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[ ホラー ]
プラークの大学生
H・H・エーヴェルス 出版月: 1985年09月 平均: 6.00点 書評数: 1件

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東京創元社
1985年09月

No.1 6点 クリスティ再読 2020/09/09 23:28
評者エーヴェルスは「吸血鬼」が大好きで、ついに創土社版を中古で手に入れました..今まで購入した書籍の最高値になります。
「プラークの大学生」は創元推理文庫なので、さほど入手難ではない。訳と解説は「吸血鬼」同様に前川道介で、ドイツ表現主義映画についてコンパクトにまとまった解説は一読の価値あり。
「大学生」と言ってもヨーロッパでは、中世の学生ギルド以来の「遍歴学生」の伝統があるわけで、酒と博打と恋と決闘に明け暮れて「学問なんてするのはバカ」みたいな荒くれ者の「大学生」の話。剣士としてプラハNo.1 の評判をとるバルドゥインは大金と引き換えに、鏡に映った自分の像を悪魔に売り渡した....伯爵令嬢と恋に落ち、その婚約者と争いになって決闘することになるが、バルドゥインの一足先に「影」が勝手に、婚約者と決闘し殺してしまっていた...手加減して殺さないように約束していたのに。この悪魔の手先となった自分の「影」が暗躍して、バルドゥインの邪魔ばかり、次第にバルドゥインは追い詰められていく。
と、ネタはポオの「ウィリアム・ウィルソン」とか、シャミッソーの「影をなくした男」とか、「ジキルとハイド」とか、うまくアイデアをとってまとめている印象。ポオだと分身は「良心」なのだけど、本作だと「金で売り払われた自我」といったもので、自己疎外とかそういう文脈で昔はよく論じられていた印象がある。
で、文章は華麗なロマン派風のもの。一応本作はエーヴェルス自身の映画脚本から、ドクトル・ラングハインリヒ・アントスという人がノベライズした、という名目なっているのだが、アントス博士はまったく正体不明の人物で、文体からして間違いなくエーヴェルス自身のもののように感じる。実際、本人作の扱いになっていることがほとんどのようで、「ジャンルの間の移し替え作業」を安易なものとして嫌ってるエーヴェルスの建前(序文)から、こういう名義になったのだろう。
と、この作品、サイレントで2回映画化されていて、両方ともドイツ表現主義の重要作品である。両方ともにエーヴェルスが直接かかわっている。いい機会なので、2作とも(1913&1926)見た。1926の方はわりと普通によくできたドイツ表現主義映画..なんだけど、1913の方は、これは凄い。第一次世界大戦の前、である。「國民の創生」も「イントレランス」もどころか、「カビリア」よりも前で「クォ・ヴァヂス」「ポンペイ最後の日」「ポーリンの冒険」なんかと同じ頃。チャップリンの映画デビューも同じ年。こんな長編映画の草創期の作品なんだけども、「芸術的な映画を作ろう!」という野心の下に、才能ある若者が結集して作った奇跡のような名作である。まあ、役者とか1926の方が美形で上手だけど、表現の凝り具合・先鋭さ・特異な美意識、全体から立ち上る熱気、野心、といった「特別さ」が1913にはある。1926はドッペルゲンガーを吹き替えとモンタージュでうまく処理しているけども、1913はマスク合成で一画面に主人公が分身して登場するのが見せ場。いや本当に、表現が頑張ってる作品で、作り手の覇気に打たれる、とはこのこと。
ドイツ表現主義というと「カリガリからヒトラーまで」が有名だから、カリガリ以前は触れられることが少ないけども、「カリガリ博士」が退歩したように見えるくらいに、時代を突き抜けた先進性のある映画である。


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H・H・エーヴェルス
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