home

ミステリの祭典

login
Tetchyさんの登録情報
平均点:6.73点 書評数:1631件

プロフィール| 書評

No.1131 7点 悪魔のスパイ
マイケル・バー=ゾウハー
(2014/06/28 23:20登録)
第一次大戦中、パレスチナで活躍したユダヤ人諜報組織NILIの中にトルコ軍の情報をイギリス軍に流し続けた1人の女性スパイがいた。バー=ゾウハーがこの隠れた史実を元に構成されたのが本書である。

本書が史実に基づいていることもあってか、第一次大戦中に名を馳せた実在の人物たちが登場し、登場人物たちと絡み合う。
例えば映画にもなって今なお伝説視されている“アラビアのロレンス”ことロレンス少佐はサウル・ドンスキーとイギリス軍のパレスチナ進攻作戦で論を交わす。
また図らずも女スパイに仕立て上げられたルースの連絡係エンマ・アルトシラーはかつて稀代の女性スパイ、マタ・ハリと共にコンビを組んでいたスパイであり、新任のルースを事あるごとにマタ・ハリと比較して毒づく。
特にロレンスについてはかなり筆が割かれ、また物語のサブキャラクターとしても重要な位置を占めている。

国を跨る巨大な宗教、民族が複雑に絡み合う状況こそ、パレスチナ問題やアラブ諸国が抱える紛争の数々の火種なのだ。大学時代にこの複雑なイスラム諸国の状況については講座を取ったが、やはりいまだに十分に理解できない。それは信仰に対してさほど意識が薄い日本人には次元の違う問題なのだろう。なんせ第二次大戦では大量にユダヤ人を虐殺するドイツがユダヤ人保護を訴えているくらいなのだ。

大義という大きなことをなすために多少の犠牲は必要だというが、その大義のために人生を狂わされた家族がある。ルースたちもまた歴史の犠牲者なのだ。
ところで本編で登場するオーストラリア軍のジェフリー・ソーンダース中佐だが、作者の初期2作で主役を務めていたCIA工作員ジェフ・ソーンダースとは無縁なのだろうか?各登場人物のその後を語るエピローグにそのことについては触れられていないものの、冷戦時に活躍したスパイの父親が実は歴史的な出来事に関わっていたというのは作者のファンサービスだと捉えているがどうだろうか?


No.1130 10点 清談 佛々堂先生
服部真澄
(2014/06/23 22:39登録)
これはまさに掘り出し物の逸品だ!

服部真澄氏と云えば国際謀略小説やコン・ゲーム小説、そしてビジネスの世界に焦点を当てたエンタテインメント小説のジャンヌ・ダルク的存在だが、古美術や骨董品の目利きとして名高い通称“佛々堂先生”が登場する連作短編集はそれまでの彼女の作風を180°覆す、日本情緒溢れる古式ゆかしい物語だ。

扱われる題材は日本画、和菓子、焼き物、和食に山守りと日本に昔から伝わる伝統の物や仕事。そしてそれらが抱える問題は先細りする産業であることだ。いい腕やセンスを持っているのにそれに気付かない製作者がいる、才能はあるのに一皮剥け切れない芸術家がいる、止むを得ない事情で店をたたまざるを得ない名店がある、
佛々堂先生はその本質を見極める目を持って、彼ら自身ではどうしようもできない見えない壁を突き抜けるお手伝いをする。ある意味再生の物語であると云えるだろう。

しかしこれほどまで作風がガラリと変わるものだろうか?作者名を知らずに読むと、例えば泡坂妻夫氏あたりの作品だと思う読者がいることだろう。
元々作者には海外を舞台にした作品が多いため、作品にはカタカナが多用されているが、本書ではそれらを封印するかの如く、漢字とひらがなで表記することで情緒やわびさびと云った粋な世界を感じさせる。

そして作者が本書のような作品を綴ったのには恐らく佛々堂先生が溢す言葉にもあるように、昔なら常識とされたことが世代間の伝達が途切れてしまったために、物事を知らない人が多すぎることに危機感を抱いたからだろう。私も実は年配の方が常識と思っていることを知らないことに気付かされ、失笑を買うことがある。日本人が古来、その知恵によって生み出した機能美を21世紀に残すため、伝えるためにこの作品を著したと私は思ってしまうのである。

氏の作品では約260ページと最も分量が少ないのに、実に濃厚で深みを感じさせる短編集。そして今まで服部作品で弱みとされていたキャラクターの薄さが本書の佛々堂先生で一気に払拭されてしまった。

作家服部真澄が扱う主題からストーリー、プロットを丹精込めて練り込んだそれこそ一級の工芸品のような物語の数々である。

正直に告白しよう。私は本書が服部作品の中で一番好きな作品である。既に手元にある続編を読むのが非常に愉しみだ。


No.1129 7点 泥棒はクロゼットのなか
ローレンス・ブロック
(2014/06/20 00:51登録)
泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ2作目の本書でまたまたバーニイは泥棒に入った家で殺人事件に出くわしてしまう。
行きつけの歯科医クレイグ・シェルブレイクから突然頼まれた元妻クリスタルの所持する宝石類を盗み出してほしいという依頼を受けたバーニイはクリスタルが男漁りに外出している安心感からか、思わず長居をしたために(なんと1時間17分もの盗みに没頭していた)、当人が帰ってきたためにタイトルが示す通り、クロゼットに隠れて情事の最中に出くわし、更には殺人事件にも居合わせてしまうという何ともおかしな巻き込まれ方だ。

いやはや実に読ませる作品だ。典型的と云えば典型的、マンネリと云えばマンネリだが、それでも安心印で面白く読めるのがこのシリーズのいい所。
しかしそれでも本格ミステリの妙味がこの作品には溢れている。

特に今回はバーニイが被害者クリスタルの親しい人々を捜すのにマット・スカダーよろしく酒場のはしごをする件が非常に面白い。そしてそれが単なる作品のアクセントだけに留まらず、事件の裏に隠されたある犯罪とそれを仕組んだ謎の弁護士ジョンの判明に一役買うのだから、実に上手いではないか。

そしてバーニイが間抜けな強盗と化した、隠れたクロゼットに家主から鍵を掛けられ、出られなくなったことさえも、なぜ被害者がクロゼットに鍵を掛けたのかという理由が実に秀逸で久々に本格ミステリの持つサプライズを味わった思いがした。

こんな風にスラップスティックな調子なのに、そんな状況でさえ本格ミステリの妙味に変えてしまうシェフ、ローレンス・ブロックの腕前。なんて素晴らしいんだ。

さて今や絶版状態のこのシリーズ、今までブッ○オフなどで古本で買って読んでいたのだが、今回は電子書籍で読んでみた。
最初は使いにくさに戸惑ったが、慣れればさほど苦痛ではなかった。
でもでもやっぱり紙の本の方が読みやすいなぁ。


No.1128 10点 赤い指
東野圭吾
(2014/06/15 10:03登録)
人にとって家族とは何なのだろうか?そして人にとって死に際に何が胸に去来し、そして残された者たちはその人にしてやれる最良の事とは一体何なのだろうか?

『容疑者xの献身』で直木賞を受賞し、ミステリ界のみならず出版界全体の話題になった後の第1作目。それはもう1つのシリーズ、加賀刑事物の本書だった。そんな期待値の高い中で発表された作品はそれに十分応えた力作だ。

読む最中、様々な思いが頭を駆け巡る。まず本書が中学生による幼女殺害事件、即ち未成年による犯行だということだ。東野圭吾は未成年によって我が娘を蹂躙された上、殺害された父親の側からの復讐を描いた『さまよう刃』という何とも遣る瀬無い作品があるが、本書では逆に殺人を犯した未成年の息子をどうにか捜査の手から守ろうと奮闘する普通の家庭を描いている。但し東野氏は今回を同情の余地のある犯行とせず、犯罪者の直巳をあくまでどうしようもない身勝手な社会不適合者とし、さらにその愚息を守ろうとする母八重子も実に身勝手で自己中心的な人物として描き、読者に感情移入をさせない。
更に犯行隠蔽のために父昭夫が思いついたあるトリックは先の『容疑者xの献身』のそれの変奏曲と云える。
もしかしたら本書は『容疑者xの献身』の批判的な意見に対しての作者なりのアンサーノヴェルなのかもしれない。

しかし善悪や好き嫌いで単純に割り切れない、長年連れ添った縁という人生の蓄積が人の心にもたらす、当人しか解りえない深い愛情に似た感情を、東野氏は加賀の父親との関係を絡ませて見事に描き切った。

今までのシリーズで断片的に加賀と父親正隆の不和は加賀の若い頃にあった父の母親に対する仕打ちが原因だということは語られていたが、本書では松宮という正隆の甥でしかも同じ警察官の目を通じてその根が思いの外、深いように知らされる。しかし最後の最後で当人同士しか解りえない絆や理解を披露してくれたことで、この陰鬱な物語が実に心が晴れ渡るような読後感をもたらしてくれた。

こんなたった300ページの分量で、しかもどこにでもありそうな事件からどうしてこんなに深くて清々しい物語が紡ぎ出せるのか。東野圭吾はまだまだ止まらない。


No.1127 7点 黒い十字軍
アリステア・マクリーン
(2014/06/12 22:00登録)
イギリス情報部員ジョン・ベンタルが挑む潜入捜査。オーストラリアで起こっている技術者たちの謎の失踪事件をベンタル自身が燃料工学の専門家に扮して一連の事件の謎を探るという話だ。

舞台は南国の島国フィジー。ヤシの実に白い砂浜、肌を撫でる貿易風に揺られながらハンモックで昼寝をする。およそ諜報活動とは無縁の世界で繰り広げられるのは楽園に隠されたイギリスの秘密基地。しかも今回は男女の情報部員による任務ということでどこか007を思わせる設定だ。作者マクリーンも意識的なのか、偽装した夫婦として任務を課せられたマリーとベンタルが当初は反目し合いながらも次第にお互いを想いあうようになる。下手をすればハーレクインロマンスと見紛うかのような内容だ。
それもそのはずであとがきによれば本書はイアン・スチュアート名義で書かれた作品とのこと。つまり従来のマクリーン作品とは一線を画した舞台設定と登場人物を想定した作品なのだ。

そんなマクリーンの手によるスパイアクション小説はしかし突飛な小道具や秘密兵器といった物は一切出ず、ベンタルが次第に傷を負い、ボロボロの身体で満身創痍になりながらもどうにか新型兵器ダーク・クルーセイダーの持ち出しを阻止しようと奮闘する。主人公が何でも一流の腕でこなすスーパーマンのような男ではなく、敵と味方の反感を買いながら、自分が死ぬことなど厭わない不屈の心を持っているところがマクリーンらしい。

珍しく軽さを感じる文章でクイクイ読ませる作品だったが、結末はかなり苦いものだった。しかしこの読みやすさは今後もあってほしい。防諜機関の長である上司のレイン大佐を自らの手で射殺したイギリス情報部員ジョン・ベンタルの今後が描かれるのか、皆目見当つかないが、もう1作くらいなら彼が主役を務める作品を読んでみたいと思わせる、なかなかな作品だった。


No.1126 8点 無名戦士の神話
マイケル・バー=ゾウハー
(2014/06/05 21:45登録)
1984年5月28日、アーリントン国立墓地にヴェトナム戦争無名戦士の葬儀が当時のレーガン大統領の弔辞を伴って行われた。マイケル・バー=ゾウハーが選んだ本書の題材はこの史実に基づく無名戦士の身元を探る物語である。
しかしそこはバー=ゾウハー、単に身元不明の遺体の正体を探るだけの話にはしない。その遺体に残された弾丸と手榴弾がアメリカ製であるという仕掛けを施す。つまりこの兵士が味方に殺されたのではないかというスキャンダラスな謎を放り込む。

謎の解明に当たるウォルト・メレディスの前に立ち塞がるのが無名戦士が所属していた元第37連隊々員だったスティーヴ・レイニー。ある時は先回りして同士に連絡して協力しないように手を回し、中には既に自らの手でその命を奪った同胞もいる。それほどまでにして隠す無名戦士の死とは一体どんなスキャンダルなのかと俄然興味が増してくる。

しかしこの真相は実に微妙だ。何が正義で何が悪なのか?敵と味方に別れて大量の殺戮を行う戦争という特殊状況の中では我々が日常的に持っている倫理観は通用しないのだ。

今なおヴェトナム戦争については語られることが多い。特にデミルはライフワークとしているようにも感じられる。そのどれもが異口同音に語るのが初めてアメリカが正義ではなくなった戦争だということだ。そんな無益な戦争で犠牲になった兵士たちが人間性を喪い、狂気に駆られてもはや普通の生活さえも送れなくなった戦争の惨たらしさが本書でも書かれているが、それは本当に人間のやることなのかと背筋に寒気が起きるようなことばかりだ。そんな戦争だったからこそ無名で死ぬようなことはあってはならない。無名戦士の名を明らかにすることはすなわち兵士を一人の人間として尊厳を取り戻すことに繋がるのだ。
しかし、だ。本書を読んだ後では事はそう簡単ではないことに気付かされた。無名戦士を葬ることでまだ還らぬ夫や息子、父親の入れ子として弔うことが出来るのも確かだ。そして何よりももはや人間であることさえも喪失してしまったあの戦争の真実を晴らすことは場合によっては残された遺族の尊厳をも汚辱にまみれさせることをバー=ゾウハーは本書の結末で痛烈に突き付けた。

本書には戦争が決して英雄的行為ではなく、人間が生んだこの世で一番愚かな行為であることを示してくれた。従って英雄などいないのだ。そこにあるのは戦争を美化するための神話や伝説があるだけだ。真実は常にそんな美談とは対極の位置にある、バー=ゾウハーは静かに我々に教えてくれた。
ミステリ以上の味わいをまたもやもたらしてくれた。しかし今回は殊の外、考えさせられ、苦かった。


No.1125 7点 NOS4A2―ノスフェラトゥ―
ジョー・ヒル
(2014/05/31 14:36登録)
常に我々の想像を超える世界を見せてくれるジョー・ヒルが今回描いた世界は特殊能力者たちの世界。主人公ヴィクは自転車に乗って近道橋を渡り、失った物を取り戻す能力を持つ。彼女の宿敵となるのは「NOS4A2」、ノスフェラトゥ、つまり吸血鬼の名をナンバープレートに冠するロールスロイス・レイスを駆り、子供たちを自分の世界<クリスマスランド>へさらう連続誘拐魔チャールズ・タレント・マンクスⅢ世。

しかし本書は単純な対決の物語に作者はしなかった。ヴィクとチャールズ・マンクスとの戦いはなんと数十年にも及ぶのだ。1986年に能力が発現したヴィクが初めてチャールズと対峙したのは1990年。そこから現代に至る約四半世紀もの間、2人の戦いは続く。そしてその戦いはヴィクの息子ブルース・ウェインをも巻き込み、ヴィクは母親としてチャールズ・マンクスと対峙するのだ。

いつもそうだが、ジョー・ヒルの描く物語の主人公は決して聖人君子のような素晴らしい人間でもなく、また愛すべき人柄を備えた人物ではない。
しかしどんなに破綻しているように見えながらも、それぞれの家族も子供を愛する気持ちは強く持っていることをこの物語は強く訴える。
子供を平気で虐待し、または自分の好きなことをするために育児放棄する親の許にいるよりは、毎日がクリスマスである、自分の夢想が創り上げた<クリスマスランド>にいて、楽しく過ごす方が子供たちにとってはいいではないかと子供たちをさらうチャールズ・マンクスは腐った現代社会において闇の救世主のように映る。しかしダメな親であっても子を愛する気持ちはかけがえのない物だと必死にマンクスの魔手から我が子ブルースを救おうと奮闘するヴィクとルーの姿は喪われつつある親子の絆の深さの象徴だ。他者から見れば不幸としか映らない家庭環境が実は当人たちにとってはそれもまた幸せの1つの形なのであることを投げかける。

瀕死の重傷を負いつつも、鋼鉄の馬トライアンフを駈るヴィクの姿は物語の前半に出てくる昔のアメリカドラマ、「ナイトライダー」の主人公マイケル・ナイトのようなヒーローのようだ。まさに女だてらの「Knight Rider」ではないか!手負いの母親ほど手強いものはない。母の愛こそ最強の武器なのだ。

しかしそれでも上下巻合わせて1,120ページもの分量が必要だったのかは甚だ疑問だ。300ページくらいは余裕で削れるのではないだろうか。抜群の奇想とそれを物にする技量はあるものの、長編小説となると妙に饒舌になるヒルは率直に云って短編向きのような気がする。作品を重ねるにつれ、長大化が進むヒルだが、向こうのエージェントならびに出版社はヒルにもっと文章を削ぎ落とすようアドバイスすべきではないだろうか?
この長さがなければ手放しで傑作と太鼓判を押そう。それほどまでに爽快な読後感を抱かせてくれる物語なのだから。


No.1124 7点 エル・ドラド
服部真澄
(2014/05/17 23:35登録)
服部真澄は常に時代を先行する。数々の時代を先取りしたセンセーショナルな題材を扱ってきた彼女が本書でテーマに挙げたのはもはや世界的に巨大な産業へと発展したアグリビジネスの実態だ。
物語は3本の柱で構成される。
1つは蓮尾の親友であった少年アダムが焼死したシングルトン一家放火殺人事件の謎。
もう1つは時代の寵児と呼ばれる科学ジャーナリスト、レックス・ウォルシュが一大センセーションを巻き起こすであろうと思われる次作を巡っての謎。
最後の1つは世界のワイン事情を左右すると云われているワイン・ジャーナリスト、シリル・ドランの新作の訳出を巡る物語。
これら3つの物語は1つの大きな軸に収束していく。それは世界の農業事業を牛耳る巨大コングロマリット「ジェネアグリ」の存在だ。そしてそのジェネアグリが率先して開発しているのが遺伝子組み換え作物、GMOと呼ばれるキメラ作物だ。

真相は今までの服部作品を読んでいれば想像するに難くはない。服部氏にとってアメリカという巨大な鷲は恐るべき存在なのだろう。デビュー作『龍の契り』からアメリカが香港返還に絡むところから始まり、その後の『鷲の驕り』、『ディール・メイカー』とアメリカが世界を牛耳ろうと画策しようと企む構造を一貫して描いてきている。圧倒的な取材力で世界の最先端技術をテーマに作品を綴ってきた服部氏が取材過程で目の当たりにした光景なのか、それは定かではないが、アメリカという国が持つ底知れぬ恐ろしさを知るがゆえに同国が与える世界への脅威は氏にとって決して離れる事の出来ないテーマなのかもしれない。

ただ人物造形はいつものように浅く、この浅さこそが服部作品の弱点だと私は考える。真相が明らかになるにつれ、さらにその奥に隠された真相が一枚一枚、ヴェールを剥がされるように明らかになり、やがて与えられていた真相はひっくり返り、正義が悪に、悪は道化師に、囮に、と価値観が覆される物語構成は一級のスパイ小説、エスピオナージュを髣髴とさせるのだが、そんな重層的なストーリーを引っ張る強烈なキャラクターが氏の作品にいないのも事実。それについては今後の服部作品に期待しよう。

アジアへの利権、特許、IT産業にアニメ産業、さらにアグリビジネスへと様々な分野で世界市場を乗っ取ろうと知恵を絞るアメリカ。これら服部作品に書かれている事象はそう遠くない未来に起こりうるであろうアメリカによる世界経済侵略なのかもしれない。次は我々に服部氏はどのような衝撃を与えてくれるのか。グローバリゼーションという明るい価値観の影に咲く仇花をまたその筆で描いてくれることを楽しみにしていよう。


No.1123 8点 八百万の死にざま
ローレンス・ブロック
(2014/05/08 19:42登録)
本書こそローレンス・ブロックという作家の名を世に知らしめ、そしてマット・スカダーシリーズを一躍人気シリーズにした作品だ。私立探偵小説大賞受賞作。

作中、市井の事件がマットが毎朝読む新聞の記事から挙げられる。それはどれもが奇妙な諍いの記事。どこかで誰かが誰かを傷つけ、また争っており、そこに死が刻まれている。キムの事件を担当する刑事ジョー・ダーキンと酒場でお互いが見聞きしたそれらの事件を挙げ合う。そして最後にジョーは昔あったTV番組を挙げる。“裸の町には八百万の物語があります。これはそのひとつにすぎないのです”それは警官たちにとっては八百万の死にざまがあるだけなのだという言葉で締め括られる。
その後マットはその言葉を意識し出す。新聞を読むたびに出くわす不条理とも云える死にざま。単なる比喩としか思えない八百万もの死にざまは、マットの中で本当にそれだけの死にざまがあるのではないかと思えてくる。そんな八百万の死にざまのうち、マットが扱うのはキムの死は1つにしか過ぎない。八百万のうちの1つにしか過ぎないのだが、その1つは自分にとって途轍もなく大きな意味を持っているのだ。

また本書では今までのシリーズと違うことが2つある。
1つは今までの事件は過去に起きた事件を掘り起こすことがマットの依頼だったのに対し、今回の事件は進行形で起きることだ。依頼人だったキムの死から始まり、彼女のヒモ、チャンスが抱える街娼の1人サニー・ヘンドリックスの死、そしてクッキーと云う名のオカマの街娼の死と続く。連続殺人鬼を扱いながら過去の事件を題材にしたのが前作『暗闇にひと突き』なら、本書では連続殺人事件そのものをマットが扱う。前作が静ならば本作は動の物語であると云えよう。
もう1つは上にも書いたが本書では前作『暗闇にひと突き』で登場したジャン・キーンが登場することだ。今までのシリーズでは警官のエディ・コーラーを除く全ての登場人物がスカダーにとって行きずりの人々だったが、このジャンは初めてスカダーの心に巣食う忘れえぬ人物として刻まれている。そしてスカダーは本書で初めて禁酒を行うが、ある時暴漢に襲われ、過剰な暴力で撃退し、酒にまた救いを求めようとする。しかし以前酒に飲まれた彼はそれを心の底から怖れるのだ。そして彼が見出した唯一の救いの光がジャンになる。
このシリーズに広がりが生まれた瞬間だ。

自分の依頼人だったコールガールの死から始まった一連の殺人事件の物語は最後の一行に至り、これは実はマットの自分との闘いの物語だというのが解る。
今までこのシリーズ1冊に費やされたページ数は270ページほどだったが、本書は480ページ以上にもなる。つまりマットが自分の弱さに向き合うのにそれだけの物語が必要だったのだ。
正直私はこの最後の一行がなければ評価は他の作品同様7点のままだった。しかしこの最後の一行で物語の真の姿とマットが抱えた苦悩の深さが全て腑に落ちてきたことで一つ上のランクに上がってしまった。

自分の弱さを認めたマットは無関心都市ニューヨークの片隅で起きる事件に今後どのように関わっていくのか。今まで人生の諦観で自分を頼る人たちに便宜を図っていた彼が自分の弱さと向き合いながら事件とどのように向き合うのか。さらに評価が高まっていくこのシリーズを読むのが楽しみで仕方がない。


No.1122 6点 恐怖の関門
アリステア・マクリーン
(2014/04/29 00:55登録)
マクリーン5作目の作品はなんとある犯罪者が巻き込まれる数奇な運命を語った話だ。

主人公のジョン・タルボはサルベージ会社を転々とし、そこで引き上げた財宝を盗んだり、または宝石泥棒と組んでダイヤモンドを盗んだりと悪行の限りを尽くした男が警察の追跡から逃げまくる逃亡劇が始まるかと思いきや、それは100ページほどで終わりをつげ、次は海底油田の採掘ステーションへの侵入劇、そしてヴァイランドと云う悪党によって潜水艦の技師として雇われ、ある仕事を頼まれる。
とまあ、このように実に先が読めない事極まりない物語が読者の眼前で繰り広げられる。

しかもその行動の真意が明らかにされないまま物語が進行するため、読者はタルボが何をしようとしているのかが解らない。とにかく読んでいて実に気持ちが悪い物語展開なのだ。

これほど靄の掛かったままで進む小説も珍しい。本格ミステリならば殺人の犯人や殺害方法、動機など不明なままで物語は進行するが、それはそれを突き止めるための物語であるから、逆に云えば目的がはっきりしているのだが、本書においては主人公のタルボを筆頭に、彼に依頼をするラスヴェン将軍の仕事の内容も不明で、ヴァイランド一味の目的も不明で何が目的なのかがはっきりせず、焦点が絞れずに進行するため、実にもどかしい思いをしながらページを繰らなければならなかった。

そしてそれら物語の靄は最終章、タルボの口から明かされる。

専門家と見紛うような石油採掘ステーションの技術的な説明と描写はマクリーンの専売特許とも云うべき精緻かつ精密で作家が付け焼刃的に浅く薄く専門書を読んで物語に挟み込んだような代物ではない。そこは認めるものの、本書における作者の企みは決して効果的なサプライズを生んでいるとは云えない。プロローグで起きた事件が物語の布石であることは容易に知れるものの、そこから展開する物語は焦点が掴みにくく、さらに殺人犯として知らされる主人公タルボの不可解な行動の数々には上で書いたようにとにかくどこへ進むのかがはっきりとせず、終始やきもきさせられた。

私はある明確な目的に向けて登場人物が生死の境で苦しみながらも前に進もうとする極限状態での苦闘を描き、その中で挟まれる意外な人間関係や本性がサプライズとして有機的に働くことで生まれる心震わせる人間ドラマこそがマクリーンの真骨頂だと思うが、物語全体を仕掛けにするという器用な創作は似つかわしいと本書を読んで思ってしまった。


No.1121 7点 2014本格ミステリ・ベスト10
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2014/04/23 19:34登録)
正直本家の『このミス』よりも読むのが楽しみなのが本書。なんせミステリのディープな部分に踏み込んだその年のジャンル別の傾向や評論が楽しくて仕方がないからだ(なのにこれが初の感想だなんて、意外なのだが)。

さて早速ランキングだが、麻耶雄高強し!今年は『貴族探偵対女探偵』で1位を獲得。短編集が1位を獲得するのは難しいと云われているが、麻耶氏にはそんなジンクスも関係なかったようだ(そういえば『このミス』の1位も短編集だった)。もはや出せば1位の感もある麻耶氏。それだけ新作を待っているファンが多いと云う事だろう。
続く2位は驚きの新人、青崎有吾の『水族館の殺人』がランクイン。2作目で2位へと大躍進だ。正直読む気は全く起きないのだが、現代のクイーンの衣鉢を継ぐと云われているだけのことはあるのか。3位はこれまた驚異の新人梓崎優がランクイン。こっちは大いに読む気あり。しかし人生初の長編でこのランクとは天才とは本当にいるだと思った次第。4,5位は法月作品が続けてランクイン。『このミス』でも1位になったし、世のミステリファンは法月の新作を待っていると云っても過言ではないようだ。人気と内容が伴っているかが気になるのだが。

5位以下は『このミス』でもランクインした作品がランクインしている。小林泰三の『アリス殺し』、歌野氏の『コモリと子守り』、島田氏の『星籠の海』、米澤氏の『リカーシブル』が続く。ここまで見ると『このミス』が本格ミステリ寄りにますますなっているのが解るが、11位以下はガラリと変わって、本ムックならではのランキングだ。
その中でも霞氏の『落日のコンドル』が入ったのは喜ばしい。あとはこのランキングで初めて目にした作品群―古野まほろ氏の『パダム・パダム』、深木章子氏の『螺旋の底』、森川智喜氏の『スノーホワイト』、etc―が並び、これぞ本ミス!といった感じか。

毎年の如く、くどく云っているが、その甲斐なく今年も海外ミステリの扱いは例年同様のスペースだった。翻訳ミステリー大賞シンジケートなどのWEBでの活性化や各地で行われている読書会が最近海外ミステリが多いのにも関わらず、この扱いの変わりのなさが本ムックで唯一残念な点だ。この海外ミステリの扱いが変わらない限り、本書の評価も変わらないのだが。

しかし今年は総じてパワーダウンの感は否めない。逆に『このミス』に幻の名作ミステリベストテンという好企画があっただけに余計に感じてしまった。


No.1120 7点 白戸修の事件簿
大倉崇裕
(2014/04/22 22:57登録)
平凡な学生白戸修が巻き込まれるのはスリにステ看貼りに銀行強盗、そしてストーカー被害に最後は万引き。軽犯罪だけでなく命に係わる事件にも巻き込まれる受難男。
しかもここに収められた5つの事件は就職先も決まり、大学卒業を目前に控えた最後の単位取得の試験の時期、その1月後、そして卒業式も終わって入社式を迎える猶予期間、入社式前日までの大学生活最後の年の後半に起こっており、白戸修はこの短期間でドミノ倒しの如く次々と事件に巻き込まれていくという濃密な数ヶ月を送っている。しかもそのいずれも中野駅界隈であるのが面白い。作者は中野駅にどんな恨み(?)があるのだろうか。
物語の最初はいつも頼みごとを断りきれない気の弱いお人よしの青年という、いささか頼りない男と映る白戸修が、物語の最後ではそのお人よしぶりがこの上ない善人になり、稀に見る好青年となって読者の心に印象づけられていき、どの作品も読後は爽やかな涼風が心に吹く思いを抱かせる。

個人的ベストは「ツール&ストール」、「サインペインター」、「ショップリフター」の3編。「ツール&ストール」と「ショップリフター」は姉妹編とも云うべき好編でそれぞれスリと万引きと云う軽犯罪を扱っており、その手口のヴァリエーションも紹介され、その奥の深さに唸らされるが、最後に明らかになる事件全体に仕掛けられたトリックが判明するところは久々に不意打ちを食らった感があった。「サインペインター」は単なる巻き込まれ騒動の1編と思わせつつ、実は意外な謎が隠されていたという読者がその真相を探るのがほとんど不可能な構成の妙を買う。ホント、何が謎なのか全く解らなかった。

とはいえ、まだまだ特色のあるシリーズとはこの段階では云い難い。逆に最後の短編でシリーズキャラクターとなりそうな人物が再登場した事でこれからシリーズとしての奥行きと幅が出てきそうな予感がする。
次回からは出版社に就職した社会人として白戸修がまたもや事件に巻き込まれていくことになるのだろうが、どんな形で事件に関わるのか暖かい眼で見守ってやりたい。白戸修にはそんな魅力がある。


No.1119 7点 暗闇にひと突き
ローレンス・ブロック
(2014/04/19 20:57登録)
シリーズ4作目の本書ではスカダーは彼が警官時代に担当した連続殺人事件の被害者の真犯人を捜そうとする。それは彼の過去との対峙でもあった。
アイスピックを使って女性ばかりを襲う連続殺人魔。8人もの犠牲者が出た後、ぱったりと事件は沈静化する。それは当の犯人が長期強制入院させられていたからだった。そして9年後の今、その犯人が捕まり、解った事実が8人の犠牲者のうち、その1人バーバラ・エッティンガーは自分が殺したのではないということ。その父親は彼女を殺した真犯人捜しを当時警官で事件を担当していたマットに依頼するというのが今回の話だ。

しかし連続殺人犯をテーマに扱いながら、ブロックはなんとも地味に物語を展開させるのだろう。通常ならば連続殺人犯による犯行がリアルタイムで起きている状況下で物語を紡ぐことだろう。その方がサスペンスも盛り上がるし、また何より物語に起伏も出る。
しかし敢えてブロックはそれをある女性の過去の殺人の真相を探るモチーフとして扱うだけに留めるのだ。しかも連続殺人事件は9年も前の事件にして。従って物語は数少ない当時を知る人を探り当てるところから始まり、また当時を知る者も既に記憶が曖昧になって実に心許ない。つまり読者は過去を探るスカダーと共に何とも手ごたえの感じない捜査の一部始終を体験するのだ。
なにゆえこのような展開をブロックは選んだのか。やはりそれがスカダーの向き合う仕事に相応しいからだということだろう。連続殺人犯と云う敵と戦うマットはどうしても武闘派にならざるを得ないが、マットにはそんなポジティブな行為は似合わず、過去の疵を抱いて時々自分に仕事を頼む人から少しばかりの報酬を貰ってその日暮らしの生活をする、人生の落伍者には過去を辿る行為こそがお似合いなのだろう。

前作でも抱いたのはなぜスカダーは敢えて寝た子を起こすような行為をするのかということだ。しかしその疑問について私はある一つの答えを得たような気がした。それは自身が抱える過去の闇を忘れずに酒に溺れ、半ば死んでいるような日々を送っているからこそ、過去を忘れ去ろうとする人々が許せないのだろう。
しかし過去を抱えて今を生きるマットの生き方は決して誉められたものではない。『一ドル銀貨の遺言』では過去の過ちを消し去ろうと努力し、それぞれが成功を収めている人々がいる。過去を抱え、定職にすらつこうとしない男と過去を消し、いまを生きようとする人々。この二律背反な構図は決してスカダーが真っ当な人間ではないことを指す。
しかしこれこそが正義を貫くことの代償なのだろう。正しいことをすることは何かを捨てる事なのだとブロックはスカダーで表しているのかもしれない。
このマット・スカダーの物語は上昇志向の人々にはそぐわないものだろう。誰でも失敗はするし、それを糧にして今をもっと頑張ろうと生きる。マットの生き様はそんな前向きの生き方とは真逆なものだ。

原題は“A Stab In The Dark”。Stabという単語には「突き刺すこと」という意味以外に「人の心を傷つける事」という意味も持つ。暗闇にひと突き。暗闇は9年前の事件のことを指す。すなわち忘れ去られようとする過去でもある。その暗闇を突き、人の心を傷つけたのはマットその人であった。すなわちこの題名は過去を掘り起こすマットのことを指しているのだ。読後に立ち上るもう1つの意味。実に上手い題名だ。


No.1118 10点 容疑者Xの献身
東野圭吾
(2014/04/15 23:05登録)
人生を変えた1冊とは通常読み手が出逢った本の事を差すが、東野圭吾は本書を著すことで長年逃していた直木賞に輝き、一躍ベストセラー作家に躍り出て人生を変えた。そしてまたそれまで東野作品の読者ではなかった私が彼の作品を読むことを決めたのもこの作品だった。

短編集で始まった探偵ガリレオシリーズは人智を超える超自然現象としか思えない事件を現代科学の知識と理論で湯川学が解き明かすというのがそれまでの作品の趣向だったが、初の長編では湯川に匹敵する天才をぶつけ、一騎打ちの構図を見せる。天才科学者と天才数学者の戦い。論理的思考を駆使する男とこの世の理を知る男。最強の矛と最強の盾の戦いはどちらに軍配が上がるのか。
しかしこの戦いは非常に哀しい。それは湯川が唯一天才と認めた石神と再会した時の語らいが実に濃密であるからだ。このシーンがあるからこそ2人の先にある運命の悲劇を一層引き立てる。

しかしなんという、なんという献身だ。正直今まで愛する人のために自らを捧げる献身の物語は東野作品にはあった。『パラレルワールド・ラブストーリー』に『白夜行』、これらを読んだ時もなんという献身なのかと思った。そしてそんな献身の物語を紡ぎながらも敢えて「献身」の名をタイトルに冠したこの作品の献身とはいかなるものかと思ったが、そのすさまじさに絶句してしまった。

そもそもは素行の悪い元夫から逃れるために起こした殺人事件が端を発した哀しい事件。事件そのものは靖子が富樫と云う男と結婚したことから始まったのかもしれない。東野氏は一度誤った人生は容易に取り戻せないと諸作品で語るが、本書もその1つである。
しかしこれほど哀しい物語に対して本書が本格ミステリが否かという一大論争が起きたことが実に馬鹿馬鹿しい。本書は推理小説なのだ。それ以下でも以上でもないではないか。暇人だけがジャンル分けに勤しんでいる。もっとこの作品を超えるような作品を切磋琢磨して世のミステリ作家は生み出してほしいものだ。それが作家としての本分だろう。


No.1117 7点 バカラ
服部真澄
(2014/04/12 02:02登録)
金、金、金。金に狂い、金に惑う。金に魅せられ、ドツボに陥っていく人々。服部真澄が今回選んだ題材は金にまつわるお話だ。

今までの服部作品は香港返還に纏わる密約と陰謀、ある技術に関する特許戦争、巨大企業の買収戦争と利権を争うことをテーマにしていたが、その利権に隠されているのはやはり金。莫大な富、利益をもたらす手札の争いだった。従ってここまで明らさまに金に纏わる争いを扱ったのは本書が初めてだ。そのためか、書かれている人物たちはいつもにも増して生々しい。

誰もが必要としている金。それは我々日々の生活であればあるほど困らないいわば安心を約束する物であり、己のステータスを示すバロメータでもある。
しかし安寧を得ようと金儲けに腐心する野心家たちが情報を駆使して、司法の手の届かない地に辿り着いた時、それまでの縁が失せ、残ったのは金だけとなる。果たして彼は本当の幸せを、安らぎを手に入れたのだろうか?
作中、主人公の志貴の独白で語られるバカラの意味。その言葉はゼロを意味するという。一攫千金を夢見てカジノでギャンブルに興じる人々。その1つ、バカラにそんな意味があるとは、つまり勝ちの向こうにあるのは無ということなのか。登場人物の一人が辿り着く境地はまさにそんな虚しさを表しているようだ。

しかし今なお持ち上がっては消えていくカジノ合法化案。現都知事が唱え、大阪市長もまた同様の案を声高に叫ぶが実現しないでいる。それはカジノが放つ煌びやかな光景ゆえに孕む闇の深さゆえか。私自身ギャンブルをしないのでカジノ合法化にはそれほど魅力を感じないが、実現することで県の財政が潤うと同時に犯罪の温床ともなり得る諸刃の剣。
本書が刊行された2002年から早くも12年が経ってなおこの状況ということは夢のまた夢の話なのだろうか。


No.1116 7点 真冬に来たスパイ
マイケル・バー=ゾウハー
(2014/04/02 22:54登録)
2014年の今なお小説の題材として語られるキム・フィルビー事件。イギリス秘密情報機関の切れ者であり、高官の座に一番近いと云われていた男がソ連のスパイだったという衝撃的な事件は恥ずかしながら私も最近になって知ったのだが、本書はこの稀代のスパイを育て上げた伝説のKGB部員オルロフが自身を暗殺しようとする謎の人物を追って国を跨って捜査をするという物語だ。それは同時にKGBがイギリスに、いや世界各国の共産主義思想を持つ人物たちをどのようにスパイに仕立て上げたかを語ることにもなるのだ。

この虚と実が入り混じった物語展開は一方でフィクションと思いながらも、もう一方では実話ではないかと錯覚してしまう。
この作品にはフィルビー以外にもいわゆる「ケンブリッジ・ファイヴ」と呼ばれたスパイたちも実名で登場する。私が不思議なのは主人公オルロフが彼らを仕立て上げた伝説のスパイとされているため、彼らの為人を詳細に語るシーンが出てくるのだが、どうやってバー=ゾウハーはここまで人物を掘り下げることが出来たのかということだ。まるで実際に逢ったかのようだ。それほどまでにリアルに描写している。

これは老境に入ったスパイたちが過去を清算する物語だ。
スパイ活動に時効はない。バー=ゾウハーは現時点での最新作『ベルリン・コンスピラシー』でも歴史の惨たらしい暗部に携わった人々の罪が決して時間によって浄化されることはないと痛烈に謳っているのだ。
しかしなんという深みだろう。人を利用した者はまた人に利用されるのだ。最後はオルロフが述懐する、この物語の本質を実に的確に云い表した言葉を添えて、この感想を終えよう。

“諜報活動のからくりは、じつに複雑怪奇だ”


No.1115 3点 最後の国境線
アリステア・マクリーン
(2014/03/29 18:54登録)
ロシアに囚われた弾道学の権威である博士をイギリスに取り戻す任務を与えられた特別工作員マイケル・レナルズの物語だ。

しかしこの特別工作員レナルズ、最初に説明があるようにあらゆる感情に左右されずしかも格闘術に長け、人殺しの技を身に着けた危険な男とされているが、協力者ジャンシの部下サンダーに致命的な一撃を与えるものの、びくともしないし、博士と接触した時は盗聴器に気付かずにそれが元で作戦成功に大きな打撃を与える困難を生みだし、さらにジャンシの娘に惑わされたりと、どこが凄腕のスパイなのか解らないほど、間が抜けているのだ。
しかも幾度となく彼の前に現れるAVOことハンガリー秘密警察の一員である巨漢のココとの最後の対決では打ちのめされ、サンダーにいいところを持って行かれてしまう。これが不屈の魂で満身創痍の中、人間の極限を超えて任務を遂行した『女王陛下のユリシーズ号』や『ナヴァロンの要塞』を描いた作者によって創作されたヒーローとはとても思えないのだが。

しかし今回は久々に苦痛を伴う読書だった。
というのも、ハンガリーとロシアの極寒の地の中で時には敵の追手をかいくぐりながら博士奪還のために吹雪の中を疾駆する列車の屋根に上り、連結器を外すというアクションも盛り込みながらも、ところどころに挟まれるジャンシがレナルズに語る政治論が実に濃密過ぎて物語のスピード感を減速してしまったのは否めない。この内容の濃さはほとんど作者マクリーンが抱く政治論そのものであろうが、3ページに亘って改行も一切なく語られてはさすがに疲れを強いるものであった。

マクリーン初のスパイ小説ということもあって作者の独自色を出すための構成なのかもしれないが、国家の原理原則論についてこれほどまでに弁を揮うとなると、もはや小説ではなく大説である。作家としての気負いが勝ってしまったのかもしれないが、これはいささかやり過ぎ。この手の主張は小説ではなく、また別のノンフィクションなどで語るべきだろう。


No.1114 7点 アイルランドの薔薇
石持浅海
(2014/03/22 19:23登録)
アイルランドの武装勢力NCFが殺し屋に依頼するある幹部の暗殺劇。このどうにもエスピオナージュ色濃い設定で本格ミステリを成立させるという異色な意欲作だ。
上に書いた物語のシチュエーションから本書が本格ミステリのいわゆる「嵐の山荘物」だと誰が想像するだろうか?石持氏はこの本格ミステリの典型とも云える、警察が介入できず、しかも外部との連絡が絶たれた状況の密室状況を、あくまで現実的で起こりうるだろう状況で実現させるためにアイルランドの武装勢力NCFの一味が宿泊先で何者かに殺害され、警察への介入を許さないというこれまでにない特異なアイデアで設定した。

そして舞台の特殊性に加えて本書には他の本格ミステリには見られない特異性がある。それは物語の状況が政治的に大事な交渉を控えていることから、NCFが納得のいく事件の解決しなければならないのだが、それは真犯人が違っていても構わないから論理的に誰もが納得のいく解答を見つけさえすればよいというものだ。
つまり本書では本格ミステリ作家がいつか直面するこの本格ミステリのジレンマをなんとデビュー作の時点ですでに取り入れているのだ。とても新人とは思えない達観した考えを持った作家である。

ただ目の前で人が亡くなっているのに、滞在客みんなで料理に興じるのには面食らった。そんな意欲が出るものだろうか?ましてや心的ショックから食欲など湧かないのではないだろうか?しかもみな嬉々として料理を楽しむのである。これにはさすがに違和感を覚えずにはいられなかった。


No.1113 7点 ディール・メイカー
服部真澄
(2014/03/18 23:35登録)
今回服部氏が選んだのは一大メディア企業の買収劇。一頃日本でも話題になったM&Aがテーマとなっている。
その劇には2つの主役がある。
一つは世界中で有名なアニメキャラクター「くまのデニー」を抱え、そこから映画部門を創設して世界にテーマパークを持つまでになったハリス・ブラザーズ社。これはまんまディ○ニーそのものだ。特に作中で描写される「くまのデニー」の風貌はミッ○ー・マウスそのままのようだ。
もう一つはコンピューター・ビジネスの巨大企業『マジコム』社。天才的カリスマ会長兼CEOのビル・ブロックはビル・ゲ○ツを髣髴させる。こちらは恐らくマイク○ソフト社がモデルだろう。つまりアメリカきっての二大大型企業、ディズ○ーとマイ○ロソフトの仮想一騎打ち買収対決が本書であると云えよう。

服部氏が凄いのはこの買収劇にアメリカのある法律を絡ませていることだ。以前、某企業が発明した権利は会社の物か発明者の物かという問題が起きたが、本書の問題もそれに近い。
これは天才によって創立された会社が抱える盲点であり、その歴史が古ければ古いほど起こり得る事態ではないだろうか?

しかしながら服部氏の広範な知識と緻密な取材力には全く以て脱帽だ。何しろアメリカを舞台にアメリカの法律下で買収戦争を描き、さらにそこにアクションシーンも盛り込んでキチッとエンタテインメントしているのだから畏れ入る。600ページを超える大著だが、そのページ数が必要なだけの情報量、いやそれ以上の情報量を含みながらアメリカの法律に疎い我々一般読者に噛み砕いて淀みなく物語を進行させる筆の巧みさ。作品を重ねるごとにこの著者の作品はますますクオリティの冴えを見せてくれている。

我々の知らない世界を次作でも見せてくれることを大いに期待しよう。


No.1112 7点 泥棒は哲学で解決する
ローレンス・ブロック
(2014/03/11 23:11登録)
前作『泥棒は詩を口ずさむ』から引き続きバーニイは古書店店主を営み、友人の犬の美容師キャロリンは前作の事件がもとで彼の泥棒稼業のパートナーとなって一緒に盗みを働いている。

そして泥棒に入った家でまたもや殺人事件が起き、バーニイは容疑者になってしまうが、今回は逮捕されず任意同行と云う形で警察署に引っ張られるものの、生き残った被害者への面通しで別人だとされるのが今までとは違うところ。つまり今までは警察に捕まりそうになったところを寸でのところで逃げ出し、世間から隠れながら事件を解決するという手法だったのだが、本作では証拠不十分として釈放され、警察からの嫌疑を受けながらもいつも通りの古書店主としての生活をして犯人探しをしているのがミソ。これが今まで行動の不自由さゆえに物語が停滞しがちだったこのシリーズの欠点を見事に補っており、通常よりも物語に躍動感があるように思えた。

2人もの死人を出しながらも一人の死を巡ってそれぞれの関係者に隠された暗い過去や事実を探るマット・スカダーシリーズの語り口よりも明るいというのが非常に面白い。

また作中やたらとロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを揶揄しているのが目に付いた。自身の生み出したアル中探偵マット・スカダーと健康的で現代的な探偵スペンサーとを比較しているのだろう。どちらもネオ・ハードボイルドとして新たな探偵像を描きながらも、スペンサーシリーズの方が当時は売り上げも高かったことに対する作者のやっかみのようにも取れる。こんな健全な探偵が活躍する物語のどこが面白いのかねぇ、とバーニイが代弁しているかのようだ。

そして最後はなんと関係者一同を集めての謎解き披露!これで作者ブロックが意識的に昔の本格ミステリの形式を踏襲して書いていることを認識した。

1人目の殺人事件の犯人は早々に解ったが2人目の犯人は正直意外だった。ヒントはきちんと散りばめられているのでなかなか侮れないのだ、このシリーズは。

1631中の書評を表示しています 501 - 520