人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2109件 |
No.1129 | 7点 | エンド・クレジットに最適な夏 福田栄一 |
(2021/03/18 05:52登録) (ネタバレなし) 「俺」こと貧乏大学生の淺木晴也は友人の窪寺和臣の仲介で、臨時のトラブルシューターのバイトを請け負う。依頼の内容は、同じ大学の女生徒、能美美羽が不審者の影におびえているので、その相手を特定して再発を防ぐものだ。だが晴也が動きはじめると、調査のなかで知り合った連中が次々と、新たな事件の種や相談事をもちかけてくる。 2007年に元版のミステリ・フロンティアで刊行されたのち、2015年秋からの連続テレビドラマ化(番組名『青春探偵ハルヤ~大人の悪を許さない!』)にあわせて改題、文庫化された長編。 評者は今回、あとの文庫版(『青春探偵ハルヤ』)の方で読了。 分類すればアマチュア探偵(というか学生のトラブル・コンサルタント)を主人公にした青春ミステリだが、『血の収穫』のキャラクターシフトをベースにしたと文庫版のあとがきで作者が語ることでもわかるように、かなり和製ハードボイルド感も強い。 (主人公・晴也の心情吐露はかなり多めでその意味では「ハードボイルド」ではないが、人情や正義感とドライな人生観・世界観の切り替え&使い分けなど、スピリット的な面では明確にそれっぽさを意識している。) もうひとつの本作の特色が、晴也の調査が芋づる式というか藁しべ長者風にどんどん次の事件や案件を引き寄せ、先の依頼が決着しないうちに雪だるま式に、抱えるタスクが増えていくこと。 ミステリに詳しいらしい作者は、この作法を「モジュラー式」だと、ちゃんと自覚している。 別の事件の関係者Aから、ほかの事件に役立つ情報や専門知識をさずかったり、違う事件の関係者Bの証言で異なる事件が進展したり……。 それらの情報や人脈を器用に活用して局面を進展させてゆく晴也のキャラクターは、筆の立つアメリカ作家の私立探偵小説の主人公のようで、本作では主役の年齢設定に即した若い機動力と才気が小気味よい。 なおこの手のストーリーの組み立て方だと、下手に書くと物語世界がせせこましい箱庭風になりがちだが、情報や伏線のふりわけ方が全体的に巧みで、そういう種類の不満をあまり生じさせない。これは作者の筆力と構成力の賜物であろう。 やむをえず晴也が腕力沙汰に出る際に、自分の内なる獣性(暴力性)をコントロールするくだりなども、厨二っぽい描写ながら印象的なスゴミがある。 (悪党との対峙や対応も、最後は警察に引き渡して、はい、終わり、ではなく、時には、のちのちの報復やお礼参りなどまで計算に入れて個別の判断をするあたりなども良い。) クロージングに関しては正直、思うこともあるが、作者なりの<踏み込み>は充分に意識させられたので、これはこれでよし、としたい。 本一冊、全体的に偏差値が高いがゆえに、かえって頭が冷えるような面もある長編だが(評者はタマに「よくできた」作品に接してそういう思いを抱くことがある)、作者の力量の一端は充分に実感した思い。 すでにこの人の本はもう一冊、ちょっとした興味を惹かれて購入してあるが、いずれはもっと本格的に付き合ってもいいかと思えてきてもいる。 |
No.1128 | 6点 | デラニーの悪霊 ラモナ・スチュアート |
(2021/03/17 04:36登録) (ネタバレなし) 「わたし」ことノラ・ベンソンは、ニューヨーク在住の女流作家。医学博士の夫テッドが若い同僚の美人マルタとの再婚を願ったため離婚し、いまは13歳の娘キャリーと12歳の息子ピーターを養育していた。ノラのほかの唯一の肉親は弟で、出版関係のバイト青年ジョエル・デラニーだが、彼は奔放なGFのシェリー・タルボットにふられたことで大きなショックを受けていた。そんなジョエルとシェリーの仲が復縁しかけるが、ノラは弟の言動に何か違和感を抱く。一方でNYではしばらく前から謎の殺人鬼による若い女性の首切り殺人が続発していた。 1970年のアメリカ作品。 『ローズマリーの赤ちゃん』(67年)と『エクソシスト』『地獄の家』(ともに71年)という大メジャー作品群の狭間の時期に刊行されたマイナーなモダンホラー。スーパーナチュラル的なオカルトの主題は、タイトル通りにズバリ「悪霊」(さすがにコレは、書いてもいいな~笑~)。 具体的にどのような悪霊でどういう形で作中に出現する(描かれる)かはここでは書かないが、物語の後半、精神病理や民俗学の見識をもった学者が登場して怪異に接近。 科学&疑似科学で怪異に斬り込むモダンホラーの作法は、この作品の時点でほぼ確立されており、モダンホラー小説分野の大系としては割と早い一冊といえるだろう。 作者ラモナ・スチュアートは、半世紀を経た現在でも本作しか邦訳がないと思われるが、すでに本国では数冊の著作があった。 主人公ノラの一人称視点で異常な事態に関わっていくストーリーの流れはそれなりに読ませるものの、一方でまだまだモダンホラー分野の文化が成熟していない時代に書かれた作品、という感じもしないでもない。全体的に、もうちょっと押せばさらに面白くなるであろう要所要所の演出が弱いし、クライマックスも話の核心に早く入りすぎる。それでも地味な? ネタでそこそこ楽しませてしまう辺りは評価しておきたいが。 なお邦訳のハヤカワ・ノヴェルズは、この時期に乱発した、例の<返金保証>の帯封仕様で刊行。 「読者のみなさんいかがですか? 何が(中略)に起こったのでしょう? これから秘密のベールが剥がされてゆくにつれいよいよ恐怖は高まってゆきます。ただし、これ以上読み続けるのはごめんだ、とおっしゃる方がおりましたら、この封を切らずに小社までご持参下さい。代金をお返しいたします。」という、帯封の最初に書かれた口上が楽しい。(「中略」にはある固有名詞が入るが、あとは原文のママ。) 21世紀の今でも、またこういうのをやればいいのである。 電子書籍でやったらどうなるのだろうか。まあ考えてみれば、よくあるコミックの序盤や途中までだけ読ませて、本編をきちんと楽しむなら課金というのは、一種の<逆・返金保証>だろうな(笑)。 |
No.1127 | 6点 | ヴェニスを見て死ね ハドリー・チェイス |
(2021/03/16 22:26登録) (ネタバレなし) 1950年代の半ばのロンドン。アメリカ大使館のそばの豪邸に住む青年ドン・ミックレムは、親が遺した巨額の財産と190cmの健康な肉体に恵まれたアメリカ人で、社交界の花形。ドンは所用からヴェニスにある別宅に向かおうとするが、出発直前に大戦中の戦友である英国人ジョン・トレガースの妻、ヒルダが訪ねてきた。戦後はヴェニスでガラス工芸の会社を営むトレガースは英国とイタリアを行き来していたが、このひと月、現地にいるはずの彼から音信不通。なぜか当局や大使館は調査を渋っているという。ヒルダからヴェニスに行くのなら夫の様子を見てきてもらえないかと頼まれたドンはこれを快諾し、忠実な執事チェリーとともにヴェニスに向かうが、そこで彼を待っていたのは予期しない陰謀と凄惨な事態だった。 フランスの1954年作品。 なお現状のAmazonだと邦訳書は1980年の刊行になってるが、実際のポケミスの発売は1974年の9月。 英国作家(一時期フランスに在留)のチェイスが、フランスでの新作出版時に使った別名義レイモンド・マーシャルで出した15番目の長編。 この少し前にポケミスに入った『フィナーレは念入りに』は「レイモンド・マーシャル(J・H・チェイス)」の作者名標記で邦訳出版されたが、それじゃあまり売れなかったためか、今回はズバリ、チェイス名義で日本で刊行された(この時期の創元では、チェイスの翻訳はイケイケで出ていた)。 親の遺した財産のおかげで金持ち、美人秘書や有能な従僕たちに囲まれた主人公ドンの設定は、のちのエイモス・バークか神戸大助の先駆みたいだが、当時はこういう絵に描いたような快男児ヒーローも支持を得たのであろう? シリーズ化された気配はないようだが。 ヴェニスに渡ってからも、前述の有能な執事、現地の事情に通じた専用のゴンドラ漕ぎでナイフ使いの名人、元コマンド兵士の運転手のトリオを手下に、友人を危機から救い、事件に巻き込まれた無実の人々の敵を討つため大暴れする。桃太郎かバビル二世か。 ちなみに冒頭で出てきた美人秘書はすぐ話の表から退場し、壁の花にすらならないのが笑う。 勢いで突っ走るノリの物語で、後半のひたすら長い追跡劇(追っかけたり、その逆になったり)はよくぞここまで書き込んだというか、大局的には起伏もない大筋で飽きる、というか微妙なところ。評者はギリギリ楽しめた感じだが、ダレる人も出てきそう。 ちなみにこのポケミス、版権独占契約でないため巻頭に原書刊行年のクレジットがなく、さらに巻末には訳者あとがきも解説もなく本文が終わってそのまま奥付なので、作品の書誌的な素性がまったく見えないという困った一冊。おかげで21世紀になって「世界ミステリ作家事典」が刊行されたり、webでのデータベースが充実してくるまでその辺の不満は持ち越された(評者がなんかリファレンスできる資料を見落としていたらアレだが)。 さらにポケミスは人名一覧で結構なネタバレ、(そのキャラのあとあとで判明する正体をいきなり記載とか)してあるダメな編集。どうも太田博~長島良三編集長時代の早川はこういうところが悪い意味でゆるめだった印象がある。 評点はもろもろのことを踏まえて、ちょっとおまけしてこの点数で。 |
No.1126 | 8点 | ソロモン王の洞窟 H・R・ハガード |
(2021/03/15 19:54登録) (ネタバレなし) 19世紀の末。「私」こと、高名なハンターながら求道がすぎて貧乏な50代前半の英国人アラン・クォーターメンは、30代半ばの金持ちの英国貴族ヘンリー・カーティス卿から相談を受ける。それは2年前にアフリカ奥地で行方不明になったヘンリー卿の弟ジョージを捜索する旅に、同道を願うものだった。情報を交換した彼らはその奥地にダイヤの秘宝が眠る可能性まで認めた。ヘンリー卿の友人の海軍大佐ジョン・グッドを仲間に加えた一行は、現地アフリカの従者たちとともに灼熱の砂漠を、そして極寒の雪山を超えて目的地の秘境にたどり着く。だがそこで彼らを待っていたのは、未開の小国ククアナ国での戦乱であった。 1885年の英国作品。作者ハガードの第二長編で出世作。そしてアラン・クォーターメンシリーズの第一弾。 イギリス冒険小説を嗜むならH・R・ハガードもまずは一冊くらい読もうと思い、少し前にブックオフで出会った創元文庫版(旧ジャケットカバー)を購入(その後、蔵書の中から数十年前に買っていた、未読の同じ本が見つかった……)。 昨日から読み始めて、真ん中でひと晩小休止したのち、ほぼイッキ読みしてしまった。 解説によると本作執筆時のハガードの仮想敵は、少し前から英国の読書人の間で反響を呼んでいた『宝島』だそうで、実際に刊行後の本書は『宝島』以上の英国読書界の好評を獲得。部数もずっと多く出たそうである。 大仰な話だが、あれよあれよとお話が転がっていく展開のスピーディさは確かに時代を超えて格別。 「スティーヴンスンなら一章費やす描写をハガードは2ページで済ませてしまう」とやはり解説にあるが、それはいささかオーバーでは? とも思うものの(クライマックスのククアナ国内戦の合戦シーンの迫力と密度感、重量感はスゴイ)、まあ言いたいことは、わからなくもない。 ちなみに文明人が未開の原住民を欺いて自分たちを一種の超人(魔術師とか宇宙人とか)に見せかけるため、(中略)のタイミングを利用するという昔ながらのネタは、本作がたぶん嚆矢なのであろう。これも初めて知った(以前にどっかで見知っていて忘れてなければ)。 ストーリーは素朴といえば素朴だが、一方で良くも悪くも社会的コンプライアンス(人種問題とか)を気にしなくてよい時代の作品らしい、今ではなかなか味わえないバーバリックな物語性に満ちている。その意味では21世紀の現在でも、いやある面では~少し頭を冷やしながら~21世紀のいまだからこそ熱狂できる、古典冒険小説だともいえる。 しかし主人公アラン・クォーターメンが意外に高齢の設定なのは、ちょっと驚いた。フィジカルな活劇場面はヘンリー卿に、原住民の美少女とのロマンスはグッド大佐に任せ、物語の手記を綴るベテラン探検家という役割分担のなかで、それなりのキャリアがあった方がいいという判断だったのだろうが。 (ドイルはハガード信者だったらしいので、チャレンジャー教授シリーズへの影響とかも興味深い。ちなみにJ・D・カーも当然のごとく、愛読していたようである。) クラシック作品なのは間違いないけれど、いま読んでも十分に面白いクラシック冒険小説であった。 |
No.1125 | 6点 | 人を呑むホテル 夏樹静子 |
(2021/03/15 01:43登録) (ネタバレなし) コンパニオンガールや水泳コーチなどのフリーター仕事で生活費を稼ぐ23歳の畑野テオリ(テコ)は、BFの会社員、赤司行彦と婚約した。二人はその年の9月5日、行彦の大学の恩師で親代わりといえる坪坂保巳教授夫妻たちとともに、富士山周辺の夏季限定ホテル「精進湖ホテル」に旅行する。そこは10月から6月まで休業。だがその老舗ホテルには「9月30日の業務最終日、泊まった人間の誰かが、いずこかへと消える」という呪いの伝説があった。いったんは東京に戻った一同だが、やがて坪坂夫妻が行方をくらました。夫妻は9月30日に、ふたたび精進湖ホテルに泊まったらしいという経緯が見えてくる……。 光文社の「女性自身」に昭和57年4月から翌年6月まで「人をよぶホテル」の題名で連載(週刊誌に一年以上!)された長編。「長編恐怖サスペンス」の肩書きで文庫オリジナルで刊行された、本文450ページ以上の紙幅豊かな作品である。 評者の場合、もしかしたら『Wの悲劇』の元版を少年時代にリアルタイムの新刊で購読して以来の夏樹長編かもしれない(汗)。一年ぐらい前にブックオフの100円棚で見つけ、題名とあらすじが面白そうなので購入。 今夜、気がむいて通読したが、怪異な失踪の謎に始まって事件の裾野が広がっていく展開はそれなりに読ませた。 ただし序盤の描写から明るい探偵カップルものを期待すると微妙に違う方向にいってしまい、あれよあれよ、ではある(もちろん主役たちの着地点は、ここでは書かないが)。 良くも悪くも連載の長期化にあわせて、主人公たちがあちこちにとびまわる際の旅情的な描写でページを稼いだ感じもするが、それでも少しずつ話はちゃんと進めはするので、とりあえず退屈もしないし、話の流れにムダもそんなにない(異論はあるかもしれないが)。女性誌連載ならこれはアリだろうという、ヌカミソサービスが多めの作品ともいえるが。 ある程度は先読みできちゃう部分もふくめて、物語は二転三転。それ自体はいいのだが、登場人物の絶対数が少なく、さらに主要キャラのポイント的な叙述もしっかり書いておいたのがアダになって、ラストの意外性があんまり意外でないのは残念。 全体的に長すぎて、ちょっと水っぽい感じはしないでもないが、最後の勢いのある謎解きはまあまあ。クロージングの余韻は、なかなか悪くない。佳作、でしょうな。 |
No.1124 | 7点 | 池袋ウエストゲートパーク 石田衣良 |
(2021/03/14 04:41登録) (ネタバレなし) 1997年から活字になり、およそ20年前からTVドラマ化やコミカライズもされている人気タイトル。 00年代の東西ミステリにはそんなに詳しくない評者でも、すでにかなりのシリーズ続刊が出ているメジャータイトルということぐらいは知っていた。 なお個人的には、原作も未読なまま視聴した、昨年秋からの新作テレビアニメ版が、本シリーズとのファースト・コンタクト。 くだんのテレビアニメはそれなりに面白かったが、気がつけば、これだけの人気タイトルのハズ(?)なのに、本サイトではまだレビューがまったくない!? それでじゃあ原作ってどんなもんなんだろと気になって、ひと月ほどまえに入った古書店でかなり状態の良いデッドストック級の文庫本(このシリーズ第一巻、全4編の中短編集)を100円で購入。今から1週間くらい前から読み始めて、昨日ようやく読了した。 一番驚いたのは、原作小説が作品の空気感もキャラクター描写も、アニメ版とまるで異なること。いやある程度は、大人・一般向け作品をティーンも観られる深夜アニメとしてマイルドに潤色しているだろうとは思ったが、これほどとは思わなかった。 もちろん主人公マコトが大枠で正義漢の若者なのはアニメも原作もかわらないが、小説の方ではカツアゲを普通にしていた経歴も明かされるし、女子たちとの情交場面もごく自然かつあからさまに語られる。一応、当人のモラルの範疇ながら、ダーティな行動のリミッターもかなりゆるい。 物語の方もアダルトな描写や未成年が被害者になる猟奇殺人などきわどいものが主体(少なくともこの1巻では)。アニメ版はよくいえば気を使って作った、わるくいえば生ぬるい作りだったことを、つくづく痛感した。 そんなわけで個人的には、先に接したアニメ版との相応の乖離ゆえ、かなりショッキングな感触を抱く。 しかし一歩引いて見るなら、実はこれくらいのクライムノワール、青春ノワールものなど、2010年代の国産ミステリ界では、たしかにさほど珍しくもないのである(だよな)。 だから冷静に見れば<こなれのよい。その手の青春ノワール事件屋ものの新世代の先駆>という評価あたりに落ち着きそうだ? 4編の中短編は、それぞれ基本的に池袋界隈の裏と表の素描、そこにたむろする主人公マコトをふくむ面々の人間模様を興味の核とするが、中にはミステリ的にちょっと~相応に工夫された話もあり、なかなか飽きさせない。 リーダビリティの高い文体の軽さとそれぞれの話の主題の重さ。その双方のバランス取りが独特の手応えを感じさせるエピソードもあり、なるほどこれはファンも多いはずだとは思う。 まあ私的には、今回の新作アニメ版は今となっては入門編として良かったと割り切り(今でも別にキライになったわけじゃないし、アニメ独自の演出で良かったとこもあった)、改めて原作の二冊目以降も、機会を見て読んでいこうとは思っている。 |
No.1123 | 8点 | サイボーグ・ブルース 平井和正 |
(2021/03/13 16:50登録) (ネタバレなし) 科学技術が大きく発達しながら、人類の意識は旧来とそう変わらない未来。「私」こと若くて優秀な黒人刑事アーネスト・ライトは、犯罪組織の手先である悪徳警官に高熱の熱線銃で撃たれて死亡した。だが彼は、宇宙船一隻が建造可能な予算を費やして、全身がほぼアンドロイドのごとき、高性能のサイボーグ特捜官として復活する。それから7年、根強いレイシストの侮蔑にさらされ、同時に内面では、もはや普通の人間でない現実に葛藤し続けるライトは、順当にサイボーグ特捜官としての実績を積んでいく。しかし腐敗した警察と暗黒街との癒着は改善されることなく、そのために無辜の市民の犠牲が出たとき、ライトはついに辞職を決意するが。 「SFマガジン」に1968~69年にかけて連載。1971年に早川書房から初の書籍が刊行された平井和正の初期長編。 周知の通り、1965年にさる事情から不本意な形での終焉を迎えた平井原作のSFコミック『8マン』へのセルフオマージュとして書かれた作品。現在のwebで情報を探ると『8マン』そのものを小説化という構想が起点だそうだが、その辺りは筆者は知らない。 いずれにせよ、以前から作者が本作については「8マンへのレクイエム作品」という主旨の言葉を用いているので、いつか読もうとは思っていた。数十年前に購入しておいた角川文庫版を少し前に蔵書の中から引っ張り出しておいたので、このたび読んでみる。 一読してみると大枠で長編小説なのは間違いないが、作中では別個の事件が順々に起きる構成で、連作短編作品的な側面も強いのに軽く驚いた。 しかも最初のエピソードで警察を辞めたライトが次に出会う事件が、金持ちの美女のヒモ亭主的な立場になった、酒好きの若手作家との友情エピソード。平井和正が私淑していた作家三人のひとりがチャンドラーだということはもちろん知っていたが(あとの二人は山本周五郎とアルフレッド・ベスター)、こうまで露骨に『長いお別れ』リスペクト編を綴っていたのかとぶっとんだ。とはいえSFミステリとしてのアレンジの仕方はなかなか興味深く、そこは当時の平井の恣意、あるいは掲載誌「SFマガジン」の場の力を感じる。 続く事件のネタも、ああ『8マン』からだな、とか、のちの『ウルフガイ』に続いてゆく文芸だな、とか、平井ファン(現在では評者はそんなに熱心な読者ではないが)には興味深い部分も多い。 いずれにしても全体としては、平井作品のなかでもっとも、SFビジョンと捜査ものクライムミステリの成分がとけあった作品ではあろう。 まあ、ジャンルとしてはSFハードボイルド分類だけれど、主人公ライトの振幅する内面はけっこう明け透け。その意味では感情描写を排した<ハードボイルド>というより、やっぱり平井版のチャンドラーなんだけれど。(相応に、大藪春彦の影響も受けているとも思うが。) 物語はインターバル編(これだけ主人公ライト以外の挿話)を一本挟んで5つの章で構成。のべ6パートで語られている形になる。 ここではあまり詳しいことは言えないが、作者は最後のひとつまえの本筋の第四章でハードボイルドミステリ、あるいはチャンドラーへの義理を果たし、最終章の第五章で自分が選択したSFジャンルへの傾斜を語ったという感じ。 正直、かなり予想外で虚を突かれた思いのクロージングではあったが、一歩引いて見るなら、作者の意図は理解できる……ような気もする(特に、これは20~40代の平井和正がその年齢のなかで書いた作品なのだろう、という観測も踏まえて)。 これは自分の人生のなかで、もう少し早く読んでいたら、だいぶ見方が変わっていたかも。久々に、そういう思いの本に出会った。 最後に、作中には60~70年代の現実の文化を投影したものがあまり登場せず、そもそもこの物語が何世紀の設定か(20~21世紀からどのくらい先か)すらはっきりしない。 以前に平井は別の作家との談話で、自作の小説をいつまでも古くさせないためには、とにかく作中から時事的な風俗描写、その時代の文化描写(未来SFならそういうものを反映させた叙述)を一切、排除すること、と語っていたが、本作はまさにその作法をストイックなまでに実践しており、かなり驚いた。なるほど確かにその効果は大きく、21世紀の現在読んでも、意外なほどに作品の鮮度は高い(細部のすべてまでとはさすがに言えないが)。 昭和の香りがするかび臭い作品なんかもつねづね大好きな評者だが、今回は仕様を演出した小説ならではの、ある種の力のようなものを、改めて実感した思いがある。評点は0.5点ほどおまけで、この数字に。 |
No.1122 | 6点 | 白日鬼 蘭郁二郎 |
(2021/03/12 03:37登録) (ネタバレなし) その年の晩秋の土曜日。「私」こと若手作家の河村杏二(きょうじ)は、行きつけの喫茶店「ルージュ」の店内で美しい娘を見かけ、心惹かれる。その名も知らぬ娘がいわくありげな文書の紙片を残していったのを、気にする河村。その直後、通りを歩いていた河村は近所のビルの上階から銃声を聞き、ビルの管理人、近所にたまたまいた警官とともに中に入り、密室ともいえる状況の中で射殺された死体を発見する。やがて事件は、数百年前の秘宝が眠るという伝承が残る伊豆近海の孤島「兜島」にからむ連続殺人劇へと発展してゆく。 戦前のミステリ同人誌(のちに商業誌)「探偵文学」(のちに「シュピオ」に誌名変更)に、1936年10月号~37年3月号にかけて連載された長編。 1941年に『孤島の魔人』の題名で書籍化されたが、現在は光文社の『「シュピオ」傑作選」』に連載版の題名で一挙掲載されているものが、一番簡単に読める。当時の挿絵も再録した丁寧で有難い編集で、当然、評者もこれで今回、読んだ。本作だけで文庫版280~290ページの紙幅だから、まずまずの長さといっていいだろう。 不勉強な評者は、作者・蘭郁二郎については、本当に名前を見知ってる程度の知識しかなかったので、このたび『「シュピオ」傑作選』での作者解説を読み直して、戦中に若死にされた去就なども改めて意識した。 本作はその蘭が遺した数少ない長編ミステリで、ジャンルを分類すればスリラー風味のフーダニットパズラーという内容である。 冒頭の殺人などは特に施錠された空間、というわけでもないが、複数の証人を前に殺人の前後に怪しい人物の姿などは特になかったこと、さらには現場に残された拳銃と死体の弾痕が合致しないなどの謎が地味に興味をひく。 さらに以降の事件では、乱歩か横溝のスリラー編なみの派手な死体出現の演出と、それに合わせたちょっとトリッキィな創意も用意されている。 くわえてシンプルな叙述ながら<ほぼ同じ時間に、同一人物が遠方の場所にいた?>という不可能興味まで登場してくる。 正直、それぞれの真相は、あまり大きな驚きを期待されても困るレベルだが、読み手を楽しませようという作者の熱意は十分に認められるもので、好感度は高い。 また事件の流れは、主舞台のひとつである兜島の秘宝伝説にちなみ、骨董品のジャンル=専門的なトリヴィアにも接近。これに加えて、東京から伊豆の洋上にある兜島への行状も旅情的に語られ、ちょっとしたトラベルミステリーの趣もあって、なかなか退屈しない。 惜しむらくは、先に書いたように解決がややヤワいのはまだしも、ラスト、事件の真相の多くを(中略)という形式で晒していること。 実は本作には途中から、主人公・河村の恩師で60歳前後の博覧強記の大学教授、春日井泰堂という人物が登場。どことなく横溝の由利先生あたりを想起させるキャラクターで、たぶんこの人をもっと名探偵っぽいポジションに置きたかったのだが、それをやりかけて中途半端に終わってしまったような気配がある。 作者が戦後もご存命なら、もしかしたらこの春日井教授は良い感じのレギュラー名探偵になっていたかもしれない。ちょっともったいない。 全体としては、とびぬけて特徴的な際立った得点要素はない作品だが、ミステリファンの心の琴線に触れるような小中のポイントはそれなりにあり、まずまず楽しめた。 (特に真犯人の動機というか犯行の背景の文芸は、妙な情感を煽る面もある。) 書かれた時代も踏まえて、佳作くらいには認めたい一編だと思う。 |
No.1121 | 7点 | ニューヨーク・デッド スチュアート・ウッズ |
(2021/03/11 05:18登録) (ネタバレなし) その年の9月。深夜のニューヨーク。銃創で足を痛め、少し前に退院したばかりの38歳の二級刑事、ストーン・バリントンは、高級マンションの12階から若い女性が転落するのを目撃した。奇跡的に柔らかい土砂の上に落ちて即死を免れた彼女は、TVの人気キャスター、サーシャ・ニジンスキーだった。ストーンは救急車を手配するが、病院に向かう途中でその救急車は事故を起こし、気がつくとサーシャの姿はいずこへかと消えていた。NY市警は総力を上げて、重傷またはすでに死んでいるであろうサーシャの行方を探すが、やがてストーンたちの目前に意外な事実が明らかになってくる。 1991年のアメリカ作品。 ウッズ作品は初読みの評者で、少し前からそろそろ代表作らしい『警察署長』あたりを読もうか……とか思っていた。そうしたら今年正月のブックオフの近所の店の一部半額セールの際、100円棚で状態のいい本作を発見。あらすじを見て面白そうだったので50円(+税)で購入し、数か月後の今回読む。これが、自分にとっての最初のウッズ作品だ。 訳者あとがきに「ジェットコースター。ほとんど解説のいらないお話なのである。」の一文があるが、正にそのとおり。予想を数段上回るリーダビリティの高さで、430ページ以上の紙幅をいっきに読ませてしまう。 物語はメインの事件となるサーシャの身柄消失、その前段階のそもそもの彼女の転落の事情の謎(事故か自殺か他殺か不明~さる理由からその内のひとつが有力視はされるが)、このふたつの興味を主軸に進むが、途中から、この事件に関わりあったがゆえに彼自身の立場が大きく変遷してゆく主人公ストーンのドラマにもフォーカス。 さらにモジュラー形式の警察小説的に、NY市内で続発するタクシー運転手連続殺人事件もサイドストーリーの流れを築いていく。 前述のとおり実にハイテンションかつスピーディに読ませる娯楽編の警察小説(の変種……というべきか。ここではあまり詳しいことは言えないけれど)だが、最後まで読み終えると事件の枝葉の広がりに対して、人間関係の裾野が一部せせこましい。そのためこの辺は、箱庭的でミニマムな作劇、という思いも感じたりもした。 なおこの種の作品では肝要となるはずの<NYという都市空間>は相応に書き込まれ、あちこちのロケーションをとびまわるストーンたち主要人物の姿は順当に躍動的だ。 まあ文明観的に大都会=NYを外から中から見る視点などがあまり感じられず、さらに地下鉄などがほとんど登場しないのが、ちょっと残念な印象もあるが。 面白さだけ言ったら8点でもいいけれど、前述のいくつかの弱点(特に人間関係の狭さ、など)がちょっとだけ気に障るので、若干減点して、この点数で。 一日フツーにしっかり楽しめる、エンターテインメント警察小説(の変種)……ではあります。、 |
No.1120 | 9点 | 流砂 ビクトリア・ホルト |
(2021/03/10 14:59登録) (ネタバレなし) 「私」ことキャロライン・バーレインは、心から愛し合い、そして自分の分までピアニストとしての夢と栄光を託した夫ピエトロを急病で失った。28歳の未亡人になったキャロラインの肉親は、強い絆で結ばれる2つ年上の独身の姉ローマのみ。キャロラインが音楽の道を進む一方、死別した両親と同じ考古学者となったローマ。だが彼女は、イングランドのケント州の広大な砂州「ラバット・ミル」、その周辺の古代遺跡を調査中に、ある日突然、行方不明となった。ラバット・ミルには偏屈な老大富豪ウィリアム・ステイシー卿を家長とする屋敷「ラバット・ステイシー」があり、ステイシー卿はローマ失踪事件で周囲が騒がれるのを歓迎しない。キャロラインは、自分がローマの実妹という事実は隠し、あくまで有名な音楽家バーレインの未亡人でほぼ同等の技量をもつピアニストとして、ラバット・ステイシーの娘たちのピアノ教師の職務を獲得。ひそかに姉の行方を探ろうと、広大なラバット・ミルの周辺に乗り込むが。 巻頭の版権クレジットによると、1970年の英国作品。 訳者・小尾芙佐(おび ふさ)のあとがきによると1969年に書かれた、とあるが……そっちは雑誌連載か何かの初出データか? ちなみにWikipediaでは1969年の作品と現時点で記述。 20世紀後半のゴシック・ロマンの巨匠で、1970年代から21世紀にかけて本邦でもファンの少なくないビクトリア(ヴィクトリア)・ホルト。別名義ジーン・プレイディーでの著作もあるが、ホルト名義ではこれが8番目の長編でそして日本での初紹介長編。 現状でAmazonにデータ登録がないが、角川文庫から昭和46年9月10日初版刊行。定価は320円。そして本文はおよそ560ページほどの堂々たる大長編。 たしか記憶に間違いがなければ、刊行年度のミステリサークル「SRの会」の年間ベスト投票でかなり高位だったはず(1位だったかも?)で、古書価格も高い時では8000円になるプレミア本。評者は大昔の少年時代にどっかの古本屋で150円で入手して、何十年も積読であったが(汗)。 それで思い立ってついに今回手に取ったが、いや、さすがに面白い! さすがに一日で読了は仕事などの関係もあってムリだったが、それでも睡眠時間を削って二日間でほぼイッキ読みしてしまった。 物語の主舞台となる大邸宅ラバット・ステイシーに『ジェーン・エア』(註1)を思わせる立場で乗り込んでいくキャロラインだが、そこではウィリアム卿の次男の青年ナピア(30歳)と、ウィリアム卿が後見する17歳の娘で父親から多大な遺産を受け継いだエディスとの婚姻が行われたばかり。キャロラインはそのエディスを含む邸宅周辺の4人の10代の女性たちのピアノ教師になるが、実はこの屋敷はナピアの実兄で、彼が13年前に事故で死なせてしまった美青年ボーモントのカリスマ性に今も強く支配されていることがわかってくる。うーん『レベッカ』だ(註2)。 素性を隠しながら姉ローマ失踪の手掛かりを探るキャロラインの前に、入れ替わり立ち替わり、屋敷周辺の人物がそれぞれの歩幅で接近。やがて近所にはボーモントの幽霊? と思える気配が出没し、そしてさらに第二の失踪? 事件が……。 訳者・小尾芙佐はホルト作品の登場人物を「類型的ながら魅力的」と記述。早くも邦訳一冊目でこの作家の本質をズバリ簡潔に言い表しているのは、さすが名訳者。いや、類型的なのは悪いことばかりではなく、フォーミュラ・タイプのキャラクターシフトで読み手に安心感を与えながら、その上で芳醇な物語性でさらにストーリーの奥の方の興味へ読者を引きずり込んでいく筆力の強靭さが、ホルト作品にはある(評者はまだ3冊目だが)。日本に支持者も多いわけだね。 主人公キャロラインの人物造形からして正に求心力絶大なキャラクターで、ほかの家族3人とは違った道を歩み、そこでひとかどの成果を上げたものの(フランシスの『度胸』か)、あと一歩のところでホンモノになりきれず、もともとは異性の同格のライバルだった若者と結ばれ、時にぶつかり合いながらも、今後の人生は彼を支えようとしっかり決意したら、その直後に愛しい夫を失ってしまった……もうこれだけで掴みは十分だ! 職人作家の秀逸な手際がいきなり炸裂している。 とにかくぐいぐい読ませるストーリーテリングで、作風はもちろん必ずしも同じではないが、その勢いはキングやクーンツ、シェルドンらの一線作品にもまったく引けを取らない。ラストの黒幕や伏線は一部先読みできるところもあるが、それでもクライマックスは予期した以上に(中略)。最後は啞然、呆然としながら山場からクロージングにかけての流れを読み終えた。 (しかしこのクライマックス、長年の間にはもうちょっと「スゴイ!」とか「(中略)!」とかの感慨だけでも聞こえてきても良さそうなのに、ほとんどWeb上や印刷媒体などで噂になってない。やっぱそれだけレア本だからなんだろうな。) なお物語のメインステージとなる砂州=ラバット・ミルだが、海岸に面したとにかく広くて深い砂浜。わかりやすく言えば、鳥取砂丘とかがほぼ全域、地層数十メートルの砂の底なし沼のようなイメージであろう。随所に安定した足場もあるが、うっかりすると自重で深淵な地中に永遠に沈んでしまう危険地帯である。 潮の満ち干の影響で座標した船舶なんかも脱出は困難で、うかうかすると乗員も船体もろとも砂に飲まれる。 場所はアフリカだが、ジェンキンズの『砂の渦』など同様の砂州が主舞台で、ガーヴの『遠い砂』にも類似のロケーションが出てきたようなそうでなかったような。 なにはともあれ、本作は優秀作~傑作。 註1……すみません。まだ未読です(汗)。 註2……こちらも未読。映画は観ているが。 |
No.1119 | 6点 | 犯罪ハネムーン―新婚刑事事件簿 生島治郎 |
(2021/03/08 05:48登録) (ネタバレなし) フリーライターの牧村容子は、大学の先輩で7歳年上の警視庁捜査四課の刑事・青野純平とめでたく結婚。純平の希望を受けて専業主婦となった容子は、夫が仕事中のアパートでヒマを持て余す。だがそんな彼女の周囲に、それぞれの事情から困った人や夫の仕事がらみの犯罪者? などが出現。牧村夫妻の対応はいかに。 連作集『犯罪ラブコール』の続編で、今回は8本の短編を収録した一冊。シリーズものとは知らなかった(さらにもう一冊ある)ので、ブックオフの棚で現物を見つけて軽く驚いた。 ちなみに本作の巻頭に収録の「女房暴走族」が新婚編の第一話だが、純平が、独身時代はフリーライターとしてバリバリやっていた容子に言ったセリフが「夫が働いて帰ってきて、女房が家で仕事して原稿なんか書いていたらたまらんからやめろ」(大意)であり、これって生島がかつて小泉喜美子と結婚する際に当人に告げた現実の物言いとほぼいっしょ(生島夫妻の場合はより正確には、夫婦で机並べて書き物なんかしてる図を考えるとたまらないからやめろ、とかだっけ)。 本作の元版は85年3月の初版で、さらにこのシリーズが雑誌連載とかしていたら、85年11月に亡くなった小泉喜美子は晩年に本作にも触れた可能性も強いよね。あまり下世話なことを言ってはいけないのだけれど、なんらかの感じるものはあったのではと当時を偲んでしまった。 読み物キャラクターミステリとしては、前巻同様にいい感じの佳作~秀作ぞろいで、サクサク楽しめた。全8本のなかでベスト上位は、小味ながらトリッキィな「囮になった女房」、ゲストヒロインが印象的な「姦通刑事」、犯人像がちょっと怖い「新郎逮捕」あたり。 今回も集英社文庫巻末の、清水谷宏のいかにもミステリファンっぽい解説は楽しい。ところで警察小説ジャンルの刑事の夫婦ものの話題で、メグレ夫妻は挙げなくていいんですか? |
No.1118 | 6点 | ならず者の鷲 ジェイムズ・マクルーア |
(2021/03/08 05:10登録) (ネタバレなし) 南アフリカの小国レソト。そこに表向きは海外特派員として駐在する英国情報部の青年フィンバー・ブキャナンは、CIA派遣の美人スパイ、ナンシー・キットスンと時に情報交換をしながら、おおむね平穏な日々を送っていた。だがそんななか、山地マパペングに不穏な動きが認められ、その中心人物のひとりはかつてヒットラー政権のナチスの党員だったダーク・スタインだった。上司アンドルー・マンロー少佐から情報と指示を受けたブキャナンは、知己もいるマパペングに向かい、状況を探るが。 1976年の英国作品。同年度のCWA、シルバー・ダガー賞受賞作品。 ハードカバーの本文二段組、紙幅250ページはそんなに厚くはないが、ブキャナンが現地に赴き、主要キャラと顔を合わせながら調査を始めるあたり=中盤くらいまでは、叙述の丁寧さが災いしてかなりかったるい。 読み終わって後から思うと、決して冗長な展開というわけではなく、きっちりとデティルを積み重ねている作法だから、文句を言うには当たらないんだけれど。 後半になって主人公とヒロインが窮地に陥り、さらに派手目な殺傷沙汰が生じるとようやく話に弾みがついてくる感じではある。 ネオナチテロリスト側の、物語のクライマックスに関わる謀略の実態も明らかになり、この辺になるとそこそこ面白くはあるが、とにもかくにも実にマイナーかつローカルな第三世界の小国での事件。 国の規模の大小で、そこでの無法テロの是非を問題にするのはもちろんおかしな話だが、それでもどうしたって地味さと渋さ、そして独特のエキゾチシズムがついて回る。たぶん当時のCWAの選考メンバーには、このマイナートーンの晦渋ぶりが受けたのであろう。 終盤、(中略)が(中略)する作劇はちょっと意表を突かれたが、<この手のもの>の一本としては、こちらの心に大きく響くものは特に得られず終わった。それでもちょっといいな、と思ったシーンや作劇のツイストなどはひとつふたつはあったので、評点はこのくらいで。 思えばマクルーアを読むのも、何十年ぶりであったな~。 |
No.1117 | 6点 | 湖底の囚人 島田一男 |
(2021/03/06 14:00登録) (ネタバレなし) 中央ホテルの密室で、70歳の資産家・薮田十兵衛が何者かに殺された。容疑は薮田の女中・福間はる子にかかるが、逮捕された彼女は、「私」こと「東京日報」の社会部記者・瀬浦太郎をふくむ衆人監視の白昼、姿なき殺人者? の手で殺害される。薮田やはる子は、12年前に大型ダム建設のために水没した鮫ヶ井村の関係者だった。そして瀬浦のもとには、旧友の画家でやはり同じ村の関係者の河野守夫から、さらなる連続殺人を予見した手紙が届く。瀬浦は社会部部長・北崎の認可のもと、公務の取材として今はダムとなった湖・鮫ヶ池=かつての鮫ヶ井村の地元に赴くが。 1950~51年の「宝石」に連載されて1951年に書籍化された、スリラー風の謎解きフーダニット長編。 島田一男の作品群のなかでは、北崎部長をメイン探偵役とする「社会部記者(事件記者)」シリーズの初期長編ということになるのか。 同時期の「宝石」には、廃刊になった「新青年」から引き取った『八つ墓村』の後編などが連載されている時期であり、奇しくも本作も都会で連続殺人の幕が開き、そのまま物語の主舞台の地方へと移行するというプロットは類例している。 現地、鮫ヶ井村の周辺では、ダム建設による故郷の水没をめぐって当然のごとく大騒ぎがあり、多額の利権も動いた。売却された土地の利益は村の有力者たち5つの旧家が独占して分割、現状はまだ手つかずで管理されている形になり、ただ村を追われるだけだった旧・村民の大半は旧家の面々に強い嫉妬と憎しみの念を抱いている。連続殺人の惨劇の設定としてはこれ以上ないお膳立てだ。 ただし実に魅力的な謎の提示=不可能犯罪めいた序盤の興味に対してはあまり満足のいく解決が用意されているとはいえず、どちらの真相もほぼチョンボ。特に薮田老人の密室殺人に関してはヒドイ。連続殺人の犯人だけは、まあ意外とはいえる……かも。 なお評者は本作については「宝石」のバックナンバーの断片を古書店でバラバラに買い集めた少年時代から、ちょっと印象的なタイトルだと思って気になっていた(脱獄囚が水中に沈められる話か? とか)。 しかし長ずるにつれて意識のなかからこの作品のことは薄れていたが、たまたま先日、出かけた古書市で、1982年の東京文芸社版を200円で入手。購入後、一週間もかけず、読んでしまった。 謎解きフーダニットとしての評価は先の通りだが、B級の昭和スリラー推理小説としては、とにもかくにもケレン味だけはいっぱいでそれなりに楽しめる。ぎりぎりまで真相の謎解きを引っ張る演出もハイテンションで、あとはこれで解決さえ良ければな、という感じ(笑)。 あと正直言って、読み終えてもこの題名はよくわからないね。囚人なんて出ないじゃん。冒頭で逮捕されて殺されるはる子は、まだ単に拘留中の身柄だし? |
No.1116 | 6点 | 悪人専用 生島治郎 |
(2021/03/05 05:29登録) (ネタバレなし) 東京オリンピックの熱気が冷えつつある1960年代半ば。警視庁づとめの第一線社会部記者・橋田雄三は、遊び気分で抱いた女・奥村真紀子を捨てるが、本気のつもりだった相手は失意のあまり自殺した。奇しくも真紀子の父親は橋田の新聞社の重役で、橋田は懲罰人事で横浜支局の閑職に飛ばされる。天職とする事件屋として羽根をもがれた橋田だが、地元で起きた労務者の殺人事件に関心を抱き、そこに巨額の麻薬取引の事実を気取る。橋田はこの件に関わりあった者や使えそうな知人を集めて、薬物の横取りを企むが。 「スポーツニッポン」に連載されたのち元版の書籍が1966年に講談社から刊行。 自分は今回、集英社文庫版で読了。昔から気になっていた生島の初期作品のひとつだが、ようやく読んだ。 内容は完全な、和製昭和クライムノワール。 集英社文庫版の巻末解説を担当している北上次郎が元版の作者のことばから引用するに、生島は<外国にはクライムストーリーの秀作が輩出されているが、国内にはないのでこういうものに挑戦してみた>という主旨のスポークスをしていたらしいが、いや、ちょっと違うでしょ? スポーツニッポンの編集部はたぶんズバリ「生島先生、大藪先生みたいなものを」というオーダーだったんでしょ? というような内容である(笑)。 犯罪小説としてのひねりぐあい・まとめ具合は、大外しもしてないが、ことさら特筆するような褒めたたえるところもあまりない、という感じだ。 しかし基本的に悪人しか登場しないノワールで、主要人物の配置そのものも悪くはないものの、正直、なんでここでこの人物がこうなるの? というところどころの箇所が気に障る、そんな作品でもある。 特に中盤から登場するメインキャラのひとりで元ボクサーの花井卓二が、メインヒロインのはすっぱ娘・中川伊都子にいきなり惚れるくだりとか、さらにその伊都子の終盤の挙動とか、これってどう読んでも作中人物に共感できないだろ、という思いが強い。 一方で前半、その伊都子が半ば暴力的に橋田に体を求められ、それに自分から応じることで暗いヒロイン像を示すあたりとか、後半に登場する「海蛇」こと競馬狂のアクアダイバー・黒木利介のキャラの立った描写とか、いつもの生島作品とひと味違う感触はなかなか魅力的であったが。 なお先の北上の解説によると、この集英社文庫版(1979年)刊行当時の作者は本作を振り返って<出来はよくないが愛着がある作品>とかなんとか述懐してるそうで、あーあー、そうだろうね、と、すごく納得がいく(笑)。 作者が作品に込めようとした狙いどころをのぞき込んでいくと、ひとつひとつはさらにひろがっていく可能性もあったんだけれど、全体としては消化不良に終わった感がある。 ただしいつもの醤油味チャンドラーとは一風異なる食感はなかなか新鮮で、そういう意味では読んでよかったと思える。 なんか、あとから、じわじわ感じるものが浮かんできそうな気配がないでもない……かな? |
No.1115 | 7点 | バルタザールの風変わりな毎日 モーリス・ルブラン |
(2021/03/04 05:38登録) (ネタバレなし) 孤児として辛酸を嘗めつつ独学しながら成長し、いまは自称「哲学教授」としてパリの一角に二流の私塾を開く青年バルタザール。彼は貧民街のあばら屋に、彼のことを敬愛する助手で、やはり孤児である少女コロカントとともに暮らしていた。だがバルタザールの教え子のひとりで、金持ち商人の令嬢ヨランドがそんな彼に求婚した。しかしヨランドの父シャルル・ロンドオは、出自も未詳の男に娘はやれない、係累を証明し、さらに財産を用意してから出直すようにと突き放す。そのとき、本名を告げず「父」を名乗る者からバルタザールに、自分の死後に財産を譲渡するとの文書が届いた。自分の父は誰で、どこにいるのか? 思い悩むバルタザールのために助手のコロカントは、夢遊病かつ千里眼の預言者の女を紹介。そしてその預言者がバルタザールに告げた内容とは? 1925年のフランス作品。 ルブランのノンシリーズ長編で、日本では例の保篠訳によって『刺青人生』の題名で以前に紹介され、そこではルパンものに改変されてしまっているらしい(その『刺青人生』は持っているが未読。最近、論創で復刻されたみたいだ)。 なにが「刺青」かというと、バルタザールの胸に肉親・係累との手がかりになるらしい? 三文字の刺青があるからで。さらに前述の女預言者が、とある、いわくありげな託宣を授けると、やがてその情報に符号する、父親の可能性のある人物が何人も出てくる。 こんな状況のなかで右往左往するバルタザールの姿が半ばスラプスティックコメディ風に描かれる。 しかしこの「複数の親」という文芸設定は、同じルブランの別の某連作短編集の一編を想起させるところもあるよね(事態の決着のつけかたは、まったく別ものですが)。 そもそも幼いころから地道に苦労ばかり重ねてきたバルタザールの人間観は「人生には冒険など存在しない」という冷めたものだが、そんなニヒルな理念が、彼が出くわす大なり小なりの騒ぎや事件のなかで揺さぶられていくのが、この作品の主題。 創元文庫巻末の訳者解説で三輪秀彦はルパンシリーズと比較しながら彼流の私見を語っているが、ほかにも受け取り方の幅はあるような物語である。 一種のフーダニットといえる「本当の父親探し」の着地点はなかなか唸らされたが、しかし正直なところ、こちら読み手の最大の関心は<バルタザールと(中略)の(中略)>の方にばかり向いていたので……(笑)。 終盤に登場する本名もわからない某サブキャラが、実においしいもうけ役をつとめていた。 ちなみに書誌を確認すると、本作はノンシリーズものではあの『ドロテ』の次に書かれた長編だったみたいで、ああやっぱりこの時期のルブランはお話作りに独特の勢いがあったよね、と再確認させられた(まあ『ドロテ』は厳密にはノンシリーズものともいえないかもしれないけれど~あれはむしろルパンシリーズ番外編という扱いにしたいし)。 いずれにせよ、一読して、気持ちがちょっとほっこりする一冊だった。 |
No.1114 | 7点 | スピアフィッシュの機密 ブライアン・キャリスン |
(2021/03/03 05:44登録) (ネタバレなし) 47歳の傭兵マイケル・クロフツは、戦場で重傷の戦友ヘルマン・ボッシュを安楽死させたトラウマゆえに、稼業から足を洗う。クロフツはロンドンで二十歳前後の美少女パメラ・トレヴェリアンとも恋仲になり、完全に以前の自分から生まれ変わったと思った直後、むかしなじみの海軍佐官のエドワード・シンプソンに再会。そのシンプソンから、無二の戦友エリック・ハーレイとその妻ローラが、地方での農場経営を始めたと聞いた。現状のエリックの境遇に不審を覚えたマイケルは、単身、エリックの農場に赴くが。 1983年の英国作品。 キャリスン作品を読むのは、大昔に手にとった『海の豹を撃沈せよ』以来だと思う。 総ページ300ページ前後で、前半のマイケルとパメラのラブコメチックなやりとりなどすごくヤワい(ここではくわしく書けないけれど、小娘にいっぱい食わされるくだりは、これで百戦錬磨のベテラン傭兵かと、いささか呆れた)。 だからこれは大してカロリーを使わずに読めそうだと甘く見ていたら、中盤から加速度的に読み応えが増大。どんどん面白くなっていく。 冒険小説、巻き込まれ型スリラー、エスピオナージュ、それら3つの似て非なるジャンルの要素が実に良い感じでミックス。おそらくは作者の得意フィールドであろう海洋活劇への繋げ方も、スムーズかつ好調。紙幅に対しての充実感でいえば、職人作家としてこなれはじめた(脂の乗り始めた)ころのマクリーンの諸作を思わせる感じ。 おかげで後半のどんでん返しの連続はお腹にもたれる一歩手前だが、まあギリギリついていけないことはない。 (後半はあと50ページ多くてもよかったのでは、とは、今でも思うが。) 『海の豹』は、なんとも余韻のあるあのクロージングが今でも印象に残っているけれど、こちらはまた違う種類の興趣であった。またそのうち、別の作品も読んでみよう。 |
No.1113 | 6点 | 崩壊 地底密室の殺人 辻真先 |
(2021/03/02 04:32登録) (ネタバレなし) 日本屈指の大コンツェルン、三ツ江グループが5年の歳月をかけて建造したジオトピア。それは東京駅八重洲口の地下街の8倍の面積の空間に設置された、地上12階地下30階の巨大構造物だ。「私」こと三ツ江建設設計部の設計技師、五十嵐励(はげむ)は、このジオトピア建造の主力スタッフの一人。五つ子兄弟の長兄である励は、施設の正式オープン前に、弟の勉と武、そして彼らのそれぞれの妻を伴ってジオトピアを訪問するが、突如起きた大地震によって、暗黒の地底に閉じ込められてしまう。そしてそんな彼の周囲には、誰だかわからない女性の刺殺死体があった。 大地震で閉ざされた地下の広大な暗黒空間を舞台にした、パニックサスペンスものと謎解きフーダニットの興味を掛け合わせた書き下ろし長編ミステリ。 もちろん1995年の阪神・淡路大震災に触発されて執筆したと思われる一作で、各種ライフラインの途絶やトイレの下水不順に困った地上の人々の描写などは、95年当時の現実のニュース報道そのままに思えた。 ハズすというか手をぬくときの辻センセイは臆面もないので、これもミステリの部分は短編ネタで、あとはパニック描写や男女の不倫回想エピソードなどで水増しか? と思いきや、決してそれだけではなかった(逆に言うと、そういった部分もそれなりの比重を占める)。ただし前半からの眼目となる<暗闇の中で、この死体が誰か判別できない>というなかなか魅力的な謎の提示は、あまり面白く実らなかった印象。 主人公格の回想描写を活用して謎解きの興味をリアルタイムのものに限定せず、ミステリとしての関心が広がっていくのはうまいが、一方で別個の事件を送り手の都合でつなぎ合わせたような構成にもなってしまった。あまり詳しくは言えないが、この辺は長編ミステリとしては良し悪しであろう。 最後には大技がほぼ同時に複数用意されているが、評者はそれぞれ前振りから、ひとつは何となく、もうひとつはかなりはっきりと先読みできてしまった。よくいうならば、きちんと前もって布石を忍ばせておいてある丁寧な作りさともいえる。 仕掛けの手数がそれなりに多いのはいいが、評者の場合、前述のようにある程度、見破ったこともあり、全体としてのダイナミズムに繋がらなかったのは惜しい。 クロージング~エピローグの余韻のあるビジュアルは、さすが映像作家として何十年も食ってきただけのことはあるという感じ。 とにもかくにも力作だと認めるにしかず。 |
No.1112 | 6点 | 紫色の死地 ジョン・D・マクドナルド |
(2021/03/01 06:07登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと、フロリダのもめごと処理屋トラヴィス・マッギーは、初対面の32歳の人妻モーナ・ヨーマンから相談を受ける。モーナの亡き父カバット・フォックスは地方のエズメレルダ市の名士で、彼女に莫大な遺産を遺したはずだが、それを亡き父の親友で同時に財産管理人、そして今はモーナの夫である58歳の実業家ジャスパー(ジャス)がひそかに不当に使い込んでしまった、という。別の恋人ができたモーナは自由になる金が欲しいので、夫が管理する自分の財産を取り戻してほしいとマッギーに願う。お門違いの相談だと言いかけたマッギーだが、その瞬間、何者かが遠方からモーナを狙撃して、その命を奪った! 1964年のアメリカ作品。 トラヴィス・マッギーシリーズの、本国での刊行順で第三弾(翻訳は順不同)。 本シリーズはだいぶ前に読んだ分もふまえてこれで3冊目だが、良い意味でのシンプルなプロット&描写の焦点が明確な登場人物、などの点で、こないだ読んだ第1作目『濃紺のさよなら』などよりも、ずっと楽しめた。 特にストーリーの前半から、かなりの叙述を費やしてキャラクターが掘り下げられていく本作のメインゲストキャラ、ジャスの黒とも白ともつかぬ人物像がとてもいい。従来のこの手の作品なら憎まれ役が似合いそうなポジションだが、独特な器量の大きさとにじみ出る苦労人ぶりにマッギーが奇妙な友情を感じてしまう心情もよくわかる。本作はこのジャスと、メインゲストヒロインの女子大生イザベル・ウェッブ、そんな2人とマッギーとの関係性が小説的な魅力のかなりの部分をしめていると言っていい。 (マーロウと作品ごとのメインゲストキャラとの関わり合い、ああいった感覚に通じる味わいだ。) 一方でミステリとしてはなかなか事件の全貌が見えてこないので、これは最後にかなり驚かされるのでは? と期待を込めたが、まさに真犯人はけっこうな意外さ! ではあった。 ただし前もっての伏線などは希薄で、最後の方でようやく情報をまとめて出してきたりするので、謎解きものとしてはあまり高い評価はしにくい。ガチガチのパズラーじゃなくてもいいから、このネタ(真相)なら、もうちょっとうまい味付けと効果的な演出もできた気もする。 それでもフツー以上にしっかり面白かった。秀作にはちょっと足りないが、トータルでのエンタテインメントミステリとしては十分に佳作にはなっている。 |
No.1111 | 7点 | 竜と剣 檜山良昭 |
(2021/02/28 05:39登録) (ネタバレなし) 昭和7年に満州国が建国。それから3年後の昭和10年。大財閥、永坂家の令嬢の雪子は強引なお見合い話が嫌で、馬賊になろうと満州に逃げ出す。まもなく雪子は大陸に向かう豪華客船の船上で、新聞記者と称する青年・伊藤秀彦と知り合うが、彼の正体は公安に追われて逃亡中の反政府主義者・安達浩太だった。そんな安達と雪子は、洋上で奇しくも殺人事件に遭遇。安達が絶命間際の被害者からあるものを託されたことから、二人は満州国の進路に関わる巨大な謀略に巻き込まれていく。 1978年に『スターリン暗殺計画』でミステリ作家としてデビューした作者による、十八番の歴史冒険ミステリ路線の一作で、書き下ろし長編。 日本国内に不況の風がふきまくっていた薄暗い時代の設定だが、主人公コンビの男女に意識的にラブコメ少女漫画的な文芸を採用したため、作風はかなり明るい。 アナーキストを自覚する男性主人公の安達が、それでもまだ無辜の市民を殺してはいないという設定からして、ああ、これは彼をキレイな身柄のままヒロインと(中略)と大方の見当がつくし、一方で女子主人公の雪子の「時の人である女傑・川島芳子のもとに押しかけ、馬賊の弟子入りしたい」という願望もどこかアホっぽくて陽性。さらに彼ら二人に関わりあってくる主要サブキャラたち、その一部の微温的な描写もまったりとしている。 80年代の日本の男性作家がクリスティーの『茶色い服の男』みたいなのを書こうとして、こんなのになったんじゃないの、という感じ? ここでは詳しく書かないが、作中に用意された政治的な謀略はかなり大がかりなもの。 その一方で、主人公たちの細部のクライシスからの脱出劇がところどころ甘かったり、かと思うと終盤ではなかなかしつこく二転三転の展開を見せたりと、長所と短所が相半ば。でもトータルとしては、なかなか悪くない。 (ただラストのまとめかたなどは、書き下ろし作品のはずなのに、なんか連載もののクロージングのような印象でもあった。) そんなにピリリとしたものはないだろうな、と予見させてしまう作りというのは、この手の冒険スリラー系のジャンルではちょっと問題かもしれないとも思うけれど、まあ数多い国産歴史もの冒険小説のなかに、こういう作品があるのもいいよね、とも考える。 自分が20~30代の若い頃、そばに国産冒険小説ジャンルに興味を持ち出したガールフレンドでもいたとしたら(なんじゃそりゃ)、たぶんおススメしやすい一冊ではある。 評点は、なかなか食い下がった終盤のテンションを評価して、この点数で。 |
No.1110 | 7点 | 盗聴 ローレンス・サンダーズ |
(2021/02/27 20:02登録) (ネタバレなし) 1968年のニューヨーク。8月31日から翌日にかけて、「デューク」こと37歳のプロ犯罪者ジョン・アンダースンとその仲間が、73丁目にある上流階級の面々が集う高級アパートを襲った。当初のデュークは極力、流血を避けて、強盗を行うつもりだった。だが仁義を通して了解を取りにいった大手犯罪組織からの過剰な干渉もあり、事態はデュークの思惑からずれこんでいった。当局や民間探偵の盗聴、被疑者の尋問、関係者への取材などの音声や筆述の記録が事件の全貌を浮き彫りにしてゆく。 1970年のアメリカ作品で、作者の処女長編。 評者は大昔に購入していたNV文庫版で読了。 あらすじの最後に記したように、小説のほぼ全編(正確には9割くらい)が、盗聴や尋問、取材などで得られた会話の音声を書き起こしたダイアローグ形式の作品。 似たような仕様のミステリはその後の東西でいくつも出たような気もするが、当時としてはたぶんかなり新鮮なスタイルだったハズではある。 (本当に正確に、まったく前例がなかったとまでは断言できないが~手紙の交換形式なら、セイヤーズやP・マクドナルドとかあったし。) ただしNV文庫巻末の解説によると、本作はこのダイアローグ形式の仕様うんぬんより、前年のクライトンの話題作『アンドロメダ病原体』を想起させる、生々しいドキュメトタッチのフィクションとして反響を呼んだという主旨のことが指摘されている。評者はまだ『アンドロメダ病原体』を未読なのでなんともいえない面もあるが、まあ真っ当な観測なのであろう。 少なくとも本作は、こういう音声記録という客観的な叙述形式ななので、当然ながら地の文には主観的な感情などは入りにくく、全体的に抑制されたドキュメント風の一冊に仕上がってはいる。 実を言うと、金持ちが集うアパートを強襲して金品を奪おうという犯罪そのものは、地味でまあ小規模なものなのだが、とにかくその実行に至る過程を前述の会話記録形式でとにかくしつこくしつこく、そして薄皮を剥ぐようにじわじわ語ることでテンションとサスペンスを高めていく。 このジワジワ見せる手法もまた、やはりその後に無数の類作が登場したため、21世紀のいま読むとさほど目新しさはない。それでも作者が気迫を込めた処女作ゆえに、かなりの歯ごたえがある。 翻訳の元版であるハヤカワノヴェルズ版では、おなじみの<途中から本文に封をした返金保証仕様(こんなオモシロイ作品を途中でやめられますか?)>だったようで、当時の早川もそれだけこの作品に自信があったということになる。 なお本作は、のちの『魔性の殺人』以下の「大罪シリーズ」の主人公(ヒーロー捜査官)となるエドワード・X・ディレイニー署長(NY警察署のトップ)のデビュー作でもある、本作の実質的な主人公はデュークなので、今回はそれなりに重要度の高いサブキャラポジションだが、のちのちの濃いキャラクター描写は早くも感じられる。 「大罪シリーズ」は、そちらから読んでも別に構わないと思うが、きちんと本作から順を追って楽しむのも、また一興ではあろう。 本作の評点は、8点に近いこの点数ということで。 |