雪さんの登録情報 | |
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平均点:6.24点 | 書評数:586件 |
No.206 | 8点 | さらば、シェヘラザード ドナルド・E・ウェストレイク |
(2019/06/20 17:22登録) 「ウェストレイクの未訳作品のなかに、なんかすごくヘンなのが一作あるらしい」「それも普通小説」「しかもメタフィクション」「第一章が何度もくりかえされてなかなか第二章にたどりつかない」「めまいを覚えるほどの傑作」「著者に殺意を覚えるほどの駄作」「日本で読んだことがあるのはミステリ評論家の小鷹信光と木村二郎だけ」「マスト中のマスト」「なんか知らんけど、とにかく究極」「噓じゃないんだ!」などなどなど。 未訳の段階で数々の噂に彩られ、読み巧者若島正をして〈ウェストレイク全作品の中でも大傑作に属する、私小説にしてメタメタフィクション!〉と言わしめた"伝説の怪作"、ついに邦訳! モネコイ大学文学部を卒業するもロクな職にありつけず、時給二ドルで缶ビールのケースを運んでいたエド・トップリスは、元ルームメイトの成功作家ロッドから、手取り九百ドルでポルノ小説のゴーストライターにならないかと持ち掛けられる。一ヵ月にきっちり一冊。それは年収一万ドルへの道だった。デキ婚妻子持ちのエドは二つ返事で引き受け、四苦八苦しながらシステムと公式に従い二十八冊のポルノを書き上げる。だが、彼の精神状態はすでに限界まぎわに差し掛かっていた。 そして運命の二十九冊目。タイトルも思いつけない程のスランプに陥ったエドは、仲間内の格言に従いなんでもいいからと、頭に浮かんだことをとにかくタイプし始める。だがタイピングされたポルノは次第に作者の実生活に侵食され、書く端からわけのわからないタワゴトと化してゆくのだった・・・ 赤ピンクの装丁にどでかい紫色のキスマーク。中には崩し字で"adios, SHEHERAZADE DONALDE E. WESTLAKE"と、英字タイトル及び作者名。どう見てもマトモではないですが、内容もそれ相応にトチ狂ってます。「ホット・ロック」と同年の、1970年発表。版元はどちらも Simon & Schuster 。「こんなのよりパーカー書けよ」というエージェントの恨み節が聞こえるよう。ドートマンダーと二冊抱き合わせでムリヤリ押し付けた格好ですが、本作の原書だけが今以ってレアな所に、出版社側の冷たい対応が窺えます。 ザックリ纏めると「〆切りヤバい作家の9割が夢想するけどやらない事」を、抱腹絶倒のエンターテイメントとして完遂してしまった作品。「こんなクソを永遠につづけられるやつはいない」という親友ロッドの忠告通り、エドはしょっぱなから崩壊寸前。ポルノ主人公の行為は数Pで自身の回想と化し、ワイフの実名が頻出する有様。大半のPは作者本人の回想で埋め尽くされやりたい放題、やがて妻に逃げられるわ無実の罪で指名手配はされるわ、読者の予想を超えるろくでもない展開が待っています。 ウェストレイク自身デビュー前はポルノライターで、本書の骨子もアラン・マーシャル名義で1959年に発表した小説「男に飢えて」を下敷きにしたもの。最初の妻との離婚は1966年。この辺メタな所で、最後メタメタになったエドが、妻ベッツィーに向けて語る言葉だけが終始マトモな所は涙を誘います。机の引き出しにウンコされたロッドには「くたばれ」以外の感想は無いと思いますが。 採算度外視の奇特な編集者がいなければ、おそらく訳出されなかったシロモノ。「ゴーレム100」といい、国書の樽本は毎度こんな企画ばっかり持ち込んでんな。いいぞもっとやれ。 |
No.205 | 5点 | 玉嶺よふたたび 陳舜臣 |
(2019/06/18 09:53登録) S県訪中視察団の一員として二十五年ぶりに中国を訪れた入江章介は、訪問希望地として思い出深い江南の磨崖仏を選んだ。『玉嶺五峰』と呼ばれる岩ばかりの山塊にこつこつと掘りつけられた仏身は当時、若かりし頃の入江の胸中にひそむ戦争への反発や、東洋美術史研究者としての古拙なものへの憧憬をこよなく満足させたものだった。 入江は出発前夜の床の中で、戦時中玉嶺近郊の瑞店荘に二年ばかり滞在したときの思い出と、かれを魅了した下宿先の娘・李映翔の面影を脳裏に蘇らせる。その記憶は当時玉嶺を中心として活動していた抗日ゲリラ、スリーピング・ドラゴンと、入江自身も関係したある殺人に密接に絡むものだった―― 「孔雀の道」と併せ第23回推理作家協会賞を受賞した長編で、1969年発表。ですが分量自体は長めの中編といったところで、力作風の「孔雀」と比べると、こちらは淡彩の小品という趣き。この前後3、4回の協会賞は「受賞作なし」が続いているので、二作での受賞はそういったいきさつがあるのかも。 長江南岸の日本軍駐屯地近辺を舞台にして、現地守備隊とゲリラとの角逐が点景のように描かれますが、大枠としては中国農村部の叙情的な風景のなかでゲリラに協力する映翔の姿と、ひそかな想いを彼女に寄せる入江の日常描写が中心。清初の著作「玉嶺故事雑考」に記された磨崖仏に纏わる伝説と、時代を越えてそれに重なり合う殺人事件が物語の軸となります。 骨格はしっかりしているものの、どちらかと言えば短編向きの題材で物足りない感じ。それを無理なく肉付けして長編に仕立てているのは流石ですが。協会賞作品とはいえあまり構えずに、軽い気持ちで読む方が良いかもしれません。 |
No.204 | 5点 | 野獣の罠 伴野朗 |
(2019/06/16 06:52登録) 秋田とおぼしき地方の一都市を舞台に、組織に属する事を嫌う東北ブロック紙"はぐれ記者"の日常を、地方色豊かに描いた〈新聞記者(ブンヤ)稼業シリーズ〉の第一集。山小屋入りした老人が無抵抗のまま絞殺死体で発見される「狢(むじな)が殺した」から、主人公のもとに持ち込まれた放火予告が、自殺に偽装した殺人を含む複数の襲撃事件に発展する「甘い脅迫状」まで全六編収録。 迷宮入りその他地元で起こる殺人事件の謎を、なんとか記事ネタにならないかと探っていくうちに意外な真相に突き当たる、といった筋立てで、タイトルや表紙がアレな割には派手なアクションがある訳でもなく、至って普通の短編集。ズーズー弁での遣り取りや、一作目の土俗要素・表題作のドブ板選挙に代表される田舎のドロドロが目立つ程度。そのあたりの描写には作者の地方支局時代の経験が十分に生かされています。 ミステリとしては新聞記者らしく、証言記録や発言の矛盾・言葉の取り違えが解決の鍵となる場合がほとんど。実際に起きた事件をアレンジしたものもあるそうですが、そういった生々しい手触りがシリーズとしてのウリでしょうか。個人的にあまり好きではないのですが。 強いて挙げればコンビナート建設反対運動に絡む殺人事件で、ミスディレクションがやや念入りな「遅い夏」、松本清張テイストの「嗅覚の死角」が少し印象に残る程度。全体としては一長一短あるものの、どれも可もなく不可もなくといったところ。第38回推理作家協会賞を受賞した第二集「傷ついた野獣」がどの程度のものかは分かりませんが、本作ちょっと肌に合わなかったかな。 |
No.203 | 5点 | 将棋殺人事件 竹本健治 |
(2019/06/14 22:11登録) 六本木界隈で流行する怪談「恐怖の問題」。それは墓地で拾った紙片の謎に取り憑かれた二人の人間が殺し合い、その生き残りが夜な夜な次の犠牲者を求めて彷徨うといったものだった。だがその内容を裏書きするように、静岡地震に伴う土砂崩れで、掛川市郊外の墓地丘陵から白骨化した遺体が現れる。死骸のひとつは、怪談の内容通りにぼろぼろに腐った本を抱いていた。果たしてこれは単なる偶然なのか? 重なる暗合に興味を抱いたミステリーマニア・牧場典子は掛川に飛び、噂の根源に迫ろうとする。一方弟であるIQ208の天才少年・牧場智久はファン・グループを使い、六本木全域に広がった怪談のプロファイリングを試みていた。 だがその一人、三崎祐子の調査により意外な事実が明らかになる。屍体が発見された墓地を調べまわっていた女がその数日後、地下鉄の青山一丁目駅で、飛び込み自殺に見せ掛け殺害されていたのだ。 その頃典子の恋人・大脳生理学者須堂信一郎は、災禍を逃れて静岡から上京した恩師・藍原充彦と旧交を温め合っていた。詰将棋愛好家でもある藍原は須堂に、彗星の様に出現した期待の新人作家・赤沢真冬の活躍を熱烈に語る。だがその真冬の影が「恐怖の問題」事件に絡んでくるとは、このときの須堂には知るよしもなかった―― 1980年7月からほぼ半年の間を置いて、CBS・ソニー出版から立て続けに発売されたゲーム三部作の第二弾。1981年2月刊行。 300Pにも満たない分量ながら、序奏部・趣向部・収束部合わせて全四十章という構成。幻想とも妄想ともつかないエピソードから空想を思うままに走らせた短文、将棋の歴史や詰将棋の薀蓄、怪談話から新聞記事、日常生活の一挿話などを取り混ぜ、読者を酩酊感に誘います。竹本氏の小説は大なり小なりそういう部分がありますが、その点に関しては本作が最も極端でしょう。モザイクのように配置された文節を眺めるうちに、おぼろげに内容が立ち上がってくる感じ。カットバックで時系列が前後するのも効果を高めています。 ただ物語として成功しているとは言えない。作中にも挙げられているエドガール・モラン「オルレアンのうわさ」に触発されて書かれた作品のようですが、噂の伝播・変容の扱いは巧みなものの、最後に開陳される須堂信一郎の推理は牽強付会気味で、彼が取った事件の解決策も、とうてい読者を納得させるものではありません。 クローズドサークル中心だった作者の嗜好が初めて社会的方面に向かった作例として貴重ではありますが、トータルでは破綻しています。将棋関連の記述の濃さは個人的にプラスですが、客観的に判断すれば5点以上は付けられないでしょう。好みで若干おまけして5.5点。 追記:処女作「匣の中の失楽」があまりに鮮烈なので中井・小栗・夢野らと併せ語られがちな竹本ですが、本書を読み終えた後、コリン・デクスターの「森を抜ける道」が頭に浮かびました。パズル趣味の強烈さや暗号方面への執着など、幻想方面やゴシック要素を除けばデクスターと竹本初期作品の共通項は意外に多いように思います。 |
No.202 | 8点 | ゆがんだ光輪 クリスチアナ・ブランド |
(2019/06/14 07:01登録) トスカーナの海岸から約二十キロ、コルシカ島の最北端とほぼ緯度を同じくしてグリーリア海上に浮かぶ島、サン・ホアン・エル・ピラータ。"ケントの鬼"コックリル警部の妹カズン・ハットことハリエットは、養い子の従妹ウィンゾム・フォレイと共に、スペインの海賊王ホアンが建国したこの独立国を訪れていた。 ウィンゾムは島で出会った修道院長イノチェンタに感化され、ペルリティ修道院の創設者、聖女ホアニータの伝記翻訳に携わることとなる。ホアニータの日記を渡された彼女は自身を聖者に重ね、独身生活で培った熱意をもっぱら執筆に費やしていた。 だが彼女の情熱は壁に突き当たる。公国の支配者である世襲大公ロレンゾが、大公家の血族でもあるホアニータの聖列加入に乗り気でないのだ。ローマに申請し正式な聖人として認められれば、観光産業に依存するこの島全体が潤うというのに。大司教をはじめとする島の住民全員が、それを切望しているというのに。 無政府主義者の錺(かざ)り職兼宝石商トマーソ・ディ・ゴヤはその気運を利用し、大司教や警察署長、ウィンゾムをも巻き込み大公暗殺計画を推し進めようとする。果たしてカズン・ハットはトマーソの計画を阻止できるのか? そして、公国建設にまつわる大いなる謎とは? 架空国家サン・ホアン・エル・ピラータを舞台とする「はなれわざ」の姉妹編。前作にひきつづき、クリストフ衣装店のデザイナー・セシル氏も登場します。1957年発表。 「なぜホアン・ロレンゾ大公は、ホアニータを聖者にしようとしないのか?」という大きな謎はありますが、おおかたの流れはハーレクインロマンス風。大公殿下の不興を買った大主教が中盤、観光客の見守る前で条件付き死刑宣告を受けるというハプニングはあるものの、ストーリーはもっぱら惚れた晴れたでちんたら進行します。 凝った文章ながらも大丈夫かなこれと思って読んでたらラスト50P、大公の口からカズン・ハットに、公国の大秘密が明かされてからは怒涛の展開。いや、こりゃ申請なんて出来ないよね。ごもっともです。その後の式典での暗殺計画も作者の剛腕が炸裂し、読者の予想を遥かに超える形で決着。ハッピーハッピーの大人の童話で納まる様は、とんでもねえなの一言。 エンジンの掛りが遅いのが難ですが、「はなれわざ」に勝るとも劣らぬ傑作。「よくぞ訳してくれた」との、北村薫氏の感慨もむべなるかな。ミステリとしてはあまり語られませんが「ジェゼベルの死」以下四大名作に次ぐクラスで、「疑惑の霧」にも迫るのではないかな。 |
No.201 | 5点 | Kファイル38 伴野朗 |
(2019/06/12 09:41登録) 昭和二十五年六月二十七日――朝鮮戦争会戦二日後に鳥取県・弓ヶ浜半島に漂着した韓国人と見られる水死体は、「新生日本」の支配者として君臨するGHQにより厳重な緘口令を敷かれ、身元確認を受けることもなく米軍MPにより回収された。彼が秘匿していた封筒他の遺留品は専門家の手で厳しいチェックがなされ、翌日には一連の報告書がタイプされていた。 日本占領軍司令官ダグラス・マッカーサーを狼狽させ、GHQ三階・G2特別資料室の奥深くに保管された文書は、その後歴史の上には現れていないが、文書の通称だけはわかっている。 KOREA FILE 38―― 略して「Kファイル38」である。 朝鮮戦争三ヶ月前のソウルを舞台に、戦後韓国に残留した日本人講師・林田泰一こと林泰一(イムテイル)を主人公に据え、会戦間際の半島で繰り広げられる国際謀略を描いたスパイ・スリラー。「三十三時間」に続く作者の第四長編で、1978年発表。 林田は朝鮮古代史の研究者で、終戦後に李承晩とも繋がりのある一族の女性、金真姫(キムジンヒ)と結婚。在韓アメリカ軍事顧問団(KMAG)に勤める彼女が数年の幸福な生活ののち突然失踪したことから、マッカーサーとトルーマン大統領の政治抗争、傘下のG2(GHQ参謀部第二部)と、大統領の肝煎りで設立されたばかりのCIAとの諜報戦に否応なしに巻き込まれます。 とはいえ、正直言って内容はアレ。朝鮮半島の風俗などは細密に描写されていますが色々と首を傾げる設定が多く、先入観ありきで書かれた作品、という印象が強い。ミステリ的には森村誠一作品でも採用されたアリバイ・トリックが主眼ですが、戦争誘発に向けて策動する諜報組織が、瑣末な一事件の偽装工作にここまで手間を掛けるか?という疑問があります。開戦はほぼ確実、という時期で、北朝鮮軍の移動も掴んでますからね。ミステリとして何かしらの軸が必要だったのは分かりますが。こういうのはヘタに捏ね回すより、スリラーオンリーの方が纏まりが良い。 総評としては構成にバランスを欠く作品。情報面の不備な時代によくぞここまで、と感心はさせられますが、再読に耐えるものではありません。マッカーサーの野望などの部分的事実も塗されてはいますが、今となっては終戦直後の本土裏面史としての価値しか無いでしょう。脂が乗ってる時期なのにもったいないな、と思います。 |
No.200 | 9点 | ゴーレム100 アルフレッド・ベスター |
(2019/06/10 01:36登録) 旧ニューヨーク市を中心としてカナダからボストン、ピッツバーグまでも含むアメリカ合衆国北東部スラム回廊。狂気の暴力がはびこるその土地は汚染され、水不足にあえぐかたわら他方では生気に満ち、特権階級にはあらゆる奢侈と贅沢とが許されていた。 西暦二一七五年、混沌そのものな〈ガフ(でまかせ)〉と呼ばれるその場所で、超常のものとしか思われぬおぞましい惨事が頻発する。ガフ警察管区のスーバダール(隊長)アディーダ・インドゥニは、ありとあらゆる破滅的な残虐行為を目にしてきたと思っていたが、カツオブシムシに瞬時に食い尽くされる死体や、腸を引き出されながら眼前で泣き叫ぶ被害者を見せられては、吐き気を催すしかなかった。ぎらぎらと輝く不定形の死刑執行人は、白熱した無数の手で凶行をおこない、むかつくような匂いだけを残して消えていった。 一方、香水製造会社のリーダーとしてガフに君臨するCCC(波型缶会社)は、かれらを業界のトップに押し上げた天才調香師、ブレイズ・シマの異常に悩み、紆余曲折の末に精神工学者(サイテック)、グレッチェン・ナンと契約する。グレッチェンは偽名でブレイズに接触し彼を追跡するが、その行動経路はガフで起きた第一級殺人の進路と完全に繋がっており、しかも彼女はしだいにブレイズに惹かれつつあった。 グレッチェンは彼の別人格が〈死のフェロモン痕〉をたどり、被害者たちの願望を叶えているのだという仮説を立てる。やがて彼女はブレイズの別人格〈ウィッシュ〉と対峙し、ウィッシュに便乗して犯行を行っていた暴漢たちにも襲われるが、正当防衛で殺害したかれらの死体もまた、気がつけば一片の肉も残さない骸骨と化していた。 二人はインドゥニ隊長の追及をかわし、悪夢のような事件を繰り返す異質な存在〈ゴーレム100〉を追うことを決意するが、彼らの決断はゴーレムの源泉たる八人の〈蜜蜂レディ〉たちを異なる存在へと押し上げ、さらに彼ら自身もまた、新たな人類進化のステップに関わってゆくこととなる―― 1974年「コンピュータ・コネクション」で復活を遂げた巨匠の、最凶にして最狂作品。1980年発表。ベスターです。200本目です。真っ赤なハードカバーで凶悪な分厚さ、ぱっと見の威圧感も相当ですが、中身はもっとタダゴトではありません。四文字言葉連発(100回くらい○○○○って言ってます)もさることながら第13章、唐突にアレが始まった時には一瞬パニック状態になりました。まあ、ストーリーが破綻してる訳ではないんですぐに慣れますが。 というか思ったよりちゃんとしてますねこれ。あとがきには「SFの過去から未来まですべて取り込んでる」とありますが、そういうゴチャッとした印象はありません。むしろ非常にコンパクトに纏めてます。エピローグの意味はぼんやりとしか掴めませんけど。 ただ「虎よ!虎よ!」を越えるかと問われれば厳しい。読者を引っ張って離さない強烈な主人公はおらず、登場人物たちはただ狂奔する濁流に呑み込まれてゆくばかり。筒井康隆的なハチャハチャ描写は楽しめますが、その裏では無慈悲とも言える生物的な本能がおりなす、峻厳な図面が構築されています。 とにかく採点に困る作品。お下劣ですから10点は無いですが、中途半端な評価はもっと失礼。暫定として9点付けときます。色々とアレですがぶっ壊れてはいないので、我こそはと思わん勇者はぜひ読んでみて下さい。 追記:巻末の「訳者あとがき」はこれだけでも一読の価値アリ。渡辺佐智江には他にもキャシー・アッカー「血みどろ臓物ハイスクール」などのステキな訳書があります。見たところ超一級ですが、かなり不遜な翻訳家です。 |
No.199 | 5点 | 不屈 ディック・フランシス |
(2019/06/07 03:03登録) スコットランド・モナリーア山系にある羊飼い小屋で孤独な生活を続ける画家、アリグザンダー・キンロック。彼は母から義父アイヴァンが心臓発作で倒れたとの知らせを受けたその日、山中で四人の男に襲われ暴行を受けた後、崖から突き落とされる。「あれはどこだ? どこにあるんだ?」だが、彼には何の心当たりも無かった。 アリグザンダーは辛くも命を拾い、全身の怪我を推してロンドン、パーク・クレセントの屋敷へ赴くが、アイヴァン・ジョージ・ウェスタリングの衰弱は思った以上に激しく、その上彼の経営するキング・アルフレッド醸造会社は、経理部長の横領、逃亡行為により破産寸前だった。 実の娘パッチイ・ベンチマークを差し置きアリグザンダーに全権を委任したアイヴァンは、競走馬ゴールデン・モルトを管財人から隠すよう秘かに指示する。その事からアリグザンダーは、暴漢たちが探していた"あれ"が二十二カラットの純金に赤、青、緑の宝石をちりばめた中世のトロフィー、〈アルフレッド大王のカップ〉ではないかと思い当たる。アイヴァンの話では、カップをアリグザンダーに託すよう伯父の"殿様"こと、スコットランドのロバート・キンロック伯爵宛に送ったとのことだった。 アリグザンダーは母ヴィヴィアンと義父の為、彼の愛する競走馬とカップを守りながら、同時に醸造所を建て直そうと試みるが・・・ 競馬シリーズ第35作。1996年発表。この年のフランシスは前作「敵手」によりMWA長編賞受賞、さらにこれまでの功績を称えMWA巨匠賞も同時受賞しており、言わばメモリアルイヤー。当然、本書にもこれまでになく力が入っています。 主人公はスコットランド貴族の血を引きながらも持って生まれた孤独癖から世間を離れ、醸造所を継がせるという義父の申し出も断り、調教師の妻とも離れて暮らす世捨て人。「反射」「黄金」系地味主人公の総決算的人物なんですが、そこはやはりフランシス。義理の姉パッチイ夫婦とのいさかいにも耐え、私欲無く会計監査人トビアスや超過債務処理者マーガレット、百面相探偵"ヤング・アンド・アトリイ"と協力し、力の及ぶ限り全てを守ろうとする姿勢はタイトル通りの不屈っぷり。再びスコットランドに向かいカップを保護した後、鑑定の為に招かれた老女性学者、ゾウイ・ヤング博士と出会います。 彼女の姿に創作意欲を刺激され、絵筆を取るアリグザンダーの描写がこの作品のクライマックス。対象の魂までも見透かし、絵の中に写し込もうとする芸術家の姿は美しい。あとがきにも〈悟りの境地〉とかありますが、それほどの気迫です。 それに比べると、事件の方はややありきたりかな。ヒーローの精神性がこれまでになく高まっているので、それに見合う悪の凄みが欲しかったんですが。サディズムに溺れて本来の目的を見失うような黒幕なのでつまりません。レッドへリングがちょっとあるだけで、偽装もほとんどなし。 全体的な印象は「直線」の進化形。あっちは宝探しで、こっちは宝隠しですけど。地味な力作ですが、エンターテイメントとしてのバランス悪さが難です。 |
No.198 | 5点 | 密室球場 伴野朗 |
(2019/06/04 21:09登録) 昭和51年~昭和55年にかけての「小説現代」ほか各誌掲載作を纏めた短編集。昭和54年度の第32回推理作家協会賞候補作となった新聞記者もの「顔写真」から、真夏の甲子園大会決勝戦を舞台にした逆密室風の不可能犯罪「密室球場」まで、全6編収録。題材こそバラエティに富みますが、中には「カチカチ山殺人事件」など不出来な話もあり「短編の名手」という感じはしません。この人は謀略アクションを書いてこそ、と思います。 収録作ではテト攻勢前の南ベトナムの首都・サイゴンを舞台に取ったソッチ系の「兵士像の涙」が、短いながらも二転三転して読ませます。もう一編の、文革前の毛沢東がどこで劉少奇への決定的反撃を決意したのか?を文献から推測するベッド・ディティクティヴ「毛沢東―― 七月の二十日間」はイマイチ。集中一番リキ入ってるかもしれませんが。 表題作はグラウンドにいる高校野球チームの実質監督が、五万二千人の観衆と数千万のテレビ視聴者の視線に晒されながら、いかにしてスタンドの女性を殺害したのか?というハウダニット。一応オチは着いていますが、かなり周到な手口なので、これで起訴にまで持っていくのは無理ぽいですね。この後あらいざらい吐いたって事なんでしょうけど。 読み終えると意外に心に残るのはしみじみ系の「顔写真」かなあ。この好評が、同じ東北を舞台にした後の協会賞受賞作〈新聞記者(ブンヤ)稼業シリーズ〉に繋がっていくような気がします。正直「香港から来た男」のシリーズ探偵がお目当てだったんですが、そっちは〈陳展望探偵譚〉として短編集「殺意の複合」に入ってるようで、本書には未収録だったのがちょっと残念。 |
No.197 | 7点 | 八犬傳 山田風太郎 |
(2019/06/03 08:30登録) 一人の作家が、一人の画家に語り出した――。 作家の名は曲亭こと滝沢馬琴、画家の名は葛飾北斎。江戸文化が爛熟期を迎えた文化・文政年間を舞台に「虚の世界」と題して大長編「南総里見八犬伝」を的確に纏め、「実の世界」と題してそれを書き終えるまでの馬琴の実生活と江戸末期の世の転変を交互に配置し、「語ること」に憑かれた卑小にして偉大な人間の姿を描ききった作品。昭和五十七年八月三十日~昭和五十八年四月一日まで「朝日新聞」夕刊紙上に連載。 古川日出男の「アラビアの夜の種族」を登録したので、合わせ鏡のような存在のコレについてもやらんといかんかなと。あっちは「読むこと」に憑かれた人々についての話ですけどね。書かれた年代のせいか山風にしてはアッサリ加減。しかし物語としては非常にバランスが良い。 読後感は忍法帖+明治物といった感じ。前半部分は「虚の世界」である里見八犬伝のストーリーが主体。八犬伝面白いですね。幼少期に児童版で読んだだけですが、配置された脇役や伏線が思わぬところにピタピタと嵌り込んでいくところはデュマの「モンテ=クリスト伯」を思わせる。馬琴当人の偏執的な性格もあって、こればっかりが繰り返される後半ではお腹一杯になっちゃうんですが、前半の山場である「芳流閣の決闘」あたりまでは感心するばかり。作者も承知の上で、ここには十分筆を割いています。 これが後半になると、馬琴を馬琴たらしめた業とも言える彼自身の性格と、どうしようもない運命が積み重なり崩壊に向かう滝沢家の姿、それと重なり揺れる時代に押し潰される人々の描写が多くなる。対してクドさの増した八犬伝の記述は簡略化されてゆく。ブッキッシュで複雑な構成なのにきちんと手綱を取ってるところは、さすが山風。 そして「虚実冥合」と題された最終章。曲亭馬琴はもうホント融通の利かないクソ爺で、偉大なのは分かるけど絶対に身内には持ちたくねーな、という人物なんですが、その彼が名利も欲得もなく、何物をも欲せず、ただ一心に「語ること」のみに専心する。「語る」という行為そのものがいつしか"聖性"を帯びてゆく。このラストには感動させられます。山田芳裕「へうげもの」的な、物欲の徹底による爽やかさにもどこか通じるなあ。締め括りの美しさは風太郎作品でも最上のものでしょう。これを書き下ろしでなく、新聞連載の形でやったのが凄い。 ただ欲を言えば、明治物的なクロスオーバーがもう少し欲しかったですね。中盤に馬琴・北斎・鶴屋南北が「東海道四谷怪談」上演後の中村座奈落で顔合わせするところは圧巻ですが。馬琴の交際範囲が極度に狭いんで仕方ないんだけど、ちょっと触れられてる十返舎一九、できれば河鍋暁斎なども絡めて欲しかった。山田風太郎のベストに推す声もありますが、そこまでには至らないかな。7点作品。 |
No.196 | 7点 | ナイフと封筒 内田美奈子 |
(2019/05/31 15:26登録) 1982年から1980年代後半にかけて独特のシャープな絵柄で異彩を放った作者の処女短編集。ミステリ・SF・恋愛物・パロディなど彩りも豊か。表題作から意味不明漫画「少年探偵団」まで、全7編収録。 まず奇妙な切り口で興味を引くのは表題作。大学サークルの演劇同好会でモラトリアムな日々を送る主人公・明川荘之もはや卒業間近。そんな折、ちょっと気になる女の子・波多野仁美が突然失踪した。同好会の舞台美術担当・三原陵一が、波多野と同じ赤い石の指輪を填めていたのが気に掛かる。三原はその名の通り、赤・青・黄の三色しか舞台美術に使わない変わり者だった。 荘之は失踪前に貸した辞書の「な行」が破られていたことから、最後の舞台の大道具「ナイフ」の中に、仁美のメッセージが残されていると推測するのだが―― 他のミステリ系作品は、幼年期のトラウマに悩まされる会社員、クリフォード・フラナガンが過去の恐怖を克服するまでを描いた洋画風タッチの作品「チェンジ」。ですが次点は高慢な女の子・言子と、それでもいつの日か翔ぶ事を夢見る取り巻きの男の子・東のラブストーリー「フライング・エッグ」。 のちの雑誌「WINGS」掲載SF長編「赤々丸」に通じるヘンテコSF「良治郎帰還せず」、「アニマル・フレンズ ―海明音の裁判―」。ジーン・ウルフ「デス博士の島その他の物語」を思わせる小品「アヒルのいる海を背景にして」。いずれもどこかシニカルな持ち味が楽しめます。 現在オフィシャル作品として、まるまる200P余りが各所で無料購読できるのも魅力。結構粒の揃った短編集が何てったってタダですよ、タダ。 少女漫画らしからぬ鋭い描線が特徴ですが、そういやこの人、師匠である御厨さと美氏の代表作「裂けた旅券(パスポート)」でアシスタントもやってたなあ。こちらも「ゴルゴ13」と「MASTERキートン」を繋ぐ位置付けの国際サスペンス風連作なので、機会があれば書評してみたいですね。 |
No.195 | 6点 | 10プラス1 エド・マクベイン |
(2019/05/30 14:48登録) 弾丸が一つ、さわやかな春の空気のなかを、依怙地に回転しながら黒々とした色で突進してきた。弾丸の当った一瞬、四十五歳の貿易会社副社長アンソニイ・フォレストのすべてが停止し、彼は数歩うしろへよろめいた。ぶつかった若い女が反射的に身をひくと体はあおむけに倒れ、壊れたアコーデオンのように折れくずれた。だが、これは恐るべき銃撃事件のほんの始まりにすぎなかった・・・ レミントン・三〇八口径ライフル銃を用いた無差別殺人。次々と増え続ける犠牲者たち。現職の地方検事補が殺害されたことにより、事件は八七分署のみならず、アイソラ市警を挙げた総力戦となる。果たして謎の狙撃者の動機とは何か? そして犠牲者たちを繋ぐ糸とは? 「たとえば、愛」に続く87分署シリーズ第17作。1963年発表。リハビリ編のあとは「警官嫌い」以上に派手な連続射殺事件。ただしピリピリした雰囲気の前回とは異なり「弾丸がどこからかやってきて○○に突きささった」みたいな、どことなくとぼけた描写で死体がどんどん転がります。犠牲者の数も倍以上で、ご丁寧に一日一殺みたいなペースです。 事件担当のキャレラとマイヤーもマメに被害者周辺を当たりますが、彼らの特徴はバラけていてなんの関連も掴めません。そうこうするうちに最初の被害者の娘シンディ・フォレストが何故かキャレラに熱を上げ、重要な手掛かりを持参して刑事部屋を訪れるのですが、ここでポンコツ街道まっしぐらのバート・クリング刑事と鉢合わせしてしまいます。 「殺意の楔」の悪夢が蘇り、唐突にホールドアップを始めてしまうクリング君。誤解は解けたもののシンディはぶんむくれ。ど阿呆呼ばわりされて一巻の終わり。もたもたするうちに六番目の被害者まで出てしまいます。なんかえらいこの娘に尺取ってんなと思ったら、クレアの次にクリングの恋人になるのが彼女なんですね。出会いは最悪ですけど。 とにもかくにも被害者候補は絞られ、別口で殺害された一人を除くターゲットは残り四名。目鼻の付いたこの辺りからサスペンスも高まってきます。最後の襲撃で読者の前にようやく姿を現した犯人と、尾行に回ったマイヤー・マイヤーとのせめぎあいは緊張感アリ。 ただ内容的にはどうかな。間違いなくシリーズ水準以上の作品ですが、ベスト10には入らないかも。以前、第40作「魔術」の書評で瀬戸川猛資さんのリストを挙げましたが、今なら本書の代わりに39作目の「毒薬」を入れたいな。読んでいくうちにまた変わるかもしれませんが。 マクベインの既読分を後回しにしてたら、どうやらクリスティ再読さんの後追いになってしまった。この後「電話魔」も控えてるんだよなあ。 |
No.194 | 6点 | 混戦 ディック・フランシス |
(2019/05/27 10:44登録) 八十七名の乗客を危険に陥れた責任を負わされ、有名航空会社を退社したパイロット、マット・ショア。妻とも別れいくつもの会社を渡り歩き、今は零細航空デリイダウン・スカイ・タクシイで、チェロキイ・シックス・三百型を機械的に運行している。ホワイト・ウォルサム飛行場でその四人を乗せた時にも、彼は何の関心も持たなかった。 鋭い目をしたタイダーマン少佐、有名調教師アニイ・ヴィラーズ、太った男エリック・ゴールデンバーグ、騎手ケニイ・ベイスト――彼らが不正の相談をしていたとしても、自分には何の関係もないこと。ただ、乗客たちをヘイドック競馬場まで運ぶだけ。最後の一人が国民的チャンピオン騎手コリン・ロスだとしても、自分には何も関わりはないのだ。 ふとしたはずみでパイロットを志す彼の妹ナンシイと知り合い、好意からコリンのレースを観戦することになった。思わぬ喜び。だが、心をとかしてはいけない。 レースも終わり、今度はアニイと仲違いしたケニイを除く四人をニューマーケットまで運ぶ。ふと彼は違和感を感じた。計器に異常はない。エンジンにも異常はない。だが、操縦装置のどこかがおかしい。 彼はくってかかる乗客一同を宥め、ノッティンガム近く、イースト・ミッドランズ空港での再点検を選ぶ。無事に着陸し、エプロンに飛行機をとめた。チラッと機の方を見返り、そのまま気の進まないようすで歩いていく乗客たち。だが彼らの背後で巨大な爆音が聞こえ、振り返るとチェロキイがいたところに大きな火の玉がふくれ上がっていた―― 「査問」に続く競馬シリーズ第9作。1970年発表。辛くも難を逃れたコリンの事件は大ニュースとなり、その過程でナンシイや、彼女の一卵性双生児の姉で白血病患者のミッジなど、コリン一家との関係は深まっていきます。ナンシイに惹かれながらも過去への怖れからかたくなに一線を守ろうとするマット。ですが再び爆弾が仕掛けられ、手違いから彼の代理でチェロキイを操縦していたナンシイと、同乗者のコリンが危険に晒されます。 恋愛描写とかの流れはいいんですが、一連の事件がコリンを狙った犯行ではないと判明すると、ターゲットたり得る人物が他にほぼ一人しかいないため大筋が見えてしまうのが難。以前はベスト10に入るかと思ってましたが、今選ぶならシリーズ中12位前後かな。円熟期の「黄金」「標的」には及ばず、次々作「煙幕」と同格で6.5点くらい。いい作品なんですけどね。 |
No.193 | 7点 | 弓の部屋 陳舜臣 |
(2019/05/25 13:10登録) 桐村道子は英系船会社インターナショナル・オーシャン・ライン神戸支店に勤務するタイピスト。彼女は七月のある日、一昨日着任したばかりの新任支配人の妻イレーネ・ラム夫人から、人探しを依頼される。福住ハルというその女性は、偶然にもヘボ画家の叔父織田順太郎の三十年まえの恋人だった。 順太郎の助けでハルを探しあてた道子は、彼女の唇に親友山添時子の面影を見る。時子は訳あって幼い頃実の母と別れ、養女に出された娘だった。道子は彼女にハルがラム夫人に迎えられ、女中として北野町の宿舎に住むことになった、と知らせる。時子も今では無事灘の酒造家に嫁いでおり、ふたりの幸せな姿は道子をふと微笑ませた。 それから約一ヵ月後の八月はじめ、道子はラム夫人にパーティー客を連れてきて欲しいと頼まれる。ラム邸のボウ・ルーム―― 半円形に張り出したベランダ風の部屋から、生田神社の打ち上げ花火を見物しようというのだ。屋敷には叔父の順太郎、道子の縁談相手の大学助教授渋沢徹治、友人の時子、それにひょんな事で知り合った毒殺事件の容疑者八重子が招待される。 そしてその当夜。皆にのみ物が配られ部屋の電燈が消された。菊花がパッと夜空に開き消えたかと思うと、三個の子花火が生まれまた消える。花火から解放された見物人たちがホッと息をつくと不気味な呻き声が聞こえ、ドサリと重いものが床に倒れる音がした―― 陳舜臣三連発。「三色の家」に続く第三長編で、同年1962年に発表。執筆には大変苦労した模様(東都書房版あとがきには「難産の子」と形容されています)。ただ最初のメイン・トリックを捨てて、なんども組み立てては解体しているうちにミステリのコツを掴んだようで、この作品はそれまでの二作に比べ非常にシンプルかつスマートな出来栄え。あからさまな伏線が大胆不敵な毒殺トリックをヌケヌケと支えています。 別格の名作「炎に絵を」とは比較になりませんが、推理作家協会賞受賞の「孔雀の道」よりもこっちが好きですね。危険度が高すぎるという指摘もありますが、心理的にはかなり確実な手口だと思います。 明朗闊達な女主人公の語り口もよろしい。奥手な恋人(探偵役)の存在感も相俟って、ほのぼの風味の読後感があります。「枯草の根」を読んだのはかなり前ですが、とりあえず現時点での陳舜臣お薦め作品です。 |
No.192 | 6点 | 三色の家 陳舜臣 |
(2019/05/25 06:08登録) 昭和八年三月の末。中国人留学生陶展文は大学の法学部を卒業し、帰国のための荷造りを終えていた。そんな折彼は、寮でまる三年間同室暮らしだった在留華僑の子弟、喬世修からの「こちらにすぐ飛んできてくれ」と書かれた速達を受け取る。彼の父・全祥が病死したのだ。展文はその晩の夜行で、世修のもとに向かった。 新たに乾物会社・同順泰公司の主人となった世修の頼みは、突然あらわれた異腹の兄・世治の尻尾をつかまえてほしいというものだった。亡父全祥は母国の妻をすてて逃げ出したあと、神戸で再婚したのだが、妻とともに置き去りにした息子がその『兄貴』喬世治だという。かれを迎えた父の態度もなんだかおかしく、田舎者のふれこみにしては日本語も英語も解するようだ。おまけに妹の純が、この兄貴に夢中なのだ。 妻子を捨てたばかりでなく、国にいた頃の喬全祥にはよからぬ噂があった。渡し舟の船頭時代に或る金持を乗せたとき、助手の杜自忠と組んで金持を殺し、携えていた金を盗んで逐電したというのだ。その自忠は公司でコックとなり、番頭の呉欽平をさしおき全祥の腹心として振舞っていた。展文は友人の請いを要れ、しばらく公司に泊り込むことにした。 同順泰は赤煉瓦の一階倉庫、白色モルタルの二階部分、青色ペンキのトタン板で囲った三階部分があることから『三色の家』と呼ばれている。展文が客となってまもなく建物三階の海産物干し場で、日課の昼寝をしていた杜自忠が頭を割られた死体となって発見された。だが殺害時刻には女中の銀子や同順泰の労務者たち、近隣の桑野商店、関西組の労務者たちが作業中で、干し場は一種の密室状態だった・・・ 第7回江戸川乱歩賞受賞作「枯草の根」を受けた受賞後第一作。1962年発表。前作に引き続き名探偵・陶展文が登場しますが、こちらは彼が二十代の頃の事件。シチュエーションもさることながら折りにふれ描かれる海産物問屋の作業風景が生々しく、物語に彩りを添えます。 父を殺されたとおぼしき桑野商店の店員・郭文昇、気になる目つきの関西組の黒子の男・佐藤など怪しい人物もわらわら。『兄貴』の正体は妹さんがのぼせあがってる事からまあ見当は付きますが。 現場入口には女中が腰を据え、取引先の桑野商店と繋がる梯子の下にはナカマ、オンナと呼ばれる労務者たちが。現場に至るルートは完全に封鎖されているのですが、それを掻い潜るトリックはさほど鮮やかではありません。後半部分で付け加えられるもう一つの消失事件も地味で、手堅く作られているとはいえ、少しは華がほしいところ。ただ解決直前に提示されるダミーの真相には、ものの見事にひっかかりました。全般に人工性よりも濃厚な生活臭を感じさせる作品です。ラストシーンから「陶展文自身の事件」みたいな所もありますね。 |
No.191 | 5点 | 柊の館 陳舜臣 |
(2019/05/24 05:06登録) 神戸の北野町にある通称「とんがり屋敷」のなか。そこはセブン・シーズ・ラインというイギリス系船会社の宿舎であり、三百坪ばかりの敷地に副支配人〈サブ・マネージャー〉宅、英人社員宿舎、女中部屋の三棟の建物が連なっていた。うしろにある平屋の日本家屋、メイド・ルームと台所を兼ねた控えの畳の部屋で、四十六年のキャリアをもつコックの杉浦富子が、二人のメイドに過ぎし日の思い出を語り始める。それは一九二五年、大正十四年から昭和十二年の蘆溝橋事件にわたる、とんがり屋敷の歴史そのものだった―― 1973年発表の連作推理小説。とはいえ定まった探偵役はおらず、十七から三十前までの冨子の回想という形でいくつかの事件が語られます。三件の殺人と一件の傷害事件、小噺や挿話的なものなどを含む全七話。六話と七話は併せて一話。どちらかと言えば箸休め的な軽い作品で、北村薫氏のベッキーさんシリーズに近いもの。こちらの語り手は六十三歳のおばあさんですが。 穏やかな語り口で日中戦争突入時に物語は終わりますが、舞台が一種の閉鎖空間なせいか、戦争の影はほとんどありません。それでも第一話とリンクする最終話では、過酷な時代の訪れが暗示されます。第三話「サキ・アパート」がミステリ的な結構は最も整っていますが、全体としては思いつき程度の小品主体、これから読むならば北村作品の方をお薦めします。 |
No.190 | 6点 | 鳴門血風記 白石一郎 |
(2019/05/22 09:34登録) 標高六千六百尺の剣山を盟主として東西十三里、南北七里に亘って阿波の国西南一帯に聳え立つ祖谷山系。その深山奥深く、木地師の祖神を祭った祠の中に、白かずらの蔓で編んだ球を抱きかかえ、猿たちに取り囲まれた赤子が座っていた。かれは澄み切った双の黒い瞳で、微笑みながら村人たちを見つめている。 集落の長の源太夫は赤子を見つけたあかねと、夫の清八に子供を託して大切に育てるようにと言い渡す。蔓の球の中には菊の御紋を描いた赤い錦の小袋があり、なかをひらくと粒のそろった砂金と、四半分に裂いた絵地図の布切れが入っていた。古くから伝え聞く安徳天皇の秘宝図ではないかと、源太夫は言った。 それから十数年後の天正十三年。はるか下の〈祖谷山三十六名〉と呼ばれる山岳の集落に、かつてない兵乱のきざしが迫っていた。四国の覇者・土佐の長宗我部を降した羽柴秀吉の旗下にある、蜂須賀家政が大名として阿波の一宮城に送りこまれてきたのだ。 家政の侍大将・兼松総右衛門は山岳党討伐軍を招集し、名家の裔を誇る山の民たち阿波山岳党はこれを迎え撃つ。だがかれらの一人、美馬郡一宇山の住人・小野寺喜内のみは総右衛門に従っていた。 漆のような黒髪に、見る者がぞくっとするような色白の美貌。希代の飯綱(忍術)使いとも言われる喜内は、妖気を漂わせる切れ長の双眸でつめたく双方を見つめながら奇妙な行動を見せる。彼が肌身離さず携える菊の紋入りの青い錦の小袋には、同じく砂金と、やはり四半分に裂いた絵地図が入っていた―― 1987年5月~1988年4月まで雑誌「問題小説」に連載。同87年7月には海洋冒険小説の傑作「海狼伝」で第97回直木賞を受賞している事から、著者最盛期の作品と言っていいでしょう。ただし伝奇小説としてはかなり異色。 祖霊の申し子、すべての四国木地師を統べる大山主〈おおやまぬし〉として成長した主人公筒井喬之介と、悪の美青年小野寺喜内が平家の隠し財宝を巡って激闘を繰り広げるのかと思いきや、全然そうはなりません。平島公方の美姫・桜女、筒井大皇神社神官の娘・千草などいかにもな女性も登場しますが特にどうということもなく、ことごとくお約束を外す形で進行します。 道具立ては間違いなく伝奇なんですが、ちっとも伝奇にならない。東祖谷・西祖谷に楔を打ち込み、山岳党全体を支配下に置こうとする喜内の策謀にも、喬之介はほぼノータッチ。事が成った後山の民を酷使し財宝発掘に狂奔する喜内に対し、初めてこれを牽制しますが、ここで彼は山田風太郎「柳生忍法帖」の十兵衛の啖呵を髣髴させる、とんでもない行動に出ます。はてこれは喜内が主人公のピカレスクだったのかな、と一瞬錯覚するくらい。 ですが元々両者の立場は対等ではない。喬之介は一貫して俗世の争いに関わらぬものとして描かれており、飯綱の術もより優れ喜内が逆立ちしても敵わぬ存在。さらに山岳党の崩壊は冒頭の怪異により運命付けられ、安徳帝の秘宝も神懸りとなった女性・八重の予言でもはや消失していることが暗示されます。 いわば「反伝奇小説」みたいな作品なんですが、それでいて木地師の里や主人公周りの描写は凄く魅力的なのが困りもの。ある意味悪人大勝利なのに後味も爽やかテイストでなんだかなあ。とは言えわざと外して書いてるので、面白さは同じ作者のSF作品「黒い炎の戦士」ほどではありません。6.5点。 |
No.189 | 6点 | 香港から来た男 伴野朗 |
(2019/05/20 01:17登録) 岡山発東京行き、ひかり36号―― 十一月初旬その車内で、グリーン車の乗客が青酸化合物により毒殺された。男は鹿児島の弁護士、中平亨。元判事で、志布志湾の石油備蓄基地建設をめぐる会社側弁護団の、実質的な責任者であった。勤務先の山鹿法律事務所には内密の行動で、彼が大事そうに抱えていたアタッシェケースは密室状態の車内から紛失していた。 同じ頃、香港――九竜半島廟街〈ミューガイ〉の露地で、日本人の男がドブに躰の半分を捩じ込むようにして死んでいた。刺殺された男は京都川原町の古美術商・今昔堂の店主久我政信。彼の名刺入れのなかには「説肆荒」と書きつけた紙きれが入っていた。 中平が現金化していた二百万円の小切手の振り出し先と、久我が訪れた湾仔〈ワンチャイ〉の古美術商・蔵珍閣店主の証言から、彼が時価百億円ともいわれる書聖・王羲之の真蹟を、香港の大富豪・方瑞山〈ファンロイシャン〉に売り込む計画だったのではないかと思われた。小切手を振り出した室町開発には華僑資本が入っており、方瑞山とも繋がりがある。さらに車掌の証言から、久我もまた事件当時「ひかり36号」に乗り合わせていたことが判明した。 大物の登場。暗礁に乗り上げる捜査。鹿児島県警本部長の佐島亮太は香港の事件を担当する元部下・衣川嘉彦の窮地を見かね、香港時代に助力を頼った旧知の探偵・陳展望〈チェンチャンワン〉を彼に紹介する。 1983年発表。中期の作品で、陳展望は作者のデビュー直後、最初に書いた短編の主人公。客家〈ハッカ〉出身。無類の食通にして独身。九竜半島・油蔴地にある掘立小屋まがいのアパートに腰を据え、書物の山に埋まって暮らしています。謀略系スリラーを得意とする伴野ですが、本作のプロットは盛り込みすぎなくらいで、キャラへの愛着を窺わせます。 京都府警・鹿児島県警など警察側が引き立て役に留まらず、かなり有能なのは好印象。新幹線内での犯行手段は軽妙。ただし面白い構図の作品ではありません。鑑真和上上陸地点の謎など魅力的な題材のほとんどは付け足しで、ストーリー上の意味はそれほど無い。売血常習者関連のシーンも丁寧ではありますが蛇足。 警察描写が充実している分、その上を行く展望の推理はやや予定調和的ですが、暗号の解読とラスト部分、帝国ホテルのロビーで瑞山に圧力を掛け犯人を燻り出すところはなかなかでした。 |
No.188 | 5点 | 殺しあい ドナルド・E・ウェストレイク |
(2019/05/17 02:51登録) ニューヨーク州の地方都市ウィンストンで、地方議会のトップと繋がりながら街でただ一人の私立探偵業を営むティム・スミス。その彼を狙い突然銃口が火を噴いた。深夜の一時に簡易食堂のカウンターに腰をおろしていた彼の隣に座った男が、手紙を渡す代わりにいきなり拳銃を抜きはなったのだ。 逮捕された男はそのまま警察に連行されるが、入口に立ちはだかったとたんにライフルの銃声が鳴り響き、店の中に倒れ込む。街のボスたちの不正を掴み〈うまくやってきた〉彼を誰かが消そうとしているのだ。シティ・ホールに腰を据える七人のボスの一人が。 ティムは不正調査に動き出した改革団体CCG〈市政浄化連盟〉を利用し彼らとの直接対決を試みるが、彼のその行動はやがて町をあげての血まみれの抗争へと繋がっていく・・・ 処女作「やとわれた男」に続く第二作目。1961年発表。主人公スミスはシティ・ホールの会合に出向き、町の支配者ジョーダン・リードから安全の確約を取りつけるもその後も狙われ続け、ついには仕事部屋に投げ込まれた手榴弾により、彼の大家でありカゼール一族の長老、ジョージが犠牲になってしまいます。 私立探偵とはいえボスたちとはツーカーで、市長とも気軽に話し合う仲だったスミスもここに至って全面対決を決意。最終的にはカゼール一族を焚き付けてボスたち全員を向こうに回した大量殺戮となります。 とはいえこの主人公スミスが煮え切らない。それなりにうまい汁を吸っていて、土壇場まで「なんとか元のままに」というスケベ心を引き摺っている。金が無い訳でもなし、ガールフレンドの忠告通りに町を離れちゃった方がいいんですけど「ここは僕の町だ」なんて言ったりして聞く耳持ちません。 その癖カゼール一族を巻き込む手口はかなりエグい。それでいて自分が嵌めて殺したも同然の死体の前で立ち竦んじゃったりします。ピカレスクに徹する訳でもないこいつのグダグダさでどんどん被害が広がるのが、読んでいて面白くない理由でしょう。最後はヤケになったのか、ガンガン拳銃撃ちまくりますけど。 一応犯人当てとかありますが大したことはない。この点でもハメット「血の収穫」には到底及びません。はっちゃけた展開で最後まで押し切ればいいんですが、ブルックリン生まれのニューヨークっ子気質がそれを邪魔してるような気もします。5点作品。 |
No.187 | 6点 | たとえば、愛 エド・マクベイン |
(2019/05/14 13:32登録) 巡査に押しつけられたガス・マスクを頭からかぶり、ガラスの破片で足の踏み場もない階段を登りながら、コットン・ホースはかつて人間だったものの残骸の上を歩いている事実に目をつぶろうとしていた。アパートの一室を訪問したセールスマンが、ガス心中の巻き添えを食って爆死したのだ。 ガス・マスクの曇った眼鏡から見える寝室はまるで手もふれてないみたいで、ベッドの上にはパンツとパンティしか身につけていないふたりの男女が横たわっていた。死因は一酸化炭素中毒。床にはウィスキーの空きビンが二本あり、一本は倒れていた。 一見何の変哲もない心中と思われたが、トミー・バーロウとアイリーン・セイヤーの二人に自殺の兆候はなにもなく、解剖の結果性交もしておらず、酒も呑んでいない事実が判明する。他にもいくつか不審な点がありスティーヴ・キャレラ刑事は殺人と睨むが、手掛かりが一向に掴めないまま捜査は難航の気配を見せる。 1962年発表のシリーズ第17作。間の「空白の時」が中編集なので、衝撃の第15作「クレアが死んでいる」の実質次回作に当たる、いわば87分署シリーズリハビリ編。 前々作での恋人クレア・タウンゼントの死から約半年後、傷の癒えないバート・クリングは順調にポンコツ刑事の道を歩んでおり、刑事部屋の雰囲気も完全に元には戻っていません。そんな中キャレラが、男に振られ飛び降りようとする二十二歳の娘を説得するシーンで物語は幕を開けます。 説得は見事に失敗し、彼女は十二階下の路上にダイビング。珍しく妻に当たりちらしたキャレラはそのまま塞ぎ込み、「俺刑事やめよかな」などと考えます。 その後冒頭の事件を挟み、コンビ担当のマイヤー刑事や科研のグロスマン警部と遣り合うキャレラ。ジョークを一つ二つ飛ばすうちに気分も復調し、まあ人生いろいろあらあな、というキモチになってきます。このへんやはり上手いですね。クリングは当分ダメだから、周囲に刺激を与えて徐々に雰囲気を戻していく。フランシスとは異なる長期シリーズならではの心配りを感じさせます。 悲喜劇的なものも含めて笑い所の多い作品。キャレラは本筋に関係なく二度に渡って八つ当たりで襲撃され、今回は散々。捜査はタイミングを外した形でそのまま進行し、なんとラスト近く、刑事部屋全員による多数決で、未解決事件として本当に処理されてしまいます。 「主任にこの件をシベリヤ送りにするのに賛成な人は?」だれも手をあげなかった。 「ぶっこんじまえ」「ぶちこみ」「ぶっこんじまえ。お蔵いりだ」 これで、みんなの意図や目的はどうあろうと、この事件はおしまいになってしまったのだった。 本当にここで終わったら凄いんですがまさかそんな筈もなく、恋人との会話からある事実に気付いたホースが、土壇場で某人物にハッタリを掛け大逆転。とはいえやるせない真相に、刑事部屋には寒々とした空気が漂います。息詰まるような緊張感とは無縁ですが、結末も含め結構好きな作品です。 |