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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1397件

プロフィール| 書評

No.737 6点 鉄鼠の檻
京極夏彦
(2020/09/20 10:50登録)
今回は禅の話。純粋にミステリと見たら、空前絶後のバカ動機+バカ見立て殺人ということになるんじゃないかな...読むのが二度目のせいかもしれないが、描写がなかなかマンガっぽくて喜劇的に思う。山下警部補の自信喪失エピソードとか、カワイイものじゃん。あまり深刻になって読む作品ではなくて、娯楽で笑いながら楽しんで、禅の雑学が得られるお得な作品、というくらいで楽しめばいいと思うよ。
この作家、禅みたいなややこしい話をわかりやすくまとめる能力はなかなか、あると思う。でもねえ、明慧寺に初めて訪れるまで全体の1/3を費やすとか、描写が全体に冗長なのは....今風なのかな。情報密度が薄いからサクサク読める。皮肉で言う気はないけども、読者の負担が軽くて「なんか読んだような気にさせる」能力は高いと思う。ま、そうでもなければ、ベストセラー作家にはならないか。
レギュラー陣は頭数ばっかりで結局傍観者だし、ミステリ的に怪しい人の事情が最後まで言及なしで伏せられているとか、やや構成に難があるとは思わなくもない。京極堂の推理は、実質推理じゃなくて「手元の隠し札をオープンする」ようなもので、ホントは「推理の物語」のミステリじゃない....まあ「明かされる驚愕の事実」がファンタジーとして成立すれば、エンタメとしてはOK、なのかもね。

とはいえね、敦煌で唐代の禅関連資料が発見されて、いわゆる北宗の教えの実態も今は解明されているようだ。南宗と大きな差はなくて、荷沢神会による一種のクーデターの際に、自分と系統が違う北宗攻撃のためにことさらに「漸悟」とレッテル貼りをした...という何とも興ざめな結論に、今は傾いているそうだよ。評者「六祖壇経」の六祖恵能のカッコよさに痺れたクチなんだが、これも歴史的には「偽書」に近いものらしい。

なかなか、ロマンというものは、難しいものだ。


No.736 7点 天衣紛上野初花
河竹黙阿弥
(2020/09/17 23:34登録)
半七捕物帳の「春の雪解」がこの「河内山」を下敷きにした話、というのもあって、黙阿弥を取り上げたくなった。天保六花撰、河内山宗俊と片岡直次郎の話で、いわゆる三千歳と直侍「雪暮夜入谷畦道」でもある。
まあ考えてみれば、黙阿弥というのは、江戸のカッコイイ悪党どもの総卸元みたいな存在である。鼠小僧しかり、白浪五人男、三人吉三....と日本の文芸に強烈な影響を与えた大文豪であることは言うまでもない。歌舞伎でも世話物だから、庶民の生活やフランクな言葉遣いを活写し、しかも芝居の台本だから、心理描写はすべてセリフと動作を指示したト書きに畳み込まれていて...と「ハードボイルド」みたいに読んでも面白いことを発見した。いや江戸時代にホント、ハードボイルドがあるんだって。

(乗った駕籠を抜き身の侍に襲撃されて)
宗俊「駕籠屋、駕籠屋。今光ったのは....星が飛んだのか」

とトボケてうそぶく。まさにハードボイルド風警句。

実際、本作の主人公河内山宗俊は、お茶坊主でありながら不良御家人たちの親分となって、江戸の裏社会に隠然たる実力を養い、偶然耳にした松江侯に軟禁された腰元を救出するために、一肌脱ぐ。これが前半の大きな見せ場。いわば職業的恐喝者なんだけど、江戸っ子の理想を体現したアンチ・ヒーローなのである。寛永寺からの使者に化けて、松江侯の邸に乗り込んで、腹芸の呼吸で腰元を解放する...のだけど、身元がバレてしかも動ぜず「ばかめ!」で、見事松江侯からタカりとる。
うん、今に直してみれば、不良公務員が大企業の不祥事に付け込んで、税務署の査察のフリをして恐喝するような事件のわけだね。このリアルな「市井の事件」感と、リアルなんだけども際立ったアンチ・ヒーロー性が、ハードボイルドという印象につながっているように思うんだよ。
後半は半七の「春の雪解」の元ネタの三千歳と直侍。河内山の子分で松江侯事件でも一役買った不良御家人の直次郎(直侍)は、花魁の三千歳と恋仲だけど、悪事が露見して江戸から逃亡しようとしていた。しかし入谷にある廓の寮(別荘)で療養する三千歳と一目会って...というエピソード。雪の夜を舞台にしたしっとりとした場面が続く。直次郎は悪党だけど色男で、江戸の粋を体現している。寮に出入りする按摩を介して文を届けるとか、その按摩に会うのが蕎麦屋とか、「春の雪解」がこの場面のいろいろな要素を利用して組み立てられているのが、あらためて読むとよくわかる。

まあこの作品、舞台は江戸時代だけど書かれたのは明治になってから。芝居の台本だから市井の口語で話が進むわけで、今読んでも難しさは感じずに、楽しんで読めるようなリーダビリティのいい作品である。


No.735 6点 ブラッド・マネー
ダシール・ハメット
(2020/09/16 21:22登録)
ハメットの長編は5作ということになっていて、「ブラッド・マネー」は番外みたいな扱いなのだが、これはおそらく、「ハードボイルドの正統」を作り上げた出版社クノップ社の威光みたいなものが関わっていると評者は思っている。「血の収穫」だって「デイン家の呪い」だって、短編の合体みたいな側面はあるわけだから、そう「ブラッド・マネー」と違わないといえば違わない。どれも「ブラック・マスク」での連載が初出なのだが、「血の収穫」がクノップ社の目に留まり、ハードカバー長編として出たことで、「ハードボイルド」という文芸ジャンルが初めて公式に登場した、と言ってもいいように思うのだ。
つまり、読み捨ての雑誌連載ではなくて、批評の対象になる「作品」扱いされた最初が「血の収穫」ということである。実際「ブラック・マスク」掲載の短編は、1940年代にならないと短編集として出版されていないわけだし。その短編集の最初がどうやら本作を収録した "$106,000 Blood Money"(1943) ということのようである。
Tetchyさんの「荒くれどものジャムセッション」はなかなか言い得て妙。ガンガン人が死ぬ「血の収穫」の前夜祭みたいな作品であるけども、「血の収穫」の大特徴のオプの破滅衝動はない。その分を某登場人物が担ったのかな。騙し騙されクールにピンチを切り抜けるオプの活躍、という印象。
本書の約2/3 が「ブラッド・マネー」で、残りを6短編で分けあう構成。オプもスペイドも登場しないシリーズ外のものばかりで、セレベスのモロ族と白人との相克を描いた「毛深い男」と、帰郷したギャングとその妻の関係を描いた「ならず者の妻」がやや長めの作品。この2つ以外はスケッチみたいな習作だが、KKKを諷した「怪傑白頭巾」に妙な味があって面白い。「帰路」は本当にヘミングウェイ風。


No.734 6点 死は熱いのがお好き
エドガー・ボックス
(2020/09/13 22:20登録)
少し前に映画「マイラ」を見て凄く面白かったこともあって、その原作者のミステリはいかに?なんて興味を持って読んだ。作者のゴア・ヴィダルというと、ゲイ小説のパイオニアだし、ワイラーの「ベン・ハー」のゲイ要素を監修したライターだし、「マイラ」と言えば性転換を扱って「アメリカで一番憎まれた映画」とまで言われた映画である。そりゃあ「ゲイ・ミステリ?」と期待するんだけど....いや、このシリーズ、ヴィダルの性解放が世間の忌憚に触れて干されていた間に「金のために書いた」らしくて、さすがにゲイミスじゃあ時代に先駆けすぎ。評判よくて儲かったようだけど、絶版にして、やっと最近ゴア・ヴィダル名義で再刊したのだそうだ。まあだから、このシリーズの「面白味」はちょっと別なあたりである。

一応、スタイル的にはハードボイルドみたいな一人称私立探偵小説(主人公は探偵で宣伝マンで雑誌ライターで、要するに何でも屋)。でもなんせゴア・ヴィダルみたいな名門出身のインテリの手にかかると、金持ちの未亡人にPR顧問みたいな恰好で雇われて、夏のバカンスをロングアイランドの海岸別荘で過ごすことになる...バカンス地でパーティ三昧の日々を過ごす主人公は、遊び人以外の何物でもない。けどこれに、これがホントに作者の地なんだよね、と思わせるようなリアリティがある。で、この主人公、知り合いの女性記者が同じバカンス地に行くのに列車の中で出くわして、殺人や何やらある雇い主の別荘を抜け出して、この女性記者とお楽しみ!

クラブにつく前に彼女を砂丘の方へうまく連れ出した。(略)それはアイダホの山に似ていなかったが、まあ強いて言えばつんと立った女の乳房のように並んでいて、われわれの姿を人の眼から隠してくれている。最初彼女はいやだと駄々をこねてたが、しばらくすると目を閉じた。白く暑い砂のゆりかごの中で抱きあうと、頭の上の空はぬけるように青かった。

とソフトだけどエッチのシーンがある「ハードボイルド」。1954年だもんね、あのマイク・ハマーでも秘書のヴェルダは難攻不落な時代で、アメリカのエンタメがピューリタン主義のために性描写に厳しかった時代に、率先して性描写を持ち込んだミステリ、という歴史的な意義があるようだ。
でもね、ヴィダルはゲイだし、そのせいか性描写はシニカルにしてユーモラス。わいせつ感は全然、なし。

「私あなたに図をかいて女の体ってものが男とどんなに違っているか教えてあげたいくらいだわ。男性はごく簡単で見ばえもよくない鉛管式ですけど、女は―」「女はちょっと洒落た形だと思うね」

「叔母様はどうせ、セックスを駆けっこぐらいに考えているのよ」

とかね、こんな軽妙な会話の面白味で引っ張る小説である。ここらへんのキャラクター性がハードボイルドと言えば軽ハードボイルド調なんだけども、ギャングもヤクザもまったく登場せず、一度背後から殴られて気絶して、最後に真犯人に拳銃で脅されるくらいのもの。上流階級のバカンスが舞台だから、一見「古き良きパズラー風」の事件と背景、しかもトリック風の動きを真犯人が見せたりするから、「本格」という評価をしたくなるも、まあ不思議じゃない。

美しさってあえないものよ。性格だって年とると意地悪くなるわ。だけどお金はうまく投資していればいつでも愛されるわ

こりゃ本当の金持ちじゃないと、吐けないセリフだと思う。そういう小説。


No.733 6点 プラークの大学生
H・H・エーヴェルス
(2020/09/09 23:28登録)
評者エーヴェルスは「吸血鬼」が大好きで、ついに創土社版を中古で手に入れました..今まで購入した書籍の最高値になります。
「プラークの大学生」は創元推理文庫なので、さほど入手難ではない。訳と解説は「吸血鬼」同様に前川道介で、ドイツ表現主義映画についてコンパクトにまとまった解説は一読の価値あり。
「大学生」と言ってもヨーロッパでは、中世の学生ギルド以来の「遍歴学生」の伝統があるわけで、酒と博打と恋と決闘に明け暮れて「学問なんてするのはバカ」みたいな荒くれ者の「大学生」の話。剣士としてプラハNo.1 の評判をとるバルドゥインは大金と引き換えに、鏡に映った自分の像を悪魔に売り渡した....伯爵令嬢と恋に落ち、その婚約者と争いになって決闘することになるが、バルドゥインの一足先に「影」が勝手に、婚約者と決闘し殺してしまっていた...手加減して殺さないように約束していたのに。この悪魔の手先となった自分の「影」が暗躍して、バルドゥインの邪魔ばかり、次第にバルドゥインは追い詰められていく。
と、ネタはポオの「ウィリアム・ウィルソン」とか、シャミッソーの「影をなくした男」とか、「ジキルとハイド」とか、うまくアイデアをとってまとめている印象。ポオだと分身は「良心」なのだけど、本作だと「金で売り払われた自我」といったもので、自己疎外とかそういう文脈で昔はよく論じられていた印象がある。
で、文章は華麗なロマン派風のもの。一応本作はエーヴェルス自身の映画脚本から、ドクトル・ラングハインリヒ・アントスという人がノベライズした、という名目なっているのだが、アントス博士はまったく正体不明の人物で、文体からして間違いなくエーヴェルス自身のもののように感じる。実際、本人作の扱いになっていることがほとんどのようで、「ジャンルの間の移し替え作業」を安易なものとして嫌ってるエーヴェルスの建前(序文)から、こういう名義になったのだろう。
と、この作品、サイレントで2回映画化されていて、両方ともドイツ表現主義の重要作品である。両方ともにエーヴェルスが直接かかわっている。いい機会なので、2作とも(1913&1926)見た。1926の方はわりと普通によくできたドイツ表現主義映画..なんだけど、1913の方は、これは凄い。第一次世界大戦の前、である。「國民の創生」も「イントレランス」もどころか、「カビリア」よりも前で「クォ・ヴァヂス」「ポンペイ最後の日」「ポーリンの冒険」なんかと同じ頃。チャップリンの映画デビューも同じ年。こんな長編映画の草創期の作品なんだけども、「芸術的な映画を作ろう!」という野心の下に、才能ある若者が結集して作った奇跡のような名作である。まあ、役者とか1926の方が美形で上手だけど、表現の凝り具合・先鋭さ・特異な美意識、全体から立ち上る熱気、野心、といった「特別さ」が1913にはある。1926はドッペルゲンガーを吹き替えとモンタージュでうまく処理しているけども、1913はマスク合成で一画面に主人公が分身して登場するのが見せ場。いや本当に、表現が頑張ってる作品で、作り手の覇気に打たれる、とはこのこと。
ドイツ表現主義というと「カリガリからヒトラーまで」が有名だから、カリガリ以前は触れられることが少ないけども、「カリガリ博士」が退歩したように見えるくらいに、時代を突き抜けた先進性のある映画である。


No.732 10点 半七捕物帳 巻の二
岡本綺堂
(2020/09/08 17:07登録)
何かと騒がしい今日この頃の、その発火点を評者が作ってしまい恐縮しているところです。しかし逆にここでたくさんの良い書評が投稿されることが、管理者さまを応援することになるのだろうと思いますので、積極的に書いていこうと思います。まあ憎まれついででもありますけどね...うん、本作なんて悪口を言ったら確実にバチがあたる大名作です。

「半七」は最初から名作連発で、長い連載期間の後半でもそう力が落ちない印象があるが、それでも頂点というのはこの2巻収録のあたりだと思う。
怪談仕立ての「津の国屋」は、半七が「昔の人は気が長い」と振り返るように、実に大がかりな「怪談」の仕掛けで商家を乗っ取ろうという陰謀を暴く話。この「気の長さ」が「陰謀のスケール感」につながって、それこそパズラー風ではなく社会派っぽい「大掛かりさ」が面白い。因縁話なんて...と文明開化に毒された(苦笑)世代では、「江戸の闇」の深さを体感していないから、「江戸の怪談」のホントの恐ろしさをリアルに感じれないのかもしれないが、そのギャップも含めて面白い。
「鷹のゆくえ」は将軍お手飼いのお鷹が飛び去ったのを、半七が内々に頼まれて探す話。鷹のゆくえなんてホント雲をつかむような話なのだが、内々に済まさないと「一羽の鳥のために、四人の人間が命を捨てなければならない」状況を、半七も黙視できずに....で、単に自然現象ではない裏のカラクリを半七は暴く。半七はリアルだから、こういう将軍からみの依頼も、あっさりと八丁堀の同心に頼まれるだけ。のちの捕物帳みたいに征夷大将軍とご対面、とかあるわけはない(いや、結構そういうのあるからね。実際、警察関連の与力・同心だって「不浄役人」扱いでひどく差別されていたことを鳶魚老人が書いているよ)。
「筆屋の娘」は、看板姉妹が売る筆をなめて、筆先を揃えてくれるサービスで大人気の「なめ筆」の店で、姉娘が毒死した。その翌朝、近所の寺の若僧も毒死しているのが見つかった。心中として落着しかけたのだが、半七の推理は... とこれが結構モダン・ディテクティヴな真相。
半七が扱った事件ではないが、地方での事件例をまとめた「御仕置例書」から半七が紹介してくれた「小女郎狐」。この事件はムラ社会の陰湿な「噂」を巡る悲劇で、なかなか今に通じる「閉塞した空気感」があって、面白いと思う。
半七というと地味な事件が多い...なんて思っていると、「勤皇討幕の議論が沸騰している今の時節」を背景に、公家のご落胤を装って祈祷所を開いた女行者を、何か政治的な陰謀が陰にあるのでは?と同心から調査を依頼されるのが「女行者」。それでも派手な立ち回りがある半七ではちょっと珍しい話。捕物シーンではさすがに半七、ハッタリが効いててかっこいい。「槍突き」も連続通り魔事件で、腕に覚えの道場の若様が介入し...とこれもまた派手な事件。だから半七でも派手目の事件って、結構あるものだ。

とどれを読んでも名作がぎっしり詰まった、1冊で傑作選になるような名作集です。江戸人の「のんびり」した心持を、こんな時期ですから心掛けたいものですね。


No.731 6点 ラヴクラフト全集 (4)
H・P・ラヴクラフト
(2020/09/03 21:00登録)
SF色の強い作品を集めた感がある巻。
やはり「宇宙からの色」が出色の出来。「識別も不可能な宇宙的色彩」「異界的でこの世のものならぬあの虹」と形容される「色」が、野中の一軒家を破滅に導いた怪異について、人間が感知しうる唯一の現象だ、という発想が素晴らしい。怪異も「怪物」というかたちを取ってしまえば、何か馬鹿馬鹿しいものなんだけども、「色」という捉えどころない現象でしか知覚できない、というのが「語らずに、感じさせる」ラヴクラフトの面目躍如。

「狂気の山脈にて」だと、地球の超古代史を創作して、その遺跡に遭遇した南極探検隊の恐怖を描くのだけども...「旧支配者」(というか、混同を避けるなら『古のもの』の方がいいか?)は例の円錐型でいろいろ触手が出ているあれ。想像すると何かかわいい。ぬいぐるみにしても、そう違和感ないような(実際にあるようだ。おそるべし日本人!)...しかも

あわれな<旧支配者>たちよ。最後まで科学者だったのだ...もしわたしたちが彼らの立場に置かれたら、わたしたちとてしたようなことしか、彼らもしなかったのに。なんと知的で我慢強い存在なのだろう。

と主人公も「彼らは人間だったのだ」と共感してしまうような存在なんだよね。これじゃ、絶対に怖くはならない。悪役はポオの「ゴードン・ピム」から鳴き声「テケリ・リ」を借りたショゴス、ということになるんだけど、逆に知性をほぼ欠いていて大した存在ではない。SF冒険小説、と見た方がいいんだろうけど、ラヴクラフトだから冒険の爽快さはなくて、中途半端に「恐怖」があるから、扱いに困る。

あとは「ピックマンのモデル」。グールたちのおぞましい行動様式と、それを嬉々として絵に画くピックマンの異常性が面白味で、例のオチは読めるし衝撃的なわけでもない。過大評価だと思うけどねえ....分かりやすい作品ではあるか。後の4作は短くて習作みたいなもので、取るに足らない。

というわけで評者満足、はこの巻は「宇宙からの色」のみ。ちなみに「色」というのは人間の外部にある「物理現象」じゃなくて「心理的現象」、いいかえると人間の感覚受容器官の上で起きる現象、で今は落ち着いているから、純粋に心理的な現象の「ホラー小説」との相性は抜群、ということにもなるように思う。さすがはラヴクラフト。


No.730 9点 半七捕物帳 巻の一
岡本綺堂
(2020/09/01 23:30登録)
「半七捕物帳」のタイトルで登録はすでにありますが、評者本当に大好きなシリーズで、現行本の光文社文庫版全6巻の各巻についても、ぜひぜひ書きたいと思うようになりました。反則かもしれませんが、1巻全14編について独立項目として取り上げさせてもらいます。弁解するとすでに書評済みの「半七捕物帳」は講談社大衆文学館の...ということにでもさせてください。
各巻は番外編の中編「白蝶怪」を除いて執筆順で収録されているようなので、「巻の一」は半七初登場から初期の大正6~7年発表の初期作品になる。もちろん江戸川乱歩だってデビュー前だ。
最初の「お文の魂」は導入みたいなもので、「わたし」が直接半七老人と知り合う前に半七の活躍を「わたし」の叔父から聞かせてもらった話だ。最初から怪談の合理的解決になっているのが、怪談仕立ての多い半七らしいといえば、らしい。
「石灯籠」からは半七老人から直接「わたし」が思い出話を聞きだす体裁。半七捕物帳の大部分は半七の手柄話だが、中には半七が聞いた話をそのまま語るものもあって、事件の背景も文化文政から慶応年間まで、土地柄も江戸だけではなくて、奥州の城下町の話もあれば、下総の田舎、あるいは「山祝いの夜」のように半七が小田原に出張して出くわした事件もある。岡っ引きだから町人の事件が本職だけども、半七はその腕を見込まれて、内密に武家や寺社の事件を調べることもあり...と、バラエティが実に豊かで、しかもそれぞれのリアリティが半端なくリアルな「江戸」を体験できるのが信じられないほどである。
まあ、どの話も落ち着いた雰囲気で、デテールの描写に「江戸時代ってこんな生活だったんだ」と驚かせるような時代風俗の面白さがあり、しかもそれがミステリの軸になっていることも多い。しかもそれが考証知識、というようなものではなくて、生活実感として追体験しているようにすら感じさるわけで「江戸に浸る」のと同時に「江戸の謎」を半七の眼に導かれて解き明かす、ミステリの面白さもたしかに実感できる。
そういう意味で評者お気に入り、というと1巻だと「朝顔屋敷」かなあ。大身旗本の子息が御茶ノ水の聖堂で毎年行われる「素読吟味」を受けにいく途中で失踪した事件を、半七が特に同心に頼まれて解決した話だ。武士の子供がその勉強ぶりを公的に試験される、というのが何より面白いことであるし、子供たちながらに御家人の子供の「烏賊組」と大身旗本の子供の「章魚組」が対立する、なんて世知辛い事情が背景にあって...と、考証知識だけでは思いつくわけがないような、江戸の生活の肌触りに基づいた「謎」なのだ。
あるいは「春の雪解」。按摩がお得意先ながら「ぞっとする」、入谷田圃の廓の寮。歌舞伎の河内山にある直侍と三千歳の逢引の話を下敷きに、隠された陰惨な殺人を半七が嗅ぎつける。按摩と蕎麦を食べるのが歌舞伎の通り。怪異はあるが、ミステリの邪魔にならずに、非合理と隣り合わせに生活する江戸人のリアルを強く印象付けることになる。
「湯屋の二階」となると、武士でもとんだ腰抜け侍で、おどろおどろしいのも単に馬鹿馬鹿しい思い違いだったりする...変なユーモアがあるのだが、こんなダメな侍もいるもんだ、というのが面白いところ。
と、いわゆる「捕物帳」が実際にはコスプレで、「侍ならステロタイプな侍」だし「町人なら町人のステロタイプ」で、それから外れたら「らしくなくなる」のに対して、綺堂のリアリティは「ステロタイプから外れても、そんな奴もいそうだ...」と思わせる説得力があるわけである。そこにユーモア感が出るのだから、「江戸のリアル」のレベルが違う、としか言いようがない。
どれもこれも、読めば読むほどに「江戸のリアル」に没入し、「江戸ならではの謎」を「江戸の論理」で解明するのが楽しくなる。真の「スルメ本」の部類である。


No.729 8点 花夜叉殺し
赤江瀑
(2020/08/30 22:24登録)
赤江瀑は、本当に書きたいと思います。なのでリハビリの一環で。
赤江瀑の本領は長編じゃなくて短編にあるのだけども、雑誌掲載~単行本化の本来の短編集は、単行本も文庫も絶版久しくて、何度も編まれたアンソロも手に入りにくい...という状況も、電子書籍化で最近は救われた感があります。まあだったら、アンソロでも一番作品が完備した光文社文庫の三冊の傑作選を読めば、赤江瀑のアウトラインが掴めることにもなると思う...なので、まずは<幻想編>。
といえ赤江瀑だからどの作品も<幻想>で<情念>で<恐怖>なんだから、サブタイトルに大した意味はない。どっちかいえば京都奈良の古寺にちなんだ話をまとめた印象。でこの本は「花夜叉殺し」「獣林寺妖変」「罪喰い」と代表作級3作で始まり、話の筋立てからすればミステリ以外の何物でもない「正倉院の矢」で終わる10作品を収録。

「ミステリの祭典」なので一番ミステリらしさのある「正倉院の矢」を例に取ろう。主人公はかつて姉とその婚約者と故郷の村を沈めたダム湖に遊び、その時にボートの事故で姉を喪った過去があった。十五年後に正倉院御物の「投壺の矢」の写真を見て、それがボートの事故の際に拾った木切れのものだということに気づいた主人公は、故郷の街を再訪して、その事件の真相を知る...まあこんな話。で、この矢はボート沈没の仕掛けに使われたものだから、トリック?みたいなものでもある。うん、形式的には完璧にミステリ、なんだけど、読後感は全然そうじゃない。これが何というか、赤江瀑らしいんだよね。
事件の動機はこの婚約者の家に連綿と伝わる、投壺の矢を使った秘密の性戯にあって、その異様な性戯の呪縛から逃れようとする婚約者と、その呪縛を払うためにその犠牲に捧げられた姉、そして姉の妊娠とその子の真の父親...とミステリとしては明らかに余計な「異様なモノ」とそれを巡る情念のドロドロに作品の力点があるわけである。まあだから「ミステリとは完全に地続きなところ」に赤江瀑の世界はあるんだけども、その実、ミステリ...じゃないと、評者は思う。

でこの「異様なモノ」の「モノ語り」として、赤江瀑の作品は強烈なのである。「モノ」という言葉に鬼や神霊を畏怖して言う用法があるわけで、「花夜叉殺し」なら花の匂いで性欲を刺激して人間を虜にする麻薬のような庭、「獣林寺妖変」なら古寺の血天井とルミノール反応で怪しく光る新しい血痕、「罪喰い」なら新薬師寺の伐折羅大将像の怒り顔に似た木彫りの像、その像の背後には「都美波美黒人」=「罪喰み黒人」との墨書が....というような、「異様なモノ」と、それに執着する人間の情念の結晶が作品の動力なのであって、その結末は大概殺人やら自殺に終るのだけど、それは結果に過ぎなくて、どうでもいいのである。この「モノ」が覗かせる「人間の生の裏側の世界」にどうしようもなく魅せられてしまい、その中に引きずり込まれるプロセス自体が、読者を魅了するのだから。
なので小説としては常に赤江瀑は過剰で、ストーリーに必要な要素、と見たときには余分で余計な心情やエピソードが、これでもかと盛り込まれる。それは作品の論理でも割り切れない、異様な執着にしか見えないのだ。この過剰さが赤江瀑の作品の捉えどころのない印象につながっているようにも思う。しかし、この過剰なエピソードが、いつまでもいつまでも読者の心に傷を残すことになる。「罪喰い」なら死者の体を餅でぬぐって「死者の罪」を移して、それを食べる葬送儀礼を強いられる黒衣の被差別民「罪喰い」のイメージなんぞ、本当に悪夢的としか言いようがない...このイメージの暗黒さが、ミステリ以上にミステリな、と言いたくなるような魅力に満ちている。

というわけで、赤江瀑、というのは「ミステリの兄弟」のような一つのジャンルだと思う。未体験の人は試しにいかが? でも魅せられても、知らないよ。
(個人的には「刀花の鏡」も好き。ちょいとBLっぽい味あり)


No.728 8点 魔界転生
山田風太郎
(2020/08/30 21:20登録)
恥ずかしながら復活します。最近「書評のために読んでる」感が強くなってしまって疲れてしまっていたのですね。なので「どう読んでも絶対に面白い保証付き作品」なら、リハビリにいいのでは....と選択は本作。
うん、その通りでしょう。これ読んで退屈だと思う人がいるはずがない。剣豪スパロボ大戦である。全盛期がズレた剣豪たちがベストコンディションで戦うドリームマッチ、山風らしい本歌取りも随所に顔を見せるから、鍵屋の辻で荒木又右衛門と戦うし(荒木の刀も折れる)、巌流島で武蔵と戦い武蔵を待たせちゃう。大枠の「ゲームの規則」を提示してそれを巡って細かい駆け引きも....と凝ったゲーム性+人気キャラのあのシーンこのシーンを思い出させる演出の数々、というわけで、本作、ホントは上出来の「ゲーム」なんだよね。だから柳生十兵衛はプレイヤーキャラとして、安心して感情移入をすれば、いい。それこそ何も考えずに「あ~面白かった」と無責任に読めるエンタメの極致である。

考えてみれば「忍法魔界転生」は全然忍法じゃないわけだ。術でも何でもなくて「メタに『世界』を可能にする仕掛け」のわけで、この今風に言えば「同人っぽい」ワガママさが、時代に大きく先駆けている。今でも風太郎人気が衰えない最大の強み、がコレなのである。
なのでこの使い勝手の大変にナイスな「忍法魔界転生」だから、映画でもマンガでも、いいように使えてしまう。「原作に忠実でないから傑作」な「二次創作」がいろいろあるのはご承知の通りだろう。マンガなら石川賢の「ゲッターな魔界転生」も凄くて一読の価値があるし、81年の角川映画なんて今じゃカルトの名作だ。いいんだよ天草四郎がラスボスなオカルト時代劇でもね。炎上する江戸城で炎の中からゆらりと現れて編み笠を取ると梵字をカラダ一面に画いた千葉真一がドスの効いた声で「情けなや親父殿」..な映画は衝撃的なほどに美しい。

つまりね「魔界転生」というのは、山田風太郎の一大発明、なのである。


No.727 7点 夜のオデッセイア
船戸与一
(2020/06/15 07:43登録)
派手な筋立てのアクション・ロードムービー(映画じゃないが)。
コネチカット~ニューヨーク~マイアミ~ニューオーリンズ~アリゾナとワゴン車「オデッセイア」で流れ流れる同行7人。注射試合をしくじってアメリカに逃げた日本人ボクサー(おれ)、そのマネージャー兼トレーナー、おれの元愛人でストリップまがいに出ていたのに再会して同行する女、その女の甥っ子の黒人ハーフの少年、ベトナム帰りのプロレスラーコンビのウィスキー・ジョー&ブランデー・ジョー、それに謎の男。
このクルーの個性がすべて。ウラさびれた哀しい野郎ども。とくにウィスキー・ジョー&ブランデー・ジョーのコンビが出色。まあだからプロットよりもキャラとオデッセイが通過する「1980年のアメリカ」の騒然とした世相がお楽しみ。黒人暴動あり、ホメイニ革命あり、キューバ情勢あり....マフィア・CIA・モサド・ホメイニ派・ゲバリスタなんでもあり過ぎなのはご愛敬(苦笑)。あ、そういえば宝さがし。宝物はマクガフィン。「そいつは夢でできている」から、結末はつねに永劫回帰。

でも思うんだが、ウィスキー・ジョーのお気に入りはウィスキー、ブランデー・ジョーのお気に入りはブランデー、「おれ」のお気に入りはアブサン、ということになっている。度数は強いけど、あんな甘ったるい酒をよくラッパ飲みするなあ...(いや評者も好きだけどね、デザートみたいに飲むものでしょう?)


No.726 6点 好色いもり酒 人形佐七捕物帳
横溝正史
(2020/06/14 17:22登録)
五大というか七大(+顎十郎、安吾)捕物帳の制覇もしたくなった。残りは佐七と右門だもんねえ。横溝捕物帳の表看板人形佐七に参戦。おっさんさまも高評価の春陽文庫の短編集。
評者のお気に入りは、プロットの綾に変化の大きい「敵討ち走馬灯」。昔何かのアンソロで読んだ記憶がある。これは犯人にしゃれっ気があるのがナイスで、心ならずも罪を犯した人を見のがす捕物帳のお約束をうまくアレンジしてあるのもいい。「花見の仇討ち」はもともと古典落語のネタで、銭形平次に同じ設定の「花見の仇討(1937)」があるから、たぶん競作(横溝は1955)みたいにしたものだろうな。というか、横溝正史って考証は弱い(ちゃぶ台とか出て苦笑)から、レギュラーのお粂・辰五郎・豆六の掛け合いも落語調で、豆六が「民主的やない」って笑わせるような語り口の参考がそもそも落語なんだろう。そういう来歴を考えると、「花見の仇討ち」なんて絶好のネタになるのもわかる。
「捕物帖の百年」でも横溝・城昌幸の二人はミステリ禁圧の時代に、ミステリの「かわりに」捕物帳を書いた、と指摘されるくらいのもので、トリックのある作品は多いけど、解明のフェアさとかはあまり拘らない傾向がある。「たぬき女郎」とか「恋の通し矢」とか仕掛けは面白いんだけどね。で、やはり考証弱めの銭形平次の理想主義と比較すると、どうも横溝正史はサービス精神旺盛で、エロや残虐を盛り込みすぎて品がない傾向がある。まあ達者で器用な作家なのはよく分かってはいるんだけど、評者は佐七より闊達な若さまの方が好きだなあ。

さて、五大残りの右門も頑張るか。昔読んだけど、全部読んでも量的にはそう辛くないし。


No.725 8点 バスカヴィル家の犬
アーサー・コナン・ドイル
(2020/06/14 13:31登録)
ホームズ失踪中に思い出話スペシャルみたいに書かれた作品、ということになる。ドイル本人はたぶん自分を「冒険小説家」だと思ってたんじゃないかな..となるくらいに、ホームズ長編はアドヴェンチャー色が強いんだが、本作だと、冒険+ゴシック怪奇+メロドラマ+推理少々、という配分だと思う。それはそれで大衆小説のツボを押さえまくった作品なんだから、面白く読めるのは間違いないところ。舞台となるダートムアの荒涼とした荒野の描写が何より、いい。この舞台装置さえ魅力的なら、小説の成功も約束されたようなものだと思う。そういえばクリスティでも「シタフォードの謎」が同じ地域だし、クリスティ自身の出身もあのあたりの港町。
そういう「荒野」が舞台だから、脱獄囚、先住民の史跡、底なし沼、魔犬伝説..と冒険小説的なガジェットを満載した小説だと見た方がいい。それこそ、ホームズも冒険小説の狂言回しだった先行2長編からもう一歩踏み込んで、冒険小説のヒーローにチャレンジした、というのが、本作の人気の根底あるのでは...なんて思ってた。
まあ今回はワトソンも単独行動が多いから、ワトソンも単なる相方・記録係の域じゃない生彩もある。頑張るワトソン、奇怪な人影を目撃、追跡....と真打ちホームズ再登場に至る流れとか、小説としては、文句のつけようがないといえばその通り。

子供の頃学年誌の付録で本作のマンガ化作品を読んだ記憶があるんだけど、Wikipedia によると漫画家は「ワースト」の小室孝太郎だったみたいだ。もし取ってあったら本当にお宝の部類だったなあ。最後に犯人がズブズブと底なし沼に落ち込んで果てる...なんて原作では描いてないシーンがあった記憶がある。底なし沼が怖くて覚えてるんだろうね。


No.724 5点 マギル卿最後の旅
F・W・クロフツ
(2020/06/14 12:58登録)
クロフツ苦手だ...の評者。それでも子供の頃ジュブナイルで読んだ記憶があるから何か懐かしくなって購入。
フレンチ警部がイングランドの北部と北アイルランドを行ったり来たりする話。でもあまり旅情とか感じない。地名がやたらと出てくるけど、最初の方のページに登場する地名がちゃんと網羅された地図が付いていて親切。古本で買ったけど、その地図のページに前の所有者の付箋が貼ってあった(苦笑、ありがとうございます)。
クロフツって話を追っていくだけの作家だから、キャラの味付けもないし、描写細かいだけで、あまり「絵」として迫ってくるようなこともない。ひたすら謎を追って関係者・目撃者の話を聞いて回るので話ができている。その中で薄皮を剥ぐように真相が見え隠れ..というあたりが小説の狙いになるんだけどね。いやだったらさ、もう少しフレンチが「こう考えた」を出して、ストーリーを積極的に引っ張ってもいいように思うんだ。フレンチの推理も実験まで内容を伏せて書いてあるわけで、ここでの「びっくり」と「仮説検証サイクルの試行錯誤の面白さ」を天秤にかけたら、評者は「試行錯誤の面白さ」が出た方が小説として面白いのでは..なんて思う。クロフツを読むとどうしてもガーヴのが..なんて思ってしまう評者は、クロフツのイイ読者じゃない。ごめん。

(少しバレ)
本作共犯者アリ・犯行時刻の立証なしだから、ここまで凝った工作をしなくても....と思わなくもない。いいところは距離×時間のタイムテーブル管理がしっかりしているあたりのリアリティ、かなあ。


No.723 7点 探偵コンティネンタル・オプ
ダシール・ハメット
(2020/06/12 19:14登録)
コンチネンタル・オプの通常営業回。でもユーモラスなファンタジー①とかアクションの面白味のある⑤とか、バラエティに富んでいる。
①「シナ人の死」はやはりねえ「秘密暴き手閣下」「ナゾ解き皇帝陛下」「狩人の王子」「人狩り大公殿下」「スパイの王さま」「謎解きの名人」「探偵国の皇帝陛下」「ドロボー退治の王子」だのオプを褒め殺そうとするチャン・リン・チンのおだて文句が素敵。ゴテゴテしたヘンテコな話だが、ファンタジーと思って読めばいいだろうな。
②「メインの死」は、これ「セールスマンの死」か。リアリティのあるトリックでナイスだと思う。こういうのに評者はハメットらしい「ミステリ」を感じる。
③「金の馬蹄」人探しモノでティファナまで出張。少々話がロスマクっぽいか(苦笑)。臨時でオプが雇うエキストラの使い方が結構笑える。オチの付け方がハメットらしい因果応報。
④「だれがボブ・ティールを殺したか」後輩殺しを追求するオプ。冒頭の「おやじ(オールド・マン)」の描写がすべてじゃないかな。アリバイ工作としてなかなかナイスなアイデアがあるから、意外にトリッキーな作品としても面白いと思うんだが。
⑤「フウジス小僧」まあ「小僧」という柄じゃないから「フウジス・キッド」の方がカッコいいや。後半の密室劇でドンドンと野郎どもが片付いていくさまが非情。後先考えずに猪突猛進するフウジス・キッドのイケイケなキャラに妙な迫真性がある。悪党たちの個性もバラけていて、よく書けた作品。

なかなかナイスな短編集。でも短編集5冊でやっと 30/61。まだまだ道のりが遠い...


No.722 6点 闇に蠢く
江戸川乱歩
(2020/06/10 13:07登録)
どうも今の人らは、本作とか「盲獣」とか読まずに済ます人も多いみたいだ。評者が初講評なのは、そのせいかもね。ま、分からなくもないんだけど、ここらを読まずに、「乱歩とは」とか語るのはおこがましい、と思うんだが...本作とか「盲獣」とかに口を噤んで乱歩を語る人を信用しちゃ、いけないよ。
本作は、乱歩の最初の連載小説というか長編小説になる。なので作家論としての重要性は極めて高い作品になるんだが....明智もでなけりゃ、話も大したことはなくてシチュエーションだけがある作品、と言っていい。乱歩ってプロットの作家じゃないからね。例によって本作は連載を投げだして、全集に入れるときに結末を書き足して....で乱歩本人は韜晦がキツイから「恥ずかしい」のなんの並べているわけでね。

素人画家の野崎三郎はモデル兼愛人のお蝶と信濃のS温泉に夜逃げすることにした。三郎はS温泉の「籾山ホテル」に猟奇の血を騒がせる気配を感じていたのだった。でっぷりと太った主人は、温泉客に自らトルコ風という触れ込みのマッサージを買って出る奇妙な習慣があった。子守歌を歌う奇怪な女の影、お蝶と因縁があるらしい男の到着...その男に怯えるお蝶は、果たして底なし沼に落ちたのか、失踪を遂げる。お蝶の幻影に囚われた三郎は、ホテルの主人が隠す重大な犯罪を、地の底の牢獄で知ることになるのだが、三郎自身もその罪に耽溺するように成り果てる....

と婉曲に書くと、こういう話。いや実に前半、抑えた雰囲気描写がなかなかイイ作品なんだよ。で、後半の凄惨な地獄絵図と、木乃伊取りが木乃伊になる結末まで、一気に読ませる力はあるから、決して退屈な作品じゃないことは、評者が保証しよう(苦笑)。
え、何があるのかって? うん、言わぬが花、ということにしておこうか。エログロの帝王乱歩の「猟奇」の極点の一つになる作品である。


No.721 4点 捕物帖の百年
事典・ガイド
(2020/06/09 10:20登録)
ミステリ史を通説した本なんて腐るほどあるけど、捕物帳を通説した本って希少価値だ。評者最近捕物帳づいてるから、参考資料として読んでみた。
本著は二部構成で、前半は半七・右門・平次の三大捕物帳を40ページ弱ですっとばし、佐七・若さま・顎十郎・安吾、それに夢野久作と周五郎が「捕物帳を書けなかった」考察で出来ている。後半は戦後の捕物帳をとにかく数を紹介する、というかたちで33シリーズを紹介。
まあ評者が本著を「事典・ガイド」に分類したことからも推察できるだろうけど、1章使って論評している佐七・若さま・顎十郎・安吾でも、評論としては中途半端でかつ全体的な一貫性がなくて、キママなエッセイくらいのものでしかない。そもそも半七・右門・平次の三大捕物帳を40ページ弱ですっ飛ばそう、というのだから、本格的に歴史を書こうという気はサラサラなくて、著者が「自分が書ける(得意な)内容程度で」書いたくらいのものと見た方がいいようだ。面白味があるのは夢野と周五郎が「捕物帳を書けなかった」考察の2章くらいなので、とってもじゃないが通史とも評論集とも呼び難い。なので、最低「事典・ガイド」くらいにはなるよね?ということで、このカテゴリ。
野崎六助って読んだことなかったが、評論家としてはあまり出来がいいようには思えないな.....求むマトモな捕物帳通史。


No.720 5点 謎の紅蝙蝠
横溝正史
(2020/06/06 19:02登録)
横溝正史と言っても、金田一とは違って、捕物帳はちょっとした魔界のようだ。人形佐七なんて1938~68年までの30年間書き続けたわけで、由利先生より金田一より活躍期間は長い。しかも戦前は人形佐七だけじゃなくて、朝顔金太だの服部左門だの鷺坂鷺十郎だの左一平だの緋牡丹銀次だの多士済々きわまりないし、しかもこれらの主人公作品をのちにちゃっかり人形佐七モノに書き直していたりする....と実際、わけがわからない。最近では捕物出版からオンデマンド本で出たり、論創社からレア物が出たりとかして少しは整理されてきたようではある。

でこのお役者文七は戦後生まれなので、身元は他の時代ヒーローよりはっきりしている。1作目の「蜘蛛の巣屋敷」以外はすべて「週刊漫画Times」連載というのが面白い。「週刊漫画Times」は今もあるね(オヤジマンガ誌だ...)。週刊漫画雑誌の草分けで、初期のナンセンス漫画中心だったころに連載されていたようである。主人公の文七は、旗本大身のご落胤でありながら、訳あって歌舞伎役者の養子になったが身を持ち崩し、今では岡っ引きの居候。役者修行をしたからには女にだって化けれる美男(佐七も美男だしなあ)。町奉行大岡越前や与力の池田大助の信も厚く..という設定。岡っ引きでなくて遊民で、フリーの江戸の冒険者みたいな立場。長編4作、中編3作で活躍。第1作は映画化。
4作目の本作は養父の一座に新たに加わった加賀出身の役者菊之助に彫られた紅蝙蝠の隠し彫りと、十七年前に御金蔵を破った紅蝙蝠一味との因縁の話。その千両箱の隠し場所を示した地図を巡って、稀代の毒婦「御守殿のお美代」が菊之助を騙すところから始まり、次第に紅蝙蝠の残党が絡んでくる...養父の一座の役者を守るために文七が事件に介入して宝の地図の奪い合いに一枚噛むことになる。
そういう話なので、ミステリ色は薄いです。悪女お美代のキャラが一番立ってるな。で、このお美代を巡ってエロ描写は濃厚。横溝正史が達者に書き飛ばした時代劇スリラーで、通俗と言えばまあ、通俗の極みみたいな作品だ。


No.719 9点 炎に絵を
陳舜臣
(2020/06/06 18:01登録)
評者がこのサイトを見始めた頃、本作が国内ベスト5に入っていた記憶があるよ。評者とか「見識、だね」と思ってた...その後沈んじゃったのはもったいない。
誰だったかの戦後ベスト20に入ってるのを見た記憶があるし、協会賞を「風塵地帯」と最後まで争ったこともあって、評者は本作「隠れた名作」とは思ってないなあ。地味かもしれないが、歴史ロマンとどんでん返しを両立させた陳舜臣のミステリ代表作だと思っていたよ。この人の「受賞作」だって地味と言えば地味で、ドラマがしっかりし過ぎているので損してるのか?というくらいの、そういう作風じゃないのかな。
大掛かりな仕掛けがあるけども、その動機は家族愛から発する納得のいくものであるし、産業スパイ話も目くらましとしてうまく絡ませていると思うんだけどね。というか、殺人も最後の方にやっと出るわけで、ミステリの「話の作り方」として、「型にはまったやり方」ではない、市井人の生活の中で遭遇する話として、巧妙に作られているように感じる。評者に言わせれば、「ミステリの話の作り方のお手本」じゃないかと思うくらい。
本作を「隠れた名作」なんて呼ばなくて、「60年代の大名作」として今の読者の間でも有名であってほしいと願う。


No.718 6点 銭形平次捕物控傑作選1 金色の処女
野村胡堂
(2020/06/04 17:40登録)
文春文庫の傑作選から。「櫛の文字」みたいな「ミステリな平次」もいいんだが、それでも「銭形の親分らしく」ないや。で、少し不満が溜まったから、ふつーの傑作選から。

表題作は平次のデビュー作で伝奇スリラー風な作品。将軍家光の鷹狩りの危機を平次が救うなんて、まあファンタジーだけど、キリシタンバテレンな邪法の儀式とか、怪奇色もあり。お静さんとはまだ交際中で、偵察を頼んだら拉致されて悪魔の生贄に...そういう話。アタマを空っぽにして読むといい(苦笑)平次だからね、「悪魔の生贄」でもアザトくならずに品がいい。
まあ、平次は半七じゃないから、時代考証は今一つだけど、絵になるシーンは多い。「お珊文身調べ」は刺青自慢大会が登場。親分も背中に六文銭の刺青を入れて...(ホントかな?)十二支を彫った粋な姉御と白蛇の男との因縁は?
ミステリだとどうしても商家の殺人ばっかりになりがちだが、武家が絡んだ話も多いわけだ。家宝の紛失を解決する「名馬罪あり」や、諸藩の軍事機密扱いの「兵糧丸」を巡って本草学者が誘拐されて殺される派手な事件の「兵粮丸秘聞」、子供の誘拐事件に絡む「迷子札」など、武家を相手に回しての、庶民の味方平次親分の心意気を楽しめばそれで充分。
とはいえ「お藤は解く」がこの本だと一番ミステリらしさあり。殺人事件の容疑者多数状態で、それぞれに容疑が深まると、この家に「行儀見習い」に来ている少女お藤が、その容疑をすべて晴らしてしまう。平次親分もお藤の推理にしてやられているのだが...という話。この名探偵少女の趣向がナイス。

でオマケとして胡堂のエッセイ「平次身の上話」を収録。

われわれの範とするのは、やはりボアゴベ、ガボリオ、ポー以後の外国探偵小説であるが、これは、コナン・ドイル以前の古典に属するものほど面白く、精緻巧妙にはなっても、近代のものに私は心惹かれない。それは、トリックに嘘が多く、筋も拵え過ぎて、人物が浮き彫りにされていないからである。

とまあ、ホームズのライバル世代に多かった、科学応用の物理トリックへの反発心から、こういう見解になったようだ。

従ってトリックもまた人間の心の動きの盲点を利用したものや、感情の行き違い、注意のズレと言った、心理的なものになりやすく、そのトリックは、時代や文化によって、動き易いものではない。つまりは、明日は変わって行く器械的なトリックではなくて、千古不易の心理的本質的なトリックになることが多いからである。

ね、マトモなミステリ論をしているよ。捕物帳だからって、バカにしたものではないからね。

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