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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.35点 書評数:2286件

プロフィール| 書評

No.2126 5点 ウェイティング
フランク・M・ロビンソン
(2024/12/21 04:24登録)
(ネタバレなし)
 まもなく21世紀を迎えるサンフランシスコ。路地で中年の医者ラリー(ローレンス)・シェイが、惨殺された。青春時代にシェイとともに馬鹿騒ぎの遊興サークル「自殺クラブ」に所属し、今も当時の仲間たちと付き合いのあるテレビ局のニュース・ライター、アーティ(アーサー)・バンクスは、友人の変死を調査するうちに、シェイの周囲で事故死したひとりの老人ウィリアム・タルボットの死亡記録を認める。そこでアーティが知ったのは、60歳代のタルボットの肉体が、生物学的にまだ30歳代の若さを保っているという驚異の事実であった。やがてアーティは、現人類ホモ・サピエンスとは別途に、3万5千年前に生きていた「旧人類」の末裔たちが現代でも己の種を自覚しながら人間社会に潜伏して暗躍し、現人類の滅びの時を待っている(ウェイティング)という脅威に直面する。

 1999年のアメリカ作品。
『タワーリング・インフェルノ』(同邦題の原作小説版)の作者コンビ、スコーシア&ロビンソンの片方(後者)が単独で著したSFスリラー。
 サワリの文芸設定だけ聞くとちょっと面白そうだし、あの小説版『タワーリング・インフェルノ』(←これは若い頃に、ほぼリアルタイムで読んだ)の片割れの作者の(比較的)近作という事実にも興味を惹かれ、手にとってみる。
 
 ちなみに角川文庫の表紙の、ゴールデンブリッジの上に立ってサンフランシスコの市街を睥睨する人影はなかなか刺激的で、「お、こいつがその旧人類の一人か? 現人類を冷ややかに見下ろす幹部クラスの大物か?」と期待したが、実際には何の関係もない。主人公の学生時代のサークル「自殺クラブ」の度胸試しで、メンバーが高い橋の上に登っているだけの図だった。わしゃ怒るよ、角川の表紙サギ(!)。
 
 3万5千年前に、人類の進化の系図からホモ・サピエンスと袂を分かった旧人類がその後も現代まで命脈を保ち続けているという大ボラ自体は、ちょっと我が国の山田正紀風にワクワクできていいのだが、じゃあその連中がどうやって統率されているのか、とか、3万5千年という悠久の時のなかで現人類ホモ・サピエンスとの交配はどのような過程を経たのかとか、種の因子の薄い濃いは、旧人類が隠れ潜む人間社会のなかでどのような意味を持つのかとか……などなど、生物学にシロートの自分が読んでいても結構な疑問が湧いてくるのだが、作者はその辺あまりマジメに応える気が無い。江戸時代の諸藩のどっかに、数代前からの草(潜入忍者)が潜伏生活を送っている、程度の描写しかない。この辺は、キングやクーンツなど細部にリアリティを書き込める大家との筆力の差が、明白に出た感じ。

 主人公の周囲の人間が続々と命を奪われていき、どうやら旧人類はテレパシーとまではいかない外的な暗示によって人の心を操作できるらしいといった描写がされるのだが、実際には心の声が聞こえるような叙述で敵の攻撃や精神操作が描かれ、なんだ結局は従来のテレパシーじゃないの? という感じで、あまり緊張感がない。
 ストーリー的には随所にどんでん返しもあるのだが、結構、先が読めてしまったり。それらも含めてロビンソンは単独の作家としては、あまり描写が、小説がうまくない印象。終盤、主人公アーティがさる大きな作中の事実に気づくくだりも、なんでそうなったのか、よくわからないし。

 つーわけで、大ネタはそれなりに面白くなりそうなところ、あまり弾まなかった一作であった。そもそも大設定からして、これなら旧人類の復権という『ウルトラセブン』のノンマルトみたいなSF設定にする意味もなく、フツーの人類危機の侵略SFみたいにミュータントでいいよね、という思い。
 評点はこんなものかな。まったく楽しめなかった訳ではなかった。

 とはいえスコーシアとの合作の小説『タワーリング・インフェルノ』は普通に面白かった遠い日の記憶があるので、ほかに何冊か出ている合作作品の方なら、もうちょっとイケるかもしれない? その辺もそのうち、手にとってみることにしよう。


No.2125 6点 謎解き広報課 狙います、コンクール優勝!
天祢涼
(2024/12/19 06:14登録)
(ネタバレなし)
 2015年に第一作が書かれた連作短編集(的な長編?)「謎解き広報課」の9年ぶりの新作(シリーズの第二集目)。

 9年前の第一作は当時、評者が久々にミステリファンに本格的に復帰した身で、リアルタイムで読んだ。
 その後、続刊が出そうで出なかったが、正直、天祢センセはE・D・ホック並みにシリーズキャラクター(またはそうなりそうな気配の探偵たち)を創造しておきながら結構、途中で放ったままにしておくので(いい加減、ニュクス=音宮美夜を復活させてほしい!)、この作品もそんなシリーズものの成りそこないのひとつくらいに思っていた。
 そしたら2015年の元版を経て2018年に文庫化された本シリーズの第一作が、長い目で見ると悪くないセールス成績だそうで(なんかそんなウワサだか、作者御当人の述懐だったかを、ネットで見た)、今年2024年にはいっきに第2冊目、そして第3冊目(完結編?)がついに刊行される運びとなったらしい。新作の二冊とも、文庫書き下ろし。
 なんかこういうパターンも珍しい。
 
 主人公ヒロインである公務員・新藤結子が所属する東北の一地方・高宝町(こうほうちょう)の町役場広報課が、さることを契機に各地方で作られる地域広報誌の「広報コンクール」優勝を狙う。これが、今回のシリーズ2冊目の全体のストーリーの縦糸。この大枠のなかでその年の五月から十二月にかけて起きた「日常の謎」の短編ミステリ5本が連作として語られ、最後の話で長編的な結構のまとまりを見せる。要は山田風太郎の『明治断頭台』とかと同じような構造で、まあ類例の長編的連作短編ミステリ集はいくらでもあるか。

 一本一本のエピソードは文庫本で50~70頁ほどの中編といえる短編で、口当たりの良さと読み応えの相乗でそれぞれ心地よい作り。第一話の野球少年ネタ、第二話の意外な動機ネタ、第三話の人気ゲーム聖地巡礼ネタの中での意外な……と、それぞれなかなか面白かった。それらの各編の中に散りばめられた大小の伏線が有機的に回収される最終編での意外な真実も悪くない。
 
 とはいえ成熟、爛熟した印象のある国内ミステリの一路線「日常の謎」ジャンルのなかでは、これでも決して傑出したわけではないのだろうということも大方の察しはつくし、たぶんトータルの評価としては、佳作~秀作の中。読み手がどの辺の出来と見るかは、この手の作品になじんでいるかそうでないかでも大きく変わりそう。
(個人的には、「日常の謎」系をそんなに大系的に読んでるわけではなく、未読の名作や人気作も多いので、今回のコレはこれでフツーに楽しめた。)
 さて、次の第三冊目か。こんな刊行ペース自体が珍しいし、最後までリアルタイムの場のなかで付き合っておこうか?


No.2124 6点 砂の館
シェリイ・ウォルターズ
(2024/12/18 08:21登録)
(ネタバレなし)
 1970年代初め(たぶん)のニューヨーク。美術学校を出て、新進アートデザイナー&女流画家の卵として活動していた20歳代前半(たぶん)のティビイ(ティベリア)・ランデルは、仲間たちと広場で青空画廊を開いていたところ、見知らぬ40代の紳士から声を掛けられて自作の絵画を購入してもらった。紳士ヴィクター・ファリンドンは、元弁護士で今は株の投資で順調に成功した金持ちだった。ヴィクターは新規事業のため、広告宣伝用の絵描きが欲しいとティビイをスカウト。かくしてティビイは、ニューヨークから離れた、近くに海岸と沼地のあるクォニスカンの町を訪れ、そこにある砂丘の上に立つヴィクターの館「ザ・デューンズ」の逗留客となった。だがそこで彼女を待っていたのは。

 1974年のアメリカ作品。翻訳は現在Amazonにデータがないが、1976年9月に角川文庫から刊行。

 「訳者」あとがきによると作者シェリイ・ウォルターズは、別名義で当時すでに相応の実績のある某作家の別ペンネームだそうである。その後、2020年代の現在までにどっかで正体が判明してるかもしれんが、当方は寡聞にして知らない。いずれにしろこの作者名での翻訳はこの一冊しかないと思う?

 内容はコテコテの(70年代当時の)現代ゴシックロマンで、砂上の館、そこではかつてある事件が起きて……というロケーションの王道ぶりもステキ(館自体も先代の持ち主が増築を繰り返し、現当主のヴィクターも正確な構造を知悉しきっていない、という外連味もまたよい)。
 週刊少女漫画誌に半年連載される連続ものの少女マンガみたいなストーリーだが、『レベッカ』や『ジェーン・エア』が大好きな「訳者」さまが楽しんで翻訳したのはよくわかる。
 こういうジャンルのお手本みたいな内容で、フツーに面白い。

 で、まあここまで書いて、本書のことをこれまで全く知らなかった人も、何となく察しがつくだろうが、訳者とは、もちろんあの小泉喜美子。
 Wikipediaでの現時点での書誌が正しければ御当人の5~6冊目の翻訳書で、大好きなゴシックロマン分野での初の翻訳がこの本であった。訳者あとがきで、自作『ダイナマイト円舞曲』についても自負というか思いのたけをくっちゃべっているのも微笑ましい。

 夜中の3時過ぎから読み始めたので、半分読んで今日は寝ようかと思ったが、本サイトを覗くと実に偶然にも『弁護側の証人』のレビューが二つ続けて投稿されているので、こりゃオモシロイと思って頑張って最後まで読んで、このタイミングというか順列で本作のレビューを投稿することにする。これで小泉喜美子スリーカードじゃ(笑)。
 いやまあ、こーゆーミステリファンの茶目っ気、天国の喜美子先生なら喜んでくれるかもしれんと、ちょっぴりだけ期待して(笑)。


No.2123 8点 砲艦ワグテイル
ダグラス・リーマン
(2024/12/17 16:09登録)
(ネタバレなし)
 1950年代。中国では1949年に共産党の中華人民共和国が誕生し、敗北した対立組織、国民党の大勢は台湾などの外地に逃れていた。そんななか、数千人の中国人が住む東シナ海のサンツ島は国民党のチェン・ベイ将軍が統治していたが、そこについに中共の大軍隊が迫るらしいことが、香港経由で英国政府にもわかる。サンツ島には今も十数名の英国人が暮らしており、香港の英国領事館は海軍との連携で、本格的な開戦前に英国人の島民の緊急脱出作戦を開始。現在の英国海軍で最も老朽艦で、全長150フィートの砲艦ワグテイルを島民の救出作戦に向かわせる。ワグテイルを率いる艦長ジャスティン・ロルフは、本来は傑出した海軍軍人ながら、さる事情から懲罰人事で老朽艦ワグテイルを任された男。ロルフは30人強の乗員とともにサンツ島に向かうが。

 1960年の英国作品。
 作者ダグラス・リーマンは、アレクサンダー・ケント名義で「海の男」リチャード・ボライソーも著したイギリス海洋冒険小説の雄の一角。リーマン名義でも20冊近い邦訳(うち三冊はシリーズものというか三部作)があるが、なぜか? 本サイトにもこれまで登録もない。
 かくいう評者も実は今回が初読みで、今から16~18時間くらい前に近所のブックオフの100円棚で創元文庫版を手に取り、その裏表紙のあらすじ設定を見て、面白そうだなと買ってきたばかりだった。そうしたら何となく興が乗って昨夜すぐ読み始め、大変、満足した。

 主人公のロルフ艦長は年齢設定は未詳だが、たぶん30代半ばくらいの大男で、海軍軍務の就役中に元・美人モデルだった愛妻に浮気されて離婚し、その心の傷から酒でダメになりかけた、元私立探偵カート・キャノンみたいな男(当然、この手の文芸設定として、そういうトラブルに苛まれるまでは有能な海軍軍人だった)。懲罰人事を受けた海軍でのやらかしは、その件自体には直接の関係はないが、下り坂になりかけた人生での流れだったことは類推できるようになっている。

 弱点を抱えた男性主人公の再起、老朽艦という主役メカ、緊急避難指示でトラブルが予想される島からの民間人の脱出行、と設定は王道、登場人物の配置も図式的ではあるのだが、それらを認めた上で、キャラクターや設定の使いようが非常に達者な作品。
 良い意味でその役割の人物は物語的に期待されることは全部やってくれるし、さらにその上で随所にどんでん返しやヒネリもある。

 島に行くまでになりゆきからの海戦のひとつもあるのだろうと予期していたら、あっという間に目的地サンツ島に着いてしまったが、そこからの民間人の島民を迎えた、さらに中共軍との戦禍にさらされる島の現地人たちにからめた作劇が読み応えがあった。いや落ち着いてみると良くも悪くも、その辺もまた正統派で王道の筋立てかもしれんが、いずれにしろシーンからシーン、局面から局面への繋げ方が達者。読んでる間は本気で9点あげてもいいかなと思ったほどだ。
 十分な満足感のまま数時間かけてほぼイッキ読みし、ひと晩寝て頭が冷えた今になると「とても良くできた作品」ゆえの逆説的な、あと、ほんのひとさじの物足りなさを感じないでもないのだが(かなりゼータクだ)、もちろん十二分に優秀作の一冊。

 20世紀の英国冒険小説なら、イネスもマクリーンもヒギンズもダンカン・カイルもジェキンズもトルーもフォーブスも、そしてクレイグ・トーマスも、まだまだ未読の(または再読したい)作品はいくらでもあるのだが(大体ほとんど、主要作品は読み終えたといえる作家はバグリイやライアルくらいだ。それだって厳密にはまだ未読作があるが)、今後はリーマンもその視野に入れよう。いつになるか知らないが、チビチビ消化していきたいモンで(汗)。


No.2122 7点 海鳥の墓標
日下圭介
(2024/12/16 05:46登録)
(ネタバレなし)
 母に病死され、さらに父親を轢き逃げで殺された「わたし」こと美貌の女子大生・朝吹沙枝子は大学を中退し、弟の研一を高校に通わせるためにOL生活に入った。だが22歳の現在、会社が倒産。一方で弟が重病で入院し、高額の治療代が必要になった。苦境の沙枝子は、たまたま出会った中年のジュエルデザイナー・生田満寿子の仲介で、中堅の貴金属会社「ワシオ宝石店」の店員という職を得るが、そんな彼女の周囲で予期せぬ事態が連続する。

 日下圭介の第四長編。作者の初期作は処女作で乱歩賞受賞作の『蝶たちは今…』を含む最初の三作をリアルタイムで読んでいたが、これは未読だった。元版の新書判は購入した記憶があるが、例によってどっかに行ってしまったので、しばらく前にブックオフの100円棚でたまたま出会った徳間文庫版で初めて読む(これで初期作品は第6番目まで消化じゃ~まあ70~80年代に読んだ作品の中身なんかおおむね忘却の彼方だが)。

 本作は序盤から途中まで、アニメ『小公女セーラ』みたいに、主人公のヒロインを苦難や理不尽なピンチが相次いで襲う流れ。蟻地獄のような苦境に落ちていく展開は息苦しいが、その分ページタナーとしての求心力は絶大で、高いテンションで読み進められる。ジャンルは雑な言い方をするなら、フランスミステリ風の醬油味ノワール・サスペンス。

 物語的をスムーズに進めるための、ややリアリティのない登場人物の続出や、その辺にからむ偶然性の多用など正直、ツッコミどころは多いが、フィクションとしての割り切りで受け止められるなら、これはこれでよく出来てるとも思う。要は物語の世界が狭すぎるんだけど、作者もそのへんは自覚してはいるのか、構成にあれこれと工夫をしている気配はある。
 
 最終的に明かされる事件の真相はそれなりに意外だが、むしろ本作の場合、さりげない伏線のいくつかの上手さが印象深かった。甘いポイントをどこまで許せるかにも関わるが、なかなかよくできたミステリだとは思う。

 ただね、ただね……。まあ、これは読み終わったヒトとだけ語り合いましょう。要は<こういうのが>スキかあるいはアリに思えるか、だな。
 強引でブロークンな力技がいっぱいの一冊だが、力作で佳作~秀作だとはいえるとは思う。やや迷いながら、この評点で。


No.2121 6点 暗黒大陸の怪異
ジェームズ・ブリッシュ
(2024/12/14 15:48登録)
(ネタバレなし)
 20世紀の半ば。コンゴのグントゥー地方。同国に12年暮らし、土地の原住民ともすっかり親しくなった「クサンディ」ことアメリカ人キット・ケネディーは、駐在事務官のジャスタン・ルクレルクを介してある依頼を受けた。それは何日も道程の日数がかかる山奥の秘境へ、男女4人からなるベルギーの遠征隊を案内するというものだ。船で川を下った秘境の奥の山地には謎の怪物「モケレ・ムベンバ」が住むという言い伝えがあった。この依頼を受けたキットは友人である現地人ワッサビ族の酋長トンプとともに、遠征隊を率いて目的地に向かう。だが少し気がかりなのは、遠征隊の隊長オットー・スタール以下の面々が旅の目的は医療関係であるとし、それ以上の詳しい内容を教えないことだった。

 1962年のアメリカ作品。
 作者ジェームズ・ブリッシュの作品は初読みで、評者みたいな昭和の世代人にとってはまず何より『宇宙大作戦(スタートレック)』のノベライズ路線の著者としてなじみ深い人だった(ほかにもオリジナルSF『悪魔の星』とか有名だけど)。
 創元文庫の初版は1968年8月で、評者は翌年3月の再版で読了。
 
 それで本作は、完全な秘境冒険もの+怪獣(正確には恐竜?)もの。
 本作作中では「モケレ・ムベンバ」表記され、その名前が「登場人物」一覧にも載ってる(これ、人間じゃないけど)モケーレ・ムベンベ。
 これが、アフリカの奥地にいるとされるネッシーみたいな恐竜型UMAだということは、2020年代の今日び、小中学生だって知ってる子は知っている。
 うむ、ちょうど10年前の深夜アニメ『未確認で進行形』劇中のネタだ(笑)。

 創元文庫の分類がSFなんだけど、内容からすれば帆船マークでもよかったんじゃないの? とも思えるし(まあ『失われた世界』もSFマークだったしな)、何より表紙のビジュアル(他作品と共通)が宇宙の最果てのベムみたいな連中なので、こっちは長い間、この作品は、なかばスペースオペラ的な内容なのかとも思ってた(なんせ作者が前述のとおりに『宇宙大作戦』のヒトだし)。
(さらにもう一件。創元文庫の扉あらすじではなんか時代設定が20世紀の初めと思わせるように書いてあるけど、本文P50で1940年代の史実の話題が出て来るので、実際にはそれ以降の20世紀中盤の物語だ。)

 総ページ200頁前後の短い紙幅で、細部の書き込みの少ない旧作なので話はスイスイ進む。遠征隊の秘められた目的も察しがつくし、あまり深みのない内容ではあるが、さすがに謎の怪獣が出て来るところはちょっとワクワク。いやまあ、こっちはそれを期待して読んでるのだが。
 終盤は秘境の非文明社会と、そこに分け入ってくる現代文明との距離感みたいな王道のテーマとなり(ここまでは書かせてください)、そこにどう主人公キット(と仲間たち)が決着をつけるのか、が興味となる。

 本当に直球で、正に良くも悪くも王道の秘境もの+怪獣(恐竜)小説。
 人喰い人種とかも堂々と出て来る内容で、いろんな意味で2020年代の現代以降の復刊はたぶん絶対にありえないだろう。タマにはこういうのもよろしい。

追記:作中で現地人が「旦那」を「プワナ」とルビをつけて呼ぶ描写があり、小林信彦の『大統領の密使』のボンド少年を思い出した(笑)。本書の原文が正確にどうかは知らないけれど、もしかしたら日本語での「プワナ」は南洋一郎のインフルエンスとかあるのかしらねえ。いや、フツーにただの現地語だろ、と言われたら、それまでだが(汗)。


No.2120 8点 その殺人、本格ミステリにさせません。
片岡翔
(2024/12/13 05:57登録)
(ネタバレなし)
「鬼人館事件」で大きな役割を果たした20歳の探偵女子・音更風゛(おとふけぶう)。彼女はその年の春、愛読するミステリ小説の名探偵の名にあやかり、タピオカ販売車を改造した住居兼移動式の事務所で「奥入瀬探偵社」を開設した。だが依頼人もなく暇を持て余す彼女に、異才の女流映画監督・鳳灾子(おおとり さいこ)から、新作ミステリ映画を製作するので、探偵の立場で監修してほしいとの依頼がある。かくしてスタッフや出演者とともに瀬戸内海の枯島(かれじま)にある奇妙な構造の館「百々目館」を訪れる彼女だが、そこで風゛を待っていたのは、不可能犯罪要素が満載の現実の殺人事件だった。

 前作よりずっと直球の剛球で来たな、という感じのコテコテ新本格で、個人的にはかなり面白かった。舞台となる、どっかで見たような館のメカニック設定も、ちゃんと十二分にストーリー的にもミステリ的にも活用されている。

 全編を読み終えると、ああ、これは<国産ミステリのあの某・大名作>がベースだなとも思ったりもしたが、原典からここまで発展させてひねって、そして今風にアレンジしてあれば、文句などはない。
(ただもしかしたら、大ネタのひとつには、真相の開示前に気づく人もいるかもしれず、その場合は相応に評価が下がるかもしれん。とはいえ手数の多い作者の仕込みをすべて見破るのは、たぶんなかなか困難であろう。)

 2024年の国産新作のなかでは『密室偏愛時代の殺人 閉ざされた村と八つのトリック』と並んで、名探偵シリーズものの新本格パズラーの愉しさを十全に味合わせてくれた一冊。

 次作にも期待したいが、今回で結構ハードルが上がってしまったので、作者は大変だろうなあ、とも思う。


No.2119 6点 スクリーン 永遠の序幕
山田健太郎
(2024/12/12 16:31登録)
(ネタバレなし)
「瑛心高校」に通う男子学生・今岡蒼斗(あおと)は、身投げしかけた2つ年上の恋人・泉有希の手を握り、自殺を未然に防いだ。だがその直後、蒼斗は恋人の殺人未遂容疑で逮捕される。やがて自由の身になった蒼斗だが、彼の周囲で何かが変わり始めていた。

 今年の新作。まったくの新人作家で作品の前情報も特に得てもいなかったが、Amazonのレビューが賞賛ばかり、さらに出版社の煽りが凄いので気になって試しに読んでみる。

 本文270ページ前後、大き目の級数の書体での一段組で、読みやすいことこの上ない。おまけに途中途中で、主人公・蒼斗の視点からの人物相関図まで挿入される。
 つーわけでサクサク読み進め、二時間かからず読了してしまった。

 全体に登場人物の描写は達者で、脇役なんかはそれぞれかなり印象的に描けている。コンビニの主人とか、友人の家のお手伝いさんとか。
 
 お話の流れも小気味よく、大小の事件が相次いで生じ、好テンポで進むが、後半3分の1、洋品店のおばあちゃんが出るあたりから描写の確度がやや甘くなり、終盤の方はかなりトンデモな内容に流れていった。まあこれくらいのネタを放り込まないと、星の数ほどある国産ミステリ界の新作のなかでは埋没しちゃうというのもよくわかるが。

 でもって出版社イチオシの「最後に全てがひっくり返る、超ド級ジェットコースターミステリー!」たるクロージングだが、これはまあ(中略)の変形みたいなもんだよね。ここで驚かせて作者が読者に向かい(中略)な表情を浮かべたかったのは察するが、なんかこれでいろいろ台無しにされた気も。まあこれがないとよくできた赤川次郎だよね、という感じもしないでもない作品なのではありますが。

 それなりには楽しめるし、心に響く部分もなくもないけれど、読む人によっては色々な箇所で引っかかり、そこで脱落するかもしれん。
 良くも悪くも新人作家の作品と心得ながら、最後まで読んだ方がいいかと思う。


No.2118 7点 トップレス・バーの女
ヒラリー・ウォー
(2024/12/12 06:44登録)
(ネタバレなし)
「私」こと、元警察官で当年30歳の私立探偵サイモン・ケイは、ある日、弁護士レナード・ハーグローブ・ウッドの依頼を受ける。元銀行員で定年まで勤めあげたのち、猛勉強して若い頃から憧れていた弁護士になったウッドだが、法曹界では新参者で大口の客に恵まれず、公選弁護人を務めていた。そんなウッドが現在弁護するのは、警官だった夫マット・ブレントを射殺した容疑で留置されている主婦カーラ。カーラは自宅に侵入して夫を射殺した男がいたと主張し、事件の関係者としてトップレスダンサーの踊りが売りの酒場「サイモンのバー」のダンサー、ネリッサ・クレアーの名を挙げていた。だが弁護士ネッドがそのネリッサに会いに行くと、彼女はすでに店を辞めて行方をくらましていた。ネリッサの捜索を依頼されたサイモンは事件に関わっていくが、やがて意外な真実が浮かびあがる。

 1983年のアメリカ作品。私立探偵サイモン・ケイシリーズの第4弾で、日本ではこれが最初に紹介されたらしい。

 サイモン自身がネッドに語る通り、線路の上を走る列車のように、関係者の軌跡を可能な限りに追っていく私立探偵小説のスタンダードのような作品。しかしさすがは巨匠ウォー、熟練の筆さばきと筋立てで、なかなか面白い。
 猥雑な人間描写、矢継ぎ早のイベント、さらに主人公サイモンの危機の連続……とメニューを手際よく並べたB級ハードボイルド(そういう言い方はあまり好きじゃないが)で、終盤に判明する隠されていた事件の意外性もそれなりのもの。

 ただまあ、作者が仕掛けてきた大ネタは、割と早くから気づく。でもって、それって作中のリアルでアリかな? とも一瞬、疑問が生じたが、まあちょっと考えて説明をつけられないことはない。よくいえば、スレスレのところでうまい綱渡りをこなした、ともいえるのか。
 
 1980年代の比較的近代の時勢のなか、伝統の50年代私立探偵小説の王道を守る嬉しい作り。
 ちなみに現時点ではAmazonにレビューがひとつだけあり(未読の人は読まん方がいいかな)、主人公サイモンのハードボイルドぶりをホメちぎっているけど、自分もまあそれについての異論は……ないかな。個人的には、ソコまで引っかかるポイントでもなかったのだが、まあ、くだんのレビュアーの言いたいこと&気持ちはわかる。

 邦訳でシリーズの未読があと2冊。さらに未訳分のサイモン・ケイものもまだ2冊あるんだよな。
 新古典警察小説の雄・ウォーのネームバリューで、今からでもどっかで発掘してくれんかしら。
(まあ本筋の警察小説路線、フェローズ署長ものの未訳作の紹介も願いたいけどよ。)

 評価は0.3点ほどオマケ。


No.2117 6点 白薔薇殺人事件
クリスティン・ペリン
(2024/12/10 09:35登録)
(ネタバレなし)
 <パズラーの大傑作>云々は誇大広告、ジャロロ案件だ、と読む前からさんざん聞かされていたため、かなり低い期待値で読み始めた。
 それが功を奏したのか、それなりに面白かった。序盤から前半までは、コージーミステリとかパズラーとか言う前に、一人称のヒロインが激動の運命に晒されていく形質のゴシックロマンみたいな外連味がある。

 で、一見、登場人物は多いようだが、ネームドキャラは、メモを取りながらカウントすると40人前後で、この厚さからすれば、実はそんなに多くはない。
 くだんのごとく、例によっての人物メモを作りながらの読書だったので、個人的にはわずらわしさなどは、ほとんど全く、感じなかった。

 ちなみに、日記をさっさと全部読んでしまえ、というHORNETさんのご指摘は、作品を読了後に、レビューを拝見して初めて気が付いた(笑)。いやおっしゃる通りで、作品を読んでる間はなんとなく、主人公のアニーがフランシスの日記を分冊で少しずつ入手しているような気分でいた。いや実際にはそんな作中事実はまったくなく、自然に脳内補完していたような感じだが(汗・笑)。

 犯人はなかなか意外で、動機の方もけっこう面白い。最後のアニーと某メインキャラとの対峙シーンの文芸も鮮烈で、自分的にはそんなに、二波目の評判ほど悪くなかったよな、という思い。

 ただ、あんまり書かない方がいいのかな? 第14章で起きるイベントって、英国の民法では成立するの? 昔、佐野洋が某・日本の大家の名作(本書の巻末の解説にも名前が出て起きますが)のソレについて、あれって民法上、ありえないでしょ、と言ったのを思い出した。いや、文芸設定の趣向としては面白いんだけど。
(以上、特に犯人ともトリックとも関係ない話ですが、前半のちょっとしたサプライズ? なのでこの程度にアイマイに。)

 つーわけでトータルとしては、そんなに印象悪くないです。
 
 ただ創元の編集部の推敲・校正がヘボで、本文中の「?」のあとを一字アケたり、そーでなかったり、マバラでバラバラなのには閉口した。
 作品の序盤で小説家志望ながら、作品の完成後に推敲も見直しもしないで出版社に自作の小説を送ってしまうトンチンカン(またはオッチョコチョイ)ヒロインを主人公にした作品で、そういうミスを残したら洒落にならないでしょ、と思うのだが。


No.2116 7点 シェーン真相を追う
ブレット・ハリデイ
(2024/12/07 05:02登録)
(ネタバレなし)
 1952年のマイアミ。すでに地元で名探偵として名士になった赤毛の私立探偵マイケル・シェーンは、その日、競馬を楽しんだあと、夜分に自宅のアパートに帰宅した。そのシェーンのもとに、一番最初の脅迫めいた物言いを含めて立て続けに数件の電話があり、最後の内容は自身の身の危険を訴える女のものだった。シェーンがその女ワンダ・ウェザビイのもとに向かうと、彼女はすでに射殺されている。シェーンが調査を進めると、ワンダはプロの恐喝者らしいことが判明。彼女に強請られていた相手の中に、殺人者はいるのか? 被害者から、万が一の場合は自分を殺した犯人を暴いてほしいと1000ドルの小切手を預かった形のシェーンは、裏の手段を交えながら捜査を続ける。だが、事件は新たな展開を見せた。

 1952年のアメリカ作品。シェーンシリーズの長編、第21弾。
 
 2024年12月上旬現在、Amazonにレビューがひとつあるが、余計なヒトがメイントリックのキーワードをネタバレしてるので(怒)、そっちは見ないように。
 大分前にその評をたまたま見てしまったおかげで興が冷めて放っておいた一冊だが、思う所があって昨夜読み始めた。

 ただまあ、トリックを先に知っていても、終盤まで犯人はわからず(いや本当なら、ちょっと考えて確かにわかるべきなのだが……・汗)、そのおかげで結局はなかなか楽しめた(笑)。伏線もちゃんと張られているが、動きの多いストーリーの中にそれを巧妙に(だろうな?)埋め込んである。
 この1952年の時点ですでにいくつも前例があった(中略)だが、描写はかなり丁寧で、50年代初頭当時の素直な読者の中には結構な驚きを感じた人も多かったんじゃないか? と思う。
 事件の背景として、大衆向けの放送文化の中心がラジオからテレビへと切り替わる世相も描かれていて、そこら辺の時代の空気も興味深い。
 
 2020年代に読んだら何ということはない旧作の私立探偵フーダニットでしょ、と言われればたぶん全くその通りだろうが、つづら折りに紡がれるストーリーの中にパズラー的な骨格が埋め込まれた作りは、なかなか面白かった。正編シェーンシリーズの安定期というか円熟期の作品だろうが、手慣れた職人芸を感じさせる佳作~秀作。

 ポケミスの146ページ、出会った登場人物のひとりに私立探偵ならネロ・ウルフみたいなものだろ、と問われたシェーンが「ちょっとちがいがあるだけさ」と返すギャグには笑った。 
 実質6.5点かな? ファンなのでちょっと評点はおまけ。相変わらず実に居心地のいい作品世界だ。


No.2115 6点 迷探偵の条件 1
日向夏
(2024/12/05 10:22登録)
(ネタバレなし)
 21世紀の少子化時代にあって、一学年につき約1000名もの生徒を誇るマンモス私立高校「葉桜高校」。その2年C組に所属する「俺」こと17歳の真丘陸は、18歳までに運命の女性と出会わねば死ぬという厄介な家系の末裔だった(どうやら太古の神代の神々の呪いらしい)。危機打開のため運命の相手を探す陸だが、彼にはヤンデレ女ばかり引き寄せてしまう女難体質、そして少しでも行動を起こせば事件に遭遇するという探偵体質、その二つの面倒な属性があった。

 一年位前だったか深夜アニメで中華風の異世界もの『薬屋のひとりごと』というのをやっていて、周囲のアニメファンの友人たちの中では、何人かがそのシーズンの覇権作品にあげるほどに高評だった。ただし自分はなんとなくパスしてスルーしてしまい、いまだに観てない。その『薬屋~』の原作であるラノベの作者が、このラノベミステリ『名探偵の条件』の日向先生であった。

 でまあ、アニメ化もされてヒット作となった『薬屋』は現時点ですでに十数冊も発刊されているようだが、こっちの方はいまだ本書、第一巻の一冊のみの刊行(3年前に第一巻ということを考えれば、せめて2~3冊は続刊が出ていてもよさそうなものだ)。せっかく最初から通しナンバー入れてるのに。
 というわけで、ものの見事に生みの親に差を付けられてしまった看板作品の陰のマイナーシリーズという感じだが、ブックオフの100円棚で美本に出合ったのを何かの縁と思い、読んでみた。

 正直、陸の大設定2つはほとんど出オチのような印象だったが、最後まで読むと少なくとも片方は(中略)。あ、まあムニャムニャ……。

 ミステリとしての事件は、殺人を含めて学内やその他で数件が発生。連作短編的にエピソードを繋げて、最後に……のパターン。これもあんまし言わない方がいい。

 最初の事件は、伏線が丁寧過ぎて「あー」と早々に犯人がわかるし、途中のある事件は「え、その決着でいいの?」のパターン。特に後者は確信行為でやってるのなら、ソレはソレで……ではあるが、ちょっとなんか天然っぽい気がする。で、終盤の事件……個人的にはこれが一番、面白かった。まあミステリというよりは、ラノベというか小説として、だが。

 総じて(最後のサプライズも含めて)そんなに大騒ぎしたり、第2巻が待ち遠しい! といきなり新参者が大声で叫ぶほどのものじゃないのだが、なんというか、どっか車輪の車軸が曲がった自動車に乗って疾走しているような、ぴょんぴょんあちこちの方向に跳ね回るような連作の感触は、それなりに楽しかった。なんとなく本サイトのメルカトルさんあたりがお読みになったら、大したものはありません、と切って捨てられそうな感じのところもあるが(メルカトルさん、勝手な物言い、すみません・汗)。

 まあ、第2巻が出たらたぶん読むとは思います。ただまぁ、たぶん新刊では買わないと思うけど(汗)。


No.2114 7点 水脈
伊岡瞬
(2024/12/02 06:30登録)
(ネタバレなし)
 神田川の一角の排水口周辺から、ひとりの若い男性の他殺死体が見つかる。被害者は21歳の私立大生・森川悠斗と判明。高円寺北所の巡査部長・宮下真人は、顔なじみの警視庁の真壁修巡査部長と組んで事件を追うが、彼ら二人は警察庁上層部の請願で、ひとりの若き女性が捜査に随行することになった。

 宮下シリーズ&真壁シリーズの最新作で、今回は『悪寒』以来の両者共演編ということになる……のか?
 ゲストヒロインで社会行動学専攻の大学院生という小牧未歩(日系米国人が父親の日米ハーフ)が三人目の捜査側のメインキャラとして主役コンビの捜査に同行。
 一方で捜査の流れと別に、もう一つ別のストーリーがほぼカットバック式に語られ、話は中盤でかなり(中略)な道筋を明かす。

 人間の邪悪さを大きな主題のひとつにするいつもの伊岡作品らしい作りだが、後半3分の1~4分の1でさらに物語は斜め下の深みにはまっていく。強引で力業も感じる作劇と全体の仕上だが、リーダビリティはこの上なく高く、いっきに読ませる加速感は間違いない。
 まあ最後の悪役が滔々と語る心情吐露の図に、そこでまた荒っぽさを感じる人もいそうだが。

 事件を構成するパーツの組み合わせ方に工夫がある一方、先のような強引・力業・荒っぽいなどの不満も覚え、もうちょっと練り合わせようもあったんじゃないか、という気もしないでもない。が、出来たものには、とにもかくにも妙な活力は間違いなく感じるので、これはこれでいいか。
 活字が大きいので、今夜のショボい目にはやさしくて助かった。

 Amazonのレビュー眺めると、賛否両論の作品みたいね。うん、なんとなく良くわかる。


No.2113 8点 エイレングラフ弁護士の事件簿
ローレンス・ブロック
(2024/12/01 04:44登録)
(ネタバレなし)
・依頼人は絶対に無実である
 (無実の依頼人からしか依頼を受けない)。
・ゆえに依頼人は絶対に無実の判決を勝ち取る。

 この二条を鉄則とし、多額の報酬は常に依頼人が無罪を勝ち取った場合にのみ戴くことを約束する、成功報酬制を貫徹する弁護士マーティン・H・エイレングラフの事件簿。全12編。

 どういう方向のシリーズなのか、いきなり第1話から強烈なインパクトで見せつける連作短編ミステリ集で、その背徳感いっぱいなブラックな味わいは、あの喪黒福造辺りに通じる。

 午前中の病院の診察の待合中と、夕方のクラス会への往路&帰りの電車の車中であっという間にイッキ読みしてしまった。

 これほど地の文を省略し、スタッカートなリズム風の会話の連続で綴られ、それが効果を上げた連作シリーズってそう無いんじゃないだろうか。
 
 ローレンス・ブロックの短編作品はさほどまとめて読んだことがなかったこともあって、コレは存外に面白かった。

 2024年の海外翻訳ミステリのなかで、ひそかなダークホースになるんでないの?


No.2112 7点 あなたならどうしますか?
シャーロット・アームストロング
(2024/12/01 04:24登録)
(ネタバレなし)
 以下、感想&メモ

①『あほうどり』 
……旧題『悪の仮面』。懐かしの『火曜日の女』の一編『喪服の訪問者』の原作。同番組のクライマックス、(中略)が(中略)を(中略)するシーンのテンションは、今も覚えている。ようやっと読んだ。当然ながら翻案ドラマとかなり印象が異なり、後半は小説ならではの演出と効果を感じる。秀作。

②『敵』
……話術で読ませる話。手堅いゾクゾク感。

③『笑っている場合ではない』
……まんま「ヒッチコック劇場」だな。いや、ホメてます。

④『あなたならどうしますか?』
……たぶん「日本版EQMM」で、昔読んだ話か。これも話術で読ませる。

⑤『オール・ザ・ウェイ・ホーム』
……ワケあり主人公夫婦の巻き込まれサスペンス。良くも悪くもスタンダードな話の流れで、佳作。

⑥『宵の一刻』
……話の着想は面白い……かどうか、ちょっと微妙。イマイチ決まらなかった感あり。

⑦『生け垣を隔てて』
……構成と話者の妙でひねったパズラー。その辺をさっぴくとなんともない? ような一編ではある。

⑧『ポーキングホーン氏の十の手がかり』
……アームストロング版「シュロック・ホームズ」ものみたいな味わいで、ちょっとクスリと笑み。

⑨『ミス・マーフィ』
……あの(中略)の作者がこんな話を! と驚かされた一編。あらためて職人作家は一筋縄じゃいかないものと実感した。秀作。

⑩『死刑執行人とドライブ』
……設定のポイントが明快な、シチュエーションスリラーの逸品。1時間の短編(中編)アンソロジー形式のミステリ番組のネタにしたら、さぞ面白かろう。佳作~秀作。

総じて質の良い、一定レベルの短編ミステリ集。就寝前や、外出時の電車やバスのお供に最適な一冊であった。


No.2111 6点 楽員に弔花を
ナイオ・マーシュ
(2024/11/29 13:39登録)
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦後(たぶん)のロンドン。元パリ大使館員で55歳の英国貴族パスターン・アンド・パゴット卿(ジョージ・セッティンカー)は、ヌーディスト活動やらヨガの修行やら、多方面に興味を示す奇人として有名だった。そんなパスターン卿がいま熱中しているのは、彼自身アマチュア(セミプロ?)のドラマーとして参加する楽団での活動だ。しかもその楽団のひとりでピアノ式アコーディオ奏者の伊達男カルロス・リベラは、パスターン卿の再婚相手である50歳の貴婦人「セシール」ことレディー・パスターン・アンド・パゴットの連れ子で18歳のフェリシテ・ド・スーズと恋仲のようだ。楽団のパトロンであるパスターン卿は組織の運営にも口を出し、楽団の指揮者兼バンドリーダーのブリッジ・ベアレスを悩ませていた。そんななか、劇場「メトロノーム」で開催された演奏会のさなか、余興の空砲として使われるはずだった拳銃の発砲音ののち、ひとりの人物が命を落とす。

 1949年の英国作品。ロデリック・アレン主席警部ものの第15長編。

 空砲とすり替えられていた実弾による殺人? という趣向みたいなので、なんだ、アレンものの長編第二作『殺人者(殺人鬼)登場』の部分的リメイクか? とも思ったが、さすがに今回はちょっとひねってある。あまり詳しいことは言わないけれど。

 約360ページの本文はそこそこの厚さだが、おなじみ渕上氏の翻訳は快調で、そもそも今回はマーシュ作品のなかでも特に会話が多い印象なのでリーダビリティはかなり高い。ひと晩で読み終えてしまった。

 十人前後の楽団周辺のメインキャラも、サイドストーリーの某重要人物も、証言を聞かれる使用人連中もそれぞれの劇中ポジションなりに書き分けられている。渕上先生は訳者あとがき&解説で、マーシュの弱点は英国ミステリにありがちな事情聴取、証言を聞き回るくだりの冗長さだが、今回は健闘しているという主旨のことを語っているようだが、その辺は同感。特に脇筋で描かれる正体不明の人生相談役「G・P・F」のストーリー上の運用がうまい。

 ミスディレクションの鮮やかさも殺人トリックの創意も犯人の意外性もそれぞれそれなりのもので、佳作以上なのは間違いないが、じゃあこれが優秀作か? というと、トータルとしては(前述のようにキャラ描写の起伏による健闘は十分に認めるものの)中盤の証言聞き取りパートの間延びぶりからは逃れられなかった印象もある。
 たとえばクリスティーとかなら同じような話を書いた場合、後半にもう一回くらい、大きな事件を起こして話に刺激を与えるんじゃないかな、とも思った。

 それなりの力作で手をかけた作品なのは理解するが、全体の面白さを尺度にするなら、さらにもうひとつくらい何か欲しかったところ。うん、贅沢言ってるな(汗&笑)。でもマーシュの諸作のなかでは面白い方ではあるだろう。実質、6.6点くらい?


No.2110 6点 ペーパーバック・スリラー
リン・メイヤー
(2024/11/28 06:42登録)
(ネタバレなし)
 1970年代半ば(多分)。マサチューセッツ州、ボストンとケンブリッジの周辺。「私」こと精神科の女医サラ・チェースはフィラデルフィアの学会から帰る最中、空港で暇つぶしのために購入した一冊のスパイヒーローもののペーパーバック小説「おとなしく入ってはいけない」を読んで驚く。それは作中の主人公スパイ、ブラッド・スティールが忍び込む某医院の診察室の間取りや家具、備品の描写が、完全にサラの自宅兼医院の診察室のものと合致していたからだ。しかも作中の主人公の描写は、現実のサラの業務上の秘密ファイルの秘匿場所まで特定していた。自分の職場がおそらく確実に侵食された現実に一種の精神的レイプのごとく恥辱を感じたサラは、プロの恐喝者が誰か患者の個人情報を盗み出した仮説を抱き、小説の著者グレッグ・ビットマンに接触をはかるが。

 1975年のアメリカ作品。同年度MWA新人賞候補作。
 先日、書庫で別の本を探していたら、未読の本書が見つかった。
 たしかコレ、当時のミステリマガジンの読者コーナーに投稿が採用されて貰ったうちの一冊だった? とも思うが、シリーズ探偵ものでもないらしいし、特化した興味も湧かないのでずっと読まずに寝かしておいた作品だったような気がする。で、ここで見つかったのも何らかの縁だと思い、入手してから何十年ぶりかで昨日から読みだして、少し前に読了。

 作者のリン・メイヤーは、英語のAmazonで調べてもこれ一作しか著作がないみたいで、正に一発屋の女流作家。ちなみに旦那は長編小説が数冊翻訳されているヘンリイ・サットンだそうな。『悪魔のベクトル』の作者サットンと同一人物かね? それは持ってるハズだが、まだ読んでない(汗)。

 アマチュア探偵役の主人公が電話したり行動したりすると割合に簡単に情報が手に入ってしまうのは、ほぼ半世紀前は海の向こうもおおらかな時代だったんだねえ、という感じだが、その分、話はスイスイ進む。淀みなくストーリーが流れ、主人公の行動に制動がかかる描写も読者の納得を得られるように書いてあるのは作者の筆力を感じさせた。

 ちなみに本作は昨年2023年に日本のAmazonで初めてレビューがあり、そこの書評子は主人公サラのとんがった当時なりのフェミニストぶりが相当に気に障った? ようだが、筆者はそんなでもなかった。
 むしろ半世紀前の作品にしては、(前述のように情報開示のゆるい一面がある一方で)主人公の職場への踏み込みを精神的凌辱と感じるくだりとか、実に2020年代の今風の感触。そーゆーセンシティブさの方が、当時としても険しく際立っていて、むしろ二冊目の著作の執筆の実働に、作者の内側からか外側からか、ブレーキがかかったんじゃないか、と考えたりもした。いやもちろん勝手な仮説で妄想ですが(笑・汗)。

 で、最後まで読むと、事件の黒幕の悪役はある意味でいろいろと隙だらけ、時にアホともいえるのだが、一方で現実の犯罪者なんてこのくらいに自我が肥大して油断が生じてしまうのでは、という妙な? リアリティもあり、その辺は小説としての面白さでもあった。
 
 書き手が、ある種のヤマっ気を生じるタイプの別の作家だったら、もしかすると同じヒロイン主人公でシリーズ化していたかもしれなかったなとも思ったが、とにもかくにも、これは本作のみで消えた作家で主人公。
 でも今後もちょ~っとだけは、心には残るかもしれない。そんな一冊。

【2024年11月29日追記】
 翻訳は仁木悦子の旦那だった後藤安彦で、流麗だったが、編集はところどころ綻び。本文中で明らかな助詞のヘンな箇所があったし、巻頭の登場人物一覧でも
ドウェーン・スェット(×)
ドウェーン・フレンチ(〇)。
 あともし、前述のヘンリイ・サットンが実際に『悪魔のベクトル』の作者なら、その旨、訳者あとがきを書いた後藤氏に教示してほしかった。なにしろ自分のところ(早川)で出している作品なんだから。


No.2109 6点 石の林
樹下太郎
(2024/11/26 14:28登録)
(ネタバレなし)
 昭和30年代の半ば。中堅企業「的場アルミ」の販売課長で46歳の速水竜伍は、亡くなった先妻との間の18歳の長女で今はBG(ビジネスガール)の麻子、後妻の34歳の紀代そして彼女との間に生まれた9歳の次女・やす子、長男で6歳の一郎とともに平凡で平穏な生活を続けていた。だがその年の5月、速水の部下で中途採用だった30歳の青年・三谷崇が睡眠薬で自殺らしい変死を遂げた。三谷は好青年だが酒に弱い一面があり、それで当人も深く苦悩していたことから、それが自殺の動機と思われる。しかし三谷の同僚で婚約者でもあった27歳の高遠万千子はさることから、その見解に疑念を抱いた。

 1961年に昭和旧作ミステリファンにはおなじみ、東都ミステリーの一冊として刊行された作品。文庫にはなってないようなので、元版の古書をネットで見つけ、そこそこの値段で買った。
 物語は全9章に分かれ、そのうちの最初からの7章にまで「速水竜伍」「高遠万千子」「速水麻子」などメインキャラの名前が章の見出しに使われる。描写は全編、三人称だが、当然、各章ごとに主要人物はその章の見出しの人物が軸になる多視点描写の作り。
 事件性の核は三谷の死だが、もうひとつ、一時期、継母との折り合いの悪さから非行に走っていた麻子が、その時の同世代の愚連隊につきまとわれる事案があり、こちらも麻子の父で主人公格の速水を悩ませる事由となる。
 
 登場人物たちの立場の推移を追いながら、同時に隠されていた真実が暴かれていくタイプの真っ当なサスペンスミステリ。
 現代の作品でいえば伊岡瞬か天祢涼の一部の諸作に通じるような、家庭と職場の周辺(というか生活の場)に物語の軸足を置いたヒューマンサスペンスという趣だ。
 決着には正直、大きな意外性はないが、劇中の登場人物たちの弱さやしたたかさ、切なさを冷徹に見つめる一方、人の心の強さや温かさにも目を向ける作者の人間観は感じられ(特に速水家周辺のクロージング部など)、全体的に悪くはない佳作といった出来。ものの考え方が部分的にいかにも昭和風なのは、まあ当然、本作がその時代の作品だからということで了解。

 本文一段組。大き目の級数の活字で200ページ前後。スラスラ読めるが、それなりの読後感は残る一作。


No.2108 7点 マジック
ウィリアム・ゴールドマン
(2024/11/25 18:49登録)
(ネタバレなし)
「わたし」の名は「ファッツ」。腹話術の人形で、テレビでも人気を博す30代前半のハンサムなマジシャン兼腹話術師コーキー・ウィザーズの相棒だ。相棒コーキーは、本名チャールズ・ウィザーズ。コーキーはもともと、スポーツ好きだが非健常者だったため息子にプロのスポーツ選手となる夢を託したマッサージ師の父親マットに養育されたが、10台の半ば、無理なフットボールの練習中に両足を骨折。入院中に病床の中でカードマジックに興味を覚え、青春時代の苦い失敗の想い出などを重ねたのち、ベテラン奇術師のマーリン・ジュニアに弟子入りした。師匠マーリンから奇術は常にエンターテインメントであれとの教えを受けたコーキーは、失敗のなかでファッツに出会い、それから「二人」は栄光の道を歩み始めた。だがコーキーがひとりの人物に再会したときから、事態は新たな局面に向かう。

 1976年のアメリカ作品。
 邦訳ハードカバーのジャケット表紙に不気味な顔(つまりこれが人形のファッツだ)が描かれており、最初に本書を手に取った時から読みたいけど怖い、怖そうだけど読みたい、の気分を振幅させていた。
 で、この十年くらい、もういい加減読もう読もうと思ってはいたが、実はまだ本の現物は購入してなかった。そのくせ、古書価は常時、総じて高値安定でなかなか手が出しにくい。
 そこで一念発起して、このたび図書館で借りて読んでみた。

 腹話術師(&マジシャン)の芸道、そこから生じた人格乖離、といった軸となる文芸設定は当初から作者も読者も共有する趣向(前提)で語られるサイコスリラーサスペンスであり、じゃあ初めからネタを割った分、話はどこに向かいどのように流れるのかという興味が湧くが、その辺は現在形のプロローグから、一旦過去のコーキーの少年期に時代設定が戻り、そこから改めて本筋が動き出すという構成で見事にクリアされている。

 真の本編といえるコーキーの少年時代からの歩みは、スティーヴン・キングのよく出来た作品に通じる青春ドラマでぐいぐい読ませる。本書はこういう作品だったのか、と思った時点で、読み手はたぶんまんまと作者に乗せられている。

 中盤から現在形の時勢に話が戻り、そこからクライマックスに向けてじわじわと話が転がっていくが、意外なほど二人の主人公(コーキーとファッツ)の視野は広がらず、常にまとまりのよい人間模様が綴られていく。カメラアイを固定気味にしたような後半の筋立ては、なんとなく予期していたものとは違ったが、特にその構成で破綻したわけでもなく、むしろ前述のようにまとまった仕上がりだ。
 二段組の本文で250ページ弱はこの設定、話の流れにしては短い、という思いもないではないが、とにかくひと晩でいっきに読んでしまった。作品のある種のネタバレになるかも知れないので読後感は控えるが、思っていたようなコワイものとは少し違う(いやショッキングなシーンはそれなりにあるけど)ものの、なんか別の感触で(中略)と楽しめた感じ。
 ただまあ8点……はちょっと高すぎるんだよな。この評点内の高い方で、ということで。
 大枚はたいて稀覯本を購入する必要はないと思うが、そこそこの値段かもしくは借りて読めるなら、キングのスーパーナチュラル度が低めのホラー系作品とかがスキなヒトなら一読しておいても悪くはないとは考える。


No.2107 6点 愛と疑惑の間に
ヴェラ・キャスパリ
(2024/11/24 16:07登録)
(ネタバレなし)
 1960年代のニューヨーク。当年47歳のフレッチャー(フレッチ)・ストロートは、一代で巨万の富を築いた億万長者だ。莫大な資産と男性的な容姿に恵まれた彼は5年前に19歳も年下の美人モデル、エレイン・ガーディーノに一目ぼれ。古女房ケイトを金の力で強引に離縁させ、エレインを後妻に迎えた身だった。だがそんなフレッチャーも喉に悪性の腫瘍ができたたため、患部を除去。その結果、健常な発声が不能になった彼は一線を引退し、同時に完璧な男性としての自信を失っていた。現在のフレッチャーは、劣等感の暴走から妻エレインが非健常者の自分を見捨ててひそかな不貞を働いてるのでは? という妄執に憑りつかれ、その想いを日記に書き連ねるが……。

 1966年のアメリカ作品。『ローラ殺人事件』の作者ヴェラ・キャスパリの、長編ミステリ第11弾。邦訳がある三冊のうち、本書のみ本サイトに登録があってレビューが無いので、しばらく前に気になってネットで古書を入手。一昨日から読み始めて、今朝読了。

 名前の出る登場人物は一応20人以上いるが、メインキャラといえるのはフレッチャーとエレイン、それにフレッチャーの娘で22歳のシンディーと彼女の29歳の夫ドン(ドニー)・ハスティングスと、エレインの主治医で独身の二枚目ラルフ・ジュリアンの5人だけ。ほとんどストロート家の邸内をステージにした、舞台劇を観るような流れ。こういう話で設定だからフレッチャー本人の、さらには疑惑を持たれたエレイン側、双方のあれこれの疑心暗鬼、さらには娘夫婦たちの心象、生活描写が綿々と書き込まれ、じわじわと緊張感を高めていく。それはいいが、大きな出来事が起きるのは中盤以降なので、そこに行くまでがちょ~っとだけキツイ。いやそのジワジワ感のテンションをじっくり楽しむのが正しい読者の立ち位置だが、もうちょっと話を転がすネタを用意してほしかったのも正直なところ。
(ただし決してダラダラとかではなく、ストーリーにはそれなりのベクトル感はある。)

 ミステリの決着としてはそれなりのクセ球を放って来た感じで、主要人物の内面描写を全編、密にしながら、実は読者に明かすところとそうでないところを描き分けていた作者の筆遣いが効果をあげている(ネタバレにはならないと思うが)。

 たぶん翻訳家や編集部がソの辺を評価して、邦訳発掘(2000年当時)したのだろう。決して記号的なポイントでミステリ史上に残るようなものではないとも思う。たぶんこれって、読解の深度の下駄を受け手に預けたようなところもあるよね? 
 トータルとしては佳作、か。

 キャスパリは十数冊の長編ミステリがありながら、邦訳はまだ3作のみ。もしかしたら未訳のなかにまだちょっとした佳作~秀作が残ってるかもしれない気配もないではないので(実際はどうかわからないが)、もし何かアルのでしたら今からでもどこかで発掘をお願いしたい。
 2024年の現状、海外クラシックの発掘翻訳にまったく勢いがないので、望み薄ではあるが。そういえば、この本作を邦訳してくれた小学館文庫も、ラインナップはあれこれとステキだったよねえ。

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