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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.35点 書評数:2257件

プロフィール| 書評

No.417 7点 紅き虚空の下で
高橋由太
(2018/10/20 14:04登録)
(ネタバレなし)
 作者の高橋由太(たかはし ゆた)は2010年頃から各出版社のキャラクター時代劇ものの文庫オリジナル作品を主体に活躍。最近はライト? ミステリの方でも精力的に活動しているようだが、評者がこの人の作品を読むのは初めて。しかし想像以上に強烈で面白い一冊だった。
 本書は文庫オリジナルで、表題作「紅き虚空の下で」を含めて全4本の別の物語設定の中編を収録。別名義で書かれた作者の初期作品を主体に集成したものだそうである。(以前に創元の「新・本格推理」シリーズに収められた作品や、角川ホラー小説大賞の短編賞を受賞したものを改訂した作品も収録されている。)
 表題作と二番目の「蛙男島の蜥蜴女」が、かなりオカシな新本格パズラーで、三本目の「兵隊カラス」がサイコホラーっぽいミステリ、最後の中編「落頭民」が謎解き要素のない、爽快なまでにイカレきったクレイジーなホラー奇談である。

 各編を簡単に寸評するなら巻頭の「紅き虚空の下で」は、人間世界とは別個に異形の妖精的存在がひそかに人類を伺うファンタジー世界での謎解きパズラーで、地上で両手を切られて死んでいた少女の事件を追う。この世界設定ならではの推理ロジックと解決が用意され、初っぱなから口があんぐりするが、これが実は本書の中で一番マトモであった。
 二作目の「蛙男島の蜥蜴女」は文明世界とは隔絶された離島、狂気ともいえる文化の異郷での不可能犯罪で、謎解きミステリとしてはこれが一番面白い。最近の別の作家でいうなら白井智之あたりの、あの世界、あれを普通に楽しめる人にはぜひともお勧めしたい。
 「兵隊カラス」は山の中に遺棄された子供の視点で語られる、奇矯な老人「兵隊さん」との奇妙な生活の話。陰惨なサイコホラーっぽい物語(ただしスーパーナチュラルな要素はない)が途中で一転、別のジャンルに変調し予想外の結末に雪崩れ込んでいく。広義のイヤミスだが紙幅の割に読み応えは十分。
 最後の「落頭民」は、岡本綺堂の作品『中国怪奇小説集』の一編に材を取ったようだが(頭部が体から離れて飛翔する、ろくろ首の話だろう)、あくまでモチーフのみで作者の奔放なイマジネーションが無法に転がるまま、とんでもない筋立てが展開する。半ば話などあってないような、狂いきった叙述のみあるという感じだが、悪ノリと悪趣味を極める一方で、不快感や嫌悪感は(少なくとも評者には)皆無であった。そんな作品。たぶんこれが本書の核となる。

 なんつーか、ミステリ界の「ガロ系(かつてあった青林堂のあの漫画雑誌)」というか、あるいは一応は続刊が可能になって図に乗っておかしな旧作の発掘を始める一方、新世代の異才の作家を求め始めた時代の雑誌「幻影城」に似合いそうな一冊というか、まあそんな感じである。言いたいことは大体それでわかってもらえると思う(!?)。
 とにかく壮絶な一冊だったけどね。こんなものはまあ、そうそう読めないだろう。


No.416 7点 とむらい機関車
大阪圭吉
(2018/10/20 12:53登録)
(ネタバレなし)
 創元推理文庫版のレビュー。
 先日読んだ芦辺拓の新刊『帝都探偵大戦』に刺激されて、読了(今、『銀座幽霊』読んでます)。
 表題作は大昔に鮎川のアンソロジー『(鉄道ミステリー傑作選)下り”はつかり”』で読みかけたと思うが、たしか少年時代のことで生々しい轢死事故の死体描写がキツくって、途中で投げ出した記憶がある。あの頃は私も若かった。しみじみ……。

 しかし初めて一冊単位で通読して、今さらながらにそのハイレベルさに舌を巻いている。改めて接した表題作の無常観たっぷりな余韻もよいが、続く収録作がそれぞれ佳編~優秀作。
 青山探偵ものは安定して面白かったが、特に『デパートの絞刑吏』のぶっとんだ真相は当時としてはかなり斬新だったと想像に難くないし、『石塀幽霊』のリアリティ希薄な謎解きも豪快で印象に残る。『気違い機関車』も犯人の設定から逆算すれば殺人の実行はまず現実では無理では? ……とも思うが、魅力的な謎と意外性を追い求めたかった作者の情熱が伝わってくるようで納得。
 クライムストーリー『雪解』の小説としての結晶度も見事だが、最高傑作と定評の『坑鬼』での最後の最後で明らかになる動機の真相には慄然。のちに戦後1950~60年代のある翻訳ミステリ叢書のとある一冊がまったく同じ手を使っていて、たしか佐野洋がそっちの方を斬新な創意で素晴らしいとか称賛していた覚えがあるけれど、すでにこの作品でやっていたのだった。
 創元文庫版の巻末に収録の作者のエッセイ群も、21世紀の現在の我々の心にも響くミステリ愛が凝縮されており、うなずくことしきり。とても楽しい一冊であった。


No.415 6点 ゲッタウェイ
ジム・トンプスン
(2018/10/12 13:24登録)
(ネタバレなし)
 保釈で4年振りに刑務所から出所したばかりの40歳のプロ犯罪者、カーター(ドク)・マッコイは銀行強盗計画を立案し、襲撃の実動を「パイヘッド」ルディ・トレントたち仕事仲間に任せる。25万ドルを得た一味だが、想定内のダマし合いと収穫の奪い合いを経て、ドクは27歳の若い美人妻キャロルとともに大金を抱えたまま逃亡を図った。目的地は、金さえ払えば犯罪者に安住の場を用意するという闇社会の大物エル・レイの領地。だが大事なく行ったはずのドクとキャロルの計画の行方は……。

 1959年のアメリカ作品。ジム・トンプスン、例によって本は何冊か買ってあるが、評者がまともに一冊読み終えるのはこれが初めて。今回は当家の蔵書の中から見つかった1973年の角川文庫の元版(初版)で読了。同書は1972年の映画版(スティーヴ・マックイーン主演)が日本で73年3月16日に公開されたのに合わせて、同73年3月1日に刊行されている(作者名はジム・トンプソン表記)。
 1994年の角川文庫の新版は旧版と同じ高見浩の翻訳で、細部に手は入れてあるが基本は同じ訳文を使っているらしい。これはwebの噂からの類推。

 しかしこの旧版『ゲッタウェイ』が翻訳された70年代そして80年代半ばまではトンプスンは日本ではまったく単発作家の扱いで、現在のようにここまでカルト的な人気作家になるとは思わなかった。ちなみに名作と名高い映画の方もまだ観ていない(汗)。

 本作がノワール+夫婦逃亡行ものの新古典という大雑把な予備知識はあったものの、文体の妙があちこちで評価されているらしい作家だから、その分この作品もプロットはシンプル、文章の方に独特の個性があるのだろうと勝手に予期していた。ところが実作を読むと、お話の方も主人公コンビの逃亡中のサスペンスを打ち出しながら二転三転するわ、思わぬところで窮地に陥るわ、盲点的な敵が追ってくるわ……と、ストーリー的にもギミックが盛りだくさんで面白い。原書はシグネットブックのペーパーバックオリジナルだったみたいで、まずは娯楽読み物としての足固めにも余念がなかったのだろう。
 登場人物の描写も互いを信じたい一方、裏切られるのではないかと警戒しあう主人公夫婦や、スレた知略やしたたかな打算と欲望を動員して彼らに絡んでくる有象無象の脇役など、それぞれ鮮烈な存在感があって飽かせない。大半の登場人物のひとりひとりの動きや立ち位置がテンションを呼ぶので、細かいことはここではあまり言わないでおく。
 それでショックだったのは終盤の展開で、物語がこういう方向に行き、決着するのかとかなり大きな衝撃を覚えた。物語の世界観もそれまでの血と硝煙、埃にまみれた空気が一転し、ある種の別次元の悪夢のなかに突き落とされたような気分がある。なんというか、志水辰夫か谷恒生の骨太な初期作品を読んでいたら、最後の最後でいきなり西村寿行の中期作品に転じてしまったような……。
 webでざっと調べると、映画でこの原作のラストをまんまなぞるのはマックイーンが反対したそうで、映画版にはこの結末は採用されてないという。そりゃそうだろう。このクロージングそのままだったら、21世紀の現在でも映像ソフトの新版が出るたびに新しい観客が大騒ぎだと思う。

 ただ思うのは、このあと数年後に同じ角川文庫の某翻訳ミステリ(それなりの話題作)で本作と類例のショッキングさをはらんだ一冊が刊行されて相応の反響を呼んだのだが、「そっち」とこっちを結びつけて語ったミステリファンや文章はまだ見たことがない。まあ互いにネタバレになることを配慮して言いよどんでいる人もいたかもしれんが、一方で同時にこの原作版『ゲッタウェイ』はその時点では、やはりまだ知る人ぞのみ知る、読む人のみ読んでいた一冊だったのかなあとも思う。ミステリファンとしての自分の見識が乏しくどっかのミステリ愛好家のサークルとかでカルト的に評価されていた可能性もあるが、寡聞にして当方はそういう話は今まで聞いていなかった。
 トンプスンは今年もドバドバ未訳作の発掘新訳がされているみたいだし、また読むこともあると思うが、今度はいっそう警戒しながら手に取るわ。  

 でもって今回の本作の評点は、ラストの、渇きの果てに泥水を呑まされたような後味を重視してこの数字。人によっては評価はもっと上がるだろう下がるだろう。たぶんトンプスン作品への素養いかんによっても変わるだろう。


No.414 6点 死の目撃
ヘレン・ニールスン
(2018/10/11 04:12登録)
(ネタバレなし)
 その年の7月。ニューヨークの出版社「ハリソン書房」のベテラン社員マーカム(マーク)・グラントは社長ファーガソンの指示で、ノルウェー(本文ではノールウェイ表記)に向かう。目的は、オスロに在住する国際政治の大物の元外交官トール・ホルベルグの回顧録の原稿を受け取るためだ。だが今回の出張はファーガソンの計らいで日程を気にしない半ば慰労休暇の面もあるということで、マークはのんびりと船旅を満喫する。そんな彼は同じ船で親しくなった元実業家オットー・サントキスの勧めで、同じく乗客仲間の女性教師ルース・アトキンズとともに、ノルウェーのベルゲン港に船が停泊した際、地元の登山電車を楽しむことにした。だがその車中でマークが目にしたのは、すれ違う登山電車の中で男が若い女性を扼殺する現場だった!

 1959年のアメリカ作品。作者ヘレン・ニールスンは、50~60年代の日本の翻訳ミステリ雑誌などでも中短編が多数紹介された女流作家で、評者は古書店で買いあさった古雑誌のバックナンバーで、それなりに作品を楽しんだ覚えがある(ただし最近のweb記事などを見ると、ミステリ評論家の小森収などは邦訳された短編群には、総じてあまり良い評価をしていないようである~うーむ)。

 本作はクリスティーの『パディントン発4時50分』を思わせる趣向の巻き込まれ型サスペンススリラー+異国情緒がセールスポイント。さらに物語の前半~半ばで主人公マークが、くだんの殺されたはずの美女=シグリット・ライマーズにまた別の場で再会(!?)。当年39歳のマークが母国アメリカに美しい妻と3人の子供を残しながらもシグリットに心惹かれていくという、イタリア映画『旅情』風の、シニア向けメロドラマも用意されている。
 死者との再会の謎? というケレン味を引きずったまま、じわじわと主人公周辺のドラマが進行していくあたりは、ちょっとアンドリュー・ガーヴあたりの作品の雰囲気を感じないでもない(まあガーヴは、あんまり男性主人公のよろめきは書きそうもないけれど)。
 間断なく小さな事件が続き、後半さらに大きく物語が動き出す流れは好テンポで、これは良い意味で土曜ワイド劇場あたりの2時間ドラマへの翻案が似合いそうな一本であった。
 終盤の、序盤での殺人現場目撃の謎解きはいささか強引な気もしたが、一方で21世紀になんとなく我々が常識と思っている知見に「本当にそうなのか?」と水を向ける部分もあり(もちろん詳しくは書けないが)、その意味でなかなか興味深かった。
 180ページちょっとの短い紙幅ながら、数時間分はみっちり楽しめる一作ではある。評点は、前述した終盤のある謎解きポイントが印象的なので、0.5点おまけ。

 なおニールスンの長編は、まともな一般向けの翻訳は本書を含めて二冊だけ。短編の邦訳が多くてもすぐには読めないだろうし、現在では忘れられた作家ということになるだろうが、実はデビュー当時からバウチャーなどに評価され、処女作などもやはりバウチャーが選んだその年のアメリカ作品ベスト10に選出されていたそうである。まだなんか面白そうな未訳作品が残っていたら、発掘してほしい気もしないでもない。

余談:ポケミスの本書の裏表紙の作者の顔ビジュアルは、写真でなく似顔絵のモノクロイラストを使用。トマス・スターリングの『ドアのない家』の初版(再版は割愛)同様の仕様で、歴代ポケミスの中では珍しい一冊のハズである。他にこんなの、あったっけかな。


No.413 9点 死にいたる火星人の扉
フレドリック・ブラウン
(2018/10/11 02:53登録)
(ネタバレなし)
 猛暑の8月。シカゴで叔父(アンクル・)アムとともに零細私立探偵業を営む青年エド・ハンターは、赤毛の若い娘サリー・ドーアの訪問を受ける。彼女の相談内容は、自分が火星人に命を狙われているので護衛してほしいというものだった。精神科か警察に行くようサリーに勧めたエドだが、相手は相手にされないことをなかば覚悟していたような感じで退去。その仕草が気になったエドは、結局、とりあえず一晩だけの約束で彼女のアパートの隣室で護衛役を引き受ける。だがその夜、サリーは外傷のない突然死を遂げた。彼女の死を看過する形になって悔恨の念を抱くエドは、アムの協力を得ながらサリーの後見人の親戚一家に接触、そしてサリーの妹のドロシーとも対面する。それと前後して、火星人と名乗る者が電話でエドとアムに連絡。火星人は、サリーを殺したのは我々ではない、事件を調べてほしいと告げ、いつのまにか事務所に千ドル紙幣をひそかに置いていった。

 1951年のアメリカ作品。私立探偵エド&(アンクル・)アムものの第五長編。シリーズ第一作『シカゴ・ブルース』で初心だったエドは十分にセックスも楽しむ青年探偵に成長している(劇中に情事のシーンなどは全くないが、登場するヒロインに向けて、エドがそっちの関心があることをワイズクラックで匂わせたりしている)。
 本書は評者にとって何十年ぶりかの再読のはずだが、初読当時、実に面白かったこと以外さっぱり内容は失念。しかしながら本書は自分が出合ってきたオールタイムのミステリ中でも最高クラスに魅惑的なタイトルの響きであり、その意味も踏まえていつか読み返したいと思っていた。
(だってステキではないか。地球に来訪するなら円盤かワープ、テレポーテーション技術の方が似合いそうな火星人の用いる通路がフツーの「扉」で、しかもそれが謎めいた「死にいたる扉」という妖しげで幻想めいたものなんて~笑~) 
 でもって一昨日、ようやく本が自宅の蔵書の中から見つかったのでいそいそと読み出したが……あああ、期待以上に、最強にオモシロい! 
 エドとアムがなじみの警察官フランク・バセット警部の協力を得ながら関係者を尋ねてまわり、第二ヒロインである妹ドロシーやさらに登場の美女モニか・ライト(エドたちの事務所に短期の秘書仕事の応援にやってくる)たちと関わり合うなかで、ついに第二の不可能興味っぽい犯罪が発生。エドの疑念のポイントは改めて、いかに姉サリーが殺されたかのハウダニットに絞り込まれつつ、物語はハイテンポに進んでいく。特にエドがある仮説を思いつき、サリーのアパートで実地検証を重ねるあたりのゾクゾク感はたまらない。
 キャラクター描写も味があり、なかでも後半、自分の至らなさから犠牲者を出したと自責の念を覚えるエドがサリーの元カレの青年ウイリアム・ハイパーマンに接触。エドが自分のストレスを彼とのボクシングの試合でさらけ出したのち、そのウイリアム当人や彼の家族と奇妙な心の絆を感じあうあたりなんか本当にいい。なんかとても丁寧に演出された、50年代アメリカのヒューマンテレビドラマみたいだ。
 青春ハードボイルドとしては大沢在昌の佐久間公(もちろん若い頃の)チック、不可能犯罪の興味としては、どっかJ・D・カーのB級作品風であり「これだ、俺はこーゆー作品を読みたかったのだ!」という感じで、夕方から読み始めて夜中の午前3時、眼が痛くなるのも押していっきに最後まで読了してしまった(笑)。
 最終的な謎解きミステリとしては一部チョンボかという部分もあるかもしれんし、ヒトによっては解決の一部、さらには手がかりや伏線の甘さ、トリックの現実性の無さに呆れるかもしれんが、個人的には本を読みすすめ、残りページが少なくなってくる中でまだ事件の真相、火星人の正体、いくつもの謎が残されている間のテンションが正に快感であった。出来不出来いかんを越えて、評者としては題名・設定もふくめて、こういう作品が大スキということでこの評点(笑)。


No.412 6点 野球殺人事件
田島莉茉子
(2018/10/08 16:51登録)
(ネタバレなし)
 昭和二十年代。日本のプロ野球界は沢村栄治などの巨星を先の戦火の中に失いつつも、世の中の絶大な人気を集めながら復興していた。そんな中、新進探偵小説作家の坂田兵吾は、先に復員してきた同窓の旧友で、プロ球団「東京ホワイト・ソックス」の花形エース、沢井誠一からある日、相談を持ちかけられる。それは沢井自身を含むチームメイトの周辺に、八百長を強要する小悪党が出没。その対応に苦慮しているという内容だった。坂田はソックスの面々にさりげなく接触して実状の確認を図るが、八百長に加担していたらしいチームメイトの一人が数万の観衆の目前で毒殺される事件が勃発する。やがて事態は、不審な密室殺人をふくむ連続殺人事件へと発展して……。

 昭和23~24年にかけて短歌雑誌「八雲」に連載され、昭和26年に岩谷書店から刊行された長編ミステリ。作者名を逆さに読むと「こまりました」となる覆面作家の正体が、メインの執筆は「紙上殺人現場」の大井廣介(広介)、さらに執筆協力者が埴谷雄高と坂口安吾というのは、現在では定説となっている(ようだ)。
 ミステリ戦後昭和史についての記述を探求すれば時たま出てくる一冊のはずで、以前からいつか読もうと考えていた。それで今年の夏に思い立って、割合廉価だった状態の良い古書(復刻版)を通販で購入(1976年に深夜叢書社が「野球殺人事件刊行連盟」の刊行者名で復刻した限定1000部の箱入り上製本)。このたび読んでみた。
 序盤から数万人単位の観衆の目前での殺人という派手な趣向で(有馬の『四万人の目撃者』が1958年の刊行だから本書の方がずっと早い)読者を掴みにかかる。さらにキャバレー内の数十人の衆人の中での殺人、夜陰のなかの狙撃事件、安アパートでの不思議な密室殺人……とギミックは目白押しに盛り込まれ、その辺のサービスぶりは作者(たち)がいかにも趣味で楽しみながら著した謎解きミステリという感じでとてもよろしい。犯罪現場にひとつひとつ、登場人物はその時ここにいた、という配置図を用意する趣向も気が利いている。ただしまあ、一件ごとの犯罪が散発的で、相乗感と加速感に乏しいのはナンだけど。
 密室の実態が今となっては旧弊な機械トリック系だが、これは個人的にはご愛敬で許せる。細々と伏線を説明して回収していく手順も、全体の連続殺人の意外な真相も、それぞれなかなかよろしい。動機はいかにもこの時代の……という感じのもので、その意味ではある種の感興もおぼえる。問題は犯人のある行動がかなりラッキーな成り行きを前提視していることで、もし(中略)だったら……かなり危なかったんでないかとも思ったが、まあここも許したい(笑)。
 ちなみに最後の二行はイヤな感じだが、まあいかにも娯楽ミステリに文芸作家らしい苦みを一さじ加えて終えたかった送り手の気分もうかがえ、そう思えば可愛く見えて来ないこともない。
 坂口安吾ミステリのファンなども、これは話のタネに読んでおいてもいいでしょう。

余談1:主人公の坂田は以前(戦前?)に『Yの悲劇』を翻訳したという設定である。モデルが推定できるかな。
余談2:この1976年の復刻版は内容の確認もなく刊行したのかどうか、主人公・坂田の妻の名前の八重が一部だけ八重子になってたり(51ページ)、当初は専務という設定で登場したホワイト・ソックスの幹部の戸村鎌十郎が94ページでは「事務」になってる。専務と事務じゃ大違いだと思うんだけど(笑)。こういう誤植も珍しい。

■注意……作中で『グリーン家』『黄色い部屋』『三幕の悲劇』をモロネタバらし。『黒死館』『Yの悲劇』の真相にもちょっと踏み込んでいる。本書をこれから手にする読者でその辺を未読のヒトはそういないと思うけど、一応、警告しておきます。


No.411 7点 バーナビー・ラッジ
チャールズ・ディケンズ
(2018/10/06 16:31登録)
(ネタバレなし)
 1775年の英国のコーンヒル地方。教会書記で鐘楼役でもあるソロモン・デイジーは地元の酒場兼宿屋のメイポール亭で、22年前の1753年3月19日、近所の貴族の館ウォレン屋敷で起きた事件を語る。その話の内容は、当時の屋敷の主人ルーベン・ヘアデイルが何者かに絞殺され、事件に巻き込まれた用人バーナビー・ラッジも数ヶ月後に変死体として池の中から見つかった惨劇の記憶であった。そして22年後の現在、奇しくも事件と同日に生まれたラッジの長男で父と同じ名を受け継いだバーナビー青年は、白痴だが動物と母親メアリーを愛する純朴で屈強な若者に育っていた。一方、ウォレン屋敷を継承したルーベンの弟ジェフリーは、亡き兄の美しい娘エマを慈しみ後見するが、そのエマは土地の貴族ジョン・チェスターの嫡子エドワードと恋に落ちる。だが旧敵ともいえる間柄のジェフリーとジョンは、若き二人の交際を決して許さなかった。バーナビー青年やメアリーの元ボーイフレンドの鍵職人ゲイブリエル・ヴァーデンたちが、エマとエドワードの恋模様を含めた土地の事態の成り行きに関わる中、英国ではカトリック教徒を主体とした旧体制に反発する民衆の過激活動の機運が渦巻き始めていた。

 1841年に作者ディッケンズ(当時29歳)が、自分が編集刊行する雑文雑誌「ハンフリー親方の時計」に連載開始した大長編。ディッケンズの処女長編『骨董屋』に続く第二長編で、初出時には「バーナビー・ラッジ~1780年の騒乱の物語」という副題がついていた。
 近代ミステリ史においては、初の小説作品集『グロテスクとアラベスクの物語』を1839年に刊行したばかりの米国のエドガー・アラン・ポーが掲載誌を読み、連載早々この作品に仕掛けられた(当時としては)衝撃的な××××××トリックを見破ったという逸話で有名な物語でもある。もちろん全編が犯罪の捜査と推理に関わる内容ではないので純然たるミステリとは言いがたい面もあるが、一般に世界最初の長編ミステリと謳われるガボリオの『ルルージュ事件』(1866年)よりも四半世紀早い。そういう歴史的な意味も持つ。
 これらのミステリ史的な経緯を大昔に中島河太郎の著作『推理小説の読み方』で知った評者は、やはりウン十年前に本作を所収してある集英社の「世界文学全集 第15巻 ディッケンズ編」(1975年)を購入(この版が初訳で完訳のはずである)。そのうち読もう読もうと思いながらも、何せ大筋としては骨太な群像劇で英国18世紀を舞台にした大長編ロマン、翻訳としても概算で400字詰めの原稿用紙1800枚に及ぶ(!)ボリュームなので敷居が高かった(汗)。それでこのたびようやっと一念発起して、5日間かけて一気に読んでみた。いやまあ……人物名のメモを取りながらページをめくったが、例によってのことながら、やっぱりこの手の古典作品の重厚感は、別格的に面白い。
 名前の出てくる登場人物は30~40人ほどでこの長尺の物語の割に決して多くはないが、その分、相応の劇中人物は本当にキャラクターが立っている(本来は主人公として構想されていたらしい中年の鍵職人ヴァーデンや、数奇な運命を辿るならず者のヒュー、そしてエマとヴァーデンの娘ドリーの二大ヒロイン、メイポール亭のウィレット親子……ああ、きりがない!)。本来はまっとうな社会改革の理念を掲げていたはず(?)の民衆が狂乱の暴徒と化していくあたりの迫真の描写は、本書の巻末で訳者・解説の小池滋が語るとおりことさらディッケンズのイデオロギーとは無縁なのだろうが、人間の愚かさと浅ましさ、それに対照される気高さと陽気さをロマン小説という形質のエンターテインメントで語ろうとした作者の意図とたぶん直結している。この騒乱の中でたくましい体格ゆえに革命側の旗持ち役を託され、いつしか(虚飾の)英雄的なポジションへと祭り上げられていく青年バーナビーの立ち位置も良い。
 
 ちなみに謎解きミステリ的には、まともな部分だけ掬い上げれば確かに全体の紙幅の20分の1もない。ぶっちゃけていえば、この趣向が無くても18世紀後半の騒乱劇の大筋には大きな影響はないかもしれない(ディッケンズがポーに大ネタを早々と見透かされたことが悔しく、本来はもっと謎解き小説っぽくする腹案を変えた……という可能性もあるのだろうか。ちなみに本作は、ディッケンズが構想だけで、5年もの歳月を要したそうである)。
 ただしそれでも感心したのは、くだんの前述の大トリックを追いかける本文中の叙述を、見事なまでにフェアな筆致で書いてあるところで(集英社の全集版の164ページ、ラッジ母子がある場所に向かう場面など)、なるほどディッケンズ、近代ミステリ史を探求する上で、これは見過ごせない存在であったと改めて実感した。まあこの辺は、翻訳の小池滋の演出もうまいのだろうが。

 のちにさらに本格的なミステリとして書かれた『エドウィン・ドルード』はちゃんとそのつもりで読んでも面白かった。そう考えると改めて、同作『エドウィン~』が未完に終ったことは残念であり、そして文学史上の永遠のロマンになったとも思いを馳せる。


No.410 6点 中空
鳥飼否宇
(2018/10/01 19:21登録)
(ネタバレなし)
 作者の作品はこれで7冊目。「観察者」シリーズは最新作の『生け贄』(2015年)についでまだ二冊目だけど、十分に楽しめた。デビュー作からこの安定感と完成度というのは大したものだと思う。
 荘子と竹林という二大ファクターを核とする閉ざされた世界という舞台装置を知って、何となく面白そうだと期待して手に取り、これはアタリ。
 損壊された死体の扱いは強引な気もするが、この辺は作者もわかってやったことであろう。それよりももうひとつの大技で、海外の某名作短編ミステリを想起させる××トリックの方に唸らされました。伏線も、作者がニヤニヤしながらあちこちにばらまいている感じで、その辺りも実に好ましい。
 ただまあBLOWさんのレビューにある、多重解決の本当の真相の方が、先のダミーの謎解きに比べてパンチ不足というのもわからないでもないので、評点はこのくらいに。


No.409 4点 悪魔の舗道
ユベール・モンテイエ
(2018/09/29 15:32登録)
(ネタバレなし)
 1950~60年代のフランス。「わたし」こと、社会に出たばかりの地理と歴史の新任教師エマニュエル・バルナーブ青年は、閑寂な地方都市の「テュ・ゲクラン高等中学」に奉職した。だが彼の周囲の同僚や町の人は、少ない収入のなかでとんでもなく食費のかかる大型犬を室内で飼ったり、子豚と同居したり、喪中でもないのに葬儀用の手袋を嵌めたり、さらには犬の耳のついたソクラテスの鏡像を飾ったり、と奇妙な行為をとっていた。やがてエマニュエルは、この町の住人の多くは「嬌正不能不品行者対策道徳援助地区委員会」なる謎の人物から、世の中に知られたくないおのおのの秘密を探られて匿名の手紙で脅迫され、クレイジーな行為を強要されていたと知る。「委員会」の新たな標的に選ばれたエマニュエルは脅迫される町の面々と連携し、謎の敵の正体を探ろうとするが。

 1963年のフランス作品。ポケミスの初版は1969年9月30日刊行。
「ミステリマガジン」2013年11月号のポケミス60周年記念特大号のアンケートの中で、日下三蔵氏がポケミスのマイ・オールタイムベスト3のひとつに上げていた作品。日下氏は本作を(他の二冊とともに)「強烈なサスペンスでラストまで一気に読まされただけでなく、どんでん返しでアッと声を上げてしまった」と評価してる。それで「ほほう」と思い、古書を購入して読んでみた。

 ……しかし、これはダメでしょ。エマニュエルが委員会の存在を知り、町を支配する正義の悪意に迫ろうとする前半の中途まではよいのだが、その前後からの登場人物の思考が、ことごとくおかしい。
 というのもエマニュエルが参集した被害者団体のなかには、委員会に脅迫される秘密のネタとして、実はかなり凶悪な犯罪(具体的にいうなら通り魔的に女性を連続殺害したのち屍姦)まで為した者がいる。当然、周囲の者はその事実を知って驚きおののくのだが、そこで土地の司祭が「この人はもう告解も済ませてる、自分がそれゆえにこの人の人柄を保証する」という主旨のことを語り、一同を納得させてしまう。……いや、理解できねえ! この思考と神経。
 実は、主人公のエマニュエル自身も相応の不祥事(ばれたら刑務所入り確実)を起こしており、その秘密が他の人に露見しない方が委員会の正体を追うより優先される事項じゃねーの? と思うのだが、委員会の追求のために自分の罪をあっさりと告白してしまう(真実を晒すべきか否かのドラマ的な葛藤などがあればまだ分かるが、そういう要素は微塵もない)。警戒心ってものがないの?
 それでも中盤からの主人公とある人物との成り行きはちょっと面白くなる感じだったので、このままその日下氏の言う「どんでん返し」まで行くのかな、と思いきや……いや、何がどんでん返し? サプライズ? 何もないじゃん。
 あるのはわかるようなわからないような、キリスト教と民俗社会学を背景にした作者の思弁だけ。言いたいことって、結局「××を握った者は(後略)」ということですか? 
 序盤の掴みは悪くなかったんだけどな。全体としては、フランスものにたまにある頓珍漢作品という感じであった。


No.408 5点 高校殺人事件
松本清張
(2018/09/26 17:52登録)
(ネタバレなし)
 元版のイラスト入りカッパ・ノベルス版で読了。
 大井廣介(広介)の「紙上殺人現場」だっけ。これの評で「今の高校生は普通に大人向けのミステリ読むんだから、わざわざ高校生向けと銘打ってこんなの書くことはない」と書いてあったの。いや21世紀のラノベミステリ全否定ですな(笑)。まあラノベって、もうちょっと下の年齢層からも読むかもしれんけど。
 ついでにその「紙上~」だったかどっかの書評で「読者はこの作品の犯人を当てることはできない。なぜなら(中略)」と書いてあったと思うけど、実際に読んでみると……なんだ、犯人は、一応(中略)。

 しかし実作を通読してみると、主人公チームを冒頭から7人と明確に設定しながら、ものの見事にいてもいなくてもどうでもいい、中島くん・山口くん・手島加奈枝さん。この三人の存在感の無さは逆の意味でスゴい。
 さらに清張、終盤でもうこの主人公チームに探偵役としての伸びしろがないと見切ったように、新ヒロインのさち子を登場させる臆面の無さに爆笑しました。乱歩の『猟奇の果』で、物語のやりくりがつかなくなってから明智が引っ張り出されたのといい勝負ではなかろうか。
 いやいろんな意味で楽しい作品ではあった(笑)。そんなにホメんけど。


No.407 5点 ヒネモス・のたり氏は名探偵
胡桃沢耕史
(2018/09/26 17:35登録)
(ネタバレなし)
 フランス語修学の仕上げで実習するためパリに来た19歳の日本人娘・野田ひとみは、現地でパスポートと財布を盗まれた。頼る当ても帰国の術もない彼女は娼婦に身をやつそうかと考えたが、そんな彼女を救ったのは日仏ハーフの65歳の中堅画家ヒネモス・のたりであった。ひとみは心優しき老紳士ヒネモスに処女を捧げ、彼の寛容な妻エレーヌと妻妾同居の関係になる。そのヒネモス画伯には素人名探偵というもうひとつの顔があった。

 全7話を収録した軽めの微エロ連作ミステリ。トリッキィな話はそうないが、パリの仲間たちを交えたレギュラーキャラクターたちが普通の探偵活動の枠に収まらない、正義のための暗殺などまでこなす。この辺のバラエティ感はちょっと楽しい。ただまあ第6話、ガチで性転換の話題に迫る内容の濃さは、さすがこの作者だなあ、という感じ。清水正二郎名義の作品はまだ一冊も読んでないけれどね。


No.406 5点 やさしい死神
フレドリック・ブラウン
(2018/09/26 17:14登録)
(ネタバレなし)
 メキシコに近いアリゾナ州ツーソンの町。その年の四月、初老で独身の不動産業関係者ジョン・メドリーの自宅の庭の木に、中年男の死体が寄りかかっていた。メドリーは隣人のアームストロング夫人の電話を借りて警察に通報。メキシコ系の青年刑事フランク・ラモスとその相棒で「レッド」こと赤毛のファーン・ケイハン刑事がやってくる。やがて後頭部を銃で撃たれた死体は、しばらく前に妻子を事故で失ったユダヤ系の移民カート・スチフラーと判明。殺人か? それとも人生に諦観したスチフラーが何らかの事情で無理な姿勢で後頭部を撃ち、その後拳銃がどこかに行ったのか? と可能性がとりざたされるが、ラモスは捜査を進めるなかである疑惑を抱いた。

 1956年のアメリカ作品。もともと評者は良くも悪くもフレドリック・ブラウンのミステリに対し、ホームランや大ヒット作品は期待していない。なんかキラリと光ったり、どっか心に残るものがあればいいなあ、という感じだが、そういう意味でスキな思い出の作品はいくつかある。まあそういうのって、読み返してみたら評価がずいぶんと変わっちゃう可能性も大きいんだけれど。
 本作もミステリとしての大ネタは(中略)バレバレなんだけど、小説としての狙い所はなんとなく分かるような気がして嫌いにはなれない。最後まで読むと察せられるけれど、実はこれは30男が苦い現実のなかで成長する青春小説なのである。あんまり詳しくはいえんが。そのためにミステリとしてのギミックも、当該人物が向かい合うもうひとつのドラマも機能する。なお本作のラストは今おっさんになって読んでもちょっとしみじみしたけれど、若い内に手に取っていたらもっともっと心に染みたかもしれない。これから本書を紐解く人がいい人生のタイミングで出合うことを願う。
 でもって本当は6点くらいあげてもいいんだけど、さすがに前半(あえて曖昧に言います)のあの大嘘の描写はないでしょ(汗)。私ゃあんまりしれっと書いてあるもんだから、これは確信行為で何か大技を仕掛けてくるのかと思ったよ。ここまでブラウンがミステリとしての禁則事項に無頓着とは思わなかった。苦笑しながらそれでもどっか憎めず、この評点。


No.405 7点 犯罪の進行
ジュリアン・シモンズ
(2018/09/26 16:46登録)
(ネタバレなし)
 その年の11月5日。英国の片田舎の町ファー・ウェザー。地方新聞「ガゼット」の若手記者ヒュー・ベネットは、そこで行われる特別仕様のガイ・フォークス祭を取材に赴く。だが同地で彼が夜陰のなかで出くわしたのは、土地の顔役ジェイムズ・レントン・コービーが、数人の少年らしきグループに刺殺されるその現場だった。犯人と思われる少年グループは逮捕されるが、それと並行して事件の情報はロンドンにも届き、大物新聞「バンナー」の上層部が関心を抱いた。「バンナー」は「フリート街きっての事件屋」と異名をとる敏腕記者フランク・フェアフィールドをファー・ウェザーを派遣。複雑な事情がからむ少年犯罪として探らせようとする。一方、スコットランドヤードからは、苦い過去を秘めたベテラン警部フレデリック・トイッカー警部が出向。多くの者の思惑と疑念が渦巻く中で、グループの中の誰が主犯か共犯か、従犯かの疑念が高まる。やがてそんな中でもう一つの殺人が……。
 
 1960年のイギリス作品。翌61年度MWA最優秀長編賞に輝いた一作。『二月三十一日』がすごく面白かったシモンズだから本作も楽しめるだろうと思ったが、予想以上の充実感だった。誰だ、シモンズが「評論家としてはともかく作家としては……の眼高手低」と言ったの?(正解は石川喬司だったと思う。)いやそういう評者も、大昔に読んだ新潮文庫の二冊(『殺人計画』と『ホームズの復活』)は、まあ悪くはないがそれなり……程度の感触ではあったけれど(笑)。
 名前が出てきてメモを取った登場人物の総勢が54人にも及ぶ一大群像劇で、リーガルサスペンス。さらには少年グループ内のキーパーソンである若者レスリー・ガードナーの姉ジルと恋仲になってしまった主人公ヒューの恋愛模様や、捜査官トイッカー警部の過去の悲劇まで浮上してくる濃密な一冊である。(ちなみにトイッカーの過去設定って、昨年翻訳された某・大作警察小説の主人公のルーツじゃないかと? そっちの作者が意識したかどうかは知らんけど。)
 ラストは、ミステリがミステリとして落着する定型のなかでどうしても読めちゃう部分はあったけど、実に重量感のある秀作であった。いいなあ、シモンズ、残りの作品も楽しみだ。

余談:シモンズの(この作品だけ?)悪いクセについて、ひとつ言及。地の文をふくめて先にハウスネームだけ情報として出して、あとでファーストネームを明かす書き方はいい加減にしてほしかった。人名メモをとるのが実に面倒で。ただでさえ登場人物が多いのに。これは翻訳のせいではないよね? 翻訳そのものはさすが小笠原戸豊樹。時たま聞き慣れない言葉は出るが、全体的にはとても読みやすかった。


No.404 7点 ドアのない家
トマス・スターリング
(2018/09/26 15:46登録)
(ネタバレなし)
 1914年の春。大企業「カーペンター鉱業会社」の創業者の一人娘ハンナ・カーペンターは、父との死別と失恋の痛手から、ニューヨークはマディスン街の高級ホテル「ホテル38」の一室に閉じこもる。父が遺した莫大な資産とハンナ自身の株式投資の才能から彼女は金銭的にはまったく困ることなく、ゆるやかに財産を増やしながら世界大戦の時代を経て、1948年の現在まで34年間、同じホテルの自室のなかで暮らし続けた……。外界との接点は、ハンナに奇妙な親しみを感じ、献身的に食料や図書館の本を調達してくる妻帯者の給仕アーサー、そして定期的に配達される新聞や雑誌のみ。だがその夜、ハンナはふと思いついて、ついに外の世界に出る。レストランで出合った青年ディビッド・ハマーの招待を受けたホームパーティを経て、予想外の殺人事件に巻き込まれるとも知らずに……。
 
 1950年のアメリカ作品。山口雅也がミステリマガジンの人気連載「プレイバック」(現在は「ミステリー倶楽部へ行こう」に所収)で言及していた一冊で、名作『一日の悪(わずらい)』でも知られる作者スターリングの第二長編。
 まずこのぶっとんだ中年ヒロインの設定(どっかウールリッチの『聖アンセルムホテル923号室』の、あの話とかのエピソードを想起させる)がキャッチー。ある意味ではサイコっぽい? 性格設定にも感じられて、実際に彼女に傅く給仕アーサーも陰でハンナを「気違いばばあ」と揶揄している(ただしアーサー自身は悪い人間でもイヤな奴でもない)。とはいえこのハンナの「世界」の特異性は「時はこの部屋の中では止まっている」という切ない勘違いにある。それゆえたとえば彼女は、有り余る財産に頼って一度好きになった食材の大量の缶詰を買い込んで備蓄(時には特注で缶詰業者に作らせる)。それを十数年後に平気で開けたりするのだが、さすがに腐敗。そこで時は永遠に止められないなどと実体験的に学習したりするので、そういう描写を通じて読者はハンナが「おそろしく奇矯な素性だが真性のクレージーではない」という情報を与えられる。この辺のキャラクターの語り具合はうまいもんである。

 文芸小説としてのこの物語は、もう取り戻せないいびつな長い人生を歩んできたハンナが、この事件を経て新たな明日に踏み出て行く変化球のビルディングスロマンだが、フーダニットの興味も導入したサスペンスミステリとしても十分によく出来ている。
 特に中盤、本作ももう一人の主人公である青年刑事ケヴィン・コンリが殺人事件の謎を追うようになってから、双方の物語のベクトルがらせん状にからみ合い、強烈なページタナーの作品となる。ハンナが関わった5人のなかに真犯人はいるのか? 誰か? そしてハンナに迫るのはその殺人者の影か? コンリの動きは? というもろもろの求心力が高まるなか、残りページがギリギリまで少なくなっていく緊張感は最強で、しみじみと余韻あるラストまで存分に楽しめた。真犯人が絞られるロジックは、なかなか鋭いといえるものあり、反則あり、それはちょっとどうなんでしょう? と言いたくなるものあり、とさまざまではあったけど。
 『一日の悪』も楽しんだ評者としては、未訳の第三長編『THE SILENT SIREN』も、今からでもぜひとも読みたいなあ。論創さん、こういうものこそ、そちらの出番です。


No.403 7点 消された女
リチャード・S・プラザー
(2018/09/26 14:03登録)
(ネタバレなし)
「おれ」こと、ロサンゼルスの私立探偵シェル・スコット(30歳)は、20代後半の金髪の美女ジョージア・マーティンから、行方不明の妹トレーシィを見つける協力をしてほしいと頼まれる。だがジョージアはスコットに捜索を一任せず、妹を見つけるため、一日100ドル+必要経費で、彼女が望むときにいっしょに行動してほしいと願い出た。何かあるなと思いつつ、ジョージアに随伴してナイトクラブ「エル・クチロ」に赴くスコット。そこでは美人ダンサー、リーナ・ロヤールがエキゾティックな踊りを披露したのち、ナイフ投げのショーの相方を務めていた。スコットとジョージアはリーナを含む店の関係者数人に接触し、店を出る。だがそこで謎の人物が放った一発の銃弾が、ある者の命を奪った。

 1950年作品。21世紀でも未訳長編の発掘がなされて日本ではそれなりに恵まれている、私立探偵シェル・スコットシリーズの第一弾。
 アクションあり、適度に込み入った人間関係の綾あり、下品にならないお色気あり、そしてダイイングメッセージの謎(これ自体はそれなりのものだが)や、後半に明かされて物語の様相が大きく様変わりする意外なサプライズなどちゃんとミステリ的な興味の準備もあり、と、非常にバランスの良いウェルメイドな軽ハードボイルド。スコットの、時代に連れて推移していくロサンゼルスの都市文化観(P76)や、独特な拳銃哲学(P188)など、作者が自作の小説のなかでちょっと言っておきたいこともいい感じのスパイスになっている。
 特に後者の拳銃へのこだわりは、数年前に翻訳されたプラザーの長編『墓地の謎を追え』での拳銃の謎(被害者を射殺した弾丸の条痕が、事件の起きた時刻、スコットの手元にあった彼の拳銃のものとなぜか一致する)を連想させて楽しい。
 先年他界されたベテラン訳者・宇野輝男の訳文も悪擦れしない感じで軽妙で、一冊のエンターテインメントとしてとても面白かった。あと何かもうひとつ、スコットの内面の葛藤を覗かせる観念のソースでもかかっていてもよかったかとも思うが、そういう方向に色目を使わなかった潔さこそが素敵な作品なんだろう。
 
 最後にポケミス裏表紙のあらすじ紹介は希に見るデタラメさで笑った。リーナはストリップしません。パンティをステージ上で脱ぎません。射殺事件も店内で起きません。ジャロロ(©『Piaキャロット2』の玉蘭)に言いつけちゃうぞ。確認してみたらこのあらすじ、2013年11月号の「ミステリマガジン」(ポケミス60周年記念特大号)巻末の、全ポケミス裏表紙再録でもそのままです。まあわざわざこの膨大な冊数をチェックする人員も時間もないだろうけど。いつかどっかのミステリ同人でインチキポケミスあらすじベスト10とかの企画やらんかなー。大笑いできそうだ。
 評点は0.5点ほどオマケ。


No.402 6点 不思議なシマ氏
小沼丹
(2018/09/17 12:06登録)
(ネタバレなし)
『春風コンビお手柄帳』に続いて刊行された一冊。こちらは小沼の大人向けの未書籍化作品を集成してある。表題作は主人公の青年ナカ(シマナカ)が出合った美女トンビと謎の奇人シマ氏の関わりをからめながら、殺人? 事件の謎に迫っていく軽妙ミステリで、これはまあ、良い意味で作者に鼻面を掴まれて振り回される楽しさを味わえば十分だろう。巻頭の短編『剽盗と横笛』は日本版「マンハント」とかに掲載される、今で言うノワールものの翻訳短編のような感触で、これもミステリとして悪くない。
 ほかの三編、西洋ラブコメ? 時代劇『ドニヤ・テレサの罠』、民話風の『カラカサ異聞』、海洋漂流冒険譚の『初太郎漂流譚』(これと『シマ氏』が本書の中では特に長め)、それぞれに好テンポでページをめくらせ、気がついたら一冊を読み終えていた。
 『春風コンビお手柄帳』ともども本書は「小沼丹生誕百年記念刊行」の叢書の一冊だが、各書の巻末には、当時の初出の雑誌の誌面現物のビジュアルまで採録した本当に丁寧な解題が付されており、ここまで手をかけた送り手の気概と作者への敬愛の念に感嘆する。
 ほかの作者の旧作復刻も全般的にこのレベルでやってくれたら、日本の出版文化はさらに向上するだろうな。


No.401 5点 春風コンビお手柄帳
小沼丹
(2018/09/17 12:06登録)
(ネタバレなし)
 チェスタートン風の味わいと言われる、女性教師が主人公探偵の連作ミステリ短編集『黒いハンカチ』。そういう隠れた(一時期はそうだった)名作があるらしいことは、80年代の「本の雑誌」あたりで初めて知ったと思う。ただしその時点では1958年刊行の初版は稀覯本だったし、93年に同作が創元推理文庫に入った際には読む機を逸し、ついに今日までそのまま過ごしてしまった(そのうち読みます~汗~)。
 そんな訳で、今回、手に取った今年の新刊(今まで未書籍化だった小沼の作品を集成したシリーズの一冊)が評者の初めての小沼作品となった。
 本書は「高校時代」「ジュニアそれいゆ」「女学生の友」など昭和のティーン誌に掲載された複数の作品をまとめたものだが、連作の二シリーズ「モヤシ君殊勲ノオト」「春風コンビお手柄帳」が特に普通のジュニアミステリっぽい。後者は似鳥センセの今年の新刊『名探偵誕生』に似た雰囲気もあるね。
 ことさら強調的に語るミステリ的なギミックはそう多くないが、わかりやすい例でいえば仁木悦子の諸作をさらに若者に向けた視線で語ったような居心地の良さは楽しめる(シニカルな味付けもちょっとある)。
 そのあとに収録された、独立した短編4作もそれぞれの持ち味。なかには普通の青春小説的な作品もあるが、謎の美少女に傾いていく心の推移を語る「窓の少女」など、手法としてはミステリっぽい感じの仕立てもあり、このサイトに来るようなミステリファンにも楽しめるだろう。
 ただまあ、自分でもあらかじめ自覚的だったのだが、本書をしっかり楽しむには先にそれなりに他の小沼作品に通じてからの方が良かったような気もする。単品で本書だけ読むと、何かを見落としてしまいそうな、そんな警戒感を抱かせるところもある。
 評点は小沼作品の素人のつけた、一つの例ということで、こんな感じ。


No.400 6点 殺人ごっこ
左右田謙
(2018/09/16 19:40登録)
(ネタバレなし~途中までと最後は)
 Amazonの高い評価と、本サイトのnukkamさんのレビュー内のコメント「明かされた真相には驚きのどんでん返しが用意されてあります」に気を惹かれて読んでみた。今回は再刊・改題版の春陽文庫の方で読了。

 ミステリアスな導入部、途中のいかにも昭和の通俗作品っぽい男女の情欲や汚職などがからむ人間模様、作者が教師ということもあってかなり緻密に描き込まれた学園内・教師職の就業システム……とやや、ごった煮的な感じだなと思いながらページをめくっていくと、後半から捜査陣側の若手刑事に主人公が交代。清張の一時期の長編風な作りであった。
 それで肝心のサプライズだが、ああ、こう来たか、という感じだった。仕掛けそのものはシンプルとも大技ともいえるものだが、その作為の向こうに劇中人物の強烈なキャラクターが覗くあたりは、かなり好ましい。終盤にニヤニヤ笑いながら己の思惑を語っているのであろう、某登場人物の黒い思考には、ゾッとするものを覚えた。
 全体的にもうひとつ、こなれの悪い作品だけど、狙いをうまく活かしたという意味では成功作だろう。

■以下 少しネタバレ


問題なのは題名だよなあ。旧題も改題の方も、どっちも最後まで読むとかなり大ネタを暗示していることがわかる。実は(中略)ということに、気がつく人はそれぞれの書名だけでピーンと来てしまうのではないか。


■ネタバレ終了

余談1:しかし途中の叙述「こういう女は推理小説を読まないということで、教養の高さを示したがるものである」という文節には爆笑しました。そういうもんなのか(笑)。
余談2:春陽文庫版の239ページ。とある謎の重要人物についての身体的特徴の情報が、いきなり捜査陣の前にしれっと出てきているような……。いつか本書を読むことがあったら、なんとなく覚えておいてください。


No.399 6点 天使の唄
三好徹
(2018/09/15 12:45登録)
(ネタバレなし)
 三好徹の著作「天使」シリーズ連作で、毎回の女性(それの暗喩が天使)がらみの事件を追う、横浜支局に勤務する30代半ばで独身の新聞記者「私(本名は未詳)」は、かつて「マーロウそっくりの主人公」と称されたこともある(長編作品『天使が消えた』のミステリマガジンの当時の書評より)。
 評者はくだんの『天使が消えた』はまだ未読(いつか読もうと思っているうちに蔵書がどこかに行ってしまったいつものパターン)だが、シリーズの本筋といえる連作短編の方はつまみ食いながらそれなりに目を通しており、先に紹介した和製マーロウという評価にも納得している。
 時に皮肉や諧謔を交えながらも、事件の関係者に随時注がれる冷めた優しい視線、横浜という潮風の香る土地柄と密着した舞台設定……。何より秀逸だったのは主人公のくたびれ具合を語り出すために、原典まんまの貧乏私立探偵ではなく新聞地方局のちょっとだけやさぐれた記者という設定を用意したこと。この一回ヒネリが、実にそれっぽさを醸し出している。これはもちろん作者の三好自身が読売新聞の横浜支局にいた経歴にも由来しているんだろうけれど。
 日本でも80~90年代になると文壇や読書人間のチャンドラー観はまた、良くも悪くもいろんな雑協物的な視点が頭をもたげてくるのだが、少なくともこの70年代初頭に権田萬治あたりが特に強く語っていた双葉&清水チャンドラーらしいセンチメンタリズムとリリシズム、そして譲れないコードとしてのハードボイルドのちょっと醤油味風の味わいを、この「天使」シリーズは確実に提供してくれていた。

 というわけで、出先のブックオフで久々に再会した本シリーズのうち、たぶんまだ未読の分と思える一冊を購入。全6編をこの一~二ヶ月の間にちびちび読んでいた。
 前述した<和製チャンドラーらしさ>は全作の基調に一貫して保持され、それぞれの作品が楽しめる。ベスト編は三本目の「天使の裁き」で、ラストの言いたいことを言い切った、苦い、しかしどこか痛快な後味が最高。もし個人的に、レギュラー主人公ものの昭和の和製ハードボイルド短編でアンソロジーを組むとしたら、自分は確実にこれを入れるだろう。ミステリとしての切れ味では二本目の「天使の弔鐘」と五本目の「天使の亡霊」も良い。後者はトリックの面でもちょっと面白い趣向が用意されている。
 弱ったのは本書の最後に収録の「天使の黒い微笑」で、三好徹が<そっち系>のジャンルも得意なことはもちろんよく知っているが、このシリーズでこういうネタを持ち出すか、とちょっと鼻白んだ。とはいえ作者の横浜時代の実体験に似たような事例があったのかもしれないから、リアリティがないと軽率には言えないが、最後の最後でいっきに事件の大枠を明かす物語の作りも変化球すぎる。(あとどうでもいいが、この最後のエピソードで、特に主人公の近親でもない人物がいきなり主人公の名前を呼ぶ~もちろん読者には明かされない~描写があってびっくりした。もちろん作中の現実として主人公の名前は調べればわかる、特に秘匿されたものでないのだが、なんか虚を突かれた思いだった。)
 
 またそのうち、このシリーズを読んでみよう。『天使が消えた』が見つかればいいなあ。あと長編『汚れた海』、あれも標題には「天使」が入らないものの、このシリーズだったような?
 
 余談:本作は市川崑の総監督か監修か何かで、中村敦夫の主演で70年代にTVシリーズ化されているんだよね。本当にちょっとだけ観たことがあったような、ないような。DVDソフト化か、CSで放映されればいいんだけれど。


No.398 6点 ウクーサ協定秘密作戦 国に仕える者すべてに捧ぐ
ジョージ・マークスタイン
(2018/09/12 21:46登録)
(ネタバレなし)
 英国の片田舎。ある夜、車を運転中の医師トーマス・ウィンは、ロンドンに向かいたいと願う軍人らしい一人のロシア人に出合う。だがその直後、くだんのロシア人は追ってきた男たちに連れ去られた。一方、ロンドンではCIAの現地支局長という裏の顔を持つ外交官サイラス・フレクスナーに、ロシア人記者のアナトリー・スピリドフが接見を求め、自分が入手した重大情報を伝えようとする。しかし彼は、途上のタクシーの中で突然死した。やがてアメリカから、一匹狼の辣腕CIAエージェント、アンドルー・ザルービンが英国に呼び寄せられる。そんなザルービンが向かい合うのは、米英露の諜報組織に絡み合う裏切りと謀略の数々、そしてある使命を帯びた軍人たちの現実の姿だった。

 1983年のアメリカ作品。生涯に9冊のエスピオナージュを著した作者ジョージ・マークスタインによる8冊目の長編で、同作者の日本での現時点で最後の邦訳。
 評者はもともと日本に最初に紹介されたこの作者の長編『裏切者と朝食を』(文春文庫)にえらく心を揺さぶられたが、次に翻訳された処女作『クーラー』(角川書店)が、面白そうで存外につまらなくて失望。特にその『クーラー』は、<敵陣営に素性の割れてしまった諜報員の冷却(なんとか現場復帰できる可能性を探る)施設>という大設定がなかなか興味深かっただけに、なんか裏切られた気分になり、その後長らくこの作者のことは失念していた。それでふと思いついて一昨年あたりwebを検索したところ、さらにもう一冊、翻訳が出ていたことを知ってAmazonで古書を購入。それからしばらく間を置いたのち、一昨夜から気が向いて読み始めて、昨夜読了、という流れである。

 深く思い入れした作品と、それを受けたこちらの期待を裏切った作品の作者。さて三冊目はどんなかな、と思って読んでみたが、結論から言うとフツーに(普通以上に)面白かった。謀略の全体像が見えない中、ひとつひとつの事象を己の使命や情念からクリアしていくザルービンを一応の主人公にしながら、物語を語る三人称の視点は目まぐるしいまでに切り替わり、その叙述の積み重ねの中からストーリーは深層の部分を徐々に見せていく。実に正統的なエスピオナージュの作りである。この薄皮が少しずつ剥けていくような緊張感の持続がたまらない。事態の真実を目指して蟻地獄を滑り落ちていくというか、最低部の中心を目指しながら渦巻きのなかで翻弄されるような、あんな感覚だよ。

 あえて難点をあげれば、今回は前二冊よりもはるかに登場人物の総数が多く(たしかそうだったと思う)、メモを取りながら、さらにそのメモを見返しながらでないと劇中人物の把握がしにくいこと。一方で物語の前半と後半で登場キャラクターの交代も頻繁なので、その意味ではメリハリも効いている。
 本書の題名になっている「秘密作戦」の意味は最後まで謎のまま明かされず読者の興味を牽引するが、これのサプライズ具合に関してはネタバレになるかもしれないので、あまり言わない方がいいだろう。少なくとも評者は、ある種の余韻を感じながら本を閉じた。ひと息に読める秀作。
 ただし自分のオールタイムの翻訳エスピオナージュの順位付けのなかで、かなり高い位置にある『裏切者と朝食を』にはやはり及ばなかった。まあ『クーラー』よりはずっと面白かったし、このくらいの手応えを感じられただけでも上々なのだが。

 最後に本書は、かの小鷹信光と、新世代の翻訳家の矢島京子(このあとプロンジーニやクレイグ・トーマスとか訳してる)の共訳。後書きは、小鷹が単独で、その矢島の仕事を紹介するように語っている。しかしその後書きのなかで、小鷹が<本書は、マークスタインの日本初紹介である>と二回にわたって言ってるのが残念(汗)。実際には前述のとおり、すでに既訳が二冊あるのだが、WEBで即座に確認もできなかった80年代後半のこと、当時の翻訳ミステリの出版状況の細部にまで気がまわらなかったんだろうね(苦笑)。

 どっかからマークスタインの未訳の作品、また出ればいいなあ。もう時流に合わない、忘れられた作家かもしれんけど。

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