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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.186 6点 メグレと賭博師の死
ジョルジュ・シムノン
(2019/05/13 13:29登録)
 深夜に鳴った電話のベルでメグレ警視は夢から揺り起こされた。相手はその夜、夫婦で月例の晩餐会を済ませた友人のパルドン医師。寝入りばなを起こしてしまってすまないが、すぐこちらへ来てもらえないかと言う。マイナス十二度を越す一月の寒気の中、ヴォルテール通りを訪れたメグレに、パルドンは犯罪の匂いがすると思われる出来事を語る。
 メグレ夫妻と別れた後、背中を射たれた女が二十五、六の青年と一緒に診療所にあらわれ、治療中に二人ともいなくなったと言うのだ。女は三十そこそこのブロンドで、通りがかりの車に銃撃されたのだという。そのくせ男は警察にも病院にも連絡していなかった。名前と住所を書き留めるよう告げると、こちらがそばを離れた隙に姿を眩ましてしまったのだ。二人は彼の患者のような貧しい人たちではなく、特権階級といった感じで、かなり親密な間柄に見えた。
 メグレは雪で封鎖された街道の状態から飛行機で移動したと睨み、オルリー特別空港警察に該当者の人相その他を問い合わせる。二人の乗った赤のアルファ・ロメオはパリのナンバー・プレートをつけて空港駐車場に停まっており、カップルは三時十分発のアムステルダム行きに乗ったとのことだった。
 翌朝自宅で遅めの朝食を摂るメグレのもとに、パルク・モンスリ街にある邸宅で男が射殺されたとの連絡が入る。被害者はフェリックス・ナウールという四十二才のレバノン人。昨夜のカップルは、オランダ人とコロンビア人。彼はふたつの事件に、関連する匂いを嗅ぐ。
 1966年発表のメグレ警視シリーズ第93作。「メグレたてつく」「メグレと宝石泥棒」両姉妹編の次作で、作品としては後期に属するもの。原題 "Maigret et l'affaire Nahour(メグレとナウール事件)"。 被害者フェリックス・ナウールは賭博シンジケートと組んで行動する賭博師で、ソルボンヌで専攻した確率論を武器にカジノと遣り合う一匹狼。当然事件は注目を集め、ナウールと別れた後アムステルダムで再婚するはずだったオランダ人妻エフェリーナも傷ついた身体を抱え、フランスに帰ってきます。彼女とコロンビアの金鉱王の息子ビセンテ・アルバレドに、ラウールの秘書で同じくレバノン人のフアド・ウエニを加えた四角関係がストーリーの読み所。メグレの苦手な上流階級の事件ですが、事前にある程度大枠が掴めているからか、今までほどには苦労しません。とはいえ、食えない証人連中に梃子摺らされるのは変わりませんが。
 子供のまま大人になった、母親の自覚の無いシンデレラが引き起こした事件。一種の復讐譚ですね。後期の例に漏れずあっさりめな作品ではありますが、舞台や人物設定は結構考えてあります。メグレと尋問で再三対峙するフアドは、なかなかに手強い相手です。


No.185 5点 美女と野獣
エド・マクベイン
(2019/05/11 10:19登録)
 海辺で見たその女性は、翌月曜の朝十時十五分すぎにマシュー・ホープのオフィスにやってきた。サバル・キーの北部海岸で人目を奪った、信じがたいほど美しい姿は見る影もなく、黒と青のアザだらけ。サングラスをはずすと、片方の眼のまわりはふくれあがってほとんど眼がふさがっている状態だった。折れた鼻と歯が三本欠けた口で、彼女はミッシェル・ハーパーと名乗った。夫のジョージを逮捕してほしいというのだ。
 「彼は怪物〈モンストル〉です」「本物の怪物ですわ(モンストル・ヴェリタブル)」
ミッシェルに暴行を加えたジョージは、午前二時に家を出たまま帰っていないという。ホープはミッシェルと共に告訴状を提出し、翌朝早く電話をいれると約束する。しかし、結局その電話が掛けられることはなかった。火曜の朝七時に彼女は両手両足を針金のハンガーで縛られ、大量のガソリンをかけられ焼き殺された死体となって発見されたのだ。
 ほどなくして夫のジョージ・N・ハーパーが警察に拘束されるが、彼はホープがこれまで出会ったうちでもっとも巨大で醜い黒人だった。気の進まぬながらも彼は、馴染みのブルーム刑事の勧めでジョージの弁護を請け負うが・・・
 1982年発表のシリーズ第3作。87分署ものの第35作「熱波」と、第36作「凍った街」の間に執筆されたもの。手口も猟奇的で、人間関係も案の定ドロドロ。「傷つけられた子供」が主要モチーフの、本シリーズ全体の流れからすれば異色気味。だからと言ってそれほど面白い構図の作品ではありません。
 凶器のガソリン缶の指紋や目撃者の証言は、全て容疑者ジョージの犯行を示しており、ホープは夫妻それぞれの関係者に聞き込みを行いますが、ジョージの人格を巡る証言は矛盾しその内容はチグハグ。本人に探りを入れても奥歯に挟まったような物言いで、一向にラチが明きません。遂にホープは「ジョージを含むすべての証言者たちが噓をついているのではないか」と思い至るのですが、その矢先に彼は刑務所から脱走し、やがて第二の殺人が――
 原典となる童話との暗合も少なく、これなら次作「ジャックと豆の木」の方が良かったなあ。前作「黄金を紡ぐ女」がたまたま成功しただけかな。7作目の「長靴をはいた猫」が一作飛んだままにしてあるけど、過度に期待しない方が良さそう。


No.184 5点 烈風
ディック・フランシス
(2019/05/09 01:29登録)
 イギリスBBCの気象予報士ペリイ・ステュアートは、同僚クリス・アイアンサイド所有の低翼機チェロキイに便乗し、有力馬主キャスパー・ハーヴェイの昼食会に招かれる。招待客たちに紹介され会自体は無事に終わるが、二人に見せようと自慢の馬房を開いたハーヴェイの顔は、誇りから驚愕に変わった。オークス本命の牝馬は膝をついて呻いており、苦痛のほどは明らかだった。原因はまったく不明。当然、金曜日のレースには出られなかった。
 それから三週間後、ペリイはフロリダ滞在中のクリスに誘われる。カリブ海で発生したハリケーン"オウディン"の中を飛ばないかというのだ。招待客の一人、ロビンとエヴリンのダーシイ夫妻がスポンサーとなり、最新機器が搭載された双発プロペラ機パイパーを提供するという。二人にとって願ってもないチャンスだった。
 「行かないほうがいいわ、ペリイ。とても悪い予感がするの」
霊感を持つ祖母の警告を無視し、彼はクリスの待つアメリカに向かう。だがサンド・ダラー・ビーチのダーシイ邸で彼を迎えたのは、違和感の数々だった。
 過剰な警備、告げられぬ飛行計画、無線連絡の遮断―― そしてオウディンの直撃する、牛と鳥しかいない長さ一マイルほどの孤島トロックスへの事前の着陸。いったい、このフライトの真の目的は何なのか? ペリイは見逃せぬ機会を前にあえて目を瞑り、クリスと共に"オウディン"を目指し飛び立つが・・・
 1999年発表のシリーズ第38作。とはいえ競馬要素の薄いいくつかの作品の一つで、馬の病気も意図的なものではありません。トロックスでロビンの依頼を果たした二人は意図をいぶかしみながらもそのまま離陸。無事ハリケーンの目に侵入しますが、脱出の際二次渦に巻き込まれ機はカリブに水面着陸。クリスと離れ離れになったペリイは再びトロックス島に打ち上げられます。
 数日のサバイバルの後、彼がハリケーンに破壊され露出した隠し金庫を開けた事から一気にヤバネタに突入。ラスト付近にサプライズは用意されていますが、あまりにヤバ過ぎて、ストーリー半ばにも達しないこの時点で大枠がほぼ確定してしまうのがいただけないところ。
 紆余曲折の後、扱いは悪いもののとにかく救出されたペリイはBBCに復帰。イングランドでフロリダの事件との関連を探りますが、彼とクリスの命を狙った再度の飛行機事故後に事態は急変。併せて体調を悪化させた主人公ペリイが、新種の結核菌に感染したことが明らかになります。この部分はいらなかったですね。ヤバネタ一本で十分です。
 それもあってか焦点のぼやけた印象の作品。悪役組も統制が取れておらず、意味ありげな描写ののちそのまま放置されたキャラも数人。ラストのフロリダでの対決もアクション味は薄く、メイン悪役も考えなしの浅墓さが目立ちます。次作「勝利」では幾分持ち直しますが、本作はあまりお薦めできません。採点は5点寄りの4.5点。


No.183 6点 青玉獅子香炉
陳舜臣
(2019/05/07 02:23登録)
 "モノ"に憑かれた人々、あるいは「物」に纏わる事件で構成された、一中編四短編を収録する作品集。第60回直木賞受賞作にして作者の代表作の一つである表題作がやはりピカイチ。
 清王朝の崩壊、辛亥革命から日中戦争、国共合作から太平洋戦争、そして内戦の再開とその終了を経た激動の近代中国史を背景にして故宮博物院の文物の流転を描きながら、ただその中の一品、己が魂を吹き込んだ「青玉獅子香炉」の行方を見つめ続ける青年の、約40年余りの人生とその再生を書ききったもの。
 1920年(大正九年)、北京正陽門外西の琉璃廠で潤古堂を営む王福生は、紫禁城の文物をコッソリ売却した宦官から、玉製香炉の複製を依頼される。彼は一世一代の傑作を作ることを熱望していたが、宦官が指差した玉は、その材料として選ばれた福生秘蔵の品だった。
 王は自分ももはや若くないと仕事を引き受けるがまもなく病に倒れ、玉器の製作は愛弟子・李同源に受け継がれる。同源は才能ある工人だったが、師匠の執念の籠もった名玉を前にしてはただ慄くしかなかった。
 既に物故していた福生にはある奇癖があった。玉がほんとうに生きるためには、女性の肌からエッセンスを吸い取らねばならない。彼は彫りつつある玉を、いつも女性に抱かせた。
 玉を彫ることができない同源を見つめる福生の義理の娘・程素英は一と晩じゅうその膚に青玉を抱き、彼女の見つめる中彼は見事に「青玉獅子香炉」を彫り上げる。だが、李の魂は素英への思慕と共に、香炉に吸い上げられてしまったと言ってもよかった。
 紫禁城に収蔵される香炉。同源は故宮博物院の前身である『清室前後委員会』の職員となり、香炉を見守りながら約四十年間、収蔵品と共に中国大陸を転々とするのだった・・・
 これは絶品。どちらかと言えば歴史小説に近いものですが、工芸に魂を絡め取られた一職人の流転の生涯が静かな感動を呼びます。戦火に伴って移動し続ける美術品の史実も興味深いもの。ラストで獅子香炉に再会した同源は、四十年に渡る呪縛から解き放たれたと解釈すれば良いのでしょうか。収録作が全てこのレベルならメモリアル級短編集なのですが、さすがにそれは無理というものでしょう。
 次点はラワン材に憑かれた老人の復讐劇「年輪のない木」と、ユーモアの利いたオチの仏像盗難事件「小指を追う」。他も悪くはないですが、総合すると6点作品。


No.182 7点 高く危険な道
ジョン・クリアリー
(2019/05/06 09:13登録)
 第一次大戦終了直後の一九二〇年、億万長者の娘イヴ・トウザーはロンドン支店総支配人アーサー・ヘンティに迎えられ、サヴォイ・ホテルで上海からの船旅の疲れを休めていた。そんな彼女のもとに突然、ミスター孫楠〈スンナン〉と名乗る支那人が訪れる。彼の話は驚くべきものだった。父ブラッドリーが彼の主人によって湖南省到着と同時に誘拐され、十八日後には殺される。それまでに彼女が所持している翡翠の彫像のかたわれを主人に届けよというのだ。一対の彫像は元々主人の持ち物で、彼に和平を持ち掛けた督軍(軍政長官)・張卿尭(チャンチンヤオ)に盗み出されたのだという。
 孫楠は証拠として父の書いた手紙と、彼女がクリスマス・プレゼントに送った黄金の懐中時計を持参していた。かれは死に物狂いで支那からイヴを追いかけたが、二日の遅れを取り戻し追いつくには至らなかったのだ。湖南省にあるただひとつの無線電話は張将軍によって支配されており、期日の変更はきかない。期日までに彫像が届かなければ、彼自身も主人に殺されるのだ。もはや一刻の猶予もない。
 イヴ達はただちにクロイドンのワドン飛行場に向かい、元英空軍エースパイロットのウィリアム・ビード・オマリイ、整備士ジョージ・ワイマンと共に三機の複葉戦闘機ブリストル・ファイターに分乗し、八千マイル彼方の支那へと飛び立つ。イヴ自身もパイロットとして機乗する、この無謀な冒険の行方は?
 原題"High Road to China(支那への高い道)"。1977年発表。ロードムービー風の展開で、特に捻りやギミックはありません。ブリストルの航続距離は予備タンクを使っても四百五十マイル程度で、期日的にはほぼギリギリ。給油やアクシデントで何度も足止めを食らいながら、目的地に向けて突き進みます。ルーマニアでニンフォマニアの伯爵夫人に捕まったり、パキスタン北西部でパシュトゥン人の捕虜にされたり、中にはサマランドのラージャ(藩王)の宮殿でローラースケート大会に強制参加させられるという変わったものも。
 しかし、なんといっても最大のアクシデントは戦争。当時の複葉機は最先端の攻撃兵器で、オマリイやドイツでワイマンと交代した元リヒトホーフェン中隊のエースパイロット、コンラート・フォン・ケアン男爵は行く先々で「またか」と言うほど空中戦や地表爆撃に使い倒されます。貴族とはいうもののマルクも紙切れの文無しになり、自殺願望を募らせるケアン。彼を含む登場人物たちの心の変遷も見所のひとつ。毛沢東やトルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマルなど有名人も登場しますが、わからず屋なのは彼らも同じ。よくある歴史上の偉人を人格者として描くタイプの小説ではありません。

 西欧世界の人間はすべておなじだった。かれは支那へ帰れるのがうれしかった。そこでは、偏見のすべては名誉に関するものだった。
 「ミスター・トウザー、あなたはわたし同様に都合のいいときだけ約束を守る人間ですよ。それしか生き延びる道はないんです」

 それぞれの民族に、それぞれの正義がある。それを踏まえた上で世界が混沌に満ちていた時代、わずかな繋がりを頼りに心を通わせる、ワイルドかつジェントルな男女の物語。なかなかに格調高い作品です。


No.181 7点 大穴
ディック・フランシス
(2019/05/04 15:58登録)
 「あの男と、シーベリィ競馬場を争いたまえ」
 舅チャールズの言葉の巨大さにラドナー探偵社調査員シッド・ハレーは思わず息をのんだ。事務所に不法侵入したチンピラに・三八口径の弾丸を射ち込まれ、死線を彷徨ったのも一ヵ月前のこと。このエインズフォドの招待客の一人ハワード・クレイが、競馬場売却を狙う乗っ取り屋だというのだ。事前の準備も不可解な対応も、全てはクレイを油断させる為に仕組まれたものだった。
 落馬事故により左手が使いものにならなくなった元チャンピオンジョッキー。二年あまりの間死んだような人生を送ってきたシッドは一発の銃弾によって目覚め、クレイの魔の手からシーベリィを守るため戦うことを決意する。競馬シリーズ最大のヒーロー、シッド・ハレー初登場作品。
 1965年発表のシリーズ第4作。同年発表の第3作「興奮」に比べプロットを犠牲にした分、より明確なキャラクター像の確立に力を注いだもの。若干粗いもののシリーズヒーロー一作目と見ればかなりの出来映え。
 冒頭からエインズフォドの屋敷でのいわゆる"シッドいじめ"には、実に全体の四分の一が割かれています。クレイはいわゆる地上げ屋で、普通なら下っ端が捕まるだけで勝負にならないのですが、ここで動かぬ証拠を掴ませることにより作品として成り立たせる事に成功。
 同時に主人公シッドに感情移入させ、さらにクレイの異常性を露にし後半にかけての布石を撒く、二鳥も三鳥も得る美味しいプロット。義父チャールズ・ロランドが腑抜け状態のシッドに歯痒さを感じているという裏付けはあるもののやや強引な展開ですが、あえて目を瞑ってこれを選んだものと思われます。
 洒落た〆でも分かるように実質この段階で決着は付いているのですが、シッドにそれは分からない。いくつかの妨害行為を防いだ後、証拠の存在を知った悪役組の死に物狂いの反撃により、逆に絶体絶命の窮地に立たされます。
 悪役の一人株屋ボルトの秘書、片目が義眼のオールドミス、ザナ・マーティンの存在も良い感じ。出来としては「本命」「罰金」あたりと同格で、後者よりは確実に上。とすると7点。「本命」とは好みの差で査定すると第二集団、シリーズベスト5に入るか入らないかというところ。 マンネリを嫌い「興奮」と差別化した作者の目論見は成功していると思います。ただ一時はオールタイムベストの70位~90位台に着けていましたが、キャラ立て優先にした分色々とアラも目立つので、本来そういった位置に来る作品ではありません。あくまでヒーロー物としての評価です。


No.180 7点 孔雀の道
陳舜臣
(2019/05/01 22:50登録)
 昭和四十三年。仏教研究者で信州小諸の寺の息子中垣照道は、インドから日本へと向かう船旅で印象的な二人の女性に出会った。一人はアメリカ人実業家の妻で、純血の日本女性であるランポール夫人。もう一人は日英混血児ローズ・ギルモア。一年あまりのインド滞在を終えた照道には、二人の女性が感じさせる故国の匂いが眩しかった。
 二人と親しくなった中垣は、日本の灯をみはるかす甲板上で、ローズに亡き母についての調査を頼まれる。彼女の母親立花久子は病気ではなく火災で、終戦直後神戸で焼死したというのだ。睡眠薬を服用していたため逃れる事が出来なかったのだという。それと関係あるかはわからないが、太平洋戦争のはじまる一年まえイギリスの国際スパイ団が検挙されたマーシャル事件で、彼女の父サイモンも憲兵の取調べを受けていた。
 中垣はローズの懇請を受け、友人である須磨の住職・島田の助けを借りて二十二年前の事件を探る。一方、扶桑女子大学の英語教師として赴任したローズは、隣室のフランス人女性クララ・ルッサンと知り合っていた。彼女が三十年以上も日本に滞在していると知りローズは水を向けるが、彼女は貝の様に口を噤み何も語ろうとはしない。
 中垣とローズは戦前の神戸を知る人々を次々と尋ね始めるが、彼らが調査を始めるや否や、ルッサン夫人は自室で心臓をえぐられ刺殺されてしまう・・・
 「玉嶺よふたたび」と併せての第23回推理作家協会賞受賞作。1969年発表。前年には中編「青玉獅子香炉」で第60回直木賞受賞、さらにその前年には代表作「阿片戦争」完結と精力的な活動を続けており、作者が充実期にあったことが窺えます。
 殺人自体はかなり早く起きますが「炎に絵を」以上にその後話が大きく動く訳でもなく、ゆったりとした筋運びで混血の女主人公が日本に抱く違和感と、亡き母の強烈な肖像が描かれる展開。過去のスパイ事件絡みの緊張感を含んだ人間関係は暴き出されるものの、ルッサン事件については最後まで音沙汰無しで、これどうなってんのと思ってたら最後にうっちゃりを食わされます。
 過去の追跡過程で感じたいくつかの違和感が最後にきてピタッと嵌る、普通小説に近いタイプの作品。タイトルはおそらく愛に殉じた立花久子の人生そのものを指すのでしょう。地味ですが60年代の佳作のひとつです。


No.179 7点 ふくろう模様の皿
アラン・ガーナー
(2019/04/30 15:32登録)
 一家としてはじめての休暇を過ごすため、父クライブと共に北ウェールズの谷間にある古い屋敷にやってきた、ロジャとアリスンの義兄妹。ペンキで塗り潰されたあげぶたから聞こえるノックに答え、花のようなフクロウの図案が描かれた皿を天井裏から下ろした時から次々に奇妙な出来事が起こりはじめる。
 アリスンは憑かれたように図案を写し取り紙のフクロウを作り始め、逆に皿のフクロウ達は消えてゆく。ビリヤード室のモルタルは剥がれ落ち、その下からクローバーの花もようを背景にして立つ、等身大の女性を描いた油絵が現れる。青い稲妻のようにひらめく空、"グロヌーの岩"にぶつかった黒く重いもの。叫びと悲鳴。オートバイの爆音。
 アリスンは住み込みのコックの息子、ウェールズ人のグウィンに相談を持ちかけるが、彼らを見つめるグウィンの母ナンシイの様子はしだいにおかしくなっていく。
 「彼女がくるぞ」「フクロウだ」。道々で囁かれる言葉。ナンシイも、谷間に住む男ヒュー・ハーフベイコンも、村の人々も、いったいなにが起きようとしているのかを知っているようなのだが・・・
 1967年発表。ガーディアン・カーネギー両賞受賞作。「ブリジンガメンの魔法の宝石」「ゴムラスの月」で知られる作家アラン・ガーナーの代表作。でも内容的には先の二作とは違い全然児童文学じゃねーなこりゃ。
 ウェールズ神話「マビノーギオン」を下敷きに構成された物語。簡潔に述べると花から作られた美女プロダイウィズが創造主フリュウを裏切って領主グロヌーを恋し、フリュウは毒槍で殺される。しかし彼は蘇り、川辺の大岩に隠れたグロヌーに槍を投げ、岩ごと貫いて殺す。そしてブロダイウィズは捕らえられ、罰としてその体をフクロウに変えられる、三角関係と復讐のお話です。
 彼らがそれぞれアリスン、グウィン、ロジャに対応し、読み進めていくともう一つの三角関係が過去にあったことが分かってきます。屋敷のあるウェールズの谷間には魔力が流れ込んでおり、プロダイウィズの呪縛は時を越え世代を跨いで何度も繰り返されている。これを解くには、フクロウに変えられた彼女をふたたび花に戻してやるしかないのですが・・・
 「そのつもりになれば、ファンタジーの要素を全然つかわずに書けたにちがいない」とは作者ガーナーの弁。ゴシック風に始まりながら、構成分子はその実ミステリ。それを大枠となるファンタジー要素で包んだ作品。そのガワを剥ぐと、子供向けとは思えぬシビアな展開と中々ショッキングな事実が姿を現します。


No.178 6点 プリズム
神林長平
(2019/04/28 07:42登録)
 黒と青の王と緑の女王、数々の将魔や使い魔たちが蠢くダークファンタジー風の世界。中華風の氏族社会と思われるのどかな風景が広がる、すべてにしてひとつの本が原動力となる色の世界。そして地上3万メートル上空に浮かぶ、直径137メートルのスーパーコンピューター「浮遊都市制御体」により、社会システム・ライフライン・気候から個人の願望を含むすべてが完璧に制御された、"リンボウ"と呼称される中間界。
 登場人物それぞれの視点を変えて、異なる角度から三つの世界を紡ぎ出す、7つの短編で構成されたオムニバス作品集。1987年度第18回星雲賞受賞作。
 神林ワールドを俯瞰するような短編集。同作者の〈敵は海賊〉シリーズにもたまに異世界観丸出しの黒幕がチラッと登場しますが、本作もまた然り。それぞれ異なる法則によって成り立っている各々の世界で、降り立った異世界人たちが異分子としての力を振います。世界に拒絶されるもの、より強い力を求めて逆に世界を破壊するもの、世界になにものかを残すものなど、様々な在り方で。
 雑誌「SFマガジン」に、1983年9月から1986年6月までランダムに掲載されたもので、冒頭の短編「ペンタグラム」から「ルービィ」まで四編一括り。次の「バーミリオン」から書き下ろし最終作「ヘクサグラム」までが三編一括り。前者が〈色の世界〉の教師・賽還とその恋人・朱夏の冒険に、緑の将魔エスクリトール・青の将魔ヴォズリーフ・中間界の知能回路ユニットTR4989DAが絡むもの。後者は異世界からの来訪者たちに引っ掻き回されて過去を喪失した中間界の刑事が、失った己を取り戻すまでの物語。
 正直剣と魔法系のファンタジーは苦手なのですが、この作品で魔将たちが駆使するのは〈創言能力〉と〈創想能力〉。前者は「言葉によってこの世の全てを成り立たせる」というもので、神林愛読者にはお馴染みの物でしょう。これらを操ると、コンクリートの建造物は跡形もなく破壊され、人間は骨を抜かれたクラゲのようにクタクタに崩れてしまう。この認識は後年の作品にも通ずるもので、かなり初期段階から作者の世界観が定まっていることを窺わせます。なかなか興味深い短編揃いですが、個人的な好みからは外れるので6.5点とします。


No.177 5点 朝を待とう
樹下太郎
(2019/04/26 19:43登録)
 1963年刊行の第十一短編集。デビューから数年余りで各誌に切れ間無く執筆しまくった樹下ですが、本書はその中から「中学一年コース」「高校コース」「美しい十代」など学習誌掲載作品ばかりを集め、なぜか一般向けとして刊行されたもの。1961年から1963年にかけて発表された一中編三短編を収録。
 樹下といえばネチネチと描かれるサラリーマン社会の憤懣や学歴コンプレックスが定番ですが、収録作はいずれも中高校生対象なのでもっぱらしみじみ系。多少食い足りない面はありますが、かといって手抜きはありません。
 最も長い表題作は、両親に先立たれた三人兄妹の長男が書き置きを残して熱海で投身自殺した事件の謎を、残された弟妹が婚約者未満の同僚女性と共に探るもの。暗号めいたメモ書きなどが出てきますが、たいした事はない。
 それよりも出来が良いのは最も発表年代の古い短編「蛇」。高校卒業まぎわに集まった仲良し五人組の写真撮影で、一人の女生徒が崖から転落した事件を扱うものですが、探偵役を務める女子高生の推理がなかなか細かい。結末はやや腰砕け気味ですが、ジュブナイルと考えればこれもアリでしょう。
 他は黒子コンプレックスを扱った「霧のふかい夜」。感動系と見せ掛けた逃走劇とその結末「海のフィナーレ」の二編。前者はまあそこそこですかね。おまけ的な短編集なので読むもよし、読まぬもよし。いずれにしても大枚はたいて購入するほどではないと思います。


No.176 5点 証拠
ディック・フランシス
(2019/04/24 01:21登録)
 ワイン専門店経営者トニイ・ビーチは、得意先の調教師ジャック・ホーソーンが催すお祝いパーティーの手配を依頼された。競馬シーズン終了後、例年十月に野外の大テントで行なわれる、馬主たちを招いた華やかなイベント。その当日、トニイがシャンパンを取りにテントを離れヴァンに向かった時、それは起こった。
 会場から離れた丘の上に止まっていた馬匹運搬車が突然動き出し、大テントに突っ込んだのだ。招待されていたアラブのシークほか死者八名、負傷者多数。
 凄惨な現場からホーソーン夫妻を始め数人を助け出したトニイだったが、翌日彼の店にテムズ・ヴァリイ警察署のリジャー部長刑事が現れる。事故のことではなく、別件で協力して欲しいというのだ。事故直前にジャックの秘書のジミイに相談された、リーディング近くの酒場シルヴァ・ムーンダンスでラベルと異なる中身の酒が出された件についてだった。他にも何件かの苦情が寄せられている店で、先の事故で亡くなったラリイ・トレントに代わる支配人が決まらないうちに、非公式の専門家としてウイスキイの利き酒をしてもらいたいという。
 調査の結果、ベルズとラフロイグが偽物と分かり店は閉鎖された。またトニイが好奇心で行なったワインの利き酒も、赤の十二本は偽物。トニイはリジャーに掛け合い、全ての赤ワインを持ち帰る。
 それからまもなく、また新たな事件が起こる。営業停止中のシルヴァ・ムーンダンスに残る酒類全てが持ち去られたのだ。本社の男と名乗って現れたポール・ヤングと連絡を取ろうとするも、メモの住所も電話番号も存在しないという。そして店の支配人室には、首から上を包帯と石膏でラグビーボールのように固められたワイン・ウェイターの死体が転がっていた・・・
 1984年発表。「奪回」に続くシリーズ第23作。冒頭にショッキングな展開が連続しますが、主人公が暴力を躊躇う性格付けのせいか、パブの女傑店主ミセズ・アレクシスなど魅力的な人物も登場するものの小粒な仕上がり。ただし、シリーズ全体の流れを見る際には指標となる作品。
 警察に協力した主人公ですが、一方事故現場で出会った探偵社幹部ジェラード・マグレガーにも資質を見込まれ、タンク・ローリイから連続して中身のスコッチが盗まれた事件も併せて追うことに。もちろん両者は関連しているのですが。
 主人公は二代続けて受勲者を輩出した軍人一家の「不肖の息子」。期待されて育ったものの「どうして自分には父のような勇気がないのだろう」と思い悩む日々。暴力を嫌い、フランシス主人公の通例である馬の騎乗にも興味を持ちません。
 六カ月前理解者の愛妻も亡くし機械的に店を営んでいたトニイですが、そんな彼が自分なりの勇気と回答を見出すのが本書。第17作「試走」から続くマンネリ打破の取り組みも一応終わり、キット・フィールディング登場の次作「侵入」から第32作「決着」まで、コンスタントに良作が続きます。円熟期の始まりを告げる作品と言えるでしょう。

 追記:tider-tigerさんへ
 本作以降のフランシスは「告解」までほぼ佳作か佳作未満で、この時期の私的ツートップは「黄金」か「標的」。次点は「直線」「帰還」「密輸」「決着」のいずれかになるでしょうか。たぶん「帰還」かな。この辺りは迷いも無く落ち着いた筆致で描かれており、いずれも安心して読めると思います。
 「大穴」は図書館から届いたものを現在読破中。既読作品も貯まっててすぐにとは行きませんが、順を追って必ず書評します。
では、また。


No.175 8点 冬は罠をしかける
楢山芙二夫
(2019/04/21 02:09登録)
 ・・・・・・冬は罠をしかける 寒い罠をしかける
      あまり寒すぎるので 二人は愛しあってもいないのに 抱き合ってしまうだけなの・・・・・・
 ・・・・・・その肌のぬくもりは 愛と呼ぶほど強くはないけど それを信じさせるには充分な罠をしかける・・・・・・

 ニューヨーク西四十二丁目、通称"ポルノ街"の外れに事務所を構える日系人私立探偵エドワード・タキは、憔悴した日本人社長・岡田義男から仕事を請け負った。ソーホーのアパートから消えた留学中の娘・圭子を探し出して欲しいのだという。翻訳家志望の彼女はニューヨーク在住の支社員細野の紹介で、芸術家志望の人間たちの集まるロフトの一角に住んでいたのだ。失踪からは既に十七日が経過していた。
 岡田と共にロフトを訪れたタキは、友人の中国系アメリカ人パメラ・フォン・ブラウンの名前を聞き出し、彼女から失踪前の圭子が精神の均衡を失いかけていた事を伝えられる。
 タキに尋ねられたパメラが思い出したのは、去年夏旅行での出来事だった。二人は連れ立ってサンフランシスコに旅立ったが、帰途の大陸横断鉄道で、なぜか圭子だけが予定を変更し途中下車したのだという。〈ニードルス〉というモハーヴィ砂漠のただ中の小さな駅で。深い闇を湛えた夏の夜の砂漠に、一人佇む彼女の姿がパメラの印象に残っていた。
 タキはパメラが受けた最後の電話の音声からの思いつきで、ニューヨーク市警時代の友人バーンスタイン警部補に、当日のパトロール巡回のチェックを依頼する。圭子はパメラ・ヨシオカという偽名でオーバードーズに陥った状態のまま保護され、ロバート・ウチダと名乗るロサンジェルスの弁護士に引き取られたとのことだった。
 タキは圭子の行方を追い、三千マイル彼方のロスへと飛ぶが・・・。
 1981年発表。楢山芙二夫は数度のアメリカ放浪を経て小説家となり、80年代には矢作俊彦や大沢在昌の兄貴分格だった作家。以前取り上げた次作「天使の街の脅迫者」がアレだったので正直あまり期待してなかったんですが、これは「竜のグリオールに絵を描いた男」以来の当たりかな。 硬質かつ繊細な筆致で冬のニューヨークを描き、ジャズスポット《出口》の経営者グッドマンや友人アーネスト・バーンスタイン警部補など、いい脇役はいるものの全体的に小味。7点くらいと思って読んでたら結末付近で化けました。
 とにかくラスト前に登場するある人物が強烈。それまで白黒だった物語がいきなり総天然色に変わるぐらいな印象。読者に黒々とした闇を見せつけながら、ふと自らの虚無に気付きその暗黒に消えてゆく。実質この女性がヒロインですね。
 主人公タキも日系人として太平洋戦争中マンザナ収容所に拘束され、ニューヨーク市警時代には組織の腐敗に裏切られ、父を失い母も看取れず「自分の人生はどこで間違ったんだろう」と思っている人物。心に傷を抱える登場人物たちの陥る空白が、表題の指し示す「罠」なのでしょうか。真相はある程度見当が付きますが、それを差し引いても独自の地位を主張できる秀作だと思います。


No.174 6点 銀と青銅の差
樹下太郎
(2019/04/17 13:41登録)
 順調に拡大を続ける電気製品メーカー楡製作所。現在の従業員数は二千名を越えるが、従業員数が五百名近くになったとき、会社はバッジを作り全従業員に手渡す。だが、バッジには二種類あった。銀バッジと青銅バッジ。課長以上しかつけられない銀バッジに、全社員はあこがれを抱いていた。
 臨時工員あがりの社員尾田竜平は、発送部から事務方、さらに社員に昇格し、一念発起した結果仕入課長代理として待望の銀バッジを手にする。だがそれはつかの間の夢に過ぎなかった。十一ヵ月後、彼は営業課に左遷され再び平社員、青銅バッジに降格されたのだ。しかも、寿退社した女子職員の代理として。さらに降格と同時に、かれの部下が課長代理に昇進するというおまけつきだった。
 楡製作所初の銀バッジから青銅バッジへの格下げ。あてつけのような左遷に憤懣を抱える尾田だったが「ばかになりきれ!」と自分に言い聞かせ、慣れない仕事にサボタージュを繰り返しつつ堪え続ける。
 そして三年後。待遇は変わらぬものの係長となった尾田にも部下が出来ていた。その一人、工場勤務に移された女子社員島木むつ江から彼は驚愕の事実を聞かされる。社長の右腕たる人事担当専務・進士文明のかくれもない愛人で、同じく女子社員の深井基代。彼女の差し金で、むつ江も尾田も降格させられてしまったというのだ。尾田の怒りは彼の忍耐を越えた。
 一方同期入社の親友大江もまた、進士専務に生き甲斐である絵画の道を閉ざされ、その代わりに望みもしない銀バッジと課長昇進を押し付けられようとしていた。二人が抱く憎しみは高まり続け、やがて専務への殺意となってゆく・・・
 1961年発表の第6長編。以前取り上げた「目撃者なし」の前作で、一般に樹下の代表作と思われるもの。
 プロローグで無理心中と思われる男女二人の死体が折り重なって発見され、玄関はもちろん全ての出口には厳重に鍵がかけられている。女性は絞殺されており妊娠三ヵ月。家屋はガスが充満しており、庭には例の銀バッジが。
 二人の名前は最後まで伏せられており、殺されたのは果たして誰か、果たして自殺か他殺か? これ一本で引っ張っていく小説。全三章、各三組のカップルが選ばれ、合間には思うに任せぬサラリーマン社会の鬱屈がネチネチと描写されます。
 ただ、安易に競争社会を糾弾する社会派にならないのが樹下の良いところ。いかにもアレ系の題材ですがそちらには向かわず、「どの社会にでもある人間同士の行き違い」で登場人物たちを動かしていく。これが今読んでも新鮮さを失わない理由でしょう。
 二種類のバッジの由来も社員管理などではなく「バッジ屋が頼みもしないのに試作品をふた種類持ってきた」「銀台を捨てちゃうのも惜しいよね」というしょうもないもの。進士専務も悪人などではなく、尾田の左遷もただの偶然。本来なら笑い話で済む所が、女の浅知恵が絡んでどんどんイヤな方向に転がっていきます。
 一章二章の尾田と大江の懊悩はかなり深刻で、このあたりはサラリーマン小説としても秀逸ですがなにぶん重い。その分ミステリとして軽く皮肉に纏めた感じですね。7点に限りなく近い6.5点といった所ですが佳作の多い作家ですので、これを最高作と言い切ってしまうのは躊躇われます。


No.173 5点 ひげのある男たち
結城昌治
(2019/04/15 08:52登録)
 管理人含め十数人の人間が住まうさんご荘アパート。管理人安行ラクは電話の呼び出しで六号室の水沢暎子を訪ねるが、彼女は仏壇の前で眠ったように服毒死していた。死因はビールに混入されていた青酸カリ。
 〈ひげさん〉の綽名を持つ名刑事、四谷署の郷原部長が捜査に乗り出し、ドアノブの指紋が消されていたことから殺しと断定するが、さんご荘の容疑者たち・事件の前後に目撃された不審な男・被害者と数十回に渡って旅館に泊まった男など、部長刑事自身を含め捜査線上にはなぜかひげの男ばかりが現れる。
 とりわけ絵描きの傍ら私立探偵を営むどこかとぼけた一号室の男、一文字ひげの香月栗介の存在に向かっ腹を立てながら、郷原部長は捜査を続けるが・・・
 1959年発表。同年7月「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」日本語版第1回短篇コンテストに入選した作者が、早川書房から同年12月に出版した第1長編。日本人には珍しいユーモアミステリですが、以降の作品に比べるとまだ筆致もぎこちなく出来は芳しくありません。
 ユーモアのセンスは光るものの処女作ゆえかサービス過剰気味。東都書房の現代推理小説全集で読了しましたが、併録のブラック短篇「うまい話」の方が出来がよろしい。ギャグはテンポもかなり重要なので、間髪入れずに差し挟まれるとさすがに胃もたれしてきます。
 わりとしっかりした骨格の本格物ではありますが、結局単なる犯人当てのレベルに留まっており、加えて全体に詰め込みすぎな印象。後年のスキの無い著作に触れた後だとやはり「若書きしてんなー」と。構想は決して悪くないんで、もっと熟練してから発表して欲しかったですね。捜査会議に謎のマスク男が現れて引っ掻き回したりとか、そういう場面場面は面白いですし。
 犯人とおぼしきその男に郷原部長がカツ丼を追加注文してやって、逃げられた後で憤激するシーンが個人的には一番ツボに来ました。ですが総評としては「読んでもいいけど別に読まなくても損は無いかな」といった程度です。


No.172 5点 天使の街の脅迫者
楢山芙二夫
(2019/04/13 08:53登録)
 アジア系の民族に係わる全ての事件を扱う、ロサンジェルス警察アジア課特別機動隊〈タスク・フォース〉。日系三世チームリーダーの一人ダン中島は、午前一時五十三分、寝室でスタンリー緒方隊長からの緊急連絡を受けた。コード一八七(ワン・エイティ・セブン)―― 殺人。
 日系居住地区リトル東京の中心部、一年半ほど前に落成したばかりのウェラーコート・ショッピングセンター中庭のプールに、若い女の全裸死体が浮かんでいたのだ。頸部に索状痕が見られることから、死因は絞殺。モンゴロイド系の二十二、三歳の女性で、昨夜の午後七時から八時までの犯行と思われた。被害者は妊娠三ヶ月で殺される直前に性交しており、身元は一切不明。
 リトル東京では今年に入って不法就労者の一斉取り締まりが三回行われており、最後の取り締まり日は事件の前日。移民局に対する抗議の犯行という線も無視できない。ダンを始めとするアジア課チームは第一刑事部屋を指揮するギルバート警部補に協力し、リトル東京殺人事件に立ち向かう。
 「小説推理」誌掲載分を全面改稿し上梓したもの。1982年から1983年にかけての連載かと。代表作「冬は罠をしかける」の次作で警察小説に挑んだものですが、作者の資質的には不向き。リサーチは徹底していますが、主人公と思われるダン中島のキャラクターもいまいちパッとせず、相棒であり親友という設定のハリー北野以下、アジア課メンバーもストーリーに埋没気味。隊長スタンリー緒方の存在感に至っては雲か霞の如し。乾いたタッチで個々のキャラクターを立てまくる力量は、この時点の作者にはどうやら無かったようです。
 バブル前のまだ日本がぶいぶい言わせてた時期に、日系ビザ無し労働者のアメリカ流入を扱うなど問題意識は高いのですが、硬質かつセンチメンタルな筆致でキャラクターに感情移入する作者の持ち味が消えてしまっているので、あまり推奨出来る作品ではありません。警察小説ではなく、前作同様ロスマク風のハードボイルドとして描くべき題材だったと思います。


No.171 6点 メグレ推理を楽しむ
ジョルジュ・シムノン
(2019/04/12 14:28登録)
 悪性の気管支炎をわずらい、床についたメグレ警視。治癒したものの不調は続き、パルドンをはじめとする医者たちから休暇をとるよう勧告される。夫人と共にサーブル・ドロンヌのロッシュ・ノワール・ホテルでのヴァカンスを予定したメグレだったが、あいにく受け取った返信には「全室予約済み」とあった。
 ヴァカンスに疑問を持ち始めたメグレは、夫人にパリで休暇を過ごすことを提案する。公けにはサーブル・ドロンヌに泊まっていることにし、ふたりでこっそりパリの町を散歩するのだ。乗り気になった彼は留守番電話その他必要な手を打ち、リシャール・ルノワール通りにある自宅の電話にも出ないことにした。
 それから三日目、朝刊紙をひととおり買いこんだメグレは、ある事件の見出しに目を留める。それはオースマン通りのさる有名な医師の診察室兼アパルトマンで、はめこみ戸棚の中から全裸の女性の死体が二つ折りにされて発見されたという記事だった。死体はその医師フィリップ・ジャーヴの妻エヴリーヌ。夫妻は六週間のカンヌ滞在にむかったはずで、その間は若い医者ジルベール・ネグレルが代診としてやって来ていた。
 折りしもヴァカンスの時期で、オルフェーヴル河岸の刑事たちの半数は不在。ジャンヴィエ刑事がはじめて警視の代理を勤めるわけだが、僅かな新聞報道からしても重大事件らしい。興味を惹かれたメグレは、決して役所に行かないことを条件にパルドンの承諾を得、新聞記事のみから事件に取り組もうとする。
 1957年発表のシリーズ第78作。「メグレの失態」の次に書かれた作品で、時期としては円熟期から2年ほど後になります。今回は改めて再読。
 初読の際の印象はあまり芳しくなかったんですが、刑事部屋でなく一般大衆の視点から事件を眺めるメグレの姿が読み返すとかなり新鮮。合間合間にジャンヴィエに情報や示唆を与えながら、メグレ夫人と一緒にパリのあちこちを散策します。「メグレのパイプ」「メグレと殺人者たち」など、各事件のその後の現場案内もあり。
 新聞ではその後ほどなく、夫フィリップもまたカンヌから飛行機でパリに戻っていたことが明らかになり、犯人はネグレルとジャーヴ、二人の医師のどちらかに絞られるのですが、それを決定する手掛かりは軽い思いつき程度。この物語の場合、かえってそれが効果的な気がします。
 大詰めの夜、ある関係者と一緒にセーヌ川ぞいの歩道からオルフェーヴル河岸を見つめ、ジャンヴィエによる事件の決着を見守るメグレの姿が印象的でした。


No.170 7点 盃のなかのトカゲ
ピーター・ディキンスン
(2019/04/11 08:26登録)
 元警視ジェイムズ・ピブルは旧知のギリシャ人大富豪アタナシウス・タナトスに雇われ、彼の愛人や腹心たちと机上演習で、迫りくる危機を検討していた。タナトスはカリブ海西インド諸島に浮かぶ島、ホッグズ・ケイを観光地化すると同時に、アメリカ向けの麻薬売買基地に仕立てるというマフィアの目論見を潰していたのだ。
 タナトスさえ取り除けば、彼らは再び計画に取りかかることができる。大富豪は危険を感じ、信頼のおける部下を従えギリシャ南西岸沖、イオニア海の孤島ヒオスの別荘・ポロフィロコルポスに引き籠ったのだった。
 暗殺のおそれは百分の一もないとピブルは判断していたが、それでも備えを怠ることはできない。奔放なタナトスは愛人トニーとの日々を楽しみ、水上スキーを縦横に操っていた。だがある日、スキーを牽引するボートの船外モーターが狙撃され、炎上沈没するという事件が起きる。ピブルはもう一度最初から可能性を検討し直さざるを得なかった。
 この島には古代から続く僧院があり、ギリシャ酒ウーゾーを好む酔っぱらいの二人の神父と女性修道士が暮らしている。島の反対側の町には画家たちのコロニーがあり、別荘地に住む人々はタナトスに好意を抱いていない。トニーの正体は、アメリカ左翼の爆弾の女王アンナ・ラズロだ。あるいは、ポロフィロコルポスの廷臣たちの中に裏切り者がいるのだろうか?
 ピブルはヘリコプターで島を訪れた英国内務省捜査官バトラーの手からトニーを守ると同時に、タナトスに迫る危険を取り除こうとするが・・・
 「眠りと死は兄弟」に続くピブル警視シリーズ第5作。1972年発表。例によって話を進める気があるんだかないんだか分からない語り口ですが、エキセントリックな富豪タナトスの存在が物語の良い刺激になっています。といっても前作のように魅力たっぷりなだけではなく、気まぐれで癇癪持ちな部分が多々見られますが。筆力のある作家だけに、印象的なキャラクターの存在が作品自体の出来にも影響してくるのです。
 構図としては何転かするものの基本はオーソドックス。読者に提示される見かけの真相もけっこう魅力的です。
 これでプレミア付きHPB四冊は読了した訳ですが、どちらかと言えばピブルが免職になった後の後半二冊が好きですね。好みの順に 眠りと死は兄弟≧本書>英雄の誇り>ガラス箱の蟻 という感じ。到底一般向きではありませんが、先を急がずじっくり構えれば意外と楽しんで読めるシリーズです。


No.169 6点 障害
ディック・フランシス
(2019/04/10 00:45登録)
 会計士でもあるアマチュア障碍騎手ローランド・ブリトンは、専属騎手の故障により掴んだチャンスを生かし、思わぬ僥倖から厩舎の最高馬タペストリ号に乗る機会を得、さらにはチェルトナム・ゴールド・カップに優勝する。
 夢のような時間に浸るローランドだったが、彼はそこから一気にどん底に突き落とされる。レース終了からわずか一時間後に、負傷した騎手と救急係を装った男たちに誘拐され、エーテルを嗅がされ運び出されたのだ。目覚めた時には周囲は真の暗闇に包まれていた。
 手足を縛られ、真っ暗な中で、発電機の近くの棚のようなものの上に横たわっている。押し寄せてくる感じの音。船体を打つ波の音。自分は船に乗っているのか? 誰が? いったい何のために?
 ローランドは何も分からないまま、必死に状況を把握し束縛から逃れようと試みるが・・・
 1977年発表のシリーズ第16作。前作「追込」と共にはかばかしくない扱いを受けていますが、実の所はかなり意外性のある良作。ねちっこくかつ断続的に肉体的ピンチが続く為、うまいこと伏線が忘れ去られるというおまけも着いてます。よく出来たハウダニット物の第9作「査問」よりも難易度は上。評価が低いのは、五里夢中のまま延々とストーリーが進むからかな。
 主人公に助力する智的な女子中等学校の校長などはこれまでにないポジションのキャラで、他にも馬主の女性やヒロインなど魅力的に描かれた人物が多く、傑作「利腕」前の停滞期として一括りに捨て去るにはいかにも惜しい。少なくとも佳作未満の位置は主張出来るでしょう。
 結末を知ると、冒頭の拘束シーンは作者が最初から切り札を見せている訳で、構成上必然的な意味があったことが分かります。しっかりとした背骨の通っている、目配りの行き届いた作品です。


No.168 6点 最後の人
樹下太郎
(2019/04/07 04:25登録)
 恋人との幸福な時間を満喫する十九歳の少女・入船なぎさ。だが三月十三日の夜、突然それは起こった。二人がつと離れた合間に、なぎさが酒に酔った三人の大学生たちに暴行されたのだ。無力感と憤りに震える恋人は、幸運にも帰りの終電車で学生のひとりを確認する。数日後恋人の持つ黒い手帖には、三人の名が記されていた。
 佐川喜四夫。大城朝人。柏猛。
 そして一年経った。夜通しつめたい雨が降りつづいた翌朝、自宅のかれの部屋で、大城はガス中毒による変死体として発見された。三月十四日の朝に。彼が死んだのはその前夜、三月十三日の晩のことと思われた・・・
 1959年発表の処女長編。東都書房の現代長篇推理小説全集で読了。なぎさを暴行した三人の男たちが一年ごと、三月十三日に次々と事故死してゆき、残された加害者たちは見えない〈誰か〉の影に怯えます。
 叙述トリックやレッドへリングによるミスリードはあるものの、唯一の手がかりは第一の事件から読者にはっきりとわかる形で示されており、真相に思い至るのはさほど難しくはないでしょう。
 それよりも復讐を望みまたそれを怖れ、打算を繰り返しながらも自分なりの幸福を捜し求めようとする、登場人物たちの行動が齎す悲喜劇が作者の真骨頂。むしろ真相が判明してからのラスト数ページでの心理の二転三転が、この作品の読み所かもしれません。
 時代は移り変わっても人間の心理はそう変化するものではないだけに、己の持ち味を最大限に生かしたこの作者の特徴は、一作目のこの作品からすでに現れています。あっさりめですがなかなか良質のサスペンスです。


No.167 6点 第三の銃弾<完全版>
カーター・ディクスン
(2019/04/03 13:22登録)
 高等法院判事チャールズ・モートレイクは画家と名乗る男ゲイブリエル・ホワイトに、老婆を殴りつけ数ポンドを奪った罪で、十五回の鞭打ちと十八カ月の重労働を言い渡した。ホワイトはその場で、判事を脅す言葉を口にする。彼は模範囚として六分の一の刑期を減刑され釈放されたが、モートレイクへの復讐は忘れていなかった。
 出獄したホワイトに脅されたチャールズの娘アイダは「殺してやる」という彼の言葉に怯え、すぐさまロンドン警視庁に連絡する。判事宅の門から人影を追って離れにたどり着き、二度の銃声を聞きつけ窓から飛び込んだペイジ警部が見たのは、机に突っ伏したモートレイク判事と、銃を突き出し呆けたような顔をして突っ立つゲイブリエル・ホワイトだった。
 状況は明白と思われたが、次々と意外な事実が判明する。ホワイトが持っていた銃は一発しか撃たれていないアイヴァー・ジョンソンの三八口径リヴォルヴァー。そして窓ぎわの花瓶からは、これも一発しか発射されていないブローニングの三二口径オートマティックが発見された。
 そして判事の体内から発見された弾丸は、そのどれでもない二二口径エルクマンの空気銃だったのだ。室内からは、壁にめり込んだ三八口径の弾丸しか見つからなかった。
 三つの銃に二発の銃声、そして発見されぬブローニングの弾丸。事態に窮したペイジ警部は、上司である警視監マーキス大佐の助けを求める。
 1937年発表。出版社の要請に応えて執筆された短めの長編で、最高傑作「火刑法廷」と同年に発表された作品。いやが上にも期待が高まりますが、内容もそれに恥じません。
 複雑な謎に加えて釣瓶撃ちに新事実が提示され、読者は五里夢中の状態。ある発想に至れば一気に真相に迫れるのですが、それを思いつくのは簡単ではないでしょう。
 読んだのはハヤカワの完全版ですが、探偵役のマーキス大佐がいい雰囲気を出していて、これ一作で退場というのはちょっと残念。このアイデアもここで使い捨てるのは少々もったいない気がします。細かい配慮も行き届いていますが、佳作というにはいかんせん短く物足りないので、7点には至らず6.5点。

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