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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2037件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.397 5点 死のランデブー- ピエール・ボアロー 2018/09/10 17:17
(ネタバレなし)
 フランスの1950年作品。ボアローの名探偵アンドレ・ブリュネルの最後の長編。 
 それで出来は……はあ~。この手の大技を使うなら、もう少し伏線を張ったり手がかりを散りばめたりすれば良いのだが、それでは読み手に察せられると作者は警戒した…………のではなく、単に天然に書いちゃった、という感じである(笑)。
 いかにもこの作者。この時代にしてはクラシックすぎる、アイデア先行のフランスパズラー。その意味では、まあ面白かったけれど。

 あとネタバレになりそうなので注意しながら書くけど、最後に明かされるこのネタは、今年の国産の某新作ミステリでよく似たようなのが登場しちゃってますな。そっちはさすがに21世紀の作品らしい考証で、えー、それって、ありー、という大ネタを補強してあるけれど。
 たぶん双方の作品の相似は暗合だろうけれど、半世紀を超えた事例をふたつ並べてみて、東西新旧のミステリ作家なら、けっこうみんなやってみたいネタなんだろうとも思います。

No.396 8点 褐色の肌- エド・レイシイ 2018/09/10 13:15
(ネタバレなし)
 ニューヨーク、ブロンクスの外れの一角パラダイス・アレー。街の住人は大半が中流~下流の黒人だったが、ある夜、高校二年生の黒人少女パトリシア・フレンチが通りすがりらしい白人に射殺される事件が起きる。その後も犯人は捕まらず黒人社会に不満の気配が高まるなか、今度はある白人の警官が、暴動を起こしかけたと見られる黒人の少女ソニー・ファーを死なせてしまう悲劇が発生した。そんな折、アレーの街に黒人を地上から殲滅すべきという謎の過激派「黒殺団」のチラシが配布される。「俺」こと20代後半の刑事で、ニューヨーク市警捜査課の唯一の黒人であるリー・ヘイズは、同年代の白人の刑事アル・カーツとともにアレーに赴き「人権問題調査官」を詐称して潜入捜査を行うことになった。任務はアレーの緊張の緩和、そして少女殺害事件の捜査だが、同地周辺での白人と黒人の衝突は、まさに一触即発の危機を迎えていた。

 1969年のアメリカ作品。邦訳は作者名「エド・レイシー」の標記で、昭和44年9月10日に角川文庫から初版が刊行。
 作者エド・レイシイの邦訳はほとんど買っているはずだが、例によって長年にわたり積ん読で、名作と定評の『さらばその歩むところに心せよ』もすぐに出てこない(もしかしたらこれはまだ買ってないかもしれないと思い、webで古書が安かったので、つい昨日、購入した)。それで本書『褐色の肌』は2018年9月現在、Amazonにも登録されていないマイナー作品で、じゃあどんなのかなと、数ヶ月前にやはり通販で古書(昭和51年刊行の第4版)を買ったものを、このたび読んでみた。そしたらこれがエラく面白かった!

 アメリカミステリ史における黒人キャラクターの立ち位置の変化は、50年代の『暴力教室』や『明日に賭ける』などの重要キーパーソンというポジションを経て、ジョン・ボールやチェスター・ハイムズなどの諸作でのレギュラーヒーロー化に至る……おおざっぱにはそんな流れでいいだろうが、確かに60年代終盤~70年代初頭には翻訳ミステリの分野でも「ブラックパワー」という言葉がしばし使われていた。わかりやすい例でいえば「87分署シリーズ」の第24作『はめ絵』(1970年)でそれまで脇役だった黒人刑事アーサー・ブラウンが初めて主役を張ったり。さすがマクベイン、その辺りの時代の空気は敏感に読んでいた。

 本書はまさにそういう時代のど真ん中に書かれた作品だが、よく練られた警察官捜査小説であると同時に、人種差別問題を真っ正面から扱った上質の社会派・人間ドラマになっている。そもそもアメリカ社会において黒人ほか有色人種の扱いが微妙に変化したのは、ベトナム戦争などに国民を徴兵する必要性から、人種の違いなんかあれこれ言っていられない、アメリカはひとつだ、という、どこか欺瞞を感じる現実の背景があったように思う。作中でブラック・ナショナリストの青年カーティス・レイノルズは語る。<ベトナムでは確かに白人は俺たち黒人と命を預け合った戦友だった。だが兵役が終れば奴ら白人は当たり前に恵まれた社会に帰るし、俺たち黒人はまた貧困の生活に戻る。>うん、きっとその通りなのだろう。
 さらにこの時代らしい文明批判として、お手軽に情報を与え、彼我の境界を曖昧にするテレビ文化にも矛悪が向けられ、ああ、この辺はマイクル・コリンズのダン・フォーチュンシリーズの一編『ひきがえるの夜』(1981年作品)から10年早かったな、という思いも生じた。大昔に日本で言われた<テレビ視聴による一億総白痴化>とは似通う部分もあり、微妙に違うところもあり。

 主人公リーを巡る年上の彼女ビーと本作のメインヒロイン、イーネズとの三角関係的な構図、黒人は悪だ、白人は屑だ、という強烈かつおそらくは当人たちも自覚的な愚劣な偏見から生じる軋轢の数々……キャラクタードラマとしても群像劇としても実に巧みで物語に引き込まれたが、終盤にこの流れが意外性のあるミステリに、そして骨太なハードボイルド作品に転調する鮮烈さも実に見事で、これはたまたま予備知識無しに読んで大当たりの傑作。いや、なんとなく接してみて、本当に良かった。こういうのがあるから、またミステリを読む興味と欲求が倍加する。
 『さらばその歩むところに心せよ』ほかの未読のレイシイ作品を読むのも楽しみ。一冊読んだだけで気が早いんだけど、未訳の作品もどんどん紹介されんかな。作者は本書を書いた直後の1968年に56歳の若さで亡くなったそうだが、もしかしたら本作は遺作だったのかしらん。

 あとイサクで思い出したけど、平井イサクの訳文って本当にいいね。あんまり話題にならないけれど、昭和期の翻訳ミステリ分野における隠れた功労者じゃないだろうか。

No.395 5点 天女の末裔- 鳥井加南子 2018/09/08 14:53
(ネタバレなし)
 昭和35年10月。岐阜県の一地方で、一人の男が刺殺された。男は絶命の直前、駆けつけた救急班員に、神にやられた、と奇妙なダイイングメッセージを残す。
 それから23年を経た昭和58年。三重県桑名で大手の家具販売チェーン店を取り仕切る実業家・中垣内(なかがいと)純也の娘で、大学を出たばかりの衣通絵(いとえ)は、母校の先輩でボーイフレンドだった青年・石田達彦に再会。彼から、ある民俗学関係の文書のコピーを見せられる。それは、彼女たちと同じ大学でかつてシャーマニズムを研究していた純也が著した論文だった。衣通絵はそれを機に過去と現在にまたがる複数の殺人事件の謎、さらに自分の出生の秘密にからむ天女伝説に分け入っていく。
 
 1984年に元版のハードカバーが刊行された、第30回江戸川乱歩賞受賞作。
 歴代乱歩賞作品のワーストワン(というかベスト投票したら最下位になる作品)という主旨の評を某所で最近読んだので、つい気になって目を通してみた。
 まあ実際、本サイトでもこれまでレビューが無かったくらいの不人気作(あるいはまったく注目されない作品)だったんだけど、そう思って当初から割り引いて読んでみるなら、そんなにヒドい出来ではない。犯人は中盤から見え見え……というか、隠す気は作者にも全くないみたいだし、現代の方の殺人トリックもちょっとだけ創意は感じるものの……そううまく行くかな、という不審も生じるが、B級の伝説ものミステリとしてはそれなりに楽しめる。文体もよくもわるくも無個性なさっぱり系で、後半の矢継ぎ早の展開もご都合的に話が転がされていく印象もあるが、少なくとも退屈はしない。二、三時間でいっきに読み終えられる。あえてヒトに勧めようとは思わないけれど、読んでおいてもいいんじゃないですか、という出来映え。

 しかし巻末の、選考者たちの合評を読んで改めて最高に驚いたのだが、これ東野圭吾の『魔球』を抑えて乱歩賞を受賞した作品だったのね! 東野作品はそんなに読んでないけれど、個人的に『魔球』は、初期作の中で一番スキな一冊である。正直、本書『天女の末裔』が『魔球』に勝てた作品とはどうしても思えんのだが(まあ、ある種のまとまり具合においては、勝っているかもしれんけど)。
 というわけで評者は、本書の作者・鳥井加南子に「日本のイザベル・B・マイヤーズ」の栄誉を謹呈したいと思います(笑)。

No.394 5点 ジャナ研の憂鬱な事件簿- 酒井田寛太郎 2018/09/08 14:43
(ネタバレなし)
 県内の名門校として名高い公立高校・海新高校。二年生の工藤啓介は聡明ながら、ある事情からあえてただ二人の親友以外とは距離を置く学生生活を送る。啓介は、先に卒業した異才の先輩・水村零時から校内サークルのジャーナリズム研究会(ジャナ研)を託され、今はただ一人の部員かつ、長い歴史を刻む学生新聞「波のこえ」の現編集者を務めていた。だがそんな啓介に、学内でも評判のメガネ美少女で、純真なお嬢様の先輩・白鳥真冬が接触。彼女の周辺に起きた奇妙な事件を解決するため、助力を求めた。

 第11回小学館ライトノベル大賞優秀賞受賞の学園日常ミステリー。本書はシリーズ化されたその初弾で、この一冊目にはプロローグとエピローグに挟まれた全4本の事件が収録されている。webで、各エピソードの苦い後味がよいとかなんとかの評判を見たような気がするので読んでみたが、それなりに楽しめた。さらにwebの別のレビューでは<米澤穂信の「古典部シリーズ」に似すぎている>などとの批判もあるようだが、評者は不勉強にもまだそっちの作品を読んでない(人気作品なのはさすがに知ってるが)ので比較はできない(笑)。
 ただ第1話の<なぜノートは無くなった(盗まれたか)>のホワイダニットの謎解きなどはなかなか感心したし.本巻の決着編となる第4話の重みなども心に残る。一方で第3話のように当初から当該キャラの心根が見え見えだよね、本当にこの解決でいいの? と悪い意味でポカーンとした話もあり、少なくともこの1冊目の収録エピソードの出来不出来はバラバラ。まあ2冊目以降も読み続けていくなら、そのばらつき具合が良い感じのバラエティ感に転じる期待もあるんだけれど。

No.393 7点 片隅の迷路- 開高健 2018/09/08 14:37
(ネタバレなし)
 その年の11月5日の早朝。西日本のとある県の県庁所在地で、農機具店の主人・山田徳三が殺される。殺害犯人は同家に押し入った二人組の強盗と思われたが、捜査陣は店に住み込みの少年店員2人、さらには同家の娘で9歳の少女・道子の証言から、犯人は徳三の内縁の妻で道子の母、洋子だと認定。洋子は逮捕され、起訴された。だが公判中に、道子が担当の山口検事から偽証を強いられたと表明。世間の注目が集まる中で、洋子は冤罪を主張したまま刑務所に収監された。徳三の先妻の娘で洋子を実母のように慕う女子高校生の竜子が応援する中、洋子の甥の青年、浜田流二は洋子の無罪を証明しようと奔走する。だが最高裁まで審議を続ければ、経済的に家族の多大な負担になると考えた洋子は悔しさのなかで上告を棄却。しかし流二はその後も事件の洗い直しを諦めなかった。やがて思わぬ展開が……。

 1961年に「毎日新聞」に半年間にわたって連載された作品。内容はあらすじを見ればわかるように、昭和史に残る冤罪裁判の事例として名高い、1953年の現実の事件「徳島ラジオ商殺し事件」を題材にしたドキュメントノベルである。モデルの人物の名は小説内の架空のものに変えられているが、大局の流れは基本的に現実のものに立脚するらしい。

 大昔に日本語版「ヒッチコックマガジン」のバックナンバーを古書で入手し、毎号の当時の新刊評を一冊ずつ楽しみに読んでいたところ、本作が最高クラスの評価を受けていた記憶がある。それゆえいつか読みたいと思っていた一冊だった。とはいえ作者が芥川賞作家の開高健でしかも題材が真摯なテーマゆえに、これはさぞや歯ごたえもある内容だろうとやや気後れしていた。しかし今回、一念発起して手に取ってみたところ、思いのほか文章は平明だし、小説としてのリーダビリティも申し分なくスラスラ読める。例によって、案ずるよりなんとやら、だった。

 洋子の有罪を恣意的に決めつけた山口検事の判断や、彼や捜査陣から受けた軋轢のなかで偽証に及んだ証人たち。それらの過ちや心の弱さが雪だるまのように累積し、罪もない一人の女性とその周辺の市民、さらには事件に際して証言を求められた人間たちの人生が歪んでいく恐ろしさと悲しさ。現実の当事者の方々の無念や悔しさは推してあまりあるものがある。
 しかしそれでも小説としては、中盤からの実質的な主人公となる青年・浜田流二の百歩進んでは五十歩下がる奮闘の繰り返しなどをはじめ、どっかユーモラスな味わいを感じるのがこの作品のキモ。けれどもそんな口当たりの良さだからこそ、責任者の所在が巧妙にうやむやにされ、力のない一般人が泣き寝入りを当たり前に強いられるやるせなさが本を閉じる最後の瞬間に、改めてじわじわと心に染み込んでくる。
 裁判員制度の適用や再審弁護団の積極的な活動など、当時と現在では裁判事情も少なからず違うところもあるが、21世紀の今、手に取っても、インパクトとある種の読み応えは十全であった。
 これをちゃんとミステリとして評価した前述の「ヒッチコックマガジン」も、本書を創元推理文庫のレーベルに加えた東京創元社も「よくわかってる」、ミステリの幅広い裾野ののなかにはこういう作品もあるんだよ、と強くうなずきたい。
 実は大筋は10年くらい前にCSで観た本作の映画版を通じて記憶していたんだけどね。洋子役が奈良岡朋子(『太陽にほえろ!2』の「署長」)で、読んでいく内に映画の細部も脳裏に甦ってきた。録画DVDを引っ張り出して、そのうちまた観てみようかしらん。

No.392 7点 海の警部- ミシェル・グリゾリア 2018/09/04 12:41
(ネタバレなし)
 南フランスのニース。その年の5月、44歳のアメリカ人の富豪サイラス・ギャグニーが動物園から逃げたらしいコブラに噛まれて死亡する事件が起きた。それと前後して50代の医師シャルル・モレリと離婚する予定の魅力的な四十女エレーヌは、30代の愛人ポール・ジャヴァルとの洋上デート中に、若い金髪女性の惨殺死体を見つけた。モレリ家の面々は娘の死体を引き上げるが、その死体はいつのまにか無くなり、土地の敏腕刑事で「海の警部」と異名を取る主任警部ダヴィッド・ジェアンの自宅のガレージでのちに見つかった。両事件の間に関連を認めたダヴィッドは、常に彼に寄り添う16歳の愛娘ローラン、辣腕の部下のサルヴァトーレ警部たちとともに事件を追うが、その後もニース周辺に同一犯の仕業と思われる計画的な殺人事件が続発。しかし互いの被害者を関連付けるものは不明だった。
 
 1977年のフランス作品。同国のミステリ批評家賞(Prix Mystère de la Critique)受賞作品というので、んー、どっかで聞いた賞だとwebで確認したところ『殺人交差(交叉)点(72年の改稿版)』や『ウネルヴィル城館の秘密』みたいな評者もお気に入りの作品、さらには未読だが面白そうな『死のミストラル』も受賞、ほかにもアルベール・シモナンやA.D.G. 、アラン・ドムーゾンとか気になる名前の作家たちの未訳作品に与えられている賞だった。というわけでそれなりには面白いだろうと思って手にしてみたが、うん、予期したとおりにかなり楽しめた。
 16歳の娘を殺人事件の公務に連れ回す主人公の警部の設定は、まるで赤川次郎のキャラクターミステリだが、その辺のややぶっとんだ感覚は作者も百も承知らしく、劇中でも堅物ながら温情家の知事がダヴィッドの捜査を急かしながらも、娘さんが危険な目にあったらどうするんだと親身に忠告。そんな知事さんが読者の思うことを先回りして代弁してもなお、ダヴィッドは彼なりのややいびつな親子の絆(倒錯的な性的なものではない)からローランの捜査介入を容認し、部下のサルヴァトーレも「お嬢さん」ローランの現場立ち会いや証人への喚問の手伝いを(苦笑交じりに?)認める。まともな小説の創作コードを外した作劇なのは確かだが、この辺は本作の大きな賞味ポイントで、さらにまた別の重要な意味がある(あまり詳しくは書けないが)。

 何章か物語が進むごとに次の殺人事件が断続的に発生し、主要人物たちがきわどい行動に及ぶストーリーの流れは実にハイテンポで快い。さらに加えて細部も面白い作品で、たとえば25章のバス内のニース地方の独特の土地勘を印象づける白人市民たちによる黒人青年への差別意識とそれに関連するトラブルの描写。大筋的にはもっと簡単なストーリーの流れにしてもよいくだりのはずだが、あえてこういうものを盛り込む手際で作品の厚みが生じている。作者グリゾリアはアメリカミステリを愛読し、なかでもチャンドラーが好きだそうだが、なるほど創作上の私淑ぶりを感じるところもある。

 連続殺人事件の実行犯そのものは中盤で読者にわかるように書かれているが、その背後に潜むのであろう黒幕の正体、どういう観点で被害者が選定されているかのミッシングリンクの謎、そしてその謎にからむホワイダニットなどの興味は終盤まで持続し、最後に明かされる犯人像もかなり強烈である。正直、ここまでイカれた悪意というか情念の主が出てくるか! という感じで舌を巻いた。
 ただしミッシングリンクの真相そのものは存外につまらないこと、さらに真犯人は意外ながら、一方で連続殺人ものの構造ゆえに登場人物がどんどん減ってくることから推察するのはそんなに難しくはないこと。その2つのポイントは弱点といえば弱点だが、得点的に読むならページが残り少なくなっていくなかでまだ事件の全貌が見えない緊張感とサスペンスも踏まえて、それらの失点を補ってあまりある面白さだった。「海の警部」シリーズは少なくとももう一作邦訳があるみたいなので、そちらもいずれ読んでみよう。

No.391 6点 CUT- 菅原和也 2018/09/02 20:20
(ネタバレなし)
 キャバクラ「フォクシー」の従業員である24歳の青年、安永透は21歳のキャバ嬢「エコ」を車で送るその夜、首を切断された若い娘の惨殺死体を発見した。やがて透は、怪しげな探偵事務所とも縁のあるエコから、似たような猟奇殺人事件が半年前にも起きている事実を指摘される。そんななか、フォクシーの常連客で、透とも面識のある中年の翻訳家・月島健二の周辺に不審な人物の存在が認められ、透はエコとともに月島のマンションに赴く。だがそこで透たちが出くわしたのは、殺人者が侵入不可能な状況「重力密室」での怪異な殺人事件だった!
 
 菅原和也の第二長編。比較的コンスタントに秀作・佳作を放ち続ける作者だが、これもケレン味満載な上に頗る高いリーダビリティでサクサク読み進められる。冒頭から、主人公・透の三人称視点とは別の流れで謎の殺人者が登場する。とはいえ登場人物の絶対数が多くないこと、何らかの仕掛けがあるだろうという予想から、犯人の正体を察するのはそう難しくないだろう。
 ただそんなフーダニットの興味に加えて、本の重さで床が抜ける寸前のマンションの一室(透たちが入って本当に抜けてしまう)で殺人を行った犯人はどのように部屋に入り、どのように脱出したのかという「重力密室」の趣向などは相応に面白い。真相を知るとなんだ、の部分はあるが、変化球の密室設定としてはひとつのアイデアである。
 しかしこれ、本当はシリーズ化しようとしたんだろうね。続編らしいものはまだ書かれていないと思うけれど。

No.390 6点 暴力教室- エヴァン・ハンター 2018/09/02 20:18
(ネタバレなし)
 1950年代のニューヨーク。元海兵隊で身重の妻アンと二人暮らしの青年リチャード(リック)・ダディエは、北地区実業高等学校の英語教師の職を得る。同校は学級崩壊寸前の不良生徒の巣窟だったが、折しも新任校長のウィリアム・スモールは蛮行ともいえる強引さで校内の浄化を考えていた。一方で生徒たちの心を掴もうと懸命になるリックだが、彼を悩ましたのは、受け持ちクラス内のややこしい力関係、そして大半の生徒たちの絶望的なほどの学力の低さだった。それと前後して、彼はクラスのリーダー格の黒人少年グレゴリー・ミラーのひときわ高いIQとさばけた言動に注目。彼をクラス委員に任命して教室の統率を図る。だが校内で同僚の女性教師ロイ・ハモンドへの暴行未遂事件が発生。不良生徒をやむなく腕力で制したリックには、校内のあちこちから敵意の目が向けられる。やがて事態は謎の投書主による、スモール校長や妻アンへの怪文書が届くに至り……。
 
 1954年のアメリカ作品。今回はハヤカワNV文庫の決定版(晩年の作者の、当時を回顧した序文がついてる)で読了(初読)。
 本作は新旧のNV文庫のほかにポケミスにも世界ミステリ全集にも収録されている、50年代当時に隆盛した非行少年もの(その意味で広義のミステリ)の代表格的な声もあり、いつか読みたいと思ってた。しかし実際に目を通して見ると予想以上に普通小説というか、非ミステリのフツーの学園ドラマぽかった。
 それでもリックを襲う暴力沙汰のサスペンスはあるし、謎の怪文書の送り主が誰かという終盤までのフーダニット的な興味はあるし、ぎりぎり現代ミステリのジャンル枠にカテゴライズしてもいい作品かとは思うが。
 
 内容の方は、さすがにハンター(マクベイン)が後年になっても思い入れをこめて語っている自信作だけあって、現実と時には折り合うことも心得ながら教育の理想を求める正義漢リックの内面とか、本作の最大のジョーカーである(物語のなかでどう化けるのかが大きな興味となる)黒人少年ミラーの内省とか、その辺は時代を越えた普遍的な力強さで描き込まれている。教育現場に足がついてるとはいいがたいスモール校長と、リックをふくむ<闘いの前線>に立つ複数の教師たちとの対比も良い。
 一方で、20世紀末~21世紀現代の、ずっと陰湿化したイジメやスクールカースト問題を抱えた学園ドラマとかに比べれば、牧歌的な部分もなくはないが、それでも最後「それから北地区実業高等学校は(中略)になりましたとさ、めでたしめでたし」で幕を引かなかった決着の付け方など、作者ハンターが当人なりに作中の現実に真剣に向き合った矜持を示した感じで、そういう意味の充足感はある。50年代作品、現代の新クラシックという目線抜きには語っちゃいけない作品ではあろうが、十二分に心の満ちたりは感じる。
 まあそれでもリックの理想と奮闘、そして彼と生徒たちとの絆をもってしても救えなかった者は、手の平からこぼれる砂のように出てしまうんだけど。それもまた、本作の言いたかったことであろう。きっと。

No.389 6点 誰でもない男の裁判- A・H・Z・カー 2018/08/30 16:54
(ネタバレなし)
 私的に今年の8月はいささか忙しかったこともあって、本書を手に取ってから読了するまでちょっと時間がかかった。以下、簡単に各収録作の寸評。

『黒い小猫』……どういうものを書きたいかはわかるけれど、愛猫家にはツラい話。現実にこういう傷ましいことが起きないように、適切な対応を心がけるように、というのも作者の言いたいことではあろうが。もう二度と読みたくない。
『虎よ!虎よ!』……ややこしげな意匠を省いたら、そんなに大した話ではないのでは?
『誰でもない男の裁判』……ミステリマガジン601号のオールタイム短編ベストでも上位に食い込んだ名作だが、送り手の主張が際立ちすぎて却って冷めた。よくある、いいたいことはわかるんですけどねー系の一本。
『猫探し』……『黒い小猫』の口すすぎ編。一本の作品としては良い話だが、あっちと同時収録なので割りを喰った感じ。
『市庁舎の殺人』……思わずニヤリとする事件の真相。この本はここからが見違えるように面白くなった。
『ジメルマンのソース』……エリンとスレッサーあたりの秀作二本をブレンドして、同じ数で割ったような味わい。語り口のうまさをとにかく感じた。
『ティモシー・マークルの選択』……日本の昭和時代の中間小説誌に載る短編ミステリという感触だが、これも語り口の秀逸さで読ませる。オレもスカートをはかずにパンティだけで街を歩く美少女に会ってみたいもんだ。
『姓名判断殺人事件』……こういう種類のサプライズが来るとは思っていなかった。最後を締める秀作。まあ21世紀ではこのトリックはまず不可能だろうけれどね。

 ……というわけで後半の面白さを前半のイマイチぶりが相殺して、この評点。しかしいくつかの作品は日本版EQMMやHMMで昔に読んでるはずなのに、けっこう忘れているもんだ。
 この作者はもう一冊分、日本でオリジナル短編集が組めるくらいの作品数があるようなので、いつか刊行してほしい。そっちは当たりの打率が高ければいいなあ。

No.388 6点 呪いの塔- 横溝正史 2018/08/30 16:18
(ネタバレなし)
 猛暑にうだるその年の夏。出版社「郁文社」の編集者で同時に作家でもある青年・由比耕作は、知己の探偵小説作家・大江黒潮から、軽井沢に避暑に来るよう誘われた。黒潮の借りる別荘に着いた耕作は、そこで大江夫人の折江や映画監督の篠崎宏、女優の伊達京子ほか複数の人物と対面。一同は黒潮の提案で、近所にそびえ立つ300フィートの巨塔「バベルの塔」で殺人ゲームの余興を行うが、そこで本当に殺人事件が発生。しかも濃霧のなかに謎の四本指の怪人の姿が浮かび上がった。耕作は黒潮の幼なじみの天才と称される青年・白井三郎とともに事件の深部に関わっていくが……。

 昭和7年8月に、戦前では有数の描き下ろしミステリ主体の叢書「新作探偵小説全集」(新潮社)の一冊として刊行された作品。作家となった横溝のデビューほぼ10年目の作品で、初めての本格的な長編ということになる(角川文庫版で400ページ近く)。
 300フィート(約90メートル)という戦前の国内建造物ではおよそリアリティを欠く主舞台「バベルの塔」の設定を始め、奇人的な探偵作家、霧のなかの殺人ゲーム、謎の怪人の出没……ともうこの時代からいかにも横溝世界だが、そういった外連味ある趣向の相乗で通俗謎解きミステリとしてはそこそこ面白い。最後に明かされる不可能興味の殺人トリックも現実味はともかく、奇術的な手際としてはけっこうツボである。
 ちなみに主要キャラのひとり・大江黒潮は作家デビューする前、志那蕎麦の屋台を引いていたという楽屋オチからもわかるとおり、まんま盟友・乱歩の投影(さらにもう一人二人、モデルがいる……かな)。その辺に気づくと(気づかない人はそういないと思うが)事件の真相もああ、そういう方向の作品だったのね、という感じでハタと膝を打つ。角川文庫の解説で中島河太郎は本作を「パロディーの趣向」を盛り込んだ作品という主旨の記述をしているが、本当にそうだよね。とはいえ、大概のミステリファンはこの時期の乱歩と横溝がまだ盟友(あの乱歩の『悪霊』中絶事件以前だし)と知ってるから笑えるけれど、両者の関係を知らないで素で読んだ人のなかには「なんだこりゃ」と怒った人がいたかもしれん。そう思うとなんか楽しい。

 最後に、前述の角川文庫版の河太郎の解説は、本文より先に読まないことをお勧めします。思いきりネタバレしてるので。

No.387 7点 アンクル・サイラス- シェリダン・レ・ファニュ 2018/08/29 18:17
(ネタバレなし)
 19世紀。ヴィクトリア朝時代の英国。美術界の大物で土地の名誉治安判事でもあった父オースティンの莫大な遺産を受け継いだ淑女、「私」ことモード・ルシンは、当時17歳だった青春の日々を回顧する。それは過去に殺人犯人の嫌疑をかけられたこともある叔父サイラス・エルマー・ルシンの自宅で過ごした、忘れがたき連日の記憶であった……。

「海外ミステリファンとして、こういう古典もちゃんと読んでおきましょう」シリーズの一作。言うまでも無く作者レ・ファニュは、かの女吸血鬼カーミラの創造主。さらに本作『アンクル・サイラス』 (1864年)と並ぶもうひとつの同時期の大長編『ワイルダーの手』(1864年)は、かの瀬戸川猛資が生前にネタ的に話題にしていたこともあり、そっちの方からこの作者を記憶している人も多いかもしれない。ちなみに本作は、例のジュリアン・シモンズの「サンデー・タイムズ・ベスト99作」の4番目に入っていることでも有名ですな。

 それでこの『アンクル・サイラス』上下巻で邦訳は全800ページ弱の大作だが、実際に読むまでは『ケイレブ・ウイリアムズ』や『オトラント城奇譚』あたりの『モルグ街の殺人』以前の時代の作品と思っていた。しかし現実には『月長石』よりも少し後の刊行なのね。そういう意味じゃ、れっきとした近代ミステリである(英国の読書人の間では現実に、よくコリンズの『白衣の女』と比較されるそうだし)。
 
 作品の内容は、富豪の老父ひとり若い娘ひとり使用人いっぱいのルシン家に不審な中年の女性家庭教師マダム・ド・ラ・ルジュールが推参し、家庭をかき回すくだりが上巻の前半で、主人公モードと彼女の攻防みたいな展開はなかなか読ませるものの、肝心のタイトルロールの叔父サイラスは一向にまともに出てこない(劇中人物の話題には登る)。こういう作りの作品なのかな……と思って読み進めると中盤から物語が大きく動き出し、あとは最後までひと息に読ませる。起伏に富んだ展開は普通にじゅうぶん面白い。まあいかにも19世紀の英国大長編ゴシックロマンっぽい物語だけどね。

 とはいえミステリ的に興味深かったのは、過去に叔父サイラスが嫌疑をかけられた殺人事件が、誰にも侵入不可能な不可解な状況での密室殺人だったこと。まあさすがに、まともな謎解きに終るわけもなく、物語の中心に来る興味でもないんだけれど、このあたりはちゃんと作者がポー、ディケンズ、コリンズらの、これから脈動していく現代ミステリの始祖の仲間入りをしようと色目を使った感じでなんか微笑ましかった。
 ただし一方でこの作品、あるメインキャラの心の動き=とある行為の動機について、最後まで読み終えて結構大きな疑問が残る(もちろんここでは詳しくは書けないけれど)。解釈はいくつか可能だけれど、その辺をあれこれ考えて賞味の幅を拡げてもいいかもしれない。そんな風に読者を振り回すことが実際に作者が意図した狙いか、筋立ての都合でそうなったかは、たぶんわからない気もするが。

 ちなみに昨日8月28日は作者レ・ファニュの誕生日(1814年生まれ)だった。もう二世紀も前の、我が国の明治維新よりずっと昔のことなんだわな。

No.386 4点 虚栄の掟―ゲーム・デザイナー- 佐藤大輔 2018/08/04 15:21
(ネタバレなし)
 1990年代の半ば、家庭用ゲーム機の人気が袋小路に入り始める時代。神保町のゲームソフト開発企画発売会社「クロスアート」のゲームグラフィッカーだった「僕」は、ある日、社長から、社内の誰かが独立する気配があると聞かされた。「僕」は周囲のスタッフの動向に関心の目を向けるが。

 ゲームデザイナー出身の作家(主に架空戦記もの)で、少年時代はマクリーンやチャンドラーの愛読者だったという著者(2017年に52歳の若さで逝去)による、古巣のゲーム業界を舞台にしたミステリ。
 ……ということで期待して読んだのだが(ちゃんと裏表紙に「本格ゲーム・ミステリの決定版!」と謳ってあるし)、ミステリとしては薄味。別に殺人なんか起こらなくてもよいのだが、誰が企業的な内乱を企てているかのフーダニットかと思いきや、その辺の興味に強く応えたものではなかった。

 評者はこの人の作品は、中絶しちゃった世紀末ゾンビコミック『学園黙示録 HIGHSCHOOL  OF  THE DEAD』(原作を担当)しか縁がないのだが、関わったゲームや小説群には妙にカルト的なファンがいるようで、本書もAmazonではそれなりに古書価が高騰。これなら広義のミステリ的になんかあるんだろ、と思って手に取ったんだけどね。
 今となっては20年も前のゲーム業界最前線の描写なんか平成・考古学の話題だし(もちろん、それはそれで意味があるのだが)、その上であえて当時の現場にいたスタッフしか覗けないエッジの効いた人間描写とかあるかとも思ったが、その辺も存外に普通だった。さすがにところどころ、甘ったれた職業人に対してのクールでニヒルな視線はあるけれど、それがまあおおむね納得できるお怒りという意味で、逆説的にインパクトはない。
 まあ関心が向いた作品を気分のままに手にするのも読書の醍醐味だから、それはそれでいいんだけれど。

No.385 4点 オーパーツ 死を招く至宝- 蒼井碧 2018/08/02 01:04
(ネタバレなし)
 第1話のぶっとんだ密室トリック自体はなかなか楽しかったので、連作の全編をこの調子&このレベルで見せてくれるかと思いきや第2話でフツーになり、さらに第3話がなんじゃこりゃ?! の出来であった。
 戦前のあの作品の大ネタを解決に用いて、しかもそれだけじゃもたないからアクションでヌカミソサービスか。なんか三十年前のファミコンゲーム雑誌全盛の時代に、まともな攻略記事を作れない三流雑誌がゲーム画面の脇にアイドルの女の子を立たせてお茶を濁した痛い哀しい事例を思い出したわ。それで最後の第4話はそれなりにまとまっているんだけど、このトリックに気がつかない読者はいないでしょう。しかもフーダニットの興味は完全に放棄してるし。
 第2話から登場のヒロインを交えたメインキャラ3人のキャラクターはそこそこ良かった。その点でおまけしてギリギリ5点あげてもいいかとも思ったんだけど、実はさっき誉めた第1話のなかで個人的に腹の立つ部分があったからやっぱり減点してこの評点。シリーズ続巻が出たとしたら、他に先に読んだ人の評判を聞いてから手に取るでしょう。

No.384 5点 暗い窓- トマス・ウォルシュ 2018/08/01 01:19
(ネタバレなし)
 1950年代のニューヨーク。パーク・アベニュー周辺にある全23階の高層ホテル「ホテル・インピリアル」は一人の賓客を迎える。それは共産圏の某国から亡命し、その発言は西側社会にも相応の影響力を持つ要人、ポール・ブルーバ僧正だった。僧正はアメリカで反共主義の意義を説く講演を何回か行う予定で、その催事は多数の聴衆を集めて多額の金が動くことが見込まれた。だが老体の当人は故国での過酷な生活が祟ってしばらくは静養が必要で、講演などまず無理だった。僧正の亡命~講演プロジェクトに関わった悪徳新聞記者フランシス・ジャニセックはここで一計を案じ、すでにアメリカ国内で見つけていた僧正の遠縁にあたる浮浪者の老人ジョセフを彼の替え玉に仕立て、僧正の講演を予定通りに行おうとする。だが奸計のひずみのなかで事態はホテル内の殺人事件にまで波及。ホテルの夜間保安主任で元刑事の青年レイ・キャシディは、悪事の全容も見定まらぬ陰謀のなかに分け入っていく。

 1956年のアメリカ作品。日本では1960年代初頭から刊行された東京創元社の叢書「世界名作推理小説大系」の第22巻に初訳の形で訳出され、その後21世紀の現在まで一度も創元推理文庫にも収録されたことのない(つまりこの叢書でしか読めないという)ちょっと変わった翻訳状況の長編である(本叢書における同類の例は、あとはフレドリック・ブラウンの『B・ガール』のみのはず)。
 そんな書誌的事実からの関心もあって前から気になっていた作品だが、読んでみると……うーん、良いところと悪いところが相半ば。
 物語のあらすじを読んでもらうと主人公は悪人の新聞記者ジャニセックのように見えるかもしれないが、設定上では彼はあくまでメインの悪役(よく言ってもせいぜい副主人公格)にすぎない。本来の主人公はホテルの保安係(いわゆるホテル探偵)のキャシディの方なのである。この辺は、入念にキャラクター設計に盛り込まれたキャシディの文芸設定(刑事の公務中に悪人の銃弾を受けて一年以上も重傷の病床にいたこと、その間に以前の恋人に去られたこと、そのトラウマに今も捕われて警察を辞めたこと、しかしそんな彼の心身の再起を、同じホテルで働くヒロインのフローレンスや元同僚で友人の刑事ハネガンなどが応援してること……などなど)からも歴然としている。
 とはいえこの物語、僧正の亡命~ホテル内でのすり替えなど、妙に犯罪の設定をややこしくしてしまったことが祟って、実際にドラマを動かすのはもっぱら悪役のジャニセックとその仲間たちの方である。
 キャシディは部下の保安要員をひとり殺されたことから、このホテルで何かが起きていると不審を抱き、捜査を始める。これはいいのだが、ホテルの賓客たちを無闇に騒がせてはいけないという作中のリアリティも枷となって地味で受け身の行動しかできない……。
 たぶん作者ウォルシュは、心に傷を抱えたキャシディが突発的な事件の窮地のなかで克己するドラマを描きたくて密な主人公の設定を用意したんだろうが、悪役側の悪事が露見・破綻するか否かのスリルとサスペンスの方が書きやすかったようで、そっちの方面ばかり盛り上げていく。いや、それはそれでストーリーの加速感と求心力はあったのだが、送り手の所期の勝負所がズレてしまったのは明らかであった。
 当初から十全に用意しておいた主人公の文芸を練り上げていき<以前の刑事時代のように銃を持てないキャシディの苦悩><悪人の凶行に立ち向かうおののき><そしてそれらのストレスをのり越える再起の物語の高揚感>をきちんと描いていれば、80年代になってから北上次郎が大騒ぎしたかもしれないのに、ああもったいない。
 とはいえメインストリームの押しが弱いという大きな欠点を抱えた本作ながら、細部ではところどころ心にひっかかる部分がないでもない。特に終盤の、あるツイストは、ああ、いかにもアメリカ風の(中略)だなという印象ながら、職人作家的にツボを抑える底力は感じた。そういう意味ではたぶんこれからも記憶に残る一作になりそうなんだけどね。
 ちなみにウォルシュののちの作品『脱獄と誘拐と』(62年)では主人公が主体的かつ能動的にメチャクチャ動きまわるのだが、その辺は本書を書き上げたウォルシュが「やっぱいくら主人公に綿密な文芸を用意しても、それを活かす主人公主軸のストーリーを用意しなきゃダメだな~」などと反省したのかもしれん。評者は勝手にそんなことも考えたりもしている。

No.383 6点 ルビンの壺が割れた- 宿野かほる 2018/07/30 11:59
(ネタバレなし)
 50代になってSNS(Facebook)を始めた水谷一馬は、かつて自分と結婚寸前までいった女性・美帆子とweb上で再会した。彼らは、一馬が大学の演劇部で部長を務め、美帆子がその部員だった青春時代を振り返る。やがて当時の記憶の中から、忘れがたいあの思い出が頭をもたげて……。

 2018年7月現在Amazonで150以上のレビューを集め、Twitterでも反響を呼んでいる話題作。仕込みやヤラセじゃなければ大したもんだ、どんなんだろ、と読んでみた。
 全体の紙幅は四六判の一段組で、本文が160ページ弱。しかも全体が一馬と美帆子のメールでのやりとりという書簡形式なのでリーダビリティは最強。その上で、メール一文が長めだったり短めだったり、また時には相手から返信がなく同じ書き手のメールが二回続くとか、その手の緩急もつけてあり、これ以上なく凶悪なほどにスラスラ読める。
 んでもって最後のサプライズは驚かされたもののかなり唐突で、この小説の作り方だったらほかのいろんなネタも、悪い意味でいくらでもアリだよね、という思いが強い。ただまあ、底が割れてから物語全体を振り返ると<そういう背後の真実>(もちろんここでは書けないが)を前提にしながら(中略)し続けた登場人物の内面にはひしひしと恐怖を感じる。その辺は、作者の狙ったところだろう。

 まあ一方で、この物語の流れ(メールのやりとり)のなかで<一番隠されていた大ネタの部分>に、主人公双方のどちらもメールの話題にカスリもしないというのは、かなりの無理筋という気もするが。この辺は、何回か途中のメールが何らかの理由付けで本書内の記述から割愛されて、その部分は読者の目に触れない(そこで主人公たちは該当の話題を話しあっていたことが暗示される)とかできなかったかな、と思う。
 それでも、作者が障害物競走のゴールをめざして完走した気分は伝わってくるようで その辺の感覚は悪くはないのですが。

No.382 6点 新選組殺人事件- 加藤公彦 2018/07/27 14:07
(ネタバレなし)
 昭和50年代のある年の3月。身元不明の老人の他殺死体が、都内の本郷四丁目で発見される。前日にその老人は地元の巡査に道を聞いており、老人は故・藤田五郎こと新選組の副長助勤・斎藤一の縁者を訪ねていたらしいと判明した。同じ頃、新選組愛愛好家・研究家の社会人男女で構成されるサークル「誠の旗」の面々は、迫る会津への探求旅行に胸を躍らすが、そこで彼らを待っていたのは思いもよらぬ殺人事件だった。

 歴代「幻影城」新人賞出身作家のなかではおそらく最もマイナーな方の一人と思われる、加藤公彦が著した唯一の長編。1929年生まれの加藤は20代の頃から映画のシナリオ執筆やフリーライターなどの文筆活動はしていたようだが、現時点のwebなどではその時期の目だった実績は確認できない。
 1978年の「幻影城」新人賞受賞が再デビューの契機だったが、著書は本作と連作短編集を一冊遺しただけで、1987年に重度の糖尿病で他界した。本作は「剣鬼の末裔」の題名で未刊行の遺稿のなかに眠っていたものを奥様が発掘。関係者の協力を得て没後の刊行にこぎ着けた旨が、本書の巻末に奥様自身の述懐で記されている(巻末には「幻影城」関係者として縁のあった権田萬治も、故人を惜しむ弔文と本書の解説を寄せている)。
 ちなみにTwitterでの新保博久教授の証言によると、かの連城三紀彦は無骨な響きの本名「加藤甚吾」にもともと抵抗があり、本格的にデビューする以前は「加藤三紀彦」の筆名を使っていたが、島崎博が、先輩の新人賞受賞者が「加藤公彦」さんなので別のペンネームにしよう、と提言。その結果、連城の名に落ち着いたという。この作者は、そんな当人自身とは別の逸話でも記憶されてよいかもしれない。

 ミステリとしての内容はあらすじの通り、新選組の史実探求に現在形の複数の殺人事件がからむフーダニット。元版(元版しかないが)のハードカバーの帯を見ると、権田萬治が「動機の設定がこれまでにないもので面白い」と賛辞しており、評者は今回、その惹句に興味を惹かれたことと、作者が「幻影城」作家ということへの関心の相乗で手に取った。
 中味の方は当然ながら「新選組」についての蘊蓄が山盛りで(特に主眼となるのは斎藤一と土方、それに芹沢一派あたり)、評者のように<新選組はドラマや映画、漫画などを通じてそれなり以上にスキだが、マジメに探求してはいない>ような人間にも十二分に堪能できる(当たり前ではあるが、生前の作者は新選組が大好きだったらしい)。

 それで謎解き部分は、身元不明の被害者の正体、容疑者たちのアリバイの検証、錯綜する人間関係、繰り返される脅迫行為……と、それなりに具をつめこんでおり、傑出した部分はないが、普通以上に楽しめる(前半から張られた手がかりのひとつは、結構大胆でちょっとだけ面白かったかも)。
 でもって肝心の動機の真相だが、ネタバレを警戒しながら感想を書くと……う、うむむ……あくまでこれはフィクションならアリだよね。ここまで極端な思考に走る人間はいないよね……と一度は思いかけた。が、いやしかし、考えようによっては本書が刊行された1990年当時より、2010年代、web などの発達で世の中の監視社会化が進み、良くも悪くも個人ひとりひとりの自意識や承認欲求が高くなった現在の方が説得力がある、そんな種類の犯人の心の動きかもしれん。そういうことをアレコレ考えさせてくれるという意味ではなかなか興味深かった。
 ちなみに本書は、今はなき新人物往来社から刊行。同社は小説とかに縁がなかった訳ではないけれど(なんと言っても宮部みゆきがここからデビューだし)、本書の場合はとりわけ新選組という主題が、編集部の方にも響いたんだろうな。

No.381 6点 ジェニーの肖像- ロバート・ネイサン 2018/07/24 06:48
(ネタバレなし)
 1938年冬のニューヨーク。27~28歳の貧しい無名画家イーベン・アダムスは、セントラル・パークで古めかしい服飾の黒髪の美少女ジェニー・アップルトンに出合う。まだ子供ながらどこか人を引きつける魅力のジェニーとはそれきりの出会いだったが、彼女をモデルにイーベンは肖像画を描き、それはなじみの画商ヘンリー・マシウズの評価を得た。勢いづいたイーベンは、友人でユダヤ人のタクシー運転手ガス・メイヤーなどの応援を受けながら画業に励み、やがて彼は自分に好機を授けてくれた少女ジェニーと再会する。だが彼女の言動はどこか奇異な印象があり、そしてその容姿は前回に比して不思議なほどの成長を見せていた。

 1939年に原書が刊行された、今さら説明の要もない時間&恋愛ファンタジーの名作。
 ジェニファー・ジョーンズとジョゼフ・コットン主演の映画も大昔に観て泣いた、それよりはるか昔に本作を下敷きにした石ノ森(石森)章太郎の少女漫画の大傑作短編『昨日(きのう)はもうこない だが (明日)あすもまた……』にも魂を揺さぶられた。しかし肝心の原作はようやっと、昨日読んだ。

 正直、大筋はもうわかりきっている作品なので、細部を賞味することが今回の読書の実動になるのだが、きわめて当たり前のことながら、すべての原点のこのオリジナルの小説にはまた独自の良さがある。イーベンの借家兼アトリエを訪ねたジェニー(3段階目になるのか?)が自分から掃除を買って出てすすだらけになる、本当に刹那ながら小さな幸福の、萌え描写とかなんとか。
 あと、Wikipediaを観ると映画ではジェニーの姿はイーベンにしか見えず、大家のジークス夫人や友人のガスには視認できないという潤色がされてたそうだが’(そうだったっけ)、小説ではイーベンのみならず彼の周囲の面々とジェニーとの相関もちゃんと書かれている。ただしジェニーとは、ジークス夫人から見てあくまで「イーベンの元に来るモデルで恋人らしき娘」であり、ガスから見てもまぎれもなく「友人イーベンの彼女」なのだ。主体として関わり合える人間は結局はイーベンのみ。そこまで読み取ったとき、映画の脚色が当を得ていることはわかる。
 
 小説版の独自の輝きで、イーベンの友人ガスの描写が妙に心に残った。イーベンはジェニーへの恋心を自覚して、その思いの熱量を画家の才能の開花に変えていくのだが、そのとき、今までは本当にちょっとだけタクシー稼業での儲けがあってイーベンに食事をおごり、時には仕事を世話して、貧しいが才能のある友人を支えてきていたガスは居場所を失う。もう友人に自分は必要ないという心の痛みを感じ、そして友人が世の中に浮かび上がっていくなかで、自分だけ置いていかれるんだという切ない寂寞感にも捕らわれる。ガスの心情は、イーベンとジェニーの物語の本筋には関係ない。でもこういう部分にちゃんと、あるいはいつのまにか? 筆を費やしてしまうネイサンの作法ってなんかいい。

 石森作品、映画版、そして小説という順番で接してきた自分は、もしかしたらとても幸福だったのかしらん。時間はかなりかかったけれど(苦笑)。

No.380 6点 合邦の密室- 稲羽白菟 2018/07/24 06:02
(ネタバレなし)
 文楽三味線の若手奏者・冨澤弦二郎は、ある日、相方の文楽太夫・冨竹長谷太夫から、誰が書いたともしれない一通の直筆の文書を見せられる。それは親が子に毒を呑ませてその顔を無惨に変貌させ、さらには死者の生首が中空に浮かぶ怪異を記した内容だった。それと前後して彼らの周辺からは、文楽の人形方の生年・楠竹真悟が舞台を放棄してどこかに消え去る変事が生じた。一方で、弦二郎の友人で劇評家のライター・海神惣右介は生き人形作家の二代目・梅本久太夫を取材。その訪問先で驚くべき事物を目にする。やがて事態の流れは、1968年に瀬戸内海のある島で生じた殺人事件へと連なっていくが……。
 
 第9回・ばらのまち福山ミステリー文学新人賞の準優秀作。
 内容はあらすじのとおり、文楽(ぶんらく)=人形浄瑠璃の一種で、大阪を発祥の地・本拠とする「人形浄瑠璃文楽」を主題としたもの。一読してそのジャンルに何となく通じたような気分になる、業界ものというか情報小説っぽい作り。なんか乱歩賞作品っぽい。
 冒頭で語られた魅力的な怪異の謎がページをめくるうちに「実はただの紙の中の話? ……なんだあ……」と一度は思わせておいて、しかし物語半ばからちゃんと現実の事件として再浮上してくる流れなど、なかなか良い。
 ストーリーの後半、舞台が本当のステージである瀬戸内海の小島・葦船島に移り、そこで過去の事件に焦点を当てながら、怪しげな人物が続々と集まってきたところで密室(的な)事件が発生。リアルタイムの犠牲者が発生する段取りも手堅い。
 ただし、なんだろう。それこそ不可能犯罪の興味から昭和の社会派ネタまで続々と盛り込み、合わせ技で勝負をかけてくる一方、ひとつひとつのパーツが薄いような。特にあるキーパーソンが守り続けた秘密の情念はなかなか迫力があるものの、作中のリアルとしては(中略)や(中略)などどう処理していたの? という疑問が浮かぶ。
 とはいえ料理の具それぞれの水っぽい感じをそれで一応よしとするなら、仕掛けはそれなりに以上多い作品で、その辺は魅力。実はあんまり読んだことないんだけれど、頭のなかに勝手にある<山村正夫センセあたりの二線級パスラー>ってこういう感じだろうか、というイメージ。妙に昭和っぽい味覚もふくめて、それなりに楽しめたけれど。

 ひとつお願いというか気になったのは、登場人物表。中盤、密室状況の空間から消えて死体で発見される登場人物の名前は、ちゃんと入れておいた方がよいと思います。

No.379 6点 まだ殺されたことのない君たち- イゴール・B・マスロフスキー&オリヴィエ・セシャン 2018/07/24 04:57
(ネタバレなし)
「私」こと著作の発行部数が3000万部の売れっ子作家レスター・キャラダイン(48歳)はある朝、自分が幽霊だと気づいた。彼の肉体は毒殺された可能性があるが、真犯人は不明。幽霊のキャラダインは、捜査を進めるロック・ハウアリー警部にこっそりと随伴し、あまりにも多すぎる容疑者たちのもとに順々に出かけていくが……。
 
 1951年のベルギー作品。オサリヴァンの『憑かれた死』やカリンフォードの『死後』に先んじる(もしかしたら世界初の?)幽霊探偵もの。
 作者の一方、イゴール・B・マスロフスキーはフランスではそれなりに有名なミステリ作家で、本書は友人のオリヴィエ・セシャンとの合作。翻訳はあの木々高太郎が担当している(とはいえ実際の翻訳は、共訳者で、当時のSFファンダムで活躍していた人物の槇悠人が大部分を手がけたらしい)。

 木々の訳者あとがきによると、彼が1956年にベルギーに旅行した際に時間を工面して会ったミステリ作家が二人いた。その一方がもちろんシムノンで、もう一人が、このマスロフスキーだったそうである。その折にマスロフスキーとミステリ談義を交した木々が「日本に何か君の代表作を紹介したいと」申し出た際、相手が自薦したのが、フランスのミステリ叢書「マスク叢書」の「冒険小説大賞」を受賞した本作だった。

 翻訳書は二段組みながら本文が約180ページとやや少なめで、さらにフランスミステリらしいハイテンポな筆致で一気に読める。
 キャラクター描写も全体的にウィットに富み、主人公のキャラダインからして成功した作家ながらところどころ小物臭い(紳士を気どりながら、いつのまにか飄々と他人の妻を寝取ったりする)人物で、その辺が笑いを誘う。
 さらに中堅~大家の小説家をすがめで見る一発屋の文筆家のひがみっぷりや、現実で気にくわない相手を小説内で恥をかかせたり粗雑に殺したりして安っぽい万能感にひたる作家たちの俗物ぶりなど、それぞれドライなユーモア感覚で描かれる。
 特に主人公が、先輩の大物スパイ小説作家から送られた献本の感想を聞かれるものの、実際には受け取った本を読みもせずすぐに近所の御用聞きにくれてやったため懸命にごまかすあたりは、ゲラゲラ笑った。この辺は日本の小林信彦か筒井康隆あたりを思わせる雰囲気だ。
 あとこの「幽霊探偵」という趣向ならではのストーリーのひねりが後半にあり(もちろんここでは詳しくは書かないが)、その辺もなかなか面白い。該当の作劇は、後発の幽霊探偵ものでもあんまり見られないような気もするし。

 とはいえ本作の基軸は、当時としては斬新的な設定のなかにフーダニットの興味を持ち込んだマトモ? なパズラーで、最後に明かされる事件の真相もそれなりに意外。ミステリとして素直に読んで、十分に楽しめる。
 現状の古書相場では一定して高価なようだが、安く入手できるか借りられるなら歴史的な意味も込めて一度は読んでおいた方がよい佳作~秀作であろう。
 ちなみに翻訳書には本文の挿し絵や扉などに、おなじみ真鍋博の洒落たイラストや線画が添えられており、この辺も魅力。

No.378 7点 戦後の講談社と東都書房- 伝記・評伝 2018/07/10 13:55
 講談社で雑誌「キング」最後の編集長を務め、叢書「ロマン・ブックス」の発刊も企画&担当。さらには講談社の系列組織・東都書房に移籍して「東都ミステリー」「日本推理小説大系」などの企画も推進。後年は乱歩賞の予選選考委員も20年以上担当した名編集者にして、日本推理作家協会の名誉会員でもある原田裕(本書刊行時点で90歳)へのまるまる一冊インタビュー本。論創社の叢書「出版人に聞く」シリーズの一冊でもある。

 日本ミステリ史に(わずかばかりの)関心を持ちながら、浅学の徒である評者などには初めて教えられる情報や逸話が満載の驚嘆すべき一冊であった(特に坂口安吾の絶筆を高木彬光が補作した『樹のごときもの歩く』についての逸話などとても興味深い)。
 原田氏の半世紀近くに及ぶ編集者生活の中から生み出されたミステリ関連の叢書には評者もそれぞれ何らかの形で、受け手の末席から接しているが(さすがにひとつの叢書を丸々全巻読破、あるいはコレクションしているというものは全くないが)、この人のお仕事から得たものの大きさを改めていろいろと思い知った。
 長大な編集者歴の割合には、作家側やほかの編集者の出版業界内の噂的な話題がやや少ない気もしたが、これはこれだけヘビーで充実した人生を送っていれば、ご当人周辺のことを語るだけで十分に一冊の本なんか作れるという実証であろう。昭和の激動の出版界の中を駆け抜けた、まったく羨ましいご生涯である(もちろん余人なんかには窺いしれないご苦闘も山のようにあるんだろうけれど)。
 本書の終盤の方に、作家(ミステリ作家)の自伝や評伝はそれなりにあるが、ミステリ文化を支えた編集者や出版社の方はそれほど語られない、という主旨のインタビュアーとの対話があり、それはまったくその通りだと思う。その意味でも貴重な一冊。

 なお、インタビューは「出版状況クロニクル」で著名な小田光雄氏が担当。原田氏との弾む会話のなかで小田氏はついミステリマニア&研究家としての自分の心情を多分に吐露してしまい、そのあとで「インタビュアーが(取材対象者の談話を差し置いて)自分のことを多く語りすぎるのは恥ずかしい」という主旨の釈明をしている。そんな真面目さというか文筆家としての矜持のほどが何とも頬笑ましい。本サイトのミステリ各作品のレビューなどでも、しばし自分の話題で饒舌になる評者なんか、肝を冷やすような部分ではあった(汗・笑)。
 ちなみに東都ミステリーの作家紹介の部分で、垂水堅二郎=芳野昌之という事実については、なぜか触れられていない。今はそっとしておく事項なのかしらん。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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