クリスティ再読さんの登録情報 | |
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平均点:6.39点 | 書評数:1392件 |
No.512 | 7点 | 縞模様の霊柩車 ロス・マクドナルド |
(2019/05/06 00:30登録) さて評者的にはロスマク最後の1冊で初読。楽しみにしてた。 本作はタイトルに大きな意味があるんだと思うんだよ。霊柩車を中古で買って、縞模様(というかサイケに)塗りたくって乗り回して遊ぶ若者世代(これにハリエットとキャンピオン、ラルフが含まれる)と、その親世代の断絶がやはりテーマなんだからね。ほぼネタが同じな「ウイチャリー家」が社会的な視点を欠いていたために、「不幸自慢」みたいにしか見えなかった弱点を、本作だと克服しているように思う。というかね、本作の紹介で「放縦な娘ハリエット」としているのはかなりのミスリードで、それこそ「太陽族」とか「怒れる若者たち」とかロックンロールな世代と、ロスマクを含む親の世代の対立を背景に、ロスマク自身の娘に対する罪の意識を折り込みながらハリエットと大佐の親子関係に形象化した、という風に読むべきなんだろう。 だからね、大佐の造形はロスマク自身をかなり投影したもののように感じられるんだ。本作が一番ロスマクの「プライベートな作品」になるんじゃないのだろうか。もし本作に迫力を感じるのならば、そういうロスマクの自身の自己投影にあるんだろう。ロスマクも「お母さん子」だったのかなあ。 あと思うんだが、いわゆるツートップという評価には、実のところ小笠原豊樹訳、というのがかなり強い影響をしているんじゃないのかな。「ウィチャリー家」は過大評価だと評者は思うが、本作も小笠原豊樹訳。しっくりしたいい訳。 でコンプ記念でベスト5。 1.「一瞬の敵」、2.「運命」、3.「ドルの向こう側」、4.「犠牲者は誰だ」、5.「さむけ」、次点で「人の死に行く道」「ギャルトン事件」 やや異端気味かな。「一瞬の敵」が頂点だと思うんだがねえ。 |
No.511 | 6点 | マフィアへの挑戦1 ドン・ペンドルトン |
(2019/05/04 23:06登録) ヘヴィな作品が続いたので、箸休めに何も考えずに読めるものを。創元推理文庫は70年台に拳銃印でハードバイオレンスのシリーズ物を出してて、プリンス・マルコみたいに結構長く続いたものもある。そのハシリがこの「マフィアへの挑戦(死刑執行人 マック・ボラン)」なんだけども、創元じゃ20冊、ポケミスでも1冊、ハーレクインでも男向きレーベルでかなりの冊数が出てるんだが、本家アメリカじゃハウスネームと化して延々書き継がれて300冊以上出て、「ヒーロー・ペーパーバック」というジャンルになっちゃったらしい。 ベトナム戦争で狙撃の腕で「死刑執行人」の異名を取ったマック・ボラン軍曹は、父が母と弟妹と無理心中したという知らせを受けて帰郷した。生き残った弟から、父の死は自らの借金のカタに妹が売春させられたことにあることを知る...その高利貸はマフィアが経営しているものだった。 どうやら俺は敵を間違えていた。自分の国で、自分の家で、俺が大切にしてものを片っぱしからめちゃめちゃにしている敵があるというのに、何故八〇〇〇マイルも離れた他国の前線を守らなくてはならないのか? とまあ、なかなかイイところに気がつくわけである。で、 俺は判事ではない。俺は審判だ。死刑執行人なのだ と悟りを開いちゃう。ヒーロー物だから、警察も市民も実のところ同情的。ランボーみたいなワンマンアーミーとして、ボランは戦争モードでマフィアに宣戦布告して皆殺し、というお話。なのでポイントは厨ニな「ハッタリ」がどこまで利くか?というあたり。トビラにカーライル、ハバード、ニーチェの言葉にさらに「俺は判事でない....」を並べるとか、評伝風のプロローグ、目撃者に語らせるわざとらしい伝聞体、などハッタリの効果が解って書いてるあたりがニヤリとさせる。「銀英伝」とか能條純一とか、あの手の伝説めいた語り口だね。そこらへん上手いものだ。 たしかねえ、この本父親が出張かなんかの読み捨て用途で買って家に持ち帰ったもののような記憶があるよ。個人的には懐かしいが、1冊読んだら評者はお腹いっぱい。 (思うのだが...ネオ・ハードボイルドにあまりベトナム後遺症モノがないのはなぜだろう? ちょっと「一人だけの軍隊」とか取り上げた方がいいのかなあ、なんて思う) |
No.510 | 7点 | 月長石 ウィルキー・コリンズ |
(2019/05/04 17:48登録) こういうときに取っておいた本作、である。大昔世界大ロマン全集で読んだことがあったけど、あれ抄訳だしね、初読と変わりなし。けどカッフ部長刑事、「庭の千草」じゃなくて「夏の名残りのバラの花」を口笛で吹いてしまう。バラ好き設定からこうだけど、「庭の千草」の方がいいなあ(苦笑)。 改めて読んで「ミステリ」という小説形式が成立するにあたって、いろいろと乗り越えなきゃいけない「社会的課題」みたいなものがよく見えて、そこらへんが謎以上に面白く感じていた。本作だと殺人がなくて、上流階級の家庭内の事件のために、警察権力による介入も最低限くらいなものだ。ヒロインで被害者のレイチェルが真相解明に極めて消極的なために、相談を受けて警視総監が派遣した名探偵カッフ部長刑事だって、真相を何としても解明するというよりも、強引な捜査を控えて「第一期」では解明を諦めて身を引いてしまう。私立探偵よりも弱腰な刑事である(苦笑)。階級社会だから、名探偵なんて使用人の部類なんだよ。だから真相はまあ、顕われるべくして顕われるようなものだ。 本作確かに長いけど、「ロビンソン・クルーソー」を座右の書にする老執事ベタレッジの脱線気味の「第一期 ダイヤモンドの紛失」事件記述が終わると、第二期は複数視点で切り替えながら話が進んでいく。まあこれ本当は一種の叙述トリックみたいに感じるのが今風なのかもしれない。お宗旨狂いのオールドミス・クラック嬢(crack って確か変人、って意味があるよ)もヘンだが、主人公格のフランクリンだってドイツ観念論哲学のパロディを振り回して、結構なギャグキャラなんだろう。しかしエズラ・ジュニングス(名前からしてユダヤ人だろうね...)やロザンナ、といった差別を受けて理解されない悲劇的な人々を見ると、やはりディケンズ風に読ませる「社会小説」でもある。「第二期 真相の発見」になってからが、話のドライブ感が出てきて、最初で挫折するのは、本当にもったいない小説だ。 でまあ、狭い意味での「謎解き」としてはそれほど期待するようなものではないけども、それでも「真相の発見」を動力源にしている小説、という意味ではちゃんと「ミステリ」である。大河ドラマみたいなスパンのある話ではないのに、「運命」みたいなものがきっちり描かれているせいか、読み終わったあとにちょっとした感慨があるのは、やはりこれが「長さに意味がある」話なんだろう。 (深読みかもしれないが、大まかなモチーフでヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」に似たところがいくつかあるように思う。ジークフリートの無意識の裏切りとか、レイチェル=ブリュンヒルデとかねえ。そういう視点の批評がないかなあ) |
No.509 | 6点 | 情事の終り グレアム・グリーン |
(2019/05/02 21:17登録) グリーンしなきゃ、とは思ってたんだけど、今はそんなに入手性がいい感じではないし、ついつい後回しにしていた。まあ厄介なものからやろうか。グリーンでも純文学系、というか、愛と信仰を扱ったガチの思想小説である。当サイト的には....とか言っても、実は本作はミステリの手法をそのまま使って思想小説をやって、それが成功している小説でもある。まあだから、評点6はミステリ以外の目的で使う「ミステリの使い方」ってものもあるんだよ、という意味での仮評点。作品内容に対する評価点ではない。 実際、本作だと本当に私立探偵だって登場。このパーキス君、子供をダシにいろいろ策を巡らせるけど、なかなかイイ奴。で、主人公の独身作家モーリスは、高級官僚ヘンリの妻サラァと第二次大戦中のロンドンで、不倫の関係を楽しんでいた。二人が密会していた部屋がロケット弾で破壊されたことをきっかけに不倫の関係を断った二人だが、戦後再開したことで、夫ヘンリを含めた交友が復活する。ある日、ヘンリはモーリスに妻の挙動を探ってほしいと依頼される。モーリスは探偵社にサラァの尾行を依頼するのだが、モーリスの心は嫉妬に揺れだす....新しい男は誰だ? と本当にミステリみたいな話なのだが、ネタバレしちゃうとサラァの恋人は「神」である。肉体的な愛と神への愛の対立が、モーリスにしてみれば「神への嫉妬」として表現され、モーリスの追求は「神を追いつめる」追跡となる。だからこそ「ミステリ」なのだ。サラァがモーリスの愛を拒めば拒むほどに、モーリスは神を恨みサラァに執着し続ける。この板挟みの中でサラァは衰弱死するが、その死後にさまざまな出来事がモーリスには「奇蹟」にしか見えない暗合となって、サラァの信仰を証する結果となって、モーリスを打ちのめすのだった... とはいえ、本作の筆致は心理的ではあってもリアリスティックなものだし、一人だけ登場するカトリックの神父も大した人物に描かれているわけではない。本作はあくまでモーリスの心理の迷路を辿るものであって、奇蹟だってただの暗合にすぎない。本作は超越、というテーマを扱いながらも、それを歯噛みしながら見上げる一つの視点なのだ。 私はすでに倦み疲れ、愛を学ぶには老い過ぎました。永久に私をお見限りください。 (信仰のバックグラウンドのない日本人には、さすがにキッツい小説です。評者もどれだけ理解できているか自信ないです。それでも読みづらいことはなくて、随所に現れる印象的な表現を追っていくだけでも読む価値はあり) |
No.508 | 6点 | 極北が呼ぶ ライオネル・デヴィッドスン |
(2019/05/01 21:18登録) 評者ご贔屓イギリス冒険スリラーの巨匠ライオネル・デヴィッドスンの全8冊の長編でも最後のもの。その前の「チェルシー」が1978年なんだけど、本作は 1994年とずいぶん空いている。が、多分デヴィッドスンでも最長編で、文春文庫で上下2冊で出ている力作だ。 本作はデヴィッドスンでも「チベットの薔薇」に近い、閉鎖的な地域に潜入して帰還する冒険スパイ小説...で今回の舞台はシベリアでも極東管区になるサハ共和国、北極海に注ぐコルイマ川をさかのぼった街チェルスキーと、その近傍にある設定の閉鎖的な研究所に主人公が潜入する。まあおよそ日本人には馴染みのない地帯なんだけども、この主人公は職業スパイでも何でもなくて、才能のある言語学者でかつ生理学者、ジョニー・ポーター教授なのである。ターゲットの研究所で死に近づいた旧知の所長からの、暗号による手紙による要請に応えて、はるばるアメリカからソ連・シベリアの軍事機密研究所を訪れるのだ。 と英国作家らしいアマチュアリズムなんだけども、この主人公が一筋縄ではいかない。人種からしてカナダ・インディアンで、トーテムはワタリガラス(レイヴン)、トリックスターを象徴するクランの出自だが、インディアンとしては実学的な林学から生物学を収め、転じてインディアン諸語の研究からシベリア少数民族の言語研究のためにロシアに招かれて...と大した学歴を持ち、しかもインディアンの権利を守るために活動するアクティヴィストの面も持つ。ちょいとしたスーパーヒーローだ。シベリアの多くの先住民の言語・習慣に通暁して、しかも見た目も彼らの間に紛れ込んで目立たない、うってつけの人材である。(CIAの最初のアプローチへの返事も「クソ喰らえ、スパイども」なのがナイス) その手紙の暗号といのが、聖書に基づくものなので解読結果が「あの男を送れ/北の家族の言葉を話すものを」と蒼古の記憶を揺さぶるようなものだし、所長が伝えたい秘密はシベリアのツンドラの中で見つかったネアンデルタール人の冷凍死体に関わるもの。最後は人類のグレート・ジャーニーを再現するかのように凍結したベーリング海峡を横断してソ連を脱出する...と、人類学的な興味が非常に強いのが、デヴィッドスンらしい味付けである。 まあもちろん、潜入・調査・脱出のエンタメ要素もしっかり完備。ヒロインに当たる医療監督官コマローワもいい味出してるし、文章もタイトなハードボイルド風で、外さない。まあ、所長の秘密がヘンなSFなのがご愛嬌だが、シベリアの風土・風物がもの珍しい。 と、デヴィッドスン全8長編だが、1作は未訳、1作は入手困難な「スミスのかもしか」なので、6作やって評者の中ではコンプ、としよう。この人バカバカしくないスケール感があって、ほぼハズレのない優良作家なんだからね、もっと読まれていいよ。 |
No.507 | 7点 | 待っている レイモンド・チャンドラー |
(2019/04/30 23:29登録) 評者の書評も増えてきて、今まで作家別上位に並んでいたチャンドラーも、長編全7作だとランク外に沈みそうだ。それも悲しいのでテコ入れに短編もやることにしよう。ハメットと違いチャンドラーだと短編も問題なく全作カバーできるのだけども、全作揃うハヤカワでやるか、稲葉明雄がすべて訳して統一のある創元でやるか?が選択肢になるわけだが、まあここはチャンドラーを愛した名訳者の一人だけど、このところ清水&村上の影に隠れて目立たない立場にある稲葉明雄を、やはりプッシュしたいところである。で「待っている」が最近では表題化している全集3で、5作収録。 「ベイ・シティ・ブルース」だけマーロウ登場、だけど評者の見るところこの短編集で一番長くて出来が一番劣る。目まぐるしく事件が起きるだけのように感じる。 「真珠は困りもの」はガールフレンドの依頼で盗まれた真珠を取り返そうとする主人公と、容疑をかけられたが主人公と意気投合して一緒に行動する大男との話。この大男アイケルバーガーが憎めないキャラでいいな。ユーモア感もあって楽しい一編になっている。 「犬が好きだった男」は「さらば愛しき女よ」の後半の原型。医者に麻薬を打たれて監禁~脱出、賭博船への潜入と「さらば」でも一番美味しい部分だ。「さらば」だと逆に不徹底になる警察ぐるみの腐敗の話が、原型の本作だと一貫した話なので、「さらば」よりも辻褄の合った内容になる。まあチャンドラーにテーマ性を求めても仕方がない。 「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」は、密室もののパロディみたいな話。「簡単な殺人芸術」のテーゼを具体化しようとしたのかな。これはこれでバカバカしい面白さがある。 「待っている」は、これ結構な人気作なんだが...チャンドラー本人は「通俗雑誌におもねろうと書いた作品」なんて自己嫌悪をあらわにしているのが面白い。「ハードボイルド文」の文体が自己目的になっているような気が評者はしてならないんだがなぁ。文章を極端に節約した文体で書かれていていて、翻訳がかなり難しいもののようだ。「50年めの解題『待っている』」というタイトルで、本作の5つの翻訳を比較しているHPがあるのだが、主人公トニーの態度や、銃撃戦の結果など、基本部分での解釈が訳によって分かれているのを示している。さすがにそれはまずかろう。一種の文体練習くらいに思って読んだ方が無難なのかもしれない。 ちなみに「最後の哄笑」ってタイトルで触れられている映画は、F.W.ムルナウの無声映画の大傑作「最後の人」の米題。これもホテルのポーターの話だから、何か訳が取り違えをしているのかな? バラエティありすぎの一巻である。 |
No.506 | 5点 | 致命傷 スティーヴン・グリーンリーフ |
(2019/04/27 14:33登録) 長く続いたシリーズの第一作だから、すでに書評があるかと思うと、ないんだ。何か不思議。1979年でネオ・ハードボイルドとしては後発組で、作者も処女作みたい。というかね、70年代前半デビュー組が「なぜ今更ハードボイルド?」という疑問みたいなものから出発しているのに対して、この人「ロスマクってもうスタンダードだよね」みたいで「なぜ今更」を感じないタイプの作家だ。 だから、というかいかにも、というか、ロスマク風な設定をあまり疑問なく展開して、処女作と思えない達者さである。お手本に疑問を感じてないんだろうな....ラルフ・ネーダーみたいな消費者運動のリーダーのプライベートを巡って、その妻の依頼で調査を始めた弁護士兼業私立探偵のタナーは、その養女で足の悪い少女の依頼で別に動いていた友人の私立探偵が殺された知らせを受ける。殺された私立探偵は養女の実親探しに雇われていたようだ。タナーは養女の実親探しから、スモールタウンで起きた20年前の出来事に根を持つ秘密に問題の根源があるらしいことを探り出す... と、相方風の友人が殺されてその真相を、は「マルタの鷹」以来の定番だし、 その夜はオックステイルで泊まることにした。モテルの反対側にあるバーで、私はハリー・スプリングに最後のさよならを言った。ずいぶん長い時が過ぎたが、私が最初に考えていたほどではなかった。 とチャンドラー風の「さよなら」だし...でパズラー風の凝った真相と、この人本当に「本から本を作り出す」タイプの作家みたいだな。真相は二転三転して「よくできました」。それで満足なのかしら? あとねえ、本作「ツインピークス」ばりのスモールタウン人脈話だったりする。スクールカーストを思わせる描写もあるしねえ。これってアメリカ人からみたら一種の「ベタ」なんじゃないのかなあ。 |
No.505 | 9点 | 火刑法廷 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/04/25 20:13登録) 本作早川ミステリ文庫発刊時の目玉の一つだったね。懐かしい、というか今回読んだのもその時に中坊の評者が小遣いで買ったものだよ。あくまで旧訳(苦笑)。そりゃあねえ、伝説の作品だもの、古本屋でポケミスがウン万円してたとか、盛り上がろうものだよ。 逆に言えばね、今回読み返して、そういう「有名さ」が本作はちょっと仇になってるかな?という気がしなくもない。「密室パズラーが解かれたあとに、驚きの仕掛けが?」という風な予断が、ある意味本作の面白さを損ねているようにも感じるのだよ。本作では不可能興味が2つあるけども、本当は両者とも正確な意味での「密室」ではないし、パズラーとして見た時には小説としての構成がいかにもいびつなんだよね。驚くべきことは、エピローグを別にして本作の日時経過は、金曜日の夕方に始まって、日曜日の午後にカタがつく超短期戦である。その間を視点人物のスティーブンスは連続して起きる怪異に追われ続ける。なので tider-tiger さんがおっしゃっているように、本作は実質上ホラー・サスペンスの形式だと読んだほうがいいのだろう。 「ミステリが最後に反転して」とか「ミステリともホラーともとれるリドル・ストーリー」とか本作はよく呼ばれるのだけども、これは作品内容というよりも「作品解釈・作品受容」が入った呼び方だろう。だから読み方の軸を少し動かして、ホラー・サスペンスの中で、一見合理的な解釈がある作品、と反転して読むのはどうなんだろうか? そう読んでみた時に「解明がショボい」と評される低評価の皆さんの評価も反転するのではないのだろうか。ゴーダン・クロスの推理はあくまでも間に合わせの煙幕・目眩ましのヘリクツで、ヘリクツがそれなりに辻褄が合って強引にでも納得されてしまうこと自体が、「ミステリの真相」というもののパロディであり批判である....なんてね、アンチ・ミステリな「読み」が成立するようにも評者は思うのだよ。 ミステリが真相の解明で終わるのは、ミステリという小説ジャンルの「真相の解明で終わる」お約束に過ぎない。そのタガを外してしまえば、理性によって発見されるべき「真相」の正当性は、ただそれが「ミステリという小説だから」保証されているだけのことなのかもしれないや。これちょっと「虚無への供物」が入った評価もしれないけどね。 (超短期戦は「三つの棺」とも共通する要素でね...カーの狙いは一瞬だけ成立するような大仕掛けなイリュージョンにあるのだから、フィージビリティとか言っても仕方がないんだと思うよ) |
No.504 | 9点 | 二人の妻をもつ男 パトリック・クェンティン |
(2019/04/21 18:18登録) これぞ50年代を代表する大名作だろう。というのは、この頃は「名探偵小説」が飽きられていて、素人が事件に巻き込まれて否応なく謎解きをする「巻き込まれパズラー」みたいな作品が目立つんだよね。フィアリングの「大時計」とか、マッギヴァーンの「ゆがんだ罠」とか、イギリスだったらガーヴ「ギャラウェイ事件」とか、まあ日本なら60年代に遅れるけど笹沢左保とか、これでもか、と主人公がややこしい立場になって、その中で犯人探しをして...というタイプの類型ができたと評者は思うんだよ。 日本では紹介されたときのカテゴライズが妙に尾を引く傾向があるので、本作以前にパズラーの作品があるクェンティンということで、本作も本作扱いだったりサスペンス扱いだったり流動的だったりする。まあ作家に「ジャンルへの忠誠」みたいなものを要求し期待するのは読者の感傷としか評者は思わないしね。ジャンルもスタイルも変わっていくのがアタリマエだし、そういう「進化」の代名詞的な作品じゃないかな。 本作の良さは一種の格調の高さみたいなものだと思う。夫婦の機微を描きながら、それが一種の仕掛けになっているあたりが、実に素晴らしい。主人公の人間性回復という軸があるのも見逃せないあたりで、主人公と二人の妻との間での微妙な相互(不)理解が、小説としての奥行きを出している。「二人の妻を持つ男」とはなんて絶妙なタイトルをつけたことだろう! けどまあ、自分を貫くのは、なんて周囲に大迷惑なことなんだろうね。日本人にはなかなかない、アメリカ人らしい「空気を読まない」美徳を感じる。そこらも、佳い(トラント警部イイやつだ)。 |
No.503 | 5点 | メグレと消えた死体 ジョルジュ・シムノン |
(2019/04/20 10:11登録) 金庫破りの情婦<のっぽ>エルネスティーヌがメグレに妙な話をした。金庫破りが忍び込んだ家で、女性の死体を見つけた、というのだ。金庫破りはそのまま逃亡し、はなはだ曖昧な話だがメグレは<のっぽ>を信用して、忍び込んだと目される歯科医宅に赴く。老母と同居する歯科医の妻は、符合するかのように祖国に戻っており、金庫破りのコトバを裏付けるような痕跡もないわけではない。歯科医の妻は祖国オランダの友人の家を訪れず、失踪したらしい....メグレは歯科医親子と対決する決心をする。 やはり皆さん、メグレの捜査が強引過ぎる、という印象をお持ちのようだ。評者も見込み捜査の度が過ぎるよな...なんて思って読んでいた。まあメグレ物の骨格を取り出したようなシンプルな話。だから話の設定にノレないとダメだなあ。それでも仕事中にメグレ夫人とカフェで待ち合わせて、そのまま珍しくメグレの勤務先に一緒に来るエピソードとかあって、メグレの「ワークライフバランス」に変な面白みがある。フランスだし昔だし、仕事と家庭と余裕をもって両立させるのが、妙に眩しい。 |
No.502 | 7点 | 薔薇幻視 中井英夫 |
(2019/04/15 22:38登録) さて書評500点記念は「虚無への供物」祭でした。第3弾が本作。評者高校生の頃、平凡社カラー新書が大好きだった....かなりヒネったポエジーのある企画をヴィジュアルでまとめたマニアックな新書シリーズだった。中井は「薔薇幻視」と「香りへの旅」の2冊を書いているのだが、「実用書」ならぬ「虚用書」だと言っているよ。とくに「薔薇幻視」はというと、「虚無への供物」の必読の副読本だと思う。これを取り上げない手はない。 詩あり、パリ~地中海と薔薇を訪ねた紀行文あり、「虚無への供物」での暗合の軸となった赤(過去)、黄(現在)、青(未来)の三色の薔薇を巡るエッセイあり、中井の義兄で植物学者の前川文夫によるバラ科の解説あり、そして最後に小説「薔薇の罠」を収録している。 薔薇の少女よ/飛び降りてこよ ま昼の月は/樹に青みたり なはとびをせむ/草ゆひほそめ 古き石舗く/館のかげに 薔薇の少女よ/なわとびをせむ 中井にとっての薔薇は、マラルメ同様にコトバを超えた彼方に咲き誇る虚の薔薇の姿だ。紅司が植えた薔薇は光る薔薇「虚無への供物」でもなんてもない、二束三文の薔薇だったのかもしれないが、それでも、というかそれであるがゆえに、反世界でのみ咲く薔薇としてあらかじめ「虚無」へと捧げられていた。 柔らかい紫のしとねに眠るのは誰ですか それは青の胎児・青空の色にひらく夢を 見ながら静かなほほえみを浮かべている 不可能の青いバラは遺伝子組換えによって微妙な青色の花を現在では咲かせているにせよ、それによって中井の不可能の夢は枯れ萎むことはない。それは夢、生まれることを拒んだ永遠の胎児の夢だからだ。 本書は美的な側面での「虚無への供物」の最高のガイドブックである。創元の中井英夫全集でも手にははいるが、ここはぜひ平凡社カラー新書を探していただきたい(タマはあるはずですよ)。昔のカラー写真>グラビア印刷の味わい、である。 |
No.501 | 6点 | 虚無への供物(アドニス版) 中井英夫 |
(2019/04/14 23:47登録) 「虚無への供物」をやりついでに、参考資料として。翠川潭名義で、ゲイカルチャー雑誌の先駆だった「アドニス」に掲載された「虚無への供物」の同題の原型が、「小説推理」2005年1月号に再録されている。評者は図書館でコピーして読んだ(初出誌はトンデモなく高価で入手難なのは言うまでもない)。「アドニス」では4回掲載されて序章のまま中絶したが、この「小説推理」では最初の2回分しか載っていない。ぜひぜひ何かのかたちで後半2回も世に出てほしいので、当サイト的にはやや反則だけど、書評することにする。 登場するのは氷沼家の蒼司、紅司、藍司とアリョーシャ、それに鴻巣玄次、冒頭はそのままでおキミちゃんに相当するヒロちゃんのサロメで、八田晧吉に相当する花房晧吉は出るが、橙二郎は名前だけ、久生と牟礼田、藤木田老は出ない。設定上一番違うのは、狂言回しのアリョーシャで、同性愛者としてしっかり描かれていて、藍司とゲイバーで会ったのをきっかけに氷沼家を訪れるのはそのままだが、再会の場で「憧れの先輩」だった蒼司とアリョーシャは....という展開。で花房(八田)が家を改築して売る商売なのは同じで、外人向けに趣向を凝らした鏡張りの浴室で、アリョーシャと藍司がエッチして、同日同刻に本郷動坂の黒馬荘では鴻巣玄次と紅司がSMプレイ中...という状況。基本的にキャラ設定は後のバージョンと同じ、と見た方が良くて、さまざまなガジェットも同様に登場する。この時点で舞台設定はほぼ出来上がっている。がまあ、最初の2回は基本的に耽美小説というかBL小説みたいなものである。 評者はアリョーシャはアドニス版の方が納得のいくキャラのようにも感じる。意外に男性的な魅力が出ていて、逆に蒼司が弱々しく女性的な印象。後の「虚無への供物」だってゲイ小説なことは言うまでもないわけで、風呂場での紅司の死にエロティシズムを感じないほうがどうかしていると評者は思うよ。 ゲイ雑誌なので当然というか、女性キャラは一人も出ない。久生は後から導入されたキャラなのは明白だろう。後の「虚無への供物」で きょうが初釜。あなた方ももうお開きはお済みになって? なんてシモネタを言い放つ久生をウザく感じるのは、そりゃオジャマ虫のオコゲ女だからだよ。当然というものじゃないのかね。 |
No.500 | 10点 | 虚無への供物 中井英夫 |
(2019/04/14 22:52登録) 本作は「三大奇書の一角」ということにはなっているのだが、純粋なミステリ系以外だと、「黒死館とドグマグが奇書すぎて...」と本作を奇書から外す向きがあることはご存知だろうか? 評者に言わせれば、本作が(唯一無二な)奇書であるか、それとも(模倣可能な)アンチ・ミステリなのか、は読者の本作の読み方・受け止め方に依存するのだ。なので、本作があくまでも「人間の犯罪であること」に固執したのと同じように、「あくまでも本作を奇書として」読む「反世界の物語」としての読み方を、心がけて読まなくては本書の「人間の尊厳」を傷つけることになる。 そこで補助線を提案したい。氷沼家は日本の「大量死」に呪われた家系という設定なのだが、不思議なことに「戦災」は広島の原爆以外はまったく扱われないのだ。そして見え隠れする三島由紀夫の影(本作の中盤に「藤間百合夫」という仮名で登場している)。「人間の尊厳」のために「非現実の鞭」を本作の「犯人」は望んで引き受けるわけだが、この構図は「などてすめろぎはひととなりたまいき」と嘆く自らの生命を戦争に捧げた「英霊の聲」の根拠喪失と奇妙に符合するのではないのだろうか?天皇が人間になってしまえば、現人神のために死んだ兵士たちはその死の根拠を失ってさまよい続けなければならない..このような「神話的」思考を「家の歴史」として引き受けたのが、氷沼家なのだ。 評者はどうしても大島哲以の「薔薇刑」が表紙になった旧講談社文庫版で欲しくて入手したのだが、「薔薇刑」はまた三島を被写体とした有名な写真集の名でもあるし、本作が出た後に熱っぽく作者に感想を語った...という「三一版の作者ノート」のエピソードもあるわけだ。ある解釈として、三島は本作の犯人が無意味で愚劣な死の「罪」を我が身に引き受けたのと同様に、三島事件という無謀なクーデターによって顕現する「反世界」の中で自死を選んだ....これが三島の「戦後」を引き受けて担った「非現実の鞭」になるだろう。だから、本作に対する本当にアンサーは「第4・第5を名乗りたがるたかがアンチ・ミステリでしかない作品たち」ではなくて、「豊穣の海」のラストで「歴史」のすべてが無意味へと反転する虚脱感なのであろう。奇書とは、こういう無意味の過剰な重さを我が身に引き受ける謂いなのだ。だからこそ、本書は歯を食いしばっても「奇書」として読み、「奇書」にしなければならないのだ。 (ネタバレ注意!) だからこそ評者は積極的に「非現実の鞭」を引き受けて、本作の「推理ゲーム」の無意味さにさらに屋上屋を重ねんがために、敢えて犯人を指摘しよう。犯人は三島由紀夫である。薔薇は開くか? (ちなみに、評者はエーヴェルスの「吸血鬼」が本作の先駆的な作品だと思っているんだよ。もし手に入ることがあるのならば、ぜひぜひ読み比べて頂きたい。擬人化された薔薇がリュートを持つ大島哲以の講談社文庫1冊本の表紙の絵は豊橋美術博物館に収蔵されているそうだ。一度実物を見てみたい) 後記:豊橋美術博物館、行ってきましたが「薔薇刑」の公開はなし。そのかわりに絵葉書ゲット。本のカバーより緑がずっと強くて、薔薇の色は緑でした(カバーでは渋い青緑。だから全体に赤っぽい製版)。緑司じゃまずいから、ひょっとして蒼司にわざわざ色を合わせたのだろうか?まあ緑だってもう一つの「不可能の薔薇の色」には違いない。 |
No.499 | 6点 | 紅はこべ バロネス・オルツィ |
(2019/04/13 20:29登録) おっさんさんが創元版についてお怒りのようですが、本作みたいな大古典は今さら東京創元社に忠誠を誓わなくてもいいわけで、評者が今回読んだのは「赤毛のはこべ」である(苦笑)。これも古い訳だが「赤毛のアン」で知られる、村岡花子の翻訳(1954年、現在は河出文庫で)である。音引きがやや古いタイプとか、今のフランス史用語だと「公安委員会」なのが「安全保障委員会」だとか、翻訳としては違和感がある箇所もあるんだけども、やはり女性が訳者だと、本作が作者も女性で、ヒロイン視点で描いた冒険小説だ、というのが明確になって、いい。ヒロインにどこまで感情移入できるか、が結構決め手になる小説だろう。ハーレクインと笑わば、笑え。それでも、いわゆる「摂政時代」のダンディの如何なるものか?が本作のテーマみたいなものだよ。 本作でもチョイ役で皇太子(ジョージ四世)が登場するけども、この皇太子がボー・ブランメルのご贔屓で、イギリス流のファッション哲学「ダンディ」を作ったわけで、本作のパーシーもこういう「ダンディ」の肖像として読むべきだ。女性の筆になるから、ファッションのデテールも細かいし、パーシーもブランメルと共通する「無感動」の美学みたいなものが感じられて、そこらへんを愉しむ小説なんだと思うんだよ。 ちなみにね、ヅカなんかでかかる「スカーレット・ピンパーネル」だと、パーシー&マルグリート夫妻は、「ヒッピーからヤッピーに」な世代の夫婦の寓意みたいに描かれて、過去を引きずる男ショーヴランにマルグリートが心ならずも迎合するのを、パーシーがうまく救い出す...と何かアチラの飛龍伝を見てるような印象のミュージカル、というのが本当の姿みたいだ。まあヅカの場合は、演出の小池修一郎の代名詞的な「エリザベート」の設定を裏返したような捻った面白みを出している...というこっちも一筋縄でいかない作品になってる。ミュージカルの「スカピン」の方も十分面白くて支持されているから、新訳がこっちのタイトルで出るのもアリだね。 |
No.498 | 5点 | テニスコートの謎 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/04/11 07:29登録) 原題だと「The Problem of...」で揃えた同年の作品だから、「緑のカプセル」とペアにする意図があったんだろうか。怪奇味を抑えた「純パズラー」みたいな志向の共通性を感じるが、細かい趣向を凝らした名作「緑のカプセル」と比較するとこっちはヤッツケみたいに見えるのが難点だな。 とはいえ、中盤のヒュー&ブレンダが証拠偽装を図って、他人の介入で偶然うまくいったけど、ハドリー警視にお見通し、というあたりはちょっとしたサスペンスでうまく書けるような雰囲気がなくもない。キャラがありきたりでなくて、ブレンダとか「現代っ娘」に造形できてたらアリだったのかも...とは思うんだよ。ここらはカーの弱点だな。 で問題の「足跡のない殺人」トリックは、「これ長編でやるの?」というようなネタ。二番目の殺人の不可能興味なんて強いていえばくらいのものだし、ハウダニットとしてはがっかりするような腰砕け。犯人が意外、との声があるけども、本作の設定の特殊性からは十分読める範囲じゃないかな。そういえば本作のネタは横溝正史の例の作品と共通するね。正史が研究してても不思議じゃなくて、あっちは1/3のネタだから弱さを補う上等のアレンジ。 (けどさ、中盤で否定される「逆立ちして...」はある意味ナイス。絵を想像して笑える) |
No.497 | 6点 | ファーガスン事件 ロス・マクドナルド |
(2019/04/08 23:00登録) ロスマク最後の非アーチャー物である。主人公は若手弁護士のガナースンで、愛妻サリーが臨月である。まだからハードボイルドという雰囲気は薄いが、ロスマクなので小洒落たユーモアのある...とは絶対にならない(苦笑)。「ブルー・ハンマー」と似た明るさがあるので、「ブルー・ハンマー」の後に余力があったら、本作の続編でも良かったのかもしれない。中年男アーチャーよりもずっと若くて、熱血というか、沸点が低いというか、頭に血の上りやすい印象がある。弁護士のクセに終盤殺されかけて這々の体で脱出するアクションシーンもあり。 病院を利用した窃盗団一味の容疑がかかった看護婦の弁護を引き受けたガナースンは、この一味に関わる殺人に出くわすが、この一味の首領らしい男は、元女優を誘拐して大金持ちの夫に身代金を要求した。この夫の法律顧問として、ガナースンは事件に関わっていく.... ロスマクというと、話がどう転がっていくか全然見当のつかないタイプの小説(「ブラック・マネー」とかそうだね)がたまにあるけど、本作もそういうもの。最終的には「父親探し」もあったりして「ロスマクだねえ」なんだけども、悪徳警官物?と思わせたり、悪女モノ?と思わせたり、なかなか配球を読ませないや。全然先が見えなくて、話の転がり方で絵面が切り替わる妙味を楽しむタイプの小説だから、やや楽しむのに度量の必要だろう。そういうあたりで初心者向けではない。悪徳警官?という線があるから、本作はアーチャーじゃないのかもしれないな。私立探偵ゴトキじゃ、悪徳警官には手が出ないからね。 さて、ロスマクもあと一つ。「縞模様の霊柩車」も本は確保済。 |
No.496 | 7点 | わらの女 カトリーヌ・アルレー |
(2019/04/05 09:00登録) 本作を法律上ありえない、とする説があるけども、評者はギリギリセーフなのでは?とも思う。という話なので、 すみませんが、ネタバレします。 というのは、相続欠格については、少なくとも日本では「故意に被相続人、先順位・同順位の相続人を死亡するに至らせ、または至らせようとしたために刑に処せられた者」(民法891条1号、多分どの国の民法でも似たり寄ったりでは?)であって、「刑に処せられた」がポイントである。ヒロインは公訴前に自分から自殺することで、確定判決を得ることを放棄しちゃったわけである。これこそ犯人の思うツボで、ヒロインに真相をバラしたのは、罠を自覚させて絶望に追い込んで自殺させる狙いがあった?と疑われるのだよね。そこまで含めて犯行計画を評価すると「かなり危ない橋ではあるけども、成立しないわけでもないか」ということになる。「大金持ち」を利用して強引に保釈を得て、保釈中に自殺させるとかのプランもありかな... なので、ヒロインに唯一残された復讐手段は、堂々と無実の罪を認めて、刑に服すことなのである。そうすれば、ヒロインは相続欠格になって、死後の相続を阻止できる。少なくとも日本の民法は「直系卑属」にしかヒロインを飛ばした代襲相続を認めないからね。養子縁組の親が相続可能なのは、ヒロインの相続権が問題ない場合のみなのだ。これを理解できなかったヒロインが愚かなのだ。まあここまで描けたら10点だけど、さすがにそこまでの小説ではない。 あと小説的には....フランスの色が本当に薄い小説のように思う。ヒロインと犯人のやり取りを、本当に会話だけで叙述して一切描写しないのとか、少しだけハードボイルドな良さがある。 |
No.495 | 6点 | カックー線事件 アンドリュウ・ガーヴ |
(2019/04/02 21:51登録) エセックス州の田舎を走るイギリス国鉄のローカル線、カッコー線に乗った老紳士が、若い女性から暴行を受けたと騒ぎになった。紳士は暴行を否定し、その家族も「まさかウチの父に限って!」と紳士を信じるのだが、噂は村に広がってしまっていた。その女性は死体として発見され、老紳士に容疑がかかる。老紳士は精神の病気なのか?それとも何かの罠なのか? 弁護士の長男、作家の次男とその婚約者・長女と、老紳士の子どもたちが父の容疑を晴らすべく孤軍奮闘する... という話。「それでもボクはやってない」みたいな痴漢冤罪風なのは冒頭だけで、殺人事件に発展してしまうとそっちは後景に退いてしまう。残念だが仕方ないな。それよりも東イングランドの沼沢地帯が舞台で、のんびりしたローカル色が、いい。アンブラーというかエリオット・リードの「恐怖のはしけ」も似たようなあたりが舞台だったし、ガーヴとアンブラーってローカル色を出したスリラーが得意で、似たテイストがあるからねぇ。次男がハウスボートを持っていて、婚約者と一緒にこの沼沢地帯で探索をして、父をハメた罠の真相に地味に一歩一歩近づいていくのが読みどころ。 真相はリアルなもので、いかにも「ありそうな」リアリティがあるのがガーヴらしい。しかし真犯人の自白が取れなくて、窮余の策に出るのが、お話といえばお話なところ(少し展開が読めるかな)。それでもガーヴ満開なウェルメイドなスリラー。 |
No.494 | 5点 | ドナデュの遺書 ジョルジュ・シムノン |
(2019/03/24 15:02登録) 文庫200ページ内外が普通のシムノンなんだけど、本作は文庫500ページで、たぶんシムノンの最長編だろう。メグレ物の第一期が終わったあたりに書かれた「純粋小説」の初期のものである。ある意味シムノンの「家モノ」なんだが、グリーン家でもハッター家でもなくて、チボー家とかブッデンブローク家の方に近い、大河ロマンである。 とはいえ、起点・1年後・5年後と時系列の窓を移動するような3部構成なので、1家族の歴史を3連作したみたいにも読めるかな。この中で殺人が2件あるけども、扱いはミステリのものではない。新しいことにチャレンジしたいシムノンの意欲は感じられるのだけど、シムノン独特の集中力が、大河ロマンの拡散してく方向のベクトルとうまく合致していない印象を受ける。 港町の実業家老ドナデュが失踪し、すぐに溺死体として発見された。老夫人、長男とその妻、長女と婿、次女、次男が同居する大家族で、漁業、海運、練炭販売を手がける田舎ブルジョアの一家は、ドナデュの死をきっかけとして、次第に変貌を遂げて崩壊していく...近所に住む映画館主とその息子が、このドナデュの家に深くかかわっている。息子フィリップは次女と駆け落ちの後に、ドナデュの家に婿として戻ると才能を発揮して、次第にドナデュの資産を利用して自らの野心を実現しようとする。その父フレデリクは野心満々な息子と違って、人生の傍観者風キャラで、夫の陰に隠れて我慢していた老婦人や、一家に疎外されていた長男嫁(結核感染が判明して自らの生を生きようと家を出る)との、良い相談役である。長男は弱々しく無能な放蕩者であり、秘書に手をつけたことが大きなスキャンダルのきっかけとなる。フィリップはこの後始末に才幹を発揮して、一家の実権を奪うことになる....が、他人を踏み台にしてのみ才能を発揮できるフィリップと、その妻マルチーヌとの関係は次第に破綻の色を深めていく.... この長男ミシェルのスキャンダルは、秘書に手を出して堕胎させたことを、対立する政治党派に嗅ぎつけられたことから始まり、この秘書を説得してその父に疑惑を否定させたことから、この父が娘を守ろうとして、スキャンダルを掲載した新聞の発行者を殺す殺人事件にまで発展する。裁判ではフィリップがうまく秘書に証言させて、娘を守る父を無罪にして事態を収拾したのだが、真相を知った父は絶望のあまりに娘を絶縁して、旦那衆への面当てに共産党に入党するというあたりの展開が面白い。 がまあ、シテに当たるフィリップの野心はあまりスケールがないし、最後の方は自転車操業に四苦八苦するハッタリの多い詐欺的なものなので、魅力がないな。それと比べると、ワキの父のフレデリクのキャラが独自で面白い。クリスティで言うとサタスウェイト氏みたいなキャラである。ちょっとした狂言回しになっていて、作劇上も便利だな。最後は強引に悲劇でまとめたような感じになって、ここらへん「大河ドラマにどうオチをつけるのか?」で悩んで失敗したような印象。拡散して、家族が散り散りバラバラになっただけでも、十分小説にはなるんだけどねえ。なのでやや尻すぼみの印象を受けるのが、シムノンらしくないところ。 まあ、こういう大長編ロマンはシムノンの体質に合わないんだろう。無理することないや。 |
No.493 | 7点 | 暗黒事件 オノレ・ド・バルザック |
(2019/03/23 09:50登録) そもそも小説というものは高貴な出自というよりも、下世話に市井の奇談・珍談を取りまとめて、というあたりで発達してきたものだから、19世紀の大文豪の小説に今では「ミステリ」と呼んで構わないような作品がある、のは何の不思議もない。バルザックの本作はナポレオンが帝位を窺う時期を舞台として、ややこしい政治背景のある冤罪事件を扱うから、歴史推理&ポリティカルスリラー&裁判モノといっていい。カーの「喉切り隊長」で印象的なジョセフ・フーシェに最初に注目・評価したのがバルザックの本作だ、というのもあって、評者みたいなフーシェ・ファンには外せない作品でもある。 フーシェは当代に於けるもっとも非凡な人物の一人であり、またもっとも見誤られている傑物であるが... とツヴァイクの評伝に登場するフーシェ賛は本作に登場する。 とはいえ本作では、フーシェはあくまでも影の人物だ。本編中に一瞬タレーランは登場するが、本作での敵役はフーシェをずっと俗物・平凡にした日和見主義的な悪徳政治家マランである。シャンパーニュのシームズ侯爵の荘園は、大革命の貴族財産没収で、もとのジャコバン党員ミシウの管理するところにあった。しかし名義上の所有者がそれを勝手に参事院議員マランに売り渡してしまった。マランの話を漏れ聞いたミシウは、元の所有者であるシームズ侯爵の相続人が、ナポレオン暗殺を狙って潜入していることを知る。潜入が当局にバレているようなのだ....実はミシウは侯爵家の財産を保全するために、あえて過激派の仮面をかぶった王党派だった。ミシウは若い貴族たちの危機を救うが、それは彼らに向けられた罠のとっかかりに過ぎなかった。悪徳政治家マランが押し入った覆面の男たちによって誘拐され、その嫌疑がミシウとシームズ家の若い貴族たちにかかる....裁判の結果有罪となり、侯爵家の令嬢ローランスは最後の望みをかけて、ナポレオンの恩赦を求めてイエナの戦場に赴く。 まあそんな話。ナポレオン暗殺計画は、カドゥーダルやモローが関わった有名なものの一環だし、それにもかかわらず懐柔策として、この貴族たちは亡命からの帰国を許される。渋々国法順守を誓うけども、成り上がり者のナポレオンには軽蔑・敵対的....というあたり、歴史小説として本当にこの時期の空気を忠実に描いた、と出版当時に言われていたようだ。で、シームズ家が嵌った罠はかなり巧妙なもので、法廷モノの面白味もあれば、最後に王政復古期に老いたローランスが去ったあとのサロンで、この事件の少し意外な真相が明かされるが、個人的な復讐と政治的な駆け引きが複雑に絡み合ったものである。ミステリ的な興味もしっかり満たさせるし、イエナの戦場でのナポレオンに、出自柄敵対的なヒロイン・ローランスも感銘を受けたりするあたりも興味深い。 どうも評者は「ミステリの元祖は?」風の考証が変なコンプレックスに見えて仕方がないのだけども、19世紀の小説ならば20世紀に分化してしまったジャンルを、いろいろ未分化なかたちで包含しているのが当たり前なんだよね。「純文学」なんてものはまだないし、「文学的」であるべき高尚な詩や劇に比べて、小説はずっと庶民的でエンタメ的なものだったわけだ。読みづらさは時代背景が古いから、くらいに思って楽しめばいいんだよ。たまにはいかが。 |