Tetchyさんの登録情報 | |
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平均点:6.73点 | 書評数:1619件 |
No.1119 | 7点 | 暗闇にひと突き ローレンス・ブロック |
(2014/04/19 20:57登録) シリーズ4作目の本書ではスカダーは彼が警官時代に担当した連続殺人事件の被害者の真犯人を捜そうとする。それは彼の過去との対峙でもあった。 アイスピックを使って女性ばかりを襲う連続殺人魔。8人もの犠牲者が出た後、ぱったりと事件は沈静化する。それは当の犯人が長期強制入院させられていたからだった。そして9年後の今、その犯人が捕まり、解った事実が8人の犠牲者のうち、その1人バーバラ・エッティンガーは自分が殺したのではないということ。その父親は彼女を殺した真犯人捜しを当時警官で事件を担当していたマットに依頼するというのが今回の話だ。 しかし連続殺人犯をテーマに扱いながら、ブロックはなんとも地味に物語を展開させるのだろう。通常ならば連続殺人犯による犯行がリアルタイムで起きている状況下で物語を紡ぐことだろう。その方がサスペンスも盛り上がるし、また何より物語に起伏も出る。 しかし敢えてブロックはそれをある女性の過去の殺人の真相を探るモチーフとして扱うだけに留めるのだ。しかも連続殺人事件は9年も前の事件にして。従って物語は数少ない当時を知る人を探り当てるところから始まり、また当時を知る者も既に記憶が曖昧になって実に心許ない。つまり読者は過去を探るスカダーと共に何とも手ごたえの感じない捜査の一部始終を体験するのだ。 なにゆえこのような展開をブロックは選んだのか。やはりそれがスカダーの向き合う仕事に相応しいからだということだろう。連続殺人犯と云う敵と戦うマットはどうしても武闘派にならざるを得ないが、マットにはそんなポジティブな行為は似合わず、過去の疵を抱いて時々自分に仕事を頼む人から少しばかりの報酬を貰ってその日暮らしの生活をする、人生の落伍者には過去を辿る行為こそがお似合いなのだろう。 前作でも抱いたのはなぜスカダーは敢えて寝た子を起こすような行為をするのかということだ。しかしその疑問について私はある一つの答えを得たような気がした。それは自身が抱える過去の闇を忘れずに酒に溺れ、半ば死んでいるような日々を送っているからこそ、過去を忘れ去ろうとする人々が許せないのだろう。 しかし過去を抱えて今を生きるマットの生き方は決して誉められたものではない。『一ドル銀貨の遺言』では過去の過ちを消し去ろうと努力し、それぞれが成功を収めている人々がいる。過去を抱え、定職にすらつこうとしない男と過去を消し、いまを生きようとする人々。この二律背反な構図は決してスカダーが真っ当な人間ではないことを指す。 しかしこれこそが正義を貫くことの代償なのだろう。正しいことをすることは何かを捨てる事なのだとブロックはスカダーで表しているのかもしれない。 このマット・スカダーの物語は上昇志向の人々にはそぐわないものだろう。誰でも失敗はするし、それを糧にして今をもっと頑張ろうと生きる。マットの生き様はそんな前向きの生き方とは真逆なものだ。 原題は“A Stab In The Dark”。Stabという単語には「突き刺すこと」という意味以外に「人の心を傷つける事」という意味も持つ。暗闇にひと突き。暗闇は9年前の事件のことを指す。すなわち忘れ去られようとする過去でもある。その暗闇を突き、人の心を傷つけたのはマットその人であった。すなわちこの題名は過去を掘り起こすマットのことを指しているのだ。読後に立ち上るもう1つの意味。実に上手い題名だ。 |
No.1118 | 10点 | 容疑者Xの献身 東野圭吾 |
(2014/04/15 23:05登録) 人生を変えた1冊とは通常読み手が出逢った本の事を差すが、東野圭吾は本書を著すことで長年逃していた直木賞に輝き、一躍ベストセラー作家に躍り出て人生を変えた。そしてまたそれまで東野作品の読者ではなかった私が彼の作品を読むことを決めたのもこの作品だった。 短編集で始まった探偵ガリレオシリーズは人智を超える超自然現象としか思えない事件を現代科学の知識と理論で湯川学が解き明かすというのがそれまでの作品の趣向だったが、初の長編では湯川に匹敵する天才をぶつけ、一騎打ちの構図を見せる。天才科学者と天才数学者の戦い。論理的思考を駆使する男とこの世の理を知る男。最強の矛と最強の盾の戦いはどちらに軍配が上がるのか。 しかしこの戦いは非常に哀しい。それは湯川が唯一天才と認めた石神と再会した時の語らいが実に濃密であるからだ。このシーンがあるからこそ2人の先にある運命の悲劇を一層引き立てる。 しかしなんという、なんという献身だ。正直今まで愛する人のために自らを捧げる献身の物語は東野作品にはあった。『パラレルワールド・ラブストーリー』に『白夜行』、これらを読んだ時もなんという献身なのかと思った。そしてそんな献身の物語を紡ぎながらも敢えて「献身」の名をタイトルに冠したこの作品の献身とはいかなるものかと思ったが、そのすさまじさに絶句してしまった。 そもそもは素行の悪い元夫から逃れるために起こした殺人事件が端を発した哀しい事件。事件そのものは靖子が富樫と云う男と結婚したことから始まったのかもしれない。東野氏は一度誤った人生は容易に取り戻せないと諸作品で語るが、本書もその1つである。 しかしこれほど哀しい物語に対して本書が本格ミステリが否かという一大論争が起きたことが実に馬鹿馬鹿しい。本書は推理小説なのだ。それ以下でも以上でもないではないか。暇人だけがジャンル分けに勤しんでいる。もっとこの作品を超えるような作品を切磋琢磨して世のミステリ作家は生み出してほしいものだ。それが作家としての本分だろう。 |
No.1117 | 7点 | バカラ 服部真澄 |
(2014/04/12 02:02登録) 金、金、金。金に狂い、金に惑う。金に魅せられ、ドツボに陥っていく人々。服部真澄が今回選んだ題材は金にまつわるお話だ。 今までの服部作品は香港返還に纏わる密約と陰謀、ある技術に関する特許戦争、巨大企業の買収戦争と利権を争うことをテーマにしていたが、その利権に隠されているのはやはり金。莫大な富、利益をもたらす手札の争いだった。従ってここまで明らさまに金に纏わる争いを扱ったのは本書が初めてだ。そのためか、書かれている人物たちはいつもにも増して生々しい。 誰もが必要としている金。それは我々日々の生活であればあるほど困らないいわば安心を約束する物であり、己のステータスを示すバロメータでもある。 しかし安寧を得ようと金儲けに腐心する野心家たちが情報を駆使して、司法の手の届かない地に辿り着いた時、それまでの縁が失せ、残ったのは金だけとなる。果たして彼は本当の幸せを、安らぎを手に入れたのだろうか? 作中、主人公の志貴の独白で語られるバカラの意味。その言葉はゼロを意味するという。一攫千金を夢見てカジノでギャンブルに興じる人々。その1つ、バカラにそんな意味があるとは、つまり勝ちの向こうにあるのは無ということなのか。登場人物の一人が辿り着く境地はまさにそんな虚しさを表しているようだ。 しかし今なお持ち上がっては消えていくカジノ合法化案。現都知事が唱え、大阪市長もまた同様の案を声高に叫ぶが実現しないでいる。それはカジノが放つ煌びやかな光景ゆえに孕む闇の深さゆえか。私自身ギャンブルをしないのでカジノ合法化にはそれほど魅力を感じないが、実現することで県の財政が潤うと同時に犯罪の温床ともなり得る諸刃の剣。 本書が刊行された2002年から早くも12年が経ってなおこの状況ということは夢のまた夢の話なのだろうか。 |
No.1116 | 7点 | 真冬に来たスパイ マイケル・バー=ゾウハー |
(2014/04/02 22:54登録) 2014年の今なお小説の題材として語られるキム・フィルビー事件。イギリス秘密情報機関の切れ者であり、高官の座に一番近いと云われていた男がソ連のスパイだったという衝撃的な事件は恥ずかしながら私も最近になって知ったのだが、本書はこの稀代のスパイを育て上げた伝説のKGB部員オルロフが自身を暗殺しようとする謎の人物を追って国を跨って捜査をするという物語だ。それは同時にKGBがイギリスに、いや世界各国の共産主義思想を持つ人物たちをどのようにスパイに仕立て上げたかを語ることにもなるのだ。 この虚と実が入り混じった物語展開は一方でフィクションと思いながらも、もう一方では実話ではないかと錯覚してしまう。 この作品にはフィルビー以外にもいわゆる「ケンブリッジ・ファイヴ」と呼ばれたスパイたちも実名で登場する。私が不思議なのは主人公オルロフが彼らを仕立て上げた伝説のスパイとされているため、彼らの為人を詳細に語るシーンが出てくるのだが、どうやってバー=ゾウハーはここまで人物を掘り下げることが出来たのかということだ。まるで実際に逢ったかのようだ。それほどまでにリアルに描写している。 これは老境に入ったスパイたちが過去を清算する物語だ。 スパイ活動に時効はない。バー=ゾウハーは現時点での最新作『ベルリン・コンスピラシー』でも歴史の惨たらしい暗部に携わった人々の罪が決して時間によって浄化されることはないと痛烈に謳っているのだ。 しかしなんという深みだろう。人を利用した者はまた人に利用されるのだ。最後はオルロフが述懐する、この物語の本質を実に的確に云い表した言葉を添えて、この感想を終えよう。 “諜報活動のからくりは、じつに複雑怪奇だ” |
No.1115 | 3点 | 最後の国境線 アリステア・マクリーン |
(2014/03/29 18:54登録) ロシアに囚われた弾道学の権威である博士をイギリスに取り戻す任務を与えられた特別工作員マイケル・レナルズの物語だ。 しかしこの特別工作員レナルズ、最初に説明があるようにあらゆる感情に左右されずしかも格闘術に長け、人殺しの技を身に着けた危険な男とされているが、協力者ジャンシの部下サンダーに致命的な一撃を与えるものの、びくともしないし、博士と接触した時は盗聴器に気付かずにそれが元で作戦成功に大きな打撃を与える困難を生みだし、さらにジャンシの娘に惑わされたりと、どこが凄腕のスパイなのか解らないほど、間が抜けているのだ。 しかも幾度となく彼の前に現れるAVOことハンガリー秘密警察の一員である巨漢のココとの最後の対決では打ちのめされ、サンダーにいいところを持って行かれてしまう。これが不屈の魂で満身創痍の中、人間の極限を超えて任務を遂行した『女王陛下のユリシーズ号』や『ナヴァロンの要塞』を描いた作者によって創作されたヒーローとはとても思えないのだが。 しかし今回は久々に苦痛を伴う読書だった。 というのも、ハンガリーとロシアの極寒の地の中で時には敵の追手をかいくぐりながら博士奪還のために吹雪の中を疾駆する列車の屋根に上り、連結器を外すというアクションも盛り込みながらも、ところどころに挟まれるジャンシがレナルズに語る政治論が実に濃密過ぎて物語のスピード感を減速してしまったのは否めない。この内容の濃さはほとんど作者マクリーンが抱く政治論そのものであろうが、3ページに亘って改行も一切なく語られてはさすがに疲れを強いるものであった。 マクリーン初のスパイ小説ということもあって作者の独自色を出すための構成なのかもしれないが、国家の原理原則論についてこれほどまでに弁を揮うとなると、もはや小説ではなく大説である。作家としての気負いが勝ってしまったのかもしれないが、これはいささかやり過ぎ。この手の主張は小説ではなく、また別のノンフィクションなどで語るべきだろう。 |
No.1114 | 7点 | アイルランドの薔薇 石持浅海 |
(2014/03/22 19:23登録) アイルランドの武装勢力NCFが殺し屋に依頼するある幹部の暗殺劇。このどうにもエスピオナージュ色濃い設定で本格ミステリを成立させるという異色な意欲作だ。 上に書いた物語のシチュエーションから本書が本格ミステリのいわゆる「嵐の山荘物」だと誰が想像するだろうか?石持氏はこの本格ミステリの典型とも云える、警察が介入できず、しかも外部との連絡が絶たれた状況の密室状況を、あくまで現実的で起こりうるだろう状況で実現させるためにアイルランドの武装勢力NCFの一味が宿泊先で何者かに殺害され、警察への介入を許さないというこれまでにない特異なアイデアで設定した。 そして舞台の特殊性に加えて本書には他の本格ミステリには見られない特異性がある。それは物語の状況が政治的に大事な交渉を控えていることから、NCFが納得のいく事件の解決しなければならないのだが、それは真犯人が違っていても構わないから論理的に誰もが納得のいく解答を見つけさえすればよいというものだ。 つまり本書では本格ミステリ作家がいつか直面するこの本格ミステリのジレンマをなんとデビュー作の時点ですでに取り入れているのだ。とても新人とは思えない達観した考えを持った作家である。 ただ目の前で人が亡くなっているのに、滞在客みんなで料理に興じるのには面食らった。そんな意欲が出るものだろうか?ましてや心的ショックから食欲など湧かないのではないだろうか?しかもみな嬉々として料理を楽しむのである。これにはさすがに違和感を覚えずにはいられなかった。 |
No.1113 | 7点 | ディール・メイカー 服部真澄 |
(2014/03/18 23:35登録) 今回服部氏が選んだのは一大メディア企業の買収劇。一頃日本でも話題になったM&Aがテーマとなっている。 その劇には2つの主役がある。 一つは世界中で有名なアニメキャラクター「くまのデニー」を抱え、そこから映画部門を創設して世界にテーマパークを持つまでになったハリス・ブラザーズ社。これはまんまディ○ニーそのものだ。特に作中で描写される「くまのデニー」の風貌はミッ○ー・マウスそのままのようだ。 もう一つはコンピューター・ビジネスの巨大企業『マジコム』社。天才的カリスマ会長兼CEOのビル・ブロックはビル・ゲ○ツを髣髴させる。こちらは恐らくマイク○ソフト社がモデルだろう。つまりアメリカきっての二大大型企業、ディズ○ーとマイ○ロソフトの仮想一騎打ち買収対決が本書であると云えよう。 服部氏が凄いのはこの買収劇にアメリカのある法律を絡ませていることだ。以前、某企業が発明した権利は会社の物か発明者の物かという問題が起きたが、本書の問題もそれに近い。 これは天才によって創立された会社が抱える盲点であり、その歴史が古ければ古いほど起こり得る事態ではないだろうか? しかしながら服部氏の広範な知識と緻密な取材力には全く以て脱帽だ。何しろアメリカを舞台にアメリカの法律下で買収戦争を描き、さらにそこにアクションシーンも盛り込んでキチッとエンタテインメントしているのだから畏れ入る。600ページを超える大著だが、そのページ数が必要なだけの情報量、いやそれ以上の情報量を含みながらアメリカの法律に疎い我々一般読者に噛み砕いて淀みなく物語を進行させる筆の巧みさ。作品を重ねるごとにこの著者の作品はますますクオリティの冴えを見せてくれている。 我々の知らない世界を次作でも見せてくれることを大いに期待しよう。 |
No.1112 | 7点 | 泥棒は哲学で解決する ローレンス・ブロック |
(2014/03/11 23:11登録) 前作『泥棒は詩を口ずさむ』から引き続きバーニイは古書店店主を営み、友人の犬の美容師キャロリンは前作の事件がもとで彼の泥棒稼業のパートナーとなって一緒に盗みを働いている。 そして泥棒に入った家でまたもや殺人事件が起き、バーニイは容疑者になってしまうが、今回は逮捕されず任意同行と云う形で警察署に引っ張られるものの、生き残った被害者への面通しで別人だとされるのが今までとは違うところ。つまり今までは警察に捕まりそうになったところを寸でのところで逃げ出し、世間から隠れながら事件を解決するという手法だったのだが、本作では証拠不十分として釈放され、警察からの嫌疑を受けながらもいつも通りの古書店主としての生活をして犯人探しをしているのがミソ。これが今まで行動の不自由さゆえに物語が停滞しがちだったこのシリーズの欠点を見事に補っており、通常よりも物語に躍動感があるように思えた。 2人もの死人を出しながらも一人の死を巡ってそれぞれの関係者に隠された暗い過去や事実を探るマット・スカダーシリーズの語り口よりも明るいというのが非常に面白い。 また作中やたらとロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを揶揄しているのが目に付いた。自身の生み出したアル中探偵マット・スカダーと健康的で現代的な探偵スペンサーとを比較しているのだろう。どちらもネオ・ハードボイルドとして新たな探偵像を描きながらも、スペンサーシリーズの方が当時は売り上げも高かったことに対する作者のやっかみのようにも取れる。こんな健全な探偵が活躍する物語のどこが面白いのかねぇ、とバーニイが代弁しているかのようだ。 そして最後はなんと関係者一同を集めての謎解き披露!これで作者ブロックが意識的に昔の本格ミステリの形式を踏襲して書いていることを認識した。 1人目の殺人事件の犯人は早々に解ったが2人目の犯人は正直意外だった。ヒントはきちんと散りばめられているのでなかなか侮れないのだ、このシリーズは。 |
No.1111 | 7点 | シンガポール脱出 アリステア・マクリーン |
(2014/03/07 22:40登録) 第1作では極寒の海、第2作目ではカリブ海に浮かぶ難攻不落の要塞と戦時下での男たちの戦いを描いてきた作者が第3作目に選んだのは日本軍が包囲する東南アジアの海からの脱出行だ。 とにかく先の読めない展開ばかりだ。日本軍が極秘裏に計画している北オーストラリア襲撃の計画書を日本軍が攻め込む前にオーストラリアに渡さなければならないとするスパイ小説から始まり、そこから海洋冒険小説に、軍事小説、さらには島での日本軍との戦いという冒険アクション小説と、あの手この手と色んな手札を惜しげもなく導入するマクリーンのサーヴィス精神旺盛さが本書でもいかんなく発揮されている。 しかし本書では日本軍がこの上なく残虐な軍隊であると書かれており、じわじわと真綿を締めるような拷問、捕虜に対する非人道的な行為が語られており、本当にそこまで酷かったのかと首を傾げてしまうくらいだ。特に中国での大虐殺を引き合いに出して、その残虐性を仄めかしていたが、これは今なお史実としては疑問視されている話だ。これは当時の欧米人が日本のみならずアジアの国の軍隊をひどく恐ろしく思っていたことによるのだろう。だから映画『ランボー』シリーズでもいずこのアジアの兵士による拷問が非人道的に描写されているかもしれない。 しかしこれほどまでに先の読めなかった作品が、結末が非常に淡泊なのはちょっと残念ではあった。 |
No.1110 | 10点 | オーデュボンの祈り 伊坂幸太郎 |
(2014/02/21 22:43登録) 私にとって初伊坂作品である本書は奇想天外でありながらこの上なく爽やかで、そしてヤバい。 数あるミステリを読んできたが、人語を話し、未来を予測する能力を持つ案山子が殺される事件を扱ったミステリはまさに前代未聞だ。 それを筆頭に嘘しか云わない画家、園山や島の秩序を守るために殺人が許されている桜と云う男。天気を当てる猫に、300キロを超える大女など不思議の国に迷い込んだかの如き世界が繰り広げられる。 こういう風に書くとディキンソンのような過剰に異様な世界ではなく、牧歌的で寓話的なところが特徴的だ。案山子が優午と名付けられ、少し先の未来を予見できることが普通の日常として受け入れられるような普通に満ちた世界が荻島にはある。 物語の終盤、それまで主人公伊藤の目を通して我々読者に島民たちの奇妙な振る舞いや行為がパズルのパーツが収まるかのようにカチカチとある一点に収束していく様はまさに壮観。 それは驚愕と云うのではなく、ピタゴラスイッチを見ているような美しさと感動さえ感じる殺人。こんな優しくも美しい殺人事件がかつてあっただろうか。 そしてここに至って不思議な響きを放つ本書のタイトルが俄然意味を放ってくる。 まだ私の胸に残る伊坂氏が残した歓喜を挙げたくなる嬉しさにも似た何かが心くすぐって堪らない。なんと優しさに満ちた物語か。なんと喜びに満ちた物語か。 |
No.1109 | 7点 | このミステリーがすごい!2014年版 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 |
(2014/02/18 23:12登録) 最近では私はこのムックに対して不満ばかり漏らしているが、今回はそれを少しだけ緩めたい。なぜならちょっとばかり内容が充実していたからだ。 それはやはり「復刊希望!幻の名作ベストテン」という好企画に負うところが大きい。『このミス』にはこういうのがないと。対象作品が『このミス』誕生以前の1987年以前のミステリと云う非常に大雑把な括りゆえに挙げられた作品が多種多様でそれ故獲得点数に差が出なかったのはしょうがないが、絶版によって読まれるべき名作を読むことが出来ないという危機的出版情況に一石を投じるこのような好企画は大歓迎。東京創元社ではマーガレット・ミラーが復活するなどの嬉しいニュースもあり、この企画が起爆剤となって続々と名作が復刊されることを期待したい。 またこのベストテン選出の各選者の選んだ作品が今年の作品の末席に申し訳程度に書かれているだけだったのは正直ガッカリ。選んだコメントも載せてほしかった。また別冊でいいから例えば1967~1977年、1977~1987年と10年間に絞った幻の名作ベストテンのムックも出してほしい。文藝春秋の『東西ミステリーベスト100』も昨年28年ぶりに実施されたことだし、アベノミクス効果の時流に乗って何十年ぶりかの出版景気を目指して、ぜひ復刊のカンフル剤として実施してほしいものだ。 メインのランキングについては長くなるのでちょこっとだけ触れるが、国内ランキングの上位のマニアック度の濃さは何だろうか?しかし東山氏のような作品が上位に来るのは『このミス』らしくて個人的には○。 あと『ビブリア古書堂』シリーズもとうとうランクインすることになったか。ミステリ好きはやはり乱歩には弱いのか。 海外はやはりキングの1位が素晴らしい。『このミス』が始まって26年目にして初の1位だ。もちろん彼の作家生活はその前から始まっており、デビューは1973年なのだから、なんと作家生活30年目にして傑作を物にしたわけだ。まさに巨匠の名にふさわしい快挙だ。クーンツのファンとしてはキングの活躍を受けてぜひ一念発起して再ブレークを果たしてほしいのだが。 北欧ミステリの活発な訳出が目立っている昨今なのにたった1作だけのランクインなのは意外だった。 しかし幻の名作ベスト選出という好企画があったとはいえ、相も変わらずどれだけの読者が読んでいるか解らない『このミス』大賞受賞者による書き下ろし短編もあるし、紙の質が悪い。本当にペラペラで少し力を入れるだけで破れてしまいそうなくらいだ。21世紀にもなってこんな紙を使っているのは『このミス』くらいではないだろうか。 単価を抑えるためだろうけれど、昨年よりも5円高くなり、しかもページ数は30ページも減っているのに紙の質が変わらなかったのはこの金額が売り上げにさほど影響していないからではないか(実際いつまでも売れ残って本屋の平台にうず高く積まれているのをよく見るし)。 書き下ろし短編の排除と年に一度のミステリのお祭りに相応しいもっと濃い中身の充実と読みやすい紙に変えてくれることでそのために単価が100円なり200円なり挙がろうが購入するのではないだろうか。8年前の695円だった時の売り上げからどれだけ部数が伸びたのか甚だ疑問なのだが。 今年は酷評はないと云いながらも最後はやはり目立つ欠点をあげつらってしまった。それも21年間も購入している『このミス』への愛情ゆえだと理解してもらいたいのだが。 |
No.1108 | 8点 | 鷲の驕り 服部真澄 |
(2014/02/15 18:31登録) 秘密主義であるアメリカの特許の世界に微に入り細を穿った綿密な内容で特許に群がる人々の策略を描いていく。 読中、この物語はどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのだろうかと、戦慄を覚えた。 特徴的なのは実在する企業や商品の固有名詞を多用しており、それがこの作品で描かれるフィクションとの境目を曖昧にし、どこまでが実話でどこからが作り話なのかが解らなくなっていくところだ。つまり実にリアルなのである。そのリアルさゆえにアメリカの最先端技術の独占しようとする秘密主義的な特許システムの特異さが異常に際立って読者の頭に刻み込まれていく。この技法が私をして先述の想いを抱かせたのである。 物語は非常に複雑な構図と関係性でそれぞれが有機的に結び合い、謎の特許王エリス・クレイトンと巨万の富をもたらす一大ビジネスの種となるある「石」に関する特許を巡ってパワーゲームが繰り広げられる。 物語は裏また裏のかき合い、そして最後にその裏をかくというどんでん返しの連続が待ち構えている。 しかし哀しいかな、本書のような国際謀略小説、特に最先端技術を扱った謀略小説では作者の先見性が問われる物となるが、その予測を見誤ると今回のように刊行から十数年経って読むようになると、現在との乖離に苦笑いをしてしまうしかなくなってくる(なんせウィンドウズ95の頃の時代だ!)。それはまさにカードの裏表のようなもので、綿密な取材を重ねた力作なだけに大変惜しく思われてしまう。 しかしそれは単なる瑕疵に過ぎないだけの読み応えと一級のプロットがこの作品には内包されている。まさに世界に比肩する国際謀略小説がここに誕生したのだ。デビュー2作目でこのクオリティと、色々な組織や産業スパイなどの手駒を交えながらもきちんと整理された情報の数々の手際の良さに読みにくいと感じる読者は皆無に等しいだろう。私は読み終わった時にまた一つ新たな知見を拡げてくれる作品こそが読書の醍醐味であると思っているが、本書はまさにその願望を叶えてくれる一冊であった。 |
No.1107 | 6点 | 葡萄園の骨 アーロン・エルキンズ |
(2014/02/07 22:44登録) 刊行を心待ちにしているある特定の作家の作品、もしくはシリーズ作品というのが誰しもあるだろうが、人類学者“スケルトン探偵”ギデオン・オリヴァーシリーズは私にとってそんな作品群の1つであり、刊行予定に『~の骨』のタイトルを見た私は思わず快哉を挙げてしまった。なんと前作から3年ぶりの刊行である。これは『洞窟の骨』から『骨の島』までの4年ぶりに続くブランクの長さであり、しかも『骨の島』以降ほぼ1年に1作のペースで刊行されていただけに、作者エルキンズの年齢も考えると―なんと78歳!―シリーズは終了してしまったものだと思っていたので本当に本作の刊行は喜びもひとしおなのだ。 物語の舞台はイタリアはフィレンツェ。しかし物語の中心はそこから車で約40分ばかり離れたワイナリー<ヴィラ・アンティカ>で、そこでワイナリーを経営するクビデュ一族が事件の容疑者たちとなる。 今回も例によってギデオンの骨鑑定から事件の謎が明らかになる。いや実際はイタリア憲兵隊によって処理された事案がシンポジウムの講師として招かれたギデオンの骨鑑定によって逆に謎が深まるのだ。 3年間の沈黙の末に刊行された本書はそれだけにギデオンの骨の鑑定を存分に振るっている。特に今回は2体の崖下の白骨死体をギデオンが鑑定することで二転三転事実が覆されるといった充実ぶり。 またエルキンズのストーリーテラーぶりは健在。冒頭の1章でいきなり昔ながらのワイナリーを経営するクビデュ一族の家族会議によって読者は陽光眩しいイタリアの地に招かれることになる。そしてそんな家族のやり取りを通じてクビデュ家それぞれの人となりがするっと頭に入ってくる。この1章で既に読者の頭の中にはこの憎めないイタリアのワイナリー一家が住み込んでしまうのだ。 しかし今回はそれでも物語としては冗長に過ぎたという感は否めない。この二体の崖下の白骨体を二度の鑑定で事実を二転三転させる趣向は買う物の、とにかくギデオンの語り口によってじらしにじらされたように思えてならない。ギデオンってこんなに回りくどかったっけ?などと思ったくらいだ。 加えて観光小説の一面も持つこのシリーズだが、今回はそれが特に顕著。特にイタリア語が今回はまんべんなく散りばめられており、読むのにつっかることしきりで、更にはこれが特にページ数を膨らましているように感じた。取材の成果を存分に発揮したかったのだろうが、これではイタリア旅行の費用をとことん経費で落とそうとしているようにも勘ぐってしまうではないか。 とまあ、下衆の勘ぐりはさておき、今回もギデオンの骨の鑑定を愉しませてもらった。昨今ではジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズやドラマ『CSI』シリーズなど、鑑定が活躍するシリーズが活況を呈しているが、古くからあるこのスケルトン探偵による骨の鑑定はそれらブームとは一線を画した面白味があり、エルキンズの健在ぶりを堪能した。 さて作者の年齢を考えると次回作が気になるが、ここは素直に一ファンとして次のギデオンの活躍を心待ちにしておこう。 |
No.1106 | 8点 | 鮫島の貌 新宿鮫短編集 大沢在昌 |
(2014/02/02 17:22登録) 「鮫島の貌」とはよく云った物だ。ここにはそれぞれの時代の、また関係者からの視点での、本編では描かれなかった鮫島の肖像がある。 特に他者から見た鮫島の印象が興味深い。どのグループにも属さず、どこか超然として物事を見ている男。鮫島の内面が書かれないだけに彼の精神性はそれら他者の目から見た内容でしか推し量れないが、欲よりも信念を、愛よりも信義を重んじる昔の男といった趣がある。特に「再会」では鮫島の父親の職業が新聞記者だったことが明かされ、その生き様が今の鮫島の行動原理となっていることが暗に仄めかされている。10作のシリーズを全て読みながらも改めて鮫島と云う人間を再認識した次第だ。 また恐らくはファンサービスに過ぎないのだろうが、鮫島の数少ない理解者である鑑識の藪が『こち亀』の両津と幼馴染だったという驚愕の事実が知らされる。この辺りは苦笑するしかないのだが、本編ではほとんど語られることのなかった藪の素性が色々語られて興味深い。実家が病院で次男坊であり―名前が英次(ひでじ)なのも初めて知った。ちなみに兄の名前は英道らしい―、医学部に合格できずに警察官になったことなどが両津の口から明かされる。 その中で個人的ベストを選ぶとすれば「雷鳴」、「再会」、そして「霊園の男」になろうか。先の2編には鮫島の犯罪者を改悛させる度量の大きさが感じられ、しかも自分を律する芯の太さを感じさせる。さらにはサプライズまで仕掛けているという名編だ。「霊園の男」はやはり『狼花』で壮絶な最期を遂げた間野が鮫島に遺した言葉の真相が、鮫島の魂の救済として語られる、非常に清々しい結末だからだ。 他にもシリーズの前日譚とも云える桃井の男気が光る「区立花園公園」やチンピラに成り下がった家族を持つ人間が謂れなき被害を受ける結末が苦い「亡霊」や異色な味わいのある「五十階で待つ」なども捨てがたい。 とにかくどれも30ページ程度の分量ながらもこれほど読み応えの深い短編集もない。この短編集はシリーズの22年間の熟成の結晶だ。その味わいはまさに22年物のウィスキーに匹敵する味わいを放っている。 |
No.1105 | 7点 | ナヴァロンの要塞 アリステア・マクリーン |
(2014/02/02 01:08登録) 第1作でもそうだったが、マクリーンはとにかく主人公たちにこの上ない負荷をかける。人間の精神と肉体の限界、いやそれ以上の力を試し、もしくは骨の髄まで疲労困憊させ、最後の一滴まで搾り取るかの如く、これでもかこれでもかと危難や難題を突き付ける、いや叩き付ける。 これら主人公一行に襲いかかる敵や障害をいかに乗り越えていくかという機転や卓越した技術へのスーパーヒーローの戦いぶりにあるのではなく、困難な目標に向かって苦闘する人々が織りなす人間ドラマに読みどころがある。 何度も挫折しそうとなりながらも仲間たちを鼓舞するリーダーシップやそれに減らず口を叩きながらも応えていく部下たち、そして島を侵略された住民からの協力者たちが秘める敵への憎しみ、それらが折り重なって極限状態の主人公たちが諦めずに幾度も立上る行動原理を語っているからこそ、ハリウッドが好き好んで描くアクション映画の筋書の典型のようなシンプルな筋書を持つこの作品が今なお冒険小説の金字塔として称賛されるのだろう。 マクリーンは『女王陛下のユリシーズ号』と本書を以て冒険小説の巨匠として名を残し、70年代以降の作品は読むべきものはないと云われているが、正直この作品は私の中では面白いとは思うが歴史に残るほどの作品とは思わなかった。シャーロック・ホームズシリーズでも『バスカヴィル家の犬』よりも『恐怖の谷』を評価する私なので今後の作品に私なりの傑作を見つけていこう。 |
No.1104 | 7点 | 泥棒は詩を口ずさむ ローレンス・ブロック |
(2014/01/25 09:22登録) 泥棒探偵バーニー・ローデンバーシリーズ3作目。2作目は絶版ゆえにいまだに手に入っていない。そしていきなり本書ではバーニーは古書店主として真っ当な暮らしをしている風景から始まる。2作目の時に何が起こったのか?非常に気になるではないか。 さて古書店主となったバーニー・ローデンバーの日常には本が溢れており、自然物語は本についての薀蓄なりが付いてくるのだが、これがやはり読者、特にミステリ読者には思わずニヤニヤしてしまう話が散りばめられている。 古書店主になって泥棒稼業からは足を洗ったのかと思いきや、バーニーにとって泥棒はもはや習慣病のようになっているようで、今回は自分の店に現れたJ・ラドヤード・ウェルキンなる紳士からこの世に1冊しかないキプリングの自家製本を所有者の貿易商から盗み出してほしいと頼まれるところから始まる。そしてバーニーは見事盗み出し、ウェルキン氏に連絡を取って指定の場所へ赴くものの、そこで殺人に巻き込まれてしまうのが今回の事件。 しかしこの事件の真相はかなり複雑。正直自分でも十分理解できたか自信がない。とはいえ、突き詰めて読み返すとどうも不都合な点やなぜある人物がそうすることになったのかという動機が曖昧なところもあり、作者自身もちょっと無理があるのではと思ったのではないだろうか。 しかし本当にこの軽妙な読み物はマット・スカダーシリーズの作者の手による物だろうか?ローレンス・ブロックは2人いると云われても全然驚かないぐらい作風が全く違う。本当に器用な作家だ。 |
No.1103 | 9点 | 脳男 首藤瓜於 |
(2014/01/20 23:23登録) 島田荘司が21世紀ミステリとして、現代科学の知識をふんだんに取り入れ、まだ見ぬ本格ミステリを21世紀になって提唱したが、本書はまさにそれに先駆けた当時最先端の科学を盛り込んだミステリとなっている。 本書の魅力はなんといっても鈴木一郎と云う男の奇怪さだろう。 とにかく主人公の精神科医鷲谷真梨子が鈴木一郎の過去を辿るうちに出くわす入陶大威という自閉症の少年の様子が非常に興味深い読み物となっている。感情を持たない人間の行動とはこれほどまでに想像を超えるものなのかと専門分野の観点から語られる。 特にこの大威という少年の特異性には目を見張るものがある。何かの指示が出されるまで動こうとしないし、人間の三大欲である食欲さえも起こらない、睡眠欲も起こらなく、生理現象でさえ自らの意志で対処しようとしない。また情報の取捨選択をする認識がないため、見た物すべてを覚えてしまう。運動も指示一つで止めろというまで延々と続ける、等々。まさにロボット人間そのものと云えよう。 本書の読み処は昨今研究が進んで明らかになった自閉症の仕組みを脳科学の分野で詳しく症例を交えて詳らかに語られている所にある。現在ではもはや自閉症という呼称はせずに発達障害という呼び方をするが、一口に自閉症と云っても色々な症状があることが知らされる。その想像を超える現象の数々に私は思わず食い入るように読まされたのだが、そんな専門知識を見事に自家薬籠中の物として鈴木一郎と云うキャラクターを生み出した作者の手腕を讃えたい。 しかし物語はそれだけではなく、鈴木一郎の正体を巡る謎から一転鷲谷真梨子と鈴木一郎がいる愛和会愛宕医療センターが爆弾魔緑川によって占拠され、広い大病院の各所で頻発する爆破事件というパニックサスペンス小説へと変貌する。一言で云い表せない一大エンタテインメント作品なのだ。 また連続爆弾魔緑川の一連の事件にもミッシングリンクがあったことが明かされる。 しかしそんな本格ミステリ趣味をも盛り込みながらもやはり鈴木一郎と云う男の謎には添え物に過ぎないように思われてしまう。それほどこの“脳男”は鮮烈な印象を私に残した。 |
No.1102 | 7点 | 沈黙の森 馳星周 |
(2014/01/14 22:21登録) 軽井沢と云えば皇后家ゆかりの地。ここにはやくざはおらず、その手の取り締まりも厳しいそうだ。そんな金持ちの別荘地である軽井沢が戦場と化す。馳版『マルタの鷹』ともいうべき本作では5億円をやくざから持ち逃げした投資ファンドの男を追って、東京から極道が、中国系マフィアが大挙してくる。馳氏に掛かると閑静な富裕層たちの避暑地も血で血を洗う修羅場となるのだ。 物語はかつて20年前に新宿で大暴れした四人の男を軸に回る。田口健二、城野和幸、山岸聡、徳丸尚久。 この田口健二というキャラクターは今までの馳作品の中でも最強ではないだろうか。今までのキャラクターには悪人でありながらも対抗勢力に対しての恐怖心、自分と云う存在が消されることへの怖れ、また守るべき物、大切にしている物、よすがとなっている物を持ち、良心が感じられたが、田口はそんな一切の弱みはなく、痛みや脅しが一切通用しない。また人を殺すセンスに溢れ、殺人に対する躊躇いが全くない。とにかく自分の前に立ち塞がる者を、それがやくざであろうが警察であろうが、全て殺すのみ。しかも一切の手心を加えずに、再起不能となるまで、いや既に死んでいるように見えても、更に死者を嬲り殺すように徹底的に破壊する。冷酷な殺人マシーンと書くだけ以上の怖さがある。 馳作品の特徴は疾走感を持ちながらも複数の登場人物が錯綜し、それぞれが有機的に絡み合って破滅と云う名の交響曲を奏でるという実に複雑なプロットが持ち味であるのだが、本書はそんな複雑な構図は鳴りを潜め、単純明快に物語は疾走していく。本来であれば作品に最後まで関わっていくであろう配役たちが早々に退場していく。それは田口と遠山と云う二人の獣の一騎打ちという非常にシンプルな結末に向けて次々と現れる障害物を薙ぎ倒していくかのようだ。今までの馳作品は上に書いたような複雑な構図を持ちながらも、結局最後はとち狂った主人公による大量殺戮で敵味方関係なくぶち殺されていくというプロットの破綻とも云うべき流れだったのに対し、本書は逆に明確に目指す所に向かっていくというシンプルなところがいい方向に出ているように感じた。 そんなかつての馳氏を髣髴させる血沸き肉躍るヴァイオレンス巨編だが、細部や設定の甘さに少々失望したのは否めない。 例えば馬場紀子が自信の職業をカメラマンと述べているのには違和感を覚えた。フォトグラファーと自称するくらいの性格付けはしてほしかった。またカメラマンと云ってもヴィデオグラファーやシネマグラファーなどその対象によって様々な呼称がある。上にも書いたようにこれでは単純に田口が獣に目覚めるためだけにあてがった生贄に少し肉付けしたにしか過ぎないではないか。馳氏の作品は人が簡単に死ぬだけに単なる物語を動かす駒にしか過ぎないように思え、人物描写や造形に詰めが甘いのが残念だ。 また達也が実は田口の息子だったという設定には正直辟易した。馳氏の作品には血の繋がりがもたらす業の深さや運命の皮肉、因果応報が色濃く出ているが、達也については紀子同様、登場時からフラグが立ちまくっている。紀子への凌辱、達也を殺害することで子殺しの親という忌まわしい過ちという二段階の奈落を設定することで田口が過去の殺戮者に戻るためのスイッチとしたことは解るが、これでは明らかに読者に見え見えである。 本書の疾走感はそれまでの馳作品の中でも随一であることは認めよう。しかしそれだけに最後の田口と遠山との一騎打ちがなかなか始まらなかったのは、物語を意図的に引き延ばそうとしていたようにしか思えなかった。どういった意図によるのか解らないが、駆け抜けていくのであれば、とことん最後まで休まずに全力疾走してほしかった。 |
No.1101 | 7点 | 一ドル銀貨の遺言 ローレンス・ブロック |
(2014/01/09 23:18登録) 亡くなった強請屋から預かった封筒に記された3人のうち、強請屋を殺した犯人を探り出すという、フーダニット趣向の物語。 しかしそんな趣向とは裏腹にその語り口はほろ苦さと哀切を湛えて、心に染み込むしっとりとした文体。マットは警官時代に付き合いのあった情報屋のために警察でさえまともに捜査しない殺人事件に、自分を餌にして挑む。 しかし本書のスカダーの捜査は第三者の目から見て実は余計なお節介であり、善か悪かと問われれば悪の側としか云えないだろう。 強請られる3人は1人は建築コンサルタントとして資金繰りに四苦八苦している経営者であり、娘の平穏を大事に考える男。1人はポルノ女優の過去を持ち、若い頃、荒んだ生活を繰り返しながらも現在は富豪の妻としてセレブリティの1人として生きる女性。最後の一人は若い頃に事業に成功し、その資金を元手にニューヨーク州知事選に臨もうとする若き政治家。しかし彼には少年性愛という忌まわしい趣味があった。 誰しも隠したい、忘れ去りたい過去はあるものだ。人間、なんらかの失敗をせずに生きることなど不可能に等しい。強請屋とはすなわち誰しもが陥る過去の過ちをほじくり返し、眼前に突付け、弱みに付け入り、半永久的に金をせびる、下衆の生業だ。 しかしマットはそんな仕事よりも彼が警官時代に築いた強請屋との関係を大事にし、また人殺しを嫌うがゆえに彼ら彼女らの人生に分け入り、真相を明らかにしようとする。 つまりマットは強請屋との腐れ縁の為に社会的に成功した人々たちと逢い、人殺しをした犯人を捜そうとするのだ。 これは人生の落伍者同士が持つ同族意識なのか。いや違う。殺人と云う犯罪をもっとも忌み嫌うマットにとって町のダニとも云える強請屋の死さえも自分の身の周りにいた人間が殺されたことが許せないのだろう。警官さえも見向きもしない社会の底辺で生きる者たちへの義憤が相手が社会の成功者であり、その安定した生活を壊すことになろうとしても敢えて火中の栗を拾おうとするのだろう。 まっとうな商売では生きられない人々には優しく、自身の安寧の為に殺人を犯した、もしくは犯さざるを得なかった巷間の人々に厳しい眼差しを向ける、この落ちぶれた元警官の無免許探偵をもっと理解するために今後の彼の生き様を見ていこうと思う。 |
No.1100 | 8点 | 黒笑小説 東野圭吾 |
(2014/01/06 23:19登録) 意外とみなさんの点が低いのにビックリ。私は笑いながら読ませていただきました。3作目となるのに前2作よりも笑いのクオリティも上がっていて、いやあ、楽しい、楽しい。 特に連作短編となっている冒頭の4作品では出版界の内幕が繰り広げられ、出版社の担当者の思惑や新人賞を受賞し、作家専業となった人間たちの過ちを滑稽に描いており、これからも出版社とのお付き合いをしていかなければならない東野氏が果たしてこんなことを書いていいのだろうかと笑いながらも心配してしまうほど、露骨に描いている。まあ、これが他の作家が書かないであろうことまで書いてくれる東野氏のこの辺の思い切りの良さなのだが。 各短編は基本的にワンアイデア物なのだが、それを実に上手く膨らましていて笑いに繋げている。 ある日突然色んな物が巨乳に見えたり、空気中に漂う塵埃の微粒子までもが見えたり、はたまたインポになる薬が発明されたり、女性にもてるスプレーが発明されたりとたった一言で説明できるものだ。そこから東野氏は巧みにエピソードを次々とつぎ込んで見事なオチに繋げている。それらはどこか星新一氏のショートショートに似て、作者からのリスペクトも感じる。 個人的なベストは「巨乳妄想症候群」と「臨界家族」。次点で「笑わない男」。「巨乳妄想症候群」は丸い物がある日突然巨乳に見て出すというそのあまりにもアホらしい、しかし実に面白い設定を買う。「臨界家族」は前述のようにとても他人事とは思えない話であり、オチが予想の斜め上を行っているところが見事だ。「笑わない男」は最後の一行の素晴らしさ。これぞブラック・ユーモア。 このシリーズは今後も書いていってほしい。東野氏だからこそ書ける思い切りの良さを活かして。 |