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ミステリの祭典

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ダブル・ダブル
エラリイ・クイーン、ライツヴィルシリーズ

作家 エラリイ・クイーン
出版日1957年01月
平均点5.36点
書評数11人

No.11 7点 文生
(2024/04/25 09:27登録)
世間的な評価はイマイチですが、童謡殺人の扱い方がユニークで、個人的にはかなり楽しめました。1950年以降の後期クイーン作品ではこれが1番好きかも。

No.10 6点 HORNET
(2020/12/30 21:14登録)
 病死、自殺、失踪と、それぞれ自然死や事故に見える出来事。失踪者の娘がエラリイを頼ってきたことから、エラリイは事件の地ライツヴィルへ向かう。そこでそれぞれの被害者が、童謡の歌詞をなぞっていることに気づいたエラリイは、すべて仕組まれた殺人ではないかと疑い出すのだが・・・

 限られた登場人物でありながら、どの人物も様々な形で一連の被害者に関わっていて、それなりに誰もが疑わしい状況が上手く作り出されていた。童謡殺人とはこれまた今さらな感じはあるが、前作「十日間の不思議」の「十戒」よりは分かりやすく、入っていきやすかった。
 ただ、物語が進んでいく中で一向に推理が進まず、最後のどんでん返しに期待するしかなくなっていく感じはあった。真犯人は私としてはなかなかに予想外だった。

No.9 5点 虫暮部
(2020/07/21 11:51登録)
 諸々の構成要素や明かされた真相を鑑みるともっと楽しめてもおかしくないのだが、実際にはいまひとつ話に乗れなかった。
 周りの登場人物達はリーマをとても魅力的な女性として扱っているけれど、彼女を直接描写した文章を読むとそうでもない。

No.8 4点 レッドキング
(2020/03/05 17:10登録)
ダブル・ダブル・・・二重・ウラオモテ・見せかけ・・。「悲劇の連鎖」に見せかけた「計画犯罪」、「数え歌連続殺人」に偽装した「合目的犯罪」、「探偵を操り連鎖を企図する犯人」と「連鎖自体に操り返される犯人」・・。
※手元のハヤカワ訳本、野生児という設定の娘に「ようござんすわ」「面白うござんしたわ」なんてセリフ言わせちゃってる。明治35年生の訳者の文体が実にアウトオブファッション。

No.7 5点 ボナンザ
(2018/12/09 13:13登録)
やはり全盛期の作品に比べると見劣りする。童謡殺人に関してもそれほどの効果がないのは残念。

No.6 6点 青い車
(2017/03/08 19:33登録)
 童謡殺人テーマを大きく捻ったことでユニークな事件の構図を作り上げているのですが、いかんせんストーリーに盛り上がりがなく、引き込まれ夢中になるだけの魅力が欠けています。個人的にハマれなかった『盤面の敵』ほどではないにしても、やや趣向・仕掛けが不発気味に終ってしまっているように感じます。ピークを過ぎたクイーンの変化を付けようという試行錯誤や意欲は買われるべきだと思いますが。

No.5 4点 クリスティ再読
(2016/12/18 23:05登録)
まあ皆さんおっしゃるように、本作は「九尾の猫」のやり直しみたいな感じの作品である。童謡殺人モノの体裁をとっているんだけど、エラリイ介入時点で1件以外は殺人の疑惑さえ持たれていない状況、というはなはだ意気上がらない設定なんだよねぇ。「九尾の猫」だと被害者の関連性が不明でも絞殺の手口が一致するから連続殺人疑いなし、というセンセーショナルな部分が興味の大きな部分を占めてた...というのが逆によくわかる。
あと、仕方がないんだが見ようによってはアンフェアな部分としては、ネタとなった数え歌の後半をなかなか教えてくれないところ。アメリカ人はジョーシキなのかもしれんがねえ。後半の歌詞がわかると、なんとなくピンと来るところがある..と思うと、登場人物が少ないので、すぐに犯人の見当とかついちゃうんじゃないかなぁ(実はメタなんだけどね)。本当はこの後半とか、犯人視点の皮肉なサスペンス物として描いた方がずっと良かったんじゃないかな。
でヒロインのリーマだけど、ちょっとクリスティの「動く指」を連想する話だよね(ちょっと思うんだが、このネタのオリジナルはG・B・ショーの「ピグマリオン」だよ。時代に合わせてその翻案作がいろいろと移り変わるのは仕方ないんだがねえ)。でエラリイがリーマに魅かれていたりするあたり、ライツヴィル物で目立つようになったボンクラぶりがちょっと強調されちゃってるな。まあ本作も「九尾の猫」と同じく後期クイーン的問題(エラリイ首を突っ込まなきゃよかったのにね)のお話の一つ。読みやすいけど、ちょいと腰砕けな感覚の方が強いや。

付記:名探偵って2通りあると思う。「共同体のヒーロー」であるか、共同体に同化しない「孤独な異邦人」であるか、という役割の問題なんだよ。ポアロなんて明白に異邦人だし、マープルだって多かれ少なかれ苛烈な魔女といったニュアンスが見え隠れするから、クリスティは常に「孤独な異邦人」側だったといえるんだろう。エラリイの栄光と悲惨は...エラリイのための共同体であるライツヴィルの「町の名探偵」として、「共同体ヒーロー」をその背に引き受けちゃったところなんだろうな(「ガラスの村」でエラリイが主人公たり得ない理由もそこら)。だから、エラリイは「町の潜在意識」(それが誘導された虚偽意識であっても)を代表せざるをえないわけだから、それに振り回される展開は必然で、そういうエラリイのある意味無様な姿は、共同体の理念への捧げものとしての姿だろうね。評者はエラリイが泣きながら笑っているかのような微妙な表情をして立ち尽くすのが目に浮かぶ。

No.4 5点 E-BANKER
(2016/01/19 22:26登録)
1950年発表。
「災厄の町」「フォックス家の殺人」「十日間の不思議」に続くライツヴィル・シリーズの四作目。
「四作目」なのだが、前作から久々にライツヴィルを訪れて・・・という設定。

~クイーンのもとへ匿名の手紙が届いた。なかにはライツヴィルのゴシップを知らせる新聞の切り抜き記事が数枚入っていた。“町の隠者”の病死、“大富豪”の自殺、“町の呑んだくれ”の失踪。この三つの事件の共通点は? 手紙の主は不敵にもクイーンに挑戦状を叩きつけてきたかのようだった。だが、懐かしの土地へ赴いた彼を待ち受けていたかのように古い童謡に憑かれて犯行を重ねる殺人鬼にクイーンもなすすべがなかった!~

後期クイーンの作品らしいと言えばらしい・・・作品。
紹介文のとおり、エラリーへの挑戦状や一見して無関係に見える連続死がエラリーの登場後、童謡通りの「見立て殺人」という共通項が発見されるなど、本格ファンにとっては魅力的なガジェットが盛り込まれている。
かといって、それが面白さにつながっているかと問われればやや疑問符。
メインテーマはもちろんフーダニットの謎になるのだろうが、そこが今いちピンボケのような感じなのだ。
連続殺人が進んでいき、最後の最後で大ヒントが与えられ、読者も「まさか?!」と思った・・・ところで最後のドンデン返しは待ち受けている。
そこはまぁいいのだが、これって要は「○乗殺人」ってことだよね・・・
その辺りがどうも整理されてなくって、すっきりしない感じになっているのではないか。
(動機も分かるようで、どうも納得性が薄い)
どちらかというと重厚な作品がつづいた時期だから、「九尾の猫」や本作でやや派手な仕掛けを込めたかったのか??

本作のもうひとつのポイントが「リーマ」の存在。
まるで妖精のような美少女なのだが野生児。エラリーがNYの高級店で淑女に仕上げていくところはまるで「プリ○○ウーマ○」??
完全に惚れてるのに、他の男に盗られてしまいジェラシーを感じるエラリー・・・
サイドストーリーとしてラブストーリーが書きたかったのかどうか? でもちょっと中途半端かな。
まっそれは作品全体をとおしてではあるが・・・

No.3 6点 了然和尚
(2015/10/16 14:47登録)
読み手を選ぶ作品です。クイーン好きでも国名シリーズからいきなりこれを読むとかなりガッカリ物かと思いますが、「十日間の不思議」、「九尾の猫」と読みつなぐと、この頃のクイーンのスタイルに馴染んで、本作も楽しめます。相変わらずのクイーン探偵の踊らされぶりで、犯人指摘後の納得感も薄く、いまいちなのですが、最初から読み直してみると構成的にはしっかりと本格になってます。失敗点は犯人の動機の隠蔽に気を使いすぎ(ま、ここが肝なのですが)不自然すぎる内容になってしまったことでしょうか。一体、この人何人殺したのかなとか、どこで犯罪に持って行ったのかとかは、読み直してみればわかるようになっているのですが、直接の犯罪で死んでいない人は「登場人物」には記載されていないというのは、本格っぽくて+1点です。(偶然か?)
それから、童謡の見立てで「商人」と「証人」が引っ掛けてあったのは、面白すぎますが、原文ではどうなっているんでしょうか? 翻訳者のファインプレーなんでしょうかね? 気になります。


No.2 5点 Tetchy
(2010/10/15 22:39登録)
実に摑みどころの無い事件である。殺人事件とも思えない連続的な事故に対し、エラリイは誰かの作為が介在して意図的に起こされた殺人なのだと固執して事件の関連性を調査するというのが、本作の主眼なのだが、なんとも地味な内容なのだ。そしてエラリイが周囲の反対を押し切って捜査を続ける理由が、“金持ち、貧乏人、乞食に泥棒・・・”と歌われる童謡どおりに事件が起きている事実、それのみ。

前作『九尾の猫』との奇妙な符号についても触れておきたい。
『九尾の猫』は無差別殺人と思われた連続殺人事件に、一貫したミッシングリンクを探し出し、犯人を炙り出そうという趣向の作品だった。翻って本作は一見偶発的に起きた事故としか思えない町の人たちの死亡事故が、童謡という符号(リンク)があるがために実は隠された意図で起きていたことを見出すのが趣向だ。どちらも複数の人の死を扱っていながら、テーマは表裏一体だ。しかし次々と人が殺されていく『九尾の猫』は物語としても実に派手であるが、本作は事故としか見えないものをエラリイが無理矢理事件にしようと苦心し、足掻いているだけに実に地味だ。『九尾の猫』が陽ならば本作『ダブル・ダブル』は陰の作品といえよう。

前作のエラリイの探偵廃業を決意するまでに絶望に落ち込んだ彼は一体何だったんだと叫びたいくらい、立ち直りが早い。まあ、これはよしとして次作がもっと面白いであろうことを期待しよう。

No.1 6点
(2010/08/11 21:32登録)
このライツヴィル・シリーズ第4作は、前3冊のような重厚なテーマ性が感じられません。以前のような力作を期待しているとちょっと拍子抜けしてしまいますが、エラリーに事件調査を依頼するリーマの妖精的な人物像が前半を彩っていて、なかなか楽しい作品になっています。
クイーンの童謡殺人としては『靴に棲む老婆』に次ぐ2作目であることが解説にも書かれていますが、今回は童謡殺人であることがわかるのは半分を過ぎてからです。その点『僧正殺人事件』等とは違っていますが、童謡が使われる理由がわかれば犯人も判明するのが、クイーンらしいところです。しかし、犯人の目星をつけ難くしているのが動機の問題での偶然だけだというのは冴えません。それでも、この雰囲気は何となく好きなので、ちょっとおまけしてこの点数。
ハメットの亜流(スピレイン系のようです)に対して、リアリズムに関する皮肉たっぷりな批判が飛び出してくるのには笑わせられました。

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