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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.526 4点 フォックス・ウーマン
半村良
(2021/05/31 06:43登録)
 世界恐慌の迫る西暦1928年、アメリカ大富豪の弟チャールズ・メレディスは、中国・雲南へ向かう旅の途中兄マーチン夫妻を殺害し、莫大な資産を我が物にしようとする。だが夫と秘書の必死の活躍に守られた妻は、秘められた最古の神を奉ずる老道士・悠謙(ユーチェン)に庇護された聖狐院に逃がれ、白金色の巻毛を持つ優美な女と結合したのち一人の女児を生んで息絶える。そして一家虐殺で唯一生き残った幼女・聖狐の胸には、復讐を意味する炎の形の痣があった。
 一方殺戮に加担した暗黒街の帝王・呂剛(リュコン)は、隠然とした力を持つ崔一族の支援のもと強力な軍閥を創設し、中国北東部・満州の支配にのり出すが、なぜか怪しい狐の存在につきまとわれる――。絢爛妖異の大冒険伝奇ロマンの傑作!
 雑誌「小説現代」一九七八年九月号~翌一九七九年八月号まで、一年間に渡って掲載された伝奇小説。畢生の大作『妖星伝』五・六巻連載分とも時期が被ります。この作者は油断も隙もならないので一応確認したのですが、『イシュタルの船』(1924)や『金属モンスター』(1946)などを著したアメリカ作家A・メリットの未完作品 、"The Fox Women" を独自に書き継いだものなのはほぼ間違いありません。原著はメリット没後の1949年、ニューヨークのAvon社から "The Fox Women & Other Stories" として刊行され、イラストレーター兼ファンタジー作家のハネス・ボクがこれも続編の "The Blue Pagoda" を物しています。
 オリジナルの後に半村作を置いた二部構成ですがメリット版の密度は高く、これだけでも読む価値アリ。この第一部を翻訳者の野村芳夫と半村が共訳して全体のムードを統一し、国際陰謀・冒険系の第二部に繋げる段取り。ここでは道士・悠謙や真の主人公となる聖狐は脇へ退き、復讐対象である悪人たちを中心にして各員が配置されます。
 主として日中戦争から第二次世界大戦を背景に、中国・日本・アメリカの三国にわたる復讐の連鎖が書かれる予定だったようで、中国には呂秋原軍閥の将軍となった呂剛にその愛妻・梨麗、チャールズと共に聖狐院から追い払われた軍事顧問のラセルとブレナー、馬賊・伊達順之助モデルの伯爵家の快男児・朱藤健介、執事の村岡、白系ロシア人アンナ、自在流の門弟・島田五郎、さらに霊力を持つ道士・夢海が。
 日本には青竜社を率いる右翼の大物・武藤進吉に霊能者・岡田慧心、ひょっとこのヨネこと米田東次に自在流を創始した村岡の叔父・巌夢、虹屋のお新にボロ船船長の徳さん、その二人に助けられた狐を奉ずる中国人・鮑、そして彼らを告発し出世の緒を掴もうとするもぐりの竹田医師と皆川刑事。
 アメリカにはチャールズ及びその妻メイと、悪人夫婦を食い物にして利益を得ようと目論むギャングの大立物ザ・フォックスことジョニー・トリオ、そしてその部下ロバート・ウッド。崔大人の美術品を盗むついでに目撃者の鮑を刺し殺そうとした、お新の実兄・坂本二郎。出来の良い一部には見劣りするもののこれらの登場人物達が絡み合い、物語を進める予定でした。
 米犯罪シンジケートの創設者ラッキー・ルチアーノや西安事件などを関連させて約50年、1980年代までに至る壮大な構想。マンハッタンの自宅で2003年、105歳で大往生した蒋介石夫人・宋美齢が一役買う可能性もあるものの、伏線のみで力尽き惜しくも完結せず。そこそこ面白く読めますが、結局未完という事で点数はキツめです。


No.525 7点 人喰い
笹沢左保
(2021/05/27 09:13登録)
 三つ巴の組合闘争にゆれる優良企業・本多銃砲火薬店。その浦賀工場に勤める花城由記子が、遺書を残して失踪した。度を越したワンマン社長の一人息子・本多昭一と心中するというのだ。しかし山梨県の昇仙峡で昭一の遺体が発見されてからも、かの女の行方は杳として知れなかった――。その後も会社に続発する倉庫爆破や社長刺殺事件の果て、遂に殺人犯人として全国指名手配を受ける由記子。姿を消した姉を追い、妹・佐紀子は必死の捜索を続けるが・・・・・・。
 本格、社会派・サスペンスの見事な融合! ロマンにあふれた作風で笹沢ミステリの原点をなし、第14回日本推理作家協会賞を受けた傑作長編!
 自身「惜しげもなく多くのトリックを投入した」と語る、最初期書下ろし四長編の最終作。昭和三十五(1960)年の刊行で翌三十六(1961)年、水上勉「海の牙」と共に推理作家協会賞を受賞した著者の出世作でもある。『霧に溶ける』で見られたギスギスした描写もこの頃にはかなりこなれてきており、ドライなトーンと叙情性とを突き混ぜた独特なムードは加点対象。現実的でありながら一途な恋に憧れる若い女性の、運命の変転から生じるドラマを、巧みにプロットに組み込んで盛り上げている。幾重にも迷彩が施してあるとはいえ、爆破事件絡みの人間トリックはバレた場合のリスクも大きく少々戴けないが、ライターのイニシャル判明からの突き崩しと続く新聞の特別手記とで、ラスト直前に大きく持ち直す作品。社長殺しのトリックは必然性も薄く多少捻ってある程度だが、ここで1点加点してギリ7点となる。
 ただしこの犯人の行為は必要以上に嗜虐的なため最後の手記もその異常性のみが際立ち、タイトルの暗示する普遍的な警鐘には繋がっていない。時事問題を扱ってはいるが社会性は薄く、本質的にはパズラー寄りの小説である。


No.524 6点 どこまでも殺されて
連城三紀彦
(2021/05/24 20:28登録)
 冒頭に掲げられた謎の手記。「どこまでも殺されていく僕がいる。いつまでも殺されていく僕がいる」―― 僕はこれまでに七度も殺され、今まさに八度目の死を迎えようとしている・・・。彼の叫びをなぞるかのように高校教師・横田勝彦の元に「ぼくは殺されようとしています。助けて下さい」という匿名のメッセージが送られ続ける。生徒たちの協力を得て、殺人の阻止と謎の解明に挑む横田だったが。周致な伏線と驚愕の展開に彩られた本格推理長編。
 『褐色の祭り』に続く著者十一番目の長編で、雑誌「小説推理」1990年2・3月号に分載。ただし連載期日の関係で、刊行はこちらの方が半年ほど早い。90年代に刊行されたものでは唯一恋愛要素のない純ミステリで、それもあってか「このミステリーがすごい!」など各種年間ベストに複数ランクインし好評を博した。しょっぱなから第三長編『私という名の変奏曲』を思わせる謎で読者を惹き付けるが、あれに比べると内容は一発芸に近く、解答もやや納得し辛い面もある。
 更に謎解きを行うのは三年B組担任の横田ではなく、きびきびした物言いの人気女子・苗場直美。想像力に優れた実務家肌で機転も利く彼女が頭脳となって同級生たちや担任を使い、徐々に「ぼく」を包むベールが剥がされていくという、準ジュヴナイルめいた味わいもある。ただし扱われる事件はヘビーで、頭脳明晰とは言え高校生にはやや荷が重く、そのせいか作品のキモとなる手記部分の手掛かりについては精緻さに欠ける。探偵役の年齢を上げ、この点をクリアすれば佳作以上も狙えたろう。
 掴みは非常に魅力的だが、そういう訳で点数は6.5点止まり。ただしやや埋没気味のこの時期のものとしては、十分及第点に値する出来である。


No.523 6点
笠井潔
(2021/05/22 08:32登録)
 男はなぜ死んだのか? 四億七千万円とともに消えた女は何者だったのか? 誰が殺し誰が殺されたのか――
 一人称のない私立探偵が探る現代日本社会の病理。本格ミステリ連作短篇集。
 平成八(1996)年刊。「小説すばる」誌に平成五(1993)年五月号~平成八(1996)年二月増刊号にかけてほぼ年一作ペースで掲載された、短篇とも中篇ともつかない長さの小説を収めている。収録は 硝子の指輪/晩年/銀の海馬/道 <ジェルソミーナ> の全四本。
 シリーズとしては『三匹の猿』に続く二作目ということになるが、巻頭の「硝子の指輪」だけはこれに先行するらしい。そのせいか高校卒業時に渡米し、二十年以上の歳月をロサンジェルスで探偵技術を叩きこまれて過ごした事、現地で娶った妻ジュリアをHIVウイルス感染(エイズ)で喪った事、飲んだくれ状態から更生するためロスの自宅を処分し、当時のボスの紹介で、国際事件に対応できる後継者を探していた四谷の巽探偵事務所に転がり込んだ事など、飛鳥井自身のプロフィールが簡潔に記載されている。
 そのエイズキャリアを題材に採った主人公再生篇「硝子の指輪」は一作目ゆえそこまでではないが、脳溢血の老女のメッセージと操りテーマを扱う「晩年」からは尻上がりに良くなってくる。閑職に追いやられDVの果てに家出しホームレスに転落した男の、凍死事件に秘められた作為を暴く「銀の海馬」も凝っていて、一応手掛かりはあるものの「飛鳥井頭いいな!」となる。四篇いずれも悪意が噴き出すような話なので後味は良くないが、後半二本は近年の矢吹駆シリーズよりよほど面白い。
 ピカイチはトリの表題作。冒頭で言及される『三銃士』〈王妃の房飾り〉のエピソードが、連城三紀彦や泡坂妻夫を髣髴させる鮮やかな詐欺トリックに結びついていく。ただしこれも読後感は最悪。一作くらい軽妙に纏めてもいいように思うのだが、この人が書くと過剰な批評性もあって決してそうはならない。作品集でもいつもの重苦しいタッチで、採点はその辺の不器用さをさっぴいて6.5点。


No.522 5点 悪意の夜
ヘレン・マクロイ
(2021/05/20 05:37登録)
 長年連れ添った夫ジョンを崖からの転落事故で喪ったばかりの未亡人、アリス・ハザードは、遺品整理中に鍵の掛かった小抽斗から、〈ミス・ラッシュ関連文書〉と書かれた外国製の気味悪い封筒を見つける。外側を薄汚れた赤い紐でくくられた、くすんだ緑の中身は空っぽだった。夫はわたしに隠しごとをしていたのだろうか?
 そこへ帰宅した息子のマルコムは、アリスにエキゾチックな美女を紹介する。彼女の名はクリスティーナ・ラッシュ・・・そして女性が去ったのち、緑色の封筒は忽然と消えていた。ミス・ラッシュとはいったい何者なのか? じわじわと緊張の高まる中、遂に起こる殺人。ウィリング博士もの最後の未訳長編。
 1955年 "Unfinished Crime"(未訳)に続いて発表された、ウィリングシリーズ十作目。同じく戦時中設定の『逃げる幻』(1945)辺りから、代表作『暗い鏡の中に』(1950)を経て目立ってきた〈分身テーマ〉が影を落とす作品で、ここで取り上げられるヒンズー教の神秘思想概念 "長い身体(ロング・ボディ)"もその一環。作中では「過去へと時間を遡行する、もっと暗くてよこしまな道」と形容されている。自動車事故で負傷したアリスが見知らぬ自分に直面する、第一部後半から第二部にかけてのサスペンス描写は読み応えがあり、本書のメインになっている。
 反面効果を優先した封筒の中身の記述からの結末は肩透かし気味で、悲劇として完結してはいるがやや物足りない。捻ってはいてもストーリーの根幹がシンプルなので仕方無いのだが。
 安定した人格の夫に支えられ、幸福な生活を送ってきたヒロインが夢中歩行を再発するのも、有効に機能していないのと相俟って何かそぐわない。もう少し熟成させれば佳作も狙えたであろう、色々と惜しい作品。国内枠の山田風太郎や連城三紀彦などと同じく、良作揃いな作家だけに損をしている面もある。


No.521 5点 屍の記録
鷲尾三郎
(2021/05/17 15:56登録)
 京都伏見の老舗醸造元・本間酒造には明治・大正・昭和の三代に渡り、由緒ある「新左衛門」号を襲名した当主が失踪を遂げるという恐ろしい呪いがあった。新進探偵作家・牟礼順吉は一高時代からの親友・本間新也の懇請で彼の家に赴き、自らの手で連続消失事件の謎を解こうとするが・・・。果たして、お山の狐の祟りとされる伝説に隠された真相とは何か? 鮎川哲也『黒いトランク』と〈書下ろし長編探偵小説全集〉「十三番目の椅子」を争った幻の本格ミステリ、ついに復活!
 本書の脱稿は昭和三十(1955)年二月。三十一年、藤雪夫『獅子座』と共に最終選考まで残ったものの惜しくも落選し、翌三十二年に至って春陽堂書店より刊行された、鷲尾三郎の長編第一作。発表時のタイトルは『酒蔵に棲む狐』。通俗スリラー風の展開の狭間に戦火を免れた古都の風情を点描した小説で、主人公のロマンス含めたサスペンスを、緩急伴うゆったりした筆致で描いています。作者としては「オカルティズムの匂いを、強烈に盛りたかった」そうですが、これはこれでなかなか。本家の三代目・新左衛門、新宅の先代・徳松失踪の謎も、当時の社会情勢などと絡めて合理的に設定されています。
 ただ現在パートにおける新也の実兄・新一郎消失のメイントリックは脱力もの。そのアホらしさはさて置き、取り返しのつかぬルビコン川を渡った直後、コレの成立に全人生を賭けるかと訊かれれば問答無用でNO!でしょう。少々の失点は勢いと美点で許すタイプですが、そんな評者でも「これはちょっと」と思ってしまいます。途中までの結構な読み味の〆に大バカトリックを持ってくる妙な作品で、まあ椅子には座れんわなと。
 それでも無理なく読ませるリーダビリティと構成はかなりのもの。あまり大っぴらには薦めませんが、古式床しい探偵小説のムードを味わうには良いでしょう。


No.520 6点 盗作・高校殺人事件
辻真先
(2021/05/15 22:06登録)
 新宿駅爆破事件で知り合った三組の高校生カップルが鬼鍬村を訪れたとき、ふくべの鬼が笑い、少女の幽霊が霧に消えた。そして、死体が密室に残った。カップルの一組、ごぞんじ牧薩次と可能キリコは推理を展開するが、作者は終幕でこう主張する。
 "作者は 被害者です 作者は 犯人です 作者は 探偵です
  この作品は そんな推理小説です"
 『仮題・中学殺人事件』から四年の歳月を置いて発表された、シリーズ第二長編。同時期のアニメ担当回は『一休さん』『マシンハヤブサ』など。密室殺人二つを始めかなりトリックを盛り込んでいますが、読み返すと両方ともやや小手先っぽく、その上メタな趣向を成立させる為に色々付け足しました、という作品構造なのでどうにもバランスが悪い。密室トリックがアレなのでメインはストーリーを貫く動機云々になるのですが、これもタイトルからある程度察せてしまいます。ラストで『獄門島』ばりに動機が崩壊しちゃうのは良かったですけど。
 悪い作品ではないのですが、再読するとどうしてもギスギスした所が目立ってしまいますね。設計自体が欠陥建築で、逆に買えるのは継ぎ接ぎ要素による齟齬の面白み。〈密室を完成するのに、凶器は必要ないのだ〉とか、ミステリとかに無関心な昔のおっちゃんなら、確かにそう思ってもおかしくはないのかも。
 以前は次作の『改訂~』でガクッと落ちる印象でしたが、今評価すると初期三作のうち若干凹むのはコレ。と言っても二度に渡るいとこの幽霊目撃から引っ張る展開は快調で、ストーリー的には楽しませてくれます。それなりに思い出のある作品なので、採点は5.5点~6点の間。


No.519 5点 北京悠々館
陳舜臣
(2021/05/15 00:05登録)
 日露戦争開戦の迫る明治三十六(1903)年九月、書画骨董商の息子・土井策太郎は外務省の密命を帯び、旧知の拓本名人・文保泰(ウェンパオタイ)とよしみを結ぶためはるばる北京に赴いた。文は清朝政府の外務部総理大臣にして皇族たる慶親王の幕僚、那桐(ナートン)の窓口を務めていたのだ。できるだけ開戦を遅らせようとするロシア側に先んじ、文を通じて慶親王と那桐に働きかけるのが彼の役目だった。
 元清国人留学生・李濤(リータオ)の情報からロシアのキナ臭い動きを掴んだ策太郎は、上司の工作員・那須圭吾と共に慶親王を動かし条約締結を覆すため、文に百万円の工作資金を渡すことにする。〈悠々館〉と名付けられた別棟の仕事場で、一回目の現金引き渡し作業は無事完了した。
 だが二回目に賄賂の残金を渡したほんの数分後、文保泰は密室と化した悠々館の中で刺殺される。そして彼が受け取った時価二十五万円分の英国ポンド紙幣は、そっくりそのまま部屋の中から消え失せていた・・・
 『凍った波紋』に続いて発表された、著者15番目の推理長篇。西村京太郎『名探偵なんか怖くない』や仁木悦子『冷えきった街』等と共に、〈乱歩賞作家書下ろしシリーズ〉の一冊として1971年発表。この年には『六甲山心中』を始め、『異郷の檻のなか』『崑崙の河』ほか五つの短篇集が刊行されており、同年発表の『残糸の曲』や翌1972年の娯楽歴史長篇『風よ雲よ』を経て、徐々に文芸方面に移る前の整理の時期と言えます。
 密室殺人のトリックや工作資金紛失の謎は他愛ないものですが、日露戦争を控えた義和団事件後の政治情勢、さらには辛亥革命の息吹を背景にした歴史要素で読ませるのは流石の練達ぶりで、二十五万円の行方もまあそれしか無いかなという感じ。骨子は短篇向きの小ネタですが、遊泳保身術に長けた俗物政治家・那桐、文家の使用人・芳蘭(ファンラン)や遊民風の探偵役・張紹光(チャンシャオクワン)等、要所に味のあるキャラクターを配置しストーリーを上手く回しています。


No.518 7点 戦国自衛隊
半村良
(2021/05/14 08:14登録)
 アメリカ第七艦隊の一部も参加する全国規模演習のさなか、新潟・富山県境の境川河口付近で野営していた自衛隊東部方面隊所属の第十二師団後衛は、突如発生した時空震により補給隊の一部や装備ごと、約四百年前、戦国騒乱期の日本に飛ばされた。だがそこは、彼らの歴史とは微妙に入れ違った物語りを持つ異世界だった。
 第一師団から派遣された輸送隊指揮官・伊庭三尉は隊員たちの動揺を引き締め、車長の島田三曹や普通科隊の木村士長らと共に、現地の紛争には関わらずあくまで中立を保とうとするが、長尾平三景虎と名乗る武士を助けた事からやがて、本格的にこの時代に介入していく。
 「歴史は俺たちに何をさせようとしているのか・・・」
 「SFマガジン」1971年9・10月号掲載。仮想戦記ものの嚆矢となった中編で、1979年12月公開・千葉真一主演の角川映画や劇画家・田辺節雄による複数回のコミック化、更には2005年のリメイク映画版など、今迄幾度もメディア展開されている。著者の最高傑作ではないが、現在半村良の名は〈『戦国自衛隊』の作者〉とした方が通るだろう。卓抜なアイデアを創作世界に提供した、良くも悪くもエポックメイキングな作品と言える。
 当時の著者は〈このアイデアを先に発表しておかなくては〉との思いからダイジェスト的に結末を纏めたそうだが、それもあってか記述は全体にあっさりめ。ただし「近代兵器を過去の戦闘に用いればどれほどの事ができるのか?」という最大の醍醐味は、綿密な取材によりしっかりと押さえられている。この部分の確かさが、パイオニアたる本書が未だ風化しない理由だろう。
 北陸出身の半村らしく、物語では三十人程の自衛隊員たち《とき》衆 が、長尾景虎=上杉謙信と共闘しながら越後→信濃→東海→関東→近畿と、史実とは逆に南進する形で日本中央部を制圧していく。その過程で当然有名な〈川中島の戦い〉も行われることに。丸太を捩じ込んでトラック部隊を止める武田軍の戦法は、ベトコンゲリラを参考にしたものだろうか。田辺節雄のマンガ版ではまさに死闘といった感じだったが、原作での戦闘描写はこれもあっさりめ。この戦い前後から、近代兵器の備蓄その他が底を付き始める。シミュレーション物はおしなべてそうだが、帰趨の明らかとなる後半よりはやはり手探り状態の前半部分が面白い。
 墜落したジェットヘリコプターV107や消耗品の有線誘導ミサイルMATに代わり、統一の原動力となるのが経済の力。佐渡の鶴子金山から金鉱石を発掘、更に装甲車を走らせる為の道路建設工事が国土を潤し、黄金を凌ぐ圧倒的な富を生んでゆく。自衛隊員たる伊庭三尉の不戦の決意や東京への想いが、義将・謙信の評判や関東侵攻に繋がってゆくのも良い。簡潔ながら細部まで考え抜かれた作品で、採点は発表後の多大な影響力をプラスし7点ジャスト。


No.517 6点 火の笛
水上勉
(2021/05/13 11:53登録)
 下山・三鷹・松川事件と占領下での怪事件が続発した昭和二十五(一九五〇)年一月十一日。カネハラ毛糸外交員・志村恭平は家族とともに東京駅に近い大三デパートの屋上にいた。彼はそこで満州国際海運時代の同僚・蓑内徳太郎らしき人物を見かけ会釈するが、蓑内はなぜか恭平から眼をそらすと足早に姿を消す。
 ほどなくして会社に福井県警警部補・宇梶時太郎と名乗る男が訪れ、彼に簑内の消息を訊ねる。だが赴任後二ヶ月ほどで姿を消した八年前の同僚の行方など、志村の預かり知らぬことだった。
 それから約一月ののち、つかれた足を引きずって会社に帰ってきた恭平のもとに赤羽警察署から電話がかかってきた。蓑内を追っていた宇梶警部補が殺されたのだ。宇梶は新荒川ぞいのかなり広い貯木場の隅で、血だらけの頭の半ぶんを水の中に突っ込み、万歳をした格好で両手をひろげ仰向けに倒れていた。
 朝鮮戦争直前の占領軍統治下を背景に、東西両陣営スパイ組織の思惑が絡んだ警官殺害事件を追う、社会派推理の意欲作。
 昭和三十五(一九六〇)年に文藝春秋社より書き下ろし刊行された長篇小説。この年には探偵作家クラブ賞受賞作『海の牙』を筆頭に『耳』『爪』など少なくとも五長篇が発表されており、本書が何作目に当たるのかは定かでない。出版月の早さと「毎月、二十枚ずつ書いた」との記述から、「不知火海沿岸」→『海の牙』改稿と一部同時進行だった可能性もある。読了は全集版だが、『海の牙』とのカップリングと著者の巻末あとがきから、かなり思い入れの深い作品であることが窺える。雪深く辺鄙な六呂師部落での苦しい取材旅行の成果は、この後『越前竹人形』を経て大作『飢餓海峡』に結実する。
 冒頭の福井県干飯崎沖での潜水艦目撃シーンは、当時実際に日本近海に出没していた怪船情報をヒントにしたもの。本書の蓑内は北鮮系諜報組織の一員という設定だが、中華人民共和国・北朝鮮・大韓民国の成立がどれも一九四八年前後であると知ると更に驚く。建国直後から日本に対して動いていた事になるからだ。後に頻発した日本人拉致事件と併せると考えさせられるものがある。最もその二年後、本書とほぼ同じ頃北朝鮮軍の南侵により、半島では朝鮮戦争が勃発する訳だが。
 基本は節々にスパイの影が見え隠れする警察小説。ただしGHQへの配慮や疑念もあって、宇梶の元同僚・宮前儀三郎の捜査はなかなか進まない。だが終盤蓑内の顔を知る志村が〈エリック機関〉に拉致解放されてからは、ここで登場するキーパーソンの調査情報とそれまでのデータとが突き合わされて一気に霧は晴れ、物語は終幕に向けてなだれ込む。5点レベルで推移していた内容がここに来て1点プラス。中盤での主人公・宮前警部補の北陸調査行は、うらぶれた越前若狭の漁村風景や、波濤くだける断崖の家に棲む竹細工師の姿と共に印象に残る。


No.516 5点 殺人者にダイアルを
梶龍雄
(2021/05/11 10:54登録)
 夏も盛りに近づいた七月二十三日、旧軽井沢の由緒ある旅館で将来を嘱望された福富銀行新宿副支店長・間宮信夫が急逝した。死因は青酸カリによる服毒死。銀行協会会長の息子という血筋に恵まれ、優秀な学歴をも併せ持つ三十三歳のエリート銀行屋(バンクマン)がなぜ突然自殺したのだろうか?
 その三日後の七月二十六日、新宿区北新宿一丁目の木造アパート "柏木荘" 十六号室で歌舞伎町のバー "レモン" のホステス、上草千秋が自殺した。彼女もまた信夫同様、レモン味の清涼飲料で青酸カリを飲み下し死んでいた。
 千秋の自殺を信じない鶴瀬学園DS(推理小説)クラブの一人・お京こと藤川京子は、会長の高村翻常や幼馴染の芝端敬一、さらに姉の死を知り上京した千秋の弟・敏夫少年らと共に、千秋の持つ〈山吹色の糸封つき書類封筒〉を執拗に探し求める男の正体に迫ろうとするが、やがて彼らの前には二つの事件を結ぶ、都市銀行をターゲットにした大掛かりな犯罪の影が浮かびあがってきた・・・
 『ぼくの好色天使たち』に続く著者の大人向け長篇第七作。1980年9月刊。初期鮎哲か綾辻行人風の大胆なアリバイトリックを、コミカルな青春推理と組み合わせた大学生探偵団の二作目で、それなりに意欲的な小説。ただしメイントリックの関係でストーリーに組織犯罪を組み込んでおり、相性はあまりよろしくない。〈オペレーション・トマト〉なるマンガチックな名称や、スパイ小説もどきの展開を許容できるかどうかもおそらくは鍵。と言ってもそう聞いてイメージする程におかしな作品ではなく、随所に伏線も張り巡らせてあるが、全体としてチグハグなのは否めない。前作の『天才は善人を殺す』は未読だが、結末部分も含めシリーズ全体の色合いがどう変化したのかは気になるところ。今となっては古びてしまった要素も目立つので、評価は6点寄りの5.5点に留まる。題材的にかなり損をしていると思う。


No.515 7点 ふくろう党
オノレ・ド・バルザック
(2021/05/09 01:16登録)
 一八二九年に発表されたバルザック最初期の歴史長篇小説で、分類は〈軍隊生活情景〉。クーデターによるナポレオンの独裁権掌握からマレンゴの戦い辺りの時期、フランス西部ヴァンデ地方を根拠地とするカトリック王党ゲリラ〈ふくろう党〉の首領、ガーことモントーラン侯爵と、彼を葬らんとする統領政府との戦闘を交えた執拗な抗争を描く作品だが、内容的にはコランタンの謀略に弄ばれつつも侯爵との恋を成就させようとする数奇な運命のヒロイン、ヴェルヌイユ嬢を主体とした恋愛悲劇の色彩が濃い。
 構成はペルリーヌ山頂での序幕〈待ち伏せ〉、アランソンの旅館トロワ・モールに主要人物たちが集う〈フーシェの策略〉、要塞都市フージェールを舞台に急展開し大団円に至る〈明日なき日〉の三部に分かれるが、これは伝統芸術たる演劇を意識してのものらしい。当時新興ジャンルであった小説は、資本階級の台頭と共にこの後メディアと結合して黄金時代を迎えるが、まだまだ発展途上であった。
 先にメリメの「シャルル九世年代記」評で述べたように、バルザックも又ウォルター・スコットの『ケニルワース』に感激し小説家を志した一人だが、この英作家の人気もこの頃には、一九二六年翻訳のジェイムズ・フェニモア・クーパー『モヒカン族の最後』に取って代わられていたらしい。本書での大胆な自然描写や、山羊皮を纏ったブルターニュのふくろう党員たちの姿には、明らかにクーパー作の影響が仄見える。
 ヴェルヌイユ公爵の私生児として生まれ認知されながら無知ゆえに社交界から追放され、共和主義者ダントンと結ばれるも夫の処刑後さらに身を落とし、統領政府の手駒として三十万フランの報酬でガーの逮捕を請け負う身の上となったマリ・ナタリー、彼女の乳姉妹にして忠実な僕フランシーヌ、フーシェのお目付け役としてマリを監視する密偵コランタン、海軍士官母子に偽装してその眼を欺こうとする恋敵デュガ夫人と、王命を奉じふくろう党を指揮しながら、やがてマリの虜となる反乱指導者モントーラン侯爵、侍女フランシーヌの恋人で勇猛なふくろう党員マルシュ・ア・テール。愚直な政府軍指揮官ユロ。惹かれ合いながらも敵対を繰り返すマリと侯爵との関係を中心に、各々に惚れたコランタンとデュガ夫人の策謀が絡み、物語は進展していく。
 ヴィヴチエール館での裏切りと屈辱からモントーランへの猜疑に駆られ、恋と復讐の間を振り子のように揺れ動くマリ。二部までは影が薄いものの、三部から急速に存在感を増し彼女の動揺に付け込むコランタン。野心一辺倒と思いきや、意外に純情なのがらしいと言うか、らしくないと言うか。とはいえ遣り口のエグさは変わらず、ここでも偽手紙が得意技なのね。一部二部は地味だけど、最終部が舞台共々作り込まれているのを買って、採点は7点ちょうど。


No.514 6点 江戸忍法帖
山田風太郎
(2021/05/03 04:03登録)
 徳川五代将軍綱吉のもと権勢をふるう側用人にして大老格・柳沢吉保は、前将軍家綱の遺子・葵悠太郎の出現に驚愕した。彼はただちに子飼いの忍者「甲賀七忍」に密命を下し、四代さま御落胤の存在が世に知れ渡る前にその抹殺を謀ろうとする。果たして変幻自在の忍法を駆使する七人の妖忍と、一刀流の達人悠太郎の対決はいかに? そして悠太郎を慕う越後獅子の娘・お縫と、吉保の愛妾おさめの方の妹にして柳沢家の養女・鮎姫との恋の鞘当ての行方は? 鬼才・山田風太郎が描く会心の忍法小説。
 雑誌「漫画サンデー」に、昭和34(1959)年8月25日号~昭和35(1960)年2月22日号まで連載された、『甲賀忍法帖』に続く風太郎忍法帖第二作。この年前半には代表作の一つ『妖異金瓶梅』を完結させているが、それも含めて長編一本に短編五本と、37歳の壮年期にしては比較的少ない。次作が『飛騨忍法帖』である事を考え併せるとシリーズの方向性を探っていたという見方も出来、本書の貴種流離譚風な人物造形や物語展開もそれを裏付けている。だが流石にこの作者だけあって、つまらぬ作品には仕上がっていない。
 冒頭数章でいきなり葵悠太郎を守る三剣士が斃され、越後獅子のかたわれであるお縫の弟・丹吉も七忍の手に掛かる疾風怒濤の展開だが、これはストーリーを整理するため。お縫と鮎姫、二人のヒロインが目まぐるしく悠太郎と七忍サイドを行き来し、これに甲賀一族からの脱出を願う頭領服部玄斎の娘・お志乃も絡むその機微で、超人的な能力を持つ忍者たちが次々屠られてゆく。『甲賀~』とは趣を変えた常人の手になる忍者退治だが、相当以上に活躍するお縫を始め時の氏神的な助けもかなり入るので、〈悠太郎が強すぎる〉との指摘は当たらない。
 風太郎本人は「少年小説みたい」と称してあまり評価しなかったようだが、クライマックスとなる小塚原刑場での大殺陣は絵になるし、何度もお縫と入れ替わる鮎姫の清冽さや真摯さもベタだが良い。忍法帖にしては爽やかな結末もこれはこれで悪くなく、本サイト基準の採点では6.5点。お馴染み水戸黄門や助さん格さんも、準お助け役で出てくる。


No.513 6点 引き潮
ロバート・ルイス・スティーヴンソン&ロイド・オズボーン
(2021/04/30 14:19登録)
 南太平洋タヒチの浜辺にたむろする尾羽打ち枯らし食いつめた男たち。オックスフォードに学びながらもずるずると身を持ち崩したロバート・ヘリック、怠惰から商船を沈め六人を死なせたニューイングランド出身の元船長ジョン・デイヴィス、コックニー育ちの町の鼻つまみ者ヒュイッシュ――不運という絆で結ばれた三人は、天然痘の発生でにっちもさっちも行かなくなった帆船を、遙かシドニーまで届ける契約に飛びつく。ただしどん底からの脱出を願う彼らの真の目的は、船を盗んで南米ペルーまで逃亡し、積荷のシャンパンを売り捌くことだった。
 だが不測の事態に続く嵐との遭遇で、早くも計画には暗雲が立ち籠める。さらに肝心の積荷には、彼らの知らぬ秘密が隠されていた・・・・・・。『宝島』の文豪スティーヴンソンが南太平洋の雄大な自然を背景に描く、冒険者たちの苦難と葛藤の物語。数々の文学者に愛された知られざる逸品、本邦初訳。
 『誘拐されて』の続編『海を渡る恋』に引き続き発表された、著者十番目の長編小説。1894年刊。妻ファニーの連れ子ロイド・オズボーンとの共著としては『難破船』に次ぐ三作目にあたるが、着手はそれよりも早い1889年。肺病治療を兼ねてポリネシアを旅する多事多端な時期の作品であるが、その合間を縫って知人に宛てた手紙には、執筆時の難儀が切々と綴られている(特にクライマックスの第十一章部分)。それによるとロイドが担当したのは冒頭の数章だけで後はほぼスティーヴンソンの筆であるらしく、いずれにせよかなりの難産だったようだ。『難破船』と共に長編三連作〈南洋物語〉を成す構想だったが、第三作 "The Beach Combers" は結局書かれなかった。
 「これほど醜悪で皮肉な作品はまずないだろう」「悪名高い作品に若い彼(ロイド)を巻きこむのは忍びない」「いまだかつてない残忍でいまわしい話だ」という著者の言葉通り、生死が入り混じった結末ではあるが見かけほど単純ではない。『引き潮』のタイトル通り、登場人物たちは生命の危機にあたって海底が現れるように魂の実相を剥き出しにし、己の限界を見据える事になる。第二部で現れる無慈悲な伝道者アトウォーターは、揺れ動く彼らとは真逆の強固な信仰心に支えられた人物で、成功を体現する彼の前に三人はただ屈服するしかない。その形はそれぞれ異なろうとも。
 本書は実質RLS最後の完成作品であるが(残る二作『ハーミストンのウェア』『虜囚の恋』は未完)、この年病没する彼がどのような心境に至ったのかは知るべくもない。未読の諸作から著者の変遷に迫るのは今後の課題。それだけミステリ史上でも重要な作家である。


No.512 6点 秋期限定栗きんとん事件
米澤穂信
(2021/04/29 08:02登録)
 前作での互恵関係解消を受けて、主人公・小鳩常悟朗と小佐内さんがそれぞれのやり方で清く正しい小市民への道を目指す、第三作にしてシリーズ初長編。主人公二人は一歩後ろへ退き、木良市全域に頻発する連続放火事件の犯人を捕えようとの功名心に逸る、船戸高校新聞部員(途中からは部長)・瓜野高彦が主体となってストーリーを動かす。小佐内さんに告白し、常悟朗に代わってペアを組む事になる彼だが、その行動力はともかく暴走一歩手前の強引さは、傍から見ても危なっかしい。シリーズの重しである前新聞部長・堂島健吾も若干持て余し気味である。
 全体としてはこの新キャラクターパートと、こちらもクラスメイトに告白されたジョーゴロのパートが交互に綴られる構成。もちろんその影では小佐内さんが暗躍している。さすがに新田先生の異動には関わっていないと思うが、彼女の事だから分からない。あまり言われないが正直ここが一番怖かった。
 ミステリとしては主人公が放火犯あぶり出しの為仕掛ける「月報船戸」利用の罠がセオリーなれど秀逸。レシートの暗示はちょっと露骨だが、最後まで交わらない二つのパートにそれぞれ巧妙な伏線が張ってあるのもいい。解説の辻先生には悪いが、直接行為に出るのは小佐内ゆきのスタンスから少々外れると思う。
 約一年の長丁場なだけあって、『夏期限定トロピカルパフェ事件』よりさらにゆったりした流れ。ただしボリューム増の胃もたれ感は無く、読み心地の方も前作とあまり変わらない。縒りを戻した形の二人だが大学受験まであともう僅か。最終作と思われる『冬季限定~』は、果たしてどのような作品になるのだろうか?


No.511 5点 幽霊塔
江戸川乱歩
(2021/04/28 13:46登録)
 長崎県の山に包まれた片田舎に建つ寂れた西洋館には、幽霊が出ると噂される時計塔が聳えている。大正四年の四月、このいわくつきの場所を買い取った叔父の名代で館を訪れた北川光雄は、神秘のベールをまとった世にも美しい女人に出逢い、次第に彼女の虜になっていくのだったが・・・・・・。埋蔵金伝説の塔と妖かしの美女を巡る謎また謎。手に汗握る波瀾万丈の翻案大ロマン。
 雑誌「講談倶楽部」昭和十二年一月号より翌十三年四月号まで掲載された、乱歩の翻案長篇。同じく翻案ものの『緑衣の鬼』から間を置かぬ連載で、ジュブナイル二作目『少年探偵団』とも一部時期が被る。先に翻案を手掛けた黒岩涙香により原作者名は長らく秘匿されていたが、研究者・伊藤秀雄の手によって英作家アリス・マリエル・ウィリアムソン作『灰色の女』 "A Woman in Grey" (1898)と判明した。ただし原書はラブロマンスの趣が強く、面白さでは涙香のものに劣るらしい。本作はその涙香版を作者が独自にリライトしたものである。
 何度も換骨脱脂された作品だけにリーダビリティは高いが、首無し死体関連その他、ミステリ部分の謎解きは結構ぞんざい。その分乱歩が絶大な興味を持っていた、人間改造術の描写に力が注がれている。筋運び優先のジュブナイル版とは異なり、このあたり作者の選別は露骨。原作がどうなのか分からないが、いきなり曲馬団から脱走した虎と対峙したり、中盤では座敷牢に閉じ込められた主人公が壁を突き崩して逃げるなど、ストーリー優先とは言えご都合主義の嵐。更に豪商・渡海屋市郎兵衛が残した聖書の謎も食い足りない。本書の継続する人気はやはり時計塔の機械仕掛けと、財宝探しとの組み合わせの妙にあるのだろう。『ルパン三世 カリオストロの城』等の、各種作品懐かしの元ネタとして堪能したい。


No.510 8点 星の歴史―殺人衝動―
獣木野生
(2021/04/28 09:51登録)
 1980年アメリカ。荒みきった環境に育った黒人青年ボアズ・ウルマンは身を持ち崩し、トラブルから取り引き相手を射殺して実刑判決を受ける。ボアズが収監されたのは奇妙な雰囲気の刑務所。そこにはロナルド・エリーの組織から逃れ、少刑から成年刑務所に移されたかつての天才少年マイケル・ネガットこと、ジェームス・ブライアンがいた。ジェームスはボアズに近づこうとするが、あくまで白人を嫌う彼に拒絶される。しかしある事件と「星の歴史」という短い詩を切っ掛けにボアズはわだかまりを捨て、ジェームスを受け入れ更生への道を歩むのだった。
 刑務所内での穏やかな日々は過ぎ、やがてジェームスは元医者の私立探偵カーター・オーガスに出会い出所を決意する。一人取り残される形のボアズ。手続きを進めてきたジェームスの弁護士ジョン・ミハリクは、慟哭するボアズの肩を優しく抱いて告げる。

 「彼が本当に君が言った様な男なら、けっして君を忘れたりしないさ。ここを出たら真っ先に訪ねていってごらん。きっと、喜んで迎えてくれる筈だ」

 1年後のクリスマスの夜、出所してロサンゼルスのオーガス家を訪れたボアズは、ミハリクの言葉通り再会したジェームスに抱きしめられる。ナイトクラブでウェイターをする傍らアンディとバンドを組み、音楽の道に進もうとするボアズ。だがジェームスの過去の宿業が招く最大の危機は、彼らの間近に迫っていた・・・
 主人公ジェームス・ブライアンと大量殺人鬼の宿命的な対決を描くオムニバス長編漫画作品『パーム』の第5話で、雑誌「WINGS」1987年7月号~1988年11月号掲載。前半部の締め括りとなるだけに内容もハードで、コミック最終10巻はほぼおちゃらけ無し。ここまであらゆるものを傍若無人になぎ倒してきたジェームスが、初めて対等以上の相手にぶつかりえらい目に遭う。連載中の特に後半、本性を現した殺人鬼サロニーが舞台に上がってからの緊張感はハンパではなく、いきなりシリーズのテンションが上ってびびったのを覚えている。少なくとも少女マンガの範疇ではない。
 副主人公を務めるボアズの設定と、アットホームとは言え監獄舞台で始まるのも思い切り良いが、特筆すべきはやはりジェームスを狙うエティアス・サロニー。ボアズを罠に嵌めボスのカーターを拉致し、足場を削るように標的ジェームスを追い詰めていく。コントラストの強い絵柄も相俟ってイメージ的にはまさに死神(後にほぼその通りなのが分かるが)。「お前は死にたがっている」と囁きながら迫ってくる、単なるシリアルキラーを超えた存在である。ボアズを監禁した彼からの呼び出しを受け、傷つきながらも死を賭して最終的な決着に赴くジェームスのセリフが良いのだな。

 「俺にはあまり―― ここが本当に自分の場所だと思える所はなかった」「だがこの家は違った。別に・・・何のことはない。ただあんたたちが俺を見る時のその目が――・・・・・・他の誰とも違うような気がしたんだ」

 第3話『あるはずのない海』を思い起こさせるシーンで、これに続く二人の決闘描写もシリアスそのもの。サロニーは作者自身にとっても突如降って湧いたように現れた大悪役だそうだが、それに恥じない緊張感で全篇を支えている。色々と枠を超えた凄みのある作品で、採点は7.5点~8点の間。


No.509 7点 シャルル九世年代記
プロスペル・メリメ
(2021/04/24 12:52登録)
 フランス中短編の名手プロスペル・メリメ唯一の長篇歴史小説。一八二八年の六月ごろからおよそ半年の間に執筆され、翌一八二九年三月五日に刊行された。一五七二年八月二十四日の正夜半パリで起きた聖バルテルミーの大虐殺(カトリックによるプロテスタントの大量殺戮)と、それに続く南仏最大のプロテスタント陣営根拠地ラ・ロシェルの都市攻囲戦を主題とする。
 一八一六年以降のフランスでは、スコットランド出身の英作家ウォルター・スコットの歴史作品「ウェイヴァリ小説」が続々と仏語に訳されて人気を博しており、これに刺激されたフランスの作家たちも、競って自国の歴史にドラマチックな題材を求めた。ヴィクトル・ユゴー『アイスランドのハン』、(1823、邦訳名『氷島奇談』)アレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)の戯曲『アンリ三世とその宮廷』(1829)等がそれである。
 これはナポレオン戦争(1799~1815)の最終的な敗北を受けての流れであり、根底に勝者イギリスへの複雑な感情があることは想像に難くない。あえてそれに反し、フランス直近の激動を描いたのがオノレ・ド・バルザックの『ふくろう党』(1829)であり、その透徹した視線を当時の現実社会に向けたのが膨大な作品群『人間喜劇』。さらにシリーズ全体の背骨となるヴォートラン三部作(『ゴリオ爺さん』『幻滅』『浮かれ女盛衰記』)は、近代フランス文学の大いなる礎石となった。バルザックほど尖ってはいないがメリメの本書も単なる歴史物に留まらず、「読者と作者の対話」なる第八章や全篇の締め括り方など、のちの大成を予感させる遊びが散見される。
 物語の骨子はカトリックとプロテスタントとに劃たれ、時代の流れに翻弄されるジョルジュ、ベルナールのメルジ兄弟の悲劇、これに宮廷一の美女、伯爵未亡人ディアーヌ・ド・チュルジスとの恋愛模様や、ベルナールに嫉妬する剣戟の名手コマンジュとの決闘沙汰などが絡む。チャンバラシーンなど意外に達者で楽しめるが、〈今や残忍であることが慈悲であり、慈悲深いことは残忍である〉とのセリフで知られる虐殺シーン以後は、活劇風に進んできたストーリーの色調もとたんに変わる。
 王シャルルや母后カトリーヌ・ド・メディシス、後のアンリ三世や四世といった大立物の登場を最小限に抑え、〈三アンリの戦い〉すらカットし無名の人々の物語として完結させたのは作者の見識だろうが、娯楽作品としてみると後半やや物足りないか。メリメらしくシンプルかつ格調高い文章だが、そういう訳で採点はギリ7点。


No.508 8点 暗黒事件
オノレ・ド・バルザック
(2021/04/21 09:17登録)
 ナポレオンの帝位登極直前にあたる一八〇三年十一月十五日のこと、オーブ県にあるフランス指折りの地所・ゴンドルヴィル荘園に、パリから二人の男がやってきた。飛ぶ鳥をおとす勢いでオーブに君臨する参事院議員・マランの依頼で、同僚ジョゼフ・フーシェから差し向けられた腕利きの密偵たちだった。
 一方、ユダの汚名に甘んじて荘園を管理する番人頭のミシューは、大革命で処刑され没落した旧領主サン・シーニュ伯爵家とシムーズ候爵家とに密かな忠誠を誓い、気丈な伯爵家の娘ローランスとともにナポレオン打倒の為帰国したシムーズ家の双生児たちを匿い、フーシェの両腕を出し抜くことに成功する。だがそれは、やがて彼らの上にのしかかる悲劇の序章に過ぎなかった・・・。
 一八四一年一月から二月にかけて「コンメルス」紙に発表された歴史長編小説で、区分は〈政治生活風景〉。ヴォートラン三部作の第二長編『幻滅』の少し前に刊行され、後に彼の好敵手となる〈蛇のように執念深い〉警視庁の密偵頭コランタンが登場する。ミシューもローランスも強靭な精神力を持つ高潔な人物で、巧妙な立ち回りと抜け目なさで一度は警察を出し抜くが、その際ローランスがコランタンに与えた屈辱が後の冤罪事件に繋がってゆく。善人が決して報われないところ、これもいつものバルザックである。
 実質二部構成だが、後半ミシューたちに冤罪として降りかかるマラン誘拐事件の配分は少なく、五里霧中のままの逮捕の顛末と裁判の駆け引きが中心。なぜ参事院議員が誘拐・監禁されたのか、犯人が誰なのかは不明のまま、イェナの戦いを控えてプロイセン軍と対峙する、皇帝ナポレオンへの特赦嘆願シーンまでどんどん進んでゆく。真相が明かされるのは事件から二十七年後の一八三三年、ブルボンが廃されオルレアン公ルイ=フィリップが国王となってから。
 実はメインのこれよりも前半の亡命者隠匿の方がスリルがあり、自然のマントに蔽いかくされた廃僧院の隠れ家とか、少年ゴタールが憲兵の足止めをする所とかワクワクする。どちらかと言えばデュマ風のこちらが面白さの本筋か。硬めのタイトルで損をしているが、多面性を持ったかなり贅沢な作品である。食わず嫌いの方もひとつどうぞ。


No.507 6点 狩久探偵小説選
狩久
(2021/04/14 05:10登録)
 梶龍雄とも親交があり、泡坂妻夫のブッキッシュなミステリ〈ヨギ ガンジーシリーズ〉にも影響を与えた、旧「宝石」誌古株の投稿作家・狩久初のロジック系作品集。収録作は年代順に 氷山/落石/ひまつぶし/すとりっぷと・まい・しん/山女魚/佐渡冗話/恋囚/訣別――第二のラヴ・レター/見えない足跡/共犯者/呼ぶと逃げる犬/たんぽぽ物語 の十二編に、十数年ぶり再デビュー後の雑誌「幻影城」発表中編「虎よ、虎よ、爛爛と―― 一〇一番目の密室」を加えた、十三本の中短編で構成されている。
 明るくユーモラスなものが中心だが、「すとりっぷと~」「恋囚」のように結核病者特有の鋭い感性が窺われるもの、それを敷衍したセクシャルなもの、果ては「訣別~」等の私小説めいた短編もあってバラエティに富む。だがその多くは、「呼ぶと逃げる犬」「虎よ、虎よ~」の安孫子教授邸や棟梁辰五郎の仕掛け屋敷に見られる怪建築群など、チェスタトン風の軽妙にして奇妙な論理や幾何学的思考に貫かれている。「落石」→「見えない足跡」→「共犯者」のように、基本となる発想に巧みなバリエーションを施したものもある。官能要素とロジカルな謎解きとの結合が、狩久作品の特長と言える。
 ベストは映画の主役を得んがために己の右腕を切断する、映画女優の鮮烈な行為を背景にしたトリックが光る名作「落石」。次いで病床に横たわる青年の犯罪と性幻想「すとりっぷと・まい・しん」、人里離れたバンガローの浴室から蒸発した美女が下流の淵に浮かぶ「山女魚」の三作。作者の地元編「佐渡冗話」や、官能+論理のせめぎあいの「恋囚」も捨て難い。また密室論理の「共犯者」は、杉本警部の二番目の仮説がなかなか。後の新本格先駆の匂いもする、トリックメーカー面目躍如の作品集である。

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