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[ SF/ファンタジー ] 解放された世界 |
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ハーバート・ジョージ・ウェルズ | 出版月: 不明 | 平均: 4.00点 | 書評数: 1件 |
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岩波書店 1997年08月 |
No.1 | 4点 | Tetchy | 2024/10/15 00:26 |
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最も感想の書きにくい小説だ。本書の概要には思想小説と書かれているが、これは小説ではなく大説だろう。
本書は1914年にウェルズが発表した作品だが、原子力爆弾が初めて使用された1939年に勃発した第2次大戦と、その後原子力を新たなエネルギーとして利用した社会も予見した小説として歴史的に評価されているが、私としてはその事実だけで延々と作家ウェルズの思想が開陳されるのを読まされるという思いが強かった。 そんな原子力が使用される世界をウェルズは自らの思想を交えながら、フレデリック・バーネットという1人の青年の半生を通じて描く。このバーネットが著した『放浪時代』という自伝的小説を繙くような形でそれらが語られる。 原子力の発明より原子力爆弾を生み出した各国は戦争を始める。 廃墟になったパリやロンドンが描写され、また原爆を投下されたオランダの護岸堤防が破壊されて国中が海水によって浸食される様が描かれる。そしてその渦中にバーネットがおり、浸水した艀の中で浸入した海水によって溺れるオランダ人と家々の残骸を目の当たりにし、世界の終わりだと意識する。そしてこのような戦争は起こしてはならないと決心するのだ。 そんな原子力爆弾を各国が所持して世界戦争に突入する様が描かれる。なんと現実の被爆国である日本でも中国と共闘し、ロシアを襲撃してモスクワを破壊するのだ。そして余勢を買って今度は日本がアメリカのサンフランシスコに原爆を落とそうとするのだ。それをアメリカ軍が迎え撃ち、撃墜された爆撃機が海中で原爆を爆発させる。この辺の描写はその後の歴史を知っている者にしてみれば何とも皮肉な内容である。 そんな世界から戦争を根絶しようとヨーロッパの王国の青年君主エグバート王が世界を一つの国に統合しようと動き始める。 実はこれは1920年に発足した国際連盟という考え方である。しかしウェルズはどうもこの国際連盟を嫌っていたと書かれている。それはその基となった彼の提案した国際連盟案を骨抜きにしたような中味だったからだ。 産業革命によってもたらされた科学の進歩がそれまで科学を得体のしれない魔術だと恐れていた人々の生活と思想を変え、本来人々の暮らしを良くしていくための科学が悪用され、エゴむき出しの指導者―本書ではドイツのビスマルクがやり玉に挙がっている―によって戦争の道具になった。原子力爆弾はその究極だと論じられている。 それはこの科学技術によって便利になった現代社会でどれだけの人間が宗教に向き合っているかという信仰の希薄さをまさに予見している。 人類は人間の想像力や理解を超えた事象を神の奇跡や怒りだとして畏れ敬ってきた。それが今ではほとんど科学理論によって証明されつつある。つまりそれは暗闇に包まれていた神の領域を科学という道具でどんどん明るくしていっている行為である。 原子力爆弾という当時の最先端科学技術によって生み出された究極兵器によって世界の終末の姿と世界各国が向かうべき方向性を見出した本書が最後の最後に宗教家の死で結ばれるのは、科学技術の発展が信仰の死を意味しているように思えて何とも胸の中に何とも云えない負の要素を残して片付かないでいる自分がいる。 今なお我々は原子力という諸刃の剣である新エネルギーを使いこなせないでいる。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故に1999年に起きた東海村臨界事故、そして2011年に起きた東日本大震災による原発事故と幾度か人類の危機を迎えるような事故を引き起こしている。それはやはりウェルズが警鐘を鳴らしたように、原子力エネルギーというものが人類の制御できない発明であり、我々が開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのではないだろうか。 そして今日本は原発廃止派と反対派の両派に別れている。そう今なおウェルズの鳴らした警鐘の呪縛から逃れられていないのだ。 果たして我々の世界はいつウェルズの呪縛から解放されるのだろうか? |