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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.35点 書評数:2257件

プロフィール| 書評

No.437 7点 骨と髪
レオ・ブルース
(2018/11/23 19:41登録)
(ネタバレなし)
 マクロイの『月明かりの男』を思わせる<目撃者の証言ごとに食い違う、該当人物の姿>という謎。そのケレン味で読ませる一冊。一方で大きな事件がなかなか起きない分、やや緩慢な感触もあるが、愛すべき変人や妙にいい人とかが続々と登場してきて、読み手を飽きさせない小説作りのうまさは感じる。
 事件の解明のために自宅に押しかけてきたキャロラス・ディーンに戦死した息子の面影を見て、捜査に協力してくれるハムベル老夫妻。名探偵を脇から支える市井のゲストキャラとして、とても味わい深い描写である。

 人をくった事件の真相というか大ネタは、19世紀末の某名作短編作品にインスパイアされて、それを膨らませたという感じもするけれど、別のアイデアとの組み合わせでなかなか面白く見せている。
 キャロラス・ディーンものって、まだまだ未訳がいっぱいあるんだよね。どんどん紹介してほしい。


No.436 7点 華麗なる門出
アラン・シリトー
(2018/11/22 17:13登録)
(ネタバレなし)
 1960年代の英国ビーストン地方。「ぼく」こと私生児マイケル・カレンは、母と祖父母に養育された。マイケルは十代の内から不動産関係の職につくが、旧友の彼女を寝取り、さらには会社の利益を横領した。やがて悪事が発覚して故郷を出たマイケルは、旅先でさまざまな人に出会いながらロンドンに到着。少しずつ裏の世界への道を歩み始める。

 1970年代の英国作品。『長距離走者の孤独』の作者シリトーによる(広義の)ミステリ作品=悪漢小説(ピカレスク)というwebでの噂を聞いて興味が湧き、読んでみた。
 主人公マイケルの幼少期を語る心情吐露が長々と続く序盤はちょっとだけかったるいが、最初のヒロイン格となる少女クローディーンが登場する20ページあたりからハイテンポかつ扇情的に物語も叙述も弾みはじめ、あとは上下巻あわせて500ページ弱をほぼ一気読みである。シリトーの作品を読むのはこれが初めてだが、本作は著作のなかでも読みやすく面白いとの評判で、うん、納得。

 小説の構造は
①マイケル自身の境遇の流転
②マイケルが道中やロンドンで出合った人たちぞれぞれの、問わず語りの人間ドラマ
③マイケルをふくむ主要キャラたち同士の(かなり偶然も多用された)からみ合い
 の三要素で構成され、特に②のファクターが、本作の個性を打ち出すくらい比重が大きい。この種の叙述部分が随時始まると主人公マイケルは狂言回しにまわり、入れ子的な構造のアンソロジードラマに切り替わるような趣がある。ただ、それらの逸話はそれぞれエキセントリックなものであり、さらにその多くが奔放なセックス描写のおおらかさで彩られているので、まったく退屈はしない。小説を読む醍醐味を感じさせてくれる。

 それでミステリ的にはというと、終盤にちゃんと相応にノワール的な展開に深く入り込み、登場人物同士の良い面・闇の部分、それらこもごもの思惑が縦横に交錯する。苛烈な内容ながら、それでもどっか小説の基調には人を食ったのほほんとした味わいがあり、これが結局は作品総体の魅力になっている。

 訳者の河野一郎の言うように先駆の古典文学へのオマージュなども読み取れるだろうし、ほかのシリトー作品を読み込めばさらに見えてくるものもあるだろうが、とりあえず一編のピカレスクミステリとして読んで、十分に楽しかった。
 原書では、しばらくしてから執筆された未訳の続編があるみたいだけど、それもできたら読んでみたい。


No.435 6点 キラーバード、急襲
ウィリアム・ベイヤー
(2018/11/21 02:02登録)
(ネタバレなし)
 人気不振で進退を問われる、ニューヨークのテレビ局CBSの女性レポーター、パム・バレット(30歳)。そんな彼女はその日の取材先のアイスリンクで、ひとりの女性スケーターが天空から急降下してきた猛禽類に喉笛を裂かれる現場を偶然目撃した。居合わせた観光客がたまたま撮影した衝撃映像を買い取ったパムは、この事件の報道で一躍大人気キャスターとなる。かたや、猛禽類=通常より大きめのハヤブサを操る謎の鷹匠の殺人者は、自らを「ハヤブサ」と称して犯行声明をCBSに送り、さらなる凶行を繰り返す。騒然となる人々を横目にニューヨーク市警のフランク・ジャネック警部補(54歳)は謎の殺人鬼「ハヤブサ」を追うが、一方CBSのスタッフは、日本から練達の鷹匠ナカムラ・ヨシロウそして彼の愛鳥のクマタカを招聘。「ハヤブサ」に挑戦状を突きつけ、摩天楼上空での二羽の猛禽類の対決をお膳立てするが……。

 1981年のアメリカ作品。MWA最優秀長編賞受賞作品。日本版ハードカバー表紙のハヤブサがあまりに巨大なイメージすぎて、作中でも実際にラドンみたいな大怪獣が登場するかと思ったとは、邦訳刊行当時のミステリマガジンでの、たしか瀬戸川猛資の弁。実はオレも初見でそういうのを期待しちゃったけれど、実際の作中でのハヤブサの設定サイズは、二フィート~二フィート半である。まあそれでも通常のハヤブサより(とある出自ゆえに)かなり大きめで、そんなのが高速で自覚的に人間を標的に急降下してきたら、たしかにものすごく怖い。
 断続・突発的に出現して人間を奇襲するモンスターアニマルパニックというのは、ベンチリーの『ジョーズ』の影響が見て取れるし、実際にその『ジョーズ』の翻訳者・平尾圭吾が本作の翻訳も担当。くだんの平尾も訳者あとがきで同意のことを言っている。
 ただしこちらのハヤブサの背後には先輩のホオジロザメと違って、劇場型犯罪を楽しむ人間の悪意と狂気があり、そんな相手に挑んでいくジャネック警部補を主軸とした正統派警察小説としての興味も大きい。さらには高層ビル街に押し込められた人間社会を鳥の檻に見立てる都市文化論の観念も文中に紛れこまされ、要はいかにも80年代らしい、ジャンル越境のネオ・エンターテインメント小説(といいつつ、もう「ネオ・エンターテインメント」って、半ば死語かもしれんな)。
 本家『ジョーズ』を思わせる、ヒロインの妙にねちっこくいやらしいセックス描写を含めて、全体的に面白かったし、特に中盤のハヤブサ対クマタカの一大イベントのあたりは『キングコング対ゴジラ』的な高揚感でめちゃくちゃ楽しかった。ただし一般的な意味でのミステリとしては、もうちょっと工夫が……の欲目がなくもない。いや殺人鬼「ハヤブサ」の正体は読者にはかなり早めに明かされるのだが、その当人がなかなか捜査線上にカスリもしないのがどうにも不自然で。ここはフツーに一度嫌疑をかけられながら、しかるべき理屈で容疑から外されるとかの、ムリのない流れは欲しかった。その辺がちょっと腑に落ちないので、評点は少し減点。
 それと最後のオチは、長谷川町子先生の『いじわるばあさん』のある一編を思い出した(笑)。本書を既読で『いじわる~』も全部目を通しているという奇特な御方、いつかいっしょに酒でも呑みながら、この辺のネタについて話しましょう(笑)。
 ちなみに本書でデビューらしいジャネック警部補はその後も、作者のレギュラーキャラとして活躍。シリーズの邦訳も数冊出たみたいなので、おいおい読んでいこう。


No.434 6点 殺人者はオーロラを見た
西村京太郎
(2018/11/18 20:21登録)
(ネタバレなし)
 沖縄出身という触れ込みの若手人気歌手・南田ユキが自宅で絞殺され、その胸には銀色の矢が刺さっていた。ユキの本名は野板志摩子、実際には北海道のアイヌの出自であった。捜査本部には犯行声明と思われるアイヌのユーカリの詩が届き、さらに新たな殺人事件が発生する。志摩子の元恩師で民族&民俗学を研究する城西大学の助教授・若杉徹は、捜査一課の吉川刑事の要請で事件の捜査に協力。やがて真犯人と思しきアイヌの若者が捜査線上に浮かぶが、彼には二重の鉄壁のアリバイがあった。

 1973年にサンケイ出版のサンケイ・ノベルスの一冊として刊行された作品。当人がアイヌと本州の人間のハーフであるアマチュア探偵、若杉徹を主人公にした連作二部作の二冊目である(シリーズ第一作は、同じ叢書から72年に刊行された『ハイビスカス殺人事件』)。
 フーダニットの興味はほぼ切り捨てて、その分、完全なアリバイ崩しに絞った内容で、趣向の違う二つの中規模の不可能犯罪トリックが用意されている。探偵VS当人なりの主張と正義を備えた犯人との対決という構図だけにえらくメッセージ性の強い作品で、初期の社会派パズラー路線を打ち出していた西村京太郎のひとつの成果という感じさえする(まだそんなにしっかり初期の西村作品を大系的に読んではいないけど~汗~)。

 探偵役の若杉は32~33歳の体格の良い青年学者。アイヌの民族問題に向かい合い、事件のなかで自分の考えを見定めつつ突き進んでいくキャラクターはなかなか魅力的だが、この作品のなかで、事件の真実を暴く通常の名探偵以上の立ち位置まで獲得してしまう(謎解きミステリ的な意味で犯人になったり、共犯関係になったりするのでは決してない)。確かにここでキャラクターを燃焼させきった感もあり、シリーズはもうこれ以上続けにくかったであろう(とはいいながら、その後どっかの西村京太郎作品ワールドで彼が再登場していたらウレシイけれど。たとえば十津川ものなどにちょっとだけカメオ出演とか)。佳作~秀作。


No.433 5点 探偵は教室にいない
川澄浩平
(2018/11/18 13:26登録)
(ネタバレなし)
 昨年の激震作を受けた今年の(第28回)鮎川哲也賞受賞作。
 AmazonのレビューやTwitterでほぼ好評であるが、個人的にはもうひとつ。
 第1話の謎からして、真相も、ここが伏線だなという箇所も見え見えで、これでだいぶ印象がよろしくなくなった(悪くなった、とまでは言いたくないが)。
 残る3編もごくフツーの「日常の謎」もの……なら、まだ良いのだが、第3話の相合傘の謎、久方ぶりにミステリにおける読者に向ける謎の求心力の意義みたいなものを考えたくなったほどである。こんなのは、相手がちょっと遠出しかける最中の妹ではとか、従姉妹のお姉さんではとか、まずはベタな仮想をするところから始めるべきではないか。そういう手順を踏んでないものだから、作中人物が騒ぐ事態に説得力がない。いまどきの若い子は悪い意味で繊細で敏感なのね、ってオッサンは思うばかり。
 最後の話のクロージングはまあ良かった……ように見えたが、実はこれって、単にヒロインの父親がアレだっただけだろう。ヒロインは極端な行動をする前に、一二回は自分の親に向かって「彼はこういう人間だ」という、読者と共有する情報にもとづく、もっと具体的な説得・説明を試みるべきではないか。主人公たちの未熟さを棚に上げて、いい話風にまとめられても困る。おかげで最後、男子主人公がいきなりエラくなってしまったような戸惑いまで覚えた。そういう効果はもちろん作者の本意ではないんだよね?
 
 ここまでアレコレ言っておけば、たぶん次の人が逆張りで良いところを語ってくれるであろう(笑)。もしかしたら素で読んでいれば、あるいは誰も誉めない内に出合っていたらもっとスキになれていた一冊かもしれないとも思うけれどね。世の中全般の本作への好評ぶりがどうも釈然としないので(一部には謎とかが「薄い」と真っ当なことを言う人もいるようだが)、現状ではこの感想。


No.432 5点 レディ・キラー
エリザベス・ホールディング
(2018/11/17 16:34登録)
(ネタバレなし)
 独身時代は美人ファッションモデルだった23歳のハニイは、七ヶ月前に51歳の富豪ウィーヴァー・ステプルトンと結婚した。それは安定した裕福な人生を求めての結婚だったが、ハニイはちゃんと夫に尽くす良妻になるつもりでいた。だが結婚前はひとかどの紳士に思えた夫は、実は友人もなく、さらに金を妻に渡したり彼女のために散財することでしか愛情表現のできない無器用すぎる人間で、ハニイの心は冷えかけていた。そんな夫妻は各国を回る長期の船旅に出るが、船上でハニイは化粧品業界で成功した女性実業家アルマと、彼女の新婚の夫である美青年ヒラリー・ラシェル大尉と知り合う。やがて間もなくハニイは、ヒラリーから妻アルマへの秘めた殺意を認めるが……。

 1942年のアメリカ作品。有名なサンドーの名作表にも挙げられている長編だが、邦訳は創元の「世界推理小説全集」の一冊として刊行されたのみ。それ以降は創元文庫にもなっていない不遇の一作。
 自宅の書庫から未読の積ん読本が出てきたので、どんなのかなと、このたび読んでみた。

 わずかなきっかけから青年ヒラリーに疑心を抱いたハニイが、その思いを周囲の者と共有しようと試みても相手なりの思惑でかわされたり、信じて貰えなかったりする丁寧な叙述は、まあ悪くない。なんだかんだ言っても本当は一番頼りにしたい夫のウィーヴァーとも、どうも会話ややりとりがスレ違い、ハニイの焦燥が高まっていく。そんな流れも王道を踏んでいる。
 やがて船内で殺人事件が起きる? が、その直後に死体? が消失。ハニイをふくむ船上の乗客や乗員がさらにややこしい状況になっていくのも、良い感じの筋運びだろう。
 
 あと、女丈夫で敵を作りやすそうな年上の女アルマにある種の憐憫を覚えたハニイ(小説中にははっきり書かれないが、ハニイ当人は、きっとそういう己の余裕のある心情に優越感を覚えているのであろう)と、夫ウィーヴァーとの会話(本文P96)

「お前がどうして彼女と親しくするのか、わしには理解できない」
「あのひとは――ひとりぼっちなんですもの」
「そうでないものがいるのかね?」と彼は言った。「いったい、だれがひとりぼっちでないというのか?」

 が、とても印象的だが、本書の大きな主題のひとつはハニイのみならず、夫ウィーヴァーやその他の登場人物が抱える現代人の孤独の念であり、それを浮き彫りにするためにこのミステリ作品そのものもあるように思える。
 そう考えるとラストのある種のかぎりなく冷徹な決着も、ストンと了解できるものとなる。

 ちなみに本書の解説で中島河太郎は、ミステリの意外性としては弱い云々の主旨の感想を述べ、webのミステリファンのサイトなどでも同様の所感を拝見したが、個人的には最後の思わぬ真相になかなかうっちゃられた感じであった(ギリギリのページ数まで事件の底が割れない展開はけっこうスキ)。
 そのあとに続くのが、前述の少し苦めの、二重の結末だとしたらこれは悪くない。
 ただね、中盤で殺人? 事件が起きるまでが全般的に地味で起伏にとぼしいのが難。各章の最後とかがもう少しクリフハンガー的な盛り上げを図っていたらなー、同じプロットでも、あと数割は面白くなったと思う。嫌いになれない作品ですが。


No.431 7点 海底のUボート基地
ハモンド・イネス
(2018/11/16 15:21登録)
(ネタバレなし)
 1939年の8月半ば。「私」こと、ロンドンの新聞「デーリー・レコーダー」の記者ウォルター・クレイグは、休暇でコーンウォール地方の閑寂な漁村キャッジウィズに滞在中だった。そこに突然ラジオから、独ソ不可侵条約締結のニュースが流れる。今後の国際状勢に不安を感じるクレイグだが、そんな彼は土地の40絡みの巨漢で結構インテリの漁師「ビッグ」・ローガンと友人になる。洋上で釣りを楽しむ彼らは、海中の巨大な何物かに接触。一旦はその正体は鮫かとも思うものの、土地の周辺に不審な人物が現れたことと含めて、ローガンはあれが秘密活動をしていたドイツの潜水艦ではと疑いを抱いた。半信半疑の地元の沿岸警備隊に協力を仰ぎながら、ふたたび二人だけでその周辺の海域に向かうクレイグとローガン。だが二人は敵の捕虜となってしまう。

 1940年の英国作品。作者ハモンド・イネスの第五長編で、2018年現在、邦訳された長編のなかでは最古の作品。ほぼ60年の長き(!)にわたって活躍した英国冒険小説界の大巨匠イネスだが、メインストリームといえる作品のイメージは、さまざまな事情や謀略を背景にした人間と大自然との相克劇。その意味では本当にぶれない作家だったが、初期には本作のような英国に秘密潜水艦基地を作ったドイツ海軍に挑む、対人間、対国家のアマチュア主人公の冒険小説も書いていた。ただし敵の基地が設けられたとあるシチュエーションの海底(地下)空間の叙述などやはり、人知を越えた自然の勇壮さに筆を費やすイネスらしい。とても。
 文庫版で270頁弱というイネスにしては薄めの作品(『孤独のスキーヤー』なども薄いが)で大筋の物語は、敵の基地に捕虜として捕われた主人公二人の脱出&逆転劇。話のベクトルは明快で淀みはないし、ストーリーが単調にならないように物語を三部構成にして、その真ん中の第二部は、クレイグの元同僚の女流作家モーリン・ウェストンをさらなる準主人公に設定。行方をくらましたクレイグを捜索する彼女の視点から、秘められた物語の大きな興味に迫っていく。イネスが初期から小説の技巧的にも練度が高かったと、改めて実感する書きっぷり。
 
 結構印象的だったのは、敵国であるドイツの軍人の扱いで、イネスの筆致はゲシュタポをふくむナチス党員と一般の海軍軍人をきちんと分けて描き、前者はどうしようもない連中だが、後者はまだ人間味があるという描写も随所に入れている。一般の戦争文学にはほとんど素養はない評者だが、1940年の第二次大戦どまんなかのリアルタイムの時代によくこんなのを書けたと感嘆。同時期の日本で商業作家が鬼畜米英相手にこんな叙述をしていたら、確実に非国民扱いであろう。まあ当時のイネスの内心が、純粋にドイツ全般が敵であっても悪ではないという認識だったのか、それとも別の計算的な思惑や、こういう描写に至る何らかの事情があったのか、あるいは作家的な冷静さとしてここだけは抑えておきたかったのか、その辺は分からないけれど。

 前述のようにプロットそのものはそれほど曲のあるものではないし、ドイツ軍人を極悪に書かなかった分だけ、俘囚の立場の主人公たちにちょっと甘いな、という部分もないではないが、良い意味でクラシックな娯楽読み物っぽい趣向を用いた後半の逆転劇をふくめて、少なめの頁数をはるかに上回る満腹感は味わえた。傑作でも優秀作でもないが、楽しめる秀作。

【2011年5月27日追記】
 あとになってわかったが、本作のドイツ軍人の扱いは当時の英国首相ネヴィル・チェンバレンによる「ドイツ宥和政策」(39年のミュンヘン会談など)の影響が確実にあったのだろう。やっぱ、この辺は歴史を知らないとダメだな。反省。


No.430 3点 夜獣
水谷準
(2018/11/15 12:11登録)
(ネタバレなし)
 昭和30年前後、その年の3月12日。ゴルフ練習場の食堂のボーイで、プロゴルファーとしての成功を夢見る青年・佐治省吾は、恋人の敬子から距離を置きたいといわれてクサる。やけ酒を煽った彼は、戦時中に憧れた女性「白い窓の女」にそっくりな美女にたまたま街角で遭遇。ついフラフラと後をつけると女性は閑寂な屋敷に入り、やがて家の奥から銃声が鳴り響く。女性は省吾に気づかずに退去。邸内には中年男の死体が転がっていた。女性が犯人? 真相は不明なまま、勝手に彼女に思い入れた省吾はその嫌疑をそらそうと殺人現場にデタラメな証拠をばらまき、そして知人である新聞「太陽新報」の記者・丹野泰三に殺人事件の発生を匿名で通報するが。
 
 昭和31年に講談社から刊行された「書下し長編探偵小説全集」の一冊。同叢書は『人形はなぜ殺される』『黒いトランク』『上を見るな』などの日本ミステリ史に残る、当時のまだ新世代作家の名だたる作品を輩出し、さらに横溝の『仮面舞踏会』が刊行予定に上がりながら未刊に終ったことで有名。それらの傑作や話題? 作とならんで、本作もラインナップされた。
 本当に大昔、少年時代に古書店で「水谷準といえば戦前からの巨匠だな」「題名からすると怪獣っぽい殺人鬼キャラクターでも登場するのかな」という興味で元版を購入。その後、ウン十年、ずっと自宅で積ん読だったが、実際のところどんなんだろ、と思って、このたび読んでみた。

 そしたらこれがまあ、いかにもノープランで一冊書き上げたという感じの悪い意味での昭和スリラーで、出来があんまりよろしくない。登場人物をひとりひとりきちんと描き込まないうちに続々とキャラクターを出しちゃう小説の作りもヘタな実感である。終盤の謎解きもそのように並べた登場人物の一人に、真犯人の役割を押しつけた感じだし(ただし動機はちょっとだけ、この時代の作品としては先駆的? で面白いかもしれない)。
 全般的に退屈で、これなら今まで自分が読んだ同じ叢書の作品のなかで、比較的下位だった乱歩の『十字路』の方が三倍は面白かった、という手応えである(ちなみに評者は上に名前を挙げた「書下し長編探偵小説全集」の三大傑作の中では『上を見るな』だけ、まだ未読)。
 もちろん水谷準のかつての名短編『お・それ・みを』や『カナカナ姫』のような奇妙な詩情やハイカラさは微塵もないし。あと題名の「夜獣」。このタイトルロールに見合う悪役キャラ、怪人物が結局は最後まで出てこないのも不満。劇中でも特にその修辞を受ける登場人物は存在しないし。(一応「黒いマントの男」という謎の容疑者は出るから、コレのことか?)

 日本探偵小説界の黎明期から活動していた古参の作者は当時、同じ叢書に後陣の若手作家の傑作群が次々と並ぶ様を見ながら自作を顧みて、どういう心境だったのだろう。すんごい意地悪な見方を承知で、つくづくそう思う。


No.429 7点 非情の裁き
リイ・ブラケット
(2018/11/13 14:03登録)
(ネタバレなし)
 出先のサンフランシスコで難事件を解決した、ロサンジェルスの私立探偵エドモンド(エド/エディー)・クライヴ。LAに戻った彼は、二つのトラブルの相談を受ける。ひとつは恋人のクラブ歌手ローレル・デインからの身辺警護の願いであり、もうひとつは幼なじみのマイケル(ミック)・ハモンドの家に届いた脅迫状、その謎の送り主の調査だった。女性関係に奔放なミックはかつて旧友クライヴにも心の傷を与え、それ以来両者の関係は微妙だった。だがもともと上流階級の令嬢で、今はミックを愛する彼の妻ジェインの懸命な懇願もあって、クライヴは脅迫者を調べる依頼を受けることになる。そしてクライヴの周辺では予期せぬ殺人事件が……。

 1944年のアメリカ作品で、エドモンド・ハミルトン(『キャプテン・フューチャー』ほか)の妻であり、レイ・ブラッドベリの盟友だった女流作家リイ・ブラケットの処女長編。日本では『リアノンの魔剣』などの異世界ファンタジーや『長い明日』などの未来SF、さらには『スターウォーズ・帝国の逆襲』のシナリオ担当などで知られる作者だが、ミステリ分野との縁も深い。本書を含む数冊のミステリの著作があるほか、チャンドラー原作のかの映画『三つ数えろ』や『ロング・グッドバイ』などの脚本も担当している。
 本書の訳者・浅倉久志の解説によると、もともとハワード・ホークスは本作『非情の裁き』を読んで感銘し、企画準備中の『三つ数えろ』に、フォークナーと並ぶ共同脚本家として作者を迎え入れたそうだから、この作品の内容も推して知るべし。プロンジーニなどは、当時のチャンドラーの良い意味での見事な模倣と称賛したそうである(ただし本作『非情の裁き』の叙述は、完全にクライヴを主軸に据えた上での三人称視点)。
 
 メインヒロインの一角であるジェインの実家(オルコット家)は確かに現在も金持ちの上流家庭だが、本来の家族の絆ほか精神的な意味ではいろいろと欠損しており、それを埋めるように中流~下層階級出身の情熱家の夫ミックが迎えられたこと、しかしそのミックにもまた主人公クライヴとの関係性をふくめて種々の問題があり、さらにもうひとりのメインヒロイン、ローレルにも……と組み合わされる人間関係の中からいくつものドラマの綾が見えてくる。
 前半で起きた登場人物の頓死を経て物語は中盤以降、加速度的に動き出し、そんなストーリーの中で、なじみの警察官ゲインズ警部補になれ合うように見せて一転、意外な態度に出る主人公クライヴのやや歪んだ気骨も描かれる。
 うん、これはまぎれもない正統派のハードボイルド私立探偵ミステリ。
 
 ちなみに当方、ハードボイルドは男性作家の領分とか、女性作家には男性主人公のハードボイルド私立探偵小説は書けない、とかのジェンダー的な意識は希薄なつもりである(客観的に見るなら、そういう部分がまったくないとは言えないかもしれないのだが)。
 それでも本書に関しては、スタイリズムや物語要素の取りそろえとして、とてもしっかりした男性主人公の私立探偵ハードボイルドミステリを見事に紡ぎながら、最後まで読んでああ、やっぱり女流作家が外側から「男の世界のハードバイルド」に思いを込めた作品だな、という感慨を抱いた。
 そんなことを言うとすでに、あるいはいずれ本書を読んだ人から「いや(中略)など、とても女流作家らしからぬ作劇でしょ」との声もあがりそうだが、あるものを切り捨てることが逆説的にそれと同等のあるものを限りなく大事にすることと裏表になっている。これって女性の目からの「男のヒーローは女のためにこうあって欲しい」という訴求以外の何物でもないように見えるのだ。そこに評者はこの作品に、ハードボイルドを最後までハードボイルドにしきれない、甘えめいた不純のようなものを感じてしまう。
 ブラケットクラスの書き手(といいつつ他の作品はあまりまだ読んでないが~汗~)を単にジェンダー論の分類で女流作家としてくくるのもあんまりアレなので、この辺はいつかもっと作者の著作を読んでから改めて確認したい部分もあるけれど。
 いずれにしろ、この私立探偵クライヴの活躍編、作者がそれから何冊も本を出し、時にミステリジャンルの作品も書きながら、その続刊はとうとうものにしなかったようで、もしかしたらブラケット自身、この作品でハードボイルド私立探偵小説はもう書き切ったと燃焼したと同時に、このジャンルに向かう自分の限界めいたものも感じちゃったのか。そんな勝手なことを考えたりしてもいる。
 
●余談:浅倉久志は、これが初めてのまともなハードボイルド私立探偵小説の翻訳だそうだが、巻末の解説(あとがき)を読むと、こちらの予想以上にちゃんとこの分野に若い頃から精通していた&大のファンだったようで舌を巻く。(まあ例の「ユーモア・スケッチ」にハードボイルド私立探偵小説のパロディ編をセレクト&翻訳していることで、それなり以上の素養があることは以前から窺いしれていたが。)
 浅倉当人がむかしよく読んでいたというこの分野の作家のなかに、大御所連中とならんでごく自然に、バート・スパイサー(数年前に初めて論創から、レギュラーの私立探偵カーニー・ワイルドものの一作『 ダークライト』の翻訳が出た)の名前があるのに度肝を抜かれた。
 浅倉久志のSF分野、ユーモア小説分野でのお仕事の実績は甚大なものだが、もう少しハードボイルド私立探偵小説のジャンルに軸足をかけてくれていたら、日本の翻訳ミステリ界も、さらにちょっとくらいは変わっていたかもしれん。


No.428 5点 十二人の少女像
シェーン・マーティン
(2018/11/12 14:29登録)
(ネタバレなし)
 その年の十月末のロンドン。66歳の考古学者ロナルド・チャリス教授は、懐旧の念に駆られて数年前に他界した友人ジョン・バリントンが暮らしていた屋敷に足を運ぶ。バリントンの未亡人エリカは再婚して去り、現在の屋敷はアメリカの青年建築家ブランドン・フレットの住居となっていた。フレットの厚意で懐かしい邸内を見せてもらった教授は、庭にすこぶる印象的な十二人の美少女の彫像が置かれているのに気がつく。フレットの説明によると、それは先の住人のフランス人で評判の若手彫刻家ポール・グラッセの作だという。だがそのグラッセ当人は半年前、大規模な美術展への参加直前になぜか謎の失踪を遂げていた。グラッセの行方に関心を持つ教授。これがチャリス教授の、数カ国を股にかけた冒険と謎解きの旅の始まりだった。

 1957年の英国作品。創元の旧クライムクラブのなかでまだ未読の一冊を、内容もまったく知らないままに読んでみた。そしたら中味は、英国~フランス~地中海と舞台を転々とさせる、年輩アマチュア探偵の冒険スリラーであった。
 とはいえさすがに老境の教授のみに冒険&活劇物語の全パートを担当させる訳にもいかず、グラッセの元カノ(みたいな)だったお嬢さまのポリー・ソレルや、グラッセ当人の弟シャルルなども準主役となり、場面場面ごとに彼ら彼女らの視点からの活躍を見せる。
 さる事情から兄の方のグラッセに追撃の手をかけるフレットの思惑や、本書のタイトルロールである少女像のモデルとなった女性たちのいくつかの逸話、教授に力を貸してくれるサブキャラの扱いなどなど、キャラクター描写全般になんか妙な艶っぽさはあるが、筋運びは割とストレート。地味な感じを受けないでもない。
 それゆえ最後までこのまま終るのかな……と思っていたが、終盤に割と大きな仕掛けが連続してあり、最終的にはそれなりに楽しめる作品だった。
 50年代当時の英国冒険スリラーとしては、多彩な異国情緒の妙味もふくめて佳作クラスであろう。

 ちなみに巻末の植草甚一の解説(『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』にも収録されているハズ)によると、チャリス教授は作者のシリーズキャラクターらしい。本書が作者のデビュー作で、当然シリーズ第一作。
 他の作品では、助手である若い女性と行動する話もあるとのこと。こういうじいちゃんキャラの冒険ミステリというのはいかにも英国作品っぽく、そっちも面白そうだというのならちょっと他の冒険録にも触れてみたい。


No.427 5点 熱砂の渇き
西東登
(2018/11/11 20:24登録)
(ネタバレなし)
 ある日の早朝、都内の「T動物公園」内で、中年男の変死体が発見される。男の素性は五井物産の部長・大田原正と判明するが、彼は大の男7~8人分の強烈な力を受けて圧殺されていた。動物園内のゴリラかオランウータンかの仕業かとも思われるが確たる証拠はあがらず、捜査は難航する。それと前後して、大手M新聞系列の夕刊新聞「夕刊トーキョー」の編集部に一人のアフリカ帰りの男が来訪した。夕刊トーキョーはかねてより会社独自の娯楽興業を続々と企画し、そのメイキング&ルポ記事を紙面の大きな柱としていた。そんな同紙に高森善太郎なるくだんの男が持ち込んだ企画は、日本で初めての公式・駝鳥レースの開催だった。これに関心を示した夕刊トーキョーの編集局長、堂本だが……。

 作者の第四長編。現時点でAmazonに書誌データの登録はないが、奥付(初版)の刊行日は1971年6月20日。仁木悦子の『冷えきった街』や森村誠一の『密閉山脈』などと並んで、当時の講談社の企画ものの叢書「乱歩賞作家書き下ろしシリーズ」のラインナップ内で刊行された一冊。
 元版の刊行以降は文庫にもなっていないと思うマイナーな作品だが、当時のミステリマガジンの月評にはちゃんと取り上げられており<国内で開催されるダチョウの公式レースにからむ殺人事件>という、本書独自の趣向はソコで昔から覚えていた(とはいえくだんのHMMのレビューで、本作を誉めていたかそうでなかったかは、もうちょっと記憶にない~汗~)。ちなみに改めて言うまでも無いだろうが、T動物公園は実在の多摩動物公園がモデル。

 序盤で提示された不可思議な殺人事件が、どうやらそっちの方がメインストリームらしい駝鳥レースの話題にどう絡み合っていくのか、そしてくだんの怪死のトリックはナンなのか、という二つの興味でそれなりに読ませるが、中盤で登場人物の人間関係が見えてくると最後までの大方の流れは透けてしまう。そこら辺はちょっと弱い(あと、フェアプレイを狙ったのであろう冒頭からのいくつかの叙述も、悪い意味でわかりやす過ぎる)。
 西東作品はあまり読んでなくて、長編は実は本書が初読だが、噂に聞く動物に強いということはよく分かった。終盤、事件の奥底がもう一段二段、秘めた部分をさらすのは、この作品の工夫として評価してもいいかも。


No.426 6点 牟家殺人事件
魔子鬼一
(2018/11/10 17:19登録)
(ネタバレなし)
1940年代。太平洋戦争時下の北京。4年間の日本留学から帰国した菜種問屋の後継ぎ、トン・ジャアウォン(実際の本文では漢字表記・以下同)青年は、幼なじみで西洋文化に憧れる19歳の娘フンミンと再会する。フンミンの父のムウ(牟)ファションは戦争景気でいっきに財を増やした大実業家で、現在の自宅の豪邸にはフンミンの実母の第二夫人をふくめて、のべ4人の夫人と同居していた。さらに居候の親族や多数の従僕を住まわせて賑わう牟家だが、そこで起こるのは奇妙な密室殺人を含む、何者かによる連続殺人の惨劇であった。

 題名の読み方は「牟家(ムウチャア)殺人事件」。
 ミステリー文学資料館編集の復刻発掘アンソロジー路線の一冊『「宝石」一九五〇』の巻頭に収録(初の書籍化)された、短めの長編パズラー(光文社文庫で210ページ強。400字詰め原稿用紙換算なら300~400枚くらい?)。
 本作の作者・魔子鬼一(まこきいち)は、マニアには有名なミステリ関係の自主刊行物を発行している古書店・盛林堂から近年、復刻短編集が出ていて、評者はそれで名前を知った。ちなみに本作は、作者の唯一のまともな謎解き長編作品のようである。
 文庫『「宝石」一九五〇』巻末の山前謙氏の解説によると、本作は1950年の「宝石」4月号に一挙掲載。当時は1949年にGHQの用紙統制が緩和された直後の時節で、その影響もあって「宝石」本誌もページ数がボリュームアップ化の一途。くだんの1950年4月号には岡田鯱彦の『薫大将と匂の宮』と本作、同時に二長編がいっきょに掲載されたそうである。なんというゼータクな時代(笑)。あるいはそういう豪快な編集&経営を続けていたから、鮎川哲也にも賞金が払えなかったのであろうか(実際のところはよく知らんが)。

 それで中味だが、特殊な舞台設定の本作は、当然のごとく登場人物は全員が中国名の漢字表記。フツーならとても敷居が高い作品なのだが、評者は今年、例の漢文ミステリの話題作、陸秋槎の『元年春之祭』を少し前に読了したところ。だからこっちも、同様にナンとかなるだろと手に取った(笑)。
 それでも念のため、下準備として、文庫の巻頭にある登場人物一覧表を周囲の余白大きめにコピーしておき、そこに人物のメモを書き込みながら読んだ。このおかげで最後まで読み終えるのにまったく問題はない。
(しかしなんかこの人名表、特に不要な人物まで載っている気もしたが……。)
 
 肝心の筋運びは輪堂寺耀の快作(怪作)『十二人の抹殺者』を想起させる、豪快なまでに関係者が立て続けに死んで(殺されて)いく連続殺人劇パズラーで、良くも悪くも芝居がかった外連味がとても好ましい。登場人物の造形も特に中国っぽさは感じられないが、その分主要人物のキャラクターがそれぞれ平明に語られ、そんな叙述を拾いながら情報を消化していくうちにページはどんどん進んでいく。テンポはとても良い。

 でもって最後に明かされる真相は……うん、まあ……これはたしかに21世紀まで60年間眠っていた幻の作品だねえ(苦笑)。
 いや、作者がどうやって読み手を驚かせようとしたかの狙いそのものは理解できるし、その構想そのものは悪くなかったと思う。クリスティーのよく使う仕掛けもちょっと連想させる。
 ただまあその意外性を盛り上げる演出としての伏線や下ごしらえに、まるで気を使ってないというか。
 犯人はその動機で最後まで計画を完遂したら、結局……(中略)とか、密室殺人のトリックってコレですか……とか、終盤に明かされるあの登場人物のキャラクター設定はなんの意味があったのか……とか、ツッコミどころも満載。
 なんかミステリを語りたい心は最低限持っていながら、それが送り手の中でちゃんと育つ前に一本書いちゃったというような作品だった。
 まあそんな一方で、読んでる間はなかなか楽しめたのも事実。
 作品総体としては誉めにくいんだけれど、どっか愛せる一編ではある。


No.425 9点 その男キリイ
ドナルド・E・ウェストレイク
(2018/11/09 10:38登録)
(ネタバレなし)
「ぼく」こと、3年間の軍隊生活を経て今は大学で経済学を学ぶ24歳の青年ポール・スタンディッシュ。彼は恩師リードマン博士の斡旋を受けて、全米に万単位の構成員をもつ「機械工労働者組合」(AAMST)での現場実習に就く。ポールは、自分の大学の先輩で花形スポーツ選手だった38歳の組合員ウォルター・キリイとともに、地方の小都市ウィットバーグに赴いた。そこは町で最大の企業マッキンタイヤー製靴会社が権勢を振るう世界。今回は、同社の従業員チャールズ・ハミルトンが、代替りした現在の雇用側の横暴について、先だっての手紙でAAMSTに相談を持ちかけていたのだった。だがキリイとともに町に着いたポールは、そこで彼の予想を超えた事態に向かいあうことになる。

 1963年のアメリカ作品で、ウェストレイクの第四長編。先日、自宅の書庫を漁っていたら未読のウェストレイクの初期作が何冊か出てきたので、どれにするか迷った末にこれを読んだ。手に取ったのは、ハヤカワミステリ文庫版。
 キナ臭さの漂う地方都市に乗り込んだ主人公(たち)、という『血の収穫』『青いジャングル』などを想起させる設定で、雇用側の金持ちと労働者階級の相克、労組のありようなどの主題にも自然に筆が及び、その辺りについても現地で起きた犯罪事件を介して、ポールの視点から丁寧に綴っていく。若き日のウェストレイク、多少なれども当時の左翼的な思いを込めた、彼なりのルサンチマン吐露の面もある作品かな……と思って読み進めると、この長編は終盤であまりにも鮮やかに、その趣と狙いを変えた。すべては作者の計算の内である。
 ネタバレになるのでこれ以上の多くは言いたくない。

 ミステリ(広義の)を読むことは恒常的に楽しい作業だが、特にこういう一冊に出合うことで、本当にその思いは倍加する。ビルディングスロマンの青春小説として、社会派ドラマとして、ハードボイルドのスピリットとして、そしてそれらもろもろの要素を踏まえた謎解きミステリとして正に傑作。

余談1:最後の数行は何十年も前に、先に訳者あとがきを読んだ際にたまたま目にしてしまい、あまりにも印象的なフレーズだったので、作品の中味は未読のまま、ずっと心にひっかかっていた。実はそのフレーズから逆算して、勝手に頭のなかで、聞きかじったこの作品の序盤の設定と組み合わせ、なんとなくこういう話になるんじゃないかな、と全体図を描いていたところもあったのだが、そんな浅慮な予見は良い意味で大きく裏切られた。思いついて今回読んでみて本当に良かった。
余談2:ミステリ文庫版での丸本聡明の訳者あとがきは、文庫版刊行の際に新規に追加した一文で、元版ポケミス刊行時からその時点に至っての述懐を綴ったものだが、これも地味に泣ける。いろいろな意味で人の心を刺激する一冊である。


No.424 6点 奇跡のお茶事件
レスリイ・チャータリス
(2018/11/06 19:45登録)
(ネタバレなし)
『奇跡のお茶事件』
 裏社会の犯罪者にして冒険児である「聖者(セイント)」こと青年サイモン・テンプラー。
 彼とくされ縁があるロンドン警視庁の警部クロード・ユースティス・ティールは、くだんの「聖者」を捕縛できない苦渋もあって胃を痛めていた。そんな時、ラジオから流れるCM。それはロンドンのオスペット薬局が独自に売り出した、胃病などに効く飲料物「奇跡のお茶」の宣伝だった。騙されたと思って薬局に赴き、お茶の葉を購入するティール警部だが、その帰路、何者かがなぜか警部を襲う。偶然、現場を通りかかった「聖者」は負傷した警部を救うが、これがさらに意外な事件へと……。
『ホグスボサム事件』
「国民公徳心振興会」の代表を務める人物エビニーザ・ホグスボサム。世の中に高潔なモラルを訴える彼の存在は、ロンドン界隈でいまや時の人となっていた。そんなホグスボサムの言動にどこか胡散臭さを感じた「聖者」は、部下の米国人ホッピイ・ユニアッツとともに相手の屋敷に忍び込む。だがそこで「聖者」たちが目にしたのは、ホグスボサムならぬ別の人物が椅子に縛られ、暗黒街の人間に拷問されかかる現場だった。

 あくどい金持ち相手に窃盗や強盗もするが弱者は狙わず、一方で非道な裏社会の犯罪者の排除も行う「聖者」シリーズ、その中編二本を収録した一冊。原書ではこの中編二本はどちらも、1938年(1939年説もあり)刊行の中短編集「Follow the Saint」に収録らしい。

 今回、なんか急にチャータリス=「聖者」が読みたくなった(我ながらなんでだろ~笑~)ものの、大昔に購入しているハズの邦訳長編二冊(ポケミスと六興)が家の中から出てこない。じゃあ……ということで、Amazonで値下げされていた本書の古本を通販で買った。あら、翻訳が黒沼健。これは面白そうということで、本が家に届いてからすぐ読んだ。

 チャータリスの「聖者」は、ミステリマガジンで短編を何作か読んでるはずだが、たぶんまとまった形で読むのはこれが初めて。もしかしたら大昔に集英社かどっかの児童向けリライトを一冊読んでいるかもしれないが、少なくともその内容は(万が一読んでいたとしても)ほとんど忘れてしまっている。
(ただしその児童書版の翻訳リライト担当者がエラくマジメな人で<「聖者」はヒーローといっても結局は悪人なのだ、彼はいつか銃弾を受けて死なねばならないのだ>と前書きか後書きかで年少の読者向けに主張していたのだけは、よく覚えている。)

 それで本書だが、古い翻訳ながら期待通りに黒沼健の訳文はめちゃくちゃテンポがよく、いっきに中編二本を読んでしまった。いや、なかなか面白い。非道なことは決してしないが、悪人相手なら拷問までする(実際にはそのふりだけだが)、恋人パトリシア・ホームが叔母さんに会いに行く際、遺産目当ての打算だねとか厨二の不良みたいな悪擦れしたジョークを言う「聖者」はキャラクターの幅があってよい。少なくともお行儀の良さに縛られる紳士犯罪者ではない。
 ストーリーの方も謎解きミステリとしての結構を誇るのはムリだが、それぞれ程よく意外な事件の真相が設けられ、そこに向かって聖者(と少人数の仲間たち)が活劇を交えながら迫っていく筋運びもハイテンポで良い。一番わかりやすい例えでいうなら、ホームズ譚の<謎解きの興味もある、活劇よりのエピソード>、あの辺に近い。
 まあご都合主義的にうまく登場人物がからみ過ぎる部分もないではないが、そこはそこ、娯楽活劇の旧作としての許容範囲である。たまにはこういうのも良い。
(ただ『ホグスボサム』のラスト、作者が読者目線での痛快さを狙ったのはよくわかるが、冷静に考えるとこの「聖者」の行為は行き過ぎだよね~もちろん、ここであまり詳しくは言えんが。) 

 ちなみに本作(新潮文庫の本書)は黒沼健の後書きによると、先に日本出版共同から刊行された『聖者対警視庁』と同様の内容だそうだが、チャータリスの未訳の原書のなかに和訳するとまんまその邦題(「聖者対警視庁」)になる作品(1932年の「The Holy Terror」。この米国版の題名が「The Saint vs. Scotland Yard」)があり、そっちが今後紹介される可能性を考えて、本書はこの文庫版刊行の時点で改題したという。
 とても行き届いた配慮だったけれど、結局、半世紀以上経った21世紀の今になっても、該当の作品はまだマトモには未訳のままなんだよなあ(苦笑)。
(ジュブナイル版としては『あかつきの怪人』の邦題で、あかね書房から出ていたみたいだが。)
 んー、チャータリスの未訳作で面白そうなのがあったら、やはり論創さんあたりで今からでも発掘してくれないものか。


No.423 6点 少女は黄昏に住む マコトとコトノの事件簿
山田彩人
(2018/11/05 17:00登録)
(ネタバレなし)
 童顔で高校生に間違えられる25歳の刑事・姫川誠。彼は難事件を名推理で解決することから上司の女性刑事・桃井香住などから「名探偵マコちゃん」の愛称を授かっていた。だが人々は知らない。実際の名探偵は誠本人ではなく、彼の師であり親代わりだった今は引退した刑事・綾川伸吾の一人娘、引きこもりで性格最悪のオタク美少女・琴乃だということを……。

 先日、Twitterでのさる噂に接し、それによると香港映画界で活躍中の脚本家フェリックス・チョンが、日本のミステリが好きで、特にご贔屓の作家は横溝、清張、それに「ヤマダ」と申したそうな。インタビュアーは詳細を追いかけるのはスルーしたのだが、そのヤマダが風太郎なのか正紀かが気になる、まさか悠介じゃあるまいな、とは、この件をTwitterで話題にした某氏の弁。
 そこで思いついて「ヤマダ」ってミステリ作家、まだいたよね……と自分が今回手に取ったのが、本書である。いや本サイトでもこの作品のレビューはまだ無いし、表紙のヒロイン(琴乃)がなかなか可愛いので。
 あー、限りなくスーダラに読む本のセレクトをしてしまったぜ(笑)。

 そんな訳で今をときめく鮎川哲也賞、その受賞作家の一人であるこの作者の著作を読むのはこれが初めてなのだが、内容は全5編の連作短編謎解きミステリ。事件の捜査現場に琴乃が足を運ばない安楽椅子探偵ものが基調だが、第4話での大雪時のバス周辺の殺人事件など、主人公コンビの直近で事件が起きる例外的なものもある。
 各容疑者が犯行可能かの可能性を絞り込み、あるいは事件の真相を仮想してそこから演繹的に真犯人を追い求めていく手順は総じて手堅いし、第1話や第5話の密室トリックなど現実に本当に可能かは微妙なれど、ビジュアル的にそれぞれちょっと面白い創意のものがあるのも悪くない(第1話の方はどこかで見たネタのバリエーションという気がしないでもないが)。さらに第4話の琴乃の逆説論理なんか、なかなか豪快だし。

 ただまあちょっと不満なのは、堅実なライトパズラーなのは良いとして、これって設定からしても一応はキャラクターものミステリの仕様なんだよね? あまりにも主人公コンビの関係性がサバサバしたまま終る。フツーの腐れツンデレラブコメにしたくないという送り手の矜持はまあよしとしても、もうちょっと潤いがあってもいいんじゃないの? なんのためにこんなラノベチックなキャラ設定にしたのかほとんど意味がない。編集サンにキャラ受けする設定で書いてねと枠組みを押しつけられ、そのままキャラ同士のかけあいを活かせないままに一冊分できてしまった。あるいはラブコメにしたら負けだと思ってしまった結果であろうか。万が一もしそうだったとしたら、そういった方向で肩肘張ってもつまらんな、という感じなのだが。できればシリーズの続刊で主人公コンビの関係を、ごくうっすらとでもいいから深めてほしい。


No.422 4点 ヴェルフラージュ殺人事件
ロイ・ヴィカーズ
(2018/11/04 22:10登録)
(ネタバレなし)
 父譲りの海運商事会社を切り回す青年社長ブルース・ヘイバーション(29歳)はその日、頭痛と目眩に悩まされていた。投薬で症状を抑えた彼は会社から車で帰宅する路上で、愛車が故障して難儀する知人の中年弁護士ヴェルフラージュに出合い、同乗させてやる。ヴェルフラージュは、15年前に物故した富豪ウイリアム・レイプソープの遺産である時価25万ポンドの秘宝「レイプソープ・ダイヤモンド」を管理していたが、その遺産の正当後継者は今まで行方不明だった。しかしその相手がようやく見つかったので、これから秘宝の現物を届けに行くという。用向きはすぐに済むということで、訪問先の家屋に入ったヴェルフラージュを路上で待つヘイバーション。だがヴェルフラージュがその家から姿を現すことはなく、気になったヘイバーションは自分からくだんの屋敷のドアを叩くが……。

 1950年の英国作品。現在のところ日本に紹介されたヴィカーズの作品では唯一の長編のハズである(他はみんな短編~短編集なので)。
 ミステリとしての物語のポイントは2つ。一つは消えてしまったヴェルフラージュの去就を追って、デクスターの『キドリントン』か土屋隆夫の『盲目の鴉』みたいな<そのキーパーソンは無事なのか? 死んだ(殺された)のか?>という興味。もうひとつは頭痛と目眩、それに服用したキニーネの副作用で半ば意識が朦朧となった主人公ヘイバーションの記憶が一時的に欠損し、アイリッシュの『黒いカーテン』みたいな<自身の行動を疑う記憶喪失もの>になる作劇。まあこういうギミックを組み合わせて当時にしてはちょっと破格の謎解きサスペンスを語ろうとする作者の狙いどころはわかる。なんか創元の旧クライムクラブ(もちろん翻訳の方)の一冊にまじっていてもおかしくない感じ。

 ただまあ作劇のこなれが良いかというとその辺は疑問で、本来は他人事のややこしい秘宝争奪戦に踏み込んでいくヘイバーションの心情はあまりピンとこないし、一方でヴェルフラージュの失踪の追跡にもそれほど筆致は費やされないものだから、物語の軸足が見えてこない。さすがに自分の失われた記憶をおっかけるドラマの方はそこそこ起伏のある展開を見せるが、その分、物語の楽しみどころが散漫になった印象もある。
 それと本作の物語は三人称視点でほぼヘイバーションを主体に進行するものの、序盤から登場する副主人公格のロンドン警視庁の警部カイルの視点が随時いきなり叙述のなかに挟み込まれ、この辺りの消化の悪さも結構気に障った。
 ちなみにカイルの方の描写だけ拾っていくとちょっとクロフツっぽいなと思ったけど、解説で都筑道夫は本作をフレッチャー作品の系譜云々と語っており、なるほどフレッチャー&クロフツなら英国ミステリの大系としてリンクするな。
 結局、最後の解決もどうもなんか悪い意味でごくフツーに終ってしまった感じで、面白かったか? と訊かれれば……正直、う~ん。
 色々となんかありそうに始まってそれっぽく物語も進んで、とどのつまり……の一冊であった。ということでこの評点(涙)。


No.421 5点 猿神の呪い
川野京輔
(2018/10/26 17:34登録)
(ネタバレなし)
 昭和三十年代半ば。広島の放送局「ラジオ日本海」の中堅プロデューサー、郡(こおり)英之(30歳)は、周囲に出没する謎の不審な男を警戒していた。郡はこれと前後して、大学の同窓生、猿田春彦と再会。名前まんまの猿顔で「モンキー」と呼ばれていた春彦は、今は島根県の奥にある山村・猿田集落にある実家に在住、土地の領主の末裔的な立場だった。その春彦が、自分はもうじき殺されてミイラにされると不穏な事を言い出す。郡は事情を確認するため、ラジオ局の業務を恋人ともいえる部下の美人アシスタントプロデューサー、岡山妙子(22歳)に任せて春彦とともに彼の故郷に向かう。だがそこで郡が出合ったのは、家屋の中で放し飼いにされる仔牛ほどにも巨大な老猿「五右衛門」だった。やがて春彦の実家、猿田家の周辺では、怪異な連続殺人事件が……。

 1953年に「宝石」で新人作家としてデビューし、その後、作詞家や放送作家としても活躍した作者の長編デビュー作。作者の著作は今年、論創から全二冊の『川野京輔探偵小説選』が刊行中で、評者はこれを機にこの人はどんな作家だろうとwebで調べたところ、本長編に行き当たった。
 この作品が単に旧作の長編というだけならばそれほど食指は動かないのだが、本作『猿神~』は1960年に地方新聞紙「島根新聞」に約半年にわたって連載。それから43年後の2003年に初めて書籍化されたという、ちょっと変わった経緯がある。物語の設定にも横溝のB級作品みたいな雰囲気もちょっと感じられ、これらもろもろの件から興味を惹かれて今回読んでみた。
(ちなみにすでに発売されているくだんの『川野京輔探偵小説選Ⅰ』は、まだ手に取っていない。)

 それで本作の中味の方は、一応はフーダニットの要素も加味した、いかにも昭和作品らしい伝奇スリラーミステリ。毎日の連載で読者を食いつかせなければならない新聞小説らしく矢継ぎ早に事件が起きるから、少なくとも退屈はしない。美人ヒロインでいかにも昭和の元気娘といった妙子が段々と存在感を増していき、事件に次第に深く関わってゆくのも娯楽読み物としてよろしい。
 まあ後半いきなり出てきてすぐ死んじゃう(中略)みたいなキャラなんか、いかにもイベントのためのイベント用に出したという感じだが(苦笑)。

 犯人捜しとしては、途中からもう悪役が歴然としてくる筋運びで、しかも最後にどう読者を驚かせにくるのかもおおむね早めに読めてしまう。しかも作中のリアルを考えるなら、真犯人の行動(殺人の仕方もふくむ)は壮絶にトンデモであり、要するにバカミス度も高い。
 とはいえ当時の新聞読者には好評だったというから、往年の昭和スリラーのわかりやすい実作サンプルにひとつ触れるという意味では、今でもそれなりの価値はある作品……だろう。たぶん。

 ちなみに21世紀の時点から連載当時を回顧した作者の後書きはなかなか興味深いが、本書の巻末周辺に、作品本編を読む前に目にすると大きなネタバレになってしまう部分があるので注意。そこらは先に中味を読んでから、紐解くことをお勧めする。


No.420 7点 銀座幽霊
大阪圭吉
(2018/10/24 02:33登録)
(ネタバレなし)
 短編傑作集として本書の姉妹編といえる、創元推理文庫版『とむらい機関車』と並べると、評点の方は同じ7点。ただし本書は総括して6.8点くらいで切り上げて7点。『とむらい~』は同じく、実質7.5点を7点に……という感じである。『とむらい~』が、腹応えが良い長さの中短編がまとまりよく集成された印象に対し、こちらは向こうに比べてやや短めな作品ばかりが並んだところがちょっと弱い。長さに幾分バラツキのある『とむらい~』の方が、一冊の本としての快い緩急があった。

 それで本書を手にする前、WEBなどの評判で『燈台鬼』の評価が高いように聞こえていたので楽しみにしていたが、実際にはそれほどでもなかった。もちろんフツー以上には面白かったが。
 個人的には『銀座幽霊』『動かぬ鯨群』『闖入者』『白妖』あたりがベストというかお気に入り。特にあとの2つは提出された謎の求心力が高く、そこが魅力的。それぞれで語られる最後の真相もなかなか良い。
 反面、名作と評価の高い『三狂人』は、21世紀の現在はもちろん、当時の目で見てもちょっと看過できない無理があるような気も……。作品の雰囲気は良かったけれど。

 大阪圭吉が戦後も健勝で、その後も本書と創元版『とむらい~』に所収されたような短編作品を描き続けていたら、二十年早く登場した日本のE・D・ホックみたいなポジションに就いたのではないかと思う。
 巻末の山前譲さんの解説にある、出征前に甲賀三郎に預けたまま世に出なかった長編作品というのが気になるなあ。故人への不敬にならないことを願いつつ思うのだが、こういう<幻の作品の逸話>は、いつ聞いてもある種の切なさを伴うロマンを感じてしまう。


No.419 8点 綱渡りのドロテ
モーリス・ルブラン
(2018/10/22 03:40登録)
(ネタバレなし)
 いや、とっても面白かった。
 個人的にルブランのルパンシリーズは、少年時代に手に取ったポプラ社の南洋一郎版と池田宣政版(白い函入の「アルセーヌ・ルパン全集」)あと偕成社の「怪盗ルパン選集」が原体験。ルパンものはこれら3つの児童向けの叢書で、南洋一郎が混ぜ込んだ周辺作品をふくめて当時出ているのは全部読んだ。ものによっては同じ作品を別の版で二回楽しみもした(あの『ピラミッドの秘密』も、もちろん読んでいる)。
 ただしその後、偕成社の完訳版や創元、早川、新潮などの大人向けの版での再読(まともな通読)は現時点まで全部で10冊くらいしか消化してない。なぜかはあまり考えたことはないのだが『謎の家』とか『三十棺桶島(棺桶島)』とか真相が強烈で忘れがたいので、改めて手にするのがやや消極的になっている面はあるかもしれない。とはいえ改めて完訳版をちゃんと読んだ『虎の牙』や『二つの微笑を持つ女』とか、フツーに面白かったのだが。

 当然、本書『綱渡りのドロテ』(原書は1923年の刊行)も子供時代にポプラ社の南洋一郎リライト版『妖魔と女探偵』で一度読んじゃったけど、これはいつかマトモに大人向けの完訳版で通読したいと思い続けて、このたび達成。ちなみにその児童書版の内容は、うまい具合にほぼ完全に忘れていた(笑)。評者が今回読んだのは、三好郁郎訳の創元文庫版(初版)である。

 そもそもこの作品、設定というか趣向がいいよね。ルパンワールドに通底する大設定として、20世紀の現在までフランスの各地に眠るマリー・アントワネットゆかりの謎の4つの秘宝。そのうち3つの謎は『三十棺桶島』『奇岩城』『カリオストロ伯爵夫人』の各事件にからんで怪盗紳士ルパンに探求される。が、この一件のみはその大怪盗とも全く関係の無い、しかして同じ世界観に存在する、とある一人の美少女(つまり本作の主人公ドロテ)によって暴かれるというのが♪
 現時点から勝手に想像していいのなら、4つの秘宝全部の謎解きを自分の看板キャラであるルパンに任せるというのもあるいはルブランの試案のなかにあったかも知れんけど、それを敢えてやらなかったところが本当に素晴らしい。
 18世紀の悲劇の若き女王に関与する秘宝の存在は怪盗紳士のレゾンテートルと直接はナンの関係もない。だからスーパーヒーローのルパンではなく、どこかのフランス国民の手に入る可能性もあるのではないか? そんなほぼ一世紀前にルブランの念頭に浮かんだのであろう、当時にして自由奔放かつルパンワールドの裾野をその外側まで大きく拡げようという発想が最高にシビれる(ルブランの周囲の人物の提言という可能性もないではないが)。
 もしかしたら本作は近代ミステリ史において、正編シリーズの傍らで世界観を共有する印象的な外伝作品が生まれ出た、かなり先駆的なサンプルではないだろーか。

 お話の方は、第一次戦争直後にマジメに宝探しのおとぎ話をする心地よさを土台に、美貌と才気と勇気に溢れたヒロインが周囲の子供たちや彼女の親衛隊的な青年たちの助勢を受けながら、果敢に秘宝を狙う悪党に立ち向かう(とはいっても大半の事はドロテひとりでこなしてしまうが)。
 どっかのwebで見たような気もする言い回しなのだが、まんま80年代半ばまでの宮崎駿アニメといった感じでとてもステキ。
 二世紀の時を超えた不死の怪人の謎とか、地下の閉鎖空間での殺人事件とか外連味たっぷりのミステリ的趣向が用意されているのもゾクゾクワクワクした。まあ殺人事件の謎解きそのものは、故・瀬戸川猛資に『虎の牙』での殺人犯の侵入トリックを揶揄されたルブランだけあって、本作の方も「いや、現実には無理なんじゃねーの」という気もなきにしもあらずだが、そこはそこ、この物語の枠内では許せる感じ。なんつーか、その辺もこの作品は強い(笑)。
 ドロテは自分の出自に関わる一つの大きな事件を終えたが、彼女と仲間の子供たちの人生はまだまだ……という感じの、いかにも欧州的な余韻のあるクロージングも快い。
 創元文庫版の訳者あとがきではルブランはドロテをシリーズ化する構想もあったのではないかと仮説を書いてるが、それはとても読みたかったような。この一作のみだったのが良かったような。そんな思いに駆られる。

余談1:フランスの地方領主の娘(プリンセス)ながら、4人の戦災孤児の男子の母親・姉貴がわりとなって少年少女だけで地方巡業のサーカス興業を行い、そして自らがかなり人気の花形サーカススターであるというドロテの設定は萌え要素全開(今のオタク用語で言うなら完璧超人系のヒロイン)。
 ちなみにドロテの年齢設定は作中の地の文で当初15~16歳に見える云々書いてあるが、あとで情報をつなぎ合わせると1901年生まれ(円谷英二や『ポーの一族』のジョン・オービンよりひとつ下である)で、この物語は1921年の事件だというから満20歳ということになる。全編にわたって「少女」と呼ばれるドロテだけど、どっちかというともう若い娘かお嬢さんだな。まあ人生経験も普通の娘の数倍で世知に富んでるヒロインだから、20歳くらいの設定でちょうどいいとは思うけど。

余談2:三好郁郎の訳者あとがきによると原書をとても楽しみながら訳したそうで、訳文も平易に気持ちよく読める。それは本当に結構なのだが、初版の128ページから数ページ分にかけて、本当は男爵の爵位のはずの老人がずっと伯爵の表記になってる。ケアレスミスか推敲洩れ。再版以降では直してあるかしらん。


No.418 7点 鉛の小函
丘美丈二郎
(2018/10/21 02:27登録)
(ネタバレなし)
 昭和二十五年(1950年)の春。若き探偵小説作家の丘美丈二郎は、元戦闘機乗りだった旧知の男・白嶺恭二の訪問を受ける。丘美と白嶺はこの時が戦後二度目の再会だった。白嶺は怪しげな鉱物が納められた鉛の小函を携え、自分の不思議な体験を手記の形にしてきた、この原稿を読んでから小函を注意しながら開けるようにと言い残して去った。面食らった丘美は原稿に目を通さずにいたが、いつしか白嶺の訪問から二年半の歳月が経ち、その間、彼の行方は杳として知れなかった。丘美は気になってようやく原稿を読み出すが、そこに書かれていた内容は、世界各国の叡智をひそかに結集して実行された壮大な宇宙航行計画の顛末だった。

 1949年、当時の「宝石」の新人賞コンクールに入選して作家デビューし、その後、長短数十編のミステリとSFを著したのち探偵小説文壇を去った作者・丘美丈二郎。丘美は昭和期の東宝特撮映画の名作『地球防衛軍』『宇宙大戦争』『妖星ゴラス』の映画用原作提供者としても有名(さらに本邦初の宇宙怪獣映画『宇宙大怪獣ドゴラ』の原作者でもある)だが、その小説分野での代表作として知られるSF長編が本作である。初出は「宝石」の昭和28年7月増刊号(新人長中篇推選号)で、原稿用紙320枚の目玉作品として同号の目次に表記されている。ちなみに本作は、1954年の日本推理作家協会賞の奨励賞を受賞。

 本作は、2013年に論創社から刊行された『丘美丈二郎探偵小説選〈1〉』で初めてまともに書籍化されたが、世代人ミステリファンには周知の通り、雑誌「幻影城」1978年3月号にも当時25年ぶりの復刻の形で一挙掲載(再録)されている。同誌同号にはまだ健在な丘美自身(本人は2003年に逝去)の述懐記事も添えられており、評者は今回、この「幻影城」版の方で読んだ。
 なお「幻影城」では本作をなぜか原稿用紙380枚の紙幅と初出時より多めに謳っており、どちらが正確か、あるいは版に異同があるかの確認を含めてこの辺の事情は不明。
(いずれ論創の丘美小説選の解説を読めば、わかるであろー。たぶん~笑~・)

 小説中の主要人物・白嶺の回想手記という二重形式で語られる物語は、太陽系内の科学探査と独自の宇宙航行計画の実証を企図したユダヤ系の大天才学者ヴェー・アイゼンドルフ博士を首魁とする世界中から集められたライト・スタッフの宇宙航行までの準備、そして実動の記録。
 評者は大系的に日本の古典~近代SFを読んでいる訳ではないので、本作が本邦の宇宙SFものとしてどのような位置に来るかは未詳。それでも物語の前半を費やして宇宙艇建造基地でのシミュレーション訓練の日々を語り、宇宙航行中ならこういう事が起こりうるだろう、という科学的デティルを丹念に次々と確認。それを白嶺の視点を通じて一般読者に興趣豊かにまた時にドラマチックに読ませる筆致はなかなか快調である。
 丘美は前述の「幻影城」用の新規エッセイで、後年~現在(1978年当時)までのSF作品の相応数が科学的根拠や正しい知見に基づかず、単に想像力に頼ったものも少なくない事に不満を露呈。たしかにこの作品『鉛の小函』も厳密に21世紀現在の見識で学術的に正確かどうかはともかく、丘美なりの当時の正確な科学観に基づいた描写を連ね、それが面白い読み物に繋がることを狙っていると感じられる。
 一方で世界中から集まったスタッフたちによる国家論や政治観には作者の饒舌な思弁が混じるが、これはまだ大戦の傷が癒えず占領軍配下の国情を考えれば仕方がない面もある。少なくとも作者は甚だしく倫理的に反した信条を登場人物に語らせてはいないと思う。

 それでもちろん、本作は小説のカテゴライズ的にはまぎれもないSFなのだが、発表の場が探偵小説専門誌「宝石」ということもあり、ミステリ的な手法を用いたサプライズ、具体的には劇中人物のある意図による知略も設けられている。後半の太陽系内の宇宙旅行編でその辺りのギミックは機能するが、いい感じに作品の持ち味をひとつふたつ深めている。
 1950年代の新古典日本SFという前提は踏まえるべき旧作なのは間違いないが、21世紀の現在読んでも多様な興趣を得られる作品ではあった。
 あと印象的だったのは、主人公たちの乗る宇宙艇に最後まで固有の名称が与えられていないこと。この辺も宇宙航行装置を人称的なキャラクターとは決して捉えず、あくまで科学実務のための巨大なツールと見なしていた丘美の視座が読み取れる気もする。

 ちなみに本作の実質的な主人公である白嶺恭二と、同じく宇宙艇に乗り込む日本人の科学者・瀬木龍介は他の丘美作品にも登場するキャラクターだそうである。活躍する物語はSFに限らずミステリ編にも及ぶというので、同じ世界観の枠内で登場するのか、それとも一種のスターシステム的に別設定で出演するのか。おいおい、その辺も楽しみながら確認してみたい。

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