皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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miniさん |
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平均点: 5.97点 | 書評数: 728件 |
No.268 | 7点 | 北村薫のミステリー館- アンソロジー(国内編集者) | 2011/02/01 10:08 |
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ええぃ、ついでにもう一つ北村編のアンソロジーだ
新潮文庫だが何巻かの企画ではなく単発なようで、多分同編者の『謎のギャラリー』の姉妹篇という位置付けかも 北村編アンソロジーとしては角川文庫『本格ミステリ・ライブラリー』よりもこっちの方が楽しめた、ジャンルの制約が無い分やりたい放題だし 全体の構成もしっかりしていて、最初の章などは巻頭漫画風で、若干値が上がってもいいから巻頭口絵カラー頁にして欲しかったな 既読なのが少ないのもグッドで、私が既読だったのは唯一ハイスミス「クレイヴァリング教授の新発見」だけだが、この”かたつむり”短編は有名過ぎるもんな 知らない作家が多い中で既知な作家は、H・セシル、H・スレッサー、ペンティコーストあたり セシルのは独立した短編ではなく連作短編形式の長編『メルトン先生の犯罪学演習』からの抜粋、私は『メルトン先生』の方が読むのが後だった ペンティコーストってメジャーにはちょっと足りないがアンソロジーにはよく採用されてるよな、もう一つ読まれて無いのは長編に決定打が無いからだろう、E・D・ホック編『密室大集合』収録の「子供たちの消えた日」の作者なんだが さてこのアンソロジー中で抱腹絶倒なのが日本変換昔話「少量法律助言者」 これは何かと言うと、昔話を翻訳ソフトで一旦英語に翻訳し、それを和訳で戻すというパターンだ 今ではこんな遊びは珍しくも無いんだろうが、このアンソロジーが刊行された頃は面白かったに違いない 題名の意味は何だって?それはねぇ”少量=一寸、法律=法、助言者=師”なんでしょうな、きっと ”法師”に相当する英単語って無いんかい 良い意味で編集者としての北村ワールド全開ですな |
No.267 | 6点 | 北村薫の本格ミステリ・ライブラリー- アンソロジー(国内編集者) | 2011/01/27 10:09 |
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本日発売の早川ミステリマガジン3月号(特別増大号)の特集は”ベスト・オブ・ベスト・ショートストーリーズ”、目玉企画は”名作短篇&トリビュート”
まぁ、有名な海外ミステリー短編を元ネタに国内作家がトリビュート作を書き下ろすという一種の本歌取り競演企画 トリビュート作中心のアンソロジーが思い付かないのでこれでお茶を濁そう 北村編は有栖川との座談会まであるくらいで、もしかしたら最初の企画段階ではこの両名だけの予定だったんじゃないかな、法月編と山口編は言わば追加って感じでね だから北村編と有栖川編には互いに収録作など見ると対になっている面がある 4つの各アンソロジーを編者のセンスの順に並べると私の評価は 北村編≧法月編>山口編≧有栖川編となる 世のネット評価は北村編を最下位に置く評価が多いが私は逆だな やはりこの手のアンソロジーの意図からはこの位のお遊び心が欲しいかな、これに比べるとのりりんのは真面目だなぁ、いや、それはそれで良いんだけどね 海外ものが特に多いわけでもない、例えば第4章の4篇の内3篇が海外作家だが、この章で編者が言いたいのは原作者ではなく”西条八十の訳”であるという事だろうからね さて他の編者のもそうだが、この角川文庫の目玉の企画の一つが、トリック自体はマニアには知られていたが、誰の何と言う作品なのが分からなかった幻の作品を収録する事にあったと思う 有栖川編収録の「〈引立て役倶楽部〉の不快な事件」などはその典型的な例だろう この北村編では、E・クイーンも舌を巻いたという弱冠16才の鬼才レナード・トンプスンの巻頭作がそれだ これはねえ、カーの「ユダの窓」に挑戦した作で、要するに”ユダの窓”以外にもう一つの窓がある事に着目したものだ トリック自体はマニアには知られてたんだろうが、おそらく殆どの読者はこのアンソロジーで実物を知ったはずだ ロバート・アーサーはトリックだけなら「51番目の密室」よりもこちらの「ガラスの橋」の方が上でしょう、たしかに島荘風の絵になるトリックだ ただ「51番目の密室」は楽屋オチ的な要素が評価される所以で、北村編収録のローレンス・G・ブロックマン「やぶへび」と因縁があって、つまり北村編と有栖川編が対になっている事由の一つでもあるので両者合わせて読むべきだろう 当サイトでこうさんの書評でも言及されていますが、最後に吉行淳之介とC・ブランド「ジェミニー・クリケット事件」について 吉行淳之介「あいびき」はこうさんも御指摘の通りこんなのを書いていたのかって感じで、もう笑うしかない 「ジェミニー・クリケット事件」は英国版とアメリカ版が存在し、ラストが弱冠違うのだが創元文庫版「招かれざる客たちのビュッフェ」収録のは英国版なのである アメリカ版は早川書房「37の短編」に入っていたのだが、古本でも入手し難かった状況だったのだ、現在ではポケミスで復刊されちゃったけど 北村薫は角川文庫の編集部からアンソロジー企画を持ち込まれた時、アメリカ版の方を収録する事が引き受ける絶対条件だったとの事だ 言わばこのアンソロジーが生まれるきっかけの作品だったわけだ |
No.266 | 6点 | 孤独なスキーヤー- ハモンド・イネス | 2011/01/18 10:21 |
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* シーズンだからね(^_^;) *
今年はレルヒ少佐によってスキー指導が行なわれた事に由来する”日本のスキー発祥100周年”にあたるそうだ 私のスキーの腕前は、初中級向け斜面なら一応(ボーゲンじゃなくて)パラレルで何とか転倒せず降りられる程度の初球レベルなんだけど、やはりスキーが登場するミステリーは楽しく読める H・イネスは基本的に海洋冒険ものが本流と思っているので、陸上が舞台のこの作は初期の有名作ではあるが代表作とは言えない やはりイネスの代表作なら「メリー・ディア号の遭難」あたりが妥当であるべきなんだろうとは思う でも読んでる最中が楽しかったのはこっちの「孤独なスキーヤー」の方なんだよなぁ 英仏海峡の岩礁地帯という「メリー・ディア号」の舞台設定は、冒険小説としてはちょっと地味で魅力に欠ける その点「孤独なスキーヤー」の舞台は、五輪も開催されたイタリアアルプスのスキーリゾート地コルチナ 別に舞台だけで価値が決まるわけでもなく、展開・真相や人物設定などがベタで不満はいくつかあるが、冒険小説にとって舞台は重要な要素だと再認識した 特に前半部で、山荘に集まる得体の知れない人物達が醸し出す雰囲気はミステリアスで、充分にミステリーの範疇内だ ただ集まった動機はありきたりでつまらんけど ところで作中にリフトかケーブルカーみたいな乗り物が登場するんだけど、文章だけでは具体的なイメージが湧かない 索道の一種とは思うがもう少し詳しい説明が必要なのではと思った |
No.265 | 6点 | ストラング先生の謎解き講義- ウィリアム・ブリテン | 2011/01/12 10:08 |
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「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」などのパロディ短編で知られるW・ブリテンだが、作品数的に見てもメインとなるシリーズはストラング先生でしょう
このシリーズは初出は殆ど全てがEQMM誌であり、E・D・ホックと並んでEQMMの常連作家の1人である 「誰々を読んだ男」シリーズだけではホックを連想するのは難しいが、このストラング先生ものは作者の正体が不明だった当時、ホックの別名ではないかと噂が立ったのも無理からぬ話だ 今では経歴なども判明していてホックとは別人である事は分かっているのだが、ホックのファンには受けそうなシリーズである それにしてもこの雰囲気、日本の”日常の謎派”を思わせるものがある 実は海外作品には日本の日常の謎的な作例は案外と少ない よくコージー派の説明で日本の日常の謎派に例える人が居るが、これは解釈を完全に誤っていて、コージー派はドメスティックではあるが普通に殺人事件が発生したりで決して日常の謎的ではない もし海外作品にも日常の謎みたいな作例があるのですか?と聞かれたら私は真っ先にストラング先生シリーズを挙げたい 惜しむらくはkanamoriさんも御指摘の通りで、作者の書き方センスの問題なんだろうが、ちょっと伏線の提示がストレート過ぎてトリックが見破り易いのが難 まぁでも「先生、証拠のかけらを拾う」とか「先生、密室を開ける」などはトリックマニアには受けそうだ 後者のトリックは私も途中で気付いちゃったが、前者のは意表を突かれた 個人的な好みでは、いつもの舞台である学校を離れ博物館に出向く、「先生の博物館見学」「先生と消えた船」の二作が面白かった 特に「先生と消えた船」はシーズンオフの観光地の地方博物館が舞台だけに雰囲気が楽しめた ※ 余談だがネット上の書評で、作者名に関してブルテン表記の方が良いみたいな異見を見たが、多分最初に「カーを読んだ男」が紹介された時の作者名がそうだったからというのが理由なんだろう しかし”W.Brittain”なのだから現在のブリテン表記の方が適切ではないかと思うのだが |
No.264 | 6点 | メルトン先生の犯罪学演習- ヘンリー・セシル | 2011/01/12 10:05 |
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ストラング先生を読みながら、本の題名がどこかで聞いたことあるんだよなぁ、と思ったらそうそう元ネタはこれだった(苦笑)
代表作とも言われる「法廷外裁判」は古本屋で探して本は確保してあるのだが未読なのでH・セシルはこれしか読んでいない 噂には聞いていたがたしかに変な作家である 頭を打ったメルトン先生が頭の調子が狂って完全犯罪の授業はするわ各所を彷徨う話が全体の流れ そこを先生が語る犯罪に関する挿話の数々が一種の短篇集みたいになっている そう、これはまさしく日本でも日常の謎派などで一時期流行った”連作短篇集形式”そのものではないか 他にサマセット・モームのスパイ小説「アシェンデン」などにも作例があるが、この「メルトン先生」は連作短篇集形式を意図的に使った結構早い時期の作ではないだろうか 挿話の散りばめられた長編とも受取れるし、いや中心となる筋はあっても基本は短篇集だという解釈も成り立つ セシルが一筋縄ではいかない作家なのは例えば作中に挿入されたエピソードの一つに、先生がある落語のようなオチ話を語って聞かせると、聞き手が「で、それで?」「その後どうなりました?」みたいな全くオチに気付かないのを先生が当惑する場面など、なかなか捻くれた作家だなと思った 全体の流れなども、先生の変な授業風景に終始するのかと予想していたが、意外と全体の話の流れに紆余曲折が有って楽しめる |
No.263 | 6点 | 北雪の釘- ロバート・ファン・ヒューリック | 2011/01/10 10:27 |
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寒さ厳しい冬の北辺国境の町、第5番目の赴任地”北州”に赴いたディー判事
当初は娘の失踪事件以外にはこれといった大事も無かったが、別の娘の首無し殺人事件が発生し、さらに起こった毒殺事件に絡み、過去の殺人疑惑まで浮上する 前期5部作の掉尾を飾る舞台は、最後の地方赴任地となった北辺の町で国境警備の軍隊も駐留している この事件の後、判事は都に召還されて都の要職に就く 後期作には都に戻ってからの事件を扱う巻もあるが、一応前期の一区切りとなる作である 北部国境の町だけに異民族との交易など殺伐した雰囲気なのかと想像していたら案外とのんびりムード 当時の唐は国際的大帝国であり、周辺民族との関係が上手くいっていたのと地方軍隊が強力だったという事なのだろう 唐王朝は結局はこの強大な地方組織による反乱で内部崩壊するのだが、これに懲りたのか後の宋王朝では中央集権の元、近衛軍など内政重視に偏り過ぎて国境軍隊の弱体化を招き周辺異民族によって滅ぼされるのである したがって唐代だけに異民族の侵入などの緊迫感は無くて、事件の方も極めて民間的な事件である むしろ国家的大陰謀と言うなら、前期5部作だと「水底の妖」や「江南の鐘」あたりの方が一大事だ 「北雪の釘」は首無し事件という事で興味を引かれる人も居るかも知れないが、こっちは有りがちなパターンであり大多数の読者には真相が見えてしまうだろう やはりメインは過去の殺人疑惑なのだろうが、これによって判事は窮地に追い込まれるのだが、事件そのものは小粒な感じで、前期5部作の掉尾を飾るにしては大団円ではない どちらかと言えば悲しい出来事などで余韻の中、判事の地方赴任も幕が降ろされる事になるのである |
No.262 | 6点 | ディケンズ短篇集- チャールズ・ディケンズ | 2011/01/06 10:11 |
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ポーとほぼ活躍年代が被るチャールズ・ディケンズは純文学作家と思われがちだが、多くの作品が犯罪が絡んだり幽霊が出たりとどうやら大衆文学作家という面が強いらしい
犯罪文学や怪奇幻想文学の作家である事や、英米両国に同時期に出現した事を考えると、さながらもう1人のポーである ただし2つほどポーとの違いも有って、ポーは生涯に長編は1作しかなく基本的に短篇作家だが、ディケンズは大長編をいくつか書いている もう一つは耽美的詩的な作風のポーに対して、ディケンズは散文的でシニカルな味わいが持ち味である この辺はアメリカ人のポーと英国人のディケンズというお国柄もあろう 長編は未読だが短編も捨て難く、またミステリー史的にも重要な作家であり、短篇集が『クイーンの定員』に選ばれているのも当然だ この岩波文庫版は編者が小池滋だけに、ミステリーと怪奇幻想文学の視点で収録作が選ばれているので、ミステリー読者としては岩波文庫版が決定版である 特に重要な収録作は次の2作 「追いつめられて」は雑誌に初掲載された後、長年埋もれていたのをエラリイ・クイーンが発掘しEQMMに掲載した曰く付の作品で、これを見出したクイーンの慧眼は流石 何たってホームズ以前、まだミステリーの形式すら確立されてなかったポーと同時期の作だけに通常の形式論で見てはいけないのだが、それにしてもこれは紛れもなくミステリー小説そのものである もう1作は「信号手」、数々の怪奇幻想系アンソロジーに採られ昔からディケンズ短編の最高傑作として知られている有名な短篇だ 流石にこれは私も他のアンソロジーで既読だったが、再読して見ると解説にもあるように怪談としてだけでなくミステリー的な解釈も可能かも ミステリー史において、よくポーは”探偵小説の父”と称えられるが、それを言うならディケンズも”探偵小説の叔父”くらいには呼んでも然りだろう ※ ちなみに祖父や母もあって、”探偵小説の曾祖父”と言われるのがW・ゴドウィンのゴシック小説「ケイレブ・ウィリアムズ」で、”探偵小説の母”と呼称される作家がアンナ・キャサリン・グリーンである どこかの出版社が「リーヴェンワース事件」を新訳刊行してくれないかな |
No.261 | 7点 | 嘲笑う男- レイ・ラッセル | 2010/12/28 09:49 |
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発売中の早川ミステリマガジン2月号の特集は”PLAYBOYが輝いていた頃”
1953年創刊の『PLAYBOY』誌は成人向け娯楽雑誌だが、今だとサブカルチャー総合誌みたいな存在で、一般大衆向け文芸誌としての側面も持っていた 都会的で小洒落た小説が掲載され、『ニューヨーカー』誌のような存在だったらしい 雑誌『PLAYBOY』と聞くと私はどうしても1人の人物の名前を挙げずにはいられない その名はレイ・ラッセル 異色短篇作家レイ・ラッセルは『PLAYBOY』誌全盛期の編集長だった人物で、『PLAYBOY』が輝いていた1950~60年代は、丁度異色短篇作家の全盛期とも重なるのである 別名義なども用いて『PLAYBOY』誌はじめ他のSF雑誌などに短編を発表していたらしい 特に得意なのがアイデア一本勝負的な軽いショートショートで、例えばF・ブラウンなどよりも軽さを感じる レイ・ラッセルについてよく言われるのは、”アイデアだけ”、”内容に深みが無い”、”何でも書けるが器用貧乏”といった評価だ しかし3つのうち最初の2つの評価については私は賛成できない 決してアイデアだけでなく途中の技巧も素晴らしいもので、この早川の全集の中でも上手い方の部類の作家だと思う 内容も決して浅くは無く、なかなか文明批評的な面白さに満ちていて、軽いけれど表面的なだけではないのである ただし最後の”器用貧乏”という評価は残念ながらズバリ当たっている 技巧的な面では上手いのだが、結局その上手さが仇となって器用貧乏に陥っている感じなのだ この辺が他の異色短篇作家と比べて知名度で劣る要因になってしまったのだろう |
No.260 | 6点 | クッキング・ママのクリスマス- ダイアン・デヴィッドソン | 2010/12/24 09:48 |
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* 季節だからね(^_^;) *
グルメ系コージー派の代表的作家の1人 アメリカでは日頃からプロの料理人頼んでパーティーしてるのか、暇な奴らだぜ シリーズ第17作目、1作目の「クッキング・ママは名探偵」から随分と間をとばし過ぎてしまった やはりシリーズものは間を空けても5~6作までだな、10作以上もとぶと設定の変化に追いつけないや 特にこの作ではある登場人物絡みの部分については前作と前々作の2つは読んでおくべきだった、一応説明は入ってるけど 特に主役ゴルディの前夫の件については・・・ 謎解き面ではね、第1作はもう一つ面白味に欠けたが、この作ではかなり進歩していて犯人の設定など工夫が感じられた、謎解き的にはコージー派としては良く出来ていると思う ただコージー派の中では珍しくユーモアに乏しく暗くシリアス調なのは相変わらず 私はコージー派に特にはユーモアが必要条件とは思ってないからいいのだが、ユーモアを求める一部のコージー派ファンには好き嫌いが分かれるだろうな |
No.259 | 5点 | ママのクリスマス- ジェームズ・ヤッフェ | 2010/12/24 09:36 |
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* 季節だからね(^_^;) *
シリーズが長編に移ってからは初読み、噂には聞いていたが舞台はカリフォルニア州に変更され、職業も純然たる公務員の警察官から民間の弁護士付捜査員に、さらに妻シャーリイが亡くなっていて独身に・・ 多分、息子の新たなラヴロマンスを織り込んで長編向きに話を膨らませようとの意図もあるのかもしれないが、シャーリイが結構魅力的だったので、kanamoriさんのご指摘通り退場させたのは失敗でしょうね 新たなキャラである仕事上のボスは敏腕女性弁護士で、まぁ長編シリーズを開始した当時はキャリアウーマンを登場させる要望が出版エージェントからあったのかも知れないが、どうもこの手の人物を描くのがヤッフェは不得手な印象を受けるな でもママの造形は短編時代から変わってなくて、昔からのファンには一安心だろうか むしろ長編になって人物造形も深みを増し、人間ドラマ的要素の魅力が加わったのは良い方向に行った面もあると思う ただ今作だけなのかも知れないが、事件性も展開も真相も何となく平凡で、採点が5点止まりな理由の一旦 ところでヤッフェはユダヤ人作家だが、ユダヤ教とキリスト教との違いが少々分かって興味深かったな、両者は発生としては根は一つだが、長年の歴史的な対立経緯を感じさせる ユダヤ教徒にとってはクリスマスとは、関心の薄い異宗派の行事と映るんだな、キリスト教文化に対する皮肉がそこかしこに書かれているしね |
No.258 | 5点 | ポアロのクリスマス- アガサ・クリスティー | 2010/12/23 10:07 |
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* 季節だからね(^_^;) *
クリスティーと言うとクリスマスにちなんだ作品は多そうだが、単独の短編は除くと案外と題名にも付くのがこれと短編集『クリスマス・プディングの冒険』位なんだよな それにしてもだ、クリスティーは読者の視点を逸らすのが上手い作家だが、謎解き部分以外の面でも読者を煙に巻くんだな 長編では珍しく題名にクリスマスの文字を入れながら、内容的に全然クリスマスらしくなくて、クリスマス・ストーリーの定番である子供も殆ど出てこないし、超自然的な雰囲気を醸し出さず血生臭い事件にしている さてはわざと狙ったなクリスティー 狙ったと言えば、これどう見てもある仕掛けを前提に書かれていて、ミステリー作家ならば1度は使ってみたい設定だが、例えばクイーンにも作例がある しかしクイーンはこれをそのまま使うのが気が引けたと見えて少々アレンジして使っているのに対して、クリスティーの方が発表年的には後発なのに真っ向勝負で使っている それでも読者を騙せるのがクリスティーなんだろうけど、ただここまで直球勝負だと慣れた読者を騙すのは難しいかも 私もこれ読んだ時点ではある程度クリスティーは読んでいたので、いつもらしからぬポアロの登場のさせ方が不自然に思えて、あぁこれ狙っているなと早い段階で察しがついてしまった あと作者には珍しく密室トリックも使っているが、密室の基本的解法は状況からこれしかないだろ、と割と簡単に見破ってしまった ただ空さんが御指摘の後始末処理の上手さには同感 それだけクリスティーがフェアに書いているという事だろうけど、クイーンの方がすれからしな読者を想定しているということなんだろうか ポアロの推理は心理的だけど、私は”人間の性格”による推断だから駄目という風には思わない、心理は駄目で物的証拠に基づく推理だからミステリーとして価値があると決め付けるのは止めにしたいね そもそも心理的解法にならざるを得なかったのは、この作品が仕掛け優先で書かれているからだと思う、書評で意外性ばかりが採り上げられがちなのも当然でしょう |
No.257 | 6点 | 大聖堂は大騒ぎ- エドマンド・クリスピン | 2010/12/20 10:08 |
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一昨日、18日に創元文庫から「愛は血を流して横たわる」が刊行された
国書刊行会版からの文庫化だが、藤原編集室によると国書版の残り2冊も将来的には文庫化の含みを持たせていた 「愛は血を」と「白鳥の歌」の書評は既に書いたからもう1冊の書評も書いちゃおう 「大聖堂は大騒ぎ」はフェン教授シリーズでは初期の作である 後期作の「愛は血を流して横たわる」がトリックは小粒ながら端正な謎解きなど本格として良く纏まった万人向けの佳作だとすれば、「大聖堂」は派手なプロットと大胆不敵豪快なトリック炸裂に好き嫌いが分かれそうではある 「消えた玩具屋」と並んでファース色が強く、中でも有名なポーの大鴉の詩が絡む場面などは抱腹絶倒で、流石は英国教養派を代表する作家だよね 反面、背景にスパイ諜報活動が絡む面などは、本格にそういう要素が入り込むのを嫌う読者も居そうで、その手の読者にはシリーズの中では評価が下がるだろうな 私は本格派の動機面にスパイ要素が入ってきたって全然平気な読者で、動機に関して個人的な動機じゃ無ければ駄目という見方は視野を狭くすると思う むしろ元々がドタバタを持ち味とするクリスピンだし、さらに作者比でも特にドタバタ色が強いこの作にはスパイ要素も合っているんじゃないかと思った |
No.256 | 5点 | このミステリーがすごい!2011年版- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 | 2010/12/16 11:19 |
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文春ベストでも書かれていたが、今年度の翻訳ミステリーは例年にない豊作だそうだ
まぁ今回は常連作家の力作が揃ったのも一因かも、例年に比べて新人作家が上位にあまり入ってこなかったしね このミスで楽しみにしているのが例年の如く『我が社の隠し玉』 昨年一昨年と隠し玉コーナーは魅力に欠けたが、今回は『隠し玉』だけで攻めよう、順番は掲載順で 集英社: アイスランドにスウェーデンと今年は北欧ブームを各社画策しているのだろうか、おいおい ビョークだけがアイスランドじゃないんだな 国書刊行会: MWA評論賞受賞のヴァン・ダインの評伝が目玉か、小説の方はちょっと食指が動くのはないなぁ 新潮社: ジェフリー・アーチャーの新作一本勝負かいな、話題にはなるだろうけど 小学館: ここは地味でも意外と隠れて良い仕事するんだけど、今年はう~んちょっと魅力に乏しいな 武田RHジャパン: ランダムハウス講談社から名称変更、でもコージー系に強いのは相変わらず 昨年は上位ランキングには入って無くても11位以下では何作も入って結構健闘してるよね、コージーだけがRHじゃない感じだし 東京創元社: ここもアイスランドか、おいおい しかし一番創元らしいと思ったのがロマンス作家ジョーゼット・へイヤーのミステリー作品本邦初紹介で、こういう作家に目を付けるのが創元の良さだわな マクロイ「暗い鏡の中に」新訳は未読の人には朗報か 扶桑社: S・ハンターは年内刊行らしいが、来年はS・マルティニか、久し振りかも それより気になったのはトンプスン「おれの中の殺し屋」が映画化されるのか ヴィレッジブックス: ヴィレッジって殆ど読んでないんだよなぁ 講談社: 突出した話題作は無くても毎年安定している講談社 毎度御馴染コーンウェルにコナリーと今年も手堅いぞ講談社 それにノルウェーの作家って、おいおいお前もか講談社 論創社: 昨年は地味だったが今年はチェスタトンに四十面相クリークと動き出す予定か あとはN・ブレイクにクェンティン、たしかに両者にはまだ未訳作があるんだよな クェンティンは多分パズルシリーズの未訳分だろうな、ジョナサン・スタッグ名義のは原書房の方が手を出しそうだしね 文藝春秋: 昨年は予告倒れに終わった文春、きっとファンは怒ってるぞ、 で満を持して今年はS・キングにJ・エルロイ、さらにはディーヴァーのライムものと非シリーズの2冊、う~ん大物路線だな、文春恐るべし 原書房: 今やすっかり不可能犯罪系古典本格マニアの御用達出版社と化した感のある原書房 クリストファー・セント・ジョン・スプリッグにノーマン・ベロウ、いかにもこの手のマニアのリクエストにお応えしましたって感じだな でもベロウは中後期作ではなく最初期の作なのが良心的だ、逆に邪推するとベロウ作品を順次出していく方針なのだろうか 早川書房: スウェーデンにデンマークとまた北欧か、おいおい 驚いたのはあのトレヴェニアン「シブミ」の前日譚『サトリ』をあのウィンズロウが書いたんだってぇ 創元に比べて早川書房は埋もれた名品の発掘は苦手だが、こういう話題作を持ってくるのは名人級だな、いや決して皮肉じゃなくて誉め言葉でして 角川書店: ここも最近は地味だが頑張っているな、レへインのP&Aシリーズの新作だって、最近はノンシリーズしか書いてないのかと思ってた、このシリーズは未読なので旧作をいずれ読まねば あと早川でも話が出たウィンズロウの新シリーズにクイーンの新訳と、しばらく地味だった角川だが「犬の力」で力が出たか動きが活発に 以上、総じて北欧に手を出す出版社が目立った、1~2社だけじゃないから北欧ブームを狙っているんだろうか ちょっと余談だけど、隠し玉コーナーの最後に、国産ミステリーの海外への翻訳事情のミニコラムがある 「新宿鮫」「姑獲鳥」「容疑者X」あたりは直訳だけど 宮部「火車」=For All She Was Worth 伊坂「ゴールデンスランバー」=REMOTE CONTROL などは私は全て未読だから分からんけど既読の人から見たら妥当なんかしらね? |
No.255 | 3点 | ポンド氏の逆説- G・K・チェスタトン | 2010/12/09 09:58 |
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国書刊行会版だった「四人の申し分なき重罪人」がちくま文庫から文庫化されたようだ
「マンアライブ」などの長編は別枠とすると、今回の文庫化で短篇集に関しては大部分が文庫で読める状況になったという事だな、唯一ハードカバー版で残ったのが「ホーン・フィッシャーの事件簿」か 「ポンド氏の逆説」は刊行順としては結構作者晩年の後期作で、言わば作者得意の逆説を追求していった究極のものとも受け取れる 「ポンド氏」は内容を要約すると、会話の途中で目立たないポンド氏がふと逆説に満ちた一言を漏らす 不思議に思った周りの聞き手が矛盾したその一言の意味を問い質すと、ポンド氏が真相を語って聞かせるというパターンである 要約だけ聞くと面白そうだが、私にはどうも合わなかった 何故かと言うと、これは謎を解くという性質のものではなく、要は一見矛盾した逆説が、このような特殊状況下では成立するんですよ、という具体例を挙げたに過ぎない そりゃそんな都合の良い状況を無理矢理に設定すれば成立するよなという感じで、私は謎解きだけを求める読者では無いがあまり乗れなかった 何て言うのかねぇ、最初に提示される命題は面白いが、結局は命題に合わせた作り話を延々聞かされた印象なんだよなぁ チェスタトンには例えば「木曜の男」みたいなもっと破天荒で捻くれた思想性を期待してしまうせいもあるのかも知れないが |
No.254 | 5点 | 週刊文春 2010年12月9日号- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 | 2010/12/07 10:00 |
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毎年恒例の、まぁランキングってこうした雑誌の中の1コラムとしてやる位が丁度良いんだろうね
他にミステリー関連の記事だと、”役者ピーター・フォークと刑事コロンボ”に関する小林信彦のコラムが有った位か ”ムック”とはマガジンとブックとを組合わせた造語であり、「このミス」とかはムックであってマガジンではないので純粋には”雑誌”ではない ただ売り方が雑誌コーナーの棚に並んでたり季刊だったりで、雑誌的性格も帯びてるだけで、内容的には単行本である その点「文春」は週刊誌だから紛れもなく雑誌である 今年度の特徴は一言で言えば常連が強かったという事だ ディーヴァー、オコンネル、T・H・クック、S・ウォーターズ、ウィンズロウなどはもちろんだが、1位のジョン・ハートや5位のボストン・テランも常連というほどでは無いが過去のランキング経験者だ ジョン・ハートは「川は静かに流れ」、ボストン・テランは「神の銃弾」で過去に上位ランキングしており、けっして一発屋ではなかったという事だな、機会があったら読んでみたいな 常連組の中ではM・コナリーが12位と残念ながらベストテンに入れず、ネット上での評判は良いのにね もう一つの特徴は、紹介文を読む限りでは、重厚で読み応えのあるものが大勢を占めた感じで、例えば昨年度のスウィアジンスキーみたいな”変なモノ”を書く作家が殆ど入ってない 今回の顔触れが決して地味だとは思わないが、例年に比べて全体的にちょっとシリアスで”お堅い”印象なのは確かだ J・リッチーの「カーデュラ探偵社」もぎりぎり20位、既読短編が多く含まれてたせいもあるのかな 余談だが”こちらもぜひ”という囲み記事の中で、田中芳樹氏がP・マクドナルド「Xに対する逮捕状」を挙げているが、これは対象外なのでは? H・マクロイ「殺すものと殺されるもの」だと過去に翻訳はあっても完全なる新訳なのでルール上はOKだが、「Xに対する逮捕状」は訳はそのままでハードカバー版を文庫化しただけなので、単純な出版形態の変更は対象外だったはず、まぁ田中氏はただ参考に挙げただけなんだろうけど |
No.253 | 7点 | リアルでクールな殺し屋- チェスター・ハイムズ | 2010/12/02 09:51 |
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発売中の早川ミステリマガジン1月号の特集は、”相棒 特命係へようこそ”
そこで”相棒”にちなんだ書評を二つほど、2冊目はこれ シリーズ第1作「イマベルへの愛」は面白しれぇが、ちょっと話の焦点が散らばっていて棺桶と墓掘りの相棒同士が充分に主役を張ってない弱点があったが、こっちの作では堂々の主役だし纏まりの良さはあるぜ 今回は棺桶が職務停止になってしまい、墓掘りが単独捜査だぜ でも終盤には棺桶にも見せ場を作ってやったり、コンビ愛が泣けるぜ 棺桶エドと墓掘りジョーンズのコンビは最高だぜ 裏話をするとミステリマガジンの特集を計算してこの作品の書評なう、を狙ってたんだが先を越されるとは思わなかったぜ 流石はkanamoriさん、見事なタイムリーだぜ |
No.252 | 6点 | 被害者のV- ローレンス・トリート | 2010/11/24 09:59 |
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明日25日発売予定の早川ミステリマガジン1月号の特集は、”相棒 特命係へようこそ”
そこで”相棒”にちなんだ書評を二つほど、1冊目はこれ 1950年代は警察小説の時代であり、トマス・ウォルシュ、ヒラリー・ウォー、ベン・ベンスンなどが次々に登場しマクベインで頂点に達した これら警察小説の嚆矢がローレンス・トリートで、この第1作が出たのは1940年代後半だけにトリートこそ警察小説の直系の先駆者なのである 先駆と言えば、題名にアルファベットを用いる手法もスー・グラフトンに先行しているのだ 鑑識という分野に新しい風を吹き込むジャブと、叩き上げの実務派刑事ミッチが良いコンビとなっている ウォーの初期名作「愚か者の祈り」にもトリートのこの作品の影響が見られると思う この当時はミステリーに科学的捜査法を持ち込みだした時代で、科学捜査が進歩した現代の視点からは批判はいくらでも出来ようが、40~50年代はそういう手法が流行した時代である事を考慮する必要がある 現代では科学捜査が発達し過ぎた為、ミステリーには組み込み難くかえって面白さを阻害する要因にもなる場合があるが、この時代の警察小説には新風となっていたのである |
No.251 | 10点 | 世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]- 事典・ガイド | 2010/11/19 09:51 |
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他の某サイトの掲示板にて、”本格以外はミステリーじゃないだろ”みたいな馬鹿げた書き込みを見た事があるが、ミステリーという言葉は本格派のみを指す言葉ではない
数学的に言えば本格=ミステリーではなくて”本格⊂ミステリー”である という事で本格派篇の姉妹篇であるこちらも書評しておこう この姉妹篇では本格派篇とは大きく違う要素が2つある 1つ目は、本格派篇では森英俊氏が個々の作家の解説を全て書いているのに対して、こちらは森氏が全体の監修はしてはいるが、複数の評論者による共同作業でありジャンルによって執筆担当者が違う 森氏は、”本格以外だと探偵役がはっきりしている警察小説が好き、逆に登場人物に感情移入が必要なサスペンス小説は苦手”と何かで書いているのを読んだ記憶がある 言われてみると過去のこのミスの投票で、森氏はイアン・ランキンなどの警察小説を結構投票してきた、やはり好きみたい この事典でもマクベインなど警察小説の多くは森氏自身が解説を担当している 警察小説以外のジャンルは概ね他の執筆者に担当を任せているが、サスペンス小説でもラインハートやエバハートなどの所謂H.I.B.K派は森氏が担当している H.I.B.K派は従来から誤解を招き易いジャンルだったので、森氏も説明の要有りという判断なのかも知れない 2つ目は本格派篇に比べると載ってる総作家数が絞り込まれてる 本格派にもジョン・ロードのような多作家は居るが、何たってこちらにはシムノンやミステリー史上最多作作家とも言われるジョン・クリーシーなどが含まれているので、書誌的著作リストなど資料部分にかなりのページ数が割かれてしまい、マイナー作家まで掲載しきれなかった事情が有る 特に割を食った感じなのは通俗B級ハードボイルドの分野で、ぎりぎりリチャード・S・プラザー程度は掲載されているが、流石にヘンリー・ケインやマイクル・アヴァロンあたりまでは手が回らなかったようだ 余談だが、通俗ハードボイルドまで手を出す論創社がリチャード・S・プラザーは刊行したのはこの事典に一応載ってたからなんだろうか? ただ本書は本格しか読まない読者と、本格以外も読む読者とでは、価値観に差が出てしまうのが残念なところ 私はこの姉妹篇も本格派篇に劣らぬ同等の価値が有ると思うのだが ところでもう一つ本格派篇との差異は未紹介作家が殆ど掲載が無い事で、当然ながら未訳作品の紹介も少ない 私は未訳作に特別に興味は無いな、むしろ過去に邦訳刊行されながら絶版などで埋もれている作品の再評価の方が興味がある 未訳作をわざわざ原文で読まなければその作家について知る事が出来ない訳でもないだろう、未紹介作家ならともかく既訳作品が2~3作でもあれば凡その見当は付く そもそも原文で読まなくても作家について解説で知る事が出来る、その為にこういう作家事典があるんだろうに、でなけりゃ作家事典の存在意義が無いではないか(笑) 好きな作家の未訳作まで読みたいという動機ではなくて、単にその作家について知りたいだけの目的なら作家事典さえあれば原文で読む必要も無かろう |
No.250 | 10点 | 世界ミステリ作家事典 [本格派篇]- 事典・ガイド | 2010/11/15 10:11 |
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この事典により、なぜ海外ものは原文で読む必要性を痛感しなければならないのか全く理解出来ない
この事典が契機となって、国書刊行会、原書房、論創社、長崎出版、河出書房などから次々刊行された経緯を考えれば、我々読者側は翻訳されたものを素直に読めばいいのである さて本題に入ろう、この事典の肝は本書の基本方針に言及した森氏の序文にあり、特に3ページ目に注目だ 例を挙げよう、解説が1人1ページ程度な作家も居るが一般的メジャー作家の項目には当然ながらページ数が多く割かれている カー:7ページ クイーン:10ページ クリスティ:10ページ と言った具合である(解説のみで書誌的著作リストの部分は除く) これに対し、海外では一定の評価があり、本来はもっと早く日本に紹介されるべき作家だったのに、乱歩時代の嗜好なのか不当に無視されてきたり、アリンガムやイネスのように誤解されてきた作家達には意図的にページ数が多く割かれているのに気付く、例えば マージェリー・アリンガム:6ページ マイケル・イネス:7ページ レックス・スタウト:6ページ ナイオ・マーシュ:3ページ グラディス・ミッチェル:3ページ ジョン・ロード:5ページ あと古典作家だがオースチン・フリーマン:6ページ などである これらの作家達は従来の作家人名事典ではあっさりした紹介しかされてこなかった作家達である スタウトだけはアメリカ作家だが日本では人気が無かった カーですら7ページなのに、イネスが同ページ数 ドイルですらほぼ3ページ位なのに、同期のライヴァルであるフリーマンには倍の6ページも費やして解説しているのだ この事典の性格や狙いが良く分かるではないか つまり今更分かりきった作家よりも、従来無視されていた作家を重点的に光を当てようとの意図が見て取れる アリンガム、イネス、ミッチェル、フリーマンらが一時期次々に訳されたのも、この事典の影響なのは明らかである その他にもセイヤーズ:7ページ、バークリー:8ページなどもこだわりを感じる 逆に面白いのは、日本では従来から翻訳に恵まれてきたが海外における重要度が低い作家には気合が入ってない事で、例えば仏作家のステーマンは酷評してるしヴァン・ダインは3ページ、海外では忘れ去られた存在なのに日本だけで異常なマニア人気があるロジャー・スカーレットに至ってはたった2ページしかなくて、しかも解説も冷めた雰囲気である 古い作家だけでなく現代作家にも目を向けており、特にエリス・ピーターズ:5ページ、ポール・ドハティ:3ページなどには、日本では従来人気になり難かった歴史ミステリーへの誘いという意味もあるのだろう もっともポール・ドハティはいざ紹介されると期待外れだったが(苦笑) アン・クリーヴスやジル・マゴーンなどと並び称される未紹介のグェンドリン・バトラー:3ページ、男性作家だとデイヴィッド・ウィリアムズなどは解説にも熱気があり、翻訳が期待されるところだ 未紹介と言えば黄金時代や戦後の本格作家にも未だ未紹介のままの作家が何人か居り、メアリー・フィット、ナイジェル・フィッツジェラルドなどもどこぞの出版社が翻訳して欲しいものだ 特に未紹介のまま残った最後の大物フィービ・アトウッド・テイラーは、黄金時代後期に活躍し海外選出の里程標にも名前が載っており最優先で紹介して欲しい作家である |
No.249 | 1点 | 邪悪の家- アガサ・クリスティー | 2010/11/12 09:59 |
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私が読んだクリスティ作品中で最も駄作だと思ったのがこれだ
いやこれがさぁ初期の1920年代の作だってぇのならまだ情状酌量の余地はあるんだよ 1932年作って事はさ、つまり作者が軌道に乗ってきた言わば脂が乗り始めた頃の作なのだ もっともカーとか他の作家でもね、不調時期なら仕方ないがその全盛期において、傑作群の中にポツリと駄作書いちゃう場合も結構あるからね 「邪悪の家」がまず酷いのは犯人の隠し方がメチャ下手糞な事で、まるで初心者用テキストかと思う位だ この犯人が分からなかった読者はそれこそ自分の頭の回転の鈍さを疑った方がいいんじゃねぇの?って位バレバレ 「葬儀を終えて」レベルになると初心者が見抜けなかったとしても、そりゃ作者が上手いせいで読者側の頭が悪いわけじゃないよと慰められるが 他の要素もクリスティの悪い面が全面的に出てしまったようで、薄っぺらな登場人物とこれも下手なミスディレクションといい、およそ誉める要素がまるで見当たらない 話は変わるが、クリスティ作品の邦訳題名は、早川=英版、創元=米版に準拠している場合が多いが、この作は創元版の方が英版の原題通りなんだよな、なぜなんだろう 私は英国作家のものは英版準拠の題名で読みたいので、普段は早川版で読むんだけど、これは英版準拠の創元文庫版「エンドハウスの怪事件」の方で読んだ |