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ミステリの祭典

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平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.386 6点 ニコラス・クインの静かな世界
コリン・デクスター
(2020/07/19 10:58登録)
 約百カ所の海外センターを通じて、オックスフォードからイギリスの優れた試験制度を世界に提供する海外学力検定試験委員会。その審議員の一人が、パインウッド・クロースの自宅で変死した。死んでいたのは三カ月前メンバーの一員に加わったケンブリッジ大出の俊秀ニコラス・クイン。死因は青酸カリによる中毒死だった。
 誠実な人柄と聡明な知性で見事委員の座を射止めたクインだが、彼には重大な肉体的欠陥があった。巧みな読唇術でハンディキャップを補い、常人同様に振舞えるとはいえ、電話も受けられぬほどの極度の難聴だったのだ。就任したばかりのクインは果たして何を知り、どうやって殺害されたのか?
 キドリントン、テムズ・バレイ警察のモース主任警部は勤務先の試験委員会に捜査の照準をあわせ、職場の人間関係から事件の謎に迫ろうとするが・・・
 『ウッドストック行最終バス』『キドリントンから消えた娘』に続くモース主任警部シリーズ第三作。1977年発表。「なぜ?」「いつ?」「いかにして?」「誰が?」の四部を、プロローグとエピローグで挟み込む構成。仮説を組み立てては崩すスクラップビルド型の前作・前々作とは若干異なり今回は割とストレート。変化したように見えても鏡餅風というか前の推理が完全に捨てられず、その上に二段目三段目と推理が積み重ねられていきます。
 〈スタジオ2〉関連の出入りが結構込み入っていますが、これを除けばアリバイトリックは単純。一見複雑に見えるものの、初期六作の内ではシンプルな方の作品です。最後の捻りはややアンフェア気味ですが、本文で先に触れられているのでまあセーフかな。ただ四作目以降に比べても華やかさに欠ける面があるので、点数は6点止まり。


No.385 6点 悪意銀行
都筑道夫
(2020/07/17 07:09登録)
 名人気質から転がりこんだ女のアパートを追い出され、落語家の内弟子として食いつなぐ羽目に陥った近藤庸三。なにか儲け話がないかと腐れ縁の相棒・土方利夫のビルを訪ねると、そこで彼に〈悪意銀行〉なる思い付きを披露される。世間に広く犯罪のアイディアを募り、土方頭取の仲立ちにより利益が生じた暁には、発案者にそれまでの利子を付けて返すというのだ。
 たまたま訪れた融資者との会話を窓にぶらさがって立ち聞きした近藤は、ある小都市の市長暗殺についての商談を小耳に挟む。市制記念祭と市長選挙に沸く、愛知県で三番めの大きさの巴川市。この商都の現市長・酒井鉄城を、できるだけ派手に殺ってほしいらしい。やり手の酒井は娯楽機関を増やして工場を誘致し、十万ちょっとだった人口を倍ちかくに増やしたが、白熊みたいな老人にはそれが面白くないのだ。
 近藤はすぐさま土方よりさきに巴川へのりこんでひっかきまわし、悪意銀行の利益をピンハネしようと目論むが・・・
 雑誌「週刊実話特報」1963年1月3日号~1963年2月7日号まで、5回に渡って連載された同題中篇に、大幅な加筆を施して長篇作品に仕上げたもの。同誌の連続企画「五週間ミステリー」の一環で、大河内常平『妖刀流転』を皮切りに、本書を含め山村正夫『崩れた砂丘』河野典生『女だらけのブルース』などが掲載されました。
 目の回る展開だった前作に比べて構図はシンプルで、現市長を推す氷室一家(商事)と対立候補を擁する渋田一家(産業)の二大やくざの対立に、例によって暗殺計画を利用してカネを掴もうとする近藤&土方コンビが絡むクロサワの『用心棒』的展開。誰に雇われたとも知れぬ黒ずくめの殺し屋・松井なにがしこと無精松登場の傍ら、われらが近藤はやくざや市長に引っ付いては離れ、監禁されたあげく脱出時には殺人容疑者にされたりと散々。エピローグでは性転換希望のホモ暗殺者に迫られ、羽織袴で遁走するはめに。
 ただし最初に登場する白熊みたいな暗殺依頼者の正体はなかなか掴めない。凄腕ガンマンの無精松を誰が雇ったかも分からない。五里霧中のままクライマックスの記念パレードになだれ込んでいき、アクションシーンの末に真の黒幕が割れる仕掛けです。
 角川文庫版表紙の「a lack-gothic thriller(落語的スリラー)」の謳い文句の通り、スラップスティック味の強い作品。とはいえ暗殺プランの趣向や前作以上の銃撃戦、殺人事件の犯人や裏の構図など、食い足りなくなった分ミステリとしてはかなり読み易い。こなれ具合はこちらの方が上でしょう。
 内容とはほぼ無関係なタイトルですが作者は気に入っていたらしく、併録中篇「ギャング予備校」に登場するスパイアイテム好きの御曹司や本作中途でフェードアウトする女性らを登場させて、シリーズ三作めの『第二悪意銀行』を書く予定があったそうですが、無念にも構想のみに終わりました。風化した時事ネタがややキツいですが、他の部分はそこそこ楽しめる作品です。


No.384 6点 黒猫侍
五味康祐
(2020/07/15 15:17登録)
 忠臣蔵の討ち入りから十八年を経た亨保六(1721)年、八代将軍徳川吉宗の御代。飼い居る黒猫に赤穂浪士の名を付けて嘲弄し、遺恨まだ消えぬ吉良・上杉方の浪人衆を使い倒幕を企てる謎の妖術師・黒猫道人。今上・中御門帝の血縁にあたりながら幼にして清閑寺大納言の猶子となり、鞍馬にこもって京八流の武芸百般をおさめた中興(なかおき)上総介定光は、武士にあこがれ公卿の地位を捨てて江戸へ下り、肥後細川家に依頼されかつては宮家の雑任(ぞうし)であった道人を討ち果たす。
 これにより白頭巾の武士・上総介は、道人に倣って"黒猫侍"と呼びならわされ、名奉行・大岡越前守の依頼を受けて江戸に起こる奇怪な事件を次々と解決してゆくが・・・。
 昭和四十一(1966)年から約一年間、雑誌「週刊新潮」に連載された五味康祐の連作長編。内容的には黒猫道人との対決、道人亡き後も巻き起こる赤穂浪士の遺児たちを巡る陰謀に立ち向かう上総介の活躍、果ては武家の犯罪に手を出せぬ町奉行・大岡越前に依頼され、怪事件の謎を解く捕物帖パートと、大雑把に三つに分かれています。一連の柳生ものとは異なる、いわば変則の形。新潮文庫新版『薄桜記』の解説で荒山徹が代表作『柳生武芸帳』をコキ下ろし、それに代わって「超が百億個ついてもまだ足りないくらいの大大大傑作(小学生か)」と、大人気無く熱烈プッシュしたいわくつきの作品でもあります。
 〈あの荒山が大絶賛〉というフレーズに一抹の不安を覚えながらも「そこまで言うなら読まんといかんかな」とアタックしてみましたが、はたして問題のブツはどうだったか?
 結論としては「うーん、微妙」。主人公は天皇の実の兄で元宮様の中興上総介、事件は忠臣蔵に纏わる事共、更に上総介にデレる奔放な義妹・尚姫と元名妓・捨て撥お艶が脇を固めと一貫してはいるんですが、全編を貫く大筋というものは無く、これまでの長編と比べてもかなり読み難い。
 唸る程鏤められている魅力的なウンチクも〈紙子になめくじをすりつぶしたを数度ぬる時は、鉄砲玉も刀剣のたぐいも通すことなし〉とか、〈端午の節句に捕ったやもりを翌年同月同日に搗き潰し、それを女の臀に塗れば貞操自ずから明らかなり〉などオカルト入って相当に怪しげ。中には〈四十七士の中に明人の子孫がいた〉などの卓見もありますが、総じてアラヤマ好みがプンプンします。
 ストーリー的にも〈ちょっとそれは〉的な部分がチラホラ。一通りウンチクを並べて「さあチャンバラだ!」となってから場面は一転。それきり何も語られないか、後で「上総介によって斬られた」なぞとおざなりに語られて終了。こういうのが少なくとも三回はあります。散々盛り上げといてそれは無いよなあ。「剣の舞」での一刀流『陽炎剣』との対決など、最初はちゃんとやってるのに所々メンド臭くなったんでしょうか。その割に例の考証癖は最後まで溢れんばかりなんですが。
 伝奇小説のネタ帳としては面白いけれど、構成自体は破綻した作品。つまらないとは言いませんがかなりのP数でもあり、読み通すにはそれなりの覚悟が必要でしょう。同程度の長さならば『柳生天狗党』や『柳生稚児帖』の方をお薦めします。


No.383 7点 逃げる幻
ヘレン・マクロイ
(2020/07/13 10:35登録)
 ドイツの降伏によってヨーロッパでの戦闘に幕が下りた第二次世界大戦末期。アメリカ軍の予備役大尉ピーター・ダンバーは、クロイドンへ向かう機内で偶然出会ったスコットランドの伯爵・ネス卿と懇意になる。ダンバーはアルドライという羊牧場で休暇を過ごす予定だったが、村全体を含むグレン・トーの谷は丸ごと、警察署長を務めるネス卿の所有地だったのだ。
 精神科医でもあるダンバーはアルドライに送り届けられる途中、卿に質問される。「恵まれた家庭で暮らす普通の子供が家出をする場合、どんな原因が考えられるのか?」「それも一度や二度ではなく、何度も繰り返したとして」
 彼は地元警察の長として、本宅のクラドッホ・ハウスを借りた作家エリック・ストックトンの息子、ジョニーの度重なる失踪に心を痛めていたのだ。卿はダンバーに語る。「あの子をとりまくどこから見ても申し分のない環境の裏で、邪悪なものがうごめいている」と。ジョニーは二日前、トー川付近のムア(荒れ野)で「まるで空気に溶け込んだみたいに」姿を消したまま、完全に行方を絶っていた。
 羊牧場で家主であるグレイム夫人に出迎えられるダンバー。彼はそのままコテージに通され高緯度地域の夜を過ごすが、ふと二階の空き部屋からかすかなきしみ音を聞きつける。ドアを勢いよく開け懐中電灯のスイッチを押すと、部屋の中には追いつめられた動物のようにうずくまっている、十四か十五くらいの少年がいた。彼はそのままぱっと身を躍らせると、一瞬の躊躇もなくダンバーに襲いかかるのだった・・・
 『小鬼の市』に続くウィリングシリーズ第七長篇で、1945年発表。大戦終了後の刊行かどうかは不明ですが、内容的には戦中ミステリに分類されるもの。陽光溢れるカリブからハイランドのムアに舞台を移し、不穏な雰囲気と怪奇性に満ちたムーディーなストーリーが展開されます。
 小味な要素の組み合わせで、シンプルながら真相は意外。加えて語り手となる精神科医ダンバーの的確な人物描写と、〈びんの口のように〉ベン・トー山に扼された峡谷や湖の地形、古代から中世にかけて積み重ねられたスコットランドの歴史や民族性、"小さな黒い犬"に代表される迷信が物語を補強しています。雰囲気的にはドイルの『バスカヴィル家の犬』みたいな感じですね。ダートムアとハイランドでは、また微妙に違うんでしょうが。
 トリック的には『小鬼の市』よりやや上。好みとしてはあっちですが、こちらの方はよりスマートに仕上げています。主人公ダンバーはほぼ角の取れてないウィリング博士ですが、鋭さと強靭さを兼ね備えた常識人で好感の持てる人物です。


No.382 5点 透明な季節
梶龍雄
(2020/07/10 22:00登録)
  太平洋戦争末期の五月、新たな配属将校として東京・顕文館中学に赴任してきたポケゴリこと諸田利平少尉は、教官就任のその日から、圧倒的な暴力で学園全体を制圧した。偏執的な嗜虐性を見せる教練としごきの繰り返しに全校生徒は喘ぎ、教師たちは沈黙するばかり。かれをにくんでいない者は、この学校に一人もいないにちがいなかった。
 そのポケゴリが死んだ。しかも殺されたのだ。登校路沿いの根津権現神社の本殿脇で。かれは軍服ではなく私服で、額の右側を撃たれた死体となって小さく細長い池の端に横たわっていた。
 諸田少尉が撃たれたと思われる時刻に、たまたま現場の裏門坂を通りかかった三年一組の級長・芦川高志はその事を切っ掛けに、同級の古屋明を通じて理想の女性・薫に巡り合う。だが若く美しい彼女は、射殺されたポケゴリの未亡人だった・・・
 昭和五十二(1977)年発表。藤本泉『時をきざむ潮』と共に第23回江戸川乱歩賞を受賞した、梶龍雄の処女長編。デビュー自体は二十五年前の昭和二十七(1952)年ですが、外縁部での活躍が主で本格的な始動はこれが初めて。扉に掲げられた〈著者のことば〉からも、再デビューへの意気込みが窺えます。
 ただしその出来栄えは微妙。「謎やトリックに力をおけばおくほど、人間が死んでいくし、人間に力をおけば、謎やトリックが死んでいく」「その宿命の壁を破った、不自然でない、面白いものを」との抱負はともかく、内容的にはリアルに終戦を迎えた世代としての追憶に引き摺られ、謎解きは付け足し程度に終わっています。
 事件の構図がさほど面白くないのも大きい。作家生活の上で書かれなければならなかった長編とはいえ、結果として習作の域を出ていません。銃声をめぐる手掛かりなど、のちの〈伏線の鬼〉の萌芽が随所に見られる反面、ミステリ要素と主要なウェイトを占める戦時崩壊部分とが乖離してしまっているのも問題。殺人事件は副次的なものとして、学徒動員時代の一中学生の体験を描いた青春小説として読むのが正しいでしょう。


No.381 7点 くらやみ砂絵
都筑道夫
(2020/07/09 07:13登録)
 なめくじ長屋捕物さわぎシリーズ第二弾。昭和四十四(1969)年七月号から翌昭和四十五(1970)年二月号まで、前集に引き続き雑誌「推理界」に掲載された七篇を纏めたもの。「南蛮大魔術」と「やれ突けそれ突け」が入れ替わっているほかは、ほぼ連載通りの並び。目先を変える工夫なのか、関係者同士の思惑の変化や便乗行為など、複線化により事件を込み入らせるケースが目立ちますが、あまり効果は上がっていません。
 それでも通夜の晩、弔問客のひとりが刺し殺されて棺桶に入れられ、中に入っていた死体が母屋の屋根にかつぎ上げられる「天狗起し」と、殺されていたはずの二人の死人が押しこみに入る謎に絡めて、独創的なダイイング・メッセージを創出した「地口行灯」の出来は圧巻。特に北村薫氏がシリーズ・ベストに推す前者の解答は鮮やかです。
 「天狗起し」は第三集『からくり砂絵』収録の「小梅富士」と同じく、〈解決のことなど、まったく考えずに〉従兄が提出したシチュエーションに、都筑氏が必然性のある解決を捻り出しパズラーに仕立てたもの。本質的にはハウダニットで、動機が分かれば自然に不可能状況も解けるのがよく出来ています。三津田信三『首無の如き祟るもの』の、十三夜参りの密室を思わせるコロンブスの卵的解法。なお同趣向の長編には、物部太郎シリーズ『朱漆の壁に血がしたたる』があります。
 「地口行灯」の方はそれとは異なり一点突破ではなく、種々のアイデアを盛り込んだバランス型。加害者自身に己を告発させる発想もズバ抜けた物ですが、それを置いても事件がキッチリ作られています。第二の事件の脱出法なぞ、ここで使い捨てるには惜しいもの。かなり贅沢な短編と言えるでしょう。独創的なトリックは単品で出すよりも、カーター・ディクスン『ユダの窓』のように副次的に扱った方がよりゴージャスに感じられるようです。
 残りの作品で面白いのは、細工物の羽子板が破られそこに描かれた押絵の役者が次々に殺される「春狂言役者づくし」。価値観の逆転に加え手掛かりもさり気なく配置され、なかなかに読ませます。


No.380 8点 血みどろ砂絵
都筑道夫
(2020/07/07 04:49登録)
 江戸の身分制度から外れた、神田橋本町の巣乱(すらむ)にたむろする乞食や非人たち。砂絵のセンセーを筆頭に、願人坊主や乞食神官、野天芝居の役者や大道曲芸師など、まともな人間あつかいはしてもらえない連中をあえて探偵役に据えた異色の捕物帳、なめくじ長屋捕物さわぎシリーズ第一弾。
 昭和四十三(1968)年十二月号から翌昭和四十四(1969)年六月号まで、雑誌「推理界」に掲載された七篇を纏めたもので、キリオンシリーズ第一作目の『キリオン・スレイの生活と推理』や、短編集『十七人目の死神』収録の諸作とはほぼ同時期の執筆。長期に渡るシリーズ物で、文字通り著者の代表作と言えるでしょう。
 本書はその中でも粒揃い。さらに巻頭の「よろいの渡し」とトリの「心中不忍池」が内容的にも照応し、この巻だけでも富島町の房吉から、準レギュラー下駄常への引き継ぎ編として独立しています。
 とは言えこのシリーズでは岡っ引きは端役。むしろ江戸に起きた怪事件を元手に、なめくじ長屋の面々がそれをどう収入に繋げるかの駆け引きが、各編の見どころ。それでいて不可能性や論理性をなおざりにはしないのが、高く評価される所以でしょう。ともすれば筋の妨げになる作者の衒学趣味も、本書ではプラスに働いています。きびきびした文体で描かれる江戸情緒もまた、見どころの一つ。
 それが最も鮮やかなのは「よろいの渡し」。加えて衆人環視の状況でまっ昼間、渡し舟から人間がひとり消え失せるという謎を、シンプルに解決しています。アクシデントがトリックと自然に結び付いているのは見事なもの。
 逆に論理性で勝るのは「いのしし屋敷」。集中では地味な方ですが、流れるような筋運びの中に論理的な手掛かりを仕込み、間然とする所がありません。好みではこれが一番。キャラも良いし、もう少し肉付けされてても良かったかな。
 その両者を並立させたのは「三番倉」。一、二階とも二重の扉でふさがれた土蔵から、人間ひとり殺した男が脱出した謎を扱ったもので、ネタは大したことないものの「いのしし屋敷」同様、現場の状況からシチュエーションを類推したのち不自然な点に目を向ける推理が独特。事件を利用し己の目論見を遂げる手際は、これが最も冴えています。
 以上三篇がベストスリー。「ろくろっ首」が若干弱い程度で、他もハズレはありません。シリーズ中でも別格の作品集です。


No.379 4点 メグレと匿名の密告者
ジョルジュ・シムノン
(2020/07/05 21:49登録)
 霧雨のようなものが降り続く五月の深夜、メグレ警視はヴォルテール大通りのアパルトマンで、男の他殺体がジュノー大通りの舗道で発見されたとの連絡を受けた。射殺されたのはレストラン《ラ・サルディーヌ》の経営者モーリス・マルシア。やくざ上がりだが今ではパリの名士で、三十歳以上も年の離れた元ダンサー、リーヌと四年前に結婚していた。
 遺体は至近距離から胸を撃たれたのち、現場に投げ捨てられたと思われる。携帯していた自動拳銃(オートマチック)も使われた様子はなく、尻ポケットの札束にも手は付けられていなかった。
 喧噪の圏外にあるかのようなモンマルトルの邸宅(ヴィラ)地に転がっていた死体。それから間もなくオルフェーヴル河岸に、現場付近を知りつくす第九区のルイ刑事が訪ねてくる。黒装束で身をかため、控えめで休みなしに働く内気な男。その彼がここに来たのは、偶然ではない。
 果たしてその通りだった。ルイが使っている密告者の一人が、「モーリスはモリ兄弟の一人に殺られた」とタレ込んできたという。決して彼に名前を教えようとはしないその男は今まで間違えたことはなく、それでいて金も要求しないのだった。
 兄のマニュエルと弟のジョー。三十そこそこのやくざだが羽振りは良く、田舎の館(シャトー)や大邸宅ばかりを狙った押しこみ強盗の主犯と目される連中だ。表稼業の果物商売に使うトラックで、戦利品を運び去るのだろう。本当に彼らがモーリスを殺したのだろうか? メグレの頭の中に、リーヌ未亡人のサロンにあった不釣り合いな骨董家具の存在が浮かぶ。
 リーヌ・マルシアに直接揺さぶりを掛けるメグレ。そんな彼のアパルトマンに今度は直接、「匿名の密告者」からの電話のベルが鳴り響く――
 最後から二番目のメグレもので、『メグレ最後の事件』と同じく1971年発表。『メグレとひとりぼっちの男』の次作ですが、最後期にしてはまあまあの前作に比べると明らかに落ちる出来。疲れ気味なとこへ来てのメグレな事もあり、途中までかなりほんわかしてたんですが、読み終わるとやはり高い点は付けられないなと。
 途中で正体が割れる「匿名の密告者」の、通称《ちび公(ラ・ピュス)》ことジュスタン・クロトン。背が一メートル五十にもならないピエロみたいな小男で、いいキャラに見えたんですが中身はアレ。最後に自滅する犯人たちと絡んで、『メグレと宝石泥棒』を超える泥縄決着を迎えます。メグレも尋問後に胸がむかつき、ドフィーヌ広場で口直しをするくらい。犯人が〈証人はいくらでも用意できる〉やくざの親分な上に、キャラやドラマが良くないのはちょっとなあ。
 色眼鏡の再読ながらルイ刑事が結構いい感じだったし、久々のシムノンで一瞬「これは間違えてたかな」と思ったんですが、結果は平均以下でした。5点くらいは望めますがそれ以上はムリ。それでも癒やしてくれたんで、とりあえず4.5点にしときます。


No.378 7点 花嫁は二度眠る
泡坂妻夫
(2020/07/03 10:35登録)
 母方の祖父・蘇芳善蔵の死をきっかけに会社を辞め、世田谷の豪徳寺に小さなレコード店を開いた富樫幹夫。コレクションの引き取りを切っ掛けに恋人の島夕輝子を得、挙式を明日に控えて一路米沢へ向かうところだった。明日の婚礼は、従姉妹である蘇芳貴詩(たかし)と二組揃っての合同結婚式なのだ。
 式自体は仙台で催されるが、貴詩の頼みでその途中、蘇芳本家の「まいまい屋敷」へ荷物を取りに行かねばならない。その「まいまい屋敷」も約四ヶ月前のオオバこと蘇芳カナの変死以来、住む者もなくなり寂れ果てている事だろう。善蔵の後妻に入ったオオバと、先妻の子である母の勝江とは犬猿の仲だったが、それとは別に昔から貴詩の頼みだけは断れないのだ。
 その朝山形の貴詩からまた連絡があり、新宿のホテル スピネルに寄って欲しいという。びっくりするような人がそこで待っているというのだ。まさか貴詩の後に電話してきた、警察の小野口ではないだろう。幹夫は夕輝子と一緒に車でホテルに向かうが、待ち人は現れず、ロビーにいたのは県警捜査課の小野口だけだった。
 彼を大宮駅まで送り届け、安達太良のサービスエリアで一旦休息したのち、米沢の駅前から市街を外れて山道を登る。多岩(おおいわ)のまいまい屋敷には叔父の龍太と、婚約者の色摩将樹がいた。家出した貴詩を探しに来たのだという。サービスエリアで会った「味鴨」の情野恵利子も、確かそんな事を言っていたが。
 彼女が最も長く暮らした多岩村落で、必死に行方を探す幹夫たち。だがそれも虚しく蘇芳貴詩は雪迎えの降る昌桂寺境内で、首にスカーフとロープを巻き付けられた絞殺死体となって発見された。彼女もまた祖母のオオバ同様、二度に渡って殺害されたのだった・・・
 アリバイトリックと意外な犯人が用意された、『妖女のねむり』に続く第八長編。書き下ろしの形で1984年4月刊行。短編では亜愛一郎シリーズを書き終え、曽我佳城シリーズ『花火と銃声』や『ゆきなだれ』後半所収の各編を執筆している時期にあたります。
 紡績業で産を成した米沢の素封家の後添いが、喜寿の祝いの当夜に絞め殺されたのち、翌朝鴨居に吊るされた事件。その四ヶ月後彼女が溺愛した孫娘がこれもまた念入りに二度、絞め殺されて放置されていた事件。相続争いからオミットされた東京に住む従兄弟の視点で、物語は進んでいきます。
 多彩なトリックと趣向に彩られた初期の作品群から、よりシンプルに驚きを魅せるようになる転換期の作品で、どちらかと言えば仕上がりはコンパクト。泡坂らしさの薄さが低評価の理由でしょうか。とはいえカッパ・ノベルズ版の「著者のことば」を見るまでもなく造りは念入りで、細部に至るまで手抜きは見られません。
 『斜光』と同じく個人的には好きな作品。巧みなプロットによる犯人隠しと手掛かりの配置がメインで、しょっぱなから大胆にぶらさげておく遣り口は、横溝正史『獄門島』を思わせます。場面ごとに諸々のアヤがあり、再読時により面白さが深まる小説でしょう。


No.377 5点 離婚しない女
連城三紀彦
(2020/07/01 22:52登録)
 『もうひとつの恋文』に続く、著者十四番目の作品集。長編では『花堕ちる』『残紅』『青き犠牲』などと同時進行。短編では『日曜日と九つの短篇』の後半作品や、『恋文のおんなたち』『恋愛小説館』『一夜の櫛』などの各収録作と、一部執筆時期が被る。
 表題中編と二短編を収録しているが、描写はいずれもあっさりめ。『離婚しない女』はもともと映画化前提の原作だったらしく、単行本出版一ヶ月後の1986年10月25日に早々と封切られた。『もどり川』『恋文』に続く三度目の映画化作品で、監督・主演は三作いずれも神代辰巳・荻原健一のコンビ。
 映画パンフレットによると「映画化不可能な話を書いてもいいですか」との作者の発言に、神代監督は「いいですよ」と即答したそうである。ただし完成したラッシュでは、原作の殺人事件はカットされシナリオも変更されている。
 表題作は二部構成。根室の水産会社社長の妻となっていた女と気象サービス・センターに勤めるその恋人が、財産目当てに殴殺した社長を車に乗せて、冬の岬へと向かう場面から始まる。岬から死体を投げ落とし、波にさらわれた事故に見せ掛ける計画だった。だが恋人の男は釧路にいるもう一人の人妻を伴侶と定め、共犯の女から全てを奪い彼女と添い遂げようとしていた。しかしこれから裏切られようとする女もまた、そのことを知っていた――
 大輪の花を思わせる艶やかな女性と平凡な家庭の主婦。全く異なるように見えながら、根底に同じものを持つ二人の〈離婚しない女〉の間で振り回される男。根室と釧路、地方線の起点と終点で繰り広げられる三角関係。そして殺人者が落ち込んだ、断罪よりも怖るべき陥穽とは?
 ありがちな展開を外した捻りが光る作品。全編を暗くくすんだ北国の風景が支配している。それは最終的に結ばれる二人が、これから歩む運命のようでもある。
 後の二篇、最初の『写し絵の女』はさすがに読み易い。『植民地の女』は月の半ばをマニラで暮らす商社マンが、帰国後フィリピン人の男に付き纏われ、妻を寝取った懺悔を迫られる話だが、ツイストよりも異国人の不気味さの方が印象に残る。
 三篇とも連城得意の反転ものだが、他の作品集と比べて出来はやや薄手で、暗めの割にはスケッチ風。


No.376 6点 ロセアンナ
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー
(2020/07/01 10:57登録)
 1965年7月8日の午後三時過ぎ、ボーレンスフルト閘門を管理する浚渫船グリーペン号が渫った汚泥の中から、若い女性の絞殺死体が見つかった。クレーンのバケットから下ろされた女は素っ裸で、装身具もいっさい身につけていない。
 エキスパートとして呼ばれたストックホルム本庁の刑事殺人課捜査官マルティン・ベックは、地元モーターラ警察の捜査官グンナル・アールベリに協力し事件を追うが、前後に該当する失踪者は見当たらず、追跡捜査は早くも難航する。だが死体発見から三ヶ月後、さまざまな行方不明者照会を通じて判明した被害者の名はロセアンナ・マッグロー、アメリカのネブラスカ州リンカーンに在住する、二十七歳の図書館司書だった。そんな外国人女性がなぜ、スウェーデンの田舎町を貫く運河の泥底に埋もれる破目になったのか?
 被害者が送った、内陸の湖をつないで運行するクルーズ船に乗るとのはがきから、ユータ運河をクルーズする観光船ディアナの存在が浮かぶ。ディアナ号の乗客リストには予想通り、ミス・R・マッグローの名があった。ベックは真夜中過ぎ、ボーレンスフルトを通過する船上で犯行が行われたと確信するが目撃者は誰もおらず、しかも船客六十八人と乗組員十八人、合わせて八十五名の国籍は世界じゅうにちらばっていた・・・
 スウェーデンミステリの新時代を切り開いた大河警察シリーズの第一弾。1965年発表。この前年日本では東京オリンピックが開催されており、高度経済成長の真っ只中。武装中立を行い二度の世界大戦に一切参加しなかったスウェーデンもまた、そのまま国力を保ち続け1950年代に地中海方面からの外国人労働者を受け入れ、対外投資を増大させて日本同様長期の経済成長を迎えます。
 国内犯罪の増加を受けた本シリーズの成立もそんな事情によるもの。わが国の松本清張『点と線』による社会派の到来と意味合いはほぼ同じでしょうか。新訳版でのヘニング・マンケルの献辞によれば、本書が出版される以前はアングロサクソン式の探偵小説ばかりだったそうです。
 内容的にはどうかといえば、描写は重厚なれどストーリーはやや単調。『笑う警官』『消えた消防車』のような込み入った筋や捻りは期待できません。容疑者を絞る過程でも見落としがあり、積み重ねがあるにせよ犯人の発見はほぼ偶然。犯行自体も〈バレなかったのが不思議〉といったレベルのものです。ある意味徹底してリアルとも言えますが。
 最後にちょっとした山があるとはいえ、読んでいてそこまで面白くはない。〈北欧だと張り込みがキツいよな〉というのが読後の主な感想でした。このシリーズの本領はやはり、『笑う警官』以降の円熟した中期作品にあるようです。


No.375 6点 赤い鎧戸のかげで
カーター・ディクスン
(2020/06/28 09:35登録)
 ニューヨークでマニング事件(『墓場貸します』)を解決したのち、ポルトガルのリスボンから内密に飛行機で、モロッコ最北端の国際管理都市タンジール(タンジェ)に向かったH・Mことヘンリー・メリヴェール卿。だが空港に降り立つや、各国言語の垂れ幕やブラスバンドによる英国国家演奏、赤絨毯の大々的な歓迎が彼を出迎える。H・Mの到着は大使館からの情報で、既に筒抜けになっていた。
 タンジール警察のコマンダント(警部)、ホアン・アルヴァレスの出迎えを受け、機内で知り合ったアメリカ娘モーリーン・ホームズを秘書に仕立てて警視総監ジョルジュ・デュロック大佐に面会するメリヴェール。空港での大仰な式典の全ては、マエストロの助力を得るための大佐の企みだった。ヨーロッパ各地で宝石強盗を繰り返す神出鬼没の怪盗、アイアン・チェスト(鉄箪笥)がタンジールに潜入したとの情報を掴んだ彼には、各国警察の鼻をあかすためメリヴェールの頭脳が必要だったのだ。
 彼らはスタテュ通りのベルンステン宝石店に水も漏らさぬ警備を敷くが、出現したアイアン・チェストはタックルしてきたイギリス領事館員ビル・ベントリーに向けて発砲すると、いっさんにウォーラー通りへ向けて駆けおりていき、そのまま行方を眩ましてしまう。だがプライドの高い怪盗がこのまま引き下がるはずがない。必ずや名誉にかけてもう一度、ベルンステンを襲ってくるだろう。
 ジブラルタル海峡に面した陽光あふれる港湾都市で繰り広げられる怪盗対名探偵の対決。果たしてその結末は――?
 『魔女が笑う夜』に続く、最後から二番目のHM卿シリーズ長編。1952年発表。前々作への言及など記述に若干の異同がありますが、草稿段階で前後していたのかもしれません。本編とマニング事件の間に挟まる〈メトロポリタン美術館での人殺し〉については〈語られざる事件〉かどうかは不明。
 舞台となるタンジールは第二次大戦を挟んで約50年間に、 ドイツ侵攻→国際管理地域(フランス保護領→英西仏管理→ソ連を含む八カ国管理)→スペイン侵攻→再び八カ国管理→モロッコ領 と、目まぐるしく統治権が入れ替わった地域。カーには珍しくエキゾシズム溢れる各種描写が目を引きます。
 ラジオドラマ『鉄の箪笥を持つ男』の基本トリックを、シリーズ前作同様アルヴァレス警部&モーリーン、ベントリー夫妻のダブルカップルロマンスで支える構成。着膨れ気味とはいえスリラー風の展開やアクションに加え、いくつかの仕掛けもありそこまで退屈はしません。トリック自体は少年探偵ですけども。
 それよりも気になるのは問題描写の数々。クリスチアナ・ブランドによるディテクション・クラブの回想(雑誌「EQ」NO.34 1983年07月号)によるとカーは「すさまじい空想家」であり「自分が頭でこしらえた事柄を丸ごと信じこんでいた」そうですが、本作では例の有名なシーンを含めソ連嫌いや男の友情、度を越した騎士道趣味など、作者のナマの部分が出過ぎています。ビル・ベントリーと元ボクサー、G・W・コリアーのボクシング対決はかなり読ませますけれども。そこに目を瞑れば、エンタメ性その他は『魔女が笑う夜』より上がっていて面白いのですが、そのため本書を敬遠する読者も多い。
 『ビロードの悪魔』で中世イギリス世界にどっぷり浸かったのと、持病の瘻孔による体調悪化の影響ががもろに出た作品。ダグラス・G・グリーンによれば『騎士の盃』含め「書かれない方がよかった」そうですが、まあそこまでとは思いません。ある意味貴重なものなので、リーズナブルに入手できるなら手元に置いた方が良いでしょう。

 追記:ブランドの総合評価によればカーは「賢くて、親切で、思いやりがあって、物惜しみしない愛すべき男」「様々な奇行を繰り返したとはいえ、素顔の彼は正真正銘の紳士」だったそうです。誤解の無いよう一言申し添えておきます。


No.374 6点 前夜祭
連城三紀彦
(2020/06/25 20:41登録)
 『紫の傷』に続く、著者二十七番目の作品集。1992年2月から1994年2月までの二年間に雑誌「オール讀物」中心に掲載された、捻りの利いた恋愛小説寄りの短編八篇を収録。長編では『明日という過去に』『愛情の限界』『牡牛の柔らかな肉』『終章からの女』『花塵』などと同時進行。短編では『落日の門』『顔のない肖像画』『背中合わせ』『美女』所収の諸作と、一部執筆時期が被る。
 連城の〈浮気をテーマにした短編集〉には他にも『夜のない窓』『年上の女』『夏の最後の薔薇(嘘は罪)』等があるようだが、おそらくそちらよりも〈精算〉要素が強く出ている。
 各篇の登場人物はいずれも成人した子供を持つ熟年以上の世代か、ある程度若いにせよ、愛人との関係に行き詰まりを感じている者たちばかり。直木賞受賞作『恋文』の初々しさとは異なり、己の人生を振り返りながらどこか醒めた視線で家族や夫、恋人などを見つめている。当然、嫉妬を押し隠す老獪さや、感情の爆発は比較にならない。熟練の仕掛けで各人の立ち位置がガラリと入れ代わる毎に、秘められたそれがぶつかってくる。
 サイトの趣旨的に優れているのはおおむね kanamori さんが挙げた三篇。それに最後に落としてくる「黒い月」を加えてもいいかもしれない。個人的には巻頭の「それぞれの女が・・・・・・」と、十三年前に妻子を捨てて出て行った夫を許そうとしない妻、立派に成長したものの父親と同じ行為を繰り返そうとするその息子、二世代に渡る登場人物四人の想いが絡み合う「夢の余白」を推したい。この二篇は創元推理文庫『落日の門 連城三紀彦傑作集2』にも採られている。
 1995年ごろ実母の介護のため、郷里の名古屋へ戻る少し前の時期の短編集。淡々とした筆致だが『紫の傷』『美女』とも重なるため、普通小説でありながらミステリ要素も強くなっている。


No.373 6点 指先の女
多岐川恭
(2020/06/24 10:44登録)
 著者八冊目のミステリ作品集。昭和三十六(1961)年十月刊行。『異郷の帆』で少し触れたようにこの年の創作意欲は凄まじく、長編『変人島風物詩』を皮切りに、ほぼ毎月長編または短編集を世に送り出している。直木賞受賞後の数年間で最も活動的な時期である。本書はその昭和三十六年度最後の作品集で、第十二長編『人でなしの遍歴』と第十三長編『絶壁』との間に挟まる。
 収録されているのは表題作の他に あつい部屋/餌/路傍/吉凶/峠の死体/雷雨 の全七篇。昭和四十八年刊の『捕獲された男』ほど直截ではないが、直木賞受賞作『落ちる』以降の〈気弱な人間が変貌する瞬間〉にこだわる姿勢は変わらない。本書の上位短編もほとんどがその系列である。
 表題作の骨子は乱歩の『二癈人』だが、それにもう一人女性を加えたところがミソ。東京から離れた温泉宿へ湯治に訪れた夫婦と、部屋へ整体に呼んだ指圧師の間でストーリーは進行する。自分の殺害を黙認したかつての妻をマッサージしながら、そろそろといざりよるように自分を突き落とした男に語りかける盲人の不気味さは出色。鬼気迫る作品である。
 巻頭の「あつい部屋」はさらに徹底している。つまらぬ男に利用され軽んじられ、別の女を引っ張り込まれた挙句使用人のように扱われる女。男の留守に下働きの青年と結ばれ、駆け落ちを囁かれるも一向にえ切らない。どこまでも気弱な〈都合のいい女〉が遂に爆発する時、果たして何が起きるのか。たまらないほど蒸れた酷暑のクリーニング屋を舞台に、タイトルとオチが冴えている。
 探偵小説専門誌「宝石」発表の「路傍」は温泉宿に泊まった若夫婦を軸に、一連の人生模様を描いたもの。若干推理要素もあるが、それがメインではない。東京での成功を夢見るバーテン修行の娘さんがいい。30P程度の長さで印象に残る脇役を書けるのは、この作家の力量だろう。
 トリの「雷雨」は脳出血で半身不随となった重役に弄ばれる若妻が主人公。雷雨の夜を衝いて自宅を抜け出しかつての恋人に迫るが、会社での立場を気にする男に拒絶される。病身の不満を妻にぶつける夫は、そんな二人を掌中で転がしほくそ笑む。いつものテーマで女性が覚醒する例は珍しい。
 フグ毒による事故中毒死を装った「餌」もなかなか。「吉凶」「峠の死体」は少々弱いが、最盛期だけに『捕獲された男』以上にハズレは少ない。本集に限らず多岐川短編に接する機会があれば、まず読んでおく価値はある。


No.372 6点 妖星伝(六)
半村良
(2020/06/22 15:13登録)
 「好きだ」
 「この、星が・・・やはり」

 (六)巻は雑誌「小説CLUB」昭和五十四(1979)年二月号から、昭和五十五(1980)年五月号まで。時代背景は九代将軍徳川家重が死去する宝暦十一(1761)年六月十二日以後から、天明元(1781)年七月以降、田沼意次が和泉国日根郡に領地を賜って四万七千石の大名となり、嫡子意知が山城守となって以後の時期まで。歴史的には天明の大飢饉の直前にあたり、本巻最終章〈DIMINUENDO(ディミヌエンド)〉を以て「妖星伝」は、長期に渡り一旦休止します。
 番外編ともいうべき特殊な位置付けの巻。「人道の巻」のタイトル通り、紀州胎内道を覗き人の見るべからざる物を見ながらも、外道皇帝や他の鬼道衆たちと天道尼、桜井俊策兄妹や日円・青円に永遠に置き去りにされた一揆侍・栗山定十郎と、地球に残された最後の鬼道衆・朱雀のお幾の余生が語られます。「この二人にひとときの安らぎを」との想いで執筆された、文字通りの拾遺編。
 SF要素は断片的に語られるだけで殆どありません。宝暦十一(1761)年十二月十一日に起きた「上田騒動」という大きな山はありますが、基本的に本筋から零れてしまったキャラクターの「その後」を描くパート。伝奇SF作家・半村良のもう一つの顔、社会に対する一市井人としての思いが詰まった巻です。


No.371 5点 わずか一しずくの血
連城三紀彦
(2020/06/22 08:53登録)
 梅雨の只中の六月二十六日の夜、東京池袋の中古車販売主任・石室敬三の家に、一年前に失踪した妻の三根子から突然電話が掛かってきた。入浴中に電話を受けた娘の千秋の話では、まもなく放送される十時のニュースに自分が出てくると告げられたという。
 群馬の山中で白骨化した左脚が発見されたと聞いた父娘は、それが行方不明の三根子の脚だと直感する。左足の薬指には彼女が普段そうしていたように、M・Iというイニシャルの彫られたプラチナ製の指輪が填められていた。
 その二日後の六月二十八日、現場付近にある伊香保の温泉宿『かじか亭』では、顔面を潰され左足を切りとられた女性客の遺体が発見されていた。女は前日二人連れで宿泊しており、宿帳に残された名前は『妻ミネ子』。『鈴木五郎』と記した男の方は、惨死体発見数時間前の午前五時四十分、宿泊代を精算しタクシーに乗りこんで立ち去っていた。また「万が一の時には電話を入れてくれ」と女性が前夜仲居に渡した紙きれには、東京の石室家の電話番号が記されていた。
 この事件を皮切りに、全国各地から女性の身体の一部が発見されてゆく。伊万里で、支笏湖で、また佐渡島で・・・見出された遺体は、それぞれ別の人間のものだった。
 捜査陣を幻惑するような事件の展開。長期にわたる事件はやがて関係者や被害者家族、担当刑事をも巻き込み、さらに異様な相貌を呈し始める・・・
 雑誌「週刊小説」誌上に平成八(1995)年5月12日号~平成九(1996)年11月8日号まで連載。『人間動物園』と『女王』の間に挟まる長編で、執筆順としては第二十四作目。『美女』後半の収録作品や、連作短編集『さざなみの家』『火恋』所収の各短編とも発表時期は重なります。
 官能描写は多いものの、処女長編『暗色コメディ』をも上回る??の連続。しかもラスト付近まで鼻面掴んで曳き廻され、全く光明が見えてきません。「これ一体どうなるの? もしかして物凄い作品なんじゃないの!?」と、期待値MAXの読者の前に提示された解答は――
 腰から下がへちゃへちゃと脱力するような真相。沖縄問題を背景に幻想的な作風と社会派推理との融合を試みた意欲作ですが、その出来栄えは微妙。犯人の特異性なくしては成し得ないプランと、犯行のきっかけとなった特殊な人間関係が、普遍的な動機と説得力構築の妨げになっています。「結局おかしな奴がやらかしたんでしょ?」みたいな。この人の場合変に衒わない作品の方が動機に訴えかける物があるし、ことさら強引に社会派要素を組み込まなくても良かったんじゃないかなあ。
 強いて言えばひとときの酩酊感と五里霧中さを楽しむ作品。発表から長い期間を置いて没後に刊行されましたが、あるいは何らかの修正意図があったのかもしれません。


No.370 5点 オックスフォード運河の殺人
コリン・デクスター
(2020/06/19 12:06登録)
 十一月下旬のある土曜日の朝、モース主任警部は上司からの電話を受けた直後に吐血して失神し、ノース・オックスフォードのフラットからジョン・ラドクリフ第二病院の病棟7Cに搬送された。原因は不摂生による胃潰瘍だった。
 まもなく回復し手持ち無沙汰の身を持て余したモースは、斜め向かいのベッドで亡くなった元インド駐屯軍将校・ウィルフリッド・デニストン大佐が自家出版した労作「オックスフォード運河の殺人」を紐解くことにする。それはある人妻が一八五九年、テムズ川本流を航行してロンドンに向かう船旅の途中で行方不明となり、死体となってオックスフォード運河に浮かんだ事件について纏めたものだった。
 ダービー生まれのその女性ジョアナ・フランクスは二度目の夫のもとに向かうため、六月十一日土曜日の朝リバプールからはしけでプレストン・ブルックへ向かい、それから十一日後の六月二十二日水曜日にコベントリー-オックスフォード運河終点付近にある三角形の水路、通称"公爵の掘割"で発見されていた。
 事件にいくつかの疑問を抱いたモースはがぜん乗り気になり、見舞いに訪れたルイス巡査部長やポドリー図書館員クリスティーン・グリーナウェイの協力を得て、百三十年前に起きた殺人事件の謎を病床から解こうとするが・・・
 1989年発表のモース主任警部シリーズ第8作にして、同年度CWAゴールド・ダガー賞受賞作。ジョセフィン・テイ『時の娘』ばりの歴史ベッド・ディティクティヴものですが、クラウン作品にしては味付けは薄め。格段に読み易くはあるものの、デクスター愛読者にとっては少々物足りません。短編集『モース警部、最大の事件』収録諸作の方が良い感じ。
 第11章末尾で指摘される手掛かりなど見るべきものはあるのですが、基本的には直線一本道。特に捻りもなく、病院パートなどモースやルイスの掛け合いもいつもの分量以下。最後に被害者の生家に残っていた証拠を発見して、物語は終了します。
 細かい部分を綺麗サッパリ忘却した上での再アタック。でも初読時も今回もあんまり印象良くないなあ。結局肝心のアレを、どこから調達したかは不明だし。今回は歴史推理なのでいちいち辻褄合わせを求める訳にもいかず、いつも以上に煙に巻かれた気がしてしまいます。
 前後の二作『別館三号室の男』『消えた装身具』は未読ですが、今のところこれが一番下かな。好き嫌いの分かれる作家さんなので、気付かなかった本書の良さというのもあるかもしれません。オックスフォード運河に抱く郷愁も、英国と日本ではかなり異なるでしょうしね。


No.369 6点 蠟人形館の殺人
ジョン・ディクスン・カー
(2020/06/19 05:16登録)
 一九三〇年のパリ。オーギュスタン蠟人形館に入るところを目撃されたのを最後に行方不明となった元閣僚の娘オデット・デュシェーヌは、その翌日刺殺体となってセーヌ河に浮いた。予審判事バンコランが老館主を尋問すると、彼は展示中の女殺人鬼ルシャール夫人の人形が、オデットのあとをつけていくのを見たと言い出す。蠟人形館に赴き地下の恐怖回廊入口へと向かったバンコラン一行を出迎えたのは、オデットの親友クローディーヌ・マルテルの死骸を抱えたセーヌ河の怪物サテュロス像だった! 優雅な装いの下にメフィストフェレスの冷徹さと鋭い知性を秘めた、アンリ・バンコラン四度目の活躍。
 1932年発表。同年にはバンコランと別れてアメリカへ戻った語り手ジェフ・マールが、滞在先の邸で事件に出くわすノンシリーズ長編『毒のたわむれ』も刊行されています。
 バンコラン登場作品を完読するのは今回が始めてですが、フェル博士やHM卿シリーズに比べどうにも据わりが悪い感じ。煽情的なシチュエーションと、悪魔的かつ嘲笑的な探偵役のキャラクター性がうまく噛み合っていません。読者をひととき非日常の空間に誘ったのち事件に幕を引き、再び現実世界に引き戻すのが名探偵のポジショニング。一見エキセントリックに見えても、何かしらの安定性がないと作品全体のバランスが悪くなってしまうのです。そういう意味でバンコランの存在はマイナス要素。法の担い手でありながら法を逸脱するような言動も、それに拍車を掛けています。
 かといってピカレスクに走る訳でもなく、悪く言えば中途半端。本編でも要所々々は押えるもののそれほどには動かず、作中登場のインテリ悪役エティエンヌ・ギャランに言及して、自分を実物以上に見せる事への自嘲と自虐、老いを認めるセリフなどが目立ちます。次作でフェイドアウトし新たな探偵役パット・ロシター青年に交代するあたり、作者のカーも扱い辛くなっていたのでしょうか。ラストではいつもの彼に立ち返り、またもや真犯人を弄ぶような態度を見せますが。
 逆に大立ち回りを見せるのは語り手のジェフ。暗黒街の大物ギャランとある人物の会話を立ち聞きしたり、彼が上流階級脅迫に使用している秘密社交クラブ〈銀の鍵〉へ潜入したりと、主人公クラスの活躍ぶり。このクラブでの活劇と、クラブと表裏一体の関係にある蠟人形館との関係性が本書最大の魅力でしょう。両者を対置し推理とアクションとを混交させることにより、一定のリーダビリティーをも獲得しています。
 またアクションのみならず伏線配置の仕方もかなりのもので、読者の眼前で証拠をチラつかせる手付きは『白い僧院の殺人』を思わせます。さらに現場を検討した上でのホームズ風状況把握も見どころの一つ。
 本来ならば単なるイロモノに留まらず、佳作未満の地位を要求できるレベルですが、仕切り役の探偵にあまり好感が持てないのが難点。色々と光るものはありますが、トータルでは平均点の作品ですかね。


No.368 8点 宵待草夜情
連城三紀彦
(2020/06/16 23:43登録)
 『夜よ鼠たちのために』に続く、著者の第六短編集。「幻影城」誌上予告では「桜の舞」として発表される筈だった花葬シリーズ「能師の妻」ほか五篇を収録。叙情的なタイトルに似つかぬ問題作・衝撃作揃いの作品集で、表題作のみいわばお馴染みのネタを扱ってはいるが、これとて凡手ではない。どの作品も全般にややくすんだ色合いだが、美しくも峻烈なエピソードを絡めたドラマ作りは、あるいは『戻り川心中』を凌ぐかもしれない。特に芸道ものの二篇、「能師の妻」と「花虐の賦」は飛び抜けている。インモラル極まる前者は好みが分かれるだろうが、後者に至っては長編並みの贅沢な作りである。本書のイチオシはこれ。
 大正時代につかのま大輪の花を咲かせたのち歴史の闇に消えた新劇作家と、かれに師事した一女優。最大の成功を収め前途洋々たる船出の最中、突如として作家は剃刀で己の躰を傷つけたのち、橋上から身を投げ骸となって浮かぶ。かれの四十九日の法要を無事済ませたその晩、女優もまた同じ橋上で手首を切り後追い自殺を遂げるが――
 シンプルにして鮮やかな反転トリックも凄いが、やはり残酷にして美しい男女関係が買い要素。その苛烈さは編中の白眉である。
 「花虐の賦」と並び立つのはトリの「未完の盛装」。終戦直後の昭和二十二年、カスリーン台風襲来の夜に犯されたある罪とその時効の成立を、二重底三重底の反転要素で包んだ傑作。ただ脅迫状の日付に仕掛けられた手掛かりは、やや強引か。これがあるので前者には少々劣る。
 「能師の妻」は泡坂妻夫「黒き舞楽」同様、「究極の愛」を描いた作品。両編共奇しくも幼少期の運命的な邂逅が、その後の全てを決定付けている。消失トリックの真相は途中からほぼ推察できるが、それにしても・・・ 後に残ってしまうので、刃物で一思いにという訳にはいかないのね。
 以上三作がベストスリー。「野辺の露」の容赦ない胸糞悪さも、かなり良い。捨て篇の無い良短編集だが、凄惨なまでの縺れ具合が好みからやや外れるのでギリ8点。


No.367 7点 黒き舞楽
泡坂妻夫
(2020/06/15 09:03登録)
 東京近郊の目岩では毎年、一月十五日の小正月には小学校の近くにある八窪神社の境内に、正月用の飾り物などが運び込まれて焼かれる。それが小正月のどんど焼きである。劇団あぷるの真枝からの封書を燃やしに神社を訪れた研石小学校の女教師・胡島奏江は、昔の教え子の照山純から、同級生の目岩一刀彫筧屋主人、銛口繁雄の妻・森三千代が、心臓病で入院すると知らされる。三千代は繁雄の再婚相手で、先妻の房子は事故で亡くなったとのことだった。
 その翌日奏江は電話で、どんど焼きに出された古い行李の中に、由緒ありそうな浄瑠璃人形が新しく二体も見付かったと伝えられる。それは三人で一体を動かす文楽とは違う種類の〈目岩人形〉と呼ばれるもので、独自の操法によって演じられるその調査は、これからの課題となっていた。彼女は電話をくれた教育委員会の阿尾木晴香とともに、八窪神社での人形改めに立ち会う。若い立役頭と女形の人形、雅のうちにも野趣を持つ貴重な人形はなぜ、誰の手によって捨てられたのか?
 その一週間後に三千代は死んだ。また人形の入っていた行李からは、江戸期の手紙が現れる。それは浅草の曾根駒太夫という人物へ宛てた手紙だった。当時目岩にいた駒太夫の寄宿先は、筧屋東之助といった。とすると浄瑠璃人形は、元々銛口繁雄の家に伝えられていたのだろうか。
 奏江は十数年ぶりに繁雄に再会し人形のことを尋ねるが、やはり江戸から来た人形遣いが残していった品だという。そして繁雄に好かれていたそのお夏人形を捨てたのは、妻の三千代だった。彼女は夫に黙って、お夏を処分しようとしたのだった。
 その年の秋、銛口繁雄と阿尾木晴香は祝言をあげた。だが翌年彼女は喀血し、夏休みが終わって間もない、九月八日に息を引き取った。二番目の妻である三千代と同じように――
 『斜光』に続き1990年3月に出版された、泡坂妻夫のノンシリーズ第十一長編。海方・小湊シリーズ第一作『死者の輪舞』を含めれば、作者の第十二長編という事になります。ちなみに第二作『毒薬の輪舞』はこのちょうど一ヶ月後、1990年の4月に刊行。日影丈吉『泥汽車』と同じく、白水社「物語の王国」シリーズの一冊でもあります。
 第三長編『湖底のまつり』以来連綿と書き継がれてきた、泡坂官能ミステリーの到達点。この後第十七長編『弓形の月』がありますが、完成度的にはこれが一番でしょう。長さ的には中編程度ですが、ある青年の妻が次々変死していく謎に先祖からの因縁模様が絡み、やがて性愛の極みともいうべき結末を迎えます。小学校教師である奏江が、繁雄たちを幼少期から見つめてきたという設定が出色。『斜光』と同じく母性愛も入ってますねコレ。
 乱歩のアレよりも木々高太郎のある短編を思い出しました。加害者と被害者との快楽とも恐怖ともつかぬ死の交情。短めですが濃密な作品です。

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