皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2223件 |
No.583 | 7点 | わが名はユダ- E・R・ジョンスン | 2019/06/29 03:51 |
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(ネタバレなし)
「おれ」ことジェリコ・ジョーンズは自分の情婦を寝取った弟分を処罰し、その結果5年間の刑に服して釈放された男。だが当年34歳のジョーンズの正体は「ユダ」と呼ばれるマフィアの殺し屋で、当局は現在もなおその事実を知らなかった。つい今しがた自由の身になったばかりのユダは、余命ひと月の重病であるマフィアの老ボス、トニー・カンドリに呼び出され、ある用向きを頼まれる。それは縄張り争いで揉めている町カンザス・シティで、少し前に行方不明になったカンドリの息子の若きマフィア、ジョニーの捜索だった。先に同じ町でユダの幼なじみブラッキー・ショウが何者かに殺されたこともあり、ユダはそちらの調査もかねてカンザス・シティに乗り込む。そこで彼を待っていたのは、硝煙と裏切りの連続だった。 1971年のアメリカ作品。作者E・R・ジョンスンは1937年生まれ。27歳の時に殺人強盗(第一級殺人罪)で懲役40年の刑罰を受けながら、獄中で小説を執筆。1968年の処女作『シルバー・ストリート』が同年度のMWA新人賞に輝いた。日本でも数冊の翻訳があるが、当人は60歳ですでに逝去している(釈放後の死亡が獄死かは、英語wikiを読んでも読み切れなかった)。いずれにしろ相応の服役歴のあるチェスター・ハイムズやジョセ・ジョバンニを上回る、異色の経歴の作家だったことは間違いない。 それで本作の設定&ジャンル分類はノワールもので間違いないのだが、筋立てそのものは(巻末の訳者あとがきで翻訳担当の隅田たけ子が語る通り)カンザス・シティに乗り込んだ一人称視点のユダが、行方不明の青年ジョニーの行動の軌跡を探り、関係者から情報を得ていく正にハードボイルド私立探偵小説の定石。アクションやサスペンスも相応にあるが、全体的に良い意味で地に足のついた作風である。 この物語の流れに加えて、そもそも主人公自体が暗黒街や地元の警察にとって危険度100%の存在なので、本編の流れには常に一定の緊張感が宿っている。ドライで抑制の効いた文体も、物語が安い情感に流れそうなところで随時手綱を引き締め、ノワール・ハードボイルドとして実にいい味を出している。特に主人公ユダと、彼が成り行きから窮地を救うことになった売春婦の娘コニー・ハントとの距離感は鮮烈な印象を残した。 ミステリとしての決着も練られたものであり、終盤のツイストが鮮やかに決まっている。 必ずしも敷居の低い作品ではないが、小説を読む楽しみを改めて実感させ、翻訳ミステリファンとしても二年に一冊くらいはこういう長編に触れておきたいと思うような、そんな秀作。この作者のほかの翻訳作品も、そのうち手にとってみたい。 |
No.582 | 6点 | ちょっと一杯のはずだったのに- 志駕晃 | 2019/06/28 02:28 |
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(ネタバレなし)
累計1000万部に及ぶ大人気ミステリ漫画「名探偵・西園寺沙也加の事件簿」の作者で36歳の美女・西園寺沙也加(本名・西山紗綾)が、秋葉原のマンションの自室で半裸状態の絞殺死体で発見される。沙也加はしばらく前から秋葉原のFMラジオ番組でパーソナリティを務めてそちら方面でも人気を呼び、そんな彼女は同番組のディレクターで7歳年下の矢嶋直弥とひそかな恋人関係にあった。しかも事件現場は密室であり、警察は死体の第一発見者でもあった矢嶋に嫌疑をかける。そして当の矢嶋は酒に酔うと記憶を失う傾向にあり、もしかしたら自分が本当に何らかの弾みで恋人を殺し、その際の記憶を失っているのでは……と案じ始めるが。 現在もニッポン放送に勤務の作者が見知った業界を舞台に著した、かなりフツーのフーダニット&ハウダニット・パズラー。 ちなみに本書の裏表紙には真相にたどり着けない警察が、主人公の矢嶋に無理矢理殺人事件の謎を解けと強要するブラックコメディミステリっぽい筋立てのように書いてあるが、これは盛りすぎ。そういうニュアンスが100%皆無とは言わないが、実際には本作の警察はそこまで無責任でアホな態度に出てはいない。たぶんこのあらすじ、出版社の編集が強権で勝手に(?)センセーショナルさを狙って、書いたんだろうね? 本当に全体的に、昭和の二線級パズラーっぽい作品で、嫌疑をかけられた矢嶋に脇キャラの弁護士たちが種々のアドバイスを与え、読者が読んでタメになるような蘊蓄っぽい法律トリヴィアで尺を稼ぐあたりなど、ああ……いかにも昭和40年代っぽい大衆ミステリだなと、ある種の感慨を覚える(笑)。 そういう意味じゃ決して21世紀の謎解きミステリのAクラス群には入りそうもない作品ではあるが、作者としてはたぶん本気でマジメに練ったのであろう(中略)系の密室トリックとかはすごく微笑ましい、妙に心地よい。 なんか藤村正太とか西東登とかあの辺の、今は大半のミステリファンに忘れ去られた(でも一部の好事家に愛される)Bクラスの昭和乱歩賞作家の隠れた佳作という感じである(と言いつつ、藤村作品も西東作品もまだまだ未読多いです。すみません~汗~)。 いや決して馬鹿にするんじゃなく心からマジメに、たまにはこーゆーふた昔、三昔前みたいな昭和風のパズラーっていいな、という正直な感慨なのだ。 クライマックスの謎解きの演出も、最後の小説のまとめ方もどっか田舎くさいんだけど、とにもかくにも読者を饗応するアイデアを盛り込もうという純朴なサービス精神がふんだんに感じられてスキ。 なんにしろ『スマホ』の作者が、次にこういう埃臭く、かつ真っ直ぐな球を放ってくるとは、思わなかった。 チラチラ気にかけていれば、それなりに楽しいものを今後も書いてくれるかもしれないので、これからもそっとマークしていこう。 |
No.581 | 6点 | 地獄の扉を打ち破れ- E・S・ガードナー | 2019/06/27 19:38 |
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(ネタバレなし)
メイスンがデビューする『ビロードの爪』(1933年)の前年、1932年に「ブラック・マスク」に掲載されたガードナーの当時のシリーズキャラクターものの5編を集めた中短編集。ミステリデータサイト「aga-search」の情報によると、日本独自に編纂・集成した一冊らしい。 収録作は ①「あらごと」(幻の怪盗エド・ジェンキンスもの) ②「ブラック・アンド・ホワイト」(同) ③「二本の足で立て」(秘密機関員ボブ・ラーキンもの) ④「浄い金」(青年弁護士ケン・コーニング&秘書ヘレン・ヴェイルもの) ⑤「地獄の扉を打ち破れ」(同) ①と②は完全な正編&続編の姉妹編。ガードナーのストーリーテラーぶりが短い紙幅の中でも十全に発揮された作品で、特に②の方は通例の義賊ものというかプロフェッショナルによる悪党を罠にはめる作戦ものならモブキャラに終りそうなある種の登場人物を物語の表に出し、ひねった筋立てに仕上げた秀作。前身である犯罪者からの精神的な脱却を望みながら、悪党相手には縦横無尽の機動力を出し惜しみしないジェンキンスのキャラクターもいい。 ③は①②同様、一人称の「わたし」で物語が開幕するが、先の説明通り、主人公は別のキャラクターに交代。物語の場も変っているのだが、読む際にその辺の頭の切り替えがしにくくて面白がるペースを掴み損ねた(涙)。④⑤のコーニングものが三人称なので、収録の順番はこの③を一番最後にしてほしかった。最後のオチを読むと、これがこのラーキンものの第一弾だったのかな? ④⑤の主人公コンビは本書の裏表紙などでは、メイスン&デラの前身キャラクターという触れ込みで紹介されているが、評者がここしばらくメイスンものを読んでいないこともあるせいか、とても新鮮な感じで面白かった。特にヘレンのおきゃん(死語か?)なヒロインぶりは、評者がアメリカンミステリの秘書キャラクターに求める魅力が炸裂で、すごく楽しい(笑)。このコンビの未訳の事件簿がもしまだ残っていたら、どんどん訳してほしい。それで⑤の方の、夫のために自分を有罪にしてほしいと願い出てくる依頼人から始まる筋運びは、たしかにメイスンものの先駆っぽいぞ。なおフーダニットのミステリとしてはそれなりに意外な設定の犯人だと思うが、犯行の流れにひとつふたつ疑問が残らないでもないが。あと⑤の事件の内容そのものは、邦題ほど強烈で大袈裟なものではないと思うけど(笑)。 なお本書は表紙周りや奥付を見る限り、全部が井上一夫の翻訳のようだが、④のみ実際には平出禾の訳文(本文の最後に小さくそう表記してある)。 んー、ガードナーのシリーズキャラクターものの短編集、今からでも何冊かまとめて発掘刊行されてもいいんじゃないかな。翻訳権ももしかしたらもうフリーになってるかもしれないし。 (もともとの掲載誌が同じだかバラバラだかのどっちかで、翻訳権上の制約がかかるんだっけ。) |
No.580 | 4点 | 歌と死と空- 大岡昇平 | 2019/06/27 18:04 |
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(ネタバレなし)
昭和35年7月18日。27歳の中堅流行歌手の有本晶子(しなこ)が、睡眠薬を呑んで死亡した。過去にヒット曲を続発した晶子だが、最近は活躍の場も減り、人気の衰えを悲観しての自殺と思われた。だがそれからちょうどひと月後の8月18日、さらにまた9月18日。晶子と関わりのあった芸能界の関係者が相次いで殺される。そしてその殺害現場の周辺では、晶子の特徴のある歌声が流れていた……。 作者の処女ミステリ長編『夜の触手』に続く長編推理小説第二弾で、新聞小説として連載されたのち、カッパ・ノベルスで書籍化された。 私事になるが、実はこのカッパ・ノベルス版、今は亡き父親の蔵書にあった思い出があり、今回もそれゆえAmazonでこの元版の古書を入手して読んだ。題名自体もなんか昔からロマンチックな感じであり、いろんな意味で相応になんとなく思い入れのあった作品なのだが……うーん、ダメでしたな。 虚飾にまみれた芸能界を舞台に、ウールリッチの二大傑作『黒衣の花嫁』『喪服のランデヴー』を思わせるような連続復讐譚の枠組みの中でフーダニットが進行する……と書けば、まあその趣向自体にウソはなく、すごく面白そうなんだけど、感情移入できる主人公が最後まで不在なくせに、多数の登場人物の叙述は散漫(人格的にいやらしい人間が多い上に、描写上のカメラも悪い意味ですごく奔放に切り替わる)。読みにくいことこの上無かった。 それで最後に明かされる真相&物語の結末も、いや、通例ならばそういう事態に至る前に、もう少し警察はまともに動くでしょ? 少なくとも捜査線上に名前の挙がっている関係者の面通しの類くらい、何かしらの形でやるよね? という疑問が生じたのだが、その辺にまるで応えていない。 読者は作者の並べた作中の現実の事象のこまぎれに付き合わされ、最後に実はこんな真相だった、と語られるだけだった。これでは良い評価はあげられないだろう。 あと、毎回の殺人の現場に犯人が持ち込んだあるガジェットがあまりにチープ。こんなものを事件の関係者の側に持って行って、張り込んでいる警察の捜査陣から職質でも受ければ一発で犯行が露見してしまうと思うのだが、これはそういう危機感以前の問題のような。 昭和の読み物文化としては、読者のみなさんの憧れる芸能界は実は汚濁にまみれた世界で、女性歌手は枕営業と足の引っ張り合いにかまけ、歌番組やレコード業界の裏方はオンナのつまみ食いと収賄を当たり前にやってるんだと告発小説を書いて、それでことが済んだのかもしれないけど、とても21世紀に残る作品ではなかった。カッパ・ノベルスの裏表紙の結城昌治の推薦文の一節「警察の捜査活動や歌謡曲界の内情なども綿密に調べてあって」というのもどこかむなしい。 まあ昭和30年代の風俗描写の数々だけは、それなりに楽しかったけれど。 |
No.579 | 6点 | 罪ある傍観者- ウェイド・ミラー | 2019/06/26 19:34 |
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(ネタバレなし)
1946年2月4日の夕方。元警官で私立探偵の経歴もあったが、今はサンディエゴの安宿「ブリッジウェイ・ホテル」で常勤のホテル探偵として働くマックス・サーズディは、4年前に別れた妻ジョージアの突然の訪問を受ける。ジョージアはサーズディとの間にできた息子トミーを連れて開業医のホーマー・メイスと3年前に再婚していたが、そのホーマーが学会に出かけて留守の間に、何者かが当年5歳のトミーを誘拐したのだ。犯人は、追って連絡する、警察には知らせるなとの書き置きのみを残していた。夫ホーマーに連絡が取れないジョージアは、困り果てたあげくに前夫のサーズディを頼ってきたのだ。現在のメイス家は医者と言っても、共同経営者と診療所を開業したばかりで貯金もない。となると謎の犯人の狙いは、何かホーマーの握る情報か? あるいは彼の沈黙か? サーズディは窮地の息子を救うため、メイス家の周辺を調べはじめ、同時に、ブリッジウェイホテルの支配人で地元の裏社会にも通じた老女スミティからも情報を求める。だが事件はトミーの安否とはまた別の所で、予想もしない連続殺人へと発展していった。 1947年のアメリカ作品。1950年代から日本版「マンハント」の紹介記事などで、その活躍のみ日本のミステリファンに知られながら、実際の翻訳書の刊行は1985年の本書まで待たされた、合作作家(後年に相棒の片方が逝去し、単独で活動)ウェイド・ミラーによる私立探偵マックス・サーズディもののシリーズ第一弾(なおサーズディものの長編は、これ以外に一本だけ「別冊宝石」に一挙掲載の形で先行して邦訳がある)。 ちなみにウェイド・ミラーの別名義が、数冊の警察小説ジャンルの翻訳があるホイット・マスタースン(マスターソン)なのも世代人ファンには有名。 評者は今回、本書巻末の小鷹信光の解説を読んではじめて(あるいは改めて) ①マックス・サーズディものの長編は全部で6作あること(つまりそのうちの二作のみ既訳)。 ②ただしその6長編は、さらに大きな枠組みのシリーズ「サンディエゴシリーズ」全7作の真部分集合的な括りであり、第一作目にはサーズディが未登場。この第二作『罪ある傍観者』から彼がシリーズの柱になったこと(要はガボリオのルコックみたいなものだな~厳密には向こうは、脇役から主役化だけど)。 ③サーズディのシリーズは単にエピソードの数を重ねていく事件簿の形式に止まらず、サブキャラクターとの絡みなどにおいてある種のシリーズ構成的な仕掛けがあったらしいこと。 ……などなどの情報を知る。特に3の要素は面白そうだが、ナンにしろ翻訳の数が少なすぎるので、その妙味を十全に知ることができないのは実に残念。 ただまあ、実はそんなサーズディシリーズの完結編である第6本目が、先に書いた、別冊宝石に翻訳掲載された長編『射殺せよ!』であり、つまりコレは読もうと思えば日本語でいつでも読める(評者も本は確実に持ってはいるので、そのうち読んでみよう)。 それで話を戻して本書『罪ある傍観者』のレビューというか感想だが、作者ミラーのコンビの目線はミステリの創作者としてはそれなりに高い位置にあり、主人公の探偵の息子がさらわれたサスペンスに物語の焦点を絞るかと思いきや、そちらはそちらでもちろん重大な災厄として主人公にも読者にも意識させつつ、その傍らで浮かび上がってきた別の事件の方にストーリーの軸足を少しずつ移していく。このあたりの話の組立ては、なかなか良い。 犯罪にからむ登場人物のキャラクターがやや弱く、もうちょっと印象的に書き込んでればいいものを、と思う部分もないではないが、いつもの評者のように登場人物のメモを作りながら読めば特に大きな問題も無い。事件の構造のなかでそれなり以上に比重の大きいキャラクターの何人かが、サーズディと出会う前に死んでしまい、読者にも印象を残さない辺りはあまりよろしくないけれど。 ストーリーはテンポ良く進み、中盤で、仕事を世話してもらっているスミティお婆ちゃんをワトスン役のように見据えながら、サーズディが自分が考えた事件についての推理を語り、整理していくのも、私立探偵小説の枠内で謎解きミステリとしての興味を求めたい作者の狙いに沿っている。 事件関係者とのディベートの中で、相手の思惟を自分の計算通りに操縦していく(悪事としてではなく、あくまで便宜的な意味でだが)サーズディのキャラクターのしたたかなたのもしさもいい (しかしサーズディの旧友である地元警察のクラップ警部補とか、本作の警察陣は本当に、サーズディに親身だわ。まあ実はこの人の方が、もともとのシリーズ第一作の主人公だったみたいだが)。 ただラストは……残念ながら、作者がこの作品を丁寧に、きちんとした謎解きもサプライズも設けたミステリにしようと務めた分だけ、却って、先が読めてしまった(汗・涙)。 50年代ハードボイルドの少なくない作品は実のところはた目には意外なほど、折り目正しい謎解き&フーダニットの興味を探っているので(その上で伏線が足りなかったり、ロジックが甘かったりすることもままあるが)、残りあと数十頁……この作品がきちんとミステリとして着地するには……というところでクライマックス以前に物語の底、作品の仕掛けが覗いてしまうことがあるが、今回は正にソレだった。実を言うと、この河出の「ザ・アメリカン・ハードボイルド」叢書の中には、他にもそういう作品が……(これはこれ以上言えない)。 とは言いながら、これはたぶん70年前のリアルタイムで読めばそれなりにインパクトのあった、よく出来た作品だったことも分かる気がする。ある意味ではあまりにも真っ当すぎて、純朴なミステリすぎて、今ではちょっとキツくなった……そんな種類の作品ではある。 そこで、さっきの話題「マックス・サーズディものは、シリーズ構成そのもので何らかの勝負をしていたらしい」に戻るのだが、もしかしたら作者のミラーたち自身も「私立探偵小説の枠内で、ミステリらしいミステリを書いていてもいつかはきつくなる、ならば……」と早くから気づいて、自作のシリーズ探偵の行方に何かしらの文芸性を与え、シリーズの流れに何らかのギミックを盛りこんだのか……とも仮想した。 もしも本当にそうならば、正にそういう作者の狙いこそをこちらもしっかりと実感してみたい、と思うんだけどね。 まずはそのうち、くだんのシリーズ最終作『射殺せよ!』を読もうか。 |
No.578 | 7点 | ポーラー・スター- マーティン・クルーズ・スミス | 2019/06/25 03:18 |
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(ネタバレなし)
時はソ連国内にペレストロイカの新風が吹き始めた1980年代。シベリアとアラスカの間、ベーリング海峡からアリューシャン列島に及ぶ海域で、乗員300人弱のソ連の大型漁獲加工漁船ポーラ・スターは、米ソの合弁事業としてアメリカの小型トロール船二隻とともに長期漁業に従事していた。だがそんなある日、ポ-ラ・スター号の厨房係で、漁業計画に関わる三隻の漁船の乗員である複数の男性たちと肉体関係を持っていた若い娘ジーナ・パチアシュヴィーリの変死体が発見された。ポーラ・スター号の船長ヴィークトル・マルチューク、そして中央政府から派遣されていた政治士官のフェードル・ヴォロヴォーイ一等航海士は、形式的で作業現場の実状を無視したモスクワの干渉が及ぶ前に、この事件の真相を独自に明らかにしようと決定。捜査役を、魚の加工係である一人の中年男性に任せる。彼の名はアルカージ・レンコ。かつてモスクワ検事局(モスクワ警察)に籍を置きながら、さる事情から中央を追われて流浪の日々につき、いまはこの船上に生きる場を求めた男だった。 1989年のアメリカ作品。翻訳刊行時に日本でも話題を呼んだ大作『ゴーリキー・パーク』に続くアルカージ・レンコシリーズの第二作で、前作のラストで劇的な決着を迎えた彼がその後どうしてこのような境遇になったかは、本作中の回想シーンで語られる(前作を覚えてる人には、結構泣ける描写にもなっていると思う)。 物語の大半は、ポーラ・スター号を統括する面々から前歴を見込まれ、さらにアメリカ人相手の英会話も可能ということから特別の捜査権限を託されたアルカージ・レンコが被害者の周辺や事件現場を調べて廻る流れ。設定的には警察小説の変種のような感じだが、実際には主要登場人物と主人公とのマンツーマンの接触・対話を積み重ねていく私立探偵小説の趣に近い。 (なお本サイトでのジャンル登録は、一応の公的な捜査権限を与えられた捜査官という意味で「警察小説」に分類しておく。) 中盤になると何者かにアルカージが襲われる危機や、それなりに派手な窮地からの脱出劇もあるが、紙幅の割には筋運びはおおむね緩やか。それでも退屈しないでほぼ一気に読み終えられたのは、薄暗く、そして湿ったような乾いたような、北方漁業場の大型加工船内という舞台装置が、常に読む側に一定感の緊張を求めているからだった。 特に被害者ジーナの変死が殺人だと、船の乗員全員が容疑者となり、四ヶ月ぶりの内地への上陸がストップになる危険性も生じ、そんななかでアルカージに下手なことを言うなら殺してやる、という周囲の無言の圧力が高まっていく。この辺りのシチュエーションはめちゃくちゃテンションが高い。古今東西のミステリ史上でも最大級の逆境の中での捜査を強いられた、名探偵キャラクターのひとりではないだろうか。 ミステリとしてのストーリーはある種のホワイダニットを通じてフーダニットの謎解きに落ち着くが、作品そのもの、小説としての本当の読みどころは、事件の真相が割れたのちのクライマックス、アルカージと某主要キャラの対峙と、双方の思惟の決着にあるだろう。ネタバレになるのでここでの詳述はできないが、その該当キャラに作者なりの造形を盛り込んだ人間ドラマが実に印象深い。決めとなるシーンのビジュアルイメージはかなり鮮烈だ。 英語Wikipediaを見ると作者スミスは2019年の現在もまだ健在のようで、アルカージ・レンコシリーズもすでに原書で9作を数えているらしいが、日本ではこの後の第三作、第四作のみが既訳。このシリーズもおいおい読んでいこう。特に第三作はサワリを覗いただけで、なかなか面白そうだし。 |
No.577 | 6点 | 明日に別れの接吻を- 笹沢左保 | 2019/06/22 04:41 |
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(ネタバレなし)
元・運輸省航空局の官吏・須賀原純は今から6年前、複数の仲間と組んで愛妻の麗子をレイプした不良大学生・西脇を、激昂の果てに殺してしまった事実があった。夫の殺人の2日後に麗子は自殺。状況を斟酌された須賀原は実刑3年、執行猶予5年の判決を受けた。麗子の実妹で、今は恋人関係になった美由紀の支援を受けながら、あと2週間ほどで執行猶予の期間が完了する須賀原。そんな彼を訪ねてきたのは、旧友の浦松周作だった。浦松は何者かを殺してしまったと告白し、須賀原にアリバイの偽証を願う。しかし今は警察沙汰を何よりも避けたい須賀原がその願いを拒否すると、浦松は須賀原の住むアパートの部屋~地上7階から身を投げて死んだ。浦松の死に引け目を感じた須賀原は、旧友が片言で語った殺人の事実を調べ、事件の真相を追おうと考える。だがそれは、場合によっては彼の執行猶予取り消しにも繋がるかもしれない、危険な行為でもあった。 作者の初期作品で、設定はサスペンス寄りだが、事件の概要が見えていくなかで次第にアリバイ崩しの謎解きものに接近していく。 それで肝心のアリバイトリックは、日本の国産ミステリ史上最高級に敷居の低いアイデアではないか!? と半ば呆れて半ば感心した。作者は60年代後半の狂乱の多作期のさなか、先にこのワンアイデアを思いついたのち、あとからミステリとしての結構を固めたんだろうと思うけれど、とにかく一度読んだら忘れることはあるまい。 あと、タイムサスペンス的な筋立てだからあんまり物語に停滞があると困るのはわかるけれど、捜査(調査)を続ける主人公の前であまりにもホイホイと都合良く物事に動きがあり、関係者が現れてくれる。これも気になった。 ただラストは泣ける。これまで読んだ笹沢長編作品では『裸の家族』と並ぶ泣かせの効いたクロージングで、あんまり悪い点はつけたくない。 ということでこの評点。 |
No.576 | 7点 | ハイ・シエラ- W・R・バーネット | 2019/06/22 04:15 |
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(ネタバレなし~途中までは)
伝説のギャング、ジョニイ・デリンジャーの一味の若手として、無期懲役刑を受けていたロイ・アール。37歳になった彼は特赦で釈放されるが、実はそれはベテランの犯罪プランナー、ビッグ・マック・マガンのお膳立てによるものだった。金庫破りの大仕事を企むマックは、20代前半の強盗チームを指導・統率する役割にロイの技量と経験を必要としていた。ロイは、若者の強盗チームの中に若い美人娘=娼婦のマリイ・ガーソンがいることを仲間割れの火種にならないかと警戒するが、それでもマガンの依頼を受けて計画を進める。だがそんなロイは、貧しい元農場主の老人ジム・グッドヒュウとその一家と知り合い、そしてジムの美しい孫娘ヴェルマに心を惹かれてしまう。ロイは、足に障害があるヴェルマのためにマガンを通じて整形外科手術の心得がある人物ドック・ベントンを呼び、彼女の治療を図るが……。 1940年のアメリカ作品で、翌1941年にボガート主演で公開された映画『ハイ・シェラ(別題「終身犯の賭け」)』(映画の邦題は「~シェラ」表記)の原作でもある古典的ノワール小説の名作。作者バーネットは1929年の『リトル・シーザー』以降、20作近くの長編ミステリを上梓したが、本書はその代表作のひとつとして知られる。 評者は十年以上前に映画版は先に観ているが、クライマックスのシーンが印象的なほか、大筋は原作と同じようなものの、部分的に細部の描写の比重のかけ方が原作と違っていたような記憶しかない。そういう意味では大枠はほぼ知っていたものの、相応に新鮮な気持ちで今回楽しめた。 中年というにはまだ少し若いが、それなりにトウの立った犯罪者の主人公がかたぎの身障者の娘に肩入れし、力になってやろうとするというのは日本のヤクザ映画なんかにいかにもありそうな作劇で、それだけ書けばまんまヒギンズの『死にゆく者への祈り』だな、という王道パターンだが、本作の主人公ロイの方は100%無償の思いで若い娘ヴェルマに尽くそうと考えているわけではなく、もしそれが叶うなら年の相応に離れた彼女に自分が傾けた苦労や尽力のほども認めてもらい、恋人関係にも夫婦にもなりたいという正直な本音がある。 つまりロイは煩悩から身を引いた聖人的な主人公では決してなく、愛情の駆け引きとしての慈善をちゃんと計算に入れながら行動している。 人によってこういう主人公の心根をどう取るかはわからないが、個人的には嘘偽りのないきれい事抜きの本音だからこそ、そこが却ってリアルでいい。ドライかもしれないが、ある種の人間味があっていいとも思う。 ただし……。 (以下、しばらくネタバレ注意) 結局、若い美少女ヴェルマの障害を治してやって、そうやって愛情表現をしていれば、いずれ相手は自分になびくだろうと思っていたロイだが、実はヴェルマには故郷に同年代のかたぎの恋人がおり、ロイのことは良いお兄さん分くらいにしか思ってなかった。それで足を治してもらったのち、はっきりと正直にわたしはあなたのことをナンとも思ってなかったというヴェルマの言葉にロイはショックを受ける。 ……このへんがまあ、21世紀の小説として読むなら、そこまで尽くしても自分に鼻もひっかけてもくれない小娘になおも入れ込み続けるオトコ主人公の方が精神的に幼い、と評価されちゃう。読み手としてはあまりに不器用な恋愛観に不満を覚えてしまうのだが、その辺はまあ1940年作品のクラシック。 そもそももしかしたらこの作品『ハイ・シェラ』そのものが、のちに続くこの手の作品(ヤクザ者が堅気の娘に肩入れもの)のオリジンのひとつになった可能性もあるかもしれんし、物語の組み上げ方を責めるには及ばないんだけど、一方で今の目で見るとモヤモヤするのは事実。 まあその分、もう一人のヒロインのマリイの方が、ちゃんとメインヒロインとしての立ち位置を確保されるのだが、本当なら、そもそも相手のオンナの本質も前もって確認しようともせず、娼婦のズベ公(容姿も心根も可愛いけれど)よりも、堅気の美少女ってだけでヴェルマの方に目を向けてしまったロイが悪いという判定をダメ押しするばっかである。 まあ本作は小説としてもクライムミステリとしても、多彩な登場人物のからみ合い、良い意味でのお約束パターンの作劇の網羅、さらにはわずかな運命のボタンのかけ違いが重なって、その結果、事態が致命的に歪んでいくサスペンス……などなどで、21世紀の今読んでも充分に面白い作品ではあるのだけれど、一方でそういう主人公の三角関係? 的な部分で一種の古さを感じてしまったのも正直なところであった。 (ここでネタバレ注意は解除) 以前に『リトル・シーザー』も読んでしっかり楽しめたし(『アスファルト・ジャングル』は大昔に買った翻訳本が見つからない~涙~)、作者バーネットは筆力そのものは間違いなくありそうな書き手なので、他の作品が翻訳されればいくらでも読みたいとは思うんだけれど。 |
No.575 | 5点 | 三浦岬「民話」殺人事件- 宮田一誠 | 2019/06/17 18:27 |
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(ネタバレなし)
神奈川県三浦半島の東端で、ある男性の腐乱死体が見つかる。死体は「阿川」と記された名刺を持っていたが、その素性は不明なまま日数が過ぎる。かたやこの事件を取材した地方新聞「神奈川新報」の28歳の記者・阿川肇は、くだんの死体がもしかしたら19年前に行方不明になった父・万平ではないかと疑念を抱く。二十数年前の阿川家にはある日突然、万平がいずこからか女児の赤ん坊を引き取り、小学生の肇はその子を義妹「すまる」として慈しんだ。だが後になると、そのすまるは、実は父がどこかから誘拐してきた子供ではないかと思い当たるフシがあった。さらに父の失踪の直前、すまるもまたどこかへといなくなり、万平は息子に、お前の妹すまるは死んだと無理矢理に納得させようとしていた。死体は父なのか? そして妹すまるは本当に死んでしまっているのか? 改めて過去から現在までの軌跡を追い掛ける肇の前に、神奈川県内での文化振興企画「かながわのむかしばなし50選」にからむ不正疑惑、さらには意外な昔日の悪事が浮かび上がってくる。 「書下ろし長編サスペンス推理」と銘打たれた社会派ミステリ。作者の宮田一誠は、第一回「幻影城」新人賞の小説部門にて、推薦新人枠で受賞した作家「宮田亜佐」の新たなペンネーム(ちなみにこの第1回目の佳作入選~小説デビュー~が、泡坂妻夫と田中文雄、宮田と同じもう一人の推薦新人が筑波耕一郎である)。 評者は宮田亜佐名義の唯一の長編『火の樹液』(1978年)はまだ未読だが、それからほぼ10年後に再デビューとなった本作の方を、興味が湧いて先に読んでみた。 タイトルだけ見るといかにも昭和の二線級パズラーっぽい作品のようだが、実際の内容は、ジャケットカバーの折り返しに「郷愁あふれる中に、権力の腐敗を鋭く抉った渾身の書下し長編」とある通り、むしろキーパーソンとなる行方不明の父・万平の過去にからむ神奈川政界の暗部、さらにはその周辺の文化組織や財界の腐り具合の方が主題。ぶっちゃけて言えば通俗の社会派ミステリで、民話(現代の創作民話)という物語モチーフもプロットに導入する狙いはわかるが、いまいち効果を上げてないのでは? という印象もある。 あと謎解き要素は実際にはほぼ皆無で、過去の悪事の真実は、悪人当人や犯罪関係者の回想や心情吐露を通じてどんどん明らかになっていく。ある意味で、探偵役目線での謎解きストーリーにこれだけまったく色目を使わない割り切り方はスゴイな、とも思った。 ただまあ、まったくダメダメ作品かというとそんなこともなく、悪役となる政界の大物(特に師弟関係の二人)の徹底したゲスっぷりは突き抜けた快感もある。背徳の欲望からのダマし合い、足の引っ張り合いのドラマはこれはこれで楽しく、タマにはこーゆーのも面白いな、という感じであった。 ネタのまとめ方はよくないし、生煮えの部分も多い作品なんだけど、ある種の熱量は感じられたのも事実。気が向いたら他の長編もいつか読んでみよう。 |
No.574 | 7点 | 海竜めざめる- ジョン・ウインダム | 2019/06/16 17:30 |
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(ネタバレなし)
「私」こと英国の放送局EBC(BBCに非ズ)の若手契約スタッフ、マイク・ワトソン。彼は愛妻フィリスとの新婚旅行の船旅中、アフリカの洋上で5つかそれ以上の怪異な巨大な球体が天空から飛来し、海中に没するのを目撃する。ワトソンが客船の船長に目撃談を語ると、前年にも類例の事態が確認されていたことが判明。ワトソンは早速、EBCを通じてこのニュースを流すが、その報道は官民各所の関心を呼び、やがてこの最近、各地で不審な海難事故が生じていることも明らかになってくる。かくして海軍省ウィンタース大佐の支援体制のもと該当の海域への調査が行われるが、深海に沈めたバチスカーフ(本文中では「バチスコーフ」表記)は調査員を乗せたまま海中で消失。そして洋上の船とバチスカーフを連結するワイヤーは途中から、かみ切られたのでも引きちぎられたのでもなく、まるで超高温で溶解されたように丸くその端が溶けていた……! 1953年の英国作品。『トリフィドの日(トリフィド時代)』のウィンダムによる長編SF。 子供の頃はこの魅力的な邦題とそれっぽい英国版の原題(The Kraken Wakes)からガチで大型恐竜、またはクラーケンのような非常識なサイズの大怪獣が登場するのかと期待したが、実際の内容は当たらずとも遠からず……ではあった。 現実に書かれた時代がそうだから当たり前なんだけど、50年代SFモンスター映画の雰囲気が芳醇で、かつて中子真治の「フィルム・ファンタスティック―SF・F映画テレビ大鑑」全6巻のうち、真っ先に第2巻と第3巻にとびついた評者のような人間からすれば、ツボにはまりまくりの一冊であった(笑)。どのような怪獣SFになるかは、ネタバレになるからここでは書かないが。 主人公の夫婦コンビ視点から語られる、宇宙モンスターのために世界各地の日常が徐々に危ういものになっていく感覚が絶妙で、地球の危機に対応する学会のはみ出し者風の科学者ポッカー博士が、事態の推論に関してホームズとワトソンの逸話を引用するのも楽しい(主人公ワトソンが自分と同じ名前を思いがけないところで聞いたと、地の文でツッコミを入れるのも笑える)。 新古典クラシックSFとして、終盤に迎えるそれっぽい世界的なパースペクティヴも加速感があっていい。海洋国家だった英国への文明批評も程よいさじ加減で、品があってよろしい。 (まあ細かいことを言えば、後半、主人公たちの生活の基盤で、あの辺はどうなってたんだとか、いくつかツッコミたくなるところはあったけれど。) 物語の最後の着地点についてはもちろんここでは書かないが、個人的にはなかなか気持ちよく頁を閉じ終えられた。旧作なんだからクロージングはコレで良かったとは思う。(中略)について、妙な余韻が残るところも悪くない。 あとネタバレにならないように注意しながら書くけれど、ラストの展開は日本語で読めたことがとても幸福であった。Webを検索すると、21世紀にはどっかの日本の学者さんが、作者ウインダムが導入したこの設定について独自の考察をしてるみたいである。どっかでその論文、お目にかかる機会でもあればよいが。 |
No.573 | 7点 | 血まみれの鋏- ブルーノ・フィッシャー | 2019/06/16 01:51 |
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(ネタバレなし)
アメリカはコネティカット州の一角、ジョーバーグの町。「私」こと、土地の化学製品会社「ジョーバーグ・プラスチック社」に勤務する青年科学技師レオ・エイキンは、自宅から妻のジュディスとその実姉で同居人でもあるポーラの姉妹が突然失踪? した事実に気づく。姉妹は以前はトップスターではないもののブロードウェイでも活躍した美人芸能人たちで、ともに悪女ではないが金遣いが荒く、レオに負担をかけていた。そんなこともあって近所の住人の中にはジュディスが金に渋い夫を見切り、他に男を作って逃げたのではと噂するものもいたが、姉ともどもの出奔というのは妙である。さらに現在、近所の病院には姉妹の母親がわりの叔母エドナが重病で入院しており、姉妹がその叔母を放っていなくなるというのもレオには考えられないことだった。そんな中、地元の警察署長モート・ミドルは、レオがどちらかの姉妹と共謀して一方を殺害、または彼が単独で姉妹の両方を殺したのでは? と不審を抱く。これと前後して病床の叔母エドナが見舞いにきたレオに告げた意外な事実、それはレオと結婚する前のジュディスが悪夢にうなされたことがあり、その際に彼女は、自分が鋏でどこかの男性を刺殺したとわめいたということだった!? 1948年のアメリカ作品。旧クライムクラブと並んで1950~60年代の創元の新世代ミステリ叢書の双璧だった「現代推理小説全集」の一冊。 個人的に同叢書は購読したまま、まだ未読の作品(のちに創元文庫で再刊されたものも含めて)がいっぱいあるので、まずは思いつきであんまりWebなどでのレビューを見かけない? この作品を読んでみた。 作者ブルーノ・フィッシャーは、日本では50~60年代に各翻訳ミステリ誌に中短編がそれなりに邦訳された雑種ジャンル系の作家(ハードボイルド、クライムストーリー、サスペンスほか)だが、長編の翻訳はこれの他には「別冊宝石」に訳載されたのが一つ二つしか無かったと思う。 評者も大昔に読んだフィッシャーの中短編の印象なんかすっかり薄れてるので、事実上、まったくの白紙でこの作者、作品はどんなかな(どんなだったかな)と思いながら手に取った。はたして個人的に、これはアタリ。結構面白かった。 主要人物の失踪から開幕するミステリなんか星の数ほどあるが、成人の姉妹(または兄弟)で同時にいなくなったという奇妙さをポイントとする作品は意外に少ないハズで、少なくとも評者はあんまり知見にない。 その後、妻と義姉の身を案じながら思いつく限りの関係者の間を訪ねてまわる主人公(一方で警察にも捜索は願い出ているが)の姿もリアルかつハイテンポに語られ、そんな描写のなかで少しずつ人間関係の微妙な綾が浮かんでくる作劇もこなれがよい。 やがて物語の舞台はジョーバーグの町と、姉妹がかつて活動していたニューヨーク周辺を行ったり来たりすることになるが、そんな叙述の積み重ねのなかで登場人物の数を増しながら、じわじわと事件の輪郭が見えてくる流れが快適である。うん、これはかなりよくできた職人作家によるサスペンススリラー。中盤である大きな事件が生じて物語に弾みがついたのち、後半に向かってストーリーはリズミカルに淀みなく流れ、終盤には二転三転の意外な展開を見せる。そしてその上で、準主要キャラともいえるサブキャラたち(特に……)の配置なども印象深い。クロージングの余韻もかなり気に入った。 実のところ、文庫にも入らなかった絶版系の「現代推理小説全集」といえばミステリマニアに白眉の評価? の『飛ばなかった男』とか、おなじみジョン・ロードの『吸殻とパナマ帽』あたりが人気で、正直、本書はマイナー作品だからちょっと面白ければいいや、くらいに期待値も低かったのだが、思いがけない拾いものであった。こーゆーことがあるから、蔵書の中から積ん読の旧作を発掘するのは楽しい(裏切られることもしょっちゅうあるけれど・苦笑)。 ちなみに巻末の植草甚一の解説を読むと、いかにも職人系の作家ということでアメリカ探偵文壇でもあんまり当時の話題にもなっていなかった作者フィッシャーだが、一部の作品には手持ちのレギュラー探偵(警察官)を活躍させていたり、はたまた『マルタの鷹』ライクといえる? 長編があったりと、けっこう幅広い多才な実績を誇っていたようだ。その辺の情報もこの現代推理小説全集のリアルタイム時点での話だから、のちに他界するまでさらに作品の数は増えていたんだろうなあ? 作品を一本読んで感心しただけで作家総体の才能を期待するのはナンではあるが、このレベルだったらもうちょっと日本語でも読んでみたい。 あー、とはいえ21世紀のこの世の中にブルーノ・フィッシャーの旧作の初訳が出る機会なんて、奇跡に近いだろうなあ(涙)。 |
No.572 | 6点 | 少女ノイズ- 三雲岳斗 | 2019/06/15 20:14 |
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(ネタバレなし)
読む前はなんとなく長編作品かと思っていたが、実際には全5本の連作ミステリだったんだな。 第1話が王道ながら魅力的な謎の提示の割に真相が弱い(そういう誤認って、生じうるだろうか? 少なくとも謎解きミステリの文法のなかでやるべき説明ではないと思う)とか、第5話の謎解きは相応に特殊知識によっている……などの摩擦感はあるものの、平均的に良く出来た謎解きミステリセンスの高い一冊という印象は受けた。 特に第2~4話は、それぞれどっかしら初期の連城作品っぽい、捻った着想の妙を楽しめた。 ただまあ正直、連作全体の構造として、いびつなラブストーリーに仕立てなくても良かった気がする。最後はキレイにまとめてあるけれど、なんか全体的に本作のミステリとしての賞味部分と主人公コンビの恋愛部分とは、一定した距離の乖離感がつきまとった。 ヒロインが探偵役として最初から最後まで駆け抜けることにオルツィの『レディ・モリー』みたいなラブストーリーとしての意味性があればいいんだけれど(最終話だけはまあ、その意に沿っているとはいえるのだが)。 山田彩人の『少女は黄昏に住む』の主人公コンビの描写なんかに比べると、正に真逆の位相だよね。 ミステリとしては期待以上に面白かったが、その辺でちょっと減点してこの評点。 |
No.571 | 5点 | バカンスは死の匂い- モニック・マディエ | 2019/06/15 19:57 |
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(ネタバレなし)
「わたし」ことローランスは、パリの服飾会社で社長秘書を勤める24歳のブロンド娘。ローランスは夏期休暇を利用してコルシカ島へのひとり旅に出たが、宿泊予定のホテルの宿代が予想以上に高く、仕方なく観光案内所でたまたま出会った女性・トゥサント夫人の民宿に泊まることにする。民宿には夫人の義母である老婆レスティチュードがいるだけで他の客はおらず、しかも隣は墓地という辺鄙な場にあった。宿泊した最初の夜、ローランスは室内に現れた幽霊と対面。翌朝、早速、宿を退去しようとするが、女主人のトゥサントは妙な噂を流して宿の評判を落とすなと、ローランスを鍵のかかる部屋に閉じ込めてしまう。窮地のなか、ローランスのことが気になった観光案内所の青年パスカルが民宿を訪れ、ローランスは囚われたままで彼に事情を語り、救出を願い出る。救助の用意をするために束の間の猶予が欲しいと一旦、退去したパスカルだが、二時間しても彼は戻らない。しびれを切らしたローランスは必死に独力で民宿を脱出し、地元の憲兵隊の詰め所に駆け込む。だがそこで彼女が聞かされたのは、青年パスカルがほんの少し前に刺殺死体で見つかったという驚愕の事実だった。事態の流れに驚くローランスは、憲兵隊を訪れていたパリ警察の刑事見習いの美青年ジャン・クリストフ・アラールとともに、この事件の捜査を始めるが……。 1975年のフランス作品で、同年度のフランス推理小説大賞受賞作。ラブコメ風の設定とストーリーの梗概にある「幽霊屋敷」のキーワードに惹かれて手に取ったら、2時間もかからずに読み終わった。主人公(ヒロイン)が男子主人公のアラール刑事に出会う24歳まで恋もしたこともない美少女のパリジャンという文芸設定もアレだが、全体的にライトな作り。当時、赤川次郎の諸作が人気を呼んでいたから、翻訳もの&フランスミステリで似たようなものがありませんかと編集者に言われた長島良三が、ホイホイとこれを持ってきたんじゃないかという感じである。 幽霊出現の事由や秘められた犯罪の実体には終盤に一応の説明がなされるが、そのすべてがスーダラで、真犯人の意外性も予想の範囲内。 まあ小学生高学年か中学一年生くらいがはじめて肩慣らしに読む翻訳ものとしてはいい……かも? しれん(一方で、なんだ翻訳ミステリってこのレベルか! と誤解が生じる危険性もたぶんにあるが)。 コージーもの? のライトミステリとしては大きな破綻もないし、昭和30~40年代の少女漫画の一系譜みたいな作品と思って読む分には、まあオッケーか。 とはいえなんかもし、21世紀にこれが初めて刊行されていたとしたら、その手のラブコメ・コージー旅情ミステリのあるあるパターンを寄せ集めてでっちあげた冗談パロディ作品みたいに見えること間違いなしの一編でもある。 評点は、天然で憎めない作品ということで、0.5点オマケ。 |
No.570 | 6点 | トマト・ケイン- ナイジェル・ニール | 2019/06/11 20:12 |
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(ネタバレなし)
1960年代から70年代にかけてミステリマガジンなどに何作か短編が紹介された、英国(正確にはマン島~あのクリスティーの『マン島の黄金』の)生まれの作家ナイジェル・ニールによる、ノンセクション短編集。 一冊の本に29編とそれなりの数の短編が収められただけあって、大半は一本一本がショートショートと呼べる長さのもの。書かれた時期は1940年代のものが主体のようで、内容はバラエティに富んでいる(悪く言えば節操がない)が、多くの作品のなかに「人生の孤独」という主題への傾倒は見やることができるような気がした(まあその趣を外れた作品もいくつかあるけれど)。 たぶんニールの短編の中で最も日本人に知られた作品は、ミステリマガジンにはじめて翻訳され講談社の『世界ショートショート傑作選1』(各務三郎編)にも収録された、ひとりの青年がカカシと友人になる話『風の中のジェレミー』だと思う。本書にも当然収録されており、この本『トマト・ケイン』が刊行された当時のミステリマガジン誌上でも書評子が、収録作のなかでもっとも好きな一本とか書いていたのを思い出す。ちなみに評者は記憶の中でこの話がかなり美化され、メランコリックながらも孤独な心をカカシとの交流で癒やすセンチメンタルストーリーだと思っていたが、前述の『世界ショートショート~』と本書で改めて読み直すと、かなりイカれたサイコ編だと認識が書き換えられた。コワイよ。 本書収録の29編すべてをここで語るつもりはないが、印象的な作品についていくつか触れると 『おお、鏡よ、鏡』は、人間の美と醜の観念を他者が外から操るという思考実験に基づいた嫌な話。 『フロー』は、老いた愛犬への接し方を致命的に間違ってしまった男の話。本書の諸作の底流にある「孤独」というテーマが最もよく出た話の一つ。 『写真』は、死を逃れられない難病の男児の生前の写真を残そうとする家族とその男児当人の話。本書内での上位作の一本。 『カーフィーの子分』は、文字通り「みにくいアヒル」に出会い、そこから……を迎える男の話。 『トゥーティーと猫の監察』は、田舎町の秩序を守るための奇妙な味の話。ひねたユーモアが印象的。 『ペダ』は戦災で死に、冥界に行くこともできずに現世をさまよう幽霊少女の話。柴田昌弘の短編コミックを思わせる。 『ザカリー・クレビンの天使』は、天使に会ったと主張する男を囲み、その事実を肯定するか否かで二分される人々の話。どっかダールっぽい。 『だれ? おれですか、閣下』は戦時中、盲人たちを相手に詐欺を働こうとした男たちの失敗談。この辺はコリア辺りの味わいに近い。 『池』はミステリマガジンにも先に翻訳掲載されたはず。割と分かりやすい動物もののホラーストーリー。 『自然観察』は児童たちを連れて屋外実習に出た女教師の話。まんまコリアみたいな筋立てで、起承転結が明確な感じが却って目立つ。 『小さな足音』は幽霊屋敷を舞台にした、オフビートなホラー編。 とにかく一本一本が短いので、すぐそのまま続けて読みたくなるが、そのために却って印象が相殺されてしまうきらいもある。一日一本か二本くらいのペースでゆっくり読んだ方がいいかもしれない。 ちなみに評者は中盤で少し読み疲れてきたが、最後の方になるともう終るのか……と惜しい、もったいない気分になった。まあこの手の短編集ではよくあることだけど(苦笑)。 ところで作者ニールは1950年代には英国BBCのスタッフとして活躍。オーウェルの『1984』のラジオドラマ版を構成担当したり、50年代SF映画の大傑作(と評者は信じる)『原子人間』に始まる「クォータマス博士シリーズ」(テレビ版を起源にのちに映画化)なんかの原作・文芸の提供もしている。特に「クォータマス博士シリーズ」はニール名義での小説版も刊行されている(もちろん未訳)ので、今からでもどっかから翻訳出版してくんないかな。興味のある奇特な版元とか編集者とかどっかにおらんかな。 |
No.569 | 7点 | 虚構推理短編集 岩永琴子の出現- 城平京 | 2019/06/10 17:54 |
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(ネタバレなし)
さすがに長編『鋼人七瀬』ほどの剛球感はないものの、全体的に一定以上の変格パズラーとしての魅力が味わえる連作ミステリ。 どれも相応に面白かったが『ギロチン三四郎』はよくある大ネタ(スレッサーの某短編を思い出した~これだけ書く分には、そっちともども、双方の作品を読み終えるまでネタバレになる人はいないと思う)ながら、話の転がし方で一番の結晶感を認めた。 なお最後の『幻の自販機』は、最終的に大事にならないだろうと予見されているものの、岩永さんの下したこの決着のつけ方じゃ、相応に人生を狂わされてしまう関係者も出てきそうだな。まあその種の小市民的な規範や倫理に捕われない辺りも、この作品&主人公たちっぽいとは言えるのか。 ところでおひいさまって、ちゃんとコミック版(いわゆる原作版)『人造人間キカイダー』を読んでるんですな(笑)。なんか嬉しくなりました。 |
No.568 | 7点 | 狂った弓- 南部樹未子 | 2019/06/09 02:09 |
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(ネタバレなし)
短大を卒業して大手事務機会社「東洋堂」に就職した木元久美子。20歳の彼女は職場で女子社員たちの憧れの的である年上の上司・浜名健一郎青年に出会うが、彼はおよそ10年前に若妻に自殺されたという悲劇の過去の噂が聞えてきた。だがそれから1年後、成り行きから健一郎との距離を狭めた久美子は彼の後妻となり、さらに数年を経た今は、浜名家の26歳の主婦として過ごしている。だが浜名家には結婚当初から息子をまるで恋人のように溺愛する姑の貞(さだ)が同居しており、久美子は自分をあたかも恋敵のように見やる貞の陰湿な仕打ちにもずっと耐え続けてきた。しかしそんな中にも、浜名家の周辺の地獄模様はひそかに開放の時を待っていた。 昭和33年に「婦人公論」の第一回女流新人賞に佳作入選し、作家デビューした南部樹未子(初期は「南部きみ子」の筆名表記も使用)の書下ろし長編ミステリ。それなりの数の作品は書いている作者だが本サイトではまだ一本もレビューがなく、さらに中島河太郎の「推理小説事典」などでの作家項目でも話題にされた長編の諸作がそれぞれ推理要素は薄い、ミステリ的な興味は多くない、などといった主旨の、低めの? 評価をされている。 じゃあ実際のところどんなかな、と興味が湧いて、比較的あとの時期の作品である本書を読んでみたが、個人的にはこれがなかなか面白かった。 湿度が高く描写が精緻だが、そのくせ平明な文章が実によく、しつこい叙述で紡ぎ上げられていく登場人物たちの錯綜図はレンデル、ジェイムズ、はたまたシムノンかグレアム・グリーンあたりを思わせる。 実は、70年代に書かれた旧作なので、当初の評者は本作の内容について<息子離れできない姑のゆがんだ愛情に、息子の方の健一郎もマザコン的に応じ、その爛れた愛情の中で久美子が苦しみ悩む>ふた昔前(もっとか)のテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』風の世界かとも予期していた。 だが相応の紙幅を費やして語られる健一郎の内面描写は意外なほどに健全で、うっとおしいばかりの母の偏愛にもまともな感覚での嫌悪感をきちんと抱いている。けれどもこの一方で物語は、そんな健一郎にまだ、読者には開かされない秘密があることを終盤まで暗示し続けており、その意味でなかなか底を見せようとはしない。そのかたわらで久美子にも貞にも、実はそれぞれの思惑や秘密があるらしいことが匂わされていく。この緊張感の盛り上げ方が絶妙で、作者の筆力はその大半がこのテンションの獲得のために奉仕されているといっていい。 一見、一般小説のような流れの筋運びに触れ、他所の家庭の内側を覗き込む背徳感さえ覚えながら、一方でいつか最後にはこの物語はきちんとミステリとして着地することを約束されているような盤石の安心感……そんな心地よさがこの作品にはあった。 終盤の二転三転の逆転劇、そして「(中略)」のパターンに居を定めるストーリーの落着具合もかなり鮮烈で、これは作者の格段の筆力ならばこそなし得た秀作であろう。 他の作品がそれぞれどのくらいミステリとして楽しめるかはまだまだ未知数だが、この作品を読む限り、南部樹未子侮りがたし、である。 なお評点に関しては、読み応えから言ったら8点あげてもいいかな、とも思ったけれど、小説の構造上、あとの方まで秘匿されているある事項が、一部の登場人物同士の間で話題にもならないのはどうなんだろ? と思えた箇所があったので1点というか0.5点くらい減じてこの点数に。充実感があったのは確実だが、疲れるので少しまた間を置いてから読みたいようなタイプの作家&作品でもあった。 ちなみに題名の「狂った弓」とは巻頭から引用の出典が記載されているが、もともとは旧訳聖書の一節。人間は本来は誰もが正しい行為をしようと思って狙う的に矢を放つものの、弓=人間そのものにそれぞれの何らかのひずみがあるから、的を外してしまう(しまいがちな)悲しい生き物だ、そんなような意味だと、作中で登場人物の口を借りて説明されている。 |
No.567 | 6点 | 追跡―チェイス- リチャード・ユネキス | 2019/06/08 20:03 |
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(ネタバレなし)
その年の7月。シカゴの一角の農業地帯の側で、大手チェーンストアを狙う強盗事件が起きる。実行犯の2人の若者、計画立案者のフロイド・レイダーとその相棒で超一級の運転テクニックを誇るグロッツォのコンビは、奪った大金を乗用車に積んで逃走。二百マイルに及ぶ農作地帯に逃げ込む。丈の長いトウモロコシ畑が密生するそこは、天空から見れば大きなマス目状に区切られたチェス盤のような様相を呈していた。ハイウェイ・パトロール隊の指揮官・ブリーン警部補は、車を乗り換えながら巧妙に逃亡を図るレイダーたちの追跡を開始。ブリーンは前歴である海軍大佐としての戦術を捜査にも応用し、十数台のパトカーさらにはヘリコプターまで動員して賊の捕縛を図るが……。 1962年のアメリカ作品。邦訳は、ピーター・フォンダ主演の映画化作品『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』が1974年に公開(日本でも同年10月に封切り)されたのにあわせて当時のミステリ&SF翻訳誌「(旧)奇想天外」の初期号に連載されたのち、それをまとめる形で書籍化された。 ちなみに翻訳担当の野村光由はかの小鷹信光の盟友だったが、若年のうちに早逝。後年の小鷹のいくつかのエッセイなどの中にも、何度か本書とこの人の話題が出てきていると思う。 翻訳書は、ハヤカワノベルズ(ソフトカバー・一段組)の仕様とほぼ同一(先行する叢書の造形をスタンダードなものとして、それに倣ったのだと思う)。総頁は200頁弱と紙幅はそんなに厚くはないが、その本文が全部で43章とかなり細かく分割され、メチャクチャテンポがよい。というか、リズム的にかえって読みにくさすら感じないでもなかったが、その辺も含めて独特の乾いた作風になっている。 作者がやりたかったことは、普通車の車高なら隠しうる高さの農作物に覆われた地上での、一種の対・潜水艦戦のバリエーションのようであった。 実際にはそれほど数多くの捜査上の戦略が導入されるわけでもないが、狙いとしては、山田正紀の初期の佳作『謀殺のチェス・ゲーム』の<ステラジズム理論>を想起させる部分もある。 いかにも<当時の読み捨てペーパバックの中で個性を発揮した一作>という読み手の勝手な印象が芽生えそうな作品という気もするが、実際には原書のオリジナルは当初はハードカバーで出ていたようで(ウォーカー社)、当時の新人作家としてはそれなりに評価・期待された好待遇の一編だったのだろう。 少しのちの「悪党パーカー」などの先駆となるドライなケイパー小説としての風格もあり(バイオレンス描写はほとんど無いが)、読んでる間のテンションは高い。一方でラストは(中略)だが、それもまた作者の意図したところだろう。小説の評価は7点に近い6点ということで。 ちなみに本作の場合は大昔に先に映画版を観ているが、そちらで印象的だった主人公トリオの一角のヒロイン(タイトルロールのメリー)が実は原作小説に登場せず、まったくのオリジナルキャラクターだったのを今回あらためて知った。余談ながら、映画のラストは長い時を経た今でも記憶に鮮明で、あれはあれで映像化の脚色として良かった……とは思う。 |
No.566 | 6点 | 追われる警官- スティーヴン・キャネル | 2019/06/08 18:15 |
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(ネタバレなし)
ロスアンジェルス市警南西署の巡査部長で37歳のショーン・スカリーはその夜、自宅にいたが、以前に男女の仲だった人妻バーバラ・モラーからの救いを求める電話で呼び出される。バーバラの夫レイはショーンの先輩で元相棒の警部補だが、最近は疎遠。ショーンが彼らの家に急行すると、そのレイがバーバラを一方的に警棒で連打して怪我を負わせていた。制止しようとするショーンにレイは拳銃を向け、ショーンはやむなく彼を射殺する。妥当な正当防衛のはずだが、レイはロス市長の警護役兼運転手の役職にあり、市の要人や市警上層部から目をかけられていたため、ショーンへの嫌疑と外圧は険しいもので、ついにはバーバラと共謀したあらぬ殺人容疑までが彼に掛けられてしまう。冤罪を晴らそうと躍起になるなか、レイの秘められた怪しげな言動の痕跡がショーンの目にとまり、やがて事態はロス全体を巻き込んだ重大な陰謀劇の露見へと発展していく。 2001年のアメリカ作品。作者スティーヴン・キャネルは1995年に作家としてデビューする以前は『ロックフォード(氏)の事件メモ』『アメリカン・ヒーロー』『特攻野郎Aチーム』などのヒット作テレビシリーズを手がけた辣腕プロデューサー。世代人の評者は当然、全部観ている(『ロックフォード』のまともな日本語版の映像ソフト商品、そしてノベライズの翻訳とか出ないものかなあ)。 さらに『サンセット77』の原作者(テレビ企画の文芸担当)ロイ・ハギンズとも交流があり(そもそも『ロックフォード』がそのハギンズとの共同企画だ)、本書『追われる警官』も「仕事仲間にして師、ゴッドファザーであるロイ・ハギンズに捧げる」と冒頭の献辞が贈られている。これで読まないわけにいられようか。 内容は本文530頁以上に及ぶ大冊で、そのボリュームに応じた読み応え(ただし名前の出てくる登場人物は40人オーバーだから、紙幅の割にはそんなには多くはない)。さすがテレビ屋さんの書いたエンターテインメントだけあって筋運びに停滞はなく、物語の前面へのキャラクターの出し入れも潤滑なハイテンポな作品。主人公ショーンの窮地とその反撃の流れを数回にわたって揺り戻しながら、最後までほぼ一気に読ませる。 ちなみに一部のキャラクター配置がいかにもマス視聴者(というか本書のこの場合は読者)の目線を意識した実力派プロデューサーの作品という感じで、物語の前半に出てくる某キャラクターが「あー、後半、このキャラは主人公とこういう関係性になるんだろうな」と予期していると、まんま期待に応えてくれたのには笑ってしまった。いや馬鹿にしてるのではなく、ちゃんと定型の作劇のツボとその演出を心得ているとホメているのである。 終盤に明かされる事件の真相の奇妙な? リアリティをふくめて全体的によく出来た快作だとは思うが、難点を言えばよくまとまりすぎている感触がいささか小癪なところ。 ただし一方で、主人公ショーンのサイドストーリーとして語られる(事件にもそれなりにからんでくる)、ある事情から彼が自宅で後見している不良少年チャールズ(チューチ)・サンドヴァルとの絆の物語など、スペンサーものの『初秋』路線のような趣の文芸性で印象に残る。合間合間に挿入される、ショーンが彼の父親宛に書き続ける心情吐露の私信も効果を上げている。 Wikipediaを見るとショーンを主人公にした作品は本書を第一弾として、その後もシリーズが数作品書き続けられたらしいがどれも未訳。何らかの弾みで日本で邦訳紹介が再開されることでもあればイイのだが。 |
No.565 | 5点 | フレームアウト- 生垣真太郎 | 2019/06/04 03:20 |
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(ネタバレなし)
……これこそは、あらすじも書きにくい作品だな(汗)。 文章は全体的に読みやすく、主題となる映画関係の蘊蓄も、随所に差し込まれるミステリ映画の話題も普通に楽しめた。 しかしラストは狙いはわかるものの、こなれが悪くてもうひとつ。よくあるAというネタと同じくBというネタを組み合わせて本作の意外な真相を見せようとした意欲は買うものの、結果的にその双方で相殺しあってしまった感じがする。 これをどうとるか迷うエピローグの仕掛け(やっていることは理解できるつもり)を含めて、いかにもメフィスト賞らしい作品だね。 もしかしたら、作者が設けているのに、こっちが見落としているギミックがいくつかあるかもしれない。 |
No.564 | 8点 | こんな探偵小説が読みたい―幻の探偵作家を求めて- アンソロジー(国内編集者) | 2019/06/04 03:09 |
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(ネタバレなし)
同じ鮎川による<マイナーな探偵小説作家の業績を発掘する、インタビュー&実作アンソロジー>の先行書『幻の探偵作家を求めて』に続く第二弾。 前巻は雑誌「幻影城」での連載記事&発掘作品が主体だったが、今度は雑誌「EQ」での同系列企画の記事をベースにしている。 対象作家と再録作品(短編)は以下の通り。なお一部の再録作品は、「EQ」連載時のものと異同がある。 ①今様赤ひげ先生・羽志主水(はし もんど)/『監獄部屋』(「新青年』1926年3月号) ②実直なグロテスキスト・潮寒二(うしお かんじ)/『蚯蚓(みみず)の恐怖』(「探偵実話」1955年11月号) ③夭折した浪漫趣味者・渡辺温(わたなべ おん)/『可哀相な姉』(「新青年」1927年10月号) ④ただ一度のペンネーム・独多甚九(どくた じんく)/『網膜物語』(「宝石」1947年2・3月号) ⑤初の乱歩特集を編んだ・大慈宗一郎(だいじ そういちろう)『雪空』(「探偵文学」1936年新年号) ⑥『Zの悲劇』も訳した技巧派・岩田賛(いわた さん)/『里見夫人の衣裳鞄(トランク)』(「探偵クラブ」1952年6月増刊号) ⑦「宝石」三編同時掲載の快挙・竹村直伸(たけむら なおのぶ)/『風の便り』(「別冊宝石』」1958年2月号) ⑧草原(バルガ)に消えた郷警部・大庭武年(おおば たけとし)/『牧師服の男』(「犯罪実話」1932年5月号) ⑨名編集長交遊録・九鬼紫郎(くき しろう)/『豹助、都へ行く』(「ぷろふいる」1947年4月号) ⑩薬学博士のダンディズム・白井竜三(しらい りゅうぞう)/『渦の記憶』(「別冊クイーンズマガジン」1960年7月夏季号) ⑪「宝石」新人大貫進(おおぬき しん)の正体・藤井礼子(ふじい れいこ)/『初釜』(「宝石」1960年2月臨時増刊号) ⑫「めどうさ」に託した情熱・阿知波五郎(あちわ ごろう)/『墓』(「別冊宝石」1951年12月号) 渡辺温や九鬼紫郎は本書刊行の時点でも、ミステリマニアにはそれなりにメジャーだったと思う。 いかにも鮎川のエッセイらしい朴訥なミステリへの愛情と、始終からかいながらも深い信頼のほどが覗える山前譲さんとの連携ぶりもあって、それぞれのインタビュー(本人またはご遺族の方)記事が実に楽しい。そのせいか、併録された実作短編にもある種の立体感が見受けられて、今回は12編全部がそれなり~かなりに面白かった。 いくつか再録された実作に際して、寸評&感想。 『監獄部屋』は今となってはよくあるパターンだが、この作品が作者の代表作でさらに世の中にも特に有名な一編だったということは、のちに書かれた多くの模倣作品のこれこそが原点なのだろう。そういう意味では間違いなく傑作。 『蚯蚓(みみず)の恐怖』はグロさに加えて、スレッサー風のオチが効いた秀作。 『可哀相な姉』は再読だが、なんともいいがたいイヤミスの先駆で、これも傑作。 『網膜物語』は名のみ知っていたが、ああ、こういう話だったのね。 『雪空』は文芸味がしみじみと来る、本書の中でも個人的に惹かれた秀作。 『風の便り』は、本書で素ではじめて読んだ作品の中では、これが一番良かったかな。二転三転する筋運びの凝縮感に満足。 『渦の記憶』は医学ミステリ……というより、これはもう綺譚風のSFだな。医療の見識がかなり現代的だと思ったら、初出誌を知って納得。本書の中では比較的後年の一編だった。 『初釜』ホワットダニットとホワイダニットの組み合わせから浮かび上がる、人間の切なさ。佳作。 『墓』エリン……というよりはもうちょっと泥臭い、ボーモントあたりの筆致で書いたロバート・ブロックのような奇妙な味。悪酔いしそうな後味がいい……かもしれない(笑)。 なお前巻にあたる分は「幻影城」誌上でつまみ食いした覚えはあるが、まとめて一冊で読んだ覚えがない。こういう楽しさならそっちもそのうち改めて読んでみよう。とはいえ21世紀の今だと、発掘・再評価が進んだ作家も多くて、結局はこの二冊目の方が新鮮に楽しめる、というオチになりそうな気もするが(笑)。 |