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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1631件

プロフィール| 書評

No.1091 3点 煉獄の使徒
馳星周
(2013/11/25 23:53登録)
上下巻合わせて1,600ページに亘って繰り広げられるあのテロの物語。重厚長大が売りの馳作品の中でもこれまでで最高の長さを誇る物語は新興宗教<真言の法>の栄華と狂乱を描く。そんな物語は教団の№2の男が狂える教祖によって人生を狂わされる一部始終を、一介の、ただし凄腕である公安警察官児玉が<真言の法>を利用して警察権力の中枢へ迫っていく道のりを、そして高校を卒業してすぐに<真言の法>に入信した若者がある事件をきっかけに狂信者へ染まっていく、この3つの軸で進んでいく。

これはかつて世間を騒がせたオウム真理教の悪行を綴った小説の意匠を借りたノンフィクションと云ってもいいだろう。
そしてやはり同時代を生きてきた私にとって、ここに書かれているオウム真理教に纏わる事件の数々がフラッシュバックして脳裏に甦り、いつもよりも臨場感を持って物語に没入できた。

ただ少々解せないのは微妙に事実と異なる点があることだ。実在の呼称を避けつつも、実在の新興宗教、企業や当時の政治家のスキャンダルを擬えているだけに、後半の実際の事件との微妙なずれが作品の方向性をぶれさせてしまったようだ。こんなことならいっそノンフィクションを書いた方が良かったような気がする。

そしてさらに物語の結末が非常に消化不良だ。1,600ページと云う物量で終始語られる<真言の法>の悪行と悪徳警官児玉の、血も涙もない遣り方を読まされた上でのこのカタルシスの無さ。これは正直酷い。

今までの馳作品ならば、バッドエンドなりの物語に決着がついていたが、本書ではそれがない。単に語り手が居なくなったというだけの理由で物語が閉じられたようにしか思えない。これほど読書に費やした時間を浪費したと痛感させられたのは久々である。全く以て残念だ。


No.1090 7点 冬を怖れた女
ローレンス・ブロック
(2013/11/05 21:04登録)
アル中の無免許探偵マット・スカダーシリーズ第2作。殺された娼婦と警官の悪行を検察官に売ろうとした悪徳警官のために警官たちの反感を買いながら真相を探る。
誰もが憎む相手の無実を証明しようと奮闘する探偵と云えば、最近ではドン・ウィンズロウの『紳士の黙約』が思い浮かぶ。しかし本書では同書よりも四面楚歌ではない。ウィンズロウ作品では主人公の許を仲間が一旦離れ、しかも親友が敵となる絶妙な設定だったが、本書では嫌われているのは依頼者であり、主人公ではないため、それほど阻害されているような印象は受けない。

またマットが依頼人ブロードフィールドの妻ダイアナと逢瀬を重ねるのが実に興味深い。恋とか愛とかを期待することの無くなった男が一時の迷いから留置場に夫を入れられ、怯える女性にほだされてしまう。それはお互いが孤独を怖れたからだ。マットは長い孤独に嫌気が差しており、ダイアナは子供を抱えてこれからどうすればいいのか不安に駆られている。そんな状況で生まれた恋情はしかしマットに余計な犠牲者を増やすという過ちを犯させてしまう。酒に溺れるだけでなく、今回は女に溺れることで有力な手がかりを持つであろう男を喪うマットはこのように有能でないからこそ、実存性をリアルに感じさせる。

(ちょっとネタバレ)

物語の最後、釈放されたブロードフィールドの許を去ると云っていた妻のダイアナからの連絡はなく、またブロードフィールドもまた何者かによって殺されてしまう。ダイアナの心境の変化については語られていないが、恐らくは夫が殺されたことで妻は改めて夫への愛を再認識したのではないか。もはや終わったと思った結婚生活だったが、夫を喪ったことでその存在が自分の心に行かに大きな割合を占めていたのかを知らされたのではないか。マットに惹かれ、新しい一歩を踏み出そうとしたのは確かな真実だろうが、それ以上の真実を思い知らされたのだろう。そんなことは物語には書かれていないが、私はそう思いたい。
短いながらもこんな風に大人の心の機微を考えさせられる作品だ。そしていまだに私は彼女が恐れた冬とは何だったのかと考えに耽っている。


No.1089 7点 殺人者と恐喝者
カーター・ディクスン
(2013/11/02 18:09登録)
本書の謎は2つ。まずは犯罪方法としての物だ。それは衆人環視下における凶器のすり替えはいかにして成されたか?
もう1つは催眠術下にある人物は殺人を教唆されたら術者の云う通りに実行するのかという物だ。
まずは後者の謎は本編を彩るガジェットとして使われている。催眠術といういかがわしい代物に懐疑的な人々はその存在をなかなか認めようとはしない。それでは百聞は一見にしかず(なおこれが本書の原題となっている)とばかりに実演してみせることになる。

カーが巧みなのは、この前段に夫が浮気の末に若い娘を殺害したことを妻が知らされていることが冒頭で読者に知らされていることだ。果たして不貞を働いた夫を妻は許せるのかと云うバックグラウンドを盛り込んで、この催眠術による殺人教唆のスリルを盛り立てている。
その設定から一転、明らかに人を殺せない凶器がいつの間に本物にすり替わって、被験者が皆の目の前で殺人を犯してしまうというショッキングな謎にすり替わるのだ。この辺の謎から謎への移り変わりの巧みさはまさにカーならではだろう。

メインの凶器すり替りのトリック、また2番目に起きる毒殺未遂事件双方のトリックに共通するのは手品で云うところのミスディレクションであることだ。これは本書のモチーフである催眠術にも同じことが云える。人に暗示をかけ、誘導する、つまりディレクションを示すことが催眠術である。つまり本書では人の心や興味は容易に操れるのだということになろうか?
さらに突き詰めていけば、タイトルにもなっている殺人者と恐喝者の立場が最後に逆転するのもまた物語全体に掛けられたミスディレクションなのだ。

これについては解説で訳者の森氏も触れており、やはり当時も物議を醸しだしたことが書かれている。果たしてこれをフェアと採るかアンフェアと捉えるかは読者のカー・ファン度の強さ、もしくは本格ミステリに対しての寛容さが試されることだろう。正直私の判断は微妙だ。

そして本書の原題“Seeing Is Believing”は邦訳では前述のとおり、「百聞は一見にしかず」という意味だが、本来ならば最後に“?”が付くことが本書における意味を最も示しているように思う。見ていることが必ずしも真実ではないのだと、カーは本書に仕掛けられたミスディレクションの数々で示しているように思えてならない。


No.1088 7点 9・11倶楽部
馳星周
(2013/10/27 13:55登録)
本書は一種変わったクライム小説だ。救急救命士という真っ当な職業に就く人物が主人公であると変化球を見せれば、新宿に蔓延る中国マフィア連中によって翻弄されるいつものパターンもある。そして最後には都知事爆破を企むというクライムノヴェルの様相を呈していく。

しかし根っこにあるのは家族を喪った心に獣を飼う男と貧しくも逞しく生きる、東京に親を剥奪された子供達との適わなかった幸せだ。
この救急救命士の織田と云う主人公は暗黒小説の雄である馳氏の作品とは思えないほど、クリーンだ。昔消防士だった頃に地下鉄サリン事件で妻と子を亡くしたという苦い過去を持つ男だ。

特に織田の人生が破綻していく動機が他者のためであるのが特徴的だ。今までの馳作品の主人公は己のエゴや黒い欲望のために他人を出し抜き、一攫千金を夢見て、のし上がる、もしくは理想の楽園へ逃れようと実に利己的な動機だったのに対し、織田は親を祖国へ強制送還され、自分たちだけの力で生きていかざるをえなかった明たち不法就労者の残留児たちの生活を守るために、悪事に手を染め、安定した救急救命士という職を擲ち、窮地に陥っていくのだ。彼が求めたはかつて持っていた家庭と云う温もりと長きに亘った孤独への別離。明や笑加を筆頭にしたたかにも逞しく生きる子供らとの生活が長く続くことを願ってやまなかったことだ。

そしてさらには呪詛の羅列のような唾棄すべき内容の文章だったのが、ここでは織田と笑加、明たち少年たちの交流を瑞々しく描いている点だ。彼らは生き抜くために犯罪に手を染め、大人を出し抜き、更には自分たちの不遇を呪って都庁爆破と云うテロを企てているという、いわばとんでもないアウトローの集団なのだが、実の素顔は日々不安を抱えて生きている少年少女であり、それが子供と妻を地下鉄サリン事件で亡くした織田にとっては何物にも代えがたい宝石となっているのだ。
その心温まる交流が随所に挿入され、テロを計画するという陰謀とは裏腹に家族愛を感じさせるのが皮肉だ。
まさにこれは馳流大家族ドラマとも云えよう。

これは家族を守ろうとする一人の男の愛の強さを描いた物語だ。しかし馳氏の手に掛るとその愛の強さはテロをも生むのだ。安定した生活を擲って家族のために犯罪に手を染めていく不器用で愚直な織田に、どこか昭和の男の香りを感じてしまった。


No.1087 9点 女王陛下のユリシーズ号
アリステア・マクリーン
(2013/10/19 00:31登録)
ここにあるのは極限状態に置かれた人々の群像劇。筆舌に尽くしがたいほどの自然の猛威と狡猾なまでに船団を削り取るドイツ軍のUボートとの戦いもさながら、それによって苦渋の決断を迫られる人々の人間ドラマの集積だ。

総勢25名にも上る登場人物一覧表の面々についてマクリーンはそれぞれにドラマを持たせ、性格付けをしている。
それら数多く語られる各登場人物の痛切なエピソードの中でとりわけ強烈な印象を残すのは一介の水雷兵ラルストンだ。
物語半ば過ぎで訪れる輸送船団の1つヴァイチュラ号の撃墜を躊躇う理由が明かされた時の衝撃は今まで読書歴の中でも胸にずっしりと圧し掛かるほど重いものだった。

正直このような物語の結末は開巻した時から読者にはもう解っているようなものである。とりわけ精緻を極めた実に印象的なイラストが施された表紙画が饒舌に先行きを物語っている。しかしその来たるべき結末に至るまでの道行きが実に読み応えがあるのだ。

涙が無しでは読めぬとまではいかないまでも目頭は熱くなるであろう本書は確かに傑作であった。海洋冒険物だから、戦争物だからと苦手意識で本書を手に取らないのではなく、昔の男どもの生き様と死に様を存分に描いたこの物語にぜひ触れてみてほしい。


No.1086 7点 奇術師
クリストファー・プリースト
(2013/10/13 00:53登録)
19世紀末から20世紀初頭にかけて一世を風靡した二大奇術師の対決の物語。しかしそこはプリースト、単純な話にはならず、得体のしれない双子の存在が物語の物陰から見え隠れする。それはまたプリースト特有の、自身の存在、そして住まう世界が揺らぐ感覚でもある。

物語の大半を占めるのはこの2人の奇術師アルフレッド・ボーデンが生前遺した自伝とルパート・エンジャの日記という手記だ。その中心にあるのはそれぞれが発案した瞬間移動奇術の正体だ。
それがやがていつの間にか一人の人物の存在というものへの疑問へのと変わっていく。
瞬間移動奇術を通じてアルフレッド・ボーデン、ルパート・エンジャという名前を持つ存在は一人の男だけの物なのかを問う物語、というのは大袈裟な表現だろうか。

そして驚愕の真相が明かされるが、正直この真相は分かりにくい。なぜならこの顛末を語るのは誰なのか解らない「わたし」だからだ。この私はルパートなのか、それともアンドルーなのか最後まで解らないからだ。それまでの物語の流れから推測するのみ。

プリーストの、存在という基盤が揺らぐ書き方はさらに曖昧になってきている。読者もその理解力を試される作家だと云えよう。二度目に読むとき、違和感を覚えた記述の意味が解る、二度愉しめる作品の書き手でもある。しかしこれほど頭を揺さぶられる読書も久しぶりだ。次は読みやすい本でも手にしよう。


No.1085 8点 幻夜
東野圭吾
(2013/10/04 23:32登録)
『白夜行』が昭和史を間接的に語った2人の男女の犯罪叙事詩ならば『幻夜』は平成の新世紀を迎えるまでの事件史を背景にした犯罪叙事詩と云えよう。
ただそういう意味では本書は『白夜行』の反復だとも云える。史実を交え、2人の男女の犯罪履歴書のような作りは本書でも踏襲されている。違うのは『白夜行』では亮司と雪穂の直接的なやり取りが皆無だったのに対し、本書では雅也と美冬との交流が描かれることだ。
さらに『白夜行』では雪穂と亮司は絆よりも太い結びつき、魂の緒とでも呼ぼうか、そんな鉄の繋がりで人生を共にしていたのに対し、雅也と美冬の関係はちょっと色合いが違う。

ここに『白夜行』との違いがある。『白夜行』では男女2人の共生の物語であったのに対し、本書は女王と奴隷の関係にあった男が女王に背反する物語なのだ。

読中様々な思いが去来した本書だが、この最後に至ってようやく理解できた。
これは一人の女の生まれ変わりの物語なのだ。
『白夜行』で書かれたのは19年の道行き、そして本書ではたった5年の歩みだ。水原雅也を騙し続けた5年と云う歳月を長いと取るか短いと取るか、それは人によって様々だろうが、『白夜行』を読んだ私にしてみればそれは短いと感じる。それはつまり美女である唐沢雪穂でさえ、年には勝てなかったという暗喩になるのかもしれない。“花の命は短い”というが、生き急いだ新海美冬はそれを一番感じていたのかもしれない。
だからこそ彼女は美を追求し、自らの若さを保とうとする。そして恐らくこの新海美冬の物語もまた唐沢雪穂と云う女性にとっては一過程に過ぎないのだ。

20世紀を生き延び、新たなる世紀を迎えた唐沢雪穂の人生は今後も続くことだろう。彼女の前に第二、第三の水原雅也が現れ、彼らを踏み台にしてさらに上を目指していくことだろう。さらに穿って考えるとこれは不屈の女の物語とも云える。どんなに窮地に陥ろうが、知恵と美貌と人心操作術を使って乗り越える、女の細腕繁盛記の悪女版と捉えることもできる。
彼女の物語が今後語られるかどうかは解らないが―解説によれば三部作構想もあるらしい―、どうにかこの女の最期を見たいものだ。そう思っている読者は私だけではないだろう。


No.1084 7点 やつらを高く吊るせ
馳星周
(2013/09/23 20:13登録)
スキャンダル専門のカメラマン、いわゆるパパラッチの栃尾を主人公にした連作短編集。

最初の「DRIVE UP」で関わった闇金融屋吉井の指図で様々な人間の秘密を栃尾は暴いていく。
「DRIVE OUT」では政治の大物重久洋一の孫娘岡本洋子を、「POLICE ON MY BACK」では新宿署の悪徳警官の浅田正次が、「GOING UNDERGROUND」では亡くなった銀行の支店長森脇誠から、。「PRIVATE HELL」では政財界の大物たちが顧客の占い師遠藤和江から借金を取り返すために秘密を探り、そして最後の「SHOULD I STAY OR SHOULD I GO?」では吉井秀人から逃れるために彼の秘密を探る。

各編に挿入される“Driiiive!”というマンガ的効果音のような単語が物語をシフトチェンジさせ、栃尾の狂気を、出歯亀根性を加速させる。いや、寧ろ馳氏は物語にロックの持つ躍動感とパンクの放つ破壊的欲望や煽情性を織り込むために積極的に取り込んだのだろう(ただ本書のどこにも著作権使用の断りがないのが気になるが)。
そして面白いのは栃尾がエクスタシーに達するが如く、その覗き見趣味の好奇心が増せば増すほど、吉井への憎悪が募れば募るほど、“Driiiive!”の“i”の数が増えていく。第1編目では4つだったのに対し、2~4編目は6つに、5、6編目は7つに増えていく。“i”はすなわち“I”、つまり「私」だ。この“i”の数が主人公栃尾の自我が覚醒し、エゴが増大するバロメータを表しているようだ。

スキャンダルこそが自分にエクスタシーをもたらすという覗き見ジャンキーのパパラッチ栃尾と金を取り返すためには他人をとことん利用し、人生を破滅させることも厭わない冷血漢吉井。
この2人は『不夜城』シリーズの主人公劉健一を二分したようなキャラクター造形である。

したがってお互いが忌み嫌っているのに、なくてはならない存在となって依存している。特に吉井と栃尾は先に述べたように劉健一を二分したかのようなキャラクターゆえにお互いが貶めようとしているのに最後はさらに関係は深まって手を組むのだ。
そして彼らは再び秘密を探るため、ポルシェで夜を疾走する。しかし本書の時代はバブル全盛期。その後の崩壊後の彼らは一体どうなったのか?なんだかんだでこの今でもしたたかに生きているに違いない。


No.1083 7点 キング・オブ・クール
ドン・ウィンズロウ
(2013/09/16 19:09登録)
『野蛮なやつら』が還ってきた!前作で華々しい最期を遂げた彼らの続編はその事件の前日譚。流石に前作に見られたあの鬼気迫る短文と固有名詞の乱れうちのような文体は鳴りを潜めているが、それでも彼ら3人を語るオフビートテイストな、ちょっと特異な文章と短い章で刻んでいくストーリー運びは健在。ちなみに第1章が一行で始まるのもまた同じだ。

その第1章が前作では「ざけんな!」であったのに対し、今回が「あたしとしてよ」だったのには思わずニヤリとしてしまった。日本語では解らないが、これは前作が“Fuck you!”であり、今回が“Fuck me.”と対語になっているのだ。もうこの1章から一気に彼らの世界に引き戻されてしまった。

さてウィンズロウ読者には嬉しいサーヴィスが。なんとボビーZとフランキー・マシーンが客演するのだ。

しかし最近のウィンズロウは麻薬をテーマにした作品が多い。しかもそれらは常に血みどろの惨劇になる。また麻薬は関係ないかと思われた作品でも麻薬が絡むことで昏い翳を落とす。『犬の力』を構想中に得た麻薬業界の知識と麻薬捜査の現状の虚しさが作者に怒りを与え、もはやライフワークの感がある。
ファンの1人としてはあまり麻薬に固執せずに物語のアクセントとしてこれからも面白い物語を紡いでほしいと願うのだが。


No.1082 7点 絆回廊 新宿鮫Ⅹ
大沢在昌
(2013/09/10 19:41登録)
シリーズ10作目にしてなお衰えず。いや巻を出すたびに変わる警察機構と高まる犯罪の複雑さと巧妙さを物語に巧みに織り込み、その情報量とリアリティで他の警察小説と一線を画すステータスを保ち続けている。
警察に復讐を企む正体不明の大男の出現と云うインパクト強烈な導入部から復讐者と鮫島との手に汗握る攻防戦を予想させたが、多様化する日本、特にその中心都市である東京の人種の混在が著しい新宿の犯罪の国際化が否応にもストーリーを複雑化させていく。

正体不明の大男こと樫原茂の人物像はレイモンド・チャンドラーの『さらば愛しい女よ』の大鹿マロイを想起する読者も多いだろう。斯くいう私もそうだった。登場シーンもいきなり出てきて話しかけるところといい、恐らく作者も意識をして造形したのではないだろうか。但しチャンドラーがマーロウとマロイを物語の冒頭で邂逅させたのに対し、大沢氏は鮫島が樫原の正体に行き着くまでにかなり筆を費やし、簡単には対決させず、逆に樫原の起こした事件の痕跡を追わせて最後に樫原を邂逅させることで樫原の凶暴性を伝聞的に記述することで、まだ見ぬ大男の恐ろしさを描くことに成功している。

私は前作を読んだ時にシリーズ10作目となる次回作がシリーズの最終作となるのではないかと予想したが、それを裏付けるかの如く作中にはそれまでのシリーズを回想するかのごとく、それまでのシリーズで語られたエピソードや事件、鮫島の前から消えた人々の事が触れられる。

そして本書でもさらに鮫島にとってかけがえのない者たちとの別れが描かれる。この選択はかなりの冒険だったのではないだろうか。

前作まで積み上がってきた新宿鮫の世界を彩るバイプレイヤーは本書にて一掃されたと云っていいだろう。しかし最後に鮫島の前に残ったのは警察機構の爆弾として周囲から疎まれたジョーカーだった鮫島の後押しをする仲間たちだった。
次作からはまさに新生“新宿鮫”の幕明けとなるだろう。作者の飽くなきチャレンジ精神に敬意を表し、これからも応援していきたい。


No.1081 7点 魔法
クリストファー・プリースト
(2013/09/07 18:21登録)
本書の原題は“The Glamour”、本書の中で“魅する力”と称されている力を指している。この物語の2/5辺りで唐突に出てくる言葉の正体はなかなか読者には理解できない。主人公リチャードの恋人スーだけがその力を理解している。

この“魅する力”を通じて本書では目で見えていることが真実ではないということを訴えているようだ。それは現在の脳科学の分野でも脳が都合の良い物を選択して見せており、あらかじめ像を予想して見せているとまで云われている。特に350ページ辺りで不可視人の仕組みを脳の認識に関する考察を交えて語る件は非常に面白く読んだ。つまり人は見ているようで見ていない。これは乱歩が好きだった言葉“うつし世はゆめ よるの夢こそまこと”そのものである。

本書を含め、プリーストの物語は落ち着くべきところに落ち着かず、明かされるべき謎がさらに謎として深まっていくばかりだ。『逆転世界』ではその特異な世界そのものが実はなんら変哲もない地球上での出来事だったこと、『ドリーム・マシン』では投射世界という仮想空間と現実の境界が曖昧になり、区別がつかなくなっていった。そして本書では結局どの記憶が正しかったのかが解らなくなってしまう。つまり我々が立っている世界がいかに不安定なのかを思い知らされるのだ。
答えを知りたいという読者にはこれほど向かない作家はいないだろう。正直私自身またもや放り出されたままの結末にどうしたらよいのかいまだに解らないのだから。


No.1080 8点 クイーンズ・コレクション2
アンソロジー(海外編集者)
(2013/08/28 18:03登録)
前回のコレクションに続くパート2という位置づけだが、原題は『~コレクション1』が“Ellery Queen’s Veils Of Mystery”、つまりミステリと云うベールを剥がす作品を集めた物であるのに対し、本書は“Ellery Queen’s Circumstantial Evidence”つまり情況証拠をテーマにしたアンソロジーなのだ。

さて本書の個人的ベストは「夢の家」。この小さな町のお巡りの一人称叙述で語られる叙情溢れる物語は短編映画を観たような味わいを残す。
またこんなの読んだことないと思わせられたのはロバート・トゥーイの「支払い期日が過ぎて」。とにかく主人公の狂人とも思える会話の応対は読者を幻惑の世界へ誘い込む。シチュエーションはローンの取り立てとその債務者の会話というごく普通なのにこれほど酩酊させられる気分を味わうとは。とにかく予想のはるか斜め上を行く作品とだけ称しておこう。
本書収録作品の出来はレベルが高く、読後も引き摺る余韻を残す作品が多い。フェラーズの「忘れられた殺人」やレンデルの「運命の皮肉」、リッチーの「白銅貨ぐらいの大きさ」にハイスミスの「ローマにて」、ラッツの「もうひとりの走者」とウェストレイクの「これが死だ」にイーリイの「昔にかえれ」と最後のエリン「不可解な理由」などは割り切れない結末であり、非常に後を引く。

しかし今現在この短編に収められている作品が読める機会があるだろうか?収録された作家はかつては日本でも訳出がさかんにされ、書店の本棚には1冊は収まっていた作家が多いが、平成の今その作品のほとんどが絶版状態で入手すること自体が困難な作家ばかりである。
そんな作家たちの、クイーンの眼鏡を通じて選ばれた作品を読める貴重な短編集である本書はその時代のミステリシーンを写す鏡でもある。再評価高まるクイーンの諸作品が新訳で訳出されている昨今、この時流に乗って彼の編んだアンソロジーもまた再評価が高まると嬉しいのだが。


No.1079 7点 ポーカー・レッスン
ジェフリー・ディーヴァー
(2013/08/20 21:57登録)
これほど長く待たされたと思わせられる訳出も珍しい。前作『クリスマス・プレゼント』の刊行が2005年。原書刊行が2006年。だからいつ出るのかいつ出るのかと心待ちにしていたが、これが一向に出ない。そして今年2013年。8年の月日を経てようやくの刊行。今や現代アメリカミステリの巨匠となったディーヴァーの超絶技巧が詰まったどんでん返しの宝石箱だ。

本書における個人的ベストは表題作。本作ではディーヴァー特有の予想の斜め上を行くどんでん返しも面白いが、何よりも物語の中身が実に濃密。若い駆け出しのギャンブラーと百戦錬磨のギャンブラーの交流と息をつかせぬ大勝負の描写が実に面白い。そしてディーヴァーはこんなギャンブル小説も書けるのかと脱帽。ディーヴァーの新たな才能の片鱗を見せてくれた。

しかし今回は歪んだ社会に潜むどんでん返しというのが目立ったように思う。特に一見普通の市民がその裏では変態的な犯罪者の側面も持っているという隣人に心を許すなかれというメッセージが含まれた作品が多い。しかし地域交流もこんな話を読むと恐ろしくて気軽に出来ないなぁ。
しかし今回のどんでん返しにはあまり納得がいかない物も多く、正直云って前作より出来は劣る。これだけ物語やシチュエーションにヴァラエティを持ちながら、落ち着くところはどんでん返しという所が設定を変えただけという風に思えてしまうからだ。

とはいえ、現代気鋭の物語巧者であるディーヴァー、そのシチュエーションのヴァリエーションは実に多彩。さらに一つ一つのディテールが濃く、本当にこの人は何でも書けるという思いを強くした。

ある意味本書は読書の功罪を孕んだ作品集と云えよう。 短編集では全ての短編にどんでん返しが盛り込まれており、特に初めてディーヴァー作品を読む人は読書の至福を感じるだろう。しかし逆にこれが基準となればその後の読書に多大なる影響を与えることになりかねない。
さて彼ほど読者の期待を一身に受けている作者はいないだろう。次の短編集ではどんな奇手を見せてくれるか、実に楽しみだ。


No.1078 7点 ドリーム・マシーン
クリストファー・プリースト
(2013/08/11 22:53登録)
1977年に発表された本書は一世を風靡し、映画を変えたとまで云われた『マトリックス』の原型となる作品だろうか。
リドパス投射器という死体安置所の抽斗のようなところに寝かされ、投射された人々はウェセックスという仮想世界でそれぞれの仕事に就き、生活を営むのだ。

しかしこの投射世界という想定された未来世界に人を投入するウェセックス計画の内容が読者に解るのは150ページを過ぎたところ。つまり物語の約4割を過ぎたあたりからだ。それまでは主人公ジューリア初め、他の参加者たちが投射される目的が全く分からないまま物語は進行する。

この2つの区別のつかない世界を与えられた時、そして仮想空間の方が心地よい居場所だった時に、その人にとって現実とは果たしてどちらなのか。これが作者の本書におけるメッセージであると思う。1977年に書かれた本書は今のネット社会を予見させる内容だ。現にネット社会に耽溺し、廃人となる人々もいる。全く以て余談だが、私もオンラインゲームを嗜んでいるが、日々の雑事で週末の休日ぐらいしか訪れない。しかしそれでも常にそこにいるユーザーが居て、この人たちは一体現実世界ではどのように生活しているのだろうかと訝ることもしばしばだ。

また私は本書を別な方法で物語を閉じる方が良かったように思う。特に360ページ辺りで世界がひっくり返るような眩暈を覚えたものだ。

結局物語は何も解決せずに終わった。なんとも厭世観濃いこの結末にまだ戸惑ってしまう自分がいるのだった。


No.1077 7点 東西ミステリーベスト100(死ぬまで使えるブックガイド)
事典・ガイド
(2013/08/08 22:51登録)
意外にもアンケート結果は前回から大幅に異なることにならなかった。
国内に至っては1,2位は前回と同じだ。3位に島田荘司の『占星術殺人事件』がランクインしたのは快挙だし、このアンケートの意義を感じさせる。海外はクリスティが1位を獲得。前回1位の『Yの悲劇』は2位に甘んじた。
その他詳しいランキングについては本書に付されている座談会に詳しいのでそちらに譲るが基本的に27年経っても読者の嗜好は変わらないのだということを再認識した次第だ。確かに現在は本格ミステリの勢いがあり、前作のランキングに多く見られたハードボイルドや冒険小説の類はほとんど鳴りを潜めている。とはいえこの結果はつぶさにランキングを見ないとなかなかに気づかない。それほど両者のランキングは似通っている。
即ち読者がミステリを読み始めた頃に得た驚きや愉悦の記憶、即ち黄金体験はなかなかぬぐえないほど鉄板なのだということだろう。

これはやはりミステリ読者が一生のうちに2,3回体験できるか解らないお祭りなのだ。そしてその結果はその時代性を語る上でも貴重な資料になり得る。

本書を手にしてぜひともミステリの森を散策してもらいたい。そしてミステリ愛読者ならばなぜその作品が選ばれたのかミステリとしての意義をぜひとも読み取ってもらいたい。ただ単純に面白いとだけで選ばれた作品ではない。本書のランキングに収められた作品はミステリの歴史に道標を築いたエポックメイキングな試みや大胆な発想が込められているからだ。

とはいえ勉強のための読書も面白くない。これからミステリを読もうという人は本書をきっかけにミステリ愛読者への一歩を踏み出して、数年後再びアンケートが行われた時に参加し、あるいはその結果を見て読書の思い出に浸り、誰かと語り合うようになれれば実に素敵ではないだろうか。
あとは各出版社のみなさんにここに収められているミステリ作品を歴史に遺すべく古典として絶版せぬよう文化の命脈を絶たないでほしい。本書にはそんなミステリの血道を繋ぐ大きな架け橋であると私は信じている。
さて次行われるのは何十年後だろうか。その時の結果もぜひ読みたいものだ。


No.1076 8点 クイーンズ・コレクション1
アンソロジー(海外編集者)
(2013/08/05 22:51登録)
本書は80年代のEQMM誌に発表された短編を集めたアンソロジーの第1弾。その顔触れはまさに錚々たるメンバーだ。
エラリイ・クイーンが選出したEQMM誌収録の短編集だからといって必ずしもトリックやロジックが横溢した短編とは限らない。いやむしろそのような本格推理物を期待しない方がいいだろう。
ジャンルはクライムノヴェルに誘拐物、サスペンスにホラーにスパイ小説、サイコ物に奇妙な味と実に多岐に渡る。

私のお気に入りの作品はジャック・P・ネルソンの「イタチ」、L・E・ビーニイの「村の物語」、ダグラス・シーの「おせっかい」、ジョン・L・ブリーンの「白い出戻り女の会」、ジョン・ボールの「閉じた環」、ロバート・L・フィッシュの「秘密のカバン」が挙げられよう。これらはアイデアが実に秀逸で短編を読む楽しみに満ちた作品だ。
しかし個人的ベストを挙げるとすれば最後に収録されたウィリアム・バンキアの「危険の報酬」となる。久々に心地よい余韻に浸った味わい深い作品を読んだ。そしてこのような作品をクイーンが選んだことに彼の懐の深さを感じる。
本書は逆にそういう意味ではクイーンが選んだということである種の先入観を抱かせて、損をしているように思える。

しかしこれは思わぬ収穫だった。続く2巻目も愉しみ♪


No.1075 7点 殺人の門
東野圭吾
(2013/07/29 09:41登録)
主人公田島和幸が倉持修と云う男を殺すに至るまでを600Pを超える分量で描いた作品。

それにつけても主人公田島和幸の人生とは面白いほどに不幸だ。名家だった家は父の浮気で没落し、借金苦から大学進学もままならず、また入学した学校や就職した会社ではなぜか誰かに目を付けられ、いじめを受ける。そんな負の連鎖の人生で彼が望んだのはつつましいながらも家族を持ち、家を持って普通に暮らすことだ。しかしそんな庶民的な夢でさえ、結婚相手がとんでもない浪費家でコツコツと貯めた貯金を全て使われ、さらにはクレジットローンや街金の借金まで背負わされる。普通に暮らすことさえも望めない男だ。

しかしそれも自分に人を見る目がないこと、人を疑うよりも人の話を容易に信じる性格が災いしている。何事につけ、そんな悲惨な結果を招いたのが自分の選択眼の甘さだということを知らされながらも同じ間違いを犯す。それは自分の将来を奪ったダメ親父と自分が同じだということに気づかない鈍感さによる。田島が身持ちを崩したのはホステスに入れあげ、破産した親父と全く同類なのだ。またそんな生い立ちだからか、自分の失敗についての反省の念が強すぎるというのもまた欠点だ。借金を作った妻に浮気がばれ、その事で誓約書を書かされる体たらく。それまで妻が田島に行った仕打ちを考えれば、そこまでする必要がないのに、相手の糾弾に物凄い罪悪感を抱き、詳らかに浮気の状況を妻の云うがままに書くシーンではどこまでお人好しなのだと呆れた。

そして折に触れ田島の人生に関わる倉持修という男が本書の最大のミステリだろう。
なぜか主人公の田島和幸の人生の節々で関わり合い、彼の慎ましい人生を変えていく。それも悪い方向に。それは残った2枚のカードを眼前に突き出したババ抜きの最終局面を再会するたびに差し迫られているようだ。

(以下少しネタバレ)

この倉持と云う男は田島を嵌める悪意はあったのか?いや私は読中、恐らくなかったのだろうと思っていた。倉持という男は田島が好きだったのだろう。だから自分が面白いと思っていることに彼を引き込みたがるのだ。そして田島がそれに夢中になるのを見るのが楽しいのだ。そして自分の利益や保身を優先する性格であり、その犠牲として田島に来るべき災厄を振るのだ。しかしそんな倉持の行為に悪意はないだろう。恐らく彼が困ったとき、面倒事が起きたときに、軽い気持ちで田島に任せるか、ぐらいの気持ちでしかないのだと。
つまり倉持とは知らず知らずに自らが原因で周囲の人に迷惑を掛けてしまう男であり、そのことに自覚的でない人間だ、そう考えていた。
しかし読み進むにつれて次第に上昇志向が強く、他者を踏み台にして成りあがろうとする倉持は自分の人生に田島という踏み台を見つけたのだという風に思うようになった。倉持にとって田島と云う男はカモなのだ。彼が成り上がるために手元に残ったジョーカーを引かせるための相手なのだろう、と。それは物語の最終である人物の口から倉持の人となりを明かされる段でそれが間違いではなかったことが明かされる。作中では“捨て石”という表現が使われていた。

「手玉に取られる」という言葉があるが、これほど倉持に手玉に取られる田島の人生も珍しい。

最後はほとんどホラーのような結末だ。そして田島が目的を果たしたのか否かも定かではない。ひたすらに田島和幸と云う男が人生を狂わされたことが解るだけだ。またもや救われない物語を東野圭吾は生み出した。読後の今は何とも言えない荒廃感だけが残っている。


No.1074 7点 葬列
小川勝己
(2013/07/22 23:02登録)
小川勝己氏が横溝正史賞を射止め、その年の『このミス』でも第位にランクインした鮮烈なデビュー作がこれ。現在の奥田英郎作品の『邪魔』、『無理』のような、社会の底辺で貧困にあえぐ下層社会の人々が一世一代の大勝負に出るピカレスク小説だ。

葬列。そのタイトル通り、死屍累々の山が築き上がる。その有様は実に壮絶。これは宴である。狂乱の宴だ。性格破綻者の小市民たちとやくざとの抗争と云う名の宴だ。

史郎、明日美、しのぶ、渚の4人組がいよいよ九條の別荘に乗り込む420ページからの約40ページは新人の作品とは思えないほどの勢いと迫力に満ちている。息を呑んでページを繰る手が止まらない自分がいたことを正直に白状しよう。
さてやくざが絡む大金を巡る下流社会の人々の抗争と云えば馳作品を想起させるが小川作品と馳作品とではテイストが全く異なる。馳氏の物語は人間の卑しいどす黒い負の衝動を物語が進むにつれて肥大させ、それが破裂して破滅の道を辿るという、終始暗いムードが漂うが、小川作品は登場人物たちの設定ゆえにどこか滑稽でこれら頼りない社会の底辺で生きる面々をいつのまにか応援してしまうのだ。

惨たらしい殺戮シーンながらもどこか爽快感とカタルシスが残り、主人公と同様のひと仕事を終えた心地よい疲労感が得られる。
それはひとえに小川氏の描く登場人物造形のユニークさがあるからだろう。白いマンションに住むことを夢見て過去にマルチ商法に嵌って夫を身体障害者にしてしまった三宮明日美。明日美をマルチ商法に誘い、一攫千金を願いながらも上手く行かない人生を儚み、全身整形を施した人造美人の葉山しのぶ。高校の先輩に誘われて極道の世界に入ったものの、生来の気の弱さからやくざになりきれない小心者、木島史郎。アメリカ滞在時に両親をミリタリーマニアの学生らにゲームさながらに殺され、自身も輪姦されながらも唯一生き残った心をどこかへ置き忘れた帰国子女、藤並渚。
そして彼らを筆頭に敵役の九條、堺、海渡と云った極道連中と癖のある刑事隅田ら脇を固める面々一人一人が戯画的なキャラクターでありながらドラマを形作る。どこかマンガを読んでいるような感覚と妙に詳細な銃器の説明と小道具となるラヴホテルの従業員たちの仕事の内容と、パロディとリアルが同居した奇妙なノワールの世界がこの作品にはあり、それが一種独特な雰囲気を醸し出している。

正直、人が大勢死ぬ作品を読むのはどうにも辟易だったが、案に反して実に面白く読むことが出来た。アクの強い人物たちが最後に華々しく銃撃の花火を放って散りゆく。それは迫真に迫りながらもどこか滑稽で爽快感が漂う。この読後感は、そうクエンティン・タランティーノ監督作品を観た後のようだ!


No.1073 7点 約束の地で
馳星周
(2013/07/16 21:26登録)
相も変わらず人生の落伍者を取り揃えた作品集となった。ただし本書はいつもの短編集とは違い、北海道の浦河、富川、苫小牧、函館を舞台に各短編で登場する脇役が次の短編で主役となるという連作短編集となっている。

各編に共通するのは凍てつくまでの寒さ。少しばかりの厚着では瞬く間に体が冷え切ってしまう。情熱的な愛を重ねても熱く感じるのはお互いが繋がっている部分だけで、その他はひんやりと冷たい。温まった部屋も少しでも外気に曝されればたちまち寒気のただ中だ。そんな場所である北の地ではなかなか人の温かみや温もりというのが持続しない。だから人は言葉少なに閉じこもって過ごすのだろう。その簡単に命さえも奪ってしまうような極寒の地だからこそ人の事よりもまず自分の事をしなければ生きていけなくなってしまうのだ。

本書のタイトルは『約束の地で』で発表は2007年。馳氏は北海道出身で作家デビューが1998年。つまりこのタイトルには作家生活10周年を迎えた暁にはその記念碑的作品を自らの故郷である北海道を舞台にしてという意味が込められているのではないだろうか?
故郷に錦を飾るという言葉があるが、馳氏は本書を以てそれを成したと云えよう。そして通常ならば自分の生まれ故郷を舞台にした作品を書くならば、それまでの作家の集大成的な作品として感動巨編的な物を書こうと思うのが普通だが、馳氏はあくまで自分の作風にこだわり、敢えて故郷を舞台に不幸な人間の遣る瀬無さが漂う物語を紡いだ。これが彼の10年間で得た物です、そんな風に云っているように私には思えた。

今まで馳氏の短編集は本当に救いのない話ばかりで、むしろ作者がわざと大袈裟に不幸を愉しんで書いているような節を感じて嫌悪感さえ抱いていたのだが、本書においては同じ不幸を描きながら、酒、ドラッグ、暴力、セックスに淫せずに我々市井の人々の中にいる不幸な人をじっくりと、しかし敢えて過剰な抑揚を排したこの物語群はそんな負の感情を抱かずに楽しめた。これ以降の馳作品もこのような読み応えを期待したい。


No.1072 7点 逆転世界
クリストファー・プリースト
(2013/07/15 21:02登録)
<地球市>と呼ばれる都市は軌道上に乗る動く7層からなる都市でその行先の測量をし、軌道を敷設し、断崖があれば橋を架ける。それがギルド員の仕事だった。1年に約36.5マイル動く都市に住む人々の年齢もまた時間ではなく、距離で表現される。人は650マイル、即ち約18歳になると成人とみなされ、それら複数のギルドの中から自分が就くべき職業を選択する。そして成人になるまで都市の人々は外の世界へでることはないのだ。
クリストファー・プリーストが1974年に発表したSF小説である本書はそんな奇想が横溢する世界が舞台だ。

動かざるを得ない都市があるこの星の世界は数学的理論に支配され、とにかく読んでいる間は次第に見えてくる世界の摂理にうなされてばかり。奇想、奇想の連続だ。

しかしそんな動く都市と歪む世界の摂理は第4部で驚くべき転換を見せる。その衝撃は某有名映画が存在しなければかなりの衝撃を私にもたらしただろう。

しかしそんな先行作の二番煎じと断ぜずにこの作品の抱えるテーマをじっくりと考えてほしい。歪みゆく世界から逃れるために動く都市。彼らの行動原理には原因と結果が備わっており、この世を理解するに十分な論理が存在している。そんな安定した世界観を覆す奇想。まさにコペルニクス的発想転換。当時のガリレオの地動説が発表された衝撃と黙殺しようとした学会の気持ちが実によく解る。

色んな要素を含んだこの作品を一概にSF作品とジャンル分けするべきではない。宗教的な盲信の恐ろしさと奇想の数々、そしてそれを覆す論理的展開。現在でも本書が手に入る状況を保っている出版社の志に感謝!

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