皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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ALFAさん |
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平均点: 6.62点 | 書評数: 200件 |
No.80 | 7点 | 本所深川ふしぎ草紙- 宮部みゆき | 2022/03/23 10:49 |
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七話通して回向院の茂七親分が登場する、ミステリー風味の人情噺。
一話一話の密度はとても高いがミステリー要素は薄いのでこの評点。 お気に入りは第一話「片葉の芦」。しっかりとしたミステリーの骨格で、「情け」の本質を問う味わい深い話。ただしフードロスのくだりはどうも抵抗がある。まして江戸時代ならなおさらだろう。 同じく茂七親分の出る次作短編集「初ものがたり」と合わせて読むと楽しい。 |
No.79 | 7点 | 初ものがたり- 宮部みゆき | 2022/03/23 09:59 |
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六話すべて回向院の茂七親分が活躍する連作短編集。
茂七とその手下の権三や糸吉のキャラが立っている。 時にワトソン役を演じる謎の屋台の親父もなかなかの存在感。最後まで素性が分からないのもいい。 いずれも人情噺の絡むショートミステリーだが、合わせて味わうべきは、新年の藪入りから翌年のしだれ桜まで巡る季節の風物やおいしそうな食べ物の描写だろう。 |
No.78 | 7点 | 山魔の如き嗤うもの- 三津田信三 | 2022/03/21 11:39 |
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前作に比べて文章は格段に読みやすくなっている。
ネタバレします。 数多い目撃証言が、語る人物によってあいまいだったり恣意的だったりするのは当然で、それを裏読みしながら謎を解くのがミステリーの醍醐味だから問題はない。ただ冒頭に置かれた刀城言耶の「はじめに」にアンフェアぎりぎりの記述があるのはあまりにセコいミスリードで好ましくない。 まずは一家消失の大トリックが痛快。これにもダミーの解釈がつくのは楽しい。 一方、真犯人については、お約束の反転そのものは意外性があっていいが、動機が「金鉱狙い」から「個人的仕返し」へと卑小になってしまうのは残念。何より犯行の幇助者(消極的な共犯)を必要とすることで、ミステリーとして弱くなってしまう。 登場人物のキャラ立ちや、メタ部分を含めた反転の衝撃度は前作「首無の如き祟るもの」ほどではないが、読み応えのある長編です。 |
No.77 | 8点 | 幻色江戸ごよみ- 宮部みゆき | 2022/03/15 12:58 |
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表題通り、季節を感じさせる12話からなるノンシリーズ短編集。
ホラーありサスペンスあり、それぞれ30ページほどの短い尺の中に読み応えのある宮部ワールドが構成されている。全体にやや辛口なのがいい。 中でもお気に入りは「だるま猫」と「神無月」。前者は捻りのないのがいっそ痛快なほどストレートなホラー。 後者は犯罪者とそれを追う者がカットバック(交互)で叙述されるサスペンス。緻密な描写がじわじわと緊張感を盛り上げる。あえて落とさないエンディングも実に粋。 |
No.76 | 7点 | あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続- 宮部みゆき | 2022/03/15 09:01 |
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シリーズ第5巻。収められた5話のほとんどが100ページを超える中編なのでボリュームたっぷり。
今回はおちかを取り巻く人間模様が重要になる。第4話の二つの話をきっかけに、おちかは結婚を決意する。似合いの相手だが、もっと前振りがあってもよかった。 百物語の聞き手を引き継ぐ富次郎は粋で優しい男だが、おちかほどの屈託は抱えていないため少し頼りない。おそらく回を重ねるうちに深みを増すのだろう。 それにしても、おちかを想いながら死んだ松太郎をどこかで魂鎮めしておく必要があったのでは?きっと重厚な一話になったはずなのに残念。事始の「家鳴り」だけではいささか中途半端。 第5話「金目の猫」は三島屋の長男伊一郎が弟を相手に語るシンプルな怪異譚。聞き手富次郎の予行演習にもなっている。伊一郎の長男らしいキリっとしたキャラが秀逸。 |
No.75 | 6点 | 薔薇忌- 皆川博子 | 2022/03/10 08:40 |
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舞踏、歌舞伎、大衆演劇など舞台芸術、芸能を設定とした七編からなる幻想短編集。
どれも魅力的なモチーフ、道具立てなのだが、「死」がいささか濫用されている。 死は言うまでもなく人生の最大事で、これを持ち出せば話はドラマチックになるのだが、安易に用いると幻想小説といえどもプロットが歪みかねない。 お気に入りは「化粧坂」。大衆演劇の猥雑さと少年の潔癖さがコントラストをなして面白い。ここでの「死」は自然。 |
No.74 | 8点 | 三鬼 三島屋変調百物語四之続- 宮部みゆき | 2022/03/09 07:57 |
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それぞれが100ページを優に超える中編四話。怖い話、悲しい話の中に愉快な話も取り混ぜて、読み応えは十分。
第四話「おくらさま」ではおちかの身辺にもいろいろ変化があって、そろそろ「黒白の間」を卒業する気配も漂う。 お気に入りは「食客ひだる神」。いつも腹を空かせている「ひだる神」に憑かれてしまった総菜屋の話。この神様、食いしん坊なだけではなくなかなかグルメで、総菜の出来を豆粒で評価してくれる(ミシュランか!!)。おかげで弁当は大ヒット。店は大繁盛だが、やがてたたりが・・・ そのたたり、ロジックが通っているような通っていないような・・・そもそも憑神に重量なんてあるのかな。 それにしても、江戸前の豪華な弁当のおいしそうなこと。作者が楽しみながら書いていることがよくわかる。 ホラーを読んでよだれが出るとは思わなかった。 どこかで発売してくれないかな。宮部みゆき監修「季節の百物語弁当」 |
No.73 | 7点 | ばんば憑き- 宮部みゆき | 2022/03/08 08:05 |
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表題作を含め六編からなるホラー時代物短編集(角川文庫「お文の影」は同内容)。辛口で引き締まった「あやし」や構成美の「三島屋変調百物語」とは一味違うユルさがある。
登場人物、特に子供のキャラが立っていて楽しい。「あんじゅう」と同じキャラも登場するが話のつながりはないので読んでいなくても大丈夫。 お気に入りは第六話「野槌の墓」。よろず頼みごとを引き受ける無役の御家人が主人公。 七歳の娘からいきなり「父さまは、よく化ける猫はお嫌いですか」と問われて面食らう冒頭からして可笑しい。このオープニングは数多い宮部作品の中でもまさに絶品。女の姿で頼みごとを持ち込んだ「よく化ける猫」とのやり取りも妙に脱力していて笑えるし、その「お礼」も心に滲みる。 収まりのいいホラー人情噺。 |
No.72 | 8点 | 開かせていただき光栄です- 皆川博子 | 2022/03/06 17:41 |
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時は18世紀後半。場所がフランスなら「べルサイユのばら」の時代だが、こちらはロンドン。ほとんどの人はイメージがわかないだろうが心配はいらない。綿密な考証といきいきとした描写で、読者を当時の猥雑なロンドンに連れて行ってくれる。
舞台は外科医の解剖教室。おどろおどろしい設定だが、怪異や幻想は出てこない。乾いたユーモアに彩られた本格ミステリーである。ただしょっぱなから死体や解剖シーンがゴロゴロ出てくるから苦手な人はご注意を。 登場人物は多いがそれぞれにキャラがたっている。辛口の青春小説としての趣もあり、特に主要人物二名のドライでダークな心象は心に残る。 作者が好きというクリスティアナ・ブランドばりに、二転三転する真相開示もダイナミック。 クラレンスのエピローグは余計だと思うが続編への布石かな。 それにしても作者、これの発表当時は80歳過ぎ。そのあと続編「アルモニカ・ディアボリカ」、さらに昨年90歳を過ぎて続々編「インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー」を発表されている。この現実のほうが大いなるミステリー。 |
No.71 | 7点 | あんじゅう 三島屋変調百物語事続- 宮部みゆき | 2022/03/02 10:47 |
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連作の第二巻。四編からなる怪異譚の後に三島屋おちかの身辺に起きる事件を描いて登場人物のリアリティを増している。
お気に入りは「逃げ水」。日照りの憑神「お旱(ひでり)さん」に憑かれてしまった少年の話。身の回りの水を涸らしてしまうので嫌われた少年が、それなら水に不自由しない船頭になろうと決心するのが可笑しい。怖くない怪異譚。 表題作「あんじゅう」はあたたかく切ないお話。ただ、きっかけとなる直太朗の身の上話とのつながりが悪く冗長。あんじゅうの話だけにしたほうがまとまりがよかったと思うが・・・ |
No.70 | 7点 | おそろし 三島屋変調百物語事始- 宮部みゆき | 2022/03/02 10:13 |
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連作の「三島屋変調百物語」の第一巻。
お気に入りは第一話「曼殊沙華」。殺人犯を身内に持ってしまった男の複雑な心を描いてホラーというより現代の心理小説の趣がある。緻密で物静かな書き出しは長く続く連作のプロローグにふさわしい。 客を招いて一人一話の怪異譚を聞くことが、語る側と聞く側のセラピー(癒し)にもなることが早くも暗示されている。 第二話「凶宅」と第五話「家鳴り」は続きもの。壮大なエンディングは大交響曲のコーダ(終結部)のようなしつこさで笑える。楽しめる話だが第一話の緻密さとは異質。 |
No.69 | 8点 | 泣き童子 三島屋変調百物語参之続- 宮部みゆき | 2022/02/23 09:30 |
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宮部みゆき、安定の時代物ホラー。
三島屋おちかが客を招いて一人一話の怪異譚を聞くというシリーズもの。 「語って語り捨て。聞いて聞き捨て。」が決まりなので語る者も癒され、聞くおちかの人生観も深まるという趣向。 おちかをめぐる人間模様も楽しめる。 今回は、おちかが怪談語りの寄り合いに招かれて聞く四話を含めて計九話。 お気に入りは「まぐる笛」と「節気顔」。 前者は村に祟りをなす怪異を退治するというよくある話だが、重厚にして壮大。 後者は精緻なロジックがこの世のルールと奇妙にねじれた、現代ホラーらしい構造で面白い。 |
No.68 | 4点 | ある閉ざされた雪の山荘で- 東野圭吾 | 2022/02/21 15:20 |
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ネタばれします。
クローズドサークルを「演じる」という凝ったお話。 謎解きはあるが結果として犯罪はないので好みのミステリーとはいえない。 人物の造形が浅いので心理小説ともいえないし・・・ 叙述トリックを楽しめるかどうかで評価の別れる作品。 |
No.67 | 3点 | 悪意- 東野圭吾 | 2022/02/17 08:46 |
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巧みな構成と簡潔な文体はまるで精密機械のようだ。全文が複数の人物の手記と独白だから、そこに欺瞞があることを前提に読み進める。すると所どころにかすかな違和感が仕掛けられていることに気づく。
そして後半には大きな反転が。ところがこの反転はミステリー的感興をもたらさない。なぜかというと・・・ 以下ネタバレしますよ まず、WHOの反転ではなくWHYつまり動機の反転であること。「所詮こいつが犯人であることに変わりはない!」というわけだ。 もう一点はその動機がより卑小なものになること。 そもそもミステリとは犯罪を楽しむという罪深いエンタテイメントである。楽しむためには「犯人にも一分の理」がなければならない。「理」は金でも色恋でも復讐でもいい。抜き差しならぬ動機があって初めて読者は犯人にも共感しその裁きにも心打たれる。これがエンタメとしてのミステリーだろう。 ところがここでは反転によって、三分ほどあったはずの「理」つまり初めの動機は嘘で、本当はとても卑小な動機であったことが明かされる。さらに最終盤では子供時代の行状や母親の影響まで出てくる。こうなるともはやミステリーではなく「卑小な魂の遍歴」とでもいうべき純文学に変質してしまう。 実はこの作者、別の超有名作でもミステリーから純文学への一種の「はみ出し」がみられる。 それも含めて楽しむか、そこまでは付き合いきれないかは読者次第。私は後者である。 P.S. ミステリーに「いじめ」を持ち込むのはもうやめてほしい。このモチーフはミステリーになじまないと思う。 |
No.66 | 7点 | 時計館の殺人- 綾辻行人 | 2022/02/16 17:32 |
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まずは壮大なトリックを楽しむ作品。仕掛けが過去の因縁とつながっているのもいい。
犯人と動機はオーソドックスで無理はないので丁寧に読んでいけば比較的早くわかる。文体も読みやすい。 ただ、舞台装置が大仕掛けなわりに人物の造形が浅いため、よくできたゲームCGみたいに感じてしまう。 背景やトリックは申し分ないのだから、もっと陰影豊かな人間ドラマを味わいたかった。 本編のエンディングは壮麗なゴシック風味があってとてもいい。 |
No.65 | 9点 | あやし~怪~- 宮部みゆき | 2022/02/15 10:40 |
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イヤーいいなあー
宮部みゆきは時代物が特にいい。妙に生真面目なメッセージ性が目立つ社会派物と違って、時代物はとてもこなれている。深川生まれで代々続く江戸っ子の血だろうか。 9編からなる短編集。タイトル通りいずれもホラー風味だが、話法や構成がそれぞれに違っていて工夫がある。一人称の叙述はやや現代的だが三人称の地の文は纏綿たる江戸情緒。 お気に入りは対照的な鬼二つ、「安達家の鬼」と「時雨の鬼」。「安達家の鬼」はホラー風味の人情噺。ホラーというのはそもそもロジックが通っていなければならない。そのロジックが現世の秩序と断絶したり微妙にずれたりするところが怖いのだ。ここでは見る側の性根にふさわしい姿の「もの」が見えるという点でロジックが通っている。そしてそれが現世の「もの」ではないという断絶が怖い。ホラー風味とはいえ、ほの明るい人情噺になっている。 一方「時雨の鬼」。こちらは心に住む鬼だからホラーではない。サスペンス風味の極辛口の人情噺。モヤっとしたエンディングがよく似合う。 もう一つのお気に入りは「蜆塚」。世間にまれに見かける年を取らないヒト(らしきもの)。こちらがあえて騒ぎ立てない限り何も悪さはしない(はず?)。妙に美人やイケメンで人柄もよさそうなのが可笑しい。気の利いたエンディングなので当方も引用させてもらう「やっぱり、知らん顔しておくのがいいんじゃねぇかな」 |
No.64 | 5点 | 渡された場面- 松本清張 | 2022/02/14 10:41 |
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完全犯罪だったはずが、別の事件と小さなつながりを持ってしまったために破綻するという構成。
倒叙なので清張の心理描写が冴える。地方文壇の人間模様や風景描写も楽しい。それでも若干「木に竹を継いだ」感が残るのは・・・ 以下ネタバレします 二つの事件のをつなぐためにあまりにも多くの偶然や無理を重ねているから。 その1.作家が第二の事件現場を小説の原稿に残すという偶然。 その2.その原稿を全く別の旅先で廃棄するという不自然さ。 その3.素人作家が盗用したわずか6ページの部分が中央の文芸誌で注目され、掲載されるというという不自然さ。 その4.第二の事件の捜査担当者がその文芸誌を目にするという偶然。 並みの作家なら破綻しかねない偶然や無理を、筆の力技で「楽しめるサスペンス」レベルにまで高めているのはさすが。 |
No.63 | 6点 | 火車- 宮部みゆき | 2022/02/12 08:52 |
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話の出し入れといい人物造形といい、達者なストーリーテラーだと改めて思う。このところ本格派の名作をいくつか読んで、大胆なトリックや精妙なプロットのわりに薄っぺらな人物造形や晦渋な(要するにヘタクソな)文章で辟易していたから余計に新鮮。
500ページを超える長編だが、被害者も犯人も表に登場しないままWHO, WHY, HOWダニットが少しずつ水面に現れてくるのがスリリング。犯人は最後の3ページでようやく姿を現す。それも遠景で。 あえての瑕疵を その1.弁護士の長大な演説はいらない。小説において、社会的メッセージは個人の問題として語られてはじめて意味を持つ。選挙演説のようなこの一節は、かえって作品全体のメッセージ性を薄っぺらなものにしている。弁護士は専門的な見地から問題点を語るだけで十分。 思うに作者は「社会派」という看板を背負って奇妙な使命感を持っていたのだろうか。あるいは取材した大物「社会派」弁護士宇都宮健児への義理立てか。 元祖「社会派」松本清張は社会的な問題をあくまで小説のモチーフとして消化したうえで再構成した。結果として社会的なメッセージ性を持ったということだ。「社会性」の扱いを誤ったためにこの作品は早々に古びてしまった。 その2.大阪梅田のスーツを着たサラリーマンは初対面の人間にあんな言葉遣いはしない。あまりにも馴れ馴れしいうえに、上方落語の高座でしか聞けないような言い回しもある。丸の内のサラリーマンが銭形平次の江戸弁をしゃべるようなもの。東野圭吾にアドバイスを受けたそうだが不思議だ。ここは高村薫の監修でも受けておくべきだった。そこまでの関係かどうかは知らないが・・・ その3.この作品に限らず、一部の比喩表現が陳腐。まるで古手のオヤジギャグみたい。 その4. やはり長い。2/3程度でいい。 エンディングはとてもいい。これ以上語るべきことも聞くべきこともないはずだから。 私的な捜査だから逮捕状もないはずだし、この後どうするんだろうというのは余計な心配かな。 |
No.62 | 3点 | 占星術殺人事件- 島田荘司 | 2022/02/10 18:37 |
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実に痛快なトリック。ただこのトリック、私は元ネタ事件の成功をリアルタイムで知っているから妙に腑に落ちるが、それを知らない人にはバカミスととられかねないかな・・・
梅沢平吉の手記と表題で読者を堂々と欺いたあげくの、このトリックがまことに効果的。 ただし魅力はそこまで。文章は冗長だし御手洗と「私」の掛け合いはとってつけたようでぎこちない。もちろんホームズとワトソンが下敷きになっているんだろうけど、日本人同士の会話になっていない。 密室トリックもいささかラフ。 完全改訂版の作者あとがきはなかなか楽しい。 |
No.61 | 8点 | 球形の荒野- 松本清張 | 2022/02/04 10:01 |
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物語は西ノ京の古寺巡礼から始まる。薬師寺から唐招提寺への情景描写はまことに美しい。これもまた清張作品の大きな魅力である。ここでのある出来事で、作者は物語の大まかな構図を見せてしまう。あとの展開は速からず遅からず、清張節を味わいながら長い尺を読み進めることとなる。
「出された茶碗のふちに秋の日が鈍く当たっている。畳の上に一匹、糠のように小さな虫が這っていた。」たった二文で、田舎の雑貨屋の侘しさと訪問者のなんとも落ち着かない心象を描き出している。こういう文章に触れると、いかに巧妙なトリックがあろうと単なるパズルミステリなどは読めなくなってしまうのだ。 (以下ネタバレしますよ) ウィンストン・チャーチルに聞いてみるんだね・・・という外務官僚らしい皮肉が、実は重要な伏線になっている。 第二次大戦末期、スイスを舞台にした日本の終戦工作、いわゆるダレス工作を下敷きにしたこの作品は、一言でいうとミステリーを内包した悲劇である。 で、その悲劇だが、過去にドラマ化された際も「大戦末期、国際政治の渦に巻き込まれた男の悲劇」などとと紹介されているが、果たしてそれで終わるのだろうか。 確かに大戦末期の事情は悲劇的ではある。しかしそれは本人の意思もあってのことだろう。そして今、男には美しく思慮深い妻がいる。パスポートも発行されているのだからおそらくフランス国籍は確保されている。状況が全く変わってしまった今でも、かつての部下は誠実である。それも命の危険をも顧みず。 真に悲劇的なのは元妻の孝子だろう。やむを得ない事情とはいえ結果的には夫に裏切られたことになる。そしてこの物語が閉じたあと、娘夫妻が沈黙を守れば孝子は二重に裏切られることになるし、もし真相を明かせば(おそらくこのほうが可能性は高い)そこから新たな悲劇が始まることになる。 感傷に任せた今回の男の帰国はまことに罪深いといえないだろうか。 孝子が不自由なくゆったりと暮らしているのが救いである。 連載ものにありがちな瑕疵はある。まずは画家の死を何とか着地させてほしかった。あとは徹底抗戦派の残党の「説明」に小さな矛盾があるが探してみてください。 とても読み応えのある構えの大きい作品です。 |