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ミステリの祭典

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名探偵ジャパンさんの登録情報
平均点:6.21点 書評数:370件

プロフィール| 書評

No.110 7点 ブラウン神父の童心
G・K・チェスタトン
(2016/08/19 20:15登録)
ブラウン神父ものは若かりし頃に一度読んだのですが、正直、「どうしてこれがこんなに神格化されてるの?」と意外に思い、「これを読んで(理解して)楽しめるだなんて、推理小説好きには頭の良い人が多いんだなぁ」と妙な感心をしたものでした。
そうです。長く愛され今でも版を重ねている、創元推理文庫版の「ブラウン神父の童心」を読んでの感想でした。

本作は近年、ちくま文庫から新訳が刊行され、ハヤカワからも「ブラウン神父の無垢なる事件簿」というタイトルで2016年3月に刊行されました。
私はそのハヤカワ版「~無垢なる事件簿」が発売されたのを機会に「リベンジだ!」と意気込んで購入、読み始めました。
いや、圧倒的に読みやすいです。訳文の調整はもとより、字は大きいし掠れてもいないし、読みやすいです。これからブラウン神父ものを読まれる、または、私のように創元文庫版でギブアップされた方には(ちくま版は未読なので分かりませんが)新訳のハヤカワ版を強くお勧めします。

内容は一発トリックものの短編集です。時代、文化の違いから、「えっ?」と思うようなところは何箇所かありますが、「そういうものなんだ」とその都度、無理矢理でも腑に落としていかないといけません。
とはいえ、収録されている全12編、どれも傑作揃いなのは間違いありません。
百年以上昔に書かれたものが、今もこうして新訳で出版され続けているという事実が、本書の価値を明確に現しているといえます。

ひとつ選ぶなら、有名な「透明人間」「神の鉄槌」もいいですが、私は「アポロの眼」を推しておきます。殺害トリックを読んだときに、「え?(この時代のそれって)そうなってるの?」と上記の「腑に落とす」作業が必要な一編ではあるのですが、神父が犯人を指摘する根拠。犯人と被害者以外の第三者の思惑が事件を予想外の方向に持って行く。という展開が、いかにも本格っぽくて好きです。

ところで、上ですでにタイトルをあげたのですが、超有名作品である、創元文庫版での「見えない男」が、このハヤカワ版では「透明人間」と訳されていました。
私はこの「見えない男」という邦題が大好きで、「透明人間」とは、あまりに「まんま」で味気ないタイトルだと思うのは私だけでしょうか。(原題が「The Invisible Man」なので、「まんま」な訳なのはむしろ「見えない男」のほうだろ! と言われかねないですが…)


No.109 10点 水車館の殺人
綾辻行人
(2016/08/16 15:43登録)
新本格の騎手(当時の)綾辻が問題作「十角館の殺人」に次いで放った本作は、恐らく当時としてもいたく懐古的な超本格ミステリでした。
当時のリアルタイムの評判がどうだったかは分かりませんが、「こういうのを待っていた」という歓迎派と、「十角館の次がこれかよ」という失望派に真っ二つに分かれたのではないでしょうか。
「十角館」でアクロバティックな騙しで読者を欺いた綾辻ですが、そこで名を得たからこそ、本作のような「超本格」で勝負したい。と思ったのではないでしょうか。

久しぶりに再読したのですが、本作は薄気味悪いくらいに(?)見事に「本格」しています。
仮面に車椅子の男と、彼が住まう奇館「水車館」は、集められた数名の客人とともに、嵐により外界と分断される。いかにもな人物舞台設定はもとより、謎を解くための手掛かりも大胆に余すところなく、これでもかと読者に開示します。とんでもないフェアプレイ精神です。ペナルティエリア内で攻撃側の選手が倒れ、審判から相手選手にイエローカードが提示されPKをゲットというチャンスに、その倒れた選手が「いえ、今のは私が勝手に滑って倒れたので反則ではありません」と審判に申告するくらいのフェアプレイ精神です。

同じ「水車館」を舞台に、過去編と現在編が一章ごと交互に構成されているのですが、「過去編」は神視点による三人称。「現在編」はある人物による一人称で語られます。もうこの時点で、「分かるだろ。察してくれ」という作者の笑顔が浮かんできます。それは当然作品全体に渡る、あるトリックを覆い隠すためのものなのですが、過去編のクライマックスで綾辻は冒険をしてきます。過去編が三人称で語られている以上、どうしてもある記述が出来なくなってしまう場面が出てくるのですが、綾辻は見事にこれをクリアします。「ここまでやったらさすがにバレるかな? やめようかな? えーい、やっちゃえ!」と、これはもう、作者楽しんで書いているな、というのが伝わってきます。

先に私は「現在編が一人称なのはトリックのため」と書きましたが、綾辻はその枷さえも逆手に取り、語り手の人物ならではの心理描写を盛り込んでいます。
「足音が聞こえる? まさか、そんなはずは(足音が聞こえるはずは)ない!」といった意味の一人称の語りがあるのですが、これなど、全ての謎を解明したあとで読み返すと(もしくはその時点で謎を解いていれば)何とも絶妙で、語り手の感じる恐怖が一層強く伝わってくるファインプレイでしょう。神視点の三人称でも同様の記述は可能でしょうが、当事者の生の声である一人称での迫力を超えることは不可能でしょう。

「水車館の殺人」は、トリッキーな空中殺法が売りの「みちのくプロレス」所属のレスラーが、ガチガチのストロングスタイルの「新日本プロレス」のリングに上がっても、空中殺法だけでなくオーソドックスな関節技や投げ技にも対応して新日のレスラーを唸らせ、見事観客も沸かせた。そんな爽快感のある傑作なのではないでしょうか。(変な例えばっかりですみません)


No.108 8点 作者不詳 ミステリ作家の読む本
三津田信三
(2016/08/14 21:50登録)
夏なのでひとつたまにはホラーでもと思い、書店で手にしたのがこの一冊。(文庫版では上下巻なので、正確には二冊なんだけど)

三津田信三といえば、「ホラーとミステリのスーパーハイブリッド」のキャッチコピーでお馴染みですが、本作は「刀城言耶シリーズ」とはまた違った形でのハイブリッドを見せてくれました。

「本に書かれたミステリの謎を時間内に解かないと怪異に遭い、破滅が待つ」という、極めて分かりやすいシチュエーションが緊迫感を煽ります。
作者同名で登場するワトソン役の三津田信三がタイムリミットが迫り焦る中、探偵役の飛鳥信一郎が自身も焦慮しつつも冷静に推理を働かせる場面など、名探偵の頼もしさがうまく表現されていて燃えます。
そして迎える、全ての謎を解き終えてからの「本」との最終決戦。最後の一行まで心休まるときはありません。

ジャンルはホラーですが、作中作のミステリはあくまで論理が支配する本格で、ミステリの短編集としても十分楽しめます。ベストを上げるなら、アクロバティックな(物理的という意味だけでなく)トリックでラストを飾った「首の館」か、一風変わったテイストの「娯楽としての殺人」(主人公の女子大生に萌えます)でしょうか。
「ミステリは好きだけど、ホラーはちょっと……」と思っている(かつての私のような)ミステリ好きの方に、ぜひともおすすめしたい作品です。あの「刀城言耶シリーズ」の三津田信三はミステリ好きのあなたを裏切りません。
本作は「忌館 ホラー作家の住む家」の続編に当たり、冒頭でもそれについて多少触れられているのですが、本作から読んでもまったく問題ありません。「忌館」のほうはホラー要素が色濃いため、ミステリ好きの方はやはり本作から読んだほうがよいでしょう。


No.107 8点 小さな異邦人
連城三紀彦
(2016/08/08 18:13登録)
収録作の第一編「指飾り」の冒頭、

(前略)昨日までくすぶっていた夏を追い払って、通りには秋の最初の風が流れ、街は灰色にくれなずみ、彼、相川康行は四十二歳だった。

この文章を読んで私は、「おお」と本から顔を上げ、窓越しに空を見上げてしまいました。

続いて第二編「無人駅」のやはり冒頭、

(前略)ひときわの雄姿を誇る八海山だけが空の反対の端に広がりだした雨雲をいち早く察知し、身構えているように見える。

ここでもまた、「おお」

連城作品はミステリとして楽しむだけでなく、その文章を味わうのも読む目的のひとつです。
本作は作者最後の短編集で、全て2000年代に書かれた新しい作品ということもあり、その美文は円熟の域に達しています。

ミステリ的な魅力では個人的に一番は「白雨」ですが、「小さな異邦人」も見逃せません。表題に持ってくるだけあり抜群の完成度。面白い設定を二転三転させ、意外な結末に落とし込み、また、晴れ晴れとするハッピーエンドで締めています。14歳の少女の一人称で物語が進むところもミソです。(連城お爺ちゃんが14歳女子になりきって、その言葉を原稿に連ねている姿を想像するとほんわかしてきます)

本邦本格ミステリの父、江戸川乱歩は、「ミステリは所詮ただのクイズの延長で、真に文学たり得ない」という文壇の声に対し、「かつてただの遊びだった俳句を文学にまで押し上げた芭蕉のように、ミステリを文学にまで押し上げる芭蕉が出てくるはず」と、ミステリ界における「一人の芭蕉」の出現を渇望していました。
連城三紀彦こそ、乱歩の言う「一人の芭蕉」だったのではないでしょうか。
その連城も2013年に旅だってしまっています。
文庫版の香山二三郎の解説に書かれている通り、表題作のような未来への希望をテーマとした作品が連城最後の短編小説になったことは喜ばしく、また、示唆的でもあると感じました。


No.106 5点 トリックスターズ
久住四季
(2016/08/08 10:08登録)
魔術が「魔学」として系統化されて学術研究対象となっている世界。
主人公、天乃原周(あまのはらあまね)は、日本で唯一「魔学」を教える「魔学部」のある城翠大学に新入生として入学。そこでの一回目のゼミの最中、「魔術師」と名乗る謎の人物からの殺人予告放送が流れ……

2005年にラノベレーベルの「電撃文庫」から発刊されていたものが、加筆修正されて「メディアワークス文庫」から刊行されました。

元々がラノベレーベルということで、初めてミステリに触れる読者を想定してあるのか、謎解きはこれでもかと事前にヒントを出してくれ、やさしい作りになっています。全体を通してあるトリックが仕掛けてあるのですが、これも文章の違和感から、すぐに気が付きます。(ネタバレになる?)

作風から仕方がないのですが、科学捜査(DNA鑑定とか)を使えばあっさりと解決してしまうはずの謎を引っ張ったりするところは少々気になりました。

やれやれ系探偵と邪悪な魔法使いとの戦いは当然このお話では決着はつかず、次巻以降に持ち越しとなります。

マニアには物足りないでしょうが、本格ミステリの入門書としては申し分ないです。(前述の「仕掛け」も、初めてミステリを読む読者は大変驚くでしょう)こういう作品を取っかかりとして、本格ミステリに親しんでくれる若い読者が増えることを期待したいです。


No.105 10点 獄門島
横溝正史
(2016/08/03 16:01登録)
久方ぶりに再読しました。
面白かったです。
確かに、他の方が言われている通り、本格ミステリとしては弱い部分はあります。しかし、なぜ未だに「日本の名探偵」といえば金田一耕助なのか、「日本の推理作家」といえば、「横溝正史」なのか、それは、本格としてのテイスト云々以上に単純に作品が面白いからです。

本格ミステリは基本映像化に向きません。本格度を増せば増すほど、「アリバイ聴取」やら「ディスカッション」やら、映像で見せるには退屈きわまりない場面が多くなってしまうためです。これらは映像化に至らずとも、「そういう場面をテキストで読むのも面倒」という読者も大勢いらっしゃるでしょう。

本作「獄門島」は、上記の「退屈な場面」に裂いているページはほとんどありません。常に誰かしら、何かしらの状況が動いており、読者にページをめくる手を休ませないのです。こういったタイプの作品が映像化と相性がよいことは明白です。
ここに目を付けた角川春樹はやはり凄かった。ご存じの通り、正史の「金田一シリーズ」は「角川映画」を皮切りに幾度も映像化され、完全に我々日本人のDNAに刻み込まれてしまったのです。
「名探偵=金田一耕助」この方程式が破られる日は、恐らく来ないでしょう。(島田荘司が本気になっていたら、もしかしたら「金田一から御手洗」への世代交代は成されていたかもしれませんが)

本格ミステリとしての体裁を気にする余り、物語としての面白さ、楽しさを損なってしまっては、コアなマニア以外の一般の人たちに普及など到底しません。
「獄門島」は、「本格ミステリの物語」ではなく、「面白い物語の中に本格ミステリを取り込んだ」作品なのです。物語がミステリの上位に位置しています。

正史は「クイーンやヴァン・ダインも面白いのだが、記述に味がない」というコメントを残しています。(自身はカーが一番好きだったそうです)正史のバランス感覚を持って生み出されたのが「味のある小説と本格ミステリの融合」本作から始まる「金田一長編シリーズ」だったのでしょう。

本邦本格ミステリの父は何と言っても江戸川乱歩ですが、今や乱歩はミステリというより、サブカルの象徴のようになっています。
乱歩を皮切りに幾人ものミステリ作家が輩出されましたが、正史だけがミステリマニアを超えた一般の読者にまで普及し、未だに読み継がれている。「ミステリにだけ拘泥することなく、物語としても飽きさせず面白い」正史のセンスが為し得た技でしょう。


No.104 10点 ABC殺人事件
アガサ・クリスティー
(2016/08/02 14:58登録)
5度ものバロンドール(世界最優秀選手賞)を受賞しているサッカー界の寵児、FCバルセロナに所属するリオネル・メッシは、かつてのスーパースター、「王様ペレ」「神様マラドーナ」らと比較される度に「時代が違う選手同士を比べられない」と「大人の対応」をしてかわしています。
現代サッカーはペレらの時代とは大きく様変わりしています。乱暴な言い方をすれば、かつてのサッカーは攻撃側と守備側の一対一のひたすら繰り返しでした。
確かにペレ、マラドーナは人類を超越したボールテクニックの持ち主ですが、現代において当たり前に行われている、複数選手からの激しいプレッシングを受けてのプレイ経験はないでしょう。

現代のヒットミステリ作家らが同じような比較質問「あなたの作品とクリスティの作品では、どちらが優れていると思いますか?」をされても、「時代の違う作品を比べられない」と答えるのではないでしょうか。

「ABC殺人事件」は、画期的パイオニア作品です。先駆者は真似されるのが宿命。本作をお手本にした後生の作家が、これ以上の作品を生み出せるのは当たり前なのです。(そうする義務があります)
クリスティは他にも、「アクロイド」「そし誰」といった「ひな形」も世に出しています。これらは、「クリスティがやらなくても、いずれ誰かがやっていた」ことに間違いはないでしょうが、それでも初めて世に出した(もしくは認めさせた)という功績は讃えられてしかるべきだと思います。

本作のプロットは、「シリアルキラーの犯罪に見せかけて、本命殺人を紛れ込ませる」というものですが、さすがにクリスティも「それだけでは弱い」と感じていたのでしょう。「真犯人による操り」というもうひとつのプロットを平行させてストーリーを作っています。先駆者からしてこうなのです。後続の作家が、前者のプロットだけを取りだしてフォロー作品を書く、というのは、すでに初代に対して負けています。(前者のプロットがあまりにも有名なため、それだけを見聞きして実作を読まず、後者の「操り」を知らずにフォロー作品を書いている作家もいるのではないでしょうか)

そして、他の方も書いておられますが、真犯人に対してポワロが見せる「フェアーではない」という激情も本作の見所です。
本作でも、「交通事故で死ぬのも、殺人鬼に出くわして死ぬのも、不慮の事故、という点では同じ」といった内容の発言をし、「面白い事件でも起きないかなー」といつも考えている「道楽探偵」的な側面が強いポワロですが、「無辜の弱者に殺人罪を着せようとする」この犯人には強い憤りを見せます。

「逐一届く、犯人『ABC』からの挑戦状」「探偵を敵視する警察官」「ヘイスティングスの何気ない一言から謎を解くポワロ」といった、本格ミステリお約束の「待ってました展開」もたっぷりとあり、全編に渡って読者を飽きさせません。

クリスティ、いえ、本格ミステリ最大級の傑作のひとつ。若いファンにもぜひ読んでいただきたいです。

とりとめのない文章になってしまいましたが、結局何が言いたいかというと、ペレ、マラドーナもメッシもどちらも凄い、ということです。


No.103 6点 ドゥルシネーアの休日
詠坂雄二
(2016/08/01 14:02登録)
我らが詠坂雄二が挑んだのは、超人的な「探偵」が社会と個人に与える影響と、それにより引き起こされる問題。です。(最近こういうの多いな)
連続猟奇殺人事件が起こりますが、当サイトのジャンルが「サスペンス」となっていることからも、解決において「推理」は存在しません。誰かが「推理」によってこの事件を解いてしまったら、その人物が「探偵」となってしまい、「探偵不在」のテーマに矛盾が生じてしまうためです。
(ウルトラマンの力を借りない、といいつつ、ウルトラセブンに助けてもらう、みたいな。違うか)

前置きなしのいきなりの事件発生から作者の筆致の巧みさで、ぐいぐいと読ませます。
「佐藤誠」の名前が途中出てきたときには、「きたー!」と思うと同時に「またかよ! 佐藤誠でどんだけ食いつなぐんだよ(笑)」とも。ですがこれは、冒頭に触れた探偵、月島凪の裏返しであることは言うまでもありません。行方不明の探偵とすでに死刑執行されている殺人鬼が、今なおこの世に影響を与え、(月島は存命ですが)「凡人」たちを翻弄する様子を描いたサスペンス作品なのです。

「推理」で真相を暴くわけにはいかないため、犯人、その動機の暴露には多少強引な手口が使われますが、「これはミステリではなくサスペンスなんだ」と分かっていればそれほど不自然には感じません。

ラスト、ある登場人物の思わせぶりな近況が書かれて物語は終わります。間違いなく次回作に登場してくるでしょう。
我々はまだまだ「佐藤誠シリーズ」を楽しむことが出来そうです。


No.102 4点 探偵作家は沈黙する
田代裕彦
(2016/08/01 13:31登録)
「懐旧調(レトロ)で郷愁的(ノスタルジック)にして軽妙(ポップ)。すこぶる愉快な探偵小説なり。満足至極」
私ではなく、帯に書かれていた有栖川有栖の推薦文です。有栖川にこんなことを書かれたら読まないわけにはいかないでしょう。

この推薦文でハードルが上がったわけでもないですが、期待していたほどの面白さはありませんでした。
全九章のうち前三章を使って、主人公が現在に至った境遇と登場人物の紹介が行われていることから、キャラクター性を強烈に意識した作品だと分かります。
あとはそのキャラクターに負けない事件を構築するだけだったのですが、いささか地味すぎました。シリーズ探偵第一作で扱う事件としてはどうでしょうか。

乱歩、横溝の時代なら分かります。明智、金田一初登場の「D坂の殺人事件」「本陣殺人事件」ともに短編、中編程度の長さで、事件も特段派手なものでもありません。
ですが、今や平成、というか21世紀に突入してから十数年経ちました。
古本屋の店主とか、喫茶店のバリスタとか、骨大好きな美女とか、流行りの「お仕事探偵」的な「売り」があるのであればいざしらず、ごく普通の探偵がごく普通の事件を解決するだけでは話題にもならないのです。

BLOWさんの書評では、発売予定だった第二弾が中止になったとのこと。これもBLOWさんの言葉を借りれば、「むべなるかな」でしょう。

文章は確かに有栖川の言うように「軽妙」で読みやすく、事件は事前に全ての手掛かりも提示され、小粒ながらフェアなものです。下地は完全に出来上がった作家のようですので、あとはパンチの効いた事件、トリックとキャラクターを生み出せればリベンジも叶うのではないでしょうか。(それが難しいんだけど)


No.101 6点 パズル崩壊
法月綸太郎
(2016/07/31 17:10登録)
先に書いたものが私のNo.100の書評だと、投稿してから気付きました。
(よりによって「ノックス・マシン」が記念の100番かよ……何かレジェンド作品にするか、有栖川ものを解禁して書きたかった……)
失礼、心の声が漏れました。
しかしながら、次に書こうと思っていた作品が、同じ法月作品の「パズル崩壊」であり、しかもここに、復活した角川文庫版での解説で大森望が書いているように、「ノックス・マシン」の萌芽がすでに認められていたことを発見し、これは運命的なものだったのだと思いました。

収録作の、「重ねて二つ」「懐中電灯」「黒のマリア」までは、オーソドックスな(若干変化球ですが)本格が続きますが、四作目の「トランスミッション」から、まさにギアチェンジしたかの如く、本格ミステリに片足は残しながらも、もう片方の足はその場所から大きく離れていくのです。股裂き限界まで。
特に「ロス・マクド(以下略)」は、「ノックス・マシン」収録の問題作「バベルの牢獄」を想起させます。

しかし相変わらず法月は、展開に直接関係のない作中周辺の事柄まで、(恐らく稿量の許す限り)逐一本文に書き込んできます。(七作目の「カット・アウト」とか凄いよ)
「読者が読み飛ばしてしまうようなことでも、取材で得た情報を書き込むことで作品にリアリティが生まれる」と言ったのは作家の森村誠一ですが、確かに、「こういうことあった、ありえたかも」という問答無用のリアリティが「カット・アウト」にはあります。他の作品もかくの如し、です。
「法月先生、二十年前から変わってないんだなぁ」と、変に安心しました。

「パズル崩壊」とは、言い得て妙というか、取りようによっては自虐的な(法月のキャラクターらしい)タイトルです。
最後に収録された、「……GAL(以下略)」が、「構想中の長編の冒頭部分」というのも、他の作家がやったら「何だよ真面目にやれ」と言いたくもなりますが、法月なら、「んー、許す」となってしまいます。(しかもこのプロットは、大作「生首に聞いてみろ」に取り込まれ、消滅してしまったそうです)

「探偵綸太郎もの」の短編集のような、明るく快活で万人が楽しめる本格ミステリとは違う、「ブラック法月」の神髄をこの短編集に見ました。

私は「悩めるミステリ作家 法月綸太郎」というキャラクターが大好きですので、若干甘めな採点になってしまったかもしれませんが、皆さんは、まかり間違っても、「ねえ、何か面白いミステリない?」と訊かれたご友人に、本作をお勧めしてはいけません。


No.100 5点 ノックス・マシン
法月綸太郎
(2016/07/30 15:27登録)
「どうした? 法月」

 法月綸太郎といえば、「悩めるミステリ作家」というキャッチコピーでおなじみの(?)本格の権化のような人、というイメージだったのですが、悩みすぎておかしくなってしまったのでしょうか?
などと失礼な物言いはさておき、作者が楽しんで書かれた作品であるということは読んでいて分かります。好きでもなければ、こんなわけの分からないものを書くものですか、いや、失礼。

お遊びはお遊びでも、法月綸太郎クラスの賢才の稚気は、やはりひと味違うというか、「バベルの牢獄」なんか、「こんなことのために……」と読後腰が砕けました。
monyaさんが書かれた通り、本格ミステリとSF(しかも、SFがきちんと「サイエンス・フィクション」していた古典のガチSF)双方に余程の理解がないと、雰囲気で面白がることは出来ても、作者と同じ土俵で真に楽しむことは出来ないでしょう。
本格ミステリはともかく、SFは学生時代片足だけ突っ込んですぐに引き抜いた私には、とても理解の及ばない領域でした。
「引き立て役倶楽部の陰謀」は抜群に楽しめましたが、他の作品(のSF要素)が足を引っ張り、この点数となりました。

いや、しかし、「ノックス・マシン」も、「論理蒸発」も、もっと分かりやすく書くことは出来たはずですよ。「ノックスの十戒に第五項がある理由」「クイーンの『シャム双子』にのみ『挑戦』がない理由」作者の筆力であれば、ミステリを知らない読者にも、噛んで含めるようにおもしろおかしく解説しながら、ユーモア作品に仕上げることは出来たはず。
「だが、断る」ですよ。

分かってもらえなければそれでいい。「遊び」とは、他人でなく自分を納得させるためのものですから。
E-BANKERさんの書かれたように、これを出版させる版元はエライですよ。

法月もこれで気が済んだでしょう。すっきりとしたところで、また傑作本格ミステリを生み出してくれることに期待します。


No.99 7点 アンデッドガール・マーダーファルス1
青崎有吾
(2016/07/29 21:13登録)
昨年末に創刊された、講談社の新文庫ブランド「タイガ」ロンチの目玉作品。
書き手は「平成のクイーン」こと青崎有吾。

吸血鬼や人造人間などの「怪異」が実在し、しかも人間と一部共存しているという特殊世界もの。平成生まれの作者は、こういったガジェットに物心ついた頃から接していたはずで、ある意味本領発揮といえるのではないでしょうか。さらにそこに、「ベルギー人の探偵(この時点では官職で警部)」「Mを頭文字に持つ教授」など、本格ミステリ界の重鎮も加わって、さながら「スーパーミステリ大戦」の様相を呈してきます。

怪物、魔術などが存在する世界とはいえ、推理はあくまでロジカル。ファンタジックなガジェットを前提として、作者得意の理詰めの展開が繰り広げられます。
第一章の最後で、犯人が判明するや否や、いきなり主人公が犯人をボコり始めたのには、唐突すぎてちょっと笑ってしまいましたが。

「高度に発達した技術は魔術と見分けがつかない」とは、SF作家、アーサー・C・クラークの有名な言葉ですが、携帯電話やパソコン、地球外にまで飛びだすロケットなど、百年前の人から見れば、まさに「魔法」としか思えないでしょう。そんな「魔法」に囲まれた我々の世界でも、今でも変わらず本格ミステリは生み出され続けています。「魔法」があるからといって、そこにロジカルな思考と解決が無意味になることなどないのです。
「魔法とか怪物とか出てくるのか……」と食わず嫌いをせずに(それは本作を読む前の私だ)本格ミステリファンにはぜひ読んでほしい一冊です。


No.98 10点 十角館の殺人
綾辻行人
(2016/07/29 20:52登録)
まずはメルカトルさん、レビューで触れていただき恐縮です。
他のレビュアーの皆様も、今後ともよろしくお願いいたします。

誰が言ったか、「東の島荘、西の綾辻」(誰も言ってない?)
というわけで、レジェンドシリーズ第2弾は、これだ。

まず、久方ぶりに読み返してみたのですが、驚いたのはその読みやすさ。私が読んだものは講談社文庫の「新装改訂版」なので、デビュー当初のものとは違っているのでしょうが、それでもこの読みやすさったらありません。
「占星術」は、一章終わる度にコーヒータイム、と洒落込んでいたのですが、「十角館」はほぼ一気読みでした。

当時散々こき下ろされたという有名な、「人間が描けていない」という批判も、今となっては何と的外れなことでしょうか。
こちとら、凄いトリックを味わいに来ているのです。作者との知恵比べという戦い、もしくは、真相が明かされた瞬間の知的興奮を求めているのです。
高度な戦術の応酬の対戦格闘ゲームをやっている横で、「この、手からビームを出す空手家や手足が伸びるインド人は何だ。全然人間が描けていない」と言われても返答に窮するのです。

本作は「ミステリマニアの、ミステリマニアによる小説」ですが、「ミステリマニアのための」ものでは決してありません。実際、本作が本格ミステリ初体験、もしくは、本作によって「ファン」から「マニア」に昇華(?)した。という方も決して少なくないでしょう。ミステリに無縁の人たちにも本作の魅力が届いたからこそ、この衝撃を皮切りに「新本格ムーブメント」は立ち上がったのですから。

作者が本作に仕掛けた拘りは半端ではありません。例の「世界が反転する一行」が偶数ページの一行目、つまり、ページを開いて初めて目に触れる位置、に書かれていることなどその典型です。(先述の通り私が読んだのは改訂版ですが、改訂以前もそうなっていたのでしょうか?)

本作ほど、読んでいて作者の「情熱」を感じる作品というのをちょっと私は知りません。(「占星術」も、島田荘司の「大人の余裕」を感じ、ここまでガツガツ迫ってはきません)文章のあちこちから「若さのエネルギー」が迸(ほとばし)ってくるのです。
本作は綾辻二十六歳のときの作だそうです。発行年の1987年としても、二十六歳というのは(文壇においては特に)「若造」とレッテルを貼られてしかるべき年齢でしょう。
「二十代半ばの若造が、見たこともない尖った武器を持って躍り込んできた」
もしかしたら、自分たちの理解の範疇を超える作品に対し正当に批評する術を持たなかった当時の文壇の重鎮(と、一部のミステリファン)は、「十角館」を批判することで自己防衛を計ったのかもしれません。

講談社文庫の「新装改訂版」には、旧版の鮎川哲也による解説も収録されています。
ここで鮎川は、「十角館」と作者綾辻行人に対する謂われなきバッシングに苦言を呈しています。さすが、ミステリ界のレジェンドは、本作の持つ力と可能性を見抜いていたのです。果たして、「占星術」を皮切りに「十角館」をもって「本格ミステリ」は完全復活を遂げました。
歴史的マイルストーンとなるべき傑作。全ミステリファン、いえ、未来のミステリファンも含め必読の書といえます。

余談ですが、鮎川は解説にて、「評論は七割けなして三割褒めろ」と書いています。私も復活するに当たり自分の過去の書評を読み返してみたのですが……鮎川氏の言葉が胸に染みました。


No.97 10点 占星術殺人事件
島田荘司
(2016/07/28 20:26登録)
お久しぶりです。
色々と忙しかったのですが、打って変わりとてつもなく暇になりましたので、通常のものに加え、昔読んだ作品を再読して書評など書かせていただきたいと思います。
勝手に「レジェンドシリーズ」と名付けます(笑)
第一発目に持ってくるのは、これしかないでしょう。

ミステリを評する際に、「歴史的価値を含むかどうか」は意見の割れるところだと思います。極端な話をしてしまえば、あまりに有名で使い古された、もしくは万人の知るところとなった(オマージュ、パクリなどで)トリックを初使用した作品などは、新しいミステリファンが読んだら、「何だ知ってるよ」となるわけです。

本作など、その典型だと思うのですが、(皮肉にも、そういった新たな若いミステリファンは、往々にして例の「名探偵の孫漫画」でミステリの楽しさに触れた可能性が大きいでしょう)それを差し引いても、やはりこの点数を付けざるを得ないと考えます。

正直、「全然関係のないところにページを割いているなぁ」と助長に感じるところはありますが、それは読者としての「メタ視点」でそう思うのであって、作中の石岡くんや御手洗にとってはごく自然な行動であり、こういうところに手を抜かないこともミステリとしての「フェア精神」(作中のキャラに「真相ありき」な不自然な行動を取らせない)のひとつだと思うのです。

それにしても、上梓から三十年経っても(私はリアルタイムで読んだわけではないですが)色あせない「アゾート殺人」の不気味さと真相の驚きは、どうしたものでしょう。
しかもこれが、(時系列的にありえないのですが)「新本格」真っ只中の群雄割拠時代ではなく、いわゆる本格が色眼鏡で見られていた1980年代初頭にいきなり出現したというのは、当時の恐らく肩身の狭い思いをしていた本格ミステリファンには、驚きとともに溜飲が下がる思いだったのではないでしょうか。

これから読まれる方には、講談社文庫から出ている「改訂完全版」での読過をぜひおすすめします。本文が改訂されていることに加えて、巻末の作者、島田荘司による「改訂完全版あとがき」が素晴らしいのです。
80年代当時の空気から始まり、本作が辿った道筋、最後は若い読者に対してのエール。ミステリ界の大重鎮の今の言葉が胸に刺さります。

(関係ないですが、あれだけ頑なに拒んでいた御手洗ものの映像化を許可したり、この「あとがき」の筆致といい。島田荘司はいつからこんなに丸くなったのか? どうした? 島荘)

作者はこの「あとがき」にて、「デビュー作である本作が、ずっと代表作とされることに忸怩の念を抱いていたが、最近はそうも思わなくなってきた」と書いています。
「占星術殺人事件」は作者の手を離れ、過去、現在、そしてこれから生まれてくる全てのミステリファンものとなったのでしょう。

最後に、本作が初登場となった、御手洗、石岡コンビについて書かないわけにはいかないでしょう。「奇人探偵とフツーのワトソン」という、デュパン、ホームズから連なる確固たるギミックを本邦初めて定着させたのも本作ではないでしょうか。
奇抜な行動で迷惑を掛けながらも、たまに「デレる」御手洗と、それをやっかいに思いながらも目が離せない石岡くん。本作は「キャラミス」の走りでもあるのです。

魅力的な探偵キャラクターが、全く不可能と思われる異様な犯罪を追い、最後に閃きと頭脳で謎を解く。
本格ミステリの魅力の全てがここにあります。
これから50年、100年経っても、「占星術殺人事件」の魅力が色あせることはないでしょう。


No.96 7点 サム・ホーソーンの事件簿Ⅲ
エドワード・D・ホック
(2015/12/05 14:09登録)
時は移り変わり、禁酒法も解け、サム先生の身辺にも変化が訪れ始めたが、不可能犯罪が頻発することだけは変わらない。
某名探偵の孫や、体は子供、頭脳は大人探偵もびっくりな事件遭遇頻度!
親友のレンズ保安官が、「またあんた(サム)の得意な不可能犯罪が起きたぞ」的なことを言ってきて、もはやノースモント住人にとっては、不可能犯罪は日常茶飯事レベル。
ミステリ的にⅡより持ち直したと感じ、ボーナストラックの「ナイルの猫」が短い中に極上のワイダニットがズバッと決まっていたゆえ、7点にした。

ここで、このシリーズの書評では、個々の事件についてはほとんど触れていなかったな、と思い、印象に残った作品を挙げてみると、何と言っても「防音を施した親子室の謎」だ。例によって、「うん、それしかないよね」という類のトリックだが、その不可能現象が現出するまでが大変魅力的。一件関係のなさそうな事柄が、実は事件の動機に繋がるなどの意外性もいい。


No.95 5点 サム・ホーソーンの事件簿Ⅱ
エドワード・D・ホック
(2015/12/05 13:54登録)
シリーズ第2弾。
最近の日本の探偵物ものと違い、時間軸が進んでいく構成なので、登場人物は歳を取るし、未婚者が結婚したりするし、主人公の車が代わったり(その理由が凄い)、町や人々の移り変わりを眺め、ミステリとはまた違うもうひとつの面白さがある。
前作よりも一点抑えたのは、肝心のミステリ的に一作目より劣るかな、と考えたため。
しかしながら、人間関係のドラマだけなどに逃げず、全編必ず何かしらのトリックを入れ、これだけの作品を書き続けていたというのは凄いことだ。


No.94 7点 密室蒐集家
大山誠一郎
(2015/11/30 10:08登録)
密室殺人事件が起きると、どこからともなく現れ、解決すると消えてしまう神出鬼没の謎の名探偵「密室蒐集家」
かつて、俳優の田村正和は、自身が主役を演じた「古畑任三郎」シリーズで、脚本家の三谷幸喜が、「古畑の役作りのために彼の履歴書を書きましょうか」と提案されたところ、「古畑は、事件が起きると現れ、解決して去ってしまう。彼のプライベートは誰も知らないし、果たしてそんなものがあるのかも分からない。それでいいんじゃないですか」と答えたという。脚本家以上に古畑というキャラクターを見事に捉えた言葉だが、それを具現化したような、本作の「密室蒐集家」

この設定から分かるように、本作は徹底的にトリックに拘った作品集だ。その代わり、キャラクターやストーリーなどは完全にそぎ落とされている「『ミステリ』というジャンルを冠するためだけに、オタク好きするキャラクターの会話劇に、ふわふわした分かったか分からないようなトリックを取って付けたように載せただけの『キャラミス』など、どけ!」と、作者が言ったか言わなかったか知らないが、(間違いなく言ってない)この時代、ここまでトリックに拘ってくれるというのは、非常に頼もしい。「偶然の乱発」など、些細な問題だ。


No.93 6点 花窗玻璃 シャガールの黙示
深水黎一郎
(2015/11/04 11:51登録)
河出文庫から、「花窗玻璃 天使たちの殺意 」というタイトルで改題、加筆修正されたもので読了。
「あの『最後のトリック』の作者による何とか」みたいな帯が掛かっており、「またぞろ何か仕掛けが?」と思い構えて読んだが、ごくオーソドックスなミステリだった。
本編の半分近くは芸術、聖堂に関する蘊蓄。特に読む必要はないが、作者の語り口がうまいのか、飽きることなく読ませられる。面倒な方は、「事件の舞台となった聖堂だけ、左右の塔の高さが揃っている」という蘊蓄だけ憶えていればいいです。(なにげにネタバレっぽい)
幻想的、芸術的でハイソサエティな作風に似合わない、豪快で力業なトリックは、かえってギャップ萌え(?)しました。
作中の探偵の言葉で、「言語文化が衰えていくのを食い止めるのも作家、言語学者の使命」みたいな台詞があり、なるほどそうだな、と思った。一般の人たちが言葉の楽な言い回しや、簡略化、誤用による意味の変化などに慣れていくのは仕方ないが、言葉を商売道具とする作家までもがそれに倣ってしまっては駄目だ、ということだ。


No.92 6点 サム・ホーソーンの事件簿Ⅰ
エドワード・D・ホック
(2015/11/04 11:37登録)
一発トリックものの短編集。
まず不可能状況を想定して、それに見合うトリックを考えていった、という作りなのかなと思った。
「屋根付きトンネルに入った馬車が消える」
「一度埋めたタイムカプセルから死体が出てくる」
「パラシュート落下した人間が、空中にいる間に絞め殺されている」
どれもとびきり魅力的な謎で、早く解決を知りたい、とページを捲る手が早くなってしまう。「まあ、それしかないよね」という当たり前のトリックであることも多いのだが。
しかしながら、これだけのトリックを、短編に惜しげもなく投入する太っ腹ぶり。(現在なら、本作の中でも気の利いたトリックを使って、中編や長編を書いてしまう作家が多いだろう)
禁酒法時代の話で、その反動なのか、語り手である年老いたサムが、聞き手にやたら酒を勧めてくるのが面白かった。


No.91 7点 キングを探せ
法月綸太郎
(2015/11/02 10:08登録)
ベテランの面目躍如とでも言うべき、見事なプロット。
それも、大どんでん返し的なビックリ箱でなく、思わず「ううむ」と唸ってしまうような、「渋知」な仕掛け。変な表現ですが、色気があります。

言及しておきたいのは、事件に挑む探偵綸太郎の存在。
警察の捜査に手を貸す素人探偵、という、かつては当たり前だったギミックが通用しなくなってきた昨今。(作家も読者も)作品にリアリティを求め、また、警察の科学力の飛躍的な向上も相まって、今や「素人探偵」という存在は、完全なファンタジー化してしまった。
現在、素人探偵の居場所は、警察の捜査介入を防ぐ絶海の孤島や、警察の捜査能力そのものを落とした過去を舞台とした作品、もしくは、警察が介入するまでもない「日常の謎」くらいしかないだろう。
僅かな毛根や、被害者の爪の間に残留した皮膚片からDNA鑑定により個人が特定されてしまうほどの科学力。網の目のように張り巡らされた携帯電話など個人ネットワーク。およそ、一介の素人が幅を利かせる余地などないかのような、先鋭された現代社会という敵とも戦いながら、今なお綸太郎は素人探偵として活躍し続けている。これはかなり大変なことではないかと思う。
他の方の書評にも書かれていたが、綸太郎や親父さんの法月警視の口から、ネットスラングなどが漏れるのも面白い。遠い過去や、浮世離れしたファンタジーではない、今我々と同じ時間を共有している名探偵。俄然、綸太郎に親近感が沸こうというものだ。

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