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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2038件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.618 6点 妻は二度死ぬ- ジョルジュ・シムノン 2019/08/13 19:31
(ネタバレなし)
 卓越した技巧から、斯界で高い評価を得る宝石デザイナーのジョルジュ・セルラン。彼が20年近く連れ添う愛妻アネットは、結婚前からの職業ソーシャルワーカーを現在もなお続けていたが、そのアネットがある雨の日、トラックに轢かれて死亡する。しかし事故の現場はセルラン家からは遠く、そしてソーシャルワーカーとしてのアネットの受け持ち区域でもない市街だった。遺された2人の子供を脇にセルランは幸福だったアネットとの結婚生活を回顧し、そして何故、妻がその事故の日、その現場にいたのか探求を開始した。

 1972年のフランス作品。ノンシリーズ作品ではシムノン最後の長編だそうである。
 それで物語の発端は、グレアム・グリーンの『情事の終り』(すみません。設定だけ知っていて実物は未読じゃ~汗~)ほかを思わせる<遺された夫が生前の妻の秘密を疑う>王道パターンだが、本作の場合は、全8章の物語のかなり後の方まで主人公のセルランはアネットがなぜそんな場所にいたか? を突き止めようとして腰を上げたりせず、昔日の回想や自分のもとを巣立ちしかける息子や娘との関係の方に関心の向きを優先させたりする。この物語の流れも深読みすればアレコレと考えられるかもしれないが、作者当人の思惑は意外に素っ気ないものだったかも。
 終盤の展開は(中略)で(中略)。いずれにしろ、なるべく素で読みたい人は、本書巻末の訳者あとがきも読まない方がよろしい。ちょっと余計なことまで言い過ぎてるので。
 ごく個人的には、212~213ページの<彼女>の物言いがすごく印象的。当該人物からのくだんの人間関係のそういう捉え方が、実にシムノンらしく思えた。
 シンプルなストーリーながら、小説好きの人々が集う読書会などで課題本にして、思いついたことをあれこれと語り合うには適当な一冊かもしれない。
 シムノンの長大な創作者としての人生(評者はまだその著作の半分も読んでませんが)。その幕引きを務めた作品のひとつとしては、これもありでしょう。

No.617 6点 バタフライ - ジェームス・ケイン 2019/08/12 13:15
(ネタバレなし)
「私」ことジェス・タイラー(タイラア)は、廃坑の近所で農作業や酪農をして日々を過ごす42歳の男。20年前程前に当時の若妻ベルに、愛人の男モーク(モォク)と駆け落ちされた過去がある。ベルは当時、ジェスの長女でもあるジェーンと同じく彼の次女でもあるケイディという2人の幼女まで連れて行ったが、現在のある日、美しい娘に成長したケイディが帰ってくる。しかもすでに彼女にはダニイという男児の赤ん坊までいた。訳ありらしいケイディとの同居を始め、さらにジェーンとも親子の縁を温め直す機会に恵まれるジェスだが、そこに元妻のベルまでが帰参。さらに彼女を追って、その愛人のモークまでがジェスの周辺に現れる。そんな中、ジェスはケイディから、ダニイの父親である青年ウォッシ・ブラウントを紹介され、その人柄に好感を抱いた。そして、ジェスにとってモークは自分からベルを奪い人生を狂わせた仇敵だが、ウォッシもまた別の事情からモークを嫌悪していた。二人はモークに対し、手を組んで行動するが……。
 
 1947年のアメリカ作品。ケインの第9長編。邦訳は日本出版協同の個人作家叢書「ジェームス・ケイン選集」の4巻しかなく、部屋の蔵書の中からしばらく前に見つかったそれを、今回気が向いて読んでみた。
 翻訳者の蕗澤忠枝は新潮文庫版『殺人保険』と同じ人で(というより正確には、「ジェームス・ケイン選集」は一貫して蕗澤が手がけており、『殺人保険』も元版はそっち。のちに新潮文庫に同じ翻訳が収録された)、ケインの一種リズミカルともいえる文体はよく日本語に置換してある(と推察する)。
 が、その一方でさすがに言葉の選択が古かったり、国語的にもどうよ? というものもあり、初めのうちはやや読みづらかった。登場人物の名前のカタカナ表記も、合間合間でしょっちゅうブレがあるし。
(新潮文庫版『殺人保険』は、文庫化の際の校訂が行き届いているせい? か、その手のことはそんなに気にならなかったのだが。)
 だが中盤に物語がひとつの山場を迎える頃には、その種の問題はほとんどストレスにならなくなり、あとはケインの好テンポな文章に乗せられて、後半のストーリーの流れの中をいっきに加速していく。

 大筋に関してはおそらくは広義のクライムストーリーであろう、ノワールなのは間違いないだろうと、当初から予見はしていたが、その一方で、これ、どのくらい狭義のミステリ濃度は高いんだろ? と思って読んだ一冊でもあった。最終的には、その辺の興味にはそこそこ応えている。
 謎解き要素はほとんど無いが、人間関係のもつれ、そして主人公ジェスを初めとした登場人物の原初的な欲望や情感が織りなしていく緊張感は、独特な食感の文芸っぽいサスペンススリラーを構成していく。二転三転のストーリーのツイストの果てに、主人公ジェスが迎える終幕も、実にそれっぽい余韻があっていい。
(男どもが右往左往する脇で、マイペースを保ち続ける女どもなど、たぶんこの作者っぽい叙述なのであろう。)

 ちなみに題名のバタフライとは、ある登場人物の家系の皮膚に、代々遺伝的に継承される(という、またはそう信じられている)蝶型の紋様のこと。
 花畑の上をひらひら舞う蝶は時に、はかない幸福の幻の暗喩っぽく用いられることもあるが、本作にもそういうニュアンスは(中略)。

No.616 6点 朝はもう来ない- 新章文子 2019/08/08 12:39
(ネタバレなし)
 昭和30年代半ば。その年の冬。小学校高学年の男子・相良民夫は、洋裁の内職で生活費を稼ぐ母、美代子と二人暮らしだった。そんな中、美代子が子宮ガンと発覚。早期の手術なら効果があるという事で手術費を工面するため、美代子は6年もの間、自分の愛人だった洋品店の主人・宮島万吾のもとに借金の依頼に行く。だがケチな宮島は病身の美代子をすでに見切り、別の愛人の貞子といい仲だったので、金を貸すのを渋った。そんな薄情な宮島に対し、美代子は借金に応じなければ、彼のある秘めた悪事をバラすことを暗示した。一方、近隣に住むバーのホステスで中古アパートの大家でもある37歳の冬子は、脚本家で大成すると言いながら競馬狂いの日々の情人・辰中福郎への愛憎の念を拗らせていた。冬子の友人でミステリファンでもある貞子は、先に読んだ作品から思いつき、宮島と冬子、それぞれに邪魔な相手を始末するべく、交換殺人をすればいいのだと提案するが……。
 
 新章文子の第三長編。文庫にもなっていない稀覯本なので借りて読んだが、中身は昭和の庶民の場を舞台にしたサスペンス劇&クライムストーリーという感じでなかなか面白かった。牛乳配達をしてお金を貯め、欲しいテレビを買う足しにしようと思っていた少年・民夫が病気になった母のため貯金をとり崩し、ついには母の手術代を得ようと、近所の青年でギャンブル好きの青年・武一に誘われて残った貯金を競馬につぎ込む。そんな民夫のエピソードが作品の主軸の一つとして語られる傍ら、大人達の思惑もそれぞれの局面に向かって進んでいく。
 通常の意味での推理小説要素は薄いが、二転三転するストーリーテリングは絶妙。薄暗く湿った話ではあるが、交換殺人を約束した宮島と冬子が、お互いに裏切ったら100万円払うと(といいつつ宮島の方には、実際に払えもしない)念書を取り交わすくだりなど、妙なドライユーモアの趣で笑わせる。
(一体、殺人の約束の履行不履行を質す念書に、いかほどの公認性と拘束力があるのか!?)

 さらに登場人物には鮮烈な多彩感が与えられ、特に、ケチで酷薄な親父・宮島の実の娘ながら、秀才で情に厚く、自分の父の愛人の息子・民夫に出会い、本当の弟のように面倒を見る高校三年生の杉子(四人姉妹の次女)など、物語に厚みを与えるとてもいいサブキャラクターだった。
 ある意味では、読者に対して「安易に人間を見放すニヒリズムにもペシミズムにも陥るな」と釘をさす役割の女子キャラクターでもある。そういう視点を持ち込むあたり、やはり新章文子は小説作りがうまい。

 終盤の怒濤のような展開、ラストの余韻までふくめて、鮮烈な印象を残す佳作~秀作。ただ、読んで良かったと思う作品ながら、手放しで7点をつけたくない部分がどこかにあって、あえてこの評点で。
 Webを見渡すと、新章文子のファンで、その上でこの作品が一番スキ、と言っている人もいるらしいことを付記しておく。

 なお作中でミステリ好きという貞子が読んだ交換殺人ものって、この時点(本書の書籍版は1961年に刊行)なら一冊しかないよね? 
 ブラウンの『交換殺人』は1963年の邦訳。ハイスミスの『見知らぬ乗客』の原作の邦訳は1970年代に入ってからなので。当然、ブレイクの『血ぬられた報酬』 (ポケミス版が1960年に刊行) ということになる。さりげなくその辺り(ポケミスで、ブレイクのノンシリーズ編)に手を出していたのだとしたら、なかなか通だったような(笑)。

No.615 6点 レディ・ジャングル- カーター・ブラウン 2019/08/04 01:17
(ネタバレなし)
 「おれ」こと、ハリウッドの辣腕トラブル・コンサルタントとして名を馳せる私立探偵リック・ホルマンは、映画会社「カデンザ映画」から依頼を受ける。その内容は、イタリアの若手美人女優カローラ・ルッソを主演に迎え、アメリカの人気男優ダン・ギャラントと組ませた新作映画を準備していたところ、その二人が恋に落ちて出奔した、しかもカローラを発掘したイタリアの名監督ジノ・アマルディと、ダンの嫉妬深い妻モニカ・ヘイズもこんな事態に騒ぎ出しているので、早急にカローラとダンを見つけて穏便に連れ戻して欲しいというものだった。カデンザ映画の宣伝課長でブロンド美人のリノア・パーマーから、ダンが潜伏している可能性がある場所の情報を得たホルマンは現地に向かう。そこでホルマンは、揉めている最中のカローラとモニカ、そして銃で撃たれて負傷した状態のダンの姿を認めた。

 1963年作品。リック・ホルマンシリーズの第6作目(ミステリ研究サイトaga-search.cの書誌データから)。
 評者は数年前から、カーター・ブラウンの諸作はひさびさに数冊ほど読んでるが、最近手にした中では今のところこれが一番面白かった。
 田中小実昌の翻訳が快調なのは間違いないが、それを抜きにしても、わずかでも隙があればそこを埋めようと飛び出してくるワイズクラックやイカれたジョークの物量感が、本作は並々ならない(笑・特に前半)。
 さらにシンデレラ・ストーリーを自ら語る風を装いながら、その実、自分がいかに苦労してきたかの不幸自慢をしたがる若手女優カローラの甘ったれぶりを、ホルマンがごくドライに(ある意味では相手のために親身に)突き放す態度なんかもとてもいい。しっかりハードボイルド探偵らしい、骨っぽさである。

 ミステリとしても後半まで登場人物同士の掛け合いで読ませながら、最後の方で加速度的な緊張感を増す。
 そして犯人のキャラクターはかなりイカれていて、鮮烈な印象を残した。
 犯罪が成立する過程もかなりぶっとんでいたが、ネジの緩んだ思考の真犯人当人にとっては<そういう形>で事態を進めたかったという執着があったのだろう。そんな理解も確かに可能である。

 実際のところ「カーター・ブラウン」が一種のハウスネームで、ある種の作家工房だったらしいことは今ではもう定説なのだが、それではコレはきっと、かなり上位のランクの腕のいい作家に当たったんだろうな。
 この作品は最終的にいかにも都合良く事態が収まる部分もないではないのだが、そこら辺まで含めて、安心できる職人芸の筆捌きという趣で楽しかった。

 しかし最近、Twitterなんか見ていると、21世紀の今になって、なんでこんな若い世代の子がカーター・ブラウンを読んでるの? と思うことがごくタマにあるんだけれど、まあこういった作風の面白さ・楽しさが、新世代の好事家ミステリファンの心の琴線のどっかに、時代を越えて引っかかっている(?)というのなら、それはホントに結構なことである(笑)。

【2019年11月20日追記】
21世紀の現在ではカーター・ブラウンがハウスネームというのは、疑義があるらしい。情報の出典はミステリマガジンの2006年の号での特集記事らしくて同号は買ってあるはずだけど、すぐに出てこない。見つかったら確認してみよう。とりあえずこの件は保留で(汗)。

No.614 5点 誘拐 愛のかたみに- 田中文雄 2019/08/03 03:54
(ネタバレなし)
 不倫を働いた7歳上の夫、矢吹光治と20代半ばで離婚した元女優の羽原翔子。その後、彼女は、海外ブランドの化粧品メーカーと特約してメーキャップ&化粧品会社を創業。実業家として成功し、32歳の現在に至る。矢吹との間にできた娘・舞子の親権も獲得し、今では同い年の青年実業家・安武豊との婚約も叶っていた。そんなある日、13歳の舞子が何者かに誘拐され、犯人は当初は一千万、そして五千万と金額をつり上げながら身代金を要求してくる。翔子は、現在、多大な借金で苦しんでいる矢吹が犯人ではないかと疑う。だが娘を案じる父としての矢吹の心情に、嘘は無いと認めた。翔子と矢吹は身代金を工面しようと奮闘するが、舞子を誘拐した犯人にはさらにある思惑があった。

 文庫書下ろし。作者の田中文雄は1941年生まれ。ワセダミステリクラブに在籍中の1963年に「宝石」誌上で短編デビュー。その後、東宝に入社して文芸部員を経てプロデューサー職に抜擢。「血を吸う」シリーズ三部作や『(新)ゴジラ(ゴジラ1984)』など、ホラー・SF作品を主に担当。角田喜久雄原作の『悪魔が呼んでいる』や田中光二原作の『白熱』なども手がけている(どちらも原作から相応に潤色されているが)。
 さらに1970年代半ばには「SFマガジン」の「SF三大コンテスト小説部門」、「幻影城」の新人賞などにも応募してそれぞれ受賞(後者は佳作)。この時期から作家としても再起動。80年代の前半から小説家として本格的に活躍し、同年代半ばに東宝を退職してからは専業作家として精力的に活動した。
 作家としては、本名の田中文雄のほかに滝原満、草薙圭一郎の筆名でも執筆。2009年に亡くなるまでフィクションの送り手として、かなり激動の生涯を送られた。
 実は評者は、この方の晩年には、某・東宝特撮映画ファンサークルの飲み会で何度も顔を合わせてお話をさせていただいたが、その時の話題は東宝時代のお仕事の話が中心。ご当人の著作の大半が異世界ヒロイックファンタジーや架空戦記、さらにJホラーなどと評者の専門外なので(今では和製ホラーは少しは読むが)、ご存命の間にご当人の実作の話題はほとんどすることができず、今にして思えば申し訳なかった(汗)。
(何しろこの方の著作で唯一、刊行すぐとびついてその日のうちに読了したのが『ゴジラVSキングギドラ』のノベライズである)。
 
 それで今回、ふと思いついて読んだ本作は、そんな田中作品の中ではたぶん珍しいはずの完全な非スーパーナチュラル編。SFでもホラーでもファンタジーでもない、現代の現実世界を舞台にした純然たるサスペンスミステリである。
 文庫で220頁前後という短めの長編だけあって一気に読めるが、登場人物の頭数はそんな少なめの紙幅に合わせて絞り込まれ、良くも悪くも適度に整理された流れで物語はテンポ良く進む。映画っぽい場面を想定しながらその実、小説というジャンルでこそ効果的な仕掛けを設けている辺りは、文章と映像、2つの分野での物語作家として長い日々を送ったこの作家らしい。
 終盤にも、かなり印象的な劇中のギミックというかシチュエーションを導入し、クライマックスをやはり相応に映画的な文法で語っている。
【なおこの山場については、作者自身があとがきで、つい大ネタを書いてしまっているので、ネタバレを警戒する人は先にあとがきを読まない方がよい。】

 作者本人も書いているように、スピーディでスリリングな展開で読者を引き回し、最後にかなり視覚的なロケーションを用意している辺りは、かのスティーヴン・キングっぽい。個人的には、近年邦訳された『ジョイランド』あたりを相応に水で薄めると、こんな作風になる感じというか。
(まあ紙幅の薄さもあって、さすがに本作は、向こう~『ジョイランド』~ほどのコクを感じないが。)

 なお現状、ひとつだけついているAmazonのブックレビューでは、本作の出来不出来というより、小説の方向性において、かなりきびしい評価がされている。
 が、個人的には、作者の創作活動の躍動期であった1970年代辺りの、昭和の一時期っぽい、どこか薄暗く、そして切ないセンチメンタリズムが作品の底流に匂うようでそんなに悪くはない。犯人像もやや人工的な、ドラマ内のキャラクターという気もするが、それも味という感じに思える。
 決して爽快な読後感とか強い感銘を覚えるとかそんなんじゃないけれど、心のどこかにちょっと爪痕を残す小品。そんな印象ではある。

No.613 6点 ハワイの気まぐれ娘- カーター・ブラウン 2019/08/02 17:23
(ネタバレなし)
「おれ」こと、横顔(プロフィール)の男前ぶりに自信がある、ニューヨークの私立探偵ダニー・ボイドは、実業家エマーソン・レイドの依頼を受けてハワイに来ていた。仕事の内容は、エマーソンの若妻ヴァージニアがこの地で高級ヨットの船長エリック・ラーセンと不貞を働いているのでその現場を押さえ、ハワイから二人を放逐しろというものだった。不倫の証拠固めだけなら理解できるが、なぜハワイから両人の追放まで完遂させる必要があるのかとボイドはいぶかる。そんなボイドはまずエマーソンの指示を受けて、ハワイの現状のガイド役を務めるという若い娘ブランチ・アーリントンの自宅に向かったが、そこで彼が見たのは喉を裂かれたブランチの死体だった。やがて事態は、十数年前に起きたある過去の事件へと連鎖していき……。

 1960年作品。おなじみのミステリ研究サイトaga-search.cの書誌データに拠れば私立探偵ダニー・ボイドの第四作目。
 評者の場合、これもまた大昔に読んで忘れているかもしれない、それでもまあいいや、と思って頁をめくったが、最後まで読んでも、たぶんコレは初読の作品のようだった。とりあえず一安心(笑)。
 序盤からの意図不明な殺人、依頼人の奇妙な依頼、主人公の探偵を見舞う危機、そして物語のハシラとなる、ハワイ当地のモロ現代史にからむ(中略)……とエンターテインメントとしてのお膳立ては充分。ストーリーの後半は私立探偵主役の推理小説というよりは冒険スリラーに近くなるが、最後まで二転三転の筋運びでアキさせない。
 細部で「そこのところはどうだったんだ?」とツッコみたくなるような描写が出てくると、作者の方でうまい呼吸で切り返す手際も良く(第11章の辺りとか)、実にストレスもなく楽しめる娯楽編。 
 殺人事件のフーダニットとしては手がかりや伏線がほとんど用意されてないのは弱いが、真犯人の発覚に際してはこの作品なりに工夫も設けられており、なかなか悪くない感触ではある。
 「誰が最後に笑うか」パターンで隙あらばだまし合おうとする悪党どもも、そして最後にボイドを(中略)する意外な伏兵も、良い感じでキャスティングが揃えられている。三時間はしっかり楽しませてくれる一冊。

 ちなみにタイトルロールの「ハワイの気まぐれ娘」ってのは、ハワイの酒場「ハウオリ・バー」のフラ・ダンサーでハワイ諸島の一角ニーハウ島出身の美少女ウラニのことなんだけど、それほど気まぐれ娘じゃないし(どっちかというとマジメな子)、そもそもメインヒロインでもない。メインのヒロインは、ブロンドでおっぱい美人のヴァージニアの方なんだけどね。まあカーター・ブラウン作品の邦題はお女性がらみのタイトリングが通例なので、せっかくのハワイ設定にちなんだウラニの方を題名に持ってきたって事だろうけど(そもそも原題からして「The Wayward Wahine」だから「強情なポリネシアン=ハワイ娘」の意味で、そんなにおかしくはないのだが。)。

No.612 7点 人質はロンドン!- ジェフリー・ハウスホールド 2019/08/01 20:47
(ネタバレなし)
 その年の6月上旬の英国。「私」こと左翼運動家のジュリアン・デスパードは先の都市ゲリラとしての活動の果てに当局から追われ、現在は所属する革命集団「マグマ」の支援を受けて新しい名前と顔、そして身分をもらって日々を送っていた。だがそんなデスパードは、くだんの組織マグマの幹部連が小型原爆をロンドン市街に仕掛けて英国政府を脅迫し、しかもかなりの確率で無辜の数千数万の市民を巻き込んだ核爆発も辞さない方針なのを知った。大量殺人を看過できないデスパードはマグマの中核メンバー、そして警察の目を躱しながら、原爆設置作戦に肉迫。わずかな協力者とともに爆破作戦の阻止にかかるが、事態は刻一刻と逆境に向かって突き進んでいった。

 1977年の英国作品。日本では四冊(以上)の長編が邦訳されているハウスホールドの作品を評者が読むのはこれが初めて。
 物語は6月2日を振り出しにクライマックスまでの数ヶ月に及ぶデスパードの手記の形式で語られる。
 そもそも強行的な左翼活動家である主人公デスパードは決して清廉潔白でもないし、無辜な人物でもなく、どうしてもやむを得ない作戦の際には、罪悪感に駆られながら周辺の人間の命を奪うこともある。この辺は(キャラクターの文芸ポジションは違うものの)時と場合においては非情にならざるを得ない英国スパイの系譜を思わせる。
 しかし一方でそんなデスパードの心の奥には、かつてマグマが市街地に爆破物を仕掛ける作戦を行った際に、爆発に巻き込まれ掛けた市民を守ろうとして我が身を投げ出した、年少の過激派仲間グレインジャー青年の思い出があった(その爆弾設置の作戦自体あくまでブラフだったのだが、想定外の事態から状況が悪い方に流れた)。そしてそんな若者グレインジャーがかつて死に際に見せた勇気と良心(もちろん理由はどうあれテロは許されざる事なのだが、それでもその当人個人としての)がデスパードの心をいまも捉えて、彼の内なる罪悪感と劣等感に転化。今回、自分がここで逃げるわけにはいけない、という心の原動となって、核爆発作戦を阻止する闘いに彼を駆り立てる。

 ……いや、いいわ、この設定。もう少し遅く翻訳されていたら、「小説推理」の連載月評で北上次郎あたりが大喜びしたような文芸じゃないだろーか(笑)。
 しかしながらそういうデスパードの行動の核となるメンタルな部分は不要にベタベタした叙述にせず、あくまで絞り込んで抑えて小説化。全体の物語はかなりドライな筆致でぐいぐい読ませていく。この辺の抑制が効いた本文が醸し出すクールな質感がとても良い。
 今回もやむなき場合は、もともとの仲間マグマ側の刺客を殺さざるを得ないデスパードだが、その辺の場面でも彼の内的な葛藤を必要充分最低限にちゃんと抑えながら、実に乾燥した筆致で流すように語っていく。文体としてのハードボイルド感覚が作品を全体にわたって引き締めている。
 良くも悪くも人間臭いサブキャラクターたちの造形もひとりひとり丁寧で、物語の起伏も悪くないし、クロージングの余韻も印象深い。

 英国流スリラーの王道的な感興が満喫できる秀作。ハウスホールドの他の作品も期待できそうである。 

No.611 5点 うさぎ強盗には死んでもらう- 橘ユマ 2019/07/31 20:41
(ネタバレなし)
2015年11月。京都の左京区。アパレル店員・日名子麻実のマンションに空き巣に入った、泥棒カップルの黒崎雅也と天野樹里。やがて両人は場違いな痴話ゲンカに興ずるが、その向かいのオフィスビルの屋上では、青年・篠原斗真が彼らの様子を窺っていた。篠原は恋人の須崎奏を殺害した人身売買組織M&Dに報復するため、同社に潜入入社。忠実な社員の顔を装いながら反撃の機を狙い、現在は自分の良心を包み隠してM&Dの新たな標的にされた麻実の拉致作戦に参加していた。だがM&D幹部の川浪は篠原に不審の目を向け、身の証を立てさせるために、その場に現れた泥棒たちの殺害を指示する。

 ネット小説の新人賞のひとつ「カクヨムWeb小説コンテスト・ミステリー部門大賞」の第1回受賞作。
 2015年11月の京都での現在形の物語と並行して、2014年に上海の裏社会を翻弄した謎の天才少年ギャンブラー「うさぎ強盗」の逸話、暗黒界の殺し屋世界の逸話などが語られ、時系列がバラバラに並べられたそれぞれのエピソードがだんだんと複合的に絡み合っていく。

 一読、それはありか? といいたくなるような反則技っぽいものまで含めて(中略)トリックを雑多にぶっこんだ内容で、一回読み終えた時点の現状では、すべてを理解しきっている自信はない。むろんポイントとなっている楽しみどころのいくつかは賞味できたつもりだが、作者の設けた仕掛けを満喫するには、たぶん最低でもあと一、二回は読み返す必要があるだろう。
(第13章のラスト、あのキャラクターは結局(中略)?)

 クロージングのひねくれたやさしいまとめ方を含めて、種々のギミックとアイデアを盛り込んだ力作だとは思うが、終盤に明かされる主人公「うさぎ強盗」の行動の人を食った動機が、なんかいかにも「昭和のいい話」風である(笑)。その辺のへっぽこ感もあえて承知の上でやってるんだとしたら、なかなか侮れない気もする(まあその部分に関してだけは、たぶん天然っぽいけど)。
 
 成田良悟作品とか伊坂幸太郎作品とかのスタイルに似てるとかのweb上での声もあるようで、その辺の著作はまったく読んでない訳ではないけど縁が薄い評者にとっては、なんとなくわかるようなそうでないような。
 単純に面白いかというと現時点では微妙なんだけど、少し時間をおいて再読してみると何か見えてきそうな期待感はある一冊。 

No.610 3点 股から覗く- 葛山二郎 2019/07/31 12:01
(ネタバレなし)
 単純に文章がヘタとか悪文とか言っていいのかどうかは分からないが、ほぼ丸一冊、実に読みにくい作品ばかりであった(表題作はまだマシだったが)。

 主要登場人物の名前だけ書いてさしたる描写もなくストーリーを進める読み手に不親切な叙述とか、田舎のボケ老人の会話みたいな、やたらと「そうなったんだ」「やったんだ」的に行動の具体性を省略した代用的な話法も目立った気がする。
 昭和一けた~戦前のミステリ作家のその時期の作品だって、乱歩も正史も雨村も甲賀三郎も木々高太郎も大阪圭吉も今でも普通に読めるんだから、「高度な文学性」か何か知らないが、この作者の文章がやはりシンドイだけではないか。

 今回はそもそも芦辺拓センセの快作『帝都探偵大戦』で葛山二郎のレギュラー探偵・花丸弁護士が登場したので、そういえば昔『赤いペンキを買った女』を読んだなあ、しかし評判はいいはずなのに、どんな話だったか覚えていないなあ、と復習の意味も込めて本書を手に取ったが、その『赤い』にしても、ああ、こんなものか……であった。
(中略)によるアリバイって着想は確かにまあまあ面白いけれど、結局のところ、それの有効性って当初から疑義を抱かれるよね?

 昼間意識のはっきりした時間に読んでいても、睡魔と戦うばかりの読書。中では<ホームズのライヴァルたち>時代にならありそうな『古銭鑑賞家の死』と、名探偵が登場しても全然謎解きミステリでもトラブルシューターものでもない『慈善家名簿』がちょっとだけ良かったか。
 たぶん積極的にこの作者の作品を読むことは、もう二度とないでしょう。

No.609 4点 焼跡の二十面相- 辻真先 2019/07/26 17:55
(ネタバレなし。ただし乱歩の『妖怪博士』『青銅の魔人』については多少触れます。)
 日本全土に玉音放送が流れた、昭和二十年八月。欧州に出征した名探偵・明智小五郎はいまだ復員せず、明智夫人の文代は現在も軽井沢で療養中。明智の本宅と探偵事務所は、明智の助手で少年探偵団の団長・小林芳雄少年がその留守を預かっていた。そんな中、なじみの中村善四郎警部に再会した小林君は、往来を走る密室状況の輪タクの中で起きた不可思議な殺人事件に遭遇。突然起きた怪事の勢いは、名探偵不在で今しも進駐軍を迎えようとする東京に、さらなる事件を呼び寄せる。それこそは、かつて三つの事件で明智と少年探偵団を翻弄した稀代の怪盗・二十面相の復活だった。

 結論から言えば、得点要素だけなら、なかなかの秀作&力作。
 しかし正統派パスティーシュ(パロディではなく、あくまで正編に限りなくニアイコールな贋作)仕様として見るなら、あまり褒められないかなりの手抜き作。
 
 物語の前半から盛り込まれる不可能犯罪の謎、『大金塊』オマージュの暗号の謎、原点の乱歩の(中略)世界へのリスペクトであろう独特な舞台空間、良い意味で猥雑な二転三転のミステリ活劇、そして何より、日本の世相が変わる瞬間の強烈な臨場感を正にその時代に生きていたものの思慕を源に、描き抜こうとする作者の情熱……この辺はまあ、みんなホメていいところだと思う。先にちょっとTwitterを覗いたら誰もが絶賛の嵐なんだけど、みなさん、この辺を評価してるんだろうね、たぶん……。

 だけどね、自分はあえて言いたい。
 ……ここまで丁寧に、乱歩の正編を意識したパスティーシュをまとめかけ、さらには前述の『大金塊』ばかりか『妖怪博士』の<あの設定>まで呼び込むという少年探偵団ファン目線のサービスをしておきながら、そのくせ、肝心の乱歩の正編で戦後復活編の第一弾『青銅の魔人』とまったく描写が整合はおろかリンクもしないって、どーゆーことなの?! 
『青銅の魔人』本編のクライマックスでは、明智と正体を明かした二十面相はあくまで戦後初めての再会(正体の名乗り合い)をしてるよね? 
 終戦直後の時点では、小林少年も警視庁の捜査陣をふくめた周囲の人間誰にとっても二十面相は『妖怪博士』のラストで爆死したはず、という認識のはずだよね?
 少年探偵団ファンを喜ばすために作っておきながら、その辺の少年探偵団ファンなら誰もが知っているイロハレベルの認知がまったく欠損してるって、どーゆー作品なんだ? 

 だから実は今回、当初は結構、期待して読んだんだよ。
 今回の新作パスティーシュの中で起きた事件や出会いはうまいこと何らかの巧妙な事由によって、正編の歴史の中に埋め込まれる。実は『青銅の魔人』以前に彼ら(巨人も怪人も少年も)はここ(この新作『焼跡の二十面相』の作中)でちゃんと会っていたんだ、しかし、しかるべき理由ゆえに、その事実は今まで歴史の中から秘匿されていたのだ、と読む読者、乱歩ファン、少年探偵団ファンを説得にかかる手の込んだ文芸があるんじゃないかって。
 結果、この堂々たる空振りぶりは開いた口が塞がらなかった。
 結局、ただの、ご都合的に、辻褄が合わなくなったその場その瞬間に分岐して出現するパラレルワールドですか、そうですか。
 だったら中途半端に正編からのネタ仕込みなんてことやんないで、キャラクターの大枠だけ借りたもっと好き勝手なものを初めからやればよかったのになー。
 いかにもそれっぽい正統派パスティーシュ、組み合わせようによってはうまいこと(本当にウマイこと)正編に混ぜ込めそうな「よくわかっている」作品が今回は読めそうだと思ったのに、とても残念。正直、個人的にはラストの噴飯もののお遊びなんかどーでもいいから、もっと中身の方を「しっかり」した作りにして欲しかった。
 
 良いパスティーシュの条件というのは、実はそんなに多くない。
 あくまで正編世界の約束事や劇中設定を損壊しないこと(解釈によって、実はこれまでの物語世界の事態の裏に、こういうことがあったのだ、はOK)。
 その上で、原典の作者・作品へのリスペクトの念を抱きながら、新世代または後発の作家としての独自のカラーも出すこと。
 絞り込んだら、結局はたった、この二つだけだろう。
(まあシロートが生意気言うのはとんでもなくおこがましいほど、実作者にとっては大変な作業なんだろうとは思いますが。)
 
 とにかく今回はTwitter界隈での絶賛・マンセーぶりがすごく気に障るので、評点はあえて厳しめにつけておく(怒)。冷静に見たら、もう1点くらいはあげてもいいと思うけれど。

【追記】この本、戦後の「少年探偵団シリーズ」のフランチャイズだった少年誌「少年」の版元の光文社から出ているというのが何か笑える。なんで戦後「少年探偵団」のご本家が、その歩んできた作品世界の歴史に、自分から後ろ足で砂をかけるような新刊本を出しているのか?

No.608 6点 しずるさんと偏屈な死者たち- 上遠野浩平 2019/07/26 05:13
(ネタバレなし)
 「私」こと少女のよーちゃんは、今日も入院中の同年代の女子しずるさんのお見舞いに出かける。謎の病気で何年も病床につく儚げな美少女しずるさんだが、その心は強く、そして頭脳は明晰だった。しずるさんは、山中の唐傘妖怪、宇宙人に心臓を抜かれた死体、謎の幽霊犬、そして空中から消えた奇術師など、世間をにぎわす怪事件に興味を向ける――。

 「月刊ドラゴンマガジン」に2001年から2003年にかけて掲載された、全4編のライトノベル仕様の謎解きミステリ。各編で提示される不可思議な謎はなかなか魅力的だが、真相は名探偵しずるさんの、ほぼ直感による推察。せっかくワトソン役のよーちゃんがいるのだから、多重推理までとはいかないまでも、もうちょっとディスカッションすればいいのにとも思わないでもない(もちろんそういう部分が100%皆無、でもないけどね)。
 作者の名前を聞いて、さらにこの設定で、このライトノベル仕様で期待する、ややぶっとんだ真相は、1話の唐傘妖怪風の死体の謎解きがいきなり頂点。真相の状況は絶対にリアルにありえないとはいえず、想像するとちょっとコワイ。
 その後の2話はちょっとE・D・ホックっぽい感じだし、3話もある有名な名作海外短編ミステリの変奏みたいでそれぞれそんなに悪くない。最後の4話が一番落ちる。

 前述のホックの連作短編みたいな味わいもあるシリーズだし、続刊もあるみたいなのでこれも少しずつ読んでいこう。

No.607 5点 千年図書館- 北山猛邦 2019/07/26 04:44
(ネタバレなし)
 んーまあ、あんまり栄養価はないけれど、色んな味が楽しめるお菓子の詰め合わせみたいな一冊で悪くはない。
 どこかで見たようなオチが多いのはナンだが、一方でそんな斬新なものがそんなに頻繁に出てくるわけもないことを、こっちも何とはなしに予見していたのであろうし。

 小説としてのまとまりの良さでは、巻頭の「見返り谷」がベスト。
 あと最後の「ピアノソナタ」はオチの嵌り方がロジカルではない、というみなさまの不満はよーく分かるのですが(個人的にもその指摘そのものにはまったく異論はない)、ただし主人公が最後まで諦めないで、なんか思いつくばかりのことをとにかくやってみたら(中略)なった、という感覚が、すごくスキではある。青春ジュブナイルの作法と考えれば、これで正解であろう。 

No.606 6点 SINKER 沈むもの- 平山夢明 2019/07/26 04:23
(ネタバレなし)
 20世紀の終盤に連続する少女誘拐殺人事件。同一犯の仕業と断定はできないものの、三人もの幼い体を残酷に損壊した邪悪な手口には共通感があった。捜査官のひとりで初老のキタガミ警部は有能な刑事ながら、大久保清事件を経て日本警察の現場に初期プロファイリング技術の導入を提案したことから当時の上層部に疎んじられ、冷や飯を食わされてきた身だった。キタガミは謎の殺人鬼と対決するため、今は都内の医療刑務所に収監される元児童心理学者の殺人誘拐犯「プゾー」こと藤尾逸馬教授のアドバイスを必要とする。だがプゾーはキタガミの請願に冷笑で応え、やむなくキタガミは人間の心に入り込む事のできる「SINKER(沈む者)」と呼ばれる超能力者の青年「ビトー」こと吉沢敦志に協力を依頼。SINKERが対象者から精神汚染される危険を承知の上で、ビトーにプゾーの接触を望む。だがそんな間にも謎の誘拐殺人魔は、さらに次の標的へと手を伸ばしていた。

 平山作品(長編小説の実作)は初読。新作映画『ダイナー』が話題なのでその原作を読んでも良かったが、たまたま先日のヤフオクで本作『SINKER』が20000円だの25000円(帯付きなら)だのと信じられない価格で落札されているのを認めて、興味が湧いて借りて読んでみた(Amazonでも現在、出品者ひとりだからあまり客観性はないものの、それでも約30000円のお値段!)。
 なんでもこれが作者の処女長編(フィクションとして)だったというし。
 
 でまあ、感想だが、いやまあ、とにかくいっきに半日で読み終えた。
 内容はあらすじの通り「わたしならこうリトールドする『羊たちの沈黙』」なのだが、これだけ具を足してあって味付けを濃くしてあれば、充分に独自性を誇ってもいいであろう(ちなみに評者は『羊たち~』は映画しか観てません。すみません)。
 本作の場合は、邪悪な敵を倒すため巨悪の力を借りるというおなじみの構図を利用する側からの二弾重ね(それも半ばSFティスト)にした工夫もさながら、初老主人公キタガミの抱える事情と内省、警察組織と公安部の軋轢や、被害者側のそれぞれの家庭に潜む暗い病巣など、新規のネタもたっぷり取りそろえている。
 あと終盤、一章ごとの文字数をどんどん減らしていき、読み手に気分的な加速感を与えるあたりなど実にあざといが、ある意味では映画的なカットバック手法の小説メディアへの的確な応用だし。
 ミステリの謎解き要素としては、え? これで終っていいの? というところも無きにしもあらずだが、もともと読者にそういう勝負を持ちかけていた作品じゃないし、文句には当たらない。巻を措く能わず熱に浮かされたように最後まで読まされたのは事実。
 あとまあどぎつさを極めるくらい残酷描写は出てくるが、意外に叙述が良い意味でドライで不快感や嫌悪感があまりないのは見事だね。弱者が惨殺される場面の連続ながら、良い感じに醒めた紙芝居的な感じで一貫していた。あえていうなら(中略)の部分は、いくらかなりとも辛かったけれど。

 平山作品に慣れ親しんだファンが初めて、あるいはまた改めて、読むのなら、また違う感触もあるのだろうとは思うけれど、一見の自分としてはそんな感じ。

【お願い】どなたかすでに本作をお読みで作品の内容を把握されている方、ジャンル投票に参加ねがって、本作の正しいジャンル分類の改訂にご協力願えますと幸いです。
 自分は(あれこれ迷った末に、かなり広義のハイブリッド性の高い)警察小説だと思いました。少なくとも絶対に「本格/新本格」ではないと思います(汗)。

No.605 7点 屍海峡- 西村寿行 2019/07/26 03:26
(ネタバレなし)
 オイルショックに震撼した1970年代の半ば。都内の旧式アパートで大企業「日南化成」の守衛・安高恭二の毒殺死体が見つかる。残留品の指紋から、安高の故郷の瀬戸内海で遺恨があった真蛸の養殖家・秋宗修に嫌疑がかかるが、彼の精神は平常を欠いていた。一方で秋宗の元学友で公害省の調査官・松前真吾は、その秋宗が上京時に洩らした謎の一言「青い、水」が気に掛かる。かたや警視庁の変人刑事・中岡知樹は事件を追う内にいくつかの奇妙な点に気がついていた。

 西村寿行の第三長編。推理小説作家、ハードロマン作家、動物作家、綺譚作家といくつもの創作者の顔を持つ西村だが、初期はデビュー時にはそういう作風の方が反響も良いからという計算(あるいは編集のアドバイス)もあって、清張から森村誠一ほかの系譜を想起させる、社会派ミステリ路線で謎解き要素の強い作品を書いていた。
 本作はそういう時期の渦中の一冊で、のちにハードロマン路線が主流となった作者の作品群の中ではマイノリティーに属するだろうが、そんな反面、謎解き社会派ミステリというジャンルの枠組みのなかで弾けるような勢いの寿行自身の作家的な素質がたぎり、非常に読み応えのある熱いハイブリッドな作品になっている。実を言うと評者もこの辺の初期作品(第四長編『蒼き海の伝説』あたりまで)はいまだあまり読んでいないのだが。

 本作の冒頭の、いかにも昭和後期っぽい地味めな殺人事件の発生を受けて語られる、海洋を埋め尽くす鯔(ぼら)の群れと行った壮大な自然・動物描写。そのへんは、まんま後続の作者の最高傑作『滅びの笛』の先駆的なエネルギッシュさだし、その舞台となる瀬戸内海の漁場たる大海を汚していく海洋汚染、自然の乱開発の叙述も実に骨太い。本作が水上勉の『海の牙』の後輩格の作品なのは日本ミステリ史の里程標的にも間違いないだろうが、社会派メッセージ的な面では負けじ劣らず、そしてストーリーテリングや謎解きミステリとしての練り込み、さらには物語のクライマックスに見えてくる壮大なビジョン、などそれらすべての点で『海の牙』を軽く凌駕しているのではないか。

 さらに加えて、こんな(社会派&自然派)作品で、あの名作(中略)ドラマ(中略)みたいな、ある意味でぶっとんだ(中略)系の殺人トリックが登場するのか! と度肝を抜かれた(大胆な手掛かりの手際も、いかにもある分野に強い寿行作品らしくて良い)。
 そういえば寿行はこの少し後の『君よ憤怒の河を渡れ』でも、場違いとも思えるような、ある種の専門分野にちょっと肩を借りた特殊トリックを導入している。長編を5~10冊も書く頃にはさすがに、この辺の謎解き志向の持ち味は薄れてしまうが、今にして思えばこの人は一般読者が思う以上に、正統派ミステリっぽい謎の提示やトリック、そして真相が暴かれる際のサプライズのときめきなどに、当人の方から傾注していたのかもしれない?

 たしか北上次郎なんかは、初期の西村寿行作品を作家として熟成する前のあくまで助走期間くらいに見ていたような気がするが(こちらの読み取るニュアンスが違っていたらごめんなさい)、むしろこの初期作品群にこそ長大な寿行作品の系譜のなかでほんの刹那的にしか味わえない、多様な物語・ミステリ要素が掛け合わさった稀少な輝きがあるのかも。これは正に、そんなことを感じさせてくれた一冊でもあった。

No.604 7点 くもの巣- ニコラス・ブレイク 2019/07/23 19:29
(ネタバレなし)
 1950年代。田舎を出てロンドンの市街でお針子として働く17歳の美しい娘デイジー・ブランドは、その日出くわした28歳のハンサムな青年ヒューゴー・チェスターマンと恋仲になる。当初は自分の事を牧師だの仲買人だのと称していたヒューゴーだが、その正体はラッフルズを思わせる泥棒紳士だった。やがてデイジーは彼の素顔を知った上で内縁の妻となるが、一方でヒューゴーは頑なに彼女を裏稼業から遠ざけた。そんな二人を見守るのはヒューゴーの年上の旧友で、見栄えのしない外科医かつ堕胎医の「ジャコー」ことジョン・ジェイクス。だが幸福な若夫婦を表向きは応援するジャコーの胸中には、美しい女性を手に入れた友人に対する昏い嫉妬の念が渦巻いていた。そしてその夜、予期しない悲劇が……。

 1956年の英国作品で、ブレイクの完全なノンシリーズもの。
 20世紀の初頭にあった犯罪実話に材を取った作品だそうで、それに加えて、本の裏表紙にも作中の叙述にも<主人公ヒューゴーは(ホーナングの)ラッフルズのイメージ>云々の主旨の物言いがあるので、ドラマの時代設定もそのまま19世紀の末か20世紀初めかと思ったら、どうやら原書の刊行時のリアルタイム=1950年代半ばの時勢のストーリーだった。(デイジーがマリリン・モンローみたいだと言われたり、登場人物の警官が1940年代にその地区に着任したり、とかの叙述がある。)
 なんかとても信じられない。中身は19世紀のディッケンズまんまの世界だよ(小林信彦の「地獄の読書録」でも同様の評があるが)。
 21世紀に放映されるアニメ版『サザエさん』を称して「昭和時代劇」という修辞があるが、これは1950年代の当時の英国の読者にとってはまんま「20世紀の設定で書かれた19世紀時代劇」だったと思う。

 なにはともあれ、ブレイクファン、翻訳ミステリファンの評判はかねてよりイイ作品なので、長い間読まずに大事に取っておいた、昔買った古本を期待しながら今回紐解いたが、うん、確かに面白かった。
 冒頭の時点でわずか17歳の少女ヒロイン(webではもともと18歳の設定と誤記してるミステリファンもいるが勘違い。ポケミスの本文P28にちゃんと、もうじき18歳になる、というデイジー当人のセリフがある)が、決して極悪人ではなく愛すべき所も多分にあるが、一方で危険でダメなヤクザ男と惚れ合い、そんな二人に親切めかしたゲス野郎がちょっかい出す……という、東西の新旧を越えた王道の破滅志向・泣かせもののメロドラマ。
 はっきり言って推理の要素なんかほとんど無い作品ではあるが、事態の悪化を誘導する悪人の邪心に満ちた巧妙な工作ぶり、緊迫&流転? の裁判劇、はたして事件の真実は……という骨格と要素を拾うなら、まあ広義のミステリにはちゃんとなっている。たしかこれも、他のブレイクの秀作や佳作を抑えて、どっかの欧米のオールタイム名作ミステリの里程表に入っていたハズだし。
 なんでー、ナイジェルもののパズラーじゃないのか!? という読者はともかく、ブレイクという作家の作風の幅広さと文芸味が芳醇な筆力をすでによく知っているミステリファンなら、期待を裏切らない佳作~秀作だと思うよ。
 脇役の描き方も、第七章~そして終盤近くに至る某サブキャラの叙述、それにラストのワンシーンの(中略)など、本当に印象深く胸に刻まれる。さまざまな思いを重ね合いながら、事件と主要キャラに向かい合う捜査陣たちの内面描写もとても良い。
 
 ちなみにこの作品、「世界ミステリ全集」第8巻(ガーヴ、ブレイク、レヴィン)の巻末座談会で石川喬司が
「(ブレイクではあと)『くもの巣』というのはなかったですか」
 とだけ最後の方でひとことだけ話題にし、しかし座談会のレギュラーのお相手の小鷹信光も稲葉明雄も、そしてゲスト出席者の福島正実も完全にスルーした長編なのであった。評者はその座談会の記事を初めて読んだとき、妙にこの題名『くもの巣』が心に引っかかった(小鷹、稲葉、福島が何の反応も見せなかった作品が、なんか不憫に見えたという、青臭い気分もあった)。
 もちろんその後、作品の概要は何度も何度もチラ見する機会はあったけれど、そのように意識してからウン十年、ようやっと実作を消化して、何はともあれ感無量。
 大昔に、とある若いミステリファンの心にかかった「A Tangled Web(本作の原題。直訳するなら「もつれた巣」か)」は、ここでようやく払われたのであった(笑)。

No.603 5点 たったひとつの 浦川氏の事件簿- 斎藤肇 2019/07/22 20:59
(ネタバレなし)
「ぼく」こと加波賢也は、小学校時代からの旧友・蓮井陽が人を殺したことを知っていた。そのことは誰も知らない筈だが、ある日、浦川という人物がぼくに声をかける。(「たったひとつの事件」)
 
 探偵・浦川氏の登場シーンが印象的な第一話「たったひとつの事件」から始まる、浦川氏が登場する全7本の連作短編集。

 かなりトリッキィな仕掛けがしてあるとwebの一部で評判なので読んでみたが……一読、ポカーン。しょうがないので、家族にも本を渡して読んで貰い、意見と感想を求めて、改めて考えを整理した。
 
 ……結局のところ、前述のwebなどでも賛否両論大きく評価が分かれているみたいで、褒める人はよくここまでひねくれた作品を、と支持しているみたい。
 ただ現在の個人的な思いとしてはむしろそうではなく
「(少しスレた)ミステリマニアなら誰でも思いつきながら、なかなか実現には至らないアイデアを力業で形に為した(その意味ではエラい)作品」
というべきではないか? という気がする。
 だから新本格という流派のひとつの核となる、遊び心は感じるんだよね。

 ただ、弱点としては、フツーに物語を読む限り、ほとんどの連作短編がひとつひとつのミステリとしてはあまり面白いと思えないことで。全体の仕掛けだけ最後にあっても、そこに行くまでがキツイなあ、という感慨。さらに第7話はメタ的な叙述が優先して、この文体には最後のサプライズ上での機能は特にないんだよね? あと、正直言いますけれど、第6話の内容がこういう話である意味がよく見えない。

 大枠としての作品の狙いは理解したつもりだけど、なにかまだ見落としているようなモヤモヤ気分も少なくない。本作が好きな人で、今も内容をよく覚えているミステリファンと面と向かってじっくり話がしたい、そんな思いがする一冊。 

No.602 6点 昭和探偵1- 風野真知雄 2019/07/22 20:26
(ネタバレなし)
「わたし」こと熱木地塩(あつきちしお)は、西新宿に事務所を開く職歴22年のベテラン探偵。自分の娘で若くて美人の葉亜杜(はあと)をアシスタントに細々と仕事を続けていたが、先日、旧友の依頼でTVの懐かしもの深夜番組「昭和探偵」の顔出しホスト役を務めたところ、依頼が続々と来るようになった。だがその中には、数十年単位での昭和の思い出にからむ難題までが持ち込まれて。

 半年ちょっとの間にシリーズ4冊が矢継ぎ早に刊行された、キャラクターもののミステリ。作品の中身は思い出の品を探してくれとか、過去のスキャンダルの真偽を確認して欲しいとかの、広義の「日常の謎」(ただし興味の方向は、本作の設定に準じて昭和の過去に向かう)プラス、昭和期の世代人にはなつかしいトリヴィアを語り合う内容。あったあった、そんな昭和の話題、事件、事物、とオッサンオバサン(あと一部の好事家の若者)が喜べばいいのでないの、という感じだが、初めっからそういう作品ですという作りを前面からしてるので、その潔さが快い。
 昭和のミステリや中間小説を読みまくるのが趣味で、室内を古本だらけにしている葉亜杜のキャラも愉快かつ微笑ましく、オレもこんな娘がいたらなあ……と思うばかりである(いかん、結構アブナい願望充足作品だ?)。
 さらに主人公・熱木の行動の向こうに、シリーズ全体を貫くもう一人の主人公(たち?)といった仕掛けもされているようで、ネタの仕込みも多い分、結構攻めの姿勢でおもしろい。リーダビリティの高さはこの上ないし、少しずつ読んでいきましょう。

No.601 6点 十億ドルの死体- ジョゼフ・シャリット 2019/07/22 19:50
(ネタバレなし)
 第二次大戦後のフィラデルフィア。「ぼく」こと、27歳のジュードー教師、ダニエル(ダン)・モリスンは、地元のスポーツクラブで警官相手に体術のコーチを行っていた。そんなダンの前にクラブの理事で大規模な製薬会社の社長であるフレデリック(フレッド)・ギルハムが現れ、彼の一人娘で19歳のマージョリー(マーギー)の監視役を願い出る。マーギーは社交界を騒がすお転婆で、その暴走ぶりは連日の新聞種にもなっていた。ダンは住み込みでマーギーのお守り役を務めるが、当人はダンを敬遠しながらも関心を示し、ジュードーのコーチも願い出た。だがギルハム家にはフレッドの妻でマーギーの母、見事な肉体を持つコケティッシュな熟女コンスタンス(コニー)ほか、少しクセのある面々が同居。そんな中、ダンはこの家から去るように匿名の電話を受け、それと前後して邸内では突然の変死事件が発生する。さらには家人への脅迫、そして第二の悲劇へと事態は波及し……。

 1947年のアメリカ作品。巻末の都筑道夫の解説によると、作者シャリットは本書が処女長編で、数年間の活動期間内に長編を4つだけ残した作家らしい。
(なお英文Wikipediaによると、1995年の没年までの経歴は記述されている。)
 その長編4作全部が、本作の主人公のジュードー教師、ダン・モリスンものらしいが、日本では本作しか紹介がない。
 派手な邦題もなんとなく気になって、どんなのかなとAmazonで古書を送料別1080円でだいぶ前に購入し、しばらく読まないで放って置いたら、現在では古書価が100円前後に下がっている。プンプン。
 ソレで肝心の中身の方だが、高い? お金払った悔しさから負け惜しみを言うわけではないが、予想以上になかなか面白かった。一人称視点による物語はスピーディに淀みなく進むし、メインヒロインのお嬢様は21世紀の学園ドタバタコメディのラノベヒロインなみに動きまくるし、それっぽく配置された屋敷の内外の登場人物はくっきり書き分けられているし、肝心の殺人事件はハイテンポに起きるし、最後の犯人の正体はなかなか意外だし(手がかりがもう少し欲しい気はないでもないが)。フーダニットの興味も組み込んだ行動派アマチュア探偵小説の佳作で、手慣れた軽さもミステリのひとつの大きな魅力だよね、といえる一冊。
 ちなみに原題も「The Billion-Dollar Body」だが、このBodyには熟女の人妻コニーの魅力的な肉体、の意味もある。

 そもそも本の巻頭を見るとおなじみ早川の翻訳権独占の表記もないし、もしかしたら安いレートで、向こうの出版社か翻訳代理店との翻訳契約冊数の頭数合わせで訳出された作品でないの? という気もしたが、巻末での都築の言を素直に信じるなら、当時のポケミスの中にこういう軽ハードボイルド路線をもうちょっと入れてみようという試みでセレクトしたそうな。なるほど、まあ、実際の背後事情はともあれ、1950年代末の日本の翻訳ミステリ読者に、改めて軽ハードボイルドって案外いけますよ、という趣旨を伝えるというのなら、これはその命題に応えた、結構イケた作品であった。興味ある人は、古本で安く出会えたら読んでみるのもオススメします。

No.600 5点 白の協奏曲- 山田正紀 2019/07/21 01:38
(ネタバレなし)
 スポンサーである企業が倒産し、活動が困難になった民間オーケストラ集団「M交響楽団」。指揮者の中条茂ほか、その存続を何が何でも守ろうとする約30名の残存メンバーは、悪人や裏社会の弱みを突いて金をだまし取る集団詐欺を繰り返し、オーケストラ活動継続のための資金を貯めていた。だがその詐欺行為の証拠を掴んだ謎の女・霧生友子が一同を脅迫。彼ら30名を自分の私兵とし、非常識ともいえるある大プロジェクトを企てる。一方、警視庁公安部のエリート・状元紀彦は、日本の政界の黒幕と言われる老人・神馬康生(しんめこうせい)とその秘書・水沢知佐子に接触。同じ日本国内の対テロ諜報機関でありながらセクト争いを繰り返す警視庁公安部、自衛隊の第二課、内閣調査室の枠を越えた強権の新情報組織「JCIA」の設立というプランに向かって邁進するが……。

 双葉社の「小説推理」1978年1~2月号に前後編で分載されたまま、約30年近く書籍化されなかった逸話の、一時期は幻だった作品。
 めでたく、おなじみのミステリ研究家・日下三蔵氏による発掘を経て著者・山田正紀の快諾を取り、2007年に初めて単行本化された。

 それでまた、ごく私的な思い出話になるが、評者は大昔に、自分が大傑作と信じる『火神を盗め』を頂点に山田正紀作品(主に冒険小説系)に傾倒していた時期があり、それゆえこれ(『白の協奏曲』)も前述の「小説推理」に分載されたのは知っていたものの、いつまで経っても書籍化の気配がないので気になって、当時の「小説推理」の編集部に「この作品はいつ本になるんですか?」と電話をかけた覚えがある(今で言う「突撃」だな~笑・汗~)。その時、電話の向こうの編集氏から「ああ、あれはウチ(双葉社)から出ないんです……(どこから出るかは不明)」と返事をもらったものだった。その節はご対応、ありがとうございました(平伏)。
 そしてその後の1982年に、(この単行本版『白の協奏曲』の解説で日下氏も触れている)、同じ山田正紀の同じ(中略)テーマのポリティカルフィクション『虚栄の都市』が刊行された(ノン・ノベルズ)。
 だからかつては『虚栄~』があの『白』の書籍版なのかな? でもなんか内容がかなり違うような……と思っていたりしたのだった。
 そういうわけでそのうち、国会図書館でも行って当時の「小説推理」を確認しようしようと思っていたら、いつの間にか時が経ってしまい、あっという間に21世紀(笑・涙・汗)。
 そのうちに、こうやって日下センセのおかげで一冊にまとまり、手軽にいつでも読めるようになった。こうなるとなんか飢餓感も薄れてしまい(さらにいうなら「幻の作品」が幻でなくなったことが、古参のミステリファンとしてシャクな気分も正直あった~笑~)、これまで本が刊行されてから10年以上、読まずに放って置いたのだった。
 まあこの作品については、そんな訳、こんな訳なのです。
(しかし結局この本は、生まれた場所の双葉社から刊行されたのね。まあたぶん日下先生が目をつけて、大元の版元に企画を持ち込んだんだろうけれど?)

 それで今回初めて通読してみて、肝心の内容の方の感想だが、うーむ。Amazonなんかのレビューではおおむね好評なようだが、個人的には30年目に本になって、自分自身も長らく読まずにとっておいて、これか……の思いが強い(もちろん10年あまり読まなかったのは、あくまで当方の勝手だが~汗~)。

 冒険小説の主人公チームが貧乏楽団というユニークな文芸、主人公と対になるもう一人の主人公・公安エリートとの対峙の構図、主題となる大規模な陰謀に仕組まれた謎と真相……などなど、物語の要素要素は確かに面白いのだが、一方で作品の総体としてはその具材を並べることばかりが先行し、パーツの食い合わせがあまり良いとは思えなかった。
 なにより主人公チームがこの(中略)の陰謀に動員されるのが偶然のなりゆきなり、どうしてもやむをえない事情の結果という流れならともかく、しっかり計画的にキャスティングされたというのが無理があるだろう、作中の現実としてのリアリティを欠くだろう(ラストに一応、この件について、人間関係上のエクスキューズは用意されているようでもあるのだが、それでも根本的な部分で、こんなアマチュア集団を呼び込むだけの必然性は希薄では?)

 あとは、ある重要な人物配置上の大ネタが見え見えなのと、二つのツイストを盛り込んだ終盤のまとめ方が、どうもこなれが悪い。
 ラストの二つの逆転劇のどちらも、どういう趣向で読者を面白がらせようとしてるのはよくわかるつもりなのだが、作中のリアルとして……これってアリなんですか? ずいぶん都合のいい事態の流れだね、という感慨が湧き出てくる感じのクロージングなのであった。

 なんか文字量も物語のスケールに比してかなり少なめだったし、21世紀にワープロやらパソコンやらで多大な文字数の長めの長編が書きやすい環境だったら、もうちょっとデティルを書き込んで、もっとしっかりした説得力のあるものになったのでは……という気がする。

 ちなみにこの作品のミステリとしての最大のサプライズは、なぜ(中略)のホワイダニットなんだけれど、そこにいくまでに頭が冷えてしまったせいか、あるいはもっともっとその恐るべき真相に驚愕し、家の中を走り回るべきところ、それが全くあかんかった(涙)。
 ここでまたAmazonのレビューの話になるが、最後の真相は怒る人がいるかもしれませんという主旨のことを言っている御仁もいる。
 けれど、自分の場合、怒りも感心もしない。ただ、作者がきっとこれを決め球にしようとしていたことはよくわかるのに、それがどうにも心に響かない……。そんな感じなのであった。

 まあ、作者があとがきで、自分の作家生活の中での青春の一冊という主旨のことを言ってるけれど、それはなんとなく、よく分かる気もする。
 前述の『火神』『虚栄』さらには『謀殺のチェス・ゲーム』『50億ドルの遺産』などの、実に玉石混淆といえるかつての山田正紀の冒険小説群といっしょに、この作品をもっと早めに読んでいたらどうなっていたであろう。もしかしたらかなり評価は……かもしれないのだが。
 評価は思い入れを込めるがゆえに、あえてキツめでこの点数で。

No.599 8点 名も知らぬ夫- 新章文子 2019/07/19 14:59
(ネタバレなし)
 山前譲さんの編纂(&解説)による、昨今ではあまり顧みられない名作短編を作家単位で集成した、光文社の近年の好企画「昭和ミステリールネサンス」シリーズの3冊目。
 少し前に同じ作者の長編『女の顔』を読んだばかりの評者だが、巻末の山前さんの解説にあるように、新章文子は長編もさながら(長編よりも)短編分野でこそ本領発揮なのではないか、という実感を強める一冊。
 基本的には、昭和期の市井の家庭内で起きる人間の欲望や情念絡みの短編を主体に8本集成してあるが、どれも1950~70年代の翻訳ミステリ誌に掲載されるノンシリーズのクライムストーリー、またはサスペンス編のような洗練された食感。正に粒ぞろいの短編集である。
 今で言うイヤミスっぽい作風のものも少なくないが、なんかこの作者の場合、あえて読者を登場人物に過度に感情移入させず、離れた距離から物語を見守るように誘導してくれる感じなので、どの作品も後味は悪くない。
 良い意味で他人事の、情念と皮肉に彩られた物語を、舞台の外の客席から見届けるような緊張感と心地よさがある。

 メモ代りに各編の感想&コメントを残しておくと

『併殺(ダブルプレイ)』……巨匠シナリオ作家の愛人となって、自分自身も脚本家デビューした中堅女優の話。表向きは妹分、実際には自分の自尊心を満たすため見下していた後輩に追いあげられる心理、そして凝縮されたハイテンポな筋運びが読みどころ。

『ある老婆の死』……金を溜め込んだ老婆と、その財産がつまる金庫を狙う親族との攻防。日本版「ヒッチコック・マガジン」に掲載される翻訳ミステリ的なブラックユーモア編。

『悪い峠』……財産家の双子の姉妹にたかろうとする孤独で貧乏な老婆と、その先で起こる思わぬ事件。死亡推定時刻の確定がそんなに厳密かは気になるが、短編ミステリとしての流れの組み立ては本書中でも上位。

『奥さまは今日も』……愛猫を失った金満家の熟女が、寂しさをまぎらわすために下宿人(のちに夫)を呼び込む話。夫となる男、陰から事態を演出する女中と三者の思惑のからみ合いが巧妙。

『名も知らぬ夫』……実母と二人暮らしのオールドミスが、突然現れた従兄弟と名のる男と出会い、物語が進む。本書の中では、仁木悦子が称えたという作者・新章文子の「女」の部分を最も感じた作品のひとつ。最後まで(中略)というのも、作者の確信的なアイロニーだろう。

『少女と血』……社会人の十代の姉と二人暮らしの少女の生活に、妹のかつての恩師だった青年教師が割り込んでくる話。これは上で名前を出した、その仁木悦子の<子供もの>っぽい。ラストはちょっとだけ通常のミステリの枠組みからはみ出しかけたか。

『年下の亭主』……金持ちの女房にたかる髪結いの亭主が競馬好きで……という話。新章作品にはしばし、割と妙なユーモラスさが感じられるのだが、これはその辺の味わいが濃く出た一編。ただしツイストをきちんと設け、短編ミステリとしての形質もおろそかにしていないのは流石。

『不安の庭』……女房の方が財産がある中年夫婦。だが子供がいなくて、知人の助産婦の老婆の仲介で女児の赤ん坊を養子にする。そう長くない紙幅の中で二転三転する筋立てが鮮やかで、もし自分が昭和期のテレビ業界人で、本書の中から、一時間ものの単発ミステリアンソロジー番組用の原作をひとつ選べ、と言われたら、迷った末にこれにするのではないか。細部では勢いに任せて話を進めだ部分も皆無ではない気もするが、本書のトリを務めるに十分な秀作。

 なんにしろ予想以上に面白かった。ミステリファンの研究サイトとかを見ると、新章作品はまだ書籍になってない雑誌に初出のままの短編もかなり多そうなので、そのうち二弾・三弾も出して欲しい。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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