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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1420件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.720 5点 謎の紅蝙蝠- 横溝正史 2020/06/06 19:02
横溝正史と言っても、金田一とは違って、捕物帳はちょっとした魔界のようだ。人形佐七なんて1938~68年までの30年間書き続けたわけで、由利先生より金田一より活躍期間は長い。しかも戦前は人形佐七だけじゃなくて、朝顔金太だの服部左門だの鷺坂鷺十郎だの左一平だの緋牡丹銀次だの多士済々きわまりないし、しかもこれらの主人公作品をのちにちゃっかり人形佐七モノに書き直していたりする....と実際、わけがわからない。最近では捕物出版からオンデマンド本で出たり、論創社からレア物が出たりとかして少しは整理されてきたようではある。

でこのお役者文七は戦後生まれなので、身元は他の時代ヒーローよりはっきりしている。1作目の「蜘蛛の巣屋敷」以外はすべて「週刊漫画Times」連載というのが面白い。「週刊漫画Times」は今もあるね(オヤジマンガ誌だ...)。週刊漫画雑誌の草分けで、初期のナンセンス漫画中心だったころに連載されていたようである。主人公の文七は、旗本大身のご落胤でありながら、訳あって歌舞伎役者の養子になったが身を持ち崩し、今では岡っ引きの居候。役者修行をしたからには女にだって化けれる美男(佐七も美男だしなあ)。町奉行大岡越前や与力の池田大助の信も厚く..という設定。岡っ引きでなくて遊民で、フリーの江戸の冒険者みたいな立場。長編4作、中編3作で活躍。第1作は映画化。
4作目の本作は養父の一座に新たに加わった加賀出身の役者菊之助に彫られた紅蝙蝠の隠し彫りと、十七年前に御金蔵を破った紅蝙蝠一味との因縁の話。その千両箱の隠し場所を示した地図を巡って、稀代の毒婦「御守殿のお美代」が菊之助を騙すところから始まり、次第に紅蝙蝠の残党が絡んでくる...養父の一座の役者を守るために文七が事件に介入して宝の地図の奪い合いに一枚噛むことになる。
そういう話なので、ミステリ色は薄いです。悪女お美代のキャラが一番立ってるな。で、このお美代を巡ってエロ描写は濃厚。横溝正史が達者に書き飛ばした時代劇スリラーで、通俗と言えばまあ、通俗の極みみたいな作品だ。

No.719 9点 炎に絵を- 陳舜臣 2020/06/06 18:01
評者がこのサイトを見始めた頃、本作が国内ベスト5に入っていた記憶があるよ。評者とか「見識、だね」と思ってた...その後沈んじゃったのはもったいない。
誰だったかの戦後ベスト20に入ってるのを見た記憶があるし、協会賞を「風塵地帯」と最後まで争ったこともあって、評者は本作「隠れた名作」とは思ってないなあ。地味かもしれないが、歴史ロマンとどんでん返しを両立させた陳舜臣のミステリ代表作だと思っていたよ。この人の「受賞作」だって地味と言えば地味で、ドラマがしっかりし過ぎているので損してるのか?というくらいの、そういう作風じゃないのかな。
大掛かりな仕掛けがあるけども、その動機は家族愛から発する納得のいくものであるし、産業スパイ話も目くらましとしてうまく絡ませていると思うんだけどね。というか、殺人も最後の方にやっと出るわけで、ミステリの「話の作り方」として、「型にはまったやり方」ではない、市井人の生活の中で遭遇する話として、巧妙に作られているように感じる。評者に言わせれば、「ミステリの話の作り方のお手本」じゃないかと思うくらい。
本作を「隠れた名作」なんて呼ばなくて、「60年代の大名作」として今の読者の間でも有名であってほしいと願う。

No.718 6点 銭形平次捕物控傑作選1 金色の処女- 野村胡堂 2020/06/04 17:40
文春文庫の傑作選から。「櫛の文字」みたいな「ミステリな平次」もいいんだが、それでも「銭形の親分らしく」ないや。で、少し不満が溜まったから、ふつーの傑作選から。

表題作は平次のデビュー作で伝奇スリラー風な作品。将軍家光の鷹狩りの危機を平次が救うなんて、まあファンタジーだけど、キリシタンバテレンな邪法の儀式とか、怪奇色もあり。お静さんとはまだ交際中で、偵察を頼んだら拉致されて悪魔の生贄に...そういう話。アタマを空っぽにして読むといい(苦笑)平次だからね、「悪魔の生贄」でもアザトくならずに品がいい。
まあ、平次は半七じゃないから、時代考証は今一つだけど、絵になるシーンは多い。「お珊文身調べ」は刺青自慢大会が登場。親分も背中に六文銭の刺青を入れて...(ホントかな?)十二支を彫った粋な姉御と白蛇の男との因縁は?
ミステリだとどうしても商家の殺人ばっかりになりがちだが、武家が絡んだ話も多いわけだ。家宝の紛失を解決する「名馬罪あり」や、諸藩の軍事機密扱いの「兵糧丸」を巡って本草学者が誘拐されて殺される派手な事件の「兵粮丸秘聞」、子供の誘拐事件に絡む「迷子札」など、武家を相手に回しての、庶民の味方平次親分の心意気を楽しめばそれで充分。
とはいえ「お藤は解く」がこの本だと一番ミステリらしさあり。殺人事件の容疑者多数状態で、それぞれに容疑が深まると、この家に「行儀見習い」に来ている少女お藤が、その容疑をすべて晴らしてしまう。平次親分もお藤の推理にしてやられているのだが...という話。この名探偵少女の趣向がナイス。

でオマケとして胡堂のエッセイ「平次身の上話」を収録。

われわれの範とするのは、やはりボアゴベ、ガボリオ、ポー以後の外国探偵小説であるが、これは、コナン・ドイル以前の古典に属するものほど面白く、精緻巧妙にはなっても、近代のものに私は心惹かれない。それは、トリックに嘘が多く、筋も拵え過ぎて、人物が浮き彫りにされていないからである。

とまあ、ホームズのライバル世代に多かった、科学応用の物理トリックへの反発心から、こういう見解になったようだ。

従ってトリックもまた人間の心の動きの盲点を利用したものや、感情の行き違い、注意のズレと言った、心理的なものになりやすく、そのトリックは、時代や文化によって、動き易いものではない。つまりは、明日は変わって行く器械的なトリックではなくて、千古不易の心理的本質的なトリックになることが多いからである。

ね、マトモなミステリ論をしているよ。捕物帳だからって、バカにしたものではないからね。

No.717 1点 ダ・ヴィンチ・コード- ダン・ブラウン 2020/06/02 22:52
昔街歩きをしててついつい映画が見たくなって、その時封切してた映画は見たな。見終わったあと呆れまくってた。
なので大体内容は把握してたが、原作読む気にはまったくならず。「フーコーの振り子」をやったから、まあそれでもやろうか?とも思ってブックオフ百均棚で購入。上中下と百均でも300円になるのがもったいない。
要するにね、炎上商法。今回通読して、それでもソフィーの両親はヴァチカンに暗殺された(と少なくとも祖父が思わない)ことには、話のつじつまが合わないように思うよ。やはりカトリックにあらぬ疑惑をかけていることには間違いないのでは? なんやかんや言って、実在の宗教団体に所属する設定の修道僧が、大量の殺人を犯したことになるわけで、カトリックに対する攻撃の意図がない、とするのはどう見ても無理。
まあ純粋にミステリとしてはアンフェアだし、後半のつじつまが合ってなくて馬鹿馬鹿しい。暗号もソニエールが準備したものを解くだけで、それもタダのアナグラムのレベル。頻繁なカットバックがなければ、実際単調な一本道のスリラーで、登場人物はあたかも紙人形のごとし。小説家としては無能な部類に入る。いろいろ主人公に教えてくれる大貴族のティーピングに至っては、品格皆無で下賤な人物。とっても貴族に見えないんだがな....貴族がサッカーのファンとか階級意識の強いヨーロッパじゃそもそもありえないから、柄の悪いオッサンみたいだ。で「聖婚」の名のもとの乱交パーティとか、主人公にミッキーマウスの時計をはめさせて「カッコイイ」と思うような著者だから...と何となく腑に落ちるのが情けない。センスがすべてお安いのに閉口。

で、ウンチクに関しては、もちろんトンデモ。テンプル騎士団なんて「フーコーの振り子」によれば、「テンプル騎士団を持ち出す人間はすべて陰謀論でオカシくなった奇人」だそうだ。で、本作の呼び物であるマリア福音書やらピリポ福音書やらのグノーシス福音書だけど、これらは実際には、ナグ・ハマディでの発見から1970年代に研究が進んで、評者も80年代の学生時代に、ペイゲルスの本の翻訳書なんかで知ってたな。日本にも荒井献という有名な研究者がいるから、日本語のマトモな一般向けの本だって、ずいぶん昔から出ているんだよ。なのでそもそもネタの鮮度は悪い。でしかも、この本の中ではしれっとグノーシス福音書を、具体的な説明もなしにマタイマルコルカヨハネと同列に扱っているけど、そんなもんじゃ、全然ない。2世紀の教父たちもグノーシス福音書の内容を知っていて、異端反駁の中で徹底的にやっつけているわけだ。伝統に取り入れられずに完全に排斥された内容なので、今更テキストが発見されたからといって、現在のキリスト教に与える影響があるかというと、あまり、ないというのが現実的なあたりになる。
グノーシス福音書の内容が史実か、といえば、逆に正統的な福音書の内容だって、史実かどうか確認する手段がそもそもあるわけではない。イエスの結婚がピリポ福音書にあるからといって、それが史的イエスとの関連を肯定できるか、といえばそんな証拠もない。この説はキリスト教の教義にはまったく取り入れられなかったから、せいぜい証明不可能で無関係な説にしかならないわけだ。グノーシス主義は自分の宗教的な「悟り」を創作で示す、という傾向があったらしいから、実に多様な主張をする「福音書」が作られて氾濫したらしい。「ユダの福音書」とかホント二次創作みたいなものだよ。そうしてみると福音書と名乗るからっていって、そもそも史的イエスを伝えるか?さえアテにならないよ。

ま、誰もが指摘するけど、シオン修道院はオカルトマニアによる有名な詐欺だし、古びたネタをパッチワークしてでっちあげた安手のスリラーを、カトリックを攻撃する炎上商法で売りつけただけのことである。「フィクションだから、いいじゃないか」とするご意見には、ちょっと反論したいな。評者は「遊びには他人に迷惑をかけない」のが大前提だと思うんだ。実際この本は、カトリックとキリスト教全般に多大な迷惑をかけた本である。「遊びだから他人に迷惑をかけてもいい」のは傲慢極まりない...と思うんだが、反論のある方、いるかな?
というわけで、本書の行き先は決まってる。ゴミ箱直行、である。

No.716 7点 心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿- アルジャナン・ブラックウッド 2020/06/01 09:45
ミステリ以外に「名探偵」がいるジャンル、としてもう一つ「ゴーストハンター物」があるわけだけど、本作のジョン・サイレンスとかカーナッキとか、時代的にも「ホームズのライバル」世代なんだから、ちゃんと名探偵、している。
まあ、サイレンスもカーナッキも作品総数が多くなくて短編集一冊に収まるのがいいのか悪いのか。なので、ジョン・サイレンスも国書刊行会ドラキュラ叢書での訳→角川ホラー文庫も、創元の新訳も収録作は全く同じ。全6編なんだが、どれもこれも、出来がいい。
考えてみると、ゴーストハンターの場合の「犯人」というのは「霊」ということになる。そういう意味じゃ、ミステリの犯人が誰かわからないのに対して、ちょっとハンデがあるわけだ。だから小説としては、ミステリよりも読者をがっかりさせずに納得させるのが難しいことになる。作者のブラックウッドは伝説的な「黄金の暁」教団にいたこともあって、オカルト知識は正統的なんだけど、小説の中ではそういうオカルト業界ジャーゴンを振り回すことなく、「霊現象に直面した人がどうそれを感覚するか?」をしっかり叙述することで、一般性のある「小説」として成立させている。そのうえに、表面的な事件から推測される「真相」よりも、もう一歩捻った真相を用意するとか、「技あり」な短編集である。文章もかなり上手で、安っぽさはまったく、ない。主人公のサイレンス博士も、温厚篤実なタイプで、ケレンなしの直球派。王道ゴーストハンターである。
①「霊魂の侵略者」は、いわゆる「幽霊屋敷」モノで、依頼されたサイレンスが一晩泊まって怪異と直面してそれを祓う。お供は犬と猫で、猫が二股膏薬なふるまいをする(苦笑)。怪異の描写がしっかりしていてナイス。
②「古の妖術」は、ある旅行者がフランスの田舎町に吸い寄せられた。その町は「猫の街」のような...と、朔太郎の散文詩とか「河童の三平」の終盤みたいな「猫町」を連想する話。雰囲気重視の作品で、さすがのサイレンス博士も手の打ちようがない?
③「炎魔」はサイレンス博士とワトソン役の「私」ハバードが、炎魔に取りつかれた家の秘密を暴く話。炎魔の正体とかミステリ的風味がなかなか効いている。中編規模で重厚な読み応えあり。
④「秘密の崇拝」は自分が学んだギナジウムを再訪した商人が、今では廃墟になったギナジウムでの悪魔崇拝の犠牲になりかかるのを、偶然遭遇したサイレンス博士が救出する話。純粋にホラー味で勝負した話で、紹介しやすさではサイレンス物でも一番だろう。
⑤「犬のキャンプ」はバカンスで北欧に、キャンプに出かけた牧師一家を襲う「人狼」の事件を、サイレンス博士が裁いて見せる話。これも中編規模で読み応えあり。
⑥「四次元空間の虜」は短い短編だが、四次元に陥ちこんだ依頼人をサイレンス博士が救おうとする話。SF的な面白味がある。
というわけで、ミステリ読者が違和感なく楽しめるゴーストハンターとしては「カーナッキ」と双璧。毛嫌いせずにどうぞ。

No.715 7点 毒猿 新宿鮫II- 大沢在昌 2020/05/27 23:33
評者鮫の旦那は奇数番が好きだ。本作のド派手な劇画調はやや苦笑しながらも楽しんだのは否定しないよ...超人的なプロの殺し屋、それを執念で追う刑事、刑事に友情を感じてサポートする鮫島、殺し屋に恋して同行する女、と話の骨格はこれ以上のないくらいのベタ。まあこのベタをうまくカバーするのが作者の腕前、ということにはなるんだけどね。
なので、骨格に肉付けした要素が何か、というのが大きなポイントだと思うんだ。本作が画期的だったことがあってね、それは、
・東洋人(非日本人)のヒーローとアンチヒーローを造形した
という時代に大きく先駆けた要素がある。これが一番の評価ポイントになると思うんだ。もう手垢がついちゃったので何だけど、発表は1991年だから平成が始まったばかり、バブルと「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の余波がまだあった時期なんだ。いやなかなか感度のいいアンテナをお持ちのようだ。
でまあ、こういうベタな男の友情話なので、本作とか評者は腐った読み方をしたいのではあるけども....まいいか。そういう読みは大いにアリな作品だからね。

(中華系ヒーロー像の日本のパイオニアは池上遼一×小池一夫「クライング・フリーマン」だと思うんだよ。1986~1988年連載だから、5年こっちが早い。マンガに負けているんだよね....池上遼一というと、カッコイイ東洋人を描ける、というので東アジア全体で人気&影響力絶大だそうだよ)

No.714 8点 シャーロック・ホームズの回想- アーサー・コナン・ドイル 2020/05/27 09:35
皆さん点がカラいなあ(苦笑)。「冒険」がベーカー街221Bに腰を据えたホームズの元に持ち込まれる事件を、見事に推理して解決する、いわば「ホームゲーム」な話でほぼ統一しているのに対して、「回想」はそうじゃない「アウェイ」な話でまとめた印象を受けた。
巻頭の「シルヴァー・ブレイズ」だっていきなりダートムア旅行で始まるわけだね。普通にベーカー街で始まる次の「黄色い顔」はホームズ失敗譚だし、ホームズの回想を書き留める「グロリア・スコット号」「マスグレーヴの儀式」、ホームズが健康を害して休暇旅行した先の「ライゲートの大地主」、マイクロフトとディオゲネス・クラブで会う「ギリシャ語通訳」、で締めはホームズと同行してヨーロッパに舞台を移す「最後の事件」...と、「冒険」が作った話のパターンを「回想」は突き崩してやり直したような印象を受けるんだ。

ホームズがみごとな分析的推理の腕をふるって、その独特の調査方法の価値を示した事件でも、事件そのものがひどくつまらかったり、平凡だったりして、世間に発表するほどのものでもないと思えることもよくあったからである。また一方では、きわめて驚くべき、劇的な性格の事件の捜査に関係していても、その事件の解決にホームズが果たした役割が、彼の伝記作者として私が望むほど大きくはないということもしばしばあった。

とワトソン君が悩むのが、この「回想」の本音みたいなものなのか。まあだから、「回想」読んでいると、実のところファイロ・ヴァンスよりも、コンチネンタル・オプの方がホームズの直系の子孫のような気がしてくるのだよ。ホームズだって探偵商売を通じて、奇妙な人々の繰り広げるヘンな事件の狂言回しとして立ち会うこともあるわけで、悪党とカモの入り組んだ事件を裁き分ける「機械仕掛けの神」だとしても、十分エンタメとして成立するわけだ。
まあだから「回想」はあまりホームズが「推理」しないんだよね。皆さんが評価下げたがるのも分かるんだけど、評者は逆に「冒険」だけだったら「名探偵シャーロック・ホームズ」がここまで代名詞にならなかったんじゃないかと思うんだ。「回想」は「冒険」が作ったパターンを壊して、新たに「名探偵ヒーロー」の活躍の幅を広げる大きな役割を果たした、と思う。どうだろうか?

No.713 8点 フーコーの振り子- ウンベルト・エーコ 2020/05/26 17:54
「薔薇の名前」よりも長くてヘヴィだから、落ち着いて読める時期に..とは思ってたけど、頑張って再読。これも出てすぐに買った本。

主人公の「わたし」はテンプル騎士団についての学位論文を書いているときに、インテリが集まるバーで編集者のタルボと知り合う。タルボはテンプル騎士団を扱った持ち込み原稿の扱いに、主人公を顧問として協力を求める。原稿の主はオカルトに狂った「猟奇魔」の畸人で、出版社は固い学術出版社のウラに、自費出版を営んでおり、「原稿を預かる」という名目で、自費出版に誘導するのが狙いだった....しかし、その原稿の主は殺人を疑われる状況のもとに姿を消した。真相が不明のまま、卒業した主人公はブラジルに渡り、そこでサンジェルマン伯爵を連想させる紳士と知り合う。ミラノに舞い戻った主人公は、その出版社でタルボたちと一緒に働くようになるが、その出版社では頻繁に持ち込まれるオカルト原稿にヒントを受けて、自社でオカルト書籍シリーズを出すことを検討していた。サンジェルマンを思わせるアッリエ侯爵も、その顧問に加わることになるが、主人公とタルボ、ユダヤ人でカバリストのディオッターレヴィの三人組は、失踪した男が「テンプル騎士団の秘密を記したメモ」とする暗号文書から、ありとあらゆるオカルトを一まとめにしたような、西洋史を貫く大陰謀「計画」を冗談半分にでっちあげて、世の中の鼻を明かそうとたくらんでいた。
この「計画」を女をめぐる張り合いで、タルボがアッリエ侯爵に漏らしたことから、ただならぬ事件が動き出す....

うん、まあこういう話。本書の10のパートがカバラのセフィロトの木になぞらえて作られているとか、三人組の一人がカバリストで、カバラ用語が頻出するとか、読むにあたって西洋史というか宗教・オカルトあたりに一定の知識があった方がいいと思う。カバラだったらショーレムの「カバラとその象徴表現」とか、薔薇十字ならイェイツの「薔薇十字の覚醒」とかマトモな本を読んでおくといいんじゃないかな。まあインテリ向けのエンタメだから、意味が解らなくて流して読んでもそうそう困りはしないんだが。
で、作者は記号学者のエーコである。評者も80~90年代あたりの記号学の流行りの中で少しくらいはかじったか。この記号学、「記号には隠された意味などまったくない」というのが、大前提というのか信条というのか、そういうモノなんだ。記号学というのは、オカルトの反対の極にあるものになる。だから本書は「記号学の大家による、反=記号学の遊戯」みたいなもの。オカルト=象徴表現というのは、「表面的に現れた意味の背後に、隠された意味があって、その隠された意味に到達するのが【奥義】」ということだから、記号学はオカルトの悪魔祓いの役回りなんだよ。「表層以外は何も信じない」80年代スタイルvs「表面的な意味は完全無視」なオカルトだから、そもそも正反対。
まあエーコは当然ここらを百も承知の上で、オカルトと戯れてみせているわけだ。実際、オカルトって本当に引き写しばっかりで極めて創造性を欠いたジャンルのようなんだよな...しかし、三人組はテキトーに類推からありとあらゆるオカルトを蒐集し、勝手に関連付け、架空の大陰謀を編集的に「創造」してしまう。そうすると、それが「ウソ」ではなくなって...というのが終盤の展開になってくる。自らの嘘に復讐されるわけだ。主人公の妻のリアはウソにのめりこむ夫の姿を見て、出発点のテンプル騎士団の秘密メモが、花屋の配達伝票に過ぎないのを暴露するけど、もう遅すぎる。

「神の書」の文字を調合するためには、それ相応の慈悲を覚悟しないといけないが、僕らにはそれがなかった。どの本も神の名で編まれているのに、僕らの場合は、祈りもせずにすべての物語をアナグラムにして変換してしまった。

この報いを得て、カバリストのディオッターレヴィは「僕の細胞は他の誰のものでもない自分だけの話を作り上げ」る病気である、ガンで死ぬことになる。まあ、本書はマジメというよりも、アイロニカルでシニカルなコメディみたいに読むものではあるんだけどね。だからさ、同じくテンプル騎士団のオカルトを扱っても、例の「ダ・ヴィンチ・コード」とかとは全然レベルの違う話。本書読んでりゃ、いかに「ダ・ヴィンチ・コード」の創造性が皆無なのかが、分かろうというものだ。
最後に本書の主人公が「知のサム・スペード」を気取るのは、これはこれでウラの意味があってね、要するに「マルタの鷹」は、最後には宝物が模造品で一文の価値もないことが判明する、という本書の先達みたいな話なんだ。逆に言えば、宝物とか秘密とか陰謀とか奥義とか、こんなのはヒチコック流に言えば「マクガフィン」であって、球技で奪い合うためのボールに過ぎないものなので、どんな無価値なものでも「宝物の奪い合い」の宝物になる、という「ゲームの規則」を示しているだけなのさ。

No.712 6点 蝶の骨- 赤江瀑 2020/05/24 08:37
赤江瀑は、ミステリと完全に地続きなあたりで書いている作家なんだけど、どうも類型にハマらない独自ジャンルという感覚だ。本作だって、エンタメで、殺人はなく(強姦と自殺はある)、超常現象もなく、エロスはテーマだけど格調高い。こんな感じ。この文章に魅力を感じるなら、読んでもいいと思うよ。

陽だまりが、流子の目の前にもある。濃い肉のくさむらが、その光をすっている。
英寧の首が、動いている。
海の匂いが、たつ。
オオルリが、また鳴いている。
スナキビソウがもみしだかれる。
空が、動く。
ときどき、傾く。
丘が、しずむ。
林がひしめく。
樹木が、折れる。
陽が、なだれる。

ヒロインは学生時代に、同級生男子の「花形」の三人組が、体育館倉庫で行きずりの女性を拉致して強姦するのを目撃した。この美形三人組に人知れず恋情を燃やしていたが、相手にされない自身の容姿の醜さに絶望するヒロインは、自身が強姦されたと大学当局にこの三人組を訴えて出る。三人組は大学除籍。ヒロインは卒業後、整形手術を受けて「蝶」に変身していた....デパートの催しで「爪に彫画」するネイリストをする三人組の一人を見つけたヒロインは、身元を隠して男を誘惑する。男はヒロインとのかつての因縁にまったく気が付かないようだ。これをきっかけに、ヒロインはかつての三人組全員を誘惑する「復讐」に酔いしれる。
まあこんな話。だからヒロインの「復讐」の動機のヒネクレ具合とか、無理を重ねたヒロインの復讐の結末とか、そういうあたりの興味で読んでいく話。悪くないけど、カテゴライズ不能なタイプの話で、恋愛小説にしては主人公が屈折しすぎで、官能小説かというと格調が高すぎる。女性視点で女性が読んでも大丈夫で、解説も皆川博子。「暗黒のハーレクイン」と言ったらピッタリか。
赤江瀑は短編の方がずっといい、というか「長編イマイチ」な人なんだけど、本作は長編の3作目。中盤ヒロインが鉄の処女で自殺を図るとか、ヘンなエピソードもあるけど、まあ一応文庫300ページを持たせている。

No.711 6点 ラヴクラフト全集 (3)- H・P・ラヴクラフト 2020/05/24 08:03
HPLも3巻からは「全集」モードで仕切り直し。訳者も大瀧啓裕で固定になる。なので本書は「ダゴン」「無名都市」の神話作品としてのマイルストーン的重要作が登場。まあただし、神話要素の初登場、ということで注目される話なので、短編幻想譚として悪くはないけど、らしさ全開の名作、とはいかない。「家の中の絵」「潜み棲む恐怖」はニューイングランド因習的恐怖譚で、構成に強く関心を持つラヴクラフトらしさは出ているが、ややあざとい。
としてみると「アウトサイダー」はほぼポオの模作だけど、なかなか出来がいい。「赤き死の仮面」を「仮面」側から描いたような話だけど、実際これにラブクラフトが自分を投影していることもあって、ホラー小説読者論みたいなものを読みこむと面白いと思う。
「戸口にあらわれたもの」は「チャールズ・ウォード」を親友の視点固定で描いた別バージョンみたいな話。「チャールズ・ウォード」よりエンタメしていて、晦渋ではない。結構、いいと思うんだ。
「闇をさまようもの」はHPL最後の作品になる。HPLを慕うロバート・ブロックとのキャラ交換のお遊びがあって、主人公がロバート・ブレイク。ガジェットとして「輝くトラペゾヘドロン」が登場。邪宗教会の廃墟に魅惑される主人公の話だけど、嵐の夜に近隣のカトリック教徒たちが「教会に住む魔物」を封じ込めるために....あたりの描写が雰囲気が出ている。雰囲気のイイ作品だが、話のアクションに欠ける弱点があって今一つ。たった30ページと思われないほどに濃密なんだけどね。
で中編規模の「時間からの影」。雑誌発表が「アウスタンディング・ストーリーズ」だから、神話にSFを接木したような作品で、SFの驚異とホラーの恐怖とどっちつかずになって、どうにも扱いに困る。SFとホラーの合体でHPLがうまく書けたのは「宇宙からの色」くらいしかないと思うけどね。「大いなる種族」は人類とは相いれないだけで、決して邪悪でも悍ましくもないと思うんだ。姿が奇怪だから...で恐れるのは差別ってもんでしょう(苦笑)。
全集ペースになるから、いい作品、重要な作品も含まれるけど、イマイチ作も増えてくる...HPLでもそんなもん。

No.710 8点 奇商クラブ- G・K・チェスタトン 2020/05/21 16:13
ブラウン神父を通読すると、「童心」最狂もとい最強、「知恵」頑張ってる、以降は二番煎じで切れ味鈍って....というのが正直な印象で、後期に相当する「詩人と狂人たち」「ポンド氏の逆説」も冴えないものが多い、となれば、やはり「チェスタトンって最初は凄かったけど、後ほど時代遅れで自己模倣ばかりになる人」という印象を持たざるを得ない。逆に言うとね、第一短編集の本作とか、あるいは「新ナポレオン奇譚」とか「マンアライブ」とか、大いに期待できる、ということになる(もちろん「木曜の男」は凄い)。
うん、さすが「奇商クラブ」は面白い。仕掛けとファンタジーがうまく融合していて、振り返ると馬鹿馬鹿しいんだけど、ファンタジックな味が捨てがたくて、あたかも童話のようである。バレたら価値がなくなる逆説ではなくて、バレても味わい深い逆説なのである。ここが後期との大きな違いである。
まあ確かにさ、文学上の「狂気」というのは、「狂気を通じて正気を見、正気の中に狂気を見る」弁証法が働くからこそ、意味があるのであって、精神医学上の「狂気」なんてのは悲惨なばっかりで、ブンガク的なものなんかじゃない。「奇商クラブ」あたりは、こういう往還がうまく働くからこそ、奇想を楽しむことができるわけだ。チェスタートンらしさ全開の、生き生きとしたチェスタートンを楽しもう。後半3作が優れていると思う。評者もどうだ、踊ってみようか?
で、創元旧版は「背信の塔」「驕りの樹」の豪華オマケ付き。新版はこの2作が入ってない(別な本に収録予定、と予告されている)ので、現状は「旧版よまなきゃ」、である。「背信の塔」はブラウン神父の別バージョンみたいな価値があると思う。たとえば「ブラウン神父の死」とかそういうかたちでリライトしたらいいのに..とか妄想する。「驕りの樹」はその昔小酒井不木訳なんて骨董みたいなのを読んだ記憶がある。「新青年」の大昔から親しまれてきた作品だ。ミステリ的な仕掛けは大したものではないが、ミステリを逆手に取った「犯人の狙い」が素晴らしい。庶民の世間知をインテリは半可通な科学知識とオカルト批判で馬鹿にするのだけど....とチェスタートンの宗教的な主張とも重なって、オモムキが深い。細かいことを言うと、不木訳「孔雀の樹」のタイトルは実際に問題の木がそう呼ばれているからそっちをタイトルにしたわけだけど、西欧では「傲慢(虚栄)」の宗教的なシンボルに「孔雀」が使われるわけで、紳士階級の傲慢を突く作品の狙いから The Tree of Pride となってるわけだ。Pride って今の「いい意味」とは違うからね。
「詩人と狂人たち」とか「ポンド氏の逆説」とは全然レベルの違う力作短編集である。これは、読まなきゃ。

No.709 7点 ウェルズSF傑作集1 タイム・マシン- ハーバート・ジョージ・ウェルズ 2020/05/18 23:31
昔「タイムマシン」を読むのに買って、前半の短編は読んでなかった...まあそんなこともあるさ。
ウェルズってあまりちゃんと読んでなかった(あと読んだのは定番「宇宙戦争」)けど、ドイルに通じるストーリーテリングのうまさがあって、SFというよりも大衆小説のよさみたいなものを感じる。前半の短編がなかなか楽しめるものが多くていいな。
「塀についてドア」はありがちな「選択」の話なんだけど、最初に入ったときに幸福感が印象的。センチメンタルと言うなかれ。
「水晶の卵」は、骨格そのままでガジェットを置き換えたらラヴクラフトになると思うんだ...異世界(設定上は火星)をのぞき込む奇妙な水晶の卵の話。話よりも水晶の中に展開される異世界描写がすべて。短編中のベスト。「宇宙戦争」の予告編だそうだ。
で問題は「タイムマシン」。そうしてみると、この作品がイギリスの階級社会を批判する社会批評をSFのかたちで展開した..というのは言うまでもないことなんだけど、今読むとそれよりも、暗澹とした末世感みたいなものに強く打たれる。実際、世紀末のイギリスは「世界の工場」として空前の繁栄を遂げていたのだが、逆に労働者の教育や健康管理、環境に対する負荷などの対策は本当になおざりで、ボーア戦争でも兵員の供給に困って惨敗するなど、「進歩がホントに進歩なのか?」という懐疑が始まった時期でもあるわけだ。進化論の「進化の夢」も悲観的状況だとあっさり逆転して、Devoじゃないが「人類の退歩」はタイムリーなネタでもあった。加えて「宇宙の熱的死」など世界の有限性についての暗い思索が、この作品に強く反映している。モロンとモーロックの時代も頽廃の極みだが、その後の赤色巨星となった太陽の時代の終末感がなかなかキツいものがある。たぶん「暗黒神話」のラストシーンも「タイムマシン」からイメージを借りているんだろうね...

(SF史家の永瀬唯氏の「十九世紀熱力学的宇宙論の運命」によると、「タイムマシン」の最終局面での太陽は、赤色巨星ではなくて、燃料不足で燃え尽き寸前の太陽と、惑星の公転スピードが落ちて太陽に向かって落下するために、地球が太陽に近づいている...というのがウェルズの科学的な想定のようだ。「一度だけぱっと輝いた」というのは、水星とか太陽に落ち込んだのかもね)

No.708 4点 明治開化 安吾捕物帖- 坂口安吾 2020/05/17 14:12
銭形平次やったところだから、本作も捕物帳と銘打って続くのがおなぐさみ。本作は江戸時代じゃなくて明治も西南戦争後の小康状態の時期が舞台。まあ、安吾の狙いとしては明治維新を敗戦と同じ「転形期」と重ね合わせて「堕落せよ!」との持論をブツようなことなんだけど....
そこで「捕物帳」ということになる。剣客泉山虎之介、戯作者花廼家因果、勝海舟、それに真打の洋行帰りの紳士探偵結城新十郎の推理合戦、と道具立てはガチのパズラーみたいに見えるけど、実はこれがユルユル。この緩さ加減を作者が「捕物帖のことですから決して厳密な推理小説ではありませんが...」とか「読者への口上」で弁解している。実際、推理らしいことをするのは勝海舟と新十郎くらいで、どっちも名探偵というほどの個性もなし。どっちの推理もよくて五十歩百歩、海舟の推理が噴飯もののことも多いし、新十郎の推理も「意外で面白い真相」というほどのこともない。しいて言えば「血を見る真珠」に少々ロジックあり、という程度。というわけで、パズラー風の面白味があるか、というと期待しちゃ、いけない。
で「捕物帳」としてはどうか?というと、江戸風俗とか明治風俗も別にちゃんと描けているというほどでもない。「捕物帳は季の文学」という説もあるが、季節感もポエジーもとくにない。キャラクターも戦後無頼派安吾らしさの方が強く出たキャラで、明治人といわれて納得いくようなキャラではない。そもそも安吾が幕末・明治の人々と生活に強く共感するとかそういうタマじゃないよ。本作が「捕物帳」と名乗るのは捕物帳に失礼な部類。
まあそうは言っても、後半はパズラー仕立てが窮屈になったのか、伝奇ロマン風の舞台設定になって、それしか興味がなくなる。南海の真珠漁に赴く「血を見る真珠」、妻妾同居のトラブルに悩む「時計館の秘密」、おどろおどろしい旧家の当主監禁の真相の「覆面屋敷」とか、キャラの濃い人々がエゴをむき出しにする、事件になる前提の話の部分を楽しむべし。
というわけ。ミステリ・捕物帳・社会風刺小説のどれとしても中途半端。さらに連載が続いて、全23話だそうだが、角川文庫の8話だけで評者は勘弁してほしい....

(余談だが、評者が城昌幸の「若さま侍」をヒイキするのは、ベランメエが板についている、というのもある。綺堂も城も江戸っ子なんだよね。捕物帳は江戸っ子作家じゃないと、本当の味はでないのかも。そうしてみると新しいあたりでは未読だが「宝引の辰」あたりがイイのか?)

No.707 6点 櫛の文字 銭形平次ミステリ傑作選- 野村胡堂 2020/05/13 20:09
TVドラマ「銭形平次」の主題歌を聴いててね、ノリの良さにこれ「和風ジャズでは?」と思って調べてみたら、やっぱり同じこと感じる人が多いみたいで、クラブDJでかける人もいるようだ。バスクラリネットの入り方がやたらとかっこいい。
というわけで、原作も久々に読みたくなった。創元推理文庫なんてところから「銭形平次ミステリ傑作選」が出てるじゃん(苦笑)。というわけでゲットして、微妙なミスマッチ感を感じながら読了。考えてみると、イマドキ青空文庫を漁れば、銭形平次ならほぼ9割の作品は読めるんだ。じゃあわざわざ書籍で買うメリットは?というと、400篇近い銭形平次の中から、手っ取り早く「ミステリらしさの強い作品」をセレクトして読める、ということになる。そういう値段だと評者は思うことにした。
この短編集は末國善己氏によるセレクション17編。ミステリとは言っても、捕物帳は半七の昔からベースはホームズだから、フェアプレーは無視。それでもホームズ譚くらいのつもりで読むなら、ミステリ、じゃん?というくらいの気持ちで読める。江戸風俗については半七と比較しちゃいけない。平次の江戸風俗は芝居の書割だが、半七は「逝きし世」のリアリティ。そのかわり、いわゆる「銭形平次四原則」、1.侍の肩を持たない。むしろ横暴徹底的にやっつける。 2.町人や農民の味方になる。 3.罰することだけが犯罪の解決ではあるまいとの哲学を貫く。 4.明るい健康な作品にする、が徹底しているので、安心して読めることでは保証付き。「時代劇」のユートピア空間に遊ぶ心持ち。
そうはいっても、不可能興味がある「雪の夜」(半七の「春の雪解」にインスパイア?)とか、暗号解読があって、しかもそれが仕掛けな「櫛の文字」、トリックのある「槍の折れ」「風呂場の秘密」「猫の首輪」「生き葬い」、赤毛連盟を思わせる「人肌地蔵」、などなど「ミステリ傑作選」というだけあって、緩めだがミステリに違いないね、という作品が目白押し。親分が女性に包囲されて攻め立てられる「平次女難」みたいな笑える作品もあるし、平次と八五郎の軽妙な掛け合いはお約束。だからパズラー17連発というわけじゃなくて、軽めでサクサク読める、軽ミステリ17連発という印象の本である。
まあ、平次というと伝奇スリラー的な作品(「金色の処女」とか「七人の花嫁」とか)も多いからね。このセレクションはそういうのは入っていない。さすがに創元、ではあるが、難を言うと「ミステリ傑作選」のせいもあってか、商家を舞台にした殺人に平次が呼ばれて事件を解決、というパターンが続くこと。胡堂の「ミステリらしさ」の狙いと、セレクションの偏りからそんな印象がある。もう少しバラけた方が本としてはいいと思うが。

(時代劇テーマソング3大名曲は「銭形平次」「大岡越前」「大江戸捜査網」だと思う)

No.706 7点 スペイドという男(グーテンベルク21)- ダシール・ハメット 2020/05/11 20:34
評者電子書籍デビュー(苦笑)。本当はシムノンの「港の酒場で」でしようか?と思ったのだが、本を拾っちゃって流れてた。まあコロナでブックハントもままならぬから、電子書籍も、いいじゃないか。
でこのグーテンベルク21の「スペイドという男」は、創元稲葉ハメットで同題の本があるけど、まったく別編集。しかも文庫・単行本未収録とかあって、おいしい!
「クッフィニャル島の夜襲」
ハメットの短編代表作視されることも多い作品なんだけど、その昔ポケミスの「名探偵登場③」に収録されて、あと嶋中文庫の「赤い収穫」に収録されて...と名作なのに、日の当たらない扱いを受けていた不遇な作品で有名。今年になって「短編ミステリの二百年」に晴れて収録。田中西二郎訳なので、中央公論社の「世界推理名作全集」(1960)での訳のようだ。結婚式の祝い品警備に、サンフランシスコの沖合に浮かぶ金持ち御用達のクッフィニャル島を訪れたオプは、その夜組織的な大強盗事件に巻き込まれる...本土への橋は破壊され、船も逃走用以外は艫綱を解かれて、島は封鎖状態。そこを二挺の機関銃で武装した強盗団が島全体を制圧し、ありったけの動産をかっさらおうという寸法。島は市街戦の様相を呈し、この軍事作戦級の一大強盗事件に、オプはどう反撃するか? ね、これだけ大規模な強盗も珍しい。しかもオプは強盗団の意外な正体を暴きだし、ハードボイルドらしい非情な結末もあり。
「つるつるの指」
文庫未収録。別冊宝石に載ったもののようだ。偽造指紋の話でリアルだが間が抜けてる。
「誰でも彼でも」
文庫未収録。これも別冊宝石。アパートでの強盗事件で、犯人の消失の不可能興味がある。結構仕掛けたトリック。
「暗闇の黒帽子」
「チューリップ」に収録あり。EQMM日本版に載ったもの。捜査よりも犯人との地下室での対決が主眼。
「フェアウェルの殺人」
創元稲葉ハメットに収録。稲葉由紀訳なので、同じ訳。
「スペイドという男」
創元稲葉ハメットに収録。これは田中西二郎訳だから、やはり中央公論社の全集の訳。

まあ「クッフィニャル島の夜襲」お目当てが当然で、期待に背かない出来。他もオプの通常営業ながら、らしさは出ていて結構粒より。
PCで読むよりも、スマホで読む方が読みやすかった...なんかそんな印象。

No.705 4点 誘拐殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン 2020/05/10 21:44
ミステリライターは言うまでもなく、表現者にとって「ハッタリ」って重要なものだと評者は思うんだ。「ハッタリも実力のうち」ってね。本作はヴァンスも自信なさげだし、アレクサンドライトと紫水晶についてウンチクしだすけど、すぐにやめちゃう。作者がヴァンスに飽きてきたような、テンションの低さを感じるんだが.....まあペダントリやウンチクも、自分に自信があるからできることで、全体に自信喪失している雰囲気が濃厚。
まあこんな状況で、面白い謎解きとか期待しちゃ、いけない。実際売り上げが低下してきて、対ハリウッドでも強いことは言えなくなり、逆に「銃撃戦でも入れてみたら?」とか言われてやってみた、というところだろう。本作の売り上げ低迷で、ヴァン・ダインもシリーズの主導権を失って、ハリウッドからの企画ベースでしか本が書けないようになってしまう...そりゃ、やる気なくすよね。

個人的にはスニトキンに一杯飲ませるシーンが何か好き。子供の頃にヴァン・ダイン読んで、刑事たちの名前も一生懸命覚えたのが懐かしい。スニトキン、エメリー、バーク、ヘネッシー、ギルフォイル...キャラ描写とか下手だから、名前だけのキャラなんだけど、チョイ役でシリーズ中繰り返し繰り返し登場するから、愛着もでる(苦笑)。国際色豊かな名前に、移民社会を感じるよ。そういうと、本作中国人がでてきて、井上勇訳が昔のことで結構差別的。この人国策通信社の偉いさんだったんだけどねえ...

No.704 7点 炎の終り- 結城昌治 2020/05/08 23:22
皆さん点がカラいなあ。評者本作なかなかイイと思うんだ。「暗い落日」にはもちろん及ばないが、「公園には誰もいない」よりずっと、いい。そう思うのは評者が年を喰ったからなのかもしれないんだけどね。まあこのシリーズ雰囲気が暗いのは共通項だけど...

やがて音楽が流れた。甘くて憂鬱なブルースだった。わたしは彼女の誘いに応じた。
こんな悲しい女を抱いたことがない。こんな寂しい女を抱いて踊ったことはない。
「どうなさったの」
「帰ります」

ヒロインの元女優青柳峰子の絶望っぷりが、依頼者のクセに真木にロクな手がかりを与えなかったりする(苦笑)。だから真木も今回ボランティアみたいな仕事だ。真木も実のところ、峰子に恋している部分があるしね。とはいえ峰子は女優を辞めて淪落して、その裏事情を話してくれる女優仲間のれい子とか、ピラニア軍団っぽい大部屋俳優の牛山とか、華やかりし時期があっただけにその後ロクでもない人生を送ることになった人々の肖像が、何か心に痛い。家出娘とか、まあどうでもいい。若いんだもん。
で、ミステリとしては、実は本作なかなかイイ仕掛けをしていると思うんだ。「知らないことは書けない」をハードボイルド一人称の「利点」として捉える、というのがロスマクのメリットだ、とこの真木シリーズは捉えているわけだけど、これをちょっとヒネると、「どうみても真木が誤解するのが自然ならば、地の文の叙述も真木の誤解をそのまま客観叙述みたいに書いてしまってもいい」ということになる。本作、これをうまく使った叙述トリックみたいな部分がある。本サイトだったら、こういうあたりをうまく評価していきたいと思うんだけどねえ。
パズラーじゃないんで何だけど、真相は変形の二重底だし、本作結構凝った作品だと思うんだけどね....

No.703 7点 ゴッドファーザー- マリオ・プーヅォ 2020/05/07 21:31
映画を見ずに原作小説だけ読む人は...いないよね。まあだけど、原作も面白い。映画での人間関係を補完できるし、映画だと「なぜそうか?」は流して見ちゃうことになるから、「あ、そういう理由?」というのが小説だと丁寧に書いてあるので、別途楽しめる。
とはいえ、映画は原作の昼メロ風のエピソード(シナトラをモデルにしたジョニー・フォンティーンと、ソニーの愛人ルーシー、その恋人の外科医あたりの人間模様・エロ話多し)は採用せず、若き日のドン・コルレオーネの最初の殺人の話はパートⅡに譲り..と、原作をタイトにまとめあげている。結末は若干違って、マイケルと結婚したケイは諦念を感じて、ママ・コルレオーネのようにカトリックに改宗してコルレオーネの女として生きるように決心する。
まあなんやかんや言って、周辺エピソードをしっかり書き込んであるので、そこらへんが読みどころではある。やはり冒頭を飾る葬儀屋の話がいいなあ。娘の復讐のために忠誠を誓った葬儀屋は、のちにソニーとドン自身のエンバーミングに腕を振って恩を返すわけである。

で、なんだけどね、映画「ゴッドファーザー」について言うと、実は本作以外にもう一つの「原作」があるんだよ。コッポラという監督は典型的な「映画から映画を作る」監督でね、映画としての「原作」はエイゼンシュテインの「イワン雷帝第二部」なんだ。独特のライティングもそうだし、コニーの子供の洗礼式とカットバックで皆殺しするのは小説にはなくって、「イワン雷帝」の宴会と貴族の粛清のカットバックに想を得たものだろう。「地獄の黙示録」でも「ストライキ」の牛殺しカットバックを模倣しているコッポラは、ハリウッド随一のモンタージュ主義者だからねえ。というわけで、「イワン雷帝第二部」も「ゴッドファーザー」に負けない大名作だから比較して見るといいと思うよ。歴史劇の専制君主→現代劇のマフィアのドン、とそういう連想もきっと、コッポラにはあったろうね。

No.702 6点 競売ナンバー49の叫び- トマス・ピンチョン 2020/05/06 13:08
DJを夫にするエディパは、自分が億万長者のピアス・インヴェラリティの遺言執行人に指名されていたことを知る。ピアスはかつての愛人という縁もあるわけで、エディパは、サン・ナルシソに赴いて弁護士のメツガーと一緒に、ピアスの財産整理と遺言執行を行うことになった。その中で、エディパは数々の奇妙なしるしを目にする。それはトライステロあるいはWASTEという名と、消音器をつけたラッパで表章される「影の郵便組織」を暗示していた。その組織はヨーロッパで最初の郵便事業を営んだチュールン・タクシス家とも関わりがあるようで、そのことを暗示する劇を上演した男とエディパは知り合うが、海に入水して自殺し、エディパの夫は精神科医から処方された薬によって人格が変貌する。その精神科医は発狂してエディパを人質にした立てこもり事件を起こす...エディパの周りに起きる奇妙な事件たちはすべてこのトライステロが糸を引いているのだろうか、それともピアスの大がかりな冗談なのか? ピアスの遺産にあった、トライステロの実在を証拠立てる一枚の偽造切手のオークションに、未知の人物が入札した。エディパは切手オークションの始まりを告げる「競売ナンバー49の叫び」を待ち受ける...

はい、ちゃんとプロットが要約できるね。だからさ、そんなに恐れることはないんだよ(苦笑)。一種の調査小説だから、広い意味でミステリに入ることは間違いなし。アクティブな事件も結構起きるし、エディパの行動を追っているから、ダイナミックと言えばダイナミックな話。
けどね、そりゃピンチョンさ。「誰が何をしている」なミクロではしっかり意味が通った話だが、暗合やら連想やら引用やらで、コンテキストが頻繁に中断し再結合されていくから、「ミクロ」と全体的なプロットになる「マクロ」が明晰でも、中間レベルが極めて晦冥。まあだからあまり考えこまずに、次々と繰り出されてくるネタのシュールさ、豊饒さにびっくりしながら読んでいくのがいいだろう。起きる事件はユーモラスなものが多くて、ニヤリ、爆笑も頻繁。言ってみれば「1ページに50コマくらいあって、びっちり書き込まれたマンガ」みたいなもの。読み解くのにはややパワーが要るけど、一旦ノってしまえば、楽しめる小説。

(ホントは「フーコーの振り子」をGWにやろうと思ってたんだけど、長いんで時間的余裕がなさそうだ...でこっちに振り替え。同じような小説といえば、まあそうなんだよね)

No.701 10点 シャーロック・ホームズの冒険- アーサー・コナン・ドイル 2020/05/04 17:34
10点三連発になるのはご愛敬。まあそんなこともあるさ(苦笑)。10点付けんで何点つける?という作品でもあるからね。
先行する長編2つでキャラの固まったホームズ&ワトソンなので、あとはアイデアの赴くまま、楽しみながらストーリーテラーの腕を振るってる、と感じる。まあ何度読んだか知らないけど、今回はストーリーテラーとしてのうまさ、に感動する。ホームズの性格付けになる観察やら人生観やら、うまく事件に挟み込んで印象付けているし、記録者としてのワトソンが同時期の未執筆事件に触れながら...というあたりのギミックも最初から堂に入ったものだ。

今回とくに印象的だったのは「唇のねじれた男」。これ、紳士の堕落話なんだよね...だから前振りの紳士がアヘン中毒になって人生棒に振って~アヘン窟探訪というあたりが、実は謎には直接かかわらないのだけど、話として「効いて」いる。で、子供の時はよく分からなくても、大人になるとこの話の風刺性というか、アイロニカルなあたりが実感できて大変面白い。
そうしてみると「赤毛連盟」あたりも、実のところホラ話のようなユーモア譚にリアルなオチがついている話みたいに見た方がいいのかもしれない。明治時代に翻訳されたときには、赤毛じゃなくて禿頭組合だったらしい(苦笑)。「赤毛のアン」も「にんじん」そうだけど、赤毛、って欧米じゃ妙な色眼鏡で見られる色らしいからね。赤毛の人々が群れをなして応募会場に詰め掛けているようすを想像するだに笑えない?(禿頭組合だったらさらに...w)
で「青い紅玉」。これ定型的なクリスマス・ストーリーで、悔悛してハッピーエンド、というあたりをきっちり押さえて読むと、ユーモラスでファンタジックな味を感じれると思うんだ。犯人抜けてるけどさ、それが素敵。「六つのナポレオン」が本作のバージョンアップだろうねけど、あっちはシリアスになるからねえ。
「まだらの紐」は意外に密室を強調していないというか、死因不明だから不可能性を重視していないんだよね。それよりも深夜の室内での待ち伏せの描写がいい。スリラー的な興味の方をずっと重視して書いているように思う。
「ボヘミアの醜聞」はね、依頼人はハプスブルク家関係者、ということになるから、どうやらルドルフ皇太子が有力らしい。「うたかたの恋」のルドルフだから、有名なマイヤーリンク心中事件をした人だ。心中が1889年だから、発表の2年前。まあ、いろいろ浮名を流した人でもあるから、アイリーン・アドラーとの関係も「ありそうな」話なんだろう。そういうロマンチックな「艶っぽさ」をイメージするのがいいと思うんだ。
「ぶな屋敷」はゴシック小説の定形にホームズを絡めたもの。犬の射殺とか考えると、バスカヴィル家の原型になっているのかもね。
....まあ話し出すと止まらないね。そういう作品集だもん。それだけ個々の話のエッジが立っている、ということでもある。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

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