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[ クライム/倒叙 ] 冷血 ノンフィクションノベル 旧訳・龍口直太郎 新訳・佐々田雅子 |
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トルーマン・カポーティ | 出版月: 1967年01月 | 平均: 8.50点 | 書評数: 2件 |
新潮社 1967年01月 |
新潮社 1978年09月 |
新潮社 1978年09月 |
新潮社 2006年06月 |
No.2 | 8点 | tider-tiger | 2016/07/21 02:06 |
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~ホルカム村は、キャンザス州西部の、小高い小麦畑のひろがる平原にあって、キャンザス州の他の地方の人たちが「あの向こうのほう」と呼んでいるような、ものさびしい地域である。~
いい書き出し。あまり意味はなさそうでいて、さりげなく事件の背景に触れている。微かな恐怖を呼び起こす。 本作はノンフィクションノベルである、らしい。 取材により膨大な資料をかき集め、それらの取捨選択を行い、創作的処理を行う。作者の見解が示されるものであり、小説であるからには感化的な要素が必須~私は優れたドキュメントは時に小説以上に感化的足り得ると思うのだが~。ただし、ノンフィクションであるからには事実に即したものでなければならない。 ノンフィクションノベル? なにを言っているのかよくわからなかった。 最初に読んだとき、私は非常に警戒していた。正直なところ、この形式について非常な反発を覚えていたのである。いかなる意味があるのか。危険ではないかと。今もその気持ちはある。 別に私はボコノン教信者ではないが、嘘だけを並べ立てた書物でも真実を映すことがあると思う。逆に事実だけを書き連ねてあったとしても、行間から真実が浮かび上がるとは限らない。 こうした反発を内包しつつ読み始めたのだが、内容は素晴らしかった。素晴らしいは語弊がありそうなので凄かったとすべきか。予想以上に被害者家族やその周囲が細密に描かれていた。事件後の掃除の場面は自分も虚を衝かれたような心境だった。ノンフィクションノベルだからこそ出てきた場面でしょうね。ノンフィクションノベルの存在意義を示してくれている。 冷血であるのは、事件の犯人であり、また「私と彼は同じ家で育ったんだ。そして彼はその家の裏口から出てゆき、私は表玄関から堂々と 出て行ったんだ」こんなことを言っている作者でもある。のみならず「あの向こうのほう」で起きた事件は私自身の冷血をも自覚させる。愕然とした。読後感はあまりよくない。 ※私が持っているのは瀧口直太郎氏の訳です。 ※表示されている画像が冷血ではなくて、カーマ・カメレオンになっています。 なんか調子が狂うのでどうにかならないものでしょうか? 7/21追記 帰宅してみたら、さっそく画像が編集されておりました。 蟷螂の斧さん ありがとうございました。 |
No.1 | 9点 | クリスティ再読 | 2016/07/04 20:14 |
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フクワレをやった以上本作しないとまずいので書くけど、これは究極の犯罪小説じゃないかな。カンザスで実際に起きた農家一家皆殺し事件を、極めて精緻に再構成した小説だが、本作はジャーナリスティックな「ノンフィクション」の正反対の作品である。スーパーリアリズムってタイプの絵画がある。要するに写真から精密に起こして描く絵なんだけど、スーパーリアルってのは写真を超えてしまう。写真は厳密には1か所にしかピントは合わないのだけど、スーパーリアルは画面のあらゆる箇所のピントが合っている、ありえない絵なのだ。本作の描写ってのはそういうタイプの「すべてにピントの合った、ありえない」描写だ。あまりにリアルなため、幻惑を覚えるような、ハイパーな知覚の産物である。これと比較すると、小説家の想像力なんてものが、ちゃちでちんけなものにしか感じられなくなるといった体の作品だ。
例えば血みどろの一家皆殺し事件のあと、誰もいなくなった家を友人有志が片付けて掃除する場面がある。一体どんな作家がこういうシーンを考え付けただろう?具体的な描写の密度と「重さ」によって作品がきしんでいるかのようにさえ感じる... 犯人は最初から登場しているので明白なのだが、それでも具体的な犯行詳細と動機は、逮捕まで意図的にブランクにされている。なので、ミステリとしてはホワイダニットとして読める。作者のカポーティはこの犯人の一人に極めて強く感情移入したようで、最終的に明らかになる犯人たちの力関係みたいなものが極めてユニーク。フクワレみたいな謎を謎のままほっておくタイプではなくてトコトン分析的である。 タイトル「冷血」はもちろん犯行の冷血さを示しているが、本作の偏執的な客観描写も非情で「冷血」極まりないものだと見ることもできよう。こういう「冷血」さが本来の「ハードボイルド」の概念とも通じあるのでは...とも評者は思う。本作は究極に残酷なハードボイルドなのかもしれない。 |