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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1419件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.259 7点 約束- フリードリヒ・デュレンマット 2017/10/09 20:26
昔「嫌疑」を読んで面白かったことから、本作も買って読んだ。だからまっとうなエンタメ/ミステリなんて期待せずに、その「はみ出かた」如何?という感じで読んだわけだ。
スイスの寒村の森の中、赤いスカートの少女が強姦後殺害された。死体発見者の行商人が、容疑者として取り調べを受けるが、自白後に自殺し事件は落着したかに見えた。しかし捜査に当たったマテイ警部は「約束」によって縛られ、ついには孤児の少女を引き取り、国道沿いにガソリンスタンドを開いて、少女を囮の「真犯人を釣り上げる」孤独な道を選んだ...という話。本作ポケミスで130pほど、中編程度の短さで、リアルな話というよりも、民話風(というか、ゴーゴリとかシュティフターとか、ロマン主義的な屈折を内包した民話風)の味がある。松本清張の「張り込み」とか、視点の置き方はああいう感じなんだけど、清張にはない土俗的な得体のしれないオーラがある。
で結局いつまでたっても真犯人は現れない。少女は大人になり、自堕落に暮らすようになり、マテイも妄念に捉われたまま朽ち果てようとする。しかし、マテイの旧上司たる語り手は、

この話にはまだオチがあるんです。しかもお察しのとおり、実にパッとしないオチがね。そのパッとしないことといったら、どんな小説も映画にもつかえないほどです。それは滑稽で、間が抜けていて陳腐ですから、もしこの事件を小説にしようと思われるのなら、どうしてもこのオチは省かねばならないでしょう。しかし正直言って、このオチはまず徹底的にマテイを弁護し、彼を正しい照明の中へおき、彼を天才たらしめるものです。

これは徹底的に負け続ける聖者の話のように評者は思う。ミステリの枠をまったく踏み外さずに、完全にミステリから逃れさる、という「反ミステリ」とでも言うのか、ミステリを極めてミステリからズレるいわゆるアンチ・ミステリとはベクトルが真逆の作品である。

No.258 6点 靴に棲む老婆- エラリイ・クイーン 2017/10/09 19:53
「エジプト十字架」やって直後に本作である。当然お題は「あかね書房懐かしい」。まあエジプト十字架はその後にもオトナ向きで読み直したが、さすがに本作は読み直していない。それでも決闘の話とか何となく覚えていたなぁ。「パンは出さずにスープで済ませ、鞭で叩いてベッドに..」は子供心にビビったものだよ。
まあ本作、館モノのパロディみたいなものだ。館モノ、マザーグース、操りの問題などなど、クイーンがしたかったことが雑然と並んでいる感じだ。それでも本作を子供向きの原作に選ぶセンスはなかなかよろしい。漫画的だから、どうリライトしてもファンタジックで楽し気になるよね。
今回評者は結構楽しく読んだな。漫画的なキャラは立ってて、ユーモアあるし、例の拳銃の手品はそうセンス悪くない。しかしねえ、犯人逮捕の後で残りページの量を見て、「あまだ少しある」って気づいたら、やはり黒幕がいるんだよね...とついつい予測しちゃうのは、いい加減クイーンにスれ過ぎているような気がする。もう残りわずかだが、自戒。

No.257 7点 エジプト十字架の秘密- エラリイ・クイーン 2017/10/09 19:30
まあ今更に今更な名作、ということにはなるんだけど、今回読み直してこの前作があの閉鎖的な室内劇だった「ギリシャ棺」なのが信じられないくらいだ。クイーンもよっぽど書いててストレス溜まったのかしらん。
そういうわけで本作はロマネスクな大活劇である。ロジック派の皆さんには申し訳ないが、本作のロジックって小ぶりでわかりやすいのが多く、言うほど面白いものはないように感じる。クイーン=ロジック、って予断で読み過ぎている印象を受けるなぁ。
ただし、本作はそれまでのクイーン国名シリーズが欠いていた、キャッチーでロマネスクな長所がある。バルカンの血の抗争を背景にしながら、それを移民国家アメリカの問題としてモダンに扱っているセンスがいい。何やかんや言って、国名シリーズあたりというのは、「(いわゆる)本格ミステリ」の概念確立期なのであって、書いている時点ではまだまだ流動的なものだったようにも評者は思うのだ。古めかしい因縁話ではなくて、「本格ミステリ」である以上に、アメリカを股にかけた開放的でモダンなエンタメとして、本作は「古典的なほどに」よくできてると思うよ。だから国名シリーズの流れから見ると、本作あたりを最大の異色作と見るべきなのであって、決して「国名シリーズの代表作」ではないのでは?なんて思うのだ。

No.256 6点 黒いカーテン- ウィリアム・アイリッシュ 2017/10/09 19:05
井上靖の「崖」をやったこともあって、記憶喪失モノの古典の本作もやりたいなと思っていたらGETしたので読んだ。小学生の頃のあかね書房「恐怖の黒いカーテン」が初読だが、世界大ロマン全集に入ってたので読み直した記憶がある。懐かしい。
目まぐるしくいろいろなネタが連打される作品で、ウールリッチらしい感傷的な文章が、パルピィなスピード感に乗って繰り出される。このドライブ感に身を任せるべきなんであって、お客さん、立ち止まっちゃあいけないよ。
個人的には、ルスと出会って向こうは当然自分を知っているんだけど、こっちは何もわからないのを隠して、身元や背景なんかを探るあたりが一番スリルがあってよかったな。まあ本作、皆さんもルスがご贔屓キャラのようだ。女で話が展開するウールリッチの術中にハマってるね。

ちょっと追記。思うんだが、作中では描いてないけど、ルスって黒人なんだろね....そう考えたら結構いろいろ辻褄が合うんだよ。多分書かれた当時は「察しろよ」というレベルの話だったんだろうがね....

No.255 2点 秘密諜報員―アルフォンスを捜せ―- エゴン・ホストヴスキー 2017/10/01 00:01
なんとなく古本屋で手に取って買った作品。作者はチェコでは有名な作家らしい。1957年にH=G・クルーゾーが映画化した「スパイ」の原作、ということである。映画は未見。
冷戦下のニューヨークに住む、チェコからの亡命者である精神科医マリクは、心理戦争研究所に所属のハワード大佐から、「アルフォンス」というコードネームで呼ばれる重要なスパイの精神的な問題の解決を依頼される。マリクのもとには、病気のふりをしたスパイなのか、精神的な問題を抱えた患者なのか区別がつかない人々が続々と訪れる。「スパイされている」とか「盗聴されている」とか、スパイ小説の定番ネタというのは、往々にして精神病の症状の一つだったりする、という「それを言っちゃあお終い」な事実が横たわっているわけで、話の輪郭はグズグズと崩れだし、誰がどの陣営か判然としない迷宮の中をマリクはあてどもなくさまよう。亡命チェコ人コミュニティが背景にあるようで、雰囲気は若干カフカ的。
評者はそこそこ「翻訳小説エンジョイ力」はある方だと思うが、本作はダメだ。スパイ小説は国際的背景をリアルに感じさせるように書くからこそ、「すべて妄想」から逃れることができるのであって、本作みたいなカフカ的迷宮のスパイ小説ともなると、本当に読んでいてわけがわからない。精神病とスパイとを重ね合わせるというのは、そもそも洒落にならない、自己破壊的なアイデアなんだろうな。観念的な会話が続くし、映画批評家の岡田真吉の訳だが、ほんとうに分かりづらい。まあチェコ語みたいなレア言語ができるわけじゃなし、重訳だろう。

No.254 5点 海浜の午後- アガサ・クリスティー 2017/09/24 21:56
本作は3つのオリジナル一幕物を集めた短編集という感じのもの。それぞれカラーが違い、「海浜の午後」は海水浴場での、盗まれたエメラルドのネックレスを巡るドタバタ風の軽い作品。強い母に抑圧される青年が悲惨。こういうキャラ、中期の長編によく出てる。「患者」は麻痺で動けない患者の、わずかに動く指先でのスイッチによる回答で、その患者に対する殺人未遂を尋問していく話。舞台効果としてはこれはなかなか良さそう。だけど、一幕もので短いから、ひねりとか特になし。「鼠たち」は不倫の恋を隠した男女が、友人のマンションに誘い出させて閉じ込められるが、これは「死」の罠だった...というサスペンスもの。ネタが「バグダット大櫃」を少し転用している。
というわけで、どれも短くて膨らみが薄いのが難。一幕物のミステリ劇って難しいね。
でなんだけど、これで一応戯曲は入手難(まあデジタルはあるが)の「殺人をもう一度」と、どう見てもミステリじゃない「アクナーテン」以外読んだことになる。本作の最後には戯曲リストとして戯曲だけの一覧が載っているが、これによるとオリジナル戯曲は全部ハヤカワで出てることになる。逆にクリスティ自身による戯曲化でもベースの小説があるものは、ハヤカワは出してないことになる。例外は初期のポケミスで出た「アリバイ」だけど、これは他人による戯曲化だ。というわけで、実はクリスティ自身の筆による戯曲は、小説ベースのものは結構まだ未翻訳だ、ということになる。クリスティ自身の戯曲化でも「死との約束」「ナイルに死す」「ホロー荘の殺人」+共作になる「ゼロ時間へ」と4作もあり、翻訳されたのは「そして誰もいなくなった」と「五匹の子豚(殺人をもう一度)」の2作。クリスティが関わらない戯曲化だと「アリバイ」外に3作ある。
まあ「完全」攻略って海外作家は難しいな。あとクリスティだと詩集があるはずだが、これも未訳(というか、詩の翻訳はそもそも難しいし)。

No.253 5点 サン・フィアクル殺人事件- ジョルジュ・シムノン 2017/09/24 21:30
自分の出身地で起きた殺人予告状の一件を、メグレは自分のポケットに入れて、父の死後訪れたことのない故郷を訪ねた...
泊まる宿屋の女将だって子供時代を覚えている。そんな村の教会の早朝ミサのさなか、メグレの目の前で、予告通りにこの村の昔からの領主の家柄であるサン・フィアクル伯爵夫人が急死した....犯行手段は祈祷書に挟まれた伯爵家のスキャンダルを示す新聞記事を見たことによる心臓発作。そう、伯爵家はメグレの父がつかえていた伯爵の死後、貴婦人として尊敬されていた伯爵夫人は若い秘書をとっかえひっかえして醜聞をまきちらすわ、長男の現伯爵モーリスはあらゆる事業に失敗した放蕩者でしかないわと、名門の伯爵家が内部崩壊に瀕していたのだ。

そして、その頃少年だったメグレは、庭園のなかで看護婦が押す乳母車を、遠くからうやうやしくながめていたものだ。その赤ん坊が、このモーリス・ド・サン・フィアクルなのだ!

というメグレにとってはなはだ幻滅な帰郷であった。「失われた時を求めて」風の味わいだねこりゃ。
そんな具合で、メグレにとって実にやりにくい捜査となってしまった。結局事件は、メグレはほぼ傍観者ままで結末を迎える。小説としては実際腰砕け。前半など雰囲気いいんだけど、失敗作、だな。

No.252 8点 武器の道- エリック・アンブラー 2017/09/24 21:06
アンブラーって本当に、どの作品をとっても「ジャンル的な類型性」から程遠い「驚き」のある作家だと思う。本作が「国際スパイ」に分類されるのなんて、「他に入れるジャンルがないから...」という消極的な理由に過ぎない。職業スパイと目される人物はわずかに一人だけ、しかも全体から見れば「事件に巻き込まれた」感じで本来の任務とかそういうものでもない...
要するに、アンブラーの「タネ」は、国際スリラーから、「国家」の枠組みを外しちゃおう、というアナーキーな狙いなのである。マラヤの共産ゲリラが遺した武器を横領して売却を狙うインド系青年、武器の移動と売却を仲介する華僑、売却の煙幕として利用されるアメリカ人夫妻、で実際にこれを買おうとするのがインドネシアはスマトラ島のイスラム系独立派...と実に多国籍だが、どの主体も「国家」の束縛を離れたアナーキーな主体なのである。最終的な買い手の代理人は、アーサー・シンプソン風のイギリス出身の国際ゴロ+シルマー軍曹みたいな元ナチともう、あらゆる人種・主義のごった煮である。
それでも、煙幕として利用されるアメリカ人夫妻が、狂言回しでもあって一番保守的だ。

共産分子から奪取した武器を、反共産分子に供給するという、その手伝いに手を貸すのは、なかなか愉快な仕事じゃないかとおもったわけです。

という、お気楽な動機で、このアナーキーの渦の中に飛び込んでしまうのだ! 本作、だから実際には、このアメリカ人夫妻に対する批判的な視点というか、アメリカの手前勝手な理想と、政治センスのなさ、イデオロギー的で現実を直視しない楽天主義などを、チクリチクリと皮肉る小説だとも読める。それでも、このお気楽な動機が、本作の一番の攪乱要因でもある。
まあ実際のところ、当時のインドネシアはスカルノ政権下で軍隊・宗教勢力・共産党の微妙なバランスの上に政権が成立していた状態で、本作に描かれるような軍隊と共産党が組むことだって、現実的だったわけだ(共産党の崩壊はスハルトの1965年のクーデターによるわけでまだまだ先)。こういう奇々怪々な政治情勢を、典型的なアメリカ人の夫妻が覗き見て、国家とかイデオロギーを超えた現実のややこしさを実地体験する話、ということでもいいのかもしれない。
しかし、本作、一種の連鎖的な構成になっていて、各当事者の事情などの描写は結構細かく、キャラに対する親しみを感じさせる小説技巧のうまさが光る。評者など冒頭に描かれた野心家のゴム園事務員ギリジャ(要するに「売り主」)の運命が結構気になってしまった。いろいろ不測の事態は起きてしまったが、それでもギリジャは成功しそうだ...というので評者は安心。こういうあたり、アンブラーは絶対外さない。

No.251 6点 スペイン岬の秘密- エラリイ・クイーン 2017/09/24 20:06
国名シリーズ最終作になるわけだけども、前作の「チャイナ」に引き続き、謎の設定と解決が、ヴァン・ダイン的捜査プロセス小説+読者への挑戦、という国名シリーズの定石からの「ずれ」が甚だしくなっているように感じる。国名シリーズはもう限界だったわけだな。しかし「死体が裸の理由」がなかなか丁寧な推理による解明があるとか、いい部分はあって、そうそう駄作というわけにはいかないちょっと困った作品ではある。

(少しだけバレるかも)
というのは、本作だと、ある意味「メタな推理」で、小説としてのオチなどを考慮して推理すると、犯人は明白なんだよね。しかし、「死体が裸の理由」を巡る推理は結構難易度が高い、というアンバランスなところがある....パズラーで「メタな推理」をしちゃうのは、禁じ手かもしれないけど、こういう小説だとやっぱり読んでて、どうしても計算にはいっちゃうんだよね...そういうあたりで「どんなもんか」なモヤモヤを感じる上に、本作で良い詳細の部分でも、偶然の要素の処理がうまくできているので、エラリイの推理を聞いて納得はするんだけども、犯行が過剰に技巧的、という懸念は残る。
だから本作の「犯人に同情の余地あり」というエラリイが推理機械でなくて...の部分は、これだけ技巧的な謀殺だったらいくら何でもダメでしょう? まあだからこういう「情」の面は「途中の家」でもう一度「国名的」な中に、本作よりもうまく取り入れられて、「災厄の町」につながる、という流れを感じる。

No.250 4点 ハートの4- エラリイ・クイーン 2017/09/24 19:46
ハリウッドもの、なんだけどね、皆さんハリウッドらしさが出てると評されるけど、評者に言わせると全然らしさが出てない。ポーラ・パリスみたいな地獄耳のゴシップ・コラムニストというと、ルエラ・パーソンズとかヘッダ・ホッパーとか、スター並みの存在感で恐れられた人(エピソードはずっとエグい)がいたりするわけだ。クイーンお得意の「呼ばれて行ったけど6週間音沙汰なし」のプロデューサーは、ハリウッドの第二世代の代表者のアーヴィング・ソールバーグがモデルで、この人はフィッツジェラルドの「ラスト・タイクーン」のモデルとしても知られる人だ。ここらへんのエピソード選択とか表面的なもので「ホントにハリウッド行ってたの?」級。まあハリウッドと言いながら撮影シーンがちゃんとないんだからねえ、もっと頑張ってほしいなぁ。
で..読んでてもどうもストーリーも冗長。トランプによる警告とか、後期の作品でもよくこの手の「謎のプレゼント」は多いけど、意外にサスペンスが盛り上がる...って具合にはいかないことのが多いように感じる。考えオチだからねこういうのは。
本来のミステリ部分が良ければそれでも...なんだけど、本作、犯人&動機をまともに隠せてないと思う。何か見え見えな真相でがっかりさせられる。
ふう、ここらへんの作品どれもこれも駄作なんだけど、その中では「ドラゴンの歯」が一番読める気がする。あれは恋愛担当をボー君に振って、エラリイはホント脇役だからね。そのくらいのバランスの方が話がうまく流れると思うよ。

No.249 5点 スクールガール殺人事件- コリン・ウィルソン 2017/09/20 00:12
「アウトサイダー」で有名なサブカル系批評家のフィクション作品だけど、なぜかなぜかガッチガチの警察小説である。もちろん、ウィルソンお得意のオカルトネタが全開なんだけど、読んだ感じは端正で少しモジュラー風(というか、モジュラーの本家J.J.マリックが友達で謝辞が入ってる)警察小説だ。なので何か地味で、読んでいる間はそこそこ楽しめるが、モジュラーの宿命でやたらと登場人物が多くて結構「あれ誰だっけ」になる。
「スクールガール」殺人事件とタイトルがついているが、実は看板に偽りありで、被害者は今風に言えば、JKコスプレが得意の娼婦まがい。その死体がとあるお屋敷の庭に転がっているのが発見された。で調べてみると、そのお屋敷の3階でその屋敷の所有者の甥が殺害されているのが発見され...でその甥というのがオカルティストで、交友関係の中に犯人が潜むのでは、とソールフリート警視の捜査は進む、という話。なので、オカルト知識ゼロの捜査官が、オカルト書店経営者とか、イギリスの「黄金の暁」の後継団体主催者とかの話を聞いて回る。まあ耳学問としては結構楽しい。アレイスター・クロウリーの本がちょっとした小道具として使われたりする。オカルト入門編のつもりなのかしらん。
で、魔女を自称する女性とソールフリートとの間に共感的な交流があったりする。ソールフリートは実務的なりアリストではあるが、そうそう堅苦しい感じではなく、メグレ風の想像力・共感力の探偵だ。この女性が直観した内容が、結構捜査の役に立ってたりするのを、ミステリのルール違反とか責めるのは狭量すぎるというものだ。
悪くはないが突出した良さとかはない。このくらいの評点が相応。

No.248 7点 ファイル7- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/09/17 09:05
マッギヴァーンという作家のイイところは、アーチスト的というよりも腕利きのデザイナーのような、「情報が整理されている」感覚なんだよね。中編「高速道路の殺人者」と本作、それから「ジャグラー」が、そういうマッギヴァーンの鳥瞰的な視点と、無駄のない語り口で事件の顛末をドキュメンタリ映画でも見るかのように伝えてくれる。

しかしいま連邦警察が必要とするのは推定ではない。必要とするのは、事実であった

サイレント期の饒舌気味な字幕のような、若干レトロな気取りのある説明的描写がカッコイイ。本作の狙いは誘拐を含め州間をまたぐ大規模な犯罪に対応する連邦検察局FBIを、それ自体として一個の精妙なマシンであるかのように描くことである。この狙いは成功している。人間臭いドラマは犯人サイドの担当だ。
犯人サイドは、まあマッギヴァーンなのでトリッキーな計画でもファンタジックなくらいに精密なものでもなくて、ごくありふれたプランなのだが、やはり「らしく」飛び入り要素が盛りだくさんである。幼児だけでなくその保母も気まぐれに一緒に攫うし、犯人の一人の弟(善玉)のログハウスを潜伏場所にするのだが、その弟が急に戻ってきたためにこれも捕虜にする。でこの弟とカインとアベル風の確執があるが、こういう要素の方がかえって古びるようだ。誘拐というと犯人側だって待機時間が多いのだが、暇になった犯人がもう一人の犯人をマウントしたがったり、と予想外のイベントが盛りだくさんにある。捜査側としては「重大案件だが特別な事件ではない」のだが、犯人側(もちろん被害者側も)にしてみれば「本当に特別なヤマ」になるわけだ。そういう対比が効いている。
本作は比較的長めなので、じっくりと犯人のキャラも書き込まれている。プランナーのグラントが最初は主導するのだが、屈折した問題児タイプのデュークが、微妙な心理戦をグラントに仕掛けて屈服させる(この手で弟のハンクを奴隷化した)とか、あるいは交渉役の第3の犯人もオタクタイプで性格が歪んでるのが印象に残る。
というわけで、本作はマッギヴァーンという作家が、自分のイイ面を目立たせるように、自分でうまく「狙いを絞って」書いた印象を受ける。この人の自己プロデュース力みたいなものを感じるな。

No.247 7点 道の果て- アンドリュウ・ガーヴ 2017/09/05 21:18
いつも思うのだが、ガーヴって何て読みやすい作家なんだろう!
風邪ひいて医者に行ったのだがほぼ待合+薬局で読了。ざわざわした医院待合なのに、気が付くとやたら集中してるよ...本当に、嫉妬するくらいの理想的な大衆作家だと思う。
考察すると、本作もキャラは少ない。主人公夫妻、養女、恐喝者×2、警視と6人で室内劇みたいな規模なので、キャラはしっかり描けてる。主人公は営林署の署長で森のプロ、しかも途中で山火事の鎮火にも活躍なんて幕間がある。開放的な自然を背景にして、家族のために戦う男が主人公だ。対するは養女の出生の秘密をネタに主人公を強請る恐喝者コンビ。なので主人公は正義の男なんだが、養女のために話を内輪にできれば...と思ったが最後、打つ手打つ手が裏目に出てドツボにドツボを重ねていく話である。
ナチュラリストで自然相手は得意でも、人間相手の駆け引きとか下手くそなのが、キャラのリアリティを高めてるかもしれないね。恐喝者コンビもそれぞれ個性が違い、よく描けてるわけだが、本作のイイところは、相談した警察がなかなかうまく役にたってくれない(と判断しちゃって)とついつい不満に思って、独自行動をするとさらにそれを警察に隠さなくちゃならなくなって...という心理にリアリティがあること。
なので最後の方なんて、祈るような気分で主人公が元に日常に戻れることを願ってたよ。当然ハッピーエンドなので、ご安心召されよ。

No.246 8点 異邦人- アルベール・カミュ 2017/09/04 00:01
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」をやったからには、「郵便配達」に影響を受けた本作をしたいよね。20世紀で一番有名な「人殺しの小説」の一つが本作なんだから、本サイトに登場していけないわけではなかろうよ。19世紀代表の人殺し小説というと「罪と罰」だけど、8人も評を書いてるじゃん。
実際「郵便配達」を読んだ直後に本作を読むと、本作が「郵便配達」の一種のリライトであることがわかる。「郵便配達」がフランクとコーラの情欲が、社会のコードにうまく適合せずに逸脱し続けてある時は犯罪と解釈され或る時は無罪となる話だったように、「異邦人」はムルソー個人の在り方が、社会のコードとズレていることが、その殺人行為以上に有罪(ほぼカフカ的というか思想警察的にというか)とされるという説話と読める。男女の情欲が重なりつつズレるダイナミズムが「郵便配達」の原動力なんだけど、「異邦人」はというと、一種の思想小説なのでずいぶんとスタティックだ。
実際ハードボイルド小説をいろいろと読み漁っていると、「異邦人」の文体ってハードボイルド以外の何物でもないよ。フランス人によるハードボイルド受容っていろいろな面で面白くて評者はたびたび取り上げているわけだが、純文学の極みみたいな本作でも、実は文章が本当にハードボイルドの影響が絶大なだけでなく、ムルソーの心理造形自体、ある意味ハードボイルドの極み、なんだよね。

実際、あの男には魂というものは一かけらもない。人間らしいものは何一つない。人間の心を守る道徳原理は一つとしてあの男には受け入れられなかった。

....これぞ、ハードボイルド、と感じないかな。この告発だったらフランク&コーラにも当てはまるわけで、ムルソーに結実する非情なキャラ造形は、それこそコンチネンタルオプからスペードからポパイからスリムから流れ込んできた「アメリカ」的モダニズムなのだ。内面が反転して「全き外面」であるような新しい人間のイメージは、映画とハードボイルドによって形成され、それが改めて純文学の対象として採用されたメルクマールが「異邦人」というわけだ。
ちなみに本作の文芸評論で有名なロラン・バルトの「零度のエクリチュール」ってのがあるんだけど、要するにこの「零度」はこういうハードボイルドによる「内面のゼロ」のことなんだよ。バルト、いい着目点をしたんだよね。

No.245 7点 郵便配達は二度ベルを鳴らす- ジェームス・ケイン 2017/09/03 22:45
昔ヴィスコンティの映画は見たなぁ。イタリアン・ネオリアリズモのざらついた白黒画面で、記録映画的に感情移入を排した犯罪映画だった。何か皆さん、本作よくわからなくて困ってるみたいだねえ。どんなジャンルでも「ジャンル確立期」はまだそのジャンルの「内容基準」が完全には定まっていないから、結構その後の基準からは逸脱的な作品が「古典」扱いにされることもママあるわけで、本作とハードボイルドの関係はそんなもの。
本作、欲望とルール、がテーマだよ。フランクとコーラは、まさに情欲が情欲だからこそどうしようもなく結びついて、邪魔者である夫ニックを排除するのだが、それもどうしようもなく行き当たりばったりで、殺人計画も杜撰といえば杜撰で、仕掛けて中止するとか保険みたいな予想外の要素も飛び出すような、ズブズブな犯罪しか計画できないわけだ。そりゃそうだ、単に二人とも相互に対する欲望に捉われているばっかりで、その欲望は何のルールも社会性もあるわけはない。本当に不定形なリビドーに過ぎないわけだ。
しかし、いったんそれが犯罪、というかたちで「社会化」されてしまうと、その不定形なリビドーが社会のコトバによって解釈され、再解釈のゲームの中に放り込まれる。そこらへん、もうこの二人の力の及ぶところではない。だから、意外なところから飛び出した保険の利害によって、真相も意図も越えたところで二人の運命は翻弄される。裁判の中で相互に裏切りあいながらも、たまたま保険会社の利害が無罪を選択させるために、二人は釈放される...しかし別なすれ違いがここから始まる。コーラは食堂商売が軌道に乗る「安定」に執着しだして、放浪者フランクとの間にはスキマ風が吹く。二人の関係を社会的な枠に収めようとするコーラは、フランクを結婚で縛ろうとするが、その婚姻という社会的な関係が、あっけないコーラの死の「解釈」としてフランクの首を絞めることになる...
本作のイイところとは、これほど社会的な関係と解釈が変転しても、フランクとコーラの愛が一切揺るぎがないことである。そもそも愛と情欲の肉体は、社会化と解釈の「彼岸」にあるのだ。

「咬んで、あたしを! 咬んで!」咬んでやった。唇に深く歯を立てると、おれの口の中に血がほとばしりでた。あいつを階上に運んで行くとき、血が首すじをつたった。

要するにこういう愛、なのさ。

No.244 6点 招かれざる客- アガサ・クリスティー 2017/09/03 22:08
「完全攻略」で褒めてるから、本サイトも書評が多いのかな。けど「完全攻略」、本作については何がいい、って言ってるのか読んでもよくわからない。評者は本作、それほどでもない。クリスティって実は舞台効果とかよくわかって使ってる面があるけど、本作読んでいてそれほど「あ、これ演出したい!」って思わせるほどの場面の良さを感じないな。一種の多重解決モノだから、どっちか言えばレーゼドラマ風に読んだ方がいいのかもしれないね。セリフだけで成立しているから、どのキャラの告白も、それぞれ単に等価で、幕が下りても誰が犯人なのかすべて霧の中に消えていく...というあたりが狙いなのだろう(要するに「羅生門」)。そこらへん、評者は芝居としてはスタティックで面白味に欠けると思う。
なので、たぶん評者の好みとしては、クリスティ戯曲のベストは断トツで「蜘蛛の巣」、次点は「検察側の証人」になると思う。(一幕物×3の「海浜の午後」と「殺人をもう一度」はまだだが)
けど、本作のリチャードは、クリスティの実兄がモデルだそうだ。おい?

No.243 6点 チャイナ蜜柑の秘密- エラリイ・クイーン 2017/09/03 21:51
評者クイーン長編もそろそろ終わりに近づいてるね。後期を先にやって最近になって国名シリーズに集中した理由は、単純に国名シリーズはほぼ昔読んでる(それと入手性がいい)だったわけ。で、だけど、やっぱ真相憶えてるんだよ....40年も昔に読んだキリでもね。本作も読んでると「ああこれあれがあれで...」なってしまってた。
まあだから、本作の読みどころは、あべこべ衣装をめぐるチェスタトン的論理と、大仕掛けな物理トリックが作り出すファンタジックなイメージ、ということに尽きると思う。物理トリックを「リアリティがない!」とかお怒りになるのは筋違いで、具体的な絵として想像してみると...シュールで華やか、綺想って感じで面白いじゃん。珍しく映画原作に売れた理由もそれじゃないかな。しかし中盤の展開が真相解明にまったく寄与していない、という長編構成上の問題があるから、もっと奇抜で似合った背景に変えて、100ページくらいの中編にまとめたら、切れ味のいい大傑作になったかもしれない。ヴァン・ダイン的な捜査プロセス小説の枠組みと、クイーンのしたいことが矛盾しだしてるのが本作の本当の難。
けど、エラリイのウンチクはどの作品でもトンチンカンなものばっかりだから、最近少々ウンザリしだしてる...

No.242 4点 日本庭園の秘密- エラリイ・クイーン 2017/09/03 21:25
本作は日本をネタにしたということで、日本人にとってはどうにも困惑な内容が多々あるが、細かいことには突っ込まないでおこう。
けどねえ、本作の真相が「ミステリとしてどうよ」というのとは別に、ハサミを凶器として選択する、ということ自体、またそれを、当時のアメリカ人のステレオタイプとしての「日本人的行為」である〇〇〇〇の道具に結びつけるという不適切さがやはりどうにもこうにも、違和感が強い。しかし、最後の再真相となると、再真相で明かされる主たる原因の結果としての〇〇〇〇...再真相としてはちょっと受け入れがたいものだ。そういうものじゃないでしょ。また再真相の犯人が完全に捨て身ならば、そういうこともできるかもしれないけど、被害者が事情を周囲に漏らす可能性を全然否定できないから、現実性があるようでない話だよ。後の再真相は「ミステリとしてどうよ、と突っ込まれがちな件よりも気が利いてる」と思って追加したんだろうけど、逆じゃないかなぁ。クイーンの方こそが「トリックのためのトリック」に淫している感じだ。
あと本作、前半エヴァ視点で描写が続くんだけど、他人に依存的な不快なほどのカマトト娘である。読んでてはっきり苦痛。国名シリーズあたりでクイーンの描く女性像って「令嬢が死体を見て失神」したりして「いるのかよこんなステレオタイプ!」ってなるくらいに保守的だしね。
印象的な女性キャラクタって「災厄の町」のノーラか「ダブル・ダブル」のリーマくらいにならないと出てこないから、女性が苦手な印象が強いなぁ。映画だってヒロインは、オフィスワーカーで自立した皮肉屋くらいがウケの線といっていい時代なんだから、同時代のハードボイルドな女たちと比較しちゃいけないが、それにしても保守的にすぎるんじゃない?

No.241 9点 殺人のためのバッジ- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/08/30 21:21
評者今までマッギヴァーンってそれほどハードボイルドを感じたことがなかったのだが、久々に再読して、いや、本作ある意味マッギヴァーン流のハードボイルドなんだ、ということを強く感じた。マッギヴァーンって心理描写をツッコむ傾向が強いから、「行動・会話主体」というハードボイルド文体からズレ気味なんだが、本作ではとくに「ささくれたような非情さ」という面が強く感じられて、これがまさにハードボイルド、という感覚なのだ。その「非情さ」というのは、「即物的なほどのリアリズム」という、本作のもう一つのテーマとも強く結びついている。
本作くらい、「シンプル・アート・オブ・マーダー」を極めた作品はないんだな。悪い意図を疑われるような警官の「職務上の殺人」なんて、今どきでもアメリカではかなり起きているわけで、本作の刑事によるノミ屋殺しくらい現実的な話はない。手段はとっても簡単。作品中でも証拠はほぼない上に、事なかれ主義の上司は現実に目をつぶってもみ消す「警察一家」な仲間仁義の世界にいるわけだ...これは小説だから犯人は破滅するが、それが小説の「ご都合」にしか感じられないような「非情の世界」はまさにこの現実である。
あともう一つ見逃せないのは、主人公ノーランの造形。下層の白人でマチズムの権化のようなマウンティング男。ゆがんだルサンチマンを発散させるための殺人、というイヤな感じが漂う...もうすでに何人も粗暴さから殺しているから、殺しは手慣れたものだったのかもしれない。しかし自己の欲のために計画的に「殺人」をしてしまい、妙な達成感から身にそぐわない野心を抱くようになる。そうなったらもうお終いで、人間性がボロボロと崩壊していくさまを、本作は丁寧に描写していく。一番悲しいことは、自身の人間の崩壊を、万能感で舞い上がった本人こそがまったく把握できないことだ。この殺人からくる昂揚と妙な万能感を、マッギヴァーンは見事に突き放して描いている。これが凄い。
「そうねえ、ただそれだけねえ。悲劇的でさえないわねえ」。ノーランの「夢の女」として動機の一部になっているリンダにさえ、ノーランの愚劣さは隠すことはできなかったのだ。それが一番情けないことなのだ...
(原題は「Shield for Murder」だから、「殺人の盾」というタイトルでもおかしくはなかった。警官の徽章は盾のデザインだからね。そのノーランの盾ってのが、警官仲間仁義なんだから、ダブルミーニングのいいタイトルだと思うよ)

No.240 5点 デルチェフ裁判- エリック・アンブラー 2017/08/25 17:54
困った...本作は翻訳が悪くて、何を言っているかよくわからない箇所が多いのだ。ググってみるといいのだが、常盤新平の「ブックス&マガジンズ」という本の中に、本書の出版状況が書かれている(松江松恋氏のブログで見つけた)。
当時、ハヤカワの編集は常盤新平ただ一人で月に13点ものポケミス新刊を出していたようで、一人じゃとてもじゃないがチェックが効かずに、定評ある翻訳者だから、というので訳稿を読まずに製作に渡してしまった。結果、「わけのわからない翻訳」という苦情がかなり届き、常盤新平は早川社長に叱られたんだそうだ...
訳者の森郁夫はブレット・ハリディとかR.S.プラザーとか軽ハードボイルドを中心に訳している人だが、その後じきに若くして亡くなっている。で、読んでみると、キャラの行動に関わるあたりはいいのだが、政治的な背景とか状況説明となると、途端に何言っているのかわからなくなる...まあ、アンブラーの政治スリラーだから、米語の会話を軽妙に訳す能力よりも、政治論文を正確に訳す能力の方がずっと大事なんだよね。なので、読んでいてデルチェフの政治的な立場がどうなのか、少しも理解できないままに話が進んでしまい、東欧ソ連衛星国でのテロと強権的な政治裁判をめぐるタダのスリラーくらいにしか理解できなくなってしまう。
アンブラーがタダのスリラーを書くわけなくて、二転三転する事件の解釈や、外国通信社で働く主人公のガイド役の屈折したキャラとか、小国の政治家の意外な内情など、いろいろと読みどころがあるにも関わらず、これらがちゃんと筋道立って理解しづらい。最後に至っては大掛かりなテロ事件の緊迫感があって盛り上がるんだけどね。実際、乱歩が戦後すぐに「シルマー家」とか読んで、戦後のアンブラーが新境地を開いたと強い感銘を受けた旨(アンブラー三説)を書いて本作にも期待したわけで、本当はとっても面白い作品なんだと思う。
新訳をお願いしたいところだが、本作だと背景もほぼオワコンだから、無理だろうな...残念なこときわまりなし。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1419件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(105)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(48)
ジョン・ディクスン・カー(32)
ボアロー&ナルスジャック(26)
ロス・マクドナルド(26)
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エリック・アンブラー(17)
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ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)