雪さんの登録情報 | |
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平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.546 | 5点 | 悪魔の嘲笑 高木彬光 |
(2021/07/07 23:23登録) 弁護士・浜野正策を名乗る一人の男が、東洋新聞の編集部に特ダネを提供しに来た直後、突然苦しみ出し死んでしまった。絶命する寸前に、既に死刑判決を受けている殺人犯は白だ、と叫んで。死因は青酸化合物によるものと推定されるがあまりに効力を発揮するまでの時間が遅く、よほど特殊な化合物が使われたのではないかと思われた。そう、例えばあの事件のような―― 四年前、世にも奇怪な物語と世間を騒がせた「美宝堂事件」が、再び甦るのか。混乱する捜査陣をあざ笑うかのように、一件また一件と過去の犯罪をなぞった殺人が繰り返される。悪魔の知恵を持つ犯人に、名探偵・神津恭介が挑む傑作推理。 白羊書房の雑誌「漫画タイム」に昭和30(1955)年8月から掲載されるも翌年中絶し、仕切り直して探偵小説専門誌「宝石」に昭和31(1956)年10月号~昭和32(1957)年5月号まで連載された、神津シリーズ第五作。長篇としては合作も含め八冊目となる。角川文庫の未刊分を補う形で光風社出版から刊行された叢書「名探偵・神津恭介」の中では比較的長めの長篇で、当時は期待したものだが内容的には微妙。あまり評判のよろしくない『神秘の扉』と名作『人形はなぜ殺される』の間に挟まるだけあって、そこまで酷くもないがわざわざ取り上げる程でもないという、中途半端な作品に仕上がっている。 帝銀モチーフの毒殺四件に加え死刑執行のタイムリミットと、派手な見掛けの割には地味め。人間関係こそ複雑なものの、現実事件から採った毒殺手段+ワンアイデアのみで基本プロットが構成されている。拘置所内に〈悪魔の嘲笑〉が響き渡るラストシーンは流石だが、ここに持っていくためだけの小説で5点以上は付けられない。 |
No.545 | 6点 | 女王 連城三紀彦 |
(2021/07/05 22:45登録) 昭和五十四年二月七日、精神科医・瓜木のもとを訪れた三十才になる男性・荻葉史郎は、自分の中にある経験した筈のない空襲の記憶を訴える。にわかには信じられない話だった。だが瓜木医師は思い出す。東京大空襲のさなか、今と変わらぬそのままの顔の史郎と会っていたことを。 一方、長年史郎を慈しんできた祖父の祇介はその七年前、大晦日の夜にかかってきた一本の電話を受け、急遽旅に出たあと冷たい骸となって発見されていた。死因は多量の睡眠剤の服用。邪馬台国研究に生涯を捧げた古代史研究家の彼が、真冬の深夜一路吉野へと向かい、更に日本海を臨む若狭まで北上して死を遂げたのは何故なのか。事件から二十三年後の平成八年、不治の宿痾を抱えた瓜木は史郎や彼の妻・加奈子と共に千数百年の歳月を遡り、奇妙な記憶と不審な死の真相を探る旅へと向かうが・・・。 雑誌「小説現代」に、作中時間とほぼリンクする形で1996年3月号~1998年6月号まで連載。著者の第25長篇となる作品で、前半は『わずか一しずくの血』後半は『流れ星と遊んだころ』と重なり、短篇では『年上の女』『夏の最後の薔薇』『さざなみの家』各収録作を執筆していた時期になる。大作として何度も刊行予告されながら作者の実母介護のため延期され、2010年にようやく手直しが始まったと思いきや、自身の胃癌発見とそれに続く闘病生活によりそれも中断、結局連城逝去後の2014年10月、改稿作業が完了しないままの遺稿として出版された。 荻葉史郎が持つ空襲に留まらぬ膨大な過去の記憶―― 関東大震災、南朝最後の帝・後亀山天皇に同行しての吉野山からの都落ち、更にその千年前、邪馬台国の女王・卑弥呼に仕えた遥かな日々の追憶など、一人の人間が千数百年間生き続けたとしか思えぬ謎が、冒頭から釣瓶撃ちに荻葉家代々の血脈と絡めて語られる。しかも史郎のみならず、彼の父親であり祇介の息子である春生も、どうやら同じ記憶を共有していたようなのだ。更にそれを裏付ける証拠の発見が、祖父の生前最後の吉野行と関係しているらしい・・・。 旅路を遡行する毎に、過去から立ち現れる殺人や殺人未遂。全ての記憶は実在したのか、それとも単なる幻想なのか? 史郎の頬にあった三すじの火傷と、燃える櫛をかかげた女・卑弥呼の鮮烈な映像と共に、魏志倭人伝の「水行十日陸行一月」の謎が、奇妙な現実感を伴い描写されていく。 全体としては泡坂妻夫『妖女のねむり』的な構想を軸に、これに先立つ連作長篇『落日の門』の一篇で描かれたある思いつきを敷衍して組み立てられているが、かなり強引というか力技めいたものが目立ち、泡坂の端正さには及ばない(〈「日」であり「月」でもある一つの文字〉という邪馬台国の位置解釈は存外画期的だが)。通して読むと事前のイメージとは異なり、女性キャラよりも男性陣の印象を濃く残す父性のドラマ。奇妙な人生を歩まされた一男性の、精神治療と再生の記録である。 |
No.544 | 7点 | 私の愛した悪党 多岐川恭 |
(2021/07/03 08:11登録) 流行作家・笹雪郷平氏の実の娘は果たして誰なのか? ひとり娘が赤ん坊のときに誘拐されてから二十年――。親娘の再会を巡って、隅田川の見える下町の中華料理店兼下宿屋・珍来荘に住むはたちの少女、小泉ノユリ、阿木かや子、松林緋沙子の周囲に起こる争いと殺人を人情たっぷりのコメディ風に描いた意欲作。プロローグにつづいてエピローグが冒頭にくるという、構成の妙を示したユニークなミステリー。 『虹が消える』に続き昭和35(1960)年、講談社「書下し長篇推理小説」叢書(他の執筆作は鮎川哲也『憎悪の化石』、高木彬光『死神の座』、佐野洋『脳波の誘い』など)の一冊として発表された著者の第四長篇で、同年には処女長篇以来縁のある河出書房新社から第五長篇『静かな教授』も刊行されている。『悪人の眺め』『手の上の情事』『おとなしい妻』等の各収録短篇を執筆していた頃でもある。 作品としては二部構成で、犯人サイドから描いた女児誘拐事件の経過と二十年後の笹雪親娘の対面を、匿名のプロローグ&エピローグとして一部に括り、ユニークな住人の集まるボランティア下宿・珍来荘で起こった連続殺人事件と人間ドラマの顛末を、その後に提示している。自然に物語に引き込む巧みな手法で、読者は第二部に至りプロローグの誘拐犯、遠州・カンの字・チョロはどの人物なのか、またエピローグで登場するヒロイン・笹雪藍子は三人娘の誰なのかを予想する事になる。 これまでの斜に構えた主人公から滋味のあるドラマ中心の筋立てに舵を切った作品で、コン・ゲーム紛いの小遣い稼ぎに勤しむ憎めない似顔絵描き・万代海二を初め、手品師の兼ちゃんや人相見の栗山さん、艶歌師で緋紗ちゃんの兄の省一さんや仲仕の吉さんなど、道楽半分の経営だけあって、殺人にもめげないユニークな下宿人たちの和気藹々とした交歓が描かれる。 トリックは正直大したものではないのだが、ミスディレクションの巧みさやストーリー上の工夫、そして何より下町情緒溢れる人情ものの温みが光る作品で、この描写が良いだけに一種の楽園から追放された藍子の哀愁と、最後に激しい思いを圧し殺すその切なさが身に染みてくる。初期だけに結構な濃密さを湛えた、ちょっと天藤真のミステリを想起させる佳作と言える。 |
No.543 | 6点 | 一、二、三-死 高木彬光 |
(2021/07/02 11:04登録) 「一、二、三――死」とドイツ語で書かれた不吉な手紙が、ある日一人暮らしの老婆・谷口菊子のもとに届けられた。これは殺人を予告する脅迫状なのか? 菊子は同じマンションに住む "陽気な未亡人" (メリー・ウィドウ)こと村田和子に、「自分の時価十億を越える資産を奪おうと、三人の縁者が私を狙っている」と打ち明ける。和子は旧知の謎めいた天才探偵・墨野朧人に協力を仰ぐが、第一の殺人はその直後に起こった! 『黄金の鍵』以来の名コンビ、墨野朧人と村田和子が活躍する傑作本格長編推理。 「小説宝石」昭和48(1973)年8月号~同年12月号まで、五回にわたって連載された墨野朧人シリーズ第二作で、シリーズ中でも評判の良い作品。この直前に連合赤軍事件を扱ったノンフィクション『神曲地獄篇』を執筆したためか、容疑者に〈暴力左派の学生〉の影がチラつく。初期長編『白妖鬼』では日本共産党が重要なファクターになっているそうだが、昭和47(1972)年2月のあさま山荘事件を経て、著者の捉え方がどう変化したかは少し興味がある。 事件そのものは坂口安吾『不連続殺人事件』のような、手掛かりも証拠も見出だせない、誰にもできそうなとらえどころの無い連続殺人――と見せかけて、いくつかの消極的ヒントが振り撒いてある。だが、真に眼目となるのはその強烈な動機。高木は〈悪の造型〉に秀でた作家だが、本書でも終幕付近で明かされる「鬼の数え歌」の文句に乗って、一気に熱に浮かされるような結末が訪れる。 「昔の探偵小説だけがもっていたおもしろさを、現代にどう生かせるか」を課題に、経済を始め各種要素を取り込んでいるが、今読むとそこまでの面白みは無く、特異な動機をプラスした採点は辛うじて6点。 |
No.542 | 5点 | ヨルダンの蒼いつぼ 水上勉 |
(2021/07/02 07:28登録) 明日から夏休み、そして今日は待ちに待った父が帰国する。進吉の胸は躍った。だが、父の坂根恭平博士は旅の疲れをいやす間もなく大学へ帰国報告に出かけ、そのまま行方不明となってしまった。そしてその夜、帰国の際に持ち帰った黒いトランクも書斎から盗まれていたのだ。 オリエントの学術調査からもどったばかりの美術研究家を誘拐した犯人のねらいは何か。トランクの中には何が入っていたのか。水上勉が東京と福井の山村を舞台に展開する傑作長編推理! 朝日ソノラマジュブナイルの初期作品で、元版は昭和37(1962)年8月集英社より刊行。昭和36(1961)年~翌昭和37(1962)年にかけ、小学館発行の雑誌「中学生の友」に載った作品らしい。同時期には北杜夫「船乗りクプクプの冒険」なども連載されていた。今回はそのソノラマ文庫版で読了。 分量的には220P程だが良質の少年小説で、二十八歳の若手刑事・沢渡を始めとする富坂警察署の地道な誘拐事件捜査を、進吉の級友・岩野光彦ほか文化中学の七人組や、人里離れた福井の雲取山ろくに住む川田雄一・孝一兄弟がサポートする形で進行する。 日本海のほとり武生から越前の海岸を抜け、はるか山を入った中腹にある村。炭焼きと竹細工しかする仕事はなく、背後には切り立った崖があって日本海の荒波が打ち寄せる。本書にも『火の笛』で培った取材の成果が息づいているが、ジュブナイルという事もあり筋運びはストレート。しっかりと組み上げられたストーリーの中を、児童もの特有の爽やかな風が吹き抜ける。 この手の少年ものには案外、ケレンめいた名探偵よりも警察捜査の方が向いているのかもしれない。 |
No.541 | 6点 | 盲目の鴉 土屋隆夫 |
(2021/07/01 00:19登録) 酒とアドルムに溺れ、崩壊した人生を歩んだのち自ら命を絶った無頼派デカダン作家・田中英光。彼の全集解説を依頼され、新資料を求めて長野へ出向いた文芸評論家・真木英介が小諸駅付近で消息を絶った。そのわずか三日後、東京地検検事・千草泰輔は、世田谷の繁華街で不可解な毒殺事件に遭遇する。 被害者となった若手編集者・水戸大助が死に際に言い残した言葉は「白い鴉」。それに続き千曲川河畔で発見された真木の上着には、第二関節のあたりから切断された小指と、「た私もあのめくら鴉の」と書かれた便箋の断片が入っていた! 果たして二羽の〈鴉〉に繋がりはあるのか? 「週間文春傑作ミステリーベスト10」、1980年度第2位に輝く著者の代表長篇。 『妻に捧げる犯罪』に続く著者の長篇第八作で、千草検事シリーズとしては『針の誘い』に次ぐ第四長篇。二人の被害者を含め、少なからぬ関連人物が創作・出版関係者とこれまで以上に文芸味が強く、手掛かりも掴めず容疑者も定まらない中僅かなヒントを追い求め、薄紙を剥ぐ様に事件を結ぶピースに迫ってゆく。ハンカチに包まれた小指や、ストーリーを彩る謎めいた〈鴉〉という言葉など、読者に興味を抱かせるミステリアスな引きはかなり良い。毒殺トリックの弱さゆえか、プロットを支えるのは主に動機と犯人の隠し方。メインの電話トリックはなかなかのものだが、これが問題となるのが最後の三章だけなのが惜しい。 いつも以上にやるせないムードと背景でカバーしてはいるが、『危険な童話』『針の誘い』などの輝かしい過去作と比べると、やはり何枚かは落ちる。買える部分もあるが土屋作品としてはトータル二線級。 |
No.540 | 8点 | 琥珀色のジプシー マーティン・クルーズ・スミス |
(2021/06/29 19:54登録) ニューヨーク・マンハッタンで起きた古美術品運送車同士の衝突事故。運転手は双方とも即死したが、この事故にはもうひとつの惨劇が隠されていた。現場に散乱した美術品に混じって、若い女のバラバラ死体が出てきたのだ! 容疑は片方の運転手である死んだジプシーの男、ナヌーシュ・プルネシュティにかかった。彼の無実を信じる一族はその魂(ムロ)の安らぎのため、ナヌーシュの雇い主でイースト・サイドで古美術店を営むジプシー、ローマン・グレイ(ロマノ・グリ)を動かし、死者の汚名を晴らしてくれるよう頼むが―― 『ゴーリキー・パーク』の著者が、流浪の民とアンティークの世界を巧みに結びつけて描く異色サスペンス。大都会のエトランゼ、ジプシー探偵グレイ登場! これは拾い物。1970年発表の処女作 "The Indians Won" (インディアンの勝利)に続いて翌1971年刊行されたローマン・グレイものの第一作で、文庫で260P程と薄手ながら非常に充実。エスニックなジプシー文化の魅力は勿論、アンティークの修復知識にちょっとディック・フランシスを思わせるアクションと対峙、警察小説のエッセンスと手掛かりが押し込まれ(ここで使い捨てるには勿体無いくらい)、いずれも高い密度で楽しめる。 これにニューロティックスリラーを落とし込んで纏めた贅沢な闇鍋、と言ったらいいか。『ゴーリキー・パーク』はザラ読みしたきり手を付けていないが、個人的にはこちらの方が遥かに興味深く面白い。 ブレイクこそ『ゴーリキー~』を始めとするアルカージ・レンコ・シリーズだが、Simon Quinn、Nick Carter、Jake Logan、等の別名で様々なタイプの小説を書きまくっていたスミスが本格的に認知されたのは、アリゾナのインディアン居留地を舞台にホピ族保安官補を主人公に据え、吸血コウモリと人間との戦いを描く1978年度アメリカ探偵作家クラブ賞候補作『ナイトウィング』から(この時の受賞作はウィリアム・H・ハラハン『亡命詩人、雨に消ゆ』)。母方からプエブロ・インディアンの血を引くこともあって、本質的にはトニイ・ヒラーマンなどと同じくマイノリティ視点の作家であり、本書でもその特質は十二分に生かされている。 ジプシー仲間から脅し混じりに懇請され、イヤイヤながら相手側の運転手を雇っていたボストンの骨董品収集家、ホディノット・スローンの懐に入り込むグレイ。金庫の手紙から被害者の名を突き止め、ホディノットを警察に逮捕させる。彼はジプシーたちからの称賛を受けるが、頭の中では四本ともねじ曲げられたスローン邸のベッドの柱と、そこから三十センチ足らずのところで円を描いて回る、悪魔の首の警告が気に掛かっていた・・・ 「お前は自分がアメリカ人だと思ってるのかね。もしそうだったら、大ばかだよ」(中略) 「自分がジプシーだと思うのをやめ、別の人間だと考えるようになったら、いいかね、ロマノ、その瞬間にお前はもう死んでいる」 ジプシーのフリ・ダイ、セリエ・ミエエシュティの警告通り中盤からストーリーは急展開。血塗られた招待状を受け、ニュー・ハンプシャーの平原にある湖のなかの小島で、ローマンと真犯人との生死を賭けたサバイバルが始まる。短いながらも読み応えある作品で、採点は諸要素分を0.5点ほどおまけして8点。 |
No.539 | 6点 | アクティベイター 冲方丁 |
(2021/06/28 08:38登録) ある日羽田空港に突如、亡命希望の中国製最新鋭ステルス爆撃機・H-20が飛来した。各省庁に先駆けて現場の主導権を把握した警察庁警備局警視正・鶴来誉士郎は、女性パイロット・楊芋蔚(ヤンチェンウェイ)を事情聴取しようとするが、その彼に彼女は告げる。「機体には核弾頭が搭載されている」と。 核テロなのか、あるいは中国側の宣戦布告なのか。混乱と怒号渦巻く中、護送中何者かに拉致され囚われの身となった芋蔚を助けたのは、鶴来の義兄であるアネックス綜合警備保障警備員・真丈太一だった。核起爆の鍵を握る彼女の身柄をめぐり、中国の工作員、ロシアの暗殺者、アメリカの情報将校、韓国の追跡手(チェイサー)らが暗躍する。爆発すれば人類史上最大の犠牲者が――。そしてH-20の機内に隠れ潜む、もう一人の搭乗者とは? 未曾有の恐怖の中、東京中を奔走する鶴来と真丈。『天地明察』『マルドゥック・スクランブル』等数々のヒット作を生み出した作者が、25年の作家生活の総決算として送り出す、極上の国際テロサスペンス。 「小説すばる」二〇一八年四月号~二〇一九年十二月号までの連載分に加筆修正を行い、二〇二一年に刊行された、著者現代初舞台のポリティカル・アクションノベル。ただし〈総決算〉の謳い文句とは異なり、「SFマガジン」並行連載の『マルドゥック・アノニマス』と比べるとかなり薄味。ダブル主人公・鶴来&真丈の活躍を軸に、過去の因縁に絡むシリーズ全体の黒幕 "ストレンジャー" の影をチラつかせる手法は過去作〈シュピーゲル〉シリーズとも共通しますが、今回は小手調べといったところ。最初からシリーズ化前提の一作です。 生物たる人間の特性から戦闘や交渉(ディベート)の本質を見抜き、相手側の虚を突き混乱させ主導権を握る手法は興味深く好ましいのですが、問題なのは主人公側(特に真丈)が強すぎること。〈オクトパス〉の暗号名通り格闘相手にからみついては引き倒し、各種関節を挫いて無力化するスタイルで最初から最後まで無傷。場面転換の割に印象がフラットなのはこの為で、毎回ルーチンワークを熟してる感じ。もう少し読者をハラハラさせるような展開にならんかったのかと。 敵キャラも色々工夫して立てようとはしているのですが、前記の様に尽くアッサリ倒されるのでほぼ成功していません。結構健闘したのは螳螂拳の人かな。次作からはセミレギュラーとして登場しそうですけれど。 逆に一番トチ狂ってるのは味方側の某人物。ラバーマスクに黒のスエットスーツで全身を覆い、返しのついた棒手裏剣(刺さると激痛のあまり痙攣し筋肉が硬直するため、抜くにはペンチとメスが必要)を容赦無く投げまくるというイカレキャラで、これには真丈もドン引き。その酷さは〈狂犬(ラビッド)〉の通り名からも窺い知れます。最強格がほぼコッチサイドに集中してるのもバランス悪いですね。 という訳でスケールの割にはマルドゥックシリーズの様に入れ込めず、採点は6.5点。大冊の割には顔見世興行的な作品で中国やロシア等の扱いは軽く、それよりも国内各省庁同士の暗闘やスケープゴートの押し付け合い、謀略の目的などの腹芸や探り合いメイン。こちらの方はなかなかに扱いが難しく、知力担当の主人公・鶴来の魅力も十分描き切れていません。悪いシリーズではないけれど、最終判断は完結を待ってという所でしょうか。 |
No.538 | 7点 | 二つの薔薇 ロバート・ルイス・スティーヴンソン |
(2021/06/24 08:46登録) 舞台は薔薇戦争のイングランド。幼くして騎士の父親を失ったリチャード(ディック)・シェルトンは、反覆常無い領主サー・ダニエルの保護をうけ逞しい若年として成長していった。だがアジャンクールの老射手ニック・アプルヤードを貫いた黒い矢に、善良な父ハリィの死がサーの仕業であると記されていた事から、彼の境涯は変転する。黒い矢=ジョン・アメンドールの一味とはタンストール村に程近い緑林にたむろし、サー・ダニエルの暴虐に復讐を誓う者たちの事だった。 サーの後見に疑念を抱いたディックは、ランカスター側に付き一敗地に塗れた「濠の館」から離れ、謎めいた少年ジョン・マッチャムと行動を共にするが・・・。敵と味方が入り乱れ悪党が跋扈する世の中、自分の手で運命を切り拓いてゆく一人の若者の物語。 一八八三年六月三十日から同年十月二十日に亙って Young Folks 紙に掲載され、五年後の一八八八年に出版された、著者五番目の長篇作品。連載時は〈タンストールの森の物語〉という副題付きでした。刊行前年にはコナン・ドイル『緋色の研究』が発表されています。 〈この作品以上に生き生きと中世を描いたものを見た事がない〉と言われる小説で、男装の美少女マッチャム=ジョアナ・セドリィの萌え要素のせいか、劇作家ジョン・ゴールズワージーを含め隠れた愛読者も多い。同行中主人公ディックと喧嘩になりながら、何度も相手の気持ちを確かめようとするのがかわいいです。 物語は序幕を経て、全五篇に渡る構成。一篇から第二篇までが前半、三篇から五篇までが後半で、その間数年が経過。主人公はサー・ダニエルと袂を分かって〈黒い矢〉のサブリーダーとなり、恋人ジョアナをサーの手から取り戻す為奮戦する事に。 ただし舞台となるのは序幕から第五篇クライマックスで会戦が行われるショアビィの町まで、一貫してタンストール村近辺限定。サー・ダニエルの居館「濠の館」や〈黒い矢〉の本拠地である緑林、「聖林」と呼ばれる修道院や湿地帯を流れるティル川、河の水が注ぎ込む港町ショアビィなど、箱庭世界の中で全てが決します。 いきなりの〈黒い矢〉襲撃から始まる前半部分は、カップルの道中劇を経て館からの脱出とかなりスラスラ進みますが、ランカスターの再逆転で主人公側がお尋ね者になる中盤付近は少しダレ気味。海賊もどきの遣り口で民間船を奪うも敵の待ち伏せで惨敗、おまけに嵐との遭遇で死ぬ目を見るなど踏んだり蹴ったり。ディックことリチャード自身の勇猛さはともかく、直情過ぎてあまり機転が利かないので立ち回りはそれほど冴えません。 ちょっと頼りないディックに代わってストーリーを支えるのは、グロスター公こと悪名高きリチャード三世。各所に後の転落を思わせる描写はありますが全般に抜け目無く勇猛果敢。気性の激しさと圧倒的な精力を示し、ハッキリ言って主人公よりずっとかっこいい。彼が出ずっぱりの第五篇はそれまでの停滞を打ち消す程に面白く、その存在感のみで大いに挽回しているようなものです。 狡猾無類のジョン・シルヴァーといいバラントレーの若殿といい、一筋縄ではいかない人物を描かせるとやはりスティーヴンスンは映えますね。グロスター公の登場がもう少し早ければ、本人の言う通り『宝島』を超える傑作になったかもしれません。実際には真ん中あたりのダレを勘案して、採点は7点止まり。 |
No.537 | 4点 | トゥインクル・トゥインクル・リトル・スパイ レン・デイトン |
(2021/06/23 16:16登録) 〈スパイ衛星があともう百万個ほどもふえりゃあ、おれたちはふたりとも失業だな〉――アルジェリア領サハラ砂漠の奥に一千マイルほどもはいりこんだ地点で、"わたし" はCIAのマン少佐と共に、ソビエトの複合基地からの亡命者を待ち受けていた。 彼の名はアンドレー・ベークフ教授。メーザー(電磁波変換)技術の世界的権威だが、地球外生命体との交信に熱中するあまり国内でもお荷物的存在となってしまい、半ば追われるようにアフリカのマリに左遷されたのを契機に、西側への鞍替えを決意したらしい。 現地人の犠牲を出しながらも教授の保護に成功する二人。だが彼らの真の目的は、教授の所属する科学サークル〈一九二四年協会〉を通し続発する、電子軍事技術漏洩の謎を探ることにあった。事態は日々深刻化し、その被害はアメリカのみならず三千マイル彼方のイギリスにまで及んでいたのだ。 少佐と "わたし" はベークフから漏洩源を訊き出そうと試みるが、彼に引き続き亡命したベークフ夫人も含め一向に尋問の埒はあかない。やがてKGBと思しき男たちの夫妻への襲撃も始まり、事態はますます緊張の度を深めてゆくが・・・・・・ 『昨日のスパイ』に続くシリーズ第八作で、1976年の発表。今回は徹頭徹尾イギリス国外が舞台で、古狸のドーリッシュや『スパイ・ストーリー』『昨日のスパイ』のシュレーゲル大佐など、お馴染みの愉快なメンツはまったく登場しない。サハラ砂漠にはじまって、ニューヨーク、ヴァージニア州の田園地帯、フランス山間部の寒村、パリ、アイルランドのドロエダ、フロリダのマイアミ、ボルティモアから再びサハラと、文字通り世界中をひっぱりまわされる。 『スパイ~』に比べ全体の構図は分かり易くなっているが、その分重厚さには欠け血腥くも通俗寄り。センテンス毎に襲い来る機関銃の様なイヤミは健在なものの、見事なまでに鉄面皮な主人公がバックギャモンの名手、レッド・バンクロフトなる赤毛の美女にメロメロになるなど(当社比)、痛烈オチとはいえ "わたし" の冷血ぶりを愛する読者にとってはいささか物足りない。路線転換したのはいいが、これまでの積み重ねに代わる魅力を提示できてない感じ。 一応大ネタとして漏洩源の答えは用意されているのだが、そこまでの持っていき方も過去作に比べ強引かつ荒い。果たしてこのレベルまで食い込んだ人物が、こんなテロリスト紛いの立ち回りをするだろうか? 他にもあからさまな欠陥の方が目立つ作品で、イマイチ感興には浸れず採点は4~4.5点。 |
No.536 | 5点 | 少女 連城三紀彦 |
(2021/06/21 09:45登録) 『宵待草夜情』に続く、第七番目の作品集。1982年初夏から1984年11月にかけて「小説宝石」誌に掲載された五編を収めている。出版の際には〈ポルノ小説と童話を同時に一回出してみたい〉という著者の意向があったらしく、直木賞受賞作『恋文』とほぼ同時期の刊行となっている。ただしこちらは雑誌の要請もあり官能描写重点。トリの「金色の髪」を筆頭として、全編明暗のコントラストを重視したイメージに彩られている。 収録作を年代順に並べると 盗まれた情事/熱い闇/金色の髪/ひと夏の肌/少女 。ちょうど普通小説に移行する時期のためか、ミステリとしては『夜よ鼠たちのために』『宵待草夜情』収録各編と軌を一にする前半三作が優れている。ベスト3も概ねこれ。氏の小説には珍しく、中には幻想寄りの短編も含まれる。 「盗まれた情事」と「金色の髪」はいずれもスワッピングを絡めた殺人事件を扱っているが、前者の方がストレートな後者よりも出来は上。雑誌の読者伝言板の求めに応じ、十万で〈私の代わりに妻を抱いてくれ〉という "仕事" を請け負った医師の矢沢亜木雄。二度三度と奇妙な逢瀬を重ねるが、やがて行為を監視する誰かの視線を感じ―― 異様な状況を利用したアリバイトリックが見事。味わいも出来も『夜よ~』収録作に近い。「金色の~」はパリのアパルトマンを舞台に、日仏カップルの夫婦交換をテーマにしたスケッチ風映画を撮影する日本人カメラマンの犯罪を描いたものだが、冒頭シーンの強烈な呪縛と真相との乖離が虚しさを唆る。著者の海外ものには他に「親愛なるエス君へ」があるが、本作ではそれを越え、滅びゆくパリの怠惰と退廃がトリックと一体化している。動機の崩壊と同時に否応なく犯行が暴かれ、最後には広がる金髪が読者の脳裏を埋め尽くす作品。 『熱い闇』はある官能小説家の原稿が、担当編集者の現実の情事を不穏になぞるように進行していくストーリー。一応合理的な解釈は用意されているが、それだけで全ての説明はつかない。SFめいた「ひと夏の肌」と共に、どちらかと言えば語り重視の奇譚に属する。 表題作はシンプルな反転ものだが、社会派的な要素を導入し差別化を図っている。トリックよりも事件の構図に秘められたドロドロ部分が見所か。アッサリ纏めているが扱いは思ったより難しく、中長編の部分ネタ向きにも思える。 以上全五編。悪くはないがこの時期の連城作品として満足のいくものではなく、実質5.5点といったところ。 |
No.535 | 7点 | 飾り火 連城三紀彦 |
(2021/06/20 15:22登録) 奥底に赤い火を秘め隠した雪の舞う北陸本線車中で知り合った女は、夫に逃げられたまま新婚旅行中の花嫁だった・・・。 二十三年間単調にくり返し続けてきた日々に疲れを覚えていた一流企業の営業部長・藤家芳行は、誘惑に負けてその女と一夜を伴にする。彼の妻・美冴は芳行の挙動に不審を抱くとともに、息子や娘の変貌にうろたえるが、運命の日から家庭の幸せは徐々に破壊されてゆくのだった。崩壊の原因を必死に探ろうとする美冴。だが見えざる敵の魔手は、やがて彼女の元にも及んできた! 頼るべき者も持たぬままにたったひとり、知略を尽くした壮絶な戦い。女の意地が絡み合う、舞台・TVドラマともなった愛憎の巨編。 「毎日新聞」夕刊紙上に1987年9月1日~1988年10月31日にかけ掲載。『青き犠牲』に続いて執筆された著者初の新聞連載で、著者の作品としては7番目の長編にあたり、短編では主に『夢ごころ』『一夜の櫛』『背中合わせ』収録の諸作と時期的に被ります。 内容的には二部構成で、プロローグの古都金沢での邂逅を経てヒロイン・藤家美冴サイドに移り、芳行に続いて長男の雄介や娘の叶美が次々に家を離れていく過程が事細かに描写。それに美冴自身の家庭教師・村木征二との浮気が加わり、更に息子の自殺未遂によって彼女の妻としての絶望は頂点に。しかし些細な事から蠢き続ける黒い影の鋳型に気付いた美冴は、逆にここから真実に迫ってゆく事になります。 読者だけが巧みに家族に擦り寄る女・佳沢妙子の正体を知る第一部は、展開の遅さもありややもどかしいのですが、〈体のなかに鉄でできた花を隠し持つ女〉・美冴の逆襲が始まる第二部からはジェットコースター一直線。ただし主導権を握った彼女の予想とストーリーの展開は微妙にズレていき、その過程で一種のドンデン返しと言うべきものも用意されています。 冒頭金沢で打たれる二重三重の布石はコンゲーム短編としても良質ですが、一部と二部とで被害者⇔加害者の反転を狙ったと思われる構想にはかなりの無理があり、悪女・妙子の哀れさやその共犯者たちの心情に全面的に共感するとまではいきません。特に最初の自殺者・田口敏雄周りの行為を "愛" の一言で許すのは流石に無理。後に明らかとなる〈実子の選別〉も到底許容範囲とはならないでしょう。 当初からのグランドデザインが鮮やかに成功したとは言い切れませんが、再び晩秋の金沢に立ち戻り、夫婦の再会と〈二十三年間の長い歳月の意味〉で〆るエピローグには独自の重みがあります。目立たぬながらかなりのミステリテクニックを叩き込んだ小説で、採点は『花堕ちる』を上回り7点に近い6.5点。7点でもOKです。 追記:本書は『誘惑』のタイトルで1990年にTBS系全12回連続ドラマ化、篠ひろ子、紺野美沙子、林隆三、吉田栄作、宇都宮隆らが出演し好評を博しました。バブル期の名作ドラマとして知られ、本編では元名子役・西尾麻里のゲロ吐きシーンもあるそうです。うげげ。 |
No.534 | 6点 | スパイ・ストーリー レン・デイトン |
(2021/06/15 07:45登録) 何年か前に起こしたちょっとした事故のため英国首相直属の情報機関 WOOC(P)を離れ、平凡な軍事研究施設職員としての毎日を送っている "わたし" は、新たに恋人となった美人女医マージョリーと共にせっせと居心地のいい小さな世界をつくり上げ、平凡な日常を謳歌していた。 僚友ファーディ・フォックスウェルと連れ立って原子力潜水艦に乗り組む北極海への長期出張や、コンピューターを使った大がかりなソビエト北氷洋潜水艦作戦部隊相手の図上演習も、日常的な任務の一環にすぎない。だが一度スパイとしての生活を送った人間にとって、平凡な日常を送ることが可能であろうか? 果たして、わたしの身辺には次つぎと奇怪な事件が起こり始める・・・・・・ 『優雅な死に場所』以来5年の歳月を経て、再びスパイ小説の世界に立ち戻った巨匠が書き上げたエスピオナージ・ノヴェルの力作! 『爆撃機』(1970)で歴史小説への志向を見せたデイトンが、"Close-up"(1972,未訳)を挟んで1974年、ひさびさに発表した〈無名の英国人エージェント〉シリーズ第6作(たぶん)。『ベルリンの葬送』既読の方は、この主人公 "わたし" がとんでもないクソ野郎なのはご存じかと思いますが、今回元上司ドーリッシュとイヤイヤ旧交を温めた彼は、不本意にも暖かな楽園を追われ終始ボロクソな目に遭います。〈冷血野郎の元上役はやっぱりそいつを超越するド外道でした〉みたいな、まあそういうお話です。 作中で語られる経過を見ると、こいつはどうも体良くトンズラこいた気配が濃厚なんですが、そこは流石に根性の曲がりくねった英国人。特にカムイ外伝的な抜け忍狩りなどせず、「じゃあちょっと泳がせとくかあ」という感じでとりあえずリリースしつつ、後からガッチリ借し分を取り立てます。冷血漢の主人公が恋人に精一杯の愛情を注ぐのと、柄にもなく命懸けで親友を救おうとするのがいと哀れ。せっかく人間らしくなれたんだもの、そりゃ執着するよね。 とはいえ叩き込まれた鬼畜テイストには抗う術も無く、怪事件が重なる中猜疑に駆られ、現場で恋人マージョリーをイビった挙げ句に三行半を突きつけられる有り様。でも普通ならその前、自室の金庫をプラスチック爆弾で鉄クズにされた時点で追い出すよね。よっぽどこいつが好きだったんだなあ、可哀想に(人妻だけど)。 修飾過多な文章も大戦実録モドキを経て黒光りというか、より実用的な美を思わせるものに。『ベルリン~』同様各章冒頭に意味ありげなパラグラフを掲げ、作品全体を図上作戦演習に見立てたストーリーが進行していきます。その裏で二重三重の企みが蠢くのもこれまで通り。ただ本書の場合隠された狙いは、ワタクシ絡みのアッチより普通のスパイ物に近い。筋立ては旧シリーズよりやや下ですが、それよりも真っ当さに縋り付こうとする抜け忍哀歌の方がツボに嵌る小説です。 |
No.533 | 7点 | 七歳の告白 土屋隆夫 |
(2021/06/11 10:38登録) 『泥の文学碑』に続く角川文庫版十一冊目の作品集。1951(昭和26)年から1958(昭和33)年まで「探偵実話」ほか各誌に掲載された短篇を収めたもので、収録作全十本を年代順に並べると 奇妙な招待状/いじめられた女/マリアの丘/狂った季節/小さな鬼たち/夢の足跡/二枚の百円札/七歳の告白/暗い部屋/白樺タクシーの男 となる。『危険な童話』張りの幼年犯罪を描いた表題作を筆頭に、「いじめられた女」「マリアの丘」「小さな鬼たち」など皮肉極まるオチで纏めたタイプが多いものの、他方では軽妙な短篇を挟んだり目先を変えたりしてバランスも取った、土屋隆夫初体験には格好の良篇集である。 ベスト3はアリバイトリックに加え、ダイイングメッセージの謎に男女の絆を盛り込んだ「奇妙な招待状」。次いで惨くも念入りに構築されたある女性の悲劇「いじめられた女」。最後は読みながら首筋にザワザワした気配が迫ってくる妄執サスペンス「暗い部屋」。横溝正史の「鬼火」といい多岐川恭の「指先の女」といい、良く出来た準盲人or盲人の報復ネタはそれだけで鉄板の良作になる。次点は表題作か、これも皮肉な巡り合わせの奇譚「二枚の百円札」のいずれかか。 無意識下の犯罪を扱った「夢の足跡」は成り行きが読めるのでちょっと首を捻るが、最後はこの作者らしい方法で上手く救っている。飛び抜けた傑作は無いが佳作未満の手堅い小説で固めた、安心して読める作品集であると言える。 |
No.532 | 6点 | 殺人交響曲 蒼社廉三 |
(2021/06/09 08:21登録) 風が滅法強い夜だった。夜目にもはっきりと判るほどの埃をたてて関東地方に吹きまくった生暖い強風は、はね飛ばされた第二バイオリン奏者の右手から離れた楽譜をあおって舞い上げ、別々に違う方角へと飛び散らす。彼の軀をワラ人形のようにはね上げた乗用車は一瞬スピードを落として停車しかけたが、すぐにまたスピードを加えて大井町方面に逃げ去った・・・ ある交響楽団員が抱えていた、三枚の暗号楽譜を巡って続発する殺人事件。楽団長・伊藤紫郎が野心に燃えて世に問うた題名のない新作曲は、事件を受けた新聞により "殺人交響曲" と名づけられた。その名に相応わしい旋律が演奏会場を荒れ狂う時、果たして何が起きるのか? 複雑にからんだ人間関係がサスペンスを生み出す、蒼社廉三の第二長篇。 珍本全集で読了。収録作は先の『紅の殺意』を除いて年代順に 地球が冷える/大氷河時代/地球よ停まれ/殺人交響曲/戦艦金剛(中篇版)/宇宙人の失敗 となる。いずれも1961(昭和36)年6月から1964(昭和39)年7月にかけ各誌に掲載されたものだが、「地球が冷える」以下の四短篇はすべてSF作品。内容的には未来小説に留まるものの、その発表が宝石賞受賞の「屍衛兵」と、同時期あるいは先行しているのを見ると興味深い。1958(昭和33)年の小説家デビュー後、およそ興味の及ぶ限りのジャンルに貪欲に食い付いた作家と言える。 表題作は音楽業界での成り上がりを狙う楽団長に加え、掴んだ楽譜を機に地位を得ようとする業界ゴロ等や、劇団を潰してダンシング・チームの結成を計り己が儲けに繋げようとする後援者らが入り乱れ、他の登場人物たちも色と欲とで彼らに繋がりまくる展開(若干の例外はあるけれど)。進行は割と遅いが、第三楽章からは殺しても死にそうにない精力家の大食漢等、意外なキャラがガンガン消されていくのでリーダビリティーはかなり高い。 その反面楽譜の必然性などを含め満足のいく解決ではなく、意外性を狙った犯人もある程度見当が付く。小説テクニック自体は向上しているが、全三長篇の中では一番落ちるだろう。 「戦艦金剛」原型版は第二次世界大戦末期、台湾の基隆北方で沈没した帝国海軍の高速戦艦・金剛の砲塔内で起きた "鋼鉄の密室" 殺人事件の真相を、ヘンダーソン基地艦砲射撃~レイテ沖海戦までの経過と並行して暴く戦記ミステリ。戦闘中に嫌われ者の砲術兵曹長を殺したのは果たして誰か? という謎が、共産党員の犯行と私怨との二つの線で揺れ動く。と同時に、部隊内に蠢く〈反戦細胞のキャップ(ボス)〉の正体を突き止めるエスピオナージュでもある。鉄扉に閉ざされた現場に拳銃弾を送り込む為の、ある盲点の存在は見事と言える。 『殺人交響曲』5点に『戦艦金剛』7点。SFは年代的に参考程度に見て、総合点は6点。全般になかなか器用だが、戦記もの以外でこの人独自の味わいとなるとかなり厳しく、大河内常平あたりと比べると作家としてはやや下か。 |
No.531 | 5点 | くノ一忍法勝負 山田風太郎 |
(2021/06/07 21:03登録) 昭和42(1967)年11月から昭和43(1968)年7月まで、雑誌「オール読物」ほか各誌に掲載された短篇を収めた、忍法帖後期の作品集。年代順に並べると 倒の忍法帖(忍法倒蓮華)/妻の忍法帖(奥様は忍者)/叛の忍法帖(忍びの死環)/呂の忍法帖/淫の忍法帖/蟲の忍法帖(忍法虫) となり、長篇では『笑い陰陽師』の終盤や、『銀河忍法帖』『秘戯書争奪』などと被る。翌昭和44(1969)年には最後の忍法長篇となる『忍法創世記』が刊行されている事から、そろそろアイデアを捻り出すのも苦しくなってきた頃の作品と思われる。それ故か切れ味はやや鈍い反面、苦し紛れの発想から出た山風短篇中一、二を争う怪作「呂の忍法帖」も含まれている。 忍法短篇はこれ以降も書き継がれるがそれも約四年後の昭和47(1972)年11月まで。「オール読物」掲載の「伊賀の聴恋器」を最後に打ち止めとなり、著者五十歳を機に幕末ものや明治ものにシフトしていく。 お家断絶の習いを避ける為、江戸家老に御世子作りのたねつけ代行を命ぜられた五人の若侍。お役目以後十ヵ月の禁欲の誓いを守らせる代償として、かれらに許嫁のお志摩を輪姦させる羽目に陥った忍者・からすき直八。彼の壮絶な復讐とその皮肉な成り行きを描く「淫の~」はまあマトモだが、歴史物でも捨て童子・松平忠輝を題材にした「倒の~」になるともうよく分からない。殺生関白・秀次の忍法に賭ける淀君への飽くなき執念「蟲の~」も似たようなモノ。発表順だと逆になるがこの甲賀相伝「虫壺の術」によるループの概念は、「叛の~」における羽柴・徳川・明智・毛利の怪奇な四忍者輪舞を経て、一気に問題作「呂の忍法帖」へとなだれ込む。 これが実に悪ふざけとも何とも言いようのない怪篇で(オチは確実にそう)、怪僧・赤法華輪天の唱える「輪の哲学」なるものに従い、七人の愛妾と六人の小姓たち、それに痴呆の兄君・大膳どのを用いた藩主・波切志摩守改造のための肉輪構造式に、波切藩忍び組のカップルが巻き込まれる話。いちいち図面が入るのが凄い。2010年公開のホラームービー『ムカデ人間』と言えば分かるだろうか。映画の方はまさか風太郎オマージュでもなかろうが、まあとんでもない小説である。 これもよく分からないながらに怖い「妻の~」を入れて全六本。統一タイトルなのに角川文庫版では『くノ一紅騎兵』『忍法女郎屋戦争』『忍法流水抄』『伊賀の聴恋器』『忍法陽炎抄』『忍法行雲抄』と、態々全篇バラしてある所にそのヤバ加減が窺える。あまりお薦め出来る短篇集ではないが、ゲテモノ好きの方はどうぞ。 |
No.530 | 6点 | 紅の殺意 蒼社廉三 |
(2021/06/06 06:24登録) 昭和三十五年十月十一日の夜八時過ぎ、埼玉県川口警察署の野添潤三刑事は上司の末娘の結婚披露宴に向かう途中、黒塗りのトヨペットから降りた和服の女が中型トラックにはね飛ばされるのを目撃した。被害者の松下依子は近くの産婦人科医院に運ばれたが、まもなく息をひきとる。野添は彼女を送ってきた内縁の夫・富沢初雄と、トラックを運転していた宮部鋳造株式会社社員・篠崎啓助を掴まえとりあえずの事後処置をするが、事故を誘発するような富沢の行為と、アパートの自室を赤一色に染める彼の異常性が少々気になった。 専務から提示された三十万の慰謝料に富沢は不服を見せるが、社長である宮部真岐子の真赤な口紅を見ると一も二もなく承知する。ただしそれを十万ずつ三回にし、会社ではなく自宅で直接社長の手から渡すというのが彼のつけた条件だった。 それから約三ヵ月後の昭和三十六年二月十一日、支払場所に指定された社長宅の応接室で真岐子の絞殺死体が発見される。対手の客が茶を飲んでいないことから、接待中の犯行なのはほぼ確実。そして残された卓上暦には、来宅予定者として富沢と、解雇された運転手・篠崎の名があった。だが急須の底に塗りつけられた多量の青酸カリを鑑識が検出した事から、事態は紛糾し始める・・・ 「屍衛兵」ほか戦記ミステリで知られる雑誌「宝石」出身作家、蒼社廉三の書下し処女長篇。第二長篇『殺人交響曲』ほど縦横無尽な登場人物の出し入れは無いが、来客たちの行動を軸にミスディレクションや意外な犯人なども用意されており、人間関係の縺れで読ませる後者よりもミステリ界隈のウケは良いだろう。噎せるようなコークスと鋳物臭漂う川口の町や、犯罪者の流れ込む福岡炭礦地帯のボタ山やうらぶれた坑夫長屋の情景、さらには海のジプシーたる尾道の家船漁師の姿など、当時の世相風俗を背景に刑事たちの地道な捜査過程を綴った作品である。 読者の興味を繋ぐストーリーテリングの萌芽は本書にも見られるが、奇を衒うあまり魅力的な発端部分が最終的に浮いてしまうのは困りもの。とは言え筆致は土臭くも堅実で、その後も多方面に渡って活躍した氏の器用さを窺わせる。珍本全集を読む限り『戦艦金剛』などの戦記ものがベストだとは思うが、力のある作家だったのは間違いない。 |
No.529 | 4点 | 夢遊病者と消えた霊能者の奇妙な事件 リサ・タトル |
(2021/06/03 12:43登録) 一八九三年六月の終わり、英国心霊現象研究協会(SPR)の雇われ助手アフロディーテ(ダイ)・レーンは、調査員を務める友人ガブリエル・フォックスの不正を機に職を捨て、着の身着のまま故郷ロンドンへと逃亡する。疲労困憊した彼女の目に止まったのは「求む、探偵諮問の助手」の貼り紙。それに惹かれ訪れた先で迎えたのは、少年のような風貌だが博識のジャスパー・ジェスパーソンと、家政に長けた上品な母親のイーディスだった。ミス・レーンはガウアー街の三食賄い付き住み込み助手として、ジャスパーに助力することとなる。 二人は共同経営者としていくつかの不可解な事件を解決するが、報酬には繋がらない。そのうち、とうとう生活費が底を尽き始めた。手段に窮したジャスパーは機智を発揮し、家主のヘンリー・シムズから妹夫婦の問題ごと解決を請け負う事に成功する。引っ越し会社の経営者である彼の義弟アーサー・クリーヴィーには生活上の心配は無かったが、ある日突然起こった原因不明の夢遊病に悩まされていたのだ。 一旦軌道に乗れば仕事はひっきりなしに訪れる。今度はミス・レーンの働きかけを聞きつけたガブリエルが、一ヵ月のうちに四人もの霊能者が失踪した怪事件をガウアー街に持ち込んできた。着々と調査を進展させるうち、やがて二つの事件に奇妙な関連を見出すジャスパーだったが・・・ 2016年発表。リサ・タトルと言えば、ヘンな小説が昔のSFマガジンにポツポツ載っていた記憶がある。1960年代後半から1970年代にかけてアメリカSF界に現れたフェミニズム作家の一人だが、評者の脳内では「お待ち」(中村融編の創元推理文庫アンソロジー『夜の夢見の川』ほかに収録のベスト級〈奇妙な味〉短編)のキット・リード、1991年度世界幻想文学大賞『すべての終わりの始まり』のキャロル・エムシュウィラーらと共に、SFギリギリの境界線ばかりを書く三人娘に括られている。この人がネビュラ賞受賞を蹴った作品 "The Bone Flute"(「骨のフルート」) は、いつか翻訳して貰いたい。クリストファー・プリーストの元嫁さんで、今では米SF界隈の重鎮らしい。 そんな訳で結構期待して読んだのだが、内容的には思ったのと違い、生き生きしたキャラクターで読ませるシャーロック・ホームズ風ライトノベル。フェミニストらしく男女のイーブンな関係に気を使った、心霊主義バックのスーパーナチュラルものであった。文章もキャラクターも軽快で好感は持てるが、軽めのシリーズ作品として読んだ方がいい。作者もそのつもりらしく、ラストでは次作 "The Curious Affair of the Witch at Wayside Cross"(『十字路の魔女』)の発端部分に繋げている。 |
No.528 | 6点 | 私が殺した少女 原尞 |
(2021/06/02 22:01登録) まるで拾った宝くじが当たったように不運な一日は、一本の電話で始まった。事務所に電話をしてきた依頼人は、面会場所に目白の高級住宅地を指定していた。ブルーバードを走らせ、作家・真壁脩邸へ向かう私立探偵・沢崎。だがそこで彼は自分がまんまと嵌められ、天才少女ヴァイオリニスト誘拐事件の身代金運搬役に指定された事を知る・・・ 緻密なストーリー展開と徹底したスタイルで独自のハードボイルド世界を確立し、読書界を瞠目させた直木賞・ファルコン賞ダブル受賞作。 処女作『そして夜は甦る』より、約一年半の歳月を経て上梓された第二長篇。脩の娘・清香の安全の為、六千万円の引き渡し役を受ける沢崎だが、深夜のファミレスを散々引き回された末予期せぬアクシデントで気絶。そのまま誘拐犯からの電話は途絶えるわ警察からは睨まれるわと散々な目に遭う。 だがその後「もしや姪の才能に嫉妬する自分の子供たちの仕業では?」との疑惑に苛まれる義兄の音大教授・甲斐正慶に依頼され、彼の四人の息女が事件に無関係かどうかを調べることに。周辺調査を進めるなか、再び犯人からの電話を受けた沢崎は、焼け落ちた老人ホーム跡の排水溝で清香の惨死体を発見し―― 相変わらず緊密な文体だが、前作に比べると全体に浮ついた感じ。その分〈清和会〉の橋爪や相良など、準レギュラーの魅力は増しているのだが。急転直下の解決も沢崎の実地検証が結末間際なので、予定調和めいてあまり感心出来ない。難しいかもしれないが付き纏う慶彦少年を理由に、事前にサシで一、二度会わせた方が良かったような。世評は高いが最初の三作では一番落ちる気がする。 厳しいようだが点数はギリ6点。悪いとは言わないが、積み重ねのない状況でのあの真相はやはり唐突過ぎる。 |
No.527 | 7点 | 天国は遠すぎる 土屋隆夫 |
(2021/05/31 09:12登録) 非番で今日は姪の結婚式という日曜日の朝、ギロ長こと佐田部長刑事に駆り出された県警の刑事・久野大作。砂上彩子という十八歳の娘が遺書を残して死んだのだが、その宛名に "久野様" としたためてあるという。 彼女は青酸カリを服毒しており、妊娠三ヵ月。遺書には死を誘う歌としてジャーナリズムを賑わせている "天国は遠すぎる" の歌詞が記されていた。久野は彩子のハンドバッグの中にあったボタンと、料亭富久野屋のマッチが気になった。 その翌日、土木疑獄の中心人物としてマークされていた県の深見浩一課長が失踪し、絞殺体で発見される。久野は深見の所持品から二つの事件が関連していると睨み、富久野屋の実際の経営者でアルプス建設工業の社長・尾台久四郎の名を炙り出すが、彼はどちらの事件にも完璧なアリバイを用意していた・・・。果たして彩子、深見、尾台の三人を結びつける線はあるのか? 仏都と呼ばれる地方都市・長野を舞台にした本格物の傑作! 昭和34(1959)年発表。居住地・長野題材の作品で、長篇としては『天狗の面』に続く二作目にあたるが、この年は実質これ一本(加えて書下ろし短篇「肌の告白」+エッセイ一篇)。昭和48(1973)年以前ではオール讀物「黒い虹」のみの昭和44(1969)年、第六長篇『針の誘い』+小説現代「淫らな証人」の昭和45(1970)年に匹敵する少なさで、加えて地元舞台という事もあり内容的には非常に充実している。 「最も影響を受けたのはジョルジュ・シムノン」との弁が如実に出た作品で、厚さは薄めながら細君含めた主人公刑事の人物・生活描写は非常に味がある。トリックも的確かつ簡潔に運用されており、改めから推論に次ぐ推論、証拠固めによる犯行の蹉跌、露呈される犯人像さらには急転直下の結末まで、地味ながら申し分無い。 ただし流行歌による導入部が魅力的過ぎた分、後半それが浮くのはお説の通り。それでもトータルでは7~7.5点を付けたい。だって好きなんだもん。改めて読み返したけど、土屋さんのでは一番好きかもしれない。短めでも頭から尾っぽまでギュッと餡子の詰まった、名店の鯛焼きのような小説である。 |