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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.686 6点 日曜日- ジョルジュ・シムノン 2019/11/01 13:44
(ネタバレなし)
 コートダジュール。その年の5月のある日曜日。ホテル「ラ・パチッド荘」のオーナーかつ支配人である30歳前後の青年エミール・ファイヨールは、かねてより考えていた計画を実行に移そうとしていた。それは2年前からホテルの下働きで千恵遅れの娘アダと関係していたエミールが、その事実が露見しながらも冷え切った仮面夫婦の生活を続けている2歳年上の妻でホテル創設者の長女ベルトに対して行おうとする、ある決意であった。

 1959年の作品。妻殺しを計画する夫の物語で、シムノンのノンシリーズ作品としては比較的、主人公が若い方の設定だと思う。
 主人公エミールは元、大都市のホテルのコックで料理の腕は上々。ホテル商売も繁盛しているが、その胸中には少年時代から、マザーコンプレックスめいた屈折が存在。その思いが形を変えて今は、年上の妻ベルトとその実母の未亡人マダム・アルノーが自分の人生を束縛しているという妄執? 現実? にイライラしている。一方で半ば欲求、半ばなりゆきで情人になったアダに対しては真摯な愛情とか、妻ベルトを殺して彼女を正妻に迎えたいなどといったマトモな思いではなく、現状の日常の不満を解消する要素以上のものではない。
 あれこれ我が儘な人間だが、例によってその辺はシムノンらしく、確かに誰の心にもこういう面はあるよね、的な感覚に読者の思いを引き寄せながら、ストーリーを着実に進めていく。

 殺人計画ミステリとしての読みどころはキーワード「日曜日」にからめた、エミールのある周到な? プランの某ポイントだが、この辺はちょっとだけ例の谷崎潤一郎の『途上』的なティストもあるかもしれない? 

 高いテンションのなかで迎える結末はやや舌足らずな感もないではないが、終盤のある登場人物の内心での独白など、ああ、シムノンだな、という感じ。佳作~秀作。

No.685 5点 小豆島殺人事件- 中町信 2019/10/28 02:44
(ネタバレなし)
 東洋機器の社内サークルであるテニス部。そこに所属する27歳の君原一太郎は、小豆島での三日間の夏期合宿に参加する。現地には4人の男女の部員仲間が先行しており、さらに自分のあとから遅れてもう一人、別の場所に移動する合宿の日程に合流するはずだった。君原は、投宿するなじみの旅館「屋坂荘」の美人の一人娘・屋坂教子に再会するのを楽しみにするが、しかし現地ではその教子の友人の新聞記者・須貝菊代が何者かに崖下に突き落とされて重傷を負うという事件が起きていた。さらにテニス部の周辺では、新たな殺人事件が……。

 Amazonのマーケットプレイスで古書価50万円という表示にフき出し(2019年10月27日現在。出品者は一応、2人いる)。いくら複数者の出品でも、これは双方がグルか、あるいは後発の方が先行のアホな冗談に付き合った形だと思うが、何はともあれ興味を惹かれた。そこで近所の図書館にあるのを見つけて、借りて読んでみた(なんかそのAmazonのレビューで、実にすごいトリックとかなんとか驚いているお方もいるし)。
 私的には久々の中町作品。図書館本だから、もちろんタダで楽しんだ(笑)。

 でまあ、内容だが……連続殺人のひとつの山となる密室の真相はソコソコ面白いが、かたや読者(評者)に違和感と疑念を抱かせた(中略)トリックの方は……。
 ……これは、なんつーか、チョンボだよなあ……。いや、この騙しのテクニックは絶対にタブーとまではいかないけれど、あまりにも本作はそのやり方がアレすぎる(汗)。
 ただまあ、このネタの妙ちくりんさゆえに印象に長く残るであろうことは確実で、例えるなら打者が両手にストッキングをはめてバットを握って打席に入って、ショートゴロを打った感じ。だからなんなんだという感じだが、とにかくそんなヘンなことをやって見せたという意味で、記憶に残るであろう。ただそれだけの作品という気もするが。
 いや、怒る読者がいても全然文句は言いません(笑)。

No.684 5点 怪物- ハリントン・ヘクスト 2019/10/26 15:26
(ネタバレなし~中盤、勘のいい人、海外ミステリファンはちょっとだけ警戒)
 その年の11月。英国のドーセット地方で、地主のマイクル・ベルハンガアが、彼の父の代に近所のリバーズ家の手に渡ってしまった地所で、もともとはベルハンガア家のものだった農地「血の畑」を買い戻そうと尽力していた。現在のリバーズ家の当主であるジョージ・リバーズは近場でホテル「青いピーター」を経営する頑固者。そして彼の息子の若者リチャードは、ベルハンガア家の美少女フィリスと熱愛関係にあり、その仲は少なくともマイクルの方は容認していた。やがてようやくリチャードが、マイクルの申し出る土地譲渡のための談合に応じることになり、二人は人目の少ない海の側の倉庫を打ち合わせの場に選ぶが、実はそこは半年前に土地の漁師の息子で6歳の少年ジャック・ノーマンが殺された死体が見つかった場所。しかも警察と招聘された私立探偵の懸命な捜査にもかかわらず、犯人はまだ不明なままだった。そしてその倉庫で、またも新たな殺人事件が……。

 1925年の英国作品。イーデン・フィルポッツがハリントン・へクスト(ポケミス版の標記はハリングトン・ヘキスト)名義で書いた、フィルポッツとしては比較的初期の作品らしい。
 大昔に買って放っといたポケミスが見つかったので、そのうち読もうとこのしばらく脇に置いておいて、この度ようやく読了。ちなみにこのポケミス版『怪物』。裏表紙は完全に作者ヘクスト(フィルポッツ)の経歴と評価の話題で埋められており、どんな物語か事件かもわからない。その辺もあってやや食いつきが悪かった。評者は読者としては、最低限の発端~序盤的なあらすじ、または物語設定の情報が事前に欲しいタイプの人間である(じゃないと作品に食いつく端緒も得られないので)。
 ソレで本編だが、物語はリチャードとフィリス、若い恋人同士の恋模様の描写から始まるので、この二人が主役となって何かしらの事件に巻き込まれるスリラーかと思いきや、彼らは主要人物の一角には据えられながら、もう少し広角なカメラが捉える視界でストーリーは進行。意外に普通のパズラーっぽい作りになる。
 中盤で、え? そんな趣向も出てくるの、という感じに結構、技の数は多い作品。その意味ではなかなか楽しめるクラシック作品なのだが、真犯人とさる殺人事件の動機に関しては当初から見え見え。




【以下、ごく曖昧に書くつもりだがネタバレの危険性あり】
 というのも、フィルポッツ(ヘクスト)は、日本に紹介された作品の大半が総じて(中略)を主題にする作家で、しかも今回は(中略)からしてアレなので、その条件に合致して一番ミステリ的、ストーリー的に文芸的な効果を上げられそうな人物は……となると、もう物語の4分の1も読まないうちに、話の底がおおみね見えてしまう。
 その意味では物語の求心力がいまひひとつ盛り上がらず、やや倦怠感を抱くところもあった(そしてその辺を相応に補ったのが、さすがクリスティーのお師匠さんらしい前述のストーリーテリングの上手さだが)。事件の真相が真犯人の述懐でほとんど明かされるのもパズラーとしてはナンだし、一方で例によってフィルポッツらしい(中略)テーマの文芸ミステリとして読むならば、犯人が心情吐露する部分はある意味で本作のクライマックスであり、そこそこの迫力はある。
【以上、ネタバレの危険性がある部分 おわり】


 


 
 評点としては、あれやこれや勘案して、この程度。キライじゃないけれど、本作の肝心の主題が今となっては……の部分もあるし。
(その点じゃ、同じヘクスト名義の『テンプラー家の惨劇』なんか、すでにこの時代にコレをやっていたのか! と驚かされた、個人的には大好きな、ある意味で時代を超えた秀作なんだけどな。)

No.683 5点 悠木まどかは神かもしれない- 竹内雄紀 2019/10/24 13:55
(ネタバレなし)
 名門中学校を狙う秀才の小学生が集う学習塾「アインシュタイン進学会」。そこに通う小学五年生の「ボク」こと小田切美留(びる)は、同学年の塾仲間で、さばけた性格の人気者ながら孤高の雰囲気の美少女・悠木和(まどか)ジョシ(女史)のことが気になる。だがそんな塾内で、ある小さな事件が発生。そして悠木ジョシ自身も奇妙な行動を……。

 文庫オリジナル作品。すでに他分野で別名で文筆仕事の実績がある著者が、新潮文庫編集部に同部署では禁じ手とされている原稿を持ち込み。その結果、評価され、鳴り物入りで刊行されたそうな。
 刊行当時は、本の本体や帯周りについた各方面からの推薦文や「日本文学史上最低の探偵登場」とか「胸キュン系バカミスの大傑作!」などの思わせぶりな惹句、そして何より当時まだ人気が冷めていなかった大ヒットアニメ『魔法少女まどかマギカ』を思わせるあざとい題名ということで(一応説明しておくと、同アニメの主人公の少女の名前は鹿目まどか、演じる声優は悠木碧。アニメの主題も「神」……ではないが、人間から高次の存在への変貌などが含まれる)、多大な反響を呼び、そして当然ながらここまでハデ? なことをやった分、相応に叩かれたようである(一方で、この作品を褒める声もちゃんとあった)。
 とはいえこっち(評者)は、6年前にはほぼ完全に国産ミステリ全般から離れていたので、そんな騒ぎがあったこともつゆ知らず、先日初めてブックオフでこの作品を認知。裏表紙の前述のキャッチ類が気になって、初版を、まだ108円の税込値段の時に買ってきた。

 で、まあ、思いついて昨夜読んでみたが、2時間もかからずに読了可能な短さ。内容は独特の躍動感は抱かせる文章で筋運びだが、それほど深い内容でもない。
 現時点で50近いAmazonのレビューの中には「小学生の読書感想文用にはいいかも」というのもあったが、悪い意味や嫌味ではなく、まさにそういう感じのオトナが読んでもいいジュブナイル、ちょっと日常ミステリ風味、という感触である。
 しかし「日本文学史上最低の探偵登場」も「胸キュン系バカミスの大傑作!」も明らかに誇大広告で、この作品をどこをどう逆さにして振っても、そんなもの出てこない。これはあちこちから文句を受けても仕方がない。6年前の時点ですでに出版不況は慢性化していたハズだから? 新潮社、あえて炎上商法を狙ってこんな売り方をしたのかと思うほどである。それほど作中のミステリ部分は謎の提示も真相もそこに至るプロセスも、実に他愛ない。

 ただまあ、目線を低くして一編の、21世紀の小学生主人公もののジュブナイルとして読むならば、ちょっと惹かれる部分はある。昭和時代の少年漫画なら脇役の参謀格かイヤミキャラあたりのポジションを与えられていたであろう秀才の児童ばかりを物語の場に集め(現実の世界が学歴社会なのだから、そういう偏差値の高そうな子供たちの集う学習塾をストーリーのメイン舞台にするのもひとつのリアルだと思う)、そしてそんな子供たちに託される将来の役割について、作中のある大人の登場人物からまっすぐな期待の言葉をかけられるところなんか、ダイレクトに良かった。
(たぶん自分はいいトシしていまだ、自分自身で咀嚼した上で納得できるものならば、小説世界の中に、どこか薫陶みたいなものを求めるタイプの読者である。)
 小学生ラブコメとして読むなら、肝心のヒロインのまどかは十分に可愛いし、主人公の美留との青すぎる恋模様の成り行きにも微笑む。

 大した作品じゃないとは思うけど、たまにはまあこんなのもいいな、と感じる一冊。
 地味に売られていたら絶対に一生出あうこともなかった作品だろうから、その意味じゃ新潮社のアコギなセールス方法も間違ってなかったのかもしれんね? 評点は0.5点くらいおまけ。

No.682 6点 わが母なるロージー- ピエール・ルメートル 2019/10/23 13:03
(ネタバレなし)
 その日の17時。パリのジョゼフ・メルラン通りで爆破事件が発生。負傷者は多数出たが、幸いに死者はいなかった。目撃者の克明な証言から容疑者は高い精度で絞り込まれるが、はたして自分から警察に出頭してきた27歳の電気機械技師の青年ジャン(ジョン)・ガルニエは、大戦中に使われた不発弾を確保し、さらにあと6個各地に仕掛けたと供述。爆弾は時限装置で一日にひとつずつ決まった時間に爆発するので、その場所を教えて欲しければと自分の法務上の自由と多額の金、そして……を要求した。難事件をいくつも解決してきたカミーユ・ヴェルーヴェン警部はジャンと対決。一方で市民の安全を図るが。

 あれ? みなさん、読まないんですか?(笑)
 2013年のフランス作品。『傷だらけのカミーユ』でカミーユ三部作に一区切りをつけた作者が、ほぼ4年ぶりに真っ当なミステリを書きたい欲求が湧き、そうしたらカミーユの方から自分を出せ、と言ってきたそうである(巻頭の作者前説に、大体そんな事が書いてある)。
 作品の時系列としては第二作『アレックス』と第三作『カミーユ』の間に入る、本書の刊行時点まで語られなかった事件という形式。200頁ちょっと、文庫の級数も大きめと短い作品であり、作者自身も「一冊ではなく半冊」と語るストーリーだが、良い意味で読者を振り回す内容はそれなりに楽しめる。

 事件の構造は、人によっては割と早々と察しがつくかも知れないが、評者の場合は小説上のテクニックが一種のミスディレクションとして機能して、正直、最後まで意識しなかった。終盤で、ああ、これはそういう物語だったのだな、と軽くため息をつく。
 これまで読んだルメートル作品(これで5冊目)の中ではもっとも、シムノンのメグレものから受けつがれた、フランス警察小説(刑事の視点から覗く人間ドラマ)のDNAを感じた。冒頭の「これが(中略)なのか?」と思わせる、たぶん作者の確信的な妙にユーモラスな叙述も愉快。

 それで巻末の解説によると、ルメートルはもうカミーユものは書かないよ、と言ってるらしいけど、いつかまた気が変って欲しいなあ。『カミーユ』の後の作中ポジションのカミーユだからこそ語れる物語って、きっとあると思うので。

No.681 7点 死への旅券- エド・レイシイ 2019/10/23 12:10
(ネタバレなし)
 1591~52年のある夜、ニューヨークの路上で20歳の青年フランクリン(フランク)・アンダーサンと、刑事エドワード・ターナーが射殺された。フランクは新商品の販促キャッチワードを考えるキャンペーンに応募し、賞金の1000ドルを獲得したばかり。だがそのフランクとターナーの間に特に接点は見出せず、ターナーの若妻ベッツィは「私」こと37歳の私立探偵バーニー・ハリスに調査を依頼する。ハリスは当初、刑事の殺人事件ならNY市警も本気で動いてるだろうと思い、そこに介入する事に乗り気でなかった。が、今回のベッツィの依頼が、ハリスの亡き愛妻ヴァイの弟でもあるアル・スワン刑事からの紹介ということで、応じる事にする。しかしそんな頃、ハリスとは別個のところで、ある二人組が何か怪しい計画を進めていた……。

 1955年のアメリカ作品。作者レイシイの長編第六作で、日本で初めて紹介された作品。巻末の都筑道夫の解説によると、刊行当時、アンソニー・バウチャーから激賞されたというが、確かに面白い。事件の背景を点描するプロローグ部分を経て、本文は主人公ハリスの一人称パートと、何やら犯罪がらみの元GIコンビ、マーティン・ピアースンとサム・ランドの三人称パートを交互に叙述。おおむねそんな感じ。双方の物語がどのようにリンクするのかで読者の興味を引っ張る辺りは、ちょっとB・S・バリンジャーっぽい。物語の後半で明かされる犯罪の実態にも、それなりの独創性がある(まあ21世紀の現在の社会では、ちょっと成立し得ないタイプの悪事ではあるが)。
 
 愛妻を失い、妻の生前に迎えた6歳の養女ルーシーを慈しみながら、探偵家業に努める元自動車整備技術者の主人公ハリスをはじめ、ヒロイン格となるベッツィ、もう一方の主人公コンビといえる元GI側、さらにはフランクが通っていた酒場の常連である盲目の元ボクサー、ダニー・マッツィとか、ハリスから彼の仕事中に子守を頼まれるあれやこれやの周囲の人物達まで、登場人物はそろって存在感豊かに書き込まれている。

 なお本作はいわゆる「あまりタフガイ主人公でない、(狭義のハードボイルドとはいえない)私立探偵小説」であり、逆にその辺の持ち味がとても良い感じに魅力になっている。終盤の展開のネタバレになるかもしれないのであまり詳しくは書けないが、主人公私立探偵と警察側そのほかとの距離感も、当時としてはかなりユニークなものだったのではないか。
 ラストは余韻があるクロージングでとても良い。主人公ハリスはなかなか魅力のあるキャラクターなので、続編があればぜひ読みたいと思う一方、彼の「妻と死別して、現在は養女をひとえに大切に養育する、良識のある私立探偵」という文芸は、この一作で燃焼しきったからこそ良かったんだろうな、とも思う。実際、レイシイにシリーズ探偵がいるなんて話、聞かないし。
 
 ちなみにやはり前述のポケミス巻末の都筑の解説によると、作者レイシイは本書の翻訳前から、日本のポケミスの噂を知り、ぜひ自分の本も紹介してほしいと向こうから手紙を書いてきたそうである。実際にこういう売り込みが他によくある事例かどうかは、寡聞にしてあまり知らないが、レイシイほどの実力のある作家なら、黙って日本に紹介されるのを待ってても良かったのでは? とムセキニンな事を考えもしたが、その辺のバイタリティというか積極的なエネルギッシュさもまた、面白い作品を生み出したプロ作家の面目躍如といえるかもしれない。
 
 最後に、全体的にはとても好きなタイプの作品だが、謎解きミステリとしてみると、一点だけ、あるポイントの真相において、ちょっと弱いところがある(もちろんここでは詳しく書けないが)。その辺りの良くも悪くも読者のうっちゃり方も、作者の狙いだった可能性もあるけれど。そんな所を勘案して、実質7.5点くらいのニュアンスでこの評点。

【2019年11月10日追記】上にレイシイ作品にレギュラー探偵はいない? かもしれないように書いたが、そのあとでパシフィカの「名探偵読本」シリーズの6巻「ハードボイルドの探偵たち」を読みかえしてみたら、『ゆがめられた昨日』の主人公の黒人探偵トゥセント・モーアも『褐色の肌』の黒人刑事リー・ヘイズもそれぞれ未訳作品で再登場しているらしい。まずはそのうち未読の『ゆがめられた昨日』も読んでみよう。

No.680 6点 美しい野獣- ドミニック・ファーブル 2019/10/18 13:59
(ネタバレなし)
 その年のパリ。高級アパート(アパルトマン)の8階から、若い人妻シルヴィー・ルヴォンが転落死した。刑事ルロワは、シルヴィーの32歳の夫で、遊んでいても暮らせる財産がある美青年アランが、妻の墜落後にバルコニーで笑っていたという近所の目撃者の証言を重視。彼が妻を殺害したのではと疑うが、その証拠は全く挙がらなかった。そして少ししてイギリス人の娘ジェーン・スコットは、婚約者ボブをお披露目する場でアランに出会い、たちまち彼に魅せられてついには婚約を破棄してしまう。シルヴィーの後妻にジェーンを迎えるアラン。だがそのアランの心には、誰にも妨げることのできない闇の情念が潜んでいた。

 1968年のフランス作品。作者ドミニック・ファーブルのデビュー作ながら、同年度のフランス推理小説大賞を受賞したノワール・サスペンス。刊行当時の本国の書評でもボワロー&ナルスジャックのコンビが激賞している。
(ちなみになんだよ、Amazonでの、このポケミスが1996年刊行っていう標記は。評者が読んだのは、昭和46年9月15日刊行の再版であった。映画の写真ジャケット付き。当然、初版はもっと前に出ている。)

 ポケミス版の巻末の訳者あとがきで、翻訳担当の野口雄司が「どうもミステリらしくない「ミステリ」」と評する通り、物語の大半は(冒頭のシルヴィの惨劇を経て)、闇の貴公子アランに魅せられていくジェーンと、彼女の心を弄び、自滅に追い込むことを楽しみとするアランの駆け引きで占められる。
 アランの悪魔性を誰よりも実感しながらも精神的に彼の虜になっていくジェーンの描写は、後年の映画『ナイン・ハーフ』に通じる女性飼育もの的な背徳感があるが、アランの目的は自分の美貌とカリスマ性で女を虜にし、完全に所有物にした後、女自身に破滅の道を選ばせて壊すことにある。
(訳者の野口はアランが最終的に求める行為を、谷崎潤一郎の『途上』を先駆作のサンプルに引きながら「プロパビリティの犯罪」に例えており、うん、ちゃんとこの方、東西のミステリにも文学にも精通していると、感嘆させられた。)

 昏い悪徳文学ながら、全編にはどこか美学的なほの暗さとほの明るさが交錯。それが本作の独特の世界を築き上げている。
 なお本ポケミス版には、おなじみの登場人物一覧がない。ポケミス全史を通じてこれだけがそういう特殊な仕様と言うわけでもなかったと思うし、そもそも巻頭に一覧をつけなかったのが編集部の狙いかどうかも不明だが、この薄闇のなかをただただ歩くしかないような感覚の物語には、この「登場人物一覧なし」のスタイルが妙に似合っていた。

 ちなみに本作は先にちょっと触れたように、1960~70年台のフランス映画界でアラン・ドロンと並ぶ美男俳優ヘルムート・バーガーの主演で映画化(映画の邦題『雨のエトランゼ』)。評者は映画は未見で、ヘルムート・バーガーについても漫画家の大島弓子がファンだった、くらいの知識しかないが、機会があったら観てみたいと思ってはいる。

No.679 6点 濡れた心- 多岐川恭 2019/10/16 14:23
(ネタバレなし)
 1956年の晩春。秀才で可憐な女子高校生・御厨典子は、同校の水泳部に所属する美少女・南方寿利に好意を抱く。典子は、同じ秀才でやはり水泳部の一員である少女・小村トシに仲介を願い、寿利に接近。実は寿利の方も典子に惹かれており、二人は瞬く間に相思相愛の関係になった。だが退廃的ながら繊細さもある中年の英語教師・野末兆介も典子に魅せられており、その想いは典子の心を動かす。さらに御厨家ほか、それぞれの女子たちの各家庭の周辺でも多様な人間模様が渦巻くが、そんななか、ある夏の日、学校の周辺で殺人事件が……。

 まだこんなメジャーなもの読んでませんでした、シリーズの一本(笑)。
『猫は知っていた』に続く、乱歩賞に輝いた国内新作実作長編の二本目だが、当時の受賞の背景としては、①全編を登場人物交互の手記(日記)形式で綴った手法の新鮮さ(国内ミステリにまったく前例がなかったとも思わないが)、②さらに異色のレズビアン青春小説という主題、③凶器の謎をメインにしたトリッキィさ、その三要素の相乗感が評価されたのだと思う。
 
 ちなみに②の登場人物のほぼ全員が「日記」をつけているというのはメタ的な便法を考えなければリアリティ皆無だが、まあこれは笑って許そう。むしろ個人的には、女子たちの一人称がみんな「あたし」なのが単調でキツかった。21世紀の新本格作品とかだったら、読者の読みやすさを考えて、当たり前に「あたし」「わたし」「私」とかに、キャラクターの自称を振り分けられているのでは。

 ミステリ的にはいろいろと面白い着想を狙っているのはよく分かるのだが、××技術的に、21世紀……いや1940年代の時点で(少なくとも西洋の鑑識技術なら)絶対に看過できないトリックであり、プロットなのは厳しい。ただしその辺にツッコむと100%崩壊する内容だしな、これ。昔の作品だからと、見て見ぬふりするのが吉か。

 小説の技法的にはとても読みやすい文章だし、登場人物の造形もうまいんだけれど、大枠の書簡形式が先の一人称の問題もふくめて、いささかモノトーンすぎるのが難。内面描写や作中イベントの振り分けで、どうにか退屈ぎりぎりを逃れた感じ(ただし情報をジワジワ小出しにしていく手練ぶりは見事)。
 しかしながら、終盤の展開。ギリギリまで真相も真犯人も明かされないあたりのサスペンスはなかなかで(個人的には、犯人の予想はついたけれどね)、ある意味で、作品全体の構図が大きく反転? する感覚も悪くない。クロージングのしみじみした情感も頗る良し。

 ちなみにこの作品、何十年か前に大場久美子主演の2時間ドラマになって、DVD化もされてるんだよな。機会があったら、観てみたいものである。

No.678 6点 不死の怪物- ジェシー・ダグラス・ケルーシュ 2019/10/15 04:29
(ネタバレなし)
 第一次世界大戦が終結して少し経った、英国サセックス州の一地方ダンノー。名門である旧家ハモンド家の次男オリヴァーは、三ヶ月前に兄のレジーを失い、新たな若き領主の座に就いた。だがある冬の夜、ハモンド家に何世紀にもわたって語り継がれる謎の怪物が出現。オリヴァーとその妹スワンヒルド(スワン)とも親しい土地の者が、犠牲となる。ハモンド兄妹、そしてオリヴァーの幼なじみでスワンの婚約者ゴダート・コヴァートは、およそ30年ぶりに出現した謎の怪物に対抗するため、美貌の霊能者にして心霊探偵であるルナ・バーテンデールを招聘するが。

 1922年の英国作品。短い時で30年、長ければ数世紀にわたってハモンド家の周辺に永劫の呪いのごとく雌伏し続ける謎の怪物。しかもその怪物は、その生存とともにハモンド家の栄華を保障するという妖しくもおぞましい伝説があった。
 美貌の霊媒探偵ルナが「ある方法」で探り出した謎の怪物の伝説の歴史は千年以上にもおよび、かなり有名な神代の神話にまで遡るが、それでも終盤ぎりぎりまで肝心の正体の実像は明らかにされない。しかし途中で現実世界の三次元を越えた四次元、さらにその奥の「五次元」という印象的なキーワードが提示され、さらにある主要な登場人物たち2人が、別のメインキャラ、そして読者の目線から見て「いったい何を……!?」という行動をとり、そこで何をしていたのか、両人は何を見たのか? が強烈な謎となる。

 この辺りのホラー・ミステリ的なフックは、なかなか強烈だった。怪物の正体は真相が明かされれば、思ったよりは……と感じる読者もいるかもしれないが、当方(評者)などは、いくつかのミスディレクション? によって別の方向に考えが及び、かなり意外であった。前述のキーワード「五次元」の斜め上? の真実も、この時代としてはかなり尖鋭的な文芸・思想であったと思える。
 フィジカルな意味での格闘、戦闘という意味ではないが、魔性の存在をオカルト学術としての論理や知見で解析し、対抗策を見いだしていくいう意味では、これはまぎれもない正統派・王道のアクションホラー。キングやクーンツ、菊地秀行や澤村伊智などに通じる、人外の悪夢を主題としながらも、それに向き合おうとする人間の逞しさも語ろうとする、しっかりと陽性な賞味部分がある。

 荒俣宏の解説によると、本作は、荒俣の盟友でこの本の訳者である野村芳夫ともども若い頃(1960年代後半)に原書で読んで、感銘を受けた一作だったとのこと。それゆえ30年来、邦訳紹介したかった念願の作品だったそうだが、21世紀の初頭にようやく翻訳刊行された。さらに現在ではその文庫本の発売からまた、20年近い歳月が経ってしまったが、内容的には、ネタそのものはともかく、鮮やかなキャラクターの布陣、そしてその造形と描写、さらにサスペンスフルなストーリーのデティルを緻密に埋めていく普遍的な作劇など、完成度の高い物語はちっちも古びていない。
(ただ、怪物の正体というか、真相が分かったあとになると、作中のリアリティとしてひとつ気にかかる点がある。事件後の××の問題は、どうなったのだろう?)

 作者はほとんどこれ一本で幻想文学史に名前を残したというが、その評価にふさわしい一作といえる。

No.677 6点 ロジャー・マーガトロイドのしわざ- ギルバート・アデア 2019/10/13 16:40
 1935年の英国ダートムア。屋敷の主人であるロジャー・フォークス大佐とその妻メアリーは、女流推理作家のイヴァドニ(イーヴィ)・マウントや飛び入りの青年レイモンド(レイ)・ジェントリーをふくめて8人の客を迎えていた。だが吹雪でフォークス家の使用人や夫妻の娘セリーナを含む一同は屋敷の中に閉じ込められるが、その夜、屋根裏部屋で一人の人物が殺害される。しかもその現場は密室だった。近所に住む、元スコットランド・ヤードの警部トラブショウは、愛犬トバモリーとともに現場に馳せ参じるが。

 2006年の英国作品。英国パズラー本家の地で新世代作家が著した、クラシック仕様の向こうの新本格という感じの一冊。
 いかにもそれっぽい題名や面白そうな趣向の割に、10年以上経った現在の日本ではあまり口頭に登らない感じなので(実際にこのサイトでも5年以上、レビューがない)、内容は微妙なのかな、ソコソコなのかな、と予見したが、実際に、それなりに面白いものの、突出した出来ではなかった。

 たぶん作者が本書最大のギミックのつもりで仕掛けたのであろうアレは、だから何ですか? の世界だし。密室トリックも、その馬鹿馬鹿しさを愛らしいと思うか、切って捨てるか、の二択(伏線が張りにくいのはわかるが、その点ももうちょっと何とかしてほしかった)。
 ただまあ犯罪の構造そのものは、個人的にはちょっとツボ。犯人の内面を考えればこういう着想が生じるのもなかなかリアルだし。そのためのお膳立てもしつこいほどによく書き込んである。

 トータルで見ればまあまあの佳作でしょう。2007年にも同じシリーズ探偵で新作が書かれたみたいなので、今からでも翻訳してほしい。

No.676 6点 盲剣楼奇譚- 島田荘司 2019/10/12 17:14
(ネタバレなし)
 警視庁捜査一課の刑事・吉敷竹史は東大生の娘・ゆき子の誘いで、娘の美術の師匠と言える高齢の日本画家・高科艶子の作品を鑑賞。独特の感慨を抱く。だがその艶子の娘・頼子の子供(つまり艶子の孫)である3歳の幼女・希美(のぞみ)が金沢の地で誘拐された。くだんの誘拐事件は成り行きから、吉敷の元妻である通子が先に知ることになり、彼女は東京で非番の吉敷に応援を求める。やがて明らかになる誘拐犯人の要求。それは終戦直後の金沢の置屋「盲剣楼」で起きた、怪異な殺人事件の犯人を捜し出せ、ということであった。

 新刊の帯には吉敷刑事20年ぶりの復活と謳われている。おなじみの名探偵の復活イベントはいつも大好きな評者だが、実は当方は島田作品は、初期のものとこの数年の新作群しか読んでないので、その感興が実感できない(汗・むろん吉敷ものも何冊かは読んではいるが)。

 とはいえハードカバー520ページ以上の厚みのうち、リアルタイムで吉敷が活躍するのは序盤と最後のいわゆるブックエンド部分で、合計して約120ページ。さらにおよそ50ページが昭和20年代の事件の描写で、残りの350ページが、盲剣楼の名称の由来のもととなる江戸時代の美青年の剣客・山縣鮎之進を主人公にした本格剣豪小説である。

 その鮎之進パートは、日頃ほとんど時代小説を読まない評者でもメチャクチャに面白かったが、フツーにミステリとして、吉敷ものの新作として読めば何だコレ、であろう。こういうものを豪快だ! といって許容するのが島荘ファンなのか?
 評者も、ミステリの楽しめるストライクゾーンはそれなりに広いつもりだが、これはさすがに読んでいて、漫画の記号的なあぶら汗が垂れた(笑)。
(だって自分も、もし大沢在昌に、待望の佐久間公の復活編でこんなのを描かれたら、たぶんアタマに来ると思う。)
 
 しかしながらもともと本作は、1年余の長期にわたって地方新聞に連載された新聞小説であり、webで情報を拾うと、作者は当初から今回は、本格的な剣豪小説を書くと公言していたみたいなのね。じゃあ文句を言うのは、一応は筋違いか?
 
 賛否両論の評価は必至(そうならない方がおかしい)。そんな作品だが、なんか始終ヘンなことやっているらしい作者が作者だけに、意外に世の中にはすんなり受け入れられそうな感触もある?
 この後のレビューで「とにかく面白かった」という人が来ても、「ちょっとこれはねえ……」という人が出ても、どちらも納得。
 とりあえず評点はこの点をつけておきます(笑)。

No.675 6点 探偵アローウッド 路地裏の依頼人- ミック・フィンレー 2019/10/11 15:12
(ネタバレなし)
 1895年のロンドン。英国中の人々が名探偵シャーロック・ホームズの活躍に胸を躍らすさなか、その名声に鼻を鳴らす一人の男がいた。彼の名はウィリアム・アローウッド。かつては敏腕な新聞記者だったが、会社の合併吸収から馘首され、自分の情報収集能力を活かして私立探偵となった男だ。相棒の助手は「私」こと逞しい肉体を誇る青年ノーマン・バーネット。しかしアローウッドは数年前に、裏の世界の大物スタンリー・クリームに接触。その際に協力者の若者ジョン・スピンドルを殺され、その事がトラウマになり、彼の心を労ろうとした愛妻イザベルにもついに愛想を尽かされて逃げられた過去があった。それでも懸命に探偵稼業を続けるアローウッドだが、そんなある日、フランス娘のカトリーヌ・クチュールが失踪した兄の捜索を依頼に現れる。だがその兄ティエリー(テリー)が働いていた食堂、それはあのクリームの経営する店だった。

 2017年のイギリス作品。ホームズ正編世界のシェアワールドで、かの名探偵とはほとんど別個に開業・活躍する二流探偵。そんな趣向がなかなか面白そうで読んでみた
(これまでのミステリ史を仔細に検証すれば似た文芸設定のものがあるかも知れないが、評者にはすぐさま思い当たらない。むしろ日本のアニメやその関連作品とかの方に、似たようなものがありそうな気がする。ガンダム宇宙世紀の外伝作品とか、『バブルガムクライシス』に対しての『A.D.ポリス』とか。)

 それで内容の方は、あらすじを見てもらって雰囲気を伝えられればいいな、という感じの50~60年代、または80~90年代のハードボイルド私立探偵調。ヴィクトリア朝だのホームズだのの設定を外しても、現代のプライヴェート・アイもので行けるんじゃないかという設定、雰囲気と筋運びで、ストーリーは進んでいく。
 ただし物語そのものは、肉体派かつ非常に人間臭く情のある(そして中盤で相応の衝撃が語られる)もう一人の主人公=「私」ことバーネットの一人称で進み、彼自身のドラマとあわせて語られるので、その辺がこの作品のユニークな個性になっている。
 まとめれば「ヴィクトリア朝時代のホームズパスティーシュ」+「普遍的な私立探偵もの」+「肉体派・活動派のワトスン視線の物語」ということになるか。
 
 物語は登場人物がかなり多く(名前の出るキャラだけで、実際には本書巻頭の人名表の2倍半くらいいる)、紙幅も多い(本文470ページ以上)が、好テンポかつ丁寧な筋運びで退屈はしない。
 主人公アローウッドは、ホームズにない自分の武器というか能力として優れた人間洞察力を誇っており(これは新聞記者時代の経験のたまもの)、これが物語の端々でイカされる。ホームズを「山師」と侮蔑しながら、「ストランドマガジン」を熟読しており、その事件簿に容赦なく自分の人間観察に基づいたツッコミを入れる描写も面白い。

 アローウッドの自宅に押しかけ同居人となる美人の妹エティ、アローウッドと犬猿の仲ながらバーネットとは友人関係の刑事ペトリー、アローウッドが細かい仕事を頼む10歳の少年ネディ(ずばりホームズにとってのウィギンズポジション)などの主要なサブキャラたちも存在感は十分で、彼らの関係性のなかには今後のシリーズ内での新展開を期待させる部分もある。

 ホームズパスティーシュの変化球としても、しょぼくれた中年プライヴェート・アイものの一つとしても、なかなか楽しめる一編。

No.674 8点 学校の殺人- ジェームズ・ヒルトン 2019/10/10 17:54
(ネタバレなし~途中まで)
 1927年の12月。天涯孤独の売れない詩人だが、親族の遺した不動産の収入で有閑の日々を送る28歳の独身青年コリン・レヴェルは、以前に母校オックスフォード大学で失せ物の行方を推理し、素人名探偵と評された事があった。そんなレヴェルのもとに、彼のハイスクールの母校オーキングトン校の現在の校長ロバート・ローズヴィアから、アマチュア探偵の実績を聞いたので相談したいことがあると連絡が来る。ローズヴィアが校長に就任したのは1922年。レヴェルは初対面だったが、興味を抱いて招待に応じた。およそ10年振りに母校に着いたレヴェルは、つい先日、この学校の寄宿舎で一人の学生が頭上に落ちてきたガス式の暖房器具で事故死、だがそこに殺人の疑いがあるとローズヴィアから聞かされる。やがて事件は落ち着きと進展を繰り返しながら、連続殺人劇にと……。

 1932年のイギリス作品。ヒルトン原作の映画『心の旅路』は大好きなので、原作もいつか読みたいと思っている。ただまあミステリが主食のこちらからすればまず本作から……ということになるのだが、大昔に買った創元推理文庫版が見つからない。Amazonでまた買うのもアレだし、図書館にもないし、と思っていたら、今年たまたま出かけた古書市で世界推理小説全集版を300円で入手。今回ようやくこれで読んだ。

(なおごく個人的な話題でナンではあるが、今年の半ばからちょっと考えがあって、本サイトで誰もレビューしてない作品ばっかを選んで読んで、感想&コメントを投稿してきた。そこで今日本当に、気まぐれで思いついて、ためしにどのくらいその趣旨のレビューを投稿したかとカウントしたらきっちり100冊(笑)。いやードラマチックだね? と言うわけで一区切り着いたということで、今日からまた、先に皆さんがレビューされている作品も読んで感想&コメントを書かせていただきます~笑~)

 で、本作『学校の殺人』だけど、いや、個人的にはとても面白かった。
 翻訳がおおむね古びてないこともあるが、非常に読みやすい文章で、特に見開き2ページほぼ会話ばかりという、まるでラノベか、ロス・H・スペンサーか、という箇所まである。
 第二次大戦前の英国の田舎のハイソな人々? いやいや、今の21世紀日本人にも通じる庶民感覚ですよ、という感じの登場人物たちの描写も小気味よい。ハイテンポに展開するストーリーには、始終英国風のドライユーモアがそこかしこに漂い、ああよき時代のイギリスミステリを読んでいるという心地よい気分になる。
 あと私的にニヤリとしたのは、こちらの読書欲を良い感じに煽ってくれた、各章の見出しタイトル。
 本文の各章に見出しをつけること自体はよしとして、巻頭の目次にその見出しを並べるのは先の展開を割ってしまうという意味で良し悪しの面もあるんだけど(近年の論創のクラシック翻訳なんか、たぶんその配慮から目次を割愛している)、本書の場合は自分のようなタイプの読み手の背中をグイグイ押してくれた。ちなみに後半のある章の見出しなんか、いかにもダブルミーニングで、ふっふっふ、である。
 自分としては真犯人もかなり意外であった。ただまあこれについては、以下のネタバレで言いたいことがあるけれど。





【以下ネタバレ・
①すでに本作を読了の方
②乱歩の海外作品「類聚ベスト・テン」(初出「ぷろふぃる」1947年4月号)
に挙げられた名作10作品を全部読んでいる方
のみ、お読みください】

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※とにかく本作は、①アマチュア(あるいは若手)探偵からベテランのプロ探偵への引き継ぎ②そのアマチュア(若手)探偵の恋愛ドラマ③でもって犯人の設定……と、主要なプロットのコンセプトが、全部10年前の「あの作品」のパクリだよね? 
 この『学校の殺人』も結構メジャーなクラシックだと思うんだけど、今までその事実を誰も言ってない? のはかなり意外であり、同時にこちらには有り難かった。
 当時のリアルタイムの英国の反応はどうだったのであろう。もちろん差分的な違いも相応にあるので、みんな往事の読者は「お約束の枠の中で新しい妙味を見せた」という感じで好意的に受け取ったのであろうか。
 






【以上・ネタバレ解除】
 なお評者本人としては、その点を踏まえてなお、この作品が結構スキになりました。冒頭、売れない詩人というクリエィティブな職業にしがみつく主人公が、詩の引用を掲げ、最後にまた別の詩を引いて物語が終る、そんな情感ある余韻なんかとてもいい。
 評価は0.5点くらいオマケかな。本サイトとかでの評価の低さを裏切って、あくまで個人的にながら楽しめたので、ということで。


【2019年10月23日追記】
※上に100冊、ノンストップで、どなたもレビューしてない作品を……と、書いたが、見直すと途中で一冊、例外がありました(汗)。まあ、またそのうち、向いたら気がトライします(笑)。

No.673 6点 奇科学島の記憶 捕まえたもん勝ち!- 加藤元浩 2019/10/10 03:22
(ネタバレなし)
 「私」こと七夕菊乃(たなばたきくの)は、以前はアイドルグループ「ブルースカイG」の一員だが、なんやかんやあって警視庁捜査一課の刑事に就任。当初はお飾りの広告塔の様に扱われかけながら、変人の捜査官「アンコウ」こと深海安公(しんかいやすきみ)の協力を得て二つの難事件を見事に解決。今は警部に昇進していた。だが警視庁内部の力関係から、彼女の活躍を快く思わない警備局の古見参事官が菊乃の足を引っ張ろうとする。そんななか、菊乃は八丈島の方にバカンス旅行に出かけるが、船旅の洋上で出くわしたのは、生首を乗せた高瀬舟だった。菊乃は休暇返上で、被害者の出身地と思われる小島・喜角島に乗り込む。だがそこは60年前の終戦直後、ある医学者が不老不死の研究をしていたという曰く付きの島、別称「奇科学島」だった。やがて島の周辺では、まるで死体が動いたかと思える、第二・第三の連続殺人事件が……。

 シリーズ第三作。島民が約300人の小島、しかもその島の周囲はほぼ岩壁に囲まれた中で起こる、元庄屋の一族にからむ連続殺人……という、完全に横溝作品の岡山ものの雰囲気を狙った設定。
 密室やアリバイトリック、動く死体、そして見立て殺人などなどミステリ的なギミックはかなり豊富だが、設けられた謎のなかには最後まで解明を引っ張らずに、物語途中で早々に明かされるものもあり、その辺は手堅い作りのような、大技を控えた分だけこじんまりしてしまったような。
 あと個人的には、見立て殺人という犯人の狙いに気づいた菊乃たちが予防策を張るのはよいが、最後の殺人に関してはちょっとうっかりしすぎ、という印象。こちらが大丈夫かな、あっちの可能性もあるのではないか、と思っていた事態に、まんま、なってしまう。この辺は、前もって犯人の動きをもっと絞り込む捜査側の動きについて、もっと説得力が欲しかった。
 
 それでも298頁で明かされる犯人の名前を認めた時は軽く驚かされたが、さらに事件の底が割れてくると、ああ(中略)なんだね、と、海外のある大作家のおなじみの作劇パターンと、さらにその同じ作者の某代表作が頭に浮かんでくる。ただしその上でちょっと原典をアレンジした、本作なりの工夫も感じないでもない。この作品はその辺の捻り具合を、評価すべきかもしれない。

 ちなみにAmazonのレビューで、動機の説得力が……という声があったけど、それには同感。21世紀の人間の思考としては、そういうことを考えるかなあ、という感じであった。

 シリーズ3冊読んで、出来の順番は②>③>①という感じ。
 ②はメイントリックの創案もなかなかだったが、さらに途中の人間消失の仕掛けが、良い意味で旧「宝石」の新人作家のトンデモトリックという感じで心の琴線に引っかかった。まあ出れば気になる、楽しいシリーズではある。

No.672 6点 ZI-KILL-真夜中の殴殺魔- 中村啓 2019/10/07 23:33
(ネタバレなし)
 続発する凄惨な殺人事件。同一犯の仕業と思われる被害者はみな顔面を連打され、頭部を無惨な肉塊に変えられていた。警視庁と所轄の多摩山警察署は合同捜査本部を立てて、謎の殺人鬼「殴殺魔」を追う。だが多摩山署の32歳の巡査部長、夢川時勇には、恋人の浅倉美夏にも話せない、母・恵子と二人だけで共有する秘密があった。それは十数年前から時勇の肉体は、深夜のある時間帯にもうひとつの人格が支配することがあるという事実。そして今、時勇はそのもう一つの人格「ハイド」こそ、自分の知らない間に殺人を繰り返す殴殺魔ではないのかと疑惑を深めていく。

 作者の著作は初めて読んだ。設定が面白そうなので手に取ってみたが、接点の無さそうな被害者のミッシング・リンクものの趣向も導入されていて、それなりにミステリ味は豊富。一番のポイントとなる主人公の二重人格テーマも、なかなか新しい食感の包丁捌きがされている。
 警察小説としては、21世紀の昨今よくある、いかにも「テレビドラマの原作にどうですか」パターンの一本だが、それはそれとして各キャラを明確に立てていて出来は悪くないと思う。特にメインヒロイン枠が、主人公の恋人の美夏のみならず、同僚の若手刑事の岩井有紀、後半に登場する本庁からのエリート女刑事(こちらも若手)の大鳥桃代、さらに……と豊富に用意されているのは、まさに「プロデューサーさん、その辺りの女優枠のキャスティングも考えてありますよ」という感じだ。いや、こういう商売っ気、かえって潔い印象で気持ちいいわ。

 現状のAmazonのレビューがそろいも揃って星五つというのはさすがになんか胡散臭い? が、それなり以上に楽しめる力作なのは確か。
 個人的には、主人公の時勇にまっとうな人生訓を垂れた美夏の兄の慶一の扱いに、作者のダークな資質を感じた。
 続編? やれるものならやってみれば、というところで。

No.671 7点 雨に濡れた警部- H・R・F・キーティング 2019/10/07 22:24
(ネタバレなし)
 ボンベイ警察のベテラン刑事ガネシ・V・ゴーテ警部は、地方のヴィガトポーアに一時的に出向した。体調不良で休職中のM・A・カーン警部に代って、所轄の指揮を執るためだ。ゴーテはそこで以前に同じ職務に携わった上級警官タイガー・ケルカーに再会する。自他ともに厳しいタイガーはゴーテの師匠の一人ともいえる優秀な警察官で、現在はボンベイ警察の副監察長官に就任。今回はヴィガトポーアの警官たちの監査に訪れていた。だがヴィガトポーアの現地の警官S・R・デサイ部長刑事がいい加減な職務態度を見せたため、激昂したタイガーは弾みから彼に暴力をふるって死なせてしまう。現場にただひとり居合わせたゴーテに向かい、自分を逮捕するように指示するタイガー。しかしデサイの怠惰さとタイガーの警察官としての価値の双方を知るゴーテは、強烈な良心の呵責に苛まれ葛藤しながら、タイガーに、デサイの死因が事故のように偽装することを進言した。

 1986年のイギリス作品。ゴーテ警部シリーズ第15弾目の長編(アレをカウントすれば第16番目)。
 20年以上にわたって作者の看板キャラクターだったレギュラー名探偵が、全く以てイクスキューズの余地もない故殺殺人(もしくは傷害致死)の事後従犯になってしまうという、ミステリ史上に類のない? とんでもない作品(!!)。

 これまでの東西ミステリの長い歴史を振り返っても、ほかならぬ生みの親である作者自身の手によって、レギュラー名探偵が酷い目に合わされたケースは数多い。
 しかしそのほとんどは大別すれば、作中で職務(探偵活動や捜査)の遂行中、あるいはその結果において退場(つまり作中の死)を強いられたり、あるいは意外な(中略)役をあてがわれたり、である。
 ただし前者はもちろん、後者の場合にせよ、基本的には法で裁けない(あるいは裁きにくい)××をやむをえず……のパターンが大半だから、結局の所、その「正義と倫理を遵守する名探偵ヒーロー」というアイデンティティはまったく揺るがないのだが、今回の場合、そんな言い訳も成立しない。

 そして本作でゴーテの犯した行為は客観的に見れば100%弁解もしようのない法律違反であり、長年堅実な法の番人であった彼自身の信条を汚すものなのだけれど、当人をそんな行為に走らせた状況そのものには同調も納得もできない、しちゃいけないが、理解と共感を呼ぶ、本当にひとくれのロジックはある。
 しかしそれがいかに危うく、本当は間違っているのでは? すべてを告白して司法の裁きを待つべき(懲役はないにしろ、懲戒免職は確実。天職である警察官でいられなくなる)では……と苦悩するのは誰よりも当のゴーテ自身。
 いやもう推理小説じゃないよ。「ただの」人間ドラマだよ。でもそれをレギュラー名探偵もののミステリ枠でやったからこそ、本書は最高にドラマティックになってしまったよ、ウヒョー、という秀作。

 脇役も充実していて、ゴーテから真実を告白される妻のプロチマも、夫婦が魂の救いを求めに行く坊さんバルクリシャンも、ゴーテが弁護を頼む人権派の女弁護士ヴィマーラ・アーメド夫人もみんなキャラクターがくっきりしていてステキ。

 結局、それでこのミステリ史上に燦然と輝くトンデモイベントは、どうドラマとして決着するのか? それは自分の目で確認してください。
 興味あったら。

No.670 7点 高校事変- 松岡圭祐 2019/10/06 18:06
(ネタバレなし)
 大規模なテロ犯罪を引き起こし、死刑になった半グレ集団~カルト組織のリーダー、優莉匡太。その次女で、親と組織の幹部から闇世界の戦闘技術をたたき込まれた美少女・優莉結衣は、彼女当人はテロ犯罪に関係ないと主張する人権派弁護士達の支援のもと、川崎市の公立高校・武蔵小杉高校の2年C組に在籍していた。担任の敷島和美から、結衣と友達になってあげてほしいと頼まれた学友の少女・濱林澪は相手の心を開こうとするが、そんな二人をとりまく生徒達の視線は冷ややかだった。そんななか、現職総理の矢幡嘉寿郎が同校を視察。内閣には、同校の生徒でベトナムから帰化した人気バドミントン選手の田代勇次と矢幡を対面させることで国民の支持率を上げようという思惑もあったが、首相の訪問日に謎の武装テロリスト集団が学校を占拠。総理を警護するSPたちは虐殺されて校内は地獄の戦場となる。だが……。

 世間の評判が頗る良い&あっというまにシリーズが第三弾まで出てしまったその勢いに、なんだなんだと興味を惹かれて、まず第一作を読んでみた。

 うん。確かに面白い。スーパー美少女ヒロインの設定そのものはありがちというか和製バリー・ライガだが、しつこいくらいに書き込まれたデティル、パターンで流されそうなアクション&武器火器の描写にイヤミなくらいにツッコミを入れてそれっぽく叙述していく手法など、昭和風に言うなら分厚いステーキ肉的な噛み応えを覚える。
 (終盤、初めて結衣が即妙に使う凶器の描写もステキ。映画やコミックじゃそのまま叙述しても説得力のない凶器で、その辺のリアリティは小説メディアならではだよ。)
 
 それで陰謀の真相、黒幕の正体にはなかなか唸らされました(21世紀の国内のもろもろの社会派テーマも盛り込んだ作者の手際に対しても)が、一方で一歩引いてみるなら黒幕の思うようにここまで順当にコトが運ばなかった可能性も多かったのでは? という気もする。途中で計画の不順に気づいて次の機会に回すには、初動でコストをかけすぎているよね? その辺のプロットの弱さは、やや減点材料か。

 とはいえ肝要の主人公=ヒロインの結衣のキャラクターは決して目新しさはないものの、実に入念に書き込まれて結構いい感じにはなっていると思う。闇の心への志向と一方で共存するそれへの反発の念のバランス取りが、この手のダークヒーロー&ヒロインの魅力のキモだけど、本作の場合は作者が直球で放った剛球がうまい感じにミットに収まっているんじゃないかと。

 しかし本作の一番の驚きは、巻末の解説で書かれているとおり、これ以上ない余韻のあるクロージング、最高級の完結感なのに、しれっとすぐさま続刊が出てしまったことであろう。作家としての大した肺活量じゃ。
 そんなわけで、続編は近くまた読んでみます。 

No.669 6点 ブルシャーク- 雪富千晶紀 2019/10/05 22:29
(ネタバレなし)
 富士山の麓にある不二宮(ふじのみや)市。同市の誇る湖・来常(きつね)湖は、観光エリアも兼ねた農業用水用の人造湖だったが、このたびこの地で海外の実力選手までも招待した、一般参加可能な大型トライアスロン大会が開催されることになった。市役所企画課の公務員・矢代貴利は大会の実行委員として準備に奔走するが、この湖の周辺で不審な失踪事件が発生する。それと前後して現れた久州大学の海洋生物学の准教授の女性・渋皮まりは、この来常湖に巨大なオオジロサメが外洋から迷い込んだ可能性を指摘した。

 ベンチリーの『ジョーズ』の作劇フォーマットを踏まえながら、21世紀の新作として仕立て直した、巨大生物系の怪獣小説。一番のポイントは本来は海水魚のハズのサメがなぜ内陸にいるかだが、オオジロザメに関しては淡水でも生息可能という大前提をまず開陳。そこからあれやこれやのデティルを足し繋ぎながら、全長ウンメートルの怪獣的なサメが内陸に存在して人間を襲うというとんでもない状況にフィクション的なリアリティを築き上げていく。この辺はクライトンとかの作法を醤油味にした感じで、まあ悪くない。

 物語にからんでいくキャラクターたちも、多層的な構想でたっぷり配置。まあこういうポジションのキャラならお約束的にこうなるよね、とか、あーこれはミスディレクションで実際には……など読み手が先読みできてしまうものも少なくはないが、その辺はこの作品の場合、おなじみのセオリーを守る感触であまり悪印象がない。

 あのグラディス・ミッチェルの『タナスグ湖の怪物』みたいに、もうちょっと中盤でドキドキ&サプライズもののモンスターの露出は欲しかった気もするが、まあ不満はそこら辺くらいかな。クライマックスの惨状シーンはさすがに読み応えがあった。
 
 ところでTwitterとかAmazonとかの感想やレビューじゃ誰も言ってないみたいだけど、本当は(あるいはさっきまで)海にいる(いた)はずの巨大怪獣がいきなり内陸に出現するという本作の外連味のコンセプト。これってたぶん、東宝特撮怪獣映画の名作『モスラ』(1961年)の中盤の展開、太平洋上で姿を消したモスラの幼虫がいったいどうやってそこに来たのか、いきなり日本の内陸(東京近郊の第三ダム)に出現するファンタジックな描写がルーツだよね? まあ本作の場合は、あれやこれやの理屈づけで、その辺に一応のまっとうな説明をつけておりますが。

No.668 8点 慈悲の猶予- パトリシア・ハイスミス 2019/10/05 03:41
(ネタバレなし)
 ロンドンから離れたサフォーク州。29歳のアメリカ人で全く売れなかった著書一冊だけが実績の若手作家シドニー(シド)・スミス・バートルビィは、アマチュア画家の英国人で26歳の妻アリシアと、人家の少ない田舎に暮らす。シドニーは相棒の文筆家アレックス・ポーク=ファラディとその妻ヒッティとは親交があるが、他の主な付き合いは少し離れた隣家に越してきた73歳の未亡人グレース・リリパックスだけだった。創作活動が不順なシドニーは脳裏に浮かぶ観念を弄び、妻アリシアを諍いの果てに殺す状況までひそかに夢想。死体の始末の手順まで妄想し、それすらも自分の創作の肥しにしていた。そんななか、アリシアは現実にシドニーと衝突して家を出ていくが、やがてバートルビィ家の周囲には、あの家の旦那が奥さんを殺して死体を始末したのでは!? という噂が流れ始める。

 1965年のイギリス作品。1950~60年代前半には、二大名作映画『太陽がいっぱい』と『見知らぬ乗客』の原作者として、日本にも名前のみ知られていた英国の異才女流作家パトリシア・ハイスミス。その長編作品は、本作をもって初めて本邦に紹介された(ハヤカワ・ノヴェルズ版)。

 実際には犯していない妻殺しなのに、主人公のシドニーが理不尽な嫌疑を周囲から向けられた結果、窮地に……というのなら、ごく普通の巻き込まれ型サスペンススリラーだが、さすがハイスミス、そんな凡百のストーリーなんか書きはしない。
 メインヒロインであるアリシアの採った行動は徹頭徹尾フツーだが、一方で男性主人公のシドニーの方は、ほんの少し常人より想像力が豊かで、精神がタフで、そしていささか歪んだレベルに悪戯っぽいため、本来なら事態の「受け」の立場のはずなのに「攻め」の側にまわってゆく。
 あまり詳しくは書けないが、多くの読者の心の闇を刺激し、一方でどうしても良識の枠内から逃れられない「健全」な読者を置いてきぼりにするか、または嫌悪感を抱かせる。これはそんな作品だ。評者? ええ、もちろん大いに(中略)。
 
 ラストはどう着地するかとハラハラしたが、そこはそこ、この作者ハイスミス、実にまっとうに(後略)。
 文句なしの優秀作。人間の悪意と残酷さ、そして切なさと弱さを語りながら、それでも随所にユーモアが漂う全体の小説的な品格も実に良い。いずれにしろ、個人的には今まで読んだハイスミスの長編のなかで、さりげなくベストワンになってしまうかもしれない。

 ちなみに本作(の邦訳)は元版の『慈悲の猶予』と後年の創元推理文庫版の『殺人者の烙印』の二つがあるわけだけど(訳文は同じ深町真理子女史のものを使用。たぶん文庫版の方が多少の改訂がされているとは思う)、個人的には後者『殺人者の烙印』のタイトルはあまりにまんますぎてちょっとなあ……である。どういう事象の物語なのかすぐわかるという意味ではいいけれど、主人公シドニー視点からすればこの邦題じゃ……(中略)。
 一方で『慈悲の猶予』の方は言葉の響きではすごくイイし、なかなか意味ありげでステキなのだが、実際の本文でその字句が登場する箇所を確認すると結構ピンポイントな用法であった(汗)。少なくともこの邦題は、物語全体の流れや主題に被さるものではない。
 これだけのいい作品なんだから、いつかまた別の版元か叢書で再刊の機会でもあったら、もっと物語の奥深さを暗示した、新たな第三の邦題をつけてほしいもので。

No.667 5点 おあついフィルム- リチャード・S・プラザー 2019/10/04 14:42
(ネタバレなし)
 私立探偵シェル・スコットは、ハリウッドの「マグナ映画」の仮装パーティに招待されていた。先日、同映画会社の社長ハリー・フェルドスペンの依頼に応え、上首尾な成果を上げたお礼だ。本名不明の銀貨面の美人とも親しくなり、ご機嫌のスコット。しかし、近所に住む芸術家で「疫病神」と渾名される嫌われ者の巨漢ロージャー・ブレークにからまれるという、不愉快な一幕もあった。だがそのブレークがパーティのさなかに別室で、何者かに喉を切り裂かれて殺された。翌日、スコットは、ブレーク殺しの嫌疑をかけられるとおののく若い娘ハリー・ウィルスンから、助けを求められる。

 1951年のアメリカ作品。『消された女』に続くシェル・スコットシリーズの第二弾で、前回の若い娘の失踪事件にかわり、今回はハリウッド周辺で起きた恐喝犯罪にからむ殺人事件が物語の主題になる。
 第一作は定型の軽ハードボイルドかと思いきや妙な勢いと熱気があったが、そちらにくらべて今回は割と、良くも悪くも端正にまとめられた感じ。
 ミステリ的な趣向は、犯罪が形成される過程を手がかり・伏線にしたフーダニットだが、その辺はのちのちの赤川次郎でも書きそうな水準作レベル。面白いといえば面白いが、作中でスコットがさも意外そうに驚くほどセンセーショナルなネタじゃないし、そもそも同じ方向への仮想は、警察の方ではまったくしていないの? という感じもある。

 そういうわけで今回はあんまり出来の良い作品とは思えないが、まともに依頼料の取れる仕事も成立していないうちに、メインゲストヒロインのハリーを救おうと奮闘するスコットの描写は普通にほほえましい。
 スコットを狙い追い掛ける荒事師コンビや、その親玉のギャングのボスなんかもまあまあ面白いキャラにはなっている。

<余談その1>本書はもともと「日本版マンハント」の後期の号に一挙掲載された長編の翻訳を20年以上経ってから、当時の中央公論社の新たなミステリ&読み物叢書「C・NOVELS」の初期ラインの一冊として書籍化したもの。当時はこんなものを発掘、拾ってくれる企画のフットワークの軽さが嬉しかったものの、同類の後続作(日本版マンハントとか別冊宝石とかからの発掘)はなかった。残念。

 しかし本書(C・NOVELS版)は下品な表紙だね。
「国内お下劣ミステリ表紙&ジャケット大賞」のファン投票があったら、評者はまちがないなく本書を最優秀候補に選ぶ。

<余談その2>本書(C・NOVELS版)の巻末には訳者・田中小実昌のかなりスーダラな感じのエッセイ風あとがきがついており、その中でスコットシリーズの第1作の内容を「『消えた美女事件』で、はっきりおぼえてないが、ビルの窓から、ひょいと外を見たら、空中を美女の死体がふわふわ浮いてながれていたみたいなストーリイだった。」と書いてますが、違います! そんなオモシロそうな趣向は『消された女』のどこにもありません。
 ……もしかするとこの広い世の中のどこかには、本書『おあついフィルム』を先に手にしてこのあとがきにダマされて、ポケミスの『消された女』を読んで怒ったミステリファンとかもいるんだろーか?

<余談その3>シェル・スコットは、例の藤原宰太郎の「世界の名探偵50人」にも紹介されている、世代人にはメジャーな? 探偵。
 ちなみにその「世界の名探偵50人」の中では、スコットのキャラクターのトレードマーク的なシンボル的に彼の事務所に貼られている大判のヌードピンナップ、さらに愛玩している熱帯魚の話題が出てくる。
 が、本書『おあついフィルム』の中でスコットは前者のピンナップ(勝手にヌードモデルの美女に「エミーリア」と命名している)に飽きが来たそぶりを見せているし、後者の熱帯魚の水槽は悪党のためにさんざんな目に合ってしまう。
 つまり第三作目以降がどうなるかはまだわからないけれど、どっちもスコットシリーズの普遍的なシンボル、アイコンとして、とりたてて話題にすべき事項でもないかもしれない? 藤原宰太郎がきちんとシリーズを読んでキャラクター紹介の原稿を書いたのかどうか、おいおい検証してみよう。

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