Tetchyさんの登録情報 | |
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平均点:6.73点 | 書評数:1614件 |
No.1074 | 7点 | 葬列 小川勝己 |
(2013/07/22 23:02登録) 小川勝己氏が横溝正史賞を射止め、その年の『このミス』でも第位にランクインした鮮烈なデビュー作がこれ。現在の奥田英郎作品の『邪魔』、『無理』のような、社会の底辺で貧困にあえぐ下層社会の人々が一世一代の大勝負に出るピカレスク小説だ。 葬列。そのタイトル通り、死屍累々の山が築き上がる。その有様は実に壮絶。これは宴である。狂乱の宴だ。性格破綻者の小市民たちとやくざとの抗争と云う名の宴だ。 史郎、明日美、しのぶ、渚の4人組がいよいよ九條の別荘に乗り込む420ページからの約40ページは新人の作品とは思えないほどの勢いと迫力に満ちている。息を呑んでページを繰る手が止まらない自分がいたことを正直に白状しよう。 さてやくざが絡む大金を巡る下流社会の人々の抗争と云えば馳作品を想起させるが小川作品と馳作品とではテイストが全く異なる。馳氏の物語は人間の卑しいどす黒い負の衝動を物語が進むにつれて肥大させ、それが破裂して破滅の道を辿るという、終始暗いムードが漂うが、小川作品は登場人物たちの設定ゆえにどこか滑稽でこれら頼りない社会の底辺で生きる面々をいつのまにか応援してしまうのだ。 惨たらしい殺戮シーンながらもどこか爽快感とカタルシスが残り、主人公と同様のひと仕事を終えた心地よい疲労感が得られる。 それはひとえに小川氏の描く登場人物造形のユニークさがあるからだろう。白いマンションに住むことを夢見て過去にマルチ商法に嵌って夫を身体障害者にしてしまった三宮明日美。明日美をマルチ商法に誘い、一攫千金を願いながらも上手く行かない人生を儚み、全身整形を施した人造美人の葉山しのぶ。高校の先輩に誘われて極道の世界に入ったものの、生来の気の弱さからやくざになりきれない小心者、木島史郎。アメリカ滞在時に両親をミリタリーマニアの学生らにゲームさながらに殺され、自身も輪姦されながらも唯一生き残った心をどこかへ置き忘れた帰国子女、藤並渚。 そして彼らを筆頭に敵役の九條、堺、海渡と云った極道連中と癖のある刑事隅田ら脇を固める面々一人一人が戯画的なキャラクターでありながらドラマを形作る。どこかマンガを読んでいるような感覚と妙に詳細な銃器の説明と小道具となるラヴホテルの従業員たちの仕事の内容と、パロディとリアルが同居した奇妙なノワールの世界がこの作品にはあり、それが一種独特な雰囲気を醸し出している。 正直、人が大勢死ぬ作品を読むのはどうにも辟易だったが、案に反して実に面白く読むことが出来た。アクの強い人物たちが最後に華々しく銃撃の花火を放って散りゆく。それは迫真に迫りながらもどこか滑稽で爽快感が漂う。この読後感は、そうクエンティン・タランティーノ監督作品を観た後のようだ! |
No.1073 | 7点 | 約束の地で 馳星周 |
(2013/07/16 21:26登録) 相も変わらず人生の落伍者を取り揃えた作品集となった。ただし本書はいつもの短編集とは違い、北海道の浦河、富川、苫小牧、函館を舞台に各短編で登場する脇役が次の短編で主役となるという連作短編集となっている。 各編に共通するのは凍てつくまでの寒さ。少しばかりの厚着では瞬く間に体が冷え切ってしまう。情熱的な愛を重ねても熱く感じるのはお互いが繋がっている部分だけで、その他はひんやりと冷たい。温まった部屋も少しでも外気に曝されればたちまち寒気のただ中だ。そんな場所である北の地ではなかなか人の温かみや温もりというのが持続しない。だから人は言葉少なに閉じこもって過ごすのだろう。その簡単に命さえも奪ってしまうような極寒の地だからこそ人の事よりもまず自分の事をしなければ生きていけなくなってしまうのだ。 本書のタイトルは『約束の地で』で発表は2007年。馳氏は北海道出身で作家デビューが1998年。つまりこのタイトルには作家生活10周年を迎えた暁にはその記念碑的作品を自らの故郷である北海道を舞台にしてという意味が込められているのではないだろうか? 故郷に錦を飾るという言葉があるが、馳氏は本書を以てそれを成したと云えよう。そして通常ならば自分の生まれ故郷を舞台にした作品を書くならば、それまでの作家の集大成的な作品として感動巨編的な物を書こうと思うのが普通だが、馳氏はあくまで自分の作風にこだわり、敢えて故郷を舞台に不幸な人間の遣る瀬無さが漂う物語を紡いだ。これが彼の10年間で得た物です、そんな風に云っているように私には思えた。 今まで馳氏の短編集は本当に救いのない話ばかりで、むしろ作者がわざと大袈裟に不幸を愉しんで書いているような節を感じて嫌悪感さえ抱いていたのだが、本書においては同じ不幸を描きながら、酒、ドラッグ、暴力、セックスに淫せずに我々市井の人々の中にいる不幸な人をじっくりと、しかし敢えて過剰な抑揚を排したこの物語群はそんな負の感情を抱かずに楽しめた。これ以降の馳作品もこのような読み応えを期待したい。 |
No.1072 | 7点 | 逆転世界 クリストファー・プリースト |
(2013/07/15 21:02登録) <地球市>と呼ばれる都市は軌道上に乗る動く7層からなる都市でその行先の測量をし、軌道を敷設し、断崖があれば橋を架ける。それがギルド員の仕事だった。1年に約36.5マイル動く都市に住む人々の年齢もまた時間ではなく、距離で表現される。人は650マイル、即ち約18歳になると成人とみなされ、それら複数のギルドの中から自分が就くべき職業を選択する。そして成人になるまで都市の人々は外の世界へでることはないのだ。 クリストファー・プリーストが1974年に発表したSF小説である本書はそんな奇想が横溢する世界が舞台だ。 動かざるを得ない都市があるこの星の世界は数学的理論に支配され、とにかく読んでいる間は次第に見えてくる世界の摂理にうなされてばかり。奇想、奇想の連続だ。 しかしそんな動く都市と歪む世界の摂理は第4部で驚くべき転換を見せる。その衝撃は某有名映画が存在しなければかなりの衝撃を私にもたらしただろう。 しかしそんな先行作の二番煎じと断ぜずにこの作品の抱えるテーマをじっくりと考えてほしい。歪みゆく世界から逃れるために動く都市。彼らの行動原理には原因と結果が備わっており、この世を理解するに十分な論理が存在している。そんな安定した世界観を覆す奇想。まさにコペルニクス的発想転換。当時のガリレオの地動説が発表された衝撃と黙殺しようとした学会の気持ちが実によく解る。 色んな要素を含んだこの作品を一概にSF作品とジャンル分けするべきではない。宗教的な盲信の恐ろしさと奇想の数々、そしてそれを覆す論理的展開。現在でも本書が手に入る状況を保っている出版社の志に感謝! |
No.1071 | 7点 | 過去からの狙撃者 マイケル・バー=ゾウハー |
(2013/07/07 07:02登録) マイケル・バー=ゾウハーのデビュー作。舞台は事件の起きたアメリカからドイツ、フランス、イスラエル、ポーランドと実に目まぐるしく変わる。たった280ページの物語にこれだけの舞台転換が込められており、しかも物語は重層的だ。スパイ小説隆盛時期の小説とはこれだ!と云わんばかりの充実ぶりだ。 この重層的な物語こそマイケル・バー=ゾウハーの職人技。デビュー作からこんな物語を見せてくれるとは恐るべし。 そして主人公ソーンダーズがCIA工作員だった頃に親友ともいうべき有能な工作員を自分の失敗から亡くしてしまうという苦い過去も織り込まれている。そこにはジェイムズ・ボンドのような任務先で知り合った女性と懇ろになるという優雅なスパイの姿が描かれている。これはバー=ゾウハーによる一種の007シリーズへの皮肉なのかもしれない。 またこれら複雑な物語は世界を股に掛けた大規模な一種の操りのトリックでもある。つまり根っこは本格ミステリ、特に後期のクイーンが取り組み、そして悩むこととなった後期クイーン問題に繋がっている。特に『間違いの悲劇』を読んだ後であったためか、近似性を強く感じた。 しかしデビュー作もナチス時代の復讐譚が絡む物語ならば現時点での最新作『ベルリン・コンスピラシー』もナチス時代の事件の物語。どうやらバー=ゾウハーにとってナチスとは現代社会にも根ざす戦争の亡霊でありながら忘れてはならない過ちであり、生涯語るべきライフワーク的なテーマなのかもしれない。 |
No.1070 | 7点 | おれは非情勤 東野圭吾 |
(2013/07/03 20:06登録) 25歳独身。ミステリ作家を目指す非常勤講師“おれ”は今日も学校を渡り歩いては事件に出くわし、解決を強いられる。おれにとっては教師と云う職業は単なる生活の糧を得るに過ぎなく、限られた期間をそつなくこなせばいいくらいにしか思っていない。しかしさほど熱心な教師ではないにもかかわらず行く先々で起こる事件で生徒たちと関わらざるを得ない。 しかも扱っている事件は殺人事件、盗難事件、不審死、自殺未遂に脅迫文、そして毒殺未遂とミステリの王道ながらも明かされる真相ではいじめ、カツアゲ、悪意ある遊びなど、子供たちの学校生活で障害となる身近な問題を根底に潜ませているところに作者の上手さが光る。 題名は非常勤ならぬ“非情”勤とフィリップ・マーロウを髣髴とさせるサラリーマン教師を想像させるが、実は意外にも熱血漢。“おれ”の一人称で語られる地の文では素っ気ない無気力な口調でやる気のなさを強調しているが、いざ事件が起こればすぐに駆けつけ、業務時間外でも生徒たちの自宅や病院まで訪問し、ケアもする。そして休み時間の生徒たちの振る舞いを観察し、クラスにおける生徒たちの階級制度を理解し、子供たちの心を掴み、真相に迫る。 また特徴的なのは非常勤の名の如く、一作一作で舞台となる学校は違うところだ。通常学園物は同じ学校の面々をストーリーを追うごとにそれぞれのキャラクターを掘り込み、深化させて濃密な物語世界と読者が経験した学生生活の追体験をさせるのが習いなのに対し、本書は特別だ。 そして短期間しかその学校に属さない非常勤講師だからこそ、学校という空間でいつ知れず形成される異質な常識や通念に囚われずに生徒たちとぶつかり、真実を探求できるというところに主人公の設定の妙味がある。 生き生きとした小学校生活の描写が大人の私にも懐かしく思えるし、現在進行形で学校生活を送っている小学生にもこれらの短編は実に面白く読めるだろう。本当に何でも書ける作家だなぁ、東野圭吾は。 |
No.1069 | 7点 | 間違いの悲劇 エラリイ・クイーン |
(2013/07/01 19:42登録) 表題の未完成長編のシノプシスにクイーンの未収録短編作品も織り込んだ贅沢な一冊。 さてそんな作品集の始まりはノンシリーズの「動機」から始まる。町の住民が次々と殺されるが犯人は一向に解らない。捜査が難航して苦悩する副保安官が無差別殺人、通り魔的犯罪としきりに零すのはミステリとして殺人事件を扱っているが実は世に蔓延る殺人事件の大半はこのような動機やトリックなどとは無縁の、動機なき犯罪が多いのだという一種の皮肉めいたメッセージなのかもしれない。 その作品以降続くのは「クイーン検察局」シリーズの未収録短編と「パズル・クラブ」シリーズ。どちらも推理クイズと大差ない読者の挑戦状を挟んだ小編ばかりだが、全編通して多いのはダイイング・メッセージ物だということだ。玉石混交の感は否めないが、よくもまあこれほど考え付いた物だ。 そして注目の表題作。これは前にも書いたがクイーンの代表作『~の悲劇』の題名を継ぐ作品だけあって、その真相は二転三転し、読者の予断を許さない。しかもその真相には後期クイーン問題も孕んでおり、読後の余韻は『九尾の猫』や『十日間の不思議』に似たものがある。作品として完成していれば後期の代表作の1つになっていたのかもしれない。 題名は犯人が犯したある間違いからこの事件は起こったというエラリーの慨嘆から来ている。しかしそもそも世の中の犯罪全てが間違いから起こった悲劇ではないか。つまりこの題名は犯罪そのものが「間違いの悲劇」なのだという作者からのメッセージだと読み取った。 またよく考えてみると『~の悲劇』の題名がついた作品でエラリーが活躍するのは本作だけである。深みあるテーマとこの題名。もしシノプシスだけでなく、作品として完成していたら貴重な作品となっていただろう。 |
No.1068 | 1点 | ブルー・ローズ 馳星周 |
(2013/06/26 23:44登録) 本書は馳氏による初の探偵小説と云えるだろう。元警官でバブル経済時に土地転がしをして失敗し莫大な借金を抱えたしがない探偵徳永。彼が追うのは警察官僚の娘の失踪。特に冒頭の、高い地位のある、富裕な依頼主を訪れ、失踪した娘の捜索を依頼される件はチャンドラーの『大いなる眠り』を想起させる。 しかし探偵小説の体裁は上巻まで。やはり最後はいつもの馳作品。狂気と殺戮の宴の始まりだ。 敢えて苦言を呈せば、本書は実に脇の甘い作品である。徳永が暴力に走る動機となった愛すべき存在、菅原舞を喪うことも、40を過ぎた男に起こった一目惚れからなのだ。ほんの数時間しか過ごしていない相手にこれほどまでに惚れるのか?20代の男が年上の女性に惚れるというのなら解るが、人生の酸いも甘いも経験した男が20代後半の女性に一目惚れするというのが実に解せなかった。さらに菜穂を取り戻すことの意味がない中での徳永の決死の任務遂行など物語としての体を成していない。今までの馳作品らしくない破綻ぶりだ。特に結末の菜穂との情交は一体何なんだろうか?事故で重傷を負った、もしくは命さえも危うかったと思われた菜穂が最後に見せるSM女王黒薔薇の素顔。ボロボロの徳永の股間に跨り、犯しながら犯されて物語は閉じられる。正直この結末には唖然とした。もう馳氏にはノワールを構成するネタが枯渇してしまったのだろうか。 先にも書いたがブルー・ローズとは英語で“ありえないこと”という意味でもある。私にしてみればそれは本書の内容こそがブルー・ローズそのものであった。 |
No.1067 | 7点 | ルパン、最後の恋 モーリス・ルブラン |
(2013/06/18 19:37登録) 21世紀になってルブランの伝記を著したジャック・ドゥルアールの調査によって発見されたタイプ原稿が本書『ルパン、最後の恋』。正真正銘のルブランの手による最後のルパン物語だ。なんと作者ルブラン没後70年経ってからの発表である。 そしてその物語は何ともロマンティック。これだよ、これがルパンだよとかつてルパンシリーズを読んで胸躍らせた読者の期待を裏切らない展開の速さとルパンという男の懐の大きさに満ちている。 本書はやはりルパンの人生の終の棲家を得るための最後の恋物語というのがメインなのだが、それを通奏低音としながら本来の物語はコラ嬢へイギリス王侯が贈った400万ポンドの金貨とコラ嬢自身を巡っての悪党とルパンの攻防戦という図式。しかしそれにはあるバックストーリーがあって…。 しかしそんな策略もルパンに掛かれば全てが最初から露呈しており、ルパンはことごとく相手を先んじては左団扇で敵を出し抜いてしまう。 かつてのルパン譚には彼の万能性を以てしても窮地に陥る難事件と云うのが数多くあったが、それに比べれば今回の敵は彼にとっては掌上の何とやらで、実に容易い相手であった。 しかも彼には世界中に彼を慕う部下が何千人とおり、無尽蔵とも云える財産もあるが、イギリス側の敵と対峙するのはルパンと飲んだくれの親から引き取った才気煥発な兄妹2人という人員構成。そんな手薄な人員でイギリス政府からの刺客を撃退するのだから、ある意味胸躍る活劇を期待する分にはいささか物足りなさを感じるかもしれない。 さてルパンが怪盗でありながら、実はフランスと云う国をこの上なく愛しており、国のピンチであればスパイのように他国へ侵入して自国への害を未然に防ぐことを厭わないヒーローであると最近のルパンに纏わる書評で読んだ記憶があるが、本書ではルパン自らが愛国者であることを宣言している。そして残りの余生を世界平和に役立てるために私財を擲つとまで述べている。ルパンは元々アンチヒーローとして生まれたが、最後となる本書ではルパンがヒーローであることを作者が強調していたのが興味深かった。 |
No.1066 | 8点 | 過去からの弔鐘 ローレンス・ブロック |
(2013/06/14 19:27登録) アル中探偵マット・スカダーは本書から我々の前に姿を現した。ローレンス・ブロックの筆によって我々に紹介されたのだ。ブロックは存在した探偵を掘りだし、それを文章と云う形で教えてくれたのだ。そんな風に考えてしまうほど、このマット・スカダーという人物が人間臭い。 とにかくそれまで読んでいたブロック作品の雰囲気を覆す芳醇なウィスキーのような大人の香りに満ちた文体が非常に心地よい。 空さんがおっしゃるように、原題を頭に措いて読み進めると物語の半ばぐらいから事件の真相が大体見えてくる。 事件の当事者の関係者を辿り、質問することで隠された正体を探り当てるスカダーの行為はロス・マクドナルドのリュー・アーチャーを想起させる。しかしリューは全てを知るために相手が嫌がるほどに質問を繰り返すのに対し、スカダーは必要以上のことを知ることで被る迷惑を知っており、それが故に忘れたい過去をほじくり返されて安定した生活を壊される人々がいることをわきまえているからこそ、そこまでの追及はしない。それは彼の優しさなんだろう。 ただし罪を犯した者に対しては容赦はしない。しかしスカダーは決して恐喝者ではない。ただ彼は優しいのだ。被害者たちを調べていくにつれ、彼と彼女のこれからの生活を打ち砕いた者が許せなかっただけなのだ。従って自殺を促すスカダーは冷酷などとは決して感じない。彼は、そう、純粋なのだ。 久しぶりにじっくり味わうプライヴェート・アイ小説に出逢った。マット・スカダーと彼を取り巻く人々の世界にこれからじっくり身を任せ、浸っていこう。 |
No.1065 | 7点 | バビロン脱出 ネルソン・デミル |
(2013/06/10 20:12登録) ネルソン・デミルならぬドミルの1978年の作品である本書は当時最新鋭の飛行機だったコンコルドがスカイジャックされるというルシアン・ネイハムの『シャドー81』を想起させる作品。当時アメリカでは『シャドー81』はほとんど話題にならなかったとのことだが、ドミル自身はその作品を読んでいたに違いない(ネルソン・ドミルで登録するとややこしくなるのでデミルにて登録)。 しかしスカイジャックのコンコルドだけを舞台に物語は終わらない。テロリストにスカイジャックされたコンコルドの乗員は誘導されたバビロンの地で混成の即席の軍隊としてテロリスト一団と戦いを挑むのだ。 政府要人を含んだ一行は不時着したコンコルドを資材にしてアラブ人テロリストたちの攻撃に対抗すべく、要塞を作る。この辺りは昔ながらの冒険サバイバル小説の風合いがあり、懐かしくも楽しく読んだ。 機内の戦争映画の戦闘シーンのヴォリュームを大きくして、イスラエル側の戦力が多いように偽装したり、エアゾール缶に火をつけて火器に見せかけたり、さらにはブラジャーを投石器代わりにしたり、窒素ボンベの先にコンコルドのシートを付けた爆弾を作ったりと、日用品を使った生活の知恵ならぬ戦闘の知恵がそこここに挟まれていて面白い。 本書の主人公ハウズナーはエル・アル航空の保安部長でありながらテロリスト、アメド・リシュの因縁の相手でもあるが、本書をハウズナーとリシュの決着の物語とするのはいささか安直に過ぎるだろう。ではハウズナーとリシュをリーダーにしたアラブ人テロリストと素人武装集団の戦い、つまり代理戦争であるというのもまた足りない。これは我々イスラムの民でない者が理解できない彼ら民族間の根深い抗争の物語であり、民族の誇りのためには命を投げ出すことも厭わない民族の物語なのだ。アメリカの冒険小説である本書のメインの登場人物がイスラエル人とアラブ人なのも特異だが、この対立が23年後アメリカ人とアラブ人という構造に変わり、全く違和感のない世界になっていることが恐ろしい。ドミルは9.11以前に既にアラブ人テロリストがアメリカに侵入して次々と元軍人たちを殺害する『王者のゲーム』を著しているがその萌芽は既に本書にあったのだ。 さらに作者がトマス・ブロックと共著で発表した航空パニックの大傑作『超音速漂流』の元ネタも本書には見受けられる。そういった意味で本書は後にベストセラー作家ネルソン・“デミル”になる源泉だと云える。 そして忘れてはならないもう1人の主役がテロに遭うコンコルド機だ。今はもう生産されず営業航行されていない幻のスーパージェット機コンコルドが満身創痍になりながらも再び空へ旅発とうとする姿は映像化すれば魂宿る気高き鳥として映るに違いない。後世にコンコルドという音速を超えるジェット機が存在したことを知らしめる詳細な資料としても貴重な一冊となっている。 |
No.1064 | 7点 | 手紙 東野圭吾 |
(2013/05/31 21:38登録) ひたすら切ない物語。いったいどうしてこんなことになったのか?犯罪者の周囲を取り巻く人々、とりわけその家族の姿を描いた作品。 家族からの手紙。本来ならば暖かい物なのに、直貴にとっては殺人者の兄剛志からの手紙は明るい未来を絶つ赤紙に他ならない。兄からの手紙が直貴の、人並みの生活をしたいという希望を挫くのだ。この切なさはなんだろう? しかしまた手紙によって直貴は救われる。ある事件をきっかけに就職した会社で配置転換を命ぜられ、意気消沈していた直貴を奮起させたのもまたある人物からの手紙だった。 そして直貴が自分の手紙が服役中の兄の心を救うことに気付かされる。そして直貴が家族を守るためにある決断を下すのも手紙であり、また兄の真意に気付くのも手紙だ。 手紙と云う小道具で人の心を動かし、淀みなく物語に溶け込ませる。本当に東野はこういうやるせない物語を紡ぐのが上手い。 本書で語りたかった事とは何なのだろうか?私は次のように考える。これはメッセージなのだ、と。家族に突然犯罪者が生まれる。これは誰にも起こり得る事態だ。そんな加害者の家族に訪れる厳しい現実の数々を描くことで対岸の火事と思っている我々に色んな障害を突き付ける。そしてそれらの障害を作り出すのが他でもない我々なのだということを作者は静かに訴えているのだ。 また一時の気の迷いで犯した罪が自分だけでなく、残された家族にどれだけの負債を抱えさせるのかをも克明に教えてくれる。世間は事件を忘れても、その関係者が身の回りに近づけばおのずと思いだし、距離を置こうとする。それは一生付き纏う呪いのようなものだ。本書はそんな警句の物語。 私は本書を読んで感動しなかった。とにかくずっと身がよじれる様な思いをさせられた。「そして幸せに暮らしましたとさ」なんていうエンディングが現実社会ではないことを思い知った。 本書にはカタルシスはない。しかし錘のようにずっしり残る何かはある。決して赦されない罪があるということを知り、それを肝に銘じなければならない。そして私はわが子が中学生になったら本書を読ませようと思う。まだ見ぬ社会の厳しさをまだ純粋な心が残っているうちに教えるために。 |
No.1063 | 5点 | トーキョー・バビロン 馳星周 |
(2013/05/26 08:52登録) ギラギラしている4人が手を組んで大金を奪おうと画策するが、そんな欲望だけで集まった絆は脆く、分け前を4等分することが気に食わない。従って受け取る金額を増やそうと顔では嗤い、心の中では蹴落としてやろうと企んでいる。 馳作品の特徴は人生崖っぷちの人間が現状から逃げ出すためにギリギリの極限状態で這いずり回り、挙句の果てには周囲を巻き込みながらカタストロフィの穴に落ち込み、屍を築いていくという展開だが、今回は疲弊し、将来に不安を抱えていた者が出逢うことで運命が好転するという意外な方向を見せる。 警察に利用され、やくざに脅され、能無しの会長に無理難題を突き付けられ、挙句には趣味のギャンブルで借金を積み重ねている負の螺旋に陥った男小久保が酒が飲めなくなって得意先が次々とライバルのホステスに獲られていくホステス柳町美和と出逢うことで運気が上向いていくのだ。 小久保はギャンブルに勝ちだすようになり、美和は小久保が上客となって売上げ№1に返り咲く。 やがて美和はうだつの上がらない中年オヤジにしか見えなかった小久保に愛しみを感じ、二人で組んで宮前と稗田を出し抜こうと提案する。さらに会社の冴えない苦情処理係だった小久保も次第に頭の切れを見せ始め、2人のコンゲームの宿敵に成り上がっていく。 この辺の流れを見ると、美和は男を見る目がある女であり、さらに小久保にとって“あげまん”の女だったのだ。本書ではこの美和の存在が実に際立って面白い。 そしていつしか2人を応援する自分に気が付く。会社と警察とやくざの狭間でペコペコ頭を下げては神経をすり減らしていた中間管理職と落ち目だったが男を手玉に取ったら百戦錬磨のホステスのコンビがゲームの勝者になるのを知らず知らずに応援したくなってくるのだ。下衆ばかりが出てくる世界で窮地を乗り越えようとする主人公も下衆な物語だから、全く共感も出来なかったが、今回は別。馳作品でこんな気持ちになったは初めてだ。 この展開は今までの馳作品にはない展開だったので、ハッピーエンドを期待したのだが、やっぱりそれは望むべくもなかった。 予定調和なんて存在しないとばっさり切り捨てる。それが作者の持ち味なのだが、やはり物語だからこそたまにはハッピーエンドを体験してカタルシスを感じたいのだ。 作者が自分の作風に執着するあまり、新機軸を描けなくなっている。馳氏が作家になった動機が自分が読みたい物語がないから自分で書くことにしたというのは有名だが、そのこだわりゆえに同じ話を読まされている気がする。本当にこんな話ばかり作者は読みたいのだろうか? |
No.1062 | 7点 | タナーと謎のナチ老人 ローレンス・ブロック |
(2013/05/21 18:02登録) タナーが今回訪れるのはまだ国が統一されていたチェコスロバキア。そこでネオ・ナチ信奉者たちのシンボル的存在であるヤノス・コタセックなる人物を救出し、彼の持つファイルを入手するのが彼の今回の任務。しかし入国する前に警察に捕まりそうになる。前作でもトルコの入国審査でいきなり逮捕されたタナーだったが、彼は目的地に着くことが大きな障害であり、パターンとなっているようだ。 しかもタイトルにもなっているヤノス・コタセック老人はユダヤ人を嫌悪し、有色人種を蔑視する唾棄すべき男。行く先々の国々でその国の民族をこき下ろし、毒を吐きまくる(何かにつけていちゃもんをつけずにいられないこんな人いるなぁ)。 任務とは云え、そんな男を連れて国を渡っていくのはタナーには辛いものだ。自分を偽ってコセタック老人をなだめすがめつしながら自身を時にはネオ・ナチ信奉者として、旅先の国では協力を得るために反ファシストの革命家を演ずる。でもこれは我々社会人も同じこと。相手に対してその都度対応を変え、時には自分を曝け出し、時には自分を偽っておもねなければならない。タナーの悲哀はそのまま我々の悲哀だ。 しかし数々の危難を乗り越えるタナーの持ち味は機転がすぐ回る頭の良さや不眠症を長所にして体得した数ヶ国語を操る語学力もそうだが、やはり一番の強みは人脈の広さ、つまりコネである。 各国の団体、過激派グループ、狂信者グループの会員となり、逢ったこともない相手と親密になるほどの交流をしているタナーのコネの強さだろう。この武器を存分に活かしてタナーは老人を連れてチェコスロバキアからハンガリー、ユーゴスラビアからギリシアへ、そして最終目的地のリスボンへと移動できたのだ。 しかしユーモアで包まれたスパイ物だが、結末はなぜかシリアス。この辺の思い切りの良さというか冷酷さはフリーマントルのチャーリーに一種通ずるものを感じた。 前作は怪盗物という先入観が邪魔をして混乱の中、読み終えてしまい、存分に愉しめなかったが本作では眠れないスパイの物語であることがあらかじめ分かっていたので物語に没入できた。従って前作より本書の方が評価は上なのだが、本書以降シリーズは訳出されていない。『このミス』にもランクインされなかったので売り上げもさほどではなかったのかもしれない。しかし2作目を読んで非常に続きが気になるシリーズである思いを強くした。おまけに現在本書は絶版でもある。ブロック再燃の今、どうにか3作目の訳出が成されることを祈って感想を終えたい。 |
No.1061 | 7点 | ミニ・ミステリ傑作選 アンソロジー(海外編集者) |
(2013/05/19 11:33登録) 全67編。1日1編という縛りでじっくり読むことにした本書だが、流石にこれだけ集まれば玉石混交な印象はぬぐえない。しかしその中にも光る物はあり、個人的にはスティーヴ・アレンの「ハリウッド式殺人法」、ロバート・ブロックの「生きている腕輪」、ロード・ダンセイニの「演説」、フィリップ・マクドナルドの「信用第一」、アレグザンダー・ウールコットの「Rien Ne Va Plus」、ヴィクター・カニングの「壁の中へ」、クリストファー・モーリイの「ダヴ・ダルセットの明察」、作者不詳の「絶妙な弁護」、ギイ・ド・モーパッサンの「正義の費用」、ローガン・クレンデニングの「アダムとイヴ失踪事件」、マージェリー・アリンガムの「見えないドア」、エドマンド・クリスピンの「川べりの犯罪」、ベン・ヘクトの「シカゴの夜」、O・ヘンリーの「二十年後」が良作と感じた。 またミステリプロパーの作家たちのみならず、マーク・トウェインやモーパッサンなど純文学作家、大衆作家からの作品も網羅している。さらには医学博士の手による作品すらもある。まさにクイーンの収集範囲の広範さを思い知らされるアンソロジー。 たった10ページ前後でミステリが成立するかと半信半疑だったが、なかなかどうして。立派にミステリしていた。 |
No.1060 | 7点 | ゲームの名は誘拐 東野圭吾 |
(2013/05/15 20:28登録) シチュエーションの妙とそれを実現させるためのキャスティングの冴え。狂言誘拐を成立させるためにヘッドハンティングされた凄腕のプランナーを犯人としたところに東野圭吾の着想の素晴らしさがある。 その主人公佐久間駿介の人物像を最初のわずか4ページで一人称叙述で読者の心に自然と理解させる東野氏の上手さには全く舌を巻く。 さらにこの小説がすごいのは狂言誘拐が成功裏に終わった後からだ。東野氏は予想不可能な展開で読者の鼻づらをグルングルンと引っ張りまわす。255ページ以降はまさにそのような感覚だった。 誘拐物の傑作、例えば『大誘拐』に代表されるように犯人の意図が解らずに捜査陣と読者が翻弄されるという展開があるが、本書は逆に犯人側が被害者側に翻弄されるという実に面白い反転がなされる。よくもまあこんなことを思いつくなぁと作者の着想の素晴らしさに今回も感嘆してしまった。 |
No.1059 | 8点 | 2013本格ミステリ・ベスト10 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 |
(2013/05/13 21:44登録) あれ?誰も採点していない。 本格ミステリファンの多いこのサイトの投稿者が一人も感想を書いていないとは意外だ。 正直本家の『このミス』よりも内容充実度で愉しませてくれるこのムック。 注目のランキングは法月綸太郎の『キングを探せ』が1位となった。寡作ながらもクオリティの高い本格ミステリを紡ぐ法月氏はもはや出せば1位の感が強くなった。今年は早くも新作『ノックス・マシン』が上梓され、ミステリマガジンの四半期ベスト選出でも一席に選ばれている。もしかしたら今年のランキングも制し、二連覇を果たすかもしれない。 続く2位はこれまた寡作家の大山誠一郎の『密室収集家』。この作家の作品は光文社文庫主催の公募式ミステリアンソロジー、本格推理シリーズで読んだ記憶があるが、あまり琴線に触れるものではなかったので正直あまり注目はしていないがロジックに特化した作風が本格ミステリファンには好評らしい。先日本格ミステリ大賞を受賞したばかりでどうやら有名有実の作品のようだ。 3位は新本格の象徴的存在綾辻行人の『奇面館の殺人』がランクイン。 4位はもはや常連、いや優勝候補の三津田信三の『幽女の如き怨むもの』が占めた。もはやその実力は折り紙つき。短編集でさえランクインするというのは実はすごいことで今の本格ミステリファンが新作を待望する作家の1人としての地位は確立されたと云っていいだろう。 5位は鮎川賞受賞作の『体育館の殺人』が選ばれた。これは正直意外。ロジックを褒め称える声は聞こえていたものの、やはり若書きゆえの脇の甘さがあるとのことだったので5位と云う上位に食い込むとは思えなかった。やはり本格ミステリランキングは推理「小説」よりも「推理」小説が重んじられていることか。 6位以下は有栖川氏、天祢氏、島田氏、芦辺氏、初野氏と続いた。 11位以下は山田正紀氏、山口雅也氏、井上夢人氏らベテランに加え、中堅の北山猛邦氏の作品、そして新人の高野氏、長沢氏、市井氏、深木氏の作品が並ぶ。その中で異色なのは時代小説からの参入である幡大介氏の『猫間地獄のわらべ歌』だ。『このミス』でもランクインした同著だが、この作者の作品が今後のミステリシーンにどうか関わっていくが見どころか。 さてその他のコンテンツについてだが正直通例通りの内容で目新しい所がなかったのが残念だ。特に近年は本格短編ミステリオールタイムベストの選出、0年代の海外本格ミステリオールタイムベストの選出とミステリ読者が歓喜に身悶えする好企画が続いていただけに目玉企画がなかったことが残念である。 本書の存続こそがこれからの本格ミステリの隆盛を支える草の根的活動となるので、探偵小説研究会諸氏の志の高さに敬意を証して、年末の刊行を愉しみにしたい。 |
No.1058 | 7点 | 運命の倒置法 バーバラ・ヴァイン |
(2013/05/12 14:14登録) 止まっていた時間が動き出す。10年半前、若い彼らが過ごしたウィーヴィス・ホールで起きた出来事。それは関係者だけの胸に秘め、隠蔽して墓場まで持っていこうと誓った忌まわしい記憶だったが、現在の家主が亡くなったペットを埋葬しようとしたことから文字通り秘密が掘り出される。そして事件は再び動き出す。 その事件そのものが何なのか、なかなか作者は詳らかにしようとしない。解っているのは若い女性と赤ん坊の物と思われる白骨体が掘り出されたことだ。まあこの手の話には常套手段であるから仕方は無いのだが、無論の事ながらそれは決して表に出すべき事柄ではなく、人の生き死にが関わった件であろうことは容易に推察できる。 そんな災厄の種に怯えながらしかし、彼らは過去を覗き見るのだ。自分たちが10年前にウィーヴィス・ホールに居た事実を知る、当時出逢った、出くわした人物たちに思いを馳せながら、敢えて彼らが覚えているか訪ねたりもするのだ。それは怖いもの見たさという心境なのだろうか?いやそうではない。若かった彼らが貧しいなりに一つの屋敷で過ごした時間が今や家庭を持ち、夢よりも現実を知らされる日常に辟易している現状をぶち壊してほしいと心の奥底で願っているからではないだろうか? 過去の汚点である人骨の発生から物語はアダムとルーファスの当時の回想を中心にゼロ時間に向かっての経緯をじっくり語っていく。 通常古式ゆかしい屋敷から身元不明の白骨体が現れるというショッキングな導入部から警察の捜査と当時の関係者たちの動向が描かれるのが定石なのだが、本書では全く警察側からの捜査の状況が描かれない。当事者たちの現代の生活と事件発生当時の状況が事細かに書かれ、捜査の進捗に戦々恐々とする登場人物の姿のみが描かれるだけなのだ。これは本書のテーマが誰もが犯す若いときの過ちにあるからだろうか。誰もが一生悔いの残る行動や思いをした経験があるだろう。それらはしかし大人になり、日々の雑事に忙殺され、結婚、出産といった人生のステージに上がるうちに忘れられていくが、それがある事件で思い出されたのが本書の登場人物たちだ。アダムたちが金のない中で若者たちが一堂に集い、共同生活を始めたことで巻き起こった2人の死。ほろ苦いというにはあまりに過酷な過ちに対し、護る者の出来た彼らの行動はしかし若いときの行動力には程遠く、そっと静かにしてもらうよう息を潜めて様子を窺うのみだ。若い頃の彼らと現代の彼らの対比がかつての日々を眩しく思わせ、なんだか寂しくなってしまった。 そして最初の悲劇が起こった時、ぞわっとした。それまでアダムが愛娘に対して文字通り溺愛し、ちょっとしたことで何か起こったのではないかと心惑わすのは娘に対してこの上ない愛情を注ぐ父親の姿がちょっと極端な方向に針が触れただけで特段おかしなこととは思ってはいなかったが、381ページで明らかになる赤ん坊の死体の真相―乳児突然死―を知ったことでアダムの取り乱しようの原因が解ったからだ。この、実に何気ない普通の人の振る舞いと思わされたことにこんなトラウマが潜んでいたことを実にさりげなく知らされるレンデル=ヴァインの物語の上手さ。この陰湿さはこの作家ならではだ(誉めてるんです)。 |
No.1057 | 8点 | 黄金の13/現代篇 アンソロジー(海外編集者) |
(2013/05/03 23:00登録) エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン誌上で1945年から1956年までの12年間で年1回行われたミステリ短編コンテストで選出された短編を集めたまさに珠玉のアンソロジー。つまりその年の“トップ・オヴ・ザ・トップス”というわけだ。これは期待が高まるのも無理はない。 その公募はアメリカ本土のみならず、世界中に向けて発信されており、ヨーロッパはもとよりオセアニア、アジア圏から毎年多数の応募があったらしい。そして毎年送られてくる800前後の短編の中からのベスト・オヴ・ベストを選ぶ作業の厳しさと大変さも書かれているが、正直このような極限状態ではもはや正当な判断が出来なくなり、ちょっと変わった物が珠玉の輝きを放ち出す。 またエラリイ・クイーンが選出に関わっているとは云え、本書に収録されている作品はロジックやトリックが優れているというわけではなく、むしろ人間ドラマとしてのミステリが非常に多いと感じた。どちらかと云えばキャラクターの設定の妙や選者たちにとって未知の世界への好奇心、またそれぞれの作者が放つ隠れたメッセージの強さといったミステリ以外のプラスアルファが含まれている作品が傾向として選ばれているように思えた。 これらの作品が選ばれたのは1945年から1956年の12年間と5年後の1961年。つまりこの頃のクイーン作品と云えばライツヴィル物の『フォックス家の殺人』から『クイーン警視自身の事件』、そして1961年は1958年の『最後の一撃』の後、2年の沈黙を経て代作者によって発表された『二百万ドルの死者』に至る。まさに作品の傾向はパズラーから人の心へと踏み込んだロジック、探偵存在の意義について問い続けた頃に合致する。それ故選ばれた作品は上に書いたように物語の強さを感じる物ばかりなのかと得心した。 本書における個人的ベストはH・F・ハードの「名探偵、合衆国大統領」、シャーロット・アームストロングの「敵」、ロイ・ヴィガーズの「二重像」、スタンリイ・エリンの「決断の時」、A・H・Z・カーの「黒い小猫」。特に後半に行けばいくほどその充実ぶり、内容の濃さと行間から立ち上る凄みのような物が感じられる作品が多く、尻上がりで評価は高くなった。 正直クイーンのアンソロジーには期待値だけが高く、肩透かしを食らうことが多かった。増してや本書には「黄金」という仰々しい煽り文句が冠せられるため、一層身構えるような気持ちで臨んだが、予想に反して実に濃い作品が選出された粒揃いの作品が多かったのは嬉しい誤算だった。 また本書に収められた作品の中には現在入手困難な物もあるし、既にミステリ史に埋没してしまった傑作もある(特に「名探偵、合衆国大統領」)。そんな埋もれつつある傑作・佳作を現代に遺す歴史的価値も含めて評価したい。 |
No.1056 | 5点 | バトル・ロワイアル 高見広春 |
(2013/04/24 23:54登録) 当時角川ホラー大賞に応募し、最終候補まで残るものの、審査員の不評を買い、落選したところを太田出版にて出版され、大いに話題になり、映画化もされた曰くつきの作品、とここまでの事情を知らない人はあまりいないだろう。その後映画はパート2も作られ、そのノヴェライズは杉江松恋氏の手によってなされた。つまり本書の作者高見広春氏による作品はこの作品のみ。 キャラクターそれぞれは個性があるものの、正直云って非常に稚拙だ。本当に素人が書いた文章で、話、設定ともに実にマンガ的。いや文字で書いた漫画を読まされているような気になる。 本書のように複数の人が限定された場所で殺し合いをするという小説は他にもある。例えば稲見一良氏の『ソー・ザップ』などがその典型だが、味わいは全く違う。『ソー・ザップ』には最強の名を賭けて戦う男の矜持や美学が盛り込まれていた。しかし本書では単なるゲームとしての殺し合いとしか捉えられない。それはやはり中学生が殺し合うという設定と国が率先して教育の一環として行っているという胸のムカつくような荒唐無稽さにあるのだろう。 恐らく作者自身もそれには自覚的で「やるならとことんB級で」といった気概も感じられる。それに乗れるか乗れないかで本書の感想や物語への没入度は全く異なるだろう。 しかし話題先行型だが本書のような作品が100万部も売れたとは、刊行された1999年とはまさに世紀末だったのだなぁ。いや世紀末だからこそこのような退廃的な作品が受けたのかもしれない。まさに時代の仇花として象徴的な作品だ。 |
No.1055 | 4点 | 楽園の眠り 馳星周 |
(2013/04/12 23:39登録) 馳星周版『マイン』。一人の幼児を巡って一人の女子高生と一人の警察官が追いつ追われつの攻防を繰り広げる。 更に本書は馳作品初の刑事を主人公とした作品でもある。しかしやはり暗黒小説の雄、馳星周はただの刑事を主役にしない。悪徳警官と想像するのはたやすいが、主人公友定伸は妻に逃げられた就学前の幼い息子を持つ男で、わが子を虐待することに喜びを感じながら、それが発覚しないように恐れているというとんでもない刑事なのだ。 そしてもう1人の登場人物、女子高生の大原妙子は鹿児島出身で柔道をやっていた父親から抑圧と暴力を受け育った女子高生。一刻も早く家を飛び出したいと思っている。 そんな妙子と友定の息子雄介が出遭い、2人で暮らそうと逃げ始める。その失踪した息子を友定が捜すというのがこの物語だ。 つまり馳氏が刑事を主人公にしたのは悪徳警官物を書くわけでもなく、正義を司る刑事という職業の人間が児童を虐待しているというインパクトと児童虐待を知られないようにわが子を取り戻そうと奔走する男の物語を書くのに最も強い動機付けとして刑事と云う職業を選んだに過ぎない。どこまで逃げても追いかけてくる友定を警察官に設定することでわずかな手掛かりから痕跡を辿る術を心得ている人物となっており、それが故に全編に亘って繰り広げられる逃亡劇がジェットコースターサスペンスとなっているのだ。 今まで闇社会を舞台に物語を紡いできた馳氏にとって児童虐待と云う今日的な社会問題を主軸に警察官と女子高生と云う我々の生活圏に近い人々の物語を書いた本書は新たな挑戦だと云えよう。しかし相も変わらず何とも読後感の悪い作品だ。 読む前から後味の悪さを約束されたような作品。この前に読んだのが子供と親との絆を描いた『時生』だったこともあり、嫌悪感しか残らない作品だった。 |