殺しのパレード 殺し屋ケラー |
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作家 | ローレンス・ブロック |
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出版日 | 2007年11月 |
平均点 | 7.00点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 7点 | Tetchy | |
(2016/01/31 23:28登録) 始まりはそれまでのシリーズ同様の雰囲気だが、それまでのシリーズと決定的に違う所がある。それは本書が9・11を経て書かれていることだ。 本書中最も多い分量の3編目「ケラーの適応能力」はケラー自身が9・11を通じた変化について語られる。そこにはケラーが物語の主人公として成立するためには非常に困難になってきた9・11以後のアメリカの姿が描かれている。 9・11を経験したケラーは感傷的であり、9・11当時では偶然依頼のためにニューヨークを離れていたケラーはテレビで衝撃のテロを目の当たりにし、断続的に嘔吐する。殺しをしても標的を人間と故意に認識しないことで心から消し去っていたケラーが、テロによって不特定多数の人間の命が失われていく様を目の当たりにして、知らず知らずに精神的ショックを受けるのだ。そしてそれがそれまでケラーが行った仕事の標的について語られ、ケラー自身が思いを馳せさせる。それはまるでシリーズの総決算のような趣を湛えている。 恐らくこれは『砕かれた街』同様、ブロックにとって9・11を消化するために書かなければならなかった作品なのだろう。“あの日”を境に変わってしまったニューヨークの、いやアメリカの中で彼が想像した人物たちがどう折り合いをつけて物語の中で生き続けているのかを確かめるために。 その後のケラーの物語はヴァラエティに富んでいる。まずデトロイトの殺しは標的が逆に依頼人を殺害して実行前にキャンセルになり、帰りの飛行機で話しかけられた男が殺したいと思っている男の殺しを請け負うことになる。 更に犬殺しの依頼を受けたケラーは2人の依頼人がお互いに相手を殺したがっていることを知らされ、実に意外な結末を迎える。 そして次の依頼では標的ではなく、依頼人を殺害するというツイストを見せる。 更に顔見知りの切手収集家が標的になり、案に反して標的と親しくなってしまい、殺害すべきかどうか苦悶する姿もまた見せる。 つまりこれら一連の物語では単に依頼を引き受け、標的の生活や習慣を見守り、また彼・彼女が住む町に身体を委ね、じっくりと仕事を遂行してきたケラーに、自分の意志が仕事に介入して単純に依頼を遂行するだけではなく、全てを合理的に解決するために依頼以外の殺しを行ったり、また逆に依頼人を殺して標的を助けたりと、依頼の動機などまったく斟酌しなかったそれまではありえなかった感情が介入してくるケラーの姿が描かれるのだ。 依頼よりも自分の感情に左右されてしまうケラーは殺し屋としては失格であり、さらに自分の遺産整理をドットに頼むに至って正直これらの物語を最後にケラーは引退するかと思われた。 しかし「ケラーの遺産」でドットに訪れる依頼は「ケラーの適応能力」でドットの許へ前金のみ送ってきた正体不明の依頼人アルからの物で、ケラーはこの依頼を最速で遂行して帰ってくる。そしてそれが彼にある踏ん切りをつけらせることになる。 つまり自分はやはり生粋の殺し屋であり、この稼業を辞めることはできないのだと悟るのだ。 そして最後の「ケラーとうさぎ」ではレンタカーで子供向けの物語の朗読CDに図らずも夢中になり、その続きが気になって早く聴きたいがために実に簡単に人を、しかも2人の子供を学校に送り迎えするごく普通の主婦が自分の都合で厄介払いしたくなった夫の依頼で始末され、ケラーは再び朗読CDの続きに思いを馳せるのだ。つまりドライな殺し屋ケラーが最後に見事復活するのだ。 ブロックが選んだのは9・11を経てもケラーはケラーであることをケラーに気付かせることだった。本書にはブロックが模索しながらケラーを書いている様子が行間から浮かび上がってくるが、どうにか本当のケラーを見つけたようだ。 |
No.1 | 7点 | E-BANKER | |
(2013/06/04 21:38登録) 2007年に発表された「殺し屋ケラー」シリーズの連作短編集。 本作でもブロックらしい軽妙かつ洒脱な筆致が楽しめる。 ①「ケラーの指名打者」=今回のターゲットは大リーガーとのことで、ケラーは所属チームの試合を見るために、全米の各都市を行き来することになる。何の関係もない観客とケラーとの「噛み合っているようで噛み合っていない」会話が非常に面白い。 ②「鼻差のケラー」=タイトルどおり、本編の舞台は競馬場。メジャーリーグに続き、今回は競馬場で何の関係もない競馬ファンの男と馬券談義を交わすことになる・・・。ケラーの馬券の買い方にはなぜか共感してしまう・・・(だから外れるのか?) ③「ケラーの適応能力」=本編はケラー・シリーズのターニングポイントとなる一編かもしれない。他作品に比べて分量も多いのだが、何より殺し屋としてのケラーの心境に大きな変化が訪れているらしい・・・ ④「先を見越したケラー」=殺しを請け負ったケラーなのだが、何とケラーがデトロイトに降り立ったときには、すでに標的は殺されていた! という本シリーズのプロットを覆すような冒頭が衝撃的。そして、本編でもケラーは悩むことになる。 ⑤「ケラー・ザ・ドッグキラー」=今回の標的は、タイトルどおり何と「犬」! 捻りすぎだろ! ⑥「ケラーのダブルドリブル」=別に標的がバスケットボールの選手というわけではない・・・(バスケットのシーンは登場するが)。 ⑦「ケラーの平生の起き伏し」=殺し屋としてあってはならぬこと=『標的と仲良くなり、心を許してしまうこと』に陥ってしまったケラー。殺すべきか殺さざるべきか迷うのだが・・・ラストは本シリーズらしい。 ⑧「ケラーの遺産」=自分が死んだとき、遺産(=ケラーの場合、収集している切手のことだが)をどうして欲しいか・・・ ⑨「ケラーとうさぎ」=これは「おまけ」なのかな? 以上9編。 「訳者あとがき」に詳しくあるが、本作はニヒルで無感情であるはずのケラーの「心の揺れ」がテーマとなっている。 その原因は、『9.11』にあるのだが、殺し屋という自身の仕事に対しての「揺れ」を感じながらも、「プロ」として、そして何より「切手蒐集」のため(?)、仕事を遂行しようとするケラーの姿が非常に興味深い。 実に人間臭く行動する「姿」と、情け容赦なく殺害する「姿」に何の脈略もないように見えるのは作者の「故意」なのだろうが、その辺りのケラーの心理については、次作でも引き続き描かれることになる。 さすがに面白かった、というのが素直な感想。 (③~⑦が読みどころ。①②も面白いのだが・・・) |