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[ 社会派 ] 聖者の行進 伊集院大介のクリスマス 伊集院大介シリーズ |
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栗本薫 | 出版月: 2004年12月 | 平均: 4.33点 | 書評数: 3件 |
講談社 2004年12月 |
講談社 2007年11月 |
No.3 | 2点 | ボナンザ | 2024/09/01 21:02 |
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作者も惰性で書いていそうだし、私も惰性で読んでいる。 |
No.2 | 6点 | おっさん | 2022/12/25 12:26 |
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ネットの「クリスマスにまつわるミステリ」というワードから、まっさきに連想したのがコレだったりする。
もっといいミステリは、ドイルにもクリスティーにも横溝正史にも……他にいくらでもあるのにね。でも、自分に嘘はつけない。 というわけで―― 「なんか、ここんとこ、変なのよ、うち」。 名探偵・伊集院大介が親しくする、レズビアンの姉御・藤島樹(ふじしま・いつき)が経営するバーに、師走のある日、かつて彼女がホストとして勤めていた、ゲイ・クラブの名物ママが突然、訪ねて来て旧交を温め、店にまつわる悩み話をして帰ったあと……クリスマスに自身の店で変死体となり、樹と大介に発見されることになる本書(2004)は、ミステリとしての出来不出来を超えて、筆者にとって、心に焼き付いて離れない、いわば偏愛の一冊なのです。 『絃の聖域』(1980)に始まる伊集院大介シリーズは、おおざっぱにいって、怪人シリウスが暗躍する(そして大介の伝記作者だったはずの森カオルが、ワンオブゼムに降格してしまう)『天狼星』(1986)以前と以後で、前期・後期に分けられると思いますが、作者の筆力とミステリのクオリティのバランスがとれ、安定していた前期(短編集『伊集院大介の冒険』(1984)は、その格好のショーケース)に比べると、そのどちらもが失速していく後期は、ネット社会の事件を描いた『仮面舞踏会』(1995)という例外的な傑作(と、作者の着物趣味がスパークした力作『女郎蜘蛛』(2005)かな)を除けば、まあファン以外、読む必要はありません。 本書も然り。 「ジョーママはそれこそ六尺ゆたかもいいところ、180はゆうにこえる背丈と、150kgではきかないかもしれない、相撲取りなみの体格を誇る、かつては青山六本木で一番有名なおカマの一人だった」と描写される被害者を、いかにして首吊り自殺に偽装して殺害できたのか(あわわ、ネタバラシかw)というハウダニットの部分などは、砂上の楼閣で、ちゃんとした“本格”に馴れている人には、「おいおいおい」かもしれません。 にもかかわらず。 ミステリのクオリティの劣化は否定できないにもかかわらず、作者の筆力が、奇跡的に、一時的にではあるにしても、戻ってきていることに、筆者は胸を揺さぶられます。 語り手を務める、五十路を超えた男装の麗人・藤島樹。彼女は、『魔女のソナタ』(1995)で脇役として初登場し、『水曜日のジゴロ』(2002)でメインに抜擢されたキャラクターで、作者が自身を重ね合わせていたのは、ほぼ間違いありません(若き日の自身の投影が、『優しい密室』(1981)の、女子高生時代の森カオルであったように)。それがあってか、キャラの立ちかたが半端でなく、その一人語りは、切なく、しかし力強く、魅力的です。 そして、伊集院大介の謎解きのあと、タイトルのもとになったディキシーランド・ジャズの名曲「聖者の行進」の歌詞に載せて、樹の脳裏を、死んでいった者たちの、そしてやがて自分も続くことになるであろう、陽気な葬列のイメージがよぎり、消えていくラスト・シーンは、これぞ栗本薫。 「(……)落ちてくるひそやかな闇と静けさのなかで、わたしはそっと、ジョーママにむかってつぶやいた。メリー・クリスマス」。 ああ、ミステリ以外の部分は満点だw |
No.1 | 5点 | 空 | 2019/12/23 23:22 |
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ジャンルを何にしようか困った作品でした。伊集院大介シリーズの1冊ということでまず思い浮かぶ本格派としては、あまりに弱いのです。最後の真相解説は、読者にも示されていた伏線を基にした推理にはなっていず、今まで実はこんな調査をやっていたということが説明されるだけです。
というわけで、こんな考え方もありかなと思った社会派という分類ですが、反対される方も多いと思います。 もちろん松本清張のような企業や官僚組織の腐敗等にメスを入れていくという意味の社会派では全くありません。小さなレズ・バーの経営者である藤島樹の一人称形式で語られる本作は、彼女―いや、本人にしてみれば「彼」と呼んでもらいたいかもしれませんが、樹の生き方や、事件の舞台となるゲイバーの思い出などを語るのが主体となっていると言っていいほどです。そのようなバブル時代の同性愛社会を描いた作品という意味で。 |