブロックの本格ミステリスタイルなのだと私は思わず唸ってしまった。

しかしマットとエレインとの仲睦まじいやり取りが次第に多くなるにつれ、かつての暗鬱な生活からはかけ離れていくのが少し寂しく感じてしまう。しかしこの話が9・11以前のニューヨークでの物語であることを考えると、それもまた来るべくカタストロフィの前の休息のように思えてくる。このマットの生活の向上は物語に描かれているニューヨークの街並みの移り変わりが多くの闇が開かれ、かつてのスラムがハイソな界隈に変わっていく姿と歩調を合わせているかのようだ。それ故に9・11が及ぼすマットの生活への影響が恐ろしく感じる。本書が発表された1994年に9・11が予見されていたことがないだけに。そしてこのシリーズが9・11後の今も続いているだけに。

そしてマットの生活もさらにも増して一層の充実ぶりを見せる。

変わりつつある彼の性格と環境に今後どのような物語が待ち受けるのか。もはや暗鬱さだけが売りのプライヴェート・アイ小説ではなく、ニューヨークと云う巨大都市に潜む奇妙な人間を浮き彫りにする都市小説の様相を呈してきたこのシリーズの次が気になって仕方がない。なぜならこんなサプライズと味わいをもたらしてくれたのだから。そして恐らく彼が死者の長い列に並ぶ日はまだかなり遠いことになるのだろう。ブロックの作家生命が続く限り。


No.1186 7点 犯罪の中のレディたち 女性の名探偵と大犯罪者
アンソロジー(海外編集者)
(2015/05/16 00:30登録)
題名が示す通り、女性が犯罪にメインで関わる作品を集めたアンソロジー。
女性の名探偵が登場する作品と女犯罪者を扱った作品がそれぞれアメリカ編とイギリス編に分けられ、計4つにカテゴライズされている。

上下巻24編が綴られた本書の中で個人的ベストを挙げるとそれはポール・ギャリコの「単独取材」だ。女性新聞記者が探るニュー・ジャージー州の片田舎で起きた牧場主による子供への銃撃事件を取材すべく、お手伝いとして牧場に潜入したサリー・ホームズ・レインが最後に行き着くおぞましい牧場の秘密は今でも総毛だつほどだ。現代でも十分通じる本当のミステリだ。
そして次点ではヴァイオラ・ブラザーズ・ショアの「マッケンジー事件」とF・テニスン・ジェスの「ロトの妻」、アガサ・クリスティーの「村の殺人」とそして最後のフィリップ・オッペンハイムの「姿なき殺人者」を選ぶ。単なるサプライズに留まらず、読後心に「何か」を残す作品たちだ。
「マッケンジー事件」はパトリシア・ハイスミスを思わせる成り替わり劇がもたらす運命の皮肉を、「ロトの妻」は先日惜しまれつつ亡くなったルース・レンデルが見せる価値観の逆転とそのためにじわじわと巻き起こる登場人物の真意の怖さを、「村の殺人」はのどかな片田舎に潜む悪意を、「姿なき殺人者」は犯罪者の誕生を実に印象的に語っている。

さて登場する女探偵たち、もしくは女犯罪者たちは概ね有閑マダムの暇つぶしのような探偵や犯罪者が大半で、中には退屈な日々を紛らすために警察との知恵比べや障害を乗り越えるため、つまりスリルを味わうために犯罪をしていると堂々と述べるキャラクターもいるほどだが、女探偵の場合はそんな中にも探偵を副業として正規の職業に携わっているのが特徴的だ。作家兼探偵、教師兼探偵、新聞記者兼探偵、映画監督助手兼探偵と、特徴的な職業を持ってるがゆえに事件に関わってしまう者もおり、そこに探偵小説の進化を読み取れたりもする。

女性は家を守るものとされていた時代で女性探偵が職を持っているのは非常に珍しいと思う。逆に時代に先駆けて自立した女性だからこそ探偵業も成せるという裏返しなのかもしれないが。
しかし本書に収められた短編ではまだまだ小説創作の技法が幼く、その特色を物語に活かせていないのが残念だ。


No.1185 7点 2015本格ミステリ・ベスト10
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2015/05/06 23:42登録)
毎年云っているが本家の『このミス』よりもこちらの方がミステリ色が濃いので読むのが愉しみなのだ。

さてランキングに目を向けるともはや出せば1位の感がある麻耶雄嵩氏がこの年も『さよなら神様』で1位を獲得した。今年も『あぶない叔父さん』が刊行されたのでもしかしたら3年連続の首位獲得という大記録を生み出すかもしれない。いわゆる本格ミステリにおける名探偵のヴァリエーションを色んな作品で試みている作者のミステリ・マインドに本格ミステリ・ファンは大いに惹かれるのだろう。

そして2位が『このミス』で1位を獲得した米澤穂信氏の『満願』。この作品を以てしても麻耶の牙城は切り崩せなかったのだ。麻耶雄嵩、恐るべし。ちなみに『このミス』の2位は『さよなら神様』で首位と2位が逆転した形になっているが1位と2位の得点数がどちらも100点近く離れているところが実に面白い。

さて3位は死後再評価の気運が高まっている連城三紀彦氏の『小さな異邦人』でこの作品も『このミス』では4位でランキングが似通っているのだが、4位以降からは本格ミステリに特化したこのランキングの特色が出てくる。その作品芦辺拓氏の『異次元の館の殺人』は『このミス』10位。5位の岡田秀文氏の『黒龍荘の惨劇』は『このミス』ではランク外である。

毎年ミステリに関する特別なランキングが本書の魅力であるのだが、今回の特別企画は「みんなの愛した名探偵BEST RANKING」だった。そして驚くべきことに1位は大方の予想だったシャーロック・ホームズを押しのけ、堂々の1位に輝いたのが御手洗潔だった。つまりオマージュが本家を追い抜いてしまったのだ。その次が金田一耕助でホームズは3位。もう1つの有名な名探偵明智小五郎は大きく水を分けて8位という結果となった。因みに4位が亜愛一郎で5位がブラウン神父とこれまたオマージュが本家を追い抜いた形となっている。同点5位でエラリー・クイーンが並び、ポワロは9位となり、かなり予想外の結果となった。
御手洗の1位は数十年前ならば全く考えられなかったのだが、今ミステリを読む人たちは新本格で初めて本格ミステリに触れ、そこから新本格の旗揚げ役であった島田作品に触れて御手洗潔を知り、原初体験となっているのだろう。また10位以内に日本人作家による名探偵が4人、20位以内ならば10人と五分五分になっているのも今のミステリシーンを象徴しているようだ。いわゆる海外ミステリを読まないミステリ読者がこれほど多くなっているということだろう。ネロ・ウルフもフレンチ警部も今ではなかなか作品自体手に入れるのでさえ困難になってきているのだから。
逆に云えばこのような結果を招いた現在の出版情況の厳しさがこのランキングに表れていると云えるだろう。特に唯一国内ミステリでの警察官探偵として19位に東野作品の加賀恭一郎が上がっているのは今最も読まれているミステリが東野作品であることは周知の事実であり、いわゆるマスの大きさがランキングに色濃く反映されていることがよく解る。

また毎年恒例の特集記事の中ではその年の復刊ミステリについて語るコラムのタイトルが「復刊が少なくなっていく」とかなりネガティブな題名だったことも注目したい。さらにはミステリを題材にしたゲームもどんどん減っていることも本書では危惧されている。これはやはりスマホの普及で電子書籍が増え、さらにゲームがお手軽さを求める傾向にあることが非常に影響として大きいようだ。電子化の大きな波はこんなところにも表れている。但し最近は海外ミステリに関して云えば、50年ぶりに新訳再刊される作品や名作復活といった記念刊行も増えているので、ここに書かれているほど復刊状況に関しては悲観的ではないのだが。

そしてその海外ミステリも相変わらずの扱いの小ささなのはガッカリだ。ランキング作品の紹介文も今年もまた5位までしか挙げられておらず、最後の30ページ弱で紹介文、アンケート結果と座談会が書かれているのみである。上に書いたように少し前ならば信じられないような復刊が精力的に行われている昨今、この扱いはどうにかならないだろうか。これさえなければもっとこのムックの評価は高くなるのだが。


No.1184 7点 ガリレオの苦悩
東野圭吾
(2015/05/02 23:17登録)
『ガリレオの苦悩』と冠せられた本書は『容疑者xの献身』を経てから書かれた短編で構成された作品で、各短編で見せる湯川の心情は『容疑者~』以前のそれとは明らかに異なり、それまで謎そのものに対する興味しかなかったのに対し、事件に関わる事での苦悩や事件の関係者の心情に対しての考察が見られるのが特徴的だ。

(以下ネタバレ含みます)


例えば1作目の「落下る」では自らの手でかつての学友であり、ライバルだった数学者石神を司法の手に渡すことになったショックからか、警察の捜査に非協力的になっている。

2作目の「操縦(あやつ)る」ではそれぞれ自分の大学時代の師が事件の犯人になっており、またもや自分の人生に関わる人間を司法の手に渡さなければならなくなる。本作の最後で学生時代の湯川を知る友永元助教授が科学しか興味のなかった湯川が隠された友永の真意を見破ることで人の心まで解るようになった湯川に驚きを示すのは、石神の事件を経てからこそだろう。

3作目の「密室(とじ)る」では大学時代の友人藤村の依頼で彼の経営するペンションで起きた事件の解明をするのだが、この作品にこそ湯川の心情の変化が如実に表れているように感じた。愛する者を守るために自ら罪を犯した石神。愛する者を信じたいがために湯川に事件の解明を依頼した藤村。二者に共通するのは殺害をした女性がともに過去の因縁―一方は別れた夫で今回はホステス時代のたちの悪い客―によって縛られ、そこから解放されようと願った故に已むに已まれずに実行した殺人であることだ。普通の生活を守るために犯行を実施せざるを得なかったとはいえ、罪は罪なのだと事件の真相を話す湯川の姿は石神の犯行を解き明かした時のそれと妙にダブった。

4作目の「指標(しめ)す」では母と娘の母子家庭が捜査の対象であり、これが草薙にとって『容疑者xの献身』に出てくる花岡母娘を想起させる件が出てくるのがニヤリとさせられる。貧しくも健気に生きている母娘が『容疑者xの献身』では犯人であったわけだが、本作ではそうではないというのも反歌のようで面白い。

そして最後の「攪乱(みだ)す」では湯川に勝負を挑む犯罪者が登場する。『容疑者xの献身』では湯川が天才だと認めた男石神と湯川の頭脳対決だったが、本作ではかつて学会で湯川に自身の研究について質問され、上手く応えられてなかったことで失墜した技術者が警察の捜査を手伝っている湯川に敵対心を燃やして犯行を実行するというものだ。石神の時は偶然による対決だったが、本書では湯川に恨み(逆恨み以外何物でもないが)を持つ者が湯川自身に対して挑戦状を叩き付けているところが違うのだが、犯罪に加担せざるを得なかった石神に対して苦悶していたのに対し、本作では科学の技術を殺人に利用して世間を騒がせている犯人に憤りを覚えて対峙している姿勢もまた違う。

と各短編について湯川の心情の、いや人間性の変化を述べてきたが、それぞれの作品が実は『容疑者xの献身』の要素をそれぞれ分配させて成り立っている事に気付くことだろう。
かつて知的好奇心を満たす為、興味本位で警察捜査に関わっていたが、事件に関わることで自らもまた心を傷つくことを知った湯川。かつての恩師や大学時代の友人の犯した罪を解き明かさなければならなくなった湯川。健気に生きる母子家庭の親子が巻き込まれた事件に携わる湯川。そして自らを敵とみなす犯罪者と対決する湯川。それぞれが『容疑者xの献身』に込められたエッセンスだ。

そして湯川はあの事件で人の心の深みを知り、また作中でも人の心を知ることも科学で途轍もなく奥深いと述懐している。これはかつて大学で理系を専攻し、トリックメーカーとしてデビューした東野氏が人の心こそミステリと作品転換したのに似ている。つまりこの湯川の台詞は作者自身の言葉と捉えてもいいだろう。
『名探偵の掟』で本格ミステリを揶揄しながら、敢えて現代科学の知識で本格ミステリを書いた『探偵ガリレオ』シリーズ。このトリック重視の作品に人の心の謎を持ち込んだ『容疑者xの献身』でこのシリーズも第2のステージに入ったと云えるだろう。

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