皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
|
---|---|
平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.906 | 5点 | 帰去来殺人事件- 山田風太郎 | 2020/07/17 03:39 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
1983年の大和書房「夢の図書館 ミステリ・シリーズ」版で読了。 近年では、荊木歓喜シリーズはその正編の全部が光文社文庫版『十三角関係』にまとめられているとか、さらにその初版と重版のどれかでは所収内容に異同があるとか噂は聞くが、詳しいことはよく知らない。たぶんその光文社文庫版の一番適宜な版を購入していれば、本書に収録の中短編6本全部を読めてさらに長編『十三角関係』も楽しめたんだろうが、数十年前から買ってあった本が先に蔵書の中から見つかったのだから仕方がない。いつか『十三角関係』はどっかで読む(かな)として、まずはこの大和書房版を賞味。 ……しかし、うーん……。結構キツイわ。いや、ミステリ的にあれこれ面白いことをしているのは分かるんだけれど、この時期の山田風太郎の癖のある、一種の、露悪的ともいえる文章と筋立てが気に障って障って、しょうがない(汗)。 思えば評者がこれまで楽しんできた山田作品って、ほとんど揃って、後年の筆致がやや落ち着いた(?)明治ものばかりであった。 中では登場人物のキャラクター(ある部分)が不可能? 犯罪の形成に機能する『抱擁殺人』がスッキリしたミステリで一番スキ。『西条家の通り魔』のちょっとチェスタートン風な流れもなかなか小気味いい。 一方で、ああ、なんとなくミステリとしての狙いどころはわかる『女狩』、さらにミステリとしてのギミック満載なのは理解はできる表題作とか、さっき書いた意味でホントーにキビシかった(汗・涙)。後者なんかは、蟷螂の斧さんがおっしゃるように、人を食った(人を舐めた?)アリバイトリックなんか良い意味でポカーンで、部分的にはかなりスキなんだけれどね。 とにもかくにも、個人的なミステリの読書プラン的にも読んでおいた方がいい一冊だったので、その意味でまあよしということで。 |
No.905 | 7点 | クリヴィツキー症候群- 逢坂剛 | 2020/07/17 03:07 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
御茶ノ水駅のそばにある小さな事務所「現代調査研究所」の代表で、スペイン現代史の研究を趣味とする「わたし」こと岡坂神策を主人公とする全5編の連作中編集。 お仕事は、調査業務全般に加えて翻訳や雑文書きまで幅広くこなす岡坂。ただし主人公のそういった素養から、スペイン近代の史実にからむ依頼も多く、その流れから同分野に関連した事件に発展するのことも何回か。 例によって蔵書の山をひっかき回していたら、いつ買ったかまったく覚えていないが、たしかにこんな本を購入した記憶だけはある、という一冊が出てきた。逢坂作品は一時期、SRの会の例会に出ていた頃に関心が湧いて何冊か古本を買ったと思うが、しっかり読んだ覚えは一度もない。じゃあ、この機会に……程度の弾みでなんとなく読んでみたが、これが全五本、どれも期待以上に楽しめた。 キャラクター、語り口、エピソードごとにひねりを自在な形で見せるストーリーテリング、どれも上質だが、何より意外で嬉しかったのは、望外にミステリファン向けのサービスというか、洒落た趣向が設けられていることであった。 その辺もネタバレになるのであまり詳しくは言えないが、第一話「謀略のマジック」では、う、シリーズ初手からこういう攻めの作りで来るか、と唸らされ、のちにこの開幕編の狙いもなんとなく、改めてまた見えてくる(たぶん……)。 第二話「遠い国から来た男」では、前述の外連味が爆発。ああ、そういうこともやってくれるのか、とテンションが上がった。 第三話「オルロフの遺産」は本書中、最もミステリ的に手堅く高質な出来だと思うが、乱歩の『幻の女』の原書を巡る勇名な争奪騒ぎを思わせる序盤から開幕し、その辺の楽しさも得点評価。 第四話「幻影ブルネーテに消ゆ」は、ある意味で一番インパクトがあった。ここであの有名な世界名作短編と同様のネタを見せられようとは! ちなみにこれを読んで、前述の、第1話のまた違った側面に思い当たった。 第五話の表題作「クリヴィツキー症候群」は本書中、一番トリッキィな作品ではあるが、リアルではまあ……でも小説(フィクション)ならギリギリかな、というラインで攻めてきていて、どことなくその天然っぽいある種の豪快さが、昔の「宝石」とかに載った一発屋の新人作家の作品的な感触を思わせる。いやけなしてるのではなく、そういう味もまた国産短編ミステリの魅力のひとつの系譜ということで。 とにかく逢坂作品、まだ一冊読んだきりでものを言うのはナンだが、予想以上に楽しめた。家の中のどっかに眠ってるはずの長編作品も早く見つかればいいが。 |
No.904 | 7点 | 盗まれた街- ジャック・フィニイ | 2020/07/15 15:30 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
1953年8月13日の木曜日。カリフォルニア州の田舎町サンタ・マイラで開業医を営む「私」こと、28歳のマイルズ(マイク)・ベンネルは、高校時代からのガールフレンドだったベッキイ・ドリスコルの訪問を受ける。ベッキイの用件とは、マイルズも知っている彼女の従姉妹ウィルマ・レンツが、何か奇妙な医療上の? 問題を抱えているらしいということだった。ベッキイとともにウィルマのもとに赴くマイルズだが、ウィルマは自分の伯父で養父でもあるアイラ老人が、外見も記憶のありようも全く同一ながら、別人としか思えないというのだった。マイルズは常識ではありえないこととして、ウィルマに知人の精神病理学者を紹介する。だがサンタ・マイラの町では、マイルズの同業者に受診を求めた者をふくめて、似たような「家族や知人が同じ顔の別人になっている」と訴える症例が続発。この町では、何かが起こりつつあった。 1955年のアメリカ作品。ジャック・フィニイの第二長編で、初のSF長編。 この時代(1950年代)の未読の新古典SFを楽しむのは大好きな評者だが、これはどちらかといえば作者フィニイの初期長編、という興味で読んだ。 物語の大筋というかサンタ・マイラの町に迫り来る脅威の正体は、少年時代から大伴昌司の特撮怪獣ムックなどで知悉している(映画はリメイク版の『ボディ・スナッチャー』の方のみ観ている。かなり原作とは変わっている)が、原作小説に触れるのはこれが初めて。確か大幅に題名を変えた翻訳ジュブナイル版もあるはずだけれど、そっちも読んでいない。 それでフィニイ作品といえば、あの甘美なまでのノスタルジア志向だし独特の情緒なんだけれど、本作ではまだ初期作のせいか、あるいはサスペンススリラー仕立てのSFという方向性のためか、その辺の興趣は抑えめ。とはいえ、主人公マイルズが恋人ベッキイに寄せる想いの一端から、変わりゆく日常世界、果ては天体規模の宇宙観まで、物語の大小の局面にちらりとのちのちのフィニイらしさは感じられ、その辺はまあファンには嬉しい(処女長編『五人対賭博場』も似たような食感であったのだが。) 展開はおそろしく早く、リーダビリティも最高。主人公の行動にスキを感じかけたあたりで、ちゃんと読者が期待する動きを見せるとか、サスペンスものの手法もきちんとしている。小さな田舎町を舞台にしながら、後半、日常を超えた世界にまで視野が広がっていく感覚も50年代SFの剛球・直球という感じで快い。中盤のスリルの連続も申し分なく、さてラストは……と思っていたら、ああ、そう来るか、という感覚でまとめた。 もちろんここでは絶望エンドかハッピーエンド(いろんな意味で)か、は書かないが、とにかく作中ではかなり印象的なビジュアルと観念で締めくくられる。クロージングににじむ余韻もいい。 フツー以上、予期したとおりに面白かったので、8点をつけてもいいけれど、フィニイの本分がまだ熟成していないよね、という意味合いであえてこの評点で。いや十分に、当時からの名作といってもいいと思いますが。 追記:物語の中盤、街で続発する異常な事態に際し、主人公マイルズたちがなんとかギリギリ日常の枠に収まる、非・スーパーナチュラルかつ合理的な説明をつけようと躍起になるシーンがある。ここは、オカルトがらみの不可能犯罪ミステリ(人外の能力を持つ妖怪の犯行と思わせて実は普通に人間が作為的にした悪事)の合理的説明を行うあまたの名探偵たちの実働を裏から見るような感覚で面白かった。 もしかしたらマクロイの短編ミステリ『歌うダイアモンド』とか、本作のようなものを踏まえて、当時、書かれりしたんだろうか?(そっちの正確な初出の年とかは知らないけれど)。 |
No.903 | 7点 | 皆殺しパーティ- 天藤真 | 2020/07/14 15:55 |
---|---|---|---|
(レビュー本文は基本、ネタバレなし・後半ちょっと注意)
1972年10月に刊行の元版(サンケイノベルス版)の初版で読了。 大昔に一度読みかけたものの、ジャケットカバー折り返しのあらすじに書かれた登場人物の多さに引いてしまい、長らく蔵書の山の中に放り込んでおいた一冊だった。ウン十年前の少年時代に、どっかの新刊書店の棚にあった(売れ残っていた?)本を購入したのがコレだったような気がする。 とはいえ今回は例によって登場人物メモをとりながら読んだら、ページをめくるのが頗るはかどり、さらに内容そのものも面白くて途中で止められず、一晩で完読した。 登場人物が少なくなって容疑者が限定されてゆくという、連続殺人ものミステリとしての構造的な弱点からは逃れられていないが、中小規模の山場でのさまざまな<反転>ぶりがとても小気味よい。 自分のひとの良さを随所で誇りながら、一方で段々と悪辣な素顔が見えてくる、人をくったジジイ主人公の造形と叙述は、実に天藤作品らしい。ほかの作家の一番近い感覚で言うなら、小林信彦作品の和風ドライユーモアか。 そんなこんなを経て、終盤にぐんと濃度の高くなるミステリ要素のバランス配分もなかなか。 sophiaさんがレビューでおっしゃる一部の人間の登用ぶりがあまりに駒的だというご意見はよくわかりますが、その辺の弱さを踏まえても十分に佳作~秀作といっていいでしょう。 昭和ミステリの枠の中での、妙に垢抜けた感覚の仕上がりも素敵である。 ちなみにくだんのサンケイノベルスにはまだ、当時の出版社が入れた挟み込みのシートが残っていて、これが製版ミスの誤植の訂正シート。ちょっと面白い? ので以下にネタバレ警告のもとに書き残しておく。 (該当箇所はサンケイノベルス版で最後の1ページなので。) 【ネタバレ注意】 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ サンケイノベルス版の製版ミスというのは、最後で犯人が語る心情吐露の部分。あの人物が最後に、正しくは「~すわ。それに自分たちのことを、犯人だなんて思ってもいませんことよ」と語るのだが、この箇所が元々は一度は「~すわ。それにあたしたち、自分たちを犯罪者だなんて思ってもいませんことよ」と書こうとしたらしく、その正しいセンテンスと書き直された(推敲・校正された?)元のセンテンスが2つ並んで印刷されてしまっている。 つまり ~すわ。それに自分たちのことを、犯人だなんて思ってもいませんことよ」 ~すわ。それにあたしたち、自分たちを犯罪者だなんて思ってもいませんことよ」 という風に似たような、かつ微妙にニュアンスの違う記述が、二行続けてダブッて印刷されてしまっている。 それで、読者の混乱を避けるため、あとの方のセンテンスを削除してほしい(そのつもりで読んでほしい)旨、訂正シートが挟まっている。 これって、最後に明かされる本作のテーマの理解の一助になる、メタ的な現実世界での逸話だったり? するかもしれないね。 |
No.902 | 6点 | 狂気の影- ヒュー・ペンティコースト | 2020/07/13 21:01 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
アマチュア名探偵としての実績もある精神病理学者ジョン・スミス博士は、激務の合間をぬってひそかに人里離れた大自然の中で釣りを楽しもうとする。だが彼はたまたま辺鄙な森の奥で、岩に腰掛けて、手にマシンガンを持つハンサムな青年マーク・ダグラスと遭遇。マークは、自分が考えている計画の邪魔になる可能性があるとして、銃で脅して近所の家屋にスミスを連れ込んだ。家屋の中にはマークの妻ケイ、そしてマークの友人知人たち8人の男女がおり、マークはこの8人の中に数年間にわたって自分を脅迫して精神的にいたぶってきた謎の人物がいるはずだと主張した。謎の人物を暴こうとするマークだが、彼は同時に時間的な期限を設けて、途中で誰かが脱走したり、あるいはタイムリミットになっても脅迫者の正体がわからない場合は、自分とスミスを含む全員との無理心中を敢行すると宣言する。とんでもない事態に巻き込まれたスミス博士は、マークの精神を鎮めようと務める一方、マークと一同のこれまでの事情を探り、くだんの謎の人物の正体を暴こうとする。だがそんな中で、またも新たな事件が……。 1950年のアメリカ作品。ポケミスが版権を独占取得しておらず、さらに解説にも刊行年の記載がないので、原書の発行年はWEB調べ。作中でサブヒロインのひとりが太平洋戦争で恋人を失ったとか語っているから、そんなものか。 kanamoriさんのおっしゃるように、シリーズ探偵が遭遇する異色な事件という意味で、西村京太郎の『七人の証人』を思わせる設定。とはいえ物語の趣向の大枠は同様でも、やがて広がっていく事件の構造はもちろん別ものだし、そちらの西村作品を既読のミステリファンでも十分に楽しめる。 物語の後半にやがて見えてくる、この物語の基盤を築いたといえる、とある人間の悪意はちょっと強烈。本作の最大のキモといえるのは、この悪役キャラクターの造形にあるだろう。同時に最後の3ページまで犯人が明らかにされない外連味たっぷりのフーダニット趣向もなかなか素晴らしい。その割に解決がやや荒っぽく、推理の道筋にもう少し考えようもあるんじゃないかなあ、という思いに駆られるのはちょっと弱いが。 2~3時間、良い意味でのB級サスペンス・パズラーを楽しもうとするんなら、十分な出来ではありましょう。ペンティコーストの長編は、あとは大分前に『過去、現在、そして殺人』を読んだきりだけれど、作品数も相応にあるみたいだし、面白そうな未訳のものがあるのなら、もうちょっと長編作品も発掘紹介してもいいんじゃないかと思います。 |
No.901 | 7点 | 厭魅の如き憑くもの - 三津田信三 | 2020/07/12 05:33 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
現状の評者は刀城言耶シリーズは、長編、短編集のそれぞれ一番新しいものをいきなりそこから一冊ずつ読んだきり。 今回改めて、シリーズの第一作から読んでみた。いや、本そのものは大分前から入手していたが、一度、少し読み始めてみたら、イントロ部分の物々しい演出がどうも敷居が高く、なんか気後れしてしまっていたのであった~汗~。 それでも今回は何とか、実質丸一日で読了。総体としては普通に(それ以上に)面白かったけれど、中盤がやや冗長。その理由を考えるに、連続殺人の災禍に遭う被害者連中に読み手の関心を誘うようなキャラクター性が希薄だからではないか? とも思う(ちょっとヘンな? 言い方&読み方ではあるが)。 とはいえ後半から終盤にかけて、物語のギリギリまで事件が継続する外連味はたまらないくらいのテンションの高さ。二転三転する謎解きの緊張感も、あえて破格さに踏み込んだ事件のデティルも、それぞれとても楽しかった。 ただし真犯人だけは、結構早めに見当がつきました。言耶シリーズはこれでまだ3冊めだけれど、ほかの三津田作品も合わせればのべ5冊は読んでいて、さすがになんとなく、この作者がやりそうな仕掛けの勘所はちょっとぐらいは見えてくる。さらにこの作品は途中の手掛かり&伏線が結構あからさまで、その辺りがフーダニットのパズラーとしては、ややイージーモードのようにも思えた。 しかし本サイトの本作品の先行のレビューで、この大技トリック(の類似例?)を先に使っているらしいミステリの具体名を書かれていて、そっちの作品をまだ未読だった当方は、かなりショボーンでした(……)。 いや、メイントリックに前例があるという物言いそのものは、この作品のひとつの評価(「意外なトリックのようだが、決して革新的なものではない」という指摘の公言)として、適宜にやっていいと思います。 ただできれば、引き合いに出されるそっちの作品のネタバレにならないように、当該の前例にあたる作品については、(たとえば)1990年代半ばの国産作品とか、せいぜい作家の名前だけにするとか(それも相応の冊数を書いている作者限定)、なるべく曖昧な形の記述に留めてもらえると、とてもありがたいのですが(涙)。 |
No.900 | 8点 | 獅子の湖- ハモンド・イネス | 2020/07/11 04:47 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
その年の9月の英国。「私」こと、地方で実務中だった23歳のエンジニア、イアン・ファーガスンは、ロンドンの母からの電報で父ジェイムズが危篤と知った。実家に急行するファーガスンだが、すでに父は死亡。ジェイムズは第二次大戦から帰還した傷痍兵で、晩年は不自由な体でハム無線のみを生きがいに日々を過ごしていた。そしてその父の通信記録に、数日前にカナダのラプラドル地方の奥地という辺境からの救助要請の受信があった旨、書かれていたという。だがすでに当局がその発信者を調べたところ、その当人=ラプラドル奥地探検隊の隊長ポール・プリフェは、くだんの交信があったという日より前に、かの探検隊が向かった先の奥地で死亡していることが判明していた。当局が父ジェイムズの記憶の混乱や正気を疑うなか、人生の最後の力をハム無線に傾けた父親を信じたいファーガスンは現地に向かい、半ば成り行きもあって、自らラプラドルの険しい奥地に分け入ることになる。だがそんなファーガスンの行動をなぜか止めようとするのは、他ならぬ彼の母親だった!? ファーガスンは、探検隊の唯一の生還者で、父の通信記録と食い違う証言をしたパイロット、バート・ラロウシュとも対面するが……。 1958年の英国作品。 すでにこの時点で代表作といえる複数の長編を執筆し、押しも押されもせぬイギリス冒険小説界の巨匠になっていたイネスの19番目の長編。 作者自身のあとがきを参照すると、イネス本人の二度にわたるラプラドル探訪(取材旅行)を経て執筆された作品だそうで、大御所の諸作の中でも終盤に主人公を苦しめる自然・辺境の描写はトップクラスに容赦がない。その過酷さというのも、密林や山岳地帯の険しさなど結構、複合的(ロケーションはまったく違うが、マクリーンの優秀作『北極戦線』後半のひたすら主人公を苛む自然描写を思い出した)。 主人公の年齢が23歳とかなり若年なのには軽く驚いたが、たぶんこれは「父親がまちがってないことを証明したい」という原動をコアに突き進む物語を紡ぐため、その若さが必要だったからであろう。 実際、この物語では、決して悪人でない何人かの登場人物が主人公ファーガスンの「亡き父のために尽くしたい」という親思いの心情を認め、理解の一端を示すが、その一方で「もう事態はとにもかくにもすでに決着がついてるんだから、そっとしておいてくれよ」的になだめにかかる。 それでも父がまちがってないことを証明したい、と躍起&頑固になるのは、正に若さのエネルギーありきの行動で、老成や現実的な妥協の意味を知った30代以上の人間には似合わない態度だ。 (そういう意味でも作者は、今回も人物造形がきちんとしている。) ところで作者の著作リストを見て少し驚いたのが、本作の直前の作品があの秀作『メリー・ディア号の遭難』(1956年)だったこと。 物語の舞台は海洋と内陸と異なり、主人公の年齢設定も違うものの、本作と前作では、いくつかの点で共通要素も大きい。 なるべくネタバレにならないように書くなら、一番の共通項は主人公と読者の視点から見て、何やら秘密を抱えているキーパーソンの登場(本作の場合は、ひとりだけ生還した探検隊のラロウシュが該当)。 こういう立場のキャラがわかりやすい悪党で、何やら自分が為した犯罪を隠しているのなら話は早いし、物語の求心力にならない。 だがストーリーを読み進めるうちに、当人は悪人でないものの何か事情があるらしいことが段々と明らかになってきて「じゃあ、一体どんな秘密が……!?」という興味がクライマックスまで持続する。この辺りの作りは『メリー・ディア号』とほぼ同様。 もちろん、それがどんな秘密かはここでは書けないし、『メリー・ディア号』からあるいは本書から先に読んでいても、もう一方の興を削ぐことはない、まったく別の種類の真相なのだが。 ほかにも人物配置の面で『メリー・ディア号』の再生産(というか本当に前作のすぐ後に書かれたリメイク編)的な趣もうかがえたり。 勝手な類推ながら、二作連続で似たような作劇を為したのには、当時のイネスにこういうプロットへのある種の執着があったからだとは思う。そしてそんな一方で、両作品には、楽しみどころを棲み分けた差別化も十二分以上に認められる(本作にのみ用意された作劇上の興味としては、主人公の実家の過去にからむ、ある因縁とか)。 だからどちらか一方を読めばそれで事足りる、などということは決してない。 むしろイネスファンにとっては、この両作品を読み比べる作業は、巨匠の創作の本質を探る上での良いケースワークになるのでは? とも思いを馳せる(そして何よりまず、両編とも、一本の冒険小説として、すごく読み応えがあって面白いんだけどね。) ただし本作『獅子の湖』は、クライマックスの山場のあとに、私的に見て小説作りの上で3つほど、小技的な趣向が設けられており、そのうちのひとつはイネス愛読者なら「ああ、こういうところもイネスっぽいよな」と得心のいくものではある。が、残りのほかの2つの文芸ポイントに関してはちょっと新鮮な感じで、その辺はなかなか興味深かった。 さらにもっともっとイネス作品を読んでいけば、他でも似たようなことをやっている事例が見つかるかもしれないが、現状で記憶するかぎり、この作者としてはちょっと変わった? ことをやっているようにも感じられた。 (まあなんにしろ、その軽いヒネリが小説の厚みを増しているのは間違いないと信じるのだけれど。) というわけで、今回も期待に応えた秀作。 あまり詳しくは言えないし、言ってはいけないんだけれど、自然の果てしない険しさを存分に描きながら、同時に人間の心の不器用さもまた、ある意味で同じくらいに時に一種の険しさを生むよね、と言いたげな文芸もとてもいい。そんな一冊でもある。 あと末筆ながら本作『獅子の湖』は、主人公と父との深い相関、それと対照される母との関係(母親なんか最後までまともな名前すら出てこない)など、やはり父親ばかりに重きを置いたイネス作品『レフカスの原人』との相似もうかがえて興味深い。この辺はさらにもうちょっとイネス作品を読みながら見つめてみよう。 |
No.899 | 7点 | 瀬戸内海殺人事件- 草野唯雄 | 2020/07/09 05:11 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
その年の4月。都内の企業「大和鉱業」は、愛媛の三ツ根鉱山の地質調査をT大学の教授・重枝昌光に委託していた。だが昌光の妻・恒子が東京の自宅から夫のいる愛媛に向かったはずなのに、行方が知れなくなっている。重枝教授に形だけでも誠意を見せたい大和鉱業の総務部は、重枝家とも縁があるマイペース社員の和久秋房を調査要員に任命した。会社が自分に大して期待をかけていないと認めた和久はクサるが、恒子の友人で旅行雑誌の美人ライター・尾形明美が、成り行きから彼の探偵役としての相棒になった。現地警察の了解と協力を仰ぎながら現地で調査が進むが、夫人の行方は杳として知れない。やがて関係者たちの掲げるアリバイに、意外な盲点? が見えてくるが……。 元版(1972年の春陽堂文庫版)が出たとき、当時のミステリマガジンの新刊評で、それなりに高い評価を受けていたのを読んだ記憶がある。 ただしこの頃はまだ文庫書き下ろしの国産新刊ミステリというのは比較的珍しい時代だったので(21世紀の今とはエラい違いだ!)、そのミステリマガジンでのレビューの最後は「(秀作・佳作ではあるが)この本は、お値段の安いのが何よりよろしい!」という感じのオチでまとめられていた。 そういうこともあって評者は本作について長らく「面白いことは面白いんだろうけれど、あくまでお値段が安いから評価にゲタを履かされているその程度の作品?」くらいの気分でいて(笑・汗)、なかなか積極的に読む気がおきなかった(……)。 そうしたら2年ほど前に出先のブックオフの100円棚で1987年の角川文庫版を発見。これを手にとってみると巻末の解説をあの瀬戸川猛資が担当しており、例によってすんごく面白そうに書いてある。 というかこのヒトが草野作品の解説を書いていたこと自体軽くビックリだったのだが、じゃあ今度こそ読むかと、その本を購入してきた。 そっから(ブックオフで角川文庫版を買ってから)およそ2年ほどさらに時間が経ったのは、入手したら入手したで「そんな瀬戸川猛資がホメている(らしい)草野作品、そりゃあ貴重だ」と、今度は読むのがもったいなくなってきたため(笑)。まあ例によって旧作との評者のややこしい&面倒くさい付き合い方は、いつも通りである(汗)。 でもって本当に特に大きな期待もかけず、まったくの白紙の気分で読んだのだけれど、個人的にこれはなかなかアタリであった! いや、山場の「読者への挑戦」ギミックを、巻末の解説で瀬戸川猛資が言っている通りの意味で作者が用意したとは必ずしも思えないし、全体的にあちこちに弱点もあるんだけれど、それでもとにもかくにも<こーゆー作品>はできるだけ前向きに迎えたい。そんな思いに駆られる一冊ではあった(あんまり詳しくは言えない)。 この数年後にやがて台頭してくる「幻影城」スクールの新世代作家たちの諸作の先駆的な趣もある一編だとも、思えた。 (特にどの作家、どの作品に似てる、とは言わないけれど、あえていえば泡坂と連城のトリッキィさを筑波孔一郎みたいな泥臭さでまとめて、そしてそれがミステリとして意味があった感じとゆーか。) ちなみに「奇妙な~」で一貫する全13章の章立て見出しの趣向は、クイーンの『オランダ靴』の「~tion(邦訳では漢字2文字の単語)」での同じ箇所の統一ぶりを想起させられた。 ここで当然、ミステリのオールドファンとしては「世界ミステリ全集・クイーン編」の挟み込みの冊子で瀬戸川猛資がクイーンの作家性の一端を紐解く手がかりとして、その『オランダ靴』の章立ての趣向に言及していたのを思い出す。 だから瀬戸川猛資が本作の角川文庫版の解説を担当(さらにはこの前の集英社文庫版の解説も手がけていたらしいが)のには、なんか感じるものがあったりするのであった。 もしかしたら集英社文庫、角川文庫版の編集者もくだんの「ミステリ全集・クイーン編」の冊子を読んでいたのだろうか? とも全くの思いつきで夢想しながら、この感想はシメ。 |
No.898 | 6点 | 天から降ってきた泥棒- ドナルド・E・ウェストレイク | 2020/07/08 19:29 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
1985年のアメリカ作品。 評者的には本当に久々の、ドートマンダー・シリーズ。正に、初期4作を読んでからウン十年ぶりの再会かもしれない(笑・汗)。 導入部から中盤の展開、決着まで、ハイテンポな筋運びかつ、小技ジャブ風に連続する見せ場が並ぶ。 とはいえドートマンダーものへの期待値はそれなりに高いので、よくわるくも予期していたレベルには応えてくれたが、それ以上はいかなかった、という思いもある(汗)。 メイン(ゲスト)ヒロインが聖職者というのは、他にも『アフリカの女王』(原作はまだ未読)や、クィネルの『ヴァチカンからの暗殺者』とかあって、それぞれその設定を活かした作劇でよいんだけれど、今回も(ちょっと薄味ながら)その文芸は機能していて悪くない。ただまあ、この辺もウェストレイクなら、これくらいのストーリーテリングのノルマはこなすよね、という思いもあって、褒めきるには微妙。 あと、シリーズ最大のトラブルメーカーの彼が今回は結構おとなしいのが、ちょっと意外であった。 超一流の腕前の錠前破りで新顔メンバーのウィルバー・ハウイーは『らんま1/2』の八宝斎みたいなエロ爺で、本作のお笑い要素の2割は持っていった感じ。 ほかのキャラクター描写も全般的に快調で、いちばん笑えたギャグは仲間のひとりタイニー・バルチャーの尼さんが嫌いな事由。ああ……そりゃ同情したくなるよね、という過去の逸話であった(笑)。 その年の新刊だったら、10点満点で8点、少なくとも7点はつけていただろうけれど、これまで読んだドートマンダー・シリーズのなかでは特化したものは少なく、こなれのよい佳作という手応えである。まあそれだけ本シリーズへの期待値は高いのだということで。 |
No.897 | 8点 | 死の会議録- パトリシア・モイーズ | 2020/07/07 04:11 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
ジュネーブで、西洋主要国の警察組織の代表による、国際麻薬犯罪対策会議が開催される。ヘンリ・ティベット警部はスコットランドヤードの代表として会議に列席。愛妻エミーもこの出張に同伴する。ティベットを議長に据えて、イタリア・スペイン・フランス・アメリカ・ドイツ各国の実力派捜査官との会議が進行するが、そのさなか、この会議の参加者のなかに国際麻薬シンジケートに情報を流しているスパイがいるらしい、という知らせが飛び込んでくる。予期せぬ事態に緊張が走るなか、ティベット夫妻とも親しい、会議のとある関係者が殺害された。状況から、被害者はくだんの犯罪組織のスパイに関する情報を何か携えており、それを開陳する前に口封じされた? との見方が強まる。しかもその殺人容疑の疑惑度の高い人物とは、種々の状況から見て他ならぬティベット警部だった! 地元警察から、犯罪組織のスパイかつ殺人者ではないか? との疑念を向けられながら、ティベットは真犯人をあげて身の潔白を晴らそうとするが。 1962年の英国作品。ヘンリ・ティベット警部シリーズ第三作。 <シリーズ名探偵、当人が殺人事件の被疑者にされて大ピンチ!>という王道パターンは、私立探偵ものや広義のハードボイルド作品(グルーバーのジョニー&サムものとか)なら結構あるはずだが、正統派パズラー系ではこれ、というのが、意外にぱっと思い浮かばない(たぶん、評者がド忘れしてるだけだろうが~汗~)。 わかりやすいところでは、獄門島で清水さんに怪しまれて留置場に入れられる耕助あたりか(あれは単に不審者として捕まったんだっけ?)。 ということで、これはガチで、主人公探偵の一大クライシス。 今回のティベットは、地元スイス警察のコリエ警部(なんとなく、ベルギーで現職警察官だった時期のポアロを想起させるキャラクター)から「つきつめるとあなたしか犯人はいないんです」「とはいえ心情的にはあなたを捕まえたくないので、二日間の猶予のうちに自分で身の潔白を晴らしてください」とかとんでもない物言いをされ、同格の各国の捜査官たち(の一部)からも疑いの目で見られる。ガクガクブルブル(……)。 いやこちらは、このあともまだまだシリーズが継続することはわかっているし、そういうメタ的な視点からもティベットが犯人ということは120%ありえない(?)と確信しているのだけれど、しかしそんな安心も油断も許さない、という感じで、さらにこともあろうか、クロフツのフレンチ夫妻、シムノンのメグレ夫妻なみのおしどり夫婦だと思っていたティベット夫妻にも思わぬ愛情の亀裂の危機が襲い来る!(この辺の事情はここではナイショだが) ・関係者の証言を信じるかぎり成立してしまう広義の不可能犯罪(殺人ができる機会があったのは主人公探偵のみ!?) ・その状況を起点にスパイと殺人者の二重嫌疑をかけられる主人公探偵 ・さらにはそんな主人公探偵夫妻に迫る愛の絆の危機! ……と、いやー実に盛りだくさんの趣向の作品で、本当に堪能した。 薄皮を剥ぐように進行する捜査の流れも、それに連れて様相を変えていく事件の輪郭も、そして終盤のマメに伏線を拾いまくる謎解きもどれも読み応え十分(まあメイントリックだけは、ああ、アレをやっているな、と割と早めに見当がついたけれど)。 フーダニットとホワイダニットの興味を核に、終盤の事件全体の決着の仕方もサービス満点。 一部、登場人物の思考で、ここはこうした方が自然だったんじゃないかな、と思える箇所はあるが、まあその辺は例によって「そのキャラがとにもかくにもそうしたのもまちがってない」というロジックで納得はできる。 評者はモイーズは『ア・ラ・モード』『第三の犬』『サイモン』ぐらいしかまだ読んでいないから、あまり大きなことは言えないんだけれど、少なくとも現状では間違いなく、この作品が一番面白かった。 この作者の未読の作品をこれから少しずつ消化していくのが、とても楽しみである。 (考えてみれば、長編作品を全部、同一のシリーズもののみで一貫させたモイーズって、地味にスゴイ作家かもしれんな。) |
No.896 | 5点 | 装飾庭園殺人事件- ジェフ・ニコルスン | 2020/07/06 04:45 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
「おれ」こと、ロンドンにある「ハンコック・ホテル」の警備責任者ジョン・ファンサムは、美貌の女性リビー・ウィズデンから一週間の契約で、調査の仕事を受ける。リビーの願いとは、彼女の夫で有名なタレント造園家リチャードが少し前にこのホテルで死んだ、自殺とみなされているが疑いがあるので生前の関係者を調べてほしいというのだ。もともとファンサムはホテルの警備係として、この件にも関わっていた。だがリビーはファンサムのみならず、あちこちの男女に夫の死についてのさまざまな調査を依頼。共稼ぎで当人も食通の人気コラムニストとして活躍しているリビーには、多くの人間を動かすだけの資産があった。リビーの友人である女医モーリン・テンプルや、リチャードの愛人アンジェリカを初めとする少なくない数の男女がこの件に巻き込まれるが、やがて事態は思わぬ方向に。 1989年の英国作品。本サイトでのkanamoriさんのお怒りのレビューと極端な評点がかなり破壊力があったので、気になって「そんなにヒドいのですか。どれどれ……」と、古書を通販で購入して読んでみた(そうしたら帯付き、さらにスリップまで残っている、デッドストック級の極美本が届いた)。 章が変わるごとに(あるいは同じ章の中でも)話し手(一人称)が交代。最初の話者「おれ」=ファンサム以外にもモーリンやアンジェリカを皮切りに、最終的に本文のなかに10人近くの「わたし」「あたし」が並ぶことになる。 物語の大きなモチーフのひとつは、題名の通りに人工的に組み上げられた造園(庭園)だが、それにシンボライズされるように、正にこれは読み手を迷宮のごとき造園の場に誘い込んで鼻面を引き回すミステリ。そのくせ作品のスタイルとして、トリッキィなフーダニット、あるいはホワットダニットのパズラーっぽい雰囲気もあるから、いろんな意味で目くらましされてしまう。 前述のとおりに視点がコロコロ変わるからその意味ではちょっと煩わしいが、お話そのものは章単位では別段ややこしいことはなく、総じて平明。なんでここでこのキャラの挿話が語られるかな? といった配列上の疑問が生じることはあるが、難解とか読者置いてきぼり、といったことはたぶんほとんど無いと思う。ただしセックスというか性愛に関しての物言いと諧謔はかなり多いので、これから読む気のある人は、その点だけは前もって了解の上で。 でまあラストのオチですが、ああ……という感じのぶっとんだ説明で決着。まあ改めてまともなパズラーじゃ絶対にないよね。トリッキィな作品ではありますが。 とはいえ(Amazonのレビューで同じことを言っている人もいますが)、語られた真相もどこまで本当なのか眉唾もので、その辺のどっか煙に巻かれた気分のまま本を閉じるのがこの作品の正しい読み方ではないかと(笑)。まあたまにはこういうのもあっていいんじゃないんですか、という感想です。 なお長々と文字数を費やして、この作品の観念的な部分にご大層な解釈を設けた巻末の解説(訳者あとがき)には最大級の努力賞を進呈したい。 |
No.895 | 6点 | ミスター・マジェスティック- エルモア・レナード | 2020/07/05 05:48 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
メキシコ国境近隣のテキサス州の一角で、中規模のメロン農場を営む中年男、ヴィンセント(ヴィンス)・マジェスティック。彼は収穫期のために短期の労働力を募るが、そんな状況につけこんだワルの人材斡旋屋ボピー・コパスが押し売りのごとく、質の悪い労働者を多数雇うように要請してくる。固辞したマジェスティックだが、コパスは難癖をつけてマジェスティックに傷害の罪を負わせてしまった。マジェスティックは逮捕されるが、彼の片腕で農場の作業頭ラリー・メンドーサ、そして気の良いメキシコ人娘の流れ労働者ナンシー・チャヴィスたちが留守中の農場を守る。しかし大量のメロンの収穫を指揮するためにマジェスティックは一刻も早く留置場から帰宅する必要があった。そんなマジェスティックが拘留された留置場には、暗黒街でその名を響かせた大物殺し屋フランク・レンダがたまたま捕まっており、事態は思わぬ方向に動き始める。 1974年のアメリカ作品。 評者は、80年代後半からの本邦でのレナード人気の波にはまったく無縁だったので(汗)、これが初めて読む著者の作品。 初期の作品らしく、裏表紙でも訳者あとがきでも、のちの作家性が成熟した時期のレナードの諸作とは相応に作風が違うようなことを書いてあるが、そういうわけだから評者にはその辺の比較はまだできない。 単品としての本作の大筋はおおざっぱに言って、<地味に暮らしていたのに思わぬトラブルが降りかかってきて、それまで眠っていた主人公の野性と闘志が目覚める(正確には、内側に潜んでいたそれらが表に表れる)>パターン。 敷居が低い言い方をすれば『野性の証明』をふくむ往年の高倉健の映画みたいな作劇だが、それでも主人公の心には最後まで一片の理性(必要な戦いはするが、可能なかぎり暴力沙汰は避けたい)があり続けるのには、ちょっとほっとする。 そういう意味で物語の大綱はシンプルだが、ストーリーの組み上げはけっこう小技が利いており、ある意味では中盤以降の主人公のピンチはマジェスティック自身が呼び寄せた一面もあるのがなかなか面白い(その辺について、ここでは詳しくは書かないが)。 そもそも本作は、もともとチャールズ・ブロンソン主演の映画『マジェスティック』(1974年)のためにレナードが書いたシナリオを、その直後(同時?)に本人自身がメディアミックスとして小説化した長編というから(ジャプリゾの『さらば友よ』みたいなもんだね)場面場面の視覚的な見せ場や小規模な山場の連続ぶりなど、いかにもソレっぽい。メインヒロインであるナンシーの、直球で剛球のいい女っぷりも(こんな偏差値の高すぎる娘、まず現実にいねえよと思わせるくらいに)ステキ(笑)。 もちろんこれ一作でレナードらしさの片鱗に触れたなどというおこがましいことを言う気などは毛頭ないが、まずは一晩フツーに楽しませてもらった。評点はあと0.5点くらいつけてもいいんだけれど、たぶんこれからもっとこの作者のより良い作品に出会うと思うので。 さて、次はレナードのどの作品を手にとりましょうか? |
No.894 | 5点 | 「期待」と名づける- 樹下太郎 | 2020/07/04 04:49 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
その年の10月3日。中堅企業「所山計測器」の業務部長で36歳の浜田宗仁(むねひと)と、その部下だった24歳の美女・雪本絢子(まりこ)の挙式が行われる。先妻と死別した浜田は年の離れた新妻と再婚し、幸福そうに見えた。だが二人が新婚旅行に向かった熱海の宿で、浜田は宿泊したホテルから転落して死亡。新妻の絢子はわずか半日で未亡人となった。絢子は夫の死後も姑である55歳の未亡人さよの後見を受け、多大な資産を誇る浜田家で若奥様として暮らす。そして一年が経ち、さよは絢子に、自分の甥で新興出版社の社長である青年・片岡文彦との交際を勧めた。文彦を憎からず思い始める絢子だが、そんな彼女の周囲に「木田竜三」と名乗る一人の男が出没し始める。 作者・樹下太郎の第五長編。1961年に桃源社から書き下ろし刊行。 樹下の長編作品はたしか初めてのはずの評者だが、今回は「別冊・幻影城」の樹下太郎編で読了。 先行する本サイトのカテゴリー分類が「サスペンス」だったので、フーダニットの昭和風俗パズラーというよりそっちの傾向かなと予期したが、まんまその通りだった。 雰囲気はズバリ、和製ウールリッチというか、本作の十数年後に登場してくる日下圭介の初期作品などに近い。 (悲劇の未亡人にして婚姻後のシンデレラとなった絢子が、姑のさよと二人だけの大邸宅内で、少女時代からの憧れだったピアノを思い切り弾く描写など、いかにも醤油味のアイリッシュという感じ。) なお、くだんの「別冊・幻影城」巻末に併録された評論家各氏ほかの論評(当時の新鋭だった栗本薫や筑波孔一郎などのエッセイもふくむ)をざっと読むと、樹下作品のひとつの持ち味は多視点の自在な切り替えによる映画的なカットバックだそうだが、本作でもズバリその手法を活用。 主人公でメインヒロインである絢子と並行して、彼女の元同僚の男女の人生の交錯図、さらには夜の女でいささか頭の弱い(少女時代に頭に怪我を負ったため)若い娘・桐里かすみとそのヒモみたいな情人・坂田友八郎の挿話が語られる。特に後者の二人は、メインの絢子とどういう関係性でからんでくるのか、なかなか判然としない? そんな複数のストーリーラインの中にトリッキィな仕掛けが用意されているが、これはたぶん先読みはそんなに難しくない。しかしその先読みのもとに読者が読み進んでいくと妙な違和感が生じるはずだが、そこからまた器用に結末に向けてストーリーを束ねてゆく作者の手際こそ、本作の大きな賞味要素のひとつだと思える。 最後のクロージングはそういうまとめ方か!? とちょっと虚を突かれたが、独特の余韻があるのはまちがいない。ただし作中のリアリティを考えるなら、何カ所か登場人物の思惟などに疑問が生じる部分がなくもない。まあその辺は、もしかしたら読者によって受け止め方に差があるかも。 トータルとしてはやろうとしたことはわかるんだけれど、いまひとつミステリとしての面白さにつながらず、昭和の人間ドラマとしてはもうひとつ奥深いところで心に響かない。評点はまあこんなもので。決して悪い作品ではないけれどね。 |
No.893 | 6点 | プレード街の殺人- ジョン・ロード | 2020/07/03 04:33 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし~途中まで~本レビューは後半ちょっと変則的になります。)
大昔に購入したポケミス(奥付は「昭和31年11月30日 印刷発行」)で読了。 あらすじは、先にkanamoriさんが書かれたレビューの冒頭のものがとても明快なので、今回は評者はパス。 森下雨村の翻訳は古い言葉が続出ながら、ブッシュの『100%アリバイ』同様、存外にテンポがよくて読みやすい。さすが「新青年」&博文館の大ボス。 犯人の正体は早々にバレバレで、21世紀にこれを読んで素でダマされる読者はまず絶対にいないと思うが、kanamoriさんがおっしゃっている通り、終盤に「怪人対名探偵」ティストが浮上してきて、妙なオモシロさになる。フィリップ・マクドナルドの『ゲスリン最後の事件』とかに近い敷居の低い面白さで、これはこれで楽しめた。 【以下・いささかネタバレ。そして……】 本サイトでは先行の方のレビューの批判をしないというのがルールで、もちろん当方・評者もそれを遵守したいのだが、今回に関しては、決して批判ではないつもりで、先の◇・・さんのレビューに疑問を感じた。 そこで今回、評者は以下の文で、あくまで客観的な事実をもとに、冷静な(決して批判ではない)お話をさせていただけると誠に幸いに思います。 まず、◇・・さんはレビューのなかで ・この作品はミッシングリンクの傑作ではない (そもそもミッシングリンクテーマのミステリとして成立していない) ・なぜならば「冒頭に裁判の場面があって、本章にはいると、 それに出席した人が一人ずつ殺されていく。」 ゆえに(被害者の関係性は)最初からわかっている という主意のことを書かれている。 実のところ、評者はこのご意見になんとなく違和感を覚えたので、メモをとりながら今回、ポケミス版を読んでみると ・物語の序盤、最初の被害者である青果商ジェームズ・トーヴィが殺されるまで、またはそれ以降も、裁判シーンはストーリーの中にまったく登場しない。 (過去のある刑事事件と、その判決が話題になるシーンは前半にある。) ・その上で連続殺人事件が進行し、ポケミス版のP66で、いったいなぜこれらの被害者は(殺人予告カードを送ってくるおそらくは同一犯によって)次々と殺されるのか? と、作中人物から疑問が投げかけられる(つまり、このタイミングで、ミッシングリンクテーマという本作の謎の主題が、読者に提示されている)。 ・さらにポケミス版のP120で、中盤から登場した名探偵プリーストレイ博士によって、真相に繋がるある伏線が張られる。 ・そして実際に被害者の関係性(ミッシングリンクの真相)が明かされるのは、本文全220ページ(ポケミス版)のうち、ストーリー全体の75%も進んだ166ページめで、このあとは真犯人と犯行の細部の解明、探偵と犯人との対決などのまとめの山場シーンとエピローグに費やされる。 ……ということで、これでは十分に、ミッシングリンクテーマの謎解きミステリとして成立しているのではないだろうか? 少なくともポケミス版を読むかぎり。 誠に恐縮ながら、◇・・さんにつきましては、改めまして、ご記憶、読書記録など、そして何よりの作品現物の再確認を、(決して批判ではなく)どうかお願いの次第(平伏!)。 なにせ、ことが「ネタバレ」なので、万が一ご勘違いで作品の大ネタをバラしていたら(誠にもって恐縮ながら、現状の◇・・さんのレビューは、事前警告なしの盛大なネタバレになっていると思えます・汗)、本サイトの参加者、さらにはこのサイトにこの作品のレビューを見に来る、これから本作を読むミステリファンにとって、あまり望ましいこととは思えないので(……汗)。 もちろん昭和26年刊行の「雄鶏みすてりーず」版、もしくは原書などに◇・・さんのおっしゃる冒頭の裁判のシーンなどがもしちゃんと存在して、◇・・さんがそちらをもとにレビュー内のご意見をされたというのなら、まったく話は変わってくるのですけれど(大汗)。 重ねて誠に恐縮ながら、ご記憶、作品そのものの再確認を今一度願えますと幸甚に存じます。 【2020年7月7日追記】 この件につきまして、本サイトの掲示板内の7月6日の「おっさん」様の御指摘で、事情が判明しました。翌7日の当方(人並由真)のレスとあわせてご参照ねがえますと幸いです。 |
No.892 | 6点 | 海のオベリスト- C・デイリー・キング | 2020/07/02 15:10 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
北大西洋を横断する豪華客船「メガノート号」。その夜、船上では乗客たちによるオークション大会が開催されていたが、いきなり照明が停電。闇のなか、銃声が響いてアメリカ有数の大富豪ヴィクター・ティモシー・スミスの命が奪われた。船長ホリス・マンフィールド指揮のもと、客船の保安係や船医たちは殺人事件を捜査して犯人を捜すが、やがて死体の意外な事実が判明した。それと前後して、船に乗り合わせていた四人の心理学者グループは持てる学識を、事件解決と犯人逮捕のために役立てようとするが。 1932年のアメリカ作品。 当初は、比較的単純な射殺事件と思われたものの、新事実が明らかになっていくにつれて少しずつ犯罪の様相が変わっていく作劇はフツーに面白い。 さらに本作のキモといえる複数のプロの心理学者(精神分析学者)による事件の介入。その各人の実働ぶりは、21世紀の今なら素人目にも相応にトンデモではあるのだが、当時は一種の専門科学分野からのミステリジャンルへの独特の? アプローチではあったのだろう。 我が国の島田一男が1970年代から量産した「科学捜査官」ものとその派生シリーズ、(評者はまだ手つかずだけど)もしかしたらその辺りに近い興趣を狙ったもののようにも、評者は勝手に想像したりする。 嘘発見器やら単語からの連想ゲームやらを活用した4人の学者のトンデモっぽい探求はそれなりに読んでいて楽しいが、当たり前ながら彼らのウンチクや見識が語られる物語中盤の時点で事件が解決するわけはない。だからこれらの学識にもとづく捜査はみんなおおむねファールに終わるんだな、でもそのなかで何らかの真相に繋がる伏線や手がかりは散りばめられるんだろうな? と予期しながら読み進めるが、はたして……(中略)。 (ただしある学者の見識・仮説にもとづいて、客船単位でとある大作戦を行うあたりの豪快さは、かなり笑えた。) その辺にからんで、本書のもうひとつの売りである巻末の手がかり索引の方が、今ひとつ効果が上がらなかったのは残念。個人的には(大昔に読んだ記憶ながら)同じ趣向ならクロフツの『ホッグズ・バック』の方がずっと良い仕上がりだったようにも思える。 総括すれば、得点(楽しみどころ)はそれなりに多い作品ながら、足をひっぱる部分も目についてプラスマイナスでこの評点。nukkamさんがおっしゃった人物描写の不自然さは同感だが、物語の後半で、ある登場人物の名前がずっと伏せられている? のにも違和感。狙いがよくわからない。こちらでどこかで何か読み落としたか? 一応は該当部分は二度読みしたけれど。 ちなみにこれは作者の処女作だったみたい。評者はすでにC・D・キング作品は何冊か先に読んでいたのだが、ある面でそれで良かったというか、その状況ならではの一種のサプライズを味わえた。まあファンの人は何を言っているか、分かってくれるでしょう。 (たぶんこの書き方なら、ネタバレにはなってないと思う。) |
No.891 | 6点 | 殺人鬼- 綾辻行人 | 2020/07/01 20:51 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
蔵書の中に眠っていた元版のハードカバーの初版を引っ張り出してきて、読了。後ろの遊び紙に定価の半額の価格の鉛筆書きがしてあるので、新刊刊行後少ししてからどっかの古書店で買った本だと思う。 購入当時は買ったはいいものの、コワそうなので敬遠していたが、今日はじめて読んだら、レトリックではなく本当に、惨殺スプラッターシーンで欠伸が出て軽い睡魔が襲ってきた(汗)。 21世紀の広義のミステリ界には、これよりももっと生理的な恐怖とおぞましさ(それこそ人の心の病理にまで踏み込んだ)の観念のソースがかかった作品がいくらでもあるので、良くも悪くも紙芝居的な面白さ(コワさ)の域を超えるものではない。 大仕掛けの方は、例によって自分なりの人名表を作りながら読んだので、当然ながら自然と違和感が芽生えて、その大枠に早々と気づく。 ただまあ、こういう設定が作中のリアルにあるのなら、登場人物たちのリアルタイムの会話のなかから、あまりにもご都合主義的にその核心の部分が欠損し、話題にあがらなすぎる。 その意味で、やはりこれは純然たるバカミスと思って、享受すべき一編であろう。そしてそういったニュアンスのもとで<ある種の豪快さ>は感じたので、この評点。 一方で初期のころから、とにかく読者が期待する「綾辻行人らしさ」に何とか応えようとしていた作者の生真面目さには、相応の感動は覚えた。 新本格の旗手と世の中から見なされた己のステイタスを自覚して、常になんらかの形でトリッキィであろうとしていた作者は、やっぱりステキな方だとは思う。 まあ作家デビュー40周年記念作品に、これまでの本分とまったく異質な?『孤独の島』(すみません。まだ未読なのでそのうち読みますが・汗)を出してしまうクイーンみたいなのも、必ずしも間違っているとも思わないけれどね。 |
No.890 | 5点 | 寝台車の殺人者- セバスチアン・ジャプリゾ | 2020/07/01 05:52 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
その年の10月の土曜日。マルセーユ発パリ行きの寝台列車のコンパートメントの中から、まだ若い女性の殺害死体が発見される。死体の素性は、化粧品会社の営業部長で30歳のジョルジェット・トーマと判明した。パリ警視庁のグラジアーノ(グラジ)警部を筆頭とする捜査陣が被害者の身元を探り、同じ車内に乗り合わせた乗客たちを捜索する。一方で、新聞記事から殺人事件を知った、当日にジョルジェットと同じ車室にいた38歳の台所用品製作会社の社員ルネ・カプールは、証人として自ら警視庁に連絡。だがそれと前後して。ジョルジェットと同じ車室にいた乗客たちは、何物かによって一人また一人と殺されていく。 1962年のフランス作品。作者の初めての長編ミステリ。 連続殺人事件にからむ(中略)ダニットの真相は豪快ではあるものの、いかんせん(中略)という弱点がある。個人的にはむしろもう一つのミステリ的なサプライズの(中略)という趣向の方が印象に残った(一瞬、え? この作品でそういう大技を!? と目が点になった)。 ただしミステリ小説としての仕上げの面で、その衝撃の効果を存分に活かしているとはとてもいいにくく、最後のドンデン返しを盛り上げる演出のため、前半~中盤のうちにもう少しやっておく仕込みの余地はあったんじゃないか、と思う(まあ、あんまり丁寧に伏線を張ると、読者に見破られる危うさはあるんだけれど)。 もしかしたら読みやすい新訳版でも出たら、だいぶ印象は変わるかな? ちなみに読後にTwitterで本書の感想を探ってみると、2013年10月頃の「週刊現代」の読書人向けのページで、連城三紀彦が「わが人生最高の10冊」を掲げて、その中の一冊にこれを選んでいたらしい(ミステリジャンルの中からは、この一冊だけ……だったのかな? Twitterの噂ではそのようにも読める)。 なるほどやや生臭いそして切ないロマンスの交錯と、技巧派トリックのアンサンブルと書くと、たしかに連城作品に通じるものがあるかも。 自分の現在の評点は、若書きゆえのファール感を見逃せず、ちょっと辛めに。 つまんないとか、出来が悪いとかいうより、まだミステリ執筆のコツを学びきる前にこれを書いちゃったのが惜しい、そんな思いが強い一作です。 |
No.889 | 7点 | 罪人のおののき- ルース・レンデル | 2020/06/30 05:36 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
その年の9月初旬のロンドン近辺。文学に造詣の深い大富豪クェンティン(クェン)・ナイチーンゲールの屋敷「マイフリート館」から、ある夜、クェンティン夫人のエリザベスが近所の森に散歩に出た。だが翌朝、彼女は何回も頭部を殴打された惨殺死体となって発見される。レジナルド・ウェクスフォード主任警部は、相棒のマイケル・バーディン警部とともに事件の捜査に当たるが。 1970年の英国作品。ウェクスフォード主任警部ものの第五作。 後半で注目される某アイテムについての推理など手堅い感じだが、つきつめていくと必ずしも仮説通りの状況になるとも限らないような……? ただしさすがはレンデル、例によって英国ミステリ系の60~70年代捜査小説としては、フツーに面白い。 かたや、犯人が明らかになったあと、掲示される長々とした手記で事件の真相の多くが語られるのは良し悪しではあるが、それでもそこで晒される、当の告白者のみが実感しえたであろう心の動き。今風に悪く言うなら「めんどくさい」心理という部分もあるんだけれど、一方で、どうしようもない魂の呪縛にからめとられた人間のあがきぶりが、強烈な印象を残す。 本作のキモはフーダニットとホワイダニットもさながら、最後に切々と語られるこの心情吐露の迫真さだよね。 犯人のキャラクターもかぎりなく(中略)で、そこらへんもしばらく心に残りそう。 佳作~秀作で、多分に後者寄り。 |
No.888 | 8点 | ビッグ・ヒート- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2020/06/30 04:51 |
---|---|---|---|
(途中のアイコン以降、ストーリーの筋運びに際してややネタバレあり)
1940年代後半~1950年代初頭のフィラデルフィア。地元の警察署で書記の業務に従事する中年刑事トム(トーマス・フランクリン)・ディアリーが、ある夜、自宅で動機も不明のピストル自殺を遂げる。同僚の34歳の警部補デイヴ・バニオンはディアリーが死に至った背景を探るが、故人の妻メリーからは特に有益な証言は得られない。だが一方で、ディアリーとかつて恋人(不倫)関係だったと自称する酒場の女ルーシイ・キャロウェイがバニオンに接触。ルーシイは気になる未確定の情報をバニオンに提供するが、その直後、何者かに拷問を受けて惨殺された。彼女の殺害がディアリーの自殺に関連すると見たバニオンは捜査を続行するが、バニオンの上司で暗黒街との交流も噂される刑事課長ウィルクスがこれ以上の捜査を継続しないように進言してきた。それでもひそかに捜査を続行するバニオンだが……。 1953年のアメリカ作品。 うーん。先行してレビューを書かれたお二人が、ある程度まで物語のなかでの小規模なツイストというか、ストーリー面でのうまみについて触れているので、自分もそれに倣ってもいいかとも思った。 しかし自分自身、この作品に関しては、ああ、こういう方向で来るのか、と軽く驚いた部分もあるので、一応、以下の部分は、前もってネタバレ告知した上での記述ということに。 【以下、その意味において、ややネタバレ】 物語の大枠は、地方警察や法曹界の一部とも癒着する暗黒街のワルどもに、正義漢の一匹狼刑事が闘いを挑む、直球のスモールタウンもの。 主人公バニオンは敵の攻撃に晒されて絶大な犠牲を払うが、それでも闘いを止めない。孤軍奮闘、さぞバニオンは最後までいたぶられるんだろうなあ、とも予想するが、あにはからんや、本作の場合は、 ・かつて署内で取り調べを受けたとき、バニオンが自分を公正に扱ってくれたことに恩義を感じている黒人青年 ・いまは閑職に追われているが、古武士的な正義漢でバニオンを後見する老警視 ・上からの圧力を警戒しながらも、その上役の目を盗んでこっそりと協力してくれる警察官としてのギリギリの矜持を守ろうとする同僚たち ・100%善人で、暗黒街の嫌がらせなんかものともしないバニオンの妹とその旦那 ・さらにはそのバニオンの義弟の元戦友で、自警団として集合してくる腕に覚えのある市民たち ……etc ともう、主人公バニオンを応援してくれる「いい人たち」のオンパレードである(笑・汗・感涙・嬉)。 特にサイコーなのは、物語の中盤、復讐や腕力ずくに走りかけるバニオンを諫めながらも、のちの山場の場面でバニオンの近親者がピンチになった際に、暗黒街の連中と戦う味方の一助になろうと自分から応援に出向いてきてくれるマスターソン神父(人名表では「牧師」とあるが、本文では神父)! こういう「おいしいもうけ役」キャラクターの運用で泣かせ&胸熱に盛り上げるあたり、やっぱりマッギヴァーン、本物のエンターテイナーだと実感! まあ21世紀の新作だったら、こんなダイレクトなヒューマニズム、よほどの天然か、あるいは逆に最大級の胆力がなければ書けないんじゃないかという感じだけれど、こういうのをごく自然に物語の流れに乗せられたんだから、やっぱ1950年代って良かったんだよとも思う(いや、100%、過去肯定の旧作信者じゃ、決してないつもりだけど~笑~)。 なんつーか「主人公がいいヤツだから、その分、味方もできるのだ」という、あまりにも直球の倫理ドラマを極上のエンターテインメントとして読ませてもらった思い。 たとえるならボガート主演の映画『デッドラインU・S・A』の鑑賞直後に、西村寿行の「あの」初期長編をイッキ読みしたような気分である。 さもなくば、旧作テレビシリーズ『逃亡者』で3週に2週は登場した、それぞれの状況で各自の葛藤の果て、理性と良心をまっすぐに見つめてリチャード・キンブルを逃がしてくれた数多くのメインゲストキャラたち。あの人達に出会ったときの思い出に通じる心地良さが全開。 ただしこういう作品は「いい人がいっぱい出てくる泣けるヒューマンミステリがここにあります!」と叫んで他の人に紹介するのはなんか気ハズカシイよね(笑)。こういった作品は、ほかのミステリファンに向けてそっと縁を作って、実際に読んでみた人たちに心のどっかに自然に引っ掛かってもらうのが一番ベストだと思う。 その意味でも、やっぱりこのレビューは途中から、ネタバレ警戒を謳っておいた方がいいだろうな? なお「そっちの方」のことばっかり長々と書いたけれど、全体的には曲のないプロットながら、それでもじっくりと読ませる作者の手腕は、もちろんステキ。 最後の方の、バニオンと某メインキャラの行動の対比で見せる文芸もとてもいい。終盤のバニオンの決断には、父親として、娘ブリジットのことも考える責任もあった、という意味合いも込められていると思うし。 |
No.887 | 6点 | 和時計の館の殺人- 芦辺拓 | 2020/06/28 05:20 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
27年前のその夜。愛知県の中堅企業「天知興業」の社長で72歳の天知時平と、その長男で同社の社員でもある31歳の鐘一(しゅういち)。この2人がそれぞれ離れた場所で、この世を去った。そして現在、時平の次男で、父の相応の財産を受け継いだ当年53歳の圭次郎が、今また逝去した。青年弁護士で名探偵でもある森江春策は知人の同業者・九鬼麟一の代理として、とある特異な建物の中で、圭次郎の遺言を執行しようとする。だがそれは、彼がまたも遭遇した連続殺人事件の序章でもあった。 う、う、う……。ミステリとしての手数の多さ、そして何より『犬神家の一族』オマージュで仕立てた作品全体の意匠。この作者なりの入魂の力作なのは十分に理解できるんだけれど、全編の叙述が淡白なのと、ひとつひとつはゆかしいハズの複数のネタが、互いにミステリとしての面白味を相殺しあっている感覚。そこら辺の弱点まで踏まえて、なんか非常に芦辺作品らしい一冊であった。 海外の某・古典名作ミステリの有名なトリックを作者なりに因数分解して、新規のものにあつらえ直したような密室の真相にはなかなか創意を感じるし、『犬神家』リスペクトの「包帯男」ネタの料理の仕方にも謎解きミステリとしての意欲を認める。ただそれらの工夫の数々が一向に相乗しなくて、秀作・傑作パズラーにあるはずのダイナミズムに繋がってこない感じ。 昔、存命中の仁木悦子が自作(『殺人配線図』だったか)を自分で外側から客観視して「ゾクゾク感の足りないミステリなんか、ワサビのきいてないスシのようなもの(大意)」と嘆息・自嘲するのを読んだような覚えがあるが、この作品もまんま、そういう感触なんだよね。 これまでも芦辺作品を読んでいて、そこにあるポテンシャルは認める一方、なんでこうもノレないんだろ? と思うことがしばしあるんだけれど、今回は正にソレでした。 クライマックスの森江の金田一ごっこも、これだけ作者のマジメで不器用な地の方ばかり目立つ作品の中でやると、単にイタいだけだったり(涙)。 名探偵を敬遠する現職警官というステロタイプを逆手にとった、坪井警部のキャラクターなんかは新鮮で楽しかったけれど。 面白いとは素直に言えない、よくできているという評価とも違う。ただし、力作なのはたぶん間違いないので、その辺を一顧してこの評点で。 |