皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2223件 |
No.443 | 5点 | 血染めの鍵- エドガー・ウォーレス | 2018/12/08 13:39 |
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(ネタバレなし)
きわどい噂も囁かれる60歳代の実業家ジェシー・トラスミア。彼は以前の仕事仲間らしい男ウェリントン・ブラウンの来訪を警戒していた。そんなトラスミアが自分の屋敷内の特別仕様の密室内で殺される。トラスミアの甥で「ベイブ」ことレックス・パーシヴァル・ランダーと友人である、新聞紙「メガフォン」の青年記者「タブ」ことサマーズ・ホランド。彼は事件を独自に追うが、やがて事態はタブの思い人である美人女優ウルスラ・アードファージにも関わってきた。 1923年のイギリス作品。もちろん2018年の論創社の新訳で読了。 密室殺人から連続殺人事件へと波及するフーダニットの要素もあるが、純粋な謎解きというよりは劇中人物の動的なドラマで読者の興味を繋ぐ長編スリラーの趣も強い。どうせダミーだろうとわかってる関係者の追っかけに延々と付き合わされる中盤はややたるいが、後半、ある主要キャラの意外な過去がわかってからはちょっと面白くなる。 肝心の密室トリックは21世紀の今となっては手垢のついたものだが、横井司氏の詳細な解説(今回はとても読み応えがある)によると本作が嚆矢かもしれないらしい? ちなみに横井氏は密室を作る理由の必然性がちゃんと語られていることを相応に評価されているようだが、個人的にはそれほど騒ぐほどのこともない。 あえて謎解きミステリとして読むならば、某主要キャラが事件の深部に関わるかなり重要な事実をなぜか秘匿しておいたことが終盤に判明し、この辺はちょっとアレである。犯人の意外性も(中略)。ただし娯楽読みもののストーリーとしてはラストの方でなかなか際だった趣向があり、そういえばウォーレスって<あの作品>の作者でもあるんだよな、とハタと膝を打つ。その辺はまあ本作の魅力といえる。大正時代の海外ミステリとしては佳作クラスか。 ちなみにトラスミアの隣家の主人で、ノリの良いサブキャラのストット氏はなかなか魅力的な人物造形だった。こういうキャラクターを自然にビビッドに描けたのが、たぶんウォーレスの当時の人気の秘訣のひとつであろう。 ■余談:クラシック発掘という意味では本当に感謝甚大の論創海外ミステリだが、かねてより編集レベルは必ずしもそれに見合ったものではない。 今回も助詞レベルで何カ所か脱字があるほか、259ページ目の12行目でAという人物がBという相手に電話をかけようとしている場面なのに、いつのまにかBの方が受話器を握っている地の文になっている。もっとマジメに校閲してほしい。 |
No.442 | 6点 | マラソン・マン- ウィリアム・ゴールドマン | 2018/12/07 01:44 |
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(ネタバレなし)
オクスフォード大学を卒業し、現在はコロンビア大学の大学院で社会歴史学を探求する25歳の青年「ベーブ」こと、トーマス・バピントン・リーヴィ。彼は学者として大成すると同時に、好きなマラソンでも優れた成果を上げることを目標とする。そんなベーブには、赤狩りの時代に同じ分野の学者だった父が汚名を着せられ、自殺に追い込まれた悲劇の過去があった。異性関係はとぼしいベーブだが、ある日、図書館で美人看護師のエルザ・オペルと対面。二人は関係を深めていく。その頃、アメリカの某所では、秘密機関の謎の工作員「シラ」が血臭漂う闘争を続けていた。 1974年のアメリカ作品。ダスティン・ホフマン主演の映画版で一般には有名な作品だが、評者はそちらはまだ未見。原作の方は今回、思い立って数十年ぶりの再読となる。 実は(中略)というキャラクターの配置や、中盤から明らかになる(中略)などの大ネタ、それにクロージングの感触などはさすがにしっかり覚えていたが、読み直してみると、あれ、こんな話だっけ? という部分も相応に多かった。 物語の前半、主人公ベーブの叙述と並行して、もう一人の主人公格といえる暗殺者だか工作員だかの荒事師シラの描写が断続。さらに別の場面に転換してまた違うキャラクターの動きも挿入される。全体の構造が見えないながら、やがてこれらの物語のパーツがまとまっていくんだろうなという牽引力は確実にあり、そこらへんはまあ良く出来ている。実際、面白い。 ただまあ再読して思ったのは、良くも悪くも半ば以降の物語というか事件の構造が存外なまでにシンプルなことで、ここまで曲のないストーリーだったのか、と虚を突かれた。 もちろん小説の細部としては、そこだけが特化して有名になってしまった(中略)による拷問シーンや、実在の名ランナーたちのイメージに導かれながらベーブが市街を疾走する場面、さらに序盤から登場の脇役の気の利いた活躍など、いくつかの印象に残るポイントはある。が、軸の部分の簡素さは……まあ、こういう作品だったんだよなあ、という感じであった。結局、物語の後半は大きなツイストで勝負に出る作品ではなかった、ということだから、それ自体に文句を言うのは不適かもしれないが。 あと、改めて読むと、主人公ベーブの後半の戦いの動機がいまひとつ染みてこない。家族との絆、自身の怒り、あまりに多くの人命を軽んじた巨敵への義憤、それらもろもろの情念がないまぜになった反撃なのはわかるのだが、ラスボスに向けての物言いなど、きいたふうなセリフがかえって興を削ぐ。個人的にはウィリアム・ディールの『27』のクライマックスのような、主人公のどうにもやり場のない憎悪、強烈な復讐の念の向こうに、裾野の広い義憤が見えてくる、あんな種類の感覚をここでも味わいたかった。 まあ素で読めば悪くない一冊なんだけどね。昔読んだ際の好感触が、記憶の思い入れのなかで膨れ上がりすぎたところはある。 |
No.441 | 4点 | 無事に返してほしければ- 白河三兎 | 2018/11/29 12:33 |
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(ネタバレなし)
レストランのオーナーシェフである日野拓真は、二年前に巻き込まれた水難事故で当時6歳の息子・啓太を失った。啓太の死体は見つからず、拓真の妻、令子は平常心を失いながら今も息子の生存を信じていた。そんな中、何者かから、現在の啓太を預かっていると、身代金要求の電話がかかってくる。 いくつかの仕掛けを設けた誘拐もの。評者は白河作品は2014年の『総理大臣暗殺クラブ』以降はリアルタイムで読んでいて、その中には同作『総理大臣~』や『小人の巣』『ふたえ』『他に好きな人がいるから』などの傑作・秀作も多かった。いま名前を挙げた作品はどれも大好き&好印象である。 そんなこれまで読んできた諸作は、切なさときわどさの向こうに独特の情感が潜む青春ミステリ(&ヒューマンドラマ)が基調で、今回はそれとはちょっと違う感じだった(本作でもそれらの先行作群に通じる部分はあるのだが)。 だけれど、う~ん……。 作品全体のある種の構造を含めて、複数の工夫を盛り込んであるのはよくわかるのだが、全般的にこなれの悪さが気になる出来である。第二章の(中略)を誘導するメイントリックは警察の鑑識レベルなら不審をもたれるのでは? という印象だし、第四章のギミックも最初から違和感バリバリでネタが見え見えでしょう。森田拳次の『丸出だめ夫』みたいな地口ギャグの世界か。 特に「これはちょっと……」と思ったのは、読者をひっかけるために作者が悪い意味で神の視点に立っちゃった叙述で、結局、第四章の……(後略)。 最終部分のクロージングも、こうしたかったんだろうなあ、という狙いは理解できるつもりだけれど……すまん、今回はいろいろと気になる部分がありすぎて、もうひとつ心に響いてこない。 また次回作に期待します。 |
No.440 | 6点 | 怪盗ニック全仕事(5)- エドワード・D・ホック | 2018/11/28 03:44 |
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(ネタバレなし)
本シリーズは1、2巻は既読も多いので後回しにして、第3巻から読んでる。 以下は本書第5巻に収録の全14話、その各編について簡単に寸評&メモ書き。 「クリスマス・ストッキングを盗め」 ……伏線の張り方と意外な真相の向こうのキャラクタードラマとあわせて、まとまりの良い一編。本シリーズのスタンダード編的な面白さを感じる。 「マネキン人形のウィッグを盗め」 ……話の広がり方は印象的だが、依頼人がニックに盗みを願い出た理由は少し強引な気が。 「ビンゴ・カードを盗め」 ……図版入りの一編。依頼人の盗みの動機は(ホックの創意的に)安易だが、ビンゴゲームについての知識(トリヴィア)の面では、お勉強になる話。 「レオポルド警部のバッジを盗め」 ……クロスオーバーのイベント(ファンサービス)編。巻末で訳者が語るとおり全46ページと本書の中でも長めの一本だが、趣向の楽しさもあって、あっという間に読了する。 「幸運の葉巻を盗め」 ……これも盗みの動機はちょっと……だが、謎解き作品としてのごくさりげない手がかりは、良い意味でホックらしい。ゲストヒロインのエンバーがなかなか魅力的。最終巻に収録されるエピソードで再登場しないかと期待。 「吠える牧羊犬を盗め」 ……盗みの動機は、とても納得できるもの。しかしそれだけに、先が読めてしまうのが難。ただしソレだけでは終らないよう、もうひとつサプライズを用意しているのはさすが。 「サンタの付けひげを盗め」 ……ゲストキャラの関わり合いが印象的な一編。本書のなかでも良く出来ている一本だろう。 「禿げた男の櫛を盗め」 ……ローカル色満開の一編。濃いめの人間関係のなかでのミステリ&キャラクタードラマが読む側に腹応えを感じさせる。 「消印を押した切手を盗め」 ……序盤からニック以上に主役っぽいゲストキャラが、出てくる話。シリーズのなかでちょっと変化球っぽいことをしてみたかったホックの気分がうかがえる。ダイイングメッセージの真相は、う~む。なんというか。 「二十九分の時間を盗め」 ……以前のゲストキャラ再登場編。派手な活劇要素と謎解きの興味の組み合わせはなかなかだが、(中略)の細工は、初めて手にする種類のものもあるんだし、いくらなんでも、その数をその時間内ではムリでしょ。 「蛇使いの籠を盗め」 ……序盤がサンドラの視点で始まり、彼女のピンチにニックが助っ人に来る回。いろいろとぶっとんだ話で、良くも悪くも記憶に残る。 「細工された選挙ポスターを盗め」 ……盗みを依頼する事情の向こうに事件の謎解きが潜む正統派の一編。ただこれも、高いお金を払ってニックに盗ませなくても……と、疑問が浮かぶ種類の一編でもある。 「錆びた金属栞を盗め」 ……全体的にシンプルな話。これこそ、ニックの盗みがそもそも必要だったのか? と思える点では、本書の中でも随一かもしれない。 「偽の怪盗ニックを盗め」 ……真犯人は登場人物の少なさもあって見え見えだが、最後に明かされる意外な動機にはちょっとオドロキ。伏線の張り方は、ああ、ホックらしいな、という感慨でいっぱい。 今回は平均すれば安定した一冊で、その中にいくつかチェンジアップの変化球が混じった感じ。本シリーズは次回で完結だそうだが、まだまだ創元でのホックのシリーズ短編集企画はきっと続くであろう。(というか、是非やってほしい。) 本命はレオポルドもの。対抗でランドだよね。 |
No.439 | 5点 | キー・クラブ- カーター・ブラウン | 2018/11/26 13:41 |
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(ネタバレなし)
「おれ」ことハリウッドの私立探偵リック・ホルマンは、実業家カーター・スタントンの依頼を受ける。スタントンは「プレイボーイ」の亜流雑誌「サルタン・マガジン」の発行と、その関連企画の男性専用クラブ「ハーレム・クラブ」の経営で一山当てた男だ。だがそのスタントンの自宅の中に「お前はひと月内に死ぬ」という死の予告状が、何者かの手によって二回も置かれていた。調査を始めたホルマンは、スタントンの周囲の人間たちを洗うが、やがてクラブの女性コンパニオン「天女」の一人だった娘シャーリー・セバスチアンが、馘首されたのちに自殺していたという事実が浮かび上がってくる。 原書(英語版?)は1962年の作品。アル・ウィーラー、ダニー・ボイドに続く三人目のカーター・ブラウンのレギュラー男性ヒーロー、リック・ホルマンものの第二弾。当初ポケミスでは本作が、原書でのシリーズ第一作として紹介されたが、実際にはホルマンものの別長編『ゼルダ』の方が先らしい(最近のwebなどのデータベースが正しければ)。 ちなみに『ゼルダ』は膨大な数のポケミスの中でも<ある理由>ゆえに稀少なトンデモナイ一冊である。その理由はここでは書く訳にはいかないので、興味あったら自分で読んで呆れてください。しばらく前に読んだ時は、最後まで目を通してもう一度冒頭からページをめくって、ポカーンとなった。 評者は大昔にアル・ウィーラーもの、ダニー・ボイドものはほとんど読んじゃって(といっても大方の作品の内容は忘れているが)、ほとんど手つかずの翻訳がある長めのシリーズはこのホルマンものくらい(メイヴィス・セドリッツものは半分くらい消化?)だが、なんか本シリーズは先の二系列(ウィーラー&ボイド)と雰囲気が違う。いやウン十年前の記憶と比較してもアテにならないが、もうちょっとお遊びやお笑い要素が薄めの、フツーの軽ハードボイルドというか。たぶんウィーラーのアナベル・ジャクスンとか、ボイドのフラン嬢とかのレギュラーヒロインがいないせいもあるだろう。(といいつつ本作も、ホルマンが事件の最中に急にパンティを落とした女性に遭遇し、エロコメディ風になるくだりもあるが。) 本書はミステリ的にはそんなに奥行きのある謎解きじゃないけれど(それでも真相の反転劇などは用意されている)、成り上がり者のスタントンに対して微妙な歩幅を保つホルマンの描写とか、同じくホルマンと暗黒街の大物との駆け引き(災禍に遭いそうな女性を守るため)とか、きちんとハードボイルド私立探偵ミステリとしての描写も守られていて、その辺はいい。お笑いコメディハードボイルドというよりは、まっとうな、B級の私立探偵小説っぽい。 ただし矢野徹の訳文は丁寧すぎて、ホルマンのワイズクラックをイマイチこなれの良いギャグにできてなかったね。二回読み返して、ああ、そういう意味ね、というジョークがいくつかあった。カーター・ブラウンの訳者なら田中小実昌か山下諭一が基本、というのは、大方の世代人ファンの一致するところだと思うけれど、こないだ読んだ『雷神』とか、他の人の翻訳でそんなに悪くないのもあるし。その辺は柔軟に読んでいきたい。読み返していきたい。 |
No.438 | 7点 | 鵺の鳴く夜が明けるまで- door | 2018/11/24 10:23 |
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(ネタバレなし)
本サイトでのお二方のレビューを読んで手に取ったが、いや、とても面白かった。ラノベ仕様の読みやすさが作品の風格を損ねている面もあるが、中味そのものは直球の技巧派・謎解き・フーダニットパズラーである。 真相を知ってからいくつかの気になる箇所を見返したが、なるほど……巧妙にそのへんは(中略)。これ以上は書きません。 感じ入ったのは、あの林泰広の『見えない精霊』をも思わせる、作品全体を築き上げた工芸・結晶的なミステリ愛。これって都筑道夫が『黄色い部屋はいかに改装されたか』で述べた、「(中略)は先例があるものでも、手のかけ方をみてくれ」というモダーンディテクティブ論の実践だろう。 まあ、某十戒とかを作中で話題にする、というかこだわるあたりの感覚の古さ(これは解決には関係ない)はナンだけど、もしかすると本当はもっと作者はあれこれミステリマニア的な蘊蓄を盛り込みたかったところ、あえて読者目線の意識でセーブして、その辺がすべってしまった感じもしないでもない。 主人公のヒロインが<推理小説の初版本>という記号的な言葉に喜ぶのもオタクの描写としてヘンだよねえ。(たとえばこれが『獄門島』の初版とか『刺青殺人事件』の初版とか、英米の『緋色の研究』の揃いとか、具体的な作品の元版・初版をあげるのならまだわかるのだが。) いずれにしろ、こんな力作を書いて世の中の反応が薄い(本サイトで先にレビューされたお二人はさすがである)んじゃ、作者ももう二冊目はなかなか書かないだろうなあ。こっちの勝手な予想が裏切られてくれればいいけど。 ※2019年4月21日追記:自分が最初にレビューを書いた時点ではメルカトルさんの他に確かだれかもうひとりレビューを投稿されてた人がいたんだけど、その後、何らかの事由で削除されてしまったようです。今後本作のレビューを続けて読まれた人がいたとして、このレビューの文章の記述に違和感が生じるかも? と思われるのでその旨、補足しておきます。 |
No.437 | 7点 | 骨と髪- レオ・ブルース | 2018/11/23 19:41 |
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(ネタバレなし)
マクロイの『月明かりの男』を思わせる<目撃者の証言ごとに食い違う、該当人物の姿>という謎。そのケレン味で読ませる一冊。一方で大きな事件がなかなか起きない分、やや緩慢な感触もあるが、愛すべき変人や妙にいい人とかが続々と登場してきて、読み手を飽きさせない小説作りのうまさは感じる。 事件の解明のために自宅に押しかけてきたキャロラス・ディーンに戦死した息子の面影を見て、捜査に協力してくれるハムベル老夫妻。名探偵を脇から支える市井のゲストキャラとして、とても味わい深い描写である。 人をくった事件の真相というか大ネタは、19世紀末の某名作短編作品にインスパイアされて、それを膨らませたという感じもするけれど、別のアイデアとの組み合わせでなかなか面白く見せている。 キャロラス・ディーンものって、まだまだ未訳がいっぱいあるんだよね。どんどん紹介してほしい。 |
No.436 | 7点 | 華麗なる門出- アラン・シリトー | 2018/11/22 17:13 |
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(ネタバレなし)
1960年代の英国ビーストン地方。「ぼく」こと私生児マイケル・カレンは、母と祖父母に養育された。マイケルは十代の内から不動産関係の職につくが、旧友の彼女を寝取り、さらには会社の利益を横領した。やがて悪事が発覚して故郷を出たマイケルは、旅先でさまざまな人に出会いながらロンドンに到着。少しずつ裏の世界への道を歩み始める。 1970年代の英国作品。『長距離走者の孤独』の作者シリトーによる(広義の)ミステリ作品=悪漢小説(ピカレスク)というwebでの噂を聞いて興味が湧き、読んでみた。 主人公マイケルの幼少期を語る心情吐露が長々と続く序盤はちょっとだけかったるいが、最初のヒロイン格となる少女クローディーンが登場する20ページあたりからハイテンポかつ扇情的に物語も叙述も弾みはじめ、あとは上下巻あわせて500ページ弱をほぼ一気読みである。シリトーの作品を読むのはこれが初めてだが、本作は著作のなかでも読みやすく面白いとの評判で、うん、納得。 小説の構造は ①マイケル自身の境遇の流転 ②マイケルが道中やロンドンで出合った人たちぞれぞれの、問わず語りの人間ドラマ ③マイケルをふくむ主要キャラたち同士の(かなり偶然も多用された)からみ合い の三要素で構成され、特に②のファクターが、本作の個性を打ち出すくらい比重が大きい。この種の叙述部分が随時始まると主人公マイケルは狂言回しにまわり、入れ子的な構造のアンソロジードラマに切り替わるような趣がある。ただ、それらの逸話はそれぞれエキセントリックなものであり、さらにその多くが奔放なセックス描写のおおらかさで彩られているので、まったく退屈はしない。小説を読む醍醐味を感じさせてくれる。 それでミステリ的にはというと、終盤にちゃんと相応にノワール的な展開に深く入り込み、登場人物同士の良い面・闇の部分、それらこもごもの思惑が縦横に交錯する。苛烈な内容ながら、それでもどっか小説の基調には人を食ったのほほんとした味わいがあり、これが結局は作品総体の魅力になっている。 訳者の河野一郎の言うように先駆の古典文学へのオマージュなども読み取れるだろうし、ほかのシリトー作品を読み込めばさらに見えてくるものもあるだろうが、とりあえず一編のピカレスクミステリとして読んで、十分に楽しかった。 原書では、しばらくしてから執筆された未訳の続編があるみたいだけど、それもできたら読んでみたい。 |
No.435 | 6点 | キラーバード、急襲- ウィリアム・ベイヤー | 2018/11/21 02:02 |
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(ネタバレなし)
人気不振で進退を問われる、ニューヨークのテレビ局CBSの女性レポーター、パム・バレット(30歳)。そんな彼女はその日の取材先のアイスリンクで、ひとりの女性スケーターが天空から急降下してきた猛禽類に喉笛を裂かれる現場を偶然目撃した。居合わせた観光客がたまたま撮影した衝撃映像を買い取ったパムは、この事件の報道で一躍大人気キャスターとなる。かたや、猛禽類=通常より大きめのハヤブサを操る謎の鷹匠の殺人者は、自らを「ハヤブサ」と称して犯行声明をCBSに送り、さらなる凶行を繰り返す。騒然となる人々を横目にニューヨーク市警のフランク・ジャネック警部補(54歳)は謎の殺人鬼「ハヤブサ」を追うが、一方CBSのスタッフは、日本から練達の鷹匠ナカムラ・ヨシロウそして彼の愛鳥のクマタカを招聘。「ハヤブサ」に挑戦状を突きつけ、摩天楼上空での二羽の猛禽類の対決をお膳立てするが……。 1981年のアメリカ作品。MWA最優秀長編賞受賞作品。日本版ハードカバー表紙のハヤブサがあまりに巨大なイメージすぎて、作中でも実際にラドンみたいな大怪獣が登場するかと思ったとは、邦訳刊行当時のミステリマガジンでの、たしか瀬戸川猛資の弁。実はオレも初見でそういうのを期待しちゃったけれど、実際の作中でのハヤブサの設定サイズは、二フィート~二フィート半である。まあそれでも通常のハヤブサより(とある出自ゆえに)かなり大きめで、そんなのが高速で自覚的に人間を標的に急降下してきたら、たしかにものすごく怖い。 断続・突発的に出現して人間を奇襲するモンスターアニマルパニックというのは、ベンチリーの『ジョーズ』の影響が見て取れるし、実際にその『ジョーズ』の翻訳者・平尾圭吾が本作の翻訳も担当。くだんの平尾も訳者あとがきで同意のことを言っている。 ただしこちらのハヤブサの背後には先輩のホオジロザメと違って、劇場型犯罪を楽しむ人間の悪意と狂気があり、そんな相手に挑んでいくジャネック警部補を主軸とした正統派警察小説としての興味も大きい。さらには高層ビル街に押し込められた人間社会を鳥の檻に見立てる都市文化論の観念も文中に紛れこまされ、要はいかにも80年代らしい、ジャンル越境のネオ・エンターテインメント小説(といいつつ、もう「ネオ・エンターテインメント」って、半ば死語かもしれんな)。 本家『ジョーズ』を思わせる、ヒロインの妙にねちっこくいやらしいセックス描写を含めて、全体的に面白かったし、特に中盤のハヤブサ対クマタカの一大イベントのあたりは『キングコング対ゴジラ』的な高揚感でめちゃくちゃ楽しかった。ただし一般的な意味でのミステリとしては、もうちょっと工夫が……の欲目がなくもない。いや殺人鬼「ハヤブサ」の正体は読者にはかなり早めに明かされるのだが、その当人がなかなか捜査線上にカスリもしないのがどうにも不自然で。ここはフツーに一度嫌疑をかけられながら、しかるべき理屈で容疑から外されるとかの、ムリのない流れは欲しかった。その辺がちょっと腑に落ちないので、評点は少し減点。 それと最後のオチは、長谷川町子先生の『いじわるばあさん』のある一編を思い出した(笑)。本書を既読で『いじわる~』も全部目を通しているという奇特な御方、いつかいっしょに酒でも呑みながら、この辺のネタについて話しましょう(笑)。 ちなみに本書でデビューらしいジャネック警部補はその後も、作者のレギュラーキャラとして活躍。シリーズの邦訳も数冊出たみたいなので、おいおい読んでいこう。 |
No.434 | 6点 | 殺人者はオーロラを見た- 西村京太郎 | 2018/11/18 20:21 |
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(ネタバレなし)
沖縄出身という触れ込みの若手人気歌手・南田ユキが自宅で絞殺され、その胸には銀色の矢が刺さっていた。ユキの本名は野板志摩子、実際には北海道のアイヌの出自であった。捜査本部には犯行声明と思われるアイヌのユーカリの詩が届き、さらに新たな殺人事件が発生する。志摩子の元恩師で民族&民俗学を研究する城西大学の助教授・若杉徹は、捜査一課の吉川刑事の要請で事件の捜査に協力。やがて真犯人と思しきアイヌの若者が捜査線上に浮かぶが、彼には二重の鉄壁のアリバイがあった。 1973年にサンケイ出版のサンケイ・ノベルスの一冊として刊行された作品。当人がアイヌと本州の人間のハーフであるアマチュア探偵、若杉徹を主人公にした連作二部作の二冊目である(シリーズ第一作は、同じ叢書から72年に刊行された『ハイビスカス殺人事件』)。 フーダニットの興味はほぼ切り捨てて、その分、完全なアリバイ崩しに絞った内容で、趣向の違う二つの中規模の不可能犯罪トリックが用意されている。探偵VS当人なりの主張と正義を備えた犯人との対決という構図だけにえらくメッセージ性の強い作品で、初期の社会派パズラー路線を打ち出していた西村京太郎のひとつの成果という感じさえする(まだそんなにしっかり初期の西村作品を大系的に読んではいないけど~汗~)。 探偵役の若杉は32~33歳の体格の良い青年学者。アイヌの民族問題に向かい合い、事件のなかで自分の考えを見定めつつ突き進んでいくキャラクターはなかなか魅力的だが、この作品のなかで、事件の真実を暴く通常の名探偵以上の立ち位置まで獲得してしまう(謎解きミステリ的な意味で犯人になったり、共犯関係になったりするのでは決してない)。確かにここでキャラクターを燃焼させきった感もあり、シリーズはもうこれ以上続けにくかったであろう(とはいいながら、その後どっかの西村京太郎作品ワールドで彼が再登場していたらウレシイけれど。たとえば十津川ものなどにちょっとだけカメオ出演とか)。佳作~秀作。 |
No.433 | 5点 | 探偵は教室にいない- 川澄浩平 | 2018/11/18 13:26 |
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(ネタバレなし)
昨年の激震作を受けた今年の(第28回)鮎川哲也賞受賞作。 AmazonのレビューやTwitterでほぼ好評であるが、個人的にはもうひとつ。 第1話の謎からして、真相も、ここが伏線だなという箇所も見え見えで、これでだいぶ印象がよろしくなくなった(悪くなった、とまでは言いたくないが)。 残る3編もごくフツーの「日常の謎」もの……なら、まだ良いのだが、第3話の相合傘の謎、久方ぶりにミステリにおける読者に向ける謎の求心力の意義みたいなものを考えたくなったほどである。こんなのは、相手がちょっと遠出しかける最中の妹ではとか、従姉妹のお姉さんではとか、まずはベタな仮想をするところから始めるべきではないか。そういう手順を踏んでないものだから、作中人物が騒ぐ事態に説得力がない。いまどきの若い子は悪い意味で繊細で敏感なのね、ってオッサンは思うばかり。 最後の話のクロージングはまあ良かった……ように見えたが、実はこれって、単にヒロインの父親がアレだっただけだろう。ヒロインは極端な行動をする前に、一二回は自分の親に向かって「彼はこういう人間だ」という、読者と共有する情報にもとづく、もっと具体的な説得・説明を試みるべきではないか。主人公たちの未熟さを棚に上げて、いい話風にまとめられても困る。おかげで最後、男子主人公がいきなりエラくなってしまったような戸惑いまで覚えた。そういう効果はもちろん作者の本意ではないんだよね? ここまでアレコレ言っておけば、たぶん次の人が逆張りで良いところを語ってくれるであろう(笑)。もしかしたら素で読んでいれば、あるいは誰も誉めない内に出合っていたらもっとスキになれていた一冊かもしれないとも思うけれどね。世の中全般の本作への好評ぶりがどうも釈然としないので(一部には謎とかが「薄い」と真っ当なことを言う人もいるようだが)、現状ではこの感想。 |
No.432 | 5点 | レディ・キラー- エリザベス・ホールディング | 2018/11/17 16:34 |
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(ネタバレなし)
独身時代は美人ファッションモデルだった23歳のハニイは、七ヶ月前に51歳の富豪ウィーヴァー・ステプルトンと結婚した。それは安定した裕福な人生を求めての結婚だったが、ハニイはちゃんと夫に尽くす良妻になるつもりでいた。だが結婚前はひとかどの紳士に思えた夫は、実は友人もなく、さらに金を妻に渡したり彼女のために散財することでしか愛情表現のできない無器用すぎる人間で、ハニイの心は冷えかけていた。そんな夫妻は各国を回る長期の船旅に出るが、船上でハニイは化粧品業界で成功した女性実業家アルマと、彼女の新婚の夫である美青年ヒラリー・ラシェル大尉と知り合う。やがて間もなくハニイは、ヒラリーから妻アルマへの秘めた殺意を認めるが……。 1942年のアメリカ作品。有名なサンドーの名作表にも挙げられている長編だが、邦訳は創元の「世界推理小説全集」の一冊として刊行されたのみ。それ以降は創元文庫にもなっていない不遇の一作。 自宅の書庫から未読の積ん読本が出てきたので、どんなのかなと、このたび読んでみた。 わずかなきっかけから青年ヒラリーに疑心を抱いたハニイが、その思いを周囲の者と共有しようと試みても相手なりの思惑でかわされたり、信じて貰えなかったりする丁寧な叙述は、まあ悪くない。なんだかんだ言っても本当は一番頼りにしたい夫のウィーヴァーとも、どうも会話ややりとりがスレ違い、ハニイの焦燥が高まっていく。そんな流れも王道を踏んでいる。 やがて船内で殺人事件が起きる? が、その直後に死体? が消失。ハニイをふくむ船上の乗客や乗員がさらにややこしい状況になっていくのも、良い感じの筋運びだろう。 あと、女丈夫で敵を作りやすそうな年上の女アルマにある種の憐憫を覚えたハニイ(小説中にははっきり書かれないが、ハニイ当人は、きっとそういう己の余裕のある心情に優越感を覚えているのであろう)と、夫ウィーヴァーとの会話(本文P96) 「お前がどうして彼女と親しくするのか、わしには理解できない」 「あのひとは――ひとりぼっちなんですもの」 「そうでないものがいるのかね?」と彼は言った。「いったい、だれがひとりぼっちでないというのか?」 が、とても印象的だが、本書の大きな主題のひとつはハニイのみならず、夫ウィーヴァーやその他の登場人物が抱える現代人の孤独の念であり、それを浮き彫りにするためにこのミステリ作品そのものもあるように思える。 そう考えるとラストのある種のかぎりなく冷徹な決着も、ストンと了解できるものとなる。 ちなみに本書の解説で中島河太郎は、ミステリの意外性としては弱い云々の主旨の感想を述べ、webのミステリファンのサイトなどでも同様の所感を拝見したが、個人的には最後の思わぬ真相になかなかうっちゃられた感じであった(ギリギリのページ数まで事件の底が割れない展開はけっこうスキ)。 そのあとに続くのが、前述の少し苦めの、二重の結末だとしたらこれは悪くない。 ただね、中盤で殺人? 事件が起きるまでが全般的に地味で起伏にとぼしいのが難。各章の最後とかがもう少しクリフハンガー的な盛り上げを図っていたらなー、同じプロットでも、あと数割は面白くなったと思う。嫌いになれない作品ですが。 |
No.431 | 7点 | 海底のUボート基地- ハモンド・イネス | 2018/11/16 15:21 |
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(ネタバレなし)
1939年の8月半ば。「私」こと、ロンドンの新聞「デーリー・レコーダー」の記者ウォルター・クレイグは、休暇でコーンウォール地方の閑寂な漁村キャッジウィズに滞在中だった。そこに突然ラジオから、独ソ不可侵条約締結のニュースが流れる。今後の国際状勢に不安を感じるクレイグだが、そんな彼は土地の40絡みの巨漢で結構インテリの漁師「ビッグ」・ローガンと友人になる。洋上で釣りを楽しむ彼らは、海中の巨大な何物かに接触。一旦はその正体は鮫かとも思うものの、土地の周辺に不審な人物が現れたことと含めて、ローガンはあれが秘密活動をしていたドイツの潜水艦ではと疑いを抱いた。半信半疑の地元の沿岸警備隊に協力を仰ぎながら、ふたたび二人だけでその周辺の海域に向かうクレイグとローガン。だが二人は敵の捕虜となってしまう。 1940年の英国作品。作者ハモンド・イネスの第五長編で、2018年現在、邦訳された長編のなかでは最古の作品。ほぼ60年の長き(!)にわたって活躍した英国冒険小説界の大巨匠イネスだが、メインストリームといえる作品のイメージは、さまざまな事情や謀略を背景にした人間と大自然との相克劇。その意味では本当にぶれない作家だったが、初期には本作のような英国に秘密潜水艦基地を作ったドイツ海軍に挑む、対人間、対国家のアマチュア主人公の冒険小説も書いていた。ただし敵の基地が設けられたとあるシチュエーションの海底(地下)空間の叙述などやはり、人知を越えた自然の勇壮さに筆を費やすイネスらしい。とても。 文庫版で270頁弱というイネスにしては薄めの作品(『孤独のスキーヤー』なども薄いが)で大筋の物語は、敵の基地に捕虜として捕われた主人公二人の脱出&逆転劇。話のベクトルは明快で淀みはないし、ストーリーが単調にならないように物語を三部構成にして、その真ん中の第二部は、クレイグの元同僚の女流作家モーリン・ウェストンをさらなる準主人公に設定。行方をくらましたクレイグを捜索する彼女の視点から、秘められた物語の大きな興味に迫っていく。イネスが初期から小説の技巧的にも練度が高かったと、改めて実感する書きっぷり。 結構印象的だったのは、敵国であるドイツの軍人の扱いで、イネスの筆致はゲシュタポをふくむナチス党員と一般の海軍軍人をきちんと分けて描き、前者はどうしようもない連中だが、後者はまだ人間味があるという描写も随所に入れている。一般の戦争文学にはほとんど素養はない評者だが、1940年の第二次大戦どまんなかのリアルタイムの時代によくこんなのを書けたと感嘆。同時期の日本で商業作家が鬼畜米英相手にこんな叙述をしていたら、確実に非国民扱いであろう。まあ当時のイネスの内心が、純粋にドイツ全般が敵であっても悪ではないという認識だったのか、それとも別の計算的な思惑や、こういう描写に至る何らかの事情があったのか、あるいは作家的な冷静さとしてここだけは抑えておきたかったのか、その辺は分からないけれど。 前述のようにプロットそのものはそれほど曲のあるものではないし、ドイツ軍人を極悪に書かなかった分だけ、俘囚の立場の主人公たちにちょっと甘いな、という部分もないではないが、良い意味でクラシックな娯楽読み物っぽい趣向を用いた後半の逆転劇をふくめて、少なめの頁数をはるかに上回る満腹感は味わえた。傑作でも優秀作でもないが、楽しめる秀作。 【2011年5月27日追記】 あとになってわかったが、本作のドイツ軍人の扱いは当時の英国首相ネヴィル・チェンバレンによる「ドイツ宥和政策」(39年のミュンヘン会談など)の影響が確実にあったのだろう。やっぱ、この辺は歴史を知らないとダメだな。反省。 |
No.430 | 3点 | 夜獣- 水谷準 | 2018/11/15 12:11 |
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(ネタバレなし)
昭和30年前後、その年の3月12日。ゴルフ練習場の食堂のボーイで、プロゴルファーとしての成功を夢見る青年・佐治省吾は、恋人の敬子から距離を置きたいといわれてクサる。やけ酒を煽った彼は、戦時中に憧れた女性「白い窓の女」にそっくりな美女にたまたま街角で遭遇。ついフラフラと後をつけると女性は閑寂な屋敷に入り、やがて家の奥から銃声が鳴り響く。女性は省吾に気づかずに退去。邸内には中年男の死体が転がっていた。女性が犯人? 真相は不明なまま、勝手に彼女に思い入れた省吾はその嫌疑をそらそうと殺人現場にデタラメな証拠をばらまき、そして知人である新聞「太陽新報」の記者・丹野泰三に殺人事件の発生を匿名で通報するが。 昭和31年に講談社から刊行された「書下し長編探偵小説全集」の一冊。同叢書は『人形はなぜ殺される』『黒いトランク』『上を見るな』などの日本ミステリ史に残る、当時のまだ新世代作家の名だたる作品を輩出し、さらに横溝の『仮面舞踏会』が刊行予定に上がりながら未刊に終ったことで有名。それらの傑作や話題? 作とならんで、本作もラインナップされた。 本当に大昔、少年時代に古書店で「水谷準といえば戦前からの巨匠だな」「題名からすると怪獣っぽい殺人鬼キャラクターでも登場するのかな」という興味で元版を購入。その後、ウン十年、ずっと自宅で積ん読だったが、実際のところどんなんだろ、と思って、このたび読んでみた。 そしたらこれがまあ、いかにもノープランで一冊書き上げたという感じの悪い意味での昭和スリラーで、出来があんまりよろしくない。登場人物をひとりひとりきちんと描き込まないうちに続々とキャラクターを出しちゃう小説の作りもヘタな実感である。終盤の謎解きもそのように並べた登場人物の一人に、真犯人の役割を押しつけた感じだし(ただし動機はちょっとだけ、この時代の作品としては先駆的? で面白いかもしれない)。 全般的に退屈で、これなら今まで自分が読んだ同じ叢書の作品のなかで、比較的下位だった乱歩の『十字路』の方が三倍は面白かった、という手応えである(ちなみに評者は上に名前を挙げた「書下し長編探偵小説全集」の三大傑作の中では『上を見るな』だけ、まだ未読)。 もちろん水谷準のかつての名短編『お・それ・みを』や『カナカナ姫』のような奇妙な詩情やハイカラさは微塵もないし。あと題名の「夜獣」。このタイトルロールに見合う悪役キャラ、怪人物が結局は最後まで出てこないのも不満。劇中でも特にその修辞を受ける登場人物は存在しないし。(一応「黒いマントの男」という謎の容疑者は出るから、コレのことか?) 日本探偵小説界の黎明期から活動していた古参の作者は当時、同じ叢書に後陣の若手作家の傑作群が次々と並ぶ様を見ながら自作を顧みて、どういう心境だったのだろう。すんごい意地悪な見方を承知で、つくづくそう思う。 |
No.429 | 7点 | 非情の裁き- リイ・ブラケット | 2018/11/13 14:03 |
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(ネタバレなし)
出先のサンフランシスコで難事件を解決した、ロサンジェルスの私立探偵エドモンド(エド/エディー)・クライヴ。LAに戻った彼は、二つのトラブルの相談を受ける。ひとつは恋人のクラブ歌手ローレル・デインからの身辺警護の願いであり、もうひとつは幼なじみのマイケル(ミック)・ハモンドの家に届いた脅迫状、その謎の送り主の調査だった。女性関係に奔放なミックはかつて旧友クライヴにも心の傷を与え、それ以来両者の関係は微妙だった。だがもともと上流階級の令嬢で、今はミックを愛する彼の妻ジェインの懸命な懇願もあって、クライヴは脅迫者を調べる依頼を受けることになる。そしてクライヴの周辺では予期せぬ殺人事件が……。 1944年のアメリカ作品で、エドモンド・ハミルトン(『キャプテン・フューチャー』ほか)の妻であり、レイ・ブラッドベリの盟友だった女流作家リイ・ブラケットの処女長編。日本では『リアノンの魔剣』などの異世界ファンタジーや『長い明日』などの未来SF、さらには『スターウォーズ・帝国の逆襲』のシナリオ担当などで知られる作者だが、ミステリ分野との縁も深い。本書を含む数冊のミステリの著作があるほか、チャンドラー原作のかの映画『三つ数えろ』や『ロング・グッドバイ』などの脚本も担当している。 本書の訳者・浅倉久志の解説によると、もともとハワード・ホークスは本作『非情の裁き』を読んで感銘し、企画準備中の『三つ数えろ』に、フォークナーと並ぶ共同脚本家として作者を迎え入れたそうだから、この作品の内容も推して知るべし。プロンジーニなどは、当時のチャンドラーの良い意味での見事な模倣と称賛したそうである(ただし本作『非情の裁き』の叙述は、完全にクライヴを主軸に据えた上での三人称視点)。 メインヒロインの一角であるジェインの実家(オルコット家)は確かに現在も金持ちの上流家庭だが、本来の家族の絆ほか精神的な意味ではいろいろと欠損しており、それを埋めるように中流~下層階級出身の情熱家の夫ミックが迎えられたこと、しかしそのミックにもまた主人公クライヴとの関係性をふくめて種々の問題があり、さらにもうひとりのメインヒロイン、ローレルにも……と組み合わされる人間関係の中からいくつものドラマの綾が見えてくる。 前半で起きた登場人物の頓死を経て物語は中盤以降、加速度的に動き出し、そんなストーリーの中で、なじみの警察官ゲインズ警部補になれ合うように見せて一転、意外な態度に出る主人公クライヴのやや歪んだ気骨も描かれる。 うん、これはまぎれもない正統派のハードボイルド私立探偵ミステリ。 ちなみに当方、ハードボイルドは男性作家の領分とか、女性作家には男性主人公のハードボイルド私立探偵小説は書けない、とかのジェンダー的な意識は希薄なつもりである(客観的に見るなら、そういう部分がまったくないとは言えないかもしれないのだが)。 それでも本書に関しては、スタイリズムや物語要素の取りそろえとして、とてもしっかりした男性主人公の私立探偵ハードボイルドミステリを見事に紡ぎながら、最後まで読んでああ、やっぱり女流作家が外側から「男の世界のハードバイルド」に思いを込めた作品だな、という感慨を抱いた。 そんなことを言うとすでに、あるいはいずれ本書を読んだ人から「いや(中略)など、とても女流作家らしからぬ作劇でしょ」との声もあがりそうだが、あるものを切り捨てることが逆説的にそれと同等のあるものを限りなく大事にすることと裏表になっている。これって女性の目からの「男のヒーローは女のためにこうあって欲しい」という訴求以外の何物でもないように見えるのだ。そこに評者はこの作品に、ハードボイルドを最後までハードボイルドにしきれない、甘えめいた不純のようなものを感じてしまう。 ブラケットクラスの書き手(といいつつ他の作品はあまりまだ読んでないが~汗~)を単にジェンダー論の分類で女流作家としてくくるのもあんまりアレなので、この辺はいつかもっと作者の著作を読んでから改めて確認したい部分もあるけれど。 いずれにしろ、この私立探偵クライヴの活躍編、作者がそれから何冊も本を出し、時にミステリジャンルの作品も書きながら、その続刊はとうとうものにしなかったようで、もしかしたらブラケット自身、この作品でハードボイルド私立探偵小説はもう書き切ったと燃焼したと同時に、このジャンルに向かう自分の限界めいたものも感じちゃったのか。そんな勝手なことを考えたりしてもいる。 ●余談:浅倉久志は、これが初めてのまともなハードボイルド私立探偵小説の翻訳だそうだが、巻末の解説(あとがき)を読むと、こちらの予想以上にちゃんとこの分野に若い頃から精通していた&大のファンだったようで舌を巻く。(まあ例の「ユーモア・スケッチ」にハードボイルド私立探偵小説のパロディ編をセレクト&翻訳していることで、それなり以上の素養があることは以前から窺いしれていたが。) 浅倉当人がむかしよく読んでいたというこの分野の作家のなかに、大御所連中とならんでごく自然に、バート・スパイサー(数年前に初めて論創から、レギュラーの私立探偵カーニー・ワイルドものの一作『 ダークライト』の翻訳が出た)の名前があるのに度肝を抜かれた。 浅倉久志のSF分野、ユーモア小説分野でのお仕事の実績は甚大なものだが、もう少しハードボイルド私立探偵小説のジャンルに軸足をかけてくれていたら、日本の翻訳ミステリ界も、さらにちょっとくらいは変わっていたかもしれん。 |
No.428 | 5点 | 十二人の少女像- シェーン・マーティン | 2018/11/12 14:29 |
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(ネタバレなし)
その年の十月末のロンドン。66歳の考古学者ロナルド・チャリス教授は、懐旧の念に駆られて数年前に他界した友人ジョン・バリントンが暮らしていた屋敷に足を運ぶ。バリントンの未亡人エリカは再婚して去り、現在の屋敷はアメリカの青年建築家ブランドン・フレットの住居となっていた。フレットの厚意で懐かしい邸内を見せてもらった教授は、庭にすこぶる印象的な十二人の美少女の彫像が置かれているのに気がつく。フレットの説明によると、それは先の住人のフランス人で評判の若手彫刻家ポール・グラッセの作だという。だがそのグラッセ当人は半年前、大規模な美術展への参加直前になぜか謎の失踪を遂げていた。グラッセの行方に関心を持つ教授。これがチャリス教授の、数カ国を股にかけた冒険と謎解きの旅の始まりだった。 1957年の英国作品。創元の旧クライムクラブのなかでまだ未読の一冊を、内容もまったく知らないままに読んでみた。そしたら中味は、英国~フランス~地中海と舞台を転々とさせる、年輩アマチュア探偵の冒険スリラーであった。 とはいえさすがに老境の教授のみに冒険&活劇物語の全パートを担当させる訳にもいかず、グラッセの元カノ(みたいな)だったお嬢さまのポリー・ソレルや、グラッセ当人の弟シャルルなども準主役となり、場面場面ごとに彼ら彼女らの視点からの活躍を見せる。 さる事情から兄の方のグラッセに追撃の手をかけるフレットの思惑や、本書のタイトルロールである少女像のモデルとなった女性たちのいくつかの逸話、教授に力を貸してくれるサブキャラの扱いなどなど、キャラクター描写全般になんか妙な艶っぽさはあるが、筋運びは割とストレート。地味な感じを受けないでもない。 それゆえ最後までこのまま終るのかな……と思っていたが、終盤に割と大きな仕掛けが連続してあり、最終的にはそれなりに楽しめる作品だった。 50年代当時の英国冒険スリラーとしては、多彩な異国情緒の妙味もふくめて佳作クラスであろう。 ちなみに巻末の植草甚一の解説(『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』にも収録されているハズ)によると、チャリス教授は作者のシリーズキャラクターらしい。本書が作者のデビュー作で、当然シリーズ第一作。 他の作品では、助手である若い女性と行動する話もあるとのこと。こういうじいちゃんキャラの冒険ミステリというのはいかにも英国作品っぽく、そっちも面白そうだというのならちょっと他の冒険録にも触れてみたい。 |
No.427 | 5点 | 熱砂の渇き- 西東登 | 2018/11/11 20:24 |
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(ネタバレなし)
ある日の早朝、都内の「T動物公園」内で、中年男の変死体が発見される。男の素性は五井物産の部長・大田原正と判明するが、彼は大の男7~8人分の強烈な力を受けて圧殺されていた。動物園内のゴリラかオランウータンかの仕業かとも思われるが確たる証拠はあがらず、捜査は難航する。それと前後して、大手M新聞系列の夕刊新聞「夕刊トーキョー」の編集部に一人のアフリカ帰りの男が来訪した。夕刊トーキョーはかねてより会社独自の娯楽興業を続々と企画し、そのメイキング&ルポ記事を紙面の大きな柱としていた。そんな同紙に高森善太郎なるくだんの男が持ち込んだ企画は、日本で初めての公式・駝鳥レースの開催だった。これに関心を示した夕刊トーキョーの編集局長、堂本だが……。 作者の第四長編。現時点でAmazonに書誌データの登録はないが、奥付(初版)の刊行日は1971年6月20日。仁木悦子の『冷えきった街』や森村誠一の『密閉山脈』などと並んで、当時の講談社の企画ものの叢書「乱歩賞作家書き下ろしシリーズ」のラインナップ内で刊行された一冊。 元版の刊行以降は文庫にもなっていないと思うマイナーな作品だが、当時のミステリマガジンの月評にはちゃんと取り上げられており<国内で開催されるダチョウの公式レースにからむ殺人事件>という、本書独自の趣向はソコで昔から覚えていた(とはいえくだんのHMMのレビューで、本作を誉めていたかそうでなかったかは、もうちょっと記憶にない~汗~)。ちなみに改めて言うまでも無いだろうが、T動物公園は実在の多摩動物公園がモデル。 序盤で提示された不可思議な殺人事件が、どうやらそっちの方がメインストリームらしい駝鳥レースの話題にどう絡み合っていくのか、そしてくだんの怪死のトリックはナンなのか、という二つの興味でそれなりに読ませるが、中盤で登場人物の人間関係が見えてくると最後までの大方の流れは透けてしまう。そこら辺はちょっと弱い(あと、フェアプレイを狙ったのであろう冒頭からのいくつかの叙述も、悪い意味でわかりやす過ぎる)。 西東作品はあまり読んでなくて、長編は実は本書が初読だが、噂に聞く動物に強いということはよく分かった。終盤、事件の奥底がもう一段二段、秘めた部分をさらすのは、この作品の工夫として評価してもいいかも。 |
No.426 | 6点 | 牟家殺人事件- 魔子鬼一 | 2018/11/10 17:19 |
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(ネタバレなし)
1940年代。太平洋戦争時下の北京。4年間の日本留学から帰国した菜種問屋の後継ぎ、トン・ジャアウォン(実際の本文では漢字表記・以下同)青年は、幼なじみで西洋文化に憧れる19歳の娘フンミンと再会する。フンミンの父のムウ(牟)ファションは戦争景気でいっきに財を増やした大実業家で、現在の自宅の豪邸にはフンミンの実母の第二夫人をふくめて、のべ4人の夫人と同居していた。さらに居候の親族や多数の従僕を住まわせて賑わう牟家だが、そこで起こるのは奇妙な密室殺人を含む、何者かによる連続殺人の惨劇であった。 題名の読み方は「牟家(ムウチャア)殺人事件」。 ミステリー文学資料館編集の復刻発掘アンソロジー路線の一冊『「宝石」一九五〇』の巻頭に収録(初の書籍化)された、短めの長編パズラー(光文社文庫で210ページ強。400字詰め原稿用紙換算なら300~400枚くらい?)。 本作の作者・魔子鬼一(まこきいち)は、マニアには有名なミステリ関係の自主刊行物を発行している古書店・盛林堂から近年、復刻短編集が出ていて、評者はそれで名前を知った。ちなみに本作は、作者の唯一のまともな謎解き長編作品のようである。 文庫『「宝石」一九五〇』巻末の山前謙氏の解説によると、本作は1950年の「宝石」4月号に一挙掲載。当時は1949年にGHQの用紙統制が緩和された直後の時節で、その影響もあって「宝石」本誌もページ数がボリュームアップ化の一途。くだんの1950年4月号には岡田鯱彦の『薫大将と匂の宮』と本作、同時に二長編がいっきょに掲載されたそうである。なんというゼータクな時代(笑)。あるいはそういう豪快な編集&経営を続けていたから、鮎川哲也にも賞金が払えなかったのであろうか(実際のところはよく知らんが)。 それで中味だが、特殊な舞台設定の本作は、当然のごとく登場人物は全員が中国名の漢字表記。フツーならとても敷居が高い作品なのだが、評者は今年、例の漢文ミステリの話題作、陸秋槎の『元年春之祭』を少し前に読了したところ。だからこっちも、同様にナンとかなるだろと手に取った(笑)。 それでも念のため、下準備として、文庫の巻頭にある登場人物一覧表を周囲の余白大きめにコピーしておき、そこに人物のメモを書き込みながら読んだ。このおかげで最後まで読み終えるのにまったく問題はない。 (しかしなんかこの人名表、特に不要な人物まで載っている気もしたが……。) 肝心の筋運びは輪堂寺耀の快作(怪作)『十二人の抹殺者』を想起させる、豪快なまでに関係者が立て続けに死んで(殺されて)いく連続殺人劇パズラーで、良くも悪くも芝居がかった外連味がとても好ましい。登場人物の造形も特に中国っぽさは感じられないが、その分主要人物のキャラクターがそれぞれ平明に語られ、そんな叙述を拾いながら情報を消化していくうちにページはどんどん進んでいく。テンポはとても良い。 でもって最後に明かされる真相は……うん、まあ……これはたしかに21世紀まで60年間眠っていた幻の作品だねえ(苦笑)。 いや、作者がどうやって読み手を驚かせようとしたかの狙いそのものは理解できるし、その構想そのものは悪くなかったと思う。クリスティーのよく使う仕掛けもちょっと連想させる。 ただまあその意外性を盛り上げる演出としての伏線や下ごしらえに、まるで気を使ってないというか。 犯人はその動機で最後まで計画を完遂したら、結局……(中略)とか、密室殺人のトリックってコレですか……とか、終盤に明かされるあの登場人物のキャラクター設定はなんの意味があったのか……とか、ツッコミどころも満載。 なんかミステリを語りたい心は最低限持っていながら、それが送り手の中でちゃんと育つ前に一本書いちゃったというような作品だった。 まあそんな一方で、読んでる間はなかなか楽しめたのも事実。 作品総体としては誉めにくいんだけれど、どっか愛せる一編ではある。 |
No.425 | 9点 | その男キリイ- ドナルド・E・ウェストレイク | 2018/11/09 10:38 |
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(ネタバレなし)
「ぼく」こと、3年間の軍隊生活を経て今は大学で経済学を学ぶ24歳の青年ポール・スタンディッシュ。彼は恩師リードマン博士の斡旋を受けて、全米に万単位の構成員をもつ「機械工労働者組合」(AAMST)での現場実習に就く。ポールは、自分の大学の先輩で花形スポーツ選手だった38歳の組合員ウォルター・キリイとともに、地方の小都市ウィットバーグに赴いた。そこは町で最大の企業マッキンタイヤー製靴会社が権勢を振るう世界。今回は、同社の従業員チャールズ・ハミルトンが、代替りした現在の雇用側の横暴について、先だっての手紙でAAMSTに相談を持ちかけていたのだった。だがキリイとともに町に着いたポールは、そこで彼の予想を超えた事態に向かいあうことになる。 1963年のアメリカ作品で、ウェストレイクの第四長編。先日、自宅の書庫を漁っていたら未読のウェストレイクの初期作が何冊か出てきたので、どれにするか迷った末にこれを読んだ。手に取ったのは、ハヤカワミステリ文庫版。 キナ臭さの漂う地方都市に乗り込んだ主人公(たち)、という『血の収穫』『青いジャングル』などを想起させる設定で、雇用側の金持ちと労働者階級の相克、労組のありようなどの主題にも自然に筆が及び、その辺りについても現地で起きた犯罪事件を介して、ポールの視点から丁寧に綴っていく。若き日のウェストレイク、多少なれども当時の左翼的な思いを込めた、彼なりのルサンチマン吐露の面もある作品かな……と思って読み進めると、この長編は終盤であまりにも鮮やかに、その趣と狙いを変えた。すべては作者の計算の内である。 ネタバレになるのでこれ以上の多くは言いたくない。 ミステリ(広義の)を読むことは恒常的に楽しい作業だが、特にこういう一冊に出合うことで、本当にその思いは倍加する。ビルディングスロマンの青春小説として、社会派ドラマとして、ハードボイルドのスピリットとして、そしてそれらもろもろの要素を踏まえた謎解きミステリとして正に傑作。 余談1:最後の数行は何十年も前に、先に訳者あとがきを読んだ際にたまたま目にしてしまい、あまりにも印象的なフレーズだったので、作品の中味は未読のまま、ずっと心にひっかかっていた。実はそのフレーズから逆算して、勝手に頭のなかで、聞きかじったこの作品の序盤の設定と組み合わせ、なんとなくこういう話になるんじゃないかな、と全体図を描いていたところもあったのだが、そんな浅慮な予見は良い意味で大きく裏切られた。思いついて今回読んでみて本当に良かった。 余談2:ミステリ文庫版での丸本聡明の訳者あとがきは、文庫版刊行の際に新規に追加した一文で、元版ポケミス刊行時からその時点に至っての述懐を綴ったものだが、これも地味に泣ける。いろいろな意味で人の心を刺激する一冊である。 |
No.424 | 6点 | 奇跡のお茶事件- レスリイ・チャータリス | 2018/11/06 19:45 |
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(ネタバレなし)
『奇跡のお茶事件』 裏社会の犯罪者にして冒険児である「聖者(セイント)」こと青年サイモン・テンプラー。 彼とくされ縁があるロンドン警視庁の警部クロード・ユースティス・ティールは、くだんの「聖者」を捕縛できない苦渋もあって胃を痛めていた。そんな時、ラジオから流れるCM。それはロンドンのオスペット薬局が独自に売り出した、胃病などに効く飲料物「奇跡のお茶」の宣伝だった。騙されたと思って薬局に赴き、お茶の葉を購入するティール警部だが、その帰路、何者かがなぜか警部を襲う。偶然、現場を通りかかった「聖者」は負傷した警部を救うが、これがさらに意外な事件へと……。 『ホグスボサム事件』 「国民公徳心振興会」の代表を務める人物エビニーザ・ホグスボサム。世の中に高潔なモラルを訴える彼の存在は、ロンドン界隈でいまや時の人となっていた。そんなホグスボサムの言動にどこか胡散臭さを感じた「聖者」は、部下の米国人ホッピイ・ユニアッツとともに相手の屋敷に忍び込む。だがそこで「聖者」たちが目にしたのは、ホグスボサムならぬ別の人物が椅子に縛られ、暗黒街の人間に拷問されかかる現場だった。 あくどい金持ち相手に窃盗や強盗もするが弱者は狙わず、一方で非道な裏社会の犯罪者の排除も行う「聖者」シリーズ、その中編二本を収録した一冊。原書ではこの中編二本はどちらも、1938年(1939年説もあり)刊行の中短編集「Follow the Saint」に収録らしい。 今回、なんか急にチャータリス=「聖者」が読みたくなった(我ながらなんでだろ~笑~)ものの、大昔に購入しているハズの邦訳長編二冊(ポケミスと六興)が家の中から出てこない。じゃあ……ということで、Amazonで値下げされていた本書の古本を通販で買った。あら、翻訳が黒沼健。これは面白そうということで、本が家に届いてからすぐ読んだ。 チャータリスの「聖者」は、ミステリマガジンで短編を何作か読んでるはずだが、たぶんまとまった形で読むのはこれが初めて。もしかしたら大昔に集英社かどっかの児童向けリライトを一冊読んでいるかもしれないが、少なくともその内容は(万が一読んでいたとしても)ほとんど忘れてしまっている。 (ただしその児童書版の翻訳リライト担当者がエラくマジメな人で<「聖者」はヒーローといっても結局は悪人なのだ、彼はいつか銃弾を受けて死なねばならないのだ>と前書きか後書きかで年少の読者向けに主張していたのだけは、よく覚えている。) それで本書だが、古い翻訳ながら期待通りに黒沼健の訳文はめちゃくちゃテンポがよく、いっきに中編二本を読んでしまった。いや、なかなか面白い。非道なことは決してしないが、悪人相手なら拷問までする(実際にはそのふりだけだが)、恋人パトリシア・ホームが叔母さんに会いに行く際、遺産目当ての打算だねとか厨二の不良みたいな悪擦れしたジョークを言う「聖者」はキャラクターの幅があってよい。少なくともお行儀の良さに縛られる紳士犯罪者ではない。 ストーリーの方も謎解きミステリとしての結構を誇るのはムリだが、それぞれ程よく意外な事件の真相が設けられ、そこに向かって聖者(と少人数の仲間たち)が活劇を交えながら迫っていく筋運びもハイテンポで良い。一番わかりやすい例えでいうなら、ホームズ譚の<謎解きの興味もある、活劇よりのエピソード>、あの辺に近い。 まあご都合主義的にうまく登場人物がからみ過ぎる部分もないではないが、そこはそこ、娯楽活劇の旧作としての許容範囲である。たまにはこういうのも良い。 (ただ『ホグスボサム』のラスト、作者が読者目線での痛快さを狙ったのはよくわかるが、冷静に考えるとこの「聖者」の行為は行き過ぎだよね~もちろん、ここであまり詳しくは言えんが。) ちなみに本作(新潮文庫の本書)は黒沼健の後書きによると、先に日本出版共同から刊行された『聖者対警視庁』と同様の内容だそうだが、チャータリスの未訳の原書のなかに和訳するとまんまその邦題(「聖者対警視庁」)になる作品(1932年の「The Holy Terror」。この米国版の題名が「The Saint vs. Scotland Yard」)があり、そっちが今後紹介される可能性を考えて、本書はこの文庫版刊行の時点で改題したという。 とても行き届いた配慮だったけれど、結局、半世紀以上経った21世紀の今になっても、該当の作品はまだマトモには未訳のままなんだよなあ(苦笑)。 (ジュブナイル版としては『あかつきの怪人』の邦題で、あかね書房から出ていたみたいだが。) んー、チャータリスの未訳作で面白そうなのがあったら、やはり論創さんあたりで今からでも発掘してくれないものか。 |