人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2194件 |
No.2074 | 6点 | 火星年代記 レイ・ブラッドベリ |
(2024/07/05 02:46登録) (ネタバレなし) 早川SF文庫版の旧版で読了。本短編集を携帯して外で少しずつ読んだり、寝床に持ち込んで就寝前にちょっと読み進めたりで、三週間ほどで読み終えた。 本来の連作短編としてなら十三本。さらにその十三の挿話がエピソードによってはもっと分割される仕様なので、総計30編ほどの小中の物語が多様な主人公を軸に紡がれていき、その集積が大きなひとつの物語を語るクロニクル形式。こんな作りだから、ちびちび読むにはとても都合がいい。逆に言えば、どんどん次の話を読み進めたいというベクトル感はあまり生じず、一編一編を噛み締めていったが。 すでに文明と生物の種の衰退が目前である火星人が、地球から良くも悪くもイノセントな心根でやってくる地球人に応対。招かれざる来訪者である地球人に対し、火力的な武器などをほとんど持たない火星人はテレパシーと幻覚能力で応じて相手の心を操作、その結果、いろいろな挿話が地球人側にも火星人側にも築かれていく……というのが基軸の作劇。そういった形質を外れた、もう少し自由度の高い物語もいくつかある。 火星と地球の種と文明、そのふたつの遭遇と絡みあいには種々の寓意が含まれるし、ルーティーンな作劇とはちょっと変化球的な手法でズバリ人種差別問題が語られたり、かなりダイレクトにミステリやホラー、幻想文学、SFを弾圧する未来図を通してブラッドベリの主張が響いたり、積み重なっていく話のバラエティ感は大きい。 (後半の話のひとつは、手塚治虫の中期の青年漫画の名作『地球を呑む』のある番外編的なエピソードを思い出したりもした~まあ、こう書いても、絶対にネタバレにはならないだろ。ストーリーそのものは別だから。) 実のところ作中の時間経過としては、わずか30年弱の物語ではあるが(これは目次を見れば一目瞭然なので)、古代からの文明を背負った火星人たちの末裔の影が全編に覗くため、物語の奥行きはかなり深い。その辺の二層的な世界観の多重構造は、おそらく作者の自覚していたことだろう。 終盤の火星と地球の迎える去就~そして未来には万感の念を抱く(どういう方向に決着するかはもちろんここでは言わないが)が、二つの天体の文明と種の対比は、読み手にある種のメッセージを響かせて終わる。 とはいえ1946年の新古典作品。中盤の話のなかには正直、かったるいのもないでもなかった(汗)。いい話はすごくいいんだけど。この数字の上の方で、という意味合いでこの評点で。 |
No.2073 | 8点 | 偽りの学舎 青木知己 |
(2024/07/04 09:06登録) (ネタバレなし) 「私」こと、浅間山の周辺で妻の祐子とともにペンションのオーナー業を営む30代後半の、元警視庁刑事・来生(きすぎ)は、ある日、元部下で友人だった現職の警視庁刑事・新田裕貴の訪問を受ける。新田は後輩にあたるという二十代の女性、水口沙織を紹介。その沙織は、全国に一万人規模の塾生を抱える大手学習塾「栄秀学園」の社長・片貝栄作の秘書だったが、その片貝に生命の安全をおびやかす脅迫状が来ているという。そしてその脅迫状には差出人の署名があるが、それは2年前に死亡した元・栄秀学園の関係者だった。外聞をはばかる世界ゆえに極秘の調査を頼まれた来生は、新任講師として栄秀学園に潜入。そこに潜む真実を探ろうとするが、彼の前には不可解な人間消失事件をふくめて、奇妙な謎と事件が続発する。 本サイトでも評者をふくめて割と読まれている、マスターピース短編ミステリ集『Y駅発深夜バス』(2017年)。 その作者・青木知己がそこからさらに10年前の2007年に上梓したまま、いまだ文庫化もされていない(電子書籍化はされてるらしいが)デビュー長編。 ここのサイトでもまだレビューがない、どんなかな? と興味が湧いて図書館を利用して読んでみたが……いやいやいや、謎解きパズラー要素の強い国産ハードボイルドだったのね! これは驚きました。 しかしながら、主人公をふくむ登場人物たちの造形、話の転がし方、不可能犯罪のトリックを設けた複数の謎の提示、伏線の張り具合&回収具合、そして種々の描写に感じる<国産ハードボイルドのこころ>と、これは非常に良いです。3時間であっというまに読んでしまったけれど、話のこってり具合は十分に満足のいくものでした。 特に某キャラの扱い、これは(中略)と予期して、結局(中略)なんだけど、そこがいいのよ。 ちなみに主人公の来生に奥さんいらないんじゃないか、という声もあるけれど、ちっちっち、たぶんソレは違う(笑)。作者がやりたかったのは、妻帯者でもちゃんとハードボイルド主人公になる、っつーことだろう(その文芸から始めて、ちょっとばかし面白い感じにストーリーの脇道の枝葉も生やしたりしているし)。 で、あえて本作の減点要素を言うならば、物語の世界の箱庭が狭すぎて、かなりの高い確率であちこちの登場人物のあいだに関係性が築かれてしまっている、そのことだけだな。 でもまあソレって、言い換えれば、パーツとして配置した登場人物をムダなく使いまくっているということでもあるしな。ホメる面とウラオモテの部分なのかもしれん。 で、17年も放っておかれているんだから、もう主人公の来生の復活はまずないんだろうけど、できれば今からでも考えを変えて、作者にはシリーズ化してもらいたい。一読者として今夜から、この主人公の復活の日を待っております(笑)。 |
No.2072 | 7点 | 身代りの女 シャロン・ボルトン |
(2024/07/02 07:57登録) (ネタバレなし) 英国のパブリック・スクール「オール・ソウルズ」。そこで上級監督生チームを務める6人の優等生の男女グループがある夜、全員で酒を飲んで車に同乗。その車が道路を逆走して事故を起こし、赤ん坊や幼女を含む母子を死なせてしまう。卒業を間近に控えたなか、自分たちの未来が灰色になったと絶望する若者たちだが、そのなかの一人の女学生がすべての罪をひっかぶった。だが種々の事情からその刑期は20年もの長きにおよび、それぞれが社会人として成功していた5人は、出所した彼女を迎える。 2021年の英国作品。同年度CWAスティール・ダガー賞候補作品。 作者シャロン・ボルトンは、2010年代のはじめに3冊のみ邦訳がある作家S・J・ボルトンの新たなペンネームだそうだが、評者は馴染みがないのでその意味や価値がよくわからない。ただしネットでの反響を見るとその事実に沸いている人もいるようで、たぶん当該のファンには嬉しい今回の翻訳なんだろう。 20年分の若い日の人生を喪ったキーパーソンのヒロインと、その彼女に対してふつうではとうてい返せない、あまりにも大きな「借り」を作った5人の元友人たちとの再会。この文芸設定を核とする物語がどのように転がっていくか、なるほどこれはこちらの下世話な覗き見趣味を刺激する。なんかアルレーのよくできた作品みたい。 出所してきたヒロインもくわせものならば、出迎える連中も素直にそのまま謝意と友情で報いようとする者などもほとんどなく、物語の前半からいろいろと際どいものが見えて来る。まああんまり書かない方がいい。 600ページ以上の長丁場の割に、ネームドキャラが少なく、モブキャラはほとんど記号的に名前すら与えられていない。その大胆な割り切りも、とても読みやすい。 で、丁々発止のやりとりにグイグイ引き込まれながら加速度的にページをめくったが、終盤の方は悪い意味でミステリっぽくしたため、なんか却ってツマらなくなった。 いや普通の作りのミステリなら、本作に盛り込まれたあれやこれやもアリなんだろうが、転調があまりに恣意的で、書き手のサービス? 過剰が読み手の求めるものを裏切った感じ。 それでも6分の5くらいまでは、十二分に面白い。あまりミステリっぽくない、人間ドラマを軸とした普通のエンタテインメントという感じもあるが、その上でいくつかの大小の謎や秘密は設定されてはいる。広義の……なら十分に途中までも、ミステリといっていいだろう。 こちらの思うまま中盤までのノリで最後まで突っ切ってくれたなら、9点もありだったかも。最終的には8点でいいか……とも思いもしたが、最後まで読み終えると終盤の様変わりの失望感が今ではじわじわ効いてくるので、もう一点下げてこの点数。 それでもまあ、読んで面白かった作品なのは間違いない。 |
No.2071 | 6点 | サイコハウス ロバート・ブロック |
(2024/06/30 18:53登録) (ネタバレなし) アメリカの中西部にある、地方の町フェアヴィル。そこではおよそ30年前にとある異常な殺人事件が起きた。そして現在、土地の実業家オットー(ファッツオ)・レムズバーグがその惨劇の場を観光用の名所として再現しようとしていた。だがそこでまたも生じた、陰惨な殺人。シカゴ出身の27歳の女流フリーライター、エミイ(アメリア)・ヘインズは過去の事件のドキュメント執筆の取材のため、フェアヴィルに足を向けていたが。 1990年のアメリカ作品。作者ブロックによる「サイコ」三部作の最終編。 絶対に、順番通りに読んでください。 数年前に読んだ『サイコ2』(これも先に前作・第1作目を必読のこと)がなかなか面白かったので、これも結構イケるんじゃないか、そろそろ読んでみるかと手に取った。 とはいえ今回は、バランスの良いさじ加減で変化球ぎみだった前作『サイコ2』に比べ、最後までフーダニットの謎をメインに引っ張る、良くも悪くもフツーのミステリっぽい。 かの殺人者のレジェント譚や現役の悪魔研究家など、ブロックらしい泥臭い外連味が盛り込まれているのはいいのだが、一方でこちらとしては、こんなメジャーブランドのショッカーホラー系ミステリシリーズならソレくらいは当然出て来るだろう、と想定内だったせいか、いまひとつ高揚しない。こっちが仕事疲れだったことも影響してるのかもしれないが、夜中に読んでてうっすら眠くなった(汗)。 で、真犯人の正体もこれはこれで真っ当というか、作者は工夫して考えていたのかもしれないが、情報の大きな一部が後出しすぎてどうもしっくりこない。<その文芸設定>をそのまま別キャラにスライドすれば、他の登場人物が犯人でもいいよね? これ? もしかすると実は三本のなかでいちばんまとまりはよいのかもしれないけれど、一方で、個人的にはいちばん楽しめなかった(汗・涙)。 読後にTwitter(現Ⅹ)などで先に読んだ方の感想を伺うと、『2』同様にこれ(『サイコハウス』)も面白い、という声もチラホラ。微妙な相性の問題もあるかもしれない? 気になる人はご自分で読んで確かめてください。 ただしシリーズ全三冊、絶対に最初から読むように(念)。 |
No.2070 | 8点 | 切断島の殺戮理論 森晶麿 |
(2024/06/26 15:40登録) (ネタバレなし) 「僕」こと「帝旺大学」人文学部人類学科の四年生、22歳の岩井戸泰巳は憧れの美人教授・植原カノンとの縁で、学内有数の頭脳集団「桐村研」のフィールドワーク調査に参加する。一行が向かったのは、地図にも載ってない、わずか二十数人の島民が暮らす孤島で、怪異で陰惨な人体の切断儀式がいまも続く「鳥喰島」だった。だがそこでは、予想もつかない凄惨な殺人事件が。 それなりの冊数を書いている作者ですが、たぶん評者は初読み。 今回は本サイトのメルカトルさんの激賞に背中を押されて一読しましたが、いや、最後まで(というか特に最後が)非常に面白かったです。 印刷媒体ミステリの構造上、クライマックスに突入してから謎解きが行なわれても、まだまだ紙幅が残っているので、このあとなんかまだあるな、とか予想がついてしまうのは、ナンですが。 広義のクローズド・サークル系ではあろうけど、限定状況ながらネットでの通信ができるという設定も特異でした。 切断儀式の描写の方は不快感を覚えそうな人も多く、実際に自分も読む前はそうでしたが、現物の作中ではほとんど凄惨さや陰惨さは感じませんでした(まあ、それでもその辺は人を選ぶかもしれませんが)。まあ、どこまでいっても(中略)な作品ではありますが。 伏線のバラまき方、わかりやすい謎解きロジックの開陳、そして……と非常に充実した作品だと思えます。良い意味で昭和のB級パズラーの優秀作といった質感も認めます。 とはいえ最後のアレは就眠前に読んでぶっとんだ。 寝て起きてみたらいささか頭が冷えてしまって、考えを見直したところもないではないですが(汗・笑)、アレがアルかナイかといえば、もちろん、アリでしょう。 ただ一方、読者が十人いたら、そのうちのひとりかふたりには、私の代わりにたっぷりと激怒してもらいたい、そんなところもあります(笑~大笑)。 本サイトをふくめて、中身の割に世の中の反響はいまひとつ地味なような気もしますが、メルカトルさんのおっしゃるように、今年の国産パズラー系のなかでは上位に評価されてほしいですな。 ところで、最後に出てきた名前って……? (こう書いても、特にネタバレにはならない、と思う。) |
No.2069 | 7点 | ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎 アントニイ・バークリー |
(2024/06/25 06:27登録) (ネタバレ……してるかもしれない) あらら。『ウィッチフォード』を読んでから、気が付いたら丸二年以上経っていたよ(汗・笑)。 自分のイメージの中にある<シェリンガム・シリーズ>はこの作品で、だいぶ形が定まって来た感じ。 真犯人の可能性については、かなり早期に念頭に浮かんだものが~(以下略)。 ちなみに単品で読むより、シリーズ順に読んでおいた方がたぶん絶対にいいね。バークリーは、読者が『ウィッチフォード』を先に読んでくれていることも勘案つーか、織り込んで仕掛けてきているだろ。 双方読んだ人にのみ、これが通じることを願う。 ほぼ一世紀を経た今でも通用する送り手の意地の悪さだが、当時はもっとショッキングであったろう。こういうのやっていいのか、と怒った(中略)なヒトもいたかもしれん。 あと、みなさんが話題にしている<くだんの創意>ですが、さすがにこれが嚆矢ということはないんじゃないかなあ。と言いつつ、先駆の実例がぱっと頭には浮かばないな。 まあもちろん思い当っても、具体的な作品名は絶対に書けないし、作者の名前すら書いちゃいけませんが。 |
No.2068 | 7点 | あなたに聞いて貰いたい七つの殺人 信国遥 |
(2024/06/23 09:42登録) (ネタバレなし) その年の夏、インターネットラジオの世界では、ある騒ぎが生じていた。それは若い女性を次々と殺害する謎の人物「ラジオ・マーダー・ヴェノム」が繰り返す、全7回と告知された殺人行為の瞬間の連続配信だ。そんななか、元銀行員で今は流行らない私立探偵稼業を営む「僕」こと鶴間尚は、Ⅹ大法学部の後輩の美人ジャーナリスト、桜通来良(さくらどおりらいら=ライラ)の訪問を受ける。ライラの希望は、巷を騒がす「ラジオ・マーダー」に対抗して、鶴間に匿名の「ラジオ・ディティクティブ」になってもらい、この連続殺人事件に挑んでほしいというものだった。かくして「ライラくん」をワトソン役に迎えた鶴間はふたりで「ヴェノム」事件に関わっていくが、そんな彼はやがて殺人犯の行動に、ある観念を見出した。 「ジャーロ」誌上の新人発掘企画「カッパ・ツー」の第三期受賞作品(真門浩平の『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』と同時受賞)。 あんまり意識しなかったが、改めて概観すると歯応えのある作品ばかりが登場している賞である。 で、この本作も外連味の塊みたいな新本格で、非常に面白かった。 ただし"犯人"は伏線が丁寧すぎて察しがつくし、一部の展開にはかなりの強引さも感じる(あと、真相の開陳を犯人自身の述懐に任せすぎるのも、ちょっと気になった)。 それでも中盤からのドライブ感と、クライマックスに判明する事件の真相はなかなか鮮烈。 演出の仕方でもっと際立った効果を上げられたんじゃないか? という伸びしろも感じるが、得点的には十分であろう(とはいえ、どっかの、評者がまだ出会っていない既存の新本格作品で、すでに前例めいたものがありそうな気もしないでもないが)。 まああんまり詳しく書いちゃいけないタイプの作品なので、ここでは、これくらいで。 そしてクロージングまで読み終えて<思うこと>はいささかあるけれど、その辺は、この作者の今後の作品を待たせてもらうことにしよう。 評点は8点に近い、この点数で。 |
No.2067 | 6点 | 凩の犬 西村寿行 |
(2024/06/21 15:10登録) (ネタバレなし) 国際的な謀略事件を担当していた元・警視庁捜査一課の刑事、舞坂正路(まさみち)は、その事件の渦中で敵の犯罪組織に愛妻を惨殺された。刑事の職を離れて犯罪組織に復讐を果たした舞坂は奥多摩の山中で、銀色と金色の左右の眼を持つ愛猫コガネ(黄金)とともに隠遁していたが、そこで一人の重傷の男と遭遇。彼から不可思議なダイイングメッセージを聞いた。そしてそれこそは、噛み技に長けた殺人犬「殺し犬」や、狂犬病の狂犬、さらには生物爆弾として訓練した鴉などで凶行を行なう国際的テロリスト「大狂人」の上陸を告げるものであった。かつて関わっていた外地の犯罪組織に、日本の公安によってダメージを与えられた大狂人の大々的な復讐が始まる。公安の特殊隊、別称「裏警察」は舞坂に接触し、その強靭な意志と闘志を求めた。だが大狂人は、敵の戦列に加わった舞坂の妹で、31歳の人妻・昌代を誘拐した。舞坂の知人である元北大教授・押野平作は、昌代の奪還と大狂人の打倒を願う彼のために、幼少の頃から訓練された戦闘犬「凩(こがらし)」を用意するが。 新書判で読了。中期~後期の寿行作品らしく、ストーリー(というかドラマ)はあるようなないような中身で、どうも送り手が編集側の期待するものをいつもの手癖で書いたような感触もなくもない。 一方で主題というかお話のモチーフは十八番の動物ものなので、さすがにその辺の描写は腐っても鯛、のような歯応えはある。 (後半から登場するタイトルロールの凩もさながら、もう一匹の動物主人公コガネの、マイペースな猫らしい、しかしどこか擬人化された描写がとてもよい。) 後半で大敵、37歳の日系アメリカ人(らしい)大狂人の秘めたる過去が開陳され、読者の情感を刺激するのは、これってフツーの作家がくれる感銘だよなあ、こういうのに頷くのは寿行作品じゃないよなあ……という気もしないでもないが、それでも過去にあった大狂人の事情とその愛犬への忸怩たる念は、ちょっと魂を揺さぶられた。しかし寿行っぽくない。リフレインではあるが。 後半の山狩りの際に舞坂に協力する、元熟練のハンターだが50代で猟銃を捨てた65歳の松川栄造は、たぶん作者自身の分身的なキャラクターであろう。この人も妙にいい味出している。 クライマックスにコンデンス感を抱く一方で、ある種のあっけなさも同時に感じるのはいつもの寿行作品。 まだまだ寿行作品の全域を俯瞰できる自信はない(畏れ多い)が、たぶ中期~後期ではそれなりの良い方ではあろう。 ところで、ラスト……。これは、もしかして……? |
No.2066 | 5点 | 観測者の殺人 松城明 |
(2024/06/19 14:44登録) (ネタバレなし) 人気Vチューバーの女子大生が惨殺された。謎の犯人らしき人物は、SNSで100人以上のフォロワーを持つネット利用者を今後も殺害するとの主旨の、メッセージを放つ。友人を殺された女子大生でCGデザイナーの今津唯は、事件の陰で暗躍する謎の人物「キカイ(鬼界)」の存在を探知したが。 人間をひとつの個体システムに見立て、情報をインプットすることで目的をアウトプット(殺人などの犯罪を無自覚に誘導)させる、そんな形で他人を操る工学系の怪人的犯罪者「鬼界」シリーズの第二弾。この大ネタは版元や関係者(公認の紹介役の書評家とか)などの方も、公然と公布してある。 とはいえ評者は実はその辺はあまり意識せず、シリーズ前作『可制御の殺人』も読んでなかったので、作者の劇中人物の描写との距離感で多少面食らった。メインキャラの何人かは、前作を読んでる読者にはすでになじみのある人物だったのね。読み終わったあとにその辺の情報を知ったが、そう考えるといろいろ得心がいく。 なお作品自体は単品でも一応は読めた、理解できたつもりだったが、かたやそういう特異な「操り」テーマのミステリシリーズなので、やはり前作から先に読んでおいた方が確実によかったんじゃないかと今にして思う。その辺は失敗した。 黒幕の存在や、やがて「観測者」の呼称を与えられる殺人実行者の名前は当初からわかっているので、もちろん素直なフーダニットパズラーではない。ただし被害者のミッシングリンクの謎、動機の謎、そして……とか種々の、やや広義のパズラーっぽい要素、ミステリとしての謎の提示や真相のサプライズなどは、ふんだんに取り揃えられている。 とはいえ今回のこっちは前述のように大枠として、本作がシリーズものだという事実も知らなかったので、作品の構造とどっかで歯車がかみ合わず、いまひとつ楽しめなかったというのがホンネ。正直、夜中に読んでいたせいもあって、後半はずっとうっすら眠かった。メモを取りながら、何とか情報を追い続ける。したがって評点もこの程度。ある意味じゃ、受け手側のワガママなのは自覚しているが。 『可制御~』はそのうち、気が向いたら読むであろう(汗)。 |
No.2065 | 7点 | 夜の人々 エドワード・アンダースン |
(2024/06/18 16:53登録) (ネタバレなし) その年の九月十五日、オクラホマ州の州立刑務所を三人の長期受刑者が脱獄した。彼ら、44歳のTダブ・メイスフェルド、27歳のボウイ・バウアーズ、35歳の「三本足指」チカモウ(エルモ・モブリー)は知己の縁者などを頼りながら捜索の目を逃れ、得意とする銀行強盗の計画を練るが……。 1937年のアメリカ作品。 チャンドラーが私信のなか(たぶん「レイモンド・チャンドラー語る」の中に収録されているものだと思う。確認してないが)で賞賛したというクライム・ノワールで、主要人物の犯罪者トリオのなかで一番若い青年ボウイを主人公にした青春犯罪小説の趣も強い。 原題は「おれたちとおなじ泥棒(市民から搾取する、体制や上流階級の人間を揶揄する意味)」だが48年に邦題『夜の人々』の題名で映画化(今回のこの発掘邦訳の書名もその映画のタイトルから採られた)。さらに74年にはかのロバート・アルトマン監督によって『ボウイ&キーチ』の題名で再映画化されている。 なおまったくの余談(というかぢつにどうでもいい話)ながら、評者の少年時代の友人に「キイチ」というあだ名の級友がおり、塙保己一やこの映画(74年版)をネタにからかった記憶を、読んでいて思い出した。 こなれた訳文の良さもあり、ハイテンポで物語は進むが、ところどころの主人公トリオサイドの悪行を直接描写しない省略法の叙述的演出が効果をあげている。 読み進めるうちにおのずと感情移入してしまう主人公たちが、読者のよく見えないところで、やってはいけないことをしてしまう(基本的には殺傷はしたくないが、逮捕などを逃れるためにはやむをえない)。あらためてさらに深みにはまっていく図を逆説的に強く印象づける描写の累積が、切ない。 中途に挟まれる、事態の大きな展開を「客観的」に語る新聞記事の挿入という手法も活きている。 良くも悪くもクラシック・ノワールの枠内に留まる作品ではあるが、最後まで読んで得られるある種の感慨も鮮烈。なるほどメインヒロインのキーチって<そういうポジション>の女子キャラだったのね。 あとから考えると、脱獄犯が生じたなら、警察はもっと積極的に家族や親族に捜査の目を向けるだろうとも思ったりもしたが。 読む前は大設定から普通に? J・M・ケイン辺りの作風を予見していたが、文体そのものはサバサバしている一方で、カメラアイが追いかける事象の湿度はずっとそのケインなんかより高い。通読してのいちばん近い食感は、ハドリイ・チェイスの、かの作品であった(こう書いてもなんのネタバレにもならないと思うが)。 読んで、というか嗜んでおいて良かった、と思える一冊。 新潮文庫の発掘本作路線、またひとつ有難い収穫であった。 |
No.2064 | 8点 | 殺人プロット フレドリック・ブラウン |
(2024/06/15 06:51登録) (ネタバレなし) その年の8月のニューヨーク。シーズン違いのサンタクロース姿の人物が、ラジオ放送会社「KRBY」の社屋を訪問。そのサンタは、重役(プログラム・ディレクター)のアーサー・D・ダイニーンの命を奪った。その事実を知って、KRBYの大人気メロドラマ『メリーの百万ドル』のメイン脚本家である青年ビル(ウィリアム)・トレイシーは驚愕する。なぜなら謎の殺人者が季節外れのサンタの衣装で正体を隠して殺傷を行なうというアイデアは、彼が準備中のミステリドラマ『殺人の楽しみ』の検討稿に書いておいた内容だからだ。誰かがトレイシーの未発表の脚本を盗み見て殺人を行なった? トレイシーは捜査を進める警察の脇で、独自にマイペースに事件に首を突っ込むが、やがて事態は次の展開を迎えた。 1948年のアメリカ作品。 初めて翻訳が出た当時、少年時代にミステリマガジンでレビューを読み、面白そうだと思いながら、ついに今まで読まなかった。 御贔屓ブラウンの未読のミステリも残り少なくなっているなか、虎の子の一冊ではあるが、仕事が忙しいなか、なんか妙に読みたくなって通読。二日かけて楽しんだ。 翻訳がブラウン作品ではたぶん珍しいはずの、あの(競馬スリラーだの、スペンサーものだの、の)菊池光。訳文に関しては世のミステリファンの毀誉褒貶あるのは知ってるが、評者は抵抗ない、というか、相性がいいつもりなので、その辺は安心して読む。 はたして期待通りにサクサクした歯応えの読み応えで、会話の多い都会派の軽パズラーとしてなかなか面白い。 約290ページの紙幅は長くも短くもないほど良いボリュームだが、最後の20ページまでフーダニットとして謎解きを引っ張るギリギリ感もサービス精神満点。その上で、犯人は(少なくとも評者には)かなり意外な人物であった。この目くらましの仕方は、かの欧米作家の某作品をちょっと思わせたりする。 伏線や手掛かりをちゃんと張っておいたぞと作者がドヤ顔するように、探偵役の主人公トレイシーがここで気が付いた、あそこで……と、クライマックスの謎解きの際にポイントを並べていくのも非常に楽しい。 しかしその一方で、どこか一本ネジがゆるんでいるような気もしないでもないが(だって……)、といいつつソの辺も実に良い意味で、一流のB級パズラーという感じで微笑ましい。 とても心地よい気分で「ああ、50年代の(本作は実質40年代後半だが)海外ミステリは楽しいな」とページを閉じられる好編の一冊。 評点は0.4点ほどオマケ。 やっぱいいよね。フレドリック・ブラウンのミステリのアタリ作品(笑)。 |
No.2063 | 8点 | 絹いろの悪夢 カーター・ブラウン |
(2024/06/13 06:25登録) (ネタバレなし) その年の秋。「おれ」こと私立探偵ダニー・ボイドの秘書兼セックスフレンド(今でいう)の赤毛美人フラン・ジョーダンが、無断で五日も仕事を休んだ。すると謎の女(のちに美女と判明)「ミッドナイト」から連絡があり、フランを人質にしてるので彼女を無事に取り戻したかったら、ある要求を聞いてほしいという。ミッドナイトのもとに赴き、人死にも生じるすったもんだの末にフランを奪回したボイド。だがミッドナイトの頼みの内容に関心を抱いた彼は、フランの身の安全を確保したのち、改めてミッドナイトのもとにのりこみ、今度は正当なビジネスとしてその依頼を受けることにする。かくしてミッドナイトの指示のままに別名を使い、目的の地アイオワに向かったボイドだが、そこでは意外な事態が彼を待ち受けていた。 1963年のクレジット作品。ミステリ書誌サイト「aga-search」によればダニー・ボイドものの14番目の長編。 レギュラーヒロインである秘書フランの誘拐騒ぎから開幕する序盤は、事件屋稼業ものの私立探偵小説としてはありがちな感じ。(と言いつつ、類例の作品などは、すぐにパッと書名を上げられないが。) しかし序盤からキャラの濃い連中が続々と登場し、とりあえずフランを救うまでが最初のウン十ページ。 以降、攻勢に転じたボイドが動き出してからは、フツーの私立探偵小説の枠を超えたジャンル越境的な方向に話が流れ込み、そこからまたさらにストーリーが弾んで、いっぽうでいくつもの謎を残したまま読み手の興味を刺激し、どんどん面白くなる。 間違いなくボイドもの、いや、これまで何十冊も読んできたカーター・ブラウンの諸作全般のなかでも、かなりデキがいい。 とにかく「立った」キャラがひしめき合っているのに、残り少なくなったページ数でどう話をまとめるんだ? と思っていたら、いつものブラウンなりの「名探偵、一同の前で、さて、と言い」パターンで、事件の意外な奥行きが明かされる。今回はその最後の真相のストンと落ちる&決まる感じがとてもよろしい。 話の中途で某キャラに抱くボイドの妙にしんみりしたメンタリティも、どっかチャンドラーのかの作品を思わせる。 とても面白かったけど、この事件は後日譚をもう一回以上作れて、ボイドシリーズの中でのシリーズ・イン・シリーズに持っていけそうな感じ。 もしかしたら実際にそういう趣向の作品があるのかもしれないが、あったとしてももちろん未訳である(なにしろ本作は、邦訳があるボイドもののなかで、後ろから二番目という、あとの方の作品なので)。 誰か原書まで追っかけている奇特な人、その辺の事情を存じないだろうか。 翻訳はあんまり知らない「泉真也」という人だが、フツーにスムーズに楽しめた。奥付の訳者紹介を見るとほかに訳書の記載もないので、これが最初の翻訳だったのか? 肩書の「探偵小説翻訳家」というのが、ゆかしい(笑)。 |
No.2062 | 7点 | 蠟燭は燃えているか 桃野雑派 |
(2024/06/11 21:58登録) (ネタバレなし) 20XX年(2020~30年代らしい)の後半。地球軌道上の宇宙ホテル「星くず」での殺人事件に遭遇し、生き残った関係者とともに地球に帰還した女子高校生・真田周(あまね)。周は大気圏突入時に、ある意図と思いのもと、ネット経由でピアノ演奏を行なうが、その行為を当人の思惑と違う形で受け取った人々の反響は「炎上」状態となった。そんななか、周に向けられる書き込みの中に、京都市内で放火を行なう旨の犯行予告があるが。 物語のステージを大きく変えながら、前作のキャラクター設定は継承。そして先行作と通底する、ある種のメッセージ性を続投。 ある部分を大きく切り捨て、一方でまた別のコアの部分は継承する、そんなシリーズもののありようが、実に楽しい。 個人的には、これはこれで、シリーズものミステリの、ひとつの理想的なメリハリのつけ具合である。 ネットの舌禍を主題にした人間の愚行の描写は不愉快な印象はあるが、作者なりの21世紀の現実の文明への取り組みだということは理解できる。 当初はトラブルに巻き込まれた主人公を応援しようとしていた学校側が、主人公の暴走(青春ドラマ主人公としての)に振り回されて、対応がルーズになっていくあたりの妙に説得力のあるリアリティ描写にも感心する。 物語の転がし方がいささか生硬で、昭和の一級半社会派ミステリを2020年代作品の鋳型のなかに押し込んだような印象もあったが、最後に明かされる犯人の真の動機はそれこそ「いろいろと考えさせられる」。 どうあがていても人間の心の中に善と悪が並存するという現実は永遠に変わらないなか、じゃあどうするかというところで、ひとこと、たぶんそれだけは確実に間違いないことを言った主人公の叫びは、評者の笑みを誘った。 うん、お話として、エンターテインメントとして、メッセージドラマとして正しい作りだと思う。 いろいろ綻びはあるような気もしますが、私はそれなり以上にこの作品がスキです。 |
No.2061 | 7点 | 乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび 芦辺拓 |
(2024/06/08 15:01登録) (ネタバレなし) 昭和の初めのある日。文筆業の「私」は目的地に向かう途中で、麻布の一角にある古書店に入った。そこには数年前の「新青年」のバックナンバーがあり、「私」は、鳴り物入りで登場しながら中絶した江戸川乱歩の連載作品『悪霊』に思いを馳せた。やがて古書店を出て目的地についた「私」はそこで、その『悪霊』に関する奇妙な体験をする。 乱歩のある意味で最大級? の問題作のひとつ、中絶作『悪霊』に何らかの思い入れや心の執着を抱くファンはそれなりに多いようだが、評者は正直、そんなでもない。ただまあ、それこそ人並みに、昭和ミステリファン、乱歩読者の末席としての関心めいたものはある。 乱歩の文体パスティーシュとしての出来はなかなかのものだと素人ながらに思うし、原典の細部をほじくって良い意味で妄想めいた作品の奥を開陳してゆく手際も、相応の骨っぽさを感じた。 ただしいくつかの面で結局はケムに巻かれたような部分があるし(×××の件など)、密室や傷の謎の解法の方も、チョンボみたいなものかも(ただ、それはそれで楽しかったとも思ったりもするw)。 でまあ、6年前の大作『帝都探偵大戦』のクロージングがアレだったので、芦辺先生、今回もまた、アレやらアレでは……と恐る恐るではあったが、その辺は良い意味で予想を裏切って硬派? な造りで安心。 あとがきを読むと良い編集さんに恵まれた旨の述懐が書かれており、なるほどと納得。逝去された当該の編集さんの御冥福を一読者として願います。 力作なのは間違いない。評点は0.35点くらいオマケ。 |
No.2060 | 6点 | スリープ村の殺人者 ミルワード・ケネディ |
(2024/06/07 15:59登録) (ネタバレなし) 英国の小さな村スリープ村で、とある人物の絞殺死体が見つかる。村の周辺には大き目の川が流れており、そこへボートを使ってやってきた一人の男性がいた。彼=グラント・ニコルソンはもしかしたら殺人者ではないかという不審の目を向けられる一方で、確証のないまま土地の人々とも親しくなり、じきに空き家である「ブリッジハウス」の借主となった。所轄であるホウムワース警察のマーシュ警部は事件を追うが、やがて事態はさらなる展開を見せてゆく。 1932年の英国作品。 三冊しか翻訳のないケネディ作品の既訳分は、これで全部読んでしまった。 メタ的というか、送り手の作者の恣意的にちょっとひねった事をした他の二冊に比べて、本書はずいぶんと真っ当なカントリーもののフーダニット・パズラー。 舞台劇か映画にしたら栄えそうなタイプの雑多な登場人物が入り乱れ、少しずつ話を転がしていくあたりはクリスティーの一部の諸作を思わせるが、向こう程、話の細部にくっきり感がないのでやや退屈。夜明け近くの深夜に読んでいて、途中ではうっすら眠くなった。 ただし終盤に近い後半でいきなりイベントは起きるわ、最後には大きなトリックと意外な真犯人が用意されているわ、でいっきにハデになる。とはいえ犯人の設定が(中略)なのは、チョンボだという人もいるかも……。 (その点について、自分の感慨はグレイゾーン。) トータルとしてはまあまあ面白く、得点的に良いところだけ拾うなら、けっこう悪くなかったとは思う。 シリーズ探偵がほとんどいないらしいのが商売的にはネックなんだろうけど、ケネディはもうちょっと、何冊か発掘紹介してほしい作家ではある。 最後に、00年代に珍しいミステリをいっぱい発掘紹介してくれて大感謝! の新樹社だけど(なにせ、あの1949~51年の戦後翻訳ミステリ叢書黎明期のひとつ「ぶらっく選書」と同じ版元で、その直系じゃ)、本書は登場人物表がかなりザル(フレディ・タイナンほか、主要キャラがあと数人は絶対にほしい)。さらに解説も訳者あとがきも何もない、巻頭の遊び紙のあとに原書の発行年も記載してないというルーズな編集&仕様。 この時期になると在庫を抱えて版元も疲れてきたのだろうか……と余計なことを考えたりする。翻訳そのものは読みやすかったけど、オクスフォードを妙な誤植表記してあったのはちょっとアレ。 ミステリファンの登場人物による、名探偵談義(というか名前の羅列・P22~)は楽しかった。 |
No.2059 | 3点 | 時間割 ミシェル・ビュトール |
(2024/06/02 20:05登録) (ネタバレなし) 「ぼく」ことフランス人の青年ジャック・ルヴェルは、イギリスの地方都市ブレストンにやって来た。ルヴェルは一年間の契約で土地の商社「マシューズ親子商会」に勤務。フランスとの折衝のための通訳や翻訳の業務に従事するはずだった。ルヴェルはやがて会社の同年代の同僚や土地の者たち、アン&ローズのベイリー姉妹や気のいい黒人の工員ホーレス・バックと親しくなるが、そんな彼は周囲の人物のなかのある秘匿された真実に気づいてしまう。 1956年のフランス作品。 推理小説としても読めるアンチ・ロマン文学として、1964年の初訳当時にミステリマガジンの連載月評「極楽の鬼」(同年6月号分)で石川喬司が大絶賛。 ちょっと以下にその評を引用してみる。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ (前略)しかし、ぼくにとって一番面白かったのは、前回でちょっと触れた、フランスのアンチ・ロマンの作家ミシェル・ビュートルの書いた『時間割』(L’Emploi du temps, Ed.Minuit 56).だった。これは推理小説仕立ての秀作で、ぼくは一週間をこの長編に没頭して過ごした。 ジャック・ルヴェルというフランスの青年が、イギリスの地方都市ブレストン(マンチェスターがモデルらしい)の商社に一年契約で赴任してくる。滞在がなかばを過ぎてから、彼はそのスモッグに閉ざされた灰色の都市での体験を綿密に再構成しようと試みる。その試みをビュトールは凝りに凝った手法で、主人公の日記の形をかりて描いているのである。たとえば五月の日記に十月の記録といったぐあいで、日記の欄外には、それを記述している現在時と、そこに描かれている内容の時点とが「五月(十月)」というふうに記入されており、こうした時間の二重構造がしだいに素晴らしい効果を生み出してゆく。 この物語の本当の主人公は「時間」であり、作者は、記憶によって変貌してしまった時間の迷宮の奥深くヘともぐりこんでゆくのだ。その面白さは、複雑な人間関係にさぐりを入れて犯罪の真相をあばきだす探偵の努力に似ており、事実、『時間割』の中では『ブレストンの暗殺』という推理小説が大きな役割を果たしている。(以下略) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ ミステリマガジンのバックナンバーと『極楽の鬼』の書籍版を古書で入手し、この評に釣られて、シンドそうだけど面白そうだ? と最初に思ったのが半世紀前の少年時代。 その後、ずっと放っておいたけど、このたびふと思いついて、最寄りの図書館にサルトルの『嘔吐』とカップリングになった世界全集版(たぶんこれが初訳の元版)があるのを確認。じゃあ……と思って借りてきた。 が……ダメだ、まるで歯が立たない。面白さがわからない、良さも感じない(汗)。 各章の構造は基本的に、いつの内容のものをいつ書いたのか、実はそれも定型のフォーマットとして表記されてるわけではない(石川喬司とは違う版の訳文を読んだのか?)。というわけで黙って読み進むが、もともとこの手の、作者のメタ的手法による時間錯綜ものは『赤い右手』とか、最高級に苦手である。 ただし本書の場合、とにかく情報を拾って話を繋げていくことが可能で、その意味ではギリギリなんとかなる? のだが(ただしそれでくだんの時間の錯綜構造の意味を正確に拾っている自信はまったくない)、一方でとにかく日常描写がしつこい。 こーゆーのがそのアンチロマン派文学か? と言いたくなるくらい(よく知らないが)読み手にはどーでもいい、もちろんストーリーの流れとも関係ない主人公の一人称視点での見たもの、接したものの情報が延々と羅列される。これだけで相当に疲れる。 中盤でお話が動き、とあるメインキャラというかキーパーソンに目が向けられるあたりでちょっとこっちにもようやっとフックがかかるが、当然のごとくそこに向かってストーリーのベクトルが切り替わるわけでもなく、相も変わらずの日常描写が続く。 さらに主人公とほかのある登場人物たちの関係性の推移がポイントということもやがてわかってくるが、決してそこは話の芯にはならない!? 最大級の退屈を感じながら、最後まで名前が出て来る登場人物全員のメモを取りつつ読了したが、うん、まあ……ミステリかな……よくわからん、というのが正直なところ(大汗)。 で、読後にヒトの感想が気になってTwitter(現Ⅹ)を覗くと、かなりのホメ言葉があちこちで目につく。 で、先にちょっと触れた主人公と別のメインキャラの関係性の話題など、うん、まあ、そういうことなんでしょうね……と言われて理解はするものの、一方で、ダカラナンダヨ、と言いたくなるようなホンネも芽生えて来る。 そんなTwitterの感想のなかにひとつ「この作品をまだ推理小説として読んでるのか?(=それって違うだろ)」という主旨の声もあって、結局は、門外漢の自分にはお門違いの作品だったのかとも思ったり。 いずれにしろ、ミステリとしても、自分の範疇で捉えられる限りの文学としても、あまり接点はなかった。 ただまあ、読むヒトが読んだら、なんか得られるのかなあ……というなんとなくの感触はなくもない。 ある種のインナースペース作品と思えば……それがいちばん呑み込みやすいところかな。 そんなこんなで、ひたすら疲れました。とにかく現在の自分にはほとんど何も得るものがなかった、ということでこの評点。まあ気になっていた作品をひとつとにもかくにも(読み方が浅かろうか何だろうが)通読したという達成感だけはある(苦笑)。 本サイトでのほかの人の声は……チョットだけ、聞いてみたい。まあ、なくてもいいけど(汗)。 |
No.2058 | 6点 | 幽霊を信じますか? ロバート・アーサー自選傑作集 ロバート・アーサー |
(2024/06/01 05:20登録) (ネタバレなし) 1963年に本国で刊行された、作者の自薦作品集らしい短編集。 広義のミステリながら非スーパーナチュラルの作品ばかり集めた昨年の翻訳短編集『ガラスの橋』とは違い、今回は全編がホラーかファンタジーに分類されるようなそういう系列の短編ばかり、全10本を集めてある。 一本一本の感想は割愛するが、大づかみに言うなら星新一が長めの短編をよく書いていた頃の味わいのクセのある話が集められている。 個人的なベストは、オーソドックスな幽霊屋敷ネタのショッカーである表題作、あるいは藤子・F・先生の読み切り短編漫画みたいなオチを迎える「頑固なオーティス伯父さん」あたりか。冒頭の「見えない足跡」のラジオドラマ向きの怖さとテンションもなかなか。「デクスター氏のドラゴン」の話の転がり具合もよい。 トータルでは、物語の読書の楽しみを嗜み始めた世代の若い読者が面白がればそれでいい、という感じの一冊。 『ガラスの橋』まんまの広義のミステリを集めた上でのアベレージの高さみたいなのをもう一冊期待すると、いろんな意味で困るけど、これはこれで楽しい短編集だったのは間違いない。 |
No.2057 | 7点 | 白銀荘の殺人鬼 愛川晶 |
(2024/05/30 15:02登録) (ネタバレなし) 元版のカッパ・ノベルスの綺麗な古書を帯付きで、ブックオフの100円棚でしばらく前に入手。 あんまり趣向をわめきまくるので、当然これは(中略)だろうと思って読み進めていたら、色々とその奥があった。あの件は結局どうなるんだろう? とずっと思っていたあたりも、セオリーというかパターンというか、だが、うまく捌いてある(分かる人には分かるだろうが)。 でもって、見せ場のシーンの演出でも自明なように、狙いというか構想の出発点のひとつは、新本格作品のあの名作へのリスペクト兼チャレンジだろうし(こう書いても本作にも当該策にもネタバレにはなってないと思う)、もしそれが当たってるなら、なかなかうまく着地してるんじゃないかと。 とはいえミステリ初心者さんがご講評の<ネタバレ>部分で語っておられることの問題点、特にその2つめは実にごもっともで、これに関しては良くも悪くも謎解きフィクション的な田舎芝居を見せられた感じ。ただまあ、そこにまたなんか妙な愛嬌を感じたりして、嫌いにはならない。 虫暮部さんのおっしゃる、(ある程度)よくできた作品としての妙な摩擦感めいたもの、という感覚もたぶんよくわかる。新本格というジャンル自体が既存の謎解きパズラーの成分を踏まえて80年代半ばから日本に生じたメタ的なものだというなら、これは正にそのメタのメタの部分もあるだろうし。 弱点は、こういう作りだから、フツーに読めばフツーに盛り上がる筋立てのところ、何かその向こうにある、と常に考えて、読み手(少なくとも評者)の感興の念を相殺すること。 (中略)と(中略)の星取りゲーム勝負なんて、それ自体が面白いお話のネタのはずなのに、妙に頭が冷えて高揚しない。まあ、仕方がないか。 あちこちの面で難点はあるが、得点的には、色々と良質な作品だとも思う。 |
No.2056 | 6点 | 危ない恋人 藤木靖子 |
(2024/05/28 14:54登録) (ネタバレなし) 1960年代初め、四国の北部にある松笠市。そこでは市役所勤務ながら、土地の転売で相応の資産を得た31歳の不器量な女性・中北小枝(さえ)が、26歳の美貌の従姉妹で実は恋人である栗田ひろみとともに邸宅に暮らしていた。一方、ベテラン教育者として土地のそれなりの名士である53歳の未亡人・香川フミノを最年長とする香川家に、ある日、家内の不倫を指摘する怪文書が届く。やがて二つの物語は、密接に絡みあっていく。 作者・藤木靖子(1933~1990)は、香川県高松市出身の女流作家。 現状でWikipediaに単独項目もない扱いだが、ネットで得られる情報などをまとめると、1960年に「宝石」の新人賞「宝石賞」の第13回にて短編『女と子供』で第一席を獲得(日本推理作家協会賞のサイトでは、藤木は第一回「宝石賞」を受賞とあるが、とんでもない間違い)。その翌年、処女長編『隣りの人たち』と本作『危ない恋人』などの単著を刊行した。後年はジュニア小説での活躍が主体となりコバルト文庫などで青春小説分野の人気作家となった。 ……でまあ、本サイトにもこれまで作家登録もない、21世紀ではほとんど忘れられたミステリ作家だが、昭和ミステリ全般を評者のように(かなりいい加減にスーダラながら)探求している者には、時たま目についてくる女流作家の名前である。 とはいえそんなマイナー作家の初期のミステリの古書価は当然ながら高いので、興味が湧いても指をくわえていたが(国会図書館の電子書籍などで読めるかもしれないが、当方には現状、その辺は守備範囲外)、先日、本作の裸本の古書がかなり安くネットで買えるので、いそいそと購入した。 (どうせ地元の図書館経由で他館所蔵の本をリクエストしても、いつものようにまた裸本が来る可能性も大きいし。) で、本作の実作を読むと、冒頭から一癖ありそうな叙述でスタート。メインキャラの一角である若い富豪の小枝が、旅に出る同性の恋人のひろみへの劣情を燃やすが、心の整理をするために得意な速記で内心の情愛を文字にする。そこから手紙形式の記述が数回続くので、まさか全編この調子? それはそれは……と思ったりしたら、その辺はみんなあくまでプロローグで、本筋は普通の三人称形式でそのあと始まった。しかしカメラアイはもうひとつのメインキャラクターである香川家の方にそこから切り替わり、思わせぶり、いわくありげな各章の見出しとあいまって、かなり強烈な物語のうねりを序盤から感じさせる。 要はなかなか手慣れた小説技法を実感させる、掴みのよい開幕で、これは面白そう、マイナーながら古書価も高めになるのも伊達ではない? と実感させる(いや、実際のところ、一般論として、旧作ミステリの古書価の高さと出来の良さは、決して比例なんかしてないと思うケドね・笑)。 ちょっとバリンジャーとかを思わせる輪唱形式で話が進むなか、劇中の殺人? 変死も絶妙なタイミングで登場。なんか昭和中期のフランスミステリ風の一冊として、隠れた秀作になるか? という感じで期待させたりする。 少なくとも、その程度には読んでる途中まではなかなか面白い。 ただし中盤で、え!? とかなりのインパクトを与えたのち、お話の後半どうするんだろ……と恐る恐る読んでいくと、ああ……となかなかのサプライスに着地。 で、こう書いていくと結構な秀作という感じではあるが、使用した大技に関する箇所をもう一度読み返してみると、ちょっといろいろ思ったりしてしまう。 いや、作者が意図的に気を使って書いてあるのはわかるのだが、登場人物の描写として違和感を抱くような流れなので。まあこの辺は、あまり詳しく語らない方がいいか。 まとめるなら、かなり高い目線で理想を追いながら、微妙なこなれの問題で、いいところまでは行かなかった作品。失敗作とまでの烙印を押すのは不適当だが、一方で残念ながら秀作とも優秀作とも言い難い。 ただまあ、このあとも未読の作品のなかになんかオモシロそうなものは転がっている期待は十分に抱かせてくれたので、まずは作品との出会いを求めてみようかとも思う。 まあ昭和のマイナー女流作家をつまみ食いするのは、あくまで評者の関心のありようのひとつだけどね(笑)。 |
No.2055 | 6点 | 変身の恐怖 パトリシア・ハイスミス |
(2024/05/27 21:14登録) (ネタバレなし) 1960年前後。その年の6月、34歳のアメリカ人小説家ハワード・インガムは、ひとりチェニジア(本文中では「テュニジア」)の地にいた。インガムは次作の小説を書き進めながら、アメリカに残してきた恋人アイナ・バラントからの便りと、そしてエージェントのジョン・カッスルウッドの来訪を待っていた。そんななか、インガムは、コネティカット州出身という初老のアメリカ人実業家で農場主のフランシス・J・アダムスと友人になるが。 1969年のアメリカ作品。ハイスミスの13番目の長編。 ちくま文庫版で読了。 (Amazonには現状でデータがないが、邦訳の元版は、66年に同じ筑摩書房の叢書「世界ロマン文庫」の一冊として、一度、刊行されている。) 大ネタは書かない方がいい……な。 自分がこれまで読んだハイスミスの作品のなかではもっとも普通小説に近い感触の一冊で、広義のミステリとしてもこの上ないくらい、ある種のボーダーラインの文芸を狙っている(詳しくは読んでください。文庫版の新刊刊行時の帯にも書いてあったし、中盤まで読み進めれば、まあ誰でも分かると思う)。 で、評価する人は、そのある種の<揺らぎ>の中に陥った主人公の内面的境遇とそこから生じるサスペンスがいい! と言ってるのであろうことはよく理解できるのだが、個人的には、万が一リアルで<そういう状況>に陥った場合、引くか進むかどっちかになるしかないと、たぶん自分は思っちゃう方なので(もちろん現時点ではアタマの中だけのことだから、本当に現実にそうなったらまた違うかもしれんが)、ある意味で迷宮に陥った主人公の足踏みぶりに、もうひとつシンクロできなかった。 (なんかね、実は私ゃ、アニメにもなってる人気の異世界(的な世界観の)ラノベ『オーバーロード』の主人公アインズ・ウール・ゴウンの信条のひとつ「本気で(中略)だと考えている者は狂人だ」という割り切りの方が、今の21世紀らしいものの見方じゃないか、と思うので。いやまったく。良かれ悪しかれ。) 文学というか小説的には、あれやこれやの暗喩も潜むのもなんとなく伺えるものの、その辺が今回はあまりこちらに突き刺さってこず、大半が他人ごとに思えるのはどーゆーわけか。 この十年間弱、改めてハイスミスの諸作のスゴさに肝を冷やしてきた評者だが、巷では評判のかなりいいこの作品で、ここまでアウェー感を抱くとは予想にしなかった。ただまあ、その辺の万人が万人、いいとは決して言いそうもない作品という側面も、正に本作の個性だという気もする。その上で、今回はたまたま、自分は合わない方にいただけだ。 もちろん、本作も含めて、ハイスミスがスゴイ作家であること自体は、いまだなお、まったく疑念の余地もないのだが。 |