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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1603件

プロフィール| 書評

No.1223 4点 呼びだされた男
ブライアン・フリーマントル
(2015/12/05 01:11登録)
チャーリー・マフィンシリーズ3作目。
まず非常に読みやすいことに驚いた。最新作『魂をなくした男』の、学生に頼んだ下訳のような日本語の体を成さないひどい日本語ではなく、実に滑らかにするすると頭に入っていく文章が非常に心地よい。
そしてこれもまた最新作と比べて恐縮だが、二分冊になるような長大さがなく300ページ強と通常の厚みでありながらスピーディに展開していくストーリー運びもまた嬉しい。若さを感じる軽快さだ。

最近のシリーズ作に比べると非常に構造がシンプルだ。したがって特にサプライズも感じずに、「えっ、もうこれで終わり?」的な唐突感が否めなかった。

また最近のシリーズ作では既に忘却の彼方となっているが、前作で妻イーディスを喪ったチャーリーは彼女の想い出と悔恨に苛まれて日々を暮している。従って折に触れチャーリーのイーディスへ向けた言葉と当時の下らないプライドを後悔しているシーンが挿入される。折に触れチャーリーは自身の行為が生前イーディスが話していた台詞が裏付けていたことを思い出す。疎ましく思っていた存在を亡くしてみて気付く愛しさと妻こそが最大の理解者であったことを自戒を込めてチャーリーは改めて確認するのだ。う~ん、この辺は実に教訓になるなぁ。

さて本書では保険調査員に扮し、そのまま無事に難関をクリアしたチャーリー。特にピンチもなく物語は終えたため、よくこのシリーズが現在まで続いたものだなぁと不思議でならない。この後は『罠にかけられた男』ではまたもやFBIと保険調査員として見えることになり、実に痛快に活躍するのだから本書はシリーズの動向をフリーマントル自身が探っていた小編だったとも考えられよう。


No.1222 8点 バーニング・ワイヤー
ジェフリー・ディーヴァー
(2015/11/29 21:38登録)
現代のシャーロック・ホームズ、リンカーン・ライムが対峙する今回の敵は“電気”。正確には電気を武器にニューヨークを翻弄する敵が相手だ。
普段はその有難みが解らないが、いざ台風や地震で停電が起きるとその大事さに気付かされるのが電気だ。3・11の東日本大震災で計画停電が行われ、当時東京に住んでいた私はネオンサインがない渋谷の街を毎日目の当たりにして、夜闇に乗じて犯罪が起きてもおかしくはないと半ばこの世の終わりのような思いを抱いたものだ。
「電気は、市民の道徳心にもエネルギーを供給しているのだ」の作中の一文には激しく頷いてしまった。
この電気、実は私も仕事で縁がある代物だが、非常に便利であるが反面、非常に恐ろしい物だ。それは本書でも実に詳細に語られている。
いわゆる“見えない凶器”であり、電線のみならず帯電している金属から人間の体内を通って地面に通り抜ける間に絶命してしまうからだ。

さらにライムはキャサリン・ダンスたちがメキシコ警察と共同してメキシコシティに潜伏しているウォッチメイカーの逮捕にも携わる、いくつもの要素が絡まった物語となっている。

そしてそれら一連の事件の絵を描いたのは意外な人物だったことが判明する。
とにかくすごい真相だ。どんでん返しの帝王とも云えるジェフリー・ディーヴァーだが、もう騙されないぞと思いながらもやはり驚愕させられてしまった。
もはやネタは出尽くしたと思ったがこれほどのサプライズをまだ見せてくれるとは、やはりディーヴァーは只者ではない。

ところでディーヴァー自身もこのシリーズを現代のホームズ物と意識して書いているようだ。特に下巻220ページの次の台詞

考えうる可能性を全て排除したあと、一つだけ排除できなかったものがあるとすれば、一見どれほど突飛な仮説と思えても、それが正解なんだよ

はホームズが短編「ブルース・パーティントン型設計図」での台詞

ほかのあらゆる可能性がダメだとなったら、どんなに起こりそうもない事でも残ったことが真実だ

とまるで同じである。もはやこれは確信的ではないだろうか。


No.1221 10点 有限と微小のパン
森博嗣
(2015/11/23 00:54登録)
シリーズ中最も厚い文庫本にして約850ページの大作。そしてそのボリュームに呼応するかのように次々と事件が発生し、様々な仕掛けが物語全体に仕掛けられている。
森氏はギアを1速からいきなり4速へと加速するかの如く次から次へと事件を謎を畳み掛ける。

方々に散りばめられた小ネタとも云える謎が早々と解き明かされるが、これが一つ一つレベルが高く、たびたび「あっ!」と声を挙げてしまうほど驚かされた。

(以下ネタバレ)

一連の殺人事件は案外あっさりと解決される。特に動機なんてものは実になおざりに処理される。
ただ私が思ったのはこの真相はいわゆる世に流布するミステリ全般に対する森氏の皮肉ではないか?ということだった。
一般的に市民が殺人事件に出くわす確率はそう高くはない。私自身、直接的間接的にせよ、殺人事件どころか刑事事件に関わったことはない。本書でわざわざ長崎まで出向いた西之園萌絵がそこで事件に出くわすことがもはや作り物めいているといえないだろうか。ミステリを読み慣れた我々にとってそれらが至極当たり前のことになっているが、実際は旅行先で事件が起こるなんてことは確率的にはかなり低いことであり、森氏はそれを逆手にとってわざと事件を起こさせるという真相を持って来たのではないだろうか。

これほど派手に事件が起こるのだが、本書の主眼はそこにはないところに森氏の潔さを感じる。
そして本書の最大の謎とは「真賀田四季は一体どこにいたのか」だ。
これを特定する犀川の推理は実にロジカルで、実に感服した。久々にこれが理系ミステリであると再認識させられた。

いやはやこの最終作でシリーズに散りばめられた仕掛けが解り、森氏の構想力に脱帽した。回文や四季を髣髴させる謎かけなど、森氏の言葉に対する貪欲なまでの遊び心が溢れ、更にはシリーズを思わず読み直させる種明かしもまた心地よい。まさにシリーズの締め括りに相応しい大作だった。

ところで当時の『本格ミステリベスト10』の座談会で笠井氏が「私や綾辻君が10作でシリーズ完結と謳いながらいまだに成し遂げてないのに、彼がたった3年できちんと完結したことがすごい」と語っていたのが一番ウケた。
この頃綾辻氏は『暗黒館の殺人』を出すと云っていた頃だったので、その後のことを考えるのもまた一興である。


No.1220 4点 銀河ヒッチハイク・ガイド
ダグラス・アダムス
(2015/11/14 01:21登録)
全く前知識のない状態で手に取った第一印象は題名と文庫裏表紙の梗概から判断してドタバタSFコメディというものだった。
いきなり悪名高い“宇宙の土木業者”で開発計画の名の下、数々の惑星を破壊して回るヴォゴン人によっていきなり地球を破壊されたごく普通の、いや人よりちょっと間抜けで報われない人生を送っていたアーサー・デントが地球に潜入していたベテルギウス人のフォードによってヒッチハイクで救われ、奇妙な宇宙の旅へと連れて行かれるお話。
この内容で間違いはないのだが、非常に読者を選ぶ文体とストーリー運びだと云えよう。

本書に挟まれる過剰なおふざけとも云えるダグラス・アダムスのギャグのセンスがイギリス人には大いに受けたのかもしれない。
とにもかくにもまだ第1巻。本書でこのシリーズの評価を出すのは早計と云うべきだろう。続く2巻目以降に期待したい。


No.1219 9点 新参者
東野圭吾
(2015/11/06 23:31登録)
日本橋署に赴任したばかりの加賀が携わるのは小伝馬町で起きた1人暮らしの女性の殺人事件。その捜査過程で彼は被害者三井峯子の遺留品を手掛かりに捜査を進めていくのだが、彼が訪れる先々ではそれぞれがそれぞれの問題を抱えており、加賀はそれらに対しても対処していく。その問題は市井の人々ならば誰しもが抱える問題で、いわばこれらは殺人事件が起きない日常の謎なのだ。つまり殺人事件の謎を主軸に加賀恭一郎は日常の謎を解き明かしていくのだ。

各章で明かされる各家庭が抱える秘密や問題は我々市井の人間にとって非常に身近で個人的な問題だ。そんな些末な、しかし当事者にとってはそれらはなかなか深刻な問題である。普通に暮らしている人々の笑顔の裏には誰もがこのような問題を抱えている。それは表向きは当事者以外にしか解らない。従ってその問題がひょんなことで表出した時に謎が生まれる。そんな謎を加賀は細やかな観察眼と明晰な推理力で解き明かす。それらは家族の中でも一部の人間しか知らされていない、実に人間らしい家庭の秘密である。

全てが明かされると、この世界は人間の優しさや人情で出来ているのだと温かい気持ちになるから不思議だ。

特筆なのはこの事件を通してシリーズキャラクターとして読者にはお馴染みである加賀恭一郎の人となりが今まで以上に鮮明に浮き上がってくることだ。
日本橋署に赴任したばかりの一介の刑事が人と人の間を練り歩き、事件とは関係のない謎を解き明かすことで1人の人間の死が及ぼしたそれぞれの小さな事件を知り、1つの大きな絵が見えてくる。それを飄々とした態度で、明晰な観察眼と頭脳で解き明かす加賀の優秀さ、いや清々しさがじんわりと読者の心に満ちてくるのだ。
特に第7章で被害者の元夫である清瀬直弘と対峙した時に加賀が清瀬に告げた家族の力の強さは、以前の加賀からは決して出なかった台詞だろう。これはやはり長年確執があった父の死を超えた加賀だからこそ云えた言葉だった。
本書は家族への愛を色んな形と角度から描いたミステリだ。人の心こそミステリだと宣言した東野氏がこんなにも心地よい物語を紡いだのは一つの到達点だろう。


No.1218 7点 死への祈り
ローレンス・ブロック
(2015/11/03 21:24登録)
今回マットが対処する事件は強盗による弁護士夫婦殺害事件。強盗が入っている間に家主が帰って来て強盗によって殺される。これはもう1つのブロックのシリーズ、泥棒探偵バーニイ・ローデンバーがしばしば巻き込まれるシチュエーションだが、その場合は軽妙なトーンで物語が進むのに対し、マット・スカダーシリーズでは実に陰惨な様子が淡々と語られ、恐怖が深々と心に下りてくるような寒気を覚える思いがする。この書き分けこそがブロックの作家としての技の冴えだ。

今回はマットとTJの機転で警察組織を巻き込んで大規模捜査網が敷かれる。かつて個人が巨大な悪に立ち向かうためにミック・バルーと云う悪の力を借りて対峙したマットだったが、前作でミックの組織は瓦解し、彼を残すのみとなった。今回総勢12人も殺害したシリアル・キラーと立ち向かうために組んだ相手が警察組織だったことは元警官であったマットにとって自分の立ち位置が原点に戻ったように思える。

原点回帰と云えばシリーズも15作目になって、マットは更なる過去へ対峙する。それはシリーズが既に始まった時から離縁関係にあった元妻アニタと彼の息子マイケルとアンドリューとの再会である。

さて私がこのシリーズを読み始めたのが2013年の6月だからもう足掛け2年4ヶ月の付き合いになる。既に本書までは既刊だったため、シリーズを1作目から本書に至るまで通して読むことが出来たが、この2年4ヶ月という凝縮された期間であっても本書を読むにここまで来たかと感慨深いものを感じるのだから、シリーズを1作目から、もしくは有名な“倒錯三部作”からリアルタイムで読み始めた人々のその思いはひとしおではないだろうか。
本書で語られているように、マットが断酒してから18年の歳月が流れ、作中での年齢は62歳と既に還暦を超えてしまっている。
しかしマットは登場当初の、人生に打ちひしがれた元警官の無免許探偵という社会的には底辺に位置する人々の一員であったが、15作目の本書では元娼婦の妻エレインが蓄財した不動産収入でニューヨークでマンション暮らしをし、安定した生活に加え、エレインが趣味で始めた画廊からの収入もあり、マットは探偵業を気が向いた時に営むといった、人が羨むような生活を送っている。もはやホテルの仮住まいで定職に就かず、毎日アームストロングの店に入り浸ってアルコールを飲み、時折訪れる人のために便宜を図るように幾許かの金で人捜しや警察が扱わない事件の掘り返しを請け負い、依頼金の1割を教会に寄付して過去の疵を癒す慰みにしている、人生の負け犬のような彼の姿はもはやそこにはない。陰の暮らしから日の当たる世界へ出たマットの姿をどう捉えるかは読者次第なのだろう。

ともあれマットが裕福になり、エレインとの夫婦生活が充実していくにつれて、このシリーズ特有の大切なペシミズムやムードが失われていくような気がするのは私だけだろうか。
相変わらず読ませる物語であることは認めよう。しかし上に書いたようにかつて読んでいたようには私の中に下りてくる叙情性といったような物が薄れて行っているのは確かだ。しかしそれでも私はいいと思う。エレイン、TJ、ミックと彼を慕う人々の中でマットが事件と対面していくのもやはりこのシリーズの特徴であるからだ。

さて次の『すべては死にゆく』は未だ文庫化されていない。このシリーズ全作読破のために一刻も早い文庫化を望む。しかしブロックの新作は文庫で出ているのになぜこの作品だけ文庫化されないのだろうか?


No.1217 7点 数奇にして模型
森博嗣
(2015/11/03 00:24登録)
S&Mシリーズ9作目の本書ではこのシリーズの原点回帰とも云える密室殺人事件を扱っている。しかも同時に2つの密室殺人が離れた場所で起こるが、どちらも容疑者は同一人物だったという、魅力的な謎をいきなり提示してくれる。

本書で特徴的なのは『幻惑の死と使途』以降付されていなかった登場人物表が復活していることだ。『幻惑の死と使途』、『夏のレプリカ』、『今はもうない』は登場人物表を付けられない、凝った構成の作品だったからだが、本書でそれが復活しているということはつまり原点回帰的な密室殺人ミステリであることを意味している。

さて本書では森氏の趣味がある意味横溢していると云っていいだろう。まず事件の舞台となるのが模型作品展示・交換会、つまりモデラー達の集いである。作者自身がかなり本格的な鉄道模型マニアであることから、これは満を持してのテーマだったと思われる。そのためか登場人物が模型やフィギュアに対する哲学を語るシーンがそこここに挟まれており、それらは作者自身の考え・意見であると窺える。

そしてもう1つ特徴的なのはコスプレイヤーも登場するところだ。モデラー達よりもその色合いは薄いものの、本書では西之園萌絵がコスプレしているところに注目されたい。まずは上記の展示会でのオリジナルキャラクターのコスプレに、事件の容疑者寺林に話を聞くために彼が入院している病院の看護婦に成りすまして潜入する。コスプレマニアにとってはある意味萌え要素が盛り込まれており、やはり西之園萌絵の名の由来はオタクやマニアにとって馴染みの“萌え”から来ているのかと思わず勘ぐってしまった。
もう少し云えば、本書の章題に注目したい。「土曜日はファンタジィ」、「日曜日はクレイジィ」、「月曜日はメランコリィ」とラノベ的な軽さを持っており、これもオタク要素を盛り立てている。本書の題名に隠されたもう1つの意味、「数奇にして模型」≒「好きにしてもOK」の如く、森氏は奔放に本書で遊んでいるようだ。

真相を知ると至極面倒な手続きを踏んだ事件だったと云える。正直「夜はそんなに長いか?」と疑わずにいられない。この真相のバランスの悪さがカタルシスを感じさせないのが残念だ。

初登場の萌絵の従兄、大御坊安朋もまた実にエキゾチックなキャラクターである。妾の子という暗い生い立ちにありながら作家にして女装家でオネエ言葉を連発する、1998年と今から17年前の発表当時では実に濃くて生理的に受け付けない人物であっただろうが、オネエタレントが芸能界を闊歩する今では免疫が出来て寧ろ魅力的に映った。

またこのシリーズのもはや特徴となっているが、殺人を犯すことの動機の浅薄さ、不可解さは逆にネット社会で人とのコミュニケーションがリアルよりも電脳領域での比率がかなり高くなっている現在の方が実に解りやすくなっている。モデラーとして優れた作品を、理想とする作品を作りたい願望が尖鋭化しすぎて、もはや人の死すら自身の材料としか見えなくなったこと、そしてその趣味に没頭したいが故に邪魔となる存在を排除したという実に端的な動機は現代社会の人間関係の希薄さが問題視されている今だからこそ腑に落ちる。

そして9作目にして初めて犀川は犯人と対決する。犯人の毒牙に落ちようとする萌絵を救うため、身体を張って彼女を護り、怪我を負う。ドライでクールなミステリだったシリーズがホットでフィジカルな色を帯びて正直驚いた。

唯一変わらないのは西之園萌絵に対する嫌悪感である。本書でも彼女は我儘で傍若無人、傲岸不遜であった。萌絵と私には決して近づくことができない斥力が働いていると認識しよう。いやはや身の回りにいなくてよかった。


No.1216 7点 本格ミステリ・クロニクル300
事典・ガイド
(2015/11/01 20:41登録)
2000年代の10年間の本格ミステリシーンを振り返ったガイドブック『本格ミステリ・ディケイド300』の前身となったのが本書。1987年から2002年の足掛け16年間の本格ミステリシーンを振り返っている。この中途半端な年代の意味はいわゆる新本格という新たな本格ミステリのムーヴメントが生まれた年、即ち綾辻行人が『十角館の殺人』でデビューした1987年から15周年経ったことを示している。綾辻以後の本格ミステリの発展と変容をつぶさに追っており、資料的にも実に興味深い内容となっている。

綾辻登場から新本格1期生と云われる法月綸太郎、歌野晶午、我孫子武丸に東京創元社からデビューしたもう1つの新本格の書き手、有栖川有栖と日常の謎という新たなジャンルをもたらした北村薫の登場、後を追うかの如く登場した二階堂黎人に京極夏彦と森博嗣の鮮烈なデビュー、そして巻末の評論に笠井潔に「脱格系」と称された佐藤友哉に浦賀和宏、西尾維新と作家の名前を挙げるだけで本格ミステリがその15年で辿った変容が解るのが興味深い。それらの激しい変容はまるでそれまでになかった新製品が世に出て急激に発展していくような右肩上がりの進化を見ているようだ。例えばテレビが発売され、白黒からカラーになり、そしてブラウン管から液晶へ、さらにアナログ放送からデジタル放送へと急激に変わっていったように。
そしてそれらのムーヴメントでは必ず多くの才能が結集するのだが、中には急激に大量化した作家群、作品群の中に一定のレベルにありながらもあまりにも迅い流れに追いつけず、埋没していった作家たちも数多いる。本書でもそれらの作家の作品が挙がっており、実に感慨深いものを感じた。

本書の内容は私の読書遍歴と当時のミステリシーンを追想するような形で読んだ。まず浮かんだ正直な感想は、「非常に懐かしい」だった。昔読んだ作品を改めてその存在意義と本格ミステリにおける価値を批評的に読むことで新たな知見を得ることもしばしばであった。
本書が刊行されたのは2002年で今なお文庫化されていない。このようなガイドブックは歴史的資料として非常に価値があるだけに、絶版化されることが運命づけられている単行本でしか刊行されていないのは非常にもったいない。そして刊行から13年経った今なお読んでもその内容には時代錯誤的な認識がなく、今に続く本格ミステリに通ずる源流を読み取ることができる(笠井氏の脱格・破格の名称はさすがに死語だと思ったが)。

早川書房から24年ぶりに海外ミステリ・ハンドブックやSFハンドブック、スパイ・冒険小説ハンドブックが新たに刊行されたり、マストリード100シリーズとして色んな趣向でミステリのガイドブックが刊行されたりとなぜか最近はガイドブック刊行が喧しい。そんな今だからこそ本書もまた文庫化されてはいかがだろうか。

しかし1990年の時点で既に積読本があることにショックを受けてしまった。ホント私の積読本は死ぬまでに捌けきれるのだろうか。それが一番の問題だ。


No.1215 7点 双生児
クリストファー・プリースト
(2015/10/19 01:42登録)
SF作家のプリーストが今回取り上げたテーマは第2次大戦時代を扱った改変歴史物語。J・L・ソウヤーと云う名の双子の奇妙な人生譚だ。

第2次大戦時の英国首相として有名なチャーチルの手記が言及する良心的兵役拒否者でありながら現役の英空軍爆撃機操縦士という相矛盾する価値観を内包するソウヤーと云う人物の正体は同じイニシャルを持つジャックとジョウゼフのJ・L・ソウヤーと云う全く同じイニシャルを持つ双子のそれぞれの来歴が混同されたことだったと判明する。戦争の混乱期にありがちな間違いであるのだが、プリーストの語りならぬ騙りはそんな定型に陥らない。

まずJLとジョーという同じJ・L・ソウヤーという名前の双子が片や英国軍の軍人の道を、一方は兵役拒否者として赤十字で働く道を選んだそれぞれの人生が手記や記事の抜粋などの様々な形式で語られる。
メインとなるのが戦争ドキュメント作家スチュワート・グラットンが興味を示したチャーチル直属の副官となったほとんど無名のソウヤーなる人物で、それが読者の1人が自身のサイン会に持参した手記によってJ・L・ソウヤー大佐であることが高い確率で確認される。
しかしそこに書かれている内容と関係者の証言や手記とは異なる事実が判明してくる。

これらの記述は様々な人物による手記や著作、記事の抜粋によって構成されている。これが全て“信頼できる語り手”であるか否かは不明であり、それらによって物語が進んでいることに留意されたい。従って前に書かれた内容が新たな事実によって否定され、物語のアイデンティティが揺らいでいく。

これは夢か現か妄想か?この足元が揺らぐ感覚はまさにプリースト作品ならではのものだ。

とにかく読書中は付箋だらけになってしまった。しかしそれこそが本書を読み解くのに必要な作法であることは物語の最後に気付かされる。上に書いたように2人のソウヤーの手記の内容は異なり、さらには挿入される様々な記事や手記においてもまた辻褄が合わないことが多々書かれているため、前に書かれた文章を行きつ戻りつしながら補完していくことが必要なのだ。しかしそれがまた物語の、いや本書で語られる歴史の真実を揺るがせることになるのだから侮れない。

さて誰が嘘をつき、誰が真実を語っているのだろう?いやもはや事実の受け取り方はその者に与えられた情報や体験によって構成されるが故に、純然たる真実はあり得ないのか。
一見ストレートな物語と見せかけて読み返すと様々な語り―騙り?―が散りばめられていることに気付かされるという実に複雑な構成を持っていることに気付かされる。全くプリーストは相変わらず一筋縄ではいかない作家だと思いを新たにした。
この複雑な物語を解き明かす一つの解釈として巻末の大森望氏の解説に書かれた緻密な説明は必読。ホント、この作品には解説本が必要だ。


No.1214 8点 真夏の方程式
東野圭吾
(2015/10/10 00:50登録)
帝都大学の研究室を離れて、警視庁の管轄外での事件ということで定型通りに草薙と内海から事件の捜査を依頼されるわけではない。草薙が登場するのは100ページを過ぎた辺りとシリーズの中で最も遅い。つまり本書では湯川が出張先で草薙達に先んじて事件に出くわす、変則的な構成を取っている。しかも草薙と内海は東京で湯川の援護射撃をするのみ。最終的に2人が合流するのが全460ページ中396ページと最後の辺りとシリーズの定型を崩しているのが興味深い。

さらに本書はある意味、シリーズの約束事を裏切ることで成り立っていると云える。
まず今回のパートナーが柄崎恭平という少年であることが驚きだ。シリーズ当初の短編で湯川は自身が子供嫌いであることを公言しているが、本書では電車で伯母夫婦の許に向かう恭平が湯川に助けられることが発端となっている。子供嫌いの人物ならば恐らく子供が困っていても無視するだろうと思われるのでこの展開は実に意外だった。
そして最も私が驚いたのは湯川が今回事件の捜査に自発的に関わっていることだ。特に旅先で知り合った柄崎恭平と云う少年から事件のことを知らされると自ら遺体発見現場に案内してくれと申し出る場面では面喰ってしまった。事件に携わることで親友とかつての恩師に手錠をかけるようになってしまった湯川が再び草薙そして内海に協力していく経緯は『ガリレオの苦悩』や『聖女の救済』で語られているが、しかしそれでも湯川は事件が起きた直後は捜査協力に後ろ向きであった。しかし今回は上に書いたように自ら申し出るようになる。
子供嫌いの男性で警察の捜査に興味を示さない男が本書では全く逆の姿勢を見せている。シリーズの基盤が揺さぶられるような展開だ。

最先端科学を売りにした探偵ガリレオシリーズだが、長編になると科学よりも、事件に関わった人たちが表面に見せない、人と人の間に起きた齟齬から生じる奇妙な縺れを探ることに主眼が置かれている。純粋な左脳ミステリであるこのシリーズが長編では右脳ミステリになるのだ。

これは誰にしもあり得る過去のひと時の過ちがきっかけとなった事件。
それぞれがごく普通の日常を護ろうとした。しかし過去の過ちはそれを崩そうと彼らを苛むように忘れた頃に訪れる。彼らにとって忘れたい忌まわしい過去が、いやもしくはそっと胸に潜めておきたい儚い恋の想い出が歪な形で追いかけてくるような思いがしたことだろう。そしてそんな過去から日常を護るにはもはや殺人と云う最悪の非日常に身を落とすしかなかった。しかしそれが負の連鎖の始まりだった。普通の生活を続けようとするのが斯くも難しいのか。これが人生の綾なのだろうか。

まさに期待通りの作品だった。湯川が解いた真夏の方程式は実に哀しい解を導いた。しかしその解ゆえに湯川はまたより魅力的に変わる事だろう。シリーズはますます深みを増していくに違いない。


No.1213 7点 殺しのリスト
ローレンス・ブロック
(2015/10/04 17:27登録)
殺し屋ケラーシリーズ2冊目の本書は長編だが、構成は連作短編のように複数の殺しの依頼について語られる。
しかし一連のケラーの仕事がケラーを狙う男がいることを裏付ける要素を含んでいるという構成になっているのだ。

そしてサイドストーリーの面白い事。
特にケラーが陪審員に選ばれて裁判に参加するエピソードは屈指の面白さを誇る。警官が盗品のビデオデッキを買ったが、それは確信的な行為だったのかと警官の有罪か無罪かを巡る裁判では次から次へ事件の関係者が現れ、実に複雑な様相を成し、当然のことながらケラーを含む陪審員の議論は右往左往する。正直読んでいて何が何だか分からなくなるのだが、この訳の分からなさと色んな人種の混ざった陪審員の面々が織りなすドタバタディベート劇が実に面白い。まさに“裁判は踊る”とも云わんばかりだ。

殺し屋対殺し屋の対決。本書のメインテーマであり、こう書くと派手なアクションと駆け引きが繰り広げられる一大エンタテインメントのクライマックスを髣髴させるが、全くそんな色合いはない。
殺し屋を主人公としながら物語の雰囲気は飄々としており殺伐したものがない。そして殺し屋が主人公であれば当然付き纏う銃器や武器の詳しい説明なども一切ない。リアリティと云う面では全くそれが欠落していると思われるが、よくよく考えると今の殺し屋とは実は我々の生活に巧みに溶け込んで銃火器などを派手にぶっ放すことはないのではないだろうか?つまりこれほど静かに殺しが成されること自体が実はリアリティがあるのかもしれない。
そう考えるとやはり最も特異なのはケラーが依頼される殺しの理由が不明なことだ。ケラーのターゲットの中には殺される理由が解らない善人が少なからずいる。しかし依頼はあり、それは遂行される。確かに来るべき大きな裁判を控えた重要な証人と云う、まさに狙われるべき理由があるもいるが、実業家や単なるサラリーマンもいる。いや後者が大半だ。そしてそれはいわゆる市井の人間でも殺しのターゲットになることを示している。ウィットとユーモアに物語を包みながらも、その裏側にあるのはどんな理由であれ、人を殺したいと思っている現代人の荒廃した心であることに気付くべきだろう。

まさにローレンス・ブロックにしか書けない作品。それが故に最後のロジャーとの決着のつけ方が意外性に凝ったがために爽快感にかけることになったのは残念である。やはり殺し屋物は純粋にアクション物を期待してしまうのか。私がケラー物のテイストに馴染むのにはまだ時間が足りなかったようだ。


No.1212 4点 金門橋
アリステア・マクリーン
(2015/09/25 23:58登録)
王道のハリウッドアクション映画さながらの、テロリストによる政府高官を人質にした緊迫の籠城劇である。

金門橋で陣取ったテロリスト、ブランソンは政府に5億ドルもの身代金を要求する。大統領を筆頭に国賓として招かれていたアラブ産油国々王らVIPの身代金に加え、爆弾を仕掛けられた金門橋の身代金が上乗せされていた。
爆弾は上空を飛行するヘリに乗ったテロリストの1人がリモコンを持っていつでも爆破できるようになっている。
この一部の隙のない計画の中、唯一の誤算は人質の中にFBIエージェントで主人公のポール・リブソンがいたことだった、とまるで一級のアクション映画の煽り文句のような状況設定でありながら、物語が進むにつれて色んな綻びが見えてくる。

通常このような籠城物であれば、犯人の要求を数時間単位で成立させ、それが適わないとなると1人、また1人と殺されていくのが常だが、全くそのような緊張感はなく、ブランソンの宣伝のためにマスコミ連中が金門橋上を右往左往する余裕さえある始末。
さらに緊張感の無さに拍車をかけるかのように、完璧無比と思われた犯罪が次第に綻んでいくのだが、これが実に容易に事が進む。橋に仕掛けられた爆弾を遠隔操作する爆弾は早々と無効化され、絶大の信頼を置く片腕はリブソンによっていとも容易に捕獲される。そんなことにも気付かず余裕綽々で構えているブランソンに対し、対策本部の連中はもはや彼に畏怖を持たず、彼の部下が気付いた彼らの機器が故意にレーザー光線で壊された疑いに対して、小馬鹿にしたように反論し、論破する。さらにブランソンの切り札であった犯行後の犯罪人引き渡し条約を結んでいない国への逃亡は受入先の国の大統領から拒否されるという始末で、いつの間にか単なる道化役に堕してしまっている。片や火中のなんとやらでブランソンや彼の片腕に疑われながらも、敵の数歩先を読んで強かにやり過ごすリブソンも口笛を吹きそうな余裕さえ感じさせられ、アクション大作としてはスリルをさほど感じさせない構成が残念でならない。

またマクリーン作品の最たる特徴である専門知識も鳴りを潜め、金門橋に関しての薀蓄もたった2ページが費やされているだけである。最盛期のマクリーンならば金門橋を取り巻く周辺特有の霧の濃さに関する地形的な特徴などを延々と語り、また濃霧に縁のない人々を唸らせる思いも寄らない弊害なども盛り込まれ、サスペンス性をどんどん重ねていったことだろう。
舞台は一流でありながら、進行は牧歌的という実にアンバランスな内容を読むに、やはり往年のヴァイタリティは枯れてしまったマクリーンの作家としての衰えを激しく感じてしまった1作だった。


No.1211 7点 今はもうない
森博嗣
(2015/09/22 23:23登録)
後期になってS&Mシリーズは典型的な密室殺人から離れたかと思ったが、今回は密室物としてはど真ん中の“嵐の山荘”物だ。
台風の接近で電話線が切れ、道路は倒木で寸断されて警察が介入できないという実にベタな設定。
しかしそれらはもっと大きなトリックへのフェイクであることが後に解る。

個人的には傑作になり損ねた佳作という評価になってしまう。それはやはり本書に仕掛けられた大きなトリックに比して、物語の中心となっていた密室殺人の真相が実に凡庸だからだ。しかし本書の探偵役のことを考えるとこの凡庸さは逆に作者が意図したものかもしれないとも思える。

タイトル“今はもうない”は事件があった別荘が今はもう残っていないことを指す。しかしその時のことは彼らにとって永遠なのだ。本書はミステリとしては凡作だが、過ぎ去りし日々を懐かしむ歳になった者たちにとって何がしかのノスタルジイを感じさせる物語が強い印象を残す。
左脳系ミステリの書き手である森氏が放った右脳系ミステリという意味で本書はS&Mシリーズで異彩を放つ存在となるのだろう。シリーズナンバーワンと評する人々もいるというのもあながち間違いではない作品だ。


No.1210 7点 東野圭吾公式ガイド
事典・ガイド
(2015/09/12 23:19登録)
目玉は読者1万人による東野作品の人気投票ランキング結果だが、なんとこれはたった40ページ弱で纏められてしまい、21位以下の下位作品はタイトルと無差別に選出されたコメントが付されただけという、何とも期待外れな内容だった。
正直これだけならば壁本だったのだが、その後全ての作品についての東野圭吾が各所で語った自作コメントが付けられていたことで思わず振りかざした手を下すことが出来た。

ランキングについてここで詳細に語ることは避けるが、3位にあの作品が入っていることはかなり驚いた。やはりメディアの力は強いと云う事か。

本書のメインは第2部とも云える作者自身による全作品解説だ。とは云っても書き下ろしではなく、各所で語られた物を集めたものだが、それでも最近の作品では解説はおろか、あとがきもないため、この解説は当時の制作状況や作者の意図が解って実に有意義な内容だった。このガイドブックで挙げられている作品の中には未読作もあるので、ここに書かれた内容を頭において読むのもまた一興だろう。
ところでようやく2015年になって彼の隠れた傑作『天空の蜂』が映画化され、今公開中である。そんな「今」を知ってこのガイドに書かれた同作のコメントを読むと非常に感慨深いものを感じる。

しかし作家生活25周年記念でこのようなガイドブックが文庫版で編まれることが現在の東野人気の凄さを物語っている。彼の場合、ぽっと出のベストセラー作家ではなく、質の高い作品を書きながらもミステリファンにおいては高評価を得ながらも巷間では知られていなかった長い下積み生活を経てのブレイクだけに作家としての基盤がしっかりしており、簡単には揺らがない強さがある。実際出す作品の質は高いし、シリーズ物はどんどん深みを増している。

数十年後改訂版として再びガイドブックが編まれた時、ランキングがガラッと変わるような傑作が出される可能性が高いだけに今後の東野圭吾の作品に注目していきたい。


No.1209 7点 カッコウの卵は誰のもの
東野圭吾
(2015/09/09 23:33登録)
東野圭吾公式ガイドブックによれば、本書のテーマは“才能って何だろう?”とのこと。よく才能があると云われるが、それこそ曖昧な物ではないだろうか、そして後世に残る記録を残し、また世界的に活躍したスポーツ選手の二世が必ずしも大成するとは限らない。
そんな疑問に対して東野圭吾は実に面白い設定を本書で設定する。それはかつてオリンピックのスキー選手であった父親の娘がその二世としてめきめきと頭角を現しているが、実は血の繋がりの無い親子だったという物。

単に赤ん坊を盗みだし、その罪の呵責に耐えかねて自殺したと思われた妻に纏わる事件は調べれば調べるほど謎が積み重なっていく。まさに謎のミルフィーユ状態だ。
しかしそれら全ての謎が明かされると、単純に見えた物語の構図を複雑にするためにかなり無理があったと感じてしまった。

もし自分にある才能が有り、それが他者によって開眼されたとして、その才能を伸ばそうとするだろうか?その答えの1つがこの息子鳥越伸吾の決断とも云えよう。
人が羨ましがるような才能が逆に苦痛の種となり、本当の夢を諦めざるを得なくなるのは本末転倒だ。しかし才能を見出した側にとっては他者にはない特殊な能力を使用し、伸ばそうとしないことは宝の持ち腐れであり、なんとも勿体ない話だ。
私に彼鳥越伸吾と同じ才能があった場合、私は云われるままに代表選手として日々練習に励むだろうか?果たしてそれは解らない。鳥越伸吾の選択した道―クロスカントリー選手の道を諦め、音楽の道へ進む―は彼の人生だからこその決断だ。そこに本書の題名の答えがある。カッコウの卵は即ち持ち主自身の持ち物なのだ。それをいかに孵化させ、育てるかはまた当人次第なのだ。


No.1208 8点 皆殺し
ローレンス・ブロック
(2015/09/06 00:14登録)
色々なサプライズと“倒錯三部作”のスリルを凌駕するほどの戦いを孕んだ作品だ。

以下ネタバレ

 世界中に伝承される破壊の女神は世界を焼き尽くす。それはまた新たな世界を作るための破壊である。このマット・スカダーシリーズもまた本書で一旦全てを喪う。ミックは上に書いた仲間とグローガンの店に加え、オマラ夫妻が管理する農場をも失う。
マットもまた例外ではない。永らく彼の助言者だったジム・フェイバーを喪い、彼の魂の駆け込み寺だったリサ・ホルトマンを、そしてようやく得た探偵許可証も失うことになりそうだ。
全てを失い、そしてまた新しい日が始まる。恐らくこのシリーズもまた。

哀しい事ばかりが起きた作品だった。それまで人伝えにしか解らなかったミック・バルーという男の凄まじさを知らされた作品だった。シリーズを読みながらも驚きと知らないことがあることを気付かされる。それはまさに人生そのものではないだろうか。


No.1207 4点 地獄の綱渡り
アリステア・マクリーン
(2015/08/29 00:36登録)
マクリーンも後期になるとレーサーなど色々なヴァリエーションが見られるが、なんと本作ではサーカスの世界。原題も“Circus”とそのものズバリ。

しかし舞台はサーカスではない。その題名は今回の主人公ブルーノ・ワイルダーマンがサーカス随一の曲芸師であり、メンタリストであることに由来する。彼は難攻不落の研究所への進入と重要機密書類奪取をCIAから依頼されるのだ。それは一流の曲芸師である彼でなければ達成しえないほど鉄壁の防御網によって守られた研究所だからだ。

本書は映画“ミッション:インポッシブル”のような難攻不落の研究所への進入に加え、サーカス団員であるナイフ投げの名手マヌエロ、無双の怪力を誇るカン・ダーン、投げ縄の名人ロン・ローバックといった一芸に秀でた個性豊かな仲間がブルーノを助ける。さらには一見ペンにしか見ない麻酔銃と毒ガス銃が登場したりとエンタテインメント色が実に濃い。
本書が1975年発表であることを考えると前掲の原型であるアメリカのスパイドラマ『スパイ大作戦』やイアン・フレミングの007シリーズの影響をマクリーンも受けていたのではないかと勘繰らざるを得ない。

しかし溜めに溜めた敵との対決は実に呆気なく終わる。この拙速に過ぎた物語の閉じ方はいかがなものだろうか?途中で作者自身が飽きてしまったかのような印象を受ける。途中でこのようなジェームズ・ボンド張りのスパイ物はガラではないと悟ったのだろうか?


No.1206 8点 禍家
三津田信三
(2015/08/23 00:15登録)
2階の自室に入るにはひたひたと彼に迫る得体のしれない足音を振り払わなければならない。
祖母が留守の時に家に帰れば、祖母の部屋からどこまでも伸びる蛇のような老人の手が襖から伸び、キッチンへ逃げ込めば首の無い四つん這いの女性の死体が徘徊する。風呂に入れば赤ん坊のような物が彼を湯船の中に引きずり込もうとする。
他の部屋に入れば死んだと思われた父親が現れ、幼き頃と同じように絵本を読んでくれたかと思えばいきなりおぞましい嗚咽を洩らし、首から鮮血を飛び散らす。

そんな家に住みながら、主人公は祖母のことを思って引っ越そうと云わない。恐怖に襲われながらもそれを受け入れ生活を続ける彼の心の強さは只者ではない。それは祖母と2人暮らしと云う決して裕福ではない家庭環境故に引っ越したばかりの家からすぐに引っ越すための新しい物件探しや、財政的にも苦しいという背景があるためなのだが、そんなことを小学校を卒業したばかりの少年が考えるのが奇妙なおかしみを与えている。

特筆すべきは冒頭に登場する恐怖を煽る小久保家の老人の意味不明な言葉の数々が調べるにつれて次第に意味を帯びていき、彼の家に纏わる忌み事の真相に繋がっていく。これはホラーでありながら、その因果を解き明かす過程はミステリそのもの以外何物でない。

この次々と起こる怪奇現象と近所に残る忌まわしい事件、そして一家殺害事件を起こした狂える学生と、ホラーのおぜん立てを十二分に死ながら、ミステリとしてのサプライズも提供するこのサービス精神の旺盛さ。彼は最初から本格ミステリの心をホラーの土壌に立つ作家だったのだと認識させられた。


No.1205 3点 夏のレプリカ
森博嗣
(2015/08/19 23:43登録)
本書は前作『幻想の死と使途』の偶数章を司る作品であり、2つで1つの物語が構成されるという凝った作りなのだが、内容にはお互いの作品に密接に絡み合う要素はほとんどなく、それぞれ独立した作品として読める。
このような形式を取った理由として森氏は作中で殺人事件に限らず、あらゆる犯罪はその首謀者たちがお互いに譲り合ったり、スケジュールを調整しながら起こされるものではないからだと述べている。つまり前作の有里匠幻殺人事件と本書の簑沢家誘拐未遂事件及び簑沢素生失踪事件は同時期に起きており、これを分離した2つの作品としながら一方を奇数章、こちらを偶数章で構成することで西之園萌絵が大学院受験時に起きた事件としている。
しかしこの試みは成功しているとは思えない。確かに森氏の云うように犯罪とは1つが終われば次のが起こるように規則正しくないのだが、同時多発的に複数の事件が起こる作品はこれまでも多々あった。モジュラー型ミステリがそれに当たるが、それらのジャンルに当てはまる作品と比べてもこの2作でたくさんの犯罪が起きるようには思えない。単なる奇抜な着想で終わってしまっている。奇妙な符号としては双方に事件関係者に盲目の人物が関わっていることだ。前作では真犯人の妻が―結局前作の矛盾については何も語られなかった―、本書では杜萌の腹違いの兄で詩人の素生が盲目だ。しかしそれも両者のストーリーには何の関わりももたらさない。

作中で登場人物の1人儀同世津子も述べているが、小粒な事件故に作者は『幻惑の死と使途』の事件と敢えて同時期に起こす設定にして、500ページもの分量で語ろうとしたのではないか。こんなミステリ妙味薄い事件にもかかわらず、事件は有里匠幻殺害事件が起きた8月の第1日曜の3日前に起きながら、事件解決はその事件解決後の9月最後の木曜日と実に2ヶ月もかけられている。

物語は実に無駄の多い内容で、一向に解決に進まない。私は常々森ミステリには事件解決までのタイムスパンが非常に長い事を特徴として挙げており、これを個人的に森ミステリ特有のモラトリアムな期間と呼んでいるのだが、本書はそれが最も長い作品であろう。西之園萌絵が有里匠幻殺害事件の解決にかかりきりになっていることと大学院受験を控えていることがその理由となっているが、上に書いたように事件に直接関係のない登場人物の頻度が増していたり、西之園萌絵のお見合いシーンや、犀川創平の妹儀同世津子の妊娠のエピソードなど、物語の枝葉にしては長すぎるエピソードの数々が逆に本書のリーダビリティを落としている。キャラクター小説として物語世界を補強するためのエピソードかもしれないが、さほどこのシリーズにのめり込んでいない当方としては退屈な手続きとしか思えなかった。

しかしこれほど拍子抜けする真相も珍しい。誘拐犯殺害の真相は意外な反転があるものの、カタルシスを感じるほどのものではないし、またもや全ての謎が解かれるわけでもない。よほどこのシリーズが、この世界観が好きでないとこの物語は楽しめないだろう。それほど森氏の趣味が盛り込まれた、それはある意味少女マンガ趣味とも云える幻想味が施されている。
また前作では初めて西之園萌絵が探偵役を務めたにもかかわらず、最後の最後で犀川によって真相が解明されるという詰めの甘さを見せたが、本書では彼女によって真相が見事に暴かれ、犀川はその真相に至っていながらも積極的に事件に介入しない、いわば保護者的役割に終始している。これは西之園萌絵の成長とみるべきか、シリーズにおける名探偵交代を示す転換期なのか。
何にせよ、ようやく密室殺人事件から離れた作品なのだが、逆にそれ故に小粒感が否めない。あらゆる意味で何とも残念な作品だ。


No.1204 7点 プラチナデータ
東野圭吾
(2015/08/16 20:47登録)
情報を操る者は情報に操られるというのが高度情報化社会での皮肉な現象だが、今回の主人公神楽もまた高度なDNA情報を利用したファイリングシステムを構築していながら、自分自身が容疑者として検出される実に皮肉な運命が待ち受けていた。
このDNA捜査システムを読んで想起したのは住基ネットである。これは単に住所、氏名、年齢といった本人を取り巻く外的情報でしかないが、これもまた警察と政府によって仕組まれた国民管理構想の一端のように思えてならない。従ってもしDNA情報まで保存・管理・検索できるスーパーコンピューターが開発されれば本書のような捜査システムが構築されるのは時間の問題なのかもしれない。

エンタテインメントの手法としては古くからハリウッド映画でも題材にされてきたテーマだろう。しかしこれを絵空事と思っていいものだろうか?上に書いたように、既に我々の情報は公共機関によって管理されている。それが機械のミスで、いや故意に人為的に操作されて自分がある日突然犯罪者に仕立て上げられる可能性もあるのだ。このデータは嘘をつかない、機械はミスをしないと信じる盲信性こそが現代社会に生きる我々の最大の敵ではないだろうか。

完璧な正義など存在はせず、大なり小なりの悪が存在しながら社会は機能している。東野氏は自身の公式ガイドブックの諸作の自己解説でところどころ上のようなことを述べている。従って東野作品は個人の力ではどうしようもないことに対して非常に自覚的である。それが故に彼の作品は勧善懲悪的に悪が必ず罰せられる結末を迎える作品は少なく、どこか割り切れなさと現実の厳しさというほろ苦さを読後に残す。
本書もその例に漏れず、本質的な解決は全く成されていない。例えばハリウッド映画に代表されるエンタテインメントならばこのような近未来の歪んだシステムは主人公の活躍によって壊滅され、大団円を迎えるのが通例なのだが東野氏はそれを選択していない。
果たしてこれは来るべき未来に対する東野氏からの警鐘なのだろうか。裁かれるべき者が、巨悪がさらに大手を振って世間に幅を利かせる世の中になっていく。ここで書かれた未来はなんとも暗鬱だ。

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