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ミステリの祭典

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透明な季節
「青春三部作」芦川高志

作家 梶龍雄
出版日1977年09月
平均点5.50点
書評数8人

No.8 7点 makomako
(2023/08/19 07:08登録)
この作品は江戸川乱歩賞受賞して文庫として出た第1摺を買って読みました。私の本は昭和55年9月発行となっているので40年以上前のこととなります。当時江戸川乱歩賞の受賞作品は文庫化されると必ず読んでいたのです。
当然内容はほとんど忘れてしまいましたので今回再読は全く新刊書を読むのとあまり変わらない感覚でした。
初読の当時は戦争の理不尽さを書いた作品なんだといった程度の感想でした。
今回再読してみると作者が目指していた人間を描いた推理小説といったお話であり、私の好きな内容でした。
確かにトリックはちょっと奇想天外というより無茶ぶり風ですが、若いわたしより今の私の好みに合う小説でした。

No.7 6点 人並由真
(2020/10/18 21:06登録)
(ネタバレなし)
 少なくとも、大戦中の時局を反映した青春小説としては、相応に力の入ったものを読ませてもらえるだろうと期待。
 結局、主人公は徴兵されるわけでも疎開するわけでもなく都内に居続けたのみながら、それでもこれだけ息苦しくなっていく世相を描けたのは、やはり原体験に基づく筆力の賜物でしょう。
 さらに辛気くさいだけじゃなく、逆境下でも何とか辛い日々をしのごうとする人間のしぶとさや逞しさも随所で語られ、その意味でも読み応えがある一冊であった。

 ミステリとしては肝心の謎に魅力的な訴求がない、最後の解決の見せ方が大雑把すぎる、などの批判は全くもってごもっとも。
(伏線など説明を受けて理解しても、あまり心に響くものは多くないし。)

 とはいえ、事件の黒幕のイカれたものの考え方を「戦争のせいでこんないびつな人間が生まれたのだ」的なわかりやすい決着にはせず、物語の主題とは別のところに設けたあたりは、結構、評価している(あまり詳しくは言えないけれど)。何でもかんでも<戦時下ゆえに平凡な人間の心が歪んだ>とするのって、安易な作法だしねえ。
 
 あと自分はかねてより、フィクションのなかで<割り切れないこと><不自然なこと>をいったん意識すると、ヘリクツを動員してスジの通る説明を用意しちゃいがちな<納得力>の高い? 受け手だと自覚している(実はこれって、ときに、作品の冷静な客観視を欠いてしまうことになるのでかなり危険なのだが)。そしてこの物語では、いくつかの点で、その辺のテクニックが必要になった。

 終盤のもやもや感なんか、思い込みであれこれ理屈づけて「そういうことなんだろうなあ……」という感じ。その辺は余韻ととるか、作品の舌っ足らずな不備と見るか、微妙なところであった。

 ちなみに今回は1980年の講談社文庫版で読んだけれど、巻末の解説があの氷川瓏。懐旧的な述懐が全般とても興味深かったけれど、梶龍雄が担当した『アイアンサイド』のノベライズ(二見のコロンボと同じく台本からのセミ創作)の仕掛け人もこの氷川だったと知って、びっくりした。絶版の文庫からの情報なので、メモ代わりにここに書かせてもらっておきます。

No.6 5点
(2020/07/10 22:00登録)
  太平洋戦争末期の五月、新たな配属将校として東京・顕文館中学に赴任してきたポケゴリこと諸田利平少尉は、教官就任のその日から、圧倒的な暴力で学園全体を制圧した。偏執的な嗜虐性を見せる教練としごきの繰り返しに全校生徒は喘ぎ、教師たちは沈黙するばかり。かれをにくんでいない者は、この学校に一人もいないにちがいなかった。
 そのポケゴリが死んだ。しかも殺されたのだ。登校路沿いの根津権現神社の本殿脇で。かれは軍服ではなく私服で、額の右側を撃たれた死体となって小さく細長い池の端に横たわっていた。
 諸田少尉が撃たれたと思われる時刻に、たまたま現場の裏門坂を通りかかった三年一組の級長・芦川高志はその事を切っ掛けに、同級の古屋明を通じて理想の女性・薫に巡り合う。だが若く美しい彼女は、射殺されたポケゴリの未亡人だった・・・
 昭和五十二(1977)年発表。藤本泉『時をきざむ潮』と共に第23回江戸川乱歩賞を受賞した、梶龍雄の処女長編。デビュー自体は二十五年前の昭和二十七(1952)年ですが、外縁部での活躍が主で本格的な始動はこれが初めて。扉に掲げられた〈著者のことば〉からも、再デビューへの意気込みが窺えます。
 ただしその出来栄えは微妙。「謎やトリックに力をおけばおくほど、人間が死んでいくし、人間に力をおけば、謎やトリックが死んでいく」「その宿命の壁を破った、不自然でない、面白いものを」との抱負はともかく、内容的にはリアルに終戦を迎えた世代としての追憶に引き摺られ、謎解きは付け足し程度に終わっています。
 事件の構図がさほど面白くないのも大きい。作家生活の上で書かれなければならなかった長編とはいえ、結果として習作の域を出ていません。銃声をめぐる手掛かりなど、のちの〈伏線の鬼〉の萌芽が随所に見られる反面、ミステリ要素と主要なウェイトを占める戦時崩壊部分とが乖離してしまっているのも問題。殺人事件は副次的なものとして、学徒動員時代の一中学生の体験を描いた青春小説として読むのが正しいでしょう。

No.5 5点 ボナンザ
(2017/05/28 10:11登録)
本格ミステリとしての一面よりも戦時下での青春小説としてのイメージの方が強いかもしれない。最後の展開などそうなるだろうな、と思いつつも引き込まれてしまうものがある。

No.4 5点 nukkam
(2015/08/22 08:09登録)
(ネタバレなしです)  梶龍雄(1928-1990)は大器晩成型の作家で、長編第1作である本書が発表されたのは1977年です。特に旧制中学や旧制高校を作品背景にした本格派推理小説は非常に高く評価されています。もっとも後年には「女はベッドで推理する」(1986年)とか「浮気妻は名探偵」(1989年)など通俗ミステリーっぽい作品まで書いたりして試行錯誤を繰り返していたようです。本書は時代小説要素、青春小説要素、そして謎解き本格派推理小説要素を詰め込んだ贅沢なミステリーで、戦争末期の社会描写は特に印象的です。ところがそれがミステリーとしての弱点にもなっており、(主人公が述懐しているように)戦争の悲惨さの前にはポケゴリこと諸田少尉の死の謎解きがどうでもいいようにさえ感じられてしまいます。片仮名文の手紙による真相説明が読みにくいのも問題です。とはいえ、他の作家には書けないであろう個性を確かに感じさせる作品でした。

No.3 5点 おっさん
(2013/05/14 18:24登録)
「僕はこの作品はそれほどでもないと思うけど、だけどおめでとう」
 ――盟友・梶龍雄が江戸川乱歩賞をとったとき、狩久が電話で梶に云ったという言葉(市橋慧氏インタビュー「父・狩久を語る」より)

太平洋戦争末期、主人公・高志の通う中学にやって来た、新任の配属将校(軍事教官)、通称ポケゴリ。絶大な権力を背景に、生徒はもちろん教師まで呪縛していた彼が、ある夕、神社の境内で、頭部に銃弾を受け死亡する。
凶器は、教練に使用される三八式歩兵銃。しかし犯人は、施錠された武器庫からいかにして銃を持ち出し、またもとに戻しておけたのか?
その事件がきっかけで、高志はポケゴリの妻だった薫と知り合い、美しい彼女に惹かれていくのだが・・・

“清張以前”に、短編作家として推理文壇に登場しながら、その後はもっぱら、児童読物の執筆や海外ミステリの翻訳でしかその腕を振るえなかった著者が、再デビューの足がかりにしたのが、江戸川乱歩賞。これはその、第23回(1977年度)受賞作(藤本泉『時をきざむ潮』と同時受賞)です。

70年代後半から80年代なかばの同賞関連作品(受賞作、また本になった最終候補作)は、筆者の学生時代の読書歴と密接に結びついており、そこから日本の“現代作家”に手を広げていったという意味で、個人的な思い入れがあります。
ただ、正直いって本書の印象は薄かった。というか、長編で、この唐突な“種明かし”はいかんでしょ。“小説”のうまさだけで乱歩賞をとられてもなあ・・・と、子供っぽい反感をおぼえたのが本当のところ。他の多くの受賞作家は、受賞第一作をフォローしているのに、梶龍雄はこの一冊で切ってしまったのが、当時の筆者の関心度の低さを如実にしめしています。
でも、それから月日は流れ――
梶龍雄を本格ものの書き手として買う声を友人から耳にしたり、ネットをはじめるようになって、意外と思えるほどの高い作品評価を目にするようになったりで、少しずつ、その著書を集めるようにはなっていました。
<狩久全集>の刊行をひとつのきっかけに(第6巻所収の「日記」のなかに、友人として梶はたびたび登場するのです)、そうした梶作品に目を通してみるのもいいかな、というわけで、まずは本書の再読からスタートすることにした次第。

主人公の恋愛感情、「犯人」の企み――ああ、作者が範にしたのは、E・C・ベントリーの古典『トレント最後の事件』(1913)だったのか。今回、遅まきながらそのことに気がつきました。

 「ポケゴリが死んだ。しかも殺されたのだ。(・・・)誰でもが身内からこみあげてくる、ぞくぞくした喜びに近いものも感じていた。ポケゴリをにくんでいない者は、この学校に一人もいないにちがいないからだ」

という導入部からして、思えばそれを意識していたわけですね。なるほど。
しかし、なにも解明の論理が無いところまで、真似なくてもw
戦時下ならではの事件として、本作の構成の論理は、キッチリ組み立てられています。そして、再読で真価がわかるように、伏線の張りかたもまず申し分ない。
それだけに、真相の一切を関係者の「手紙」で明かすのではなく、もう一工夫して、ポケゴリを撃った人物の特定までは、事前に主人公の推理で出来るように、書けなかったものか。理詰めで考えれば、犯人はどうしてもその人物になる、しかし、なぜ撃ったのか? その動機がわからない――そこまで事件を整理したうえでの、どんでん返し的な「手紙」の提示。うん、この流れがベターだと思うなあ。

「謎やトリック」と「人間」の両立が作者の狙い(「著者のことば」)だったようですが、これも、気持ちはわかる、しかし・・・で、併立にとどまっている。
多くのページを費やして描かれる、年上の女性への思慕が、じつはミステリとしての『透明な季節』のプロットに、必須のものではないのです(その点は、かの『トレント最後の事件』も同様でしょうが、あちらは“名探偵の恋”である点に、別な意味がある)。

また今回、強く感じたのは、薫というキャラクターを作者が美化しすぎだろ、ということ(「ポケゴリはワイフと一度もやったことがないらしいんだ」嘘でしょw  「北上先生と私とは……何というのかしら……恋人というものではなくて……お友達といったらいいかしら……」旦那に内緒で密会しといて何を言うか!)。
綺麗事すぎて、彼女が生身のオンナとは思えません。なんといっても筆者は、あの『不必要な犯罪』の狩久派ですからねwww

作者の意欲が先行して、完成度はもうひとつ、の感は否めないと思います。
それでも、時代ミステリとして、リアリティを担保するディティールの書きかた(軍事教練のエピソード、大空襲の描写エトセトラ)、そして終戦にむけ、まわりのすべてが崩れ落ち、人がただ消えていく日々を“透明な季節”ととらえる梶龍雄のセンスは、心に残りました。
次作に期待しましょう。

No.2 6点 kanamori
(2011/01/30 13:48登録)
後期の通俗的でB級感あふれる本格ミステリからは想像できない、文芸寄りで私小説風の青春ミステリでした。
戦時下の旧制中学の生徒・高志を主人公に、”ポケゴリ”こと配属将校の殺害事件が描かれていますが、主人公が推理するのではなく、真相も唐突に明らかになるので、ミステリの趣向は弱いと言わざるを得ません。
むしろ、作者の力点は、戦時下という世相ゆえの犯人の動機であったり、主人公・高志の将校の妻・薫に対する心情の変遷にあるのでしょう。

No.1 5点 こう
(2009/11/03 22:32登録)
  第二次大戦中の15歳の男子中学生を主人公とした青春ミステリといった趣きの作品です。配属将校の射殺事件とその妻への主人公の思慕がメインで進んでゆくストーリーでした。
 かなり前に乱歩賞全集で読んだのですが「海を見ないで陸を見よう 」を読んだ時はこの作品の続編であることに全く気付きませんでした。
 舞台が大戦中とはいえ主人公が若すぎて作品のせいではないのですが感情移入できませんでした。内容も後の作品ほど伏線も効いていませんし面白みに欠けた覚えがあります。 

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