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雪さん
平均点: 6.24点 書評数: 586件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.35 5点 ロマンス- エド・マクベイン 2020/09/05 09:47
 イースターまでちょうど二週間となった四月五日日曜日、脅迫電話に悩む女優ミッシェル・キャシディが、主演するミステリ劇『ロマンス』そっくりの状況で通り魔に襲われた。彼女は幸いにも軽傷で済み、舞台は一躍マスコミ注目の的となる。が、その翌日ミッシェルは自宅で二十二箇所を切り刻まれた惨殺体となって発見された。脅迫者に怯えていた筈の彼女が、なぜ無防備にアパートの扉を開いたのか?
 ほどなくしてアリバイを疑われた彼女のエージェント、ジョニー・ミルトンのオフィスから、血染めのナイフが発見される。刺傷事件はミッシェルに関心を集める為の狂言だったとミルトンは告白するが、殺人については完全に否定した。彼を二級殺人の罪で起訴すると息巻くネリー地方検事補に対し、ミルトンの動機に疑問を抱くキャレラ刑事は十日間の猶予を求め、劇団関係者に的を絞って独自の捜査を進めるが・・・。愛憎渦巻く演劇界の殺人に、バート・クリングのロマンスをからめて描く巨匠の会心作。
 1995年発表。『悪(いたずら)戯』に続くシリーズ第47作で、ホープ弁護士シリーズ第十一作の『小さな娘がいた』とは同年の作品。前作で人質対策班の女刑事ジョージア・モウブリーが撃たれたときに知り合った、黒人女性の医官警視補シャーリン・クックとクリング君のウブなラブアフェアをサイドに据えて展開しますが、同じ頃デフ・マンが引き起こしたグローヴァー公園の暴動騒ぎが、彼らの恋路にも何度か影を投げかけています。
 メイン事件はモジュラー形式ではなくこれ一本。問題の舞台劇『ロマンス』は前衛混じりの?な出来で、裏方のあんちゃんにも「あんな駄作をプロデュースできるなら、だれだってやれる(原文ママ)」と言われる有様。確かに芸術家気取りの脚本家がリキ入れてる割には、作中劇の方は全然面白いと思えない。何度もマクベイン映画で警官役やってる俳優登場させたりと、色々小ネタ挟んでテコ入れはしてるんですけどね。大枠の事件もリーダビリティはあるけど、内容も薄くそこまでの出来ではありません。この分厚さでこれは厳しいなあ。『ララバイ』から『寡(かふ)婦』までの三作はまだ読んでないけど、そのあたりで一応円熟期も終わるのかな。面白そうに見えたんで本書はちょっと期待してたんですが。
 採点はギリ5点。まだまだ意欲作もあるようなので、ここらで奮起を望みたい所です。

No.34 6点 キス- エド・マクベイン 2020/08/13 11:30
 地下鉄のホームから突き落とされて危うく死にかけたエマは、数日後、今度は車に追い回されて轢き殺されそうになった。心配する夫は彼女にボディガードがわりの探偵をつける。だがほどなく、エマの命を狙っていた男が射殺体で発見された。
 撃ったのは夫か、探偵か? そもそも男はなぜエマを狙ったのか? 愛憎渦巻く街で交わされるのは、愛のキスか、あるいは死の接吻か・・・・・・美しい人妻をめぐる殺人事件を鮮烈な筆致で描く。
 『寡婦』に続くシリーズ第45作。1992年、ホープ弁護士シリーズ9作目『三匹のねずみ』と同年の発表。デフ・マンもの『悪戯』の前作にあたり、メイン事件と並行して描かれるキャレラ刑事の父親、アンソニー・キャレラ射殺事件の公判審理とも、現実世界でコロナに伴いアメリカ各地で起きた黒人暴動とも部分的にリンクしています。作品中でデモ隊を指揮し差別感情を煽っているのは、アクバー・ザロウムと名乗る説教師(プリーチャー)ですが。87分署ものは全体で現代アメリカを映す鏡とも言えますが、本書及び『悪戯』を読むと暴動の兆候自体は、二十年以上前にとうに目に見える形で現れていたことが分かります。
 内容的にはモジュラーではなく人妻襲撃未遂一本勝負。途中で夫マーティン・ボウルズの雇った探偵アンドリュー・ダロウ(デンカー)がシカゴから来た殺し屋だと判明しますが(読者視点のみ)、彼の登場前に天井から吊るされた襲撃犯、ロジャー・ターナー・ティリー殺しのホシはまだ割れません。最後まで読んでも肝心な所はハッキリせず、タイムリーな割にはどうも偶発的な殺人みたいですけど。
 全体の2/3辺りでデンカーを夫側の殺し屋と見抜いたエマによる誘惑、最後の殺人に続くデンカーVSキャレラ、マイヤーの銃撃戦、その後にラストの捻りと、色々あるもののトータルではフランスミステリ風の味わい。『凍った街』並みの分厚さでちょっとこれはどうかなあ。悪くはないけどもっとコンパクトに纏まるような。
 後期にしては良い作品だと思うけど、手放しでは褒められません。そんな訳で佳作には至らず、少しオマケして6.5点。

No.33 5点 悪戯- エド・マクベイン 2020/02/25 06:32
 春まだ浅い三月の終わり、アイソラでは大小さまざまな事件が続発し、87分署の刑事たちは目も回るほど忙しい。なかでも彼らが頭を抱えたのは、壁にスプレー缶で落書きをするストリート・アーティストばかりを狙った連続殺人。無造作に鉛弾を撃ち込んだ後、死体にペンキを吹きかけるという異常な手口だった。
 担当刑事のクリングとスティーヴ・キャレラが話し込んでいたちょうどその時、デスクの電話が鳴り響く。
「どんなご用でしょう?」「もう少し大きな声でいってもらえんかな。わたしはちょっと耳が悪いので」
 あの男、デフ・マンがまたこの街に帰ってきたのだ。刑事たちは山積する事件の捜査に追われながらも、彼の五度目の挑戦を阻止すべく奔走するが・・・
 1993年発表のシリーズ第46作で、エイプリルフールの時期に起きた諸々の事件が題材。ホープ弁護士もの第9作『三匹のねずみ』の翌年の作品で、かのシリーズが『メアリー、メアリー』で急降下する前の時期に執筆されたもの。デフ・マンは一応メインで登場しますが、これまでのようにピンではなくモジュラーの一件という扱い。パーカーとクリング担当の落書き屋射殺事件に加え、マイヤーとホース組は痴呆老人置き去り事件を捜査。物語はこの三件を軸にして進むものの、全体に纏まりを欠いた散漫な出来映え。SF小説を題材に天才犯罪者が仕掛けるヒントもいまいちピンときません。狙いはまあまあなんですけどね。油断して共犯の女にいいようにやられるとか、今回も株は下がり気味。
 ストーリーに平行してラップ・グループ《スピット・シャイン》のリーダー、黒人のシルヴァーと、白人ダンサー、クロー・チャダートンの恋愛模様が描かれますが、クローは第33作『カリプソ』の冒頭で射殺された黒人歌手の元妻。このカップルとエンディングでのクリングの新たな恋を、デフ・マンの煽動計画というアメリカの暗部に対置して釣り合いを取っています。キャレラの妻テディのエピソードが示すように、裏テーマは差別と暴力ですね。
 犯行予告に使われるボリビアのSF作家、アルトゥロ・リヴェラの小説『恐れと怒り』もなんだか胡散臭い。十中八九マクベイン本人作だと思われます。別名義で何冊かSF書いてますしね。

No.32 5点 夜と昼- エド・マクベイン 2020/01/25 11:42
 「はめ絵」に続く87分署シリーズ第25作で二部構成。十月のある土曜日、87分署内で起きた出来事を〈ナイトシェード(午前零時から午前六時)〉と〈デイウォッチ(それ以降)〉に分け、それぞれのシフトにおける刑事たちの一日を活写したもの。
 深夜番のスティーヴ・キャレラは別件解決後やっと眠れるとパジャマに着替えたところをバーンズ警部に呼び出され、結局丸一日出ずっぱり。食料品店で張り込んでいたアンディ・パーカーが店主ともども強盗に撃たれて人手不足だったからですが、同僚アーサー・ブラウンの活躍もあり、深夜のヤマに続きこれも解決。刑事たちにとって今日の目玉事件はこれですね。警官被害を解決すると昇進だか昇給だかするらしく、いいとこはみんなあいつが持っていくんだよと、他の刑事たちから羨まれます。
 ですが面白いのは第一部〈ナイトシェード〉。パジャマを着る前のキャレラとコットン・ホースが担当した劇場裏での踊り子殺しと、マイヤー・マイヤー担当の高級住宅地〈煙が丘(スモーク・ライズ)〉の盗難事件がメイン。元判事の邸宅に現れた男女の幽霊が次々宝石類を盗むというイミフな展開ですが、なぜか全編でこれが一番凝っているという訳の分からなさ。けっこう泣かせる真相なのがまた複雑なキモチを抱かせます。
 それに比べると第二部はいたって普通のドキュメント。ちょっと歪な感じです。以前に読んだ「はめ絵」もしょうもなかったし、その前の「ショットガン」もどうも良くないようなので、本作で目先を変えてみたんですかね。これもシリーズ標準より出来はやや下くらいで、この時期作者はスランプだったかもしれません。
 巻頭、アメリカ探偵作家クラブの諸兄に捧げた献辞でいきなりふざけてますが、内容がそれほどでもないので完全に滑ってます。ジョーク好きのマクベインにしては今回外し気味。

No.31 5点 大いなる手がかり- エド・マクベイン 2019/11/27 11:37
 いつやむとも知れないいやな三月の雨の日、男とも女ともつかぬ黒ずくめの身装りをした人物がバス停留所に立っていた。黒いレインコート、黒ズボン、黒靴、黒い雨傘、そのかげになって頭と髪はみえない。発車まぎわのバスに乗りこむと、その人物はパトロール警官のまえから姿を消した。
 停留所の標識の傍らに鞄が置いてあるのを眼にした警官ジェネロは歩み寄り、それを拾いあげた。さほど重くはない。ジェネロは鞄を開け、手を差し込んだ。彼はその顔を恐怖にゆがめ、反射的にその手をひくと標識に思わずしがみついた。旅行鞄のなかにあったものは、手首のやや上部で切断された、男の手だった――
 「キングの身代金」に続くシリーズ第11作。1960年発表。全篇に渡ってじとじとした雨が降り続く中、身元不明の"手"の主を巡って87分署チームが動き出します。届出のあった失踪者たちを探りますが捜査はなかなか進展せず、そうこうするうち屑鑵からもう片方の手首が発見。それでも一向に事件の目星は付きません。
 雲隠れしていた失踪者の一人からの話と、失踪人調査室の刑事の思いつきから行方不明のストリッパーの存在が浮かび上がりますが、これが事件に関係しているのかどうかは分からない。苛立つ刑事たち。行き詰った挙句珍しく愛妻テディに八つ当たりしたり、同僚を殴り倒すスティーヴ・キャレラの姿が見られます。
 解決はやや唐突かつ猟奇的。同年にヒッチコックの有名なサスペンス映画「サイコ」が封切られており、マクベインもこれに影響されたのかもしれません。結構貪欲な作家なので。作者のグロ趣味が出た最初の作品ですね。おとなしめの犯人ですが「手首を切り落とした理由」に狂気が現れています。
 とはいえまだ精神分析への関心も薄く、熟成されてはいない。4年後のドナルド・E・ウェストレイク「憐れみはあとに」と比較してもやや落ちます。総合すると魅力的な掴みを生かしきれなかった標準作ですかね。

No.30 4点 最後の希望- エド・マクベイン 2019/10/19 09:20
 誰もが望んでいたような夢のような天候が続くフロリダの一月、サマヴィル&ホープ法律事務所のオフィスに美しい顔立ちの青い目の女性が訪れた。三十四歳のジル・ロートンは離婚手続きのため、仕事を見つけるという名目で北に旅立った夫ジャックを探し出して欲しいという。彼は半年前、共通の友人クレア・フィリップスにばったり会ったのを最後にぷっつり音沙汰なしだった。
 その晩十一時、ノース・ガレイ・ロード付近にあるカルーサの浜辺でジャック・ロートンという男が撃たれて死んだとの知らせを受け、マシューは現場に駆けつける。死体は半裸で四肢に針金のハンガーが巻きつけられ、顔面にショットガンを見舞われていた。だが現場で身元確認を行ったジルは、マシュー・ホープとモリス・ブルーム刑事に告げる。それはジャックではないと――
 1998年発表のホープ弁護士シリーズ最終作。第6作『シンデレラ』同様分類だと 倒叙/クライム 寄りの作品。巡回でたまたまカルーサ・カドペド美術館へと回ってきた〈ソクラテスの杯〉なる時価二百五十万ドル相当の美術品を、最新の防犯設備を掻い潜って盗め!という強奪物に「誰が最後に笑ったか」テイストをプラスしたもの。タイトルこそ"THE LAST BEST HOPE(ホープ・シリーズ最後にして最良の作品)"ですが、看板には偽りアリ。
 アイソラ美術館で件の物件を目にしたジャックが強奪計画を立て、バイの同棲相手メラニー・シュワルツが裏でジルと組みそれを横合いからかっさらおうとする。ジルの依頼も偽装。他方ではジャックの仲間の一人で金庫破り専門のキャンディ・ノウルズが、リーダーの素人臭さに見切りを付け始めている・・・
 こういった状況に現場に偶々居合わせた主人公ホープが絡むのですが、全然いいとこなし。前妻スーザン共々恋人にフられるは殺されかけるわで、完全に心折れて終わります。「いっそ弁護士も辞めようかな」みたいなことも匂わせたりして。〈最後の事件〉にしてはあんまりですね。モースに続いて今度はホープにアタックしたんですが、前者とは差がありすぎます。
 元々〈殺人童話〉としてスタートしたこのシリーズ。離婚やネグレクトなど生々しいアメリカの現実に晒される子供たちを主題に猟奇的な犯罪を描いたものですが、縛りのキツさから枷を外したことで逆に執筆の意義を見失ってしまったようです。「どうせ同じキャラ物なら87分署の方読めばいいじゃん」と。当初はマクベインも本シリーズに意欲的でしたが、版元の要請が厳しかったとも聞きます。
 スティーヴ・キャレラも調査に協力させてサービスしていますが、やはり第10作「メアリー・メアリー」以降の凋落をリカバリするには至りませんでした。この後87分署シリーズ第48作「ビッグ・バッド・シティ」ではキャレラ側がホープに協力を求めるそうですが、ヒーロー失格した彼が少しでも立ち直ってくれてることを望みます。4.5点。

No.29 5点 寄り目のテディベア- エド・マクベイン 2019/08/19 00:59
 銃撃による昏睡状態から抜け出した五ヵ月後、弁護士マシュー・ホープが復帰して最初の仕事に選んだのは、大手メーカー〈トイランド・トイランド〉を相手取ったテディベアの製造差し止め訴訟だった。玩具デザイナーの依頼人レイニー・コミンズは、トイランドの新製品『寄り目のくまグラディス』を、彼女がデザインした『寄り目のくまグラドリー』の模倣であると主張していた。元の勤務先の社長ブレット・トーランドが自分のアイデアを盗み、来たるクリスマス商戦の主力商品として販売しようとしているのだと。
 レイニー自身もグラドリー同様に斜視で、特殊な眼鏡でくまの目を正常に見せるアイデアは自らの体験に根差していると彼女は語る。だが事前審理での判事の反応は鈍く、被告席についているブレットとエッタのトーランド夫妻は静かに弁論を見守っていた。
 マシューは裁判の行方に自信をなくしたレイニーを勇気付けるが、翌水曜日の朝地元テレビ局の放送をつけた彼の眼と耳に飛びこんできたのは、ブレットが昨夜遅く彼のヨットで射殺され、レイニーが容疑者として拘留されたというニュースだった・・・
 1996年発表のホープ弁護士シリーズ第12作。前作で肩に一発、胸に一発の銃弾を撃ち込まれたホープはまだ完全には復調しておらず、恋人の州検事補パトリシアとの仲もしっくりいっていないようです。作中でも頻繁に不自由な身体に悪態をついています。とはいえ今回は彼が病躯を推す場面が多い。というのは専属の私立探偵チーム、ウォレン・チェインバーズとトゥーツ・カイリーのコンビが開店休業状態だからです。
 ホープの退院直後にトゥーツは旧知の悪徳警官と再会しコカインを吸引。再び悪癖がぶり返した彼女を、ウォレンは陸地から遠く離れたフロリダ洋上に監禁。強制的に禁断症状に落とし込み、中毒状態から解放しようと試みます。殺害現場もヨット上、二人のドラマもヨット上。これらを二重写しにして、交互にストーリーが展開します。
 それまでの行きがかりからレイニーの弁護を引き受けるホープ。ですが彼女の証言は二転三転し、彼にも全てを告げません。この辺りの微妙なアヤが見どころですかね。レイニーの所持品――金のヴィクトリア朝の指輪や、スカーフの行方が小道具に使われています。それが無くても、地の文からある程度の想像は付きますが。
 総合的には『小さな娘がいた』よりまたちょっと落ちた感じ。童話縛りがキツくなってたようで、第十作『メアリー、メアリー』あたりから枷を外すよう、エージェントを通して版元と交渉してたようですが、色々ゴタゴタしてくるとモチベーションを保ち続けるのが難しいのかもしれません。このシリーズもあと一作で終了なので、最後の踏ん張りに期待したい所です。

No.28 6点 麻薬密売人- エド・マクベイン 2019/08/16 15:46
 クリスマスも間近な年の瀬の夜、耳がちぎれそうな寒さに震えるパトロール警官は、通りの奥にあかりを見た。くろぐろとした闇のなか、警官は導かれるように一軒のアパートに近づく。地階の階段の開いた口から、あかりは溢れていた。リヴォルヴァーをひきぬき用心しながら地下室に足を踏み入れると、部屋のずっと奥の寝棚に少年が腰かけている。紫色の顔をして、ひどく不安定な恰好で前のめりになって。
 頸のまわりは紐で縛りつけてあり、紐の端は格子窓に結びつけられている。そいつが彼のからだを支えているのだ。両手は熟睡しきっている人間のように両脇にだらりとさげ、掌を上に向けている。片方の手から数インチ離れた場所に空の注射器がころがっていた・・・
 被害者はプエルト・リコ系の十八歳の少年アニーバル・エルナンデス。死因はヘロインの射ち過ぎ。事件担当のスティーヴ・キャレラ刑事はあからさまな自殺の偽装にキナくささを感じますが、犯人の狙いは掴めません。注射器をはじめ現場からは鮮明な指紋が検出されますが、前科はないらしく身元の照合も出来ません。
 朦朧状態の被害者が紐を結べる筈がないと分かっていながら、わざわざ自殺に見せかけたのはなぜなのか・・・
 キャレラは三歳上の姉マリアに聞き込みをしますが、彼女からは何も聞き出せません。マリアはアニーバルを麻薬中毒に引きずり込み、自身も薬の代金を稼ぐために娼婦にいそしんでいました。引き続き分署管内の麻薬取引をあたるうち、やがて「ゴンソ」という売人の名前が浮かび上がってきます。そいつがアニーバルの死後、彼の顧客たちに麻薬を売りつけているらしい。
 その頃、捜査班を一手に仕切るピーター・バーンズ警部の下に、身元不明の人物からの電話が掛かってきた・・・
 1956年発表のシリーズ第三作。「冬はまるで爆弾をかかえたアナーキストのように襲いかかってきた」という、有名な書き出しで始まる作品。どちらかと言えばレギュラー刑事たちのドラマが主体。訳者は作家の中田耕治氏ですが、癖の強い訳なので読者の好き嫌いは分かれるでしょう。
 被害者となるプエルト・リコ人姉弟とその母親、及び犯人像、謎の男からの脅迫に揺れ動くバーンズ警部一家など、ドラマ部分はかなりよく出来ていますがミステリ要素はほとんどないですね。そういうのを期待して読むとつまらないかも。刑事物のキャラクター回みたいな作品です。個人的には瀕死のキャレラを見舞う密告者(はと)、ダニー・ギムプのエピソードが好き。
 作者は本書でスティーヴ・キャレラを殺すつもりだったそうですが、辛気臭くても一応クリスマス・ストーリーではあるので、この結末で正解でしょう。87分署シリーズが成功した一番の理由はキャレラではなく、聾唖の妻テディの存在にあると思いますので。本編を最後にキャレラ夫妻が退場していれば、ここまで長くは続かなかったかも。

No.27 5点 小さな娘がいた- エド・マクベイン 2019/08/04 22:59
 「メアリー、メアリー」事件から約四カ月半後の三月二十五日、弁護士マシュー・ホープはカルーサの黒人地区ニュータウンのバーで、店から出た所を二二口径の銃弾で続けざまに撃たれ、危篤状態に陥った。左肩と胸。〈S&I〉サーカスの興行主ジョージ・ステッドマンの依頼を受け、イベント会場用地三十エーカーの買収交渉にあたっている矢先のことだった。
 先の事件の苦い教訓から刑事事件の依頼を極力避けていた筈のホープが、なぜ命を狙われたのか?
 意識が戻らず昏睡状態の続くホープ。友人であるカルーサ警察の刑事モリス・ブルームや、バックアップ役の私立探偵ウォレン・チェインバーズとトゥーツ・カイリーのコンビは、マシューの足取りを追ううち、彼が個人的に三年前〈S&I〉の巡業先で起きた自殺事件を調べていたことを知る。
 ステッドマン同様興行権の五十パーセントを持つ二十二歳の女性マリア・トーランスの母親で、当時サーカスの花形だった小人のウィラが、専用トレーラーの中で額を撃って死亡したのだ。ミズーリ州ラザフォードの検屍審問では自殺として処理されたのだが、事件直前にトレーラーの専用金庫が盗まれるなど、不審な点がいくつもあった。
 ブルームとウォレン、そしてマシューの恋人である州検事補パトリシア・デミングと共同経営者のフランク・サマーヴィルは、マシューの記録を追い、彼の知った真実を必死に突き止めようとするが・・・
 1994年発表のシリーズ第11作目。HPBカバー裏には「ミステリ史上初の“昏睡探偵”誕生」とありますが、そこまで画期的な構成ではありません。ウォレンチームやブルームの捜査の合間に、脳裏に機械的に瞬くホープの記憶の残滓が挟まりストーリーは進行します。
 〈百獣の王〉を名乗る猛獣使いに片腕を嚙み切られた元熊の調教師、今は元調教師と結婚しているウィラの夫の駆け落ち相手、借金のカタにイベント用地を押さえている、元サーカス団員で今は大金持ちの黒人の妻。サーカスらしく多彩な関係者たちに聞き込みを続けるうち、表題の意味もまた二転三転していきます。読む前にはてっきり、マシューの娘ジョアンナを指すものと思ってましたけど。
 タイトルはマザーグースの一節ですが、目次を見ればわかるとおり露骨に内容を示唆。とはいえマクベインですから単純になぞらず、捻った展開にしてあります。ただ、最後に唐突に大掛かりな事件になるのはどんなもんかなと。ちょっとこうなるまでの手掛かりが少ないですね。構図にもそれほど面白みはありません。最後のパトリシアの追い込みはなかなかスリリングですが。
 サーカス関連のリサーチが彩りを添えていますが、まだ「ジャックが建てた家」「三匹のねずみ」辺りの水準には戻っていません。その前の「ジャックと豆の木」よりも下。とはいえ復調してはいます。

No.26 5点 八頭の黒馬- エド・マクベイン 2019/08/02 21:19
 クリスマス間近のアイソラ。稲妻男の事件が解決するや否や、スティーヴ・キャレラ宛で八七分署に奇妙なメッセージが送り付けられた。男性のものらしき耳に斜めに太い棒線を引き、その上に八頭の黒馬が並んではねまわっている写真。
 死んだ耳の男〈デフ・マン〉――幾度も彼らをきりきり舞いさせた天才犯罪者が、再びこの街に戻ってきたのだ。デフ・マンは刑事部屋へ、謎のメッセージを矢継ぎ早に届け続ける。五個の携帯無線機、三つの手錠、六つのバッジ、そして警官の帽子が四個――黒馬を除けば、どれも警官の持ちものの写真ばかりだ。いったいやつは何を企んでいるんだ?
 さらに真向かいにあるグローヴァー公園の小径のはずれでは、頭蓋の付け根に弾丸を撃ち込まれたすっぱだかの死体が発見された。目撃者の証言によると、はだかの女をかついでいたのは金髪の男だったらしい。被害者エリザベス・ターナーが優秀な銀行員だったことから、刑事部屋メンバーはそこにデフ・マンの匂いを嗅ぐが・・・
 「稲妻」に続くシリーズ第38作。1985年発表。87分署最大の敵デフ・マン四度目の挑戦ですが、テンポは早いものの作品の出来には疑問符が付きます。なぜなら本編では、彼の予告は一攫千金目当てのものではないからです。詳しい説明は省きますが、テロめいた目的とその行動は、天才犯罪者としてのデフ・マンの矜持とキャラを貶めているようにしか見えません。本来の目的のヒントを一切与えないのも、キレたというより自信を無くしたように見えてしまいます。
 性格が変化したのもそのひとつ。バーでキャレラの名を騙ってCBSの受付嬢を引っ掛けるのですが、濡れ場とかSMっぽくて「あれこんなキャラだったかな?」と。急遽「電話魔」を再読したのですが(書評はこっちが先)、そっちは終始ムード派で押し通してました。準レギュラークラスの人物設定をコロコロ変えられたのでは、あまり高くは評価できませんね。
 偽名がバレたデフ・マンと、それを追うキャレラのニアミスとかありますが、それはそれだけ。彼の犯罪もクリスマスという時期を活用したものですが、過去の事件に比べるとそれほど意外性も捻りもありません。
 そんなこんなでシリーズとしても並以下。派手めの映像向け作品と言い切ってしまっていいでしょう。図版がいっぱい入ってて、読み易くはありましたけど。点数は、辛うじて5点といったところ。

No.25 6点 殺しの報酬- エド・マクベイン 2019/07/24 23:04
 こぬか雨に濡れる六月末の夜、角を曲ってきたセダンが歩いていく男の十フィートばかり前に止まり、窓の一つがスーッと開くとそこからライフルがぶっぱなされ、歩道の男の顔は粉みじんに吹きとんだ。
 ギャングもどきのやり方で殺されたのはゆすり屋のサイ・クレイマー。ここ四、五年派手な暮しをしてはいたが、死ぬちょっと前には酔っぱらいの船乗りみたいに札びらをばらまいていたらしい。高級アパートにキャデラック、ビュイックのステーション・ワゴンに新しい女。ひと月足らずの間に三万六千ドルもの金を惜しげもなく使い果たし、その上約半年あまりの間に四万五千ドルという驚くべき額を預金しているのだ。いったい、その金はどこから来たものなのか?
 持参人払い小切手の署名先を聞き込むスティーヴ・キャレラ。一方コットン・ホースは、密告屋ダニー・ギムプの情報からクレイマーの羽振りが良くなった「九月の猟の旅」に目を付け、ひとりニューヨーク州のアディロンダック山塊へと向かう。
 87分署シリーズ第7作。前作「被害者の顔」でみそをつけたコットン・ホースが次作「レディ・キラー」と併せ大活躍。ガソリン会社のクレジット・カードの使用量から宿泊先の目星をつけ、ついに被害者が宿泊した湖水のほとりのクカボンガ山荘を発見します。
 山小屋の主人の記憶から最終的な容疑者は三人に絞られるのですが、ここでちょっとした工夫があります。とは言え「電話魔」に比べると捻りが足りず、元ネタを超えたとは言えません。これは謎解き興味よりも、むしろラストの見せ場に寄与しているでしょう。
 他にもある目論見を抱いて刑事たちを尾行する人物の存在など、レッドへリングはありますが特筆する程ではない。初期作でキッチリ作っている点は買えますが、総合すると平均より少し上くらい。ちょっと佳作には至りません。どちらかと言えばよりリーダビリティの高い「レディ・キラー」の方が好みかな。

No.24 6点 レディ・キラー- エド・マクベイン 2019/07/03 04:58
 「今夜八時、レディを殺す。どうにかできるかい?」
 うだるような暑さの七月の朝七時四十五分、八七分署の受付デスクに陣取るデイヴ・マーチスン警部補に、その封筒は手渡された。彼がそれを受けとると、メッセンジャーの男の子は入口から表の歩道に出て、そのまま大都会の人ごみのなかにきえてしまった。
 雲を掴むような犯行予告。これはクランク(いたずら)か? だがクランクでないならば、十二時間以内にたったこの手紙一つの手がかりで、アイソラ八百万のなかから、被害者と人殺しをさがしださなければならない。捜査を管轄するバーンズ警部は、コットン・ホース、スティーヴ・キャレラ、マイヤー・マイヤーら刑事部屋の総力を挙げ、凶行を未然に食い止めようとするが・・・
 1958年発表の87分署シリーズ7作目。概要だけ聞くとあんまりな難題に思えますがそこはそれ。実は子供を使いに出した犯人の方も、向かいのグローヴァー公園から警察の反応を窺っており、チラッチラッと太陽光に反射するレンズに気付いたホース刑事がコッソリ廻り込んで取り押さえようとするもニアミス。その後も隠れ家に踏み込んでの銃撃戦および逃走劇と、タイムリミットの合間に派手な接触が二度起こります。今回は終止ホースが大活躍。
 あと作中でもキャレラが指摘してますが、「犯人が捕まりたがっている」というのもミソ。本気なら黙って実行すればいいだけなので。もちろん罪を逃れる手は打っていますが、唯一の手掛かりである手紙でも、犯行のヒントは与えています。そのあたりの微妙なアヤが本書の読み所でしょう。
 ただ実際には、警察に指紋採られた段階で終わりですね。発砲事件までならまだ言い訳も効きますし。ヤバい目に何度も遭ってるのに、あえて強行しちゃうのはどうかと思います。話の都合上仕方ないのかもしれませんが。タイムリミットよりもアスファルトも溶けるクソ暑さの方が印象に残る作品。イマイチ緊迫感が無いのはそのせいかも。ただ合間合間にアクションや小技を入れてるので、つまらなくは感じません。平均か、それよりちょっと上くらい。本当にちょっとですけど。

No.23 8点 電話魔- エド・マクベイン 2019/06/27 13:29
 「四月三十日までに、その二階から立ちのかないと、お前を殺すぞ!」
カルヴァー街にあるラスキン婦人服店は、週に二回、三回とかかってくる執拗な脅迫電話に悩まされていた。87分署のマイヤー刑事は父親の幼馴染デイヴの相談を受け、電話魔事件に取り組むこととなる。飛び火する被害者はラスキンひとりに留まらず、いやがらせ行為の報告は合計二十二軒にもなった。
 そして四月一日、エイプリル・フール。グローヴァー公園で遊んでいた子供たちが、木立の中から素っ裸の男の死体を発見する。身元不明の被害者は近距離から猟銃で胸を撃たれていた。彼の顔写真に反応して署に電話したランダムという男は、事件担当のスティーヴ・キャレラ刑事に、被害者ジョニーの雇い主は〈つんぼ〉だと語る。
 やがて電話魔の攻勢はますます過激化し、被害はデイヴ・ラスキンの二階店に集中しはじめる。次々に届けられる無数の品物。配達伝票に記された注文主の名は「エル・ソルド」。スペイン語で〈つんぼの男〉という意味だった。
 交わりだす二つの事件。果たして電話魔騒動を隠れ蓑に進行する、謎の男〈つんぼ〉の恐るべき計画とは?
 天才犯罪者デフ・マン初登場のシリーズ第12作。1960年発表。以降のデフ・マンものと同じく、この作品でも87分署側の動きに合せて犯罪者チームの動静が、狙いを伏せた上でガッツリ描かれます。
 「赤毛連盟」パターンと見せてその裏をかく犯罪計画も周到なものですが、特筆すべきは陽動作戦の徹底ぶり。仲間の一人が「ここまでやる必要があるのか?」みたいなことを言いますが「賭けは、二百五十万ドルだぜ」「手を引きたいか?」と、〈つんぼ〉は冷ややかに答えます。確率論以前に警察事案じゃないですね。戒厳令でも敷かないと対処できそうにありません。マクベインほどの作家が著名シリーズでこれを書いた効果は大きい。ジェフリー・ディーヴァーなどの現代作家にまで影響を与えてます。
 この完璧な計画が、ホントしょうもない理由で崩れ去るのも見事。事件後のマイヤー・マイヤーのジョークも決まってます。初期シリーズの代表作で、絶対に外せない作品。点数は8点で文句無し。

No.22 6点 10プラス1- エド・マクベイン 2019/05/30 14:48
 弾丸が一つ、さわやかな春の空気のなかを、依怙地に回転しながら黒々とした色で突進してきた。弾丸の当った一瞬、四十五歳の貿易会社副社長アンソニイ・フォレストのすべてが停止し、彼は数歩うしろへよろめいた。ぶつかった若い女が反射的に身をひくと体はあおむけに倒れ、壊れたアコーデオンのように折れくずれた。だが、これは恐るべき銃撃事件のほんの始まりにすぎなかった・・・
 レミントン・三〇八口径ライフル銃を用いた無差別殺人。次々と増え続ける犠牲者たち。現職の地方検事補が殺害されたことにより、事件は八七分署のみならず、アイソラ市警を挙げた総力戦となる。果たして謎の狙撃者の動機とは何か? そして犠牲者たちを繋ぐ糸とは?
 「たとえば、愛」に続く87分署シリーズ第17作。1963年発表。リハビリ編のあとは「警官嫌い」以上に派手な連続射殺事件。ただしピリピリした雰囲気の前回とは異なり「弾丸がどこからかやってきて○○に突きささった」みたいな、どことなくとぼけた描写で死体がどんどん転がります。犠牲者の数も倍以上で、ご丁寧に一日一殺みたいなペースです。
 事件担当のキャレラとマイヤーもマメに被害者周辺を当たりますが、彼らの特徴はバラけていてなんの関連も掴めません。そうこうするうちに最初の被害者の娘シンディ・フォレストが何故かキャレラに熱を上げ、重要な手掛かりを持参して刑事部屋を訪れるのですが、ここでポンコツ街道まっしぐらのバート・クリング刑事と鉢合わせしてしまいます。
 「殺意の楔」の悪夢が蘇り、唐突にホールドアップを始めてしまうクリング君。誤解は解けたもののシンディはぶんむくれ。ど阿呆呼ばわりされて一巻の終わり。もたもたするうちに六番目の被害者まで出てしまいます。なんかえらいこの娘に尺取ってんなと思ったら、クレアの次にクリングの恋人になるのが彼女なんですね。出会いは最悪ですけど。
 とにもかくにも被害者候補は絞られ、別口で殺害された一人を除くターゲットは残り四名。目鼻の付いたこの辺りからサスペンスも高まってきます。最後の襲撃で読者の前にようやく姿を現した犯人と、尾行に回ったマイヤー・マイヤーとのせめぎあいは緊張感アリ。
 ただ内容的にはどうかな。間違いなくシリーズ水準以上の作品ですが、ベスト10には入らないかも。以前、第40作「魔術」の書評で瀬戸川猛資さんのリストを挙げましたが、今なら本書の代わりに39作目の「毒薬」を入れたいな。読んでいくうちにまた変わるかもしれませんが。
 マクベインの既読分を後回しにしてたら、どうやらクリスティ再読さんの後追いになってしまった。この後「電話魔」も控えてるんだよなあ。

No.21 6点 たとえば、愛- エド・マクベイン 2019/05/14 13:32
 巡査に押しつけられたガス・マスクを頭からかぶり、ガラスの破片で足の踏み場もない階段を登りながら、コットン・ホースはかつて人間だったものの残骸の上を歩いている事実に目をつぶろうとしていた。アパートの一室を訪問したセールスマンが、ガス心中の巻き添えを食って爆死したのだ。
 ガス・マスクの曇った眼鏡から見える寝室はまるで手もふれてないみたいで、ベッドの上にはパンツとパンティしか身につけていないふたりの男女が横たわっていた。死因は一酸化炭素中毒。床にはウィスキーの空きビンが二本あり、一本は倒れていた。
 一見何の変哲もない心中と思われたが、トミー・バーロウとアイリーン・セイヤーの二人に自殺の兆候はなにもなく、解剖の結果性交もしておらず、酒も呑んでいない事実が判明する。他にもいくつか不審な点がありスティーヴ・キャレラ刑事は殺人と睨むが、手掛かりが一向に掴めないまま捜査は難航の気配を見せる。
 1962年発表のシリーズ第17作。間の「空白の時」が中編集なので、衝撃の第15作「クレアが死んでいる」の実質次回作に当たる、いわば87分署シリーズリハビリ編。
 前々作での恋人クレア・タウンゼントの死から約半年後、傷の癒えないバート・クリングは順調にポンコツ刑事の道を歩んでおり、刑事部屋の雰囲気も完全に元には戻っていません。そんな中キャレラが、男に振られ飛び降りようとする二十二歳の娘を説得するシーンで物語は幕を開けます。
 説得は見事に失敗し、彼女は十二階下の路上にダイビング。珍しく妻に当たりちらしたキャレラはそのまま塞ぎ込み、「俺刑事やめよかな」などと考えます。
 その後冒頭の事件を挟み、コンビ担当のマイヤー刑事や科研のグロスマン警部と遣り合うキャレラ。ジョークを一つ二つ飛ばすうちに気分も復調し、まあ人生いろいろあらあな、というキモチになってきます。このへんやはり上手いですね。クリングは当分ダメだから、周囲に刺激を与えて徐々に雰囲気を戻していく。フランシスとは異なる長期シリーズならではの心配りを感じさせます。
 悲喜劇的なものも含めて笑い所の多い作品。キャレラは本筋に関係なく二度に渡って八つ当たりで襲撃され、今回は散々。捜査はタイミングを外した形でそのまま進行し、なんとラスト近く、刑事部屋全員による多数決で、未解決事件として本当に処理されてしまいます。

 「主任にこの件をシベリヤ送りにするのに賛成な人は?」だれも手をあげなかった。
 「ぶっこんじまえ」「ぶちこみ」「ぶっこんじまえ。お蔵いりだ」
 これで、みんなの意図や目的はどうあろうと、この事件はおしまいになってしまったのだった。

 本当にここで終わったら凄いんですがまさかそんな筈もなく、恋人との会話からある事実に気付いたホースが、土壇場で某人物にハッタリを掛け大逆転。とはいえやるせない真相に、刑事部屋には寒々とした空気が漂います。息詰まるような緊張感とは無縁ですが、結末も含め結構好きな作品です。

No.20 5点 美女と野獣- エド・マクベイン 2019/05/11 10:19
 海辺で見たその女性は、翌月曜の朝十時十五分すぎにマシュー・ホープのオフィスにやってきた。サバル・キーの北部海岸で人目を奪った、信じがたいほど美しい姿は見る影もなく、黒と青のアザだらけ。サングラスをはずすと、片方の眼のまわりはふくれあがってほとんど眼がふさがっている状態だった。折れた鼻と歯が三本欠けた口で、彼女はミッシェル・ハーパーと名乗った。夫のジョージを逮捕してほしいというのだ。
 「彼は怪物〈モンストル〉です」「本物の怪物ですわ(モンストル・ヴェリタブル)」
ミッシェルに暴行を加えたジョージは、午前二時に家を出たまま帰っていないという。ホープはミッシェルと共に告訴状を提出し、翌朝早く電話をいれると約束する。しかし、結局その電話が掛けられることはなかった。火曜の朝七時に彼女は両手両足を針金のハンガーで縛られ、大量のガソリンをかけられ焼き殺された死体となって発見されたのだ。
 ほどなくして夫のジョージ・N・ハーパーが警察に拘束されるが、彼はホープがこれまで出会ったうちでもっとも巨大で醜い黒人だった。気の進まぬながらも彼は、馴染みのブルーム刑事の勧めでジョージの弁護を請け負うが・・・
 1982年発表のシリーズ第3作。87分署ものの第35作「熱波」と、第36作「凍った街」の間に執筆されたもの。手口も猟奇的で、人間関係も案の定ドロドロ。「傷つけられた子供」が主要モチーフの、本シリーズ全体の流れからすれば異色気味。だからと言ってそれほど面白い構図の作品ではありません。
 凶器のガソリン缶の指紋や目撃者の証言は、全て容疑者ジョージの犯行を示しており、ホープは夫妻それぞれの関係者に聞き込みを行いますが、ジョージの人格を巡る証言は矛盾しその内容はチグハグ。本人に探りを入れても奥歯に挟まったような物言いで、一向にラチが明きません。遂にホープは「ジョージを含むすべての証言者たちが噓をついているのではないか」と思い至るのですが、その矢先に彼は刑務所から脱走し、やがて第二の殺人が――
 原典となる童話との暗合も少なく、これなら次作「ジャックと豆の木」の方が良かったなあ。前作「黄金を紡ぐ女」がたまたま成功しただけかな。7作目の「長靴をはいた猫」が一作飛んだままにしてあるけど、過度に期待しない方が良さそう。

No.19 4点 メアリー、メアリー- エド・マクベイン 2019/03/04 07:37
 「メアリー、メアリー、すごいへそ曲がり。どうしてあなたの庭はよく茂るの? 銀の鈴やら貝殻や、かわいい少女が一列に・・・・・・」
 マザーグースの一節を思わせるショッキングな事件。三十年以上教職に在ったメアリー・バートンは、八月の終わりの数日間に、次々に三人の少女を殺害した罪で起訴されていた。少女たちを連れ歩くメアリーの姿が何人もの人々に目撃されており、裸の死体を埋めている現場を見ていた隣人までいるのだ。事実、メアリーの庭からは一列に埋められた遺体が三体掘り返されていた。
 弁護士マシュー・ホープは彼女の英国時代の教え子、メリッサ・ラウンドズの依頼で弁護を引き受ける。メアリーが丹精込めた庭に生い茂る花々を見て、この女性が三人の少女を殺したとは信じられなかったからだった。
 だが、被告を取り巻く状況は困難を極めていた。ホープはあらゆる法廷テクニックを駆使し、絶対の不利を撥ねかえそうと試みるが・・・
 1992年発表のホープ弁護士もの第10作。このシリーズはリーガルに分類されてますが、たいがい起訴前にひっくり返されており、実際に法廷闘争が描かれるのは今回が初。なんとか踏ん張ろうとしますがいかんせん絶望的な状況で、主人公ホープは悪足掻きしてる感があります。
 そのせいもあってかボリュームは過去最大級。その割にラストは出来過ぎた展開で、ご都合主義というか唐突さは否めません。一応複線は張ってあるといっても、これに感心する人はいないだろうな。
 マクベインですからいつも通りリーダビリティーは高いですが、言ってしまえばそれだけ。事件本体よりも前作「三匹のねずみ」で登場した女性検事補、パトリシア・デミングとの恋愛模様の方がよく出来てました。これまでのところシリーズ最低クラス。10作目にして急速にランク落ちした気がします。

No.18 6点 殺意の楔- エド・マクベイン 2019/01/06 08:17
 十月はじめ、グローヴァー公園があざやかな色彩に燃えたつころ、ジョークで賑わう87分署の刑事部屋に女がそっとはいってきた。蒼白な顔に黒革の手提げカバンをしっかりとかかえた姿は、ちょっと死神のように見える。キャレラ刑事をたずねてきた彼女はミセズ・フランク・ドッジと名乗り、そのまま刑事部屋に居座ろうとした。いぶかしむ刑事たち。だがそんな彼らに、いきなり・三八口径が突きつけられるのだった。さらに彼女は、カバンの中に建物が吹っ飛ぶほどのニトログリセリンの瓶を持っているという。
 その頃スティーヴ・キャレラはハーブ河のへりにしがみついたスコット屋敷で、当主ジェファースンが縊死した事件を捜査していた。それぞれが父親を憎むスコット家の三人息子たち。だが、その現場は完全なる密室状態だった・・・。
 87分署シリーズ第8作。1959年発表ですが、その5年ほど前にジョルジュ・アンリ・クルーゾー監督の仏映画「恐怖の報酬」が公開されています。こちらは油田火災を消し止めるために、ニトロ満載のトラックで南米ベネズエラのジャングルを踏破する話。触発されて「いつか俺もやってやろう」と思ってたんでしょうね。
 いつもとは異なり、ほぼ刑事部屋内に舞台が限定された密室劇。かかってくる電話は親子電話で、全てミセズ・ドッジことヴァージニアに握られた状態。刑事たちは必死に外部と連絡を付けようとするのですが、このへんの描写はかなりねちこいです。
 同時進行のキャレラの捜査も密室事件ですが、鑑識の報告で「鍵はかかってなかった」「にもかかわらず大の男が三人かかっても開けられなかった」と読者には判明しているのでたいしたもんじゃありません。その原因が刑事部屋の状況とダブルミーニングでタイトルに掛かってくるのがミソ。
 シリーズ中の異色作で高評価されてはいますが、読んでみるとメインとなる占拠事件の主役、ヴァージニアのキャラ付けが薄いのが難点。動機付けが希薄で、シチュエーションありきで行動しているという感じが否めません(作品内に「こんなことをしなくても階下でキャレラを待って、うしろから弾丸を撃ちこんでやればいい」という独白アリ)。密室事件はカットして、その分人物像を練ればもっと良い作品になったでしょうね。とは言え標準以上の出来なので、6.5点。

No.17 7点 警官嫌い- エド・マクベイン 2018/12/25 07:29
 十一時四十一分。マイク・リアダンが勤め先の三丁ばかり手前に来ると、弾丸が二発、その後頭部にとびこんで、顔の半分を吹き飛ばして前に抜けた。
 十一時五十六分。この市の別の住人がそれを発見し、警察に電話しにいった。その男と、コンクリートの路上に崩折れているマイクとの違いはただ一つしかない。
 マイク・リアダンは警官だった。
 1956年発表のシリーズ第1作。掴みのうまさ、緩急を付けたストーリー、緻密に構築された舞台設定、適度な間口の広さなど、長期シリーズの出発点としては申し分無い作品。連続殺人の合間に捜査過程、日常業務やハプニング、スティーヴ・キャレラとテディ・フランクリンの初々しい恋などを挟みながら、第三の警官殺し→新聞記者の暴走に始まる詰めのアクション→犯人逮捕→事件解決へと後は一気呵成。キャレラとテディのウエディングで締め括るかと思いきや洒落たエンディングで終幕と、大衆小説の見本として何も言う事はありません。トリックはまあご愛嬌ですが、そこに注目すべき作品では無いですね。
 文章もピチピチしていて生きが良い。これがシリーズ最高傑作とは思いませんが、第一作+十本の指には入る出来の良さで、オールタイムベストに87分署代表作として入れるのに別段の異論なし。
 読み返してみて意外だったのは、最も登場の早い同僚レギュラー刑事がマイヤー・マイヤーでもコットン・ホースでもなくハル・ウィリスだったこと(バーンズ警部と巡査からまだ未昇進のバート・クリングは除く)。てっきり第2作「通り魔」からの登場だと思い込んでました。早合点して申し訳ありません。
 抜きんでた要素はないものの総合力とバランスで7点。フランシス「本命」やスタウト「料理長が多すぎる」などと同タイプの作品です。

No.16 6点 空白の時- エド・マクベイン 2018/11/29 19:17
 熱気のこもる八月の夜、南十一番街の家具つきアパートで女が扼殺された。腐敗が進み、黒人と見紛うばかりの姿で。だが、その女クローディア・デイヴィスは二つの銀行に六万ドル以上もの預金を持っていた。安アパートに住みながら、高額の預金を抱え込む女――この被害者の正体は?
 スティーヴ・キャレラは事件の手掛かりを求め、二ヶ月前にトライアングル湖で起こった彼女のいとこ、ジョシー・トンプソン溺死事件の再調査にあたる――「空白の時」。
 四月一日、エイプリル・フール。教会の裏手でユダヤ教の牧師〈ラビ〉が、イスラエルの色である白と青のペンキに塗れ、めった刺しにされて殺害された。そして教会側の壁には白く「J」の文字が。マイヤー・マイヤーは近隣に住む反ユダヤ運動家を殺人犯と睨むが――「"J"」。
 吹雪に降り込められたロースン山で起きた殺人事件。被害者の女性はリフトに乗った状態のまま、スキーのストックで心臓を突き刺されていた。アイソラを離れ、恋人とスキーを楽しんでいたコットン・ホースは義憤に駆られるが、彼を尻目にまたしても殺人が――「雪山の殺人」。
 87分署シリーズ第16作。といってもホース孤軍奮闘の「雪山の殺人」以外は、驚くほどいつもの長編と変わりません。オチがきちんと付いてるんで、むしろ面白いくらい。
 出来映えはまあ掲載順。「"J"」はダイイング・メッセージよりも、ユダヤ教関連の風俗描写が良い感じです。トリックは表題作に一歩譲りますが、味わいはこれが一番じゃないですかね。ただケメルマンのラビ・シリーズは全然手を付けてないんで、この分野にはあまり詳しくないですが。
 吹雪の山荘ものの「雪山の殺人」は期待したほどでは無かったです。アイソラが舞台としてしっかり構築されてる分、やはり離れると魅力が半減しますね。作品自体が短ければなおさら。
 以上三中編収録。気分転換で短編集やってみたけど、ネタ消費が割に合わなくて一回こっきりで止めたんじゃないかな。どうもそんな気がします。逆に言えば一粒で二度三度美味しい、読者にはお得な一冊です。

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雪さん
ひとこと
ひとに紹介するほどの読書歴ではないです
好きな作家
三原順、久生十蘭、ラフカディオ・ハーン
採点傾向
平均点: 6.24点   採点数: 586件
採点の多い作家(TOP10)
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エド・マクベイン(35)
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