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ミステリの祭典

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結晶世界

作家 J・G・バラード
出版日1969年01月
平均点6.50点
書評数2人

No.2 7点 クリスティ再読
(2019/12/07 16:29登録)
SFのモダンを象徴する超有名作である。本作面白いが、より面白いのは本作が与えた影響と同時代性みたいなもののようにも思うんだ。1966年の作品で、世界の没落を詩的に描いた小説である。ある意味、「秘境を征服するのではなくて、秘境に魅惑され征服される」日本の独特の秘境小説(国枝史郎・小栗虫太郎・香山滋)が海外SFとして書かれたようなテイストである。この頽廃感が何というか、外人離れしている(苦笑)。それでも、

バロック芸術の複雑に入り組んだ紋章や巻軸装飾は、それ自体の空間量以上の空間を占めていて、そのため、より大きな、包みこむ時間を内に擁し、聖ピーターズ寺院やニンプフェブルクのバロック式古城などのうちに感じられるあのまぎれもない不死性の予感を与えてくれるように思われる(中略)旧ヨーロッパの人々の心にとりついていた不死性へのうずくような憧れ...

とバロックの惑乱するような過剰な複雑性に「不死」を見るあたり、ヨーロッパ人的なセンスといえるだろう。「鉱物愛」という萌えジャンルもあってね、たとえば水晶の結晶の塊が作り出す繰り返しであって繰り返し出ない複雑な形象に、永遠を視る感受性というのは、確かにある。しかも鉱物は生命なく永遠の時間をかけて成長する不思議な「生命」を持つ。ここに生の曖昧さを超えたものを、どうしても視てしまうのだ。非人間の美を謗られても、いいじゃない。

ついに水晶狂いだ/死と愛をともにつらぬいて/どんな透明な狂気が/来たりつつある水晶を生きようとしているのか

と渋沢孝輔が歌ったのは1971年。バラード読んでたかどうかは評者は知らない。この水晶の幻視を通じて、人間を超克しようとするイメージは、1974年の諸星大二郎の伝説的な出世作「生物都市」に結実している。諸星の場合すべてが軟体的に融合するイメージにはなるが、この静止であると同時に救済であるイメージは、おそらく本作の直接の影響だろう。そして、1979年にはタルコフスキーの「ストーカー」が、別なSF原作があるとはいえ、理解不能な危険が潜む結晶世界めいたゾーンで神と出会う(しかし何にもならない)し、1983年の「ノスタルジア」で主人公が世界の救済を賭けて蝋燭の火を掲げてプールを往復する...と、本作のイメージが紡ぎだした乱反射は、眼にも彩なものになるだろう。

日中は、奇怪な形になった鳥が石化した森の中を飛びかい、結晶化した河のほとりには、宝石をちりばめたような鰐が山椒魚の紋章のようにきらめいた。夜になると、光り輝く人間が木立のあいだを走りまわり、その腕は金色の車のよう、頭は妖怪めいた冠のようだった。

本作の中に隠喩を読むだけでなく「本作の運命を隠喩として」読むのが面白い。

No.1 6点 斎藤警部
(2016/04/12 03:15登録)
隠喩の鬼やで。。。。。。

この「重大事」への過渡期の蠱惑的光景は何を目的に延々と書かれたろう?(文章は短いが読むのに時間が掛かる) 例えば日本がこれから速やかに徴兵システム(皆兵ではなく狙い撃ち制?)へ移行するとしたら、やはりその過渡期だけはこれほどまでに観察する人をじっとりと魅惑し麻痺させてしまうのだろうか? そういうことの隠喩にこの物語を引くべきだろうか? 「三つの三角関係」という構図は結晶構造にとって数学的意味を持つか? 幾何学的仄めかしの数々。。「小数点以下第何位と決断と」の看過し切れない関係。「最後の」という言葉が象徴性を匂わせ幾度も使われる物語終盤。。露天商が商売上がったりになった理由。。!

そしてこの不思議な別れのラストシーンだ。 たとえば「白夜行」の主役ふたりはこの本を読んでいただろうか。 そういやこの話には「生きる屍の死」を思わせる流れが少し有るが、「死」の意味は違う。。(と言い切れるだろうか)
ああ、この物語の奥の深さは、岸田今日子さんにライヴ朗読でもしていただかない限り真髄の理解が難しい作品ということなのかも知れません。個人的に読中面白さに夢中になる類ではないが、読了後一気にずしりと載って来られる作品。忘れられないね。
再読はしたくない。映画を観たい。

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