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クリスティ再読さん
平均点: 6.41点 書評数: 1326件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1046 5点 メグレ保安官になる- ジョルジュ・シムノン 2022/10/02 10:38
メグレだって、コカ・コーラをラッパ飲みするのである(苦笑)

アリゾナ州ツーソンというメキシコ国境の米軍基地の街が舞台。研修旅行、は名目で事実上慰安旅行みたいなアメリカの旅。いたるところでメグレは歓待され、名誉待遇で「八つか九つの郡保安官」のバッジを頂いている。けどこの街でふと時間つぶしに傍聴に入った検死法廷の事件に、メグレは興味を持った....

メグレ物の中でも「異色作」といえばこれほど「異色作」もないものである。メグレにはアウェイの事件も多いけど、これほど捜査権限もなく部外者な事件もない。メグレもほぼ検死裁判を傍聴するだけで、積極的な介入はなにもしないくらい。フランスでの捜査のやり方とアメリカの違いについて、感想を言う程度だが、それでも犯人を当ててみせて面目は保つ。だから、シムノンの見たアメリカのホンネみたいなものが、この作品の興味。

メキシコ国境の街、というわけで荒々しい西部の辺境..と思うと、そういうわけでもなくて、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフに対するシムノンの「清潔すぎる」という言葉で象徴される違和感がすべて。二日酔いだって「特殊な蒼色の瓶」の薬で撃退! そして事件の背後にある男女関係も、なるべく表に出さないように配慮する清教徒主義などなど、メグレもいろいろ戸惑うことばかり。

「異色作」ついでで言えば、事件に面白味がないし、メグレも活躍しない。まあだから、「こんなのもあるね~」くらいの作品。

(ちなみに「メグレ、ニューヨークへ行く」はメグレ退職後の事件なので、時系列では本作が前(執筆は後)。「ニューヨークへ行く」は明言はしていないけど、初のアメリカ行きみたい。本作で散々出るジュークボックスに驚いている。戦後のメグレはサザエさん時空だからね)

No.1045 7点 罪と罰- フョードル・ドストエフスキー 2022/09/30 17:24
さて懸案。こんなのは余裕がある時しか読めないし、たとえば区切り回とかに取り上げるのも、妙に特別視しているみたいで恥ずかしい。世界ブンガクって奴は厄介だ。

いや前半、ノレなかった。だってラスコーリニコフってなんかあるとすぐ寝込んでしまい、これじゃポンコツな引きこもりでしかないんだよね。ラスコーリニコフの「超人思想」って過大評価されすぎなんだと思うんだ。ナポレオンなりたがりの部類だよ。実際、最後の方でこの作品の「もう一人の主人公」スヴィドリガイロフが

それと、もうひとつ、お兄さん自身のちょっとした理論もあって--まあ、どうということもない理論ですが--それによれば、人間はただの材料と、特別な人間に分類される。で、この特別な人間というのは、高い地位を占めているがゆえに法の適用を受けないばかりか、反対に、自分達以外の残りの人間達、つまり、ただの材料ども、ただのごみ屑どものために法を作ってやる人間だ、というのです。なに、別にどうということもない理論ですがね。

と端的に馬鹿にしているようなヘリクツだ、というのを無視しちゃいけないんだよね。「悪霊」でもそうなんだけども、ドストエフスキーっていわゆる「進歩思想」に懐疑的で、そんな「海外流行の最新思想」にカブれる連中がゴロゴロと地獄に堕ちていくさまを描いてるわけだ。「罪と罰」だったらルージンやらレベジャートニコフあたりの軽薄さと、大した差がないような「思想」に過ぎないんだよ。前半の引きこもり状態でラスコーリニコフが、貧乏と前途の暗さと自身の無能さと性格の悪さの、自己嫌悪を拗らせて育んだ「思想(まがい)」に過ぎない、と読む方のが、この小説の「非ロマン化」としては正しいようにも感じるのだ。だから前半、ラスコーリニコフって、実にカッコ悪い。「僕は働きたくなかった。そう、まさしく意地になってた」というラスコーリニコフってまさに「働いたら負け!」の大先輩のわけだよ。

これが第五部あたりから、急にラスコーリニコフも活動的になって、話のダイナミズムが回復する。

あれこれ理屈っぽく考えたりせず、人生にじかに身をゆだねてごらんなさい。心配することなんかありません。

とポルフィーリーが忠告するのも効いたのかなあ。ポルフィーリーって「探偵役」というよりも、イイ奴じゃん(苦笑)。対立キャラとして持ち上げるほどの活躍はしていないよ。いや、ソフィアだって逆に「信仰」と自己犠牲に凝り固まりすぎていて、おかしいと言えばおかしいキャラだ、というのは実は作者もわかっていることなんだと思う。そうでなければ、流刑先での悔悟のシーンがただの信仰への屈服に堕してしまうわけでね。
だったら、逆に本作だと意識的に論者が無視しがちな、スヴィリィガドロフという妙に魅力があるキャラにフォーカスした方が、有益な読みになるようのも感じる。スヴィリィドガロフが正面に登場するあたりから、話がよく転がるようになっていくんだからね。

評者が読んだのは集英社版の小泉猛の訳。巻末解説に強く共感してこんな書評になった。

大雑把な話というものは、するのは簡単であり、また一応はもっともらしく聞こえる、というより、実際もっともなものにはちがいありませんが、そのかわりに、あまり面白くもなければ役にも立たないという困った特色を備えているものです。

(虫暮部さんナイスです)

No.1044 7点 盗まれた街- ジャック・フィニイ 2022/09/27 18:01
さてフィニイの2作目は有名なSF古典。ハヤカワSFシリーズのNo.1(3001)である。本作をトップに持ってくるあたり、ハヤカワのカラーを感じる(訳者の福島正実が絶賛で推したのか?)

フィニイの1作目は評者も大好き「五人対賭博場」でこれぞ青春ミステリ!という味わいのある作品だったわけだけど、本作の主人公はそれぞれバツイチのカップルで、本作の冒険を経て結ばれる...のが実はちょっとした伏線みたいなもの。恋とSFホラーがさりげなくうまく結びついているのがフィニイらしいというか、評者が思わずニッコリするあたり。いやあまりさあ、「侵略SFの大古典」とか「スモールタウンのホラー」とか、そういう読み方をしたくないんだ。

実は本作の導入である「身近な家族が瓜二つの替え玉にすり替わっていて...」というのは「カプグラ症候群」という名前で呼ばれる妄想として有名なんだよね。だから、本作も「カプグラ症候群にインスパイアされた小説」とか呼ばれることもある。けどこの解釈もつまらない。

今日、生まれ故郷の町にそのまま住んでいる人がどれくらいいるものか、わたしはよく知らない。だが、わたしがそうであるせいか知らないが、そうした町や市がしだいに衰退していく姿は、いうにいわれぬ悲しみを人の心に感じさせるものだ。

と侵略によって崩壊しつつある街に戻った主人公がこんなふうに省察する。故郷の町に戻ると、昔からの知り合いが年老いて、懐かしいけどもローカルな話題の繰言ばかりいうようになる。親の老いを感じるのも悲しい。この空き地に建っていた建物は何だったっけ? 忘れてしまう自分が悲しい....そんな感受性が、実はフィニイらしいものだと評者は思うのだ。
これを「ノスタルジア」と呼ぶのならばそうなんだけども、その中には確実に故郷を見捨てた悔恨の痛みと、成長した自分が過去を眺めたときの幻滅の苦味が入り混じっている。だからこそ、本作はSF古典やホラー古典を超えて「フィニイらしい作品」なのだろう。

No.1043 7点 あなたに似た人- ロアルド・ダール 2022/09/21 22:10
これが「奇妙な味」のスタンダードだと思う。「特別料理」だともう少し普通にミステリ寄りだからねえ。だから「おとなしい凶器」を凶器隠ぺいトリックとして読んでしまうトリック原理主義な読み方だと、身勝手な警官の夫に対する「おとなしい妻」の復讐、というブラックな皮肉さが味わえないように感じるのだよ。

おとなしい妻に、おとなしい凶器。

こういう味なんだと思う。エグい「南から来た男」などもギャンブルに血道を上げる男たちへの女たちの皮肉な復讐、という男女の闘争の視点で読み直すといいのかもしれないよ。

個人的なお気に入り、というのか子供の頃読んでずっと頭から離れないのが、実は「願い」。こんな遊びしたことない子供、いないと思う。これも想像力がどんどんと肥大していく話でこの短編集のテーマの一つ。リドルストーリー的なオチ(の欠如)の作品も、こういう「想像力の肥大」で捉えるのがいいのでは。そうしてみると、「サウンドマシン」でも実は発明は妄想で...というような読みも可能なのかもしれない。これをメタなオチに転用したのが「偉大なる文章製造装置」ということになると思うんだ。

最後の「クロードの犬」は、どっちかいうとヘミングウェイ風のスケッチとして捉えるのがいいんだと思う。やはりちょっとこの短編集だとカラーが違うかな....

No.1042 6点 日本の悪霊- 高橋和巳 2022/09/12 10:25
ドストエフスキーで「悪霊」をやったからには、その日本版(苦笑)。
高橋和巳で唯一本サイトで扱ってもギリギリセーフな作品がこれ。唯一の映画化作品でもある。一応裁判モノ。

鉄工所に侵入して無理に3000円を借りた男、村瀬狷輔が恐喝罪で逮捕された。取り調べをした刑事落合は、この事件の奇妙さにコダワリを持った...落合はかつて学徒動員されて特攻隊に入れられたが、出撃せずに帰還し「国家の掌返し」の苦渋を経て、復学もせず警察に奉職、出世を一切拒んでいる刑事だった。この村瀬は同じ大学の卒業生らしいが、卒業後の足取りが不明で8年後のこの事件で突如暗闇から現れたようでもある。この村瀬の過去には、武装闘争路線時代の革命政党の関わった資産家強盗殺人事件が尾を引いているようだ....裁判でも村瀬の過去が掘り返されるが、どれもこれも今更証明のしようもないものばかり。落合がこだわる本命の資産家強盗殺人は、調べれば調べるほど疑惑が立ち上っていく

この村瀬と落合のそれぞれの立場から、高橋和巳らしい観念的で自罰的なモノローグが続いていく。ドストエフスキーの「悪霊」が「革命の観念」に憑りつかれた人々が悪魔的なピョートルに利用されて、軽薄に時流に乗りたがることで嬉々として地獄に落ちていくさまを描いたわけだけども、高橋和巳だからもっとマジメで主観的。革命的詐欺師ピョートルや超人スタヴローギンに相当する鬼頭正信と黒岩仁も、いることにはいるが、存在感が希薄で捏ねてつくったような人物なのが作品的にはイタんだがなあ...

「革命がまず自分自身の「旧道徳」を超克することから初めて、そういう「自己否定」の結果として、「古き社会」を破壊する」という綱領をこの鬼頭は述べるのだけども、「革命が成功した時、われわれはどうなるんだ?」という問いに

消えゆくのみ。破壊をプロレタリアートにやらせ、次の指導権をインテリや組合のダラ幹に握らせるのではなく、破壊を自己がやり、建設は誇り高き人間の自由に委ねるのだ。ふたたび反動に逆もどりするのなら、させしめよ。

と答える。「行動に純化した過激主義」というものが、政治的立場の右も左もなくなって、「一殺多生」を呼号した右翼テロと現象的な違いがなくなってしまう。ここらへんの「自己否定」の様相がきわめて「日本的...」とも感じる。こんな「自己否定」は狭い仲間の中でも相互確認以外では維持不可能であり、一歩外に出たらすぐさまに雲散霧消するものだ、というのを薄々は皆感じていて、自身を否定の中に閉じ込めて抗らうしかないのである。

日常性の誘惑を彼等は無理にも遮断せねばらならなかった。現状の破壊と破壊の上の創造を欲するものの精神的喪服の上に、彼らは、殺害者としての日常からの逸脱をむりにでも自己確認する必要があった。

とまあ、狭いサークルの中でも相互確認が暴走して過激な方向に逸走していくのが、連合赤軍でも繰り返されたわけだけども、こういう「自己確認」としての過激主義が、8年間の潜行地下生活の悲惨の末に、もはや「自己確認」の役にも立たないことを突き付けられることになる...というのが、この作品の結末。

1966年に出版されたことを考慮するなら、70年代の連赤やら東アジアやら結構予見したような内容でもある。高橋和巳って「挫折好き」「堕落好き」だからねえ....そういう「思想の悲惨」の方にずっと目が向いていて、上ずった観念的過激主義に共感しつつも、しかしそれが辿るであろう末路を重々承知して、その上で「思想」というものの価値、人間の矜持を「どうか?」を問うている。

映画はね~黒木和雄のATG時代。村瀬と落合が一人二役で佐藤慶。佐藤慶が絶頂にカッコイイ頃で堪能できる。村瀬は堕落してすでにヤクザになっていて、それぞれ抗争に応援に来た刑事とヤクザとが間違えて入れ替わる話になっている。だから原作からはキャラ設定を借りたくらいで別物。「監督が歌え、っていったから歌います~」って岡林信康が「がぁいこつが~」とか「私たちの~望むものは~」とかギター抱えて突然歌いだす映画。最後は二人の佐藤慶がスプリット画面で並んで幼稚園に殴り込み! とってもヘンテコで珍品好きにはたまらない。

No.1041 7点 特別料理- スタンリイ・エリン 2022/09/12 09:35
有名短編集。でもね、やはり表題作が出来過ぎのようにも感じる。批判を許さない名編だと思う。これと比べちゃ、他の収録作の出来が悪いわけではないけども、分が悪いのは仕方がない。
この短編集は「奇妙な味」系と呼ばれがちなんだけども、実際にはマジメにミステリしている作品が多い。殺人も大概の作品にあるわけで、ギャンブルに命を吸い取られた人々がテーマの「あなたに似た人」と同じカテで「奇妙な味」と呼ばれるのはどうか?という気もするんだ。エリン独特の一歩引いたような客観描写で綴られる、犯罪とそれに魅せられる人々の姿を描いたヒネリのある作品集、という感覚のものではないだろうか。
いや実際「君にそっくり」を「太陽がいっぱい」の原型、と蟷螂の斧さんが指摘されている。たとえば「壁をへだてた目撃者」はエリンだと抒情を抑え気味だけども、これがウールリッチならどうかしら?とか想像したりもするのだ。やはりエリンらしさ、というものを考えたら「九時から五時までの男」に通じる、「几帳面な殺人者」を描いた「アプルビー氏の乱れなき世界」にエリンの独自の体臭みたいなものを感じる。
第二短編集「九時から五時までの男」で印象的な「ふとしたことで噴出する悪意」というエリンの別な側面は「特別料理」ではそう目だたなくて、最後の「決断の時」くらいかしら。「仕掛け物」的な作品は「パーティの夜」と「決断の時」くらいなんだけどもね。「特別料理」を含めてアイデアストーリー的に捉えるのは、ちょっと違うようにも感じるのだ。

そうしてみると、この作品集のバラエティ、というものが EQMM という雑誌のバラエティみたいなものだったようにも感じるのである。

No.1040 6点 妻のための嘘- ジョルジュ・シムノン 2022/09/08 19:07
さて評者の集英社版「シムノン選集」の12巻の評も最後の作品。シムノンって非ミステリ作品でもミステリ的興味が強いケースもあって、なかなか気が抜けないのだけど、本作もミステリと非ミステリの際どいあたりを攻めた作品。

地方都市で古書店を営む主人公ジョナスは、子供の頃ロシアから亡命してフランスに居着いている干からびたような小男。身にそぐわない奔放な妻ジーナを娶ったのだが、ジーナはある日姿を消した。いつもの浮気プチ家出くらいに軽くジョナスは考えて、「朝バスでブールジュへ出かけた」と体裁を慮った嘘をついた。しかしいつまで経っても妻は帰ってこない。次第にジョナスが妻をどうかした、という噂が立ったようで、周囲の人々のジョナスを見る目が変わってきた…ついにジョナスは警察からの召喚を受ける

という話。妻の失踪という事件を扱うけども、妻の行方自体は主題にならなくて、それなりに地域に馴染んでいた男が、周囲の疑惑から余所者として孤立していくあたりが主眼。原題は「アルハンゲリスクから来た小男」で、亡命者に思いを託して周囲に馴染めない男の孤独を描くことになる。実際、ジョナスがついた「嘘」も妻ジーナをかばうための嘘だったのだが、ジョナスの主張の一貫性をなくす効果しかない。いや、普通のミステリと違って、この嘘も警察に追及されるのだけども、それほどには重視されているわけじゃないんだ。それよりもこの嘘によって、ジョナス本人が自分で自分を追い詰めることになっていくのが、シムノンのオリジナリティで読みどころ。

この狙いはやや分かりにくいけど、印象は「仕立て屋の恋」の地味バージョンで、「カルディノーの息子」とか「メグレと妻を寝取られた男」みたいなシムノンお得意の寝取られ男話を結びつけたような作品。

No.1039 7点 完全脱獄- ジャック・フィニイ 2022/09/08 16:19
フィニイのミステリ系列の作品って、犯罪と冒険の間の細い道をうねうねと辿っていくようなもののように感じる。そりゃ「爽快な冒険」であっても、迷惑被る側としては犯罪以外の何者でもないわけで、犯罪と冒険のアヤの部分で、主人公が「ワルモノ」でなく犯罪を冒険できるセッティングの妙にかけられているように思うのだ。

本作の「冒険」は脱獄。カリフォルニア州立の刑務所で、チャールズ・マンソンも収監されていたサン・クェンティン刑務所から、兄のアーニーを脱獄させようと奮闘する弟ベンと、アーニーの婚約者ルース。アーニーはちょっとした小切手詐欺の罪で収監されたのだが、刑務所内での暴力沙汰が祟って、次は死刑という段階で自分を抑えられなくて刑務官に暴行。その証人が土曜日に証言をしにくる…タイムリミットは一週間。この間に脱獄しないことには、死刑になってしまう。弟ベンと婚約者ルースは綿密なプランでアーニーの脱獄をサポートする

という話。小切手詐欺で死刑、とは無茶な話だが、「5年から無期」なんて不定期刑を課されると、上限の無期刑扱いになって、ちょっとした反抗でも死刑になる法律上のバグがあるそうだ。だから脱獄は否応もないし、読者の罪悪感は薄いように設定されている。でも脱獄手段はリアルで、いろいろ時間差攻撃の工夫はされているが、突飛なものではない。精緻に組み立てられてはいるが、実現可能、と少なくとも読んでいる間には思わせる。当然監獄内の描写や囚人たちの様子のデテールも、弟のベンがアーニーに入れ替わって監獄で過ごすシーンでしっかりと描かれて「塀の中」のリアルが窺われる。囚人たちの心理を落ち着かせるために、監獄内はパステルカラーで塗装されているんだそうだ(苦笑)

そして兄弟の思惑通りに脱獄は成功するのだが、それでもいろいろとプロットの綾があって、最後は苦い結末となる。この「苦さ」にフィニイの目指す冒険と現実の犯罪とのアイロニーが実感される。「5人対賭博場」の青春小説の味わいには及ばないが、「クイーン・メリー号襲撃」「夜の冒険者たち」より、ずっと好き。

No.1038 7点 野郎どもと女たち- デイモン・ラニアン 2022/09/07 20:08
ラニアンの翻訳書籍は、新書館からの加島祥造訳の「ブロードウェイ物語」全4巻しかないようだから、日本編集の短編集とはいえ、これに準拠して話はしていけばいいようだ。というのも、この巻のタイトル「野郎どもと女たち」が、ラニアンの原著の第一短編集のタイトルでもあり、またミュージカル「ガイズ&ドールズ」の原作になった短編2つを収録し、ミュージカルの映画邦題「野郎どもと女たち」でもある、というややこしい部分があるからね。

評者ヅカで見たなあ。紫吹淳主演の月組。主人公「スカイ」マスタースンはギャンブラー。あだ名の「スカイ」は要するに「青天井」。ノーリミットでどんなデカいギャンブルにも応じる男伊達の心意気。スカイはクラップ(サイコロ賭博)が得意だが、こいつの得意技は「プロポジション」と呼ばれる機智に富んだ即興のフリースタイルなギャンブル。ミュージカルだとお堅い救世軍のサラー・ブラウン軍曹を「モノにできるか?」で色男のスカイが賭けたことから話が転がっていくけど、原作はサラーに惚れたスカイが、経営難の救世軍に子羊としてギャンブラーたちを送り込むために賭ける、というミュージカルでは後半の展開から始まる。でも自ら勝負に乗り出したサラーは「あたし、博奕のことはすこし知ってます。とくにサイコロ勝負のことはね。そのためにあたしの父と兄のジョーが身を滅ぼしたんですもの」なんて啖呵を切ったりする。

「女たち」だってタダの「お人形」じゃないのである。シタタカに「野郎ども」を騙し・ひっかけ・それでも純情で男をオトしたりもするのだ。そんな野郎どもと女たちの攻防の妙味もあれば、男伊達が巻き込まれるひねりの効いた事件の数々を10本収録。中には自分を撃った男に一矢報いるために、罠を仕掛ける話やら、ハードなものも。だから、ラニアンの世界というものも、ハードボイルドのひとつのかたちみたいに捉えるのがいいんじゃないかと思っている。

No.1037 7点 エミールと探偵たち- エーリヒ・ケストナー 2022/09/05 22:46
「消え失せた密画」が面白かったので、そういえば....と本作。戦前からの児童向けの大ロングセラーである。子供の頃読んだんだっけ?

エミールはベルリンのおばあさんの元に一人で旅をすることにした。母からはおばあさんへの仕送りの120マルクをことづかって汽車に乗ったのだが、エミールが居眠りした隙に、コンパートメントで相客となった山高帽の紳士に盗まれた! エミールはその紳士を追跡する。その中で出会ったベルリンの少年たちがエミールの手助けを申し出た! 子供たちの大作戦の行方は?

という話。エミールは父を亡くして、美容師の母が一生懸命働いて自分を育ててくれていることをよく知っていて、その母のなけなしの仕送りだからこそ、何としてでも取り返そうと奮闘する。そして、警笛を持ったリーダー格のグスタフ、頭のいい教授、チビだが親が電話を持っていることから連絡役として待機し続ける火曜日くんなどなど、いろいろな背景の街の子供たちと交流して、盗んだ山高帽の紳士を追い詰めていく...そんな友情の話が、なかなかリアルな背景で描かれる。印象的なのはそういう細部に手を抜いていないことで、ベルリンの「都会」というイメージをしっかりと定着しているあたり。

犯人はともかくも、エミールの周囲の大人たちはみな温かい善意の人たち。そんなユートピアの光景が、懐かしく感じられる。いいじゃん。世界にはまだこんなにも「善意」が残っているのである。

No.1036 7点 地球最後の男 人類SOS - リチャード・マシスン 2022/09/05 17:38
SF吸血鬼モノの古典。原作のこのオチというのは、実は吸血鬼モノでは有名で、ネタバレをされてたのを目にしたことがある。でも「この俺が伝説の存在なのだ」という最後の決めセリフの苦さは少しも損なわれずに、幾度でも噛みしめるべき結末である。

というかね、原作を読むと「アメリカ的だな~」と強く思うのだ。ソローの「森の生活」なんかに典型的に表現されるような、自給自足で森の中で孤立して暮らすライフスタイルに対する憧れみたいなものが、アメリカ人にあるんだよね。だから本作の主人公の孤立したサバイバルにも、そういう「自分の力だけを頼りに生き抜く開拓者=アメリカ人」の幻想が付きまとっている。これは絶対の自由を固守するアナーキズムと言えば、まさにそう。
だからこそ、主人公が「地球最後の男」としての矜持から維持してきた「個我」と社会性というものの関係が問われることになる。主人公は自分が想定しない「別な社会」に裁かれることになるわけで、このアメリカ人の原像に対する作者の批判的な目が窺える、といえば読み過ぎだろうか?

本作の「伝説=レジェンド」というのは、アメリカ人の原像として今もある「独立独歩の人間」というもの、なのかもしれないよ。

No.1035 6点 エッフェル塔の潜水夫- カミ 2022/09/04 18:50
愉しく読めるユーモア古典、と続けたわけだけど、有名な本作、意外に長い。「さまよえるオランダ人」伝説をネタにした怪異譚と、エッフェル塔に潜水夫というありえない組み合わせで始まる冒険小説。いやだから、解剖台の上でミシンとコーモリ傘が出会ったようなシュルレアリスムの味わいがある。
でしかも本作1929年だから、ちょっと前にはルネ・クレールの「眠る巴里」が印象的にエッフェル塔を描いたりしている。そんなフツフツとアートがたぎるような戦間黄金期のパリのイキでシュールでユーモラスな姿を描く楽しさがある。

「さまよえるオランダ人」なんだけど、ちくま文庫の翻訳だと「飛び行くオランダ人(Flying Dutchman)」じゃあなんか雰囲気出ない。ヴァーグナーのオランダ人のテーマが脳内流れっぱなしなんだが、オペラ通り「船長はたった1人で永遠にさまよう運命にあるが、7年に一度上陸でき、そのとき船長を愛す女性に出会えれば、呪いから解放される」を下敷きにして話が進む。実はロシア革命で云々なんてコジツケっぽい背景があったりするんだけどもねえ。そんなだけども、深刻には全然ならなくて、いろいろな面白要素をつぎはぎしたコラージュ風の味わいが強い。レビューっぽいファンタジーだと思うのがいいのかな。

まあだから、主人公っぽく紹介されたファンファン・ラ・トゥール(エッフェル塔の子供)と古胡桃ジュール・ラノワの少年コンビも実はあまり活躍しなかったりする(苦笑)しっちゃかめっちゃか、行き当たりばったり、なんだけども最後は強引に全部つじつまを合わせたりする。そんな剛腕をオタノシミ!

No.1034 7点 快傑ゾロ- ジョンストン・マッカレー 2022/09/01 22:11
中学生の頃、女子の間で本書が回し読みされてて、評者も読んだよ。うん「アラン・ドロンのゾロ」が公開されたからねえ。なので懐かしいっす。

まだカリフォルニアの開拓がスペイン人中心だった頃の話。本国から送り込まれた総督と軍隊は、土豪となった土着した開拓者・開拓と伝道に尽くした修道士たちと軋轢が生じていた。横暴な総督の軍隊を嘲笑うかのように挑戦する仮面の紳士は、ゾロ(狐)と名乗った....総督に睨まれて没落させられた一家の娘ロリータはゾロに恋するが、ロリータに言い寄る地元の有力者の息子ドン・ディエゴがいた。ドン・ディエゴは美男だが、争いが嫌いで、およそ「男らしい」ことは全部ダメな情けない男だった

と、そりゃ美男で鳴らしたアラン・ドロンにしてみりゃ、おいしいよねという話。改めて読んでみて、アクションよりもロマンチックな方面に力が入っているのが面白いあたり。アクションものとしては、スピード感はあるし読みやすいが、それほどでもない。有名な「額にZの傷」は、砦の隊長で卑劣なレイモンとの決闘でしか出ないから、あまりウェイトが高いわけでもない。でもね、ロリータの乙女のピンチとそれを救出するゾロ、という構図がベタだけどいいんだなぁ。こっちにヤられる。

小鷹信光だったと思うけど、ゾロをはじめとするマッカレーの「マスクト・ヒーロー」というのが、ハードボイルド登場前のパルプ・マガジンのヒーローであり、ハードボイルド・ヒーローの原型でもある、というような論旨の記事を読んだ記憶がある。としてみると、サム・スペードやマーロウというのも、ローン・レンジャーやらバットマンとはイトコ同志みたいな関係にあるわけだ。そんな風に捉えてみるのも一興。

No.1033 6点 ジーヴズの事件簿 才気縦横の巻- P・G・ウッドハウス 2022/09/01 15:41
軽くて面白いものが読みたいよ~という評者の希望をかなえる作品のひとつ。これも「新青年」の人気作家として親しまれてきたけど、戦後は忘れ去られたのが数年前にカシコキあたりで話題に出て今更に再ヒットするとは思ってもいなかった....

本書は、ジーヴス物の2つ目の短編集「比類なきジーヴス」を二分冊した前半プラス、ジーヴスが雇われる経緯を描いた「ジーヴズの初仕事」とジーヴス側から描いた異色作の「バーティ君の変心」を収録した本。追加分は3つめの短編集「それゆけ、ジーヴス」からの収録(だけど最初の短編集「My Man Jeeves」はリライトされて「それゆけ、ジーヴス」に収録されたこともあって重要性がないようだ)

能天気な若さまのバーティ君が陥ったトラブルから、いつの間にやらバーティ君を救い出すジーヴスの活躍を描く連作。でもね、オシャレに凝りすぎて下品になりがちなファッションで、バーティ君は趣味が保守的なジーヴスの気を悪くさせるとかが定番。このジーヴスのツンデレっぷりが読みどころで、バーティ君に冷たくしていても、陰でジーヴスが策謀して「ジーヴスどうしよう?」とバーティ君が泣きつく頃には、もうすでに事件が解決している、という辣腕ぷり。このジーヴスの意外な腹黒さが素敵。

いやこういうの読むと、世間知らずの若さまが良いように執事に操られて..とロージーの「召使」とかクレッシングの「料理人」とか、ダークサイドの執事モノもついつい連想しちゃうあたりがナイス。だから例えばよしながふみの「執事の分際」とかBLの執事モノとも、実のところそうそう遠いセカイでもない。

No.1032 6点 消え失せた密画- エーリヒ・ケストナー 2022/09/01 09:50
戦前の昔からとくに児童向けで親しまれてきているケストナー。「エミールと探偵たち」そのうちやろうかしら。どストライクの作家じゃん。創元でも怪奇・冒険カテで大人向けが3作品。本作と「雪の中の三人男」「一杯の珈琲から」。

のんきなスパイ小説みたいなノリで、サイレント喜劇を見ているかのような、おおざっぱな「身振り」が楽しい小説。悪役はマンガの悪役らしくトボケた感じでかわいい。ジブリで映画化すれば...という評もあるようだが、ハンナ・バーベラの芸風みたいに感じる。「今日もダメなのよ~」ってね。

内容はお人よしのソーセージ屋キュルツが、中年の危機、でプチ家出をした先のコペンハーゲンで、ホルバイン作のアン・ブーリンの肖像を描いた密画(ミニチュア絵画)の争奪戦に巻き込まれる話。主人公は気のいいオッサンなのがナイス。本物と偽物でいろいろ小細工があって、ミステリ的な興味もわりとある。
でもホルバイン、というからにはこの密画の肖像、色っぽいんじゃないかと思うよ。評者もしっかり読後にはソーセージを頂きました。そんな小説。

No.1031 6点 メグレ警視と生死不明の男- ジョルジュ・シムノン 2022/08/27 22:37
中期メグレで一番脂が乗った時期の長編だから、なんやかんや言って面白い。でも河出でもハヤカワでも創元でもなくて、講談社から出たこともあるのか、Wikipedia のシムノンの著作リストが本作を落としていたりする。ギャバン主演で「メグレ赤い灯を見る」として映画化されたことで別途版権を取得したとかそういう事情があるんだろうね。アメリカから来てパリで傍若無人に振る舞うマフィアと、メグレ率いる司法警察の面々が対決する話だから、極めて映画向きな話。映画のあらすじを読むと、ベースは同じだけど背景をやや膨らませているような印象がある。原作の方が駆け足。

前半は評者もご贔屓ロニョンくんが活躍する。悪妻ロニョン夫人もしっかり登場。でもロニョンくん、ギャングたちに拉致されて...と刑事とは知らなかったにせよ、そこまでするの?というアメリカのギャングのやり口に、さすがのメグレも激怒。事情を少し知るらしいイタリア料理店主に「あいつらプロだから」と、見下されたような忠告をされたりするから、メグレも収まらないよ。

ストーリーラインはこの時期にしてはシンプルで、とくに紆余曲折はないんだけども、逆にアメリカンなスピード感が良く出ていて、リーダビリティの良さではメグレの中でも随分高いのでは。文庫は入手難なこともあって電子書籍で今回読んだわけだけど、全然気にならないくらいに話に引き込まれた。

クライマックスなんてね、メグレとリュカとトランスの三人でギャングのアジトに押し入るなんて荒事もあり。アメリカン・テイストのメグレ。

No.1030 7点 検死審問 インクエスト- パーシヴァル・ワイルド 2022/08/26 21:46
何か楽しい作品。けど裁判モノとして見たらかなりヘンテコな珍味。証人たちは言いたい放題!質問禁止の独演会とか、こんなインクエストがあるのかしら(苦笑)

だからあくまでも「この人こういう人」という証言が、あくまで「この人から見たときは」という限定された視点での人物評価に過ぎない、というあたりをうまく使っていることになる。人物の性格が結構ミスリードされまくりで、そのあわいにうまく真相が隠されているわけだ。ユーモアがミスディレクションとしてうまく働く好例じゃないのかな。

けど、「自分が殺されたら、犯人はコイツだ!」という遺書とか、調書の中で隠れ聞きする人を指示するとか、掟破りの叙述が続出。メタ小説みたいな味わいがあって、そこらへんやんちゃな面白さがある。

No.1029 6点 悪霊- フョードル・ドストエフスキー 2022/08/26 11:16
本サイトでドストエフスキー扱うのって、妙な教養主義みたいなカラーが出がちなので、評者もちょっと考えちゃう。そんな嫌味が出ないように頑張ろう。

一応本作、殺人事件が2件ほどあるわけで、「罪と罰」「カラマーゾフ」を扱っていいなら、当然オッケーの作品である。もちろんドストエフスキーの独特の宗教観がベースにあって、過激な思想を抱いた人々がそれぞれの思惑で陰謀を企み、またそれに翻弄される作品であるのだから、一種の「思想小説」みたいに読むのが普通(埴谷雄高「死霊」が本作の影響を強く受けている)なんだけども、いや、どっちか言うと作者の目がそういう「思想に振り回される人々」に対してちょっと引いていて冷淡と言っていいくらいの視点である、というのを軸にした方がいいんじゃないか。
実際、この作品の主人公はスタヴローギンというよりも、ピョートルである。まさに「悪霊」に憑りつかれて平和な地方都市を大混乱に陥れ、多くの人々の運命を捻じ曲げたのは、一切の価値を拒絶するニヒリズムの「政治的詐欺師」のピョートルなのである。ピョートルと言えば一番印象的な場面は、陰謀家たちの秘密集会で観念的な過激主義をブツ一同を目にして、

「爪を切るのを忘れていたんです。三日前から切ろうと思っていて」長くのびた汚い爪をのんびりと眺めながら、彼は答えた

と宣うような、冷笑的なマキャベリズムなんだよね。陰謀を企みそれを一手に収めながらも、陰謀自体を信じずそれを嘲笑する「スパイの心性」みたなものが、このピョートルの肖像に強く表れていて、その悪党っぷりと比較すれば、ピョートルにいいように操られる「思想家」たちなどというものは、現実から浮き上がった極楽トンボどもなのである。言いかえるならば手もなく死の床で回心してしまう、ピョートルの父、無力なインテリでしかないステパンの同類なのだ。

それに比べたら、ピョートルが担ぎ上げようとする超人スタヴローギンだって、挫折したイエス、というか磔刑にマゾヒスティックな喜びを覚えて、自ら醜悪な罪に溺れる聖者といったものでしかない。ニヒリズムも信じないニヒリズムといえばそうだろうか? だからこそ、ピョートル一味の行為は最初から「何かを成し遂げる」ものではなくて、「破壊のための破壊」といったニヒリスティックなものでしかないわけだ。
ヘンな熱に浮かされたように、漠然とした空気に流されて、自ら嬉々として社会を破壊する「奇怪な祝典」に人々は取り込まれてしまうものか!

というわけで、この作品が描き出す世界がいかに悲惨であり、その理屈に宗教やら哲学が捏ねられていたとしても、この作品の基調は「喜劇」である。まさに現実から遊離したインテリたちの「喜劇」として、読まれるべきなんだと、思っているよ。

No.1028 7点 暗い鏡の中に- ヘレン・マクロイ 2022/08/21 09:16
マクロイという作家の立ち位置って結構ややこしい。今回久々に本作を読んだわけだけど、昔ってアメリカのサスペンス派の代表作みたいな扱いを受けてたわけだ。でも最近は本格マニアの間での人気の高い作家に化けてしまった...そういうあたりを本作に即して考えてみたいとも思う。

本作のテーマのドッペルゲンガーって、パズラーのネタとすると合理的な解釈がかなり限られるから、そこでの驚きを追求できるわけではない。だからこそ最後の直接対決で精緻に犯人の行動を再構成していくわけで、そういう精緻さがパズラーマニアにとってのポイントになるんだろう。
とはいえ、単純に「カー風の怪奇趣味」というのもどうか。カーって語り口は上手だが、古いミステリの類型的な展開で一本調子でつまらない。そんなあたりを踏襲するいわれはないから、叙述の視点変化・場面転換や描写を改善した結果、サスペンスに近づいてくる。アメリカのパズラー、という面で言えば「ワイルダー一家の失踪」とかああいったアメリカ新本格の傾向に寄せつつも、小説的な充実感によって「小手先の工夫」という印象をなくした作品、という風に見るのがいいのではないか。

まあもちろん真相が「そんなにうまくいくかよ!」はあるんだけども、それは小説のお約束。咎めても仕方がない。それよりも理不尽な現象とそれによる迫害に悩まされるフォスティーナの苦悩を軸に、姉御肌のギゼラや奔放なアリス、堅物のライトフット校長などの女性キャラに生彩があって、面白い小説になっているのを買うべきだろう。
また女性作家らしく女性のファッションへの観察が行き届いているのがとくに本作では「ミステリとしてのリアリティ」に繋がっているとも思う。

No.1027 5点 黒衣婦人の香り- ガストン・ルルー 2022/08/18 15:47
さて問題の作品。弾十六さんに「やれやれ!」と促されたこともあって、取り上げましょう。実は半月ほど所用で海外に行っていて、それが全然本の読めない旅行だったこともあり、読むのに二週間もかかってしまった。でもね、この本そのくらいのペースがいいんじゃないかと思う。
要するに首尾一貫したミステリを期待したら本作、本当に読みどころがない。でもね、今までの評者さんの中で私が最高の点をつけることになるのは、そういう「ゆったりとした十九世紀浪漫」の味わいが何となく気に入ってるあたり。

いやミステリだと思わずに、ヒーロー小説だと思うと、ルーレタビーユ、やたらな勿体つけ名探偵ぶりでこれがカッコいい。しかも第三者的名探偵ではなくて、自身の出生の秘密やら、孤児から新聞記者になるまでのエピソードやら、なかなか悲劇性、というあたりでは盛り上がるのだ。ベタと言えばベタ、でもこれが荘重なブンガク味で語られちゃうと、ベタが目立たなくて、大仰で読みづらいけども「…浪漫!」という雰囲気は盛り上がる。

おお、そうだ! 彼だ! 大フ〇〇〇だ。小舟は静かに、不動の立像を乗せたまま、城砦の周りを進む。今、四角な塔の窓の下をとおっている。それから、へさきをガリバルディ岬のほうへ、ロシェ・ルージュの石切り場のほうへ向ける。そして男は、腕を組み、顔を塔のほうへむけて、あいかわらず立っている。さながら夜の敷居に立った悪魔の幽霊だ。夜はゆっくり陰険にうしろから彼に近より、軽い薄布で彼を包み、運んでいく。

いやね、こんなテンション。たとえば「赤毛のレドメイン家」を評者が好きなのと同じように、オペラチックなほどの過剰な浪漫のカラーが、妙に心地いい。

まあでもそんな読者は今時評者くらいだろう。当然「黄色い部屋」を読んでから読むのがお約束。不可能興味2発を期待してはいけなくて、「黄色い部屋」マイナス推理、といった感覚だけども、防御側に回ったルーレタビーユが一同を指揮して防衛線を作り上げるあたりに、冒険小説風の味わいがあるのも確か。

(思うけど、意外に本作って乱歩通俗ミステリへの影響が強いのかな? 設定やらテンションに共通するものを感じる)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.41点   採点数: 1326件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(99)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(45)
ジョン・ディクスン・カー(31)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(24)
アンドリュウ・ガーヴ(18)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)
エリック・アンブラー(17)
アーサー・コナン・ドイル(16)