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ミステリの祭典

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スパイ・ストーリー
「無名の英国人エージェント」シリーズ

作家 レン・デイトン
出版日1981年09月
平均点5.50点
書評数2人

No.2 6点
(2021/06/15 07:45登録)
 何年か前に起こしたちょっとした事故のため英国首相直属の情報機関 WOOC(P)を離れ、平凡な軍事研究施設職員としての毎日を送っている "わたし" は、新たに恋人となった美人女医マージョリーと共にせっせと居心地のいい小さな世界をつくり上げ、平凡な日常を謳歌していた。
 僚友ファーディ・フォックスウェルと連れ立って原子力潜水艦に乗り組む北極海への長期出張や、コンピューターを使った大がかりなソビエト北氷洋潜水艦作戦部隊相手の図上演習も、日常的な任務の一環にすぎない。だが一度スパイとしての生活を送った人間にとって、平凡な日常を送ることが可能であろうか? 果たして、わたしの身辺には次つぎと奇怪な事件が起こり始める・・・・・・
 『優雅な死に場所』以来5年の歳月を経て、再びスパイ小説の世界に立ち戻った巨匠が書き上げたエスピオナージ・ノヴェルの力作!
 『爆撃機』(1970)で歴史小説への志向を見せたデイトンが、"Close-up"(1972,未訳)を挟んで1974年、ひさびさに発表した〈無名の英国人エージェント〉シリーズ第6作(たぶん)。『ベルリンの葬送』既読の方は、この主人公 "わたし" がとんでもないクソ野郎なのはご存じかと思いますが、今回元上司ドーリッシュとイヤイヤ旧交を温めた彼は、不本意にも暖かな楽園を追われ終始ボロクソな目に遭います。〈冷血野郎の元上役はやっぱりそいつを超越するド外道でした〉みたいな、まあそういうお話です。
 作中で語られる経過を見ると、こいつはどうも体良くトンズラこいた気配が濃厚なんですが、そこは流石に根性の曲がりくねった英国人。特にカムイ外伝的な抜け忍狩りなどせず、「じゃあちょっと泳がせとくかあ」という感じでとりあえずリリースしつつ、後からガッチリ借し分を取り立てます。冷血漢の主人公が恋人に精一杯の愛情を注ぐのと、柄にもなく命懸けで親友を救おうとするのがいと哀れ。せっかく人間らしくなれたんだもの、そりゃ執着するよね。
 とはいえ叩き込まれた鬼畜テイストには抗う術も無く、怪事件が重なる中猜疑に駆られ、現場で恋人マージョリーをイビった挙げ句に三行半を突きつけられる有り様。でも普通ならその前、自室の金庫をプラスチック爆弾で鉄クズにされた時点で追い出すよね。よっぽどこいつが好きだったんだなあ、可哀想に(人妻だけど)。
 修飾過多な文章も大戦実録モドキを経て黒光りというか、より実用的な美を思わせるものに。『ベルリン~』同様各章冒頭に意味ありげなパラグラフを掲げ、作品全体を図上作戦演習に見立てたストーリーが進行していきます。その裏で二重三重の企みが蠢くのもこれまで通り。ただ本書の場合隠された狙いは、ワタクシ絡みのアッチより普通のスパイ物に近い。筋立ては旧シリーズよりやや下ですが、それよりも真っ当さに縋り付こうとする抜け忍哀歌の方がツボに嵌る小説です。

No.1 5点
(2020/08/09 18:40登録)
レン・デイトン初読ですが、このような作品が多いのなら、あまり好きにはなれない作家だと思いました。基本リアリティのある作風にもかかわらず、miniさんが『ベルリンの葬送』評で「100%全て説明されないと気が済まないタイプの読者には最も嫌われる類」と書かれているとおりのものだったからです。
いや、アンブラーの『インターコムの陰謀』みたいにわざと不明瞭にして不気味さを出しているなら、全く問題ないのです。しかし本作では、KGBが主役パットの家に押し入ってきた理由、パットがあえて恋人マージョリーを伴ったまま家宅侵入を敢行した理由、クライマックスで敵方があえて素手で攻撃を加えてきた理由など、説明のつかないことだらけなのです。途中、クリスティーの本が数ページストーブの焚き付けにされるシーンがありますが、これはそのような論理的整合性を重視する小説に対する揶揄にも思えました。

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