ガールハンター 私立探偵マイク・ハマー |
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作家 | ミッキー・スピレイン |
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出版日 | 1962年01月 |
平均点 | 6.50点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 6点 | 空 | |
(2019/09/28 07:48登録) 前年に未発表旧作(一応手を加えているんじゃないかとも思えますが)『縄張りをわたすな』で長編を再開したスピレイン、新作マイク・ハマーものは、作者だけでなくハマー自身の復活物語でもありました。スピレイン自身がハマーみたいにアル中になっていたわけではないでしょうけれど。作品設定としては、ハマーは7年間飲んだくれて落ちぶれていたことになっています。いくら悔恨と悲しみに打ちひしがれたとはいえ、そんなにまでなるかなあとか、恨みを持つ輩によくも狙われなかったもんだとかいう疑問は、この際無視することにして。 冒頭で生きているらしいとわかったヴェルダは、作中では一切登場しません。二人の再会は次作でのお楽しみ、とういうことで。昔みたいな体力はないとかくよくよ考えながらも、殺し屋相手に頑張るハマーには、やはり拍手を。ラストシーンは、伏線がわざとらしいですが、いかにもスピレインです。 |
No.1 | 7点 | 人並由真 | |
(2018/12/14 12:40登録) (ネタバレなし) 「おれ」こと、かつては凄腕の私立探偵だったマイク・ハマー。だがハマーはこの7年間、浮浪者同然の男に成り下がっていた。その原因は、7年前の事件で秘書で恋人の美女ヴェルダを失ったことにある。当時、富豪シヴァック夫婦の警護を依頼されたハマーは、主な護衛対象が夫人のローラの方であることから、私立探偵許可証も持っている「黒髪のワルキューレ」ヴェルダを護衛役に派遣した。だがローラは殺され、ヴェルダとローラの夫のルードルフは行方不明になり、二人もまた状況からおそらく殺されたと思われた。ヴェルダを失って心を荒ませたハマーは探偵稼業を破綻。今では拳銃許可証も取り上げられ、街頭で酒浸りの日々を送っていた。だがそんなある日、重傷を負った男リチー・コールがハマーを病床に呼び出し、ヴェルダは今も生きていると伝えた。 アメリカの1962年作品。マイク・ハマーシリーズ第7弾。初期ハマーシリーズは1947年の『裁くのは俺だ』から1952年の『燃える接吻を』まで6本の長編が書かれたのち、10年間の休止期間に入る。この間はスピレイン自身も作家生活を休業していた(1961年作品『縄張りをわたすな』は昔の原稿の発掘らしい)。つまり本当に大雑把に言って、ここからがハマーシリーズの後期というか第二期になる。 ちなみにAmazonでのレビューなどをちょっと覗くと、こんなクタクタのハマーなんからしくないという声が二つも並んでいるけれど、いや、長期シリーズもの、しかも行動派のキャラクターが途中でボロボロクタクタになるのなんて、シリーズの起伏としてのセオリーでしょ。平井和正のアダルトウルフガイだって、その趣向の『人狼戦線』なんか(個人的に)シリーズの最高傑作だし。しかも当時のハマーの10年ぶりの復活がこの設定。これはインパクトあるよ。だから本作はこれでいいのだ。 そして本作の主題だが、これはもう、スピレインにとっても作中のハマーにとっても、そしてハマーシリーズをリアルタイムで読んだ多数の読者にとっても(おそらく)共通の観念『ああっ女神(ヴェルダ)さまっ』である。ベルダンディーじゃないよ、ヴェルダだよ。 その喪失でハマーのアイデンティティを完膚なきまでに粉砕してしまう絶大なほどに重要なヒロイン、ヴェルダだが、ほぼ10年ぶりにハマーシリーズを再起動させるためには正に彼女の存在感そのものが必要だった。本作とこの続編『蛇』の二部作をもってヴェルダを追う目的と行動原理そのものこそが、ハマー復活のカンフル剤になる。いや実はもうすでに、シリーズ第5作『寂しい夜の出来事』でヴェルダが共産主義者の過激派に捕まって拷問され、激怒したハマーが二十人もの相手を瞬殺するあたりから、スピレインとハマーのヴェルダ崇拝ぶりはイカれ始めているので、ソレを思えばシリーズのターニングポイント編の本作でのキーパーソンになるのは、ヴェルダ以外にないんだよね。 ちなみに『蛇』を経て1970年の第11長編『皆殺しの時』でもヴェルダってまだ処女だよ。スピレインの処女・聖女崇拝の念を仮託されているから。さすがに同作のなかでは「私たち、いつになったらひとつになれるの? マイク」とかなんとか言ってるが。まったくとんでもないキャラクター&ヒロインだ。 さらに本作ではそのハマーが再起するための馬のニンジンとして向こうにぶら下げられた形のヴェルダだが、時代は正に行動派ヒーローミステリ界全体の趨勢が私立探偵小説から硬軟のスパイ小説に向かう流れ。従って国際謀略ミステリの興味も加味された本作では、作中のキーパーソンとなるヴェルダも、実は第二次世界大戦の時点からいろいろありました、実は世界規模の陰謀(中略)……と、いきなりとんでもない文芸設定をしょいこまされることになる。 これって要するに、いかにヴェルダがハマーにとって大事かのみならず、この作品世界のなかでの大物なのか、女神様なのかの、強烈なプッシュなんだよね。この値のつり上げ方も、正直言ってクレイジー(笑)。 今回初めてポケミス版で読んだけど(なぜか姉妹編の後編『蛇』の方は先に何十年も前に読んでいる~たぶん当時の気分を回顧すれば、俺もその頃、ヴェルダがしっかり……おっとこれ以上はネタバレになるので言えない)、もともとスピレインファンだったアトラス鏡明は本作『ガールハンター』をミステリ文庫版の方の解説でメチャクチャにけなしていると聞くし、さらに北上次郎も本作を「ヘンな作品」と言ってるらしい。どっちもうなずける評価だ。きわめてまっとう。とても健全な反応。 ただね、スピレインがやりたいこと、ハマーとヴェルダの関係性のなかに求めたものを考えるなら、これはすんばらしく振り切ったケッサクなんだよ。自分としては、そう思った方が腑に落ちる。 ヴェルダほど「大事にされた」ミステリシリーズのレギュラーヒロインもたぶんそうはいないでしょう。それこそかなりねじれた形だけど、ある種の清々しさを感じる。 いや、ある意味でハマーシリーズの白眉といえる一作だろう(笑)。 【2021年4月28日追記】 上記の文で、ヴェルダは『皆殺しの時』の時点でまだ処女、と書いたけれど、再読したら暗喩的な描写ながら、ハマーとのセックスシーンらしい叙述があって、あらら……と思った。やっぱ『蛇』の直後にひとつになった、のかしらん。 |