皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.466 | 6点 | 敵の選択- テッド・オールビュリー | 2019/01/27 13:19 |
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(ネタバレなし)
第二次世界大戦終盤の1945年6月。「わたし」こと英国の青年諜報員テッド・ベイリーは、対ソ連諜報作戦に関与。その最中に凄腕の敵諜報員「スパイ殺し中のスパイ殺し」ルイス・アレグザンダー・ベイカーによって二重スパイの冤罪を着せられかけた。どうにか窮地を脱して放免となり、戦後は広告業界で活躍していたベイリーだが、1960年代後半の今になって、戦時中の上官で現在は英国情報部に籍を置くジョー・スタイナーが彼に接触。旧敵ベイカーの目論む陰謀を打破する協力を求める。半ば強制的に作戦に参加させられたベイリーは、周囲の協力者の犠牲を払いながらも敵側の作戦を阻止しかけるが、そんなベイリーの前に意外な人物が出現。さらにその相手は、予想外の情報と提案をもたらした。 1973年の英国作品。作者オールビュリーは80~90年代にかけて、日本にもそれなりの数の著作が翻訳紹介されたエスピオナージュ作家。評者は大昔に1~2冊くらい何か読んだような気もするが、もしかしたら本書が初読みかもしれない。昨年の秋、出先のブックオフで本書の文庫版を見かけ、懐かしい名前だと思って購入。昨日から今日にかけて読んだ。 原書の刊行は前述通り70年代前半だが、作中で1919年生まれの主人公ベイリーが49歳と言っているので、物語は1968年前後の設定。軍事関連をふくめて世界中に浸透をはじめた時節の草創期のコンピューター技術も主題のひとつとなり、「ソフトウェアといっても柔らかい紙じゃないんですよ」といった主旨の説明を技術研究者の青年がベイリーにするのには笑った。当時の時代なりの技術革新の受容の過程を、ちょっと覗けるかもしれない。 中盤からの二転三転する展開は作品の大きなキモで、その着地点を含めてもちろんここでは書けないが、良くも悪くもすごくスタンダードな前世紀のエスピオナージュを読まされた気分。結論からいえば、(旧作にしても)スパイ小説が全部が全部こういう作りじゃ困るが、しかし時々はこういう作品があってもいいだろうという思い。いや、直球的な玉の放り方は、キライではない。いろいろと良い意味で印象的なシーンもあったし。少なくともエスピオナージュに普遍的に求める人間ドラマ(というより本作の場合はキャラクタードラマだが)は提供してくれた。 秀作に少し足りない佳作の上。 |
No.465 | 5点 | 静おばあちゃんと要介護探偵- 中山七里 | 2019/01/25 11:15 |
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(ネタバレなし)
全5編の連作短編集。元判事・高遠寺静と名古屋の建築業界の大物・香月玄太郎という、既存の中山作品の別シリーズ主人公同士のクロスオーバー編。 評者はどちらのキャラクターとも初対面だが、最後まで快いコンビぶりを見せてくれている。このあとそれぞれの単独主役編を読むと物足りなく思えるかもしれん。作者ひとりでやった、和製マローン&ウィザースか。 物語の中身としては、高齢の主人公コンビの事件簿だけに老人問題の過酷さなどの主題も多く、ちょっと辛い面もないではない。ただし(劇中で何度も揶揄されるように)テレビ時代劇の主人公のごとく大暴れする玄太郎と、その脇を学園ドラマのクラス委員長的なポジションで固める静の絶妙な活躍もあって、一定の水準で心地よく楽しめる一冊にはなっている。 ミステリのギミック的にはそんなに騒ぐほどのものもないが、第2話の準密室的なトリックは殺人実行時のビジュアルを考えると少し愉快。 |
No.464 | 6点 | 精神病院の殺人- ジョナサン・ラティマー | 2019/01/24 11:24 |
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(ネタバレなし)
クレインが作中でデュパンの名を連呼したり、演繹的推理・消去法を語るあたりは、だからといってことさらミステリ的なギミックが増した訳ではないのだけれど、これって作者から編集者や読者に向けた「ハードボイルド(風)私立探偵小説を書け、読ませろ、というニーズだけど、自分はパズラー度の高い作品を書きたい(でもハードボイルド(風)私立探偵小説もちゃんとこなししますヨ)」という主張だったんだろうねえ。そんな気概のとおり、非常にまとまりの良い謎解きフーダニットになりました。 殺人の動機の決め手となるある部分に関して、虚実を測る振幅の針が揺れ続けるあたりも、大設定の精神病院という舞台を機能させていて抜かりはない。 ただ一編の一流半のパズラーとしての完成度はかなり高いと思うんだけど、一方で、のちのラティマー作品(とりあえず自分が読んだ分だけだけど)に普遍的に通底するどっか破格なハミ出した部分が希薄な感。そこがちょっと物足りない。その意味では、まだまだ一皮剥ける前の習作感もないではなかったり。 登場人物の描き方は総じて早くも達者だね。入院患者やスタッフ連中の差別化したキャラ付けもさながら、本職の保安官である父親に随伴してやってくる息子クリフなんか、短い台詞回しでしっかり印象づけている。翻訳の演出もうまいのだろうけれど。 あと酒に対するクレインその他の登場人物の執着ぶりは、さすがに愉快。 |
No.463 | 5点 | 聖者が街にやって来た- 宇佐美まこと | 2019/01/23 14:24 |
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(ネタバレなし)
神奈川県の多摩川市。そこでは市民の結束と交流を題目にした、市主催のオリジナルストーリーのミュージカル劇「聖者が街にやって来た」が演じられることになる。名だたる演劇関係者が招聘されて企画が進む中、歓楽街に店舗を構える「フラワーショップ小谷」の一人娘で高校の演劇部に所属する小谷菫子(とうこ)は、そのミュージカルの準主演に選抜された。だが同じ頃、市の周囲では不審な死亡事件が続発。そしてその死体の周囲には常に何かの花弁が残されていた。 作者・宇佐美まことはすでに十年以上もミステリ、ホラー分野で活躍。2017年には長編『愚者の毒』で日本推理作家協会賞も受賞しているバリバリの一線作家だが、どういうわけか本サイトではあまり読まれていないようである(といいつつ評者自身も、宇佐美作品を読むのは、本書でまだ二冊目なのだが~汗~)。 神奈川県の架空の都市・多摩川市を舞台に、少女ヒロインの菫子のみならず、その母親で未亡人の桜子、彼女たち母子の周辺人物、さらに……と、多様な主要キャラの動向をほぼ並列的に語ってていく作劇。青春ストーリーから心に傷を負った大人たちの過去ドラマ、ヤバそうな事件の匂い、と話のネタはいっぱい。それをほぼ一定のテンションでだれることなく読ませていく筆力は、安定感がある。 ミステリ的にはミッシングリンクの大ネタがキモの一つなんだろうけれど、結構あからさまに正直に、かねてより布石的な叙述を設けているので、あんまし真相にインパクトはない。最後の意外な犯人も、物語の流れからして読者に推理させる種類のものではないし、さらに重要キャラのその人が終盤の手前頃にいくぶん描写の比重が軽くなるので、あーこれは逆説的に、クライマックスでこの人が大役(つまり犯人役)を授かるのだな、と予見させてしまう。 仕掛けの数はそれなりに多いんだけど、全体的に直球で正直すぎる感じ。 ただまあ、自分で前にちょっとだけ読んだものも含めて、宇佐美作品ってもっと際どくてエグい感じかとも思っていたので、意外に本作はやさしい、猥雑なキナ臭さの中にもヒューマンドラマ的な味付けがあるのは悪くなかった。 一冊の読み物ミステリとして、費やした時間分は普通に楽しめる佳作。 |
No.462 | 7点 | あやかしの裏通り- ポール・アルテ | 2019/01/22 13:35 |
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(ネタバレなし)
「消える裏通り」という大ネタに「その向こうは××××の世界」という味付けまで加えるサービス精神はとても嬉しい。さすがに謎の解明はしょぼいものだろうと思っていたら、そっちはそこそこの手応えがあった。 とはいえ確かに、ここまでの大仕掛けの手間は作中のリアルで考えるなら、(中略)にとってかなり割に合わない作業でしょうね。 カーを敬愛する一方でクリスティーを愛読していたという作者の素養は、本編を読むとよく実感できる。推理というより小説の組み立てで真犯人が見え見えなのもどこかクリスティーに似て無くもないが、全体としては手数の多さで十分に楽しめた。フィニッシング・ストロークも気が利いていてニヤリ。 翻訳は総じて読みやすかったが、ワトスン役のアキレスの地の文での一人称「ぼく」が序盤の一部だけ「わたし」になっているのは素人臭いミス。助詞の脱字も目に付いた。インディーズ出版さん、応援してますので編集も頑張ってください。次作も楽しみにしております。 |
No.461 | 5点 | あしたのジョーばらあど- 正木亜都 | 2019/01/21 20:45 |
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(ネタバレなし)
1980年代半ば。300万部の発行部数を誇る少年向けの劇画週刊誌「ボーイズ・コミック」は、弱冠23歳の若手劇画家・矢吹徹の超人気作品『ゴッド・アーム』を看板タイトルとしていた。1960年代から人気を博した青春ボクシング漫画の名作『あしたのジョー』に薫陶を受けた矢吹(本名・小野寺孫一)は元放送作家の大谷貴彦の原作を得て『ゴッド・アーム』を大ヒットさせ、年収5億円を稼いでいたが、一方であっという間に出版界の寵児となった彼は自分の行動に歯止めも利かず、周囲に敵も多かった。そんな矢吹がある日、洋上の自分のヨット上で惨殺される。警視庁の塙鶴太郎警部補と亀石三郎部長刑事は矢吹殺害事件の捜査に乗り出すが。 『あしたのジョー』『巨人の星』『タイガーマスク』そのほか多数の名作の原作者・梶原一騎が、その実弟でやはり劇画原作者の真樹日佐夫(代表作『ワル』ほか)と合作し、正木亜都(まさきあつ)の筆名で書下ろした長編ミステリ。正木亜都名義の作品としては三冊目の長編となる。この題名から分かるとおり、もちろん物語は、梶原自身の原作作品(高森朝雄名義・ちばてつや作画)の『あしたのジョー』がモチーフ。メインキャラクターで被害者となる矢吹のペンネームは、当然ながら劇中でもあなたが思ったとおりのネーミングでつくられている。 (ちなみにこの「矢吹徹」の筆名って、現実でもアニメ演出家の出﨑統氏がアニメ『侍ジャイアンツ』第一話の絵コンテを切る時に使っている。) 漫画&アニメ版の『あしたのジョー』ファンで、梶原一騎の凄絶かつ繊細な経歴に以前から関心のある筆者のような読者には複雑な思いを抱かせそうな内容であり、そのうちいつか目を通そうと考えていた一冊だが、思い立って今回読んでみる。 それでまあミステリとしては一応は犯人捜しのフーダニットだが、手がかりは後から出てくるわ、実は……の意外な人間関係は筋運びに倣う感じで明かされるわ、で、あんまり誉めるところはない。事件のややこしくなった状況と、物的証拠となるアイテムのミスディレクションだけはちょっとだけ面白いかもしれないけれど。 一方で風俗小説というか、劇画出版界を舞台にした情報小説的な方面は流石にそれなりにみっちり書き込まれている。あろうことか、現実に傷害事件を起こし、その直後に大病で入院することになった大騒ぎの渦中の梶原一騎自身も、ちゃんと本人の役割で(実名は出ず「『あしたのジョー』の原作者」とか「男」とかそういう叙述で語られる)登場する。この辺のメタ的な趣向はちょっぴり楽しい。 さらに60年代の『ジョー』も『巨人の星』も漫画単体としては大ヒット作品で今なお世代を超えて読み継がれる大名作ながら、一方でその時期にはテレビゲームそのほかのマーチャンダイジング商法文化が円熟しておらず、時代が早すぎた、本当ならもっと儲けられたんだ、というルサンチマンも匂ってきそうな叙述など下世話に面白い。原作者・大谷のシナリオをあくまで踏み台にしかしない作画担当・矢吹の描写も、かねてよりのもろもろの梶原ロマンの愛読者には複雑な思いを抱かせる。 まー、見方によっては、よくもまあ、原作者自らあの『あしたのジョー』をこれだけネタにしてくれたもんだ、という気がしないでもない一方、自作に込める作者自身の、あまりに複雑で大きな思いまで感じさせる面もあり、そういう意味では一筋縄でいかない作品。 まあ梶原ファンなら一回くらいは読んでおいて、何かを感じてくれてもいいかもしれない。そんな一冊ではある。 ちなみにあとがきというか解説は、東京ムービー(現トムスエンタテインメント)の創設者で、日本アニメ界に名を残す傑物・藤岡豊が、梶原一騎との交流を語る形で執筆。こっちもその種のファンにはなかなか興味深い。 ところでこの藤岡豊の解説で初めて知ったのだが、梶原兄弟のこのペンネーム「正木亜都(まさきあつ)」って、「正気のあと(狂奔が静まった後)」の意味だったそうで、ちょっと驚いた。自分は長らく「マーシャルアーツ」が元かと思っていたので。 |
No.460 | 5点 | 死の実況放送をお茶の間へ- パット・マガー | 2019/01/20 03:37 |
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実はマガー作品は、こないだの『不条理な殺人』が初読み。本書が二冊目。肝心の初期5冊は、ぶらっく選書の『怖るべき娘達』を初めとして大昔から購入しておきながら、十年単位でずっと積ん読という、我ながら呆れた経歴だったのだ(笑・汗)。
つーわけで最近、オズオズと読んだ、2018年の新刊として邦訳されたマガー作品二冊のうちの片方ですが、これはトータルとしてはまあまあでないかと。 肝心の殺人がなかなか起こらず、そこに行くまでの1950年代テレビ局の現場描写もそんなに面白くはない。もうちょっと、当時なりの放送文化への興味を満たす新鮮な情報をもらえるのかと思っていたら、作者は悪い意味で登場人物の配置の方で勝負しようとしている感じ。もっとテレビ局の内幕という舞台設定を活かした読みどころが欲しかった。 ミステリとしての真相や犯人も、二つ目の事件が生じたところで概ね察しはつくし、実際にソレで当たり。素人探偵役のキャラクターも、なぜ彼の推理を警察側が比較的スムーズに聞こうとするのか、ちょっと違和感を抱いた。 ただまあ、伏線のうちのひとつ、犯人のある行動を解析する探偵役の思考はなかなか秀逸。犯人捜しよりも、『コロンボ』などの倒叙もので探偵役がドヤ顔で指摘しそうな、犯人側のうっかりであった。 あとは主人公ヒロインとボーイフレンドのじれったいラブコメ模様が、ちょっぴり読み手の興味を牽引する。エロ抜きの社会人女性向けの恋愛レディスコミックみたいな味わいなんだけど。 で、自分は前述のとおりマガーの技巧的な初期5作はまだ未読なんだけど、とにもかくにも、もう未訳の中にはその手のテクニカルなものは残ってないみたいね。 初めからそう分かっているなら、今後もし邦訳があったとしてもそれはそれで気楽に付き合える。 個人的には、むかしミステリマガジンなどに何編か紹介された、女性スパイ、セレナ・ミードものの連作短編がまとめて読みたいな。論創さん、創元さん、ひとつそっちの方向でのご検討を、お願いします。 |
No.459 | 6点 | 絵里奈の消滅- 香納諒一 | 2019/01/17 16:36 |
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(ネタバレなし)
「私」こと元刑事の私立探偵・鬼束啓一郎は、自分がかつて警察時代に逮捕した元・窃盗犯の「牛ヤス」こと牛沼康男から連絡を受ける。だが牛沼は相談の仔細を語らないうちに、河川で死体で見つかった。牛沼の周囲を探った鬼束は、彼が自分の娘「絵里奈」の行方を探してほしかったのだと認め、故人のために調査を始める。だが関係者の証言や遺品から事件は膨らみ、鬼束の前には予想外の真実が露わになっていく。 2018年の新作で、作者の2010年の作品『熱愛』の主人公・鬼束啓一郎が8年振りに復活した長編。とはいえ評者は香納作品は初読である。ネットでの評判をどっかで見て良さげだと思って手にした一冊だが、実は本作がシリーズものということを、劇中のそれらしい描写で初めて察し、改めてwebで確認した。 結論から言うと、予想以上に良い意味で昭和の国産ハードボイルド私立探偵小説臭を感じる作品でかなり面白かった。登場人物の描き分けも明快な一方、余計な脇役までに過剰な叙述を設けない筆致もリーダビリティが高い。その一方で主人公・鬼束のワイズクラックや皮肉、内省も巧妙なテンポで随所に織り込まれ、一人称私立探偵小説としての形質的にも申し分ない。 まあ鬼束が実質的に無償で調査を進めたり、有益な協力者がめっぽう多いあたりの描写は、気になる人は気になるかもしれないが、前者は頼み事を置いていってしまった死者との関係にきちんとケジメをつけておきたい当人のキャラクタ-だろうし、後者は探偵としての人となりを含めた人脈&機動力の発露である。個人的にはおおむねオッケー。 事件の中心となる当該の人々の関係図がややっこしい面もないではないが、ロスマクのガチガチの親の因果が子に報いもの辺りにくらべれば、まだマシであろう。できれば登場人物のメモを作った方がいいかもしれないが。 終盤、鬼束とある登場人物との対峙のなかで、ああ、本作はこれが言いたかった、やりたかったんだろうな、というのが明確に見えてくるのは好感を抱く(ミステリとしての謎の真相の方ではなく)。 ジャンル作品としては古式でかなり直球な主題かもしれないが、私的には、21世紀の今もちゃんとこういうメッセージを放ってくれる作者と作品があることにちょっとホッとする。 そのウチ『熱愛』も読んでみます。かなり評判いいみたいだし。 |
No.458 | 5点 | 霧に棲む鬼- 角田喜久雄 | 2019/01/16 04:18 |
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(ネタバレなし)
恋人だったはずの男に体と金を奪われて棄てられた若い娘・桂木美沙子。その夜、彼女はアパートの自室で自殺を考えるが、そこに町田という男が追っ手に追われて駆け込んできた。美沙子は成り行きで、彼を匿う。翌朝、迷惑をかけたと謝罪して退去する町田から頼まれ、美沙子は彼が持っていた箱を預かった。美沙子は後刻、それを町田から言いつかった場所に持参するが、そんな彼女は次第に、自分の本当の素性「高遠美沙子」に関わる陰謀に巻き込まれていく。 中島河太郎の「推理小説事典」によると、1950年に八社連合系新聞(連携する当時の地方新聞8紙の意味か)に連載されたサスペンススリラーらしい。 角田作品としては前年の『黄昏の悪魔』に連なる<薄幸の若い女性主人公がなぜか次々と理不尽なひどい目に遭う物語>の系譜。 さらにどこかのwebのレビューで<本作はくだんの『黄昏』とほとんど同一プロット>とかなんとかいう記述を見たような記憶があるので、それってホントかなと気になって、読んでみた。今回は、1976年の青樹社の再刊版(たぶん同じ出版社の1965年の書籍の新装版)で読了。 しかし本作『霧に』の現物を読んでみると<幸福がとびこんできたシンデレラ的な立場の主人公ヒロインが、その周囲に集まる複数の人物の悪意や策謀によってしつこく苦しめられる>という主題こそ『黄昏』と同一だが、実際には犯罪の構造や全体のキャラクタ-シフト、さらには肝心のヒロインの作劇上のポジションなどかなり異同があり、決して同一プロットとかリメイクとかいう出来のものではない。せいぜい姉妹編という感じで、他の作家の作品で例えるならウールリッチの『黒衣の花嫁』と『喪服のランデヴー』くらいに、大枠としては同じであり実態としては違っている。特に本作ではメインヒロインに続く準ヒロイン的なキャラクタ-や、前作とは趣の異なる犯意を秘めたキーパーソンが登場しており、その分、結構、味わいが異なるように思えた。 読者をとにかく退屈させないため、作者が話を恣意的に転がす通俗スリラーなので、劇中で複数回起きる殺人事件に関してフーダニット的な興味は薄いし、さらに終盤で、ある人物の意外な素顔が判明するのは良いのだが、それだったら遡って前の方の叙述はどうなの? と言いたくなるようなこなれの悪さもある。ただ一方、後半のベクトルが明確な展開は、読み進むにしたがって物語がゴタゴタしてきた『黄昏』よりはスッキリしているし、何より本作独自の趣向として用意された某キャラクターの歪んだ情念は、ちょっとインパクトがある。あまり多くを期待しなければ、そこそこ面白い昭和スリラーだろう。 ちなみにこの青樹社版には、巻末に二つの短編『喪服の女』と『髭を描く鬼』を併録。『喪服~』は紙幅の割に込み入った話だが、一見、無関係に羅列されているように見える事件の交錯ぶり、次第に明らかになってくる物語の全貌などなかなか読ませる。 『髭~』は長編『高木家の惨劇』などでおなじみの加賀美捜査一課長もので、富豪の殺人現場周辺の複数の絵画や写真にしつこく描き込まれたヒゲの謎を推理の興味とするもの。クイーンの某短編を想起するネタだが、もちろん解決は別もの。ホワイダニットとしては、ちょっと面白いところを狙っているかもしれない。いずれにしろ本書(青樹社版)はメインの長編より、このオマケの短編二本の方がミステリとしての密度感はある。 |
No.457 | 7点 | 殺人の仮面- ブレット・ハリデイ | 2019/01/07 01:51 |
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(ネタバレなし)
その年の7月。マイアミの私立探偵マイケル・シェーンは愛する若妻フィリスとともに、ロッキー山脈周辺の鉱山街セントラル・シティを休暇旅行で訪ねる。街は年に一度のイベントである演劇祭の最中で、観光客で賑わっていた。そんな中、シェーンは偶然、旧友であるニューヨークの刑事パトリック(パット)・ケイシーや不仲の賭博師ブライアントなど、面識のある何人かと遭遇。一方で、シェーンの勇名を聞き及んでいた若き女優ノラ・カースンから、何やら相談事を持ちかけられかける。だがノラは本題に入る前に、10年前に生き別れた老父を目撃したとしてその場を退去。やがてくだんの老鉱山師「左巻きのピート」が惨殺された死体で見つかった。シェーンは成り行きからフィリスやパットとともに地元の捜査に協力するが、事態は思わぬ連続殺人事件へと発展し……。 1943年のアメリカ作品で、マイケル・シェーンシリーズの長編第7作目。 世代人のハードボイルド私立探偵小説ファンには周知の通り、シェーンシリーズは、作者ハリディが1939年の第1作『死の配当』を著したのち、1958年までに長編29本(と何作かの中短編)を執筆。そののち、別の作家たちが「ブレット・ハリディ」のハウスネームで40本以上の公式パスティーシュ的な長編その他を執筆したという。日本ではその正編といえる長編29作品のうち、17本分が訳出されている。 それでポケミス801番にナンバリングされる本書『殺人の仮面』は、現在のところ一番最後に訳出されたシェーンものの作品。同時に実はこの長編は、シリーズ第1作でシェーンに窮地を救われた薄幸のお嬢様(キャラクター的にすごく可愛い)で、その後、彼の愛妻かつ相棒の秘書となったシリーズ初期からのレギュラーヒロイン、フィリスがまともに活躍した最後の作品でもあった(フィリスは、未訳の第8長編「Blood on the Black Market」の中で(あるいはその直後の時勢で)、シェーンの子供を出産する際、母子ともども死亡したらしい~涙~)。 しかし英国のニコラス・ブレイクのナイジェル・ストレンジウェイズの愛妻ジョージアの戦死事実もそうだが、なんでこの時期(太平洋戦争の後半)に当時の人気中堅ミステリ作家漣はこういう悲劇設定をシリーズに持ち込んだのか。それこそ世界大戦という大量死の中で、自作フィクションの主人公のみが愛妻とともに安穏としていることに書き手としての引け目があったのか? そもそも日本に紹介されたシェーンシリーズの長編17本は、新ヒロインの二代目秘書ルーシー・ハミルトン登場以降のものがなぜか大半で、フィリス登場編はわずか3長編のみ。 いや、ルーシーも十分に魅力的なキャラなんだけど、フィリス編の方も第二長編の「The Private Practice of Michael Shayne」そして肝心の退場編? 「Blood on the Black Market(ちなみにこの作品、ポケミスでは「暗黒街の血痕」という仮題タイトルで紹介されたこともあり、その暫定的な邦題の響きもかっこいい)」などは、是非とも翻訳刊行してほしかったとつくづく思う…。 21世紀の今からでも、どっかからか出ないかしら(と、論創社の方を見る)。 ……というわけで大昔の一時期、『死の配当』ほかの諸作でシェーンシリーズに思い入れた自分のような読者(既約の作品でまだまだ読んでないのもいくつかあるが~汗~)にとっては、本作『殺人の仮面』は ①これでシェーンシリーズの翻訳が打ち止めになった ②数少ない貴重なフィリス登場編 ③しかも原書の流れでも、たぶん最後のまともなフィリス活躍編 ……などなどの事由から相応に特別感のある一編だったのだが、ここで思い立ってようやく読んでみた。 しかし約160頁と短めの作品(シェーンシリーズは総じて短めだが)ながら、これがフーダニット(そして……)の謎解きミステリとしても存外に出来がいい(嬉)。シェーンが連続殺人事件の状況を整理し、容疑者それぞれの動機と犯行の機会の可能性を検証していく段取りの丁寧さもさながら、作品全体にかなり大きな(中略)トリックが用意されていて、プロットの練り込みの良さを実感する。終盤、関係者を一堂に集めての名探偵シェーンの謎解きも外連味十分で嬉しい。 犯人側に(中略)や(中略)などの要素が組み込まれるのは抵抗がある人もいるかもしれないが、個人的にはそれを上回る得点要素として(中略)という面白い趣向があるので、本作はまずこの部分だけでも高い評価をしたくなる(細かい部分での誉めるポイントも結構多いハズ)。普通にパズラーとしての結晶度も高いのではないか。 もちろん(今回は大きな活躍こそしないものの)内助の功としてシェーンを支えるフィリスの描写も魅力的(夫の旧友であるパットとの息のあった掛け合いなども微笑ましい)。 こうなるとシェーンシリーズの既訳の未読作品も、また楽しめそうである。 まあ実はこのシリーズ、意外に隠れたファンは多い感じだけどね。 (だから出しませんか。未訳の作品。) |
No.456 | 8点 | 白昼の曲がり角- 島内透 | 2019/01/03 15:36 |
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(ネタバレなし)
東京オリンピックを目前に控えた1960年代。江戸橋に事務所を持つ私立探偵・北村樟一(しょういち)は、ある日、岩田という中年男に出合う。何となく胸襟を開き合う二人だったが、その岩田は何らかの罪科で3年間の服役を終えたばかりだった。その二日後、北村は岩田から仕事の依頼を持ちかけられるが、当初はその内容はまだ未詳であった。一方、北村の元には、東京の中央郵便局の私書箱を介した別の匿名の依頼人から、一人の少女の動向を半日だけ探ってほしいという、速達の文書での奇妙な依頼がある。後者の依頼には消極的な北村だったが、彼は結局は文面に指示されていた少女を尾行。北村はいくつかの予期せぬ事態を経て、思わぬ殺人事件に遭遇することになる……。 1964年にカッパノベルスから刊行された書下ろし長編。中島河太郎の「推理小説事典」などによると、作者・島内透は、1960年に処女長編『悪との契約』でデビュー。1961年の長編第二作『白いめまい』が秀作として反響を呼び、出世作となった。ややマイナーながら国産ハードボイルドミステリ黎明期の歴史を少しでも探究すれば、すぐに名前が出てくる重要な作家の一人のはずである。 それゆえ島内作品はそのうちいつか読んでおかなければと思いながら、例によって大昔から本を集めたまま、実際に著作を手にするのは今回が初めてだった(汗・この本も大昔に買ってあって、自宅内の存在すら忘れてた)。 でもって、かの『白いめまい』も家のどっかにあるはずなれど、先に目についたこちらから読み始めたが……しまった! 本作の主人公の私立探偵・北村樟一は先にその『白いめまい』でデビューしており、こっちはその北村の事件簿の第二作だった(その後のシリーズの流れはまだよく知らない)。登場作品数がそんなに多くなさそうなら、順番に読みたかった。 結局、まあいいや、と思って、そのまま読んでしまったが……うん、これは予想以上に秀作~傑作。『長いお別れ』風に開幕し、事件はロスマクっぽく人間関係の綾で錯綜、主人公の北村の冷えた行動とその裏にあるやさしさはマーロウみたい……と、頭の悪い物言い(汗)だが、わかりやすく言うとそんな話(笑)。 しかし後半3分の1,読者に事件の奥をあえてわざと先読みさせながら、それでも二転三転させる展開、意外性の提示のし方など非常にスリリングである。作品の形質としてもミステリとしてこの事件と物語を語るなら必然的にハードボイルド私立探偵小説に行き着かねばならなかったというような説得力もあり、その辺の腰の据わった感じも素晴らしい。題名の「曲がり角」はそのまま人生の選択肢、岐路の含意だが、逆説的に、自らの意志で行動を選んでいるようで過去の呪縛から逃れられない切なさや苦さ、そしてその一方でそんなハードルを意識もせずに飛び越えてしまうある種の人間のしたたかさ、その双方に抜かりなく作者の視線は向けられている。 本作の主題のひとつはそんな「曲がり角」そして北村と岩田の間の奇妙な? 友情だが、さらにもう一つ……できればこれは、カッパノベルス版裏表紙の解説(作者の思い)を実際に読んでほしい。確かに作者は「そのポイント」に力点を置いたんだろうなあ、という出来である。 語られざる? 優秀作~傑作として自分だけが読んでいればいいや、という我が儘な思い(笑)と、文庫で復刊されて昭和ハードボイルドの名作として21世紀の新旧のミステリファンに広く知られてほしい、そんな願いが相半ばする作品。 さて『白いめまい』はこれを上回るか? はたして、向こうが『本陣』、こっちが『獄門島』かもしれんけどな。 |
No.455 | 5点 | 死者の入江- カトリーヌ・アルレー | 2019/01/02 02:28 |
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(ネタバレなし)
取り立てて美人ではないが悪い器量でもない処女のパリジャンヌ、アンドレは、社会的に成功した年の離れた男性で同じ名前のアンドレの熱烈な求婚を受けて結婚した。それから10年、今は夫から「アダ」の名で呼ばれる人妻アンドレ=アダは、いつしか精神に疲れを感じていた。アダは病院での治療を受けた後、夫の勧めで彼が購入したブルターニュの閑寂な別荘に赴き、夏の間、夫婦で静養することになる。だが仕事の関係で二日間だけパリに戻るという夫を見送ったアダだが、そんな彼女の周囲で怪事件が頻発する。 1959年のフランス作品。『わらの女(藁の女)』に続くアルレーの長編第三作で、リアルタイムでは実質2~3日の物語。短いし、幕数の少ない舞台劇のように登場人物も多くない。どういう物語の構造かも当初から読めるし、中盤のサプライズでかえって読者の確信はさらに固まっていく。この辺を分かりきったオチと切って捨てるか、見え見えの話なのになかなか読ませるととるかで評価は変わるが、個人的には今回は後者。ラストのツイストも小粋で良い。いかにもフランスミステリっぽい小品で、水準作~佳作。 |
No.454 | 7点 | スタイルズ荘の怪事件- アガサ・クリスティー | 2019/01/01 20:15 |
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(ネタバレなし)
1920年作品。言うまでも無くポアロのデビュー作。 大晦日~元旦の年越しなので、何か自分の読書歴的にもミステリ史的にもマイルストーンといえる一冊を……と思い、何十年も前に古本で購入したままだった1957年刊行のポケミス版を手に取った(その後、ブックオフでHM文庫版も買ってあるハズだが)。今のファンにはとても信じられないだろうが、これがソコソコ入手しにくい時期もあったんです(創元文庫版が70年代半ばに再版される前ね)。 ちなみに初読である。これまで読まなかったのは、本作の最大の大ネタである犯人の○○○○○~というのをどっかで事前に教えられていて、興が薄かったため。 おかげでやっぱり犯人は途中でバレてしまったが、毒薬に詳しいクリスティーらしい熱気ある叙述、意外に(でもないか……)しっかり書き込まれた法廷ミステリ的な興味、そしてのちの作者自身の代表作のひとつの原型的なトリック……と盛りだくさんである。 あと手紙の現物を掲載してそこに意味をもたせるギミックは、見方によってはホイートリー&リンクスの「捜査ファイル・ミステリー」シリーズの先駆だよね。 ちなみにポケミスの解説では、都筑道夫がこの作品のトリック(前述の○○○○○~のことだろう)は今(昭和32年当時)ではメジャーになってしまったが、本作こそが先駆である、と声高に弁護している。厳密に本作以前の前例がないのかは未詳だが(『アクロイド』だってアレやアレがあるし)、もし事実なら確かに見事な創意だろう。演出がやや甘いところも感じるが、個人的には当時の時勢に戻って得点的に評価したい。 クリスティ再読さんの、クリスティー作品をある程度読んでからの方が楽しめるというのには頗る共感。nukkamさんの高評も理解できる。 勢い? というかノリで(中略)しちゃうヘイスティングスも、その彼から時々狂ったようになるんですと言われているポアロも愛おしい(笑)。あと本作でポアロが話題にしている、彼が動員したという十人の素人探偵。どういうキャラクターだったのだろうか。のちの事件簿に何人か登場していたような協力者たちが該当するのか。 |
No.453 | 7点 | 日曜日は埋葬しない- フレッド・カサック | 2018/12/31 17:13 |
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(ネタバレなし)
今日初めて読み始めてそのまま読了。 大昔に読んだ同じ作者の『殺人交叉点』は自分のミステリ遍歴での原体験のひとつで、同じような思いの人も多かろう。 だからある意味で殿堂入りしてしまっているそっちと、今になってようやっと初めて読んだ本作との単純な比較はしにくいのだが、あえて言えば、実のところ、本作の方が面白かった気がする(笑)。 Amazonなんかのレビューでは、21世紀の今では(中略)という人もいるのだが、自分の場合はここまできっちりした「フランスミステリ」になってるとは思ってなかったので(後略)。 あとね、『殺人交叉点』に無くって本作にあるものは、物語の大設定を受けた人間への諦観。108頁以降、ストーリーの流れの上ではあそこの場面から物語が急転するツイストとして機能しているけど、そういう文芸というか人間観こそが本作の核をなす主題でもある。そしてさらにその上で、本作は結晶感の高い秀作ミステリだった。 人間って本当に(ふたたび後略)。 ■注:ポケミスの訳者あとがきは強烈なまでのネタバレ。絶対に! 読まないように。自分は助かりました(安堵)。 |
No.452 | 5点 | ノアの箱舟殺人事件- 池田得太郎 | 2018/12/31 12:19 |
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(ネタバレなし)
1970年代の半ば。工業高校の英語教師で古代伝説のアマチュア研究家でもある磯村久雄(36歳)は休みを利用し、トルコに向かう。目的はノアの箱舟伝説で有名なアララト山への探訪だったが、現地で彼は自分によく似た顔の日系アメリカ人、ライアン・ハントと出合う。故あって磯村はライアンの素性に自分との運命的な奇縁を感じるが、そのライアンは何者かによってアララト山の麓の小屋で殺害された。だが被害者は、米国でなく当人の写真が貼られた別名のパキスタン政府発行のパスポートを所持していた。現地のイラン人運転手ナザル・シャーを協力者として契約し、ライアンの遺骨を届ける目的でアンカラのパキスタン大使館に向かう磯村。やがて彼の前には予想外の事件の構図が広がっていく。 角川書店の「野性時代」1976年4月号に一挙掲載されたのち、加筆されて光文社のカッパ・ノベルスから刊行された長編。現時点でAmazonにも登録はないが、昭和51年10月20日初版。本文は約260頁。 作者・池田得太郎は1958年に純文学畑でデビュー。処女作『家畜小屋』が三島由紀夫に絶賛されたが、本業はサラリーマン生活だったため作品数は多くない。しばらく沈黙したのち書かれた本作は「作家としての存在を賭けた野心作」(元版の裏表紙より)だったが、少なくともその後の著作はこの名義では刊行されていないようである。これがミステリとしても唯一の作品となる。なんか先日、ヤフオクの競りで妙に地味に盛り上がっていたようなので、気になって借りて読んでみた。 文庫化もされていないマイナーな作品で、ネタ的にも当時のオカルトブームを背景にノアの箱舟伝説を主題にしたキワモノっぽいが、内容の方は前述のように筆力を秘めた作家の作品らしく、なかなか骨っぽさは感じる。冷戦終末期の時代を背景に、舞台となる中東諸国のエキゾチックな描写、ノアの箱舟伝説についての(たぶん当時としてはそれなりに書き込まれた)知見、そして武器あまりの東西の大国が旧式の武器を処分するため中東諸国に争いの火種を撒き、武器を売りつけようとする反吐の出そうな陰謀(なんかアンブラー風だ)などなど、物語の設定から広がっていく要素を縦横に取り込んでおり、その辺のまとまりの良さは達者。あとネタバレになるので書けないが、主人公の過去にもからむ現代文明レベルの大きな主題もある。 この手の作品としては存外に登場人物が少なく、名前が出るキャラクターだけで15人弱。その分、話の流れは読者をあまり振り落とすこともなく読みやすいが、一方で作中のリアルとして少し偶然すぎる部分が目に付いたり、実はあの人が……のパターンがちょっと鼻についたりもする。 ミステリ的にはこの作品タイトルの割にフーダニットの要素は薄いし、謎解き犯人捜しとしての興味で読むものでもない。ただいくつかのサプライズはちゃんと作者の計算的に設けられており、全体としては基本マジメな作風に退屈しなければそれなりに楽しめるかもしれない。作者の目線に基づく方向でのまとまりは感じる作品だが、ミステリとしての華がもうひとつ無いのは弱点。 |
No.451 | 5点 | ローマの北へ急行せよ- ヘレン・マッキネス | 2018/12/22 17:13 |
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(ネタバレなし)
1950年代。7月下旬のローマ。処女作の戯曲を大ヒットさせたものの、次作の構想に悩む29歳のアメリカ人新進作家ウイリアム・ラミター。彼の恋人エレノア・ハーレイはイタリアのアメリカ大使館の秘書官だったが、現在はイタリアの青年貴族ルイジ・ピロッタ伯爵に心変わりし、ついにはラミターを捨てて伯爵と婚約していた。くさる思いのラミターはその日の早朝、若いイタリア美人が路上で暴漢に襲われている現場にたまたま遭遇。彼女の危機を救った。ラミターに助けられた24歳の美人ロザーナ・ディ・フェオは後刻改めてラミターに感謝を述べ、そして思いがけない相談事を持ちかける。それはあのピロッタ伯爵に関わる重大な秘密と、その秘密の向こうに潜む国際的な謀略への対応だった。 1958年のアメリカ作品。作者ヘレン・マッキネスは1930年代末から80年代まで活躍した当時の大物の女流エスピオナージュ作家。日本でも数作品が紹介されているが、この作品『ローマの北へ急行せよ』だけ、翻訳家があの梶龍雄のせいか古書価がべらぼうに高い。梶ファンにとって一種のコレクターズアイテムになっているのだろう。 評者は大昔に、マッキネスの長編はどれだったか1~2冊くらい読んだ記憶があるが(もうその内容も、そもそもどの作品だったかも忘れているけど)、それなりに楽しめたような感触だけは覚えている。それで本作はまだ確実に未読のハズの一冊だったので、このたび気が向いて、借りて読んでみた。 劇中で進行する国際謀略は、当時の冷戦時代を背景にした東側のとある大規模な計画。西側社会にもかなり影響のありそうな策謀なのだが、最初にこの情報を握った西側のスパイが一種のルーザー(落ちぶれて現在は二線級の人員)だったため、NATOの上層部は彼が持ってきた報告を不当に軽視。大局的に動いてくれず、仕方なく現場の有志情報員だけで対応することになり、その流れのなかで主人公ラミターも故あって協力を要請されるハメとなった。巻き込まれ型スパイ小説として、この設定はなかなか上手い。 一方で女流作家マッキネスらしくロマンススリラーの味付けも万全で、元カノと新たに現れた美女スパイ、ふたりのヒロインに挟まれた主人公ラミター(まあ比重は××××の方に順当に傾いていくが)と、恋敵ピロッタ伯爵との対峙の構図にもちゃんと作劇上のポイントは置かれている。ラブロマンスエスピオナージュとしての仕上がりは、まあ納得といったところ(物語の序盤で元カレのラミターと婚約者のピロッタ伯爵が偶然に顔を合わせた際、この二人が自分の前では仲良くしてほしいと、さっそく都合のよいことを考えるエレノアの内面描写など、あー、達者な女流作家だな、という感じ)。 邦訳書は全書判で本文230頁ちょっととやや薄めだが、二段組みで級数は小さめなため文字量はそれなりに多い。相応の枚数で挿し絵イラストが用意されているのは読みやすかった。本文とイラストの内容が必ずしも合致してないのはご愛敬。 イタリアの名所探訪の興味を交えながらドラマの舞台をスピーディに切り替えていく筋運びは悪くないが、基本的に主人公側の追撃劇がやや一本調子で、ラミターと仲間たちを支援してくれる人々の立ち位置も潤滑すぎる辺りはいささか単調。つまらなくはないが、もうちょっといくつか仕掛けがあっても良かったかという思いも湧く。クライマックスを経てもう一幕あるのは結構だったが。 |
No.450 | 6点 | 切られた首- クリスチアナ・ブランド | 2018/12/16 14:55 |
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(ネタバレなし)
何十年ぶりかの再読のはずだが、首切断の方法以外はほとんど忘れていたので、初読に近い気分で楽しめた。 全部で200頁ちょっととブランドのなかでも薄めの方だし、初っぱなから事件が起きるのでサクサク読めるが、例によって中味は濃い。容疑者の枠を一度狭めておいてからまた……という筋の組み立てとか、後半になって堰を切ったように続々と思わぬところからも飛び出してくる推理の上書きとか、これこそ正にブランド。堪能しました。しかし唖然としたというか、いくら大昔に読んだとはいえ「俺はこのネタを忘れていたのか!?」と驚いたのは、本作の根幹を占める真相についての着想。これはほとんど、イカれた新本格ではないか(webの一部の評でバカミスっぽいといってるのも、まあ、わからなくもない。個人的には大歓迎だったが)。 一方で冒頭から提出された大きな二つの謎の興味に対する笑っちゃうほどのファールぶりや、前述の首切断の「絶対にそんなにうまくいかないよ」といいたくなるようなハウダニットとか、素晴らしさの反面の妙なツッコミどころも満載。あとコックリルって、こんな名探偵キャラクターだったっけ? とちょっと違和感を覚えた。まあデビュー編だからね。 評点は作者がブランドでなければ7点でいいけれど、今回はこのくらいにしておこう。まだ未読&再読予定でとってある数作に、もっと高い評点をあげられそうだから。 |
No.449 | 7点 | ガールハンター- ミッキー・スピレイン | 2018/12/14 12:40 |
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「おれ」こと、かつては凄腕の私立探偵だったマイク・ハマー。だがハマーはこの7年間、浮浪者同然の男に成り下がっていた。その原因は、7年前の事件で秘書で恋人の美女ヴェルダを失ったことにある。当時、富豪シヴァック夫婦の警護を依頼されたハマーは、主な護衛対象が夫人のローラの方であることから、私立探偵許可証も持っている「黒髪のワルキューレ」ヴェルダを護衛役に派遣した。だがローラは殺され、ヴェルダとローラの夫のルードルフは行方不明になり、二人もまた状況からおそらく殺されたと思われた。ヴェルダを失って心を荒ませたハマーは探偵稼業を破綻。今では拳銃許可証も取り上げられ、街頭で酒浸りの日々を送っていた。だがそんなある日、重傷を負った男リチー・コールがハマーを病床に呼び出し、ヴェルダは今も生きていると伝えた。 アメリカの1962年作品。マイク・ハマーシリーズ第7弾。初期ハマーシリーズは1947年の『裁くのは俺だ』から1952年の『燃える接吻を』まで6本の長編が書かれたのち、10年間の休止期間に入る。この間はスピレイン自身も作家生活を休業していた(1961年作品『縄張りをわたすな』は昔の原稿の発掘らしい)。つまり本当に大雑把に言って、ここからがハマーシリーズの後期というか第二期になる。 ちなみにAmazonでのレビューなどをちょっと覗くと、こんなクタクタのハマーなんからしくないという声が二つも並んでいるけれど、いや、長期シリーズもの、しかも行動派のキャラクターが途中でボロボロクタクタになるのなんて、シリーズの起伏としてのセオリーでしょ。平井和正のアダルトウルフガイだって、その趣向の『人狼戦線』なんか(個人的に)シリーズの最高傑作だし。しかも当時のハマーの10年ぶりの復活がこの設定。これはインパクトあるよ。だから本作はこれでいいのだ。 そして本作の主題だが、これはもう、スピレインにとっても作中のハマーにとっても、そしてハマーシリーズをリアルタイムで読んだ多数の読者にとっても(おそらく)共通の観念『ああっ女神(ヴェルダ)さまっ』である。ベルダンディーじゃないよ、ヴェルダだよ。 その喪失でハマーのアイデンティティを完膚なきまでに粉砕してしまう絶大なほどに重要なヒロイン、ヴェルダだが、ほぼ10年ぶりにハマーシリーズを再起動させるためには正に彼女の存在感そのものが必要だった。本作とこの続編『蛇』の二部作をもってヴェルダを追う目的と行動原理そのものこそが、ハマー復活のカンフル剤になる。いや実はもうすでに、シリーズ第5作『寂しい夜の出来事』でヴェルダが共産主義者の過激派に捕まって拷問され、激怒したハマーが二十人もの相手を瞬殺するあたりから、スピレインとハマーのヴェルダ崇拝ぶりはイカれ始めているので、ソレを思えばシリーズのターニングポイント編の本作でのキーパーソンになるのは、ヴェルダ以外にないんだよね。 ちなみに『蛇』を経て1970年の第11長編『皆殺しの時』でもヴェルダってまだ処女だよ。スピレインの処女・聖女崇拝の念を仮託されているから。さすがに同作のなかでは「私たち、いつになったらひとつになれるの? マイク」とかなんとか言ってるが。まったくとんでもないキャラクター&ヒロインだ。 さらに本作ではそのハマーが再起するための馬のニンジンとして向こうにぶら下げられた形のヴェルダだが、時代は正に行動派ヒーローミステリ界全体の趨勢が私立探偵小説から硬軟のスパイ小説に向かう流れ。従って国際謀略ミステリの興味も加味された本作では、作中のキーパーソンとなるヴェルダも、実は第二次世界大戦の時点からいろいろありました、実は世界規模の陰謀(中略)……と、いきなりとんでもない文芸設定をしょいこまされることになる。 これって要するに、いかにヴェルダがハマーにとって大事かのみならず、この作品世界のなかでの大物なのか、女神様なのかの、強烈なプッシュなんだよね。この値のつり上げ方も、正直言ってクレイジー(笑)。 今回初めてポケミス版で読んだけど(なぜか姉妹編の後編『蛇』の方は先に何十年も前に読んでいる~たぶん当時の気分を回顧すれば、俺もその頃、ヴェルダがしっかり……おっとこれ以上はネタバレになるので言えない)、もともとスピレインファンだったアトラス鏡明は本作『ガールハンター』をミステリ文庫版の方の解説でメチャクチャにけなしていると聞くし、さらに北上次郎も本作を「ヘンな作品」と言ってるらしい。どっちもうなずける評価だ。きわめてまっとう。とても健全な反応。 ただね、スピレインがやりたいこと、ハマーとヴェルダの関係性のなかに求めたものを考えるなら、これはすんばらしく振り切ったケッサクなんだよ。自分としては、そう思った方が腑に落ちる。 ヴェルダほど「大事にされた」ミステリシリーズのレギュラーヒロインもたぶんそうはいないでしょう。それこそかなりねじれた形だけど、ある種の清々しさを感じる。 いや、ある意味でハマーシリーズの白眉といえる一作だろう(笑)。 【2021年4月28日追記】 上記の文で、ヴェルダは『皆殺しの時』の時点でまだ処女、と書いたけれど、再読したら暗喩的な描写ながら、ハマーとのセックスシーンらしい叙述があって、あらら……と思った。やっぱ『蛇』の直後にひとつになった、のかしらん。 |
No.448 | 6点 | ノックの音が- 星新一 | 2018/12/12 11:55 |
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(ネタバレなし)
どれもこれも最初の一行「ノックの音がした。」で始まるショートショート&短めの短編を15編集成した、変格的な連作短編集。 もちろん各話の主人公や設定はバラバラだが、前述の同一の一行で物語が開幕することを作者が自らの創作上の縛りにした、そんな趣向の連作である。 講談社文庫の石川喬司の解説によると、15編のうち14編は60年代の「サンデー毎日」に週一回のペースで連載され、最後に収録された『人形』のみ別の場に発表された同一の趣向の作品があわせて書籍化されたそうである。 元版は1965年に毎日新聞社から刊行。 明らかな一定のルールを己(または作中のスタイル)に課して連作短編を書き連ねていく趣向は、ミステリに限らず古来より文学・小説の分野に多くありそうな気もするが、では本作のように最初の一行が全部同じという極端な類似の具体例はというと、意外にないのではとも思う(当方の不見識だったら済みません。どなたかご存じでしたら、こんな作品もある、と掲示板などでご教示願えれば幸いです)。 まあヨコジュンの大傑作『山田太郎十番勝負』などは、自宅にいる主人公側が毎回、受け身のなかで苦闘するという意味で、本書の後継者的作品といえるかもしれないが。 それで前述の石川喬司も指摘していることだが、本作の個性はそのノックの音で訪問者が訪れるところからスタートする趣向の他に、星新一作品には珍しいほどに劇中人物の固有名詞がそれぞれ頻繁に設定されていること。石川の解説では、これは作者の本来のスタイルではなくやりにくかったろうとの見識を述べており、それにはまったく同感。 とはいえその一方で、基本フォーマットがここまで共通の物語(まあそれを貫徹すること自体が本作の存在意義なれど)の場合、どうしても諸作が似通ってしまう部分もなきにしもあらずなので、固有名詞の導入という手法は各話の差別化の意味で、今回に限っては、良かった面もあるかもしれない。 あと本作は「基本的に」非スーパーナチュラルのミステリ。人間関係の意外性や心理の綾で物語を紡いでおり、なかにはひとつふたつ、以前の星作品の変奏じゃないの? という感じのものもあるが、この辺も作品の個性といえばいえる。 実験小説の面白さという見方で読んでもいいだろうし、少なくとも一生のうちに一度も読み終えずに通りすぎるには、ちょっともったいない感じの一冊ではある。 |
No.447 | 6点 | プリンセス刑事- 喜多喜久 | 2018/12/12 00:09 |
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(ネタバレなし)
2000年以上の長きにわたって歴代の女王陛下に統治されている、もう一つの日本。都内の三鷹大学の周辺に、被害者の死体から血液を抜く謎の連続殺人鬼「ヴァンパイア」が出没していた。捜査に当たる三鷹警察署の青年刑事・芦原直斗は、ある日上司から同事件の捜査と並行して特別任務を命じられる。それは王位継承権第五位の高位にありながら、なぜか警視庁の警部補として捜査の前線に立つ若く可憐な王女・白桜院日奈子のパートナーとなることだった。 文芸設定も表紙ジャケットのビジュアルもまったくふた昔前のラノベ風だが、webでの世評のとおり、どっちかというとライトノベルというよりはキャラクターものの警察小説っぽい。 作者は漫画チックな設定と題材を必要以上におふざけに料理せず、基本的にマジメに向かい合って語っている(現実の一般人の皇室ミーハー的な視線をよく心得ながら、普段の描写に取り込んでいる)。 ある動機から刑事に憧れて無辜の国民を守ろうとする主人公ヒロインのイノセントな真っ直ぐさも、そんな彼女とラブコメチックなナイト役を演じる男子主人公の献身ぶりもフツーに微笑ましい。これはこういうものとして、よく出来ている。 ミステリ的には登場人物の整理が行き届きすぎてもうひとつ容疑者の幅が広がらず、どんでん返しの先に明かされる真犯人の正体に意外性が薄いのはナンだが、なぜ犯人が毎回の犯行で血を抜いたかのホワイダニットはちょっと面白い。ここが気に入る人は、ミステリとしてもそれなりに悪くない点をつけるだろう。 魅力的なキャストと外さない演出スタッフを揃えれば、23時深夜枠の連続6回一時間TVドラマとかの原作にぴったりな作品。 作者は続編を書く用意もあるようで、出たらまた読みます。 |