皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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クリスティ再読さん |
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| 平均点: 6.39点 | 書評数: 1508件 |
| No.108 | 5点 | 占星術殺人事件- 島田荘司 | 2016/07/19 22:36 |
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| さて当サイトで絶大な人気の作品だなこれは。評者本作は80年代中ごろに講談社ノベルズ版で読んでいる。だから当時の話題作ではあったけど、今みたいに本作のトリックが俗化していない時期だが、そういう頃に読んで若干モヤモヤした作品である。ようやくこのことが書けるな、単純にうれしい。
長編パズラーってのは評者は「なぞなぞ」ではなくて「パズル」であって欲しいと思っているんだ。この区別は情報論的なものだ、なんていうとかっこいいのだが、違いは「なぞなぞ」は最初にすべての手がかりが全部でそろっている状態だけど、「パズル」は不完全な情報が時系列でいくつも提示されて、それを正しい組み合わせで見たときに初めて解けるような問題だ、と仮に定義したい。本作だと竹越手記は単に「how」を提供して縛りを緩める働きしかないし、京都行きとその結末となる変造札に至っては本当に単に名探偵へのきっかけづくり程度のもので、何か情報を提供したものではない(請われて与えるヒントみたいなもの)だから、無くても全然困らない...というわけで、長編パズラーとして長さの必然性を感じないんだよね。つまり、事件のアウトラインを説明されたところで、名探偵らしくサクっと種明かししてもミステリとしては全然問題ない(が小説家としては困るだろうね)。まあこういう作品というと「オリエント急行」があるけど、あれだと終盤おもむろにポアロが目をつぶって考えると真相がわかっちゃう...申し訳ないが評者はこういうの安易に感じてイヤだな。 であと、ネタがわかったあとでの具体的な犯人指摘のロジックは評者は混乱してるようにしか思えないや。初めて読んだ時に、評者は真犯人の身の上のベタさがイヤなこともあって、いろいろ考察したんだけども、穴の深さと状態からのロジックは、真相が唯一の解釈であるとまでは言えないように思う。まあ同様の真相の唯一性のなさは密室トリックにも言えることではあるけどね。 あと細かい事言うと、昭和11年2月26日は、2月23日の記録的豪雪の後で、ぐちゃぐちゃになった汚い雪の上に新しい雪が積もったような状態だったらしい。有名な日の天気だし、ツッコまれるのを想定してなかったかなぁ。まあ、総じて梅沢手記は戦前の人の文章にも見えないし、狂気も感じない。地理感覚も戦後の人のものだよね...ここらは小説としての詰めの甘さのように感じる。 ま、とはいえマンガの探偵もののネタに使われるくらい有名になったら勝ちかもしれんけど、どっちかいうとそういうポピュラリティって「なぞなぞ」の明快さから来るものだということは否定できない。評点は小説として3点にトリックのオリジナリティで+2点する。 |
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| No.107 | 7点 | タイタス・クロウの事件簿- ブライアン・ラムレイ | 2016/07/19 22:29 |
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| 評者一時クトゥルフ神話にはハマって、青心社あたりまで手をだしていろいろ読んだんだが、結局ラヴクラフト周辺くらいまでしか嗜好が合わなかったな。評者はどうもファンアートっぽい甘えが体質的に嫌いなんだよね。本サイトだと一応ラヴクラフトの創元の全集の評はあるんだけど、それに書く...のはちょっと本旨が違う気もする。なので、クトゥルフでミステリな作品があれば?と見渡すんだがあるんだよね。これがまあそう。
ラヴクラフトだと「恐怖」がメインなので、最終的に真相を知った主人公は惨殺体で発見されました...というオチ以外では終わらせれないわけだ。だから真相を解明して名声をあげる名探偵なんてものはそもそも不可能だけど、ホームズファンのダーレスを経てオカルト・アクション物の設定みたいなものになっちゃうと、オカルト探偵のバリエーションでクトゥルフ名探偵が成立する。ここで上手くやったのが本作のタイタス・クロウで、ホームズ風のキャラ小説としてうまく成立している。 とはいえ、オカルト探偵として成立しているのは本短編集と最初の長編「地を穿つ魔」くらいのもので、「タイタス・クロウの帰還」ともなるとSFスーパーヒーロー化しちゃって本サイトの守備範囲からは大幅にズレることになる。まあなので期間限定名探偵なんだけども、ラヴクラフトより後のクトゥルフが本質的にガジェット小説になってることと、ホームズに範を取った名探偵小説とは、意外なほどに相性がいい。まあホームズってガジェット小説の元祖でもあるわけなんだよね...というわけで、クトゥルフ+ホームズなタイタス・クロウの、犯罪者もとい魔道師相手の知的闘争という格好の本短編集、出来不出来はあってもそれなりにそれぞれ面白い。というのも、小説としての出来が今一つな短いものほど、ガジェット性が強く出ていて「そういう発想なんだよね」というのが納得できる利点もある。で、作家としてうまくなったあとの長めの作品、「妖蛆の王」とか「名数秘法」とか充分楽しめる作品である。とくに「名数秘法」とかホィートリー風の国際スパイ色までついているわけで、ある意味ホィートリーとかブラックバーン(そういやウルトラQぽさも共通する...)の後継者みたいなものかもしれないね。 |
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| No.106 | 5点 | 愛の旋律- アガサ・クリスティー | 2016/07/19 22:21 |
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| クリスティの登場人物というと、表層と真相のダブルミーニングからくる作品的な「仕様」によって、アクションがかなり厳格にコントロールされているあたりが大きな特徴でもあり制限でもあるわけだが、初期を中心にたまにはキャラだけ作って行き当たりばったりな活動をすることもないわけではないようだ。ミステリだと「チムニーズ館」とか「牧師館の殺人」とかそういう「ゆるさ」を感じるんだが、本作は非ミステリでウェストマコットでは評者初遭遇のそういう感じのもの。なので、めまぐるしく起きる事件に行き当たりばったりに登場人物が反応しているような小説である。伏線を敷いてるくせにあえてぶった切るような突発事件が連続するので読んでて?となることが多い。当初ヒロインかな、と思われたジョーが早々とフェイドアウトして、サブヒロイン型のネルが結局メインヒロインになり、あとで投入されたっぽいジェーンは結局ネルに少しも勝ててない....で、問題は勝者のネルがどっちかいうとクリスティがイライラした書き方をしがちな他人依存型のキャラであり、女性の嫌らしさ満開なタイプであることだね。
でしかも、ヒーローであるヴァーノンが魅力薄。あれもこれも欲しがるタイプだ、とジェーンに非難されるがその通り。天才作曲家にちょいと見えない....まあそれでもジャーナリスティックではあるが、1920年代あたりの音楽状況はわりと押さえれてはいるようだ。要するにショスタコの交響曲2番みたいなものでしょう、冒頭のアレは。けど、オペラみたいなものにしてしまうと、バレエリュスの二番煎じで、フランス6人組+バレエ・スエドくらいでモダンだけどちょっとお安い感じになるのはどうしようもないね。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」の罠にかかっている。 ウェストマコットの6作でも正直言って一番期待してなかった作品なのでいいんだが、まあ駄作の部類。マイヤーホルトって誰だよ(苦笑)。あ、あといいとこはネルの赤十字見習い看護婦奉仕の描写が、クリスティ実体験に即していて面白い。けどこれがあるからネルへの矛先が鈍ったのかもね。 |
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| No.105 | 9点 | 冷血- トルーマン・カポーティ | 2016/07/04 20:14 |
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| フクワレをやった以上本作しないとまずいので書くけど、これは究極の犯罪小説じゃないかな。カンザスで実際に起きた農家一家皆殺し事件を、極めて精緻に再構成した小説だが、本作はジャーナリスティックな「ノンフィクション」の正反対の作品である。スーパーリアリズムってタイプの絵画がある。要するに写真から精密に起こして描く絵なんだけど、スーパーリアルってのは写真を超えてしまう。写真は厳密には1か所にしかピントは合わないのだけど、スーパーリアルは画面のあらゆる箇所のピントが合っている、ありえない絵なのだ。本作の描写ってのはそういうタイプの「すべてにピントの合った、ありえない」描写だ。あまりにリアルなため、幻惑を覚えるような、ハイパーな知覚の産物である。これと比較すると、小説家の想像力なんてものが、ちゃちでちんけなものにしか感じられなくなるといった体の作品だ。
例えば血みどろの一家皆殺し事件のあと、誰もいなくなった家を友人有志が片付けて掃除する場面がある。一体どんな作家がこういうシーンを考え付けただろう?具体的な描写の密度と「重さ」によって作品がきしんでいるかのようにさえ感じる... 犯人は最初から登場しているので明白なのだが、それでも具体的な犯行詳細と動機は、逮捕まで意図的にブランクにされている。なので、ミステリとしてはホワイダニットとして読める。作者のカポーティはこの犯人の一人に極めて強く感情移入したようで、最終的に明らかになる犯人たちの力関係みたいなものが極めてユニーク。フクワレみたいな謎を謎のままほっておくタイプではなくてトコトン分析的である。 タイトル「冷血」はもちろん犯行の冷血さを示しているが、本作の偏執的な客観描写も非情で「冷血」極まりないものだと見ることもできよう。こういう「冷血」さが本来の「ハードボイルド」の概念とも通じあるのでは...とも評者は思う。本作は究極に残酷なハードボイルドなのかもしれない。 |
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| No.104 | 7点 | 暗い抱擁- アガサ・クリスティー | 2016/06/27 21:57 |
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| 評者のウェストマコット2冊目。本作の面白味は、物語の中心人物であるジョン・ゲイブリエルが典型的な「クリスティの犯人キャラ」なことである。妙に率直なストレートさで見る人を欺くタイプでそこらへん女性にモテるところ。なので、本作は「クリスティの犯人がもし犯罪を犯さなかったら?」という思考実験みたいな作品であろう。
もちろん犯人っぽいキャラなので、周りを半ばダマしながら議員に保守党から立候補して、紆余曲折ありながらも当選するなどという完全犯罪をやってのける(苦笑、もちろん党への忠誠心とかゼロである)。本当にワルい奴なんだが、魅力もあるのは事実。一般に男性キャラのうまくないクリスティだが、ワイルドさとアタマの両方を備えた出色の好キャラだと思う。対するは植物的な雰囲気だが本当の意味での貴族であるイザベラ。で..天敵?とも思われるこの二人の間で何と「嵐が丘」しちゃうというびっくり展開になる。 まあクリスティっていうと、とくにポアロ物は嫌々書いてた...なんて話があるくらいで、本作とか読むと、ミステリを書いてて溜まったフラストレーションを、小説家本能に即して解放している、といった印象を受ける。ちょっとクリスティの舞台裏を覗いたような気になるな。というわけで、本作読むと、ミステリの二線級作品を読むよりも、よりよくクリスティのことが理解できるようになると思う。 |
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| No.103 | 5点 | かわいい女- レイモンド・チャンドラー | 2016/06/27 21:32 |
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| みんなあまり指摘しないことだが、マーロウの自宅のユッカ街って、地図で見ると実はハリウッドのど真ん中である。だから、マーロウが映画業界の事件にあまり絡まないのは、エンタメのネタの問題として本当はすごく不思議なことなんだよね。で本作は唯一の映画業界が絡む作品である。強引にプロデューサーの元に押しかけて押し売りまがいなやり口で雇われて、女優×2と絡む。けど本当にそれだけ。ここらへんなぜか腰砕けである。
金のかかる人間ばかり揃っている。そういう人間に、欲しがるだけ、金をやる。なぜだろう。理屈はない。ただ、そういうしきたりなのだ。彼らが何をしようとかわまん。 この映画会社社長の伝で言えば、本人は馴染めなかったようだけども、ヒッチやワイルダーと仕事をした脚本家チャンドラーの仕事ってイイ線を行っていたようにも思うのだ。ハリウッド全盛期のライターはかなりの高給取りのわけで、それこそ「欲しがるだけ、金を」もらえるような立場に近いわけだ... 妄想をたくましくすれば、ドロレスが黒い服を着ているのは、本作の2年前に起きた猟奇殺人事件であるブラック・ダリア事件への連想を誘う演出かも。全盛期のハリウッドとは金と退廃の現代の魔都バビロンである。本作は生粋のハリウッドの土地っ子のケネス・アンガーが蒐集したアングラなゴシップを集成した奇書「ハリウッド・バビロン」によって補完されるべき作品なのかもしれないね。 |
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| No.102 | 4点 | ブラック・コーヒー- アガサ・クリスティー | 2016/06/12 01:05 |
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| クリスティのオリジナル戯曲である。一応小説版(チャールズ・オズボーン小説化)があるので、それも併せて評する。
要するにこの戯曲は、「ミステリ劇」であって、戯曲形式のパズラーではないからね。実はト書きのアクションの中で、犯人が誰かはバレてる。まあこれ俳優へのアクション指示のかたちで、「演劇のパズラー」としてフェアであろうとしたのかもしれないが、演出で強調しなければ誰も気が付かないだろう...それが狙い、かな。 で、実際この戯曲は芝居のいろいろな仕掛けをミステリの見地でうまく使ってやろう、という意図が結構見える。たとえば窃盗犯に返却の機会を与えるために、1分ほどの暗転(だんまり)があるとか、この直後に扉が開いてポアロが登場するとか、カレリ博士の毒薬紹介(ミュージカルなら「毒薬の歌」とか上出来なホラーコミックソングを歌いそうだ..毒薬の女王クリスティ!)とか、犯人に対する罠のシーンとか、舞台効果満点で面白いギミックが多いんだよね。だからこういう狙いの舞台ヅラを想像しながら読むのが本当なのであって、紙の上でのミステリとして読んじゃったら、ここらが全然不発になってしまい退屈だと思う。そういう読み方をすること自体が間違いじゃないかな。あくまで舞台の上で映えて意味があるような戯曲であり仕掛けだと思うよ。 なので、小説化は×。ト書きを地の文に考えもなく移行しているので、本当に犯人がバレてる。またオズボーンの文体の客観性が結構高いので、クリスティを読み慣れてると違和感が強い。クリスティは客観描写をあまり細かくせずに、ほとんどセリフorキャラ視点での主観的な観察で小説を組み立てている傾向が強いので、クリスティらしさが出てないなぁ。そもそもヘイスティングス登場作なんだから、原典に準じてヘイ一人称で書いてもよかったのかもね。あと、室内劇なので当たり前だけどセット1杯で変わりようがないから仕方ないんだが、これが小説となると、当然別室に移動して...になるのがそうならないので、とっても不自然。 というわけで、評価は、戯曲は「あくまで上演のための台本」だと思って読めばオッケーで5点程度。小説は...なんでこんなの準公式作品扱いするんだろうね、で3点として、平均で4点。 |
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| No.101 | 8点 | オイディプスの刃- 赤江瀑 | 2016/06/12 00:32 |
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| 7・8年前、赤江瀑にはハマって最終的に全作の半分程度は読んだことになる。まあこの人、ミステリから明白に地続きなところに領域があるわけだが、ミステリかというとかなり怪しい。宿命や情念・妄想はあるが、超常現象はほとんどないので、怪奇・幻想小説にもならないし、およそジャンル分けしづらいタイプの作家の上に、本質的に短編作家である。長編はとりとめない感じになるか、「長い短編」でしかなくて長編小説を読んだボリューム感に欠けるか...で、これといった名作はない(それでも長編は本作か「ガラ」か「上空の城」あたりがイイと思う)。中井英夫とか戸川昌子が持ち味の近い作家だが、これらの人だと「誰がどう見てもミステリ」な長編代表作があるから何やかんやと論評しやすいのだけども、赤江瀑にはそういう便利な作品はない...いろいろな出版社から「名作選」のかたちで無秩序に本が出てた....がそれらも品切れ絶版のようで今現役の本はなさそうだ。うん、本当に本サイトで扱いづらい作家だなぁ。
それでも本作は角川小説賞を受賞した出世作のこともあって、知名度はイチバンだろう。映画化されてる(なぜか評者の大リスペクトのカメラマン、成島東一郎が監督してる..)。ただ、文章はいかにも若くてちょっと苦笑するところもある。撥音で終わるのは小池一夫みたいで70年代後半だっ。で、本作のイイところ、というのはこういうところ。 母は、一本の日本刀を、香水に表現しようとしていたのだ。香水で、一本の日本刀を、つかまえようとしていたのだ。 香水と日本刀が等価になるような、こういう想像力(シュールな奇想の部類だ)の切れ味なんだよね(刀のかたちをした香水の瓶で切腹する..おいおい)。で香水でも日本刀でも、かなりマニアックな分野になるわけだけど、ここらへんのマニアックなネタをうまく使ったハッタリの良さ(他の小説だと、バレエありサーカスあり能楽・歌舞伎・陶芸・灯篭・造園 etc,etc..)とどこまで知識があるのか不思議なくらいのもので、まあハッタリも作家の実力のうちだから野暮はいいたくない。あと、今市子がエッセイ漫画で描いてたが、耽美小説として読む人も多いようだ。本作主人公もゲイバーのマスターだし、研師に対する執着はそういうことだしね... まあというわけで本作の評価は本当はオオマケして7点なんだけど、評者が大好きな本当にイイ短編の分を1点プラスしてる。この人の傑作短編は、本来の短編集はとっくの昔に軒並み絶版だから、乱歩みたいに短編個別で立てるしかないが、まあそこまでの需要があるかというと難しいからね。評者の短編のオススメは「罪喰い」「海贄考」「花夜叉殺し」「獣林寺妖変」「現生花の森の司」あたり。 |
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| No.100 | 7点 | 復讐するは我にあり- 佐木隆三 | 2016/06/11 23:42 |
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| 直木賞受賞作の中でも屈指の力作。その昔映画がヒットした頃だと「フクワレ」の略称で通用していたのが懐かしい。本サイトでも犯罪小説の大古典となる本作がないのはまずかろう。
本作は実際の凶悪事件に取材して「小説化」したもの。関係者の名前などは変えてあるが、登場人物の主観描写など結構入っているので、ルポルタージュではなくて小説の括りになる。そのせいか映画のシナリオは犯人の父親と妻にフォーカスした内容でかなり違ってる... 主人公は公判では「史上最高の黒い金メダルチャンピョン」とか「悪魔の申し子」とまで呼ばれている。福岡で集金人を襲った強盗殺人(2名殺害)から浜松での貸席親子殺し、さらには東京での弁護士殺害と計5人を殺して、その被害者に成り代わって何十件もの詐欺を働いて日本全国を犯罪行脚した凶悪な犯人である。「人を食って生きている」猛獣のような犯罪者なのだが、フィクションの犯罪小説の犯人だったら「悪の天才」といった感じの冷酷無残な「一貫性」みたいなものを強調するだろうけども、事実の凶悪犯はいーかげんで行き当たりばったりに犯行を重ね、お金がなくなると殺人をして資金を得て逃亡を続けていた。詐欺は結果的に失敗しているケースも結構ある。しかも見栄っ張りで弁護士とか大学教授に化けたがる、どうしようもなく底の浅い人間だったりするわけだ。ここらへんのダメさにリアリティがある....背景として昭和30年代の庶民の生活をリアルに描写しているので、評者なぞとっても懐かしい。 で、そういう凶悪犯人の内面性、みたいなものがこの小説で理解できるか...というと、実はそうではない。この小説は、その不可解なものを不可解なままに提示した、という感じである。主人公は五島列島出身のカトリックの家庭に生まれたが、逮捕後「歌を歌ってる...」と批判されたのだが、これがどうやら五島列島に伝わる「歌オラショ」だったようである。凶悪犯罪を重ねても本人の内面では奇妙なかたちで信仰と両立していたようにも読める...なんとも不可解な奥行きがある。 というわけで「オハナシの明快さ」は本作にはない。あくまで不透明な人間の、とくに不可解な所業として「犯罪」という事象を取り上げた感じである。読んでモヤモヤするだろうけど、本作の狙いはまさにそういうモヤモヤさであろう。 |
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| No.99 | 7点 | 彼らは廃馬を撃つ- ホレス・マッコイ | 2016/06/03 23:50 |
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| ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が、私立探偵小説ではないハードボイルド小説の中では一番知られた小説になるわけだが、人によってはヘミングウェイの「殺人者たち」とかフォークナーの「サンクチュアリ」とか、あるいはデイモン・ラニヨンとかをハードボイルド古典小説に含めたりする。本作もよくそういう文脈で触れられるハードボイルド成立期の古典である。本作のあとがきにある洒落た言い回しによると「ポエッツ・オブ・ザ・タブロイド・マーダー」というタイプの小説だね。
アメリカで本格パズラーが人気を集めたのが第一次戦後のバブル期から大恐慌初期のまだバブルの余韻が残る時代だったのだが、ハードボイルド小説はその後の大恐慌が本格化した時代の流行だと見てもいいだろう。だからハードボイルドって「不景気小説」として読むべきなんだろうな。で、このバブル期のハイで浮ついた風潮で登場した「マラソン・ダンス」という高額の賞金目当てに何十日も踊りづめに踊る一種のショーを本作は舞台としている。けどヨノナカ不景気になるとこのショーも一獲千金を狙った参加者とどんどんエスカレートして過激・過酷になるルールの中で、肉体的・心理的にオカしくなる人も多々あったようで、ハプニングやお色気目当ても含めて、見世物として悪趣味な人気を集めた...という今考えるとかなりヒドい話なのだが、ハリウッドで行われたこのショーに参加したカップルの視点で話が進んでいく。主人公カップルは、もともと映画界目当てで西海岸に来たわけだが、トーキーのおかげで大恐慌知らずな業界だった映画界でも、そうそううまい仕事にありつけるものではなく、食い詰めてマラソンダンスに参加したわけである....でこのカップルの女性は今でいうヤンデレ系で、きわめてネガティブで自殺願望の強い女。最終的に主人公の男に頼むかたちで自分を撃たせることになる。 で、この描写は極めてあっさりしていて「え、なんでイキナリ撃たせるの!?」ってなるようなもの。本作はアメリカでは結構忘れられてたらしいが、フランスで紹介されてヘミングウェイ並みに評価されたらしい。要するに心理主義的じゃなくて行動のつじつまも合ってないような、不条理感が強く出るクライマックスや、マラソンダンスの極限状況から来るサイケな雰囲気が、カミュの「異邦人」と似たかんじでフランスで受けたわけだよね。ちょいと後のゴダールの「勝手にしやがれ」もそうだけど、フランス人ってこういうタイプの「クールでドライなアメリカ的性格」に妙に憧れるとこがあるな。 あと本作もともと映画化をきっかけに角川文庫向けに訳されたという事情があるのだが、あとがきによると角川春樹が出版に積極的だったようだ。後々の事件とか考えると何か興味深いな..訳者常盤新平のお気に入り作品のようで、その後2回版元を変えて全然同じ訳で出ているようだ。まあ破滅的青春とか好きな人はハマれるタイプの小説である。 |
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| No.98 | 6点 | Zの悲劇- エラリイ・クイーン | 2016/05/30 00:02 |
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| 評者どうもX・Yとの相性が悪いようだ。
というのは、ドルリー・レーンの描写がどうも厨二的に見えて仕方がないんだよね...で、描写は結構大仰だし、小説的にハッキリ苦手である。 でまあ、その原因はというと、ヴァン・ダインもそうなんだが、第一次大戦後にアメリカが世界の覇権を握ったために、「もはやアメリカはヨーロッパに文化的にも追いつき・追い越した!」というような夜郎自大な自意識が鼻につくわけだよ。ドルリー・レーンの、アメリカの(イギリスの代名詞である)シェイスクピア俳優という設定はそういう意味でしょ。で、訳の分からない根拠で上から目線で殺人事件に介入するし、果ては真犯人を私刑してしまうし...と、評者どうも受け付けないや。 けどX・Yでもいい部分というのは、ある。アスピリン・エイジのドライでクールなアメリカらしさを描写している部分(市電格納庫での取り調べ場面とかね)とか好きなんだがねぇ... 逆にこの「Zの悲劇」という不人気作は、どこがどう不人気か...というと、ドルリー・レーンがあまりヒーロー的活躍をしないあたりなんだろうな、実際大ミスするし。X・Yがバブル仕様のヒーロー小説だとすると、実はこのZは「不景気仕様のヒーロー」少しヒーローに懐疑的になっている小説だと思って読むのがいいんじゃないかな(まあ次が次だし..)。本格パズラーの夢というのは「論理と推理が常に成功を生む」というはなはだ楽天的な夢想であるがゆえに、バブルの高揚との相性がきわめて良いものであったのを、大恐慌がその非論理性やリアリズムによってその夢を破ることになった...なんて読みができるのかもしれないや。 まあ本作のウリは例の消去法推理だけど、評者コレを結構買ってる。ある意味これは結果によっては20則違反になる(端役的な人物が犯人)可能性もあるんだが、そういう可能性を含めてミステリの「推理」としてはアリだと思うし、未開拓のネタがいろいろあるのでは..と思うよ(どうも最近流行ってるようだな)。 けど、最後のツメが少し? 医者二人を除くロジックだが「医者ならば聴診器を使うはずだ」で論理は完結しているのであって、とくに息を吹き返した証言があろうとなかろうと、この論理には関係がないんだよね..まあ厳密な証明というよりも、一種の弁論術くらいで聞いておいたほうがいいのかな。 まあ、クィーンの論理、って人は言うけどさ、利き手・利き足・利き目については散々心理学で実験されていて、同じ側で一致することも多いけど、一致しなくても珍しくはない..くらいが、現在の結論のようだ。「非対称の起源」(クリス・マクマナス著)って面白い啓蒙書があるけど、これによると1920年代に利き目と利き手が入れ違うことが失語症の原因となる..という説を唱えた学者がいるのを紹介してる。まここらをクィーンが真に受けて採用したあたりの話じゃないかなぁ。そもそも説得力がないのを自分で認めてるわけだから世話はないけどもね。 最後に一点。生贄にされかけた囚人の最期についての記述が結構ヒドい。ちょっとなぁ...マイナス1点。 |
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| No.97 | 4点 | 大いなる眠り- レイモンド・チャンドラー | 2016/05/29 23:06 |
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| 以前ネットを見ていたら、「ハードボイルドって映画と関係があるんですか?」というような質問を見かけたんで、評者ズッコケたことがある。一応評者とか70年代にミステリにハマった世代なこともあって、まだこの頃には翻訳ミステリ・洋画・モダンジャズが軟派なインテリの三つ揃いだったセンパイ方がたくさんいらしたわけだよ...というわけで、評者に言わせれば「映画はハードボイルドのもう一つの自我」と言いたいくらいのものなんだ。
でまあとくにチャンドラーだ。そもそも代表作の紹介者が「ぼくの採点表」の双葉十三郎だったり字幕の帝王清水俊二だったりするわけで、言ってみりゃ「映画な小説」なんだよね。だけど今回は「長いお別れ」に味を占めて、新しい村上春樹訳で読むことにした....ダメだこりゃ。 双葉訳「おれたちゃこの町から逃(ふ)けたいんだ。アグネスはいい女(こ)だ。おまえさん、彼女(あれ)に一丁文句(いちゃもん)つけるなあ罪だぜ。この頃は女の暮らしもらくじゃねえからな」 村上訳「おれたちは街を出なくちゃならん」彼は言った。「アグネスはまっとうな女だ。何事にも値段ってものがある。今どき、女が一人で生きていくってのは簡単じゃないからな」 この「大いなる眠り」って作品は言ってみれば「威勢のイイ」作品なんだが、村上春樹だと語義の正確さに力が入りすぎて、一番大事な勢いを殺してしまっているようにしか見えないや(チンピラのセリフに見えん...)。まあ比較して読むと双葉訳は取り違えをしているようなところも多いし、訳した結果の日本語のスラングが昭和死語の世界に入っているとはいえ、この小説の即物的な良さを殺さずに、「映画を見るように読む小説」として訳せているのは偉いよ... そもそも、で考えたときに、映画の即物性やモンタージュによるスピード感を、小説に置き換えたのが「ハードボイルド」というもんなんだろうよ。ここには映画というようやく充実期に入った新メディア(ロシア・モンタージュ派の影響も実は考えてもいいかも...)が与えた衝撃が今なお響いていると思うのだ。 あ、作品内容は今更なんだけど、評者は好きな作品。なので無理してでも村上訳ではなくて、双葉訳で読んでほしいと願うのである...今回の4点は村上訳への点数。双葉訳なら7点。 (けど村上訳だとガイガーの蔵書は組合員御用達みたいに読めるんだが、そういうことなのかなぁ...気になる。) |
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| No.96 | 8点 | 大いなる幻影- 戸川昌子 | 2016/05/26 21:39 |
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| 戸川昌子氏が亡くなられましたね...初期の乱歩賞受賞作の中では断トツの名作だと思います。
でこの人もやっぱり組合関係者だよね。シャンソンっていうとそういうわけなのさ。乱歩賞を競った中井英夫も組合員だからちょっと「虚無への供物」は賞的にはめぐり合わせが悪かったわけだ。 今回改めて読み直して「女性的な悲惨さ」みたいなものがよく描けてて怖い。評者もそろそろ年だから、洒落になんないなぁ...本当に「大いなる幻影に捉われた不幸な人々」のオンパレードである。女性らしい矜持があるからこそ、悲惨に転がり落ちていくのが本当にイタい。で女性らしさ、というと妄念に悲惨な生活が彩られているあたりがよく描けているため、シュールな妖気さえ感じるよ(森茉莉とか実際そんな感じだったらしいし...というか戸川昌子自身だってゴミ屋敷って報道があったようだね)。ワカメさんと指紋の話が評者昔結構トラウマだったな。今風に言えば「イヤミスの元祖」の作品じゃないかな。 建物移動のイベントに向けての焦点の絞り方とか、多視点での切り替えとか、構成にも美点がある。この構成の力で情念を扱いながらもそれに堕さずにクールで非情な感覚を保ち続けているのが非常にイイ。時代水準を大きく抜いていて、今でも古びていない独自な作品。すばらしい。 |
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| No.95 | 8点 | 長いお別れ- レイモンド・チャンドラー | 2016/05/22 22:20 |
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| 本作も何度読み返したかよくわからない作品になるが、今回はどうせなので長らく親しんできた清水俊二訳ではなくて、新しい村上春樹の訳で再読しよう。
...マーロウっておしゃべりだったんだな.... 今回の村上訳だと、マーロウが叩く軽口を、字幕流に簡潔に流すのではなくて、逐語訳的に念入りに訳してあるのが大きな特徴だ。なので、評者がずっと以前から疑問に思っていたことについて、ちょっと結論が出たようにも思う。というのは、「かわいい女」以降の作品で、評者はマーロウが登場する女性と結構無節操に関係を持つことや、作中での私立探偵としての雇用関係がすべて曖昧になってしまうことなどが、どうしても気になっていたのである。要するに「かわいい女」以降のマーロウは決して「かっこいいコード・ヒーローではなくて、タダの幻滅した男であり、何のため・誰のために動いているのか自分でも訳がわからなくなっているような、アンチヒーロー的なポジションになっているのではないか?」という疑問なんだよね(そもそもそう読まなきゃ「プレイバック」って意味不明なんだけどね)。 この疑問のきっかけはアルトマンの映画なんだけど、今回読後にさらに映画も一緒に見直して、そういう感想が正しいように再度感じている。映画だとおしゃべり感は「独り言の多さ」でそういう感じが出ているが、軽口を叩くのはカッコいい洒落やジョークというよりも、マーロウが痛みを感じていることの表現だと思うんだよね。センスも頭も十分信用のおけるアルトマンの「ホテル・カリフォルニアなマーロウ」とでも言うべき描き方は、公開当時特に日本では総スカンに近い拒絶反応があったわけだけど、やはりアメリカでは昔から屈折したアンチヒーローとしてマーロウを捉えていたんだろうなぁ... ま、だから「ギムレットには早すぎる」とか「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」とかの名セリフ集としてヤニ下がるような読み方だけは、評者は絶対したくないよ...f**k とか s**t と吐き捨てるような映画の終わり方から、原作の本作を逆照射するような「読み方」をしていきたいなと思うのだ。いかがかな? |
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| No.94 | 8点 | 自決 森近衛師団長斬殺事件- 飯尾憲士 | 2016/05/15 23:41 |
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| 以前「成吉思汗の秘密」を酷評したことがあったが、じゃあ「歴史ミステリとして優れた作品って何だ?」と考えた末、本作なんかどうか?と思って取り上げる。本作は一応直木賞の候補に挙がったこともあるわけで、わりと売れた作品である。しかし本サイトでは全然ノーマークの作品だろう。というのも、作品の舞台はいわゆる「日本のいちばん長い日」、1945年の終戦と玉音放送をめぐる徹底抗戦派によるクーデター未遂事件(宮城事件)を扱っているからだ。以前は確か集英社で出ていたが、その後戦記出版社で有名な光人社から文庫が出たわけで、さすがに旧軍や戦史について多少の予備知識がないと読みづらいだろうな...
副題の「森師団長斬殺事件」とは、クーデター派が近衛師団を動員しようとして師団長森赳中将を説得したが、決裂して森師団長が斬られた事件を示す。もちろん師団長殺害にもかかわらずクーデターは失敗し、日本はポツダム宣言を受諾して終戦になるわけだが、クーデター参加者の多くは自決して、密室でなされた師団長殺害事件の細かいことはよくわからなくなってしまった。しかし、従前殺害に直接手を下したとされる上原重太郎大尉は殺害に関与しておらず、別な少佐が殺害した罪をかぶって自殺した...という雑誌記事が出たことをきっかけに、著者がこの師団長殺害事件の真相解明を志すところから始まる。 本作の一番イイところは、著者自身がこの事件に引き続き上原大尉自身の配属先である陸軍航空士官学校での徹底抗戦に向けた動きにも参加した、上原大尉の区隊に所属した士官候補生であり、生前の上原大尉に強い印象を受けていた人である、ということである。要するにモブ的ではあるが事件の周辺にかかわっていた人物が、後になって事件の真相に疑問をもって再調査する....という構図になっているわけだね。著者は自身がかつて所属していた士官学校の生徒や上官、それに宮城事件に直接かかわった生き残りの参加者などに直接会って調査していく。 著者は戦後、士官学校時代の知友とはまったく没交渉でいたのだが、かつての軍人たちも戦後はさまざまな経歴を経てそれなりの地位を築いている。そういうギャップ(出版は1982年でまだ従軍経験者の多くが健在)と、しかしかつての上司と会うとなるとつい身に出てしまう軍隊時代の身体的な訓練の結果に違和感を覚えつつ、調査を続けていく心情が丁寧に描かれていく。 この調査を通じ、浮き彫りにされる上原大尉の肖像と、追い詰められた異常な時代の状況が迫力をもって伝わってくる。かつての同僚や上司の多くも極めて協力的で、やはりこの背景には「不条理にも若くして死ななければならなかった多くの人々の死には何の意味があったのか?」という世代的な共通の疑問と、死者たちへの鎮魂の思いがある。しかし、前述の生き延びた少佐は真相の回答を拒み続けるために、著者は十分なまでに真相を解明したうえで、元少佐と対決することになる...よくミステリだとあてずっぽうに近いようなかたちでも真相を指摘すると、犯人が恐れ入って告白しちゃったりするわけだが、ヨノナカそんなに甘いことはなくて、他人に正しく質問するためには十分な調査による真相の洞察が必要なわけだよ。ここらへんの機微について評者はクリスティの「象は忘れない」あたりを連想するな。 まあ真相はミステリとしてはそう意外なものではないのだが、それでも調査についての説得力が、著者個人の心情から非常に強いものとなっていて、リアルで説得力のある、地に足のついた歴史ミステリとして上出来のものになっている。 |
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| No.93 | 4点 | 儒学殺人事件- 小川和也 | 2016/05/15 22:44 |
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| すまぬがちょっとネタである。
本作は研究書であって、小説ではない。とはいえ一応「殺人事件」とタイトルにあり、徳川綱吉の治下で起きた大老堀田正俊の江戸城中での暗殺事件を取り扱っているので、歴史ミステリ、と強引にいえば...というくらいの感覚で取り上げたい。 というのは、以前「成吉思汗の秘密」を評者は酷評することになったのだが、それから少し「歴史ミステリとは?」といろいろと考えをめぐらすことがあったわけだ。今のアカデミックな日本史というものは、イデオロギーのような「大きな物語」の束縛がほぼなくなって、みな結構好き勝手にいろいろと通説を読み替えるような新説を立てることが多くなっている印象がある。聖徳太子非存在説とか大化の改新非存在説、義経で言えば一の谷合戦で法皇の停戦命令を無視して攻撃したために平家総崩れになった説とか、信長の政策は戦国大名としては標準的だとか、本作で反論していることになる「綱吉=文治の名君」説もあれば、一会桑権力と新選組とか、それほど頑迷固陋でない山縣有朋とか...どっちか言えば、このところ小説家的想像力以上に、歴史家の新説創造力の方が目立つことになっている感がある。そうしてみると、40年も前の梅原怨霊史観を未だに振り回したりする小説家の創造力よりも、歴史家の読み替え的新説の方が、意外だったり盲点ついてたりするように思うんだよね。 伝奇小説だったら網野史観が大流行したことも今では過去の話かもしれないが、こういう風にアカデミックな史学に基づいて小説を...というよりも、史学の研究書を直接読んだほうがネタが新鮮のようにも思う。まあそれでも本サイトはミステリの祭典なので、一応殺人事件とタイトルがついており、暗殺事件を扱う本作だったらまあぎりぎり?と思うので取り上げるのだが... 本作はサントリー学芸賞受賞作。犯人はというと、実行犯には謎がなくてそのままだが、その背後の黒幕として将軍綱吉を立てている。その動機をいろいろと考察するわけだが、著者は思想史系の人のようで、綱吉と被害者の大老堀田正俊の「儒教」の受容のあり方に、その原因を求めている。だから堀田の著作をいろいろ検討して、それが綱吉の忌憚に触れることになったことを立証していく...まあだから実質思想史なんだが、さすがに江戸時代の儒教・儒者って高校日本史で名前を暗記したくらいしかあまりご縁のない世界だから、新鮮といえば新鮮だがぴんとこないのも確かだ。で将軍綱吉が犯人、というのも意外性には欠けるな。 というわけで重厚ではあるけども、あまり「殺人事件」と銘打つ必然性までは感じない。 |
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| No.92 | 9点 | ゼロの焦点- 松本清張 | 2016/05/01 09:29 |
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| たぶん日本のミステリ、という枠内では最高の文章ではないかと思う。とにかく評者はこの文章に酔う。冒頭からして目立たないが実は凄い。「板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。」一見何でもない文章だが、真相がわかったあとに改めてこの冒頭の文章を見直すと、この一文に本作の真相や舞台設定が結実しているのが感じ取れると思うよ。少なくとも大衆文学、という範囲での最高の模範となる、簡潔にして達意の名文であろう。
日本の伝統的な「名文観」を如実に体現したような作品が本作なので、本作を社会派とか呼ぶのは本当は評者は疑問のように感じている。どっちかえば、戦前から燻り続けた「探偵小説文学論争」に最終的な決着をつけたのが松本清張の登場であり、文学とミステリの融合という文学派の理想を実現したエポックメーキングな作品としてとらえるべきではなかろうか。 |
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| No.91 | 7点 | 孤島の鬼- 江戸川乱歩 | 2016/04/24 23:20 |
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| そういえば乱歩はミステリのパイオニアであるのと同時に、ゲイ小説のパイオニアでもあるわけだ...ちょいと行きがかりもあるので、今回そういう読み方もしてみよう。
とはいえ、密室トリックとか衆人環視の下での殺人とかすっかり内容忘れてたよ。それでもねえ「諸戸と簑浦は変だ」とか「めんない千鳥」とか完璧に憶えてた(シャム双生児の件も大丈夫)...評者はそもそもそういう読み方してたようだ面目ない。 本格→怪奇→冒険、って流れはスムーズで、ページターナーって言葉は本作のためにあるような気もするよ。乱歩っていうと意外にネタ数が少なくて同じネタを別作品で何回も繰り返すイメージがあるが、そういや本作のネタって他の作品での転用が少ないんだよね。そこらが「いつもの乱歩」じゃない新鮮さを感じるが...よく考えると「獄門島」がルブランの「三十棺桶島」にヒントを受けてって話があるが、本作もベースは「三十棺桶島」かもね。 でいうまでもなく本作のクライマックスは、名探偵に襲われるワトソン! まあ今じゃBLって便利なものもあるわけで、総受けな名探偵だって誘い受けなワトソンだっているわけだが、BLに先んずること半世紀以上前にこんな小説があり、しかも当時ベストセラーになっているニッポンの出版状況というのはスゴいものがあるな。 |
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| No.90 | 10点 | 黒蜥蜴- 三島由紀夫 | 2016/04/24 22:51 |
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| 言うまでもなく乱歩原作の、ミステリの演劇として日本で最高の知名度と人気を誇り、かつ空前の傑作である。本作がないのはさすがにまずいと思うので書こう。
評者本作ばっかりは好きで仕方がなく、友人が抜粋でやった企画にまぜてもらって、舞台でやったことあるよ....「私の考える世界では、宝石も小鳥も一緒に空を飛び、ライオンがホテルの絨毯の上を悠々と歩き、きれいな人たちだけは決して年を取らず...」乱歩のユートピアのビジョンが三島の文藻に合体した結果、本作の華麗な修辞が花開いたわけだが、本作だとハニカミ屋の三島がオリジナル作品では躊躇してのかもと思われるシュルレアリスム的技法も、随所で効果的でいろいろ華を添えている。他人原作だから、で力が抜けてイイ面ばっかりが出ているように思う。 で本作の凄いところは、三島が「ミステリという形式」と「ミステリらしい形式論理」を外から見て批評的に面白がっているのが感じられるあたりだ。もし探偵と犯人とが「あくまで探偵と犯人として」真剣に恋をしたらどうか?という興味から「法律が私の恋文となり/牢屋が私の贈り物になる」というセリフを引き出す...「第三の女は、自分のやさしい魂に忠実なあまり、世間の秩序と道徳を根こそぎひっくりかえす」といった逆説とアフォリズムこそが、チェスタトンのそれと同様に「それ自体がミステリの精華かつ批評」になっている。 だから「ミステリらしい形式論理」から、黒蜥蜴は明智を真実愛するゆえに人間椅子に閉じ込めて海に放り込むし、(完全オリジナルになる)雨宮早苗のカップルの愛は二人の死後にしか成立しない。それが形式論理であるからこそ、真剣にならなければならないのが、ミステリの心意気ってもんでしょうよw 最後に、本作は美輪明宏の主演によって、日本の三大ゲイ術家による空前のコラボになったことも本当に奇跡としか言いようがない。 |
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| No.89 | 10点 | 謎のクィン氏- アガサ・クリスティー | 2016/04/18 20:21 |
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| 本短編集は評者は何回読んだかわからない。クリスティの中でも格別好きで好きでしょうがないくらいの作品集だ。なのでこのプロジェクトを始める前から10点をつけるつもりでいたくらいである。
どこがいいって...1930年なんてクリスティの初期に属する作品集だけど、後期に典型的に見られるような独自な性格のキャラを立てた性格悲劇の色彩をもっていて、その描写が実によく書けているだけでなく、うまくミステリに埋め込まれているあたりである。ミステリの教科書にしたいくらいに、小説とミステリのバランスのとり方がいい。 しかも狂言回しのサタスウェイト氏のキャラがいい。独身者=人生の観客という等式を、クィン氏という触媒によって破るダイナミズムが、ちょいと身につまされるぜ....あくまでも事件はサタスウェイト氏の主観の中で起き、その主観の中でのちょっとした「違和感」がクィン氏によって照明を当てられて真相を悟る、という結構になっていることもあって、ファンタジックなトリックや事件も決して突飛には感じない。 「しかし、私は、まだ一度もあなたの道を通ったことがない...」「で、後悔しているのですか?」この会話こそが、独身者の機械としてのミステリのあり方を如実に示しているとさえ思う。 評者にとっての愛の対象の1冊。 付記:けどねえ、婉曲に書いたから分らない人多いだろうな。サタスウェイト氏ってゲイだよね....まあ、ヘイ×ポアロだってネタの定番のわけで、クリスティのキャラってそういう腐視点での面白みってのがある。実際クィン氏×サタスウェイトで引っ張っておいて、ゲイ趣味ともかなり関連の深いバレエネタで〆る、という構成のわけなんだしね。特に日本じゃミステリは乱歩四郎の昔から、中井英夫を経由してそもそもホモホモしたジャンルであるわけで、そういう読みをしていけない、かな? |
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