皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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Tetchyさん |
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| 平均点: 6.73点 | 書評数: 1634件 |
| No.1254 | 7点 | 失われた世界- アーサー・コナン・ドイル | 2016/06/02 23:48 |
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| シャーロック・ホームズに次ぐドイルのシリーズキャラ、ジョージ・チャレンジャー教授第1作目の本書は今なお読み継がれる冒険小説だ。
未開の地アマゾンの奥地に隆々と聳え立つ台地の上に独自に発展した生態系があり、そこには絶滅したとされた恐竜が生息していた。 この現代に蘇る恐竜というモチーフは現代でもなお様々な手法で描かれているが、miniさんもおっしゃっているが今なお映画化されているクライトンの『ジュラシック・パーク』の原典が本書であると云えよう。 しかし最も特筆すべきは冒険の舞台であるメイプル・ホワイト台地の精密な描写である。あたかもジュラ紀に舞い込んだジャングルの風景を詳細に描写する様はまさに目の前に映像が浮かび上がってくるようで、しかもそれらの映像は先に述べた映画『ジュラシック・パーク』シリーズの映像で補完されるがごとくである。ジャングルの蒸し暑さと未知の世界を行く登場人物の緊張感の迫真性はとても1912年に発表された小説とは思えないくらい、リアリティを持っている。ドイルの想像力の凄さを改めて思い知らされた。 さて本書は秘境冒険小説の原型とも云える記念碑的作品であるが、実は本書でドイルが最も語りたかったのは男の成長譚ではないだろうか? 特に語り手である弱冠23歳の新聞記者エドワード・マローンが野心だけが大きな実のない男から苦難の冒険を経て他者に認められる男として帰ってくるための物語、そんな気にしてならない。 そしてまた学会で異端児として扱われているチャレンジャー教授が自説を証明するための苦難の道のりを描いた物語でもある。つまり権威として認められるには男は冒険をすべきだというのが本書の真のテーマではないだろうか? それが特に最終章に現れている。南米で原始の時代から生息する生物のみならず独自の進化を遂げた生物の発表をするために舞台に立ったチャレンジャー教授、ジョン・ロクストン卿、サマリー教授、そしてエドワード・マローンのなんと晴れやかなことよ!困難に立ち向かい打ち勝った男の晴れ晴れとした姿こそドイルが書きたかったものではないだろうか。 そしてもはや男となったエドワード・マローンに冒険の契機となった恋人のグラディスでは役不足だったのである。だからこそドイルは最後にグラディスがマローンの帰りを待ち切れずに妙な小男と結婚したという珍妙なオチを用意したのである。男の冒険心を天秤に計るような女にはそんな小男こそがお似合いだ、というわけだ。 あくの強い面々によってなされた冒険譚。失われた世界に生きる生物の神秘よりもこれら愛すべき男たちの成長にエッセンスが込められていることに気づいたのが本書を読んで得た大きな収穫だった。 |
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| No.1253 | 8点 | マスカレード・ホテル- 東野圭吾 | 2016/05/31 07:14 |
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| 昨今流行りのお仕事小説にこれまた昨今ブームとなっている警察小説を見事にジャンルミックスした非常にお得感のある小説となっている。
人を笑顔で迎え、常に感謝の気持ちを忘れないと心がけるホテルウーマンと常に人を疑ってあらゆる可能性を考える刑事という職業のミスマッチの妙を実に上手く物語にブレンドしている。 また本筋の殺人事件の捜査とは別に本書ではホテルを舞台にしていることでヴァラエティに富んだ珍客が登場するのがいいアクセントとなっている。 これらはいわば日常の謎である。こんなエピソードをちりばめながら水と油の存在だった山岸尚美と新田浩介の関係を近づけていく。そして後々にこれらのエピソードもメインとなる事件に有機的に関わってくるのだからまさに抜け目のない出来栄えだ。 さてこのようにまさに面白い小説の良いお手本のような本書であり、まさに完璧だと思われるのだが、1点だけどうしても気になるところがある。 それは監視カメラについて警察があまり言及がなされないことだ。例えば犯人が毒入り(と思われる)ワインを送った際、警察は購入先を捜査し、コンビニで買ったことを突き止めるが、対応した従業員による聞き込みしかせずに防犯カメラの映像を確認すらしない。そこに違和感を覚えるのである。 他にも監視カメラや防犯カメラを使えばいつどこに誰がいるか、もしくはいたかが解るにも関わらずである。クライマックスシーンの山岸尚美の行き先についてもそうだ。候補として挙げられた部屋番号が判明しているのだから、当該階にあるホテルの廊下に設置されている防犯カメラを調べればいいのである。昨今のTVドラマでは防犯カメラの映像が実に効果的に使用されており、また他の警察小説でも同様の手法を取り入れているのに、なぜか東野作品における防犯カメラを警察が活用する頻度が実に低いのである。 特に本書の場合、携帯電話を使った電話番号差し替えのトリックや闇サイトにおける重層的な交換殺人と実に現代的な犯行計画が用いられているのに、捜査側のアナログ感が非常にアンバランスだと感じた。これは作品にとっては瑕疵にすぎないかもしれないが、他の作品でも同様に感じたことでなかなか改善がなされないので敢えて挙げさせてもらった。 今回のベストパフォーマンス賞は能勢刑事に決定! |
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| No.1252 | 7点 | 人形式モナリザ- 森博嗣 | 2016/05/24 12:32 |
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| ちょびっとネタバレ気味です。
メインの殺人事件の真犯人は思った通りだった。もはや王道のミスディレクションが今回の事件のトリックで非常に解りやすい(まあ、最後の一行もあるが)。 しかし森ミステリのもはや定番ともいうべきか、本筋の殺人事件の真相には驚きがなく、むしろサブストーリーの謎やガジェットの真相の方に実は大きなサプライズがあるが、本書も例外ではなかった。 なんとシリーズ2作目でもこんな仕掛けを用意しているとは思わず、窃盗犯の正体にはひっくりコケてしまった。 あと最後のモナリザについては解ってしまったが、このような仕掛けの写真が出回っている今だからこそなのかもしれず、当時としては斬新だったのかもしれない。 さてこのVシリーズ、S&Mシリーズと違い、男女の恋のもつれ合いが前面に押し出されている。前シリーズでは西之園萌絵が准教授の犀川にアピールするものの、犀川が知らぬふりをしてさらりとかわす一方で、萌絵のピンチになると命を擲ってでも彼女を救おうとするギャップがファンには受けていたが、このシリーズでは主人公の瀬在丸紅子に離婚歴があり、その元夫林は愛知県警の刑事でダンディーな風貌で女性にもて、結婚中に部下の女性刑事と愛人関係にあったというドロドロとした愛憎劇が底流に含まれている。 かてて加えて本書の登場人物の岩崎家も乙女文楽の創始者岩崎雅代の夫の家族と彼女が愛人だった彫刻家江尻駿火との間に生まれた子供たちの家族とが混在している奇妙な関係性がある。つまり通常の家族の形とは違ういびつな関係の人々が物語を形成しているのだ。 瀬在丸紅子というどこか浮世離れしたシングルマザーという特異なキャラクターに、謎めいた探偵保呂草潤平に紅子の元夫で刑事の林とどこか善人とは云いきれない怪しい魅力に満ちた登場人物が主役であることで実際何が起こるか解らないミステリアスな雰囲気に満ちている。それを中和するのが小鳥遊練無と香具山紫子のコミカルな2人。実に面白いバランスで成り立っている。 あらゆる意味で先行きが興味津々なこのシリーズ。次作も非常に愉しみだ。 |
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| No.1251 | 7点 | 貴婦人として死す- カーター・ディクスン | 2016/05/22 15:54 |
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| 決して許されない恋に落ちた男と女が先のない行く末を儚んで心中する、というよくある悲劇が一転して2人は至近距離で何者かに撃たれた後に崖から転落したという不可解な犯罪へと転ずる。この辺の転調が実にカーらしいケレンに満ちている。
さて以下からはネタバレを含みます。 今回ルーク・クロックスリー医師の手記で構成した作者ディクスンの狙いとは“信用のならない語り手”をテーマにしたことだ。 さらに犯人の隠された秘密や人となりが判明するに当たり、このテーマの裏に隠れたもう1つのテーマとは“家族であってもそれぞれが十分に理解しているとは云えない”という実に普遍的なテーマだったのだ。 駆け落ちする男女を犠牲者にすることで色恋沙汰の悲劇という実にオーソドックスな作品かと思いきや、ディクスンの思わぬ意図に感心させられてしまった。 そして本書ではさらにイギリスに迫りくる第二次大戦も本書にほのかに影響を与えている。真相が解明された時には既に手記を残したルーク・クロックスリー医師は戦死しており、また真犯人もまた従軍して不在となっている。明日をも知れぬ戦時下という特殊状況ゆえにリタは道ならぬ恋に落ち、真犯人は恋人を捕られたという実に軽い動機で殺人に至った。何一つ確かなものがない時代だったからこその逃避行であり殺人であった、そのようにも解釈ができる。 今回は新訳改訂版であったため、実に読みやすかった。せっかくのカーの諸作を古めかしい旧訳の古めかしい文体で読むよりも遥かにいいので、東京創元社にはこのまま新訳改訂版の出版を継続してもらいたい。 |
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| No.1250 | 4点 | 海外SFハンドブック- 事典・ガイド | 2016/05/19 23:58 |
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| 昨今縁あってボツボツとSF作品を読むようになってきたため、純粋に初心者の立場からSFに触れようと本書を手に取ってみた。
正直本書に収録されている作家たちは名のみぞ知れ、まったく馴染みがないため、作品に対する興味はミステリよりも沸かなかった。むしろSFというジャンルはやはり小難しいという思いを強くした。 残念なのが代表的な作家を取り上げ、彼ら彼女らの代表作の解説が延々と続いていることだ。 ランキングは記されているものの、単なる順位紹介に留まっており、門戸が開かれていない感は否めない。 また延々と続く作家の紹介の後は日本人作家の座談会が少々と作家たちのオールタイムベストの紹介、そしてSF史を綴ったコラムが続く。しかし内容としてはそれだけである。残り140ページは索引ばかりとなんとも呆気にとられてしまった。 最近の編集者たちはガイドブックの作り方を知らないのだろうか?ランキングもしくは主だった作家たちの作品の紹介をして、少しばかりコラムを載せればガイドブックが1つ出来上がる、そんな風に思っていないだろうか。 確かにそのような作りのガイドブックも昔からあったのだが、書かれていた内容はもっとディープで筆者の熱を感じるものばかり。もしくは新たな物語の見方を示す、まさに読み巧者の鋭い目利きといった内容がコラムには含まれていた。 本書を含め、最近のガイドブックは書影とタイトルでページ半分を費やし、残り半分の限られたスペースで作品に関する内容と作品が書かれた時代背景などを紹介するものだから浅薄に思えてならない。またコラムも作家名と作品名の羅列に過ぎないものが多く、門外漢にしてみれば、「だから何なんだ?」と思わず云いたくなる代物ばかりだ。 もっと1つの作品もしくは作家を突き詰めていろんな書評家がディープに論じてほしい。それこそが読者を知らない世界へ導く有効な道標となりうるのである。 もし本書に収められている作品を読んだ後に振り返って本書を紐解いたとき、本当の価値が解るのではないか。そう期待して本書は傍らにとっておこうと思う。 |
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| No.1249 | 7点 | マンハッタン物語- アンソロジー(海外編集者) | 2016/05/18 23:59 |
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| 本書は先に『ブルックリン・ノワール』なるブルックリンを舞台にしたアンソロジーが先にあり、それに続くシリーズとして今度はマンハッタンを舞台にしたアンソロジーをローレンス・ブロックが編者を務めた物。
作者の選出はブロック自身が行ったようだが、日本の読者には馴染みのない作家の作品で構成されているのが特徴的だ。本書に収録されている作家の内、日本で知られているのはジェフリー・ディーヴァー、トマス・H・クック、ジョン・ラッツ、S・J・ローザン、そしてブロック本人ぐらいだろう。その他10名の作家は邦訳がなく、あっても1冊のみと云った未紹介作家の名前が並ぶがそれぞれが個性的でしかも読ませる。アメリカ作家の懐の深さを思い知らされた次第だ。 原題にノワールと掲げられているからかもしれないが、全体的に物語は暗鬱でペシミスティックだ。そしてどちらかと云えば誰もが誰かを出し抜こうと手ぐすね引いて待っている、そんな悪意が行間から立ち上ってくる。 そんなノワール色濃い短編集だが、個人的ベストはS・J・ローザンの「怒り」、ジャスティン・スコットの「ニューヨークで一番美しいアパートメント」、C・J・サリバンの「最終ラウンド」を挙げたい。 最近は編者としての技量も発揮しているブロック。創作よりもアンソロジーを編むことに専念する大御所作家が多い中、ブロックはその後も自作を発表しているところが素晴らしい。本書はニューヨークに馴染みのない日本人にはなかなか街の空気までも感じられないだろうが、日本未紹介作家の佳作たちに触れる数少ないチャンスである。 ジャスティン・スコットとC・J・サリバンの作品が読めただけでも収穫があった。他の未紹介作家の邦訳が進めばいいのになと思わされた短編集である。 |
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| No.1248 | 7点 | 星籠の海- 島田荘司 | 2016/05/11 23:48 |
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| 本書は文庫で上下1,140ページ物大長編であるが、文字のフォントが大きいため(文庫版で読みました)、90年代に毎年のように記録を更新するが如く刊行された大長編ほどの大部では無いように感じられる。そして物語の枠組みはそれらの作品で見られた様々なエピソードをふんだんに盛り込んではいるものの、全てが御手洗の扱う事件も含めて広島県の鞆という町が舞台となっている。
御手洗が今回扱う事件は愛媛県の松山市の沖合にある島、興居島で頻繁に死体が流れ着く怪事から物語は幕を開け、やがてその源である福山市の鞆に行き着き、そこで新興宗教が起こした奇妙な征服計画に対峙する。 この物語を軸にして他に3つのエピソードが盛り込まれるのだが、特に小坂井茂という端正な容姿だけが取り柄の優柔不断な男が辿る、女性に翻弄される永遠のフォロワーの物語が後々事件の核心になってくる。一歩間違えば誰しもが陥るがために実に濃い内容となっていてついつい先が気になってしまうほどのリーダビリティーを持っている。 小坂井茂自身が事件を起こすわけではない。この主体性の無さゆえにその時に出遭った女性に魅かれ、云われるまま唯々諾々と従いながら人生を漂流する彼の生き方が自分を犯罪へと巻き込んでいく。つまり何もしない、何も考えないことが罪であると云えよう(ここで重箱の隅を1つ。小坂井の友人田中が経営する自動車整備工場でガソリンをポリタンクに入れているという件があるが法律では禁じられているのでこの辺は重版時に修正した方がいいかと)。 また今回御手洗が立ち向かう相手は日東第一教会というネルソン・パクなる朝鮮人によって起こされた新興宗教というのも珍しい。最終目標の敵が明らかになっていることも珍しく、いかに彼を捕えるかを地方の一刑事である黒田たちと共に広島と愛媛を行き来する。とにかく今回は御手洗が瀬戸内海を舞台に縦横無尽に動き回る。私は読んでいてクイーンの『エジプト十字架の謎』を想起した。 この日東第一教会、恐らくある実在する新興宗教をモデルにしているのだろうが、本書に書かれているようなことが実際に行われていると考えると実に恐ろしい。社会的弱者に対してこのような宗教は巧みに心に滑り込み、救済という名目で洗脳を行う。それは自分も含め、誰しも起こり得ることであるが故に縁がなくて本当によかったw そしてそれに加えて星籠なる兵器を巡る歴史ミステリ要素も含んで盛りだくさんの本書は比較的万人受けするミステリだろう。 ドイルが築いた本格ミステリに冒険的要素を加えた正統な御手洗ミステリの復活を素直に喜びたい。とにもかくにも故郷を舞台にした島田の筆が実に意欲的で、作者自身が渾身の力を込めて書き、また愉しんでいるのが行間から滲み出ている。本書は映画化が進行しているとのことでそちらも愉しみだが、それを足掛かりに国内のみならず世界を駆け巡る御手洗の活躍をスクリーンで今後も観られることを期待しよう。 |
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| No.1247 | 7点 | 狙撃- ブライアン・フリーマントル | 2016/05/11 00:07 |
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| フリーマントル版『ジャッカルの日』だが、それでも本書では今までにも増して諜報機関に従事する人々の織り成す人間喜劇と云う色合いが濃くなっている。
経理畑の上司の目を欺いてどうにか諸々を経費で落とそうと画策するチャーリー。 一方でチャーリーの使った費用を徹底的に調査し、彼をどうにか失脚させようと腐心するがあまり、任務に関するアイデアが全く出ない無能な上司。 CIAの夫と結婚したのに全然スリリングでないことが不満の妻。 といった具合に一流の情報機関にいながらも彼らは非常に庶民っぽいのだ。 前作『暗殺者を愛した女』ではKGBの暗殺者の亡命がテーマだったが、2作続けてロシアからの亡命者をテーマにするということは、恐らく彼が取材で得たKGBの情報を余すところなく自作で使いたかったようだ。 謎の暗殺者を突き止めていくMI6、CIA、モサドのそれぞれの代表者たちのうち、やはりチャーリーの冴えが光る。自分が生き残ることを第一義としてきた窓際スパイゆえの周囲の欺き方、身の隠し方、振舞い方に加えて一時期ロシアで暮らした事で得た彼らの国民性をも熟知しており、一見何の隙もないと思われた影なき暗殺者のロシア人故の不自然な振る舞いを手掛かりに突き止めていく辺りは実にスリリングでしかも痛快だった。 そして本書のミソは舞台がスイスのジュネーヴであることだ。永世中立国であるスイスではテロに対する部門はあるものの、そもそもテロが起きるという発想がなく、平和のイメージを損ねることを嫌う。従って本書の防諜部長ルネ・ブロンはそんなスイスの空気の読めなさを象徴するような道化役になっている。 チャーリーの恋人ナターリャに不穏な影がかかる意味ありげな結末であるのにもかかわらず、次作“Comrad Charlie”は未訳のまま。恐らく邦訳は今後もされないだろう。どんな事情があるのか不明だが、全く残念でならない。 |
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| No.1246 | 7点 | オクス博士の幻想- ジュール・ヴェルヌ | 2016/04/21 23:14 |
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| フランスの奇才ヴェルヌの中編集。本書には表題作、「ザカリウス親方」と「氷のなかの冬ごもり」の3編が収録されている。
本書に収められた3編はどれも色合いが異なっており、ヴェルヌの知識と作風の幅広さを感じさせる中編集となっている。 表題作ではマッド・サイエンティストの狂った実験で平穏な町が狂騒を帯びていく物語だが、その原因が最後になって明らかにされるため、読んでいる最中はサクス博士が何かをしていることは薄々解るものの、一体何が町に起きているのかが解らない所がページの繰る手を止めさせない。トンデモ科学譚として個人的には好きな作品。 ドイルもこのようなトンデモ科学譚を書いており、次もその類かと思わせると一転してオカルト譚になっており、大いに予想を裏切る。ザカリウス親方は次々と自分の作った時計が止まっていき、次第に職人としての自信を喪失していき、それが職人の寿命を縮めていく。悪魔の化身のような老人も現れるが、なぜ時計が故障するのかは解らないまま物語が閉じられる。 最後はこれまたヴェルヌの十八番である海洋冒険譚でマクリーン作品の元となったのではないかと思わせる極寒の海での捜索行が描かれる。特に敵役を配して単純な人捜しの物語にしていないのがヴェルヌの物語作家としての上手さだろう。 と、物語の色合いも異なれば実はそれぞれの舞台の国も異なっている。表題作はベルギーの架空の町で、2作目はスイスのジュネーヴ、3作目は自国フランスのダンケルクと、ヨーロッパの国々を舞台にしているところもまた冒険小説家として世界に目を向けていたヴェルヌの視野の広さを想起させる。 ともかくも本書と前回読んだ『グラント船長の子供たち』を読んで思ったのは19世紀の作品だがヴェルヌの作品は今でも鑑賞に堪えうるクオリティを備えていることだ。直截に云えば「今読んでも面白い」。物語として起伏に満ち、また描写や説明も微に入り細を穿っていて興味深かった。 |
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| No.1245 | 6点 | このミステリーがすごい!2016年版- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 | 2016/04/18 23:45 |
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| 今さらながら感想を挙げ忘れてました。
ランキングの詳細は省略するとして、個人的に今回のランキングはその年の面白いミステリを忠実に反映した非常に満足のいく物と感じた。国内では以前から評価が高かったものの、奇妙なルールで『このミス』投票の対象外となった柚月氏が初めてランクインし、さらに本格ミステリで毎年といっていいほどデビューしている新しい才能の出現とランクインは手放しで喜びたい。早速深緑野分氏のデビュー作『オーブランの少女』は文庫化されるや否や購入した。ああ、またも読みたくなる作家が増えてしまった。 そして海外では相変わらず海外作品を取り巻く状況は厳しいものの、逆に精選された作品が訳出されている感が年を追うごとに強まり、どれもこれもが読みたくなる作品ばかりだ。物故作家の新訳刊行が活発な状況もまた歓迎したい。 そんなミステリシーンを盛り上げ、読者層を広げるのにやはり『このミス』の果たす役割は非常に重要なのだが、今回は特別企画がゼロと実に内容の薄い物となったのは寂しい。何も毎年何らかのアンケート企画をしろと云っているのではなく、かつての『このミス』の定番だった座談会もカットされているとは如何な物だろうか。またミステリに関するコラムもほんの添え物程度と、ミステリ愛が薄いとしか思えない。このようなランキング本はその年のミステリシーンを記録する資料としても貴重であるため、総括する内容にしてほしいのだ。 価格を抑えるために内容を薄くしても何の意味もない。内容を厚くするために価格が上がることは大歓迎である。『このミス』はもっと自誌が果たす役割を自覚した内容に還ってほしい。それが一ミステリ読者としての切実な願いである。 |
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| No.1244 | 7点 | 暗殺者を愛した女- ブライアン・フリーマントル | 2016/04/17 20:56 |
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| チャーリー・マフィン、アジアへ!シリーズ7作目の舞台はアジアでまず最初に訪れるのが何と日本!題名も“Charlie Muffin San”とフリーマントルらしく人を食ったタイトルだ。
まずコズロフがCIAと出会う場所が鎌倉と云うのがミソ。東京タワーや東京駅といった80年代当時の外国人が抱く日本の典型的な観光地を選ばず、都心から離れた観光地を選ぶところが日本の情報に通じていることを感じさせる。しかしその後は銀座線に乗ったり、銀座でしゃぶしゃぶを食べたり、イレーナと落ちあうのにはとバスを思わせる観光バスに乗ったりと、恐らくは来日したフリーマントルが経験した日本訪問時の出来事をそのまま利用しているように感じ、なかなか面白い。また80年代当時の日本の風景も懐かしさを感じる。この頃はまだ駅の改札口は自動化されてなく、切符バサミの音を蟋蟀の鳴き声のようだと例えるフリーマントルの発想が実に興味深い。 今回フリーマントルは日本での滞在で入念に取材を重ねたようで特に複雑な東京の鉄道網の乗継について正確に説明しているところに驚きを覚えた。恐らく海外作家でこれほど細かく日本の公共交通機関の乗継に触れたのは彼の他にはいないのではないだろうか? しかし本書の邦題には唸らされた。『暗殺者を愛した女』とは妻イレーナを指しながら、コズロフのために馴れない暗殺に挑戦する愛人オーリガをも示している。どちらもしかしこの1人の暗殺者の犠牲者であるのは間違いない。作中でしきりに描写されるイレーナの、女性としてはあまりにも大きすぎる体格について彼女自身が涙ながらに自身のコンプレックスについて吐露するシーンには同様の悩み―その体格ゆえに女性らしく淑やかに慎ましく振舞おうとしても威圧的になってしまい、相手が委縮してしまう―を抱える女性には痛切に響くのではないだろうか。 ただ1つだけ重箱の隅を包むなら、日本はちょうど雨季の最中だったという件だ。これは恐らく“rainy season”を訳したものだと思うが、雨季とは熱帯地方のそれを指すのであり、日本に雨季はない。ここはやはり梅雨時と訳すべきだろう。実に細やかな訳がなされている稲葉氏の仕事で唯一残念に思ったところだ。 しかしフリーマントル作品でこのチャーリー・マフィンシリーズは安心して読める。それはチャーリーが必ず生き残るからだ。 フリーマントルのノンシリーズの主人公の扱い方のひどさには読後暗鬱になってしまうほど悲劇的である場合が多い。確かにこのシリーズもチャーリーが生き残る為に周囲に行う容赦ない仕打ちによって情報部員としての生命を絶たれる登場人物も多々あり、本書でもある人物が亡くなるという悲劇はあるものの、読者は、決して組織の中で正当に扱われていない風貌の冴えない一介の窓際スパイが長年培った処世術と一歩も二歩も先を読む明察な頭脳でMI5のみならずCIAやKGBを手玉にとって最後には生き残る姿に胸のすく思いを抱くからだ。 これは今日本で多く親しまれている池井戸作品と同様のカタルシスがある。本来であれば池井戸作品同様に評価されてもいいのだが、国際政治という舞台が日本の読者に敷居の高さを感じさせるのであろう。 しかしそれでもチャーリー・マフィンシリーズはフリーマントル特有の皮肉さが上手く物語のカタルシスに結びついた好シリーズであるとの思いを本書で新たにした。 |
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| No.1243 | 8点 | グラント船長の子供たち- ジュール・ヴェルヌ | 2016/04/11 23:50 |
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| ひょんなことから捕えた鮫の腹の中から出てきた壜の中に入っていた紙片から有名な航海家グラント船長の遭難の情報を得たことで、その子供たちと共に私財を投げ打って船長探しに行く冒険物語である。まずこの鮫の腹から出てきた紙片が冒険の始まりというのが実に劇的である。
とにかく驚かされるのはあらゆることについて専門家並みに詳しい説明がなされている事である。最初の冒険であるヨットによる太平洋横断では航海術についての詳しい説明がなされ、続いてチリに辿り着いてからの南米大陸横断ではチリの案内人の詳しい描写とアンデス山脈の厳しい極寒状況での登攀やだだっ広いパンパスでの照りつける日差しで難儀するグレナヴァン一行の様子が克明に描かれる。 まるで見てきたかのような詳細な描写には驚きを隠せない。何しろ1868年の作品である。今のように飛行機が発達して手軽に世界各国に生ける時代ではなく、海外旅行は死と隣り合わせの危険な旅であった頃の作品であることを考えると、なぜヴェルヌがこれほどまでの迫真性をもって描写する事が出来たのかと不思議で仕方がない。 ただ昔のフランス小説の定型ともいうべきか、非常に枝葉が多い小説である。とにかく物語が脇道に逸れることしばしばで、端役が登場するエピソードは勿論の事、薀蓄がかなり散りばめられており、これが結構な分量で挟まれる。世界の航海史から、オーストラリアのゴールドラッシュの歴史、さらにユーカリの特性と枚挙に暇がない。 これらページを割いて語られる薀蓄のうち、舞台がオーストラリアに移った時の地理学者パガネルが語る歴代の航海士たちによる開拓の歴史はその最たるもので読んでいる最中、自分は何を読んでいるのか、見失う事しばしばだった。 しかしこれらの薀蓄も実は物語の迫真性に大いに寄与してくる。この辺についてはまた後で述べよう。 正直1部のチリ横断行は典型的なジュヴナイル冒険物語といった内容であったが、2部のオーストラリア横断行から裏切りによる財産の喪失と人間の卑しさを思い知らされるビターな内容になり、次第に物語の色合いが変わっていく。少年読み物から大人の冒険小説へ物語のトーンが移り変わるが、何と云っても3部の難破して辿り着いたニュージーランドでの逃亡行の迫真性は実に鬼気迫るものがあった。今まで読んだスリラーの中で一番恐ろしいと思ったといっても決して云い過ぎではないだろう。 ヴェルヌはそのスリルを際立たせるために上に書いたようにかなりの分量で彼らの人食いの歴史を述べ、そしてグレナヴァンの目の前で原住民が死者を貪り食う風景を克明に描写する。それはまさに地獄絵図そのものの血まみれの狂宴で、夢にまで出てきそうな残酷性に満ちている。地理の授業でその名のみ知っていたマオリ族がこれほどまで恐ろしい種族だったとは寡聞にして知らなかった。ニュージーランド、怖ぇ! 本書は少年の胸躍らす冒険譚に3つの手紙の解読と云う謎解き要素―この手紙の解読が彼らの冒険の道行きを決定し、物語の最後までその全容は明らかにされないという念の入りようだ―、更に旅の僥倖とも云えるグラント船長の元乗組員との邂逅とその裏切りというサプライズ、そして人食い人種の執拗な追跡劇に諦めかけたところでのグラント船長の発見という、波乱万丈の4文字がこれほど相応しい物語もない。本書は1868年刊行の小説だが、今読んでも心揺さぶられる一大冒険物語だった。 |
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| No.1242 | 7点 | おとり捜査- ブライアン・フリーマントル | 2016/03/30 23:11 |
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| おとり捜査と云えばたとえば婦人警官が一般女性に成りすまして、痴漢を誘って実行犯逮捕するといったチープな物を日本では想像するが、アメリカでは特にFBIによって大々的に行われており、その仕組みも複雑だ。
題名がその物ズバリである本書ではさすが一流ジャーナリスト出身であるフリーマントルだけあってダミーの投資会社設立による麻薬カルテルのマネー・ロンダリングの実体を掴んで検挙する方法での一斉検挙を目論むFBI捜査官と、図らずもFBIの思惑で架空の投資会社の代表取締役を担うことになったウォール街随一の投資家ウォルター・ファーを主人公に物語が進む(ちなみに原題は“The Laundryman”つまり『資金洗浄屋』とこれもかなり直接的)。このウォルター・ファーの深い知識を通じて会社設立の詳しいノウハウやさらには中南米のいわゆるタックスヘイヴンと呼ばれる小国で実際に行われている複雑な資金洗浄の方法や資金運営のカラクリが語られ、一流の企業小説、情報小説になっているところが面白い。 高校生の息子が実はヤクの売人だった廉でFBIの麻薬捜査に協力するため、業務の合間を縫ってカイマン諸島に資金洗浄を目的とした投資会社を設立させられるマンハッタンの一流投資家ウォルター・ファーの敏腕ぶりが実に際立つ。 業務の合間を縫ってカイマン諸島とニューヨークを行き来し、長らく没交渉だった息子の回復の様子を見にボストンにも赴く。さらに作戦に参加したFBI女性捜査官ハリエット・ベッカー(美人でグラマラス!)と恋に落ち、再婚するに至る。開巻当初は8年前に病気で亡くした妻アンへの未練を引きずっているセンチメンタルな人間だったが、ハリエットと出遭ってほとんど一目惚れ同然で徐々にアタックしていき、恋を成就させる、まさに仕事もでき、恋も充実する絵に描いたような理想の男性像で少々嫌味な感じがしたが、いやいやながら協力させられた囮捜査で頭角を現し、作戦の指揮を執るFBI捜査官ピーター・ブレナンを凌駕して捜査のイニシアチブを取るほどまでになる。世界を股にかけた彼の投資に関する緻密で深い知識も―正直私が全てを理解したとは云い難いが―彼の有能ぶりを際立たせ、次第に彼を応援するようになっていく。 しかしそこはフリーマントル。すんなりとハッピーエンドとはいかない。現実は甘くないと、マフィアの恐ろしさを読者に突き付ける。主人公のやむを得ない善行の報いがこの仕打ちとは何とも遣る瀬無い。本当、フリーマントルは夢を見させない作家だなぁ。 しかしこれほど現実的なエンディングを描くことでますます市民が正義を成すことで恐れを抱くことを助長させているように思われ、正直手放しで歓迎できない。せめて物語の中では勧善懲悪の爽快感を、市井のヒーローの活躍譚を味わいたいものだ。 しかし今なお麻薬カルテルの際限ない戦いの物語は紡がれており、それらの読後感は皆同じような虚無感を抱かせる。それは麻薬社会アメリカの深い病巣とも関係しているのかもしれない。麻薬を巡る現実は今も昔もどうやら変わらないようだ。 |
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| No.1241 | 3点 | 霧の国- アーサー・コナン・ドイル | 2016/03/26 01:23 |
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| チャレンジャー教授シリーズである本書ではドイル自身も晩年傾倒した心霊主義を前面にテーマにした作品である。
自分の見た物しか信じなく、持論を疑おうとする人物を徹底的なまでにこき下ろすチャレンジャー教授はもちろん本書では心霊術を疑っており、頭ごなしに非難する。心霊術を肯定するドイルが真逆の人物を主人公に据えて心霊術をテーマにしたことが実に興味深い。 そしてこのシリーズの進行役である新聞記者エドワード・マローンがチャレンジャー教授に霊媒師に引き合わせ、霊の存在を信じさせようと決心してからが実に長い。142ページでマローンが決心した後、ようやくチャレンジャー教授が重い腰を挙げるのが264ページと、実に120ページが費やされる。この幕間に何が書かれているかと云えば、マローンが重ねる交霊会の模様と心霊術信者たちが当時被った警察による不当な逮捕の数々である。 (以下ネタバレ) さてこの120ページ強の話を経てようやくチャレンジャー教授のお出ましとなるのだが、実は彼の登場こそがこの物語のクライマックスであったのだと気付かされる。つまりこの物語は頑固な科学者チャレンジャー教授が霊の存在を信じるまでのお話なのだ。 正直物語としてはこれだけの話なのだが、ドイル作品の中では文庫本にして約340ページとかなりの分量を誇る。これはドイルがいかに世間一般に交霊会を信じさせることに腐心したかを思い知らされる。つまり本書はドイルにとって心霊術布教の書だった。 |
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| No.1240 | 7点 | 空白の記録- ブライアン・フリーマントル | 2016/03/21 01:30 |
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| 今なおアメリカ人にとって歴史上の汚点とされるヴェトナム戦争には曰くつきの逸話が残されており、またソシオパス(人格障害者)を数多く生みだした暗い歴史を孕んだ、まだ記憶に新しい史実であり、調べれば調べるほどおぞましい話が出てくるのだろう。恐らく兵士の数だけ忌まわしい話があるに違いない。
そして通常このような戦争に隠された真実を暴く物語ならば、その作戦に関与していた生存者たちは口を閉ざし、頑なに秘密を守ろうとし、そのため全てを明るみに出そうとする主人公に対して危難が襲い掛かるのが定型だが、フリーマントルはそんな定石を踏まない。 なんと物語の中盤では孤児救出作戦に関わり、戦死したと思われた元グリーン・ベレー隊員4人はヴェトナムで捕虜として生存しているが判明し、その救出作戦にかつて同じ任務に就いていた生存者2人を採用するのだ。つまり記録の空白の原因だと思われた2人は隠された事実に固執せず、実は目の前で4人が亡くなるところ目撃したために自ら真実を暴こうと積極的に関わるのだ。 この辺の身の躱し方がフリーマントルらしいと云えるだろう。 レイ・ホーキンズに一連の救出劇の生存者たちの証言が実に都合よく捻じ曲げられた真実であったかを悟らせるきっかけが実に見事だ。 しかしホーキンズが真実を知りたい大きな動機が真実をきちんと伝えなければならないという自身のジャーナリズムよりも次期大統領候補の夫人を愛するが故に離婚させようとする不純な愛欲にあるところがフリーマントルらしくひねくれている。 安定と混迷。真実を暴くことで正義はなされるがそれによって国が被るのは大きなダメージ。大人になればなるほど後々の結果を考えて予定調和を目指して敢えて真実から目を背けようとする。そんな苦い結末を見せるとは。う~ん、なんて現実的な人物なんだ、フリーマントルは! |
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| No.1239 | 4点 | 毒ガス帯- アーサー・コナン・ドイル | 2016/03/11 23:19 |
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| 『失われた世界』で初お目見えしたドイルのホームズに続くシリーズキャラクター、チャレンジャー教授が登場する中編の表題作と「地球の悲鳴」と「分解機」の短編2編が収録された作品集。
チャレンジャー教授物は初めて読んだが、これはドイルの芳醇な空想力が遺憾なく発揮されたトンデモ科学読み物とでも云おうか、本書はドイル自身が愉しんで書いているような節のある作品が収録された作品集である。 宇宙に漂う有害なエーテルが地球を通過することで地球上の生命体が絶滅の危機に陥る「毒ガス帯」は毒ガスの迫りくる迫真の描写と通過後の死屍累々の山を彷徨う暗澹な風景が印象的だが、結末の呆気なさは今日のエンタテインメント小説としては凡作となるだろう。 さらに「地球の悲鳴」では宇宙のエーテルを地球は内部に注ぎ込み、活力を得ていると教授が持論を述べ、また「分解機」でもエーテル波が引き合いにされる。とにかく当時はこの光が伝播するための媒質だと思われていた物質が小説家の想像力をたくましくさせ、勘ぐれば全てのトンデモ理論はエーテルを引き合いに出せば信憑性が増すと信じられていたのだろう。特殊相対性理論などで21世紀の現代ではもはや廃れた理論であるだけに隔世の感があった。 とにもかくにもアイデア自体はやはり一昔、いや二昔前の空想物語であることは否めない物の、書きようによっては物語としてはもっと広がりが出来たように思え、導入部の衝撃に比べて結末が尻すぼみであるのは勿体ない。最も長い表題作は地球上の全ての生命が死に絶えた世界を舞台にドイル自身が展開を持て余したようにも思える。唯一一番短い「分解機」が皮肉な結末と物語として成立しているくらいだろう。 しかしシャーロック・ホームズではホームズの観察眼と類稀なる推理力で実存レベルでの犯罪の謎を解き明かすのに対し、チャレンジャー教授では教授の破天荒な理論から物語が展開する趣向が取られている。しかし繰り返しになるが物語としての出来はやはりホームズの方が上。チャレンジャー教授物は既にホームズシリーズ発表後の作品であったため、魅力的な謎を現実的な話に落とし込まなければならないミステリを書き続けるのにうんざりしたドイルがとにかく面白い思いつきを物語にしたくて書いた作品群ではなかろうか。それは物語のそこここに性急さが目に付くことからも判断される。まあ、売れたからこそできる作家の我儘と捉え、好意的に読むこととしよう。 |
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| No.1238 | 7点 | 最後に笑った男- ブライアン・フリーマントル | 2016/03/10 00:23 |
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| CIAとKGBの共同作戦と云えば同作者のFBIとモスクワ民警のコンビ、ダニーロフ&カウリーシリーズを想起させるが本書はそれに先駆ける事12年前に書かれた作品。CIAとFBI、KGBとモスクワ民警といった違いはあるものの、恐らくはダニーロフ&カウリーシリーズの原型となる作品なのかもしれない。
前書きでフリーマントルは本書で書かれた中央アフリカに作られた民営企業数社による通信衛星打ち上げ会社は実在すると述べている。2016年現在も存在するかは不明だが、宇宙を制する者が世界を制するとしてスターウォーズに目を向けていた世界はこんな仇花をも生み出していたことに改めて驚愕する。 国対国ではなくテロ対国家という敵の構図が変化した現代、再びこのような形で争いの火種を生む民間企業が生まれていないことを強く望みたい。 邦題『最後に笑った男』は結末まで読むと実に含蓄に溢れた好題名と感じるが、原題“Misfire”もまたフリーマントルらしいダブルミーニングを孕んだ皮肉な題名である。読み進むにつれてその意味が変わってくる抜群のタイトルだ。 |
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| No.1237 | 8点 | 黒猫の三角- 森博嗣 | 2016/02/20 00:33 |
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| S&MシリーズよりもこのVシリーズの方が私の好みに逢うのはメインの登場人物たちが個性的であるのもそうだが、何よりも西之園萌絵の不在が大きい。あの世間知らずの身勝手なお嬢様がいないだけでこれほど楽しく読めるとは思わなかった。確かに瀬在丸紅子もお嬢様だが、30歳という年齢もあってか、どこか大人の落ち着きが見られ、不快感を覚えなかった。
そしてまさかまさかの真犯人。しかしこれこそ読者に前知識がない、シリーズ第1作目だから出来る意外な犯人像。タブーすれすれの型破りな真相を素直に褒めたい。 しかしそんな驚愕の真相の割には殺人事件のトリックは意外と呆気ない。1999年の作品だがこんなチープなトリックを本格ミステリ全盛の当時で用いるとは思わなかった。 ともあれ保呂草潤平、小鳥遊練無、香具山紫子、瀬在丸紅子らの織り成す居心地の良い新シリーズはまさに波乱に満ちたシリーズの幕明けとなった。正直S&Mシリーズは世評高い1作目を読んでもそれほど食指が動かなかったが―多分に西之園萌絵のキャラクターがその原因であったのだが―今度のVシリーズは今後の展開が非常に愉しみだ。 ところで何故Vシリーズって呼ぶの? |
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| No.1236 | 7点 | 読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100- 事典・ガイド | 2016/02/09 00:30 |
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| 日経文芸文庫から出ているミステリガイドブックのマストリード100シリーズ。正直海外編と国内編で打ち止めだと思い、あと考えられるのは本格とかハードボイルド・警察小説といったジャンル分けでの、もっとディープな方向に行くと思ったが、予想に反してなんと女子ミステリーとは。
確かに海外ミステリ活性化のために立ち上げられた翻訳ミステリー大賞シンジケートのHPでも金の女子ミスや腐女子系ミステリと云った、「女子」を前面に押し出したコラムが目立つのは確か。しかしそれよりもこのような女子限定のミステリガイドブックが編まれる一番大きいな要因は各地で行われる読書会の参加者が圧倒的に女性の比率が高いからに起因しているからではないだろうか? さて翻訳ミステリー大賞シンジケートでもひときわ目立つ存在が本書の編者大矢博子氏。そんな彼女が選ぶ女子ミステリーは今までのガイドブックでは決して選ばれないだろう作品がずらりと並ぶ。 詳細のラインナップは実際に本書を当たられたいが、正直食指が伸びるようなミステリ趣味に満ちた作品のように思えず、異性である私にとってはいささか没入度の低いラインナップとなっている。 しかし好みに合わないといって一蹴するのは本読みとしては失格である。百の選者がいれば百のラインナップがあり、千の選者がいれば千のラインナップがあるのが当然だからだ。本書は―是非はあるにせよ―女子ミステリーというテーマに特化した実にオリジナリティに溢れたガイドブックと云えよう。 |
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| No.1235 | 7点 | 失踪- ドン・ウィンズロウ | 2016/02/07 22:45 |
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| ウィンズロウのもう1つの最新作は『報復』とはまたガラリと趣を変えた失踪人探しの物語。誘拐された少女を追う刑事の執念深き追跡劇だ。
明確には書かれていないが、物語の構成は大きく3部に分かれる。 第1部はヘイリー・ハンセン失踪事件をフランク・デッカーがネブラスカ州警察リンカーン署の刑事として担当し、捜査を行うが第2の失踪事件の犯人が逮捕されることで事件が形式的に解決させられようとしているところを、刑事の職を辞し、妻の許を離れてアメリカ中を疾走する。 第2部は1年前にヘイリーを目撃した女性から現場に居合わせたファッション写真家を追ってニューヨークに出向き、セレブの世界へ飛び込み、探偵崩れさながら様々な妨害に遭いながらも写真家を執拗に追い詰める。 第3部は一転して第1部で容疑者として浮上したヒッピー夫婦と第2の失踪事件との犯人との接点が浮かび上がり、再びアメリカ中をヘイリー存命の希望を持ちながら駆け巡る。 さて聞くところによるとウィンズロウは一時期作家活動を休止し、ハリウッドで脚本を書いていたようだ。そして再びまた小説家の道に戻ってきたという。それで合点がいった。この短文を連ねる、無駄な描写を削ぎ落とした文体はシナリオのト書きを想起させる。リズムよく進むこの文体でストーリー展開も速く、ページの繰る手がどんどん加速する。 しかし一方でテンポよく読ませるが故に、読者の手をはたと止めさせるような心に訴える描写・警句がないのも事実。従って登場人物たちの心情が心の深いところまでなかなか届いてこないのだ。 しかしそれは第2部とも云えるニューヨーク編に入るとガラリと変わる。ゴージャスなトップモデルの登場を皮切りに、気鋭の写真家の自宅でのパーティ風景といったセレブの世界に場違いな田舎刑事が飛び込む様子や、一方でニューヨークの人身売買の地獄のようなシステム、都会の片隅で家にも帰れず社会の底のまた底で身体を売るしか生きていけない女性たちのなど社会の底辺で最低の生活を強いられる女性たちの実態が語られるなど、陰と陽が明確に対比された世界が描かれ、いきなり物語が濃密になる。 しかし一見関係のないニューヨークでの捜査が最終的には1本の輪としてつながるわけだが、私はニューヨークの件は作品に厚みを持たせるための付け足しのようにしか思えなかった。犯人に辿り着くまでが本書の主眼であり、それでは物足りないと思ったため、ニューヨーク編を追加したように思えてならない。しかしだからといって決してバランスが悪いわけではなく、寧ろその部分が最も読ませるのだから、小説とは解らないものだ。 事件が解決しても全てが解決するわけではない。デッカーと妻ローラとの仲は愛が失せていなくても、もう元の関係に戻れない。このペシミズムこそやはりウィンズロウならではだ。 フランク・デッカー、元刑事。今日もどこかで失踪人を探してアメリカ中を疾走する。そんな惹句がふと思いついた。 |
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