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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1500件

プロフィール| 書評

No.840 8点 天上天下 赤江瀑アラベスク 1
赤江瀑
(2021/04/13 08:33登録)
最近では赤江瀑の作品はもっぱら電子書籍しか手に入らない...となっていたのだが、今までご縁がなかった創元推理文庫から、全3巻のアンソロが出ることになった。この第1巻がエッセイ「海峡―この水の無明の眞秀ろば」、長編最終作の「星踊る綺羅の鳴く川」、赤江瀑の長編としてはまとまりのいい「上空の城」の豪華3本立てに、故郷下関と歌舞伎と桃源郷を語ったエッセイ、それに編者とのロングインタビューを収録。
編者の東雅夫が以前学研M文庫の「幻妖の匣」のタイトルでまとめた本が、「海峡」「上空の城」+短編で構成されていてお買い得本だった。その本が今手に入りづらいから、拡大強化版のような企画である。
赤江瀑というと、長編作家じゃないから、どうしても「企画」が必要だ。この本は一応「長編3作」合本になるのだけど、それぞれが130ページほどしかない。「上空の城」あたりは特に、赤江瀑の「長編作家」らしからぬところも出ていて、短編に親しんでいると名作短編の引き延ばしのような印象も受けてしまう。まあ、そういう弱点もある作家、というのは念頭に置いておいた方がいいようにも感じる。実際、長編らしさがあるのは未完で著者らしくなく駄作の新聞連載小説「巨門星」くらいだし。

「海峡」は傑作だ。けどそれでも、それぞれの章が「破片」として、AからHの8つの断片からなる、エッセイ仕立てで「フィクション」ではない。統一したストーリーはなく、海峡をキーワードにして、さらに著者の名作短編で扱われたそれぞれの奇想の核を敷衍するような幻想世界が8つ。それを貫いて、若くして発狂して「海峡を越えた向こう岸の住人」と化した親友への追憶が芯になっている。なので、この「海峡」を赤江瀑入門に読むのはまったく勧めない。短編名作に親しんだあとに、「海峡」を読むと、赤江瀑の発想の核にある幻想がさらに広がって味わえて、赤江瀑を立体的に楽しむことができる。

水中でしか咲かないその人造花が、人間の肉体の花に擬せられてすこしも不自然ではないどころか、じつに適切な比喩となり得てわれわれに人間の花についての或るあざやかな展望をもたらし、説得力をもつというこのことは、恐ろしいことがらなのではあるまいか。

「役者の花」といういい方は世阿弥以来、クリシェとなっているのだが、この「人間の(宿命の)花」という比喩で赤江瀑の登場人物の運命を形容すると、なかなかオモムキの深いものがあるようにも感じられるのだ。

で、最後の長編となった「星踊る綺羅の鳴く川」は、江戸歌舞伎の役者が体現する「歌舞伎の精霊」と、鶴屋南北の戯曲に憑りつかれて死んだ劇作家を慕う女優たちとの間での、幻想の対話劇みたいなもの。「赤江瀑の「平成」歌舞伎入門」という新書での歌舞伎エッセイが赤江瀑の遺作になるようで、晩年の歌舞伎をめぐる幻想を展開した「歌舞伎論」のような芝居仕立ての「小説」である。観念劇だから、歌舞伎など演劇に関心が薄いと、つまらないんじゃないかな。

トリの「上空の城」は内容的には赤江瀑らしい話で、「城のイメージ」に憑りつかれた女性と、彼女に恋した青年のラブロマンスである。まあだから、小説としては意図的に「ふつう」を「当社比」で目指したような印象もある。いやこれを短編、と読んだら、引き延ばされて、赤江瀑らしくない日常描写の混じった作品、になるんだろうけども、長編と読むとやや食い足りないようにも感じる。赤江瀑入門編には最適かもしれないが、赤江瀑を「短編だけ」の作家に捉えざるを得ない、そんな残念さも感じるのだ。

東京創元社のサイトには4月末刊行の「魔軍跳梁 赤江瀑アラベスク2」の内容が出てますね。「幻妖の匣」収録作+後期作品なので、ほぼ光文社3巻アンソロとはカブらない、といううれしい内容! 買いです。
それでも3巻あたり長編「ガラ」は収録しないかなあ....


No.839 8点 11枚のとらんぷ
泡坂妻夫
(2021/04/07 18:59登録)
角川文庫の解説は松田道弘氏、というのが愛だ。20年ぶりくらいの再読だが、作中作のマジックのネタは頭に残っていたのだろうか、結構ピンと来たなあ(すまぬ)。だから今回はかなり客観的に読めたようにも思う。
そうすると、前半のマジックサークルのてんやわんやの発表会、後半の世界国際奇術家会議のマニア味溢れる面白さでなかなか満足してしまった。著者のマジックへの愛がこれでもか、というくらいに溢れているあたりに評者は感動していた...
だからというか、意外に不評な犯行状況の真相だが、これは著者のミステリへの愛をマジックへの愛が上回った結果のように思うのだ。評者は悪い印象はないよ。

どうなんだろう。昔って「ミステリとマジックは、ファン層が重なっていて..」とよく言われていたのだが、言うほどには「カブって」いない印象があったのは事実だ。評者でもミステリマニアは昔からだが、マジックは最近に別方面で必要に迫られて、参考のためにいろいろ知識を仕入れた、という程度の話だ。今はマジックの動画もネットで色々見ることができて、ショーとして楽しんでもいるわけだが...いや、皆さんのお書きになられたご書評を見るかぎり、泡坂氏や松田道弘氏みたいなミステリ&マジックという方は、やはり少数のようにも思われる(空さんはご造詣が凄そうだが..)
マジックの要諦は「不意打ち」にあるからね、「もういちど演じて!」と観客に要求されても、絶対に応じちゃいけない。読み終わった後で再度分析して書評を書くなんていう行為自体が、マジックから見ると愚の骨頂かもしれないよ。


No.838 7点 怪奇クラブ
アーサー・マッケン
(2021/04/05 22:48登録)
本作の原題は「三人の詐欺師」だから、「怪奇クラブ」という訳題は訳者の平井呈一の意図的な意訳みたいなものなんだが、意外に原題「三人の詐欺師」はネタバレに近くて、百物語をするような「怪奇クラブ」というクラブがあるわけでもない。スティーブンスンの「新アラビアンナイト」風の連鎖的奇譚集という体裁の作品なんだが、怪奇か?というとタダの詐欺話みたいな「小さな酒場での出来事」やらスリラー風の「暗黒の谷」もあって、恐怖・怪奇というよりも「奇譚」というやや広いカテゴリで捉えた方がいいのだろう。
それでも有名な「黒い石印」と「白い粉薬」の二大怪奇編は、ラヴクラフトが研究し模倣したのがよくわかる。「描写せずに感じさせる」ラヴクラフトの流儀はマッケンに源があるのだ。でしかも、この話の鎖は最後で一まわりまわって最初の場面につながる。そして、最初の場面の「三人の詐欺師」が何をしようとしていたのかが理解できて、「詐欺師」であるのと同時に理に落ちた詐欺ではない、おぞましい秘密結社の神秘が読者の脳内に具体的な「描写」なしに想像され、この「恐怖の円環」が完成する。

評者ネタバレしちゃったんだけども、これは理に落ちた「オチ」ではないから、ラヴクラフトの「描写せずに想像させて感じさせる」同様に、実際に体験してみないと絶対わからないと思うんだ。大概の読者は最終章を読んだ後に、冒頭を読み直し、登場人物の整理表を作って、もう一度浚いなおすだろう。まさにマッケンの術中にハマっている。このループの魔術が空前絶後だと思う。
創元だと短編「大いなる来復」を収録。こっちは「聖なる」方の神秘の話。ユイスマンスもそうだけど、世紀末悪魔主義者って、悔い改めちゃうのが定石みたいなものなのか。


No.837 7点 幽霊狩人カーナッキの事件簿
W・H・ホジスン
(2021/04/04 09:37登録)
ミステリ以外に名探偵がいるジャンルなのが、ゴーストハンター物なんだけども、一番ホームズに近いテイストがある「名探偵」はカーナッキだと思うんだ。時代的にもこの連作が書かれたのが1910年頃で、ホームズも引退してサセックスの田舎で養蜂業を...で「獅子のたてがみ」事件を解決していたあたり。
で、このカーナッキの一番の特徴というと、誰もが指摘するし評者なんぞ「カーナッキ主義」とパターン化して呼んでるくらいのもので、事件が本当にオカルト的な原因で起きているケースもあれば、オカルトを装って人間が起こしているケース、あるいはその両方の複合のことも...という融通無碍な解決なことである。いやこのカーナッキ主義、実のところホラー系では今では結構常套手段になっている手法で、その先駆者、というあたりでも「大古典」と呼ぶべきだと思っている。
このカーナッキ最大のライバルであるブラックウッドのサイレンス博士が純オカルトなのは、作者のブラックウッドが真面目なオカルティストだからなんだろうが、逆にこのホジスンのカーナッキが「なんでもアリ」なのは、ホジスンがオカルティストと言うよりも「エンターテナーだから」という風に見ていいと思うんだ。だから、ホームズ譚のガジェット性を意識的に取り入れて、真空管を活用した「電気式五芒星」やら「ネクロノミコン」の先輩格の魔導書「シグザンド写本」「サアアマアア典儀」、あるいは「語られざる事件」の数々...と、ホームズに学んだ優等生ぶりを発揮している。しかも、霊現象を待ち受ける描写に、たとえば「まだらの紐」や「赤毛連盟」での暗闇での待機のホームズ譚の息詰まる描写のイメージが重なるなぞ、「オカルトのホームズ」の期待通りの姿を見せる。
ホームズと違うのは、ワトスンは居らずに、友人4人に体験談を一人称で語る語り口である。意外にこの語り口を「臆病」「ヘタレ」と評価する方もいるようだが、評者はどっちかいうと、一度だけ勝てばいいアマチュアと、負けられないプロの違いをうまく描写しているようにも思うんだ。どんな仕事でも「負けるわけにはいかない」ゆえの、慎重さと危険への備え、それに想定外の危険がある場合の潔い戦術的撤退、といったあたりの「プロの仕事の妙味」が描写できているようにも感じる。自身の恐怖心を危険度へのアンテナとして客観視するとか、なるほどと思わせる描写がある。
「ホームズの面白いアレンジ」として、ミステリファンほど、カーナッキを読むといいようにも感じる。実際この「カーナッキ主義」、ホラーの常識になっていると言っても過言でないくらいに、影響力の強いものだからね。


No.836 5点 背いて故郷
志水辰夫
(2021/04/02 16:36登録)
協会賞受賞作。北の海が常に背景にある。自分が譲った船長職を得た友人が、船内で殺された件を追求する中で、元部下の船員たちの間を回って主人公がいろいろ危ない目にあう話。一言で印象をまとめたら「ウェットで陰鬱」。主人公に自責の念が強いというよりも、そもそも破滅型。だから極めて日本化されていて、ハードボイルドと言っていいのか、評者は微妙だと思う。「弱い男の強がりの話」を主観的な思い入れたっぷりに...って、強烈に日本的な解釈だと思うんだよ。やはり現実の客観性としっかり切り結ぶ部分がないと、評者はハードボイルドとは思いたくないなあ....
まあだから、ディック・フランシスのヒーローあたりに近いような印象を受ける。冒険小説の方にニュアンスが近いと思うんだよ。で、この作家の特徴というか、話の進行がゆっくりで、意外に出来事が少ない。それを主観的思い入れでたっぷりと語るタイプだ。
「裂けて海峡」ほどヘンではないけど、最後のどんでん返しは前半で描かれた人物像から見ると、強い違和感がある。なんか最後でシラケた...
本作読むなら、たとえば「拳銃は俺のパスポート」とか、ハードボイルドに寄った日活アクションを見た方が満足感があるような気もするんだよ。要するに、小説だから、主観ダダ洩れになる部分が、どうも気に入らない。文句多いな、すまぬ。


No.835 6点 モロー博士の島
ハーバート・ジョージ・ウェルズ
(2021/03/31 08:13登録)
旺文社文庫「改造人間の島」で読了。この本は「改造人間の島(モロー博士の島)」「魔法の園(塀についたドア)」「王様になりそこねた男(盲人国)」「怪鳥エピオルニス(イーピヨルニスの島)」の1中編+3短編を収録。以前創元の「タイムマシン」を読んだが、この本と「塀についたドア」「イーピヨルニスの島」がカブるので、論評からは除外。
メインはもちろん表題作の中編「モロー博士の島」。いやこの作品、枠組みにあたる最初の難破と救助~モロー博士の島からの脱出、の比重が意外に重くて、クラシックな「海洋冒険小説」の枠組みを重視しているのがよくわかる。この語りの枠組みが、作品が負っている「ロビンソン・クルーソー」と「フランケンシュタイン」の2作品へのレファレンスみたいに見えて、その2作についての、19世紀末という時代からの鋭い批判があるようにも見受けられる。
いやね、ウェルズというと独特の批判主義というか警世家という側面があるわけで、「フランケンシュタイン譚」として、本作の「動物を向上させて人間にする」テーマを見れば、やはりモロー博士の傲慢が復讐される話なんだし、逆に「ロビンソン・クルーソー譚」の破綻と見れば、虐待されたフライデーの復讐、という風にも読めるわけだ。だからモロー博士に代表される西洋的な「知性」が、実のところ植民地主義の別名でしかない、という大英帝国の実像を告発する小説、という風にも見えてくるのも仕方がないことでもある。
しかも末尾でこれを逆転させて、ほかならぬ大英帝国の住人たちの中に、モロー博士の島で体験したような「獣性」を感じて、文明の化けの皮が剥がれる描写さえも含むわけである...大問題作。発表当時世論を刺激した、というのはもっともな話。
で「王様になりそこねた男」は、そういえば似たような話が落語の「一眼国」だ(苦笑)。目の見えない住人ばかりが暮らすアンデス山中の秘境に迷い込んだ男が「王様」になろうとして失敗する話。ウェルズの「相対化」みたいなアイデアが仮借ない。
というわけでアイデアストーリーなんだが、両方とも仮借ない批判性が面白い。


No.834 7点 囲碁殺人事件
竹本健治
(2021/03/30 17:27登録)
評者は、ヘボい。それでも中盤の暗号の盤面は「何がどうヘンか?」は分かるくらい。まあ周辺ファンくらいのものか。だけど一番碁に関心を持ってた時期が、本作の舞台の時期なので、なかなか懐かしいんだ。槙野棋幽は梶原武雄がモデルだろうし、挑戦者の氷室七段は小林光一あたりだろう。いや梶原武雄というと口の悪い先輩は「超一流のレッスンプロ」なんて悪口を言ってたが、「梶原の碁」とかね、技術書がアマチュア上級者にもてはやされていた時期だ(さすがにこのレベルは評者はチンプンカンプンだったから、情けない。梶原ドリル戦法!)。本作の槙野のタイトル保有の設定がファン感情を揺さぶられる。
そんな感じで「懐かしい!」という感情が先に立つからか、甘目の評価? いやいやなかなかスッキリしたいい作品で、碁とミステリの両方への愛が漏れ出している。純粋にミステリとしてのキーワードは、さすがに今はわりとわかりやすいか。だから逆に囲碁初心者の脳生理学者が事件に絡むのが、なかなかの工夫。でもその設定自体で槙野棋幽のキャラに面白味が出ているのが何より。で、碁のルールの曖昧なあたりを、さらに囲碁の象徴性に重ね合わせて...

両劫に仮生ひとつ。
軽い嘔吐感と一緒に、その言葉がぽっかり浮かんだ。何?何なの?目の前の平行線は、ぐるりとさかさまになる。石畳が天上に持ちあがる。
月光の活。

と幻想シーンもなかなか結構で、中井英夫風の味が出ている。やはり少年には幻想がよく似合う(少年愛っぽくはないんだが)。うん、好感が大きい作品である。

眼科医とかけて、棋士と解く、そのココロは?
―どちらも眼で苦労する

なるほど。座布団一枚。


No.833 6点 死者はよみがえる
ジョン・ディクスン・カー
(2021/03/28 11:08登録)
アンフェアと言えばその通り。犯人分かるわけないじゃんと言えばその通り。けどね、本作はミスディレクションの妙味みたいなものが、強く感じられる作品だから、いろいろ目をつぶって、こういう評価にした。まあ、相当に無理のある真相なんだけど、ミスディレクションという面では、なかなか放胆なアイデアがあって、何か「憎めない」。
で、本作怪奇趣味も薄くて、「上機嫌なカー」といった雰囲気が何か妙に素敵。今回読んだのは昔からの旧訳なんだけど、新訳が出てるね。たぶん新訳で読んだら印象が随分違うのでは...なんて感じる。まあでも創元の邦題は意図しない妙な怪奇色がついちゃうので、「死人を起こす(ような大きな音)」とか、そういう原題のニュアンスと逆方向だから、考慮した方が良かったのかな。
あと本作17章の「なぜに」講義は、「三つの棺」の「密室講義」、「緑のカプセル」の「毒殺講義」と併せて、フェル博士三大講義、なのかも(苦笑)。いや意外にミステリの本質、突いてると思う。


No.832 5点 春喪祭
赤江瀑
(2021/03/26 07:44登録)
赤江瀑でもアンソロではない短編集で表題作の他「夜の藤十郎」「宦官の首飾り」「文久三年五月の手紙」「百幻船」「七夜の火」を収録。
...で、思うんだが、意外に赤江瀑って打率が悪い。十年ほど前に約半分の作品を読んで打ち止めにして、コンプを狙わなかったのは、アンソロを読んで「面白い!」とはなっても、アンソロ未収録で本来の短編集でしか読めない作品だと、イマイチ作が多い、というのが分かったからだった。確かに赤江瀑、ジャンルからはみ出た作家だし、話のオチをきっちり決めてみせるタイプの作家でもないし...で、作品の表面的な辻褄が合ってないんだけど、実は深いところでの辻褄が合っていて、それで「凄い!」となるのが、この人の勝ちパターンだ。としてみると、この「深いところでの辻褄」がうまく起動しない作品もあるわけで、そういう場合には、ホントに表面的な「ヘンテコさ」が目立つことになって、読んでも「何がどうした??」となることもある。いやだから、この「深いところでの辻褄」を、とりあえずの「妖美」とか「怪異」とかそういった貧弱な語彙でしか語れないあたりに、評者自身も情けない想いをするんだが....
でこの短編集だとお得意の歌舞伎ネタの「夜の藤十郎」が和風ドッペルゲンガーみたいな話で面白い。あと光文社アンソロ収録の「七夜の火」と、プレ「海贄考」な「百幻船」がまあまあ。あとはつまらない。


No.831 7点 Z
バシリス・バシリコス
(2021/03/24 22:09登録)
コスタ=ガヴラスの映画が有名な、ギリシャの左翼政治家グレゴリオス・ランバラキス暗殺事件を基にした小説である。殺された政治家の名前を「Z」として出版されたが、軍事政権によってギリシャでは発禁。映画はギリシャ人監督のコスタ=ガヴラスがフランスで撮影して、主人公の政治家Zを演じたのがイヴ・モンタン。
まあだから、事件の枠組みから見ると一種の政治スリラー、海外だと「社会派」がないのでなんなのだが。この小説は、多視点を切り替えながら進む群像劇みたいなもので、しかも独特の叙事詩的で詩的な描写が続く。でも客観性があるために、スタイルは独自だが読みづらくはない。時折はっとするような詩的イメージがある。

空気のどの部分に君のまなざしは残っているのか? どこの洞窟に君の声は下りていったのか? わたしの耳は遠くのオートバイの音で裂けそうだ。機関銃かロード・ドリルのように、単純で果てないひびきだ。

この暗殺事件の黒幕は憲兵司令官で、憲兵隊と警察がグルになっての背景。サロニカを訪問した左翼系政治家Zの演説会を、雇ったゴロツキたちで妨害する中で、混乱に乗じてZをオート三輪で急襲して撲殺する、という犯行。実行犯は三輪トラックの所有者の運送業者ヤンゴと、ゲイのバンゴ。このトラックに、Zを崇拝するあまり護衛を買って出たハジスが、暗殺現場から飛び乗ってバンゴとヤンゴの足取りを掴んだことから、暗殺事件の真相が明るみに出てくる。政権は憲兵隊や地方警察がこの暗殺の黒幕になっていたことから転覆し、熱心に事件を追及する予審判事によって、黒幕たちも訴追されるのだが...

で、この警察が手先に使ったのが、ギリシャを占領したナチスが育てたファシスト団体だったり、内戦で左派のパルチザンに殺された恨みのある下層民だったり、というあたりが活写されている。八百屋の「スーパー男爵」、ナチが育てたファシスト団体の流れを汲む「独裁主義者」、ボクサーのジミーといったなかなか個性的な面々である。ギリシャも第二次大戦からその後の冷戦と国際政治に翻弄されて、紆余曲折の末に70年代に軍事政権が倒れてパパンドレウ政権でやっと民政移管することになるわけだ。
そんなギリシャのややこしい国内対立を叙事詩的に描いてみせたこの小説、同じ背景を扱った映画「旅芸人の記録」の叙事詩的な語り口を連想させて、なかなか興味深く読める。


No.830 8点 ジョセフ・フーシェ
シュテファン・ツヴァイク
(2021/03/21 21:51登録)
本サイトで言えばカーの「喉切り隊長」の探偵役だし、HM卿が執務室に飾る肖像画の主である。ナポレオンの警察大臣であり、世界最初のスパイマスターの伝記に基づく小説なんだが、実のところフランス革命からナポレオン、王政復古までの政治の荒波を乗り越えて生き抜いた、「政治のトリックスター」として比類のないキャラクターの話である。
ロベスピエールに憎まれて自らを救うためにテルミドール反動の黒幕となり、あるいはブリュメール18日クーデターでナポレオンの執権に一役買い、ナポレオン百日天下ではワーテルローの敗戦処理の中で、フーシェ本人が一瞬だがフランスのトップに立って、政権をルイ18世に売り渡す...こんな、波乱万丈の話。つまらないわけ、ないでしょう?

著者のツヴァイクはこのフーシェの「完全無欠な裏切者」という強烈な「無性格」性、「政治的カメレオン」性と、ある種凡庸な小市民的な個人生活と僧院的な克己心、孜々として職務に精励する能吏としての性格、を一人の個人に共存させて、この一筋縄ではいかないキャラを描いている。陰謀耽溺者であるが、国中にスパイ網を構築してそれを名人芸で運営し、あらゆる裏取引も不正もすべて知る「全知」であり、あらゆる政府・政権に真の忠誠を誓ったことがない男。ほぼこんな人間が存在しえたことが奇観としかいいようのない、シャーロック・ホームズというよりマイクロフト・ホームズをスケールアップしたような存在である。

いや実に評者このフーシェに憧れたね。この無味乾燥・冷血冷静にして、冷たく燃え上がるような精神的賭博者的性格を、逆説的な(反)ロマン派みたいに見たら、評者みたいなヒネクレ者は本当に萌えるわけだよ。単純なロマンではなくて、より隠微で強烈な快楽的性格、というあたりの、マイナーな興味に訴えかけるところ大なアンチ・ヒーローとして偶像化していたわけである。いやこういうキャラは、実のところ「名探偵」の暗黒面みたいなものなのかもしれないと思うんだ。たとえばポーのデュパンなら、このフーシェの役はキッチリ勤まった、と思ったりもする。

高校の図書館のボロボロの岩波新書で読んだのが最初だけど、それ以来の愛読書である。以上に今回読み直して、この本から「文章の書き方」を評者は学んだように感じている。評者にとっての重要な文章規範の、大切な本の一つ。


No.829 9点 ミステリ・オペラ
山田正紀
(2021/03/21 20:39登録)
いや本作、「昭和への挽歌」だから、若い方が読んでも全然ピンとこないだろうね。犯人だってトリックだって、ただの装飾、ただのオマケな作品なんだよ。「メタ・ミステリ」がただの多重解釈モノの別名に堕しているのを、「ミステリって何のためにあるのか?」を追求した、「ミステリという文学自体が『ミステリ(謎)』である」本当の意味の「メタ・ミステリ」を書いてやろうとした野心的な作品が、本作というわけだ。

この世の中には異常なもの、奇形的なものに仮託することでしか、その真実を語ることができない、そんなものがあるのではないか。君などは探偵小説を取るに足りぬ絵空事だと非難するが、まあ、確かに子供っぽいところがあるのは認めざるをえないが、それにしても、この世には探偵小説でしか語れない真実というものがあるのも、また事実なんだぜ

この本が証明しようとするのは、まさにこのテーゼ。いやミステリ読みならば、この心意気に打たれない、かな? 「探偵小説」だからこそ可能な「救済」めいたものが、本作の最後にほのかに現れる。これが感動的である。「(この人たちの)ミステリが好きだった」とすべての死者を記憶する検閲図書館・黙忌一郎が愛を告げる、この瞬間のために文庫1100ページを超えるのを読んできた甲斐もあろうというものだ(ハヤカワ文庫の2005年の初版なんだけど、今回再読していて本が崩壊してきた....厚い本は弱いなあ)

「グリーン家」「僧正」「Yの悲劇」「シャム双生児」「三つの棺」が幾度となく参照されるどころか、小栗虫太郎のアルターエゴである小城魚太郎が作中人物として登場、黒死館での謎の一つ「グブラー麻痺」もネタに、さらに「ズウゥーン」という砲撃音が「ドグラ・マグラ」の固執モチーフのように何度も聞かれ、果ては「虚無への供物」という発言も。さらに「乱歩でもこんな」とか参照されれば、鬼貫みたいな警部も登場...と、この作品では野放図なまでに「探偵小説」が参照され、このような「探偵小説」のテキストの網の目の中で「宿命城殺人事件」が相対化されていく....「ミステリ・オペラ」の作中作でありかつ別題でもある二重の「宿命城殺人事件」の著者は小城魚太郎でもあり、善知鳥良一であり、実のところ昭和を生きた人間ならば誰でも「宿命城殺人事件」というテキストの「著者」たりうる、というあたりにこの作品の「テキスト論」的な仕掛けがあったりする。「宿命城」とは「昭和」という時代そのものの姿なのだ。いや本当に、本作は平成生まれの若い方に、読ませちゃいけないよ。
(ちなみに最後の「おれはただの人殺しだ。安っぽい探偵小説の人殺しなんだ」は「博奕打ち総長賭博」のパラフレーズだよ)


No.828 7点 私という名の変奏曲
連城三紀彦
(2021/03/18 12:17登録)
長編で内容的には「幻の女」+「シンデレラの罠」。アイリッシュ同様に、この人の良さも、短編の良さみたいな部分を感じるな。だから、7人の男女を巡るそれぞれの話が、それぞれに興味深くて、「7人すべてがまったく同じ状況下で、同じ女を殺す」というイリュージョンを手を変え品を変え見せてくれる。この「魅力的な謎」を作ることに注力しているあたりを評価すべきであって、解決なんてオマケみたいなものだ。

一瞬静止したレイ子の顔は、たとえようもなく美しかった。結局レイ子は何も言わなかった。私は二秒で寝室を出、五秒でその部屋を出、一分後にはマンションの裏手に駐めておいた車に乗りこみ、走り出していた。

文章だけど、狙った美文調のあたりよりも、こういう抑制的な描写の方に良さを感じる。まあ、最後に被害者ヨイショするのはお約束かしら。


No.827 4点 ガーデン殺人事件
S・S・ヴァン・ダイン
(2021/03/16 06:21登録)
「別名S.S.ヴァン・ダイン」によると、「カシノ」の売れ行き不振から、ヴァン・ダインは軌道修正を図ることになる。次の「誘拐」でヴァンスが銃撃戦するとか映画向きにスリラー風味が加わるけど、本作でもラストは活劇、しかもヴァンス恋愛す(あっさり、かつミスディレクション?だが)。というわけで、ヴァン・ダインの従来型の書法と新しい要素をつぎはぎしたような印象....でこれが成功してなくて、かなり小説として安っぽく退屈。
というかさ、男勝りでモダンなザリア、悪い意味で「女優」的なマッジ、冷徹な看護婦ビートン、とこの三人の女性のキャラ設定とか悪くないんだ。しかし、ヴァン・ダインの筆力が追い付いていないので、キャラを生かし切れていない...困った。いや本作全体的にアイデアは悪くないんだが、アイデアが全然活用されていないので、中途半端にネタをぶちまけたような印象が強い。
そりゃあさあ、電話による中継でサロンで競馬を楽しむとかね、風俗として面白いわけだよ。けどこの競馬がミステリに何かかかわったか?というと全然だし、放射性ナトリウムでなければいけない理由もないし....困ったものだ。そういえば本作の競馬は非合法のノミ行為だ(苦笑、第1章でマーカムに弁解してる)。
「ファイロ・ヴァンスにゃ/お尻ひと蹴りが必要ざんす」この有名なオグデン・ナッシュの戯詩の話題が本作の登場人物の口の端に上るとか、ちょっとメタなくすぐりもあるんだけど、ヴァンスらしいウンチクも本作はなし。試行錯誤は悪い方向にしか向かっていないように感じる。

後記:扶桑社のミステリー通信「ユーモア小説としてのヴァン・ダイン」が正鵠を得てる。

ヴァン・ダインは、そんなヴァンスをじつは心底かっこいいと思っている。
でも、それをかっこいいと思っている自分が恥ずかしいという思いもある。
著者のアンビバレントな感情が、ファイロ・ヴァンスのシリアスだがどこかコミカルな扱いには刻印されています。

わざわざいわでもがななナッシュの戯詩の扱いとか、なるほど、と思う。


No.826 8点 灯籠爛死行
赤江瀑
(2021/03/11 16:52登録)
思い出したように創元から3巻でアンソロが出ている最中だったりする。すでに出ている1巻は名作「上空の城」に晩年の「星踊る綺羅の鳴く川」に加えエッセイといえばエッセイ、創作といえば創作で赤江瀑の頂点みたいに思う「海峡」を収録している。こっちも買ってやらなきゃね。光文社3巻アンソロとはカブらないのが、いい。

で光文社3巻アンソロ「恐怖編」。のっけから「花帰りマックラ村」でブルブル。

夜は闇夜、なまじ、星などないほうがいいよ

いやこの作品別に大した怪異も起きない。グロもないし、捻じれに捻じれた邪悪もない。前途有望な好青年の大学生が自ら死を選んだその真相、に過ぎない話なんだけど、「異界」が見えてしまい、その「異界」の誘惑に「潔く」その身を放擲する、「放我」とでもいうべき死のありさまが、実に「怖い」。いや、オハナシなんだけども、そういう異界からの魅惑に捉われたら、この自分だって「いさぎよく」しかねないような、そういう想像を自らにたくましくして「自分が怖い」のである。逆説的なホラーとして際立っている。

で代表作級としてアンソロ収録も多い「海贄考」。海で心中を図った夫婦の夫だけが漁師に拾われて息を吹き返し、その後、その漁師の元で世捨て人として暮らすのだが、何度も海に引きずり込まれるような危うい体験を繰り返す...いや、ミステリとして読んだときに、これほど「凄い」動機もないと思うんだ。京極夏彦に結構トンデモ動機があったりするのだが、そういう「頭で考えたような」動機とは一線を画す「野性の動機」なのである。短い作品なのだが、作者あとがきとして、民俗学者の研究を引いて結末としている。主人公の結末を記述するよりも、ずっと効果的である。すばらしい。(今回読んでて島尾敏雄の病妻ものに近いテイストを感じてた...幻想性も、近い?)

で実は完璧に「ミステリ」な「砂の眠り」を収録。いやこれ、本当にトリックがあるといえば、ある赤江瀑にしては珍しい話。北陸の海岸でスナビキソウ群落を訪ね歩く在野の植物学者の目的は....評者が言うのはなんだけど、ちゃんとしたミステリですよ(苦笑)こんなのも書けるわけだ。

あとは「原生花の森の司」かな。いや本作トリに持ってくるのが本当はいいようにも思うんだ。民話の語り部として有名な老婆が、椿の花に埋もれて自殺した、その理由の話。いや自殺の話だから、後味が悪い、かというと本作はそういうわけではないのが面白いところ。「あの花ざかりの森で、生きるために。陽のあたる花枝のかげに、一枚の茣蓙を敷いて」と椿の花ざかりの森の中に人生がフェードアウトしていくような、幸福感みたいなものが立ち上るのが「怖い」といえば「怖い」し「幸せ」といえば「幸せ」な、複雑な感慨をもよおさせる。

としてみると、この光文社3巻アンソロで未収録の名作短編、というと評者が思い浮かぶのは「鬼恋童」「野ざらし百鬼行」「花曝れ首」「ホタル闇歌」「夜の藤十郎」「阿修羅花伝」「卯月恋殺し」「殺し蜜狂い蜜」「ニジンスキーの手」あたりになるようだ。ここらを創元で収録してくれるとうれしいな。


No.825 5点 心憑かれて
マーガレット・ミラー
(2021/03/08 22:43登録)
そりゃ評者にだって、苦手作家はいるものだ。ミラーって苦手、というかなぜかあまり関心がない。この一週間忙しかったのもあるんだけど、本書を少し読んでは中断し...で妙に時間がかかってしまった。別に難しい小説じゃないんだけどね。
本作の邦題は「心憑かれて」だけど、原題はシンプル「The Fiend」。Friend じゃないのがミソで、Fiend は「悪魔」とか「魔神」とか「悪霊」とか、そういう意味。特に主人公はなくて、三人称で内面も等価に描くスタイルなんだが、軸の一人になるチャーリーに「少女の敵」な前科がある。チャーリーはそれを克服したようでも、いまだにその欲望(魔神)に振り回されて右往左往するさまが、気の毒というか情けないというか....でも、そのチャーリーに人生を振り回されて困惑する兄のベン、婚約者になったルイーズの方が評者は印象的だ。
だから、本作「異常心理物」という感覚は希薄で、郊外ニュータウンの狭っ苦しい人間関係の中で、微妙にコワれてくる気の毒な人たちの話。事件らしい事件も3/4くらいにならないと起きないし、その結末もあっさり。サスペンスらしくもなくて、社会派、というジャンル分けをしても評者はそう意外には感じない。


No.824 6点 倫敦魔魍街
JET
(2021/03/03 00:57登録)
久々に漫画したい。去年ホームズをやったから、〆に何かパロディを、と思っていたわけだけど、そういえば JET って、ある意味「ミステリ漫画の女王」なんだよね、と思って急遽本作をやってみようと。
横溝なら「獄門島」「本陣」「八つ墓村」に「手毬唄」「犬神家」「笛を吹く」に「悪霊島」、乱歩で「黒蜥蜴」、ホームズなら「バスカヴィル」はおろか「青い紅玉」「まだらの紐」も「白銀号」だって「黄色い顔」やら短編は全部で11本、ルパンなら「八点鐘」全部に、「エラリー・クイーンの冒険」からだって4作品。これだけミステリのコミカライズやった漫画家もいないでしょうよ。まあホームズもだけど原作に忠実なものが多いから、マンガで楽しむにはミステリマニアが作家買いしてもいい漫画家だと思います。
で、なんだが、ここでコミカライズを扱うのは何なので、オリジナル作「倫敦魔魍街」から。

ホームズの死後、トランシルヴァニアから魔都倫敦を訪れた二人組はホームズ探偵譚に憧れる狼男と吸血鬼だった。狼男は「ホームズ」を名乗って不死身の体を生かした体力勝負、吸血鬼は「ワトソン」を名乗って、生き物の強い感情を感知する能力を生かして、探偵業を開業した。幽霊のハドソン夫人が世話をする事務所に訪れる客は....

とまあこんな話。なので、本当に勝手に名乗っているだけ、という設定。推理というよりもアクション・ホラー。でもね、このところスプラッター規制が強くなっていることもあって、スプラッター大好きなJETは、雑誌から最近は敬遠されている噂も....でも本作連載は伝説のホラー誌「ハロウィン」。ゾンビもバラバラ死体も満載で、BL風味も忘れずに。
まあ、正典で互いに名字を呼び捨てで呼び合うホームズとワトソンなんだけど、これ名前で呼び合うとBLになっちゃうから、それをドイルは避けた、という話があるくらいのもので、この漫画もそこらへんはしっかり踏襲。萌え成分大量。

だから、正典のホームズ&ワトソンを期待しちゃいけないんだが、実のところ、こうやってホームズ実は狼男、とか「演じてる」姿が、すごく日本的で面白い、と思うのだ。これを一番端的に示したのが、単行本書下ろしの「大江戸魔魍街捕物帖」で、本作のホームズ(狼男)とワトソン(吸血鬼)、それに敵役のモリアティー(ホームズの弟)が、時代劇の世界に転生し、それぞれが黒門町の伝七、桃太郎侍、鼠小僧、他のJETの主役キャラが中村主水と遠山の金さんに扮し...でこの5人勢ぞろいで白波五人男の見得を切る。狼男でホームズで伝七で五人男、とキャラを猛スピードで着替えしているように目まぐるしい。野田秀樹の芝居のような面白味である。いや助六実は曾我五郎とか、鮨屋弥助実は平維盛とか、こんな「キャラクター遊び」というものが、実は日本のエンタメの伝統にしっかりと根付いている姿のようにも思われる。


No.823 7点 砂の城
鮎川哲也
(2021/02/28 22:43登録)
いやね、評者関西在住なんだ。そんなわけで、本作の鉄道トリックというのは、生活感覚的にすぐに見当がつく(本命もそうだし、別解に当たる霧による延着の方もそう。今はない電車だが、似たような路線はある)。だから、本作の鉄道トリックに価値がない...と即断する方がいる、というのは分かるんだけど、そういう判断基準だと「鮎川哲也の面白さ」をどこまで味わえるのだろう...と危惧する部分も大きいんだ。
評者が今回読んだのは角川文庫版なんだけど、この本の解説が栗本薫でね、実は評者この解説が鮎哲の本質論として、実に当たってる、と思うし、共感するところ大なんだ。

第二の時刻表、そして行動のスケジュール表。見出される第三の乗替駅。鈍行が急行においつき、準急が特急を追いこすこのひそやかで心やさしい奇蹟。そうだ―奇蹟はこの世にまだ存在していた。空間はゆがめられ、時間はメビウスの輪となって振出しにもどってゆく。この贅沢な永劫回帰、証明された、時間旅行の秘密。

この鮎哲讃歌を、評者はぜひ紹介したくて仕方がなかったのである....いやこういう奇跡とかロマンの瞬間が、きっちり決まるか決まらないか、で鮎哲の作品を判断してもいいんじゃないか。本作では、そういう奇蹟がちゃんと、起きている。それだけではなくて、鬼貫がそれを発見していくさまも、本作だとちょっと皮肉に作者が誘導しているのが、実にナイスな成り行き。この誘導の筋が評者は早々と見えたこともあって、頬が緩みっぱなし。いやいや、「すぐに、わかる、だからダメ」とかミステリの楽しみって、そういうものじゃないと思うんだ。

鮎川哲也の本を手にして、ぼくが最初に思うこと。―それは、奇妙なことだが、いつも同じある深い<安心感>とでも呼ぶほかないものだ。

とこの栗本解説だと、冒頭で鮎哲の「安心感」を掲げている。ワンパと言うなかれ。鮎哲は日常の中に埋もれた「奇蹟」を起こして見せるが、その「奇蹟」はそれを「奇蹟」と見る目のある読者にしか、「奇蹟」として見えないのかもしれない。それでもね、それは実に心休まるなつかしい「奇蹟」なのである。

(いや本作だと、フェアさ、という意味だと、本線の手がかりになる時刻表をどこに入れておくか、というので工夫しどころがあると思う。この時刻表がどういう目的で入っているか、に注意して読むと作者の意図が見えて面白いと思うよ)


No.822 6点 シャーロック・ホームズの記号論
評論・エッセイ
(2021/02/26 22:49登録)
80年代に流行った本である。懐かしい。記号学が大流行の頃で、みんな知ってるホームズと、日本人はよくわからないC.S.パースをひっかけて、記号論に入門できちゃうお買い得な本(しかも薄くてすぐ読める)だから、流行ったわけさ。評者ドイルはとりあえず大体済ませたから、そういえば、で取り上げよう。
ミステリの名探偵の「推理」というと、演繹的推理と帰納的推理が...とかね、そういう説明が「ミステリ入門」とかでされるわけだけど、この本の面白いところは、発見的な推理・推測というものは、この著者のシービオクによると、実は演繹的でも帰納的でもない、パースの用語で言うところの「推測 abduction」というものであり、ホームズの推理法の中に、そのエッセンスが詰まっている、ということだ。
いや「推測」という訳語は、坐りが悪い。「あて推量」とか「仮説的推論」いうくらいの方がどうもいいようだ。つまり、帰納推理だって、現象を観察して何らかの仮説的な推量を形成し、その仮説に対してさまざまなデータがうまく収まるかどうかを判定して、「帰納」するわけで、この「仮説を立てる」という能力を根底的な「能力」として捉えよう、というあたりに、著者がパースを援用する所以があるようだ。
とはいえ、この本の面白さ、というのはどちらかいうとこういう理論風のあたりよりも、モデルのベル博士と、パース、それにドイルに共通する「医師の視線」と、「演劇的な身振り」の合体した、パフォーマンス的とでもいうべきアプローチを見せているあたりのような気もするのだ。要するに、このエッセイは、推理というものを一方的な解釈プロセスではなくて、推理する側とされる側の、無意識的な相互作用の中にとらえよう、としているあたりの面白さなのではないかと思う。

まあ、軽いエッセイなので、すぐ読めるんだけど、ややこしいことがサラっと書かれていることもあって、注意深くないと読んでも意味がないかもしれない。著者は 1920年生まれだから、フーコーとかバルトとかと同世代で、巻末付録の山口昌男との対談だと、「レヴィ=ストロースが構造主義の父だとすると、シービオクはその助産師だ」なんてヨイショしている。守備範囲の広い学者だったようだ。


No.821 6点 三十九階段
ジョン・バカン
(2021/02/26 14:55登録)
大古典スパイ小説。なぜ今までお二方しか書いてないんだろう...って評者びっくり。
皆さんご指摘の通り、本作は緩めで乾いたユーモア感あふれる、ハードなくせにのほほのんとした良さが溢れる冒険小説。イギリスの北部の田園地帯を駆け回る、何か「人口密度が低い」面白さ、というものを評者は感じたりするのだ。人と戦うよりも、スパイという野獣か自然現象と戦っているような面白さ、なんだろうか。
いや日本って人口密度が高いからか、どうもせせこましくて、世知辛い。本作ってそういう国民性から見ると対極にあるのでは...なんて思う。シビアな国際政治と陰謀を扱っても、どこか大らか。しかも、主人公のハネーくん、南アフリカの国外植民地出身で、イギリス人とはいえ、島国根性はカケラもなし。だからかね。

昔話だけどスパイ小説がもてはやされていた時期に、誰だったか左翼的な見地でスパイ小説を愛国小説みたいに捉えて批判した人がいたんだが、まあそんなの大人気ない、はその通り。でもグリーンとかアンブラーはガチに左翼なんだけどね....で、逆にそういう見方をするときに、本作みたいなのは「実に健全なスパイ・スリラーの代表」という気もするんだよ。
神経症的に周囲の人を外国のスパイ、と見るようなのが、各務三郎が「現代版恐怖小説」と化したとする「病的なスパイ小説」だとすると、本作が追及するのはあくまで「イデオロギーのクサ味も、政治的主張も、まったく関係なしに万人受けする、コモンセンスな面白さ」だ。エンタメで読み捨てても悪影響なんて、まるでなし(苦笑) イギリス人の国民性のいい部分だけが出たような小説である。いいじゃないか。

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