皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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クリスティ再読さん |
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| 平均点: 6.39点 | 書評数: 1508件 |
| No.28 | 5点 | 満潮に乗って- アガサ・クリスティー | 2015/08/16 22:12 |
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| この作品ほど「ポアロ、あんた邪魔!」って思えたものはないなぁ...
前半の終戦直後の混乱期を舞台にしたメロドラマが、結構「風と共に去りぬ」調で面白く読めていたのに、第二篇でポアロ登場となると、ありきたりの探偵小説になってしまう....表面を取り繕いながら相互に陰険な闘争をしかける2つの陣営の中で、対立を越えて結ばれる恋愛感情。メロドラマ視点で「どうなるの?」って思っていると、殺人によってメロドラマがストップしてしまうのが評者はすごい不満だ。 戦後のクリスティの小説的な充実に向けての試行錯誤なんだろうけども、探偵小説としての部分と小説の部分の乖離が激しくて、ミステリが大ブレーキとしか思えない失敗作だなあ... デイヴィッドとローリィの間で揺れるヒロインって構図はそもそも「イノック・アーデン」の前半の関係だから、戦後の帰還兵について「イノック・アーデン」(しかも性別逆で)をしようとして、それに重ねて、あたりが当初の狙いだったのでは。 あ、ミステリとしてはまあまあ。証言は嘘だと対決すればいいのに?というあたりのロジックは素敵。だけど大枠の仕掛けと、殺人などの真相があまり密接に結びついていないので、殺人の真相が「軽く」感じられてしまう。名探偵よりもリン主人公で動くうちにわかってくる、あたりの話で充分だったのでは? |
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| No.27 | 8点 | 皇帝のかぎ煙草入れ- ジョン・ディクスン・カー | 2015/08/16 21:15 |
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| これはやはりクリスティの「死との約束」のオマージュとして書かれた作品なのではなかろうか。
ネタ以外にもいろいろとトリビアルな共通点が多すぎるので、おそらく間違っていないと思う(精神科医が関係者と結婚END。刑務所とか、情けない夫/婚約者が失敗するとか)。まあ、これだけあれば「わざと」だよね。表現者って「他人の作品に関心のない人」と「他人の作品が大好きな人」と二通りあると思うが、カーって明白に「他人の作品が大好きな」マニアタイプの作家だと思う。だからこそ、気に入ったクリスティの「死との約束」をベースにいろいろオリジナリティを追加して、より純化したかたちでこれを書いたのではなかろうか。でお遊び&クリスティに対する通信としてトリビアルな共通点を盛り込んだわけで、それに対するクリスティの反応はというと、どうも「脱帽」の件は資料的な確認ができないらしいんだが、まあこれ伝説でも「ありえた伝説」だからいいじゃないかと思う。 後発の強みもあってその試みは成功していると思う。みんな触れないけど、この作品のストーリー的に一番うまくできているのは、探偵役とヒロインとの恋愛感情が嫌みなく書けている点(ここらへんクリスティのロマンス志向をうまく取り入れているかもね。どうも他のカーの恋愛描写は取ってつけたみたいで嫌いだ)で、カーの個性(笑)ともいうべき中盤の弱さがカバーできている。 読みやすく、良くできており、シンプル...と良い点ばかりが目につく佳作なのでケナす気は毛頭ないのだが、本作がカーの一番人気とは、ちょっとファン気質も変ったのかな。 |
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| No.26 | 7点 | 死との約束- アガサ・クリスティー | 2015/08/16 21:07 |
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| クリスティで一番プライヴェートな作品ではないだろうか。
中期の作品を見ていると、強権的な親に抑圧されていじけた子供たちが頻繁に登場するのに気がつかないだろうか?「ABC殺人事件」「ポアロのクリスマス」「死が最後にやってくる」「ねじれた家」などで繰り返しこのテーマが登場するし、「動く指」でも親とうまくいかない子供がヒロインになるわけで、この傾向の頂点になるのがこの作品だと思う。 この原因は...というと、もちろんクリスティ自身のかかえた問題にあるのだろう。この作品の真相では強権的な親に対するほとんど意趣返しに近い状況が、スポイルされた子供のイノセンスと同時に明らかになる.....これがおそらくクリスティ本人の復讐なのだろう。がこういう「黒さ」がこの作品の妙な魅力と迫力になっているような気もする。ミステリとしては、時間割や箇条書きについてのメタな言及があって、これの裏をかく力技が結構すごい(アクロイドを連想する)。「被害者を呼びに行かせた理由」など良い点がいろいろあって、良くできた作品だと思う。 ABCとか「カーテン」での主題になったように、今でいう「マインドコントロール」にクリスティは強い関心を持っていたようで、この作品では家族に対する被害者のマインドコントロールの他にもう一つのマインドコントロールを持ってくるなど仕掛け充分。今の視点で見ると「尼崎連続変死事件」ってこういう一家なんだろうなぁ... 評者は狙いもあって実は「皇帝のかぎ煙草入れ」と本作を続けて読んだ。やはり「皇帝の~」は本作へのオマージュとしか思えないような共通点が多すぎるが、この点については「皇帝の~」での評ですることにしよう。本サイトで「皇帝の~」の人気がすごいけど、それならもう少しこの作品も注目を集めていいのでは? |
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| No.25 | 4点 | オリエント急行の殺人- アガサ・クリスティー | 2015/08/16 21:01 |
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| この作品を読み直すのはほぼ40年ぶりである...こんな企画をしようと思わなければ、本作を読みなおそうなんて考えなかっただろう、と思うくらいに本作の再読性は悪いんだよね。で実際に読み直した印象は「長い短編」である。とくに戦後のクリスティは小説的な充実度が高まるけども、本作にそういうものを要求してはいけない。
まあこういう真相だと、中盤の各乗客への尋問もあまり意味のある内容がないし、多すぎる乗客の個性を追及もできないし...と、中盤の興趣がかなり削がれている上に、ポアロも急に真相に気がついてしまったりして、真相へ迫る紆余曲折もないんだよね。「長い短編」ってそういうことだ。 でまあ背景がリンドバーグ誘拐事件を下敷きにしているのは有名な話だけど、要するにこれ「アメリカ」がテーマ。で「民族のるつぼ」アメリカなので....というあたりで、単なるエスノジョーク風のステロタイプの展覧会に堕しているあたり、評者に言わせるとクリスティの限界なんだよね。趣向を思いついて無理に書いたのだろうか....リンチとか陪審裁判とかアメリカ的なニュアンスは明白だよね。 まあだからこれは有名作だけどただの「長い短編」。長編作家クリスティの本領発揮というわけではまったくない。 (完全ネタバレ)やはり評者の判断は、どうしても真相に納得がいかない...という点にある。雪の中で停車した静かな列車の中を、大人数がウロウロしているのに、隣室の耳さとい老人であるポアロが全然気が付かないのは不自然だ。部外者が乗っており、かつ雪で停車している想定外の危険な状況なのだから、計画は中止するのが大人の判断ってものでしょう? |
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| No.24 | 9点 | そして誰もいなくなった- アガサ・クリスティー | 2015/08/16 20:51 |
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| みんな大好き大古典をやっつけることにする。まあ、これ「オリエント急行」のペア作品なことは言うまでもない(共通項がすごく多いよ。互いに見知らぬ人々が閉鎖空間に集められるとか、裁判のメタファーとか)のだが、退屈なオリエント急行と違って、生々しい迫力が今でも失せていない。
考えてみれば、これ以外の真相はすべてアンフェアなものしかないんじゃないだろうか。論理的に考えれば真相とかなり高い確率で犯人も指摘できるのでは...と思うが、ほとんどの読者は迫力に呑まれてしまって、犯人推理しようなんて考えるよりも、一刻も早く真相が知りたくてエピローグを読んじゃうと思う。 この迫力の由来を考えてみると、誰もいなくなる不可能興味以上に、サバイバルと謎解きを結び合わせたアイデアにあるのだろう。そういう意味では冒険小説的な興味に近いかもしれない。で、こういうサバイバルと謎解きの結びつき、という面では、実は「そして誰もいなくなった」は「汝は人狼なりや?」に今では転生してしまっているのではと評者は思うのだ。「議論を仕切りたがるキャラの○●は?」とか、経験的な人狼セオリーベースの推論も可能なんだろうね。 というわけで、これは今でも十分生命力のある古典だ。すばらしい。第1章の描写は結構ギリギリで読みようによってはアンフェアかも... |
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| No.23 | 5点 | メソポタミヤの殺人- アガサ・クリスティー | 2015/08/02 01:03 |
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| 中期のクリスティって、強い個性で周囲の人間を操り倒すカリスマ風なキャラを巡る話が多いと思うんだが、これも実はその一つ。
準密室あたりの純ミステリ的興味で語られやすい作品だけど、評者が一番気になったのはそこらへんで、まあこの作品のあとによりエグくこのテーマを扱った(しかも中近東モノもカブる)「死との約束」があったりするので、やはりこれは何となくクリスティも不完全燃焼な作品だったのではなかろうか。 一番興味深いのは最後のエピローグで、手記筆者(看護婦だからクリスティ本人が自分を重ねているよね)が、被害者の印象を自分の叔母に重ねて語る部分があるけども、その叔母のイメージが実はミス・マープルも連想させるところがある...結構トラウマだったんだろうね。 とはいえ、被害者のキャラを理解させるのに読んでいた本を手がかりにするのは悪いアイデア。評者でもさすがに「メセトラに還れ」くらいしか知らないよ(読んでない...)。 Howの部分では実質1ネタでシンプルな構成。ネタがわかれば真相はもうこれしかないような、どっちか言えば短編っぽい内容を被害者キャラ分析で伸ばしたような作品である。犯人に関して説得力がないのは、これはおそらく被害者の恐怖症の描写が中途半端になったせいではなかろうか(ネタバレを恐れたのか?)。恐怖症の内容をうまく設定すれば今風サイコスリラー調の話になったかもね。 いろいろ考えてはいるんだが全体的に「不発」な作品だと思う。中期のいろいろな試行錯誤の作品というあたりの評価でよいのでは? |
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| No.22 | 4点 | ポアロのクリスマス- アガサ・クリスティー | 2015/08/02 00:28 |
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| いろいろと至らないところの多い失敗作だと思う。
1. さすがにメイントリックは発表当時でも法医学的にギリギリくらいじゃないだろうか(時間がたっても...)。ましてや今の読者だと「何でそんなのわかんないの?」になると思う。 2. 犯人指名(というか他の容疑者の排除)が「心理学的探偵法」。けどこれ思い込みとか偏見の部類じゃないの?と言われたらそれまでだと思う。「心理的」とか付いてるとありがたがるのはもう止めにしたいね。 3. あとこれは評者が気がついたことだが、そもそものどを切り裂かれて悲鳴が上がるものだろうか?? 4. クリスマスストーリーとしては、悔い改める息子たちが揃いも揃って小市民的なセコい奴らで、悔い改めてもカタルシスがない....だから「古きよきイングランドのクリスマス」のお国自慢小説みたいなものにしかなってない。 というわけで、実はこれクリスティ本人も心残りが多かったのではなかろうか。ほぼこの作品の人間関係をそのままに採用して、「ねじれた家」が書かれているように思う。そう思うと結構共通点も多い... で「ねじれた家」は上記の反省が結構入っていて、ほぼ狂人に近いシメオン老人に代えて強い個性で子供たちを抑圧するけども、それでも邪悪ではなく魅力もあるアリスタイド老だし、ひねくれる子供たちも類型的な本作よりずっと陰翳が深い。「ねじれた家」は「その後」の家族の再構築に向けてを強く意識しているあたり、クリスティの作家的(というよりも人間的な)進歩が見えるように思う。 一部でバカミス的な扱いを受けていたりとか、意外な犯人の話だけが話題になりがちな作品だけど、そういう読み方って評者はかなり?である。単なる失敗作で、より改善された作品があるんだから、そっちをちゃんと取り上げるべきだと思う。 |
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| No.21 | 7点 | 忘られぬ死- アガサ・クリスティー | 2015/07/22 22:57 |
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| 埋もれた佳作だと思うよ。
話の枠組みを短編「黄色いアイリス」から借りているけど、ミステリとしての力点は全然別だよね。だから、短編の長編化...というのとはちょっと違う気がする。不可能状況を新たに持ち込んで、その解明も鮮やかで、犯人の小細工から来ているものではないあたりに好印象。「三幕の悲劇」と同路線の「毒殺についてのヴァリエーション」という感じである。こういうのにクリスティは佳作が多いけど、今ひとつ地味に倒れるんだよね...あと話の流れ自体が叙述トリックすれすれのミスディレクションじゃないかなぁ。そういう面をみんな指摘しないのなんでだろ。 で若干の?だが、これってベタに書くと、死者の霊が帰ってくると信じられる万霊節の夜に、亡き妻の死の真相を探るための再現の会食があって、しまいには幽霊も...という話だから、本当はホラーっぽいネタなんだよね。この手のオカルト趣味はクリスティは苦手なんだろう(カーじゃないし)。 第1篇でのある人間関係が晩年の某作の関係と同じだから「あれ?」と思って見てたらやっぱりそれが本線だったね....うん、これはっきりと評者好み。 |
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| No.20 | 8点 | 三幕の殺人- アガサ・クリスティー | 2015/07/12 19:38 |
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| この作品は創元は西脇順三郎訳でずっと評者は親しんできたけど、今回はハヤカワの旧訳:田村隆一訳で読むことにした。大詩人対決である。「三幕の悲劇」(創元:米版)と「三幕の殺人」(ハヤカワ:英版)で若干動機が違う...というお楽しみ付きである。
田村訳は実は初翻訳だったようで、はっきり下手である。西脇訳はミステリ翻訳の少ない人だが、英語で書いた詩をイギリスでいきなり出版して褒められた..という凄い経歴もあるわけで、田村訳と比較してホント上手。テニスンの引用の訳とかちょっと貫禄が違う。 で、ミステリとしての内容だが、例の双子的作品と比較すると、勢いで書いたようなあっちよりも、評者はきめ細かいこっちの方がずっと好きだ。何がイイって、煎じ詰めるとこっちが「全部毒殺」なことである。毒殺ってわざわざ物理的に殺しにいくよりもずっとリスクが低いわけだし、こういうネタは毒殺ならではのものじゃないかな。「三幕」の場合は特に1幕の謎が毒殺という手段と密接に結びついているのがいい。2幕は弱点と取られるかもしれない部分を、洒落で逃げれているあたり豪腕かもしれないが上手なもんだ。で、3幕は本当に毒殺ならでのはの設定で感服する(それでも手紙はないほうがいいな)。どっちか言うとハヤカワの方が動機にムリがないけど、こっちはいくつか伏線を潰しているから、やはり動機のマズさには目をつぶって創元の方がオススメである。 というわけで評者は何で双子作品が代表作扱いされて、こっちがアンフェアとかいわれるのかわかんないや。こっちの方がずっと洗練されて洒落ている。まあ、理由はというとみんなわかりやすいベタが好き、ということに尽きるんだがね。 サタスウェイト氏再登場について。ラストでポアロがサタスウェイト氏が「演劇効果に目を奪われすぎだ...」というような批評をするけど、実は評者はポアロとサタスウェイト氏って同種のキャラのように感じる。特に晩年ポアロの方がどんどんサタスウェイト氏っぽくなっていくし、クリスティの大きな弱点として「メタ推理が通用しすぎる」ことがあるわけだが、これって要するにまさにその「演劇効果重視」の結果だよ。自己宣伝についての言い訳をしているのはそこらのアヤかもよ。まあ今回はこれで「引っ込みを選ぶことに」します。名セリフだと思うけど英版にしかないのが残念。 |
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| No.19 | 8点 | 高木家の惨劇- 角田喜久雄 | 2015/07/05 22:04 |
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| 実は再読したときに非常に気に入って、思わず角田喜久雄のミステリから時代小説までいろいろ読み漁った経歴がある作品。
どこが、というと実は犯人像なんだよね。ミステリの犯人というと、いろいろと策謀し、仕掛け、手数を弄し...というものなんだけど、この犯人はほとんど何もしないんだ。周囲が全部いろいろとやっていることをうまく利用して最小限のアクションで、絶大なる効果を収めているわけだ。...かっこいい、でしょ。今風に言えば決定力抜群、ということか。 それから時計が動き出して、関係者全員がソレを知り、「時が動き出した..」と待ち構えるその時間というのが、実に演劇的だなと感心したわけである。本当に芝居に仕組みたいくらいの詩的な瞬間だと思う。 とはいえ、ミステリだと角田作品の他のものは、高木家の佳さには遠く及ばない。時代小説がやはり、高木家同様に、いくつもの勢力が相互に角逐や協力をしあいながらプロットが錯綜していく...というのがお得意パターンのようで、要するに時代小説でのやり口をミステリに応用した、というのがこの作品のキモの部分のようだ。だから高木家を読んだら「奇蹟のボレロ」を読むよりも、「髑髏銭」とか「妖棋伝」とか「風雲将棋谷」とか読んだほうが楽しめると思うよ。 |
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| No.18 | 6点 | ABC殺人事件- アガサ・クリスティー | 2015/07/05 19:45 |
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| これはやはり「三幕の悲劇」と対比しないわけにはいかない作品なんだろう。ミステリとしてはやはり圧倒的に「三幕」の完成度が高いために、評者的にはこっちのがスピンオフみたいな印象を受けてしまう...
しかし、一般知名度は全然逆だよね。「ABC」は代表作扱いされるにも関わらず「三幕」は...というのは、そりゃ「三幕」が名うての地味作品だから、というのは、ある。とはいえ「ABC」はキャッチーを狙って書いて(初出が雑誌掲載だから、連載だったのか?)ウケた作品だというのが真相だろう。実際読んでいて、時代劇を思わせるベタさだよねこれ。名探偵大活躍な「探偵小説を読みたい」読者に提供された「お望みどおりの商品」という感じのモノだ。ヘイスティングスの今更な再登場も、ホームズ=ワトソン軸を狙った意図的なベタなのかもよ? まあそこらがクリスティという一筋縄でいかない大衆作家のフトコロ深さでもあるわけで、一概にベタさを否定するわけにもいかないだろう。「ABCパターン」という言葉があるだけでも大勝利というものだ。 そういやCの殺人の舞台であるチャールストンとかトーキーってあたり、クリスティ本人の出身地だ... あまり感傷みたいなものはないようだね。 |
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| No.17 | 1点 | ブラウン神父の童心- G・K・チェスタトン | 2015/06/28 21:42 |
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| これは「厄介な古典」である。
何度読んだかわからないくらいに読んでいるのだが、この作品が時評的と言っていいくらいに社会批評の成分が多いことに今回気がついている。たとえば「見えない人」で家事ロボットが登場するあたり、チャペックのロボット(R.U.R)を先取りするのと同時に、労働問題という主題を共有する。だからこそ「心理的に見えない人」は「見えない階級」でありとある職業人だ、ということになるのである...「正統とは何か」の簡潔な要約にして自然神学のパロディ「青い十字架」、スーツという服装を巡る階級闘争(主人の流行が召使にお下がりのかたちで波及し、主人は召使と差別化するために新しい流行を作り出す..)「奇妙な足音」、真正面からのイギリス帝国主義批判「折れた剣」などなど、20世紀初頭のイギリスの社会・世相・思想をあらゆるジャンルを横断して、この短編集はチェスタトン一流の逆説によって「斬って」いるわけだ。 しかし、このような内容は現在では読んでいてもほとんど理解されないだろう。それは読者の時代とチェスタトンのそれとが、もはや大きく隔たり、世相も違えば社会問題にも共通性がなくなり、さらに「教養」すらも末代のワレワレは共有できなくなってきているのだ。「形而上学がどうの」は、そのような問題がもはや共有できない(日本とイギリスの違いもあるし)ための韜晦以外の何者でもない。 だからこそこの作品の「誇り」とは「奇妙な庭」の終幕で見せる一つのデスマスクだ。「自殺者の顔には、カルタゴ必滅をさけんだ勇将カトーの誇りがにじみ出ていた」。このチェスタトンの誇りに対し、評者は愛と敬意と評者なりの逆説を込めて、最低点をつける。これは末代無智なワレワレに対する罰点である。 |
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| No.16 | 10点 | 木曜の男- G・K・チェスタトン | 2015/06/21 17:22 |
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| 神様と会ってしまった人々の話。
こういうのどうやってこういうサイトで採点しろと言うのだろう? チェスタトンはブラウン神父も含め、著作を開始する支点としてミステリの形式を借りているだけで、黒死館とかドグラマグラと同様に、ミステリでない彼方へジャンプしてしまっている.... しかし改めて読むと実は結構これ中二病な解釈ができる(まあセカイ系だよね)。アニメ化希望。要するに「serial experiments lain」こそが「木曜の男」の真っ当な後継者である。ここらへんがこの作品の真の生命力であり、古くなる要素がいろいろあるブラウン神父よりも長生きするかもしれない....そういうあたりを含めてこれは普遍的(カソリックってそういう意味だ)。 月並みでない小説を求める読者ならば必読。 あと個人的にはチェスタトンの描写の「絵心」が素晴らしい。男性作家には珍しいことだが服装描写も具体的。本当に視覚的な人間だと思う.... |
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| No.15 | 3点 | ホロー荘の殺人- アガサ・クリスティー | 2015/06/15 23:06 |
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| 「文学的だ!」というので一部で評価が高いようだけど、その「ブンガクテキ」という奴が評者のソレと互換性がないみたいでどうにも困る.....
実は平行して「ブラウン神父の童心」を久々に再読していてて、ホロー荘のシチュエーションは「飛ぶ星」に似ているんだけども、ブルジョア家庭の遊びごとの描写を通じて社会批評をやってるあっちと比較したら、タダのメロドラマだよねこれ。ケナすつもりはないが、クリスティだとインテリとは呼べないバックグラウンドだから、「ブンガク」とかリキを入れるとどうしてもこんな因習的なものにしかならないよ。クリスティが書いた本当に優れた文学っていうと、こういう気取りを離れた晩年の「終りなき夜に生れつく」だと思う。 でまあミステリとして面白ければいいんだけど、実は評者はこの真相を一種のバカミスだと思うんだ。喜劇を生真面目につまらなくやっている印象といえばいいかな。なおかつ、手がかりらしい手がかりもなくて、何か心理洞察だけ(言いかえれば作者が入れて置いたものをそのまま取り出すだけ)で、真相解明しちゃうわけで、ポアロがいる必要性もゼロだわな。これだったら最初から犯人サイドでの倒叙で書いたほうが絶対面白いと思う...「熱海殺人事件」みたいなニュアンスになるかもよ。 ちょっと気がついた疑問点だが、拳銃の小細工が判明したら、衝動的な殺人じゃなくて計画犯罪だということが周囲にバレるわけだけど、それでもかばってもらえるのかな? 犯人の計画が二兎を追いすぎて矛盾しているように思うんだがどうだろう?? だからこれ、ミステリとしての脆弱な内容を「ブンガク」のレッテルでごまかしただけの作品としか評者は思えないです。こういう「騙しのテクニック」は願いさげだなぁ。 |
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| No.14 | 6点 | 動く指- アガサ・クリスティー | 2015/06/07 21:55 |
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| ステロタイプをまったく使わない大衆小説というものはありえないが、ミステリの場合には「ステロタイプを使いつつそれを裏切る瞬間があってこそ」だとは言えると思う。
この作品では結構いろいろのジェンダーがらみのステロタイプがネタとして使われている(「女の方がオトコよりずっと辛辣な悪口を言う」とか「セックスアピールのない女性」とかね)が大きなネタとして扱われていて、フェミっぽい分析だってやれそうな感じだね。まあ便利なステロタイプは、それが時流から外れたら最後「偏見」して非難させて終わりなんだが、さすがにクリスティはそれを結果としてズラした使い方をしていて、まあ何とか現在でもセーフかなぁ。 「馬みたい」とさえ評された不思議ちゃんミーガンのシンデレラストーリーとか、結構萌え視点で楽しんでもいい(不思議ちゃん讃な傾向がクリスティにはあるでしょ...そういえば「ABC」のミーガンも似たタイプ)とは思うが、実はこれ、こういう筋立てのゆえか、本当はゴシックロマンスの骨格を持っている(だから今作のマープルはタダに脇役だ)ことがバレるというリスクもある....別なレベルでのステロタイプに回収される想定外な結果だね。 男性ミステリマニアだとこういう読みは完全スルーになりがちだろうね。クリスティは女性なことをお忘れなく。 |
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| No.13 | 7点 | アクロイド殺し- アガサ・クリスティー | 2015/05/27 23:18 |
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| 皆さん大好きな古典だね、やりにくいな。まあ古典というものは、それ自体の評価と、それが受容されてきた歴史的評価と両方を相手にしなきゃいけないから面倒なんだが...
やはりハヤカワの今の版の笠井解説が一番まともな批評になっているようには思うが、評者に言わせるとこれは、「ワトソン犯人」であるどころか「ワトソン犯人を全力で回避した作品」だと思う。結果としては同じようなことかもしれないが、いろいろとワトソン犯人ではない作為をクリスティは仕掛けているわけなので、それを中心に論じたいと思う。 そのポイントとして、「犯人以外の人物による偽証がある場合、どこまでパズラーはフェアか?」という問題があるように評者は感じている。犯人(まあ共犯者も含めてだが)が偽証するのは仕方がないが、それ以外の人間の別な利害によるウソを疑わなくてはならないのならば、その嘘つきさんの証言を他の証言とつき合わせて論理的に嘘を見破る別な手間が必要になるわけで、パズラーとしてのシンプルさを大いに傷つける結果になるように感じてる。だから、本作が本当に推理可能になるのは第19章が終わってから、であるし、またこれが「一関係者の手記」であることが明らかになる第23章で、読者の推理は締め切りだ。だから19章からバタバタと隠された事実が明らかになってくる展開は、最後にワトソン的な見せ掛けの一人称小説は嘘っぱちで実はタダの手記だ...と明らかにするあたりの構成から逆算されたものなのではと思う。 というか、横溝正史の某作のように「手記の筆者だからこそ、一番怪しくてしょうがない...」というような逆の結果を生みかねないのがこのトリックなのだから、本当は「手記の筆者が犯人」なんていうのはそもそも良いアイデアなんかじゃないんだよね。それゆえ、アクロイドの創意のすべては第23章の「ワトソン犯人の回避」にかかっている、と結論してもよいと考える。 しかしね、別なアンフェアさがあることも指摘したいな。それは第一発見者が医師で犯人ならば、実は死亡推定時刻は盛りたい放題だ、ということである。どうもクリスティ本人この点に気付いているようで、「犯行は発見時から30分以前」という、一番重要な上限を設定しない(かなり不自然な)書き方しかしていないし、検屍審問の証言も回避している。まあここで「発見時から30分~60分前」とか盛っちゃうとさすがにアンフェア度が上がりすぎる...と懸念したんだろうね。医者設定はやめたほうがよかった気がする。 結論めいた言い方をすると、この作品は今更に「意外な犯人でびっくりしましたぁ」とか「こんなのアンフェアだ!」とか読むんじゃなくて、このように「時間」の話が重要なのだから、犯行推定時刻がどんどんと繰り上がっていくあたりに、スリルを感じるというような読み方を本当はすべきなんだろうね。そういうのが「今更に古典を読む」読み方かもしれないよ。 |
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| No.12 | 3点 | 運命の裏木戸- アガサ・クリスティー | 2015/04/15 23:43 |
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| クリスティ本人は結構愛着があるようだけど、トミー&タペンスってこうしてみると(このサイトでも)不人気だなぁ。
まあ、スパイスリラー作家としてはどう見ても、クリスティは旧弊な作家でしかないんだけど、この作品はどうも最後まで焦点がちゃんと絞りきれずに何となく終わっちゃう...という「らしからぬ」駄作。過去に「何があったか(ワットダニット)」をベースに進む、最晩年らしいネタなんだが、どうもイメージが曖昧で真相もピリっとしない。 けどよく考えれば、スパイ小説って実は「真相がはっきりしないままで終わってもオッケー」なジャンルなんだよね。真相がはっきりしないことで、圧倒的な徒労感とか不条理感とかを読者が食らうんだったら、それはそれで傑作になるかもしれない(「ベルリンの葬送」とか「インターコムの陰謀」とか)。まあそんなことクリスティに要求するのがムリというものの、ね。 実は評者が面食らったのは、この作品なぜかヴァーグナーに関する言及が多いこと。あれクリスティ晩年にワグネリアンになったのかしら?(失礼、そういえば「フランクフルトへの乗客」が妙なヴァーグナー中毒をしているね。あと「クィン氏」でもイゾルデがどうこう言ってる箇所がある..まあ、トーゼンのキョーヨーの世代だ) |
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| No.11 | 6点 | 茶色の服の男- アガサ・クリスティー | 2015/04/06 22:29 |
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| これクリスティのラノベだね。ユーモア冒険小説といったところ。
だからイマドキの話、萌えを中心に語った方がいいんじゃなかろうか。 チョイ悪なオヤジは脚フェチで、ヒロインを口説いちゃうが、最後まで憎めない奴だし、スカーフェイスのイケメンと、諜報部所属の渋めの黒髪(かどうかは描写がない。少佐だとお誂え向きだが大佐)に思われて....ジェイムズくん風秘書とか女装っ子だって登場しちゃうぞ。 ヒロインは冒険に恋する無鉄砲。陽性で語り口も魅力的。けどこのヒロイン、実は設定年齢は20才過ぎだろうね...意外に高い。で本当にオドロキなことは、これを書いたときクリスティ自身34歳...若いというか、何と言うか。まあ肩の凝らないファンタジーくらいの感じで楽しく読めればそれでOK。それでも船を下りるまでが楽しすぎで上陸後はちょっと失速するように感じる。 あと一言。どうも某トリックの先駆け?なんていう説があるようだけど、評者に言わせると、アクロイドの笠井潔の解説のように、ワトソン=犯人と手記の筆者=犯人とは明確に区別した方がいいように思う。 |
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| No.10 | 10点 | 終りなき夜に生れつく- アガサ・クリスティー | 2015/04/05 21:30 |
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| クリスティの最高傑作! 「オリエント」どころか「アクロイド」も「そして誰も」さえも凌駕する犯罪小説の本当の古典はこれだと思うよ。
これはクリスティ本人が本当に書きたかったんだろうな...と思わせるくらいに各シーンが印象的。まあ、ほぼ同プロットのスケッチのような短編があるのと、初期の短編で夢の家に関する印象的な短編があるわけで、たぶん「いつか必ず書きたい!」と念願にしていた内容ではないだろうか。 この作品の凄みは、「ロマンチックな恋愛」と「私利私欲の犯罪」とが同一人物の中で両立することができる...というのを描ききったことである。このテーマのために、よく指摘される例のトリックがあるわけだ。例の作品なんて、タダのダマしのテクニックに使っただけだから、この作品のようにプロットの必然として出てきたものではない。だからこそ、評者はこれをクリスティのベストワンに強く押す。 けど本当にどの登場人物も魅力がある(賛嘆!)。個人的には主人公と母との微妙な関係が心に痛い。そしてエリー。主人公はエリーを愛していたのは本当に間違いないことなのだ。しかし、というあたりがこの作品を最高の犯罪小説にしている。 付記:そういえばポアロ登場の中期の某人気作と、本作の真相はウリ二つなんだよね(例の作品の話ではない)。その中期の人気作のドラマ性に対するこだわりが、本作に結実したのかもしれない。併せて読むといいかも。 |
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| No.9 | 9点 | ねじれた家- アガサ・クリスティー | 2015/04/05 21:12 |
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| 評者はこの作品傑作だと思う。が、何か評判悪いなぁ。なのでこの作品の「本当に凄いポイント」を教えて進ぜよう。
この作品の犯人が誰か、というのを、実は読者の代理人である主人公以外の多くの家族・関係者がうすうす気がついている...という点なんだね。エピローグで主人公の父の副総監さえ、そう感じていた旨を告白していたりする。ただし、ある意味都合の悪い犯人であるために、一番「都合のいい」人を生贄の羊として差し出してしまい、誰も責任を取らないのでは...というような展開になりかけるところで、自己犠牲的な行動による破局が訪れるという結果に終わるわけだ。 引き合いに出されがちな某作品は基本的に「意外な犯人でしたね~~びっくりしました」で済まされるタンテイ小説(部外者の名タンテイ様が「裁くのは俺だ」までやっちゃう...おいおい)に過ぎないのだが、「ねじれた家」の場合は、当事者ではない名探偵ゴトキが安易に解決することはできない、家族の悲劇と再生の物語というあたりの作品なんだよね。 殺人、という事件のために、あらゆる状態が凍りつくなかで、ヒロインは家長の重みを背負わざるを得なくなるし、主人公との恋愛の行方も定かにはならなくなってくる...というあたりのドラマの妙を楽しむといい。全体にすべての登場人物にクセが強いんだけど、読み終わると妙に悲しみを感じるようなあたりが小説としてナイス。 付記:これって実は「ポアロのクリスマス」の書き直しのように思う...威圧的な親のイメージとクリスティ本人が折り合いを付けれるようになったあたりが、この作品の一番よいところなのではなかろうか... |
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