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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1603件

プロフィール| 書評

No.1063 5点 トーキョー・バビロン
馳星周
(2013/05/26 08:52登録)
ギラギラしている4人が手を組んで大金を奪おうと画策するが、そんな欲望だけで集まった絆は脆く、分け前を4等分することが気に食わない。従って受け取る金額を増やそうと顔では嗤い、心の中では蹴落としてやろうと企んでいる。
馳作品の特徴は人生崖っぷちの人間が現状から逃げ出すためにギリギリの極限状態で這いずり回り、挙句の果てには周囲を巻き込みながらカタストロフィの穴に落ち込み、屍を築いていくという展開だが、今回は疲弊し、将来に不安を抱えていた者が出逢うことで運命が好転するという意外な方向を見せる。

警察に利用され、やくざに脅され、能無しの会長に無理難題を突き付けられ、挙句には趣味のギャンブルで借金を積み重ねている負の螺旋に陥った男小久保が酒が飲めなくなって得意先が次々とライバルのホステスに獲られていくホステス柳町美和と出逢うことで運気が上向いていくのだ。
小久保はギャンブルに勝ちだすようになり、美和は小久保が上客となって売上げ№1に返り咲く。
やがて美和はうだつの上がらない中年オヤジにしか見えなかった小久保に愛しみを感じ、二人で組んで宮前と稗田を出し抜こうと提案する。さらに会社の冴えない苦情処理係だった小久保も次第に頭の切れを見せ始め、2人のコンゲームの宿敵に成り上がっていく。
この辺の流れを見ると、美和は男を見る目がある女であり、さらに小久保にとって“あげまん”の女だったのだ。本書ではこの美和の存在が実に際立って面白い。

そしていつしか2人を応援する自分に気が付く。会社と警察とやくざの狭間でペコペコ頭を下げては神経をすり減らしていた中間管理職と落ち目だったが男を手玉に取ったら百戦錬磨のホステスのコンビがゲームの勝者になるのを知らず知らずに応援したくなってくるのだ。下衆ばかりが出てくる世界で窮地を乗り越えようとする主人公も下衆な物語だから、全く共感も出来なかったが、今回は別。馳作品でこんな気持ちになったは初めてだ。

この展開は今までの馳作品にはない展開だったので、ハッピーエンドを期待したのだが、やっぱりそれは望むべくもなかった。
予定調和なんて存在しないとばっさり切り捨てる。それが作者の持ち味なのだが、やはり物語だからこそたまにはハッピーエンドを体験してカタルシスを感じたいのだ。

作者が自分の作風に執着するあまり、新機軸を描けなくなっている。馳氏が作家になった動機が自分が読みたい物語がないから自分で書くことにしたというのは有名だが、そのこだわりゆえに同じ話を読まされている気がする。本当にこんな話ばかり作者は読みたいのだろうか?


No.1062 7点 タナーと謎のナチ老人
ローレンス・ブロック
(2013/05/21 18:02登録)
タナーが今回訪れるのはまだ国が統一されていたチェコスロバキア。そこでネオ・ナチ信奉者たちのシンボル的存在であるヤノス・コタセックなる人物を救出し、彼の持つファイルを入手するのが彼の今回の任務。しかし入国する前に警察に捕まりそうになる。前作でもトルコの入国審査でいきなり逮捕されたタナーだったが、彼は目的地に着くことが大きな障害であり、パターンとなっているようだ。

しかもタイトルにもなっているヤノス・コタセック老人はユダヤ人を嫌悪し、有色人種を蔑視する唾棄すべき男。行く先々の国々でその国の民族をこき下ろし、毒を吐きまくる(何かにつけていちゃもんをつけずにいられないこんな人いるなぁ)。
任務とは云え、そんな男を連れて国を渡っていくのはタナーには辛いものだ。自分を偽ってコセタック老人をなだめすがめつしながら自身を時にはネオ・ナチ信奉者として、旅先の国では協力を得るために反ファシストの革命家を演ずる。でもこれは我々社会人も同じこと。相手に対してその都度対応を変え、時には自分を曝け出し、時には自分を偽っておもねなければならない。タナーの悲哀はそのまま我々の悲哀だ。

しかし数々の危難を乗り越えるタナーの持ち味は機転がすぐ回る頭の良さや不眠症を長所にして体得した数ヶ国語を操る語学力もそうだが、やはり一番の強みは人脈の広さ、つまりコネである。
各国の団体、過激派グループ、狂信者グループの会員となり、逢ったこともない相手と親密になるほどの交流をしているタナーのコネの強さだろう。この武器を存分に活かしてタナーは老人を連れてチェコスロバキアからハンガリー、ユーゴスラビアからギリシアへ、そして最終目的地のリスボンへと移動できたのだ。

しかしユーモアで包まれたスパイ物だが、結末はなぜかシリアス。この辺の思い切りの良さというか冷酷さはフリーマントルのチャーリーに一種通ずるものを感じた。

前作は怪盗物という先入観が邪魔をして混乱の中、読み終えてしまい、存分に愉しめなかったが本作では眠れないスパイの物語であることがあらかじめ分かっていたので物語に没入できた。従って前作より本書の方が評価は上なのだが、本書以降シリーズは訳出されていない。『このミス』にもランクインされなかったので売り上げもさほどではなかったのかもしれない。しかし2作目を読んで非常に続きが気になるシリーズである思いを強くした。おまけに現在本書は絶版でもある。ブロック再燃の今、どうにか3作目の訳出が成されることを祈って感想を終えたい。


No.1061 7点 ミニ・ミステリ傑作選
アンソロジー(海外編集者)
(2013/05/19 11:33登録)
全67編。1日1編という縛りでじっくり読むことにした本書だが、流石にこれだけ集まれば玉石混交な印象はぬぐえない。しかしその中にも光る物はあり、個人的にはスティーヴ・アレンの「ハリウッド式殺人法」、ロバート・ブロックの「生きている腕輪」、ロード・ダンセイニの「演説」、フィリップ・マクドナルドの「信用第一」、アレグザンダー・ウールコットの「Rien Ne Va Plus」、ヴィクター・カニングの「壁の中へ」、クリストファー・モーリイの「ダヴ・ダルセットの明察」、作者不詳の「絶妙な弁護」、ギイ・ド・モーパッサンの「正義の費用」、ローガン・クレンデニングの「アダムとイヴ失踪事件」、マージェリー・アリンガムの「見えないドア」、エドマンド・クリスピンの「川べりの犯罪」、ベン・ヘクトの「シカゴの夜」、O・ヘンリーの「二十年後」が良作と感じた。

またミステリプロパーの作家たちのみならず、マーク・トウェインやモーパッサンなど純文学作家、大衆作家からの作品も網羅している。さらには医学博士の手による作品すらもある。まさにクイーンの収集範囲の広範さを思い知らされるアンソロジー。

たった10ページ前後でミステリが成立するかと半信半疑だったが、なかなかどうして。立派にミステリしていた。


No.1060 7点 ゲームの名は誘拐
東野圭吾
(2013/05/15 20:28登録)
シチュエーションの妙とそれを実現させるためのキャスティングの冴え。狂言誘拐を成立させるためにヘッドハンティングされた凄腕のプランナーを犯人としたところに東野圭吾の着想の素晴らしさがある。
その主人公佐久間駿介の人物像を最初のわずか4ページで一人称叙述で読者の心に自然と理解させる東野氏の上手さには全く舌を巻く。

さらにこの小説がすごいのは狂言誘拐が成功裏に終わった後からだ。東野氏は予想不可能な展開で読者の鼻づらをグルングルンと引っ張りまわす。255ページ以降はまさにそのような感覚だった。

誘拐物の傑作、例えば『大誘拐』に代表されるように犯人の意図が解らずに捜査陣と読者が翻弄されるという展開があるが、本書は逆に犯人側が被害者側に翻弄されるという実に面白い反転がなされる。よくもまあこんなことを思いつくなぁと作者の着想の素晴らしさに今回も感嘆してしまった。


No.1059 8点 2013本格ミステリ・ベスト10
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2013/05/13 21:44登録)
あれ?誰も採点していない。
本格ミステリファンの多いこのサイトの投稿者が一人も感想を書いていないとは意外だ。

正直本家の『このミス』よりも内容充実度で愉しませてくれるこのムック。
注目のランキングは法月綸太郎の『キングを探せ』が1位となった。寡作ながらもクオリティの高い本格ミステリを紡ぐ法月氏はもはや出せば1位の感が強くなった。今年は早くも新作『ノックス・マシン』が上梓され、ミステリマガジンの四半期ベスト選出でも一席に選ばれている。もしかしたら今年のランキングも制し、二連覇を果たすかもしれない。
続く2位はこれまた寡作家の大山誠一郎の『密室収集家』。この作家の作品は光文社文庫主催の公募式ミステリアンソロジー、本格推理シリーズで読んだ記憶があるが、あまり琴線に触れるものではなかったので正直あまり注目はしていないがロジックに特化した作風が本格ミステリファンには好評らしい。先日本格ミステリ大賞を受賞したばかりでどうやら有名有実の作品のようだ。
3位は新本格の象徴的存在綾辻行人の『奇面館の殺人』がランクイン。
4位はもはや常連、いや優勝候補の三津田信三の『幽女の如き怨むもの』が占めた。もはやその実力は折り紙つき。短編集でさえランクインするというのは実はすごいことで今の本格ミステリファンが新作を待望する作家の1人としての地位は確立されたと云っていいだろう。
5位は鮎川賞受賞作の『体育館の殺人』が選ばれた。これは正直意外。ロジックを褒め称える声は聞こえていたものの、やはり若書きゆえの脇の甘さがあるとのことだったので5位と云う上位に食い込むとは思えなかった。やはり本格ミステリランキングは推理「小説」よりも「推理」小説が重んじられていることか。
6位以下は有栖川氏、天祢氏、島田氏、芦辺氏、初野氏と続いた。
11位以下は山田正紀氏、山口雅也氏、井上夢人氏らベテランに加え、中堅の北山猛邦氏の作品、そして新人の高野氏、長沢氏、市井氏、深木氏の作品が並ぶ。その中で異色なのは時代小説からの参入である幡大介氏の『猫間地獄のわらべ歌』だ。『このミス』でもランクインした同著だが、この作者の作品が今後のミステリシーンにどうか関わっていくが見どころか。

さてその他のコンテンツについてだが正直通例通りの内容で目新しい所がなかったのが残念だ。特に近年は本格短編ミステリオールタイムベストの選出、0年代の海外本格ミステリオールタイムベストの選出とミステリ読者が歓喜に身悶えする好企画が続いていただけに目玉企画がなかったことが残念である。

本書の存続こそがこれからの本格ミステリの隆盛を支える草の根的活動となるので、探偵小説研究会諸氏の志の高さに敬意を証して、年末の刊行を愉しみにしたい。


No.1058 7点 運命の倒置法
バーバラ・ヴァイン
(2013/05/12 14:14登録)
止まっていた時間が動き出す。10年半前、若い彼らが過ごしたウィーヴィス・ホールで起きた出来事。それは関係者だけの胸に秘め、隠蔽して墓場まで持っていこうと誓った忌まわしい記憶だったが、現在の家主が亡くなったペットを埋葬しようとしたことから文字通り秘密が掘り出される。そして事件は再び動き出す。
その事件そのものが何なのか、なかなか作者は詳らかにしようとしない。解っているのは若い女性と赤ん坊の物と思われる白骨体が掘り出されたことだ。まあこの手の話には常套手段であるから仕方は無いのだが、無論の事ながらそれは決して表に出すべき事柄ではなく、人の生き死にが関わった件であろうことは容易に推察できる。

そんな災厄の種に怯えながらしかし、彼らは過去を覗き見るのだ。自分たちが10年前にウィーヴィス・ホールに居た事実を知る、当時出逢った、出くわした人物たちに思いを馳せながら、敢えて彼らが覚えているか訪ねたりもするのだ。それは怖いもの見たさという心境なのだろうか?いやそうではない。若かった彼らが貧しいなりに一つの屋敷で過ごした時間が今や家庭を持ち、夢よりも現実を知らされる日常に辟易している現状をぶち壊してほしいと心の奥底で願っているからではないだろうか?

過去の汚点である人骨の発生から物語はアダムとルーファスの当時の回想を中心にゼロ時間に向かっての経緯をじっくり語っていく。
通常古式ゆかしい屋敷から身元不明の白骨体が現れるというショッキングな導入部から警察の捜査と当時の関係者たちの動向が描かれるのが定石なのだが、本書では全く警察側からの捜査の状況が描かれない。当事者たちの現代の生活と事件発生当時の状況が事細かに書かれ、捜査の進捗に戦々恐々とする登場人物の姿のみが描かれるだけなのだ。これは本書のテーマが誰もが犯す若いときの過ちにあるからだろうか。誰もが一生悔いの残る行動や思いをした経験があるだろう。それらはしかし大人になり、日々の雑事に忙殺され、結婚、出産といった人生のステージに上がるうちに忘れられていくが、それがある事件で思い出されたのが本書の登場人物たちだ。アダムたちが金のない中で若者たちが一堂に集い、共同生活を始めたことで巻き起こった2人の死。ほろ苦いというにはあまりに過酷な過ちに対し、護る者の出来た彼らの行動はしかし若いときの行動力には程遠く、そっと静かにしてもらうよう息を潜めて様子を窺うのみだ。若い頃の彼らと現代の彼らの対比がかつての日々を眩しく思わせ、なんだか寂しくなってしまった。

そして最初の悲劇が起こった時、ぞわっとした。それまでアダムが愛娘に対して文字通り溺愛し、ちょっとしたことで何か起こったのではないかと心惑わすのは娘に対してこの上ない愛情を注ぐ父親の姿がちょっと極端な方向に針が触れただけで特段おかしなこととは思ってはいなかったが、381ページで明らかになる赤ん坊の死体の真相―乳児突然死―を知ったことでアダムの取り乱しようの原因が解ったからだ。この、実に何気ない普通の人の振る舞いと思わされたことにこんなトラウマが潜んでいたことを実にさりげなく知らされるレンデル=ヴァインの物語の上手さ。この陰湿さはこの作家ならではだ(誉めてるんです)。


No.1057 8点 黄金の13/現代篇
アンソロジー(海外編集者)
(2013/05/03 23:00登録)
エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン誌上で1945年から1956年までの12年間で年1回行われたミステリ短編コンテストで選出された短編を集めたまさに珠玉のアンソロジー。つまりその年の“トップ・オヴ・ザ・トップス”というわけだ。これは期待が高まるのも無理はない。

その公募はアメリカ本土のみならず、世界中に向けて発信されており、ヨーロッパはもとよりオセアニア、アジア圏から毎年多数の応募があったらしい。そして毎年送られてくる800前後の短編の中からのベスト・オヴ・ベストを選ぶ作業の厳しさと大変さも書かれているが、正直このような極限状態ではもはや正当な判断が出来なくなり、ちょっと変わった物が珠玉の輝きを放ち出す。
またエラリイ・クイーンが選出に関わっているとは云え、本書に収録されている作品はロジックやトリックが優れているというわけではなく、むしろ人間ドラマとしてのミステリが非常に多いと感じた。どちらかと云えばキャラクターの設定の妙や選者たちにとって未知の世界への好奇心、またそれぞれの作者が放つ隠れたメッセージの強さといったミステリ以外のプラスアルファが含まれている作品が傾向として選ばれているように思えた。

これらの作品が選ばれたのは1945年から1956年の12年間と5年後の1961年。つまりこの頃のクイーン作品と云えばライツヴィル物の『フォックス家の殺人』から『クイーン警視自身の事件』、そして1961年は1958年の『最後の一撃』の後、2年の沈黙を経て代作者によって発表された『二百万ドルの死者』に至る。まさに作品の傾向はパズラーから人の心へと踏み込んだロジック、探偵存在の意義について問い続けた頃に合致する。それ故選ばれた作品は上に書いたように物語の強さを感じる物ばかりなのかと得心した。

本書における個人的ベストはH・F・ハードの「名探偵、合衆国大統領」、シャーロット・アームストロングの「敵」、ロイ・ヴィガーズの「二重像」、スタンリイ・エリンの「決断の時」、A・H・Z・カーの「黒い小猫」。特に後半に行けばいくほどその充実ぶり、内容の濃さと行間から立ち上る凄みのような物が感じられる作品が多く、尻上がりで評価は高くなった。

正直クイーンのアンソロジーには期待値だけが高く、肩透かしを食らうことが多かった。増してや本書には「黄金」という仰々しい煽り文句が冠せられるため、一層身構えるような気持ちで臨んだが、予想に反して実に濃い作品が選出された粒揃いの作品が多かったのは嬉しい誤算だった。

また本書に収められた作品の中には現在入手困難な物もあるし、既にミステリ史に埋没してしまった傑作もある(特に「名探偵、合衆国大統領」)。そんな埋もれつつある傑作・佳作を現代に遺す歴史的価値も含めて評価したい。


No.1056 5点 バトル・ロワイアル
高見広春
(2013/04/24 23:54登録)
当時角川ホラー大賞に応募し、最終候補まで残るものの、審査員の不評を買い、落選したところを太田出版にて出版され、大いに話題になり、映画化もされた曰くつきの作品、とここまでの事情を知らない人はあまりいないだろう。その後映画はパート2も作られ、そのノヴェライズは杉江松恋氏の手によってなされた。つまり本書の作者高見広春氏による作品はこの作品のみ。

キャラクターそれぞれは個性があるものの、正直云って非常に稚拙だ。本当に素人が書いた文章で、話、設定ともに実にマンガ的。いや文字で書いた漫画を読まされているような気になる。

本書のように複数の人が限定された場所で殺し合いをするという小説は他にもある。例えば稲見一良氏の『ソー・ザップ』などがその典型だが、味わいは全く違う。『ソー・ザップ』には最強の名を賭けて戦う男の矜持や美学が盛り込まれていた。しかし本書では単なるゲームとしての殺し合いとしか捉えられない。それはやはり中学生が殺し合うという設定と国が率先して教育の一環として行っているという胸のムカつくような荒唐無稽さにあるのだろう。
恐らく作者自身もそれには自覚的で「やるならとことんB級で」といった気概も感じられる。それに乗れるか乗れないかで本書の感想や物語への没入度は全く異なるだろう。

しかし話題先行型だが本書のような作品が100万部も売れたとは、刊行された1999年とはまさに世紀末だったのだなぁ。いや世紀末だからこそこのような退廃的な作品が受けたのかもしれない。まさに時代の仇花として象徴的な作品だ。


No.1055 4点 楽園の眠り
馳星周
(2013/04/12 23:39登録)
馳星周版『マイン』。一人の幼児を巡って一人の女子高生と一人の警察官が追いつ追われつの攻防を繰り広げる。
更に本書は馳作品初の刑事を主人公とした作品でもある。しかしやはり暗黒小説の雄、馳星周はただの刑事を主役にしない。悪徳警官と想像するのはたやすいが、主人公友定伸は妻に逃げられた就学前の幼い息子を持つ男で、わが子を虐待することに喜びを感じながら、それが発覚しないように恐れているというとんでもない刑事なのだ。
そしてもう1人の登場人物、女子高生の大原妙子は鹿児島出身で柔道をやっていた父親から抑圧と暴力を受け育った女子高生。一刻も早く家を飛び出したいと思っている。
そんな妙子と友定の息子雄介が出遭い、2人で暮らそうと逃げ始める。その失踪した息子を友定が捜すというのがこの物語だ。

つまり馳氏が刑事を主人公にしたのは悪徳警官物を書くわけでもなく、正義を司る刑事という職業の人間が児童を虐待しているというインパクトと児童虐待を知られないようにわが子を取り戻そうと奔走する男の物語を書くのに最も強い動機付けとして刑事と云う職業を選んだに過ぎない。どこまで逃げても追いかけてくる友定を警察官に設定することでわずかな手掛かりから痕跡を辿る術を心得ている人物となっており、それが故に全編に亘って繰り広げられる逃亡劇がジェットコースターサスペンスとなっているのだ。

今まで闇社会を舞台に物語を紡いできた馳氏にとって児童虐待と云う今日的な社会問題を主軸に警察官と女子高生と云う我々の生活圏に近い人々の物語を書いた本書は新たな挑戦だと云えよう。しかし相も変わらず何とも読後感の悪い作品だ。
読む前から後味の悪さを約束されたような作品。この前に読んだのが子供と親との絆を描いた『時生』だったこともあり、嫌悪感しか残らない作品だった。


No.1054 6点 快盗タナーは眠らない
ローレンス・ブロック
(2013/04/07 13:25登録)
快盗タナーが狙うのは女友達(恋人未満かな)の祖先がトルコのある家に隠した大量のソブリン金貨。しかしトルコで国外追放の目にあったタナーはアメリカへの強制送還の途中で立ち寄ったアイルランドで逃げ出し、一路トルコへ向かうというのが粗筋だが、その道中にはある謎の人物から機密文書を託されたり、ユーゴスラビアの属国の革命に参加させられたりと内容はスパイ小説のそれ。

つまりこれは快盗物と見せかけて実はエスピオナージュだったというのがブロックの狙いだったのだが、先入観というのは恐ろしく、題名にある「快盗」の文字が作品世界への没頭を妨げてしまった。「何か想像していたのと違うなぁ」と終始思いながら、最後に唐突に現れる謎の組織とタナーのやり取りに面食らってしまい、なんとも消化不良な読後感となった。

題名というのは全く諸刃の剣だ。題名がミスディレクションとなって「ああ、そうだったのか!」と見事に騙された思いにさせられるのもあれば、最後に題名のもう一つの意味が解ってカタルシスを感じたりもする。しかし今回は全く逆に働いた(原題にも“Thief”とあり、実に忠実な題名だから訳者のせいではないのだが)。

しかし個人的には現在忙しい日々を送っていて、読書の時間を取れるのでさえ困難な今、24時間全く眠らないエヴァン・タナーが実に羨ましく思った。


No.1053 6点 トキオ
東野圭吾
(2013/04/02 23:51登録)
まさに若き命を喪おうとする息子が過去にタイムスリップして若き日の父をある運命へと導くお話だ。

しかしなんだかいつもの東野作品のような淀みのない展開ではなく、読んでいてとても居心地の悪い思いがした。恐らくそれは主人公の宮本拓実、つまりトキオの父親の性格にあるのだろう。

物語の冒頭で語られる時生の誕生までの物語はなんとも重い話で、子供を産んでもそれが息子ならば20代になる前に死んでしまう奇病に侵されてしまうという明らかに不幸な道のりがあるのに、あえて茨の道を進む父親の決意と息子に対する思いやりや献身が語られるのだが、タイムスリップしてトキオが対面する若き宮本拓実は短気ですぐに暴力を振るい、しかも何事も長続きせず、しかも原因が自分の性格にあるのに環境や他人のせいにしてわが身を省みないという何とも器の小さい男として語られる。この現在と過去のイメージギャップがなんともすわりの悪さを感じさせるし、まず主人公として共感できない男であることが大きな原因だろう。

そんな宮本拓実が失踪した元恋人の早瀬千鶴の跡を追うのだが、それが行き当たりばったりで、しかもトキオのアドバイスを聞かずに進めようとする。この流れに淀みを感じて、強引に力業で物語を進めているように感じられるのだ。

今回はどこか東野が“泣ける物語”を狙ったのが露骨すぎてあまり愉しめなかった。


No.1052 7点 偽りと死のバラッド
ルース・レンデル
(2013/03/24 13:55登録)
1973年の本書はキングスマーカムという田舎町でロックフェスティバルが催されるというシーンから始まる。1969年に開催され、今や伝説となっているウッドストックからブームになった。レンデルが本書でも扱っているぐらいだから当時の熱狂ぶりは凄かったのだろう。

今回の事件はそのロックフェスティバルが開催されている会場で最終日に顔を潰された女性の死体が発見されるというもの。フェスティバルの乱痴気騒ぎの中で殺された者かと思いきや、それが始まる前に殺されたことが判明するが、被害者ドーン・ストーナーは服を二種類持っており、また死ぬ直前に誰かと食べるためと思われる食材を買い込んでいた。しかもドーンはフェスティバルの出演者ジーノと知り合いだった。この一見何でもないような殺人事件だが、犯行当時の状況にどうにも説明のつかないところがあるという違和感が実にレンデルらしい。
この奇妙な事実と被害者とフェスティバルの出演者との奇妙な繋がりから事件の謎が綻び、全容が浮かんでくる。

本書における犯人は実は物語の5/6辺りで突然犯人による自供によって判明する。しかし本書におけるメインの謎は犯人は誰かではなく、なぜ被害者は殺されるに至ったかというプロセスにある。

実は事件の関係者の人間関係を知った時、あまりに狭い関係性に偶然に過ぎるのではないかと思った。しかし最後ウェクスフォードが物語の最後に述べる台詞のための設定なのだと納得した。
これはレンデルから世の大衆に向けての痛切なメッセージなのだ。当時ヴェトナム戦争、欧米とソ連との一触即発の緊張関係など荒んでいた政情に反発した民衆が音楽で世の中が変えられると信じ、ロックスターをアイコンにして運動を起こしていた。しかしそのアイコンたちはラヴ・アンド・ピースを叫びながら、実はそれを食い物にし、アイコンに群がるファンたちを弄び、金儲けしていたという事実。君たちの信じる者は所詮虚栄に過ぎないのだという警句を本書で投げかけている。
本書が1973年に発表されたことを考慮して初めて本書が当時書かれた意義が解る(とはいえ、本書を読み終えた後に冒頭の献辞を読むと母から子への痛烈なメッセージにも取れて苦笑してしまうが)。


No.1051 5点 長恨歌 不夜城完結編
馳星周
(2013/03/19 19:10登録)
鮮烈なデビュー作となった『不夜城』も『鎮魂歌』を経て3部作と云う形で本書を以て完結を迎える。足掛け8年に亘っての完結だ。

作中でも書かれているように、新宿を生きる中国系マフィアの状況も劉健一がしがない故買屋だった頃からは様変わりしている。北京、上海、台湾といった大きな勢力が組織だって抗争を繰り広げていた頃とは違い、東北や福建から流れてきた連中が4,5人集まっては犯罪を犯し、また方々へ散っていく。
そして劉健一も2作目からさらにその得体の知れなさに拍車がかかる。全てを見通すかのように部屋に籠っては情報を集め、彼に関わる人たちの過去を、秘密を暴いていく。物語の前面に出るわけではなく、あくまで影の存在として情報を操作し、人を、いや物語を操る。

概ね馳氏の主人公にはかつて愛した女を喪った過去を持つ。それは汚れてしまった現在の自分が生まれることになった愛と云う純粋なものを信じていた時代から訣別を意味するのだろう。ある者は人生から転落し、ちんけなチンピラになってしまい、ある者は愛を捨てることで成り上がった者もいる。しかし共通するのは汚れてしまった人間になってしまったということだ。馳作品の主人公は過去の女性への喪失感がトラウマになっていることが多い。

相変わらず裏切りと血と暴力の物語で救いがないのだが、今までの諸作とは明らかに変わっているところがある。
まず必ずと云っていいほど織り込まれていた過剰なセックス描写が本作では全くないことだ。ヒロインは必ず複数のやくざに凌辱され、薬漬けにされ廃人と化す。物語の初めに美しく、そしてしたたかな女として描写され、物語の中で血肉を得られた頃に、いきなり公衆便所のように男たちの性欲処理の対象まで貶められるのが今までの馳作品における女性の扱い方だった。しかし本書ではヒロイン役である藍文慈の扱いは全く違うものになっている。

『不夜城』シリーズは劉健一の物語。だからこそ完結編である本書で劉の始末をつける必要があったのだ。しかしそこにはいわゆるシリーズの結末が着いたことで得られるカタルシスや爽快感はない。劉健一という人物が最後の最後まで報われない存在だったことを思い知らされるだけだ。これほど救いのないシリーズも珍しい。

通常何もかも喪った人が再生もしくは復活するというのが小説の題材であり、また主題となるが、馳氏は何もかも喪った人がさらに堕ちていく様を容赦なく描いていく。それは異国で生活する下層社会の人間の厳しい現実を知るからかもしれない。しかしそれでも小説と云う作り物の中では希望のある話を読みたいものだ。こう考える私は馳作品を読むべき人間ではないかもしれない。


No.1050 7点 緑のハートをもつ女
ローレンス・ブロック
(2013/03/14 23:42登録)
主要登場人物わずかに4人。詐欺師コンビのダグとジョン、カモにされる男ガンダーマンと2人の協力者でガンダーマンの秘書のエヴィ。こんな少人数で繰り広げられる詐欺と云う名のコン・ゲームが実に面白い。さながらクウェンティン・タランティーノの映画を観ているかのようだ。

題名にあるようにこの物語の中心は女性、つまりエヴィになるのだが、250ページまでエヴィの悪女ぶりは全く解らない。むしろエヴィは初めて大がかりな詐欺を手伝う危うげな女性として描かれている。しかし改めて題名を見るとやはりこれは悪女の物語なのだと気付かされる。

しかし私は一方でエヴィが陰の主役でありながらも、これは一度人生を諦め、ささやかな夢に賭けたジョン・ヘイドンという元詐欺師の再生の物語だと思わざるを得ない。本書は彼の中に眠っていた詐欺師の血が再燃する物語なのだ。

ただ1965年の作品だからか、架空の会社を設立してまで行う一大詐欺作戦の割には想定する報酬が7万ドルと実に低いのが終始気になった。当時の貨幣価値に換算すると、7,700万円相当の価値があるようだ。う~ん、それでも微妙な数字ではあるが。


No.1049 7点 カーテンが降りて
ルース・レンデル
(2013/03/10 19:26登録)
レンデル特有の悪意が詰まった短編集。

彼女の持ち味は人間がわずかに抱く悪意や不満といった負の感情が次第に肥大していき、あるきっかけがもとになって悲劇を招くことが非常に自然な形で読者の頭に染み込んでいくような丹念な物事の積み重ねにある。
本書でもそれは健在だが、短編と云う決められたページ数のためか扱われる内容は実に我々の生活の身の回りの出来事であることが多い。
やたらとモテる友人への嫉妬心、解雇した部下への苦手意識、潔癖症、独身生活を続けたゆえに生まれた独善的な思考、誰かに愛されていないと生きていられない女、夫婦の不仲、厭世的な人間嫌い、苦労を厭い、できれば身内に面倒を押付けたいという願望。それらは誰もが周囲に該当する人間であり、もしくは自分の理解を超えた存在ではなく、どこかに必ずいる、ちょっと変わった人たちだ。みな何かに不満を持ちながら、それでも生きているのが現状であり、何もかもに満たされ、毎日が安定して幸せな生活を送っている人たちなどほとんどいないだろう。従ってレンデルの作品に登場する人物は不思議なお隣さんの生活を覗き見するような趣があり、時にそれはリアルすぎて生活臭さえ感じられるほどだ。

本書に収録されている物語の結末は全てが数学を解くかのように割り切れるような内容ではなく、何かの余りを残してその後を想像させるものが多い。それがこの作家の、人間というものに対しての思いなのだろう。だからこそここに出てくる人物たちが作者の掌上で操られているのではなく、自らの意志で行動しているように感じてしまう。作者はそんな彼らに事件と云うきっかけを与えているだけ。そんな風に感じてしまうほど彼らの行動や出来事の成り行きが自然なのだ。

読めば読むほどレンデルの人間観察眼の奥深さを知らされることになる。だからこそ訳出が途絶えたことが残念でならない。どの出版社でもいいのでレンデル=ヴァインの作品を再び刊行してくれることを切に願っている。


No.1048 7点 レイクサイド
東野圭吾
(2013/03/06 21:36登録)
人を殺そうが子供の受験の方が大事、そのためならば死体の処分なぞ何のその、と子供の将来を思う気持ちが強いばかりに生まれる歪んだエゴが渦巻く物語となった。
そのエゴを引き立てるのは、それぞれの夫妻が何がしかの陰湿な感情を持っている点だ。他人の妻に色目を使う夫やみんなで私立中学への合格を目指そうといいながら、塾講師の言葉に過敏に反応し、人の息子より自分の息子の合格を願う本音、中学受験を疑問視する親を危険視し、詭弁を弄して説得を重ねる者など東野特有の人間の嫌らしさが物語には横溢する。

同じ年の子供を持つ親といっても年齢は30代から40代後半までと幅広く、その中には妻への愛情は薄れ、人妻に明らさまな興味の目を向ける者がいるなど、どこか淫靡な香りが漂う。
その淫靡さは実は物語の謎の中心だったことが最後には判明する。
子供のために、という旗印の下で何が正常で何が異常なのかわからなくなっていく夫婦たち。

結局、一同協力して犯罪を隠蔽しようとしたことが異常な心理ではなかったことがたった1つの事実で納得がいく。異常から正常への見事な反転。

さほどボリュームのある作品ではないが、最後は子を持つ親として考えさせられるところがあった。


No.1047 6点 心地よく秘密めいた場所
エラリイ・クイーン
(2013/03/03 19:58登録)
クイーン最後の長編。
その最後の作品は殺意の芽生えから殺人に至るまでを女性の妊娠に擬えている。最後の長編でありながら、新たな生命の誕生に章立てが成されているとは云いようのない歪みを感じる。

後期及び最後期のクイーンの作品では、あるテーマに基づいた奇妙な符合を見出して事件の異様さを引き立てる構成が多く採られているが、クイーン最後の長編の本書では、インポーチュナ産業コングロマリットの創始者である、物語の中心人物ニーノ・インポーチュナの人生そして彼の殺害事件後に届く奇妙なメッセージに全て数字の9を絡めているのだ。その絡め方はそれまでのクイーン作品の趣向以上の情報量の多さを誇る。特に171ページ以降は9に纏わる逸話やエピソードのオンパレードである。
そしてまた9は一桁の最後の数字でもある。すなわち本書がシリーズ最後の作品であることを暗に仄めかしていると考えるのは果たして穿ちすぎだろうか?

そして最後の作品のトリックとして用いられたのはなんとそれまで刊行されたクイーン自身の作品群!
まさかこのために作者=探偵という設定を用いたわけではないだろうが、このような着想を考え付くこと自体、恐ろしい。

だからこそ最後の真犯人の登場が唐突過ぎて非常にもったいない。
最後の作品もロジックで終始し、犯人逮捕の決め手となる証拠が欠けている。やはりクイーンは最後までロジックに淫した本格ミステリ作家だったのだ。

しかしタイトルの意味は果たして何を指すのか?最後に登場する真犯人が大金をせしめて優雅に暮らそうとした場所だったのか?それともバージニアとピーターが誰彼憚ることなく2人きりでいられる場所のことだろうか?もしくは作者クイーンが本書を脱稿した際に思い至った境地を指すのか?


No.1046 5点 このミステリーがすごい!2013年版
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2013/02/28 21:09登録)
最近内容も紙質も低調気味な『このミス』だが、今回も例に漏れず購入。
さて注目のランキングはやはり昨年は横山秀夫復活の年だったということだ。なんせ7年ぶりの新作。体調も崩していたと聞いていたので個人的にはもう作家生活は無理では…と勝手に思っていたが、見事復活し、復帰作が第1位という快挙を成し遂げた。『このミス』で1位を2回獲得したのは船戸与一、髙村薫、東野圭吾3人だけだったが、ここに横山秀夫が並んだことになる。2回1位を獲得した作家の中でデビューして最も短いキャリアの作家かと思ったら、髙村薫がデビュー後8年で最も若かった(横山氏はデビュー14年目)。改めて高村氏は凄かったことがこれで解る。

さて海外の方は『解錠師』が2位に約70点差をつけ、ダントツの1位となった。これは実に意外。てっきり『湿地』が来るのかと思った。続いてデイヴィッド・ピースの『占領都市』、久々復活のトゥロー『無罪』、そして『湿地』が続いた。5位は光文社古典新訳文庫からデュレンマットの『失脚/巫女の死』がランクインしたのは実に驚いた。

しかしもっとも嬉しかったのはマット・スカダーシリーズ最新作をひっさげてローレンス・ブロックが復活のランクインを果たしたことだ。本書でも初来日したブロックと伊坂氏、訳者の田口氏との鼎談が特集され、さらに翻訳ミステリー大賞シンジケートでもブロック再評価、更にミステリマガジンでもブロック特集が組まれたりと気運が高まっているのでここは一挙に復刊してほしいものだ(二見書房さん、早川書房さん、頼みます!)。

あとジャンル別に注目作が挙げられているコラムが収録されているなど、ミステリファンの、ミステリファンによる、ミステリファンのためのランキングムックであったかつての『このミス』の内容を髣髴させたが、まだまだ浅薄になっているのは否めない(特に紙質が悪すぎる)。


No.1045 8点 ハサミ男
殊能将之
(2013/02/25 21:30登録)
何を書いてもネタバレになりそうなので、逆にここではネタバレ感想を書かせてもらう。


実にミステリの定型を裏切った物語だ。探偵役が連続殺人鬼であり、しかも真犯人は警察。結末ではハサミ男が生きながらえ、世間には実に収まりの良い真相がフェイクストーリーとしてまかり通る。そしてタイトルの『ハサミ男』。実に企みに満ちた作品だ。

あの真相は実に基本的な叙述トリックながら、実に簡単に騙されてしまった。ただ納得いかないのはハサミ男=安永知夏が美人と表現されており、一人称叙述では自分のことを太っていると云っている記述だ。
これについては以下の2つが考えられる。

1つ目は体格はデブであっても容姿は美人である。
2つ目は大概の女性は均整がとれた身体をしていても太っていると気にしてダイエットに励んでいる傾向にある。従ってデブだと思っているのはハサミ男自身の捉え方に過ぎないというもの。

恐らく女性心理としては2が一番近いのだろう。でもやっぱりアンフェア感はぬぐえない。

しかしこういうしたたかなテイストは大好きなので他の作品も大いに期待!


No.1044 3点 クラッシュ
馳星周
(2013/02/19 23:00登録)
各編どれも相変わらず救いがない。ほとんどの作品が物語をほっぽり出して唐突に終わる。歯切れの悪い読後感が残され、自分の中でどう収拾つけたらよいのか解らないと云ったところ。

語られるのは渋谷のギャルの自己本位な生活、一昔前のチーマーを想起させる新宿に跋扈するギャングスターたちの抗争の一幕、ヤクの売人が家出少女を捕まえて借金返済の金蔓にしようと働かす悪知恵、分不相応のお水の世界に足を踏み入れたばかりに人間関係に疲弊する女子大生、家庭不和の環境に育ち、学校にも行かず麻薬と暴力、強姦に明け暮れるやさぐれた少年の日々、その日暮らしの日雇い労働者が陥った最悪の一日、売れないホストとマレーシア女性との交流、ジャニーズ顔と美しい指で女に貢がせながら金を車につぎ込む走り屋、と今まさにどこかに実在しているであろう人々の話だ。

そんな人々の話を馳氏は勢いと衝動に任せて筆を奔らせているように感じる。したがって物語の中には起承転結がないものがある。いやほとんどの作品が起承転結がないといってよかろう。本書に収められている物語は過去から未来まで続いていく彼らの生活のワンシーンを切り取って我々読者に見せているだけといった趣が感じられる。
しかしこれほど読後感が悪い短編集も珍しい。この前に編まれた短編集『古惑仔』にも増して救いがない、いやむしろ物語の結末をつけること自体放棄した感が強まったように感じられる。

本当に何も残らない短編集だ。

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