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[ SF/ファンタジー ] タイムマシン |
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ハーバート・ジョージ・ウェルズ | 出版月: 1962年01月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 3件 |
早川書房 1962年01月 |
東京創元社 1965年12月 |
岩波書店 2000年11月 |
角川書店 2002年06月 |
光文社 2012年04月 |
No.3 | 7点 | Tetchy | 2021/10/31 00:40 |
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創元SF文庫版で読了。
H・G・ウェルズの短編集である本書は上に書いたように今なお『ドラえもん』などで登場するタイム・マシンなどに代表される今では一般的になったSFのコンテンツの原点が溢れている。 しかしタイムマシンだけでなく、藤子不二雄氏は間違いなくウェルズ作品を読んでいたと本書を読んで確信した。それほど本書にはドラえもんに通ずる源泉が流れている。 まず何といってもタイム・マシンだ。ドラえもんの話は野比家の貧困の原因となったのび太のだらしなさを改善するために22世紀の未来からやってきたという設定だ。つまりこのタイム・マシンがなければそもそも国民的漫画となったドラえもんの話は始まられないのである。 そして私が藤子不二雄氏が確実にウェルズのこの作品を読んでいると確信したのは、本書の主人公タイム・トラヴェラーの発明したタイム・マシンがレバーを倒す方向で未来と過去に行けるという設定を読んだ時だ。これはドラえもんのタイムマシンと全く同じ操作方法だ。 また「塀についたドア」ではもしかして藤子不二雄氏はこの作品からどこでもドアを想像したのではないだろうか? ウェルズが想像した楽園へのドアがやがて絶望に明け暮れる男を死出の旅へと発つドアにしたのに反し、藤子不二雄氏は誰もが欲しがるどこでもドアを着想したとしたら、優しさ以外何物でもない。 「奇跡を起こせる男」は色々な物を次々と出せたり、変化させたりすることからまさにふしぎ道具を次から次へと出すドラえもんを想起させる。しかし最後の、取り返しのつかない状況全てを無に帰する読後感から『ジョジョの奇妙な冒険』の第6部ストーンオーシャンの結末を思い浮かべてしまった。 絶滅種の怪鳥を孵化することに成功する「イーピヨルニスの島」は『のび太の恐竜』を想起させるし、「水晶の卵」で水晶から垣間見える有翼人の世界も劇場版ドラえもんの『のび太と翼の勇者たち』の元ネタではないかと思われる。ただしウェルズの描く有翼人はグロテスク。翼は魚の肌のような艶があり、放射状に出た曲線状の骨で直線的に折り畳むことができる。さらに彼らの口の下には物を掴む触手のようなものがついているのだ。つまり通常有翼人と云えば鳥をモチーフにしているのだが、ウェルズはどちらかと云えば昆虫ぽい。 このように並べただけでもいかにウェルズ作品と藤子不二雄作品、とりわけドラえもんとの親和性が高いことが云えるだろう。 ただし両者の間に決定的な違いがあるのは藤子不二雄氏の作品は夢を描いているのに対し、ウェルズは社会を斜めに見て風刺しているところだ。 「塀についたドア」は語り手だけに見えるドアで彼は小学校の頃にドアを見つけ、後で友人たちに見せようとしたが、消え失せてしまったために嘘つき呼ばわりされてしまう。幼き頃にそのドアを開け、楽園に行った彼は再びその夢のような世界に行く欲求に駆られるが、その後も人生の局面でドアが現れるたびに彼は現実世界で直面すべき出来事を優先し、次第にドアを見かけても何とも思わなくなってくる。しかし彼が再びドアに関心を向けるのは何もすることがない時だ。そして彼は最後、求めていたドアと思い、誤って工事現場の万能塀に設えたドアを求めていたドアと勘違いして工事現場に立ち入り、深い縦穴に落ち込んで亡くなってしまう。彼のどこでもドアは即ちあの世の楽園へのドアだったのだ。彼が幼き頃に開けた時、まだ来るのは早いと追い返されたのだ。 人生の節目で見向きもしなかったのは今そこにやるべきことがあったからだ。もしやるべきことがなくなった時、人は絶望して死に向かう。これは人生に見捨てられた人物の自殺願望を描いた作品と読み取れる。そう藤子不二雄氏がどこにでも行ける夢のようなドアを描いたのに対し、ウェルズが描いたのは死への扉だった。 「奇跡をおこせる男」は奇跡を起こせる男が望んだのはそんな能力など必要のない、普通の暮らしだ。そして面白いことに我々人類は一度1896年11月10日に滅亡したことになっており、今は奇跡を起こした男によって再生した人生であると、とんでもない設定をしてくる。 これはまさにウェルズ心の叫びか。高度経済成長を迎えたウェルズの胸に去来したのはどんな無なのか。彼は一度全てをリセットしたかったからこそ、実害のないこのような話を書いたのだろうか。 「ダイヤモンド製造家」と「タイム・マシン」の両方にはある共通点がある。これはまた後ほど述べることにしよう。 「イーピヨルニスの島」はウェルズの皮肉が存分に詰まった作品だ。 絶滅した鳥イーピヨルニスの卵を孵化させることに成功した私はこの雛を育てるが、ダチョウにも似たこの巨大な鳥はやがて主人を侮り、攻撃し始める。閉じられた狭い無人島で逆転するペットと飼い主の主従関係を痛烈に皮肉っている。『ロビンソン・クルーソー』が無人島生活で相棒のフライデーと楽しい生活を繰り広げたのに対し、この作品では日々狭い無人島での怪鳥との生きるか死ぬかの戦いが描かれている。つまりウェルズはあくまで現実主義者なのだ。 「水晶の卵」も火星人の生活を垣間見える水晶玉を持ち、誰にも売り渡そうとしなかった古物商の主人はやがて火星人との対話を試みるが、突然その水晶玉を握ったまま絶命しているのが発見される。しかし火星人の生活が見れる唯一の水晶の玉を家族は大金で売れることを知っていたために即売り飛ばしてしまう。まさに物の価値とは解る者にとっては宝物になるが、知らないものにとっては単に売り物にしかならないという痛烈な皮肉に満ちている。 そして最後表題作の「タイム・マシン」は特に皮肉に満ちている。 まず主人公が行き着く未来では人類は地上で豊かな生活を送るエロイと深い穴の奥の地底で暮らすモーロック2種類に分かれている。 豊かな生活を送る地上人エロイは地底人モーロックを支配する階級かと思えばさほどではなく、むしろ逆に地底人が地上人を自分たちの食糧にするために飼っている家畜だと判明する。この富裕層があくまでも支配層ではなく、むしろ被捕食者である逆転の発想はまたもや痛烈な皮肉であるとともに何ともグロテスクな話だ。 また主人公が命からがら未来から戻って来て話した話をギャラリーたちは信じようとしない。これは「ダイヤモンド製造家」でもそうだが、我々の理想とする機械が完成してもそれが突拍子もない代物で聴者の想像力のはるか上に行く場合は誰も信じようとしないという現実の厳しさが語られる。 そして主人公が究極的な先の未来ではもはや人類は死に絶え、カニの化け物のような生物が襲い掛かってくる荒廃した地だけが続く。つまり明るい未来などありはしないと暗に痛烈に見せつける。 このようにウェルズは決して彼のアイデアで生み出した夢のような設定を夢として終わらず、常に斜めに物事を見たシニカルな考えでもって眺め、そして悲劇として幕を閉じるのだ。 タイム・マシンでは未来から持ち帰った花が本物であるにも関わらず、全面否定され、彼は突如タイム・マシンに乗って旅立つ。その後彼は二度と戻ってこない。自由自在にお好みの時間を航行するマシンで戻ってこないということは行った先の未来でタイム・マシンが壊れ、帰れなくなったためか、もしくは行った先の時代で彼が亡くなってしまったかだ。 つまりウェルズこそは自身の奔放な想像力で生み出したアイデアが実現しないことを願った作家であろう。なんとシニカルな作家だ。 19世紀末、このような未来の機械や不思議の世界を描くことはどんなのだったろうか。もしかしてウェルズは自分が創作したこれらの道具が将来実現すると思ったのではないか。日進月歩の発展を遂げる産業の進歩を見てウェルズはこのままだと自分が描いた機械の数々はいずれ必ず登場するだろう。だからこそ夢ばかりでなく、厳しい現実を書いておく必要があると断固たる決意で臨んだのではないだろうか。 今回はウェルズの世間に対する皮肉が存分に混じっており、なんとも苦い後味だ。 もし藤子不二雄氏がドラえもんを著さなかったら、つまりウェルズ作品をモチーフにした人気作品が発表されなかったら、本書は今ではすでに絶版になり、人々の記憶からも忘れ去られていったのではないか。 |
No.2 | 8点 | 斎藤警部 | 2017/05/26 00:28 |
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有名過ぎて最早手に取らないようなジャンル草創期の超古典も、何かの機会にいざ読んでみたらガッツリ満足面白い、って事はままある。本作もその典型。やっぱ完成度も高い挑戦作ってのは輝きを失わない(ホームズやビートルズの様に)。 歴史に残るどころか歴史を作る奴はコアが違うね! 今は無い近所のディスカウント屋で買った50円の創元古本も想い出。 |
No.1 | 6点 | 臣 | 2017/03/09 13:53 |
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初めて読みました。
空想科学小説というよりも、未来の地球を舞台とした冒険物語という感じでしょうか。時間旅行モノの元祖作品です。 舞台は80万年後の世界。そこには今の地球人の子孫たちが暮らしています。 知能は劣るが穏やかなイーロイ人、地底に住む賢いが獰猛なモーロック人の2人種。 彼らに接した主人公の独白が印象的です。 「人類の知性が描いた夢はいかにも儚かった。人類は自殺を遂げたと言うしかない」 たしかにショックですね。 でもそのうちの一人と仲良くなります。 冒険物語はいかに終末を迎えるか? 翻訳が良いのか、文章が素晴らしい。 短すぎてあっけなさはあるし、ミステリーとして読めばかなりイマイチですが、けっこう楽しめました。 自分が書くなら、こうしたらいいのに、ああしたらいいのに、というのも多くありましたね。 |