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クリスティ再読さん
平均点: 6.43点 書評数: 1253件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.29 5点 メグレと消えた死体- ジョルジュ・シムノン 2019/04/20 10:11
金庫破りの情婦<のっぽ>エルネスティーヌがメグレに妙な話をした。金庫破りが忍び込んだ家で、女性の死体を見つけた、というのだ。金庫破りはそのまま逃亡し、はなはだ曖昧な話だがメグレは<のっぽ>を信用して、忍び込んだと目される歯科医宅に赴く。老母と同居する歯科医の妻は、符合するかのように祖国に戻っており、金庫破りのコトバを裏付けるような痕跡もないわけではない。歯科医の妻は祖国オランダの友人の家を訪れず、失踪したらしい....メグレは歯科医親子と対決する決心をする。

やはり皆さん、メグレの捜査が強引過ぎる、という印象をお持ちのようだ。評者も見込み捜査の度が過ぎるよな...なんて思って読んでいた。まあメグレ物の骨格を取り出したようなシンプルな話。だから話の設定にノレないとダメだなあ。それでも仕事中にメグレ夫人とカフェで待ち合わせて、そのまま珍しくメグレの勤務先に一緒に来るエピソードとかあって、メグレの「ワークライフバランス」に変な面白みがある。フランスだし昔だし、仕事と家庭と余裕をもって両立させるのが、妙に眩しい。

No.28 5点 ドナデュの遺書- ジョルジュ・シムノン 2019/03/24 15:02
文庫200ページ内外が普通のシムノンなんだけど、本作は文庫500ページで、たぶんシムノンの最長編だろう。メグレ物の第一期が終わったあたりに書かれた「純粋小説」の初期のものである。ある意味シムノンの「家モノ」なんだが、グリーン家でもハッター家でもなくて、チボー家とかブッデンブローク家の方に近い、大河ロマンである。
とはいえ、起点・1年後・5年後と時系列の窓を移動するような3部構成なので、1家族の歴史を3連作したみたいにも読めるかな。この中で殺人が2件あるけども、扱いはミステリのものではない。新しいことにチャレンジしたいシムノンの意欲は感じられるのだけど、シムノン独特の集中力が、大河ロマンの拡散してく方向のベクトルとうまく合致していない印象を受ける。
港町の実業家老ドナデュが失踪し、すぐに溺死体として発見された。老夫人、長男とその妻、長女と婿、次女、次男が同居する大家族で、漁業、海運、練炭販売を手がける田舎ブルジョアの一家は、ドナデュの死をきっかけとして、次第に変貌を遂げて崩壊していく...近所に住む映画館主とその息子が、このドナデュの家に深くかかわっている。息子フィリップは次女と駆け落ちの後に、ドナデュの家に婿として戻ると才能を発揮して、次第にドナデュの資産を利用して自らの野心を実現しようとする。その父フレデリクは野心満々な息子と違って、人生の傍観者風キャラで、夫の陰に隠れて我慢していた老婦人や、一家に疎外されていた長男嫁(結核感染が判明して自らの生を生きようと家を出る)との、良い相談役である。長男は弱々しく無能な放蕩者であり、秘書に手をつけたことが大きなスキャンダルのきっかけとなる。フィリップはこの後始末に才幹を発揮して、一家の実権を奪うことになる....が、他人を踏み台にしてのみ才能を発揮できるフィリップと、その妻マルチーヌとの関係は次第に破綻の色を深めていく....
この長男ミシェルのスキャンダルは、秘書に手を出して堕胎させたことを、対立する政治党派に嗅ぎつけられたことから始まり、この秘書を説得してその父に疑惑を否定させたことから、この父が娘を守ろうとして、スキャンダルを掲載した新聞の発行者を殺す殺人事件にまで発展する。裁判ではフィリップがうまく秘書に証言させて、娘を守る父を無罪にして事態を収拾したのだが、真相を知った父は絶望のあまりに娘を絶縁して、旦那衆への面当てに共産党に入党するというあたりの展開が面白い。
がまあ、シテに当たるフィリップの野心はあまりスケールがないし、最後の方は自転車操業に四苦八苦するハッタリの多い詐欺的なものなので、魅力がないな。それと比べると、ワキの父のフレデリクのキャラが独自で面白い。クリスティで言うとサタスウェイト氏みたいなキャラである。ちょっとした狂言回しになっていて、作劇上も便利だな。最後は強引に悲劇でまとめたような感じになって、ここらへん「大河ドラマにどうオチをつけるのか?」で悩んで失敗したような印象。拡散して、家族が散り散りバラバラになっただけでも、十分小説にはなるんだけどねえ。なのでやや尻すぼみの印象を受けるのが、シムノンらしくないところ。
まあ、こういう大長編ロマンはシムノンの体質に合わないんだろう。無理することないや。

No.27 7点 モンマルトルのメグレ- ジョルジュ・シムノン 2019/01/14 11:36
訳題が「モンマルトル」と付いているので、ボヘミアン画家とかムーラン・ルージュみたいなおのぼり喜ぶショーキャバレーが舞台?と思うとさにあらず。舞台はダンサーが3人しかいないストリップ小屋だというのが、シムノンらしさ全開。ミステリ色の薄い「ストリップ・ティーズ」も併せて読むといいかも。
じゃあどこがシムノンっぽい?というと、被害者になるストリップ嬢は仕事のあと、警官に犯罪計画を立ち聞きした...と密告しに行って、メグレの元まで送られるのだけど、いざ酔いが醒めてみると急に証言が曖昧になって...とグズグズなあたりかな、とも思うのである。小説って意外に目的志向が強いものだから、「勢いで何かしちゃって、腰砕ける」とか書きづらいものなんだけども、こういう「あるある的リアル」が「シムノン、書けてる!」感の原因かな。
でこの嬢、証言翻して帰宅したらその自宅で絞殺されていた....曖昧な証言は裏を取ると、全部でっちあげのようだ。しかし、予告されていた犯罪らしきものは、起こった!
というこの展開は、まさに「ミステリとして、うまい」という感じ。なぜストリップ嬢はそんな密告をしようと思ったのか?背後にどんな男がいるのか?というあたりを巡って、メグレの捜査が続く。ご贔屓ロニョン君も活躍するし、メグレが気分転換に外の捜査に出たがるワガママとか、ここらへんのニヤリとなるあたりも鉄板の面白さである。
で終盤、メグレとこの嬢をよく知るストリップ小屋の店主と、改めて嬢の性格などを検討し直すシーンが、なかなか「女が分かってる」感が強く出ててスゴイな、と思わせる。女性を描かせて最強の男性作家なんだろうな。
最後はうまく罠をかけて犯人を釣り出すし、ここらへんパズラーじゃない「警察小説」の良さが体現できている。過不足なく中期メグレの面白さを紹介するんだと、本作が一番ニュートラルにわかりやすい作品かもしれない。

No.26 6点 メグレと深夜の十字路- ジョルジュ・シムノン 2018/12/23 22:07
初期のポケミス「深夜の十字路」で読了。No.119で本作がポケミスのシムノンでは最初のものである。著者名が「シメノン」のくせに乱歩の解説は「シムノン小論」である(苦笑)。途中でシメノンよりシムノンの方がより正確な発音だとなって、変えたんだよね。この「シムノン小論」が日本のシムノン受容をフォローしていて一読の価値がある。戦前の映画「モンパルナスの夜」が特に日本ではがっちり人気を掴んで、春秋社「シメノン選集」まで出たことが思い出話になっている。「シムノンを理解し、これに心酔したことでは、日本の方が英米よりも早かったと思う」
tider-tiger さんがうまくポイントを纏めているので繰り返さないが、シムノンらしいキャラ造形の上手さが味わえる作品だ。登場人物は3家各2人の男女計6人がメインでそれぞれが個性的。落魄した上流階級出身のデンマーク人、自動車修理工場を経営するボクサー上がりの男、保険代理店を営む吝嗇なプチブル、とそれぞれ出自が異なる人々の只中に、車に乗った死体が登場して彼らの隠された関係が?となる。とくにデンマーク人の兄妹の関係が不思議で、これが一番初期シムノンぽくて印象に残るだろう。
事件自体はかなり荒っぽいものなので、メグレ本人が銃撃されるなど、なかなか派手な展開を見せる。そこらへんあまり初期っぽくない。名作とかそういう感じはまったくないのだが、それでもたまに本作のキャラのことが頭に浮かんだりしそうな作品である。こういうあたり、日本人好みなのかな。

No.25 6点 ストリップ・ティーズ- ジョルジュ・シムノン 2018/11/24 10:43
シムノンって人は作品総数のカウントもできないくらいの大文豪だが、寝た女の数もカウントできない性豪だそうだ。その女性たちがすべてシムノンの芸の肥やしになってるとすれば?
たとえば「雪は汚れていた」で主人公が娼館の息子で、主人公から見れば「雇い人」たちをとっかえひっかえして、その女性たちのキャラに半端ないリアルがある、というのもそんな背景からだろう。で、本作、タイトルの通りカンヌの場末にあるストリップ小屋を舞台にして、ストリッパーたちの「女の権力抗争」を描く短いロマン。ストリッパーたちも多士済々で、リアルさは手抜きなし。女性のイヤなところもしっかり見せつける。男性で女性描写の上手なミステリ作家、というとシムノンがやはり独走というものだろう。
主人公は唯一ダンスの教育を受けた経歴のあるセリータ。なので脱がない矜持があるが、もう大年増で焦りと屈折もある。帳場を預かる女主人の座を狙っていて、オーナーの妻フロランスとは微妙な関係。そこに若く素人演技がウリのモーが加入してきた。モーは小屋の主人レオンの公然の愛人となり、女たちの勢力関係が崩れる。折しもフロランスの子宮癌が発覚し、今まで敵対していたフロランスのとの間に、セリータは奇妙な友情を感じるようになった...
一応殺人未遂事件くらいは起きるから、「犯行以前」みたいに見ればギリギリにミステリかな。この俗の極みであるストリップ小屋の人間関係を暴露的なリアルで描いて、それでもふっと生死や宗教性みたいなものを感じさせるのがシムノンの手腕。たとえばセリータの同居人で、ストリッパーなのにいつまでの「女中根性が抜けない」とされるマリ・ルーは

どうしても彼女に認めなければならぬ美点がすくなくとも一つあった。謙遜ということである。彼女は甘んじて最下位に身を置き、自分で自分のことを鍋を拭いたり床を洗ったりするよりも人前で裸になることで口を糊することを選んだ女中だと思っていたのだ。

文庫200ページの短い小説でここまで周辺キャラを突っ込めるシムノンの絶頂期(「火曜の朝の訪問者」と同年)。「何かイイ話」にしないあたりに、フランス・リアリズムの後継者らしさがある。

No.24 5点 怪盗レトン- ジョルジュ・シムノン 2018/09/01 23:11
メグレ物第1作で有名なのだが、メグレは本作が初登場ではなくて、それ以前の犯罪小説の脇役で出ていたキャラだ、という話を読んだことがある。なるほど、本作でのキャラは後のメグレとはズレていない。やや語り過ぎな描写とか、トランスが殉職するなどのキャラ周辺の事情はズレているし、作品内容もとくに前半は直球のスリラーという感覚もあって、テイストは結構違うけども、それでもメグレのキャラだけはガッチリと固まってる印象。スピンオフ説も頷ける。これがちょっと不思議で興味深い点のように感じた。
けど作品的にはどうかなあ、短いわりにいろいろごちゃごちゃと詰め込まれた感じで、まだ小説としては「メグレ物読んだ!」という充実感には不足しているように思う。前半は展開が派手でいろいろ目まぐるしく事件がおきるけど、場面切り替えがやや唐突で「何で?」となるところもたまにある。打って変わって後半はルトンの反応待ちみたいなことで、話が停滞する(まあこっちが後のメグレものらしいのだが)。と、構成がまだ上手くいってない印象。シムノン、そもそもプロットを予め計算して立てて書く人でもない話を聞いてるけど、真相はどうなんだろう?

No.23 6点 上靴にほれた男- ジョルジュ・シムノン 2018/09/01 22:22
メグレ以外のシリーズキャラクター、チビ医者ジャン・ドーランが活躍する短編集の後半7作である。リュカが警部でトランスも出る..がパラレル・ワールドのようだ。あまり似ていない。明確に設定された「謎」を解く趣向の作品で統一されているが、トリック優先なものではなく自然に提示された謎を解く感じのもの。メグレよりチビ医者の内面を描いているので、「名探偵!」とヨイショされて気後れするさまなど、こりゃ「アマチュアの本懐」(苦笑)というものだ。自信なさげだが、結構俗っぽいあたりフツー人名探偵で、何か、いい。
また、どの作品もキャラ立ちした登場人物がいるのがシムノンらしさがあって、そのキャラの性格が謎解きにうまく結びついている。表題作の「上靴にほれた男」だと、毎日デパートを訪れてスリッパを買っていく男がいる。その意図は?と思うやスリッパを試着中にその男が狙撃されて殺された...まあ、メグレの短編でも謎解き色の強いのはたまにあるしね。しかしアマチュアのチビ医者だと成り行きで大捜査網の指揮をすることになって、おっかなびっくりなのがナイス。まあそういう短編集。気楽にどうぞ。

No.22 7点 メグレの回想録- ジョルジュ・シムノン 2018/07/12 22:07
メグレものなんだけど、空さんがやり落とされていた作品で、評者もそのうちやりたいなと思いながらも、怠けてたら雪さんに先を越されてしまった。70年代に「モダンの極み」な編集方針で、伝統的なファンの怒りを買ったことで有名なハヤカワの「世界ミステリ全集」で訳されて以来、ポケミスにも文庫にもなっていない「メグレの回想録」である(その前にHMMで訳されたことはあるらしい)。
メグレだって最初から管理職だったわけではなく、駆け出し時代はパトロール警官だって、風紀係だって、平刑事だってやっている。メグレ夫人との馴れ初めまで描いた、メグレの青春を語っちゃった本作は、ファンサービスのための公式薄い本みたいなものだよ。メグレものに親しんでいる読者にとっては、非常に興味深く読める作品なのだが、メグレ自身によるエッセイでしかないから、小説だと思うと困るだろう。それでもね、評者は「メグレの青春」を何かほっこりした気持ちで読んでいたなあ。特にメグレの生い立ちみたいなことが語られる章もあるので、とくに「サン・フィアクルの殺人」は読んでおいた方が楽しめるだろう。
普通のメグレもの小説だと「ミステリ」なので、メグレが感じてること・考えていることは、わざと描写されないことが多いけど、これは「回想録」だ。かなり自分を語っていて、メグレものを読んでいればいるほど、興趣が増す。

人間の神秘的な部分を理解してはいけない--わたしが最も熱心に、ほとんど怒りさえこめて抗議するのは、こういうロマネスクな考え方に対してである。

そうやって得た人間の神秘とは「いわば技術的なもの」だとメグレは言う。ここらへんにきわめてフランス的な知性を感じる。人間の魂と靴とケーキと、それぞれに対する、刑事、靴屋、菓子屋の知識に貴賤の違いはなく、それぞれがそれぞれに、尊い知識なのである。シムノンが明白に気楽に書いているだけに、手の内をかなり明かしているという、作家論として外せない読み物である。

(挟み込みの月報と巻末の座談会が、シムノン受容を考えるにあたって、70年代初めまでのきわめつけの資料になる。そういう意味でも読みでがある。すごい)

No.21 7点 - ジョルジュ・シムノン 2018/07/10 23:25
tider-tiger さんもそういう要素にお気づきのようだが、評者は本作はグロテスクなコメディみたいにして読んでいたなぁ。周囲が「お似合い夫婦」みたいに見ていたとしたら、逆に非常に怖いことになっていたのかもしれない。誰がどうみても悪意を通貨にして、相互に依存し合っていたわけだからね。
だから評者はあえて本作は「大した作品じゃない」(いや面白いが)と言いたい。名作というよりも、シムノンという作家の職人的な上手さが発揮された作品のように感じる。ちょっとした心理のねじれをうまく組み立てて、軽妙に処理した作品、というイメージだ。動物たちが殺されたあと、その主人たちも老年によるエネルギー低下と惰性によって、言葉なきケダモノ同士の「共存」としかいいようのない「生活」に落ち込んでいく、アイロニカルなさまを描いた小品である。
どう見てもミステリじゃないけども、シムノンという作家の多面性が覗かれる作品ではある。成り上がって居場所をなくす男、というのはシムノンの固執的なテーマではあるんだよね....

No.20 7点 メグレと殺人者たち- ジョルジュ・シムノン 2018/06/24 16:42
最近は新たなシムノン読み、雪さんが本サイトに参戦されているようである。シムノン好きが増えるのは、評者も大歓迎である。どうせシムノン全作品の書評なんてそれこそシムノン自身でもできるのかしら?な超多作家だし、本当に書き手が増えるだけでも意味があるくらいなんだが、雪さんは意欲的に書いていらっしゃる。喜ばしい。
で本作、その昔の河出の50巻のシリーズのNo.1 である。なつかしい。シリーズ第1回配本になるんだから、面白い作品を選ぶよね。ホームグランドの事件、展開も派手でメグレ夫人とのやりとりも面白く、メグレもたっぷり飲食する、という「戦後のメグレもののエッセンス」的な作品だ。
執務中のメグレに電話がかかった...生命が危ういとメグレの助けを求める見知らぬ男からの電話である。追跡者を振り切るためにカフェを点々とする男と保護のために向かわせた刑事はうまくコンタクトできないようだ。連絡が途絶えた男は、果たしてその夜、コンコルド広場で死体になって見つかった!
というのが導入。本作メグレの推理がなかなか冴えている。ちょっとした手がかりから男の身元、逃走の経緯、殺されるきっかけになった出来事など、気管支炎で寝込んだり、反面全然眠れなかったり、ベストコンディションとは言い難いメグレがなかなかの名探偵ぶりをみせる。この事件の背景が「メグレ夫人の恋人」に入っている短編と共通する設定があって、獰猛なマリアの姿が印象的だったりする。あとやっぱりねえ捜査の過程のなかでメグレが「ビストロを経営する」のが本当に素敵。こういう「ゆるさ」がメグレらしい。
あと邦題がやや意味不明かな。原題直訳は「メグレと彼の死体」で、電話男の死体をメグレが「自分のもの」と奇妙な所有権を感じるのがタイトルなのだが、これだと「メグレ死んだの?」と誤解されかねない。「メグレと武装強盗団」だと面白くない上にネタを割りすぎている。やっぱりね「メグレ、ビストロを経営する」が一番いいと思う(苦笑)。

No.19 6点 娼婦の時- ジョルジュ・シムノン 2018/06/05 08:24
シムノンの中でも「ベルの死」とか「ぺぺ・ドンジュの真相」に近いタイプの小説だと思う。主人公は車の故障で立ち寄った村の食堂で、パリでの殺人を告白して憲兵隊に逮捕された。パリに護送されて判事や精神鑑定担当の教授と自身の事件を検討する...というきわめてシンプルな話である。
このプロセスがかなりリアルである。人間、自分の行為を説明するのに、理由をいろいろ考えれば考えるほど、その理由が曖昧になってきて「なんでこんな事考えたんだろう??自分でも自分がよくわからないや」となることもよくあると感じる。特にコレは犯罪の捜査であり、その中には「当局がどういう犯罪であるかを理解し、言葉で規定する」必要があるわけである。罪を犯した本人の自意識から組み立てられる自己規定と、捜査の過程で出会う警官・予審判事・弁護士・精神科医との間での「自意識を賭けた攻防」がなされる..この小説の内容はこの「攻防」である。
なので、本作は「異邦人」のバリエーションみたいなものである。自意識をめぐる話なので、ハードボイルド的な即物性はなくて、伝統的で自己分析的な心理小説ではあるが、社会化された自己と、言語から逃れる自我とのドラマを、凝縮して提示することになる。

このままではバカ者か極悪人で終わってしまう。

この結論が示すのは、本作がまさに自意識の小説であるということだ。本作も「熱海殺人事件」ということに、なる。

No.18 6点 仕立て屋の恋- ジョルジュ・シムノン 2018/05/20 18:48
久々のシムノンになったが、ごめん映画は見てないや。小説だけの評価として書くことにする。
娼婦が殺された。近くのアパルトマンに住むユダヤ人のイール氏は、青白くぶよぶよと太った見かけと、何をして食べているか不明で、その変人ぶりから近所の人々に嫌われていた。イール氏がカミソリで頬を切った流血を目撃した管理人の話から、イール氏と娼婦殺しが結び付けられるようになっていった。イール氏はそんな話とはお構いなしに、アパルトマンの向いに住む女アリスに恋心を募らせてストーカーまがいの挙に出ていた。イール氏が覗きをしていることに気づいたアリスは...
という話。酒鬼薔薇事件のときにも、近隣での変質者狩りみたいな噂があったのを記憶しているけども、このイール氏には弱みもいろいろあって、これらからのっぴきならない窮地に追い込まれていく。そういう社会の悪意みたいなものを、この小説はハードボイルド的といっていいくらいの客観オンリーの描写で描いている。小説はイール氏の内面にも、アリスの内面にもまったく踏み込まない。極端に「乾いた」描写が続く。
というわけで、ジッドがシムノンを称揚して、逆に「異邦人」をクサした理由が何か、よくわかる。「異邦人」がやったことなんて、実はシムノンがとうの昔に達成したことだったわけだ。カミュは「インテリ向けのシムノン」だった...

No.17 7点 ベベ・ドンジュの真相- ジョルジュ・シムノン 2018/02/25 23:28
本作読んでの感想は、やはり空さんと同じく「テレーズ・デスケールー」のシムノン版、というところ。フランス文学には「女の一生」とか「ボヴァリー夫人」とか「人妻話の伝統」みたいなものがあるわけで、そういうもののシムノン流、ということになるのだが、人妻話としてもシムノン一般小説としても、かなりミステリ寄りの作品だ。しかし、シムノンらしい夫婦の心理の綾(他人同士が一緒に暮らすことになる不思議と恐ろしさ...)が主眼なので、分かりやすさみたいなものはない。シムノンで言えば「ベルの死」のような説明不能な「こころ」の話だが、テレーズや「ベルの死」とは違って、妻ペペによって毒殺されかけた被害者の夫が、あくまでもその行為に及んだ妻の、孤独なこころと漠然とした殺意を理解し赦そうとする話である。なので、テレーズや「ベルの死」のような鬱屈感はなくて、突き抜けたような清澄な雰囲気がある。罪を犯すことによる逆説的な救いみたいなものを感じるのがいいのだろう。
シムノンという作家が「人を殺す」という究極の行為について、いろいろと解釈を試みるヴァリエーションの広さは、本当に敬服に値する。逆にカトリック文学らしく「罪と罰」の視点がシムノンよりも強い、モーリアックの「テレーズ・デスケールー」も久々に読んでみたくなったなぁ。

No.16 6点 ゲー・ムーランの踊子/三文酒場- ジョルジュ・シムノン 2018/01/08 10:25
第一期メグレ物の合本である。例の瀬名氏は「ゲー・ムーラン」をメグレ物への「情熱が醒めつつあるか」と評しているけども、ちょっと読んだ感じは戦後のメグレ物っぽい雰囲気だ。初期の陰鬱なところがあまりなくて、プロット中心の話になっていると感じた。
リエージュの流行らないキャバレー「ゲー・ムーラン」では、二人の不良少年が隠れておいて閉店後にレジ荒らしをしようと、待機していた....彼らのほかには客は外国人旅行者とフランス人らしい恰幅のいい男しかいない。閉店後に彼らはその外国人の死体を見つけた。
という話。メグレはなかなか登場しないが、洞察よりもメグレの仕掛というか狙いが中心。ライト感覚なので、あまり大したことがない。
それよりも「三文酒場」の方がシムノンらしい。「メグレのバカンス」に似た話というか、同じく夏のバカンスなのに、メグレ夫人が待つリゾートに、事件をかぎつけちゃったメグレがなかなか行けない話。セーヌの川岸に週末にパリの商店主たちが家族連れで川遊びを楽しむリゾートがある。彼らはそこで地元の漁師たちが集う「三文酒場」をちょっとした隠れ家のようにして、楽しんでいた....メグレはある死刑囚が漏らした言葉に導かれて、「三文酒場」とこの旦那衆たちと近づきになる。平穏な夏のリゾートでのお楽しみの中で、発砲事件が起きた。単なる事故のようなのに、撃った男は突然逃亡した。その仲間たちもメグレの目の前で、その逃亡を手伝ったりする...なぜだろう?
という話。こりゃホントにシムノンにしか書けないタイプの話だ。旦那衆と付き合うのに、いつものビールじゃなくて、メグレもプチブル趣味なペルノー(アブサンの代用品として飲まれるアニス系の甘いハーブ・リキュール。日本人は結構苦手な味)を飲む....ちょっと浮かれて倦怠の漂う夏の夕暮れ感が本作の本質。メグレ夫人はメグレに早く来るように催促する

杏のジャムを作り始めました。いつになったら、それを食べにいらっしゃるつもり?

No.15 6点 片道切符- ジョルジュ・シムノン 2017/10/31 00:47
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という作品が、とくにフランスで強い衝撃を持って受け取られ、カミュの「異邦人」なんかもその反響の一つだという話を「異邦人」の書評で書いたのだが、本作は「郵便配達」の、シムノンという名前の付いた、別なエコーである。シムノンびいきのアンドレ・ジッドなぞは同年に発表された「異邦人」をクサす一方で本作を称揚している。本作は「郵便配達」同様に、流れ者が孤独な女と深い仲になって、結果その女を殺すことになる顛末である。
本作の主人公ジャンは、ブルジョア家庭の育ちなのだが、ふとしたことから人を殺して刑務所に入り、出所したばかりの宿無しである。バスの中でふと知り合った「クーデルクのやもめ」と呼ばれる中年女性タチの下男として農家に雇われる。タチは義父にあたる老人を性的に慰めつつ、農家を経営するのだが、小姑にあたる姉妹との間で財産を巡って暗闘が繰り返されていた。ジャンはタチとも深い仲になる反面、姪にあたるフェリシーとも戯れる。タチがフェリシーの粗暴な父に殴られて寝つくことで、次第に状況は泥沼に陥っていく...
まあだから、ジャンは痴情の「もつれ」としか言いようのない、感情の綾の中に「うんざり」してしまって、タチを殺してしまう。ここにあまりはっきりした動機をシムノンは設定しない。そもそも刑余者らしいテンションの低さがジャンは特徴的で、刑法の文面がフラッシュバックで時折インサートされるわけで、「今度何かやったら死刑」というのは重々承知していながらも、ついつい小さく曖昧な動機から、殺したり殺されたりするものなのだ....殺人の後もジャンは現場で酔いつぶれて寝てしまい、不審に思った隣人の通報によって警官に蹴り起される

「なぐらないでくれ...疲れてしまった、すっかり疲れてしまった」

ここにはどんなドラマもない。リアルの極みと言えばその通りで、不透明な肉体がただただ、ごろりと転がっているだけのことだ。

No.14 8点 メグレ罠を張る- ジョルジュ・シムノン 2017/10/22 21:30
本作メグレ物の中でも有名作の一つにふさわしく、ジェットコースター的な展開で、とにもかくにも「読ませる」名作である。シムノン全盛期の剛腕を存分に楽しむことができる。まあ皆さんもよく書評していて、いい面をしっかり伝えているので、評者なぞが屋上屋を架すのも野暮だ。
...で、なんだけど、本作ってたぶん「熱海殺人事件」の元ネタな気がするのだ。メグレ流の捜査術というのは、犯罪を犯人の自己表現として捉えることに真髄がある。その自己表現を理解する批評家のような立場にメグレは立つわけだ。本作はこういう「メグレ流」をわりとあからさまに描写しているので、シムノン入門編に最適じゃないかしら。けども、この犯人の自己表現をパロディ的な方向にゆがめたとしたら、それこそつかこうへいの世界に直に通じてしまうのだ。くわえ煙草の伝兵衛とパイプのメグレの距離は、意外なほど近い。それゆえ、本作の「犯罪」もメグレの理解を俟って初めて完結する、犯人とメグレのいわば共作のようなものなのかもしれないな。

No.13 5点 サン・フィアクル殺人事件- ジョルジュ・シムノン 2017/09/24 21:30
自分の出身地で起きた殺人予告状の一件を、メグレは自分のポケットに入れて、父の死後訪れたことのない故郷を訪ねた...
泊まる宿屋の女将だって子供時代を覚えている。そんな村の教会の早朝ミサのさなか、メグレの目の前で、予告通りにこの村の昔からの領主の家柄であるサン・フィアクル伯爵夫人が急死した....犯行手段は祈祷書に挟まれた伯爵家のスキャンダルを示す新聞記事を見たことによる心臓発作。そう、伯爵家はメグレの父がつかえていた伯爵の死後、貴婦人として尊敬されていた伯爵夫人は若い秘書をとっかえひっかえして醜聞をまきちらすわ、長男の現伯爵モーリスはあらゆる事業に失敗した放蕩者でしかないわと、名門の伯爵家が内部崩壊に瀕していたのだ。

そして、その頃少年だったメグレは、庭園のなかで看護婦が押す乳母車を、遠くからうやうやしくながめていたものだ。その赤ん坊が、このモーリス・ド・サン・フィアクルなのだ!

というメグレにとってはなはだ幻滅な帰郷であった。「失われた時を求めて」風の味わいだねこりゃ。
そんな具合で、メグレにとって実にやりにくい捜査となってしまった。結局事件は、メグレはほぼ傍観者ままで結末を迎える。小説としては実際腰砕け。前半など雰囲気いいんだけど、失敗作、だな。

No.12 6点 メグレと老婦人- ジョルジュ・シムノン 2017/08/16 23:13
メグレには海が似合う。今回はノルマンディの海岸の保養地(例の「奇厳城」がある)エトルタでの事件。
一度はブルジョアに成りあがりながらも財産を失って隠棲した老婦人ヴァランティーヌが、自分を狙ったが身代わりに女中が毒殺された事件の解決を求めて、メグレの出馬を要請した。エトルタに赴いたメグレは、ヴァランティーヌの義理の息子で俗物の代議士シャルル、その兄でイギリス貴族気取りの放蕩者のテオ、尻軽な娘のアルレットといった、アクの強い一家の面々と会う。その中でも当のヴァランティーヌが、老女でありながらも妙に艶っぽさのあるキャラでとくに印象深い。
ちょっとしたミスディレクション風の仕掛けがあったりとか、キャラに似合わずハードな暗闘があったりとか、結構楽しめる作品である。シムノンの作品のキャラというと、成功したために社会的に地位が上昇したけども馴染めないとか、昔は金持ちだったけど没落して..とか、社会的な浮き沈みの激しい特徴があるのだが、この一家も庶民の出身だが美容クリームで当ててたまたま儲けて、城を買ったり豪華な生活を一時はしたけども没落して..というのが事件の背景にある。住んでいるのも出身地なので、「侯爵夫人気取り」と評されるヴァランティーヌでも、洋菓子店の売り子だった過去が周囲に知られていたりする。そんな田舎のリアリティが印象深い。

No.11 7点 メグレと無愛想な刑事- ジョルジュ・シムノン 2017/08/09 21:56
「若い女の死」でロニョン刑事に萌えた余勢を買って、表題登場のこの短編集を読んだ。本短編集は4作長さ以上のボリューム感のある短編がそろっているが、ロニョンは最初の表題作しか出ない。残念。
本短編集はというと、「ヘンな奴ら」大集合の作品集になっている。もちろんロニョンは刑事たちの中でも特にその偏屈さで「ヘン」なのは言うまでもないが、「児童聖歌隊員の証言」の老判事、「世界一ねばった客」のタイトルそのままの人物、「誰も哀れな男を殺しはしない」の被害者...すべて印象に残る「ヘン」さがある。
作品としては「児童聖歌隊」がお気に入り。児童聖歌隊員なんだから子供でしょうがないのだが、事件のキーを握る、偏屈な老判事の妙な子供っぽい振る舞いが「謎」を作り出してしまう...それを解決するのは風邪をひいてフラフラのメグレである。風邪をひいて寝込むと、しきりに子供のころのこととか思い出されるものなんだけど、そういうメグレが「子供の心」を洞察して謎を解く、という構図の優れた作品である。こういう小説、イイな。
最後の「誰も哀れな...」も、被害者の小市民的としか言いようのない行動が「バカだなぁ」という感想と同時に「それも仕方ないな」という諦念とないまぜになって妙に心に迫るものがある。
というわけで、シムノンらしい小説的満足感バッチリな短編集である。

No.10 7点 メグレと若い女の死- ジョルジュ・シムノン 2017/07/30 22:17
小説というものに何を求めるか、というと人それぞれなんだろうけども、そこに描かれた「不器用な生き方をする人々」に対する共感みたいなものを「愉しむ」というのはやはり評者も年老いたからなのかね...で本作、パリに憧れて上京した被害者も、捜査陣でもとりわけ印象深い「無愛想な刑事」ロニョンも、生きることの下手くそな人々だというあたりに、感慨深いものがある。
被害者は賭博狂いの毒母から逃れて、花のパリへ上京しても、若い女子でも美人でもなく要領悪く取柄もないと、パリは広いというけれど、身をおくスキマもないものだ..上京するときに知り合った元ルームメイトは御曹司をゲットして時めくが、自分は借り物のドレスでルームメイトの結婚式に現れてお金を借りる惨めさよ。
現場所轄の刑事ロニョンは、愚直なまでの足の捜査の達人なのだが、要領悪く昇進試験にも受かる見込みもない。いつも手柄はメグレが要領よくかっさらい、オレはいつもくたびれ儲け...(実はメグレはロニョンを買っていて、敬意を持っていたりするのだが、それにロニョンは気がつかない。これがロニョンの一番気の毒なところ)
この二人の像が付かず離れずで重なるのが本作の秀逸。被害者も本当は幸運とニアミスしているのだがそれに気づかず短い生涯を終えるし、ロニョンもメグレが温かく見ていることに気が付かない。そういう「不幸」の話である。嗚呼情けなしの世の中よ。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.43点   採点数: 1253件
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