人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2106件 |
No.1986 | 5点 | やかましい遺産争族 ジョージェット・ヘイヤー |
(2024/03/06 19:04登録) (ネタバレなし) ネット(網)製造の大手企業「ケイン&マンセル」社の代表のひとり、サイラス・ケインが60歳の誕生日を迎えた。いまだ独身のサイラスは複数の共同経営者を押さえ込むやり手だが、会社の創業者であるケイン一族の中にはさらに上のトップがいた。サイラスの母ですでに80歳代の車椅子生活ながら、年を感じさせない活力で権勢をふるう老女エミリーである。サイラスの誕生パーティにはケイン家の親族や、ケイン&マンセルの関係者などが詰めかけていたが、やがてその周辺で、ひとりの命が失われる。 1937年の英国作品。ハナサイド警視シリーズの第三弾。 評者は本シリーズは、だいぶ以前に『グレイストーンズ屋敷殺人事件』のみ読了。そちらの印象は、全体的に筋運びが鈍重でイマイチ楽しめなかったが、終盤の大技でかったるさがぶっとんだ。 つまりミステリとしては後半に光るもの? があったので、今回の新刊も、その辺の妙味がまたしっかり出てればいいなあ、と期待する。 ただまあ多数の雑駁な登場人物をズラリと配置し、予期せぬ事件が勃発したケイン家の周辺を語るのはまずよろしい。 ただなんというか、本作の場合、登場人物が一応はちゃんと書き分けられているものの、そんな連中の言動の積み重ねが読んでいて面白いか、ミステリとしての評価を稼いでるか、というところだが、まぁその辺が、どうも。 二つ目の事件からさらに……の、お話のドライブ感などはなかなか良かったんだけどな。通読してみると、うーん、全体の構造として、イマひとつであった。後半、愉快なキャラを登場させて話をストーリーを賑わせようとする狙いは察せられたが、一方でその結果、正直、お話が足踏みする感じでもあり、なかなかカッタるい。 二冊のみ読んだ時点で総体的な感慨を呈するのはまだ早いとは思うものの、その二冊とも、面白くなりそうでならない、一方でツマラナイと言い切るには賞味部分もないでもない……の印象。 またしばらくしたら機会を見つけて、未読の邦訳二冊のどっちかを読んでみようかとも思う。 |
No.1985 | 5点 | クルーザー殺人事件 草野唯雄 |
(2024/03/03 05:54登録) (ネタバレなし) その年の五月二十四日の早朝。三浦半島は油壷のきつね浜の沖合で、豪華クルーザー「朝日号」が出火した。火元のキャビンは外から施錠されており、中からは焼死した男女の死体と、時限発火装置らしい物品の痕跡が見つかる。被害者の片方は数十億の資産を持つ元不動産業者で、捜査陣はやがて最重要容疑者と思しき人物に目星をつけるが。 角川文庫版で読了。 会話が多い上に活字の級数も大き目で、リーダビリティは最強。スラスラ読める。重要人物に嫌疑の目が向けられていくあたりの加速度感は申し分ないが、残りの紙幅もそれなりにあるので、これはまあ、まだ何かあるだろ、と思っていたら後半はなかなかテクニカルな方向に展開。 ただし警察やアマチュア探偵が足で調べていく方の面白さである(一応、伏線などは張ってあるが)。それでも最後は出来が良いか悪いかはともかく、とにもかくにも謎解きフーダニットパズラーの方向に行くんだろうな~と期待していたら、とんでもない種類のサプライズが出てきてぶっとんだ。 一瞬、これはどう受けとめるべきかとも思った&迷ったが、次の瞬間にやっぱ冷静に考えて、アレだよね……と思い直す。 ちなみに読後にTwitter(Ⅹ)で感想を拾うと、笑う笑う。「怪作」のレッテルを貼られるのもむべなるかな、ではある。 意外な犯人なら、驚かされればいいってモンじゃない。草野作品で某長編ミステリのまったく逆の位相の構造だよ、その辺。 まあそーゆー意味のウラの面白さ、という意味では、けっこう楽しくはあった(笑)。読んで良かった、とは思う。評点はこんなもんだけど、価値のある? 5点か(笑)。 |
No.1984 | 7点 | 歩く亡者 怪民研に於ける記録と推理 三津田信三 |
(2024/03/02 03:54登録) (ネタバレなし) 怪異が基本的には合理的に解明されるが、しばし向こうの世界をちらりと覗く……基本軸は、正編世界と同じような物語の結構に思えた。 メルカトルさんがおっしゃるように「真相はバカミスだったり脱力系だったり」ではあるが、こっちはそういうものを予期しているところもあるので、総じて楽しかった。無理だぁと呆れながらも笑ったのは第2話で、いちばんゾッとしたのは第1話。第3話のロケーション的なビジュアルの不気味さ、第4話の意外にマトモなミステリっぽさ、第5話のえー?! と思わず言いたくなるような動機面の真相もよい。なんだ佳作~秀作揃いではないか。 正編シリーズと並行で、こっちの路線もまだまだ続くのかと思ったら、たぶんこれで一区切りみたいね。まあ続行しようと思えば可能だろうけど。ちなみにそんなに三津田作品の全域を読んでいる訳ではない当方は(以下略)。 正編の長編が出なかった年の物足りなさを埋めてくれる一冊としては、なかなかの内容だとは思う。 |
No.1983 | 6点 | ニコラス街の鍵 スタンリイ・エリン |
(2024/03/01 15:10登録) (ネタバレなし) 1951年のアメリカ。NYから離れた位置にあるサットン市の住宅地ニコラス街。そこに暮らす「アイレス家庭用品店」経営の実業家ハリー・アイレス(46歳)の一家4人と妙齢のメイドは2年前、隣家の新たな転居者に、独身で赤毛の美人イラストレーター、29歳のキャサリン(ケイト)・バルウを迎えた。陽性な性格のケイトと親しい近所づきあいを始めるアイレス家だが、やがてその親交の輪はケイトの仕事先のひとつである雑誌社の青年マシュー(マット)・チェイヴズにも広がる。そして現在、ケイトやマットを加えたアイレス家の状況は、2年前とかなり変化していた。そんななか、ひとりの人物が命を落とす。 1952年のアメリカ作品。エリンの長編第二弾。 処女長編『断崖』(や『第八の地獄』そのほかの長編)に心惹かれる身としては、少年時代から読もう読もうと思いながら今日まで来てしまった一作で、ポケミスも古書で二冊も買ってしまっている。 紙幅は短いし(邦訳はポケミスで、本文190ページほど)、登場人物も主要キャラクターはひとけたと少ないが、ミステリの奥にあるヒューマンドラマ的な決着まで相応の密度感を抱かせながらぐいぐい引っ張っていく筆力は、確かに長編版エリン。結局、事件の構造はかなりシンプルなんだけど、登場人物たち個々の顔がくっきり見えるせいで、最後の手ごたえは少なくない。 こう書いていくと、シムノンのノンシリーズ編の秀作に似通うものもある。 あと、これは書いてもいいと思うけど、謎解き・狭義のミステリ要素とは別の文芸の部分で、エリンののちの長編のプロトタイプ的な一面も感じさせた。詳しくは実作を読んで認めてください。 あー、しかしこれで(評者が)半世紀かけて、邦訳されたエリンの長短編は全部読んじゃったコトになるのか? 実はまだ未訳の作品が数作残っているという日本の翻訳ミステリ界の現実と関係者の対応が、実に腹立たしい。出せばそれなり以上の反響が見込めるだろうに? 評点は、7点に近いこの点数というところで。数字以上の満足度は高いよ。 |
No.1982 | 6点 | 肌色の仮面 高木彬光 |
(2024/02/29 19:10登録) (ネタバレなし) 昭和30年代の東京。「水橋建設」社長の甥で建築技術者・鶴橋龍次。その美貌の若妻・澄子は、一般投資家として日々の相場を張っていた。澄子の実家の父・近藤則彦博士は「東邦大学」の冶金学者(合金の研究家)で、その開発中の新金属「γ(ガンマ)合金」には鉄鋼業界、建築業界でも注目が集まり、その完成の情報は株式市場にも大きな影響を与えるのは必至だった。澄子と取引する「丸高証券」の外交員・野崎政夫のかつての部下で、今は私立探偵事務所を営む青年・富岡俊介は、さる筋から依頼を受けた産業スパイとしてγ合金の機密を狙う。一方で研究の機密を守る近藤博士は、株の売り買いの「材料」を求める娘の澄子にさえ情報を与えなかったが、そんな澄子を含む周囲にも俊介は接触し、情報を漁ろうとした。だがやがて、とある予期せぬ事件が起きる。 昭和三十年代の半ば、当時の人気女優の東紀江からの依頼(仲介)で、作者がフジテレビの<よろめきスリラー>用に提供したストーリー案を、メディアミックスで原作者自ら小説化した作品(小説版は雑誌「週刊大衆」に連載)。 もちろん構想も小説も作者・高木彬光の頭から生まれたオリジナル作品だが、企画の経緯を厳密に考えるなら、原作者自らの手によるセルフノベライズ、ともいえるかもしれない。そんな意味で高木作品の中では、かなり異色の一編のハズである。 設定は完全なノンシリーズもので、多数の人間が入り乱れる群像劇。メインキャラも即答しにくいが、形質的にはやはり澄子と俊介が主役で、この二人の<よろめき>ものになる(ただしまったくエロくないし、扇情さもほとんどない)。 相場・投資などは作者お得意の主題だが、さらに今回は合金開発の冶金技術の世界をテーマに採取。 なんとなく社会派ものをやってもいいような雰囲気の方向に行きかけるが、結局は作者が正直で、実はそういうの、あんまり興味ないんだよね、という感じにまとまる。少なくとも業界の体質的な構造や人間関係の方向で社会悪を叫ぶような作品では決してない(笑)。 前半で出された謎(ここでは具体的に書かない)がかなりのちのちまで引っ張られ、ページ数が残り少なくなったところで<意外な犯人>が判明。 <そっちの方向>で決着するなら、ちょ~っとだけ読者を振り回し過ぎじゃないですか? 高木センセという感慨もある。まあ100%純粋なフーダニットじゃなくて、犯人当て要素もある人間関係スリラーもの(事件もの)、という作りなので、まあいいか。 なかなか面白かったけど、良くも悪くもお話を右往左往にドライブさせすぎた感もあり、秀作・優秀作とホメきるにはちょっと微妙。ただし読みごたえはあり、この時期の作者のある種の円熟感は認める。 7点に近いこの評点で。 最後に、今回は、どうせなら元版で読もうとカッパ・ノベルス版を古書で安く買ったけど、巻末の作者あとがきにはくだんのテレビ版のキャスティング表までついていて、ちょっと儲けた気になった。俊介のキャストは、「地獄車」車周作&天神の小六&「娘よ、男は選べ!!」の高松英郎。高松は笹沢の『死人狩り』の最初のテレビドラマ版の主演もやってるし、そっちもこっちも観てみたいが、なかなか観る機会はないだろうな。まあ機会があればぜひ。 |
No.1981 | 5点 | ソルトマーシュの殺人 グラディス・ミッチェル |
(2024/02/26 05:53登録) (ネタバレなし) その年の7月。英国の片田舎ソルトマーシュの村で、牧師館の元メイドだった美人の娘メグ(マーガレット)・トスティックが私生児を生む。メグと赤ん坊は、村の酒場「モーニングトン・アームズ亭」の主人ローリーとその妻が世話するが、新生児の姿はなかなか村の者の目にふれる機会がない。そしてメグは赤ん坊の父親が誰か決して言わなかった。牧師館で副牧師を務める「ぼく」ことオックスフォード出の青年ノエル・ウェルズは事態を見守るが、やがてノエルは、村を訪れていた陰険そうで目つきの悪い老女ミセス・ブラッドリーと知り合いになる。そんななか、村では殺人事件が発生した。 1932年の英国作品。老女探偵ビアトリス・アデラ・レストレンジ・ブラッドリー夫人シリーズの第四弾。 で、いきなりだが、昨年2023年前半、当方が所属するミステリファンサークル「SRの会」が「黄金時代の海外作品限定」として、会員の各作品への評点をまとめた平均点評価方式によるベスト再評価を実行。会誌「SRマンスリー」の昨年10月号で、その結果を公開した(企画の初動のアンケート募集の号がどこかにいっちゃったので、今回の企画上の「黄金時代」が具体的に西暦何年から何年までの認定かは不明。たぶん1920年代の後半~1936年あたりだったと思う)。 それでその上位結果が 1:Yの悲劇 2:エジプト十字架の謎 3:Xの悲劇 4:オリエント急行の殺人 5:ギリシア棺の謎 6:ドルリー・レーン最後の事件 7:プレーグ・コートの殺人 ……と、7位までは、じつにクソ面白くもなんともないものだが、続く8位になんと本作『ソルトマーシュの殺人』が登場(!)。 以下、9位『白い僧院の殺人』、10位『エラリー・クイーンの冒険』と続いた。 要は定番の名作がしごく順当に当該の時代のベスト10を占める中、この8位だけが異彩を放っている感があり、これは……!? と状態の良い古書を購入して読み始める。 ちなみに評者、グラディス・ミッチェル作品はこれでまだ三冊目。 でまあ、一読しての感想だが、巻末の訳者あとがきにある通り「従来のミステリなら盛り上げるべきところをサラッと流し、そうでないところを盛り上げる(大意)」作者の持ち味はなるほど全開。 個人的には、今回は特にその傾向が強い感触で、翻訳そのものはこなれがよいのに、なんか疲れた。恣意的、技巧的な送り手の演出としてそういう小説の作り方をしてるのはわからないでもないが、あーこれもオフビートね、ハイブロウなんだろうね、と言った感じでサン値が下がる(汗)。 我がSRの会での高評にくわえ、読後にTwitter(Ⅹ)で読んだ人の感想をうかがうとみんな結構、好反応みたいで、……はあ、みなさん、こういうのを楽しめるんですねえ……というのが、ホンネ。 いやむしろ、途中でのイベントの配置そのもの、さらには犯人の意外性、など、ミステリの骨格としては、フツーに楽しめるハズなんだけどね。こういう作品の作り方が作者の意図通りで、そして世の中に受け入れられているというなら、評者とは波長が合わないんだろうな、というところ。 ただまあ、ラストの最後の一章の、ちょっと変わった趣向などはうーむ、と軽くうなずかされた。 『トム・ブラウンの死体』はフツーにそこそこ面白かったし、『タナスグ湖の怪物』は怪獣(ネッシーみたいな恐竜だけど)がホントに出て来る異色ミステリとして評価がゲタを履いた面もあるので、いまんとこ自分が読んだ三冊のなかでは、全般的に世の中の評価のよい? これがいちばん肌に合わなかったことになる。 それなりに渋い味わいの英国ミステリ、決してキライじゃない……というかむしろ好物のハズなんだけどな。これはもう、グラディス・ミッチェルという作家の作風の色合いによるものかもしれん。 (まあ、もうちょっと読んでみたい、という気もまだあるけどね。) |
No.1980 | 6点 | 昭和ジュラシック 怪獣狂騒曲 神永英司 |
(2024/02/24 05:01登録) (ネタバレなし) 昭和29年の初の本格特撮怪獣映画『ゴゾラ』によって幕を開けた国産怪獣映画ジャンルが、映画業界の衰退とテレビ界の活性化のなかで、大熱気の「第一次怪獣ブーム」を迎えようとしているもう一つの日本の昭和41年。東西映画所属の若手シナリオライター・山本淳はプロデューサーの牛原進から、怪獣というキャラクターがマーチャンダイジングで大きな利益をあげることを前提に新たな映画怪獣スターを生み出すように指示を受けた。淳とスタッフたちは現実の東北で、昨今、巨大怪獣の目撃譚が話題になっていることに着目。取材とロケハンを兼ねて現地に向かうが、そこに土地の伝説の怪獣を思わせる巨獣ジメラが出現した。一方、日本の防衛庁は米軍と秘密裏に巨大機動兵器の開発を進め、そのプロジェクトのなかには淳の従弟である山本猛も参加していた。 現実(我々のいる世界)の第一次怪獣ブームの立役者、その一角だった怪獣ソフトビニール人形の販売元「マルサン(マルザン)商会」の六代目代表である著書が執筆した、メタ的要素のある怪獣SF&映画業界もの小説。 『ゴジラ』→「ゴゾラ」、「ガメラ」→「ガメゴン」などのように現実の固有名詞はすぐわかる別ものに置換されたパラレルワールド世界が舞台で、物語の全域は一応は全部がこの物語世界のなかに収まっている(要はメタ的といっても、物語が次元や時空を超えて読者の世界とダイレクトにリンクしたりすることはない)。 物語のコンセプトは、まず怪獣小説が書きたい、それも昭和っぽいもの、だけど後年に昭和を時代設定にしたノベライズなどはどうも作者から見て何か違うので、だったら、まんま第一次怪獣ブームだった1966年の日本に、本当に怪獣が出現したら、どうなるか、という構想らしい。 でまあ、その着想とチャレンジ心自体は誠に結構なのだが、趣向優先で小説メディアでの場で要求される細部のリアリティの積み重ねに書き手が無頓着なため、できたものは概して大味。 前半は『バラン』みたいな怪獣もの風に話が進み、途中から巨大ロボット地球防衛部隊みたな組織の活躍にも比重が移り、α号やマーカライト・ファープのかわりに巨大ロボを繰り出す『地球防衛軍』みたいな流れになるが、もう一方のメインプロットである映画業界の方とあわせて、いまいち全体のこなれがよくない。 ただまあ、現実に登場してしまった巨大怪獣ジメラをそのまま商品化しても版権的な利潤が得られないので、やはり当初のとおり映画オリジナルの怪獣を生み出さねばならないというあたりには笑った。しごく大雑把ではあるものの、正に本作の根幹には、そんな経済の論理がある。 全体に、ああ、この固有名詞は、あるいはこの話題は、現実の怪獣ブームのなかでのアレだな、と笑って軽く読めばいい作品だけど、一方でたしかに、現実の自分の少年時代、『怪獣大戦争』や『ガメラ対バルゴン』の封切りやテレビ放映を観ていたあの時代に、実際にネス湖でネッシーが捕まっていたらなあ……世の中はさらにさらに楽しかったろうなあ……的な感慨を改めて感じさせてくれる、良くも悪くも願望充足的な一冊であるのも事実。 あんまりズルズルとイイオトナが耽溺するのはアレだけど、まあこういうのもタマにならいいんじゃないでしょうか。 最終的にはね、こういうものって、いろんなセンスの部分で勝負する作品だとは思うけど。 |
No.1979 | 6点 | 悪女イブ ハドリー・チェイス |
(2024/02/23 05:56登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと現在40代初めの作家クライブ・サーストンは若い頃に、同じアパートで結核で死んだ同世代の劇作家の卵ジョン・コールスンの遺稿を盗み、自作として世に出した。その戯曲『レイン・チェック』は大評判となり、クライブはその後、自分自身の真の創作として数編の小説を著述。それらはそれなりのヒット作となるが、決して『レイン・チェック』を上回る作品ではなかった。クライブは恋人の女優キャロル・レイ、献身的な執事ラッセル、そして敏腕女性文芸エージェント、マール・ベンシンジャーたちの応援のなかで次作にとりかかろうとするが、自身の才能の限界を覗いた彼の筆は大して進まなかった。そんな焦燥の念と前後して、クライブは読書家の娼婦イブ・マーロウと出会う。 1945年の英国作品。 近所のブックオフが閉店したので、およそ一週間前の全品50円セールの際に購入した文庫本(旧訳・93年の20版)である。これも絶対に、すでに買ってあるのが家のなかにあると思うが、すぐに出てこないので、まあいいや。 大設定となる故人の原稿の盗作の件を除けば、事件性や犯罪要素などはとことん希薄な話で、そういう意味ではこれまで読んだチェイス作品のなかで最も普通小説に近い。味わいは、アルレーでシムノンで、ハイスミス、それら全部の作風のミキシングで、ミステリ要素の少な目な感じだ。 タイトルロールにしてキーパーソンのイブは悪女というより、まんま主人公クライブの運命を変えていくファムファタル。kanamoriさんも指摘しているように、実はさほど悪いことはしていない。 イブの魔性でクライブが蟻地獄に落ちていくというよりは、単にイブを触媒にしてクライブという物書き&男性としてのダメダメが浮き彫りにされていく流れ。 正直、クライブはここ数年で出会ったなかで、最大級に読んでいてイライラを募らせられる、そんな男性主人公であった。 うむ。チェイスの狙いがそこにあるのなら、まさにこの作品は見事に成功している。 最後のエンディングはややナナメ上にまとまり、はーん、という感じ。まあある種の余韻はなくもないが、これこそオフビートな感覚のクロージングであった。 1945年の刊行というが、第二次大戦の影はあまり感じられない。明確な時代設定の年数とかは出てこなかったと思うけど、もしかしたら戦前の設定のストーリーだったのだろうか。P155にまだボガートが健在で、最近作を観に行く描写があり、ちょっとしんみりさせられた。読みごたえとしては7点でもいいけど、あまりに主人公が××なので、一点減点。 いや、だから前述のとおり、ソコこそが、この作品のミソなのかもしれんけど。 |
No.1978 | 8点 | バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵 真門浩平 |
(2024/02/23 02:40登録) (ネタバレなし) 連作短編集でもあるし、あらすじは省略。 ノーチェックだったが、文生さんのレビューで気を惹かれ、一読してみる。 ……………………………………………………………………………………(絶句)。 謎解きミステリとしての練度の高さでも十分に評価できる作品だが、その輝きを認めた上で、自分にとっての求心力のコアは、別のところにあった。 一番近い既存のものでいうなら、最後の余韻は、アメリカの1950年代デビューの、あの作家の持ち味にかなり近かった。 良い意味でかなりとんがったものを読ませてもらったという意味で、評点は高めにつけておきます。 一方で本サイトでも、今後、評が割れそうな気配もあるし、さらに言うならこの作者、これ一冊で消えそうな気もしないでもない。 まあ、思うことはあれこれ。 |
No.1977 | 5点 | 殺人狂株式会社 若桜木虔 |
(2024/02/21 18:30登録) (ネタバレなし) 警視庁捜査一課の青年刑事・工藤裕之は、上司の石岡一仁警視から奇妙な指示を受ける。それは港区に在する株式会社「殺人狂」の内偵で、同社は各方面に殺人を代行するとのダイレクトメールを郵送の文書で送っていた。工藤が同社に赴くと、代表と称する妙齢の美女・土門江利子が現れ、彼女は、人道的に正当な理由さえ確認できれば一件1000万円の報酬で報復殺人を行なっている、依頼人が困窮している場合は保険金の操作で報酬をひねりだすとうそぶいた。工藤は直接の逮捕もできない一方、江利子にひそかに一目ぼれしてしまうが、やがて「殺人狂」の犯罪とおぼしき奇妙な変死事件が発生する。 トータルとしては、若桜木センセ、天藤真あたりのオフビートな(そしてうっすらダークな)ユーモアミステリ路線を狙ったか? という感じ。 全十二章の各章の見出しがいずれも「殺人狂~」で始まるちょっとしたお遊びなんかは、クイーンの国名シリーズっぽい。 「殺人狂」組織とその主軸らしい人物・江利子の情報は、捜査本部が共有。犯罪を計画・実行・演出する「殺人狂」と捜査陣との対決の構図になり、その上でいかにアリバイなどの壁を崩せるのか、どの実行犯がどのように実際の犯行を為したのか、のミステリ的な興味が築かれかける。ここらはちょっと謎解きの要素が前に出て、なかなか面白い。 ただまあ、最後まで読むと割とありがちな解法で決着されるし、それ以前に対極する両陣営のうち、捜査陣の側からしかほとんど描かないものだからイマイチ話も盛り上がらない。こういうのって、悪の主人公側の描写もそれなりに(肝心の部分はギリギリまでシークレットのまま)叙述を連ねて、対決ものを期待する読者の緊張感を煽るのがセオリーだと思うのだが。 それなりの意気込みは感じるが、最終的にやっぱりいまひとつホンモノになりきれなかったB級半作品、という印象。ただ作者が意外に「書ける」作家だという認識は、改めて感じた。この評点の上の方で。 |
No.1976 | 5点 | 殺人は展示する マーティ・ウィンゲイト |
(2024/02/19 08:45登録) (ネタバレなし) 数年前に逝去した英国の巨匠ミステリ女流作家ジョージアナ・ファウリング。彼女の遺産と蔵書を母体に創設された文芸団体「初版本協会」で「わたし」こと40岱後半の離婚女性ヘイリー・バーグは、蔵書のキュレーター(鑑定士)を務めていた。協会は外部向けのイベントとして、ジョージアナの生涯と英国ミステリ界の大家たちとの交流を紹介する催事を企画。ヘイリーはその計画の準備を担当し、外注スタッフとして、知己である売れっ子の催事マネージャー、ウーナ・アサートン女史に協力を求める。だがその催事の準備の最中に予想外の殺人事件が発生した。 2020年の英国作品。ヘイリー・バーグを主人公にしたシリーズの第二弾。 前作はかなりメチャクチャにけなしたが、今回は割と面白かった。 nukkamさんがおっしゃっている、楽しめる人はその辺が楽しめるのでは? という催事の準備プロセスでの主人公の奮闘、彼氏の双子の娘との対面ドラマ、その辺りが正にドンピシャでキャラクタードラマとしてなかなかオモシロイ。 (ただしセイヤーズの初版本探しのくだりは、現状で特にセイヤーズという作家に強い思い入れもなく、さらにモチーフの作品『殺人は広告する』も未読なので、あまりココロに響かなかった~汗~。) 犯人と事件の真相に関しては、まあ無難でフツーな線だね、という感じ。動機がらみのとある文芸(P448で明かされるそれに至るまでの伏線)はちょっとだけ面白かったかも。 いずれにしろ、前作よりは全体的にずっと楽しめた。少なくとも前回のような、スーダラな登場人物たちの言動てんこ盛りでイライラさせられることはない。 それでもトータルとしては、依然まだ「まぁ楽しめた」なので、この評点で。 |
No.1975 | 6点 | 警官ギャング ドナルド・E・ウェストレイク |
(2024/02/18 16:56登録) (ネタバレなし) マンハッタン第15分署の「わたし」こと、34歳の三級刑事トム・ガリティー。そして「おれ」ことパトロール警官で32歳のジョー・ルーミス。住宅街で隣人同士であり、ともに家族ぐるみの交流がある二人は、NY市警中に汚職が蔓延し、人間の暗い面、哀しい面を直視する日々の職務にうっすらと疲れを感じていた。そんななか、トムは偽警官の強盗犯罪に着目し、自分たち本職が<ニセ・偽警官>の強盗を演じて行えば誰よりも<本物らしい>犯行ができるのではと考える。折しも署内ではマフィアの大物アンソニー(トニー)・ヴィガノが一時的に逮捕され、保釈されたが、トムはそれを縁にマフィアを故買先に選び、彼らの求める物品を市内から強盗しようと思案した。 1972年のアメリカ作品。 1974年の邦訳刊行時、少年時代にリアルタイムで読んでいるが、しばらく前にネットオークションのノベルズまとめ買いでもう一冊手に入ったので、それを機会に再読してみようという気になる。ウエストレイクの邦訳のなかでもレア本の部類のようで、Twitter(X)を覗くと捜していたとか、見つかって嬉しい、とかの声もチラホラあるが、本サイトでもまだレビューはない。 もともとはユナイト映画から、オリジナル映画の原案を求められたウェストレイクがプロットを提供したストーリーだったが、原書の版元エヴァンス社の編集が、だったらメデイアミックスで小説化して刊行しよう、と声をかけ、原案者自身がその小説版を書いた。これが本作で、要は映画の企画先行という意味では、フレミングの『サンダーボール作戦』などと似通う面もある。 ちなみに評者は、映画はいまだ未見。配信とか映像ソフトとかで、どっかで日本語で観られるのだろうか? 気づいたらあまり意識したことなかった。 なお本作は邦訳刊行当時、SRの会のその年・1974年度の海外ミステリ・年間ベスト(75年の春に実行)のベスト5内にもランクイン。少年時代の評者はフツーに面白く読んだ覚えがあるが、SRの会誌「SRマンスリー」の当時の年間ベストの総評で、「ウェストレイクの中では決してできがよくない作品なのに、ちゃんとベスト入り。やはり概して翻訳作品のレベルは、国内作品より高いのだ!」という主旨のコメントがあり、はて、これで出来が悪いのかな? とも考えたりしていた(まあ、当時の自分は当然ながら若年だったこともあって、まだウェストレイク名義の作品はそんなに読んでなかったが)。 で、改めて再読してみると、う~ん。当時のSRのくだんの会員氏の感慨も、今さらながらにわからないでもないなあ……という実感。 いや決して出来が悪いとは思わないし、フツーに二時間ちょっと楽しめるのだが、なにせもともとが二時間前後の映画用のプロット。意識的にお話をあまり広げず、シンプルにまとめた感じが強い。ギャグやユーモアも全編にうっすらとあるけど、作者のノリの良いときの過剰な暴走感はほとんどないし。 主人公コンビの一人称の切り替え、さらに三人称の混交、など、小説的な技巧はそこそこ感じるんだけどね。 本作はある意味で、作者(映画の原作原案者)自身による公式ノベライズという立場で書かれた一冊ゆえ、小説は小説で別もの、的にできなかった面もあるのかとも考えた。 これが他人の創案、創作のプロットや別人の原作の映画をあらためてさらに別の作家がノベライズするなら、編集者や版権元ほか関係者の許可の範囲で、かなり大幅にいじくることもあったのじゃないか、とも考えたりする。そういう場合の方が、小説の書き手が「小説は小説で別の面白さを感じさせてやる」と気概を見せることも多いでしょ? よく言えばコンデンスにまとまった、悪く言えば曲のない話で、小説単品を読んでの感想を語れば、トータルとしては佳作の上、という感じ。今後古書にそれなりのお金を払う人は、そのつもりで購読されるのがよいと思う(一方で、決してつまらない作品でも凡作でもなく、フツーにそこそこ楽しめはするが)。 ちなみに劇中で被害にあうNY市内の大手商会の要人の名が「レイモンド・イーストプール」。当時、翻訳が出る前にミステリマガジンの連載で、原書を先に読んだ(映画をすぐ観た、だったかな?)アメリカ在住時の木村二郎さんが、「ウェストレイク(西の湖)」のセルフパロデイのネーミング(東の沼)だと大笑いしていたのを思い出したが、今回改めて読んで、商会そのものの名前が「パーカー、トビン、イーストプール商会」なのに気づいてさらに笑った。「悪党パーカー」や「刑事くずれミッチ・トビン」ファンには説明は不要であろう。その辺の地口ギャグは、さすがウェストレイク。それっぽい。 |
No.1974 | 8点 | アトランティスのこころ スティーヴン・キング |
(2024/02/17 10:09登録) (ネタバレなし) 1960年のコネティカット州。幼い頃に父ランダルと死別した11歳の少年ボビー・ガーフィールドは、地元の不動産会社に勤務する未亡人の母リズとアパートに暮らしていた。だがそこにテッド・ブローディガンと名乗る60歳代の老人が入居。テッドと親しくなったボビーは彼から読書の楽しみを教わるが、そんなテッドにはある秘密があった。 1999年のアメリカ作品。 上下二冊で合計1000ページを超えるいかにもキングらしい長編だが、二日で一冊ずつ読了した。例によって読み出すと止められない。 2002年に映画化もされているみたいだが、評者は未見。脚本がウィリアム・ゴールドマンだそうで、同人は以前に『ミザリー』の原作の良さを引き出せなかったシナリオを書いているので、いささか不安である。 で、その映画版もあるので本作の大ネタはけっこう未読の人にも知られているかもしれないが、一応ここでは黙っておく。ちなみに評者は別筋で、一番の大きな趣向については知っていたが、それでも十分に面白かった。 以下、ギリギリまで書いていいだろうということのみ語るが、文庫版の上巻一冊が1960年を時代設定にした第一部で、これだけで十分に優秀作の長編小説。少年の日のある種のときめきが主題なので素直に『スタンド・バイ・ミー』を想起してももちろん良いが、個人的にはまんま、フレドリック・ブラウンのエド・ハンター&アンクル・アムの世界をキングが書いたらこーなる! であった。つまり私にとって主題と作者の最強最高クラスのマッチングで、本当に面白い。 で……(以下略)。 それで後半、文庫版の下巻は、少しずつ時代が現代に近づいていく設定の中短編が連作的に並べられ、上巻の長編第一部とあわせて全部で5パートの物語の流れが本作『アトランティスのこころ』というひとつの小説世界を築く。 順当に長ければ長いほど良い、面白いという感じで第一部、第二部に関しては文句ないが、第三部の短編は、一見すると「ん?」という感触。ただまあ最後まで読むと、短い短編小説風のパートの役割もわかる。単品としてはそのパートはあまり面白味はないが。 (それでも第四パートは、ちょっといいかな?) 話をまとめにかかる最終パートは良くも悪くも、ああ、そう来るのね、という感じで大きな驚きも感銘もないが、それでもしみじみとした情感と余韻のなかで決着。 ちなみに映画は第一部とこのエピローグ的な第五部だけで構成してあるらしい。そんな話を聞く限り、順当な作りというか、構成上のアレンジなんじゃないかな、とは思える。 1960~70年代にベトナム戦争の波及をリアルタイムで実感した当時のアメリカ人にこそ直球、という作品だが、作者キングの筆遣いは普遍性を込めて全世代に「他人の人生は共有なんか絶対にできないが、互いの接点のわずかなつむぎ合いにこそ意味がある、価値がある」という主題を訴えている感じ。その意味で、特に読者を限定する作品ではなかった。繰り返すが、第一部も第二部も、実にキングらしくて読みごたえがあり、そして心に響いて面白い。 ……で、その上で、この作品を本当に楽しむには(以下略)。 またいつか<そういう興味とそういう視座>で、この作品を読み返すこともあるのかな? そこに行くまで、かなり長い道筋になりそうだけど(汗)。 |
No.1973 | 7点 | 人類法廷 西村寿行 |
(2024/02/15 13:27登録) (ネタバレなし) 1983年9月15日。長野県の山中を運行中の観光バス三台が、いきなり謎の狙撃者から連続で銃弾を浴び、運転手が死亡した先行車が崖の下に落下。急停車した後続のバスから逃げる乗客や乗務員も射撃された。現場は死者105人、負傷者54人の大惨事となるが、犯人の「東洋スポーツ」元社長・沼田光義は、近隣のホテルに押し入り、若妻を凌辱している最中に逮捕された。だが沼田は長野地裁の公判では、アルコール酩酊で心身鈍弱状態だったとして刑法39条による無罪が宣告された。これを不服とした被害者たちは、老いた両親を殺された政治家・柿丘五郎をリーダーに被害者同盟を結成。沼田の実家の会社・東洋スポーツに損害賠償を起こそうとするが、母と妻子を殺された雑誌編集者・真琴悠平は加害者の家族もまた苦しんでいると反対。真琴の意見に賛同した、両親を殺された女子高校生・岩波直美ほか数十名の声をまとめる形で、妻と孫を殺された老資産家・神崎四郎は法規ではなく人類の名において沼田を裁く有志団体「人類法廷」を結成する。だが事件の真実を、そして沼田の内面をさらに探ろうとする人類法廷の活動の向こうで、何者かが沼田を警察病院から連れ去った。 徳間文庫版で読了。 主題から、寿行版『法廷外裁判』(実はまだ未読)か『七人の証人』(こっちはさすがに読んでる)みたいなハナシかと思っていたら、序盤の展開を経て謎の? 第三勢力が登場。その素性はすぐにわかるが、ストーリーはあらぬ方向へと転がっていく。 司法組織やときにマスコミ、そして犯罪者たちと対抗しながら事件の奥にある真実を追い詰めていく「人類法廷」の面々だが、彼らもまたあくまでメインキャラクターの一角にすぎず、小説の描写は多彩な三人称視点を活用しまくり、自在にあちこちの場面を転々とする。途中から人類法廷側のメインキャラの増員も行なわれ、直接、被害者の仲間ではないが、人類法廷の活動に関わったことから中盤以降、大活躍する左脚が義足の元・新潟の刑事・念沢義介は特に印象に残るキャラ。人類法廷内のメンバーで、荒事を担当する元自衛隊員・雪江文人の敵陣での潜入工作の描写もなかなか強烈。 寿行らしいおなじみのエロバイオレンスは冒頭の若妻への暴行シーンをはじめ随所にあるが、それでも全体的には多数の寿行作品のなかでは、独特の風格を感じさせる内容。良くも悪くも、最終的な物語の到達点には、軽く唖然とさせられた。 つづら折りの物語を剛腕でドライブさせる作者の筆力はさすがで、冷静に考えればさすがに強引な箇所も各所にあるのだが、読んでいるうちはさほど気にならない。 独特なテーマへの接近、読み手の予想を裏切って話を転がしていく寿行らしいパワフルな作劇さなど、相応の手ごたえは感じる一冊で、佳作~秀作。 |
No.1972 | 5点 | カラス殺人事件 サラ・ヤーウッド・ラヴェット |
(2024/02/15 02:54登録) (ネタバレなし) その年の8月25日。英国の片田舎ベンドルベリーで、まだ26歳の新妻で荘園領主のソフィ・クロウズが何者かに殺害された。地元警察のヴァル・ジョンソン女性警部、そしてジェームズ・クラーク巡査部長は、事件当日に被害者と面談する約束をしていた33歳の生態学博士でコウモリ研究が専門のネル・ワードに疑惑の目を向ける。だがその一方で、ジェームズは美人のネルに内心で一目ぼれしてしまった。 2022年の英国作品。 邦題にカラスとついていて、主人公が生態学者(本作では動物学者と同意)というから鳥類のカラスが事件の主題かモチーフになる内容かと予期したら、とんでもない。被害者の名前がクロウズ(複数のカラス)だから、それだけの話だった。 2020年代に甦ったキーティングの『パーフェクト殺人』(完全殺人ではなく、パーフェクトという名前の被害者が殺されかかる)か(笑)。 単純に? 美人生物学者というだけではなく、あるパーソナリティを持った女性主人公ネルのキャラクターが掘り下げられ、同時にジェームズ刑事やネルの同僚のインド系学者アダム・カシャップとかの三角関係に筆が費やされる。そのほかにも総数50人以上のネームドキャラの動向が語られるが、一応は事件や捜査の方の進展もあるのでミステリ要素が忘れられたわけではない。 ただまあ演出としてミステリの結構やサプライズ、伏線なんかにあまり重きを置いてる作品とは思えず、キャラ描写やコウモリ関連の理系トリヴィアで読み手を楽しませようとしている感触。 正直、評者にはあんまりノレなかった。主人公ヒロインのネルのキャラは良くも悪くもない、まあ普通という感じ(それでもキモの文芸の部分だけは、さすがにちょっとキュンとなったが)。 ぶっちゃけ、Amazonでの総じての高評の獲得ぶりが理解できない。犯人もなんというか、実に普通だったし。すでに原作シリーズは6作まで書かれ、邦訳も第二弾が近々に出るみたいだけど、実際のところ、あんまり食指は動かないのであった(汗)。 |
No.1971 | 6点 | はじめて話すけど… 小森収インタビュー集 評論・エッセイ |
(2024/02/14 15:51登録) (ネタバレなし) 新刊の文庫版で読了。 「~傑作である。」小森収のことは、書評家&ミステリ研究家としてはそれなりに評価している(実作者としては、残念ながらダメダメだったが・汗)。 なのでどーにも、このヒトのインタビュー集ならと、事前の期待値が爆上がり。その結果、全体的に良くて当たり前。物足りないところや興味の接点がないところを減点する部分が強調されるという、あまりよくない読み方をしてしまった。 各務三郎(太田博)に関しては、なんで世界ミステリ全集の話題を聞いてくれなかったんだろう。 ほぼ満足したのは石上石上三登志くらいであった。あと三谷幸喜は『スパイ大作戦』談義の箇所がケッサク。これは同番組ファンなら必読のインタビューだと思う。 松岡和子あたりに関しては、インタビュアーが会いたかったのはわかるが、ちょっとこのまとまりのインタビュー本、インタビュー企画路線のなかで取材するのは人選ミスではないか? と、狭量で無教養な自分などは思ってしまった。とはいえいきなりトクマノベルズ版の87分署の話題などが出てくると、ミステリファンとしてコーフンする。 で、小森、なんでそこで、当時いきなりなぜ2冊だけ、87分署の翻訳権を徳間が横取りしたのか、ファンなら誰もが当時驚いて気になった裏事情を訊かない? 聞いてインタビュイーが答えられない(事情を秘匿したい)場合はその旨の会話を書いてあることも多いんだから、そーゆー記述ができるハズだ(まあ、個々の取材対象側の方のチェックで削除した可能性もあるが)。 得点的にはもちろん幅広い世代のミステリファンが読んでおいてソンはない一冊ではあるが、一方でその随所の中途半端さゆえ、アレコレとフラストレーションがたまる面も無きにしも非ず。 |
No.1970 | 7点 | おかしなおかしな大泥棒 テレンス・ロア・スミス |
(2024/02/13 05:57登録) (ネタバレなし) 1966年12月。アメリカのイリノイ州。高給取りの会社員で31歳のブ男ウェブスター・ダニエルズは、突然脱サラした。かたや大学時代からの恋人だった彼の妻リーナも現在のウェブスターが男性として退屈だと言い放ち、強引に離婚する。だが実はそんなウェブスターにはゆるい日常から抜け出て、上流階級の金品を狙う怪盗という第二の人生を歩むというひそかな目標があった。ウェブスターは盗みに入った不動産界の大物ユージン・ウォーカーの自宅から、かなり大量の汚職の証拠を発見。ウォーカーを脅迫して仲介役を求め、地元の上流階級の面々に仲間入りする。こうしてさらに金持ちたちの情報を得るウェブスターは、盗みの現場にチェス関連のアイコンを残していく謎の「チェス泥棒」として、どんどん活動の幅を広げていくが、ひょんな縁から「シカゴの社交界の魔女」と称する24歳の美女ローラ・デヴローが彼の恋人、そして盗みのパートナーとなる。荒事をギリギリ避けながら順調に怪盗稼業を重ねていくウェブスターとローラだが、そんな彼らの前に、52歳の辣腕保険調査員デイブ・ライリーが立ちはだかった。 1971年のアメリカ作品。 作者テレンス・ロア・スミスに関しては、本邦にこれ一冊しか翻訳されていないし、しかも本作も1973年の映画化&日本での公開に合わせてその流れで翻訳刊行されたもの。角川文庫版は昭和48年1月10日の初版。 原題「The Thief Who Came to Dinner(夕食に来た泥棒)」で英語のウィキペディアを検索すると、作者の生年は1942年。1988年12月7日に自動車事故で46歳の若さで亡くなったらしい。 (ところで父親がチャールズ・メリル・スミスというが、まさかあの「ランドルフ師」シリーズの作者か?! だとしたら、初めて知った! ←すでにどっかでその情報読んでいて、すっかり忘れてる可能性も大だが・汗。) 内容はかなり軽妙なクライムコメディ(70年代前半、ポルノ解禁後の~21世紀の今となっては、明るくゆるい~セックス描写も横溢)で、評者の狭いミステリ読書遍歴の中からあえて近いタイプを探せば、エヴァン・ハンターのケッサク『ハナの差』辺りか。あと、ウェブスターとローラ、主人公カップルの関係はジェラルド・A・ブラウンの秀作『ハロウハウス11番地』なんかも思わせる(向こう程シリアスではないが)。要はね、青木雨彦さんの「夜間飛行」「課外授業」のネタ本の世界だよ……といって、世代人以外に通じるだろうか。まあいいや(笑)。 主人公ウェブスターの怪盗稼業がホイホイうまくいきすぎるのは、正に、これはそういうリアルファンタジーだから、で済むハナシで、ここで怒ってもしょうもない(それでも終盤にそれなりのピンチに陥るが)。 むしろこの時代のエンターテインメントノワール・ミステリとしては、あっけらかんとしたポルノ描写(盗んだ宝石を欧州の故売屋に届けに行くセスナ飛行機のなかで、ローラとエアセックスをするくだりに艶笑)とか、ほかの主要人物もふくめて、男女たちのくっついたりくっついたりの連続とか、どこかオフビートなノリの良さに心地よさを感じる。 くわえて中盤から登場する敵役の保険調査員ライリーが後半には第三の主人公といえる比重になっていき、その枯れた中年キャラクターもなかなか魅力的。ウェブスターとライリー、最終的にどっちがどう勝つの? 結局主人公は捕まるの? 死ぬの? という興味で順当にグイグイ引っ張っていく。 ラストがどう決着するかはもちろんここでは書かないけど、まあね、うん、という感じに落着。個人的には不満はない。 まあヒトによっては軽い読み捨て娯楽作品、程度の一冊かもしれないけど、細部の随所の小説的な味わいもあって、こーゆーのも評者はスキだったりする。 ちなみにウェブスター主役の続編は1975年にもう一冊書かれたらしい。もちろん未訳だけど(うー)。 なお映画は主人公の名前を「ウェブスター・マッギー」に変えて美男ライアン・オニールの主演で映像化。 原作では序盤からブ男と何度も自他ともに連呼されて(ハゲでもみあげでヒゲの男だ)、盗みで儲けたカネで植毛したり、小規模な整形をしたりして容姿を少しずつ整えていく主人公のキャラなので、まるでイメージが違う。評者は映画はまだ未見だけど、先に映画から観てそのイメージでこの原作を読んだヒトはかなりアレだったのではないかと。 (まあローラ役が、黄金期のジャクリーン・ビゼットというから、今からでも観たい! という気には改めて、なってきた。ただし日本語版DVDもまだ出てないらしいが。) あと翻訳はフォーサイスの篠原慎なので一流の座組だが、本当に地の文までちゃんと全部訳してくれているのか? と思うくらい、省略法の効いた(一応いい意味で)叙述で、ポンポン弾んでスイスイ流れるように話が進んでいく。のちの「超訳」めいたことだけはしてないことを願いたい。いやまあ、まったく疑う根拠はないんだけど。 最後に、小説は冒頭からレン・デイトンやスタウトの引用で始まり、各章の最後に当時の現代ミュージックの曲名をイメージ的に入れるなどけっこうオシャレな演出。洋楽の方は全然詳しくない評者だけど、そっち方面がスキな方は機会があったら覗いてみてください。 |
No.1969 | 7点 | 孔雀屋敷 フィルポッツ傑作短編集 イーデン・フィルポッツ |
(2024/02/13 03:10登録) (ネタバレなし) 意外にも巨匠フィルポッツの、初の日本語での短編集だそうである。内容は独自に編集。そういえば確かにこの人の邦訳の単独書籍は、長編しか見たことなかった。 6編を収録。 以下、簡単に感想&メモ。 ・「孔雀屋敷」(1926年の短編集に収録) ……35歳の独身の女教師ジェーン・キャンベルは、デクオン州に住む彼女のゴッドファーザーで亡き父の友人だった85歳の古老ジョージ・グッドナイフ将軍の家で、休暇を過ごす。だがジェーンは近くの「孔雀屋敷」で世にも不思議な状況に出会う。 オカルト要素を仕込んだ奇譚風のミステリ。骨組みのしっかりした話で、なかなか。良い意味でおとぎ話っぽい。 あーそーいえば、確かにこれ、旧訳が「日本版ヒッチコック・マガジン」に載ってたな。たぶん読んでなかったけど(汗)。 ・「ステパン・トロフィミッチ」(1926年の短編集に収録) ……ロシア文学の短編風の物語。終盤でミステリに転調するが、それがなかなか鮮やかというか心地よい。猫への虐待描写が不快。 ・「初めての殺人事件」(1921年の雑誌初出) ……運命はふとしたことから……テーマのミステリ。なんかこれも、苦いおとぎ話を読むような面白さがあった。 ・「三人の死体」(1921年の雑誌初出) ……乱歩のアンソロジーに収録の「三死人」の新訳。そーいや、たぶんこれも読んでなかったなあ。「初めて~」路線の、当人は一本筋を通したつもりで、周囲に迷惑がかかる話……というか。足で調べまわり、真相に迫る主人公の描写と、終盤の(中略)。これもイケる。 ・「鉄のパイナップル」(1926年の短編集に収録) ……イカれた男のイカれた話。狙いはわからんでもないが、本書中では一番つまらなかった。フィルポッツのおなじみの主題っぽい? そうといえばいえるかもね。 ・「フライング・スコッツマン号での冒険」(1888年) ……小冊子の形で単独刊行された短編(短めの中編)だそうで、フィルポッツのいちばん最初の著作(著書)といえるものらしい。ディッケンズの世界のコンデンス版みたいな内容で、なかなか面白かった。 書籍一冊のジャンル的には「三人の死体」だけが、まあ「本格」といえるかで、これ(短編集まるまる一冊)なら「短編集(分類不能)」が適当だと思えます。 総じて、少年時代に学習雑誌の別冊付録で、ジュブナイルにリライトされた海外の名作に出会い、ああ、ミステリって面白い! と感じたころの初心的なトキメキに再会するような作品ばっか。 そういうのに何を今さら、的に価値を見出さない人(それはそれで健全だと思うが)にはあまり意味のない一冊かもしれん。でもね、私にはこの原石ゴロゴロみたいな感触が、とても心地よかった。 というわけで個人的には、予想以上に楽しい中短編集でした。100点満点で70点とか80点の意味合いでの7点じゃなく、二重丸とか花マルという意味での7点かもしれんけど、とにかくこの評点で。 同じ作者のこの路線の続刊も出てくれればいいなあ。 【2024年2月13日21時追記】 ジャンル分類の投票で、[ 短編集(分類不能) ]への改訂にご協力くださいました有志の方、ありがとうございました(大感謝)。 無事におかしくないジャンルになったので、本文を部分的に改訂いたしました。御了承のほどをお願いいたします。 |
No.1968 | 8点 | 地雷グリコ 青崎有吾 |
(2024/02/11 19:51登録) (ネタバレなし) 前半は、悪くはないが、そんなに評判ほどにイイかな……? という感触。 だが第3話で<ソッチ>の方向に舵を切ってから、ハジけた。 そして星越高校(&絵空)との対決編である山場の第4・5話は、怒涛の勢いであった。 クライマックスは、青春ドラマとしてのまとまりの良さにも涙が滲む。 でもベスト編は第5話と僅差で第4話。 勝負が決まる瞬間の真兎の、地味にサディスティックな物腰がたまらない。 当然ながら青崎先生は続編シリーズを書く構え満々のようで、これは楽しみ。今後は異性の恋愛からみのライバルとかも出て来るんだろうなあ。 |
No.1967 | 5点 | ゴア大佐の推理 リン・ブロック |
(2024/02/11 09:50登録) (ネタバレなし) 1922年秋の英国。第一次世界大戦に従軍後、中央アフリカの現地で民俗学の調査に加わっていた探検家「ウィック」ことワイカム・ゴア大佐は、9年ぶりに母国に戻った。43歳の彼は少年時代から妹のように接していた女性で、今は30歳の人妻バーバラ・メルウィッシュの住む住宅地リンウッドを訪問。バーバラと再会したのち、彼女からその年の離れた夫で医者のシドニーを紹介される。さらに多くの知己と旧交を温め、そしてそこから交流の輪を広げるゴアだが、リンウッドの町にはある秘密が潜んでいた。やがて事態は、一人の人間の急死へと連鎖し……? 1924年の英国作品。ちょうど丸々一世紀前の、長編ミステリ。 名のみ聞く(一応、長編はすでに一冊、訳されているが)作者リン・ブロックの代表作で、ヴァン・ダインやセイヤーズが(たしか乱歩も)話題にした「ゴア大佐」シリーズの第一弾。 ワセダ・ミステリクラブ出身(森英俊などと近い世代らしい)の翻訳家で、近年はヴァン・ダインの新訳改訳などを精力的に行なっている白石肇が自費出版の形で、まったく新規に発掘翻訳したこれまで未訳の一冊。 こーゆーものを半ば同人出版(でもAmazonで買えるぞ)で日本語にしてくれる企画力は本当に頼もしい、素晴らしい、嬉しい。評者は本シリーズの既訳作『醜聞の館』はまだ手付かずだったので、これはラッキーと、このシリーズの1冊目から読んだよ。いや、前述のとおり、少年時代から正に名前のみは聞いて、あちこちで(?)タイトルは見ていた作品だったんで。 ただまあ、正直、中味は良いところと、う~ん……な部分が相半ば。 こなれた翻訳の流麗さはあってお話そのものはスイスイ進むが、一方で随所で、え、そっちの方向に行くの? とか、さらには、またその話題というか案件にこだわるの? というジグザク&足踏み的な筋運びがどーも気に障る。 で、巻末の訳者による解説を本編の通読後に読むと、ヴァン・ダインも、大枠では作品をよく書けている、犯罪も工夫されてる、とホメる一方、話が重たくてくどい、と苦言を言ってたそうで、自分の感想も正にソレ(笑)。 いや、正直、最後に明かされる真犯人の設定というかアイデア自体は、かなり驚かされました! ただまあ、それが伏線や手掛かりを追い求めていくフーダニットのパズラーの醍醐味になってるかというと、う~ん……。 あと、バイタリティたっぷりに飛び回る主人公ゴア大佐のキャラクターはいいんだけど、この設定、題材なら、もっと敷居の低い庶民派メロドラマベースにしてほしかったなあ、という気分。これを読むとフリーマンとかクロフツとかが、同じ地味系でも、ちゃんと全般的にエンターテインメントしてるのがよくわかった。 つーわけであまり高い評点はあげられませんが、それでもそれでも、とにもかくにもこんな何十年ものあいだ日本のミステリファンにとってマボロシだった作品、引っ張り出して翻訳してくれたこと自体が感動で偉大な成果です。 しかも既訳の第三作『醜聞の館』に続くシリーズ第二弾の方も白石氏は翻訳を考えているというから、やっぱりウキウキしてくる。 今度はもうちょっと、ミステリとしてお話として、楽しめればいいなあ、というトコで。 |