皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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Tetchyさん |
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平均点: 6.73点 | 書評数: 1602件 |
No.1242 | 7点 | おとり捜査- ブライアン・フリーマントル | 2016/03/30 23:11 |
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おとり捜査と云えばたとえば婦人警官が一般女性に成りすまして、痴漢を誘って実行犯逮捕するといったチープな物を日本では想像するが、アメリカでは特にFBIによって大々的に行われており、その仕組みも複雑だ。
題名がその物ズバリである本書ではさすが一流ジャーナリスト出身であるフリーマントルだけあってダミーの投資会社設立による麻薬カルテルのマネー・ロンダリングの実体を掴んで検挙する方法での一斉検挙を目論むFBI捜査官と、図らずもFBIの思惑で架空の投資会社の代表取締役を担うことになったウォール街随一の投資家ウォルター・ファーを主人公に物語が進む(ちなみに原題は“The Laundryman”つまり『資金洗浄屋』とこれもかなり直接的)。このウォルター・ファーの深い知識を通じて会社設立の詳しいノウハウやさらには中南米のいわゆるタックスヘイヴンと呼ばれる小国で実際に行われている複雑な資金洗浄の方法や資金運営のカラクリが語られ、一流の企業小説、情報小説になっているところが面白い。 高校生の息子が実はヤクの売人だった廉でFBIの麻薬捜査に協力するため、業務の合間を縫ってカイマン諸島に資金洗浄を目的とした投資会社を設立させられるマンハッタンの一流投資家ウォルター・ファーの敏腕ぶりが実に際立つ。 業務の合間を縫ってカイマン諸島とニューヨークを行き来し、長らく没交渉だった息子の回復の様子を見にボストンにも赴く。さらに作戦に参加したFBI女性捜査官ハリエット・ベッカー(美人でグラマラス!)と恋に落ち、再婚するに至る。開巻当初は8年前に病気で亡くした妻アンへの未練を引きずっているセンチメンタルな人間だったが、ハリエットと出遭ってほとんど一目惚れ同然で徐々にアタックしていき、恋を成就させる、まさに仕事もでき、恋も充実する絵に描いたような理想の男性像で少々嫌味な感じがしたが、いやいやながら協力させられた囮捜査で頭角を現し、作戦の指揮を執るFBI捜査官ピーター・ブレナンを凌駕して捜査のイニシアチブを取るほどまでになる。世界を股にかけた彼の投資に関する緻密で深い知識も―正直私が全てを理解したとは云い難いが―彼の有能ぶりを際立たせ、次第に彼を応援するようになっていく。 しかしそこはフリーマントル。すんなりとハッピーエンドとはいかない。現実は甘くないと、マフィアの恐ろしさを読者に突き付ける。主人公のやむを得ない善行の報いがこの仕打ちとは何とも遣る瀬無い。本当、フリーマントルは夢を見させない作家だなぁ。 しかしこれほど現実的なエンディングを描くことでますます市民が正義を成すことで恐れを抱くことを助長させているように思われ、正直手放しで歓迎できない。せめて物語の中では勧善懲悪の爽快感を、市井のヒーローの活躍譚を味わいたいものだ。 しかし今なお麻薬カルテルの際限ない戦いの物語は紡がれており、それらの読後感は皆同じような虚無感を抱かせる。それは麻薬社会アメリカの深い病巣とも関係しているのかもしれない。麻薬を巡る現実は今も昔もどうやら変わらないようだ。 |
No.1241 | 3点 | 霧の国- アーサー・コナン・ドイル | 2016/03/26 01:23 |
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チャレンジャー教授シリーズである本書ではドイル自身も晩年傾倒した心霊主義を前面にテーマにした作品である。
自分の見た物しか信じなく、持論を疑おうとする人物を徹底的なまでにこき下ろすチャレンジャー教授はもちろん本書では心霊術を疑っており、頭ごなしに非難する。心霊術を肯定するドイルが真逆の人物を主人公に据えて心霊術をテーマにしたことが実に興味深い。 そしてこのシリーズの進行役である新聞記者エドワード・マローンがチャレンジャー教授に霊媒師に引き合わせ、霊の存在を信じさせようと決心してからが実に長い。142ページでマローンが決心した後、ようやくチャレンジャー教授が重い腰を挙げるのが264ページと、実に120ページが費やされる。この幕間に何が書かれているかと云えば、マローンが重ねる交霊会の模様と心霊術信者たちが当時被った警察による不当な逮捕の数々である。 (以下ネタバレ) さてこの120ページ強の話を経てようやくチャレンジャー教授のお出ましとなるのだが、実は彼の登場こそがこの物語のクライマックスであったのだと気付かされる。つまりこの物語は頑固な科学者チャレンジャー教授が霊の存在を信じるまでのお話なのだ。 正直物語としてはこれだけの話なのだが、ドイル作品の中では文庫本にして約340ページとかなりの分量を誇る。これはドイルがいかに世間一般に交霊会を信じさせることに腐心したかを思い知らされる。つまり本書はドイルにとって心霊術布教の書だった。 |
No.1240 | 7点 | 空白の記録- ブライアン・フリーマントル | 2016/03/21 01:30 |
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今なおアメリカ人にとって歴史上の汚点とされるヴェトナム戦争には曰くつきの逸話が残されており、またソシオパス(人格障害者)を数多く生みだした暗い歴史を孕んだ、まだ記憶に新しい史実であり、調べれば調べるほどおぞましい話が出てくるのだろう。恐らく兵士の数だけ忌まわしい話があるに違いない。
そして通常このような戦争に隠された真実を暴く物語ならば、その作戦に関与していた生存者たちは口を閉ざし、頑なに秘密を守ろうとし、そのため全てを明るみに出そうとする主人公に対して危難が襲い掛かるのが定型だが、フリーマントルはそんな定石を踏まない。 なんと物語の中盤では孤児救出作戦に関わり、戦死したと思われた元グリーン・ベレー隊員4人はヴェトナムで捕虜として生存しているが判明し、その救出作戦にかつて同じ任務に就いていた生存者2人を採用するのだ。つまり記録の空白の原因だと思われた2人は隠された事実に固執せず、実は目の前で4人が亡くなるところ目撃したために自ら真実を暴こうと積極的に関わるのだ。 この辺の身の躱し方がフリーマントルらしいと云えるだろう。 レイ・ホーキンズに一連の救出劇の生存者たちの証言が実に都合よく捻じ曲げられた真実であったかを悟らせるきっかけが実に見事だ。 しかしホーキンズが真実を知りたい大きな動機が真実をきちんと伝えなければならないという自身のジャーナリズムよりも次期大統領候補の夫人を愛するが故に離婚させようとする不純な愛欲にあるところがフリーマントルらしくひねくれている。 安定と混迷。真実を暴くことで正義はなされるがそれによって国が被るのは大きなダメージ。大人になればなるほど後々の結果を考えて予定調和を目指して敢えて真実から目を背けようとする。そんな苦い結末を見せるとは。う~ん、なんて現実的な人物なんだ、フリーマントルは! |
No.1239 | 4点 | 毒ガス帯- アーサー・コナン・ドイル | 2016/03/11 23:19 |
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『失われた世界』で初お目見えしたドイルのホームズに続くシリーズキャラクター、チャレンジャー教授が登場する中編の表題作と「地球の悲鳴」と「分解機」の短編2編が収録された作品集。
チャレンジャー教授物は初めて読んだが、これはドイルの芳醇な空想力が遺憾なく発揮されたトンデモ科学読み物とでも云おうか、本書はドイル自身が愉しんで書いているような節のある作品が収録された作品集である。 宇宙に漂う有害なエーテルが地球を通過することで地球上の生命体が絶滅の危機に陥る「毒ガス帯」は毒ガスの迫りくる迫真の描写と通過後の死屍累々の山を彷徨う暗澹な風景が印象的だが、結末の呆気なさは今日のエンタテインメント小説としては凡作となるだろう。 さらに「地球の悲鳴」では宇宙のエーテルを地球は内部に注ぎ込み、活力を得ていると教授が持論を述べ、また「分解機」でもエーテル波が引き合いにされる。とにかく当時はこの光が伝播するための媒質だと思われていた物質が小説家の想像力をたくましくさせ、勘ぐれば全てのトンデモ理論はエーテルを引き合いに出せば信憑性が増すと信じられていたのだろう。特殊相対性理論などで21世紀の現代ではもはや廃れた理論であるだけに隔世の感があった。 とにもかくにもアイデア自体はやはり一昔、いや二昔前の空想物語であることは否めない物の、書きようによっては物語としてはもっと広がりが出来たように思え、導入部の衝撃に比べて結末が尻すぼみであるのは勿体ない。最も長い表題作は地球上の全ての生命が死に絶えた世界を舞台にドイル自身が展開を持て余したようにも思える。唯一一番短い「分解機」が皮肉な結末と物語として成立しているくらいだろう。 しかしシャーロック・ホームズではホームズの観察眼と類稀なる推理力で実存レベルでの犯罪の謎を解き明かすのに対し、チャレンジャー教授では教授の破天荒な理論から物語が展開する趣向が取られている。しかし繰り返しになるが物語としての出来はやはりホームズの方が上。チャレンジャー教授物は既にホームズシリーズ発表後の作品であったため、魅力的な謎を現実的な話に落とし込まなければならないミステリを書き続けるのにうんざりしたドイルがとにかく面白い思いつきを物語にしたくて書いた作品群ではなかろうか。それは物語のそこここに性急さが目に付くことからも判断される。まあ、売れたからこそできる作家の我儘と捉え、好意的に読むこととしよう。 |
No.1238 | 7点 | 最後に笑った男- ブライアン・フリーマントル | 2016/03/10 00:23 |
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CIAとKGBの共同作戦と云えば同作者のFBIとモスクワ民警のコンビ、ダニーロフ&カウリーシリーズを想起させるが本書はそれに先駆ける事12年前に書かれた作品。CIAとFBI、KGBとモスクワ民警といった違いはあるものの、恐らくはダニーロフ&カウリーシリーズの原型となる作品なのかもしれない。
前書きでフリーマントルは本書で書かれた中央アフリカに作られた民営企業数社による通信衛星打ち上げ会社は実在すると述べている。2016年現在も存在するかは不明だが、宇宙を制する者が世界を制するとしてスターウォーズに目を向けていた世界はこんな仇花をも生み出していたことに改めて驚愕する。 国対国ではなくテロ対国家という敵の構図が変化した現代、再びこのような形で争いの火種を生む民間企業が生まれていないことを強く望みたい。 邦題『最後に笑った男』は結末まで読むと実に含蓄に溢れた好題名と感じるが、原題“Misfire”もまたフリーマントルらしいダブルミーニングを孕んだ皮肉な題名である。読み進むにつれてその意味が変わってくる抜群のタイトルだ。 |
No.1237 | 8点 | 黒猫の三角- 森博嗣 | 2016/02/20 00:33 |
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S&MシリーズよりもこのVシリーズの方が私の好みに逢うのはメインの登場人物たちが個性的であるのもそうだが、何よりも西之園萌絵の不在が大きい。あの世間知らずの身勝手なお嬢様がいないだけでこれほど楽しく読めるとは思わなかった。確かに瀬在丸紅子もお嬢様だが、30歳という年齢もあってか、どこか大人の落ち着きが見られ、不快感を覚えなかった。
そしてまさかまさかの真犯人。しかしこれこそ読者に前知識がない、シリーズ第1作目だから出来る意外な犯人像。タブーすれすれの型破りな真相を素直に褒めたい。 しかしそんな驚愕の真相の割には殺人事件のトリックは意外と呆気ない。1999年の作品だがこんなチープなトリックを本格ミステリ全盛の当時で用いるとは思わなかった。 ともあれ保呂草潤平、小鳥遊練無、香具山紫子、瀬在丸紅子らの織り成す居心地の良い新シリーズはまさに波乱に満ちたシリーズの幕明けとなった。正直S&Mシリーズは世評高い1作目を読んでもそれほど食指が動かなかったが―多分に西之園萌絵のキャラクターがその原因であったのだが―今度のVシリーズは今後の展開が非常に愉しみだ。 ところで何故Vシリーズって呼ぶの? |
No.1236 | 7点 | 読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100- 事典・ガイド | 2016/02/09 00:30 |
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日経文芸文庫から出ているミステリガイドブックのマストリード100シリーズ。正直海外編と国内編で打ち止めだと思い、あと考えられるのは本格とかハードボイルド・警察小説といったジャンル分けでの、もっとディープな方向に行くと思ったが、予想に反してなんと女子ミステリーとは。
確かに海外ミステリ活性化のために立ち上げられた翻訳ミステリー大賞シンジケートのHPでも金の女子ミスや腐女子系ミステリと云った、「女子」を前面に押し出したコラムが目立つのは確か。しかしそれよりもこのような女子限定のミステリガイドブックが編まれる一番大きいな要因は各地で行われる読書会の参加者が圧倒的に女性の比率が高いからに起因しているからではないだろうか? さて翻訳ミステリー大賞シンジケートでもひときわ目立つ存在が本書の編者大矢博子氏。そんな彼女が選ぶ女子ミステリーは今までのガイドブックでは決して選ばれないだろう作品がずらりと並ぶ。 詳細のラインナップは実際に本書を当たられたいが、正直食指が伸びるようなミステリ趣味に満ちた作品のように思えず、異性である私にとってはいささか没入度の低いラインナップとなっている。 しかし好みに合わないといって一蹴するのは本読みとしては失格である。百の選者がいれば百のラインナップがあり、千の選者がいれば千のラインナップがあるのが当然だからだ。本書は―是非はあるにせよ―女子ミステリーというテーマに特化した実にオリジナリティに溢れたガイドブックと云えよう。 |
No.1235 | 7点 | 失踪- ドン・ウィンズロウ | 2016/02/07 22:45 |
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ウィンズロウのもう1つの最新作は『報復』とはまたガラリと趣を変えた失踪人探しの物語。誘拐された少女を追う刑事の執念深き追跡劇だ。
明確には書かれていないが、物語の構成は大きく3部に分かれる。 第1部はヘイリー・ハンセン失踪事件をフランク・デッカーがネブラスカ州警察リンカーン署の刑事として担当し、捜査を行うが第2の失踪事件の犯人が逮捕されることで事件が形式的に解決させられようとしているところを、刑事の職を辞し、妻の許を離れてアメリカ中を疾走する。 第2部は1年前にヘイリーを目撃した女性から現場に居合わせたファッション写真家を追ってニューヨークに出向き、セレブの世界へ飛び込み、探偵崩れさながら様々な妨害に遭いながらも写真家を執拗に追い詰める。 第3部は一転して第1部で容疑者として浮上したヒッピー夫婦と第2の失踪事件との犯人との接点が浮かび上がり、再びアメリカ中をヘイリー存命の希望を持ちながら駆け巡る。 さて聞くところによるとウィンズロウは一時期作家活動を休止し、ハリウッドで脚本を書いていたようだ。そして再びまた小説家の道に戻ってきたという。それで合点がいった。この短文を連ねる、無駄な描写を削ぎ落とした文体はシナリオのト書きを想起させる。リズムよく進むこの文体でストーリー展開も速く、ページの繰る手がどんどん加速する。 しかし一方でテンポよく読ませるが故に、読者の手をはたと止めさせるような心に訴える描写・警句がないのも事実。従って登場人物たちの心情が心の深いところまでなかなか届いてこないのだ。 しかしそれは第2部とも云えるニューヨーク編に入るとガラリと変わる。ゴージャスなトップモデルの登場を皮切りに、気鋭の写真家の自宅でのパーティ風景といったセレブの世界に場違いな田舎刑事が飛び込む様子や、一方でニューヨークの人身売買の地獄のようなシステム、都会の片隅で家にも帰れず社会の底のまた底で身体を売るしか生きていけない女性たちのなど社会の底辺で最低の生活を強いられる女性たちの実態が語られるなど、陰と陽が明確に対比された世界が描かれ、いきなり物語が濃密になる。 しかし一見関係のないニューヨークでの捜査が最終的には1本の輪としてつながるわけだが、私はニューヨークの件は作品に厚みを持たせるための付け足しのようにしか思えなかった。犯人に辿り着くまでが本書の主眼であり、それでは物足りないと思ったため、ニューヨーク編を追加したように思えてならない。しかしだからといって決してバランスが悪いわけではなく、寧ろその部分が最も読ませるのだから、小説とは解らないものだ。 事件が解決しても全てが解決するわけではない。デッカーと妻ローラとの仲は愛が失せていなくても、もう元の関係に戻れない。このペシミズムこそやはりウィンズロウならではだ。 フランク・デッカー、元刑事。今日もどこかで失踪人を探してアメリカ中を疾走する。そんな惹句がふと思いついた。 |
No.1234 | 7点 | 2016本格ミステリ・ベスト10- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 | 2016/02/06 18:45 |
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意外なことに1位は深水黎一郎の『ミステリー・アリーナ』だった。これは歌野晶午氏の『密室殺人ゲーム』シリーズに匹敵する、本格ミステリに淫した作品ゆえに、まさにこのランキングに相応しい作品と云えるかもしれない。
2位は久々の倉知淳氏の『片桐大三郎とXYZの悲劇』、3位は米澤穂信の『王とサーカス』、4位には北山猛邦『オルゴーリェンヌ』、5位はランキングの有力候補として名高かった井上真偽の『その可能性はすでに考えた』が揃った。 倉知氏の2位は本当に驚いた。ランキングには入るかと思ったがまさか2位とは。やはり本格ミステリファンにとってエラリイ・クイーンのパロディは根強い人気があるということか。 さて6位以下では有栖川有栖、鳥飼否宇らが10位までにランクイン。11位以下は前年『○○○○○○○○殺人事件』で話題をさらった早坂吝氏の『虹の歯ブラシ』、島田荘司の久々のホームズ・パロディ『新しい十五匹のネズミのフライ』、麻耶雄高氏の『化石少女』らがランクインしたが、個人的に注目したいのは12位の『戦場のコックたち』でランクインした深緑野分氏。この誰もが思いもつかない独特の設定で本格ミステリを紡いだこの作品はぜひとも読みたい。また早坂吝氏もフロックではないことを証明した。 一方、いまだに扱いが国内編と等しくならない海外本格ミステリに目を向けるともはや出せば1位の感があるD・M・ディヴァインが『そして医師も死す』でランキングを制した。2位はこれもまた再評価で今やセイヤーズやクリスティを凌ぐミステリの女王としての趣があるヘレン・マクロイの『あなたは誰?』がランクインし、3位はこれまた新訳が嬉しいブランドの『薔薇の輪』、ジャック・カーリイの『髑髏の檻』が4位、そして今年紹介され、いきなり5位にランクインしたハリー・カーマイケルの『リモート・コントロール』と定番と訳出復活と新紹介作品が混在するにぎやかなランキング。 6位以下はクェンティン、ルメートル、ロラック、クリーヴス、そしてエラリイ・クイーンと全く今はいつの時代なのか解らないような面白いランキング。ホント我々は今未紹介で埋もれた傑作と、フランスで生まれた新しい本格ミステリがいちどきに読める実に幸せな時代に生きているのだと実感させられるランキングとなった。 1年の本格ミステリシーンを振り返るコラムの方はいつも通りで、昨年は独自企画がなかったことが寂しい。コラムはいつもながら思うのだが、4ページの分量にとにかく多くの作品を紹介しようと各筆者が作品の乱れ撃ちをしている内容が単なる作品名と作者名の羅列にしか思えないため、もっとこの書き方はどうにかならないものかと思うのだが。 企画物は昨年はしょうがないとして今年の2006-2015年のディケイドベスト10企画が行われることを期待しよう。 |
No.1233 | 7点 | パラドックス13- 東野圭吾 | 2016/02/04 23:39 |
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まず驚いたのはP-13現象が起きた後の世界ではほとんど全ての人間が消失し、運転していた車がところどころで衝突し、事故の山を築き、飛んでいた飛行機もまた墜落している、まさに地獄絵図のような状況が繰り広げられる。私は最初この情景描写を読んだ時にアメリカドラマの『フラッシュフォワード』を想起したが、その後度重なる巨大地震と集中豪雨で川が決壊し、地震と重なった起きた津波の描写で東日本大震災を想起した。しかし本書は2009年4月に刊行された作品で東日本大震災は2年後の3.11なのだ。まさに本書で描かれた状況は当時の被災地の人間が体験したそれのように思えるのだ。『天空の蜂』もまた3.11で起きた原発事故を予見するような内容だったが、それに加えて被災地の状況をも予見した作品として読むと驚愕に値する。
そしてほんの十数人を残して消え去った人々の世界を東野圭吾は持ち前の想像力とシミュレーション力で克明に描いていく。食糧危機にライフラインの根絶、あまり小説で描かれない登場人物たちのトイレ事情なども忘れずにきちんと書くところがこの作家が他の作家とは一線を画した存在であると云えよう。実にリアルである。 最も印象に残るのは度重なる危難の際に集団のリーダーとして皆を先導する久我誠哉の冷静な判断だ。 翻って腹違いの弟冬樹は感情に任せた判断をしては兄の誠哉に諌められる。しかし冬樹の判断こそが通常我々が陥る一般常識だ。 ただ一方で冷静に判断を下していた誠哉も理性や論理だけでは全てが解決しないことを知らされる。 そして次第に誠哉の論理的思考はエスカレートしていく。 論理的思考型人間の久我誠哉と感情的行動型人間の弟冬樹の2人を対照的に描くことで物語に起伏を、そして読者の思考に揺さぶってページを繰る手を止めさせない東野氏の筆致に改めて感心した。 本書は単にSF的興味やクライシス小説として読むには勿体ない。大災害が発生した時に生存するためにいかに行動し、どのような選択をしてくかを示した一種の指南書にもなり得るからだ。絶望的状況に見舞われた老若男女たちがそれまでの人生の中で培った価値観によってどのような選択をしていくかもまた読み処だ。それぞれが己の人生観に添った選択をするため、それぞれに一理ある。刑事、会社の重役とその部下、老夫婦、やくざ、女子高生、看護婦、主婦とその子供、ニートの若者とメンバーは実にヴァラエティに富んでいる。そのどれに自分を重ねるか。そんな風に自分と照らし合わせて読むのもまた一興だろう。 |
No.1232 | 7点 | 殺しのパレード- ローレンス・ブロック | 2016/01/31 23:28 |
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始まりはそれまでのシリーズ同様の雰囲気だが、それまでのシリーズと決定的に違う所がある。それは本書が9・11を経て書かれていることだ。
本書中最も多い分量の3編目「ケラーの適応能力」はケラー自身が9・11を通じた変化について語られる。そこにはケラーが物語の主人公として成立するためには非常に困難になってきた9・11以後のアメリカの姿が描かれている。 9・11を経験したケラーは感傷的であり、9・11当時では偶然依頼のためにニューヨークを離れていたケラーはテレビで衝撃のテロを目の当たりにし、断続的に嘔吐する。殺しをしても標的を人間と故意に認識しないことで心から消し去っていたケラーが、テロによって不特定多数の人間の命が失われていく様を目の当たりにして、知らず知らずに精神的ショックを受けるのだ。そしてそれがそれまでケラーが行った仕事の標的について語られ、ケラー自身が思いを馳せさせる。それはまるでシリーズの総決算のような趣を湛えている。 恐らくこれは『砕かれた街』同様、ブロックにとって9・11を消化するために書かなければならなかった作品なのだろう。“あの日”を境に変わってしまったニューヨークの、いやアメリカの中で彼が想像した人物たちがどう折り合いをつけて物語の中で生き続けているのかを確かめるために。 その後のケラーの物語はヴァラエティに富んでいる。まずデトロイトの殺しは標的が逆に依頼人を殺害して実行前にキャンセルになり、帰りの飛行機で話しかけられた男が殺したいと思っている男の殺しを請け負うことになる。 更に犬殺しの依頼を受けたケラーは2人の依頼人がお互いに相手を殺したがっていることを知らされ、実に意外な結末を迎える。 そして次の依頼では標的ではなく、依頼人を殺害するというツイストを見せる。 更に顔見知りの切手収集家が標的になり、案に反して標的と親しくなってしまい、殺害すべきかどうか苦悶する姿もまた見せる。 つまりこれら一連の物語では単に依頼を引き受け、標的の生活や習慣を見守り、また彼・彼女が住む町に身体を委ね、じっくりと仕事を遂行してきたケラーに、自分の意志が仕事に介入して単純に依頼を遂行するだけではなく、全てを合理的に解決するために依頼以外の殺しを行ったり、また逆に依頼人を殺して標的を助けたりと、依頼の動機などまったく斟酌しなかったそれまではありえなかった感情が介入してくるケラーの姿が描かれるのだ。 依頼よりも自分の感情に左右されてしまうケラーは殺し屋としては失格であり、さらに自分の遺産整理をドットに頼むに至って正直これらの物語を最後にケラーは引退するかと思われた。 しかし「ケラーの遺産」でドットに訪れる依頼は「ケラーの適応能力」でドットの許へ前金のみ送ってきた正体不明の依頼人アルからの物で、ケラーはこの依頼を最速で遂行して帰ってくる。そしてそれが彼にある踏ん切りをつけらせることになる。 つまり自分はやはり生粋の殺し屋であり、この稼業を辞めることはできないのだと悟るのだ。 そして最後の「ケラーとうさぎ」ではレンタカーで子供向けの物語の朗読CDに図らずも夢中になり、その続きが気になって早く聴きたいがために実に簡単に人を、しかも2人の子供を学校に送り迎えするごく普通の主婦が自分の都合で厄介払いしたくなった夫の依頼で始末され、ケラーは再び朗読CDの続きに思いを馳せるのだ。つまりドライな殺し屋ケラーが最後に見事復活するのだ。 ブロックが選んだのは9・11を経てもケラーはケラーであることをケラーに気付かせることだった。本書にはブロックが模索しながらケラーを書いている様子が行間から浮かび上がってくるが、どうにか本当のケラーを見つけたようだ。 |
No.1231 | 7点 | 報復- ドン・ウィンズロウ | 2016/01/25 00:01 |
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久々のウィンズロウはノンシリーズの復讐劇。妻子をテロリストに殺された元デルタフォースの男が遺族たちの賠償金を募ってそのお金でかつての上司が率いる世界各国の精鋭たちを集めた傭兵部隊を雇い、テロリストを追い詰める物語だ。
とにかく物語の展開はスピーディで、勿体ぶったところがなく、デイヴが精鋭たちを雇うのは全ページ610ページ強のうち、178ページと3分の1に満たないところだ。そこからウィンズロウは主人公デイヴ達が標的に迫っていく様を世界中を舞台に入念に語っていく。 さてそんな物語の中心となるデイヴの上司マイク・ドノヴァンが率いる“ドリーム・チーム”の面々はウィンズロウらしく実にキャラが立っている。 訳者が変わったせいではないだろうが、短い文章でテンポよく物語を運ぶのはウィンズロウらしさがあるものの、彼の持ち味であるユーモア交えた小気味いい文体が本書では一切ない。実にストイックに家族を喪い復讐に燃える男のストイックな物語が、専門知識をふんだんに盛り込まれながらも悪戯に感傷を煽るようにならず、ほどよい匙加減で切り詰められた文章で進んでいく。特に描写がリアリティに満ちていて実に痛々しい。例えばよく映画で目の前で敵の頭が吹き飛び、血漿を浴びるセンセーショナルなシーンがあるが、本書ではさらに砕けた頭蓋骨の破片が顔に突き刺さり、それらを除去しないと感染症に罹ってしまうという実に生々しい説明が付け加えられる。 また飛行機から飛び降りる高高度降下落下傘にしても単に潜入するだけに留まらない。高高度から飛来することの危険性―気温が摂氏マイナス48度であるから凍傷や低体温症の危険性がある、飛来する人が“X”の形で降りるのは風の抵抗を受けて少しでも落下スピードを落とす為で、落下スピードが速すぎるとパラシュートを開いた瞬間の衝撃で関節が外れてしまう、等―を詳らかに数行に亘って説明する。それも決して熱を帯びていなく、あくまで淡々と。『野蛮なやつら』や『キング・オブ・クール』で見られた実験的な文体を書いた作者と同一人物とはとても思えないほどの変わりようだ。 特に最後のテロリストの巣窟への襲撃戦はさながらマクリーンの『ナヴァロンの要塞』のようだ。難攻不落の要塞に高難度の進入を果たして12倍もの敵と対決し、ターゲットであるテロリスト、アブドゥラー・アジーズへと迫っていく。そのさなかで過酷な訓練を通じて友情を勝ち得た仲間たちと主人公デイヴは哀しい別れをしなければならない。 デイヴの報復が成就した今、恐らく彼らの物語の続きが描かれるか微妙だ。ウィンズロウ版『ナヴァロンの嵐』がいつか読めることを期待しよう。 |
No.1230 | 6点 | 宇宙クリケット大戦争- ダグラス・アダムス | 2016/01/15 00:02 |
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相変わらず破天荒な物語である。
とにかく1巻から続く脱線に次ぐ脱線の物語は本書も健在。いやはやとにもかくにも作者のダグラス・アダムスは相当な捻くれ者らしい。全てがおふさげの産物だ。子供たちに人気の『かいけつゾロリ』のキャッチフレーズは「まじめにふまじめ」だが、このシリーズの神髄もまさにそれ。3作目にしてどうにかこのふざけを愉しむイギリス人独特のユーモアセンスが見えてきた。 そして1つ気付いたのは恐らくこれはアダムスだけではないだろうが、宇宙ではもはや時間軸と云うのは簡単に覆り、過去に戻ることが出来る物だと認識されていることだ。本書では逆にそれが数々のパラドックスと問題を起こしているとして<実時間を守れキャンペーン>なる物が銀河系で行われているというジョークまである。 そしてまた宇宙では生物の思考が万物の法則や時間をも超越するように考えられていることも本書では頻出する。特にアーサーが崩壊する場所から逃げ出すときになぜか空中に浮いており、そのことに対して疑問を持つと次第に落下し出すので、飛ぶイメージを持つことでその状態を保つエピソードが出てくる。通常であれば非常にナンセンスであり、まさに“トムとジェリー”の世界なのだが、この考え方もSF物ではどうやら至極当たり前の論理らしい。例えば『スター・ウォーズ』に登場する宇宙に満たされているフォースと云う概念もまたその類であり、もっと近い内容で云えば『機動戦士ガンダム』に登場するニュータイプという概念もまたそうだ。 つまり宇宙ではこの時間軸が容易に反転する事、空間もまた容易に移動できること、そして思考がそれらを凌駕する事。 これらを頭に入れて読むとアダムスの描くこのシリーズの不条理なストーリー展開も以前よりはすんなり頭に入るようになってきた。 あと本書には短編「若きゼイフォードの安全第一」が収録されている。この作品のジョークはしかし今では解説がないと理解できないかなぁ。 とにかくようやく3作目に至ってアダムスのジョークのテイストが解ってきた。前2作に比べてはるかに愉しんで読める自分がいた。 |
No.1229 | 7点 | 麒麟の翼- 東野圭吾 | 2016/01/09 20:43 |
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前作『新参者』で日本橋署に転勤になった加賀が同署で再び相見えたのは一見簡単だと思われた行きずりの殺人事件。そして『赤い指』の事件でタッグを組んだ松宮刑事と再び捜査を共にする。
新宿に本社を持つ建築部品メーカーの製造本部長を務める男性がなぜ日本橋で殺害されたのか?しかも腹を刺されながら日本橋交番を素通りしたのか?そしてなぜ麒麟の像の下で彼は息絶えたのか? 当時社会問題となっていたいわゆる「派遣切り」問題を扱いながら、ある会社の本部長を務める男がなぜ日本橋七福神を参っていたのかという小さな謎が加賀を奔走させる。一つの謎が明らかになると浮かび上がる被害者の謎めいた真意。加賀は軽い臆測で事件を片付けず、とことん真相を追及していく。 さらに今回加賀は『赤い指』で亡くなった父親加賀隆正の三回忌を迎えようとしていており、その際に隆正の看護を担当した看護婦金森登紀子の世話になっている。この金森が加賀に隆正の三回忌の打合せをしている時に放つ言葉が今回の事件解決のヒントになるところが本書のミソだ。 一見不和のように見える親子関係。そしてこの悠人と武明の関係はそのまま加賀親子の姿と重なる。加賀は事件を通じて生前の父親の心に向き合うのだ。 この2つの構図をなんと上手くリンクさせることか。そしてこの加賀の父親との不和が『赤い指』を経て徐々に浄化されていく過程こそ、シリーズを読んできた者が得られるカタルシスであり、特権だ。 そしてタイトルとなっている“麒麟の翼”には本書が過ちを犯した人々に向けたそれぞれの再出発の物語であるというメッセージが込められている。それはまた加賀にもまた当て嵌まる。『赤い指』で一旦決着したかに見えた父親との不和。しかし看護婦金森を通じて、何も解決していなかったことを悟らされる。 さて今度は加賀恭一郎の番だろう。次作以降を読むが愉しみだ。 |
No.1228 | 7点 | 砕かれた街- ローレンス・ブロック | 2016/01/05 23:21 |
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ニューヨークに生まれ、マット・スカダーシリーズを中心にニューヨークを描いてきたブロックが9・11後のニューヨークを描いたのが本書。そこにはスカダーは描かれず、ニューヨークに住む人々を描いた群像劇の様相を呈している。
ニューヨークで知り合いや友人の掃除代行をして生計を立てているジェリー・パンコーが出くわす殺人事件を軸にニューヨークに住む人々の生活が語られる。 一方でもう1つの物語の軸となるのは美人の画廊主スーザン・ポメランスのエスカレートするセックス・ライフだ。専属の弁護士とたまに情事を愉しむだけだったのが、ボディ・ピアスを開けたことで潜んでいた性に対する飽くなき探求心が高まり、性欲の赴くままに街を徘徊しては男たちを誘い、アブノーマルなセックスに興じる。その相手が当初殺人事件の容疑者とされていたクレイトンへと繋がっていく。 それぞれ関係のないと思われた登場人物が次第に事件とスーザンの夜の活動によって繋がりを形成し出す。 そう、この800万もの人間が巣食うニューヨークで起きる、9・11のある犠牲者によって引き起こされる狂信的な連続殺人はなんと1人の奔放な性活動を多種多様な人物と繰り広げる女性によって解決の糸口が見出されていくのだ。 これはブロックなりのジョークなのだろうか?アラブ人のテロリストによって破壊されたニューヨークで悲劇のどん底に突き落とされた人々がどうにか傷が癒え、再興に向けて歩き出している人々が再び出くわした悪夢に対して、セックスによってそれまでの価値観を崩され、新たな自分に目覚めていく男たちを生み出す一人の女性がそれぞれの事件を繋げていく。つまりスーザン・ポメランスのセックスこそは再生の象徴と云っているのだろうか? 率直に云ってスーザンが繰り広げるセックスの開拓はほとんどポルノ小説のようである。いやそのものと云っていいほど詳細に、且つ濃密に描かれている。これが1人の哀しきテロリストによる狂信的なニューヨークの再生を謳った暗い色調の物語を一変させているのだ。しかもこの2つは物語に上手く溶け合っているとは正直云い難い。このスーザンの物語は本当に必要だったのか、甚だ疑問である。 ニューヨーカーであるブロックにとって9・11は途轍もないショックをもたらしたことだろう。しかしブロックが紡いだ9・11後のニューヨークは悲劇を乗り越え、それでも強かに生きている人々の姿だった。9・11は終わりではなく、また始まりでもない。確かに以前と以後では変わった物も事もあったが、それはニューヨークの歴史の中での通過点の1つであった。それが証拠に我々はまだ生きているではないか。生活を営んでいるではないか。ブロックが人生讃歌の物語を書くとこんな風になる、いい見本だと思った。 |
No.1227 | 9点 | 地球儀のスライス- 森博嗣 | 2015/12/25 23:30 |
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とにかく冒頭の3編が素晴らしい。「小鳥の恩返し」の湛える大事な物を喪った切なさ、「片方のピアス」の禁断の恋に溺れるカップルが迎える悲劇、全編手記で展開する「素敵な日記」の読めない展開が最後に一気に想像を遙かに超えた、そして全てが腑に落ちる驚愕の真相と立て続けに打ちのめされる。
その後には完結したS&Mシリーズが短編で2編収録されているのはファンとしては嬉しいサーヴィスであろう。特にその2編では今まで前作に登場しながらも萌絵の影となり支えてきた執事の諏訪野にスポットを当てているのが興味深い。しかもそれらは日常の謎系のミステリでほのぼのとした雰囲気が心地よい。萌絵の非常識ぶりも抑えられていて、これなら普通に読むことができる。 そして次は幻想小説が続く。 作者の幻想趣味が短編では存分に発揮されている。「僕に似た人」、「有限要素魔法」、「河童」の3編。幻想強度としては「河童」<「僕に似た人」<「有限要素魔法」の順になろうか。特に「有限要素魔法」は有限要素法とは関係がないように思えるのだが。 そして最後はオーソドックスでありながらもやはり心に強く残る、想い出の物語。「気さくな人形、19歳」は老人が自分の亡くなった娘にそっくりな女子大生に共に過ごすだけのバイトを頼む。それは自分の財産を娘に残すために老人が周囲に打った芝居というのが動機なのだが、ここはやはりそんな理由ではなく、偶々テレビで見かけた自分の娘そっくりな女性を発見したことで適わぬ想い出づくりをしたかったのだろう。そしてその役目を務めた小鳥遊練無の魅力的な事。イントロダクションに相応しい快作だ。 そして最後の「僕は秋子に借りがある」は実に美しい物語だ。物語が閉じると同時に木元が感じた思い、つまりそれは題名「僕は秋子に借りがある」と思わされる。この物語は作者の想い出に似た宝石のようなものがこぼれ落ちて生まれたようなものなのだろう。当然ながらこれが個人的ベストだ。 しかし小鳥遊練無といい、秋子といい、森氏の描く女性は難と魅力的なことか。西之園萌絵には最初から最後まで辟易し、この短編でも好感度が増すことがなかったので、正直森氏の女性像には失望していたのだが、本書ではその考えを180度変えざるを得なくなった。いやあ次のVシリーズが愉しみになってきたぞ! |
No.1226 | 4点 | 宇宙の果てのレストラン- ダグラス・アダムス | 2015/12/20 01:34 |
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最初からぶっ飛んだ内容で正直読んでいる最中はその訳の解らない展開に翻弄される。それは作者に鼻先を摑まれて、ぐるんぐるん振り繰り回されているような一種の酩酊感に似ている。
宇宙における自身の存在のちっぽけさを思い知らせて精神破壊を起こす機械、事象渦絶対透視機。 900年もの出発を保留している宇宙船。 宇宙の果てのレストラン<ミリウェイズ>とは即ち宇宙の終焉を迎えようとする隕石の上に立地するレストランで、終焉を迎える瞬間に未来へとダイヴする。 そしてそこでは料理の材料となる生物が自らお勧めを話し、自殺して極上の料理へと変貌する。 これら小難しい形而上学的な論理を駆使して、実に馬鹿馬鹿しいことを説明しながらストーリーは進む。恐らくこれがイギリス人特有のユーモアなのだろう。本書に書かれていることは実に高度でありながら、実にスケールが小さいのだ。 このおかしみを理解する事が本書を愉しむために必要な事なのだろうが、これがなかなか浸透してこない。 う~ん、まだこの世界観にのめり込めない自分がいる。ただ前回に比べてなんとなくだがアダムスの持つユーモア感は解ってきたように思えるが、笑いがこぼれるほどにはいかないのが正直な感想だ。 この悪ふざけをアクが強いと受け取るのか、しょうもないと思いながらもほくそ笑むのか。 それが問題だ。 |
No.1225 | 8点 | 疾風ロンド- 東野圭吾 | 2015/12/14 22:58 |
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文庫書き下ろしで刊行された本書はまたもやスキー(スノボ?)シーズンの雪山が舞台となる。そして主人公を務めるのは『白銀ジャック』でも登場した根津昇平と瀬利千晶の2人だ。
本書は細菌テロという重いテーマを持ちながらも、雰囲気は軽妙でコミカルな装いで物語は進む。 まず新種の炭疽菌『K-55』の名自体が作者の名前をもじっていることからも深刻さを避けようとしているのが明白だろう。 しかし構成は単純ながらもさすがはベテラン作家東野、ストーリーに様々な要素を織り込んでいる。 まず脅迫者が事故死したことで『K-55』の隠し場所が解らなくなるというツイストもなかなかだ。さらに必死になって不祥事を揉み消そうと躍起になる東郷&栗林のコンビとは別に『K-55』を先に手に入れて3億円どころかそれ以上の身代金を請求しようと企む研究員、折口真奈美という第3の影。 そして捜索に同行させた栗林の息子秀人が現地で知り合う地元の中学生山崎育美の同級生高野一家に降りかかったインフルエンザで亡くなった妹の死に絡む母親の昏い情念と、コミカルながらも不穏な要素をきちんと用意している。いやあ、いい仕事してますわ、東野氏は。 そしてそれらがきちんとクライマックスに向けて二転三転するストーリー展開に寄与していくのだから凄い。単に思わせぶりなエピソードに終わらず、それぞれがそれぞれの事情で正体も知らずに『K-55』の争奪に関わり、利用しようとする。 正体を知っている者たちの思惑と知らない者たちの思惑が交錯して、クライマックスではスキーヤーとスノーボーダーの滑走しながらの一騎討ちといった活劇も織り込んで最後の最後まで息をつかせないノンストップエンタテインメント小説に仕上がっている。 恐らくおっさんスノーボーダー東野圭吾は経営難で苦しんでいる日本中のスキー場を救わんととにもかくにも爽快で軽快な物語を愉しんでもらいたいという思いで本書を著し、そして多くの人に手に取ってもらうために文庫書き下ろしという形での発刊を選んだに違いない。 従って本書は徹底的に娯楽に徹したエンタテインメント小説である。難しいことは考える必要は全くない。従来の東野作品の読者ならばこの単純さが、ベストセラー作家の走り書きとか、ストーリーに厚みがなくて物足りないなどとのたまうかもしれないが、単純面白主義の何が悪いと開き直って読むのが吉だ。逆にこれだけウィンタースポーツとしてのスキー、スノーボードの疾走感やスキー場の臨場感も行間から滲み出てくるような躍動感に満ちていることをきちんと気付いてもらいたい。読みやすいが故にこの辺の技術の高さが軽んじられているのが東野圭吾氏の長所であり短所でもある。 普段読書をしない人たちに「何か面白い本、ない?」と訊かれたら、今はこの本を勧めるだろう。そして『白銀ジャック』に続いてドラマ化されてもおかしくないくらい映像化に向いている。 こうやって東野圭吾の読者が増えていくわけだが、それも仕方がないと納得せざるを得ないリーダビリティに満ちた作品だった。 |
No.1224 | 8点 | やさしい小さな手- ローレンス・ブロック | 2015/12/13 00:36 |
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早川書房が2009年に突如企画したハヤカワ・ミステリ文庫での「現代短編の名手たち」シリーズにブロックが選ばれ刊行されたのが本書。名手の名に恥じない傑作が揃っている。特徴的なのは全体的にブラックなテイストに満ちていることだ。
さて個人的ベストを挙げるとするとやはり本編で一番長い「情欲について話せば」になろうか。短編4つ分のネタが放り込まれた内容はもとより、トランプゲームに興じる警官、軍人、医者、司祭と云う奇妙な取り合わせが寓話めいていて奇妙な印象を残す。 「ノックしないで」も捨てがたい。ブロックには珍しくシンプルな作品だが、求めつつもそれを自分から求めない元恋人の女性の心の機微が静かに心に降り積もるかのような作品だ。 そしてスカダー物4編から1編を挙げるとすると「夜と音楽と」になる。なぜ単にスカダーとエレインが夜のデートをするだけの何の変哲もない8ページだけの1編を挙げるのか。それは最後の2行、スカダーとエレインが2人して「誰も死ななかった」ことを喜ぶシーンが妙に痛切に胸に響くのだ。 元警察官で無免許探偵をしていたマットは彼を訪ねる人達に便宜を図って人捜しや警察が相手にしない取るに足らない者たちの死を探る。人捜しであっても彼は誰かの死に必ず遭遇する。しかし警察官であったマットは死自体には何の感慨も抱かず、ニューヨークによくある八百万の死にざまの1つを見たに過ぎないと振舞う。 しかしエレインが襲われることになり、そしてエレインを伴侶とし、安定した生活を得たことで彼らにとって死はもう沢山だと思い始めたのではないか。探偵をする限り、彼は陰惨なシーンに出くわさざるを得ない。しかし2人で一夜を過ごすときは忘れたいのだという思いをこのたった2行に感じさせる。しかし初めてこの短編集でブロック作品を読んだ人たちには「何だったんだ?」で終わる話だろう。つまりこれはシリーズを読んできた者だけが行間から読み取れる深い内容だと云える。そういう意味では今回の「現代短編の名手たち」という企画にはそぐわないのかもしれない。 いやはややはりブロックは短編も読ませると再認識した。確かに上に書いたようにブロック初体験の読者にとって解りにくい作品もあるし、何よりも短編集でしか読めない悪徳弁護士エイレングラフ物が1編もなかったのが残念でもある。 |
No.1223 | 4点 | 呼びだされた男- ブライアン・フリーマントル | 2015/12/05 01:11 |
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チャーリー・マフィンシリーズ3作目。
まず非常に読みやすいことに驚いた。最新作『魂をなくした男』の、学生に頼んだ下訳のような日本語の体を成さないひどい日本語ではなく、実に滑らかにするすると頭に入っていく文章が非常に心地よい。 そしてこれもまた最新作と比べて恐縮だが、二分冊になるような長大さがなく300ページ強と通常の厚みでありながらスピーディに展開していくストーリー運びもまた嬉しい。若さを感じる軽快さだ。 最近のシリーズ作に比べると非常に構造がシンプルだ。したがって特にサプライズも感じずに、「えっ、もうこれで終わり?」的な唐突感が否めなかった。 また最近のシリーズ作では既に忘却の彼方となっているが、前作で妻イーディスを喪ったチャーリーは彼女の想い出と悔恨に苛まれて日々を暮している。従って折に触れチャーリーのイーディスへ向けた言葉と当時の下らないプライドを後悔しているシーンが挿入される。折に触れチャーリーは自身の行為が生前イーディスが話していた台詞が裏付けていたことを思い出す。疎ましく思っていた存在を亡くしてみて気付く愛しさと妻こそが最大の理解者であったことを自戒を込めてチャーリーは改めて確認するのだ。う~ん、この辺は実に教訓になるなぁ。 さて本書では保険調査員に扮し、そのまま無事に難関をクリアしたチャーリー。特にピンチもなく物語は終えたため、よくこのシリーズが現在まで続いたものだなぁと不思議でならない。この後は『罠にかけられた男』ではまたもやFBIと保険調査員として見えることになり、実に痛快に活躍するのだから本書はシリーズの動向をフリーマントル自身が探っていた小編だったとも考えられよう。 |