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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1384件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.564 7点 ミニ・ミステリ傑作選- アンソロジー(海外編集者) 2019/08/22 09:13
大昔に読んだなりだったクイーン編のショートショート集。いや、結構オチを覚えているものだね。アイデア・ストーリーが鋭く純粋化されたようなものだから、頭のどこかにきっと死ぬまで突き刺さっているんだろう。
だから、展開で読ませるタイプは意外に忘れるものだし、決め台詞があるものはよく覚えていたりする。そうしてみると評者だと、前半の型にはまらない「ミニ犯罪小説」の方がよく憶えていて、ミステリ専業作家がレギュラー探偵を起用したものが多い「ミニ探偵」の方が忘れやすい傾向があるように思う...でベストは落語みたいなオチの「馬をのみこんだ男」(クレイグ・ライス)ばかばかしさが本当に、いい。
評者好みは「カードの対決」(コステイン)これは決め台詞タイプ。「演説」(ダンセイニ)皮肉なアイデアストーリー。「月の光」(ハイデンフェルト)手がかりになる言葉が忘れられない。「子守歌」(チェホフ)これは描写のコッテリ感。「ある老人の死」(ミラー)人情。「殺人のメニュー」(ドンネルJr)小粋。というあたりかな。
本としてはナイス編集。収録作が多い分、多彩な面白さを味わえるし、切れ味の良い作品が多いので、個々が埋没しない。おすすめ。

No.563 8点 二十世紀鉄仮面- 小栗虫太郎 2019/08/17 11:42
昔の作家の場合、短編集が何種類も出てて表題作が同じでも収録作はバラバラ、なんてことがよくあるんだけど、評者の感覚だと虫太郎の基準となるのは桃源社の全作品9巻である。桃源社だと「二十世紀鉄仮面」は黒死館と「国なき人々」以外の全法水物を収録した巻として親しまれていたのだが...河出文庫で「法水麟太郎全短篇」でまとまって、これは「国なき人々」も含んでる(鉄仮面はない)。どっちでやるか?とは悩ましいんだけど、評者が読んだのは桃源社の廉価版なので「二十世紀鉄仮面」でさせてもらうことにする。ただし評者は長編「二十世紀鉄仮面」の評は「青い鷺」でやっているので、そちらを参照されたい。全短編個別に書きたいから、最初からそういうつもりだった。お許しください。
「後光殺人事件」は「招かれた精霊の去る日に、新しい精霊が何故去ったか―」と七月十六日朝に、寺院の住職が技芸天女を祀る堂宇で恍惚とした表情を浮かべた他殺体として見つかった...変態心理が中心だけど、それでも一応普通の本格探偵小説風に読める作品。まだ小手調べ、といったところが相応。新暦のお盆の話なので、タイムリー、でしょ。
「聖アレキセイ寺院の惨劇」白系ロシア人亡命者の老人が、ギリシャ正教様式の寺院で殺害されているのが見つかった...虫太郎に限らず戦前の日本のミステリだと機械仕掛けに凝りすぎてリアリティのない作品が結構見受けられるけど、実のところこれは、二十世紀前半らしい「機械を巡るファンタジー」と見たいと思うんだ。本作とか「夢殿」はそういう「殺人機械」の空想(暗黒面のSF)とそれにまとわりつく宗教が頽落した妄念(裏返しの進歩主義か?)の一大絵巻くらいで捉えると、その美質を過たずに捉えられると思う。そういう意味で虫太郎の完成形の一つ。
「夢殿殺人事件」これも「アレキセイ」同様に、豪華絢爛の殺人機械の話だが、密教の儀軌を小道具にして、活人画ならぬ「殺人画」を徹底的に描いて成功している。「吸血菩薩」というイメージを作り上げたことが超絶である。法水短編のベストである。
「失楽園殺人事件」前二作の応用編みたいなものだけど、明らかに「軽く」書いている。ただしグロはそれ以上。黒死館の目途が立って安心したのか、やや手の内を見せているのが興味深い。「以毒制毒の法則が使えるからです。謎を以って謎を制す」とか、「...の命を絶ったものは、実に、この一つの比喩にすぎなかったのですよ」という真相など、作家の舞台裏を窺わせることを言っている。虫太郎の魔力とは「比喩の魔力」だからね。比喩によって、稲妻に撃たれたかのように新しい関連が生まれてくること、たかが比喩に人生が懸ってしまうこと、観念のために生を棒に振って悔いないこと、虫太郎の毒気に当てられるのこういう瞬間だ。
「オフェリア殺し」からは推理機械法水にキャラを盛ってくるようになる。法水がシェイクスピア俳優になって、ハムレットのパロディを演じる。同様に「人魚謎お岩殺し」はグラン・ギニョルの日本版みたいな殺人芝居の一座で起きた四谷怪談ネタの殺人。両作ともモチーフがかなり共通する(舞台上の水路で死体が見つかるとかね)し、たぶん出来が気に入らなかったんじゃないかなあ。
「潜航艇「鷹の城」」は中編規模で、短編では一番長い。長編「二十世紀鉄仮面」のプロトタイプみたいなもの。オーストリア海軍の原始的な潜水艦(なので潜航艇)から消失した艦長の謎から始まり、新たに遊覧船に改装された潜航艇のお披露目の中で、この艦と事件に因縁のある四人の盲人たちの只中で起きた殺人を法水が解決する。本作のモチーフはヴァーグナー(「指輪」と「オランダ人」)とその元ネタのニーベルンゲン譚詩で、ペダントリはそう難しくない...けど本作だと素材がそのまま投げ出された様相で、狙いはわかるけどとっちらかったまま。推測だけど「ゼンタの殺人」にしたかったんでは。

というわけで法水短編は「アレキセイ」「夢殿」が頂点。活人画ならぬ「殺人画」の凄惨美と「殺人機械の夢」、オカルティズムを一つの比喩として運命として捉える自己投企、と虫太郎以外誰も描き得ない極彩色の世界である。評者に言わせれば、笠井潔も京極夏彦も「アレキセイ」「夢殿」の短編にさえ全然及ばない。

No.562 8点 男の首- ジョルジュ・シムノン 2019/08/15 14:50
評者もシムノン手持ち札がさすがにそろそろ尽きてきた。なので大定番のこれを投入。言うまでもなくメグレ物としては特殊作品である。もともと戦前に本作の映画化「モンパルナスの夜」が日本でもヒットして、シメノン人気が燃え上がったことから、何となく代表作化しているだけのことである。しかしね、本作はメグレ以上にジャン・ラデックのキャラクターが極めて印象的なことで、特殊作品だけどシムノンの傑作の1つにはちがいない。

(ネタばれ... けど推理に重点が全くない作品だからお許しを)
考えてみればウルタン犯人に納得しなかったメグレが、わざわざ職を賭けて脱獄させたことで、一旦は完全犯罪を達成したラデックに「もう一度、世の中をひっかきまわしてみたい」という自己顕示欲を刺激しちゃったわけだから、何とまあ罪作りなことなんだろうね。しかも「罪と罰」みたいな良心とか道徳とか愛じゃなくて、自己顕示欲の延長線での「捕まりたい」欲望を抑えれなくなったラデックが、自分の「カッコいい破滅」を求めてメグレをわざわざ挑発する....生き急ぎ死に急ぐ、神に挑むようなロマン派的なキャラクターに、評者とか学生の頃は結構イカれたもんだったんだがね。今思うとさすがに青臭いなあとも顧みるんだが、シムノンもこれを書いたのは28の歳。やはりシムノンの青春の決算という色調が強いんだろう。
ただし本作の持っている「青春の毒」は後の作品でも、繰り返し現れるので、そのバリエーションを愉しむのもいいだろう。同じネタでもシムノンの成熟によって、多彩な切り口が現れてくる。「雪は汚れていた」とか「第一号水門」を併読すると味わい深いと思う。
(中盤の「キャビアを好む男」あたりのカフェ・クーポールのシーンは、本当に凄い。映画で演出してみたいくらいだ...)

No.561 7点 フランチャイズ事件- ジョセフィン・テイ 2019/08/15 09:32
欧米のオールタイムベストによく入る作品なんだけど、日本での人気は「時の娘」と比較しても今一つ。たぶん本作、流し読みしただけだと掴みどころがないじゃないかな。「時の娘」もそうだけど、実にキャラ描写が的確で、ユーモアも十分、「いい小説読んだな」と思わせる小説読みに愛されるタイプの作品なのは、間違いない。
イギリスの郊外の田舎町で開業する弁護士ロバートは、町はずれの古びた邸に住むシャープ母娘から、事件に巻き込まれたので相談に乗ってほしいという依頼を受ける。この母娘は人づきあいの悪い変人と周囲から思われていた....この家に15歳の少女が1か月の間監禁されていたと告発されたのだ。少女の証言は詳細で、警察も取り上げないわけにはいかない。赤新聞がこの事件を嗅ぎつけて報道したことから、「魔女」のように思われていたシャープ母娘は、町の人々からの嫌がらせを受けるようになる。しかし、ロバートはシャープ母娘との付き合いが深くなるにつれ、どうしても少女の告発が信じられないものになってくる。ロバートは少女の告発の事実を崩すべく、調査に真剣に乗り出す。
はい、これ解説の乱歩は気がつかなかったみたいだが、有名な歴史上の事件の「消えたエリザベス」の設定を現在に持ってきたものだからね。なので本作も「時の娘」同様に「歴史ミステリ」である。まあ本作はフィクションなので、調査は難航しても最後には証人もちゃんと見つかって大団円、なんだが、ミステリとしては謎解きというよりも、やや偏屈で人づきあいが苦手なシャープ母娘、極端な体裁屋で「あまり善良すぎて却て信用出来ない。十五の娘なんてあんなに善良な筈はない」と評される被害者の少女、シャープ母娘のメイドだったけども盗みでクビになって、仕返しに「屋根裏での少女の叫び声を聞いた」と証言する少女、などとくに女性キャラの描写が深くて、これが読みどころ。ここらへんクリスティに近い味わいがある。主人公のロバートも田舎の事務弁護士の日常の繰り返しから、目覚めて立ち上がるさまなど、ロマンス小説風に読んでもいいんじゃないかな。「魔女狩り」風の嫌がらせに対して、ロバートの周囲の人々(これもキャラがしっかり)がロバートとシャープ母娘をがっちり支えるのが、なかなか感動的。
事件も監禁傷害と地味、手がかりや証人も徐々に見つかっていくだけ、といわゆる「本格」を期待したら全然ダメな作品だけど、リアルで小説的充実感バッチリなエンタメを読みたいなら、どうぞ。
(けどねえ、翻訳はサイテーの部類。こんなんでも改訳せずにポケミスを再版するんだなあ、とちょっと呆れる)

No.560 8点 夏への扉- ロバート・A・ハインライン 2019/08/14 19:05
本サイトで大人気のSF、というと「星を継ぐもの」はまあ例外、そもそもSFミステリな「鋼鉄都市」、で本作はというと... 何というのかな、とっても日本人好みなほっこりした語り口で安定の人気を誇っている。評者とかは他人事ながらほっとする。
「ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を捨てない」と、クラシックSFらしい甘やかなポジティブさが漂う。こんな情緒性が日本人に、ウケるんだよなあ。プロットにスケール感はないけども、タイムトラベルものなので、入れ子になったかたちで込み入っているのが、ややミステリっぽいと思ってもいいだろう。で猫と少女とハッピーエンド(苦笑)。あまり評者が茶々入れるのも何である。最初の強制コールドスリープのときに猫を置いてきぼりな件が、うまく解決されるのが情緒的にもナイスなあたりだしね。
作中現在(1970年)も作中未来(2000年)も軽く超えちゃった今読んで、50年代の作中に予見されたガジェットが、今現在結構それらしく実現しているのもちょいとした読みどころだ。文化女中器はルンバっぽいし、製図機ダンはCADソフトみたいなものだし、トーゼン記憶チューブは半導体メモリみたいだし...けどコールドスリープが実現している反面、音声認識がやたらと難しいものとして扱われているあたりに、技術の進歩に対する認識のムラみたいなものが期せずして現れてくるあたりも、妙に面白い。ここらは作者の意図しない読み方になるんだろけどね...

No.559 9点 山猫の夏- 船戸与一 2019/08/14 09:15
夏だ!舞台では11月だけど、夏である。ブラジルだからね。
80年代というと、日本でも冒険小説が流行った時代なんだが、評者の好みじゃ本作が頂点。ブラジル北東部の片田舎を舞台の「血の収穫」ベースの一大バイオレンス絵巻である。
ビースフェルテルト、アンドラーデの二名家が抗争を繰り返す町、エクルウ。この町で小さな酒場を営む「おれ」のもとに、「山猫」が現れた。山猫はおれを強引に助手にして、山猫の仕事に連れまわすことになる。「山猫」は日系人の弓削一徳、皇道派将校を父に持ち、都市ゲリラに身を投じたのち、一転して裏社会で悪名を馳せるようになった「プロ」である。「おれ」は日本から脛に傷をもって逃れてきた元過激派だった。周囲にわからないように日本語で会話できるのを見込んでの採用である。手始めはビースフェルテルトの令嬢が、アンドラーデの若様と手をとって駆け落ちしたのを追跡する仕事だった。荒涼とした砂漠での追跡、カンガセイロ(山賊)との交戦、バッタの大群との遭遇、そして、山猫とは因縁の敵手であるアラブ人バブーフとのさや当て。さらに山猫は両家の抗争をあおりつつ、この抗争を利用して漁夫の利を得ていた駐屯軍と警察の介入を策謀する。山猫の狙いはこの両家の資産を分捕ることだった!山猫の計略に踊らされて、死体の山が築かれていく....
とまあ、とにかく、熱い。ブラジルの片田舎、で風土風習があまりなじみのない地域なのだが、マカロニ・ウェスタンみたいに感じればいいのだろう。日本人にとって西部劇というものが、なかなか消化しづらいエンタメだったのを、戦前の時代伝奇や剣豪ものなんかで、間接的にアダプトしていたことを思うと、本作は真正面の「日本人によるウェスタン」という画期的なものである。本場の西部劇だといろいろ突っ込まれかもしれないから、ブラジルにもっていったあたりの着眼点がいい。「血の収穫」だって、実質ウェスタンみたいなものだからねえ。
あというと、この世界はグラウベル・ローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」に影響を受けているんだと思う。土俗的で時代劇みたいに思っていると、実はこれが「今」の話だ、という奇妙にタイムスリップしたような時代がごちゃまぜになったようなマジック・リアリズム的な感覚は、ブラジルが抱える多種多様な民族と生活のクレオールなリアリティだ、ということにあるんだろうけどね。本作だと「ロメオとジュリエット」風の前半の話と、山猫が財産を分捕るのにヘリコプターで弁護士を呼ぶ今、さらに呼ぶ手段が伝書鳩...など時間軸が奇妙にねじれた面白さがある。
まあエンタメとしては、読者の視点人物になる「おれ」が山猫の影響を受けてハードボイルドに変貌していくのが、常套手段とはいえ、よろしい。その昔やくざ映画を見終わって出てくる観客が、みんな肩怒らせて....って、あれ。
本サイトは冒険小説弱めだけどね、本作とかぜひぜひのおすすめ。暑い夏の読書にいかが。

No.558 6点 皇帝のいない八月- 小林久三 2019/08/13 11:28
映画見たんだったな。山本薩夫監督で渡瀬恒彦とか吉永小百合の出てるやつ。70年代の邦画では例外的な、自衛隊のクーデターを取り上げた大がかりなポリティカル・スリラー。山薩だもん(結構ヒイキ)骨太な群像劇に仕上げてあって、一見の価値があるよ。クーデター部隊によるブルートレイン・ジャックにフォーカスされる題材が題材なだけに、映画には自衛隊も国鉄も一切協力なし。セット&ミニチュアで頑張った!原作だとそこまで描いてないけど、映画はホントに誰も幸せにならない辛口エンド。クーデター陰謀を追い続けた三国連太郎の陸将補が口封じにロボトミー受けて廃人化してるのが辛い。
だから映画は原作に結構忠実だけど、かなりいろいろ補完している。原作だと季節も不明で「皇帝のいない八月」の意味は説明されないけど、映画はちゃんと八月に起きるクーデターの作戦名で、映画の中に登場するレコードの曲から取られていた。作曲が佐藤勝の重厚なオケ曲。原作はシンプルにブルートレインさくらに乗り合わせた記者と元恋人、クーデター指導者の三角関係がベースで、それに記者の上司とその友人の大新聞のデスク、裏で鎮圧を指揮する内調室長(映画では高橋悦史)くらいに絞られている。そもそもクーデターという規模の大き過ぎる事件を、列車パニック物に落とし込むのがこの作品のキモのアイデアだから、小説はこれはこれでいいんだろう。映画は客観的だから内閣の動きとか並行して描いた方がずっといい。だから、そうしている。
そんな具合だと映画の方のがどうしても「完全版」みたいなことになるのは仕方がないな。うん、まあ映画を見たまえ。

No.557 6点 姑獲鳥の夏- 京極夏彦 2019/08/12 19:59
夏!特集である。けどね、本作看板に偽りあり。事件が終わってやっと夏がくる(苦笑)。
人気作家、ということで少し読んでたんだが、3本目で「狂骨の夢」を読んでバカバカしくなって読むのをやめた。本作はまあ、意欲はあるからね、とりあえず次も読もうか、という気にはなった。改めて再読。本の厚さははっきりダテで、サクサク読める。事件密度が低くて冗長なんだよね。最初の病室訪問までで半分使ってるんだもの。京極堂のご高説は、まあ当たってるのが多いんだが、元ネタもあるなあ。宗教関連の話は理解不足と思う。よく勉強して書きました、感が強くて、それを超える狂気とかはない。奇説珍説に見えて、実のところ衒ってはいるが、穏当な範囲だと思う。
だから京極堂がウンチクるご高説をカッコイイと思うのは、評者はカッコ悪いように感じるな。まあ評者、解離性同一性障害とか大嫌いだしね。それよりも、憑き物落としに出陣する京極堂のファッションの決め具合の方が、ずっとナイスである。薔薇十字探偵もそうだけど、キャラのビジュアル設定にやたらとカッコよさがある。そういう小説だと思う。
で、問題の密室は、フェアとかフェアじゃないとか、って話ではないと思う。この趣向を実現するために、小説1冊を捧げてるわけだから、既存の物差しで合格・落第を判定するような読み方は、つまらないと評者は思うんだ。覇気があって、いいじゃないか。ただ、事件後の真相の解説はくだくだしいし、読者もイヤ~な気分になるような陰々滅々。やりたいんだろうけど、ここはサクッとまとめたら評者は評価のいいあたり。
というわけで、覇気を買うけど、小説としては無意味にクダクダしくて冗長かつ悪趣味。どうも評者嫌いなタイプの本なのを、以前は無理にでも評価して読んでた気がするな。まあ、いいさ。

No.556 6点 料理長が多すぎる- レックス・スタウト 2019/08/12 13:11
評者あまりネロ・ウルフは得意じゃない...これって一種のキャラ小説なんだと思う。ペリー・メイスンが苦手なのと同じようなものじゃないかな。アーチ―とウルフの掛け合って、考えてみればローレル&ハーディみたいなコンビのわけで、単純に楽しめばいいんだろう。気楽に読めばいいじゃないか。
で、ウルフの料理のウンチク全開の本作だ。お楽しみで来ているイベントだから、でなかなか事件に介入したがらないのが面白い。商売第一、なあたりが変にリアル。パズラーとしてはあまり手がかりがはっきりしないものだから、それを重視しすぎてもね、という印象。
しかしね、評者本作は一か所感動したんだよ。それは、料理長イベントの裏方である黒人スタッフを集めて、ウルフが重要な手がかりを得るシーンなんだけど、ウルフが黒人たちを完全に対等に扱い、黒人たちの知性と理解力をきっちり認めた上で協力を要請しているあたり。戦前のエンタメだと「黒人はいない」ような扱いを受けることが多いのだけども、このシーンはナイスにしてフェア。まあウルフって真相を解明して犯人を指摘した後でも、呼び捨てにしない傾向があって、そこらも「意識高い」良さがある。

No.555 5点 007/サンダーボール作戦- イアン・フレミング 2019/08/12 12:47
miniさんが要領よく事情をまとめているので省くけど、本作の原型は映画用シナリオである。しかも状況によっては映画第1作になるかも..という可能性もあったわけで、犯罪計画は大規模で、しかも結構リアルに「起こりうる?」なんて懸念された「核ジャック」である。キャッチーなんだけど、話はあまり無理せずにまとめて「守ってる」印象。
フレミングはジャマイカに別荘を持ってる縁もあって、舞台はおなじみカリブ海。「死ぬのは奴らだ」「ドクターノオ」本作「黄金銃」に短編集の3/5 だから、評者は食傷気味だ。映画シナリオっぽさは、核ジャックが起きてMがボンドを呼び出して任務を与えたあとに、核ジャックの手口を敵方視点で長々と叙述しているあたりで窺われる。けどちょっとバランスを失ってる気もする...もう少しカットバックするとか、ないのかな。
まあ本作、「今ひとつ」の最大の理由は、スペクターと言えばブロフェルドなのに、本作のメインの「敵」は実質No.2のエミリオ・ラルゴで今一つ「悪竜」ぽさに欠けること。タダのプレイボーイで、カリスマとか憎々しいワルさとか、今一つ。またイントロでボンドが無頼の生活を改善するために、業務命令で自然食療養所に入れられて...のナイスなエピソードがあるのに、そこでのワルのリッピ伯爵が小物過ぎ、しかもスペクターの犯罪計画に強く絡まないあたり。
総じてあまりプロットは上出来とは言いかねるし、評者「死ぬのは奴らだ」と続けて読んだせいもあるけども、水中戦が「またかよ」になってしまった。フレミングってプロットのバリエーションが少ない作家だ。

No.554 6点 トレント最後の事件- E・C・ベントリー 2019/08/06 21:54
本作だと第一次世界大戦直前の作品なんだもんね...ミステリとしてどうこう、というのをあまり気にせずに読むと、甘ったるいのもいいじゃないか。軽妙でユーモアもあって、しかもトレント、紳士というかイイ奴だよ。さっくり読めるヒネリの効いた話を楽しもうか。
作者はチェスタートンの仲間で、マジメに探偵小説を文学的に向上させようと..との狙いで書いたものだから、教養も不足なくって、背景とかキャラとか類型的でないリアルで描く能力がある。冒頭での被害者マスタートンの経歴だって、経済的背景をしっかり押さえて描けてるわけで、ミステリ離れしてるな。それでも黄金期以降の基準だとミステリとしてはフェアじゃないし、恋愛で道草するし..でもお育ちの良さみたいなものを感じて、なんとなく許せる気分になるんだ。
そうは言っても、一応トリックもあってどんでん返しもキッチリ決まる。そのクセに、ミステリを読んだような気が少しもしないのが、不思議な読後感である。別にこれは恋愛要素を取り込んだ云々、という話じゃないんだよ。まあ要するにこの人、ミステリ書くのが性格的に向いてないんだろうね。書かれた時期がタイムリーだったから、有名古典になっているのだけど、外れてたら埋没してたんじゃないかなあ。古典かどうか、ミステリかどうか、とかあまり関係なくて、余裕を持って何でも読める読者なら楽しめるタイプの作品である。

No.553 6点 赤後家の殺人- カーター・ディクスン 2019/08/04 23:45
本書の冒頭がスティーヴンソンの「新アラビアンナイト」なことは憶えていたんだけども、改めて読むとホントに「新アラビアンナイト」になぞらえて設定してたんだなあ。でこの冒頭とか中盤のサンソン一家の話(15年くらい前に新書でベストセラーがあったね)とか、カーの厄介なところは元ネタのある話に生彩が出るあたり...この人結構「本から本を作る」タイプの作家だからねえ。
皆さん結構評価が割れてる作品になるようだ。評者一番?なのは、細部細部は結構辻褄が合っているのだけど、全体で見ると事件の全体像が掴みづらいあたりかな。犯人の全体的な狙いが分かりづらいものだし、プランの途中変更がいろいろあって、結果的に迷彩がかかったようというか、何がどうなっている?が本当に掴みづらい。読了直後でも他人に真相を説明して!と要求されたとして、説明しきれる自信がないや。凝りすぎて全体的な構成に失敗しているような印象がある。
それでも導入から殺人に至る流れとか、フランス革命下のパリでのロマンスとか、印象に残る場面が多い作品であることも確かである。良い部分もある失敗作、くらいの位置が相応だろう。

No.552 7点 サマー・アポカリプス- 笠井潔 2019/08/04 23:06
夏だ!アポカリプスだ!なんてのは評者だけだろう(苦笑)。去年は「寒い」方で特集したけども、今年は「夏」でまとめようか。前作「バイバイ・エンジエル」は真冬だったけど、本作は南仏ラングドックの暑い夏の話である。黙示録殺人事件とまあ、大上段に出たもので、だから四人の騎手になぞらえての連続殺人...カーか横溝正史かってくらいのおどろおどろしい怪奇趣味。
が、パズラー的にも準密室1,密室1,アリバイ工作など結構充実している....のだが、探偵役のヤブキカケルに謎を解明するヤル気がないのが奇観というものだ。前作だと「現象学的探偵術」が非常に効果的だったのだが、今回は標準的なパズラーのごく平均的で常識的な解決。前作のショックには程遠いし、前作は想定外状況からの「モダン・ディテクティヴ」になってた良さがあるんだけど、本作は犯人プランが無意味に凝りすぎている。カケルのヤル気はシモーヌ・ヴェイユを仮託したキャラとの思想的対決に振っていて、ここに作者のリキが入っているのが見て取れるのだが、評者はこの議論は買えないな。結構イイ気なテロリズムの是非についての議論だよあれはね。しかもこの議論がミステリの側と噛み合っているように思えないんだなあ。あの議論、この本作じゃなくて前作への注釈みたいなもので、ヴェイユなら「バイバイ・エンジェル」のテロ思想をどう克服するか?と聞いてみました、というノリのものだよ。だから前作の犯人バレしてるからどうこう以前に、前作読んでないとまったく「お話にならない」。
どうせ黙示録というのなら、イエスの再臨で携挙された真のクリスチャンが、滅亡する地上を眺めても神と一体化する喜びの中で少しも心を傷めない..なんてあたりを突っ込んだ方がいいんじゃない?なんて思うのだよ。まあそもそも「黙示録殺人事件」なんて発想自体が、キリスト教をファッションで誤魔化せる日本人らしいものだと思う。
なので本作、ハッタリは大変見事だと思うけど、ハッタリほどには内容が伴っていないように思う。たぶん本作と次の「薔薇の女」を書いて、こんなことがしたいなら、伝奇アクションの方がいいんじゃない?と作者は思って「ヴァンパイアー戦争」にしたと思うんだ。バタイユ神話をベースにした霊的闘争史観なんだから、本作+次作、ということでしょう?
いろいろイチャモン付けたくなる作品だけど、客観的にはエンタメとして力作である。甘目に7点。カタリ派ウンチクがヘヴィとか皆さん言うけどさ、怪奇派スリラーくらいで読めばいいんだよ。この人太田竜みたいにかなりオカルト入ってるから、真に受けないようにね。

No.551 6点 蜃気楼博士- 都筑道夫 2019/07/31 08:44
夏休みこども劇場の締めは本作。児童向けミステリの金字塔である。
今回は本の雑誌社の都筑道夫少年小説コレクションで読んだので、その昔のサン・ヤング・シリーズの「蜃気楼博士」に1968~72年に「中一時代」に連載されたフォト・ミステリ12本を収録。これも「オヨヨ島の冒険」「仮題・中学殺人事件」などと同様にサン・ヤング・シリーズの1冊だったわけで、シリーズの伝説っぷりが窺われるというものだ。たぶんサンヤングシリーズではなくて、その新装版の少年少女傑作小説集の方だと思うんだが、評者こどものときに読んだ記憶があるよ。
このシリーズだとパズラー枠は「仮題・中学殺人事件」の方がメタミステリ方面で話題になりがちなのだが、特に表題作の「蜃気楼博士」は「読者よ欺かるることなかれ」風のハッタリの効いた、ガチのパズラーなのである。しかもね児童向け、ということも影響しているんだろうけども、「フェア」にポイントがある。
児童向け、というと大正年間からの「赤い鳥」から来ているんだけども、「純真な子供だからこそ、オトナの都合の欺瞞はすぐにバレるから、真剣に向き合わなくては」という理想主義の伝統があったわけで、実のところ70年代の子供向けとして作られたTV番組なんかにも、評者はその残響を感じることがある。だから都筑道夫が児童向けミステリとして「真剣に子供に向き合う」とすると、やはり「フェア」ということが譲れない部分になってくる。本作の児童向けミステリは、すべてロジカルで、フェアであろうとする都筑の真摯さが伝わってくるのだ(まあ無理筋はあるけどね...)。
このロジカルでフェア、という都筑の美点はもちろん本来の大人向けでも発揮される特徴なんだけども、逆に言うと「蜃気楼博士」みたいなカー風のハッタリは、大人向けじゃあ大時代的すぎてやりづらい...となるのが、「モダン」を極めた都筑道夫らしいあたりだと思う。そういう意味では、フォトミステリの最後の作品である「赤い道化師」がいかにもの乱歩スリラー風なのを、極めて合理的にひっくり返してみせるあたりに、都筑の乱歩に対する愛憎みたいなものを感じるのも面白い。
(そのうち「黄色い部屋はいかに改装されたか」やんなきゃなあ)

No.550 10点 エヴァが目ざめるとき- ピーター・ディキンスン 2019/07/28 11:02
夏休みこども劇場その3。
一応本書児童書になるのだけど、1988年の作品なので評者も初読。けどね、児童書なんて枠をはみ出してるし、SFのジャンルもはみ出した普遍的傑作である。本書を読んで感銘を受けたこどもが、どういうオトナになるのか興味深く思うくらいの、人によってはトラウマになるかもしれないくらいの傑作。児童書扱いが冗談としか思えない...
交通事故の遭った少女エヴァが目覚めたとき、その肉体はチンパンジーのものになっていた。ニューロン記憶理論に基づいて、エヴァの記憶も人格も、そっくりそのままチンパンジーの脳に移転されたのである。人類が地球に犇めきあうように暮らす未来社会。人類は科学技術の恩恵を享受しながらも、それがために徐々に衰亡の翳を深めていた時代だった。エヴァは自らの中にチンパンジーのケリーの無意識が生き延びていることを気づく...この二重のアイデンティティの中で、エヴァは未来の超管理社会から、チンパンジーの群れを率いて脱出しようとする。
人間はいろいろな動物を「家畜化」したわけだが、人間が最も強烈に家畜化した動物はほかならぬ「ヒト」なのである。家畜化=社会化することでヒトは文明を築き上げたのだが、その文明がヒトの「生きるチカラ」を奪っていったのもまた事実である。エヴァはチンパンジーになったというよりも、ヒトの知性とチンパンジーの野性を両立させた、新しい「始祖=イヴ」としての役割を割り振られることになる。
「人類全体がどんどん短絡的にものを考えるようになっている」とはまさに今の世相そのままのようにも感じる。人間は便利さにかまけて、どんどんとかつての能力を失ってきつつあるのだろう。しかし「文化」が悪いのか?というとそういうわけでもない。チンパンジーならば(ニホンザルだって芋洗いの話とかねえ)、獲得した行動を伝承していく「文化」というべき能力を見せるわけである。だからここにエヴァが期待を寄せる余地がある。エヴァは「文化」の再建者として、ヒトからの脱出を試みるのである。
最良の哲学書。ディキンスン最高傑作は本作で決まり。愛の10点を捧げる。

(そういえば本作のテーマはかなり「ドグラ・マグラ」とも重複するよ。だから評者、「ドグラ・マグラ」の科学理論が一回り回って異端奇説じゃない示唆的なものになってる、と言ったでしょ)

No.549 5点 オヨヨ島の冒険- 小林信彦 2019/07/24 20:21
夏休みこども劇場No.2。
今はなき朝日ソノラマが1969~72年まで刊行したサン・ヤング・シリーズのサブカル的影響力は凄まじいものがあった。このサイトで言えば「仮題・中学殺人事件」もそうだし、SFなら「暁はただ銀色」、それにラノベの元祖とも言われる「超革命的中学生集団」などなど、それまでの児童書の「良書」概念を覆すような面白本を立て続けに出したのだった。これもその一つで、続編の「怪人オヨヨ大統領」もこのシリーズ。
後にオトナ向けオヨヨ大統領の「SRの会」での高評価でも分かるように、ギャグ・ミステリとして人気のシリーズとなったのだが、最初は子供向けの冒険小説だった。けどね、

きのう、あたしの「ハレンチ学園」をとりあげたせいか、ヒゲゴジラこと、うちのパパは、新しいクリスマス・ツリーを買ってきた。おこったあとで、必ず、なにか買ってくるパパの心理が、あたしにはわからない。初めからおこらなきゃ、なにも買ってこなくてすむのに。
昼間、パパの書斎にはいってみると、川端康成の「雪国」と「ディラン・トマス詩集」の間に、「ハレンチ学園」がうしろ向きにさしてあった。愛読のほどがしのばれる。
あれで、かくしたつもりなのだから、パパの単純さにはあきれて、ものが言えない。

と当時のコマーシャルから映画からTV番組からサブカル全部を何もかもブチマケたような、情報量の多さがショッキングな小説だったのだ。子供向けの良識だの情操だの彼方に吹っ飛んだ、他ならぬ「今」に居直った強烈な「悪書」として、である。子供に元ネタのわからない話もあるけども、ギャグとサブカルの暴風のような過激な冒険物語を、評者とかも堪能させてもらったわけである。
がだ、この評点の低さは、実のところちくま文庫と角川文庫のリバイバルコレクションに入っている、今普通に手に入る「オヨヨ島の冒険」が、「69年のリアル」だったコマーシャルやTVのネタを「もう意味がわからないから」で割愛しちゃったバージョンなことへの抗議である(あと挿絵の割愛も痛い...作者の実弟小林泰彦のイラストじゃないとね)「わからない」と思うなら、せいぜい脚注にでもしてくれよ。そりゃ脚注だとカッコ悪いさ、けどそのカッコ悪さに耐えなきゃいけないんだ。

ああ、情けない。このイッパチも、これが、最期とおぼしめせ。...さらば、辞世を一首-敷島のやまと心を人問わば、アジのヒモノはおあずけだよーん

ああ、情けない。このイッパチも、これが、最期とおぼしめせ。...さらば、辞世を一首-敷島のやまと心を人問わば、いずこも同じ秋の夕暮れ

こりゃ、センスがナマってるというものだ。「アジのヒモノ」は1969年のヒット曲「黒ネコのタンゴ」の一節なんだけど、この軽薄さじゃないと勢いなんて出るものか。本書は何としてでもソノラマか晶文社か角川文庫の旧版で読みたいものである。

No.548 8点 宝島- ロバート・ルイス・スティーヴンソン 2019/07/23 22:52
夏休みだ!夏休みこども劇場だよ!第一弾は「宝島」。
うん、誰でも知ってるね。けど、大人になってから読み直した人は意外に少ないんじゃないかとも思われる。今回は光文社古典新訳文庫で読んだから、訳者はル・カレやらユリシーズ号やらでお馴染みの村上博基。海賊時代に使われていた特殊な海事用語が多くて、訳に苦労したことをあとがきに書いている。ほぼ主人公のジム少年の視点だが、戦闘を語る際にはドクターの視点で客観的に語らせたりと、作者は連れ子のために書いたものなんだが、児童文学とは言い切れない技がある。大人が読んでも立派に面白い...というか、イギリスでも原文は子供じゃ難しすぎるらしい。
やはりね、本作といえばジョン・シルヴァーに尽きる。シルヴァー中心で見たときには、実にハードボイルド、なんである。主人公の一行と対立する海賊たちのリーダーでありながら、上陸時に高まった船員たちの不満を抑えるにはシルヴァーを使わなくては、とボスなのを承知で信用されることから始まり、捕虜になったジム少年と秘密同盟を結んで、自分を信用しない他の海賊たちに見切りをつけて、自分の安全を図るなど、力関係を利用する「力学」の視点を備えた、クレバーな男なのである。集団的な抗争の中で、自分の利害のために賢明に立ち回る男の姿を、これくらいイキイキ描いた小説もないものだ。シルヴァーは正しく打算のできる男だから、状況によっては確実に信用できるのである。
そういう意味で実にオトナ向き。素晴らしい。集団抗争の「血の収穫」も宝物争奪戦の「マルタの鷹」もこの「宝島」のリライトみたいなものなのである。オプやスペイドに20世紀のジョン・シルヴァーの後ろ姿を見るのも一興というものだ。

No.547 6点 マーロウ最後の事件- レイモンド・チャンドラー 2019/07/21 23:28
さて、評者のチャンドラー短編も本短編集でコンプとしよう。「イギリスの夏」「バックファイア」「二人の作家」あたりは戦後の作品で、とくにハードボイルドというわけでもない。「チャンドラーらしい」短編は要するにこれでコンプである。本短編集は「湖中の女」「女を裁け」「翡翠」「マーロウ最後の事件」の4篇を収録。すべて稲葉明雄訳で、「湖中の女」は同題の長編の原型、「女を裁け」は創元「雨の殺人者」所収の「女で試せ」でタイトル変えた理由はなぜだろう(「女を裁け」の方が明快と思うが)。訳文はほぼ変わらない。言うまでもなく「さらば~」の元ネタ。「翡翠」は解説で「高い窓」に使われて..と書いているが勘違いで「さらば~」の中盤。アン・リアーダンが出るあたり。
「湖中の女」は長編のダイジェストみたいな雰囲気。これはこれでシンプルな良さはあるのだが、長編読んでりゃ読む理由は薄い。
「翡翠」は翡翠の買い戻しに同行して、殴られてリアーダンに会って、臭いインディアンに拉致されて監禁されて、といったあたり。これはこれでまとまりがいい。というか、「女を裁け」「犬が好きだった男」もそれぞれちゃんと辻褄が合った作品だったのに、「さらば愛しき女よ」に合体したら、わけがわからなくなったわけで、長編化ははっきり改悪だと思う。「さらば~」名作説は評者は疑問である。マロイが好きなら「女を裁け」を読むべきだ。
「マーロウ最後の事件」別名「ペンシル」は長編とは無関係の作品。マフィアから足抜けしようとする男の逃亡を、依頼されてマーロウが助けるが...という話。マーロウの協力者でアン・リアーダンが出演。スタイルが完全に戦後のマーロウになっていて、かなり貴重な作品に思う。「長いお別れ」が好きなら本作読むのが一番満足感が高いんじゃないかな。マフィアの殺人予告の「ペンシル郵送」を、マーロウがあまり真に受けない辺りがナイス。

というわけでチャンドラー短編をコンプ、としよう。ベスト5は順不同。
「ネヴァダ・ガス」「シラノの拳銃」「ヌーン街で拾ったもの」「金魚」「女で試せ」。この評価だとハヤカワ版だと「トライ・ザ・ガール」を読むと断然お買い得、ということになる(苦笑)。

No.546 6点 贋学生- 島尾敏雄 2019/07/21 22:24
島尾敏雄と言うと、夢を題材にした短編が幻想文学では大変重要な作品になるのだけども、エンタメとは呼び難いので本サイトで取り上げるには躊躇する。けど、唯一の長編小説である本作は、ギリギリ守備範囲だろう。取り上げる。
戦時下の九大の学生である主人公は、戦争の成り行きと自身に待つ運命の予感に怯えながらも、奇妙なモラトリアムの時間を過ごしていた。そんな中、医学部の学生を名乗る木乃伊之吉という男と知り合い、木乃の誘いで、同じ文学部の学生の毛利と共に雲仙長崎を旅行する。この旅行をきっかけに主人公は名家の坊っちゃんを自称する木乃との交流が生まれるのだが、主人公の妹に木乃の従兄弟にあたる医者との縁談話を持ってきたり、木乃の妹が宝塚のスターの砂丘ルナで、彼女と主人公の仲を取り持とうとする....が、どの話も偶然邪魔が入って中絶する。主人公は最初から木乃のことを女形めいた「紫のかげ」とうさん臭く思っていたのだが、魅入られたように木乃に引き回されてしまう....果たして木乃の正体と、主人公に寄せる好意の真実は?
という話。病的な嘘つきの巻き起こす騒動を扱った夢野久作の「少女地獄~何んでも無い」がオッケーなら本作もオッケーだろう。タイトルがバラしてるから仕方ないのだが、実在の医学部学生の木乃とは別に、主人公につきまとう木乃は逃亡中のお尋ね者の贋学生らしいのだ。主人公につきまとった理由は不明だが、男色的な興味と取れる振る舞いもあった...とはなはだ曖昧なことしかわからない。木乃が取り持つ話がいつもいつも、いつしか事故に遭って途絶するさまが、何か悪夢のようである。ブニュエルっぽいな。ここらへんで島尾の夢小説に似た肌触りを感じることもある。
まあ筋を要約しようと思えば上記のようにできる小説なんだけども、これがホントにあったことなのか、主人公が無意識的な悪意で解釈した妄想なのか、どっちにせよ奇妙に収まりが悪く、なんとも納得のいかない不条理味が持ち味。「奇妙な味」といえば本当にその通りの小説。島尾敏雄は純文学系の人だけど、本作だと純文学かどうかも、かなり怪しい。分類不能な面白さである。

No.545 6点 完全殺人事件- クリストファー・ブッシュ 2019/07/21 21:40
本作最大の難点は、パズラーしか読まない人にしか読まれない作品なことである、なんてね。
大昔読んだときには「何て月並みな...」と思って読み返しなんてしたことなかったのだが、本作はガーヴ風のスリラーとして読むべきだ、というのが今回読み返しての印象だ。パズラーだと思うと密室もアリバイも犯行予告も全部納得いかないだろうね。だからそっちに重点を置いちゃダメなんだ。
本作のうまい辺りは、例えば探偵像にもある。広告代理店の宣伝として注目を集めた犯罪に介入する、というのはなかなか秀逸だと思うのだよ。小説としてのオチをこれがうまく決めているしね。マッギヴァーンの「虚栄の女」が広告代理店勤務の主人公が、広報担当としてクライアントにかかった容疑を晴らす、というのがあったけど、それに近い探偵像だろう。だからあくまでも私人であって、推定犯人を追い詰めるのもそう強引にはいかない。徐々に近づいて...というあたりもガーヴ風というか、「闇からの声」みたいというか、そういう在野主人公のマンハント系スリラーとして楽しむべきなんだと思う。そうしてみると、結構面白く読めたんだがなあ。犯行予告も犯人の屈折から理解すべきだから、ハッタリと片付けたら気の毒だと思うよ。
というわけで、本作、紹介のされ方、読まれ方が間違ってる。そうそうヒドい作品ではない。
(あと創元の昔の時計のカバー、秀逸だと思う。さすが粟津潔)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1384件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(102)
アガサ・クリスティー(97)
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ボアロー&ナルスジャック(26)
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