皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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クリスティ再読さん |
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| 平均点: 6.39点 | 書評数: 1499件 |
| No.73 | 5点 | メグレ式捜査法- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/26 21:43 |
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| 邦題はスコットランドヤードから派遣されて「メグレ式捜査法」を学ぶ目的で派遣された刑事パイクが、メグレに同道することから来ているんだけども....いや、この仕掛けが全然効いてない。まあ「メグレ式捜査法なんて、ない!」というのがメグレの持論でもあるわけで、だったらうまくいくわけないじゃん...という懸念が残念ながら中る作品。
舞台はコートダジュール沖に浮かぶポルクロール島。「なんらかの理由で人生のレールを脱線した人たちが、みんなここに集まる」吹き溜まりのような保養地。「ポルクロールぼけ」という言葉があるくらいの、時間が止まったようなリゾートである。というとね、舞台柄からして戦前の「紺碧海岸のメグレ」を連想する。そうしてみるとリゾート客たちが集まる宿屋兼バーの「ノアの箱舟」は「リバティ・バー」に相当するし、だとすればパイク刑事も遊び人風の地元刑事に相当するのかしら。いや「紺碧海岸のメグレ」も焦点がはっきりしない作品だったけども、この作品の焦点もはっきりしない。 「メグレは友人だ」とこの「ノアの箱舟」で啖呵を切った元ヤクザが、その晩に殺された....こんな事件なので、研修中のパイク刑事を引き連れてメグレがこの島を訪れる。確かにメグレの「お世話になった」ご縁のある男だが、実際には半グレくらいの小物。一番いいキャラはこの男の愛人で結核を病んでいたジネット。男の逮捕をきっかけにメグレが手配してサナトリウムに入れて、今では元気になって娼家の経営補佐をしている女。ちょっとした再会、同窓会効果みたいなものがある...けどもあまり本筋に絡んでこないや。 ボート生活者とか、確かにシムノンお得意の設定をいろいろ投入した作品なのだけども、それがために逆に散漫になってしまったのかな。こんな失敗のしかたもあるものだ。 |
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| No.72 | 5点 | ベティー- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/16 19:57 |
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| シムノンでも本作はミステリ的興味はほぼない作品。しかも、女性主人公、というのはかなり珍しい。強いていえばシムノンなら「ペペ・ドンジュの真相」、あるいは「テレーズ・デスケールー」に近い話。要するにフランス伝統の人妻心理小説。SEXと「罪」が主題で自分から破滅を求めていく女性が主人公だから、神父とか登場しないけども一応純文学のカトリシズム小説の部類だろうか。
≪穴≫は終着駅だ。奇人、変人たちの終着駅! 精神病院や死体置場にいく前の最後の停留所。 このバー≪穴≫で酔い潰れた女、ベティー。偶然のことながらベティーを放っておけずに、医師未亡人のロールは、ベティーを自分のホテルに連れ帰り介抱する。ベティーは自身が抱えるトラウマと夫に対する不満から、不倫にふけった報いで、家を追い出されたところだった... というような話。いや実に話はシンプルで、女性のSEXと罪をテーマにした小説なんだけども、結末もやや釈然としない。シャブロルが映画化したこともあって、訳されたようだが、どうやら日本未公開。 う〜ん、こんなのもシムノン、描くのね。 |
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| No.71 | 7点 | メグレの拳銃- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/06 09:26 |
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| 中期メグレらしい「良さ」がある作品。いやこれ「奇妙な女中の謎」とちょっと似ている気もして、評者とかイカれやすいタイプの作品のようだ。メグレの父性っぽい魅力がキラキラしている作品。
しかも、問題の青年の父親のキャラというのが、よく描けていて、だからこそメグレが父性を発揮せざるを得ない、というのが何か納得する。空想的にいろいろな商売を思いついては失敗し、金銭的にルーズで悪い意味で「夢を追ってる」男、でしかも度胸のない臆病者だったら、そりゃ「負け組」もいいところ。そんなダメオヤジでも、3人の子供を自分の手で育てるんだが、上の二人の子供はダメな父親に幻滅して....だったらさ、末っ子の問題の青年というのもなかなか気の毒じゃないか。メグレは迷惑をかけられたわけだが、「人情警視」とか呼ばれるのは遠慮しつつも、それでも青年のことを気にし続ける。ロンドンでも有数の高級ホテル、サヴォイのグリルで二人が食事するシーンなんて、シムノンならではの味わいを評者は満喫。 さいごまですばらしい一日だった。まだ夕陽は沈みきらないで、人々の顔をこの世のものとも思われないような色に染めていた。 ロンドンといえばいつでも天気が悪いのが相場。でもたまには「日本晴れ」とでも言いたい「いい日」があるようだ。そんな作品。 |
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| No.70 | 5点 | メグレ保安官になる- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/02 10:38 |
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| メグレだって、コカ・コーラをラッパ飲みするのである(苦笑)
アリゾナ州ツーソンというメキシコ国境の米軍基地の街が舞台。研修旅行、は名目で事実上慰安旅行みたいなアメリカの旅。いたるところでメグレは歓待され、名誉待遇で「八つか九つの郡保安官」のバッジを頂いている。けどこの街でふと時間つぶしに傍聴に入った検死法廷の事件に、メグレは興味を持った.... メグレ物の中でも「異色作」といえばこれほど「異色作」もないものである。メグレにはアウェイの事件も多いけど、これほど捜査権限もなく部外者な事件もない。メグレもほぼ検死裁判を傍聴するだけで、積極的な介入はなにもしないくらい。フランスでの捜査のやり方とアメリカの違いについて、感想を言う程度だが、それでも犯人を当ててみせて面目は保つ。だから、シムノンの見たアメリカのホンネみたいなものが、この作品の興味。 メキシコ国境の街、というわけで荒々しい西部の辺境..と思うと、そういうわけでもなくて、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフに対するシムノンの「清潔すぎる」という言葉で象徴される違和感がすべて。二日酔いだって「特殊な蒼色の瓶」の薬で撃退! そして事件の背後にある男女関係も、なるべく表に出さないように配慮する清教徒主義などなど、メグレもいろいろ戸惑うことばかり。 「異色作」ついでで言えば、事件に面白味がないし、メグレも活躍しない。まあだから、「こんなのもあるね~」くらいの作品。 (ちなみに「メグレ、ニューヨークへ行く」はメグレ退職後の事件なので、時系列では本作が前(執筆は後)。「ニューヨークへ行く」は明言はしていないけど、初のアメリカ行きみたい。本作で散々出るジュークボックスに驚いている。戦後のメグレはサザエさん時空だからね) |
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| No.69 | 6点 | 妻のための嘘- ジョルジュ・シムノン | 2022/09/08 19:07 |
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| さて評者の集英社版「シムノン選集」の12巻の評も最後の作品。シムノンって非ミステリ作品でもミステリ的興味が強いケースもあって、なかなか気が抜けないのだけど、本作もミステリと非ミステリの際どいあたりを攻めた作品。
地方都市で古書店を営む主人公ジョナスは、子供の頃ロシアから亡命してフランスに居着いている干からびたような小男。身にそぐわない奔放な妻ジーナを娶ったのだが、ジーナはある日姿を消した。いつもの浮気プチ家出くらいに軽くジョナスは考えて、「朝バスでブールジュへ出かけた」と体裁を慮った嘘をついた。しかしいつまで経っても妻は帰ってこない。次第にジョナスが妻をどうかした、という噂が立ったようで、周囲の人々のジョナスを見る目が変わってきた…ついにジョナスは警察からの召喚を受ける という話。妻の失踪という事件を扱うけども、妻の行方自体は主題にならなくて、それなりに地域に馴染んでいた男が、周囲の疑惑から余所者として孤立していくあたりが主眼。原題は「アルハンゲリスクから来た小男」で、亡命者に思いを託して周囲に馴染めない男の孤独を描くことになる。実際、ジョナスがついた「嘘」も妻ジーナをかばうための嘘だったのだが、ジョナスの主張の一貫性をなくす効果しかない。いや、普通のミステリと違って、この嘘も警察に追及されるのだけども、それほどには重視されているわけじゃないんだ。それよりもこの嘘によって、ジョナス本人が自分で自分を追い詰めることになっていくのが、シムノンのオリジナリティで読みどころ。 この狙いはやや分かりにくいけど、印象は「仕立て屋の恋」の地味バージョンで、「カルディノーの息子」とか「メグレと妻を寝取られた男」みたいなシムノンお得意の寝取られ男話を結びつけたような作品。 |
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| No.68 | 6点 | メグレ警視と生死不明の男- ジョルジュ・シムノン | 2022/08/27 22:37 |
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| 中期メグレで一番脂が乗った時期の長編だから、なんやかんや言って面白い。でも河出でもハヤカワでも創元でもなくて、講談社から出たこともあるのか、Wikipedia のシムノンの著作リストが本作を落としていたりする。ギャバン主演で「メグレ赤い灯を見る」として映画化されたことで別途版権を取得したとかそういう事情があるんだろうね。アメリカから来てパリで傍若無人に振る舞うマフィアと、メグレ率いる司法警察の面々が対決する話だから、極めて映画向きな話。映画のあらすじを読むと、ベースは同じだけど背景をやや膨らませているような印象がある。原作の方が駆け足。
前半は評者もご贔屓ロニョンくんが活躍する。悪妻ロニョン夫人もしっかり登場。でもロニョンくん、ギャングたちに拉致されて...と刑事とは知らなかったにせよ、そこまでするの?というアメリカのギャングのやり口に、さすがのメグレも激怒。事情を少し知るらしいイタリア料理店主に「あいつらプロだから」と、見下されたような忠告をされたりするから、メグレも収まらないよ。 ストーリーラインはこの時期にしてはシンプルで、とくに紆余曲折はないんだけども、逆にアメリカンなスピード感が良く出ていて、リーダビリティの良さではメグレの中でも随分高いのでは。文庫は入手難なこともあって電子書籍で今回読んだわけだけど、全然気にならないくらいに話に引き込まれた。 クライマックスなんてね、メグレとリュカとトランスの三人でギャングのアジトに押し入るなんて荒事もあり。アメリカン・テイストのメグレ。 |
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| No.67 | 8点 | 新しい人生- ジョルジュ・シムノン | 2022/07/15 09:39 |
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| 集英社の12巻のシムノン選集はメグレ以外のシムノンをまとまって紹介した最初のシリーズなので、評者は全作品やるつもりである。もう残りは本作と「妻のための嘘」の2冊。このシリーズ、ミステリ的な色彩が強いものもあれば、全然ミステリじゃないものもあって、シムノンの幅の広さを窺える。本作は...まあタイトルから察しもつくけども、「ビセートルの環」と並ぶ「非ミステリ」の傑作である。
食品会社の会計係デュドンは、会社の金を誤魔化して週一で通う娼家の帰りに交通事故に遭った。デュドンを跳ねたのは大手の葡萄酒メーカーの経営者で市議会の有力者のラクロワ・ジベだった。この事故でデュドンの人生は一変する。ジベの手配で高級私立病院に入院し、至れり尽くせりの看護をしたのが、魅力的な看護婦のアンヌ・マリー。退院したデュドンはアンヌ・マリーと結婚し、ジベの会社で働くことになる。その会社でデュドンは意外な才能を発揮して重用されるのだが.... とこうやって梗概をまとめると、シムノンらしからぬ「ドリーム小説」みたいだ(苦笑)ウダツの上がらぬ主人公が、交通事故をきっかけに「新しい人生」、美女と社会的地位を手に入れる話....いやいや、それでもこの小説のテーマは「罪」だったりする。シムノンだもの。そして原題のニュアンスも「新しいがごときの人生」で、ずっとビミョー感がある。 デュドンが会社の金を横領して娼家に通ったのも、「罪」を通じてしか人生を実感できない人間であることの証だったわけだ。「罪」を犯さなくてもやっていける「新しい人生」に放り込まれる、という予想外の出来事に遭遇しても、「罪」を抱えたデュドンはまたさらに自ら「罪」を求める衝動を抑えれない...そういうカトリック的なテーマが主題なのだけども、実のところこういうキャラクターは、たとえば「男の首」のラディックやら「雪は汚れていた」のフランクと共通する。ラディックやらフランクのヒロイックな部分を排除して、小市民の立場で改めて造型しなおしたのがこのデュドン、というだ。 だから、このデュドン、「罪」に対する強い感受性があるために、他人の罪に対しても鋭敏なのである。それが実はシムノンの「名探偵の資質」だ、とも読める。メグレの方法論を示唆するのも重要だろう。 本作は、ロマンの味わいがないと成立しないエンタメではない。だからこそ、本格小説として「小市民的立場での罪」、新しいようで「新しくない人生」が延々と続いていくことでしか、デュドネの「罪」は贖えない。ミステリなら解決があるが、人生には解決はない。 それもまたシムノンらしい。シムノンだもの、は「人間だもの」ということでもある。 |
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| No.66 | 5点 | メグレと運河の殺人- ジョルジュ・シムノン | 2022/07/06 19:19 |
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| 初期作。シムノンというと海や船の話が多い作家なのだけども、これは運河に暮らす川船の話。戦前だから、すべての船にエンジンがついているわけじゃなくて、内陸河川だと閘門を超えるのに馬を併用する船も多い、というのが物珍しいあたり。そういう「川の民」の生活を描きつつ、ヨット暮らしの放浪者といったイギリス人の引退者(大佐)が対比される。
メグレ物だから、殺人事件があるわけだが、それはまあメグレがそういう「川に生きる人たち」の生活を覗き込むためのきっかけみたいなもの。ミステリはあまり期待すべきではない....けどもさあ、真相(というか話)はかなり無理あるように感じる。 それでも、場面場面の描き方は本当に感心する。初期は客観描写が多くて、中期以降のようにメグレの内面はほとんど描かない。だから映画みたいなタイトな描写の美しさを感じる。場面を絵として想像すると本当に美しさが際立つ作品なんだけど、話は結構ヘン、というか「こんなのアリ?」というくらいにバランスがおかしい。まあ映画で言えば「かくも長き不在」なんだどもね。ああいった庶民の生活の哀歓を、冴えたモノクロの映像美で描いた小説。 |
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| No.65 | 6点 | 帽子屋の幻影- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/22 16:15 |
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| タイトルがいいので昔から気になっていた作品。このサイトで内容を見たら、シムノンには珍しいシリアルキラーの話だから、ぜひ読みたいな...と思っていた作品だった。シムノンの1作品での最多の殺人数かしら。ようやくゲット。
シリアルキラーの主人公の内面描写がずっと続く作品だけど、リアルタイムでの描写が軸なので、背景とか動機とか、徐々にしか割れてこない。いろいろと考えながら読んでいく必要があるタイプの作品で、ミステリ色は強いといえば、強めの作品である。 シムノンの名犯人といえば、たとえば「男の首」のラデックが典型だけども、「絶対に捕まらない!」で頑張ったりしないんだよね。どこかしら「捕まりたがる」要素があるし、その行動も合理的というよりも、個人的なちょっとした「ひっかかり」に押されて、たまたま「してしまう」ような色合いが強い。評者のようなシムノン・ファンにとっては、そこらへんに強いリアリティを感じるわけだ。理屈で割り切れない行動をするからこそ、人間の行動として妙に腑に落ちる、とでも言えばいいのかな。 同世代の老女ばかりをチェロの弦で絞殺するシリアルキラーの帽子屋ラベ氏の隣人で、貧しい移民の仕立て屋カシウダスが、ラベ氏の犯行に気がついてラベ氏に付きまとうのだが、ラベ氏はそんなカシウダスの口を封じようとするわけでもないし、犯人告発の賞金が欲しいだろうとラベ氏は考えて、それをわざわざ病床のカシウダスに与えようとか、考えたりする...新聞社に挑戦状をラベ氏は送り付けるのだけども、その中では殺人が完全にプラン通りのものだ、と宣言したりする。でもその動機はというと...いやこれはお楽しみ。とんでもない動機で、この挑戦状にも窺われるけども、「首尾一貫し過ぎて、かえっておかしい」というような、そういう「リアルな病み方」を体感できるような面白さがある。 このラベ氏の「闇」が理解不能で、それでもそこに人間性のリアルが感じられるというキャラ設定がこの本の中心課題になる。だから、話のオチはつけようもない、といえばそうで、あまり筋道立った結末にはならない。7点をつけにくいのは、そういうところかな。「ベルの死」あたりに近い印象がある。 |
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| No.64 | 7点 | メグレ夫人と公園の女- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/14 12:11 |
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| 中期メグレって本当に、楽しい。
まずそれが最初に口をつくくらいに、エンタメとして完成された面白さがあって、外さない。メグレ夫人がタイトルにフィーチャーされた本作は、公園でメグレ夫人が知り合った女性に子供を預けられるけども、なかなかその預けた女性が現れなくて、歯科医の治療もキャンセルになとるわメグレの昼食もパーになるわ....ととんだ発端から話が始まり、「死体なき殺人」の投書から始まる事件を捜査するメグレと、メグレ夫人の災難が微妙に交錯してくる話。 中盤メグレ夫人が全然登場しなくなるので、あれ?とはなるのだが、実は実はの女性ならではの活躍をメグレに隠れてしていて、その返礼に捜査真っ最中の土曜日に、メグレは夫人を誘ってお気に入りのアルザスレストランへ、そして映画館へ..これがなかなか洒落たエピソード。しかもそれに近い話が、事件発覚の手がかりになっていたリする。 そして本作の「敵役」になる無節操な弁護士と元風紀警察の私立探偵との駆け引きも、話を複雑にしている....メグレ物のミステリとしての特徴は、こういう何気ない「要素」が、いわゆる「ミステリの伏線」とは全然別のかたちで、小説としてのまとまりを作り出しているあたりだと思う。 メグレ物の後期で「力が落ちた」と感じる原因は、事件の展開だけになってきて、「余計な」楽しい要素が減ってきているためじゃないか...なんて思う。 偶然といえば、偶然。それでもそれが「天の配剤?」なんて思えるのが、シムノンの力量というものなのだろう。 |
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| No.63 | 7点 | 死体が空から降ってくる- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/11 11:58 |
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| 「シムノンの数多い短編中でも最も本格探偵小説的な短編集」とわざわざ銘打った非メグレのシリーズ・キャラクター、「チビ医者」ジャン・ドーランの短編集。二分冊で後編が「上靴にほれた男」になる。都筑道夫が力を入れて紹介するんだけども、日本の「本格の鬼」のマニアの間ではウケが悪くて困る....こんな状況なので、「じゃあ、シムノンでもパズラーっぽい作品ならいいんだろう!」という狙いのようである。実際、本作の紹介のあとは映画がらみがないと、ハヤカワのシムノン紹介が途絶えてしまう...
だから、一応パズラー風味がある作品。でも、読みどころは「チビ医者」という素人探偵が、自分の意外な探偵の才能に気がついて、それをサイドビジネスみたいに生かしたくて、事件に首を突っ込んでいくプロセスの面白味。そんな自意識とヘンなプライドを満たすような成功もあるし、またそれを逆に取られて失敗する話、あるいは解決できるのだけどもそれによってチビ医者が反省することになるような話...いやいやなかなか奥深い。 だから、本作はパズラー風味とはいえ、その「パズラー」の扱いに込められた、シムノンの余裕とヒネった狙いを楽しむ短編集だと思う。 まあ、この本は前半。ということは、まさにチビ医者が自分の意外な「探偵の才」に気がついて、いろいろ試行錯誤するあたり。「上靴にほれた男」じゃ最後は大捜査線の指揮をまかされて「アマチュア探偵の本懐」を遂げるわけだが、本作の失敗も成功もそれぞれに、チビ医者が浮かれたり落ち込んだり、それが楽しい。一番イイ意味で「アマチュア探偵」の面白さを楽しめる。 ミステリ自体としては、新婚夫婦の不和の原因を調査する「十二月一日の夫婦」がリアルでありそうな陰謀で面白い。あと表題作の「死体が空から降ってくる」の田舎地主との駆け引きと、殺人事件の意外な真相。 |
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| No.62 | 5点 | メグレとワイン商- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/18 18:51 |
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| おや予想とは全然違ってた。前作「録音マニア」の後半のネタをもっと整合性良く作り直したんだなあ.....作品としてはヘンテコな「録音マニア」よりも、普通に作品になっているけどもね。
評者がへそ曲がりなせいかもしれないが、意外性とか逆になくなってしまう分、作品的な魅力が薄いようにも感じる。「シムノンの思い」がストレートに出過ぎている? この被害者、シムノンの通例で、大衆向け安ワインを売る商売に成功し成り上がった男なんだけども、周囲に対する支配欲が強すぎる性格的な欠点がある。で、周囲の女性にはお約束のように手を付ける...いやいやシムノン自身の罪滅ぼしか何かなのかしらん? だから、犯人の告白に宗教者めいた父性で耳を傾けるメグレも、シムノンの「心の中の理想像のキャラ」みたいに見えてしまって、評者はシラける部分の方が強かったなあ...ごめん本作については、評者はイイ読者じゃない。 読みどころはメグレの風邪ひき、くらい。雪さんのご教示によると、パルドン医師は前作「録音マニア」が最後の登場だそうで、本作は名前しか出ない。メグレ自身が意固地なくらいにパルドンの診察を受けるのを渋る。 変調を感じる。シムノン老いたり? |
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| No.61 | 5点 | メグレと録音マニア- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/18 08:33 |
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| 読む前には「1969年に録音マニアというと...」でオープンリールのデンスケなんだろうか?なんて憶測していたんだけど、商品化も間もないカセットテープレコーダーで正しいようだ。持ち主というか被害者はブルジョア家庭の育ちのソルボンヌの学生。まさに時代の最先端行ってたわけだ。このお坊ちゃん、怪しげなカフェに出入りして「音による社会のドキュメント」というテーマで、会話を録音する趣味があった...この録音に殺害の動機があるのでは?
うん、こんな話。確かに謀議を録音された美術品窃盗グループも絡むんだけどもね。被害者の学生はブルジョア家庭に育ったのが負い目になっていて、こんな趣味を通じてコンプレックスを晴らそうとするわけだ。 実は殺害の犯人にも別なコンプレックスというか衝動もあって微妙に重なる、といえばそうかもしれないのだけども、ちょっとまあ、そんな読みは無理筋か。シムノンの興味と狙いが途中で変わっちゃったような印象の方が強くて、話がバラバラ、と批判すればまあその通り。言い訳しようがない。 それでも真犯人を「あやす」ようなメグレの対応がそれなりに面白い。 どうやら自作の「メグレとワイン商」が同じような話だそうだ。連続して読もうとしっかり準備してある。としてみると、本作で当初の予定から脱線してしまったのを、もう一度本来のプランでやり直そう、という狙いなのかなあ。 実際「メグレたてつく」と「メグレと宝石泥棒」の関係もそんなニュアンスを感じるからね。確認してみよう。 (ごめん上記予想は外れ。どうでもいい話。学生の頃の親友の趣味がこれ。オープンリールのデッキを担いで生録。サンパチツートラなんて呪文を憶えたよ) |
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| No.60 | 6点 | メグレと妻を寝とられた男- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/04 15:52 |
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| さて皆さんが大変よくまとめておられるので、評者が追加することってあまり、ない。「寝取られ男」でデーマがかぶるので、「カルディノーの息子」の次に選んだ作品である。あっちは小市民になりあがった男が主人公で、ハタから見れば喜劇なのに迷惑するだけで済むが、こっちは悲惨。口蓋裂でそれを負い目に感じて卑屈になっているペンキ職人の親方である。
子供までありながら、妻と新たに雇い入れた美男で威勢のいい職人が通じて、自分は家からも弾き出される...悲惨を絵に描いたよう。コンプレックスが大きくて自信がないからこそ、いい様にされて自分の権利も主張できない。「妻と間男を殺してやりたい...」こんな物騒な相談をされたメグレはいい迷惑。それでもメグレはこの男のことが気にかかってならない。 ここでメグレが毎日この男に自分に電話するように諭すのが、まあメグレらしいといえばその通り。こんなイイ警官、いないよ。この男は果たして失踪するが、メグレにかけた電話の最後の言葉は「ありがとうございます...」いや泣けるじゃない? 自分のことを気にかけてくれる人間が、世の中にいる。 ミステリとしての読みどころはほぼないに等しい作品だけど、この一件が片付いて裁判でメグレが証言を求められる最後のエピソードが、この作品に大作家シムノンの「署名」を与えているようなものだ。 tider-tiger さんのご書評に、一票。 |
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| No.59 | 6点 | カルディノーの息子- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/29 14:54 |
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| ハヤカワの世界ミステリ全集の座談会で、都筑道夫が「シムノンは紹介しても売れない..」ってボヤいた回想をしてたんだけど、この本も都筑主導でポケミスで出したもの。本書のあとがきだと「ベルの死」で文句付いたのがコタえた様子で、主客の対話仕立てで
客「それを探偵小説として出すのは、おかしいんじゃないかな?」 主「これはやっぱり探偵小説の土壌から生まれた文学なんだよ」 と釈明しているあたりに弱気が見える(苦笑)。まあ、実際、評者もポケミスのシムノンの未読はあとチビ医者モノの「死体が空から降ってくる」だけになってきた。意外なくらいに、出てないんだよ。 で、本作は妻を寝取られた男が、その妻の行方を捜す話。いやはや、何とも不名誉な話のうえに、主人公のカルディノーがまた微妙な立場にいる男なのだ。タイトルの「カルディノーの息子」が、この主人公に対する町の人々の呼び名、なのである。労働者階級の出身だが、小才が効くことで保険会社で出世して主人のお気に入り、と自分の家族や昔馴染みからはヤッカミの目で見られるタイプの小市民なのだ。だから妻に逃げられた話、というのも誰もが喜劇的な感想を持ちがちで、そんな状況下でも誠心誠意、妻を追う....いや、笑っていいのか、いけないのか? 集英社のシムノン選集の解説にあるんだけど、シムノンは、労働者階級も、小市民も、ブルジョアも、まるで書けない、なんて言ってるフランスの評論家がいるようだ。シムノンが得意とするのは、まさに本書の主人公のようなキャラなのである。労働者階級から這い上がりながらも、旦那衆からは疎外され、負い目を持ちながらも、社会階級の転落に怯える男....まさに、本書の主人公のピンチはそれを強烈に戯画化したようなものである。 (ちなみに本書、打ってある最終のノンブルは p.122。92ページの「明日よ、さらば」には及ばないがね..ページ以上の読みごたえは、あります) |
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| No.58 | 6点 | メグレとかわいい伯爵夫人- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/11 17:39 |
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| なんとなくタイトルに萌えて(苦笑)。
いや、普段と雰囲気が違うハイソな舞台背景で、結構面白い。シムノンというと、たとえ陽光さんざめくコートダジュールでも、裏通りのシケたバーとか、小ぢんまりの個人経営の宿屋とか、ビンボ臭いストリップ小屋とか、そういう界隈が普通なんだもん。ヨーロッパ指折りの金持ちが集うホテルが舞台の事件で、メグレもいきなり空路ニース、そしてジュネーヴ・ローザンヌと飛び回って、ハイソな世界を垣間見る。だから原題は「メグレ、旅をする」 まあだからアウェイの事件といえば、メグレは今までいくつも経験しているわけだけども、一味違う。大金持ちたちもメグレを見下すとかはなくて、紳士的に対応するわけだが、やはりメグレでも「飲まれてる」のが面白い。でもメグレだから、その「世界の雰囲気」に身を任せ、浸ることで、次第に主導権を握りなおすのを丁寧に描いているのが、なかなかお楽しみなあたり。第7章の現場のホテルをアテもなくメグレが彷徨うのが、いかにもメグレらしくて魅かれる。場違いな姿を、ホテル従業員たちからヘンな目で見られても、軸の据わったメグレはもう平気。ホテルバーでいつも飲むようなカルヴァドスを頼んじゃう。お洒落なイメージがあるカルヴァドスだけども、何も言わずにナポレオンが出てくる世界じゃ、田舎臭い庶民の酒なんだな。 そういう話。問題の「かわいい伯爵夫人」は、貴族・大金持ちたちの間で結婚したリ離婚したリの、もう若いとはいえない女性なんだけども、 ルイーズはきれいで面白く、それどころか、人を夢中にならせるようなかわいい動物だ。 と元夫が評するようなキャラ。いやシムノンだって功成り名遂げて、世界を股にかけて遊び倒した豪傑なんだけどもね。 |
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| No.57 | 6点 | 霧の港のメグレ- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/03 10:18 |
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| 瀬名氏は本作がお気に入りのようだけども、そこまでいいか?という感想。シムノンらしい北の港町の事件で、「海の男たち」と町の旦那衆との相克めいた関係が背後にある。もちろん、メグレは「海の男たち」贔屓。
でも海の男たちもメグレに対して結束して全部だんまり。記憶喪失でパリで発見された元船長をメグレがその地元に送り届けたら、その晩に毒殺された...というのが本書の「事件」だけど、メグレがメインで解明するのはやはりその船長の記憶喪失を巡る暗闘の話で、筋立てがごちゃごちゃした印象。 でもね、メグレが問題の船に乗り込んで事情を聴いている嵐の夜に、油断したメグレを縛り上げてウィンチで岸壁に置き去り(でも船は座礁)....なんて「メグレ、お疲れ」なシーンがあったり、リュカが一晩中背伸びをして村長の家の中を覗き込んで監視するお疲れ場面、あるいは「砂丘のノートルダム」と呼ばれる廃墟の礼拝堂やら、船長の女中で本作のヒロイン格のジュリーとその兄の船員グラン=ルイとのメグレの場面(第九章)やら、なかなかいいシーンがある作品でもある。 |
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| No.56 | 6点 | 日曜日- ジョルジュ・シムノン | 2022/03/29 08:25 |
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| シムノン版「殺意」。
いや結構似ている。コートダジュールの宿屋の経営をがっちり握る妻ベルトが、「お見通し夫人」とでもいうべき「一本筋の通った悪妻」で、その夫でキッチン担当の主人公エミールはだらしない浮気者。エミールがふと思いついた妻殺し計画から、抑圧されて主体性をなくしているエミールにとっての、皮肉な「人間性回復」みたいなものが窺われるのが、面白いあたり。 もちろん、人殺しは悪いことだからね(苦笑) エミールの愛人というか、セックスフレンドみたいなメイドのアダが、悪女か、というとそんなこともない。知能も若干遅れ気味のようだし、聾唖?が第一印象、 彼女は別の世界、森と獣の世界に属しており、並みの人間の心得ぬ事も知っているのではないかと疑われた。彼女が未来を予言したリ、魔法をかけたりできるとわかっても彼は驚きはしなかった と「森と獣の世界」、人間の生活からの脱出を示しているかのような幻想に、エミールはとらわれる。まあもちろん、これただの空想に過ぎないとエミールもわかっている。そこらへんにシムノンならではの「リアル」がある。 「シムノンのミステリ」の一番のオリジナリティというのは、殺人という「プロセス」がただのプロセスではなくて、さまざまな願望や空想に満ちた「謎解き」以外の「割り切れない」部分から立ち上がるのを直視していることなんだろう。 |
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| No.55 | 7点 | メグレと死体刑事- ジョルジュ・シムノン | 2022/03/19 08:40 |
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| 意外に評者は好みのタイプの作品だった。メグレがうんざりしつづける、重苦しい話なんだけどね。
仕事上の上司みたいな立場にある予審判事に直接頼まれた以上、イヤとは言えないのだが、「特別休暇」扱いで何の権限もなく、ボルドーの田舎町に派遣されたメグレ...判事の義弟の家に滞在し表面上は歓待を受けるのだが、「よそ者」にブルジョア家庭のトラブルをひっかきまわされるのはゴメン、というウラがありありと透けて見える。しかも判事の依頼は労働者階級の青年の不審死をめぐって囁かれる義弟の関与の噂をなんとかしろ、という筋ワルでこの街の階級対立を煽りかねないものだった....しかし、誰が依頼したか分からないが、司法警察を不祥事で辞めた元同僚で今は私立探偵、「死体刑事」カーヴルがこの事件の後始末に暗躍している。「丸くおさめる」のはカンタンでも、メグレの意地がそれを許さない。 この作品は第二期で「奇妙な女中」とか「ピクピュス」と合本で出たという話だから、中編?と思いきやちゃんと長編。合本にはどうやら戦時中の出版統制のような事情があるようだ。本作は「メグレの途中下車」で舞台になるフォントルネ・ル・コントのそばの田舎町。階級対立に巻き込まれ「よそ者」扱いに苦慮するメグレ、旧知の知人(学友)が絡む...と、「メグレの途中下車」の別バージョンみたいな話ではなかろうか。でも「途中下車」よりもこっちのが好き。 「難事件」といえば、このくらい「難事件」なものもないだろう。アウェイ、関係者の隠然たる敵意、正式の権限なし、強力なライバル....でもメグレはメグレ。事件解決後に「死体刑事」にちょいとイヤ味の一つもいいたくなる。 「あらゆる言辞のなかでおれにもっとも忌まわしく思える表現がある。その表現を聞くたびに、私は飛びあがってしまい、歯が浮いてしまう...それが何だかわかるか?」 「いや」 「《万事が丸くおさまる》ってやつさ!」 メグレはただの名探偵ではない。魂をもった男なのである。「空気」に同調しない個我をそなえた人物なのだ。 |
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| No.54 | 7点 | メグレ夫人のいない夜- ジョルジュ・シムノン | 2022/03/12 10:07 |
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| 好み。ミステリとしての名作じゃないけども、皆さん同様にシムノンらしさ炸裂の好編だと思う。
原題は「家具のメグレ」くらいの意味で捻りすぎなんだけど、メグレ夫人がアルザスの妹の看病で、メグレに舞い込んだ「突如の(臨時)独身生活」。それをうまく織り込んだナイス邦題だと思う。 だから、メグレは事件の起きたアパートに住み込んで、その住人や気立てのいい家主とも仲良くなる。いやこれが昔風の下宿、といったもので、「めぞん一刻」と言ったらまさにその通り。家主クレマン嬢は響子さんで、メグレは五代くん。だったらラブコメ?かもしれないけど、メグレだからまあそうはならない....はずが、ラブコメもロマンチックも、ある。「男をかばう女の話」というテーマが隠されているのを、メグレは察知する。 ジャンビエが撃たれるなんて物騒な発端だけど、最終的には大岡裁き。甘いって言えば甘いけど、捕物帖テイストといえばそうかしら。ひょっとしたら、女性人気が突出して高い作品かもしれないよ。 犯人との対決・取引とか、よく書けている作品だと思う....メグレらしさ、が存分に発揮された作品という意味だったら、名作かも。ラポワントくん、調査は役立たずで残念、お疲れさま、ジャンビエのファーストネームは、アルベールだそうだ。 |
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